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  2月23日(月)
今日は歯科の診療日。10時頃松本まででかけて11時から1時間みっちり奥歯を削られました。根っこが痛んでいるので、かぶせたものをまず取り外さなければならないのです。結構しっかりかぶせてあるので時間がかかる。痛みはほとんどなかったのが救いでした。仮詰めをしてくれるのかと思ったら、「詰めてしまうと圧力がかかって痛むことがあるのでそのままにしておきます」と言われポッカリ穴があいたまま。夕方パンを食べていて思わずその歯で噛んでしまってパンが詰まってしまった。一週間ほど不便です。

さて、その帰りのこと何気なく東山を見ていたら、「あるもの」がなくなっていることに気がつきました。東山にこれまであった「ままこ落とし」という名物土柱の「頭」がそっくりなくなっていたのです。
次の写真は2005年の秋のもの。土柱の頭に松の木が生えていますね。その木のおかげで土柱はその高さを保っていたのですが、昨日あたり、松の木の生えていたてっぺん部分がそっくり落ちて、なくなってしまったのです!!松の木あっての土柱でしたから、残念と言うほかありません。


2005年11月6日

砂や礫でできた土柱なのでいずれは浸食されてなくなる運命にあるとは思っていましたが、ちょっと早すぎた。
実はこの土柱、例の「ナニコレ珍百景」に登録するために先日テレビ局が取材にきたばかりでした。そのときまでは松の木はかろうじて残っていたのでした。まるで取材が終わるのを待っていたかのように崩落してしまったのですから、これまで頑張って乗っていた松の木に感謝しないといけませんね。
家に着いてしばらくしたら、やはり「ままこ落とし」の崩落に気がついてそばまで写真を撮りに行ったガイドマスターのMさんが我が家に寄ってくれて写真を提供してくれました。下はそのうちの3枚です。情けない格好になってしまった土柱です。









  2月22日(日)
2,3日前の新聞のコラムに映画「博士の愛した数式」にでてくるオイラーの公式のことがでていました。
オイラーの公式とは「全く起源の異なる重要な定数である円周率 π と自然対数の底 e が、極めて基本的な数、0(加法の単位元), 1(乗法の単位元) および虚数単位 i によって結びついているという意味で特異なものである」(Wikipedia)という次の等式を指します。
e + 1 = 0

この式は、で、θ=πとしたものですから、もちろんこちらが本質的といえるのでしょうが、それでも4つの特別な数を一つの式に統一しているという意味において「美しく不思議な等式」であり、全く特別な式なんですね。だから、「博士」も格別の思いを抱いていたと思われます。

中学にしろ、高校にしろ、数学(数学でとらえた自然や数式そのもの)のこうした美しさに触れることはまずありません。中学ではせいぜい「三平方(ピタゴラス)の定理」ぐらいだし、高校では微分と積分の関係式があるけれど、積分の導入そのものがいい加減になってしまっているので、その意味が全くわからなくなっている。しかも「数学がいやだから文系」という生徒をどんどん作っている現状の数学教育のもとで、こうした数学の「美しさ」に触れるなんてことはほぼ絶望的じゃないんでしょうか。

学生運動華やかな時代に、その運動の合間に数学をちょっとだけかじっていた私ごときに高等数学を語る資格もないのですが、私が数学に多少とも興味をもち、今も中高生に数学を教えているのは、私にも「博士」がいたからなんですね。
その「博士」は私の家族と同じ町内に住んでおりました。奥さんは中学の先生で私の一年生の担任。男の子も「オイ、○○」と呼ぶような男女でしたが、その旦那である「博士」は静かで精悍な紳士という風貌。私が高校に進学したとき、近所のよしみで母がその旦那さんのもとへ私を数学を習いに通わせたのでした。
彼は体が弱かったために予備校の教師をしており、私にとっては数学の生き字引で、まさしく数学のために生きている(と私には思えた)ような人でした。高校の後半はほとんど私だけのいわば個人授業。その先生のおかげで数学に興味が持てたと言っても過言ではありません。
高2の頃までには高校での数学はほとんど終わってしまっていたので、その「博士」は折に触れていろんな数学の話をしてくれたのです。印象に残っている一つは、集合論について語ってくれたこと。無限の数を数えることに挑戦したカントールの話や不思議な記号(アレフ:集合の濃度をあらわす記号)がしばらく頭から離れなかったことを覚えています。
大学では高校とは全く異なる数学の手法が使われること、とくに極限や連続性のとらえかたは高校とは違うからねと話してくれていましたが、そのころは全くわからなかった。
今にして思えば、学生運動も大事ではあったけれど、もっともっとしっかりと勉強しておくんでした。あとの祭り!!

昨日はこの地域の進学校の生徒たち(高1)と学年末テストの準備をしておりました。進路を聞くとほとんど文系。将来の職業や夢の方向がそれなら問題はありませんけれど、数学ができないから文系などという進路の決め方では困りますね。少しでも数学に興味を持ってくれるように私もしっかり対応しなければと思います。なにしろ最後の生徒たちになりそうですから。



  2月21日(土)
今日もちょっと早く目が覚めて、メールチェックをしていたら、あるソフトの紹介がありました。そのフリー版を使って次のようなスライドショーを作ってみました。


このソフトの名は「TMPGEnc その場でスライドショー」。数年前に発売されて、密かなブームを呼んでいた「LiFE* with PhotoCinema」の簡易版のような印象ですが、フラッシュアニメを作るLife*と違って、これはいくつかの写真を一つのwmvファイルにまとめるだけ。Life*の方は動きがあって「映画のような」楽しいファイルを作ることができるけれど、一面ちょっとクセがあって若者向きかも。その点、こちらの方はじっくり写真を見せることに重点をおいて、切り替わりのエフェクトとか効果音などで変化をつけるというもので大人(高齢者?)向きですかね。(効果の付け方によってはかなり動きのあるものも作れますよ、念のため)
このソフトはフリー版で見る限り大変扱いやすく、ちょっとしたスライドショーをホームページに貼り付けるには効果的かもしれません。それなりに使えるソフトですね。
ただこれをHTMLファイルに埋め込むのにちょっと苦労。いろいろなブラウザでどのように見えるのかもまだ試していません。ただファイルを作ればいいというものではありませんからやっかいです。

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昨日は、会議のあとすぐに大町まで仕事にいき、帰ってから食事をして「必殺2009」(録画)を見ていたら眠くなって終わるやいなやバタン。
ところでその昨日の「審議会」のことですが、最後の懇親会もあったので、結構おもしろかった。
まず午後3時から1時間ちょっと最後の意見交換をして、その後は町長に答申を提出しました。
今回は欠席者も多くてさみしい会議でしたし、発言する人もそれほど多くなく、「人選」という意味で審議会のありかたにかなり問題を残したような気がしました。他の人が発言しないので勢い私の発言が目立つようになる。しかし「言うべきことは必ず言う」と覚悟を決め準備して臨みましたから、それは曲げるわけにはいかない。
あとの懇親会で「はい、いちばんよく発言したMさんに締めの挨拶をしていただきましょう」と皮肉とも激励ともつかないことを言われてしまいましたしね。
かつて教員をしていた頃にこんなことを言われたことがありました。「黙っていれば賛成したことになるから、もし反対ならたとえ一言でもいいから『反対』と言え」。それ以来、このことは現在の私の信条とも指針ともなっているのです。
ただ今回の審議会の場合には、べつに「反対」するために出かけたわけではなく、あくまで建設的な意見をのべて審議の進行に協力するという立場で臨んでいたつもりです。だから、理解できないところ、もっと審議をつくすべきところ、構成上問題があると思われるところについては積極的に関わって意見を述べてきたし、修正意見もたくさん出してきたわけで、それなりの役割は果たせたと思っています。
この審議会の後は町長も参加して審議委員と役場の担当職員によるご苦労さん会がありました。ある職員の方が私のホームページを(他の町民のホームページも)読んでいると話してくれました。ときどき町民から「読んだか?と聞かれることがあるから」だそうです。
町長も含めて新しい町のみなさんとお知り合いになれて、その意味では大変有意義な懇親会でした。私も、例の「花と緑」の構想をしゃべりまくって、自分を追い込んでおりました。



  2月20日(金)
夜半から雪になり、池田町は初めての本格的な降雪。今朝はいろんな夢をみたあげく朝5時頃に目が覚め、新聞を読んでいたのですが、6時少し前にふと外を見るともう真っ白。10センチ以上積もっていました。初の除雪車出動です。
発達中の低気圧が通過するに伴って全国に雨や雪を降らせているのでしょう。早朝さっそく外に出て雪かきです。去年は2,3回やった記憶がありますが、今年ははじめて。湿った重たい雪なので結構力がいります。久しぶりに汗をかいてしまいました。


ネコのハルちゃんは、こんな日は天井裏に上がってずっと寝ています。腹がへるとときどき下に降りてきては、食事をねだってまた昼寝。気ままな暮らしをしています。雪が降るとネズミもスズメも捕ってこないので安心。


さて、今日は午後から池田町第5次総合計画の最終審議会と答申の提出日です。今日はセレモニーが中心でほとんど議論する余裕もないのでしょうが、意見の時間があれば次の3点を言っておこうと思っています。
その第1は、審議会のありかたについて。町長の意向をうけた町当局が作成した原案を審議して意見をのべるという形式の審議会ですから、結局は町主導。町民の意思を盛り込むという点ではきわめて不十分です。従ってこれを決定するまでの間に、原案を町民に示して幅広い意見を聴取する時間的余裕が是非とも必要です。3月議会でろくに審議もせず採択するのは拙速と言わなければならないでしょう。
第2は、例の「より経営的視点に立ち」という考え方につい て。これは同意できないと強調しなければなりません。
これまでの審議の中ではなぜ「経営的視点」が必要なのか、十分議論されないまま、一般的に自治体の財政運営を企業の経営努力と同等にみたり、民間では骨身 を削るような努力をしているのだからという程度の支持理由しか述べられていません。しかし、問題は自治体のあり方がここでは問われているわけで、「経営的視点」は「徹底した住民奉仕という視点」に置き換えられるべきです。
第3は、町長のリーダーシップの問題。これからの町づくりをすすめるには、町民が納得する町づくりの明確なビジョンと重点を押さえた具体的な方針が必要です。
そこではこの計画もさることながら町長のリーダーシップが必要になるわけで、町民の声をいろいろな機会に聞きそれを行政に生かしていくこと、また、町民自らが自分たちの町作りに関わることを促す施策が求められます。
これに関しては、これまでの審議経過はウエブ上では第一回目が公開されているだけですから、早急に経過を公表すべきでしょう。


  2月17日(火)
今日は週一回の仕事休み。夕方からの仕事がないというのは実にゆったりした気持ちにさせてくれます。
午後からは池田町公民館で開かれたある講演会にでかけました。これは公民館で行われている勉強会の企画の一つで、教養を深めることを目的に毎回いろんなテーマで開かれてきたものです。とくに今回は私の英語の先生が講演するとあって、これはどうしても出なければ。
会場はわりと年配の女性の方たち30人ほどが集まり、男性は数えるほど。事務室にいって講師に挨拶すると「よけいにナーバスになる」と照れていました。
彼はカナダの大学を卒業後、ネパール、オーストラリア、東南アジアなどを自転車(マウンテンバイク)旅行。冒険を求めて世界を駆け回った経験をスライドを通して話してくれました。


まず、自分の旅行は観光地を回る旅行ではなく、大まかな日程以外はすべて現地で計画。車ではなくマウンテンバイクで回るので、いろんな人たちに出会え、普通の観光客の気がつかない様々な景観に出会うことができると話していました。
ここでは話してはいませんでしたが、我が家に来たときには3回銃を向けられ恐ろしい思いをしたことも白状していました。楽しい経験ばかりではなかったことは当然です。それでもすごいバイタリティ。
いろんな経験談を話したあと、人間には「できない理由を探す人」と「できる方法を考える人」がいると話し、家族と外に出る場合でもどうしたら子どもを連れていっしょに楽しめるかをいつも考えていると自分の工夫を紹介。会場では「何かやらないといけないなあ」という声があちこちから聞こえていました。
講演のあと、彼とローカル紙の若い記者を近くの喫茶店にさそって慰労のお茶会。楽しいひとときをすごしました。
白馬にニュージーランド出身の青年がいるから旅行の前に一度紹介してくれるそう。交流の輪が広がることは楽しいことですね。


  2月16日(月)
中川財務相の主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見での、あの無様な姿はもうどうしようもありませんね。これで麻生内閣は崩壊でしょう。日本の勤労国民をこれほど危機的な状況に陥れながら、それに対する責任のかけらもないうえに、世界中の人々に飲酒(?)ベロベロ会見を披露したのですから世界中の笑いものです。ただ妻の言うには、風邪薬とワインなどを飲むと悪酔いすることがあるのだそうですが、酒をのまなければそうはならないわけで、あの状態の言い訳にはなりません。場合によっては体調が悪いので会見をキャンセルすることだってできたはず。
もうこうなったら、すべてこみこみで総選挙でスッキリ・ハッキリさせましょう。日本にも自浄作用はあるのだということを示さないと。
見たくもない映像ですけど、さっそくこんな記事がありました。

アメリカ abcNEWS
ヘラルド・トリビューン
Times Online
The New York Times
BBC NEWS


  2月14日(土)
先日は雪は降ったものの春の雪、今日も朝から何とも暖かい陽気です。
朝8時頃何気なく西の空を見ていたら大きな虹が。日が低いので上の方が切れた虹でしたが、時間が経つにつれて虹も低くなって全体がくっきり見えるようになりました。
2年半前に見た虹よりは見劣りしますけれど、それでも左の端が松川細野地区に、右の端が池田堀之内あたりにかかっている虹はちょっと意味シンで、なかなかの見ものでした。しばらくタバコをくゆらせ、コーヒーを飲みながらウッドデッキで虹を眺めていたことでした。見ようと思ってもなかなかお目にかかれない情景ですからね。すぐ近くの千本木からも一人写真を撮りにきていました。




2年半前の写真もあわせてウオーキングのページでも紹介していますのでごらんください。

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一昨日の小泉発言「怒るというより笑っちゃうくらい、ただただあきれている」を聞いて、そっくりそのままKOIZUMIさんにお返ししたくなりました。
こんな事態をまねく原因をつくったのは竹中さんといっしょに「規制緩和・構造改革」の新自由主義路線を突っ走り、郵政民営化、三位一体改革をごり押ししてきた張本人でしょうが。そりゃフロッピー麻生総理の「私は反対だった」はありませんけど、同じ穴の中でなじりあっているのも実にみっともない。KOIZUMIさん発言について、あれは遠回しの激励だとか、いやそうではないんだとか、評論はいろいろ出ていますが、当時はKOZUMIさんもASOさんも財界・アメリカの意向にただただ忠実に、何にも考えずにやみくもに走っていただけですから、自分の責任を棚に上げて「笑っちゃう」発言はKOIZUMIさんの人間性を疑わせるものでしょう。もっとも本人は「劇場」の主人公気取りでちっともそんなこと思っていませんけど。
当の郵政事業はいったいどうなったのか。国民に不便はかけないといいながら、あちこちで郵便局が閉鎖されてきたじゃありませんか。国民の財産「かんぽの宿」が破格の値段でオリックスに一括転売されようとしたけれど、これはさすがに白紙撤回せざるをえなかった。
こんな話があります。2007年に鳥取県岩美町の「かんぽの宿鳥取岩井」を東京の不動産会社が旧日本郵政公社から1万円で一括で買い上げ、直後に6千万円で鳥取市内の医療法人が同町内に設立した社会福祉法人に転売されていた事実がわかったというのです(2009.1.31/asahi.com)。こんな詐欺同然のことが許されていいんですかね。しかし、これこそKOIZUMIさんが期待したことでしょう。
ちなみに、私の父は郵便局で長い間簡保の係をやっていました。尋常小学校卒の資格しかなかった父は、出世とも縁遠かったけれどそれでも黙々と働いていました。昔から庶民の命綱の役割を果たしてきていたんです。それが昔の簡保。

今日届いた井上参議院議員のメールにこんな替え歌が添えられていましたので紹介します。津軽海峡冬景色の曲で歌ってみましょうという井上さんのおことばです。

♪アメリカ発の金融危機が 起きた時から 政権維持は やぶの中
期待された経済対策 何もできずに 支持率だけが 落ちてゆく
私は辞めぬ 替われる人いない まんがオタク 漢字読めぬ 何が悪いか
ああ〜麻生内閣冬景色

♪ごらんあれも二世議員 出来が悪いと 多くの人が 指をさす
思いつきで補正予算 出してみたけど 身内にケチをつけられる
解散しない 私は続けたい 公明までが 政権ゆする 辞めろとばかりに
ああ〜麻生内閣冬景色

♪さよならしない 私は続けたい やっとなった 首相だもの 辞めてたまるか
ああ〜麻生内閣冬景色




  2月13日(金)
今日の午前中は恒例の囲碁の会。初めて会う人もいました。成績は2勝1敗。きわどいところでしのいだ勝負とポカミスでしてやられた勝負と悲喜こもごも。一局でも終わると「ふ〜〜」となるのに、3局もやると結構疲れます。帰りには指導者のIさんを送っていったついでに、ごちそうになってきました。



さて、妻は今日から日曜日までボーリング大会で博多に。えらい遠いところまで試合に行くもんだと感心するやら○○○○やら。楽しみつつ、いい成績を残して無事帰ってきてほしいものです。
というわけで、日曜日まで一人。一人のために食事を作る気にもならないので、ついつい外食頼みになってしまいます。それでも、時間があれば好きな献立で料理をつくって、思いっきりたべてみましょうか。

13日の金曜日は月違いの母の命日。来月も13日は金曜日。ある意味では覚えやすいのですが、このごろ忙しさにかまけてなかなか思い出せなくなって母に申し訳ない。
私が母のことを思い出して、何がいちばんすぐに出てくるかというと、やはり手のぬくもりですよね。私を見て安心したように笑顔を見せて、手を取るとしっかり握り返してくれる。そうすると、ああ、もっと優しくするんだったと苦い思いがこみ上げてきます。
昨日の総合計画審議会で、町の重点施策で大切なのは福祉をより充実させることだという趣旨の発言をしたあとで、母の介護のことを少し述べて「私のような思いをしてきた人がたくさんいる」と強調しました。
しっかりしていた肉親が精神的に壊れていくのを見るのはつらいものです。単に言葉とか身なりとかではなく、行動全体でそうなるわけですから、介護する方がどんどん追い詰められていく。それでも母は、あるときにはうんとまともに優しい優しい笑顔を向けてくれるわけですから、それを見ると涙が出てしまいます。もっとしっかり介護しなきゃという気持ちにさせられる瞬間です。もう一度会えるものなら会いたいと思います。
本当に母親の愛情というのは文字通り「無条件」ですもんね。それに比べると私の介護なんて打算づくめ。ときにはその「愛情」の表現がわずらわしくさえ思えてしまう。いま思い返しても情けないですね。
今も介護の苦しさに負けそうになっている人たちに、一人で悩まず周りの人や行政に是非とも相談して、苦しくても乗り切ってほしいとエールを送らずにはいられません。行政はまたそうした人たちの苦労に報いる手厚い施策をする義務があると私は強く思います。

さて、昨日は午後から第5回の総合計画審議会、そのあと7時からガイドマスターと町議会議員との懇談会が連続してありました。
審議会では、これまでの審議ででた意見をうけて、第3次素案が示され、それについて意見を交わしました。
全体としては私が主張した構成に近いものにはなっていましたが、重点施策はあいかわらず総花的なものになっており、果たしてこれで町民がわかり納得する計画になっているのでしょうか。
会議では、次回の答申に添付する審議会の意見も議題になりました。そこでは福祉についての言及が全くないことが話題になり、保育、要介護者、一人暮らし高齢者などへの福祉対策を引き続き行っていくように求める意見も盛り込むことになりました。
池田町をどのような町にするのかという問題では、その一つとして「地球にやさしい日本一美しい町にする」ことが盛り込まれました。しかし「どうやって」となると、いささか心許ない。大言壮語のそしりをまぬがれないこの表現。私の主張したことではありますけれど、具体的な展開抜きでこのことが強調されると、これは絵に描いた餅にもなりません。会議では今後の施策の進め方について「町民のすべてが同じ方向で努力する」ことの大切さが確認されはしましたが、行政がやるべきことを町民のボランティアに丸投げしてよしとする怠惰なやり方だけは困ります。
ただ、町民が誇りにできる「美しい町」への第一歩は踏み出したように思います。あとはどうやって実行するか、今後町長がその気になり、具体的指針を示して丁寧に議論を積み上げていくことです。

夜のガイドマスターと議員との懇談会は、初めての試みとしては大変意義のあるものになったと思われました。
それぞれが日頃の観光やガイドマスターのあり方について「思いのたけ」を語り合ったという意味で、ガイドマスターは議員にその役割と位置を認識してもらえる機会になったし、議員の側からは、現場でボランティア活動をして観光を支えているメンバーの生の声に触れていろいろ考えることが多かったのではないでしょうか。
とくに、話題になったのは現在の「観光の窓口」が不便なので、観光客が最も多く訪れるハーブセンターに設置することが必要であること、ハーブセンターを観光の窓口にする方策をもっと考えること、観光を担う行政の側のスタッフが少なすぎて手が回らないので、複数の増員が必要であることなどでした。
ガイドマスターがいかに池田町の観光の突破口になっているかということや、現場の苦労をもっと知るという点ではまだ十分ではありませんでしたから、今後もっと突っ込んだ議論ができるように回を重ねていけば、観光への共通理解が深まるのではないかと思わされた懇談会でした。





  2月11日(水)
今日は午後から中2、中3の2コマの授業があって、かなり疲れました。両学年とも一つの学校が明日学年末(中3は最後)のテストがあるので、その対策を含めテスト対策・入試対策が中心でした。
中2はまだテストという雰囲気ではない子が多かったようでしたが、中3はさすがに入試直前になっているので真剣そのもの。ただ、長野は前期試験(面接と内申)9日に終わって発表が17日なので、今度あうときはかなりの生徒が進学を決めているだろうと思います。何人かの男の子は「絶対にダメだという確信がある」と言っておりましたから、果たしてどうなることか。

昨日は、協立病院まで行ってきました。歯科と内科のダブルです。このところダブルが続いています。歯科では歯の磨き方をみっちり指導され、いつもの不徹底さを思い知らされて頭をうなだれてきました。
内科ではその前日負荷心電図(ルームランナーの機械で20分ほど速さを変えて走る)を行い、それも含めて前回の検診結果を聞きに行ってきたのです。結果はとくに異常はなかったのですが、自覚症状があるので、次回造影剤を入れて心臓のCTをやることに決めてきました。このところいろいろと問題が多く医者通いが当分続きそうです。

明日は第5回目の「総合計画審議会」があり、そのあと「ガイドマスターと議員との懇談会」のダブル会議。
明日の「総合計画審議会」では、これまでに委員から出された意見について事務局から一定の見解が箇条書きで提出されるという前回の申し合わせで、再度全体にわたって議論をすることになっています。当初の計画ではこの日で最後になる予定でしたが、あと一回答申案確認のための審議会を行うということも前回確認していますから、果たしてどんな案がでてくるのか。
私としては、もうあまり細かい点での指摘はせずに、二つのことだけ発言しようと思っています。

一つは、町づくりの基本姿勢に関して。やはり、「経営的視点」という表現は反対せざるをえません。これは、町づくりの根幹に関わる重要なポイントですから。
原案の作成者としては、いま厳しい時代にはいって、民間では経費の削減や効率的な経営を進めるために知恵を絞っており、その教訓に学んで町の行財政改革でもその視点に学ぼうというのでしょう。一般的には無駄な経費をなくするのは当然のことであり、企業だから自治体だからという区別はありません。しかし問題はそこにあるのではありません。
企業の論理からすれば、利益を出すためには人員を極限まで削って合理化をあらゆる面で行うということになるのでしょうが、自治体と成り立ちの論理が全く異なります。窓口業務から、福祉・教育、農業・工業・商業にかかわる業務まで幅広い仕事が無数にあるわけですから、仕事量と質の両面から人員についてよく分析し、仕事も効率的に進められる機構改革が求められます。その仕事をすすめるときに最も大切なことが「住民に奉仕する」という視点です。むしろ民間に委託したり、民間に切り売りしたりして行政の果たすべき仕事をどんどん削る「小さな政府」路線が、どれだけ福祉も教育も削ることになってきたか。つまり「間から民へ」の路線の破綻はもはや覆いがたいほどになっているわけで「経営的視点」こそ見直しの対象だと強調しないといけません。

二つは、町として離してはいけない政策の重点を明確にすることです。その最も大きな仕事は「福祉」です。公立保育所さえ、民営化してしまおうという流れが強まっているとき、守るべきものは何なのか。超高齢者社会を乗り切る基本の立場をおさえておかないと、介護難民の続出という自体が簡単に生まれてくるでしょう。その危険がいまきわめて高い。在宅介護は大いに結構、ただし、その支援策や対応策があっての話です。それでやっていけない人にはきちんと公的な介護の条件をつくるということでなければ安心して在宅介護などできるはずもありません。
審議会がこうした問題にどこまでふみこめるかは疑問ですが、あとは町長の姿勢、議会での議論、住民からの監視の目が必要となります。


  2月7日(土)
きのうの夕方、ニュージーランドの友人の家に電話しました。一週間前にメールを書いたのだけれど返事が来ないので、思い切って電話したのです。するとなつかしい声が。友人のマイクの奥さんです。彼女は日本語が堪能なのでラッキーでしたよ。
ここ5年ほどのご無沙汰をお詫びしつつ、3月下旬から2週間ほどニュージーランドに行くことを告げました。「わ〜すご〜い」と喜んでくれた彼女。すでに3児の母だというのでびっくり。肝心のMikeは飲みにいっていないということでした。相変わらずノンベエです。「週末は必ずいるし、どれだけでも泊まっていいよ」と言ってくれました。お言葉に甘えて何日か逗留させてもらうことになりそうです。よろしく。

さて、今日のニュースでアメリカのオバマ大統領がワシントンポストで意見を書いているというニュースがあったので、さっそくアクセスしてみました。短い文章だったので、知っておくのも悪くないと思うものの、何しろ大統領の英文。翻訳はないかと探したんですが、見あたらない。
あるサイトには、「問題の記事『アメリカ人が必要な行動』を記録しておきましょう。記事本文は総数767語。平易な英文です。5分で要約できて、TOEIC860点というところ」と書いてあるので、「クソッ」と思って翻訳してみたら結構大変で2時間以上もかかりましたよ。私の実力が知れるというものです。しかも「何じゃこれは」と思うようなところもあって、しばしば考え込む始末。
さすがに格調高く、同僚の英語の先生は「日本の首相などとはえらい違いですね」と言っていました。
とくに現在のアメリカの危機への対処としてなすべきことを的確につかんで迅速に実行する決意をのべている下りは読ませます。みなさんもどうぞ原文にあたって読んでみてください。
参考までに、英語の勉強のつもりで私のつたない(間違いだらけの)訳文を載せてみます。ご批判・ご意見よろしく。

米国民が必要な行動

バラク・オバマ
2009年2月5日(木)

いまや、すべての人々にとって、あの大恐慌以来のどれよりも深く恐ろしい経済危機を引き継いだことは明らかだ。わずか一年前には米国民が当てにできた何百万という仕事が潰え去り、さらに家を建てようと懸命に働いて蓄財をしてきた幾百万もの家族が家を追われている。いたるところで人々は明日はどうなるのかと心配におののいている。

米国民がワシントンに期待することは、日常生活で国民が感じ取っている切迫感にふさわしい行動であり、この危機から脱出を可能にする迅速、大胆かつ賢明な行動だ。
なぜなら、我々が経済を好転させる仕事を開始するうちにも、多数の人々が失業し、蓄えや家を失っているからである。
もし我々が無為にすごすなら、この景気後退は数年に及ぶ恐れがある。 我々の経済はさらに500万の雇用を失うだろう。失業率は二桁台に達することになる。いくつかの点で、我が国は取り返しのつかない深い危機の深みにはまりこむことになる。

それが、議会を前にして私が回復策への緊急性を痛感する理由だ。その計画で、我々は2年間に300万以上の雇用を創出するかまたは確保し、米国の労働者の95パーセントにただちに減税を実行する。また、企業にも消費者にも等しく支出をし、今後の我が国の強化に手を打つつもりだ。

この計画は短期的な支出への処方箋以上のものでもある??それは再生可能エネルギーや健康、教育といった領域でのアメリカの長期的成長と機会のための戦略である。そして、この計画は先例のない透明さと責任のもとに実行される戦略であるから、米国人は税金がどこに流れ、どのように使われているかがわかる。

直近の数日間、我々をこの危機に陥れるのを助長してきた間違った理論をくりかえす、見当違いの批判が見られた。---その批判とは、減税のみがすべての問題を解決するとしたり、中途半端でばらばらな手段でこの大きな試練に対応できるとしたり、さらにはエネルギーの自立や巨額にのぼる健康管理のような基本的な課題を無視して経済や我が国の成長がまだ期待できるとするような現実認識のことである。

私はこれらの理論を拒否する。11月に投票所にでかけ変化を求め相呼応するように投票したときに、米国民もこの理論を拒否したのだ。国民はあまりにも長い間にわたってこれらの方法が試みられてきたことを知っている。そのあげく、私たちの健康管理にかかる費用はインフレーションより速く上昇している。原油の海外への依存は依然として我が国の経済と安全を脅かしている。不利な立場に置かれるような学校で子どもたちはまだ勉強している。我々は、橋が崩壊し堤防が破壊して我々がどんな悲惨な結末を迎えたかをすでに見てきている。

日々刻々、私たちの経済は病を深くしている。いままさに、国民を労働に戻し、経済を活性化させ、持続的な成長に投資する治療のときなのだ。

いままさに、適用を失うおそれのある800万人以上もの国民の健康保険を守り、5年以内に国民の健康管理記録を電子化し、その過程で何十億ドルの財産と無数の命を救う時なのだ。

200万軒の家屋の建設や連邦ビルの75%のエネルギー効率化により10億人を救い、3年以内に代替エネルギーの容量を2倍にする、いままさにそのときなのである。

1万の学校を最先端の教室にアップグレードすることで、また教師を数学や科学で訓練することで、さらに大学教育の夢を数百万人の国民の手の届くものにすることで、子どもたちにあらゆる優れたものを与えるまさにそのときなのだ。

そしていまや、古い道路や橋・堤防を再建し、高性能な電子通信網を設計し、国のあらゆる地域を超高速情報網に接続することで、21世紀のアメリカを作り替えるような雇用を創造するときなのだ。

これらこそ、遅滞なく実行に移すことを国民が期待する行動である。国民は景気回復が月単位ではなく年単位になることを知るほどに十分辛抱強い。しかし、私たちの経済が滑落し続けるときに、行動の行く手に立ちふさがるような党派的で閉塞的な古いしがらみには我慢できない。

我々はとるべき選択を手にしている。 我々はワシントンの悪習に対して今一度進歩的やりかたで立ち向かうことができる。我々は手に手をとって進むことができ、アメリカでは運命は受動的なものではなく、我々自身にによって書かれるのだと言える。 私たちは、古いイデオロギー闘争の前によりよいアイデアを据え、偏狭な党派心の上に目的意識を置くことできる。我々は果敢に行動し、この危機を好機に変えることができる。そして、ともに次の偉大なる一章を歴史に記すとともに時代の試練に立ち向かうことができるのだ。





  2月6日(金)
昨日は午後から「池田町第五次総合計画審議会」に出席しました。
前回は私がインフルエンザで欠席しましたが、今回はいろんな都合で3人が欠席、ちょっと歯が抜けたような感じでした。
今日のメインは県議の宮沢敏文さんの「講演」で、要するに広い見地から今審議している計画について意見を聞くというのが中心でした。
私自身は宮沢県議とは初対面でどの人柄も経歴もよく知りませんでしたが、県議会の中では結構精力的にいろいろ動いている人のように見受けられました。話し方もまさにその通りで、場慣れしているというか、情報をあれこれ持っているというか、とにかく熱心に現在の自治体が置かれている状況や将来像について持論を展開されていました。
私自身は、この審議会がこうした県議に意見を聞くことを審議会の一つの次第にすることには批判的な見解を持っていましたから、それで審議がどうこうされることがあってはならないという立場で今日の審議会に臨みました。

とはいえ、宮沢県議の話には大変興味深い指摘もたくさんあって、ある意味でおもしろかった。町づくり推進室のスタッフによれば、この話はそのまま音声でホームページに掲載するということなので、後日ぜひお聞きになるといいと思います。
宮沢県議の話の要点は以下のようなものでした。(文責は私にあります)

1.総合計画の作成には、国・県の施策(たとえば自治体職員の削減など)との整合性が必要であり、また、前回の第4次計画との関係が明確にされなければならない。中でも前回の計画で悪かったことやよかったことが総括される必要がある。また、第4回の計画は首長が変わったことで事実上否定されたわけで、本来現町長のもとでこれまでの計画などは一旦白紙に戻して審議すべきものだ。そして、今後の計画については、計画段階で理事者の考え方、議会の同意が、実施段階で町職員の理解が、これをチェックする意味では議会の意見が必要である。
2.この総合計画で最も重要な指標になるのは10年後までの人口の推移とその年齢構成。9500人という冷厳な数字を見据えた計画であるべきだ。そのために、町を取り巻く情勢(合併、道州制、事業サービスの民営化の進捗など)、国や県の政策を十分にふまえることが必要。
3.これほど激動している状況のなかで、10年という期間が適切かどうか。長野県でも昨年作った計画が実行できるかどうかわからない状況になっている。したがって、計画は希望でつくってはならないのであって、現実と先を見た先見性のある行政でなければならない。その点からみて、これまで審議された計画案はジョギングプランのようなもので、平板な印象を受ける。「三郷村」が「エコタウン構想」に手をあげたように、戦略的な考え方がない。もっと議論すべきだ。
4.行政でもっとも大切なことは説明責任だ。町民に知らせる努力、このことが職員の最も大切なことである。


その後、50分ほど質疑応答がありましたが、宮沢県議から「白紙に戻して」とか「戦略的な考え方がない」とか「審議不足」と指摘された事務局は顔色なしという感じでしたね。まさかそこまで踏み込むとは思っていなかったかもしれません。
県議は終わり頃に「私は県議であって町長ではないので、どう議論をしていくかという方向性については応えられない」とのべ、審議会への介入はしないという常識は持ち合わせていらっしゃったようなので、私は質問はしませんでした。
ただ、この県議の話の後、審議会の議論が続けられ、「重点施策」についてもっとつっこんだ議論が必要だという私からの問題提起をきっかけにいろいろな話がでて、次回で終わりにはせず、最終的にはもう一回審議会を持って答申としてまとめることになりました。さて、事務局はどんなまとめを次回に提案してくるのでしょうか。


  2月5日(木)
自分の住む町が住みよい町であってほしいし、いい町になってほしいというのは誰しも願う素朴な気持ちでしょう。私もその点では人後に落ちないとは思っているのですけど。せめて終の棲家と選んだこの町にはという思い入れもありますし。
実は2年ほど前からずっと考えてきている一つの構想があって、ようやくここに来て少しずつ考えがまとまりはじめています。
ただ、お断りしておきますが、あくまで単なる構想であって、私がそれをどうするかとか、いつからやるかとかということではありません。むしろたくさんの人に聞いてもらって、もしそれが力のある構想ならば、いずれ方向性が見えてくるかもしれないという程度のものですので念のため。

さて、まず私があることを考え始めたきっかけからです。
池田町は「花とハーブの里」というキャッチコピーを打ち出してもうずいぶんになるはずです。私がこの町に来たのは5年前で、そのときはもう町の入り口に「花とハーブの里 池田町へようこそ」というでかい看板が見えましたものね。
ところがその池田町には花とハーブの里らしいところはどこにもない。あるとしてもMさんが経営する夢農場くらいでしょうか。その標語を打ち出してからずいぶん経つのになぜどこにもその機運がないのか。私にはずっと疑問でした。できないならそんな看板は下ろしたらいいのです。ないのにあるという方が愚かしい。
しかし、私の中には、他の市町村ではできないが、池田町ならできるという一つの構想がすこしずつふくらみ、この町を文字通り「花とハーブ」で埋め尽くすことができるという確信が次第に大きくなってきたのでした。
いちばんの問題は構想ですね。人をひきつけ、たくさんの人がいっしょにやろうと身を乗り出すほどの構想なんてそう簡単にできるものではありません。一人でできるものでもありません。しかし、誰かが言い出しっぺになり、数名の強力なチームをつくり、100人くらいの協力者・ボランティアがいれば、これは夢物語ではなくなります。
一年前には、私なりの「グリーンマスター構想」なるものをつくって何人かに紹介しました。しかし、これはあんまり評判はよくなかった。実現主体が明確ではないという点がいちばんの問題でしたね。それからしばらくは、私も忘れていたのですが、「第5次総合計画」の審議委員になって、町の問題をあれこれ考えるようになって再びこの「構想」が頭をもたげてきたのでした。町の計画ではまず無理だろう。なぜなら「みんなでやる」=「誰もやらない」というパラドックスでこの計画は成り立っているからです。それではどうするか。そして私が導いた結論は「強力なNPO組織をつくる」ということでした。目的は私たちが住む町を「花と緑で覆い尽くす」(花とハーブではない!)という「壮大」なもの。ま、そうはいってもはじめはぼちぼちですけどね。
まず遊休地を確保して本格的かつ大規模なガーデンをつくり、普及のモデルケースとする。見物客が来始めればしめたもの。これが手始め。第2弾は、ガーデン内での販売、花の普及・土作りと販売、いちごの栽培やつみとりなどを通して利益を確保し拡大再生産路線に乗せる。第3弾は、これを町のあちこちに広めるのですけれど、大規模なガーデンという基本線をおろさず面として広げることに重点を置く。そして面から線、線から点へ。
これまでの「花いっぱい」の運動は、点から線、線から面(線から面へ行かないうちにポシャッた)。それではうまくいきません。まず耳目を引く、度肝を抜くようなことから始めて人をあつめ、その力でひろげていく運動論がなければなりません。
そのために当然人的にも優秀な人材をあつめ、きちんと運営できるNPOであることが必要なのです。そして、その周りにボランティアを大胆に組織し(当然参加するメリットは大きいと感じるもの、生き甲斐を感じられるものを用意する)、その中核になる「フロラ・マスター」「グリーン・マスター」有資格者を育てて地域に根ざした運動にしていく。つまりこのNPOは運営主体であると同時に行政とも連携して「花と緑」の地域センターとしての役目を果たす。これが組織論。
現在の「ハーブセンター」は民営化の方向が見えているし、はじめからセンターとしての役目を果たしていないのですから、名前を変えた方がいい。お店の経営に重点を移した方が得策でしょう。もし、センターの名を残したいのであれば、わがNPOと連携してセンター機能を果たすようにすることも可能です。
ほんの概略ですから、ほんとうに夢物語ですけど、やがては美しい花をもっと広げようという機運にもなるだろうし、その中でお店を営業をしてみたいという人もでてくるかもしれません。観光の名所にもできるだろうし、民宿(民泊)と結合して修学旅行生の実習にもつながる。小中学生に美しい町に住んでいるという誇りも生まれるし、いっしょに作り上げていく展望も生まれる。大町の「菜の花」プロジェクトとの連携も考えてもいいし、商店街もそんな町にふさわしいものにしていこうという機運が生まれるかも。池田町の新しい「銘菓」も作りたいし・・・。いかがですか。そんなふうにことが運んだら楽しいと思いません??
私の夢はこの池田町にセンターとなるどでかい自然園(花のガーデン)を実現することです。できれば森と花のコラボであってほしい。大規模なバラ園もその中に含まれる。その中でローズ・フェスタをやってみたいですよ。気持ちよくお茶を飲んでくつろげる施設・お店もあったらいい。本当なら「シャゴジハラ」がいちばんの候補地なんですけどね。
私のこれからの仕事はこの構想をもっと具体化すると同時に人脈をつくること。昨日は強力な助っ人がみつかって、2年後くらいからなら何とかできるかもと言っていただきました。まだまだやってもらえそうな人はいるはずです。
これは北アルプスを展望できる東山を持つ池田町でしかできない構想です。この構想は私に”著作権”がありますよ。
どうです町長さん?このくらいのことを構想してみません?


  2月4日(水)
何ともまあ暖かい一日。昨日から散歩を始めました。昨日は2キロほど先の町の中央部、池田町観光協会まで歩いて行って、本屋に寄ってそのまま歩いて帰るコース。今日はカメラを持ってちょっと短いコース。帰る頃にはすっかり汗ばんでいます。

5月には昨年から始まった「北アルプス展望ウオーク」が開かれます。今年は16,17日、2日間の予定です。3月始め頃から募集を開始するので、現在その準備中です。私の役目はボランティアでこのウオーキングの公式サイトを運営すること。昨年作成したものがあるので、それを土台に準備作業を始めました。この日記とは別に池田町の風物をブログ風に書いていますので、時間があったらのぞいてみてください。

「北アルプス展望ウオーク」公式サイト(準備中)

明日は「第5次総合計画」の第4回審議会がひらかれます。招かれる県議の話がどうであれ、自分たちの町の将来像をどう考えるのかは町民一人一人の意志と自覚にかかっていると言わなければなりません。
第5次の現在までの構想では、重点が@土地利用計画の策定、A町づくり推進プラン3本柱(効率的行財政運営、協働の町づくり、元気と魅力あふれる町づくり)の二つにまとめられています。
すでに私の意見でも述べたとおりですが、先日議会に配布された資料を見せてもらって大変複雑な気持ちになっています。資料自体は私が受け取ったものではないので、ここでは紹介できませんが、明日になればおおよそのことはわかるでしょう。
現時点で問題だと私が感じているのは二つのことです。
第一は例の「経営的な視点」による効率的行財政運営という問題です。すでに「まちづくり推進プラン」でかなり詳細な経費削減計画(一部に充実計画も)が作成されて、その方向で取り組まれていることから、これをいっそう推進するというのが「第5次総合計画」の柱の一つになっています。
国からの地方交付税が削られ税収も期待できないために、町もそれに伴って削れるところはすべて削り、それにかえてボランティアによる「協働の町づくり」をすすめるという方向ですから、元気がでるどころか元気を削る計画と言っても過言ではない。きれいな言葉をいくつ並べても、具体的な政策抜きでそれが可能になるわけでもありません。方向抜きでボランティアがどう結集するのでしょうか。

私がどうしてもこの「第5次」で主張したいのは、総体的に財政を削ることよりも、自治体が自治体として果たすべき役割を明確にして、住民本位の福祉行政にまず力点を移すこと。すなわちこれから高齢化率の高まる町のありかたとして、優先課題が何かを明確にすることです。それを明確にしてこそ、ある部分での痛みも住民には理解できることとなる。
第2は、削る視点よりも町づくりをすすめる重点課題を明確にすること、つまりそれによって、住民の安心度が高まり、人口も増え、訪れる人も増えるという施策を打ち出すことです。その要は、近隣市町村にない住環境です。自然に囲まれ里山に恵まれた地理上の優位性を生かす工夫が必要でしょう。産業はそうした環境を生かして発展するし、農業もさらに有機無農薬、低農薬の方向を指向することができる。その要の政策を重点として打ち出していかなければなりません。
そうしてみると、あまりにも総花的で、結局何も実現できないという計画になりかねない問題をはらんだこの素案。さて、前回で議論が終わったというのですから困ったものです。


  2月1日(日)
もう2月。昨日から寒さは幾分やわらいでいましたが、夕方からまた寒さが戻って仕事から帰る夜10時頃には車の窓に氷がへばりついていました。昨年よりははるかに暖かい今年、しかし寒さはまだこれからです。
いつもは気にしないのですが、今日この日記を更新しながら、この記録をつけはじめてから私も妻もまる5年がたったのだなと改めてその年月を思い返しています。
母の死や息子の結婚をはさみながらあれこれじたばたじたばた。それでも池田の地でようやく少しは何かをつかみはじめたかなと思えるこの頃になりました。さて、このあと5年間、一体ふたりはどうやっているのでしょうか。
あと5年もすれば二人とも70も直前。考えるだけで恐ろしい年代に入っていきます。年のことを考えれば、積極的に外の問題に関われる時間は少ない。少ないながらも、その一方で、今までにない新しいことにも挑戦してみたいと思う複雑な気持ち。まあ、あんまりそんなことを考えずに、のんびりやればいいのかな。

読みさしにしてあった2冊の本を最後まで読みました。一つは学研新書の「フィンランドの教育力」(リッカ・パッカラ)。フィンランドで10年間教師をしていたリッカさんの実践記録のようなもの。
もう一つは前にも紹介したことのある「子どもの最貧国・日本」(光文社新書、山野良一)です。
パッカラさんの本では、彼女の教育活動そのものは日本とはそれほど違っているわけではないと感じる一方で、決定的な違いもまた浮き彫りにされています。それは中学まで教育は完全に無料であること。教育の権限が学校と教師に任されていること。そして子どもの可能性をのばすために、どの学校でも教師だけでなくカウンセラー、心理学者、ソーシャルワーカー、保健師などのチームが編成されてゆきとどいた教育が可能となっていること。
もう一冊の山野さんの本とあわせて考えると、フィンランドでは親の経済的な心配がほとんどないということがいかに子どもの発達に大きな影響を与えているかがよくわかります。山野さんの本で繰り返し強調されているのは、子どもの発達と家庭の経済状態がきわめて大きな相関関係を持っていることです。子どもの貧困問題に「何の対策もとられないどころか、政府が全くその存在さえ認めようとしていないのは、先進国の中では日本だけかもしれません」「日本では政府の介入は子どもの貧困率を下げることにはほとんど寄与できていないどころでなく、逆に介入によって貧困率が上がっているのです。これは異常事態だといえるでしょう」と山野さんが憤慨する日本の実態。
最後の方では、経済格差をひろげ、子どもの貧困を増大させることで被る損失は莫大なものになり、それを根絶することの方がどれだけ有利なことかも紹介しています。
いまの日本が向かっているのは、「貧困大国」アメリカの二の舞です。「持てる」ものと「持たざる」ものの格差が固定化し広がっていくような社会では、犯罪や家庭内の暴力の増加がもたらされ、さらには戦争に対する社会全体の免疫力を失わせてしまうことは、アメリカの歴史や現状が、私たちに教える大きな教訓だと思います。
子どもたちの貧困の問題は、こうして考えていくと、「彼ら」の問題ではなく、「私たち」の問題であるとも言えるのではないでしょうか。しかし、私たちは子どもたちという将来の貴重な宝の損失を防ぐことができるのです。子どもたちの貧困という現実を直視し必要な対策を続けていけば。

という筆者の指摘の重みをしっかりと受け止めたいものです。



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