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  8月31日(月)
一夜明けて民主圧勝。自公の気味の良いほどの負け方。これは、自公政治への不満、怒りがいかに深刻であったかを示すと同時に、多少の不安はあるが「民主に一度やらせてみるか」という声に押された選挙結果であったということに尽きると私は思います。同時に、選挙制度のマジックで、得票通りの議席にならないという小選挙区・比例代表併用の問題点もまた噴出した選挙だといえるでしょう。前回の小泉選挙の結果で自民と民主が入れ替わった結果になったわけですから。

池田町での共産党の得票は12.4%、自民が20%ですから、全国的な水準からいえば大健闘。公明、社民にもずいぶん水をあける奮闘でした。
最終盤、共産党ファンクラブの臨時増刊号を出したりしながら会員・読者の自宅を訪問して対話した経験から言えば、普段から共産党の活動を目に見える形で町民に届け、ニュースを通して生活の場で結びついている力をしっかりと感じ取ることができた選挙でした。
自公政権の悪政のしわ寄せがまだまだ地域に押し寄せていますし、地方政治をまだ新自由主義的手法、「民間的」手法で切り回そうという空気が強い現状では、それこそ地域の隅々から要求を組織し直して、いのちと暮らしを守る地道な努力を重ねなければならないと強く思います。

さて、問題はこれから。民主・社民・国民新党が与党、自民・共産が野党という構図ができあがりました。民主党の最初の仕事が何になるかが注目されます。おそらく、国民受けのする政策をまず実行して政権基盤を固めるという方向に行くことは容易に想像できます。しかし、数の力で、たとえば衆議院の比例定数を80削減するというような暴挙に出れば、これは民主主義の圧殺行為ですから民主自身の進退をかけてこれに臨まなければならなくなるでしょう。アメリカとの問題でも、たとえば沖縄の基地問題や海外派兵問題では自民党とそれほど変わることは予想できません。というわけで、おそらく、時間をかけずしてこの政党の本質がはっきりしてくるにちがいありません。



  8月28日(金)
あたりは、朝晩はもうすっかり秋の気配です。ヒマワリとコスモス、ススキが同居。
投票日まであと今日、明日となりました。有権者がどのような判断を下すのか、各紙は独自の調査や共同通信のトレンド調査をもとに予測に懸命です。
どんな予測があるにせよ、この選挙の持つ意義は一人一人にとってきわめて大きいものがありますから、よくよく考えて自分の問題として投票に臨みたいですね。


最近畑を見るのは朝と夕方の水遣りのときぐらい。もう荒れ放題になっています。それでも春に植えたいろんな野菜が、それなりに実をつけたり、大きくなったりして食卓を賑わせてくれています。
今朝は冬瓜(富山では「かんむり」という)を一つ収穫。去年放っておいた種から生育したもので、草にまけず大きくなっていました。その重たいこと。
また畑の隅で伸び放題になっているカボチャ。葉ばかり茂って実があまりないのが今年の特徴。なっている実の大きさは極小から極大までいろいろ。昨年はかなり粒ぞろいだったのに・・・。というわけで、小さいのをいくつか収穫しました。
モロヘイヤはそろそろ終わり。ちょっと葉が堅いけれど、まだ十分粘りがあっておいしく食べられます。妻はパンに入れて、みんなに食べさせるのだといま粉をこねて製造中。
ゴーヤ、キュウリ、インゲンなどは少しずつ。キュウリ、トマトはもうすべて終わって、昨日蒔いた地這いキュウリがうまく育つのかどうか。
選挙が終わったらやることが山積みです。朝から仕事に出かけるまで、秋から来年向けの準備で一ヶ月ほどは休みなしとなりそう。庭のほうは、草取りとゴーヤの始末。ラベンダーを増やす作業。バラの移植。裏の畑は、終わった作物の残骸を取り除いて、草や石を取り除き、あらためて耕作し直し。その上で、イチゴの苗床などをつくって苗の移植。離れの畑ではサツマイモの収穫後、これも耕作し直してタマネギの植え付け・・・など。
来年に向けてはもう少し野菜のことを研究して、今年のように長雨でやられないようにしないといけません。といいつつ、結構むずかしい。野菜づくりの指導をしてくれる組織があるとうれしいですね。



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話はまるで変わりますが、つい先日オーストリアのスキー選手だったトニー・ザイラー(Toni Sailer)さんが亡くなったという新聞報道がありました。全く忘れていた人でしたが、今回の訃報を見るにつけて何とも懐かしく、思わず昔の記憶をたどっていました。
私が中学2年だったか3年だったか忘れましたが、人生初のレコードを買ったのがトニー・ザイラー主演映画「白銀は招くよ」の主題歌だったのです。
1956年冬季オリンピックで3冠王に輝いた彼が、熟慮の末映画に転向、「黒い稲妻」「白銀に招くよ」「白銀に躍る」などに主演して、華麗なスキーと甘いマスクで一世を風靡したことは有名。60代から70代の人ならきっと知っているはずです。
当時「多感な」少年であった私は、彼のスキーと歌に魅了され(彼の歌はヘタクソでしたけど・・)、一時期その映画のことばかり考えていたのでした。
当時、富山の総曲輪、中央通りというアーケード街にはいくつも映画館があって、中学から高校にかけて結構見に行っていたことを今思い出しました。タリアビーニ主演の「忘れな草」も当時忘れられない映画の一つ。その一部がYouTubeで見られるのはうれしいことです。ちなみに、彼の歌う「忘れな草」は最高!!
こうした映画の全編をいま見たいと思ってもなかなか手に入りませんね。「白銀は招くよ」はDVD化されてはいますが、2万円近く。「忘れな草」にいたっては全く入手方法がありません。せめてビデオの「白銀に躍る」でも入手しましょうか。これなら3000円くらいだから。ただ、これはスキーではなくスケートだから大しておもしろいとは思わなかった(という記憶がある)。主演女優は有名なイナ・バウワーご本人で、私にはトニーザイラーなど目ではなく、彼女に釘づけで素晴らしく可愛かったと記憶に書いてあります。
それぞれにストーリーは単純でわかりやすく、美男美女の恋愛物語にただただうっとりとしていた(?)のでしょうね。私の中学生から高校生にかけての映画の一部はこうした「幸せな」色に塗られていたのでした。そんなときもあった・・・・。
次の上の写真はレコードジャケット。右「白銀は招くよ」の同名の主題歌、左「白銀に躍る」の主題歌「初恋の人」。レコードの束の中から探し出しました。今からちょうど半世紀前のレコードです。たぶん大変な希少価値がありますね。
下の写真はイナ・バウワーさんですよ!




なお、わが青春(初恋)の歌「Non Ti Scordar Di Me(忘れな草)」のいろいろ。
Luciano Pavarotti and Andrea Griminelli
Placido Domingo
Giuseppe di Stefano
Beniamino Gigli
Carlo Bergonzi
(Rock?)Giusy Ferreri




  8月27日(木)
ある人が「政見放送を見ていると、各政党の体質のようなものが隠しようもなく、表に出てくるものだ」と言っていましたが、毎日テレビの政見放送を見ていて全くその通りだと思います。
最近の自民党のCMで麻生さんの声が出なくなってしまいました。なぜなんでしょうかね。そういえば麻生さん、23日ある大学で開かれた学生との対話集会で「カネがねえなら結婚しない方がいい」と言ったとか。また22日には兵庫県佐用町の豪雨災害現場で「まだ行方不明が2名見つかっていない。・・・ぜひ遺体が見つかるように今後とも努力をしていただきたい」と述べて、罹災者のひんしゅくをかったとも。もはや読み間違いのレベルではありませんね。声がでなくなったのはそのせい?

選挙というのは否応なしに政治的な関心が高まるとき。したがって、庶民の政治感覚も敏感にならざるをえません。同時に、政治家や立候補者の方も思わず本音が出たりする。また、人の手柄も自分の手柄のようにいいたくもなるらしい。
昨日から今日にかけてほとんどの政党のチラシが新聞折り込みで入ってきました。マニフェストは各政党のサイトからダウンロードしてとってあります。
問題は選挙後。よくこれらを見てそれぞれの政党の言動をチェックしていくつもりです。

さて、我が家の太陽光発電(3.15kw/h)、一週間で100kwの発電量がありました。昼間どのくらい電力を使っているのか、これも調べてみないといけませんが、それなりに発電パネルは一生懸命働いてくれてはいるようです。
売電の方は、昼の使用量よりも多く発電した分を余剰電力として売るので、昼にできるだけ電力を使わないようにすることがカギ。もちろん夜も節電に越したことはありません。
今年7月には「エネルギー供給構造高度化法」が成立して、現在その省令化の作業が総選挙をにらんでかなり強引にすすめられていることが報道されていました。
政府が打ち出した「2010年度から現在の売電価格を2倍程度に設定し10年程度固定する」という制度を可能にする条件整備計画を電力会社やガス会社などに立てさせることが目的らしく、「民主党が経産省よりもはるかに大規模な買い取り制度の導入を公約していることに対抗したものではないか」という内容でした。ただ、あんまりよくわからない。
買い取り価格を2倍、3倍にしても、その費用を電力料金に上乗せされるようでは困ります。新しい政権が、きちんとした財源の裏付けをもってクリーンなエネルギーの供給増加政策を大いにすすめてくれることには我が家としては大賛成。
とりあえず、ムダな電気を使っていないか、もう一度総点検することにします。


上の図は「ベスト電器」さんから拝借しました。




  8月23日(日)
信濃毎日紙上で総選挙のトレンド調査の結果がでていました。まあ予想通りといえばそうですが、何となく前回の「KOIZUMI劇場」の裏返しのような気がして仕方がありません。それだけ国民の「変革」への期待が高いということは間違いのないことでしょうが、それにしてもこのブレは大変気になるし、現在の選挙制度の問題点がある一つの傾向に拍車をかけて民意をゆがめてしまうという面も無視できません。
特定の政党の一人勝ちというのは「政局の安定」につながるように見えて、実際はそれほど単純でないことは現在までの政局を見ていればわかることです。あと一週間、どうなるか目が離せません。

かなり前に、イラクのある若い女性が、イラクの現状について世界に発信していた「ブログ」のことを何度か取り上げたことがありました。その女性はすでに家族とともにシリアに逃れ、ブログはそれきりになってしまい、彼女の消息は定かではありません。
米軍と傀儡政権による無差別な攻撃のために、死とつねに隣り合わせの生活を強いられていた彼女とその家族でしたから、無事を願うほかありません。
そのイラクでの戦争に駆りだされ、無法の限りを尽くしてきたアメリカ軍の兵士の中から、その非道な行いや不正義の戦争の実相を語りはじめた人たちが出てきています。その証言をまとめた本がつい最近岩波書店から発行されました。「冬の兵士=イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」です。
「反戦イラク帰還兵の会」によるこの証言集では、その先を読み続けるのが辛くなるほどの残酷ででたらめな戦争ぶりが次々と告白されています。イラク国民に対する暴力だけではなく、自軍の女性兵士に対する性暴力や、帰還後の医療やケアの問題など、その証言は多岐にわたっています。また目をそむけたくなる写真もいくつか。
アメリカ兵士のレジスタンス運動の一つの形として、少しずつ輪を広げつつあるこの運動が、米軍の戦略にどれほどの影響力をもっているかはわかりませんが、アメリカの戦争政策にも影響を与えつつあることはオバマ政権の対応を見ても分かるほどになってきています。
ここで語られている戦争の実相は、当然のことながら当事者だけの問題ではありえません。これに荷担し、戦争遂行に何らかの後押しをした国、民間企業、団体などはすべて告発の対象になっていると見なければいけないし、同時に、実は直接には戦争に関わりがないと「思っている」人々にも、この証言は向けられていると思わされます。



  8月20日(木)
岩波新書の「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著)、「反貧困」(湯浅誠)を相次いで読みました。
前著ではのっけからすごい。飽食が肥満をもたらすのかと思っていたら、そうではなく「貧困が生み出す肥満国民」。要するに、ものが買えないためにジャンクフードだけですべてをまかない偏った栄養のために不健康な肥満が増殖しているという、戦慄すべき事態が描かれています。
こうした子どもたちが通う学校での給食にさえマックやピザハットなどの大手ファーストフード・チェーンが狙いを定めて、ハンバーガー、ピザを詰め込ませているというのですから、これらの企業はもう貧困ビジネスにどっぷりと使っていると言っても過言ではないでしょう。
アメリカ国内で「飢餓状態」を経験した人は全人口の12%。(ひょっとしたら日本はこれを追い越しているのかもしれませんが)・・・この本では、ジョージ・ブッシュの自由主義路線、民営化路線によって、大量の貧困層が生み出され、切り捨てられて行く様が描かれ、さらに貧困の一つの引き金が「医療費」である事実がえぐり出されています。盲腸の手術がニューヨークでは一日入院して243万円、サンフランシスコで193万円だといいます。日本では想像すらできません。貧困層はとても医者にかかれないし、「一旦医者にかかると借金漬けになる例が非常に多い」のは当然。妊婦たちも日帰り出産が当たり前、入院すれば1万5千ドルというすさまじさです。そして、これに目をつけているのが医療保険の企業。オバマ大統領が実現したいとする公的医療制度に激しく抵抗しているのもうなずけます。これまた貧困ビジネスの一角を占める。
さらに「貧困」は教育の分野にも及んでいることが示されます。ブッシュ政権が2002年に新しい教育法(「落ちこぼれゼロ法」)を打ち出します。曰く、「高校中退者が年々増えており、学力低下が著しいから競争を導入し全国一律テストを義務化する。その結果については教師・学校に責任を負わせる」・・・何と日本の姿とよく似ていることでしょうか。
その次がすごい。ある教師の証言。「落ちこぼれゼロ法には、全米のすべての高校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること。拒否したら助成金をカットすると書いてある」
経済的な貧困のもとでは他に選択肢がない状態で、貧困層の生徒は高校を卒業したあと軍に志願することになる。そして志願したところで貧困から抜け出す道はない。イラク戦争やアフガン戦争が、実は世界中の貧困層から集められた兵士や民間戦争請負業者によって勧められているという実態=戦争すら貧困ビジネスになっている実態が克明に描かれて本当に背筋が寒くなります。徴兵制など要らない。貧困層を作り出しさえすれば、青年は自ら戦争に行く道を選ぶ・・・というわけです。

湯浅さんの「反貧困」は、アメリカとの類似性を色濃く持ちながらも、独自の広がりと深さをもって広がりつつある日本の貧困の実相を克明に描き、それとの対決の方向を示唆している労作です。ある日突然収入が絶たれ、滑り台を転がるようにどこまでも落ちていく底なしの貧困。
いくつものセーフティーネットがあるはずなのに、それがことごとく破綻し、さらに「自己責任論」と、お互いの足の引っ張り合い=負の連鎖・スパイラルによってますます底なしになっていく貧困の実態が著者の体験に基づいて記されています。貧困ビジネスがはびこり始めている状態も、軍=自衛隊への取り込みもアメリカと不気味なほど同じです
「貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである」「人間を再生産できない社会に『持続可能性』はない。私たちは、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、『強い社会』を目指すべきである」・・・日本はまだ貧困問題のスタートラインにすら立っていないという筆者の問題意識とこのメッセージは心に痛く響きます。



  8月19日(水)
カネがかからず、安定した政局運営ができるといううたい文句で導入された現在の選挙制度。しかも、選挙運動には戸別訪問の禁止はじめ、法廷ビラ以外に候補者や政党の宣伝をすることを禁止するなど、がんじがらめの規制の網の目がかけられています。ホームページ上で、個人の特定の見解を表明することすら「選挙運動」と見なされるというのですから、この国の「民主主義」とはいったい誰のためのものかと疑いたくなります。
もともと政権党に有利なように、次々と改悪されてきた現行の公選法。経済的には「規制緩和」をすすめ格差と貧困をもたらしてきた政党が、実は市民的・政治的自由については「規制強化」し続ける民主主義破壊者であったという事実は忘れてはならない。その裏では、「法」の編み目をくぐって多額の企業・団体献金を受け取っているのですから、今回の総選挙では生活面だけでなくこれらを推進または荷担してきた政党にも審判を下さなければならないでしょう。

さて今日ようやく太陽熱発電がはじまりました。お盆をはさんだために作業がかなり遅れ、昨日メーターのとりつけ、今日検査と連携(買電・売電)のテストが行われてようやシステムの作動となったものです。今日の発電量は10kw/h。わずかですが、快晴なら20kwhは軽く超えるでしょうから、暑い夏は平均15kwhとして月450kwh。使用量をかなり超えることになります。売る方と買う方では単価が異なるために相殺されることはありませんが、もし現在の2倍とか3倍の値段で買ってもらえるようになればかなりお得。生きているうちに元がとれるかどうかはともかく、太陽熱でこれだけのことができるというのを実感できるのは大した進歩だと思います。こうなったらできるだけ電気を使わないように節約して電気代を節約することにしましょう。妻とは「月々どのくらいの売電量になるのか統計をとってみよう」と話し合っているところです。



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昨日から塾の仕事が再開です。高2の生徒たちが次の日からのテストに備えて思い思いで勉強に精を出していました。
そのうちある生徒が「自分はまちがいなく文系だ」と言ったので、私がすかさず「数学がいやだから文系というのは問題だ。第一、人間は文系か理系かわけられるほど単純ではないのではないか」と答えました。ちょっとイヤミでしたかね。その生徒はそんなつもりで言ったのではなく、自分の適性や好みを考えてきっとそう言ったのでしょう。
「これについての私の考えはブログで書くことにするよ」とその場を収めて、生徒たちの質問への対応にもどりました。

確かに学校では2年次または3年次に分理別のコース編成が行われ、否応なしに「文系か理系か」を選択することになります。受験成績を上げようとする高校では、すでに1年生の終わり頃からコース別授業に入り高3の中頃には完全に受験対応の授業にしている。しかし、過去には一部の学校で3年次にようやくコース別とし、「文系」でも数学Vまで履修できるように選択科目を設定しているところがありました。
私の疑問は、「人間の能力というのは文系か理系かという単純な分け方などできるはずがないのではないか」という至極あたりまえの疑問です。私の高校時代はやはり文理別のコース設定がありましたが、大学の受験科目は現在のように少数のものではなく、「理系」でも現代文、古文、漢文、歴史、地理などの科目が義務づけられていました。
共通一次、センター試験が導入されてからそれらは踏襲されたように見えながら実は薄く広く、穴埋め知識をいかにたくさん覚え、2次試験では少数教科でいかに点をとるかということになってしまいました。結局のところ、文理別人間類型の発想は「大学入試」というシステムが人為的にもたらした一つの操作にもとづくものであり、便宜的なものに過ぎないということです。
しかし、実際にはこのことによって、自分は文系なのか理系なのかと単純に考えてしまうパターン的思考にはまり込むことになり、さらには「試験にでるかでないか」「入試に役立つか役立たないか」という発想につながっていくことになりがちです。

自分たちが十分には改革できずにいる「入試制度」がもたらした弊害を棚に上げて大学の教師たちが嘆くのは、微分積分や確率・統計ができない文系の生徒であったり、ろくに文章がかけない理系の生徒であったりする。実際には、競争原理に支配された教育システムに投げ込まれ、そうするしかない、あるいはそうなるしかない数多くの生徒たちをよそに、いくら現状を嘆いていても詮無きことと言わなければならないでしょう。
まあ、それはともかくとして、生徒の側からは、枠にとらわれないもっと大きな発想のもとに、今何を学ぶべきなのかを考えてほしいし、苦手だからやらないというのではなく、苦手だからこそ克服しようというくらいの気構えで時間を使ってほしいと私は思うのです。
ただその際に、やはりネックになっているのは中学や高校の部活動の問題。私の見る限り、教育の現場でのスポーツという枠を完全に超えて、野放図な部活動中心主義や根性主義がはびこっていることです。教育現場なら、部活動の対外試合の日数や毎日の終了時刻の厳守などその気になればやれることはいくらもある。それなのに現状は、いったん部活動に加われば先輩後輩の関係やポジションの関係からぬきさしならない状態に追い込まれていく。学習と両立できないのは自分のせいだという「自己責任論」が忍び込む。
それだからこそ、一度きりの高校生活を無為に過ごさないためにも、高校でのみずからの立ち位置を見極め、現在の過ごし方が将来への希望を探索する日々としてふさわしいのかどうかを、よくよく考えてみることが必要だろうと私は思います。



  8月18日(火)
総選挙告示日。解散から1か月以上ある総選挙はめずらしいわけで、それだけ冷静に各党の政策を検討することができます。
自民党は、テレビでは毎日のように麻生首相の顔が大写しになっていますけれど、麻生総理の顔が入ったポスターがどこにもないという報道がありました。
民主党は、財源やFTAをめぐって党首の歯切れの悪さが目立っているもののトレンド調査では自民の2倍の支持率。バラマキともっぱらの評判の予算の組み替えですから、これは自民党でなくてもびっくり。政権をとって本当にやれるのかしらと人ごとながら心配になります。できなかったら鳩山さん、責任をとって党首をやめるだけでなく議員辞職もするんでしょうか。基地問題にしろFTAにしろ「相手のあることですから」が口癖になってきた鳩山さん、相手が「いや」と言ったらどうするんですかね。

私が選挙後に最も注目しているのは、民主党はじめ野党がかかげる派遣法の改正と最低賃金のゆくえです。
派遣法は原則自由となった以前の状態に戻すことは急務。また最低賃金の問題では、何としても全国一律1000円にしないといけません。現在では地域別最低賃金制度で、たとえば今年の場合のように「1円」の引き上げという中央最低賃金審議会のどうしようもない議論が続けられていますから。
これが制度として、仮に全国一律ではなくても最低平均1000円に引き上げるよう法的に規制が行われたらどうか。おそらく労働の現場には画期的な変化が起こるでしょう。たとえば、これだけの引き上げが可能だという実感、政治の変化が直接に労働の現場に波及するという実感はとても重要です。
民主党の決定版マニフェストでは「景気状況に配慮しつつ、最低賃金の全国平均1000円を目指す」と書いてあります。共産党は「最低賃金の決定基準は、生計費のみとし、改定最賃法にも残されている企業の『支払い能力』を削除し、最低賃金の時給1000円以上への引き上げと、全国一律の最低賃金制度を確立します」
社民党は「中小企業に充分に配慮をしつつ、最低賃金(現在全国平均で時給703円)を段階的に時給1000円以上へ引き上げ、ワーキングプアをなくします」となっています。将来の課題とするかどうかは別に、一つの目安が1000円。派遣法の改定と併せて、選挙後に目が離せない状況になってくることは間違いありません。
しかし、同時に現在の権力をもっている側はそう簡単に既得権や支配の構造を手放さない。本当に「人間らしい生活」へ人々が踏み出せるには、それだけの「力」を市民の側が獲得したときだけ。今回の総選挙を契機に、日本の有権者はどこまでそれに近づけるのか。また近づけないのか、私は注目しています。



  8月17日(月)
午前中、知人に誘われて池田町の山あいのある集落にでかけました。「山の神」をまつる集まりがあるというので、好奇心に駆られるままに出かけたのでした。
池田町はその昔養蚕などで相当に栄えた集落がいくつもあり、広津地区もそのひとつ。しかし訪れた集落は今では数戸ずつが集まって細々と暮らしている状態で、集まりに出かけてきたのはかなり高齢の数人の女性たちだけ。それにまじって、若い人たちや子どもたちもまじって、かなり不思議な集いでしたから、初めての私にはよく意味がのみこめませんでした。
その集落には、県外から移住して有機農業をしたり、インディアンテントに子どもたちを誘っていろんなイベントをやったりしている青年がいて、その人の話を聞くことも一つの目的でした。また集落の住人の中にはコンピュータでデータ処理の仕事をしている人もいて、その奥さんや子どもたちも参加していました。
「山の神」のつどいとは言っても、ただ集まってお茶を飲んで話をするだけ。ある人が「旦那さんたちは来ないのかい」と聞いたら「もういねえ。あの世へ行ってしまった」という返事。一人暮らしをしているおばあさんたちと青年たちとの数少ない社交の場にもなっている集まりのようでした。池田にはまだまだ知らない地域やくらし、いろんな思い出暮らしている人たちがいるということを知った田だけでも一つの収穫でした。
ちなみに訪れたところは山の中腹にあるお堂。何となく「阿弥陀堂だより」にでてくるような感じで、実に素朴。ただ、最近中にあった仏像が盗まれたのだといいます。「何とか返ってきてくれないかいね」とおばあちゃんたち。









  8月16日(日)
盆過ぎからようやく本格的な夏になった感じの青空。朝晩はかなり涼しいのですが、昼はさすがに外に出るのもいやになるほど暑い。
今日は前日から法事の出席もかねて里帰りしていた息子の家族も昼には帰り、夜無事家に帰着したという連絡がありました。ちょっと賑やかだった我が家も、午後からはまたいつもの静けさに戻って、久しぶりに二人でゆっくりとすごしました。

昨日は弟の七回忌と母の三回忌。富山のお寺で法要を行いました。かねてから案内してあったとはいえ、不幸があったり健康状態が思わしくなくて出席できない親族もいて、結局身内だけのつつましい法要になりました。
連れ合いの仕事の都合でアフリカに住み、しばらく前々から出産のために帰国している姪も臨月のおなかを抱えて出席してくれ、息子・娘をはじめ甥や姪が久しぶりに勢揃い。それぞれ結婚して家族を持ちつつある姿をみていると、彼ら彼女らに親族の行事もそろそろバトンタッチする世代交代の時代になっていると実感させられました。











  8月8日(土)
午後5時半ごろから6時過ぎまで、これまでにないほどの集中豪雨。おかげでいつもはちょろちょろと流れている用水に上流から岩を含む激流が流れて、もしこのまま一時間も降れば数年前と同じような洪水被害が発生するかもしれません。幸い30分強で豪雨はやんで今は落ち着いています。突然のゲリラ豪雨だったのでびっくり。

総選挙がらみでニュースもにぎやかですが、やはり自民・民主の政権選択という構図できわめて意図的なものを感じます。「不偏不党」をかかげる全国知事会が開いた自公民3党だけの公開討論会も同様。マスメディアは何の疑問も提出せず、ただ橋本や東国原などネタになることだけを報道。
ネタになっている最近の話題は、民主党のマニフェストに掲げられたFTA問題。自民党は起死回生の風が吹いたとばかりに「民主党の政策では日本農業は壊滅する」と攻撃。これには笑っちゃいましたね。ここまで日本の農業を劣化させてきたのは誰だったのか。それには頬かむりして民主党を攻撃するのですからどうしようもありません。
一方の民主党はどうか。「マニフェストには誤解を与える部分があった。『FTA交渉を促進する』と修正する」(管代表代行)と発表。ウエブサイトでも「FTA交渉においては、農林水産物に関して米など重要な品目の関税を引き下げ・撤廃するとの考えを採るつもりはない。 」と火消しに躍起。素朴な疑問ですけど「WTOやFTAの交渉促進」とこの態度との関係ってさっぱりわかりませんね。
ところで、民主党の言う「農家への所得保障」は実は「FTA締結のため」だということが今日の「しんぶん赤旗」が報じていました。ここでは、「週間東洋経済(8月8日号)」誌上で民主党のFTA戦略小委員会事務局長の藤末健三氏が述べていることが引用されていますが、先日紹介した長野1区の篠原さんの発言録と同根。日米同盟を機軸とする同党の立場からすれば、先にFTAありきというのも無理からぬことなのでしょう。彼らの頭の中がそうなっている以上、どう言い繕ってみても、どう修正してみてもアメリカから攻められれば簡単にFTA締結になびくことは当然のなりゆきです。
また、衆議院の比例定数の削減。民主党のマニフェストでは政策各論のトップ「無駄遣い」の項目の一つとしてこれが掲げられています。
曰く、政策目的は「行財政改革を進めるとともに、政権交代が実現しやすい選挙制度とする」。なるほど、しきりに口にしていた「身を削る」などというものではなく、要するに「民主党と自民党で9割以上の議席を確保したい」という本音そのまま。
この党が政権をとったらどうなるのか、ある意味では興味津々というところ。つまり、選挙で公約していたことが、政権をとったあと、都合が悪くなって変更または改訂せざるをえなくなったときにどう言って取り繕うのか・・・ということ。FTAや農家への個別保証もそうだし、法制化から3年後の企業団体献金もそう。官僚の強力な抵抗で総崩れということにならなければいいんですけどね。

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明日は長崎原爆忌。過去に3度ほど長崎を訪れたことがありますが、大きな平和祈念像を見上げ体がすくむような感じにおそわれたことと、稲佐山から入り組んだ入り江と長崎の町を見下ろしたときのことは忘れられません。

夏が来るとふと思い出すことは、子どもの頃に住んだ家々のたたずまいや、そこでの父母との暮らしのこと。
父が戦争のことをほとんど何も語らずに逝ってしまったことは以前にも書いたことがありました。また空母の通信兵として従軍していたことも。陸軍と違って戦争のあいだ中、戦艦の奥で通信文と格闘していたであろう父だったから、たまに訪れる休暇のときの思い出以外はさして語ることも無かったのかもしれないし、そもそもほとんど私から聞くこともなかったから答えなかったということだけだったかも。
しかし、父の死後、同じような空母に乗っていた人から米軍によって攻撃された巡洋艦に乗っていた兵士の最後などを生々しく聞く機会もあり、父もそうした攻撃に何度もさらされていたことは容易に想像できますから、やはり過酷な過去は振り返りたくなかったというのが一番近いのではないかと今は思っています。生きていれば、もっともっと具体的に見聞きしたことを聞いただろうに、あまりにも早い死でしたから、今となってはどうしようもない。

この日も、日本の核武装を「まじめに」語る人々がいる。政府高官からもそうした発言が後をたたない現状は、戦争を知っているかどうかではなく、「想像力と論理」の問題としか言いようがありません。この国の巨大企業や政治を操る人々が作り出す一種異様な情報操作とそれらを垂れ流し劣化を続けるメディアとの「狂想曲」を背景としているとでも言ったらいいのか。
私の父や母も、沖縄に健在な妻の母も、そう自覚したかどうかは別としてその本性で「曇りの無い目」でものごとを見るように私たちを育てたように思えます。戦争も、死刑も、核兵器も自分の問題であり家族の問題であり、被害者・加害者の問題であると見る力が無ければ、それこそ思考停止のそしりを免れないでしょう。
「平和主義者は思考停止」と言う人々は、まさしく自分から超越した事柄としてコトバをもてあそんでいるのだから、そのコトバがそっくり自分に跳ね返っていることには全く気が付いていません。
せめてNHK「リミット」の最後くらいの想像力と論理があれば、そうした愚論も陰を潜めざるをえないでしょう。



  8月5日(水)
幸福実現党?ん?それにしても全国各地で立候補。よくもまあ、こんなに・・・。供託金だけでも一人300万円として合計すれば巨大な額。会員から集めたのかな。
幸福の科学=大川髢@というのはかなり前からそれとなく知ってはいましたが、大川を総裁として今年の5月に設立されたことは知らなかった。宗教法人幸福の科学が横滑りして政党化したものなんでしょうか。自らを宗教政党と呼んでいますから。
ホームページを見ると、役員には高学歴の面々がずらり。み〜んな元幸福の科学の役員です。特別代表にドクター中松がいるのもご愛敬?
マニフェストを読んでみると、これはすごい(こわ〜〜い、という意味)。「北朝鮮の核を無力化する先制軍事攻撃」「9条を改正して国防軍を備える」「海外から移民を積極的に受け入れ3億人人口へ」・・・?危機をあおり将来の夢を見せて人々をたぶらかすという意味では、何となくこれは霊感商法、マルチ商法に似ている。
こうした「宗教団体」が組織的に政治に乗り出すというのは、オーム真理教に前例・・・いやいやもっと前に先輩はいますが・・・があって珍しいことではありませんし、当選者が出ることも考えにくいことですが、全国政党として本格的に始動していることはその背景を含めて十分警戒しておくことが必要でしょう。その主張に、きわめて危険なものがあればなおのこと。
人間の社会生活全体のあらゆるところで矛盾が深まり深い亀裂が広がる中では、精神的なよりどころと強い力に惹かれる力学が働く。オーム真理教はそうした一つのよりどころとして高学歴の人間を吸収していくという背景を持っていましたが、この党は荒唐無稽・大言壮語こそが党是であるかのように「夢を見させる」ことによってやはり高学歴者を引きつけている。人々の心の裂け目に大量の麻酔をかけて、気が付いたら取り返しの付かない裂け目になっていたという危険な言論。ちょっと冷静に考えれば、どうしてこんな主張になるのかということが随所にありますから、「信じれば盲目」としか言いようがありません。今度の総選挙で果たして有権者はどう判断を下すのでしょうか。

今日も仕事中眠くなって困った。部屋の中は冷房をしていても30度くらい。お昼を食べてからの授業が一番つらい。それでも何とかやっつけて帰宅。
それから一時間くらい外にでて、草取りをしました。草の中には、大根、オクラ、インゲンなどが埋もれ、つい先日摘み取ったモロヘイヤが結構枝を這っていたのでそれらを収穫。昨日は、天候不順で野菜の値段が上がっているというニュースを見ましたが、我が家では当分野菜ばっかりの食事です。
土作りからしっかりやっているわけではないので、まだ水が引かないところもあるし、草も伸び放題で野菜作りもなかなか難しい。それでもきゅうりやトマトもそれなりに収穫できているので、今年はまずまず。来年からはもう少し勉強を積んで、畑の土の管理や雑草対策をしっかりやらないといけないなと思わされています。
下の写真は、昨年バラバラと巻いておいたアスパラガスの芽がたくさん出てきて、ポットに移し替えたもの。30個以上あります。数年したら立派なアスパラになるはず。もっと増やしてアスパラ畑にすれば、出荷もできるようになるかな。







  8月4日(火)
朝からよく晴れて暑い日になりました。午前中は妻と二人で草ボウボウの中からジャガイモ掘り。大小様々なジャガイモがどっさり採れました。妻は午後からいつものように仕事。
私は少し休んでからまた裏の畑で草取りとイチゴの苗の整理。ネギやイチゴの畝も草がびっしりはびこって、苗がどこにいったか分からなくなっています。暑いので5時頃に家に入りましたが、昨年ほどまでには根気がつづかない。シャワーを浴びると一気に疲れがでて、ウトウトとしてしまいました。明日はまた朝から講座です。

この頃読んだ本。「リンゴが教えてくれたこと」(木村秋則著 日経プレミアシリーズ)。
昨日生徒が「あ、それお父さんが読んでいる。たくさん買ってきて職場の人に読めって勧めているんだよ。私にも勧めるけど断ったけど・・」と話していました。中身をちょっとだけ紹介したら「あ、読んでみよ」だって。
苦節10年、ついに自然農法でリンゴを実らせた記録です。農と人間、農と自然、自然と人間のかかわりをまるごと問い直すという意味で深く考えさせてくれます。
池田でも無農薬有機農法で米をつくっている人たちに対して、「そんなことをしていれば今の農業はやっていけない」という根強い従来農法からの反論があります。実際、専業の仕事のかたわら副業として農業をやっている人からいえば、手間暇かけて悠長なことはやっていられないという声が出ることは当然のことだし、ただでさえ暴落しつつある米価のもとでは、ある程度農薬を使用して害虫や病気を除去してたくさんの米をつくらなければやっていけないということも十分理解できます。それでも、なお、食の安全をいま根底から問い直さなければならなくなっているのは、単に健康が破壊されるからとか、安全な食品がトレンドだかからということではないはず。もはや自然史の一部でさえなくなった人間が、果たしてこのまま種の存続が可能なのかどうかという根底からの疑問を突きつけられているからではないのか、と私には思えます。
自然界の植物や動物に「この世からいなくなってほしいと思う最も邪悪で凶暴な害虫は何か」と聞けば、「人間」と答えるに違いないというのはすでに言い古されたことですが、それほどに自然を痛めつけ、そしていま人間が勝手に「自然災害」と称する「自然の抵抗」に直面しているわけです。
「自然災害」の被害を受けた個々の人に責任があるのだというつもりは全くありません。しかし、さきほど述べた意味において、自分が自然とどうかかわっているのかを問い直すことはどうしても必要なことであると強く思わされるのです。
環境破壊を人間一般の「罪」として一人一人に均等に責任を負わせるような「理論」は、マスコミ好みではあっても取るべき態度でないことは明らかです。環境問題は、経済活動を政治の力でどのように規制するのか、どのような社会のあり方や仕組みが必要なのかを考えるなかでしか根本的な解決はあり得ないと思うからです。
そうした考えに立ってなお、自然が人間に根底から問いかける「生き方」や「責任」ということを、木村さんは自分のつらく苦しい体験から私たちにも一緒に考えてほしい、そう語りかけているのだと私は読みました。

その流れで、つづいて読んでいるのが辺見庸さんの「しのびよる破局ー生体の悲鳴が聞こえるか」(大月書店)。かつてNHK・ETV特集で放送されたものに筆者が大幅加筆補充、今年の3月に出版されたものです。
彼の著作はかなり読んでいる方なのですが、この放送は知らなかった。入手するのも遅くなって今頃読んでいるというわけです。
まだ第2章までですが、これはゆっくりゆっくり読みたい本。あまりに鋭くて彼の問題意識について行くのはかなりしんどいのですが、ものを考えなくなった時に「しっかりしろ」と言ってほしくて手に取ってしまいます。

音楽家がストレートに反戦を歌えば、たいていはプロパガンダにしかならない。しかし反戦や抵抗運動に寄り添う音楽は人々を鼓舞し生き方をも変える。それとよくにて、文筆家が政治をストレートに語れば、それは政治的な見解の表明であって、文学や評論のジャンルには入らない。しかし、政治や経済の問題を根底から問い、現代に鋭く切り込んでいくことはそのことを通して不可避的に政治のあり方をも問うているわけで、辺見さんが発信するメッセージはラジカル(根源的)に心に届くものになっています。



  8月3日(月)
昨日はわが共産党ファンクラブの総会の日でした。ただ直後に塾で仕事、さらに今日も朝から一日夏期講習だったので、落ち着いて机に向かうことができませんでした。明日は休みなので、今日はちょっと精神的に余裕があります。
この夏期講習は、午後はプレハブでの授業なので、直射日光が屋根を照らし、熱がもろに部屋に侵入してきます。冷房は入れてはいても、部屋の上部は暑く、逆に生徒たちの足下はやや冷たいという状態。立って話している私は、上半身が異様に熱せられるために午後からはときどき痺れるように眠くなって困りました。6時間は長い。

さて、昨日のファンクラブ総会、総選挙前ということもあり、候補者を追っかけてテレビや新聞などのマスコミが何社も取材に入ったので、普段とはちょっと違って熱気のある集会になりました。
総会の議事に先立って挨拶をした岸野正明さん(長野2区)と中野早苗さん(比例代表北陸信越ブロック)が、決戦に臨む気合いを込め、凜としてその決意を披瀝した姿が印象的でした。とくに中野さんが報告していた生活苦にあえぐ家庭や障害者の苦しい生活は胸を打つもので、この選挙の意義を胸に落ちる言葉で語っていたことが忘れられません。






さて、私の役目は、そのあとの総会で議案のすべてを提案すること。経過報告、総括から始まって総選挙方針や年間の活動方針、新役員提案と、ちょっと見には大変そうですが、前総会からの期間が短いと言うこともあって実際は提案時間は20分程度。質疑ではいくつかの意見や報告があって、最後に提案通り採択されました。無事終了してホッとしました。
この報告の冒頭にも私自身の感想として話していたことですが、わがファンクラブは、どこかの党のような選挙時だけの「かきあつめ、にわかづくり」の後援会ではありません。
一年間を通して、地域に密着して地道に会員や読者をふやし、役員会を定期に持って活動内容をしっかり議論する。ニュースは月一回定期発行する。その中には政策だけではなく、地域の情報や会員の声も盛り込む。
すべて会員からの募金で運営していて、大企業や団体などとの腐れ縁が一切無い。結びついているのは地域の一人一人のみなさん。それらの要求をくみあげて議員を先頭に実現に努力する・・・こんなファンクラブ(後援会)は全国でもそうないだろうし、他党にはまず絶対にまねのできないことです。日本共産党のファンクラブだからこそできることだと私は自信をもって言うことができます。
総会では、来年2月に迎えるファンクラブニュース100号記念として盛大なイベントをやろうということを決めました。楽しく勇気のわく手づくりのイベントができるとうれしいですね。
もちろんその前に共産党の議席をきっちり確保しないといけませんが。



  8月1日(土)
おそらく今月末は日本の政治史に記録される日になるだろうという予感があります。もちろん総選挙のこと。民主党が政権を取ることが重要なのではありません。自民党の戦後政治が本格的に壊れて、次の時代の模索が始まるという意味においてです。
自民党は日本において財界・大企業のイデオロギーを表現する一つの政治勢力にすぎません。とはいえ、それなりの歴史と自己運動とがあるれっきとした政党ですから、したたかさにおいては民主党にさえかなわないところもあるでしょう。
しかし同時に民主党もある意味では自民党と同じ役割を期待されている政党ですから、財界奥の院としてはその役割を利用しようとあらゆる策を練ってくることは間違いがない。2大保守党の枠組みをどう作り上げるかを必死で考え実行に移しているはずです。
こんどの総選挙は、そうした権力側の思惑をはるかに超えて、鬱積した怒りや不満をはっきりと表明する戦後初の意思表示の機会になると私には思われてなりません。たとえそれが民主党への支持という形になるにせよ。

今日のニュースでは麻生さんが「自民党の政策はまだ道半ば」なのだということを力説していました。なるほどこの道が完成すれば、福祉や医療はどん底になり、雇用は守られず格差は極限まで拡大されることになるということを力説しているに等しい。国民はこの道をみぬき、自公政権を見放していると知るべきです。
民主党のマニフェストは、国民受けの政策を並べまくっていますが、財源の行き着くところは消費税の大幅引き上げしかあり得ない。そして、議員定数を「比例で80削減」するというのですから、民主主義の破壊者という本質も兼ね備えている。これで国会は自民と民主しか残らないことになるでしょう。財界にとってはこれほどうれしいことはない。その先が憲法9条の改変であることは論を待ちません。

さて、民主党はけばけばしいマニフェストの外交方針に、「米国との間で自由貿易協定(FTA)を締結し、貿易・投資の自由化を進める」とはっきりとかいちゃった。当然のようにすぐさま「日本農業を壊滅させる」としてJA全中はじめ農業者団体から猛反発が起こり、あわてて「米などの主要品目の関税をこれ以上、下げる考えはない」などと釈明する始末。
この問題は民主党の本質をとてもよく表していると私は思いますよ。「農林水産省の試算によると、経済連携協定(EPA)やFTAで関税などの国境措置が撤廃された場合、日本の農業総生産額の42%に相当する3兆5959億円が失われ、食料自給率が12%に低下する」(しんぶん赤旗7/31)ということがわかっているのに、マニフェストにははっきりと書いたのですから症状は深刻です。
どんなに言いつくろってもその狙いはほとんど「新自由主義」。これに対しての対策は「米がたとえ一俵5000円になったとしても、中国からどんなに安い野菜や果物が入ってきても」(07年の政策ビラ)「所得補償制度」を導入すればよいというわけですから、国民の税金が野放図な「所得補償制度」に流れていく構図です。いったいその財源がどこから沸いてくるというのですかね。消費税の大増税も政権獲得後そう遠くない将来に提起されざるをえないでしょうに。
民主党の「次の内閣農林水産大臣」は、長野県のみなさん、長野1区選出の篠原孝さんですよ。当然このマニフェストに責任があります。彼の発言を読むと、こりゃ自民党農政どころではありません。日本農業壊滅も「夢」ではありませんよ。彼のことを少し知っている濱田さんがご自身のブログでおもしろいことを書いていらっしゃいますから是非ご一読を。

さて、これも今日知ったことですが、いま横浜市で「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択する動きが急だという報道がありました。05年の採択では、6人の教育委員の中で5人が反対。その中でただ1人賛成したのが現教育委員長。この人選をすすめたのが任期途中で市長職を放り投げた中田宏氏というわけです。
この市長が杉並区(ここでも教科書採択で同様の動きがしつこく続けられている)の山田区長らといま進めているのが「『よい国をつくろう』日本国民会議」。地方分権をあれこれ口にしていましたが、実際やろうとしていることは「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議」と大同小異。異なるのは、かなり急進的な「国家主義」運動であること。ある意味、古い自民党の行き詰まりからくる「焦り」「危機感」が背景にあるので、そうした空気を吸収する力も無視できません。
事務局のある人物が書いている次のことはそれをよく示しています。

政治とは、「国家の運命を拓き、国民の繁栄・幸福を増進する、崇高な国家経営」であるべきです。そしてそのような「本物の政治」は「正しい国家理念」に基づいた諸政策を、「覚悟」をもった政治家と「気概」をもった国民が力を合わせて推し進めてこそ、実現できるものと信じます。

根っこは「国家主義」ですから、マスメディアを大いに利用しつついろんなところで活発に発言(妄言)を繰り返している彼らの動向には十分注意が必要でしょう。




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