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  1月29日(火)
うれしくもあり、うれしくもなし。無事という意味ではそれなりにうれしく、もうこんな年かという意味では何ともいえない誕生日です。妻はいろいろと気を遣ってくれて、午前中は二人で温泉と外食。といっても、いつもの穂高の銭湯的温泉につかるだけですが。
夕方からの塾の授業には妻のプレゼントのセーターを着てさっそうとでかけ、「生徒からは今日はなんだかちょっと違うね」と言われましたよ。
昨日には、昔の仲間から懐かしいメールをもらい、今日返事を出しました。彼は私より一回り以上年配ですが、月2回はかんじきを履いて山歩きをするということ。私などよりよほど健脚です。
自分の健康管理にずさんであれば、そのつけを払うのはやっぱり自分なのですから、今年こそはしっかり身体を動かして体調を整えなければと思います。

自分自身へのプレゼントのつもりで、今日はとうとう液晶ディスプレーを注文してしまいました。これまで約半年少しずつへそくってきたお金をつぎ込んだのですが、節約をしようといろいろやりくりをしている妻の手前では、なかなか踏ん切りがつかないでいました。しかし、仕事のうえでも趣味のうえでも、長く向かい合っている画面ですし、視力の衰えに対応するためにもどうしても大きな画面のモニターが必要になってきたのです。
いま使っているのは10年ほど前に手に入れたEIZO(ナナオ)のFlexScanT761(19インチ)なのですが、そろそろ寿命なのと解像度を上げると全然文字が判読できなくなってきたので同じナナオの24インチ液晶モニタ、FlexScan SX2461W-BKに切り替えることにしました。これならA3サイズが原寸で一枚収まるし、色の再現性も比較的良好だろうと思われたからです。
考えてみると、このナナオのモニターもよく使ってきた。酷使に耐えてよく働いてくれたと思います。ナナオ初のフラット画面で、当時としてはかなりの高額。ナナオの技術を投入したものだけに、優れたモニターだと思いました。それでも10年も経てば発色も悪くなり、息を切らしているような状態。
パソコンは本体だけでなく周辺機器がそれぞれ支え合って一つの機能を果たしますから、その品質にはこだわらざるを得ません。あとは使いやすいマウスを探すこと。マックではいまだにMediaVision(Macally製OEM)を超えるものを知らず、PCでもいまだにMicosoftのボール式ホールマウスを使っています。これらは埃に弱いので、Optical Mouseにしたいのですが、世の中のマウスを買い占める訳にもいかず、そのままずるずると・・・。手になじみ、ポインタに動きを正確に伝えるマウスを何とかみつけることが次の課題というわけです。どなたかおすすめのものがあればご紹介ください。


  1月28日(月)
私が作成しているウオーキング(あるいは観光協会?)のホームページを見て東京から5人のお客さんがやってくるというので、取材をしようと朝出かけたまではいいのですが、聞いていた集合場所に行っても誰もこない。そのうち観光協会のUさんが車で探しに来て、みんなが集合する場所を告げたのを私が勘違いして別の場所に行き、再度電話で連絡を受けたのに、またまた別の場所に行ってしまってとうとう出会わないまま結局家に戻ってしまった。
私が聞き違えたり思い違いをした理由はいろいろあるのですが、結局ボタンの掛け違いが最後までたたってしまったという情けないことに。思いこみやいい加減な知識というのはとんでもない誤解を生んでしまうものだと思い知らされたひとこまでした。みなさん、すみませんでした。

夕方からは、先日テレビ朝日系列で放映された「地球温暖化」問題の番組をずっと見ておりました。当日見られなかったのですが、塾の生徒(のお父さん?)が録画してDVDにしてくれたので助かりました。
全世界にわたってかなり綿密に取材がされていて説得力があり、大変見応えのあるものでした。とくに若い俳優たちがヒマラヤ山脈にできつつある氷河湖やインドネシアの森林、カスピ海などに出かけて、自分たちの繁栄がこうした結果を招いていると直に感じ涙を流すシーンからは一筋の希望を見る思いがしました。コンビニ弁当にまつわる日本の恐るべき浪費と地球に対する冒涜、20世紀最大の環境破壊といわれるアラル海の悲劇、ローマ帝国の滅亡に関係すると最近の調査で明らかにされた地中海の気候変動などの取材は圧巻。番組を中断するコマーシャルが全く色あせて違和感しか感じさせないように思えるほどでした。

この番組を見終わって、ダボス会議での福田首相の演説や最近の国会の状況、とりわけガソリン税の暫定税率を巡るやりとりを振り返ると、彼らが好きな「国際」水準からは遙かに隔たった抽象的な文言しか聞こえてこないことにやりきれなさを覚えます。
第1。ダボス会議で温暖化対策を強調し、「2050年までに温室効果ガス半減」という長期目標を打ち出したものの、その達成への構想を提示2013年以降の「国別総量目標」に求めただけ。先のCOP13で「先進国が二〇年までに九〇年比で25−40%削減する」という目標が提起されたのに反対したのはアメリカ、日本だったことには頬被りです。そして世界銀行からは地球温暖化対策で先進国最下位のお墨付きをもらった記事が出たのは最近のこと。もっとも世界銀行の温暖化対策と投資の方向については重大な懸念も表明されていることに注意は必要でしょう。
第2。その一方でガソリン税の問題については、暫定税率をやめると温暖化対策に逆行するという論理を披瀝した福田首相。今後10年間で59兆円を投じて全国で1万4000キロの道路建設をすすめるという「道路中期計画」は温暖化対策に矛盾しないのか。道路だけの財源という寿命の終わったこの税金の仕組みを残す理由はただ一つ、大企業のための道路整備とゼネコンの仕事の確保でしょう。国民ための道路整備がほんの数パーセントにも満たないのに、これを国民のためだと強弁する彼らのまやかしに騙されないようにしたいものです。

大阪では自公推薦の「タレント弁護士」が当選しました。ニュースで彼の抱負を聞いていると、「ガソリン税などの『国政の争点』は府政に持ち込まない」「職員の意見をよく聞いてから」と巧妙に立場を隠しながら、生活保護費なども聖域とせず歳出カットを行うという姿勢を強調。結局自公政権に忠実に大企業の「活力」のために大なたを振るって庶民に痛みを押しつけるというやり方にしかならないことをかいま見せてくれました。いったい大阪府民は彼のどんなところに期待を寄せたのでしょうか。半年もたたずに彼の本質が見えてくることになることは間違いありません。


  1月27日(日)
今日はつる細工講習の日。朝6時半に起きて8時に出発、まだ氷漬けの家を出て大町市の山岳博物館に向かいました。東山中腹にあるこの博物館は山岳愛好者や野鳥・野草などの自然愛好者にはよく知られた場所で、そこには他県も含めた「友の会」があります。今日はその友の会の招きでつる講習の講師として出かけたのです。
下の写真は博物館前から大町を隔てての北アルプスの風景。大町から見る爺が岳、鹿島槍など真っ白に輝く山々は、池田とはまた違った迫力があります。


全く素人の私が講師をするなどとはおこがましい限りなのですが、多少は蔓細工にのめり込んで得たわずかばかりの経験でも参考になることがあればと思って引き受けたのでした。
会場には約20名が参加。遠くは名古屋から駆けつけた人もいて、和気藹々とした雰囲気でした。2週間ほど前にはアシスタント養成講座もやっておいたので、進行はきわめてスムーズ。地元ローカル紙やケーブルテレビの記者も数名取材に来ていて、「取材の方が多いぞ」という声も聞かれたほどでした。
参加者のほとんどが蔓細工は初めてのようで、それなりに悪戦苦闘しながらもだんだん形になっていくのが楽しいらしく、夢中でかご作りに取りくむおじさま、おばさまたちの様子がほほえましい。「くせになりそう」などと言ってもらえると教える方としてもうれしい限りです。
早くに作り終わった人はもう一つ作りにかかったり、形を変えたかごに挑戦したりと意欲も旺盛です。地元紙の記者も巻き込んでのかご作りとなりました。最後には、みんなでつくったかごを並べて記念撮影。何とか無事終わることができてほっとしました。

この日の思いがけない収穫は、懐かしい旧友と再会したことでした。名古屋から朝早く駆けつけたという方が、実は私の名古屋時代の知り合いだったという偶然。名古屋で教師をし始めたころ、組合の関係でスキーに行ったり歌ごえ活動をしたりしていましたが、歌ごえのリーダーをしていたのが今日再開したIさんだったのです。息子さんが信州大学のご出身だったり、自然をめぐるいろんな活動で長野とは深い縁があるというお話を聞くにつけ、あまりの奇遇に本当にびっくりするやら感激するやら。こういうことってあるのですね。私にとっても貴重な経験や巡り会いの機会を与えてくださった「友の会」のみなさんに感謝感謝です。







  1月26日(土)
午後から商工会主催の講演会に出席しました。テーマは「地域を生かしたブランド戦略」。信州大学人文学部教授の中嶋聞多氏のかなり実践的な話で、地域作りという観点からはいろいろ刺激的な話を聞くことができたように思います。
最近、地域興しの視点から「地域ブランド」という用語が使われていますが、何となく「高級ブランド品」というイメージがつきまとうこの概念。実際には地域ブランドとは「地域に対する消費者からの評価であり、地域が有する無形資産の一つ」なのだそうです。従って、「地域ブランド戦略」とは、地域の特徴を生かした商品・サービスのブランドと地域そのものの持つブランドという二つの面を同時に高めることで、地域活性化を実現する活動のことだというわけです。
中嶋先生の話は、こうした定義からはじまって、ブランドをどのように作り上げるか、その課題、戦略のポイントは何か、具体的にどのように実践していくか・・などを豊富な実例を交えて約2時間にわたって説明。
さて、実際に池田町でこの戦略を構想しようとすると果たしてどのようなことになるのか。中嶋先生は、これまでの町の実践からはその戦略が見えてこないとのべ、信大との連携、地域資源の開発、国のブランド化支援事業の活用などの方向付けをしておりました。たとえば、ハーブの町といったところで、そのような押し出しをしている先進例はいくらもあるので、これだけでは差別化できない。池田町でしか見られない、食べられないもの、その差別化にもっと知恵を絞らなくてはならないと強調。確かにその通りです。ハーブの町といったところで、ハーブセンターでほんのわずかのハーブを目にするだけで、町のあちこちにハーブやその加工やアロマなどの専門店があるわけではないのですから。
もし、この講演の内容で道筋をつけるのであれば、調査・研究・提言と行動ができる協力な戦略センターを設けて、専門家の協力の下で短期間に信州池田ブランドを作り上げていく必要があるでしょう。いろいろな分野の連携ができなければ、それぞれの努力だけが空回りし、結局まとまった魅力を作り上げることができないはず。

この講演会のあと懇親会がありました。夕方からの仕事までの間に少し時間があったので、参加することにしました。中嶋先生はもちろん、商工会役員、町長などともかなり時間をかけて話をすることができて、あとの懇親会の方がむしろ有意義だったかもしれません。何といっても「人と人との繋がり」が町づくりの原動力ですからね。私自身、池田町4年目に入って、一つの転機を迎えたような気がしています。ということは、単なる物好きだけでない、もう少しちゃんとした知識、知見がいよいよ要求されるということ。
どうせ一回だけの人生、出るものは埃だけかもしれないけれど、今からでも精一杯バタバタ羽ばたいてみようと思っているところです。今年一年、ちょっとおもしろくなりそう。


  1月24日(木)
ずいぶんご無沙汰になってしまいました。元気です。
昨日昼頃から雪になり、あっという間に10センチほどの積雪。ただ、ふわふわの軽い雪だったので、今日は日向ではもうすっかり溶けてしまいました。気温が低いのと風が強いので昨日の雪が飛ばされて地吹雪状態です。
冬型が強まると池田は結構良い天気になります。北アルプスの方は分厚い雪雲に覆われていますが、安曇野平野の上空から雲が切れて東側はすっきりとした青空がひろがっています。ちょうど池田上空が日本海側と太平洋側の天気の境目になっていることがよくわかります。



年明けからずっと風邪気味だったのが、かなりひどくなり、妻も私も咳き込んで毎日が大変。夜布団に入って身体が温まると咳が出るので、結局ソファに腰掛けて寝なくてはならない状態が何日か続き、しかもかなり苦しい咳のために胸が痛くなって咳をすることすらままならない状態に。医者から、あまり激しいと肋骨の骨折もあるのだと言われ、ゾッとしました。そこまでは至らないうちに何とか快方に向かったので一安心でした。ここ数日は、まだ胸の痛み(筋肉痛)は少し残るものの、咳の症状はすっかり取れて全快といえると思います。ご心配をおかけしました。また少しずつ日記を更新していきます。

つい最近、メールアドレスを変更しました。一人一人送るのが大変だったので案内を同報で送ったところ、メールの返信先が妻のアドレスになっていたようで、失礼しました。これまでのメール受信をEudora、新しいアドレスでの送受信をOutlook Expressでやろうとして、先頭の宛先を妻にしたところ、返信先まで妻のアドレスになってしまったらしい。勝手にソフトが書き換えたらしく、全く気がつきませんでした。
最近、海外からのジャンクメールが増えて煩わしく、新しくアドレスを取得して変更したというわけです。独自のドメインを取得してレンタル・サーバーでホームページやメールを運用している強みは自由にアドレスを取得したり変更したりできること。
高校生や中学生たちは携帯メールのアドレスを頻繁に変更していますけれど、大人のつきあいではそう簡単に変えるわけにもいきませんからね。というわけで、案内をお送りした方々には、新しいアドレスでの送信をよろしくお願いいたします。ホームページトップから連絡をとっていただくことももちろんできます。これはまた別のアドレス。

風邪が治ってからの私の目下の仕事は、月末の「つる講習会」のための、材料集めと、売りに出すための新しいランプシェードの制作です。
中山間地再開発の事業がちょっと遅れているため、まだ蔓を採取することができるので、急いで採りに行っているのです。春には根起しや開拓の作業が始まるらしく、山では再開発のために木々に赤いリボンが至る所にとりつけられ、ときどき作業員が見回りにきています。耕作放棄され荒れてしまった桑畑は蔓の採取には最適の場所なのですが、開墾されたあとはいったいどんなことになるのか。いずれにせよ、今年の冬はせっせと内職に励む毎日になりそうです。


  1月12日(土)
今日は娘と孫の誕生日。遠く離れていると、ちょっと寄ってお祝いして・・というわけにはいきません。Web上からですが、誕生日おめでとうと言わせてもらいますね。
私は夕べから今日にかけてが最悪の状態。昨夜は高校生の授業を何とかこなして帰宅したのですが、そのあと咳き込みが激しくて体位をあれこれ変えたり、夜中に起き出したりして寝たのは結局明け方。あまり咳込みが激しいものだから胸の一部分が強烈に痛くなって咳もままならない。全くどうしようもないカゼの症状です。
熱がほとんど出ていないのでまだ元気な方。大事をとって今日は塾もお休みしてしまいました。こうなったら寝るに限る。直るまでこの日記もお休みですかね。

昨日の国会の模様についてふれておきたかったのですが、なにしろこんな状態なので頭が働かない。折良く届いた井上さとしさんのメルマガには「昨日は、今の国会の前向きの変化と限界、これからの課題を凝縮したような1日でした」とありました。何度も質問に立って政府を追及してきた井上さんですから、格別の感慨があったのではと思います。そのまま、ここにメルマガを採録しておきます。
なお転載することについては、先に一括してご本人の了解を得ています。

 ■┃井┃上┃哲┃士┃メ┃ー┃ル┃マ┃ガ┃ジ┃ン┃   

 井上さとしです。

京都に向う新幹線の中から発信しています。

昨日は、新テロ特措法を参院で否決にしたものの、衆院での再議決の暴挙に より成立させられてしまいました。私は、同法の参院での質疑入り以来、10回 の対政府質疑と、3回の証人喚問・参考人質疑、さらに討論を加え14回の論戦に 立ちました。そのうち、総理とは3回、テレビ放送の入った質問は5回を数えま した。さらに各地の集会での訴え、議面や会館前座り込みの激励……。全国か らの声援に励まされながら、越年国会を戦い抜くことができました。ありがと うございました。

昨日は、今の国会の前向きの変化と限界、これからの課題を凝縮したような1日でした。

10時から開かれた参院本会議。まずは、薬害肝炎被害者救済法案が全会一致で 可決・成立しました。傍聴席には、実名を公表して5年間たたかってきた原告団 の皆さんの涙の姿がありました。政府は全員一律救済の政治決断を拒みました が、原告団の訴えが世論を動かし、国会での追及とも結びついて議員立法によ る救済となりました。

被災者生活再建支援法の改正や、児童扶養手当削減の中止がそうであるように、 これまでのように数の力で国民の要求を押さえつけることができない、国民の 声が政治を動かす新しい流れが薬害肝炎被害者の救済にも実った瞬間でした。

続いて採決が行なわれたのが、新テロ特措法。討論の後、記名投票が行なわれ、 反対多数で否決。90年代以降、様々な海外派兵立法が行なわれましたが、一院 とはいえ否決したのは始めてのこと。歴史的な否決となりました。

そして、衆院本会議です。私は、本会議場の傍聴席から、その一部始終を見つ めました。
参院が否決した法案を与党が3分の2条項を使って再議決し、成立させてしまう ――そこで踏みにじられたのは、単に参院の議決にとどまりません、国民の声 そのものです。どの世論調査でも反対が賛成を上回り、審議するほど反対が増 えている。にもかかわらず、再議決で成立。郵政選挙で作られた衆院での与党 の3分の2の議席がいかに国民の声とかけ離れているかを痛感しました。  

もう一つ浮き彫りになったのは民主党の役割です。記名投票が始まり、小沢代 表の名前が呼ばれた時、与党席から声が上がりました。「小沢代表がいないぞ !」。私も目を疑いました。なんと、小沢氏は途中で退席し、棄権してしまった のです。

民主党の議員も棄権を知らされていなかったようで、与党席から「小沢さんも 本音は賛成なんじゃないか」「アメリカに申し訳が立たないと思ったのか」な どと次々と野次がとんでもみんなダンマリです。私も傍聴席から見ていて、あ きれ果てました。後から、大阪知事選挙の応援のためという報道がありました が、理由になりません。

さらに、自民党の議員が討論の中で、民主党の「対案」を持ち上げ、同案の中 に盛り込まれた派兵恒久法の早期制定について、大いに議論を進めたいと強調 しました。報道によると、与党は民主党の対案を衆院で継続審議にする方針で す。与党が、参院で反対した法案を衆院で廃案にせずに継続にするのは異例中 の異例。民主案を土台に、派兵恒久法の制定にむけた協議をすすめて成立させ たい、という意図は明白です。

「大連立」構想はいったん頓挫しましたが、党首会談でいったんは合意したと されている派兵恒久法制定は、両党間の共通の課題として進められています。 民主案の取り扱いをめぐる動きは、2大政党制が何をもたらすかをいよいよ浮き 彫りにしました。

まさに昨日の国会は、国民の声で動く新しい流れ、それを阻む衆院での与党の 3分の2を超える議席の害悪、「ねじれ」を大連立で解消することの危険性を示 しました。夕方、新宿西口の街宣で、日本共産党を伸ばしていただいて、更に 国民の声で動く政治へ前向きに打開しようと訴えましたが、心からの思いです。

決意新たに18日からの通常国会に臨みます。


  1月10日(木)
咳が夜になるとひどくなり、夕べはほとんど眠れなかった。昼頃はそれほどでもなく時折咳き込むほどだったのですが、夜10時を過ぎるとまたひどくなって眠れない。身体を温めるとよけいに出てくるのだろうか。妻の安眠を妨げると悪いので、隣の部屋の電気カーペットで寝ていたのが悪かったのか、間断なく咳が出るので、とうとう起き出してしまった。午前2時。熱はないので身体はそれほどつらくありませんから、治まるまでしばらく身体を冷やしておくことにします。

夜7時半頃からファンクラブニュース新年号のための座談会を我が家で行いました。あらかじめ文書で書いてもらっていた原稿をもとに、出席者全員でお互いの発言をチェックし、きちんとした座談会の内容に仕上げるというのがその目的。約一時間半ほどかけてその仕事を終えてあとは写真撮影。なかなかよい記事と写真ができたように思います(自画自賛)。


その合間に8日付の赤旗に載った池田ファンクラブの紹介記事がひとしきり話題になりました。ニュースのPDF版を掲載している一人の議員のホームページはいつもの5倍のアクセスになったといい、知らない人からもメールが届いたと言っていましたから、結構反応が大きいと実感しました。
私にとってもこの記事は、かつての同僚から懐かしい手紙をいただくという思ってもいなかった出来事を呼び寄せてくれたわけで、忘れがたいものになったのでした。


  1月9日(水)
妻と私とどっちが先立ったのかもはや分からないのですが、2日ほど前から風邪がひどくなって二人ともゼイゼイ言っております。妻のほうがちょっとひどくてちょっと熱があり、昨日は仕事に行くまで寝ており、今日も朝から医者に行って診察をしてもらっていました。私のほうは、のどが痛くてひどく咳き込むことがあるものの熱がないのでそれほどでもなく、何とか夜の授業にも行っています。受験前の生徒にうつすかもしれないという恐れは多分にあるのですが、授業を休むと後始末が大変なのでなかなか休めない。生徒には「風邪はうつして直そう」などと不謹慎なことを言ってひんしゅくを買っています。
「受験生なのに何を言うんですか」
「もしうつったと思ったらすぐほかの人にうつしましょう。カゼは天下のまわりものと言うじゃありませんか」
「???」
そんなやりとりをしていたら、結局昨年の模試の問題を渡されて「明日まで解答をつくってきて、私たちに解説してください。探したけど解答がないんです」とつれないプレゼント。
「カゼ引いてんだよ」
「私たちはあさって試験だから、どうしても明日やっておきたいんです」
・・・というわけで、私は朝から数学と理科の昨年の問題の解答づくり。カゼが直る暇がありません。午後5時半頃でかけて、中3のあと中2の授業という羽目に相成ったのでありました。やっぱりカゼを生徒にうつして早くなおろ。

午後5時過ぎに教室に行くと、予定より一人多い6人がひたすら問題を解いている。こんなまじめな彼らを見たのは初めてでした。もともと大変集中力をもったまれに見るグループではあったのですが、それにしてもこの日は格別。
解説をしてくれという彼らの要望に応えて、数学については解答、解説いっしょにしたプリントを一枚用意していったので、彼らは「そこまでやってくれるのか」と、びっくりしていたようでした。何となくこのまま高校生までいきそうな勢いです。そうなればいいんですけど。


  1月5日(土)
中3冬の講座が明日まで。夕べはちょっと睡眠が不足したためと、あまりに暖房をきつくしていたために、午後から授業しながら眠くて眠くて一時もうろうとして話していました。普段は夜の授業なのでめったにそんなことはないのですが、6時間ぶっ続けで授業しているとさすがに疲労がたまります。それも明日までなので、何とか頑張らないと。来る日も来る日も、帰ってくると予習に追われています。
以前も書きましたが、数学と理科を担当しているので、生徒よりは少しは先にやっておかないと何を聞かれるかわかりません。理科については生徒よりも勉強させられました。何と覚えることの多いことでしょうか。こうしてみると数学が一番覚えることも少なく楽な教科のような気がします。
とはいえ、生徒たち・・とくに冬から入塾した子たち・・は、中1、中2の理解不足を引きずっているので、入試対応の授業にはなかなか困難があります。それも込み込みで授業していると本当に疲れる。何とか分かってもらおうと一生懸命にやっているんですが、一人一人の理解力、読解力、集中力にはものすごい差があり・・・いやいや、こんな苦労をまだしなければならないとは、思ってもいませんでした。
それでも中学生の中にいると、気分的には若くいられるのでよしとしなければならないでしょう。何とか全員目的の高校に入ってほしいものです。


  1月2日(水)
氷漬けの朝。昨日まで積もった雪は5センチくらいで、今朝はようやく安曇野らしいサラサラの乾燥したパウダーになっていました。少し晴れ間が見え、その隙間から漏れる陽の光で北アルプスがほんのり赤みを帯びて、新しい年の山々の夜明けです。


一昨日の夜から来ている息子夫婦と孫も私も、昨日は何処にも行かないで、家の中でごろごろ。しかし、妻だけは元日からスーパーで仕事です。あまり忙しくはないとしても、一日ぐらいはゆっくりしていたいと思っても、この仕事だけは仕方がありませんね。
かくいう私も、明日からまた中3生のための冬期講習が再開。そのための予習を夕方から必死でやっておりました。理科となるとちょっと考えれば見当がつきそうな問題でも、なかなかむずかしい。数学も、夜に入って頭が働かなくなって(ということにしておく)、早々に寝てしまいました。今日も大半は、その準備に追われます。午後からはゆっくり温泉にでもつかりに行きたい。


  1月1日(火)
また一つ年をとった、なんて話はやめましょう。
「時間は物質の存在形態である」というエンゲルス(自然の弁証法)の言い方をもじって「年齢は人間の存在形態である」。つまりですね、時間は物質のありかたによっては遅くも速くもなる。年も同様だということをいいたいんだけどなあ〜〜。

31日から降り続いている雪は、それほど強くもないんだけれど、何しろ溶けてくれないので、少し少し積もってきっと朝までに10センチほどになっているのかもしれません。池田にはめずらしい、これまでとは違う本格的な降り方です。
その雪をついて、昨夜夕方息子ファミリーが栃木からやってきました。はじめちょっと警戒してべそをかいていた孫も、しばらくするともう慣れて愛想を振りまいていました。とてもなつっこい子です。

昨年は、5月に息子の結婚式、7月に母の突然の死去、11月に沖縄行き、その間4月には町の議会選挙、7月に参議院選挙といろいろ大きな節目があっりました。そうこうするうちにも、腕が痛かったり腰が痛かったり、視力が極端に低下したり、あちこち老化減少が顕著になってきて、いよいよ年を感じざるを得ないことになってきました。
今年は、まず体の調整をはかることが第一。 そのほかは、これまでの延長。夏前には沖縄の母との約束通り、少し時間をとって沖縄行き。また、来るべき総選挙では、何としても共産党の躍進をはかること。まあ、いろいろとやっていれば、一年は充実したものになるでしょう。のんびり、ゆっくり、楽しみながら。



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