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  9月30日(火)
まわりの田んぼではほとんど稲刈りが終わりました。まだあちこちに黄金色の田が少し残っていますが、ここ1週間ほどの間にはそれも刈り取られていよいよ紅葉の季節から冬の景色へと変わっていきます。
近くの農家の方がわざわざ電話をしてくれて、畑用のモミ殻とワラをくれることになりました。モミ殻はイチゴや野菜の乾燥防止に使うし、ワラはカボチャなどの敷きワラとして結構たくさん使います。モミ殻はミニダンプでわざわざ運んで来てくれてさっそくイチゴのプランターに入れました。ワラは刈り取られた田んぼに妻と出かけて束ねて乾燥させるためにそのまま円錐状に立てかけてきました。来年の植え付けのための準備はこれでOKです。


昨日の麻生総理の所信表明演説をコピーして改めて読んでみました。のっけからアナクロニズムと自己陶酔の読むに耐えないものでしたね。信濃毎日でも赤旗でもいろいろと批判記事が書かれているので、あらためて書くほどのこともないのですが、言わなければ”無言の肯定”ともなりかねませんのでちょっとだけ。
第一は、歴代の自民党内閣が「臨調行革」「構造改革」などを通して庶民の暮らしを切り刻み、そのかたわら国の財政危機を深めてきたことへの反省が全くないこと。
「この言葉よ、届けと念じます。ともすれば元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに」・・・反省がないどころか責任棚上げ、まるで人ごとです。
誰が元気を失わせたのか。誰が若者の将来を奪っているのか。「わたくしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています」だって? いま実によく笑っているのは財界のみなさんと一部の大金持ちだけではないのですかねえ。
第2、民主党への質問がたくさん。議会は与党と民主党だけでしたっけ?こんな所信表明演説は一国の総理大臣のものとしては、やはり最低でしよう。その価値もない。「すべての野党に問う」というのがスジというものでしょう。
「私は悲観しません。日本と日本人の底力に、一点の疑念も抱いたことがありません」というときの日本人とは何者なのですか。空ぞうきんを絞ってもなお絞り足りないほど働かせるだけ働かされている非正規労働者が若者の半数にも及ぶ今日、どうしたら一点の疑念も抱かないですむのかを説明してもらいたいものです。数十億の資産をお持ちのお坊ちゃまから「私は逃げません」と言われても、庶民としては「私は逃げるところがありません」としか言いようがありませんね。
第3、国会運営について民主党の党利党略を批判するのはいいとして強行採決を乱発して国民の批判を封じてきた自らの責任はどこにいったのか。各党が十分に時間をとって議論を行い、問題点を明らかにした上で採決をする、というのが議会のルールなのであって、自民党と民主党が「合意形成のルール」を取り決める必要もないことでしょうに。それをなぜことさらに「合意形成のルール」などと言わなければならないのですか?
第4、経済対策。新自由主義の路線で「構造改革」を進めてきた結果が、今日のめちゃくちゃな経済運営になっているのではないですか。所信表明演説では経済政策は全く何にも言っていませんね。何にも言わずに民主党に補正予算に賛成するかどうか、財源はどうするかなどと悪態をついているのは哀れと言うもおろかなり。
ここでも「わが国は巨額の借金を抱えており」と、他の誰かが借金したみたいにシャーシャーとおっしゃる。「強みは何か。勤勉な国民であり、すぐれた科学と技術の力です。底力を解き放ちます。・・その時が来たのであります」・・・う〜〜ん。ここまでいうか。これはもう「ローゼン閣下!!」と黄色い声がかかるのを期待しているとしか思われない?? 違うんかね、フロッピー太郎さん。(フロッピー・・・下注)

もういやになったからやめます。
午後7時から共産党池田支部とわがファンクラブ主催の「政治と暮らしを語るつどい」が開かれてました。私は頼まれて司会をつとめました。部屋一杯の約40名が集まって、まず共産党創立86周年記念式典での志位講演のダイジェストをDVDで見て、そのあと岸野正明さん(衆議院長野2区予定候補)と中野早苗さん(比例代表北信越ブロック予定候補)のお話を聞きました。
この講演ダイジェスト版は大変よくできていてなかなか見応えがありましたよ。ぜひごらんになることをおすすめします。


(フロッピー・・・注)2003年9月22日、麻生さんが総務大臣に就任した記者会見で次のようにおっしゃったため、小学生にまで「あ、フロッピーだ」と言われた?ことから名前がついた。

2005年までにすべての地方の自治体を含めまして中央諸官庁すべてITいわゆるフロッピー等々でこれをつなぐということになりますんで、大量に必要としました書類がフロッピー一枚で全部出来るようになる

今から5年ほど前の話ですが、すでに世はCD-R,RW全盛時代、DVDもかなり出回っていた頃、麻生さんの頭はまだフロッピー(ひょっとして5インチ?)で占められていたらしくさんざん笑われた。
ちなみに、フロッピー(floppy)とは「だらしのないとか、しまりのない」とかっていう意味でしたよね。
映画「Notting Hill」でヒュー・グラント演ずる主人公につけられたあだ名が「Floppy」。これは髪の毛がふわふわしているっていう意味だったっけ。麻生さんの場合は頭の中。


  9月28日(日)
ずいぶん寒くなりましたね。ちまたでのあいさつも「寒さ」に関することばっかり。北アルプスはほとんど曇って見えませんが、昨日の朝見た人の話ではもう真っ白だということでした。今朝もびっしりと露が降りて、遅くまで濃い霧が東山を覆っていました。寒くなるのがちょっと早すぎる。
異常気象的な現象があると何でもかんでも地球温暖化と結びつけて考えたくなる昨今ですが、学者先生の中には「地球は寒冷化している」と主張する人もいます。
日本で有名なところでは東京工業大学の丸山先生。宝島社新書「科学者の9割は『地球温暖化』CO犯人説はウソだと知っている==二酸化炭素では『温暖化』しない」によれば、「21世紀の気温予測は2035年に最低に落ち込む曲線を描き、その後は再び上昇傾向を持つ」「IPCCの予測が正しいのか、理学研究流動機構の予測が正しいかは、5〜10年後には解決する問題だ」というのです。太陽活動の変化によって一定の規則をもって宇宙線量に変化がおき、地球の雲量に影響を与えることを考慮しなければならないのに、IPCCはそれを無視していると主張、独自の理論予測を行って地球寒冷化を計算しているので、それなりに耳を傾ける部分はあると思われます。ここ10年以内にその結論はでるというのですから、大胆な予測。興味がわいてきます。
ただ、この本では学者先生の習性なのか、世界統一国家なるものへの展望をも描いており、かなりの程度脱線。温暖化の問題より、化石燃料の枯渇、エネルギー・食糧問題の深刻化は一刻の猶予も許さない状況を迎えているから直ちにその対策に着手しなければならないことを力説しています。その限りにおいては正しいのだけれど、21世紀後半に許される日本の人口は江戸時代並みの3000万人(最大見積もって6000万人)とする説には???となる。政治的、経済的にバランスがとれ、人間が人間らしく生きられる時代をつくることの方がまず先だと私は思うのです。現在のようにルールも何もない利潤最優先の資本主義社会で、このような説をばらまいてもどうしようもないでしょう。人口をどうしていくのかは、そうした社会変革を経て日程に載せるべき問題であり、またそうした問題を社会変革の課題として解決を図っていくことにもなるのでしょう。

一昨日も書いた「数学ガール」、今日読み終えました。最後は内容的に高度な問題に踏み込むために前半から見ると話の展開にかなり無理があったようですが、それでもスジはきちんと通してさすがの解説力。著者の数学に対する深い知識と洞察力、数学に対する敬意が一つの作品に結実している啓蒙書です。脱帽しました。

中山国交相、在任期間5日間にして大臣を辞任。やめて当然ではあるにせよ、あまりにも低劣・低レベル。「日教組の子どもは成績が悪くても教師になる」「日教組をぶっ壊すために私が頭になる」ってどういう意味ですかねえ。右翼が街宣カーで「日教組打倒」と大書して集会に押し寄せるシーンとダブって見えてきます。よーするにそういう輩を麻生さんは知っていて大臣にしたわけだ。だとすれば同罪ではないですか。5連発ぐらいの暴言に、さすがに自民党の中からも「やっていられない」とか「我々を巻き添えにした自爆テロだ」とかという嘆きが沸いているようですね。自業自得。この自民党の根腐れの深さを示しているだけで、自浄作用も何もないということでしょう。こうなったら、総選挙で自公政治と決別する意志を示すことが一番です。


  9月26日(金)
「日本人は単一民族である」という政治家の発言をきいていつも思い出すのは、”博徒”モリスヒロシ氏とやくざとの会話(森巣博著「無境界の人」集英社文庫)です。
オーストラリアのあるカシノの前で出会った一人のヤクザと思しき男から「日本の方ですか」と声をかけられるところからこの話は始まっています。からかい半分に「日本の方とは、どういう意味ですか」と切り返すモリスさん。

「日本の方ですか」
「日本の方とは、どういう意味ですか」
「日本人ですか?」
「日本人とは、どういう意味ですか?あなたの言う日本人とは、日本国籍所有者という意味ですか?」
「そ、そう、普通日本人というのは、日本国籍所有者の意味です。」
「普通というのは、例外がある、ということですね。どんなものですか?」
「いや、あれは言葉がすべりました。日本人は日本国籍所有者です」
「それでは伺いますが、日本に帰化した、つまりは日本国籍を取得したヨーロッパ系の人々を『ガイジン』と呼ぶでしょう。あれはなぜですか?」
「それは、日本人じゃないからです」
「ちょっと待ってください。さっきあなたは、日本人とは日本国籍所有者である、とする仮説を受け入れたはずだ」
「あ、わかった。それはね、『日本の心』なんだ。日本精神、ヤマト魂・・・・。日本の心を持った日本国籍所有者が日本人です」
「それでは、例えば、大蔵省の役人、あるいは長嶋茂雄が、日本の心、日本精神、ヤマト魂を持っていると、どうして分かるんですか?」
「そんなこと言われたってわからない・・・。・・・あの、あのね。それはガイジンさんが、日本国籍を取得した、と自分らにはわからんでしょう。それで、ガイジン、ガイジン、って呼ぶんじゃないかな」
「それは詭弁でしょう。ヨーロッパ系ではないけれど、例えば高見山という相撲取りが居た。誰もが彼は日本国籍を取得した、と知っているけれど、彼はあくまでガイジンでしょう?」


ここで話は一旦とぎれて、あとでまた続くんですが、これ以上書いてもあまり意味がない。
要するに「日本人=日本民族」としたがる政治家連中はこのヤクザのヤッちゃんよりも数段劣っているということでです。
「外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、『単一民族』といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない」という昨日の中山国交相の発言はその最たるもの。まあ、前にもそんなことを言った人がいるし、右派のみなさんの中には「それでは日本は他民族国家なのか。実態として殆どが日本民族だから間違いではない」と強弁する人もいる。
では、アメリカに住む様々な国のアメリカ国籍の人に対してそれぞれが「ガイジン」というのでしょうか。ここでも「圧倒的多数がヤマト民族である日本と様々な人種・民族が混じっているアメリカとを比較しても意味がない」という反論が予想されます。単一民族でなければアメリカのような他民族国家なのかといいたい人たちにとって、やはり上の会話は聞かせたいものです。
「単一民族」の裏には必ずあの「日本人」が潜んでいます。日本民族=日本人、そのまた逆であってほしい人たちにとって、どれだけ日本の中に他民族がいようとそれはあくまで外国の人間であって日本人ではないということです。私の奥さんも日本人なんですけど。
もっともモリスさんのように、「オッサン、オバチャンが日本人というときにオレはその中に含めてくれるな」という「悲痛なる叫び」をあげる人いますけれどね。

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もともと人数の少ない今日の塾の生徒は休みや行事が重なりたった一人。それでも丁寧に授業をして、生徒が問題に取り組んでいる間、私はある数学に関係した本を読んでいました。数日前からちょっと早く塾に着いたときなどに読んでいたのですが、今日は少しはかどった。
結城浩著「数学ガール」。この人もヒロシ、モリスもヒロシ、世の中ヒロシだらけ。それはともかく何で数学「ガール」なのか図りかねていましたが、何となくわかるような気がしてきました。
高校生のボクと3人の中・高生の少女の学びあいの記録とでも言ったらいいのか、普段の生活を織り交ぜながら数学を求めていくユニークな構成の本。「フェルマーの最終定理」をめざして数学の考え方やその筋道をたんねんに追っていきます。
女の子が多いのは作者の趣向だとしても読む前はあまり乗り気で無かったのですが、2/3くらいまで読み進んで、見方が変わった。このストーリーの中に何となく抱いていた「嫌み」はみじんもなく実に透明でさわやかな筆致。数学の論理そのものがそうさせているのか、ボクと少女たちの会話がそうさせているのか、巧みな構成に舌をまきます。
内容はいくら高校生でもここまではという所がたくさんあるのはしようがないとして、数学の本質に迫ろうという意気込み、数学を愛する心意気はずんずん伝わってくる。
「ピタゴラスの定理を成り立たせる(原始)整数解は無数にあるか」という問題では、あのファインマンさんの授業でも現れた解法が示されますが、もう一つの解法は絶妙だし、いたるところで目を開かれる思考の流れが示され、魅力的。
ところで、数学にのめり込むこんな男の子や女の子がいるのかな?いてほしいのかな?私の経験では、やっぱり世の中は広いのです。これほど魅力的ではないにしても、過去にいたし、現在もいると確信します。これからも出てきてほしいですね。とくに女の子に。

Web版数学ガール


  9月24日(水)
悪質な振り込め詐欺にご注意。お昼過ぎにauの携帯メールをつかって次のようなメールが届きました。
「サイトに未納料金が御座います。9/24日迄に下記番号にお電話頂けない場合は訴訟となります。(株)アイコム0120-182-176」

アイコム(株)というのは大阪市平野区に本社を持つ日本の無線通信機器会社。もちろん(株)が前にあるこの「会社」はこれとは無関係の架空のもの。発信先は携帯で、08065815162。
アイコム(株)に通知して調べてくれるように依頼し、メールを削除しました。気分の悪いことこのうえありません。

今日の「しんぶん赤旗を見ておりましたら、オーストラリア、メルボルンの新聞「The Age」に載った9/22付けのある記事についての解説が目につきました。「日本の不幸な非正規労働者たちが、答えを求めて向かう先は、しっかりした左翼だ」というタイトルの記事についてです。おもしろそうだったので直接「The Age」のサイトであれこれ調べていましたら、まだ残っていましたよ

The Ageの記事
The Ageの記事(保存したもの)

記事の内容はあらまし次のようになります。ちょっといい加減ですけど。

自民党総裁選の5人の候補者はいずれも青年層で支持を失いつつある。
20代から30代の日本の非正規労働者は、政権に幻滅し、代わりに日本共産党に向かっている。
フリーターとかニートと呼ばれる世代の若者は、高齢化しつつある共産党の中核を急激かつ劇的に増強・強化する刺激になっている。そして昨年には1万人の新規入党者を迎えている。
志位委員長の国会での(派遣労働や非正規雇用労働についての)歯に衣を着せぬ追及がYouYubeでヒット、若者たちの間で注目が急激に高まるのを促した。志位委員長は次年度には新たに2万人の新入党者を見込めると自信をのぞかせる。
これは日本共産党にとっては劇的な変化だ。なぜなら同党はこれまでのおよそ20年間少数政党に甘んじ1990年から2000年までの間に50万人いた党員がその4/1を減らし、その後の5年間で得票率も11.3%から7.3%へと減らしている。
同党の最近の変化の大きさに、民主党は11月に予想される総選挙で自民党からの政権奪取にその支援が期待できると見ている。
「多くの困難を抱えて苦しむ若者たちは、(自公政権の)とっている路線にうんざりいる」「彼らは今年、小林多喜二の蟹工船に自らの苦境を重ねて我が党に接近してきた」と語る志位委員長。
蟹工船は、小林多喜二が書いたロシアの海域で操業する労働者たちの物語で、有名な「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」で始まる。過酷な操業の中で、雇い主から暴虐・搾取の限りを尽くされるという話だ。
小林多喜二は蟹工船を上梓してまもなく特攻警察によって虐殺される。1953年に文庫本として発行されてからは年間5000部の売れ行きだったが、雨宮処凜によって毎日新聞新聞紙上で引用されてからは50万部も売れている。
発売元の新潮社はネットカフェや安宿を転々としながら低賃金と不安定雇用からの活路を見いだそうと苦しむ若年労働者層にとくに受けているとみている。
日本の年所得200万円以下の非正規雇用労働者は2001年で38%だったが、いまや44%にのぼる。
しかしながら、ベテラン共産党員の幾人かは、彼らの党への関心が一過性かどうかわからないと言い、蟹工船に自らを重ねる若者の入党者が党活動や投票行動に関心を持てるかどうかを疑問視している。


これまでも日本のメディアの一部で書かれてきたことを紹介したという装いですが、麻生総理が若者に人気があるという「つくられた神話」を見事に覆しているではないですか。
蟹工船は青空文庫の一つになっているのでいつでも読むことができます。

彼は然しそれをモット確実なものにするために「代議士」に出馬することを、自動車をドライヴしながら考えている。――が、恐らく、それとカッキリ一分も違わない同じ時に、秩父丸の労働者が、何千哩(マイル)も離れた北の暗い海で、割れた硝子屑(ガラスくず)のように鋭い波と風に向って、死の戦いを戦っているのだ!

「俺ア、キット殺されるべよ」
「ん。んでも、どうせ殺されるッて分ったら、その時アやるよ」  芝浦の漁夫が、
「馬鹿!」と、横から怒鳴りつけた。「殺されるッて分ったら? 馬鹿ア、何時(いつ)だ、それア。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴等はな、上手なんだ。ピストルは今にもうつように、何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれア「手」なんだ。――分るか。彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。目的は――本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木(しめぎ)にかけて、ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。――どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ」
「んだな!」


ぜんぜん古さを感じさせない描写の中に、日本の若い労働者、海外からの低賃金労働者が自らの生活を重ねてみているという悲惨さ。しかし一方で、この現実をそのままにしておかないという労働者魂もまたこの物語の中からくみ取っているのでしょう。

そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!

この簡潔な最後のフレーズの中に、彼らは「一体どうやって」という問いと、「苦境から脱出したい」という願いをすべてこめてこの蟹工船の描写と日本共産党の政策に共感しているのではないかと推測します。
これを「自虐的」だとする麻生さんの認識と比べて、いよいよ若者たちとその認識との乖離は大きくなって来つつある。来るべき総選挙はそれをはっきりさせる場になると確信できます。


  9月23日(火)
久しぶりに夕方から何もない一日。ごろりとフロアに横になって妻と横になって「ぴったんこ カン☆カン」を見ていました。
今日は池田のお祭りで、スーパーに勤めている妻はチョー忙し。多分ちょっと遅くなるだろうと思い、夕食は私が準備。今日の夕方に里芋を試しに掘ってみたので、ごま味噌和えにして食べてみました。その後、妻は一杯飲んで「一杯ぐらいでこんなになるなんて・・・」といいながら、そのままウツラウツラ。私はウイスキーには目もくれず、先日友人からいただいたメロンを半分ペロリ。幸せでした。
火曜日だけが休みなので貴重な一日なのですが、目的もなく過ごすと何の収穫もなくあっという間に過ぎてしまう。その点、午前中から午後早い時間まで畑に出て思いっきり汗をかき、シャワーを浴びてお昼寝してそれから仕事に出かける・・・という過ごし方の方が何となく充実感があるような気がしますね。気だけでしょうか。
塾のある一人の生徒には本を読んでの感想を課題に出しているので、私もしっかり本を読んで考えなければという気持ちだけはあるのですが、ままなりません。ま、あせらず、一寸ずつ読んでいくことにしますね。
本といえば、今日の信濃毎日の文化欄には作家の後藤正治さんの「月刊『現代』休刊に思う」という一文が載っていました。
「有力月刊誌の休刊はジャーナリズムの衰退、ひいてはメディア全体の”不健康化”を助長していくように思えて憂慮する」「メディアが上品に均一化してしまう社会は危うい」という彼の主張には賛同できます。
ところで、その一文の終わりに「団塊世代前後の”活字中毒世代”もまだ健在である」という表現を見つけてびっくり。そうですか、私の世代は”活字中毒世代”??そんな風に評価されていたなんて初めて知りました。それはそれでお褒めの言葉なのでしょうから、それにふさわしくいろんなものを読まないといけませんね。

麻生自民党新総裁が選出され、明日夕刻には首相に選ばれることになります。テレビでは「政界のサラブレッド」とか「なんとか閣下」とかという呼称を紹介していましたけど。彼が折り紙付きのタカ派・靖国派の政治家であることは知る人ぞ知る。「満州で仕事がしにくかったから、名字をくれと言ったのが、そもそもの始まりだ」(2003年5月31日、東京大学講演)というのは有名ですが、暴言・放言は数知れず。「タカ」の爪をかくして国民に媚びるような発言をしたとしても、そのうち彼の本質は明らかになるでしょう。
先日、「とてつもない日本」についてちょっと書きましたが、あらためてこの本から麻生太郎がいかなる精神・思考回路の持ち主であるかをもっと突っ込んで調べる必要があると思っています。秋葉原中心に一部の若者に熱狂的に人気があるとか、マンガ世代に受けているとかというイメージをマスコミは熱心に作っていますが、そんなものはあくまで作られた虚像に過ぎない。彼が首相になる前にその本質を完膚無きまでに批判し尽くす必要があります。そうでなければ、小泉劇場で踊らされたあの悲劇が、今度はさらに取り返しのつかない悲劇として再演されることになってしまうでしょうから。
私が9月14日にこの本のことについてちょっと書いたすぐ後に、参議院議員の井上さとしさんからのメルマガが届きました。この本の書評が載っていたのでそのタイミングにちょっとびっくり。まず、このメールをここに転載しておきましょう。

井上さとしです。

10月26日投票で総選挙が行われるのがほぼ確実な情勢になり、わが活動も選挙モードに突入し、地方遊説と国対や本部の会議で移動続きです。
この一週間は、京都→福井→石川→富山→東京→京都→東京→京都→東京→長野→新潟→京都と移動します。今日は京都と東京の間を一往復半しており、このメルマガも23時東京着の新幹線の中から発信しています。

自民党の総裁選挙は麻生氏が圧勝の流れと報道されています。「勝ち馬に乗る」流れが自民党内で一気に広がっているようですが、その総裁選挙のなかでやはり飛び出したのが麻生氏の失言。先日の豪雨被害で「岡崎や安城だからよかったが、名古屋なら大変」という発言です。死者もでており、被災住民が復旧作業におわれているさなかの発言に、両市の市長が抗議文をおくったのとも当然のことです。あまりにもひどい。

なぜこんな発言がでるのか。新幹線の移動中に麻生氏が昨年7月に出した『とてつもない日本』という著書を読んで、これは失言ではない、彼の政治姿勢から必然的に出てくる発言だと思いました。
なにしろこの本は、「はじめに」からひどい。インドを訪問した際に、同地の地下鉄建設に派遣された日本人技術者が時間や納期を守る仕事ぶりに感謝されたという話から始まります。そして麻生氏はこう書いています。
「日本ではよく『カローシ(過労死)』を例に挙げて、日本人は働き過ぎだ、日本人の働き方は間違っているという人がいる。だがそれはあまりにも自虐的で、自らを卑下しすぎていないだろうか。『ノーキ』を守る勤勉さは、私たちが思っている以上に、すばらしい美徳なのである」
なんという認識! 問題は「働き方」ではなく、「働かせ方」ではないですか。過労死するほど残業しなければ仕事が完成しない程ぎりぎりまでリストラ・人減らしをし、サービス残業すら強いてきた企業。そして、それを野放しにするどころか、推進してきた自民党政治が問われているのです。そのことへの自覚のかけらもありません。
誰も、過労死するほど働きたいと思っていません。愛する家族や恋人を残して死にたいなどと思っていません。過労死するような働き方を強いておいて、労働者の「勤勉」さにすりかえ、それを「美徳」と持ち上げる――本の最初がこの話ですから、庶民の生活実態、気持ちがわからない人です。

もう一点。外務大臣もつとめた麻生氏ですが、その外交哲学の貧しいことにも驚きました。麻生氏はこう書いています。
「学級のクラスを想像してほしい。一番大きい顔をしているのは誰か。もちろん喧嘩の強いA君だ。一方B君は、腕力はそれほどでもないが、カッコよくて頭もいい。一目置かれる存在だ。そして、C君は、腕力もないし、身につけている服や持ち物は個性的で良質なのにカッコよくないけどお金持ちの子」。そして、麻生氏はA君はアメリカ、B君はフランス、C君は日本にたとえ、C君はいじめられないためにどうすればよいのか、と問いかけたうえで――
「従来どおりアメリカと同一歩調をとることを基本姿勢とするのが、日本にとって得策と考えていいのではないか」「身の安全を自力だけで守ることができないのであれば、ケンカの強いA君と仲良くするというのは、子供でも知っている生活の知恵ではないだろうか」

いや〜これにはあきれ果てました。軍事力で脅して他国に身勝手な言い分を押し付けるようなアメリカのやり方をなんの批判もなく肯定するものです。今の世界を相変わらずアメリカの一極支配中心に見て、南米や東南アジアで広がる平和と自主的外交の新しい流れは眼中にないようです。国連憲章の精神や日本国憲法をどう生かし、世界の平和と安定を作り出していくかという哲学のかけらも感じられません。 よくもまあ、こんな考え方で国連の常任理事国にしてほしいなどというものですね。世界からアメリカの子分が増えるだけと見られているのはなぜか、よく考えてほしいものです。
しかも、これは教育論としてもひどい。「いじめられないためには、喧嘩の強い子と仲良くするのが生活の知恵」と子どもたちに教えたらいいと思っているのでしょうか。クラスで話し合いをして暴力やいじめをなくすために努力している子供たちも少なくありません。そんな子供たち以下の「生活の知恵」しかないとすれば、情けない。

二点だけ書きましたが、これが総理候補の著書なのかと思いました。自民党が麻生氏を総裁に選び、わが国の総理になることは数の力のもとでどうしようもありません。しかし、はっきりいえることは、この人物が総理に居座り続けるならば、わが国は「とてつもない日本」ではなく、「とんでもない日本」になってしまうということです。
なんとしても、総選挙で勝利し、政治の中身を変えなくては。


(注)井上さんからは、転載については趣旨を生かせる場であれば「大いに利用してもらってよい」という趣旨の連絡をいただいています。

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昨日の町議会の様子が気になっていましたが、今日の信濃毎日によれば「全会一致で町長の問責決議が可決された」ようです。一つのけじめをつけたということです。今後は町長は「すねに傷を持つ身」となるわけで、町政運営、公人としての町長の生活が否応なしに注目を集めます。
私自身も、町政のありかたを「町民の暮らしといのちを守る」という観点からしっかりと見守っていきたいと思っています。

2008年9月23日付け信濃毎日


  9月21日(日)
相変わらず雨模様で肌寒い。今日とあさっての休みで稲刈りを予定していた農家の方々は当てがはずれて全く残念なことでしょう。あさっては晴れるはずなので、これから急速に仕事もすすむことでしょう。
ゆうべも塾から帰ってくると、雨の中で何かこげるようなにおいがただよっていました。稲刈りが済んでつみあげた籾殻を焼くあの煙の匂いらしい。雨がかかってちょっと焦げ臭くなっているのでしょう。
藁の香り、籾殻を焼くにおい、稲の穂を渡る初秋の風・・・それはずっとずっと前の小さかった頃の松任や柏野の田んぼの匂いです。ふとその頃に引き戻されるような感覚に襲われました。

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自民党総裁選挙で麻生幹事長の独走かと言われ始めてから、マスコミでも扱いが変わってきています。汚染米の底知れない広がり、後期高齢者医療制度への批判、保険料の年金からの天引きへの悲鳴、年金にかかわる報酬月額の改ざん、さらにはアメリカ発の金融破綻の影響などで、政治空白を作り出している自民党への批判がかつてなく高まっていることがその背景にあります。そのため、桝添厚労相が後期高齢者制度の「抜本見直し」を言い始めたり、臨時国会の冒頭解散を打ち消そうとしたりしているのですが、そうなれば逆に自民党のボロが出てくることもさけられない。たとえば、後期高齢者医療制度について「前から年齢で線引きしたり、年金から天引きするのはいかがなものかと思っていた」と、誰が決めたのかと言わんばかりの無責任な発言がそれを代表しています。
総選挙を意識して、とにかく国民の怒りを静め票を失わないことを最優先にする党利党略があまりにも露骨です。
民主党が対立軸としてあたかも国民のために政策を掲げているのだという雰囲気をばらまいていることも当然批判されなければなりません。そしてまた、テレビが自民党と民主党だけをよんで討論させたり話を聞くという設定は、「不偏不党」などというマスメディアの言いぐさがいかに「いかがわしい」ものかを示しているでしょう。総選挙前であれば国会に議席を占める政党の代表にすべて声をかけるのがスジだし、それらの政党の見解を伝えるのがメディアの役割だと自覚しなければならないはず。
そもそも、高齢者医療制度にしろ、非正規雇用を爆発的にはびこらせた規制緩和にしろ、事故米を野放図に垂れ流すことを許している農政にしろ、それらの前提となる法律の成立にあたっては共産党を除くすべての政党が賛成するというまぎれもない事実がある。このことに目をつぶって、たとえどんなに格好いいふりをしても、進行する現実の生活がそれをつぎつぎと裏切っていくことになるでしょう。

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さて、今日の市民タイムスはコラムで「池田町民がどのように町長の滞納問題をとらえているのか」と問いかけるとともに、別の記事で議会最終日の明日、「町民と議会に対して謝罪と説明が行われる」ことを伝えています。また昨日の同紙では町民からは「進退も考えた方がいいのではないか」という電話があったことも伝えています。
おそらく町民の反応は複雑で「期待したのに裏切られた」というものや「あの町長ならやりそうなことだ」という反応、逆に「個人のことならともかく会社の問題をあげつらうのはかわいそう」という声が入り交じっているのではないでしょうか。
町長本人も事態の深刻さに気づくこともなく、会社のことだから乗り切れると高をくくっていたのでしょう。しかし議会が始まってみて、あまりの批判のたかまりに「きちんと説明しないとこのままではやっていけない」判断したのかどうか。
町長がいまなすべきことは、自治体の長が運営する会社が長期にわたって滞納し、みずからも直前まで個人の町税を滞納していたことの重大さをどのようにとらえているのかを明確にし、これまでの態度を含めてまじめに謝罪することです。このあとも町政を担当するとすれば、それしかないでしょう。これがふまじめであったり、言い逃れをするようなことになれば、そのときは町長失格の烙印を押されてもしかたのないことです。
まあ、こんなくだらない問題で毎日あれこれ書いているのもどうかと思うので、まずは明日の議会での様子を注視することにしましょう。

市民タイムス コラム
明日の議会での予定を報ずる市民タイムス

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ここ2,3日、来月の18日に行われる予定の秋のウオーキングイベント「広津紅葉トレッキング」のウエブ用宣伝チラシを作っておりました。そう気張って作る必要もないので昨年のものをベースにしただけですが、これを見てたくさん応募があるといいですね。
池田の広津地区は昔は養蚕などでかなり人口も多く繁栄した地域だったらしいのですが、養蚕業の衰退や高年齢化とともに寂れて今では過疎地域になっています。それだけに石仏などがたくさん残り、紅葉も素晴らしい里山ですから、ウオーキングやトレッキングなどには最高なのです。
このチラシを作っていて、どうしても解決できない技術的な問題が発生してまだ頭を痛めているところ。それは、Illustrator(CS2)から「Web用に保存」として作成したJPEGファイルがInternet Explorerに認識されないという問題。過去にもそのようなことがあったのですが、これがIEのバグなのか、JPEGファイル作成上の問題なのか、なぜそのような問題が発生するのかというのがわからず、頭痛のタネなのです。誰か教えてください。




  9月20日(土)
台風が去っても、雨が降ったりやんだりのぐずついたお天気。その合間をぬって少しずつ畑の草取りと畝作りをすすめています。あと少しです。・・・と思ったら他のところでまた草が・・・全く同じことの繰り返し。それでも秋が深まるにつれて草はそれほど背もたかくならず、来年のために種を散らしているようです。

昨日は沖縄の妻の母の89回目の誕生日。元気で長生きしてくれているので嬉しいことです。
雨が降ると裏から土砂が落ちてこないかと心配して電話をかけてくるほど。それほどにしっかりしていて、沖縄に行ったときもあれこれと世話をしてくれました。来年はきっと長野に来てもらおうと思っているので、足腰を弱くしないように気を付けていてくださいね。

汚染米の事件の責任をとって太田農水相が辞任。麻生幹事長の「岡崎だったからよかったものの」発言も「じたばたさわいでいない」という太田農水相発言も、なるほど本心がこんなふうに現れるのかと思わせます。失言ではなく本心でしょう。
ここ池田でも今日もまた地元紙はじめ各紙が町長の滞納問題での記者会見の模様を伝えています。信濃毎日はそれに加えて、道路交通法違反の反則金を払わず罰金を受けていたというニュースを伝えていました。呆れてものがいえませんね。どこまでだらしなくけじめのない人なんでしょうか。町長になりたてからこんな低レベルのことばっかりでは今後の町政運営がうまくいくはずがありません。私としては、いさぎよく辞任して出直すことをおすすめしますけどね。







  9月19日(金)
一夜明けて今朝の新聞。昨日の町議会での町長滞納問題について、地元紙の信濃毎日新聞が「中信欄」ではなく「事件欄」にでかでかと報道(写真上)。地元ローカル紙の「市民タイムス」、大糸タイムスも一面で報道(写真中・下)。またテレビでも今朝の記者会見で謝罪する様子が放映されました。一気に町政の重大問題、場合によっては進退問題にまで及ぶ事態になってきたこの問題。さて、町長はこれに対して自らの説明責任をどう果たすのか。計画的に返済するというだけで済むのでしょうか。







問題は、町長自らが公人として自身の滞納の重大性を全く認識していないこと。それは「質問者の見識を疑う」と再三述べていたことからも明らかです。わざとそうして議会を乗り切ろうとしているのか、それともその能力がないのか・・・多分後者だろうと思いますけどね。

地元紙は、滞納問題に飛びついただけで、町政の基本問題での報道は一切していません。町民から言えばこっちの方がむしろ重大で、納税問題についてだけでなく自らの政策について立候補時点でまとめていたことから具体的に一歩も出ない町長に果たして町政を任せられるのかということです。
それは町の財政問題についての認識を見れば一目瞭然。昨年度の決算だけでなくこれまでの長期にわたる決算状況から町の現状をつぶさに分析するわけではなく、ただ単に経常収支比率と実質公債費比率の数字を挙げて「今にも財政再建団体に転落する」かのように言ってきたことを議会でも繰り返すだけ。その対策といえばハーブセンターの民営化と美術館の経営の見直し、町長歳費の2割カット程度しか述べられず、それもオウム返し。ハーブセンターの民営化については「民間の感覚が必要」だとしかいえないのですから、まさに町政に対する見識が問われます。まさか町政のあらゆる分野で「民間手法」を考えているわけではないでしょうね。「民間の手法」とは、人件費をはじめ支出を極限まできりつめ収益を上げる利益最優先の手法のことです。無駄をはぶきサービスを向上させ、町民や町外の人々に親しまれる施設へと脱皮させる方策としてではなく、いかに収益をあげ町の財政負担を軽くするかというだけの視点では施設の運営すら危ぶまれることになるでしょう。結局そこに働く人にしわ寄せが行かざるをえないからです。
自治体は住民のくらしと福祉を守ることが役割であり、たとえ国の悪政が押し寄せようと、最後の砦として住民を守り抜くことが使命です。ですから、財政再建は福祉・教育・医療といったいのち・くらしの根幹の事業をしっかり守りつつ、住民の参加を促して活力ある町づくりをすすめることが基本にならなければなりません。「町民の皆様にも過剰な行政への期待には限界があることを、ご理解いただきたい」とする現町長の所信表明は発想が逆立ちでしょう。実直・誠実な前町長とは雲泥の差と言うべきです。


  9月18日(木)
9月町議会を傍聴しました。通算連続5回目ぐらいの傍聴です。そろそろ表彰されてもいいくらいの常連になってしまいました。
さて、その町議会、新町長が一般質問に答弁するということもあってか、傍聴席は超満員。午前午後あわせて57人が押し寄せ、狭い傍聴席は一杯に。報道陣もいつもの倍くらい来ていました。
一般質問の質問議員は全部で8人。殆どの議員が「町長の政治姿勢を問う」というテーマで質問したわけですから、ちょっと異様な感じでした。

町長答弁を聞いての感想は「お粗末」の一言。2番目に質問に立った田中議員は、町長就任直後から「傍若無人な無責任な発言があまりにも目立つ。ルール・マナーに欠けている」と、思いつきであちこちでしゃべっていることを批判。3番の質問者の桂川議員は、町長の地方税・国税の滞納問題をとりあげ、「徴収責任者が滞納しているということが事実なら町民に何と言って税金を納めてもらうのか示しがつかない。ことの重大さを認識していないのでないか」と事実関係を質したのですから大変。町長は気色ばんで「個人の生活の内情を議会で問題にする質問者の見識を疑う」と言っていましたが、この議会ではっきりしたことは町長がトップをつとめる商店が長期にわたって法人税を滞納し、差し押さえすら受けている事実が明らかになったことでした。
共産党の山本議員の質問の中でも、個人の町民税などについては「町長になる直前に払った」ということ以外は明らかにしませんでしたが、これについて議事が一時中断し議員協議会で事実関係を聞くという異例の展開になってしまいました。
当然これに対して町長支持者からは「個人のプライベートな問題をほじくり出すのは為にする議論だ」という反論がでるかもしれません。町長の基本的スタンスはそのようなものですから。これについては、問題は町政のトップ(とりわけ徴税の責任者)の問題であるという点ですでに個人的な問題ではなくなっていること、第2にこれに対する真剣で謙虚な態度が求められることをはっきりさせて毅然と対応する必要があります。ある傍聴者は「こりゃ池田の恥だじ」。確かに。

傍聴していてまず感じたことは、町長としての資質が疑われるということ。これは単に滞納問題だけの話ではありません。
まず滞納問題についていえば、小さい商店ですから苦しい台所事情は理解できるところです。問題はそれに対する真剣な対応でしょう。まじめにその滞納をどうするという姿勢があれば、議員からの指摘を真摯に受け止め対応を率直に話すという展開になったはず。町長の答弁からはそうした発想・対応は一切見られず、逆に「質問者の見識を疑う」という態度に出るわけですから始末が悪い。逆にもっと滞納があるのではないかとうかがわせるような態度さえ見られたことが重大問題でした。
第2は、饒舌な答弁とはうらはらに、内容のない点では驚くほど。「池田町は実質公債費比率が18%を超え起債には知事の許認可が必要になるほどで楽観できる状態ではない。財政を圧迫しているハーブセンターの民営化、美術館の運営見直しがさけられない。町長以下幹部の歳費をカットするなどを提案している」ということだけ。いくら就任2ヶ月ちょっととはいえ、同じことを繰り返し答えるだけですからまったく議論がかみあわないし生産的でもありませんでした。

町長がそのような態度に終始すればするほど自己矛盾が露呈する始末。自分でそのことに気がついている風にも見受けられないのが深刻です。
その一つは、町の財政をめぐって。「町の財政は危機的な状況にある」というのが立候補以来の持論でしたが、国から求められた財政健全化比率では町の財政は「適正」であると町長名で提出している矛盾。これを何人かの議員から突かれても、「前町長のときの数字だからそのまま認めるしかない。数字はそうだが安全だという数字でもない」というわけのわからない答弁で終始。結局財政が危機的な状態にあるという前提にしておかないと自分の存在意義がなくなるということを告白したようなものでした。そうでないとハーブセンターの民営化や美術館の見直し、町村合併などの持論がすべて崩れてしまいますから。
二つ目は市町村合併をめぐって。「国からの交付税がさらに削減されることが予想される状況では合併はさけられない」と一方ではいいながら、「合併するために町の収支を改善して豊かな町をつくり近隣の自治体かも声がかかるような状態にしなければならない」という答弁。そのような自治体を作ることができるなら合併などする必要がないはずです。財政が危機的状況にあるから合併はさけられないといいつつ、声がかかるようないい町をつくることが必要だとすれば、合併したら逆にひどいことになり得るという矛盾に気がつかないのでしょうか。
三つ目は、広域連合の席上やその他議会外での無責任な言動について「そんなに傍若無人な発言をした覚えがない」という無自覚。
四つめは公約に掲げたこととやっていることの矛盾。桂川議員も指摘していましたが、町長は就任以来2ヶ月以上にわたって臨時議会も開かず、副町長も空席のまま。9月議会に出された施政方針はA4一枚の単なる所感。そこには具体的な「重点施策」は一言も書かれていません。

何を言っても「暖簾に腕押し」状態の町長の態度に何を言う気もしなくなるしやる気すら失せるというのが怖い。だとすれば、山本議員、服部議員が指摘したように、「自治体の役割とは何か」をしっかりふまえ町政の重要課題を明らかにし、それに対する政策を対置してたゆまず議論を深める努力する以外にないと思わされた一日でした。

写真上は山本議員に答弁する勝山町長。下は超満員の傍聴席。







  9月16日(火)
めずらしくほぼ徹夜。共産党ファンクラブの会議に間に合わせるためにニュースをつくっていたのです。ニュース作りは2,3日集中的に仕事をしなければならないのに加えて、総選挙が近いというので俄然忙しくなりはじめたというわけです。
先にも書いたとおり、予定候補者と会長との対談の原稿をまとめるのに一苦労。候補者に原稿を全面的に手直ししてもらい、ようやく紙面に記事を詰め込むことができました。これで「初稿出し」ができます。
たったA3裏表4ページの白黒ニュース(今回は増刊号で6ページ立て)でも、沢山の人が原稿を寄せ、しかも数人が何度でも校正をして正確を期しているので時間がかかります。集団でよく討議して、読んでもらえる記事、役に立つ記事を作ろうとしている点は池田ファンクラブの最も評価できるところです。
町の4割の世帯にニュースが届けられていると言っても、どれだけ読んでもらえているかは定かではありません。しかし、確かに待っていてくれる人がいるのですから、これからも手を抜かないでしっかり編集をしていかないといけませんね。

土井隆義さんの「友だち地獄」という新書があります。筑摩書房から今年の3月に出版されたものですが、知ったのはほんの最近。まだ半分ほどしか読んでいませんが、久しぶりに頭を強烈に刺激される分析力に触れることができたようです。
現代の子どもたちの人間関係のありようを深く解明しており目を開かれる思いでした。
現在毎日のように中学生・高校生と接しているわけですから、かれらのことをよく知っておくことはとても大切です。もっとも、この本から彼らを逆照射するというより、目の前にいる彼らをもっとよく知るために読んでいるわけで、この本の内容をすべて鵜呑みにするわけではありません。
塾に来ている生徒たちは、ある意味で「恵まれた」子どもたちであるとはいえ、様々な家庭環境を引きずっています。会話もとてもついていけないような内容にわたることがある。
昨日ある子が友だち関係のことを「いじる」という表現をしていました。「あの子はひょうきんでいじりがいがある」という言い方。そのときはあまり気にも止めなかったのですが、この本によれば次のようになる。
かくして「優しい関係」を営む子どもたちは、いじめて笑い、いじめられて笑う。傍観者たちもまた、それを眺めて笑う。互いに遊びのフレームに乗り切り、彼らが「いじり」と呼ぶような軽薄な人間関係を演出することで、いじめが本来的に有する人間関係の軋轢が表面化することを避けようとする。そのテクニックは、テレビのバラエティ・ショーなどから学ばれることも多い。互いに「いじり」あうことによって観客の笑いをとる芸人たちの言動は、彼らの教科書として機能している。(32ページ)
この本の中ほどでは、30年ほどの間に子どもたち自己イメージがどのように変遷してきたかを分析していますが、このあたりは大変説得力があります。私自身の昔を思い返せばいちいち思い当たる節もあるわけで興味が持てました。ただ、分析が深いので、読み込むのに時間がかかる・・・。じっくり向き合って考えをめぐらことができる本だと思います。


  9月14日(日)
昨日雨が少し降って、今日はまた晴れ。向かいの田んぼでは稲刈りの機械の音が響いています。じっさいにその仕事をしているのは一人の男性とあとは機械だけ。稲を機械で刈り取って、ときどき軽トラに籾を入れ、また機械を動かす。昔の稲刈りというイメージとはおよそかけ離れたちょっと寂しい光景です。
果たして今年はいくらで米が売れるのでしょうか。高齢化がすすみ、生産者米価が下落した現在、このように省力化しなければとても採算が合わない米作りを象徴しているような気がしてなりません。

野菜づくりの労働からちょっと解放されたこのごろ、2,3日前から時間を見つけて本を読んでいます。
昨日から今日にかけて読んだ本が2冊。「雨宮処凜×佐高信 貧困と愛国」「麻生太郎 とてつもない日本」です。不安定雇用の地獄の底で翻弄されるフリーターなどの若者たちに自らの体験から「社会へのめざめと貧しい者同士の連帯」を説き、かつ活動する若い雨宮さんと、教師から経済誌の編集者となりさらに経済小説へと転身、現在は日本社会の様々な分野の問題に積極的にかかわりつつある佐高さんとの対話は新鮮で刺激に満ちている。
次から次とフリーターの生活苦の実態や過労死寸前のサラリーマンの実態が語られる。それは何も都会の片隅の特別な青年たちに見られることではありません。一年間にイラクの戦場で殺された民間人よりも日本の自殺者の方が多いとするなら、日本はもうすでに戦場なのではないかという指摘もすごいし、何より彼女の謙虚さ、社会をリアルに見つめる視点がすばらしい。対話の中で自己を見つめ直し確認していく姿勢はちょっと他では見られない。出色の現代論になっています。
これに対して次期首相と目される人の認識はどうか。「ニートもすてたもんじゃない」という章で、「今の世の中、餓死する程の貧しさが存在するわけではない。ニートはニートのペースで生きていくことを認めてもいいのではないか。あれもスローライフの一種だ、くらいの余裕を持ってみることも、たまには必要なのではないだろうか」ときわめてノーテンキな言い方です。24歳以下の非正規雇用率が50%にのぼるというのにです。
「国、政治家ができることを放棄するつもりはない。ニートの生活を支える親の世代もいずれは死んでしまう。そのときに、ニートから抜け出せる方策を作っておくことは政治家の仕事だと思う」と言いつつ、「しかし一方で、人様の生き方にまで国家がとやかく枠をはめてしまうこともないと思えてならないのである」と言うのですから、若者には未来も何もあったものではありません。
労働者は様々な権利を幾多の闘いを通して勝ち取ってきた。「憲法を職場の外に置いてこい」という話は戦後ずっとあったし、未組織労働者にとって憲法はある意味で絵に描いた餅にすぎなかった。そして現在は圧倒的な労働者にとって憲法はますます疎遠な状態になってきている。こうして社会の隅々から民主主義的な要素が削り取られているいまだからこそ、労働者としての基本的権利をあらためて団結の力で闘い取る以外にない時代を迎えているのではないのでしょうか。
同時に「世界10月号」で政策提言「若者が生きられる社会のために」を詳細に発表している通り、政治の場での一大争点にしていくことが必要です。
このことを通してのみ、日本の本物の民主主義を下から作り上げていくことができるのでしょう。そのたたかいはまだ萌芽的とはいえ、あちこちで始まっています。


  9月11日(木)
気持ちのいい晴天が今日で3日目。あまりにポカポカ天気なので畑に出て汗を流す気も出なくて、ただひなたぼっこ。
池田では黄金色の稲穂が重く垂れいよいよ収穫のときです。たぶん今度の連休にかけて稲刈りが本番を迎えるのでしょう。おいしい新米が早く食べたいですね。


我が家の周りはコスモスが今を盛りと咲き誇っています。どうですか、この満開のいろどり。私はコスモスの強さにちょっと辟易していて、どこにでも生えて他の植物を駆逐していくのは気に入らないのですが、いったん花が咲き始めるとやさしく可憐なのに華やかな広がりを感じさせる雰囲気はたとえようもなく、ついそのままにしてしまうのです。
コスモスは種が落ちて生えるままにしておくとどんどんはびこるので、今年はできるだけ生える範囲を限定ししっかり管理するようにしました。それでも一株が大きくなると菊などは陰に隠れてしまい、このあとの花が心配です。コスモスもピークを過ぎたら種を取り、根から起こしてしっかり取り除き、来年にそなえなければと考えているところ。そうすれば来年もきっと一面美しい花を観賞することができるでしょう。





9.11グランド・ゼロから7年。世界はブッシュ政権の失政に引きずられて戦争とテロの蔓延する時代になってしまったのに、アメリカはいまなお軌道を修正することを拒むばかりか、その戦争政策をいっそう広げようと懸命です。
お祭り騒ぎのアメリカの大統領選挙を見ていると、この国のリーダーが標榜する「自由と民主主義」がいかに危ういものかが透けて見えます。9.11から何を教訓とするのか全くとらえることができない。「テロをなくすため」に軍事力を行使してさらなる暴力の連鎖を生み出し、みずからの足下をテロの拡大で崩していく悪循環の構図が理解できない指導者に自由や民主主義を口にする資格も能力もないと言わなければならないでしょう。
「Foreign Affairs」誌にオバマ、マケイン両大統領候補の主張が載っていたので読んでみました。
読んでの感想は、どちらの候補が大統領になっても、ブッシュと変わらないか、いっそう悪くなるという印象。両者に大差はありません。
まずオバマ候補。
「アメリカのリーダーシップを刷新する」と題した論文(昨年7月)では、冒頭戦後歴代の大統領ルーズベルト、トルーマン、ケネディの名をあげ、「国境を問わず、世界の数十億の人々が望む自由のために立ち上がり、脅威に立ち向かった。行動を起こし、模範を示すことで彼らは世界を主導し、危機から救い出したのだ(中略)アメリカが最善の社会を実現していることを世界の人々に示すために、アメリカの力を用いてきた」と「格調高く」語りかけています。そこには、ベトナムへの侵略戦争の反省もなければ、冷戦下核の脅威を恐ろしいまでに膨らませてきたことへの言及も、南アメリカ諸国や中東・アフリカ諸国への軍事介入などへの批判も全くみられません。それどころか「いまや我々はこうした創造的なビジョンを備えたリーダーシップを再び必要としている」と続けます。
9.11以降のブッシュ政権のイラク攻撃に対して彼は激しい口調で「9.11という非通常型の攻撃に過去における通常型の思考で対処し」「軍事的な手法でなんとか対応できる、国家を単位とする問題と誤認し」「悲劇的なまでに間違った思いこみ故にたたかうべきでなかったイラク戦争へとのめり込んでいった」と指摘。これに対して過去の大統領の「基本的洞察をいまに復活させるのだ」と説いています。
「イラクに本当の平和と安全をもたらせるのは、イラクの指導者だけである」という認識は、アメリカへの高まる国際的な批判や国内の批判を一定程度反映したものと見ることができます。
ではどうやってアメリカのリーダーシップを刷新するのか。「アメリカの世界におけるリーダーシップを刷新するには、直ちに米軍の再活性化に取り組む必要がある」「グローバルで柔軟な戦略を展開する力を持つ敵に対処していくためには、地上軍を投入する必要がある。したがって、陸軍兵士を6万5千人、海兵隊員を2万7千人増やす必要がある」とのべ、アメリカ人の生命や財産が脅かされた場合は「単独でも軍事力を行使することを私は躊躇しない。さらにグローバルな安定を支える公共財としての安全保障を守るためなら、自衛概念を超えて軍事力を行使することも検討しなければならない」と言い切っています。そして、対テロのためには「情報組織の機構改革を再検証」し「人的諜報にもっと資金を投入し、現地の文化や言語に精通した情報エージェントや外交官をもっと外国に送り込む必要がある」と続けています。ただブッシュと違うのは相手国との「直接交渉」を持続的に試みることだというのです。
「NATOを強化するとともに、われわれはその他の死活的利益を共有する地域で、新たな同盟関係とパートナーシップを模索していく必要がある」とのべ、最後にアメリカ建国の理念に立ち返ってアメリカを再生する決意を述べています。
続いてマケイン候補。
彼は冒頭トルーマンの言葉を引用してはみても、オバマ候補のように美辞麗句を並べ立てるのではなく、ある意味では大変率直にアメリカの「使命」を語っています。
「次期大統領に託される任務とは『自由、安全、機会、繁栄、希望』を基盤に恒久的な平和を築いていくこと」だとのべ、「共有する大義を軸に世界をとりまとめる必要があるし、この役割を担えるのはアメリカ大統領だけだ」と大見得を切っています。
ブッシュが間違ったのは、包括的な見取り図を作らずに戦力を投入してしまったことだとして、今からでもイラクでの戦略のアウトラインを描き「成功を収めるまでイラクにとどまるべきだ」とオバマとの違いを強調。なぜ留まるかというと「そうできなかったときの帰結があまりに甚大だからだ」であり、もしイラクでアメリカが敗北するようなことがあれば、世界はアメリカを無視し勝手な方向に歩き始め、テロリストの思うつぼになると主張するのです。
NATOへの戦闘ルールに関する制限をなくしNATO軍との長期的なパートナーシップを通じてアフガンへの関与を「大幅に強化」するのはオバマと同じ。米軍の強化について「私が大統領になれば、陸軍と海軍の規模を現在想定されている75万ではなく、90万へと引き上げるつもりだ」と主張したり、装備や諜報能力を格段に引き上げるという言うのもオバマ候補と全く同じです。
共和党の候補らしさが目立つのはオバマ候補より一歩突っ込んでアメリカを盟主とする世界再編の見取り図を掲げていることです。それはNATOなどの軍事同盟関係をさらにすすめて「民主国家を『民主国家連盟』」という一つの機構のもとで連帯させるべき」だという点。「立場を共有する諸国が平和と自由のために協力するような国際機関であり」「国連がうまく対応できないような案件に対処」するのだというわけです。私が大統領になったら一年目に各国首脳に提案するというのですから、危険きわまりない。
そしてもう一つ。ロシアに対する「新しい路線」です。ロシアは覇権主義の過去に回帰しつつあるから「G8を主要8カ国ではなく、市場経済と民主主義を実践する主要国だけのクラブにする必要がある。ロシアを排除して、新たにブラジルとインドを参加させる」のだそうです。これは新たな冷戦の構図ではないのでしょうか。
日本に対しても注目すべきことを主張しています。
「日本が国際的なパワーになることを歓迎するし、見事なビジョンである『価値外交』を支援するとともに、国連の常任理事国入りも支持する」「大統領として私は、オーストラリア、インド、日本、アメリカというアジア太平洋地域の主要な民主国家による4国間安全保障パートナーシップの制度化」を模索するとまで踏み込んでいるのですから、もう完全に大統領になったつもりです。

長々と引用してきましたが、要するにどの候補になったにせよ、多少の色合いの違いはあれ、軍事外交については全く変わらない、それどころかいっそう危険な道に世界を導く恐れがあるということです。
自民党総裁選挙で競い合っている5人が、アメリカのこうした戦略に完全に盲従していることは言うまでもありません。

世界10月号の「脳力のレッスン」で寺島実郎さんは次のように書いています。
「米国についていくしか選択肢はないという思考停止の中で」「『米国の要望があればいかようにも変容する日本』という国際イメージを形成し、ブッシュとともに沈下する日本をもたらした」小泉政権。「米国なき世界」とさえいわれる全員参加型秩序に向かう世界において、『日本は米国周辺国に過ぎない』という近隣の目線を超えて、米国への過剰依存と過剰期待のパラダイムを脱却することが、21世紀日本の基軸とされねばならない」
来るべき総選挙はそうした意義を持つ重大な選択の機会となるはずです。


  9月9日(火)
今日は久しぶりに夕方からの仕事がない日。出かけなくてもよいと思うと気分的にものすごく楽です。
そうはいってものんびり寝てばかりもいられません。午前中は「ファンクラブニュース」の特集のための「候補者に聞く」をプロデュース。ファンクラブ会長が長野2区の共産党候補者に聞くという趣向で、お二人に我が家においでいただいて総選挙向けの対談をしてもらいました。
話し合いにも熱が入り、終わったのが午後1時近く。このあと、今日の話し合いをもとに私が対談の編集をすることになります。結構しんどい仕事になりそう。



その話の中で、ある政党の一枚のポスターが話題になりました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「打倒CO2」ってやつです。はじめこのフレーズを聞いたときは何のことかと思いました。とっさに思ったのはCO2を打倒したら植物は生きていけないということ。従って人間も生きていけないということ。中学生に「光合成のしくみ」を教えている身としてはこれは譲れない。この政党はこれをどう説明するのかしらね。
そこでウェブ上でちょっと検索をしてみましたら、その政党の青年局の該当ページがヒットしました。
それによるとこのキャッチは「ワカモノを元気にする7つの政策」の一つなのだそうで、その解説には「地球温暖化は待ったなし!『打倒CO2!!』くらいの強い決意がないと地球は守れません」とありました。
このほかにも「幸せな2人が、一番苦しかったりする」とか「危機一指(ワンクリック)」とか、それぞれにポスターが作られていてあちこちに張り出されているらしい。候補者の岸野さんは、「この政党が打倒したいのはCO2ではなくて別のものなんじゃないか」と言っていましたが、確かによくよくこのキャッチの裏を読み解くと面白いことに気がつきます。しかし、それはここではちょっと書けないかなあ。あまりにもよく出来すぎているからね。

今日は朝からさわやかな晴天になり、気持ちのいいこと。こんな日に、日中家の中にいるのもしゃくなので、午後からは今度は我が家の庭でまたまた伸び始めた雑草を「打倒」していました。汗をかいて4時頃ひきあげ、ちょっと休憩。それから妻は大町に演劇鑑賞へ。私は久しぶりにウオーキングのホームページの更新作業をしました。何しろ3ヶ月ぶりくらいの更新。この間、消えてしまっていたカウンターを復活したり、あまりにも古い記事を入れ替えたりしてようやく午後11時過ぎ完成。
これから農作業も少しずつ軽くなるし、秋のイベントも近いので、また更新作業を復活させなければなりません。


  9月8日(月)
昨日のこと、かつて数学を教えていたことのある旧塾生(現高2)から個人指導を依頼されました。母親同伴で大町の塾に来てもらいオーナーと一緒に話を聞き、結局引き受けることになったのでした。
週6日の定時の仕事に加えて日曜日追加2時間の仕事。指名してもらえるのは嬉しいことなのですが、ますます自分の時間がなくなっていく一抹の不安がないわけではありません。妻は「身体をこわさないようにしなさいよ」と案じてくれるのですが、私の方は元気なうちは働けるのがよいという考えになっているので引き受けることにしたのです。働けるとしてもあと2,3年のうちですから期間限定。65歳定年と割り切って、若い生徒たちと交流しているのも悪くありません。彼らに関するいろいろな情報も仕入れることができますしね。
ただ問題が一つ。いままでは高校受験が中心でしたから全く問題はなかったのですが、これからは大学受験。引き受けた子も数学は得意中の得意、しかも医学部をめざすというのでこちらもかなり「武装」しなければなりません。鈍った頭を鍛え直すのは容易なことではなく、当分は悪戦苦闘する日々が続きそうです。

多少の副収入があるとはいえ、いつ年金だけの生活になるかわからない状態でコンピュータをあれこれいじるのは大変です。ハードは数年持ちますけれど、ソフトの更新代金がばかにならない。PhotoshopやIllustratorなどというソフトを更新するだけで数万かかりますから、今はしかたなく古いバージョンで我慢しています。このままの環境を維持しようとすれば、普段使うものでどうしても更新しなければならないソフトや更新したいものもあるので、思い切って完全にOSをLinuxに完全に移行しようかと真剣に考えているところ。(いままでも何回となくそう思っていましたけれど、年金生活になっていよいよ切実感がましている・・)
初期投資として新しいハードを組み立てれば、あとはほとんどのソフトはフリーで利用させてもらえます。最近はデスクトップOSも進化してきており安定した環境を提供しているので、ホームページの作成・更新やメールチェックなどはそれで済ませることができるはず。リナックス版のないiTunesもオープンソースの音楽プレイヤー・ソフトSongBirdの開発が進められていることなどを考えれば、ほとんど不便を感じなくなってきています。
世界の有能な頭脳がこうしたオープンソースの開発に携わっているのは興味深いことだし、人類の未来をみるような気さえします。ただ、ディストリビューションがあまりに細分化・多様化すれば利用者への負担や不便を増大させるだけだし、これらを利用した商用のソフトが過度のもうけ主義に走れば、オープンソースの理念が失われる危険も内包しているわけで、課題がないわけではありません。
OSが変わったりソフトが更新されるたびに多額の支出を強いられる現在のメジャーなソフト会社の路線は長く続くとは思われないので、そろそろ私も路線修正する時期かなと。前から何度もそう書きながら、使い勝手が便利な現在の環境に慣れっこになって、ついついLinuxの環境さえ消してしまった現状ですから、今一度よく検討する必要があります。農作業のシーズンオフには、じっくりと省エネかつ効率のよいハード環境を整えて、さしあたりUbuntu(ウブントゥ:アフリカの単語で「他者への思いやり」や「皆があっての私」といった意味)あたりを試してみることにしましょうか。


  9月7日(日)
今日のお昼に、久しぶりに中国の若い友人が訪問してくれました。目的の一つは彼女が友達から譲ってもらったウオークマンに曲をダウンロードして入れたいということでした。
「日本のサイトから歌をダウンロードするにはお金がかかるよ」というとなんだか不思議そうな顔をしています。「中国ではタダだよ」と言うので、「そりゃまあ中国にはいろんなサイトがあるからねえ」と聞き流して、さてどうやって彼女のお気に入りの曲を手に入れるかを考えていたら「中国のサイトを見てみるといいよ」という。
yahoo!で検索してあるメジャーなサイトにつないでみると確かにあるある。ストレートにダウンロードは出来ないにしてもmp3やwma形式でちゃんと手に入れる方法もわかる。「これは日本ではみんな違法だよ」と言いながら、1,2曲を試しに取り込んでみた。いやはや時間のかかること。彼女はすぐにでも沢山の楽曲を手に入れることができると思っていたらしい。「こんなことやっていたらいくら時間があっても足りないよ。ちゃんとお金を払ってCDを借りてきて、それを取り込んだ方がはやいよ」と、今日は納得してもらったことでした。
中国語のサイトでは何が書いてあるかわかないところが多いし、日本の曲の名前も中国語翻訳なのでさっぱり。だから、それほど簡単にいろんな曲を手に入れることができるとは思われませんけれど、それにしても音楽配信会社が神経をとがらせるわけですね。まいった。

その彼女は、池田町にあるある精密機械の会社に研修生の肩書きで働きにきているわけですが、日本の企業からすれば研修生制度を利用した安上がり労働力に他なりません。別に何かを研修してその成果を持って帰るわけではないのですから。20歳くらいで基本給が12,3万円。寮費や保険料などを引くと手取りは約6万〜7万。水道光熱費は寮費に含まれるとしても、自分で食事をつくって生活をしているわけですから、どれほどの蓄えができるわけではないでしょう。その彼女も3年の雇用期間を終えてあと半年ほどで故郷に帰ります。
かつて、こうした制度に異議を申し立てた子は結局中国に帰されたといいますから、まったく弱い立場の彼女たち。規制緩和の中での現在の日本の労働力市場は、派遣やパートなどの不安定雇用と同時に、安上がりの海外労働力を底辺にして成り立っているということを忘れてはなりません。

午後からにわかに曇ってきてかなり激しい雷雨。まだ不安定な気象状況が続いているようです。雷嫌いのネコのハルちゃんはお出かけ最中で、どこかで震えて縮こまっていたのでしょうか。雨が完全に上がってから、ちょっと濡れて帰ってきました。
私は晴れ間をみて、イチゴの最後の植え付けを完了。来年はものすごい量のイチゴが収穫できそうです。ランナーの一つ一つを丁寧にポットで受けていたら結局大変な数の苗が出来て、それをほとんど全部植え付けてしまったのでこんな結果に。来年の5月末あたりはイチゴ狩りができますから、ぜひおいでください。心ゆくまで新鮮なイチゴが食べられますよ〜〜。

夕方から塾にでかけ、帰ってからメールチェックをしていたら、共産党衆議院比例代表の山口さんからのメルマガが届いていました。かねてから注目されていた京都市議南区補欠選挙で事実上の共産党・自民党一騎打ちの結果共産党の圧勝というニュースです。
「南区は衆院では京都一区。伊吹財務大臣の地元で、わが党は穀田国対委員長の選挙区。ここで一騎打ちに勝利したことは、総選挙勝利への大きな弾みをつけることができました」と喜びを語っていました。
自民党の総裁選挙は一体何人が立候補することになるのか。5人とも7人とも言われていますが、彼らの眼中には政権投げ出しの反省の弁は一言もなく、国民生活の苦しさに寄り添う言葉の一つも見られない。
石破前防衛相に至っては「これだけ油が高いのに他国にただで配るのはやめろと言う人がいるが、テロとの戦いは他国にやってくださいという日本でいいのか」と例の調子で虚仮威し。
油を多く使う産業の従事者が、どれほどせっぱ詰まった生活を強いられているかには全くお構いなし。テロの脅威でいえば、それを日々作り出している元凶がアメリカだということはもう国際常識になっているんじゃありませんか? イラクから軍事的に完全に手を引いて国際的な復興支援活動を本格的に始動させることが求められているのに、全くの軍事優先・アメリカ信奉の超タカ派ぶりです。こんな男が首相にでもなったら、日本は破滅への道をまっしぐらに転落間違いなしでしょうに。
テロとの戦いを言うなら、まずアメリカの無法行為をやめさせること。そして日本は日本国憲法の理念をかかげてテロの温床を絶つ平和外交を徹底してやるべきでしょう。石破氏の主張はますますテロを量産し日本を危険な道に追いやるものです。こんな亡国の発言は絶対に許されません。

TBS系列日曜劇場「tomorrow 陽はまた昇る」が今日最終回。妻が録画をしてくれていたので、毎回欠かさず見ておりました。
まじめでひたむきな人間群像を丹念にえがき、見応えのあるドラマに仕上がって実にさわやかでした。看護師役のエドはるみも確かな演技でなかなか好感が持てましたよ。いつアレがでるかと見ておりましたら最終回にさりげなくサービスしてましたね。
最終回がもう少し丁寧に描かれていればもっとよかったのに、急ぎすぎでちょっと残念。あと1,2回のばして描ききってほしかった。もうちょっと突っ込んで言えば、市の関係者で登場するのが副市長だけというのもおかしいし、いかにも悪役という顔の衆議院議員が病院閉鎖を根回しするという設定も不自然でぎこちない。「一体どの政党の議員さんなんでしょうねえ」と妻と話し合ったものでした。
市民病院の赤字が原因で市の財政が窮地に立たされているという設定はリアリティを持っているものの、市民がなかなか出てこない。閉鎖が市議会で可決され、大規模なリゾート地にされるときまってから署名が始まり、大事故が起こってから一転して市民病院が必要だという声がわきあがるという筋書きもわざとらしい。
そうした弱点をたくさん抱えつつも、今日的な切実な課題をテーマにヒューマンなドラマをつくり続けてきたスタッフ、キャストには敬意を表したい番組でした。


  9月6日(土)
このごろときどき死んだ母が夢に出てくる。というより、母親を看ている私が出てくるといった方がいいかも。
今朝などは、私の仕事の関係でどうしても母を施設に一定期間世話を頼まなければいけなくなり、手術をして退院したばかりの母をつれて施設の係の人とあれこれ相談しているというストーリー。「故人が夢枕に立つ」などという畏れ多いものとは縁もゆかりもない、かなり生活密着型の生々しい夢でした。
私はその施設の人に世話を頼むにあたっての注意事項を細々と伝えている、向こうも比較的親身に話を聞いてくれてはいるけれど、料金の問題で日割りではなく「月極になります」などと説明され「何とセコイ」と思うシーンまであって、これは一体なんなのでしょうかね。
まだ東京・神奈川で仕事をしていたころの舞台設定らしい。いろんな人が母の施設行きを手伝ってくれていましたから。「迎えに行く」と約束していた相手をすっぽかして叱られるというオチまでついていた。そして、最後には「これはやっぱり仕事を辞めて私が世話をしないといけないね」と決断しそう(!)になって目が覚めたのでした。
老いて無力になり私や妻のことさえわかなくなってしまった母でしたけれど、両手を握っていると実に優しい顔を見せてくれたことが悔いを多く残す私にとっては唯一の慰め。
最近は、母のことも忘れていることの多い毎日になってしまっているので、「あんたもう忘れたがけ?」と言わんばかりに夢の中にときどきお出ましになるのは嬉しいことです。


  9月3日(水)
「こんな風に政権を投げ出すようなことがあれば、韓国なら数万の人たちがローソクを持って街頭で抗議しますよ」と言った韓国のジャーナリストの発言が印象的でした。
自民党の両院議員総会での今日の福田さんのあいさつほど国民をナメ切ったものはありません。 国民への謝罪は一切なく、ただ自民党が国民の目の前でアメリカの大統領選挙よろしく華々しく徹底的に総裁選をやって欲しいというだけです。
新聞・テレビはさっそく自民党の後継総裁への動きを報道しているものの、結局のところ候補者の動きをただ興味本位で追っかけているだけ。麻生太郎が過去に何をしてきたか、どのような言動をはいてきたか、小池百合子がどのようにして現在にいたっているかということはタブー。おそらくは、日本のマスメディアは、易々とそれを利用した総裁選とその後の政策の押し出しの宣伝役を務めることになるのでしょう。

共同通信の世論調査によれば、今回の政権投げ出しは無責任であり、早く総選挙をやるべきだという声が多い一方で、自民中心の政治枠組みが依然として根強いことも示しています。
「次期衆院選比例代表で投票するつもりの政党については、自民党38・4%、民主党34・9%でわずかに自民党が上回った。支持する政権の枠組みは「自民党中心」が43・3%で、8月の前回調査より8・5ポイント上昇。これに対し「民主党中心」は41・7%で6・5ポイント減少した。内閣支持率が低迷した福田首相が退き、自民党総裁選で新たなリーダーが選出されることへの期待感が背景にあるとみられる」(共同通信社)
朝日新聞社も次のように報じています。
「政党支持率は自民29%(前回26%)、民主21%(同20%)などだった。いま投票するとしたらとして聞いた衆院比例区の投票先は自民28%(同27%)、民主32%(同31%)など。「政権投げ出し」という状況のなかでも自民の支持が堅調であることが目立つ」

結局麻生総裁になったら何かやってくれるのではないかという期待感ということなのか。だとすれば、まんまと自民党の策略に乗ってしまっていることになりますね。財界首脳も自民党・公明党も「もたもた民主党では頼りない、やっぱりここは国民に人気があり頼もしい麻生さんだろう」という声をいかに大きくするかを最優先に考えているわけですから。マスメディアもまた、自民・民主の2大政党制は既定のものとして、自公政権のゆきづまりの根本原因を追及するのではなく、民主党が政権政党としていかにも未熟だということを演出するはず。
まず麻生総理になって何が変わるのか。赤字国債を乱発してその場しのぎの景気浮揚策に打って出るのかもしれない。しかし、それで潤うのは大企業であって国民ではありません。公明党のように定率減税を廃止しておいて、一年限りの定額減税を選挙目当てで押しだし自党の手柄のようにかき立てる下劣さはあまりに見苦しい。アメリカへの忠誠も大企業への大判振る舞いも変わらないとすれば、国民生活はいよいよ苦しくなるだけです。
福田首相が政権を投げだしたのは彼の資質にあるのではなく、現在の自公政治の構造的な矛盾の一つの現れです。だとすれば、ここは、国民生活を窮地に陥らせている自公政治を打破する根本的な道がどこにあるのかを”しか”と見据えることしかありません。


  9月1日(月)
毎日同じような日を過ごしているうちに早くも9月。よく降った雨もあがって今日はまた朝から暑い日になりました。
今日は防災の日にあたりますが、池田町では昨日町内ごとに集落センターに集まって防災訓練がありました。内容は昨年と全く同じで、消火栓の扱い方、消化器の取り扱い方、バケツリレー、応急手当など。集まった住民は約1割と低調で、何とも危機感に乏しいのんびりとした訓練でした。もう少し住民への訓練の意義や内容、自宅での防災対策などの周知徹底が行われる必要があると思われたことでした。
とはいえ、我が家でも最近ようやく防災グッズをそろえ、すぐに持ち出せるようにしてはあるものの、それを持って避難訓練をしたわけでもないので、人のことはいえたものではありませんけど・・・。

アメリカ南部ではハリケーン「グスタフ」の接近でメキシコ湾岸の約100万人に避難命令が出されて避難が始まっているというニュース。
このハリケーンの影響で、「ドミニカ、ハイチ、ジャマイカでは少なくとも81人が死亡した」と伝えられ、キューバでもかなりの被害の報告。これから直撃をうけるだろうアメリカ南部では、「カトリーナ」の猛威の記憶も新しいだけに現地では大変なことになっているのでしょう。
これによって一旦下がり始めた原油価格がまた上昇する懸念も示されていることや、秋の台風との関連などを考えても、その動向から目が離せません。





ところで、部落の消防団員による消火訓練を見学しながらまわりの田んぼを見渡すと、もうすっかり稲も色づいて収穫間近。その上では無数の赤とんぼが飛び交って秋の気配濃厚です。まもなく稲刈りが始まる季節ですが、刈り終わるまで台風などの影響がなければいいのですが。

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夜仕事から帰ってさて食事をしようというときに、妻が「福田さん辞任したらしいよ」という。急いでテレビのチャンネルを「エド・はるみ」さんからニュースに変えて見ると、確かに辞意表明の記者会見の様子などを映し出している。まったくもう開いた口がふさがらないという第一印象でした。
しかし、いろいろ考えてみると、確かに福田総理なりにあれこれ「引き際」のシナリオを描いていたのでしょう。
このままズルズルと党内からも党外からも批判を浴びながら政権を続投するには忍びない。みっともないのたれ死にをするよりは今がチャンス、むしろこれから華々しく総裁選挙をやって新政権のもとで総選挙に打って出よう、と考えたか、党内や財界の誰かにそうしむけられたのか・・・。彼らなりに精一杯総選挙で票を集められる体制をと考えた一つの選択肢であったのでしょうが、国民の立場からはたまったものではありません。当然のことながらそんなシナリオを許すわけにはいきません。
このような政権投げ出しは、無責任さを通り越しており、自公政権の末期ぶりも行き着くところまで来たという感じですが、こうなれば、一刻も早く総選挙で国民の審判を仰ぐ他はありません。



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