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  2月23日(金)
ここ1か月ほどの陽気で庭先では可憐な「オオイヌノフグリ」(この花の名誉のために言っておくと、欧米での名前は"Bird's eye")やナズナの花が咲いていました。2,3日前には、少しでしたけれどどナズナの新芽を摘んで味噌汁の具にしました。
昨年は3月はじめくらいだったと思いますから約1か月早い。今日などは本当に暖かい4月下旬くらいの天気でした。このぶんだと3月もずいぶん暖かいという予報なので、このまま春になってしまうのでしょう。

昨年も同じ頃にやった梓川での展示会がまた今年も開かれることになり、今日の午前中はその飾り付けに出かけてきました。先週の蔓カゴ編みの講習のあとは、この展示会の作品づくりで追われていたために今年は蔓は先生と私だけで、あとはパッチワークなどの小物が中心。ちょっとにわか仕立てなので、もう少し前から計画をし宣伝もして、きちんとやればいいのにと苦情を言ってきました。たくさんの来客があって販売もすすむといいんですけど。


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先日国会で久間防衛相が、赤嶺議員(共産党)の質問に対して「戦争は終わったんです。終わったあと、イラクを復興する、安定化するために(米軍は)増派までしている」と答弁したらしい。
自民党、公明党の大臣や議員の認識もおそらく似たようなものなのでしょう。イラク戦争はいつ終わったんでしょうか、聞きたいものです。
これと対照的に50日近いブランクのあと「今日は書かなければならない」と自らにむち打つようにして書きつづった「リバーベンドの日記」を読む。イラク治安部隊の一人によってレイプされ、勇敢にもそれをアル=ジャジーラで告発した一人の女性について彼女は書きつづっていました。
リバーは言います。「来月3人のイラク女性の処刑が予定されていることについて人道機関が警告を発している。・・・・一人は刑務所で出産した。彼女たちがどんな拷問に耐えたのだろうと思う。アメリカの占領下でイラク女性は少なくとも“ある程度は”平等だったなんて、誰にも言わせない―いまや男性と同じように処刑されるほど平等なのだ。そしてまた、国内や国外にいるイラク人とイラクにいるアメリカ人、どちらにとっても状況は悪化し続けているときに、アメリカにいるアメリカ人はいまだに戦争や占領を――勝ったのか、負けたのか、良くなったのか悪くなったのかと討論している」(翻訳:伊藤美好・金克美)これが実態なのだと私は完全に理解できます。
さて、航空自衛隊をイラクに居続けさせる日本の自公政権はリバーから見ると「ぐずぐずと問い続けているあらゆる馬鹿者たちのためにはっきりと言おう:状況は悪くなった。もうおしまい。あなたの負け。あなたが持ち込んだ、アメリカじこみの猿どもの歓呼を受けて、戦車でバグダードに乗り込んだ日に、あなたは負けた」・・・実に明快ではないでしょうか。

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これも今日届いたメール情報。我が友「金ベエ」さんからだ。「フィンランド学力世界一の秘密」という番組が25日(日)昼に再放送されるという情報でした。彼はしばしば北欧に行って身障者対策や福祉の現場を視察してきているスゴイ人です。彼の視察記がまたなかなか面白いし、ためになります。最近の記録は「陽はまた昇る」としてまとめられているので、ぜひご一読を。


  2月15日(木)
午前中から午後2時頃まで穂高の教会(英会話を習っていた)の依頼で「つるカゴ編み」の講習をしてきました。今回は”講師”でした。
昨日数名で嵐の中つるを採りに行ったばかりで、アシスタントのみなさんも熱が入っていたせいか、参加者は口コミで増えて約20名。子どもたちもいっしょに参加しているので20数名がワイワイとカゴづくりに挑戦しました。
一週間前にアシスタント養成講座を行っていたので、割とスムーズにカゴづくりがすすんで、約2時間かけてみんなそれなりにきれいなカゴを作ることができました。
そのあとは全員で「神様」に感謝のお祈りを捧げたあと、お食事会。ちらし風寿司飯をごちそうになってきました。






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ところで、このホームページをご覧になっているみなさんにお断りとお詫びをしなければなりません。このページの創設以来もうけてきた掲示版を昨日付けで終了することにしたのです。
約3年のあいだ、いろいろと書き込んでいただいたみなさんには心からお礼申し上げます。とりわけ、足繁く(?)訪れて、励ましてくださったMNEMOさんやかつての教室のみなさんには特段のお礼を申し上げなければなりません。
もともとこの掲示版は、東京・神奈川でお世話になったかつての塾のみなさんと連絡をとったり交流をしたりする目的でもうけたのですが、現在ではあまりに日数がたち、その所期の目的も達してそろそろ終了してもいいのではないかと思うようになりました。今後もし連絡する必要が出てくれば、ぜひEメールにてお願いします。
これまでお世話になったみなさん、本当にありがとうございました。


  2月13日(火)
このところ来る日も来る日も天井裏の倉庫の片付けに追われておりました。
この10数年にため込んだコンピュータやパーツ、ソフトなどが足の踏み場もないほどに、しかも雑然と詰め込まれており、整理を一日延ばしにしていたのでした。古いマックを処分しようかな〜〜〜と思い立って、まず持っているマシンを整備し始めたのがウンのつき。一つ一つ起動を確認し、問題がみつかると根本的に直し(パーツを入れ替えたりOSを入れ替えたり)、パーフェクトな状態にしていくわけですから、とにかく時間がかかる。
たいていの人は、そんな私を見て出てくる言葉はただひとつ「アホ!!」でしょうね。役にもたたない古いマシンをさわって何が楽しいのかときっと思います。私も実は役にたたない「おもちゃ」だと思うんですけどね。妻もきっと呆れているに違いありません。
先週はずっとそれにかかりきりになっていて、たとえば、PowerBookとSE/30でスカジー接続のネットワークの機械がうまく動作するのかどうかを試すのにまる一日かかって結局失敗したり、偶然PowerBookでPCMCIAのネットワーク・カードが他社のドライバで動くのを発見したり・・・。
MacintoshSE/30, PowerBook180C, PowerBook150, PowerBook190CS, PowerBook540C, PowerBookDuo280C, MacintoshIIsi,PowerMac Performa6310, Macintosh LC630, PowerMac G3DTが現在整備済み。
この他に現役で使っているのがPowerMac G3MT, iMac, Windows機はもうかなり前のPentium4マシン、Linux機がこれも自作のセレロン1.3Gマシン。
下の写真は2月1日にも紹介したSE/30のふたの裏。このマシンのにはこの当時の習慣らしく、作者のサインがぎっしりと彫り込まれています。これがまた魅力らしくコンパクトマックのファンがまだたくさんいるのですね。世の中には私よりもっと「クレージー」なヤツがいるというわけです。


整備が終わる前までは、どうせ機械だから時間が経てば壊れる。売るなら今だと思っていたんですね。真剣に。でもちゃんと動いてくれて、懐かしいソフトが起動するのをみていると手放したくなくなってきて、今はずいぶん迷っています。ヤフオクを見ても、ほとんど値がつきません。どうせなら、1ヶ月ずつ順に使ってやるか・・・と思ったり。
実は売ってしまおうと考えたのはかつてもありました。売ってしまって後悔する。後悔だけでなく、また同じ物を落札したりして、もう病気ですね。不治の病。
どうせなおらないのなら、徹底的に病気とつきあってやろうじゃないの・・・とも思ったり。
そうこうするうちに、膨大なパーツの始末にとりかかったらこれがまた終わらなくなり、来る日も来る日も、整理に追われており、コンピュータの前に座ることすら忘れていたという次第であったのでした。お粗末。

明日から天気が崩れるらしい。ずっと暖かく、梓川では「福寿草」が咲いていました。我が家のすぐ裏手の畦ではふきのとうが出ていましたから、例年より1ヶ月は季節が早い。今日も妻とあさっての講習のためのつるを取りに行っていましたが、暖かいこと、もう4月くらいの陽気です。
異常気象と言っているうちに、とんでもないことが起こらなければいいんですが。


  2月5日(月)
今日も朝から快晴。うらうらとした日ざしの中で、ハルちゃんはいつもの通り出窓でうたたね。
早朝まだ暗いうちに寝ている私の耳元で「ウギャ〜〜」と鳴いて餌をねだって、仕方なく起きて餌をやると、むしゃむしゃ食べてまた私の布団の上で私の足の間におさまって寝ています。妻と私が起き出すと一緒に起きて、しばらく外に出て遊んで来たかと思うと、疲れたのか出窓の日ざしのなかに身を長〜くのばしてスヤスヤ。いいねえ〜〜気ままなネコは・・・。


今日は母の87回目の誕生日。朝から妻にドーナツを食べさせてもらっていました。
もっとも本人に誕生日という自覚・意識はまるでなく、何の話?という顔をしています。東京にいた頃はあれほど独演会をやってはしゃべりまくっていた母が、今では一日中、一言も発しないほどの静かさ。寝ていればいるのかいないのかわからないほどです。身体はいたって丈夫で、快食・快眠・快便3拍子そろっているので、これは長生きします。おかげで側にいて世話している私たちは短命になるのではないでしょうかね。




  2月4日(日)
今日も朝からいい天気。日中は本当にこれが冬かと思うほどの陽気です。車の中はエアコンをつけなければならないほど。
窓からは北アルプスがくっきりと姿を見せてくれています。山の頂は相当に風が強いのか雪煙が見えます。しかし日が落ちるとさすがに冷えて、車の窓にはびっしりと氷が張り付きます。その落差の激しいこと。


昨日は、塾のオーナーがやっているピアノ教室の発表会があって、生徒の何人かが出演をするものだから午後から聞きにでかけました。ピアノ教室の生徒たちは小学生から中学生までの比較的経験の浅い生徒たちだけ。それでも小学の高学年や中学生ともなればショパンなども演題に入ってきて、さすがに聞きごたえがあります。
発表会はホテルの宴会場で催されてビデオカメラを持った親たちも多数来ていました。しかし、小学生の世話を中学生たちがしたりして和やかな雰囲気。花束が飛び交ったりするわけでもなく落ち着いた感じで好感が持てました。


今日は、かねて注文していた本が2冊Amazon.comから届きました。「競争やめたら学力世界一」(朝日選書)と「なぜフィンランドの子どもたちは『学力』が高いか」です。
福田誠治さんの前著では昨年発表されたPISAの学力調査の結果をその背景をくわしく分析、フィンランド教育の成功の秘訣を解明しています。
日本の選択とはまるで正反対。教育基本法の改悪をはじめとするこの政権の「改革」路線が、国際的な水準からどれほどかけはなれ、しかも逆の道を歩み始めているかを知らされて愕然としてしまいます。
面白いことに、PISAの結果は日本とともにアメリカ、ドイツ、フランス、イタリアなどで軒並み悪い結果を出している。
日本では「塾などにたよらなくてもすむ教育」と銘打ちながら、実際には塾で学力を補ったり基礎力を養ったりしなければならないほど学校教育が荒廃していくだろうことは目に見えています。塾の方がやる気を育てたり基礎力に敏感だったりする。そもそも教師が授業の準備を周到にすることができないほど忙しくさせられ、生徒一人一人の心に触れた実践ができなくなっているとすれば、管理統制を強めれば強めるほど生徒から離れた教化型の「教育」にならざるをえませんからね。そんな学校に保護者が期待する方がおかしいということになるでしょう。
世の教育学者、教師たちはもっともっと声を大きくして、このような歪んだ日本の教育の再生に全力を挙げる必要があると私は強く思います。


  2月1日(木)
つる細工が一段落したので、数日前から2階物置においてあったOldMacを引っ張り出してきて、どうなっているかをしらべていました。とりあえず、お宝グッズのSE/30の調整です。
起動させてみると、これがまた完全にイカレている。フロッピーからの起動は何とか無事なので、おそらくHDDの故障だろうと目星をつけて、HDDの交換とOSの再インストールをしました。
あまりにも昔に調整した機械なので、かなり忘れていることもあったし、スカジー機器(CDなど)をつけてインストール作業をしなければならないので結構大変です。はじめは320MBのHDDに換装しましたが、すぐにいっぱいになるので、結局2Gのドライブにパーテーションを切って大容量化。電源は強化型なので十分に対応しています。
途中、IIsiやIIciといったOldMacのHDドライブも調べていたら、これらはどうやらマザーボードがご臨終のようで、部品だけを取り出して、そのうちネットオークションで売ることにしました。
こうしてみると、昔のマシンは当時どんなに優秀でも、日がたてば電子部品は劣化し、ただの箱になっていきます。これはコンピュータの宿命。SE/30が現在の姿をとどめているのはほとんど奇跡に近いのです。
古いマックが売り買いされているのは、ひとえに筐体のデザインとユーザーフレンドリーなMacOSのGUIによるものだと私は思っているのですが、それも限度を超えれば単なるオタク。いい加減にしておかないと、際限のない泥沼の世界に入っていくことになってしまいます。
というわけで、このホームページで長いことコンテンツの一つとしておきながら、全くと言っていいほど更新しなかったMac&PCのページは近いうちに衣替えをしなければと思っているところです。



つい先日息子からのメールで「思うところがあって禁煙に踏み切った」という報告がありました。あんまり抵抗はないようでやめられそうだと書いてありましたから、うまくいくといいですね。
何を隠そう私もいつの間にかタバコをやめて一年が経過してしまいました。先日の誕生日の直前には、一年経ったからまたタバコを吸い始めるかなと正直思ったのですが、いざコンビニに行くとタバコの高いこと!! これで1か月1万円くらいかかると考えると、やっぱり二の足を踏んでしまう。
でも、一年経ってもやっぱり「ああ、タバコが吸いたいなあ」と思うことがまだ何度もあります。なぜそう思うのか、それは心理的なものなのか、ニコチンによるものなのか、どうも定かではありませんが、何となく身体がピリッとした刺激を求めているということに尽きるでしょうね。だからそんなときは辛いガムをかんでごまかしているのですが、タバコを吸いたいと思うときは、間違いなくタバコの害なんてたかが知れていると考えているんです。40年も吸ってきて、どうと言うことがなかったではないか、人生好きなことをして生きて何が悪い・・・などと考えている。それも、しばらくするとそんなことを思ったことも忘れ、タバコのことすら忘れて映画などを見ているんですから、私の場合はそれほど重症ではなかったということなのでしょう。森巣さんの小説じゃないけど、「明日思いっきり吸うぞ」と思い、明日になったらまた「明日」と思って一日一日を我慢していく。それでいいんじゃないかな。




"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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