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  10月30日(土)
台風の影響で、今日予定していたバラガーデンの整備作業が延期。なかなかうまく作業がすすまないものですね。抜根した株がたくさん山積みになって雨に洗われています。仕方がないので、時間が取れる人に声をかけて、少しずつ片付けていくしかないのでしょう。何事もお金をかけず、一から始めるということは大変なことです。
「ガーデンづくり」といえば、もうすでにたくさんの花が植えてあって、それを管理したり愛でたりすることだと誤解する人が、ここ池田でさえ少なからずいます。私たちのやっていることは、斜面の木を切り、株を除き、草をとって枯葉などの肥料をまき、デザインをして、それから少しずつガーデンらしくしようという遠大な計画なのです。正直「ネコ」の手も借りたいほどなのであります。もし近くにお住まいで、少しでもお手伝いいただける方がいらっしゃったら是非声をかけてくださいね。

東京に住むSさんから送られてくる個人メールマガジン「金べえ便り」というのがあります。最近は、北欧への視察旅行の印象記がつづいていて、なかなか深い内容がたくさん綴られています。過去の記録は「北欧ノート」としてまとめられています。
ご本人は「日本の障害者支援活動家。全国障害者問題研究会全国事務局長、日本障害者協議会理事」(ウィキペディア)で、連日多忙な生活を送っていらっしゃる。律儀な家族で、夏冬には夫婦それぞれの親元に帰り、そのついでに我が家にも寄ってくれる(途中休憩?)という生活サイクルの一面も。
昨日は東京で「10.29全国大フォーラム」が開かれ、それに多数の障がい者のみなさんと参加されたのでしょう。
今日書きたかったのは、彼が送ってくれる「北欧2010」という記事の内容。毎年北欧(スウェーデン、デンマーク、フィンランドなど)に出かけては調査・研究をしている人ですから、1〜2週間旅行をした印象記とはまるで違います。読んでいるとなるほどと思うことから、日本の出来事に引き寄せてうんと考えさせられることがたくさんあるのです。

第4回目の「ストックホルムの休日」からいくつかピックアップ。

フレデリシアから首都・コペンヘーゲンまではデンマーク国鉄の特急で2時間半。
乳母車とともに乗ってきた素敵なお母さんとかわいい息子は、隣のボックスでゆったりと楽しんでいる。
気がつくと、彼女はさっと遊び道具をまとめ、子どもを乳母車に乗せて下車している。
いつの間にか近くの若者が乳母車をサポートし、あっという間にどこかに消えていた。

そういえば、数年前、石畳の町のレストランに車いすの友人と行ったとき、入口の段差に途方にくれているわたしたちの後ろから、屈強な男たちがやってきて、あっという間にレストランに入れてくれた。
帰りは、店のお客さんたちが、ささっと車いすをサポートしてくれた。
バリアフリーが、人びとのこころの中にも当たり前のように存在している感じがする。


私は、何を隠そう恥ずかしいことに、「バリアフリー」とは、「建物や道路に段差がなく、障がい者が不自由を感じることなく生活ができる環境」であると、ものすごく狭く(つまり人間抜きに)考えていたのでした。このデンマークでのできごとは、バリアフリーとは環境もさることながら、それを人間として当たり前のこと(つまり、障害があるなしにかかわらず同じ人間であり、またいつ自分がその立場になるかわからない存在であるという自覚)と考える「にんげんのありかた」なのだということに気づかせてくれます。
今から10年ほど前(東京)のこと、仕事帰りに小さな子どもを抱えて乳母車をひっぱって横断歩道橋を渡ろうとしているアジア系の母親がいて、私が乳母車を持って渡ったときのこと、「長いことこうしているけど、こんなふうにしてもらったのは初めてでした。みんな見ぬふりをしていた」とつぶやいていたことが今でも忘れられないのです。「善意」の人はたくさんいるはずで、たまたまその親子はそうした人に出会えなかったのだろうとそのときは思いました。しかし、そんな行動は「善意」などではなく、バリアフリーというとらえ方として「ふつう」にできるべきなのです。

日曜日の早朝。1時間ほど、運河沿いの緑の小径を散歩した。じつに、気持ちがいい。
お年寄りも、子どもも、若者たちも走ったり歩いたりしている。

『北欧 ナチュラルライフに出会う旅』によれば、「自分らしく生きるため、街や自然とともに暮らすための、洗練された習慣をもっている」
なるほど。

そして、彼や彼女らは、自治体から低料金で借りる「コロニーガーデン」で「庭仕事」を楽しむのだそうだ。
4畳ほどの小屋には小さなテーブル、キッチンで湯を沸かしお茶を飲む。
大きな道具は共有品がレンタルされ、重い肥料なども共同購入している。
この運河沿いの小径の片側もそうしたガーデンが続いていた。


私たち「バラ愛好会」がいま計画しているガーデンは、まさしくこの「コロニーガーデン」風のたたずまいを想定している。景色のいい場所で、庭仕事をしながら、お茶を飲みおしゃべりをして楽しむ。スエーデンでは、こうした「コロニー」を自治体が用意し、施設を含めて低料金で提供しているということ。
ここ池田にはまだ自然とともに楽しむ空間がたくさんあり、「花とハーブ」などというスローガンもある。しかし、この地では、ガーデンをつくるには、自腹で長い年月をかけて手間暇かけなければいけません。
この地(日本)には、個人としてそうした楽しみを持っている人はたくさんいるけれど、自治体として、行政の意識として「自分らしく生きるため、街や自然とともに暮らすための、洗練された習慣」を体現しているところはおそらく皆無ではないのでしょうか。彼の地との埋めがたい考え方の相違を感じてしまいます。

〜その変わらないはずのスウェーデンが変わっている。
9月19日のスウェーデン総選挙では、「反移民」右翼が台頭し、与党の中道右派政権は過半数を割り、福祉国家づくりの主役だった社会民主党は連敗したと報じられた。
人口940万人の10%以上、7人に一人は外国生まれという多人種他民族の国。
失業率は8%、若者は就職難だ。

ストックホルムの障害者団体代表のニールスが、
「もっとも大きな困難の一つは、多様な民族、多様な価値観、生活習慣の違いを尊重しながらの、インクルージョン(排除しない)だ」と言っていたのが思い出される。


EU加盟とともに経済圏が拡大し、いいことも悪いことも流れ込んでくる。「80年代ごろから社会問題として浮上したが、今回の選挙で『我が国の移民政策は失敗だった』と右翼は台頭し、『社会の底辺の欲求不満が、移民を生け贄にする形でふきだした』と論評されている」と彼は書いていますが、不満のやりどころを弱者に向けるのはどこの国でも共通した現象です。それを克服する力をその国の人々が持ちうるのかどうか。どのような形でそれを解決するのか、高負担・高福祉というくくりでは見えない「人々の力」が、結局はその国の行方を決定づけることになるはずです。
ひるがえって日本では、民主党による「事業仕分け」があらためてマスコミなどで「これでもか」というように伝えられています。対象とする特別会計の中にはとんでもないものがまじっているわけで、これまで放置して来たこと自体問題ですが、パフォーマンスとして行われているきらいがないでもない。それに最も重要な本来の仕分けの対象が仕分けにならず、温存されていること。たとえば、「在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)について、菅内閣は総額を維持する方向で米側と交渉する方針を固めた。今後の焦点は増額を求める米側との交渉に移る」(asahi.com10/30)という問題はどうなのでしょうか。
福祉にしても医療にしても、ほとんどが公約破りの政権だからこそ、蓮舫さんや枝野さんの「かっこよさ」に期待するということなんですかね。

国民の目と関心を事業仕分けと北朝鮮、中国にむけさせて、その間に「痛み」をともなう政策をどんどんやってしまおうというのでしょう。
沖縄へのオスプレイの配備もその延長線上。今度の知事選は伊波さんを絶対に当選させたいものです。11月中旬には「いてもたってもいられず」妻が応援に現地(故郷)に行くということになりました。目を北欧から日本へ。目をこらして我が住む町のことを。



  10月27日(水)
昨日から寒い寒い。昨夜午後10時頃、大町ではみぞれが降ったとかという情報が。白馬から来ている生徒が、「今夜は雪になるのかな?・・」とつぶやいていました。
明けて今朝は、多少天気は回復したようでしたが、風は強く冷たいまま。北アルプスの中腹まで厚くかかった雲のわずかな隙間からは初冠雪が見えました。

相変わらずのご無沙汰でした。まあ、時々は書く気力がなくなるときもあるもので、ご容赦を。
最近私のやっていることと言えば、あいかわらず畑仕事と塾の仕事、それにパソコンに向かってニュースやいろんな資料などの作成。結構忙しかったのです。「つれづれ」どころではありませんでしたけど・・。

受験期が迫ってきて、高3の生徒たちの質問も結構ハードになってきました。模試や入試問題集でわからないことがあると、問題を丸ごと質問するからです。部分を質問されても、結局は最初から見ないと意味不明なことが多いので大変です。
きのうなど、「漸化式を全部最初から教えてください」などと言われ、果ては河合塾の問題を一題参考までに解いていたら、これが結構時間がかかる。方針を立てて、経過を確かめていたら「先生でも悩むことあるんですか?」だって。おいおい、何でも即座に答えられたら、そりゃ人間じゃありませんよ。というわけで、毎日試されています。

今度はデジタルなお話です。パソコンの講習会をはじめてほぼ一ヶ月、私も多少ワードのことがわかってきましたよ。これからエクセルの勉強をしなければならないと思うとうんざりですけど。
ところで、これまでホームページの作成はHTML+CSSだけでしたが、最近の状況はXHTML+CSS。観光協会のホームページづくりをお手伝いして以来全くホームページづくりにはタッチしていなかったので、最近の状況は全くわからずにいました。
最近になって、町の町民活動サポートセンターでポータルサイトの話しを私から持ち出したために、自分でも何か試案をつくってみなければと思いたったというわけ。実際につくるのが一番勉強になりますから。
見よう見まねでゼロから作り始めてみると、これが大変で挫折の連続です。
基本構造はXHTMLで記述し、あとはすべてCSSでデザインするというのが最近主流の方法らしい。使い慣れたテーブル・タグは使わずにブロックでページをつくりあげていきます。CSSも恐ろしく多様な制御ができるようになっているので、大変ではあるもののそれなりに勉強になります。
ウエブ作成専門の若い人ならすぐに理解できそうなことも、これから始める私などは、たった一列のメニューを作成するのに3日もかかってしまいました。

第2は町政研究会の資料づくりの仕事。2008年度のデータが一部分しか入っていなかったので、これを全部追加し、さらにまだできあがっていなかったページを仕上げて、ようやく一通りの資料集ができました。
前回の研究会では、これをベースに町政白書を作成するために、関心のある人たちに読んでもらい意見を聞いて、さらにいいものに仕上げていくことで合意しましたので、検討・研究の助けになるようウエブページでも公開することにしました。
本来研究会のサイトを立ち上げてそこでいろいろ研究できるようにしたいのですが、とりあえずは私のサイトに併設することにします。データはあくまで研究用、検討資料なので、そのような扱いをお願いします。

トップページからもアクセスできますが、リンクは以下の通りです。

町政研究会 池田町町政白書(準備資料)



  10月14日(木)
黄花コスモスやヒャクニチソウに、いまではありふれた蝶ですが「ツマグロヒョウモン」がたくさんやってきます。羽根の破れた弱々しいものからまだ若く見える元気な蝶までいろいろ。オスメスが入り乱れて蜜を吸っています。オスがメスを追っかけている様子も見られました。
「昆虫エクスプローラ」によれば「もともと南方系のチョウだが、幼虫がパンジーなどスミレ類を広く食べることから園芸植物にまぎれて広がった。また、地球の温暖化もこのチョウの隆盛に一役買っている」ということらしいし、「メスの方は前ばねの端の黒色がよく目立つ。マダラチョウの仲間『カバマダラ』(体内に毒を持つ)に擬態しているといわれる」と書いてありました。
別のサイトでは、「奄美以南に生息するカバマダラは、幼虫がトウワタという有毒植物を食べて育つ為に、成蝶になっても体内に毒素が残り、一度この毒蝶を食べ苦しんだ小鳥は、二度とこの蝶を襲うことはない」という記事をみつけました。しかし、擬態という機能はすでに失われてしまっているようです。
ウィキペディアによれば「日本では南西諸島、九州、四国、本州南西部で見られる。本州では1980年代まで近畿地方以西でしか見られなかったが、徐々に生息域が北上し1990年代以降には東海地方から関東地方南部、富山県・新潟県の平野部で観察されるようになった。2002年には北関東でも目撃報告がある。2006年現在、北関東でもほぼ定着し、普通種になりつつある」とありました。かつては南方系の蝶がどんどん生息域を北に伸ばしている様子からは、長野県もいかに暖かくなってきているのかが伺えますね。



ツマグロヒョウモン メス



我がWebサイトのデータ量を調べてみたら、ついに1Gを突破。いやはやすごいことになっています。動画をアップすればそれどころではないのですが、それにしても7年間でよくも延々とため込んできました。
つい最近私の利用しているレンタルサーバの容量が引き上げられて、何と120G(メールサーバ含む、利用料月額1800円)になりました。多分これは商用でメールを大量に扱ったり、動画をアップする人が格段に増えたことによるものでしょう。私などは文字と写真が中心なので、子孫の代まで使っても大丈夫かもしれませんね。
それにしても、自宅のコンピュータの容量もそうですが、それ以上にサイバー空間は恐ろしいくらいの速度で広がっています。ウエブ上でアプリケーションやデータの蓄積が容易にできるクラウドが最近の流行になり、メディアにも文字通り「雲」をつかってその効用を説明しようとしていました。先日のデータ漏れじゃありませんが、本当に大丈夫なのでしょうかね。

かなり前のテレビドラマ「ダーク・エンジェル」(ジェームズ・キャメロン監督作品)が描いた「電磁波テロ」によるサイバー空間の壊滅的破壊という問題が結構現実味を帯びてくる・・・と、またまた妄想を肥大化させています。
以前(といっても大分前ですが・・・)このドラマについてちょっと書いたことがありました。実は、最近寝る前にMax Allan Collinsが書いた「Darl Angel Before the Dawn」という英文の本を日本語翻訳と併せて読んでいるのです。効果絶大、5,6行読むとすぐに眠りに就くことができます。
遺伝子操作とサイバーテロという優れて現代的なテーマに意欲的に取り組んだ娯楽作品で内容はいたって平凡、荒唐無稽なものですが、私はそこに描かれた「最近のアメリカ映画らしくない」結構濃密な人間描写が好きで、映画に続けてMax Allan Collinsの著作(3部作)を数年前に買い込んでいたのでした。
最近それを思い出して、ほこりを払ってすこしずつ読み始めた(寝る前だけ!)次第なのです。
それはともかくとして、つい最近もネットショップのサイトに外国から進入、私を含む多数のカードデータが盗み出されたということがあったばかり。個人情報に関するものは極力サイトに載せないようにしていますが、日本にも海外にも、コンピューターに精通した悪意の輩はたくさんいるわけで、サイバー空間の肥大化とともに、その場はまさしく「犯罪の温床」いや「熱床」となっていくのではないかと恐れます。それは、単にデータが盗み出されるというだけではなく、何らかの原因でデーターが消失するということもあるわけで、サイバー空間を過信しないよう肝に銘ずべきだと私は思いますね。



  10月13日(水)
さわやかな晴天になった今日、午前中は例のバラ愛好会の第1回役員会を行いました。予定地の抜根がほぼ終了したので、このあとの作業や日程を確認するためです。
何しろ根っこが山積みなので、今月末に人海戦術でそれらをやっつけることにし、まだ会員登録が全く進んでいないので、できるだけ早く入会金や会費を募って有志を集めることや、ガーデンのレイアウトを考えること、それに肥料や木材などの資材の購入計画を立てることなどを相談しあいました。
木をとりはらったあとは素晴らしい景観、ここにゆったりとしたガーデンができれば、きっと町民も憩いの場として楽しみに集えるのではないかと思われます。時間はかかるけど楽しみな作業、じっくり構え、みんなで相談しながら楽しくやっていこうと話し合いました。
下の写真は予定地の全景。


昨夜は、「町民活動サポートセンター」第2回目の運営委員会がひらかれ、私は仕事を休んで出席しました。このサポートセンターがどんな役割を果たすのか、運営委員はどんな仕事をすることになるのか、なかなかイメージを描けないまま、試行錯誤の状態で協議が始まっています。
その会議の場でも「行政と町民は対等なパートナー」だとか「行政と町民との協働」をいう言葉が何度かでてきました。私はこの「協働」という言葉について、「行政の影がちらちらする言葉であり好きではない。サポートセンターの活動の本旨は住民自治の支援・活動促進にある」との発言しました。
この協働という言葉は単にパートナーシップを表すというだけの意味ではなく、「新しい公共」という概念と一体のものとして提起されているだけに、十分気をつけて議論しなければいけないと思わされました。
まず、「行政と町民は対等なパートナーなのか」。そうならば「協働」という言い方もあながち間違いではないでしょう。しかし、そうであるはずはありません。いろいろ調べてみると、行政と町民の関係をめぐって大きな二つの流れがあることがわかります。
一つは「住民が主人公であり、行政は全体の奉仕者である」という立場、もう一方は「行政は少数精鋭で政策立案にかかわり、それらの実施はひろく民間をふくめ新しい公共空間で行う」という立場です。

今年6月に発表された「新しい公共宣言」の末尾には、円卓会議構成メンバーとして市村小布施町長や、(株)いろどり社長の名前も見えますから、この「新しい公共」はなかなかしたたかです。しかも、この「宣言」は、誰もがあたりまえだと思えるような例や言い回しを使って住民やNPO、はては企業の公共サービスへの参入を積極的によびかけているのですからことは複雑です。

自治体問題研究所の「住民と自治」10月号は、この問題について特集を組んでいます。神戸大学教授の岡田章宏さんが、その中の小論でおもしろい事例を紹介していますから、ちょっと紹介してみましょう。
それは兵庫県加西市の中川市長が職員に送ったメール「ちょうぞう通信」の一節です。

・・・政策立案・議会対応・町税業務・基本計画策定・仕組みづくりなどは市役所職員が本文とすべき分野です。日常的かつ定型的な仕事は民間に任せて、決められたことが確実に遂行されているか、問題点があれば改善していくというモニタリングを私たち公務員が少数精鋭で担うのです。これが市役所の近未来像ではないかと思います。(6月29日付「市長から職員へのメール(ちょうぞう通信)」)

同文の末尾の方ではこんな表現も出てきます。

加西市の場合、臨時職員数は正職員数に比べてはるかに少ないのですが、職員の半分以上が臨時職員という自治体も少なくありません。長野県小布施町では全体の6割が臨時職員であり、正職員でなければ役所は運営できない、責任が持てないというのは自治労の論理であると私は思っています。

これを聞いて民主党政権は泣いて喜ぶのでしょうけど・・・。そこでこの新しい概念と方向を投げかけた張本人に聞いてみなければいけませんね。
次は、内閣府が「新しい公共支援事業の説明資料」という文書に書かれた「事業の目的」です。

古くからの日本の地域や民間の中にあった人々の支え合いと活気のある社会である「公共」を、現代にふさ わしい形で再編集し、人や地域の絆を作り直すことが 求められています。
寄附税制の刷新等、NPO等を取り巻く環境が大きく変わっていく中で、NPO等の自立的活動を後押しし、行政が独占してきた「公(おおやけ)」を市民、NPO、 企業等に開いた「新しい公共」を定着させることを目的 といたします。


いかがですか。前段では、昔からあった地域での助け合いや共同作業を生まれ変わらせようと、「日本人のこころ」にうったえかけます。そして後段では、さりげなく、行政が自ら自己批判したかのごとく公共空間をひろく開け放ちますと説明しているわけです。お役所仕事と批判され、親方日の丸と揶揄されてきた歴史をここぞとばかり覆そうとでもいわんばかりです。巧みと言えば巧み、底が見えていると言えばそうともいえる。

岡田教授はこれについて、次のようにコメントしているので、これも紹介。

いうまでもなく、ここに示された「近未来像」は、いわゆるニュー・パブリック・マネジメント(NPM)が念頭におく自治体像です。それは、従来自治体に組み込まれていた企画立案部門と実施執行部門を切り離し、前者を担当する「少数精鋭」の「公務員」が、民間に広く開放された後者(しばしばこれを「新しい公共(空間)」とよんでいます)を管理(マネジメント)するという姿と言い換えることができます。
財源の有効活用や経済の活性化という点からみれば、この像にも一定の合理性が含まれているのでしょうが、住民の側から見れば、自治体が果たす公的責任が大きく変質しようとしていることに気がつきます。
自治体は、権力を行使する機関として、常に住民の立場に立ち、適切な公共サービスを提供することが求められます。


同じ雑誌のもう一つの小論で、弁護士の城塚さんは「新しい公共」=「公務の市場化」という観点から「新しい公共」の動きを批判、「公務の市場化が官製ワーキングプアを生み出し、それが公務の質を低下させてきたという、いわば当たり前の道理に対する認識が欠けているのではないでしょうか」と言っていますが、その通りです。
市場化テストなどが大都市を中心にどんどん拡大されている現状からみて、いま適切に批判し尽くしておかないと、公務のさまざまな場が収拾の付かないほどにズタズタにされ、気がついてみたら劣悪なサービスと「エリート公務員」だけが残り、割を食うのはすべて住民という最悪の事態が生み出される。
対抗軸は、住民の側からも自治体労働者の側からも具体的に説得的に展開されなければならないでしょう。



  10月12日(火)
10月に入って忙しい日が続いていて、ついつい更新をさぼってしまいました。
そんな折りにも、よくこのページを見ているよと言っていただける人に会うとつい嬉しくなってしまいます。たいしたことを書いているわけでもなく、ただ折々のつれづれを書き綴っているだけの駄文ですのに。
この頃、私の感覚も都会にいた日々とは相当に違ってきているのではないかと思われます。それこそ「どっぷり」と池田町での生活に(畑にでて汗をかき、いろんな人と結構濃密な人間関係を築き・・・)浸かっているわけで、それなりに一生懸命生きていますから、まあよしとしましょう。ただ、ついつい「甘え」がでてきて、とりわけ観光協会やガイドマスターのみなさんにはご迷惑をかけてしまいがちです・・・。ごめんなさい。



ツマグロヒョウモン ♂オス

我が友MNEMOさんのページを読んでいたら、9月14日に書いた「私などは、なぜ存在には『理由』が必要なのかと思ってしまいますが」という一文をめぐって「苦笑してしまった」とありました。今度は私の方が苦笑してしまいました。切り捨てたような書き方をするものだから、これじゃとりつく島もありませんね。
私と父母、育ててくれた幾千の人々との関係で言えば私の「存在」には、偶然もあれば必然もある。単にそれらの人々やモノが「環境」としてあったということ以上に、認識すらしていない歴史や事象に囲まれているわけですから、「私」という存在にはさらに深い価値や理由があるのでしょう。そのことを否定するつもりは全くありません。
それと同様に、その他の生き物、無生物にさえ、数え切れないほどの偶然と必然の、つまりその本質的な存在の流れがあります。
ただ私としては、人間にとって不可解であり、不可知であるがゆえに、その背後にうかがい知れない「存在理由」があるというわけではないということだけを言いたかったわけで、「なぜ」と問うことからはじまって、文学的・哲学的にはもっと違う存在へのアプローチのしかたや表現があり得るだろうことも当然だと思います。
私には個人の内面に、その個人の意思とは無関係に「政治的に」持ち込まれるたぐいの「宗教的な情操」だとか「人知を越えた存在」、「自然への畏敬の念」などといった「ものいい」に含まれる、ある種の「いかがわしさ」がどうにも鼻についてなりません。とりわけ、自然科学において「神」を持ち出して何かを説明しようとか、自然科学で解明できない現象があることをもって「神」の存在証明にしようとか、そうした文脈での「存在」に対する「理由」には与することはできないというだけの話しです。
MNEMOさんは、「mooさんは理系だから」という言い方をしていましたが、自身はあまりそうも思っていないんですよ。たまたま自然科学的な分野とつきあいが長かったというだけかも。そしてまた、最近とくにそう思うのかもしれませんが、あるがままに受け入れ、あるがままに見る、よけいなものはいらないということの気楽さに、どうやらすっかりなじんでしまったようです。

さて、今夜はわざわざ仕事を休んで、「町民活動サポートセンター」の第2回運営委員会に出席します。一回仕事を休むと相当に給料が減りますからホンとは休みたくないんですけど・・。理念とか活動方針とかを議論するというから、大事な会合にはでておきたいし。
私が今日主張したいことは3つ。1つは、センターの性格を明確にしておくこと。2つは、いろんなグループの実態(活動内容や悩みなど)把握に時間をさくこと、3つは、かかった実費については予算措置をすること。とにかくおおいに議論しつつも、手分けして実態と要求をつかむことから始めることでしょう。机上のプランをいくらつくっても、そこからは何も生まれない。現実にいろいろ苦労している人たちの声を聞くことこそが、同等の立場でのサポートを可能にするのではないでしょうか。



  10月5日(火)
私が今日「柄物」のシャツを着ていったら、高3の生徒たちが「え、先生、ちょっと今日は違うね」と珍しいものでも見るような顔顔。「秋だからね」とかわしておきましたが、そんなに不思議でしたかねえ。そりゃまあ、夏は真っ黒なTシャツで通していたし、普通は無地ばかりでしたから。生徒たちは「シンプルイズベスト」が私の信条で、それに反するではないかというような目をして笑っていました。これからはせいぜいおしゃれをして生徒の目を楽しませますかね。

今週は一転猛烈に忙しい毎日になっています。今日も朝から町議の山本さんといっしょに穂高のパソコン教室に行って指導者講習会。若い女性の教師が、猛烈な勢いでワードの初歩をすべて(本一冊分)を一日で教えてくれたのです。何度も頭の中が「・・・」となりながらついていくのに必死。ワード嫌いの私にとってはかなりの苦痛でしたが、ビジネスソフトといえばワード・エクセルですから、仕方なく言われるとおりに操作をたどっていました。
マイクロソフトもユーザーの声を取り入れながらバージョンアップを繰り返しているので、Word2010になって使い勝手は相当よくなっているとその先生は話していました。
「仕方なく」とは書きましたが、次回はこちらが教える番、一生懸命習得するようにがんばりましたよ。しっかり教えていただいたおかげで、一通りのことはできるようになったはず。しかし、バージョンが2003になるとメニュー画面がまるで異なるので、まだ何度も復習をしてしっかりマスターできるようにしないといけません。でもやっぱりワードはきらいです。





  10月4日(月)
今日は午後からカモミールの会のみなさんとパソコンの勉強会をやるはずだったのですが、どうした手違いか向こうが一日予定を間違えてしまい、結局木曜日に変更。朝から教材をつくったりと準備をしていたのですが、ちょっと肩すかしを食いました。
準備をしながら思うことは、一通りパソコンの操作を知っているつもりが、結構自己流だということ。
講習会では、キーボードでの日本語の入力(タッチ・タイピング)を初歩からキチンとやり始めているのです。受講者はお店で働いている40〜60歳代の女性で、ほとんど正式な練習をしたことがないという人ばかり。それでも毎週講習をやっていると、結構家でも復習してくる人もいて、急速な進歩です。
私も刺激を受けて、今までほとんど扱ったことのないワードやエクセルをやらざるをえなくなる羽目に。明日は、わざわざパソコンスクールまで出かけて一日指導者講習を受けることになってしまいました。こうしたことでもない限り正式な扱い方は身につかないので、よかったのかな。

話しは変わりますが、先日カード会社から突然「最近○○(ビデオカメラらしい)という商品をお買い求めになったことはありますか」という電話がかかってきました。身に覚えのない商品だったので、即座に「ありません」と答えたところ、どうやら私のカード情報がどこかから漏れてそれが使われようとしたらしいということ。ただ、同じようなケースが多数にのぼったためにカード会社が確認の電話をしているのだということでした。
と思ったら、同日ネットでよく買い物をするパソコン販売の店から「通販サイトのウエブサーバーに海外から不正アクセスがあり、7万件にのぼるカード情報が流出した」という報告とお詫びの書状が届いていました。私が買い物をするのは、素性のよくわかった信頼のできる店ばかりで、たいていはカード決済ではなく代引きで買い物をしているのに、これはまずい。しかも最もセキュリティーがしっかりしていなければならないパソコン関係の販売会社なのですから大変ショックでした。
幸い事前に連絡をうけてカードが使われることがなく被害はなかったからよかったものの、対応が遅れれば全国的に相当な被害が発生していたはず。ネット社会の怖さを体験したことでした。さっそく、すぐに現行のカードは停止し新しいカードに作り替えてもらうことにしました。



  10月3日(日)
9月の過ぎるのが何と速いこと。今日は朝から夕方まで一日中3生のお相手。
塾では中3にI社の模試を取り入れて、気分だけはかなり入試本気モードになってきました。めずらしく今年から保護者を含めた3者面談も実施。ちょっとは気分も引き締まったかな。
ほとんどの生徒は塾ではかなり真剣に学んでいるのですが、家庭に帰ると普段はまだ1〜2時間程度机に向かうだけ。ほとんどが実力よりも高い希望を持っているので、これからの追い込みでいかに実力をつけるかがカギになります。担当曜日も、木曜日から日曜日に変わって連続休みがなくなってしまいました。

9月上旬まであまりに暑い日が続いたので、バラ園どころではありませんでしたが、ようやく気温も下がって来春の準備に取りかかる時期。以前バラ園用地の整備を知人に頼んでいたところ、昨日、「バックホーでの整備を始めたから見に来てほしい」という連絡がありました。さっそく現地に行ってみました。
予定地はニセアカシアが茂り放題で人力ではとても開墾は無理。機械力はさすがで、瞬く間に根っこから掘り起こしていきます。もちろん仕事を担当してくれている人は大変で、余りに大きな根っこと格闘しているときは、ときどきバックホーが斜めになっています。「ぼちぼちやるよ」ということで、晴れ間をみて少しずつ片付けていくことになりました。
開墾が終わらないと何も手がつけられないので、今年度は開墾した後始末をすることがまず大仕事。その後は枯葉を大量に敷いたり、設計図をつくって区画を決めて杭を打ったり仕切りをつくったりと準備作業が目白押しになります。10月中下旬には役員会を開いて、今後のスケジュールを決めることにしています。






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