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  6月29日(木)
今日の午前中は英語を習っている教会の催しで「ドライフラワーアレンジ」の教室があったので参加しました。多分女性ばっかりだろうと”期待して”出席したのですが予想以上に当たり。来る場所を間違えた。しかし、来た以上は引き下がることもできず、気恥ずかしい気持ちを隠しつつ最後まで参加しておりました。
これには英語の先生やアメリカに帰っている牧師さんのお母さんが来ていて教会らしい雰囲気。ただ、私にはその都度行われる「お祈り」には慣れなくていつももじもじしています。
ドライフラワーは全く女性向きというか可愛いというか、ちょっと少女趣味の小さい花かごを作るというものでした。見た瞬間帰ろうかと思いましたが、時すでに遅し。この程度のアレンジならいつもやっているので、むしろ回りの方たちの手助けをしたりしておりました。
というわけで結局私よりはるかに若い女性たちに囲まれて至福のひとときを過ごしたのでありました。我ながらその勇気には「自分を褒めてあげたい」と思いました。

上の写真は会場の教会の内部。下はこの教会の牧師さんのお母さん。今日はベビーシッター役で参加。旦那さんが体調を崩して入院中であるためアメリカに帰られず看病に付きっきりなのです。私の母と同じくらいの年なのにものすごく若く見える。でも看病のために相当に疲れが見えてかわいそうでした。30分ほど肩のマッサージをしてきました。You're so kind.と感謝されましたが、できることはそのくらい。早く全快してアメリカに戻れるといいですねと話してきました。




ところが、その帰りのことです。ふと、2,3日前のことが頭をよぎって離れなくなってしまったのでした。近くにそば屋があって先日久しぶりに食事に行ったのですが、そこで支払いをした覚えが全くないことに突然気がついて愕然。それ以外のことは店内のたたずまいや会話の一部始終も全部覚えているのに勘定だけがスッポリ抜け落ちているのです。
おやまあ、こうなるとボケの症状もかなり深刻ですね。先ほどの至福のひとときはもうどこへやら。しかたなくもう一度店に行って食事をしつつ、先日勘定をちゃんとしたかどうか聞いてみました。そしたら女将さんから何と返事が来たと思います?「払ってもらっていますよ。もしそうでなかったらパトカーが来ています」だって。確かに言えてる。一安心をしましたが、冷や汗ものでした。しかし実はまだ半信半疑・・・・。
「考え事をしていたら払ったかどうか記憶が飛んでしまって」とごまかしてはみたものの、これからしばしばこんなことがあるのかなと考えると・・・・憂鬱。


  6月27日(火)
最近全くふとどきなジャンクメールがときどき届くようになりました。メールヘッダを見てみるとどうやら私のホームページのメールアドレスをたどっているらしい。

覚えてるかな??2回くらい一緒に食事しましたよね?
しばらく連絡してなかったから、アドレスとかもわからないかもしれないけど。。。たまには会えませんか?
早速なんですけど今日とか会えませんか?勝手でごめんなさい。
もし、会える時間があるなら場所とか一緒に決めたいと思ってるんです!


オイオイ、これ奥様が見たらどう思うんだよ。「あなた、私にかくれてこの女と食事に行ったの!! しばらく連絡してなかったってどういうこと? 一体どういう関係なのよ!!」・・・胸ぐらつかんで追求されそうですよ。これは。
しかしそれにしても東京千代田区のKANAさんよ、どうやって今日会うんだい? 交通費出してくれる?
いつだったかテレビで、どこか薄暗いビルの一室にこもっ何台ものパソコンに向かいこんなメールを出すアルバイトに精を出している男たちのことをやっていたような気がする。1000人にメールを出して一人でも引っかかればもうけもの。とことん搾り取ってやろうというのか。
メールアドレスを収集してこうしたメールやホームページをつくって不特定多数に送りつけるにはそれなりの知識と相当な時間・人材が必要です。だからこれは組織的犯罪の予告メールです。お〜〜〜こわ。


  6月26日(月)
テレ朝にチャンネルを変えたら偶然リクエスト曲コーナーで「百万本のバラ」がかかっていました。残念なことに歌詞は加藤登紀子さんのあれでした。
何ともなつかしいこの大仰な歌、日本に紹介した松山善三さんの歌詞が断然よい。もっともこんなこと、1000人いたら999人まではどうだっていいことでしょうけどね。
ヒットしたのは加藤さんが歌ってからなんだけど、加藤さんの歌詞ではどうにも好きになれなかったこの歌、松山さんの歌詞で太田真季さんが歌うと俄然魅力的でしたからちょっと書いてみただけです。
ちょっとだけ補足すると、この歌の背景は結構面白いんですね。合唱団チャイカのホームページにそれが紹介されています。

"百万本のバラ

ところで「おときさん」といえば私より二つほどお姉さま。東大在学中から学生運動に参加、そののち「ブント系全学連」の委員長で獄中にあった藤本敏夫さんと結婚したことで知られました。当時から「全共闘運動」のシンボルのような存在だったわけで、それゆえ私には全く縁のない存在でした。
なぜこんなことを書き始めたかというと、ちょうど今年から来年にかけて「団塊の世代」が大挙して定年を迎える世代交代の時期にあたっており、しかもこの世代が「全共闘世代」と言われることも結構多いからです。
1960年代の後半から70年代のはじめにかけてのこの時期に学生運動の洗礼を受けたのは私も例外ではありませんでしたが、「全共闘」なる造語は運動の担い手とマスメディアが演出し作り出した概念であり、それがその世代のすべてであるかのように描くこの言い方は間違いもいいところだと私には思えるんですね。ところが上野 千鶴子さんのようなすぐれた研究者でさえ(!)不用意(と私には思える)に使用されているのを見るにつけ、あの当時の一部のゲバ学生たちの幼児的な「思想」と跳ね上がり的行動があたかも時代を先取りした行動であったとして免罪されてでもいるようで情けない。それとも特別の感慨をこめてそのように書いているのですかね。


  6月24日(土)
友達のマイクがホームステイ・ビジネスをやるために専用のホームページを立ち上げたいと相談をしてきました。聞けばネット決済のシステムを導入するなど本格的なことを考えているらしい。
それじゃ力になりたくても専門的な知識がないからダメだね、と言ったら、今はともかく初歩的でもいいから形を作り次第に高度な内容のものにしていきたいのだということ。その形を作る仕事を手伝ってくれというのです。
多分ちゃっかりものの彼のことだから出来るだけ安上がりでやろうとしているのはわかるのですが・・・。まあ、なるようになるか。ここ2,3日そのやりとりで結構時間をとられていました。
No worries Mr Moo と言われたって、こっちが心配することじゃないだろう。ほんとに楽天ぼうずのマイクなんだから、どうしようもない。
いとこの歯科医からも現在作成中のホームページの内容が送られてきそうだし、町の観光案内のホームページもどうやらひな形を作らなければならなくなりそうだし、俄然忙しくなってきました。というわけで、私の生活、大変なことになって来つつあります。

町議会議員である山本久子さんのホームページに、提案された「国民保護法」に基づく条例案が継続審議になったという記事がありました。たいていの市町村では国の法律で決まったことだからというのでスイスイとひな形通りに決められていくのではないかと思います。
しかし、6月18日の日記にも書いたことですが、そのようにして気がつかない間に戦争の準備は進められていく。このように書くと推進派からは「戦争のための法案でなく、テロや侵略行為に対して国民を守るためのもので、決めることに何の問題があるのか」という反論がくる。いつもそうやって国民をいいくるめて戦争の方向に誘導していくんだけどね。事実町の議会でも継続審議に反対したのは○○党の議員だけだったのだとか。どこまで腐っているのかい、この党は。
幸い、この党だけの反対であとは全員継続審議に賛成だったようで、共産党議員の奮闘と大多数の町議の良識が推進派を蹴飛ばしたということでしょう。何よりでした。

梅雨前線が九州・四国方面に停滞していて大雨の恐れというニュースがありましたが、こちらは梅雨の晴れ間なのか日中は相当に気温が上がって暑かった。しかしそれでも例年よりは気温が低く夜に入るとひんやりとします。農作物にじわじわと影響があるのではないかと心配になります。
ところで例のランプシェード、手持ちの小さいものを二つハーブセンターに持って行って飾ってきました。これで最後です。売り切れ御免。
飾るとなかなかの雰囲気でした。誰が買ってくれるのかな。




  6月22日(木)
安曇野はようやくラベンダーの季節です。あちこちに長い紫の穂をのばして咲いているのが見えます。繁殖力が強い植物なのでもっと増やしてどこでもラベンダーづくしのようにすればいいとかねがね思っているのですが、まだまだ少ない。
昨日はお花の先生のところに行ってラベンダー摘みをしてきました。ガーデンのラベンダーがちょうどひらき始めでとてもきれいです。ほんの少しひらいたくらいがドライフラワーに最適なので沢山摘んできました。
先生のお宅の庭には変わった花や植物がいろいろと植えられていて目を楽しませてくれます。






我が家の庭の作物もそれなりに育ってきています。前回も書いたようにオクラはほとんど全滅ですが、それ以外は割と順調。キュウリも大きく育ち、トマトも実をつけています。トウモロコシはそれなり。ニガウリも生長を始めています。


今年のメインは結局アマランサスかいな。昨年貰ってきた穂をほぐしてそこらに蒔いておいたらやたら沢山芽を出しました。葉をたべてみたら何となくホウレンソウのよう。何しろ鉄分、ミネラル豊富な健康食品ということで、庭には馬にたべさせるほど植えてあります。
北海道農業試験場作物研究部畑作科のホームページには葉に含まれる成分について次のように説明されていました。こりゃ食べなきゃソンというものです。

農業機構(FAO)の資料によると、生葉100g中に、鉄分を8.9mg(トマトの14倍、キュウリの18倍、ホウレンソウの2.4倍)も含んでいる。カルシウムは410mg(トマトの41倍、キュウリの32倍、小松葉の1.4倍)を含む。ビタミンCは64(トマトの2.5倍、キュウリの4倍)を含む。たん白質は4.6g(トマトの4.6倍、キュウリの5.8倍)を含む。

あ、そうそう。今日ランプシェードを委託販売してもらっている池田町ハーブセンターから連絡があって、小さい方のランプシェードが二つ売れたので別のものがあったら持ってきて!!だって。ゴールデンウイークの期間も売れなくてずっと飾ってあったものがいきなり二つもねえ。どうしたっていうのでしょう。
こりゃ、来年はもっとたくさん作ってストックしておかないと・・・・。誰かいっしょにやる人いないかねえ。


  6月19日(月)
久しぶりに友人のMikeからお便り。すでに家族でニュージーランドに帰って父母とともに過ごしているとのこと。二人目のベビーもまもなく誕生という話でした。上の子はさぞ可愛くなっていることでしょう。
以前から自分自身のホームページを持ちたいと言っており、かなり前になりますが、それを私に作ってくれと頼んでいました。もうすっかり忘れていたのですが、彼はちゃんと覚えていてデータを送るから頼むと言ってきました。作るのはどうってことないのですが、何しろ全部英語。これは困ります。ソースコードが英語であるのとは訳が違います。原稿は全部書いてくれると言ってもそう簡単ではないですもんね。ま、英語の勉強になるかもね。彼には出来れば近くでHTMLやCSSの知識を持った人を見つけてやって貰うのがいちばんいいよとはいっておいたけど。

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梅雨空がどこかに行ってしまって暑い夏空が今日も広がっていました。このところ町の無線放送が近くの山のあちこちでツキノワグマが出ているから気をつけるようにと呼びかけています。あまり暑いので山から下りてきたのか、昨年までとはちょっと様子が変わっている感じがします。
ちょっと様子が変わっているといえば、畑のオクラが全く生長しません。ほとんど消えてしまっています。あとから買った苗も伸びる気配なし。去年林のように茂ったのに今年は一体どうしてしまったのでしょうか。

一方、町の花のラベンダーがようやくあちこちでほころび始めてきました。この土日には、ハーブセンターと夢農場とでそれにあわせて好例の花祭りが行われました。花祭りにはちょっと早い感じ。それでも私はカメラをもってウキウキとその取材に出かけたのでした。
ハーブセンターではいくつかのテントが張られていろんな商品が並べられていました。安曇野ワインが意外と(!)美味しいので一本購入。家のすぐ近くにお豆腐の工場があることがわかったし、いろいろと収穫がありました。


続いて行った夢農場では「野ブタの丸焼き」(下の写真中央の棒にブタを串刺しにしグルグル回して焼く)がおめあて。ほとんど終わって残骸の始末の最中でしたが、それでも骨の回りの肉がまだ残っていたので沢山貰って食べてきました。ハーブ入りの塩をかけて食べました。うまかった。


手前で焼いているおじさんから「午前中に来れば’イノシシ’の肉にありつけたのに」と言われました。「どうしてイノシシが?」と聞くと「オレは猟師だよ。一年に何十頭もとる」という野性的な返事。これが最高というあばらの骨付き肉をプレゼントしてくれました。これまた野性的。


  6月18日(日)
現在開会中の池田町議会に「国民保護法」および「県国民保護協議会条例」にもとづく条例制定案が提出されたと聞きました。
「国民保護法」というのは2年前の9月に国会で成立した「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」をさします。その名の通り外国からの武力攻撃やテロなどを想定し、非難・救援などのほか、戦争状態を可能にするための土地の収用や自治体職員などへの命令などを規定している戦争協力法の一つです。。
これは言うまでもなく「事態対処法(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)」をはじめとする有事法制の一つであり、成立過程からして憲法違反の疑いが濃厚なものでした。つまり、想定する外部からの攻撃なるものはあくまで表向きの理由であって実際ははアメリカの軍事行動や戦争政策に日本を組み込んでいく際にどうしても必要になってきた法律であるということです。端的にいえば、いざ戦争あるいは有事というときに軍隊を動かしやすくし国民を総動員しやすくするための法律なのです。
町長は「法律や条令が制定された以上、町民を守るために計画を策定する必要がある」と述べているようです。テポドンが池田町に飛んでくるのでしょうか。外国軍が池田に侵入してくるのでしょうか。本気でそんなことを考えてそれに対処しようとするのでしょうか。まともな大人の考えることじゃありませんね。
池田町がやらなければならないのはむしろ「政府の行為による戦争」などという愚かな歴史を繰り返さないための不断の努力をする先頭に立つことでしょう。
そうではなく、北朝鮮の脅威や中国の軍事的脅威などを意図的にふりまいて、あたかもそれらから国民を守るのがこの法律であるなどという政府や一部マスコミのプロパガンダをまともに信じるとしたら、それはまんまとアメリカや日本の支配層の思惑にはまっていくことにしかなりません。
もし百歩譲ってそうした現実的な恐れがあるとしても、それへの対処はあくまで外交交渉による政治的解決以外に根本的な対処はありません。軍事的な対応を想定するなら、それは必ずいつか来た道にのめり込むことになるからです。それにしても”戦争準備がこの町にも来ている”この条例案の話を聞いてそう思ってしまいまったことでした。
「備えあれば憂いなし」などという一般論で絡め取られていっていいのか。現実にどのような法律が成立してどんな事態が現在進行しているのかをはっきりとらえなければなりません。そうしたことを断固として主張しうる自治体が一つくらいあってもよいのではありませんか。


ここしばらく大塚英志さんの「憲法力」という本(角川新書)を読んでいました。この本の最後の章(コラムは別として)で大塚さんは「第9条は文学の問題である」と言っています。つまり「戦後の第9条への対応において、一つはことばが詭弁の手段と化してしまった。二つはことばの力を9条を裏切ることで失ってきた、という二つの意味でことばを裏切ってきた」というのです。
ことばによって他者と対話して問題点をクリアしていく。戦争によらない外交というもう一つの選択肢が明快にあったのに、それをアメリカの影響下で行使しないで、「第9条があるから何もできない」という形で閉塞してきた。・・・・だから今こそぼくたちは自分たちの「ことば」の立て直しの根拠を第9条においてみるべきなのです。・・・
彼はこの本を通して憲法の前文を自らのことばで書いてみる実践を続けてきています。そのために「改憲賛成派」と見られることがあると書いていましたが、それはともかく、そのことによってこそ、現行憲法と改憲案とを比べることが出来るのではないかという主張は傾聴に値します。
冒頭に出てくる柳田国男に係わる話は面白いし「日本人」についての論考もとてもするどい。私の好きなところは次の一節。
もうそろそろ日本人論や日本文化論はトンデモ本なのだと冷静に判断しなくてはいけない。大切なのは、「国」という社会システムの中で「日本」や「伝統」に依拠しない形の自己定義を考えることです。それが「国民」や「日本人」ではなく、柳田が言う「公民」もしくはより具体的には「有権者」だというのはすでに述べた通りです。いかに自分以外の人間たちとネゴシエートしながら、共同体的なものを形成する主体となっていくかを前提として「私」を定義し直すべきなのです。
藤原先生に読ませたいですね。みなさんもこの本を是非お読みになることをお勧めします。



さて、今日、子どもたちから父の日のプレゼントが届きました。プレゼントなどもらい慣れないから、どことなく面はゆいものがあります。でもうれしいことには変わりがない。さっちゃん、ともちゃん、ありがとね。


  6月14日(水)
我が家の建築状況。現在は外壁が窓枠などのコーキングと樋の取り付けが終わって家の外側の工事がほぼ完了しました。外部の工事で残っているものはもちろんまだたくさんあるわけで、まず一段落ということです。
内部は壁面の下地張りが終わって天井の下地づくりとボード張りが行われているところです。多分今日でこれも終わって、今週末からは押し入れや棚の取り付けとともに、床面のフローリング工事にかかることになるはずです。
外部の工事では、玄関のタイル・スロープの工事、縁側のとりつけが来週あたりから。
電気の配線は先週でほぼ終わっていたのですが、いざボードを張り天井を張り始めると、ミスや場所の変更点がいくつも出てきて、そのたびに細かい修正の打ち合わせをしなくてはならず、神経を使います。もう少し綿密に設計図を見ておけばよかったのですが、なかなか細かいところまでは読み取れませんでした。また実際に作ってみないと分からないところも結構あって、大工さんや電気屋さんには面倒をかけています。
しかし遠慮して何も言わないであとから後悔することだけは避けたいので、出来る出来ないは別としてとにかく気がついたことは全部伝えて、一緒に対策を考えています。幸い大工さんには嫌な顔もせずに相談や修正に応じてもらえているので今のところ大きな問題は生じていません。




  6月13日(火)
昨日から今朝にかけて異文化に取り囲まれておりました。
ニュージャージー州立のWilliam Paterson Universityから教授(日本人)とともに10数名の大学生たち(1名を除いてアメリカ人)がやってきたのです。彼らは、私が英会話のレッスンに行っている教会の牧師さんを頼って日本の文化に接することを目的に安曇野に立ち寄ったのでした。
「アメリカでは公教育での宗教教育は認められていません。受講する学生もいろいろな宗教的背景を持っていることが考えられます」と教授の説明にありましたから、あくまで日本文化の諸相を学んだり日本語に直接触れたりすることが目的だったようです。各自の専攻の学科はいろいろですが、この教授の授業を受けていて日本の文化に興味がある大学1年生から4年生までのグループだということでした。
お金をあまり持っていないごくふつうの大学生なのでとにかく安上がりに旅行を計画しなければなりません。そこで英会話のレッスンの折にボランティアとしての参加を要請されたのでした。


協会の皆さんの歓迎ぶりはたいしたもので、皆さん総出で食事の用意をしたり宿泊の用意をしたりで、一生懸命お世話をしていました。全部ボランティアです。こんなところは見習いたいところですね。
一行は昨日の昼過ぎ柏矢町に到着。教会でオリエンテーションや自己紹介のあと約一時間のキリスト教の講義。講義のあとの質疑では結構するどい質問を牧師さんに浴びせていましたのがおもしろかった。
その後車に分乗して大王わさび農園へ。わさび農場では黒沢監督の「夢」のセットや山葵田を見学した後、わさびソフトクリームやわさびコロッケ、わさびビールなどに舌鼓を打ちました。「夢」をすでにDVDで見ている学生がいて、「最後のシーンにこのセットが出てくるんだ」といいながら感激して水車小屋や川を見ていたのが印象的でした。


左端のサングラスの学生は「ヘビメタのロックバンドでボーカルをやっている」と言っておりました。声優になるのが夢なのだとか。背中にでっかいタトゥーをしょっているので「それ本物かい。何の模様?」と聞いたら「もちろん本物。バンドのロゴだよ」と言っておりました。
ビールの自動販売機を見てしきりに感心しているので「持って行けよ」と言ったら「手伝ってくれ」だって。アメリカにはこの手のアルコールの自動販売機がないのでうらやましいらしい。確かにクセが強くて楽しい人物でした。日本の学生にはまずいないタイプ。そのほかの学生もそれぞれに特徴があり、自分自身をよく磨いているし随分大人だという印象を受けました。


その後、常念岳のふもと安曇野市堀金にある「ほりで〜ゆ」に向かいました。温泉も体験のうち。裸のつきあいというわけです。女性の方はどうだったかは知りませんが、男の方は先生も生徒もわいわいと温泉にはいりました。ほとんど貸し切り状態だったので露天風呂で大きな浴槽に輪になって入ったり、風呂上がりのあとマッサージ器を試したりとすっかりリラックス。
その後はまた教会に戻ってカレーライスのディナー。朝から教会のスタッフが作ってくれたものです。
面白いことにほとんどの学生がお箸を使ってカレーを食べている。アメリカ人が箸で私たちがスプーン。全く変な構図でした。


それはともかく、夕食の後彼らの一人一人が日本語で自己紹介をするので聞いてほしいという。14名の学生が自分で考えた日本語での自己紹介を始めてそのレベルの高さにびっくり。明日英語で「松本城」を説明することになっている英会話教室の仲間も「明日は日本語で説明するよ」と言うほどでした。日本のアニメが好きだという学生がかなりいたのが興味深かった。
かなり長い間日本語を学んでいる学生もいれば2,3年練習したという学生もいましたが、それぞれにちゃんと通じる日本語でしかも自分のことをしっかり伝えています。それに比べて私たちの英語教育はやはりどこかおかしいと思わざるを得ませんでした。


明けて今日は朝だけの参加。彼らは松本城を見学した後名古屋に向かうことになっていました。
ホンのわずかだけの交流でしたが、なかなかに刺激的で楽しかった。家にじっとしているだけではこんな体験できませんものね。これからもどこでどんな交流の輪ができるのか楽しみです。


  6月11日(日)
一昨日から昨日にかけてはサッカー・ワールドカップの開会式、ドイツ・コスタリカ戦を見ていて睡眠不足。昨日は塾の授業があったのでパラグアイ・イングランド戦はほんのちょっと見ただけ。しばらくはサッカーから目が離せません。
私の注目は試合だけでなく、テーマソングを歌っているIL・DIVOのゆくえ。割と新しいグループなのに破竹の勢いです。クロスオーバースタイルではあってもAMICI foreverとはひと味違うようで、今後が楽しみなグループです。

さて、明日6月12日はアンネ・フランクの誕生日です。あちこちで記念集会や追悼の集いなどが行われるのではないのでしょうか。何にもできない私としてはせめて「アンネのバラ」を新居の庭に植え、さらに平和の願いをこめて池田町を皮切りとして安曇野全域にひろげようといま密かに計画をしているところなんですよ。<もう密かでなくなったけど・・・>
アンネのバラについてはかなり前から名前だけは知っていましたが、植える場所もなくそのままになっていました。新しい家の庭に植えたいものはたくさんあるのですが、何か記念になるものをと思って、つい先日「アンネのバラ教会」の牧師でもありアンネ・フランク資料館館長でもある高橋数樹さんに連絡をとって苗を送ってもらうことにしたのでした。
ただバラの苗は専門の園芸家が接ぎ木をして増やすので冬に発送となるらしく、それまではしばらくお預けです。到着したらこちらでも接ぎ木をマスターしてどんどん増やしていくつもり。来年にはその模様もお知らせできることでしょう。


ところで、この「アンネのバラ」の由来は関係のホームページ(下に記載)の記載をもとにまとめると次のようになるようです。

アンネのバラはベルギーの園芸家、ヒッポリート・デルフォルゲ氏によって、1955年に作られ、60年に発表された後、オットー・フランク氏にアンネの形見として贈られたものです。
このバラは「アンネの形見のバラ」と呼ばれ、フランク氏の庭でも大切に育てられていました。
1971年(昭和46年)聖イエス会スミルナ教会の大槻道子牧師が聖イエス会しののめ合唱団の一員として海外演奏旅行の途中、イ スラエルのナタニアでオットー・フランク氏と奇跡的な出会いをし、翌1972年のクリスマスに同氏より”アンネの理想と理念に対し深い理解をよせてくださるあなたにアンネのバラを託します” との手紙を添えて10本の苗木が送られてきました。しかし輸送に日数がかかったため1本しか根づかず、その1本が京都の聖イエス会嵯峨野教会で1973年(昭和48年)の春初めて開花しました。
このバラは四季咲きで、咲いたときは黄金色で日数が経つにつれてピンクに変化する特殊なバラだということです。今では全国各地で栽培され一万本以上にも増えています。


アンネのバラ教会
http://www005.upp.so-net.ne.jp/anne-fmh/
アンネのバラ友の会 埼玉
http://www.sainokuni.ne.jp/roseanne/
ホロコースト記念館
http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/
アンネのバラ・キャンペーン
http://anne.ca-e.com/



  6月8日(木)
6月6日付のリバーの日記によればイラクはますます深刻な内部分裂と陰惨な殺戮とで覆われてきているようです。
「自分が実際に自動車爆弾を懐かしく思うようになるなんて思いもしなかった。少なくとも自動車爆弾は人を区別したりしないもの。スンニかシーアかといって、だれかを探し出して爆破するなんてことはしないわ」と彼女に書かせるほどに過激集団同士の殺戮合戦がエスカレートしているのです。
さらに彼女は「どこに行けば死や破壊から逃れられるっていうの?アメリカ人はこの進歩に満足だっていうの?ブッシュはこれでもまだ、わたしたちが進歩してるって言い張るの?」「エミリー・ ディッキンソンが書いてる、“希望には羽が生えている”って。もし彼女が書いてることが本当なら、希望は遠く―イラクからとても遠くに飛び去ってしまった...」とも書いています。

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3か月ほど前から腹部のある一カ所に痛みがあって今日医者に診てもらいに行ってきました。2か月ほど前にも一度医者にかかったことがありました。その際には超音波(エコー)診断をしたのですがとくに異常はなく、しばらく様子をみようということになりました。しかし、その後もいっこうに状態が改善しなかったために今日再度出かけたというわけです。
事情を聞いていた医者から空きがあるのですぐに造影剤を入れてCTスキャンをしてみようという提案があって、結局血液検査とCTをすることに。
その結果は「今のところ異常なし」でした。今のところというのはガンに関するデータと別の医者による造影のダブルチェックがまだであるという意味です。もしそれで何かあれば連絡してもらうという条件で今日は帰ってきました。
しかしこの痛みの原因は何なのか。原因が特定できない痛みというのはいやなものですね。自分ではたばこをやめたことによる副作用ではないかと思っているのですが・・・・・。

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最近ネコのハルちゃんにふりまわされています。私と家の中で追いかけっこををするのが好きでそのたんびに障子を破いてくれます。そのおかげで障子はボロボロ。
そうかと思うとダッコされるのも好きで、ゴロゴロ言いながら寝込んでしまいます。この頃は母の側で寝るようになりました。以前母に足を噛みつかれてから(ネコが母に噛みついたのではなくその反対)というもの、ハルちゃんは怖がって母に近づかなかったのですが、どうやら最近母を許したようで、よく側で寝ています。ま、眠たいときはどこでもいいのかな。




  6月7日(水)
4月の末に大町でクラフト展がひらかれ私も誘われて思い切って出品したことはすでに何度か書きました。今度は夏に同様の趣旨で、白馬のある教会でクラフト展をひらく企画がすすんでいます。
今日はクラフト展に誘っていただいたKさんといっしょにその会場となる白馬町の教会に下見に行ってきたのです。
会場となる聖白馬教会は別荘の集中する白馬エコーランドの一角にあり結婚式場としてよく利用されているおしゃれなウエディング・チャペルです。よく整備された広い敷地は芝生で覆われ沢山の木が教会を取り囲んでクラフト展をやるならむしろ中よりそとの芝生の上がいいねと話し合ったくらいでした。
打ち合わせの結果、開催時期は8月13日から15日まで。ちょうど観光客や別荘の人たちが集まるお盆の時期と決まりました。
これから出品の作品づくりにとりかかることになります。何をつくるかって?それは展示してからのお楽しみ。
会場となる白馬の教会はこんなところです。


長野県白馬町はスキーや別荘地で有名ですが、ひと頃のスキー、別荘のブームはとっくの昔に過去のものとなって空き屋、空きペンション、空き店舗などがかなり見られます。教会に行く道すがら荒れ果てた家を何軒か目にしました。
別荘地としての白馬ブランドは根強い人気を持っているとは思うものの、地域全体とすればピーク時の何分の一か何十分の一か。
会場の打ち合わせのなかでも、クラフト展がそうした町の再生への一つの足がかりを作ってくれたらいいねと話し合ったことでした。


  6月6日(火)
イチゴがどんどん赤くなっています。天気がよいと朝晩ボールに一杯ずつ。今朝などは借りている畑と合わせて小さいバケツいっぱいも採れました。
昨年ランナーから採った苗を沢山植えておいたのが実ったのです。今年は苗代ゼロ。肥料代だけで毎日食べきれないほどのイチゴというのは贅沢ですね。でもこれが田舎暮らしの醍醐味。
今日は息子夫婦に送り大家さんに届け、さらにジャムも作り始めました。ブルーベリーよりは時間がかかりますが手順は単純。砂糖を入れて煮詰めあとでレモンの絞り汁を入れてさらに煮詰めるだけです。30分ほどで美味しいイチゴジャムができあがりました。作りながらヨダレがでた。さっそくお昼にパンにつけて食べましたよ。おおおおお。うまいうまい。


話は変わりますが、先日来読んでいた本に藤原正彦著「国家の品格」というのがあります。この著者が好きで読んでいたわけではなく、ある意味ではこの人に見切りをつけるために参考にしたというほどの読み方でした。
数学者であった彼はイギリス留学などの経験をかなり具体的に面白く書いていた時期があるので、それなりに興味深く読んだ時期がありました。ところが数年前からその著作物では文化論や「日本人論」などに言及することが俄然多くなり、ついに「国家の品格」などというおそれおおいことを口にするまでになったのです。
数学をもっとしっかり研究すればいいのに、日本人に武士道精神を取り戻せと主張してやまないのですから困りもの。新田次郎と藤原ていの次男という出自からして文学的な素養はあるのでしょうが、それにしてもおめでたい議論の仕方です。
彼は論理とか合理というのは西欧的な近代合理主義の産物で人間社会はそれだけではやっていけない。論理だけでは世界は破綻すると主張します。そして持ち出すのが日本人が古来(!)から持つ「情緒」あるいは伝統に由来する「形」とりわけ武士道の精神だというわけです。
別に彼がどのようにノーテンキな主張をしようが本来構わないのですが、結構マスコミなどが讃辞を送ったり本屋でベストセラーになっているのを見るにつけ、一言触れておかないわけにはいかなくなった次第。
例えば、5ページでは彼が重視する情緒というのは懐かしさとかもののあわれといった教育で培われる感情であり、形とは主に武士道精神からくる行動基準だと説明されます。そしてこれらは「ともに日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきものでした。これらは昭和の初めの頃から少しずつ失われてきましたが、終戦で手酷く傷つけられ、バブルの崩壊後は崖から突き落とされるように捨てられてしまいました」・・・・と説明されています。あまりに非科学的で独断的な論法・・・いや「情緒と形」でしたっけ・・・には驚かされます。ところでアジア・太平洋戦争の時代にはこの「情緒と形」は傷つけられなかったのでしょうか。
最後の提言「国家の品格」では、国家の品格というのはそれ自体防衛力であり、日本が開国したとき「日本は品格ある国家であったが故に植民地にならずにすんだのです」・・・この論法で行けば「品格ある国家であったが故にアジアに侵略したのです」となっても不思議ではありませんね。
「共産主義も実力主義も論理の産物」という章の中ではさらに「すべての生産手段をすべての人が共有する。それによって生まれた生産物もみなで共有する。そうして貧富の差のない平等な、公平な、幸せな社会が出来る。美しすぎて目眩をおこしそうな論理です。しかし現実にはソ連が74年間の実験で証明してくれたように大失敗に帰しました。・・・共産主義という美しくりっぱな論理それ自身が、人類という種に適していないのです」と書いています。
勉強不足なのかする意志がないのか、彼の社会科学の知識の乏しさには目眩が起こりそうです。2006年5月25日に中国社会科学院で行われた不破哲三さんの学術講演を耳かっぽじって、じゃなかった目を皿のようにして読んでほしいものですね。
藤原さんの書いていることは全編似たり寄ったりなのですが、武士道精神からすれば新自由主義的な経済原理やグローバリズムは論外で手厳しく批判をしておりその限りでは面白い主張もないわけではありません。しかし如何せん拠って立つところが武士道精神ですからミソもクソもいっしょの批判となり結果として痛くもかゆくもない主張に終わってしまっています。
藤原さん、そろそろまた数学に専心する時間じゃないんですかあ。


  6月5日(月)
いまテレ朝でやっている番組。その画面には「密着取材55日・・・彩香ちゃんの母 凶行におよんだ33歳母」「秋田小一児童殺害 逮捕後判明・・真の顔」とあります。
この番組では完全に「容疑者=真犯人」です。取り調べも裁判もぬきで「密着取材55日」の結果としてすでに断定しているこの局の立場は一体何なのでしょう。
裁判所の存在など眼中にない取材の仕方。しかも近所の人に「やっぱり」「あやしかったねえ」などと言わせています。逮捕時に逮捕=真犯人の烙印を押すのですからこれは権力を越えています。
報道の基本はあくまで容疑者としての多面的な取り上げ方と抑制的な報道でなければならないでしょう。

このマスメディアの動向は今にはじまったことではなく、あの松本サリン事件のときの深刻な反省点すらすっかり忘れ、無罪推定原則はそのあとも繰り返し画面で乱暴に蹂躙されてきたことでした。とりわけ身近な凶悪犯行の容疑者については独自の「調査」などをもとに容疑者を真犯人として断定する傾向がいっそう強まっているような気がします。テレビでは誰もこのことに言及しない。そして・・・・いずれ私にあなたに火の粉がふりかかるはずです。

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今日はインサイダー取引容疑で逮捕された村上さんの記者会見がお昼頃に放送されていました。多弁・饒舌が実に耳障りな記者会見でしたが、自分で「プロ中のプロがミスをした」という彼の物言いにはただただ違和感を感じるしかありません。「金儲けはいけないことか」とも言っています。「もうけすぎたのが悪かったのか」とも。株をマネーゲームの対象としてしかみない(株の価値を上げるような企業努力の要請も根底にはそれがあります)昨今の風潮を追い風とした「時代の寵児」でしたから、この逮捕がそれを是正するきっかけになりうるのでしょうか、よく見極めていかないといけませんね。


  6月2日(金)
一軒の家を造るというのは大変なことだと思わされます。一つ一つの工程にどれだけの時間と労力がかかっているか。どれだけの資源を使うことになるのか・・・次第に形をなしていく家を見ながらそんなことを感じていました。
6月に入って工事もかなり進んできました。内部のボードを張るための地味な下地作業がようやく終わりに近づいてきています。部屋と部屋をつなぐ扉の枠を取り付ける工事が終われば、ボード張りが始まって部屋らしくなってくるはず。今は全体が見渡せるのでものすごく広く感じますが、まもなく一つ一つの部屋が独立してくるとそうでもなくなってくるでしょう。
毎日工事現場に顔を出していろいろと打ち合わせたりチェックをしたりしています。外壁の工事がほぼ終わりにさしかかり足場が外されてくるとこれからいよいよ内装にかかります。
全体が思ったより重厚な感じになってきました。外壁をメタリックなサイディング・ボードにしたためにちょっと重たく感じられるのです。外がこうしてできあがってしまった以上は内側の各部屋をうんと明るい色にしようと今日も設計士と話をしてきました。




  6月1日(木)
今日届いたパソコン雑誌を見てびっくり。PCfanでは「Mac&Winデュアルブート完全ガイド」、Mac Peopleでは「Core2Duoで始まる真のインテルマック時代」。どっちがどっちだかもう分からないほどです。
AppleはIntelMacへの移行に合わせてノート型をMacBookとMacBook Proに変更。今までのiBookがMacBookに、PowerBookがMacBook Proになったということですかね。どことなくダサいネーミングなんだけど・・・。
一方の純粋Intelの方でもそのマシン上でMacOSXを動かそうという動きが活発なのだとか。PCFanの特集記事によれば「ウインドウズの一歩先を行く先進機能が満載」「洗練されたデザインときれいなフォント」「使いやすさを追求したインタフェース」「Macが登場したのは1984年。・・・・ウインドウズはマックの後を何年遅れかで追いかけ続けてきたといってもまちがいではない」などとMacOSXをべた褒め状態。まあIntelMacになったことでハード面では両者の垣根がほとんど無くなったことがその最大の理由でしょうが、時代を感じます。と同時に、ますます私の知識は古いものになっていきます。
新しい機械をそう簡単に買うわけにはいかない。OSは問題ないとしてもハード面ではそう簡単に買い換えるわけにはいかないので、どれほど先進的な技術が使われようがIntel製品になろうが、私には関係なし。Windowsマシンの方も2世代前のまま。CoreDuoも関係なし。パソコンメーカーもソフトのメーカーもそろそろいままでの開発のあり方を見直さないと資源の無駄遣い・浪費を続けていくことになりはしないでしょうか。私自身長い間パソコンと向き合ってきて、情報処理と管理の道具、コミニュケーションの道具としてのパソコンのありかたをしっかり考える時期にきている、現代の人間にとって何が必要で何が不要なのか、どうすれば人間の幸福に接近できるのかという観点からコンピュータをとらえ直す必要があると思われてしかたありません。

さて、今日から6月。建築現場の大工さんたちにお茶でもごちそうするかとコンビニに寄ったらレジの近くになにやら小さい紙切れが。「たばこの買い置きはお済みですか?」だって。7月1日(土)たばこ価格改定--カートン予約承り中--というわけ。
その帰り、近くの工場の前を通ったら従業員がずらっと外に並んでたばこを吸っていた。全館禁煙が徹底しているのでしょう。
昨日から禁煙週間だそうですが、それほど禁煙を徹底したいならJTの宣伝をすべてやめること、屋外の自販機を撤去することぐらいはやるべきでしょう。たばこ行政を管轄する財務省はJT株の6割を持ち、高級官僚の天下り先。
一方で禁煙をおしつけ、一方で値上げして税金を吸い上げ、さらに自販機を野放しにして未成年者にたばこをひろげている、これでいいのかしらね。




"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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