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  2月29日(金)
2月は過ぎるのが速かった。この日記もほとんど書かなかったからよけいそう思うのかもしれません。怠惰が身についてしまったかな。
妻はしばらく書かなくても、思い出しながら短くても結構書いていますから感心。私は数日前を思い出そうと思っても、記憶がおぼろでさっぱりですから、今日のことを書くしかありません。その点は妻の記憶力は尊敬に値します。

昨日は知人の息子さんが30代で亡くなったために、その葬儀に妻とともに参列しました。会場には400人ほどの参列者でフロアまでいっぱいになっていました。
式は神式で祭主をつとめたのは地元中島三社の宮司さん3人で、知人のUさんもその中の1人。病を押して儀式を進行していました。
普段柔和な知人の、悲しみにうちひしがれた顔を見るのもつらく、葬儀が終わるや帰ってきました。
亡くなった息子さんは37歳という若さですから、私の息子とほとんど同じ。妻と二人の子どもを残してこの世を去るにはどれほどの無念があったかと思われますが、その先はもう想像の域を超えています。ただただ冥福を祈るしかありません。

今日はかなり暖かくなりそうなので雪も溶けることでしょう。池田に来て今年特に感じることは、雪の白さです。富山にいたときは、積もるとすぐに粗目(ざらめ)雪になり、しかも交通量が多いところでは積もった雪の表面が黒ずんできたなくなってしまう。ところがここでは雪はさらさらして細かいのと、いつまでもキラキラと真っ白であることに驚いています。古来積もった雪というのはそんなものだったのでしょう。
富山でも子どもの頃は、積もった雪を重ねてかまくらをつくったりスキー台をつくったりして遊んだものですが、黒くなった雪をみたことがない。黒ずんでくるのは車社会になってから。田舎にはまだまだ古来の雪景色が残っていると、雪の白さを見ながら思ったことでした。
下の写真は今朝の北アルプス。我が家のすぐ上から見たものです。中央の平屋が我が家です。画像には拡大写真もリンクされています。




  2月26日(火)
外はまた強風。数日前夜半から猛烈な吹雪になって10センチほど積もった雪も、その後の昼の暖かさですぐに溶けたのですが、また少し積もるのでしょうか。
夜の冷え込みは相変わらずですが、昼はさすがに春を思わせるような暖かい日が多くなりました。昨年取り付けた太陽熱温水器の温度も50度になるほどの陽気も。太陽のエネルギーというのはすごいものだと感心します。効率よく取り込める安価なパネルが開発されると助かるのですけどね。
塾では、中3の1/3ほどの生徒が前期試験で合格し、残りは現在3月11日の後期試験に向けて最後の追い込み。何とか全員無事目標の高校に合格してほしいものです。
この学年、それぞれにユニークな個性の持ち主で、授業も大変楽しく進めることができます。半分ほどは高校生になっても来ると言ってくれているので、今後が楽しみ。
一つの学年の雰囲気というのは不思議なもので、たった1人言動に問題があったりすると全体が崩れてくることがあります。教師が苦労するのは、そうした生徒も抱え込んで全体をうまくリードしていけるかどうかです。最近は塾に通う生徒の家庭環境も複雑になっており、さまざまな問題を抱えている子も増えています。経営する会社の倒産とか夫婦離別などの問題は、多感な生徒たちに大きな負担を強います。それでも塾に通わせるのは、我が子だけは何とか一人前になってほしいという親心なのでしょうから、できるだけそれに答えられるようにしっかりやらなければいけません。
当初、片手間にというくらいのつもりで始めたアルバイトでしたが、なかなかどうして、結構はまりこまざるをえなくなっているこの頃です。

漁船に衝突して2人を犠牲にしたイージス艦の報道を聞いていると、自衛隊制服組の意識があぶり出されてきます。「俺たちが国の安全を守ってやっているんだ」という奢りが濃厚です。海で働く親子の命を奪ってもなお、自衛隊の軍事機密や組織の方が大事だということになれば、それは自衛隊が特権的な国民抑圧の組織であることを裏書きするようなものです。艦長への事情聴取が全くされておらず、事故を招いた根本原因を究明する姿勢がきわめて薄弱。当直士官ただ1人に全責任を負わせて幕引きをしたいのが政府・自衛隊側の思惑なのでしょうか。それでは、被害にあった親子が浮かばれませんし、制服組をコントロールすることすらできなくなってしまいます。
何のためのイージス艦なのか。軍備にこれだけのカネをかけて、操業に支障があることを承知で毎日捜索に奔走してきた漁業関係者の生活保障にどれだけのカネを出すのでしょうか。全く思考が逆転したこの国のあり方を、この事件ははしなくも露呈したと私には思えます。


  2月19日(火)
またまたしばらくのご無沙汰。何となく忙しさに紛れたというのは言い訳で、ナマクラをしておりました。
全く寒い日が続いて昨年は暖房を切って一晩そのままにしても朝は13度くらいだったのが、今年は10度くらいまで下がり朝はさすがに寒い。外はずっと零下5度くらいで土も相当深くまで凍り付いています。
日中晴れた日は日だまりにいればカポカしてきますが風は冷たい。北アルプスも冴え冴えと輝き、池田はまだ厳冬の中。
何をしていたのかと聞かれても答えが出てこないくらいですから、ナマクラも板についてきた感じですかね。強いて挙げれば、友人のコンピュータが動かなくなったというので、でかい本体を引き取ってきて修理していたくらい。どうやら中で接触不良が起こっていたのでした。
このPC、私の自作品なのでそれなりの責任がありまして、正規品のWindowsを入れ直しました。ところがなかなか認証できず、電話であれこれやってようやく正規の認証にこぎ着け、事なきを得ました。マイクロソフトさんお手数かけましたね。
それに先だって、OSを入れ替えた後のこと、ネットにつながらない。いろいろ考えてみるとLANドライバがインストールされていない。これではいくらケーブルをつないでもネットには接続できません。ところがマザーボードのチップセットやLANドライバーを入れたCDがどこにもないので、やむなくLANカードを差してとりあえずの接続をしました。そのあとGIGABYTEのサイトをあさりまくってドライバを捜し当て、それからもあれこれ試行錯誤を重ねて何とかインストールに成功。ドライバ一つ入れるのにどうしてこんなに苦労するの?いやはや、まいったまいった。昨日おそくに何とか元通りにしました。

さて、この間世の中ではいろんなことが起こっていました。そっちの方を書けばいいのに、つまらないことばかりに目が行って、最近の精神状態を表しているようです。

この前の日曜日は4月から始まる「後期高齢者医療制度」の学習会がありました。健康友の会の学習会としてひらかれたもので、この制度がどんなものかをパワーポイントを使ってわかりやすく説明してもらえ、今更ながらそのひどさに呆れて、もう怒りを通り越しています。大変な内容を含みながら、ほとんどの人がその実態を知らないという恐ろしい制度の出発。これまでの制度から新しい制度に無理矢理移行させられ、個人単位に保険料が年金から容赦なく天引き。医療をする側も医療給付が「包括払い」となって、どんなにいい医療をしたくてもできないような仕組みに変えられる。現代の姨捨のはじまり。はじまって初めてその非人間的な内容に愕然とするというのがこの仕組みでしょう。それでも大多数の国民はしかたがないと我慢するのでしょうか。

先日「教育再生会議」の答申と中教審答申に基づいて新指導要領が発表されて、日本の教育はいよいよご臨終の気配。戦後憲法・教育基本法体系をつぎつぎと崩してきて、とうとうここまでやってきたかと大きなため息。支配者の側からするとこれは悲願ですからね。歴史をひもとくまでもなく「国を愛する」なんてのは、戦争準備のため以外の何ものでもない。
「国際的」というのが好きな割に、教育を地方と現場の裁量に任せるという国際的な趨勢には全く目を閉ざしてひたすら国家主義と管理主義でがんじがらめにするこの国の教育からどんな子どもたちが育つのか。ごく近い将来の、教師と子どもたちのうめき・悲鳴が聞こえてきそうです。

京都市長選の結果。惜しかった。残念無念。でもよく健闘した。共産党が他のオール与党を相手に互角の闘い。すばらしい。
今日届いた参議院議員の井上さんのメールには次のようにありました。
勝利はできなかったものの、この結果は全国を励まし、国会にも衝撃を与えました。開票翌日の月曜日。朝の国会対策委員会でも、「惜しかった」「すごいね」と話題になりました。他党議員とエレベーターに乗り合わせると「京都は強いね〜」「ギリギリだったからドキドキしたよ」という自民党議員や「いや〜相乗りへの批判はきつかった」とぼやく民主党議員など、どこでも話題になりました。
本部の国際部の方の話を聞くと、ある大使館の外交官とあった時も京都市長選挙が話題になり、「共産党1党の推薦で951票差はすごいですね」と驚嘆の声が上がったそうです。さらに、その外交官は、相手が4党だったことを知って、「国会ではあれだけ対決しているにの何で」と2度ビックリされたとのこと。さらにその外交官は、「日本の財界の人と話していても、自民も民主もダメ。国民が期待できる新しい政党が必要という人が多い。そういう流れがしめされたのですかね」といわれたそうです。
この間の国会の事態を通じて、2大政党の正体が明らかになりつつあることも大善戦の背景の1つといえるでしょう。
「選挙戦を通じて寄せられた市民の苦しみ、痛み、なんとかしてほしいという思いを受け止め、これからもがんばっていきたい」という中村さんの決意を受け、新しいたたかいの始まりです。この無念はまず、総選挙ではらすぞ!!!!


今度はイージス艦が漁船に衝突。「イージス艦と漁船とが衝突」ではありませんよ、これは。漁船の方が真っ二つということはイージス艦が側面からまともにぶつかったということでしょう。
イージス艦って、最新鋭の識別能力を持った軍用船ではないんですか。もしこれがどこぞの潜水艦だったらどうするんですか?イージス艦ではなく、イージー艦。こんな船はいりません。早く遭難したお二人を見つけることに全力をあげるべきです。  


  2月11日(月)
一昨日から今日の夕方まで娘と孫二人が来ていました。お正月に来られなかったのでちょっと遅い新年の「里帰り」。下の孫はずいぶん大きくなって、突然「じいちゃん」とご挨拶。ギクッとしましたね。今となってはもう何をかいわんやですか。
昨日は池田ファンクラブの新春のつどいにもみんなで参加して、その後は妻とボーリングに。今日も外に出て雪遊びかと思ったら石ころを持ってボーリングの球を投げるフォームを何回もやっていましたから、いまだにボーリング熱は冷めない様子でした。
夜遅くになって富山に着いたという連絡があったので、道中無事でよかった。


さて、話は一転しますが、沖縄でまた米兵による少女暴行事件が発生しました。「またか」ですむ話ではありません。沖縄の人たちはもはや人ごとだとは受け止めていません。なぜこのようなことが頻発するのか、その背景に沖縄の基地を使って不正義の戦争を遂行している米軍があることを沖縄県民は見抜いている。
はっきりしていることは、アメリカ軍は日本を守るためにあるのではなく、世界で戦争をするために沖縄にいる。沖縄を(つまり日本を)踏み台にして他国の人々を殺しまくっているという構図。だから、これを解決するには基地をなくすしかありません。
それを自公政権の方々や民主党の方々は、「テロとの戦いだ」「国際貢献だ」とおっしゃる。テロリスト・ブッシュの方は無罪放免というわけですから、いい気なもんです。
そして昨日の岩国での市長選の結果。石破防衛庁長官が例の顔で「アメとムチという言い方は私は好きではない」などと平然と言っているのを聞くとはらわたが煮えくりかえる。
受け入れ派の僅差の勝利となった岩国ですが、受け入れの態度を示した人たちにとって、今日からその責任の取り方が問われ始めるはずです。交付金を出さない政府のやり方のえげつなさと、それに屈服した人々の関係は、おそらくは思っても見ない局面にたちいたって早晩破綻せざるを得ないでしょう。なぜなら、岩国はどんなに交付金がころがりこもうとも艦載機の受け入れを決めたときから徐々に沖縄と同じ基地の町に変えられるだろうからです。
アメリカの基地再編とは、軍事力による世界制覇戦略の一つなのであり、戦争遂行の重要な戦略の一環なのですから、アメリカに骨がらみ従っている日本には抵抗する気も力もない。
だから、カネの問題ではなかったとそれらの人々が思ったとしてもそのときは遅いのです。受け入れ容認の候補に投票した人は、そのとき、しかたがなかったのだ、責任は自分たちにはない、「騙されていた」と言うのでしょうか。以前書いたことのある「騙されるものの責任」という伊丹さんのコトバが頭をよぎります。
沖縄が革新県政から自民党寄りの県政に変えられたときも、やりかたはやはりカネとムチ。前から主張していることですけど、どうせなら、逆説的な言い方をあえてすれば、どの県でもどの地域でもぜ〜〜んぶ、莫大なカネをもらって米軍基地を受け入れるといい。沖縄だけに痛みを押しつけるのではなく、平等に沖縄化、岩国化してみたらどうでしょう。まず手始めに橋本さんが当選した大阪あたりから。いやいや石原さんの東京ももっとすすんで名乗りを上げたらどうでしょう。少なくとも自民党首長のいるところはみんな。カネがもらえるなら住民もきっと納得しますよ。


  2月9日(金)
寒い日が続いています。塾の仕事を終えて大町からの帰り、外に出たとたんに猛烈な寒気が身を刺すようでした。マイナス5度〜10度くらいの体感。道路は乾いているので走行には問題はありませんでしたけれど、今年の冬は寒さが「安定」していることと、太平洋側の崩れと同期して雪がふること。
今日の早朝は北アルプスの朝焼けが美しかったのに、日が高くなると雲に隠れて冬型のお天気に。それでも日中は池田から東側は晴れて日差しがあるので、少しは過ごしやすくなりました。

私の毎日はというと、最近は結構忙しい。15日発行のファンクラブニュースの作成、ウオーキング大会公式サイトの企画と作成などがあるし、中3受験生も大勢いるので、その準備も。忙しいことはいいことなんでしょうね。
さて、昨日念願のモニターがようやく届きました。これまでの19インチCRTとくらべると広さは約1.8倍。A3サイズが実寸で作業できるのでとても仕事がやりやすい。ただ、視力がここ最近急速に衰えているので、解像度を上げると見えなくなってしまう。まったくどうしようもありません。専用の老眼鏡を用意しなければならないことになりそうです。
これまでのEIZOのCRTモニタはOld Mac用に、Sumsungのポルシェ仕様のLCDモニタは観光協会での仕事用にして有効活用します。




  2月7日(水)
今日は中2のお勉強を月曜日に移してもらって、町のウオーキング実行委員会結成の会議に出席しました。
これは今年5月17日に開かれる日本ウオーキング協会公式イベントのために町を挙げての態勢をつくることが目的で、昨年から早く早くと催促していたものでした。ようやくという感じです。
当初50人近くが出席する予定でしたが、実際に今日集まったのはそのうち2/3ほど。まだ残念ながら盛り上がりという点ではイマイチ。とはいえ、ともかく町長を先頭に実行委員会のしくみがつくられたのは頼もしくもあり、これからが期待できます。
ウオーキング行事については、「歩きたい人だけの趣味」的にとらえる茎がまだまだあるのでしょうか、町の活性化とのかかわりとか、町の文化や遺産への関心とか自然保護への貢献などという様々な面で大きな可能性と意義をもっている行事だけに、これからの課題は単にこの行事を成功させるだけではなく、どのような町づくりをすすめるのかという観点からも、この行事の意義を深める必要があると思われました。
会議では大会長に山崎町長、大会委員長にガイドマスターの有川さんなどを選出、数名の事務局も選んでようやく準備スタートです。
私の役目は多分、大会のホームページを作成すること、チラシやマップを作成することなどになるのではないかと予想。受付の始まる3月中旬までちょっと忙しくなりそうです。


ところでウオーキングのホームページと観光協会のホームページを合体して、ドメインをそのままにあたらしいサーバーに移す作業をしていましたが、それは今日ようやく完成。しかし、あたらしいサーバーでのメール・アカウントの作成がうまくいかない。家に帰っていろいろやってみても、設定自体は難なくできるのに、メールを受け付けてくれず、四苦八苦。あしたサーバーの管理会社に聞いて、早く解決しなければなりません。サーバーが変わるとなかなか難しい。


  2月3日(日)
朝起きてびっくり。またまた池田は大雪です。昨夜大町から帰ってくるときはまったくその気配もなかったのに、朝にはすでに15センチほどの積雪がありました。
低気圧が太平洋側を通過するということは知っていましたが、ここまでとは想定外。さっそく外にでて雪かきです。雪かきといっても、ふわふわ雪なので専用スコップで雪を押していくだけ。富山での雪かきは、それこそ腰を入れて持ち上げてそれを投げ捨てるか、スノーダンプで力を入れて押していかなければなりませんでしたが、まるで雪の圧力を感じないので、ちょっと拍子抜けです。
除雪ついでに、お隣で独りで住む車いす生活の方の家の前と道路もお手伝い。一時間ほどの作業でしたが、完全防備で外に出たのでちょっと汗をかいてしまいました。


昼過ぎから松本文化会館へ共産党の演説会を聞きにいきました。衆議院候補者岸野正明さん、山口のりひささん、それに現参議院議員の井上さとしさんの講演がありました。3人とも歯切れ良く現在の政局のポイントを押さえた話しぶりで、いろんな階層から自公政権がもたらした日本の現状への厳しい批判と共産党への期待がひろがっていることをわかりやすく話してもらえ、いろんな意味で刺激的でした。
ところで、昨日塾でのこと、前期受験を間近にひかえた中3生と面接の話題を話をしていました。私が「世の中で起こっている話題で関心のあることは何ですか?という質問があったらどう答えるの?」と聞いたらある生徒が「諏訪湖の御神渡りがどうして起こるのか」といい、もう一人は「ガソリン税の暫定税率」と答えていました。私の予想していたこととはちょっと違ったので、「暫定税率」のどんなところに関心があるのかと問いただすと「廃止すればガソリンは安くなっていいけれど、高速道路などが造れなくなってしまうと困るからやはり現在のままがいいのではないかと思う」と答えたのでした。
こうしたことについて意見をもっていることは確かにいいことには違いないし、家でも子どもを含めて話題になっていることの反映なのでしょうから、私はそれについて自分の意見は一切言いませんでした。彼らがもう少し自分の頭でいろんなことを調べ学んで結論を出していくことだろうからです。
しかしそれにしても、マスメディアの垂れ流しているガソリン税を巡る論調はゆがんでいる。「税率を維持できず道路特定財源が確保できなければ道路建設ができなくなる」というのは、まさに表面的なこと。自公政権の思い通りのやり方では確かにそうでしょう。彼らが作りたい道路の中心は、生活関連道路ではなく大企業向けの基幹道路なのですから、それが思い通りにならないというのは全くその通り。その道路政策の根本問題に触れて問題を整理して国民の前に提起するのがマスメディアの役割でしょう。中3生に「道路ができなくなると困る」という程度の情報しか与えないメディアの貧困を、もっと国民的レベルで問題としなければならなりません。
中3生が高校生になり、自分たちの頭でいろんなことを考え始めたときには、先の講演会の弁士が話したようなことにもふれてもらいたいと真剣に考えさせられたことでした。

話題は一転しますが、ニュージーランドの友人から久しぶりにメールがありました。先にメールアドレスの変更したことを、日本語で送ってしまったので、「読めなかった」という返事が来たのでした。BCCで一斉に送ってしまい、そのときは「まあ、いいっか」と軽い気持ちでいたのですが、「PCには日本語フォントが入っていないので、別のコンピュータから送信して」とやんわり言ってきたのでした。
今年から来年にかけて、一番いい時期にニュージーランドに行ってこようと思っているのですが、仕事の関係でなかなかチャンスがつかめません。行くと決めてしまえばいいわけで、行くのにふさわしい時期を聞こうとおもっています。
3人目のベイビーが生まれる予定だということや、長い間ホームステイ客がいて昨日帰って行ったことなどがかいてありました。さて、返事をと思うのですが、英文で書くのはいささか大変。思えばずいぶん不義理をしてきたので、思い切って明日書くつもりです。


  2月1日(金)
中国製ギョウザによる食中毒がお茶の間を席巻しています。有機リン系の殺虫剤が混入するなどというのは言語道断な事件ですが、ともかくなぜこのようなことが起こったのか、発生源をつきとめ今後の安全対策を確実にすることが最優先でしょう。
日本人の食生活が大きく変わったのは高度経済成長以来。町々にあった八百屋さん、魚屋さんが消え、大型スーパーとコンビニに流通の中心が移っていったこの国で、食べる食材の半数以上が「安い」外国からの輸入食品という事態に立ち至ったわけで、ある意味では起こるべくして起こったという事件ともいえます。そして賃金が安いから食べるものの切り詰め、安い食材に頼らざるをえない構造的な悪循環の形成。
農薬に対する基準も、使用する農家の人たちの意識も先進国とはかなり異なる発展途上の国から食品を輸入する以上、その検疫態勢は万全でなければならないのに、実際には「規制緩和政策」(1995年食品衛生法の改訂)によって水際での検疫が単にモニタリングだけになり、検査が輸入食品全体の3〜10%になっているという実態があります。事件発生から1ヶ月後にようやく対策を講じる厚労省のずさんな体質も相変わらず。
スーパーに行って買い物をすれば、国産の野菜や果物を見つけることがどれほど至難のわざであるか一目瞭然。国内の農業・漁業をつぶしていった一つの帰結ですから国産品が割高になるのはあたりまえで、農政自体が大きくゆがんでしまっている。現在の農政では、外国からモノが入ってこなくなり、あるいは輸入できなくなり、お茶の間から食べ物が消えてはじめて事態の重大性を認識するということになりかねません。食の安全、日本の農業の未来を真剣に考えるなら、米、野菜、穀類などの食料自給率を100%近くまで高めることが何より大切なことだと私は思います。
先日の「地球温暖化」に関する特集番組の中で、コンビニ弁当の食材がほとんど海外からのもので占められていること、そして単に棚をかざるだけのためにいつも棚をいっぱいにしておき、売れ残りを大量に捨てるという恐るべき浪費の実態が放映されていました。いつかはこのつけを払わなければならなくなる。
海外の安い労働力を「搾取」して、日本の「繁栄」をはかろうとする食品大手の企業や商社、その方向付けをしてきた歴代自民党政府の罪もまた重いし、そうした食生活に慣らされ、これが当たり前と思うようになっている今日の私たちの生活そのものも見直さなければならないでしょう。今回の事件は、そうしたさまざまな意味で重要な問題を投げかけており、「中国食品は恐ろしい」などという中国たたきキャンペーンで終わらせるわけにはいきません。

中国製ギョウザ中毒問題のかげで、教育再生会議最終報告を出したことがひっそりと報道されました。第1次から第3次まで中間報告を出してきたこの会議ですから、どんなものになるかはおおよそ見当はついていましたが、結局「これまでの提言をまじめにやれ」という程度のおそまつなもの。
昨日、NHKではイギリスとフィンランドの教育実態、OECDの担当者への興味深いインタビューを放映していました。確かに、海外の実態を見て日本の教育を考えることは大切ですが、ものまねをしても何も変わらないでしょう。
私が最近思うのは、社会のありかた、とくに労働の現場のありかたが結局は教育の中身を規定するということです。卒業してもろくに満足な職につけず、不安定な派遣労働か、パート・アルバイト、そして得るものといったら、自分が生きていくのにも事欠く低賃金という労働実態でどうして希望の持てる人材が育成できるというのだろう。単に賃金が安いということだけではありません。労働法制が大企業の都合のいいようにどんどん改悪された結果、日本国憲法に依拠した戦後の労働体系は企業内では無視され空洞化され、そのもとで使い捨ての労働力としかみなされなくなってきた若者たち。これに手を貸してきたのが高度成長以来の教育行政ではなかったのか。現実認識を欠き、歴史認識を欠くこの教育再生会議の提言は、「徳育」と競争で子どもたちを市場原理主義の中に放り込む役割しか果たさないでしょう。
本当に教育を再生しようというなら、まず労働者の権利と家庭生活を守る労働法制を確立して大企業の横暴を正すことから始めなければなりません。若者が自信と誇りをもって仕事に打ち込める環境、社会的な活動にも参加できる時間と正当な賃金が保証されること。これぬきでどんな教育も未来を保証することはできません。
このことはまた、家庭を家庭たらしめ、親の家庭教育に向かう時間と費用を保証することにもつながります。今日どれほどの子どもたちが劣悪な条件のもとで働かざるを得ない親の犠牲になっていることでしょう。
教育再生会議が「社会総がかりで」と銘打つからには、そのくらいの提言があってもよさそうなのに、これが一言も出てこないのは御用会議たるゆえんか。私に言わせれば、まさに「亡国の提言」です。
第2は教師の人数を大幅に増やすこととその社会的な地位の向上。そして教科書検定に集中的に表れている文教政策を根本的に改めて、教育の権限・裁量を大幅に学校に委譲することです。「ゆとり」の見直しから引き出されてくるのは、教科教育の時間増だけで、結局は子どもと教師にさらに負担をかけるだけのこと。
大企業への優遇税制を改めて、欧米並みに大幅に課税しなさい。全国一律最低賃金を定めて労働者の賃金を大幅にあげなさい。それで大企業はつぶれることはありません。アメリカへの「思いやり予算」などというばかげた貢ぎ物を直ちにやめ、イージス艦や軍用機、ミサイル防衛などにかけるお金を大胆に削ることです。アメリカと一体となった軍事化を進めれば進めるほど海外からの危険視は高まるわけで、その逆をいけばよろしい。そうすれば、10兆円ちかくの財源を確保することは実に容易。
私が教育再生会議の委員になったら、これだけを主張しますけどね。これだけのお金があれば、教育はもちろん、社会保障も、農業もよみがえるにちがいないのですから。



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