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  12月31日(金)
いよいよ大晦日。朝から大掃除をして、一段落してようやく年賀状を仕上げ、夜のとばりが降りてからちょっと一息という一日でした。
ずっと鼻風邪が治らず、時々鼻がグズグズしてくしゃみが出るという症状。熱はないので大丈夫なのですが、とくに夜は困る。朝になると(口で息をしているものだから)口がからからで、思うようにしゃべれないという状態です。
塾も前半終了して3日からまた3日間。生徒たちは冬休みがとても短いのでかわいそうです。それでいて夏休みが長いかというとそうでもなく、他の県からみるとずいぶん授業時間が長いような気もするのですが、そうでもないのかな。

かなり強い寒気が流れ込んで、テレビでは大雪のニュースが流れてます。今のところ池田はほとんど雪がなく、今日などはずっとよい天気で発電も14キロまですすんだくらい(昨日は1キロだった!)。下の写真でも分かるとおり、池田は道は乾いているのに、大町は除雪車が出動するほど。仕事に行くのにも凍結がないかどうか結構注意が必要です。
白馬から毎日大町の高校に通っている生徒は、もう腰まで雪があると言っていましたから、彼にとっては大町でもたいしたことはないのでしょう。

上は昨日の我が家周辺。今日はすっかり雪も消えてしまいました。
下は仕事場の近く。日陰などでは結構な積雪があります。








  12月28日(火)
今朝はすっきりと晴れ渡って身が引き締まるような空気で満ちていました。東山は日が差すまでもう少し。冬の北アルプスは近寄りがたい何かを感じさせてくれます。


今日から高3、中3の冬期講習がはじまり、一刻一刻が勝負の時間です。塾であれ学校であれ、1人の生徒の期待に応えることは当然として、それ以上の「来てよかった」と思えるものをつかんで帰ってほしいと願うこと。夢中で問題に向かっている彼ら、彼女らは初心を思い起こさせてくれます。本当にそれだけのものを渡しているのだろうか。惰性に流されて、知識の切り売りだけで過ごしていないか。あしたからまた気を引き締めて彼らの前に立たなければと思います。

昨日、今日と久しぶりに心にしみるテレビドラマを見ました。再放送も素直に頷けるあの村上もとか原作「JINー仁ー」です。漫画は読んではいませんが、その構成力は非凡なものがあると感じさせます。
生きるとは、愛するとは、別れるとは、悩むとは、闘うとは・・・人間そのものに正面から向き合わせてくれる設定が実に心憎く、心が洗われます。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という決めぜりふも決して浮ついた言葉遊びではないのがよい。
江戸庶民の1人ひとりの生き様に丁寧に寄り添って、その悩み・悲しみを描いていきます。江戸から現代を照射することで、現代の社会にはびこる病理や人間の生き様を浮かび上がらせてもいます。
私たちはこのように真剣にそれぞれに生き方に向き合っているのだろうか、人と人との結びつき、言葉の重みを大事にしているのだろうか。本当に真剣に生き方に向き合えば、この言葉しかないという台詞が各所に現れてきます。4月からの完結編が楽しみです。



  12月26日(日)
昨夜は季節風が強く吹いて寒いこと。北陸から東北にかけての日本海側は相当な雪が降ったようで、その名残が北アルプスを越えて安曇平にやってくる。大町では屋根の雪が吹き飛ばされて霧状になっていました。

昨日の昼頃から鼻がグズグズしてどうも風邪気味。午後は大事をとって寝ていましたが、仕事に行かなければならず寒い中渋々出掛けていきました。仕事をしている間に大分よくなったようで、今晩ゆっくり寝れば直るでしょう。

仕事から帰って、古いアップルのパワーブックをいじっておりました。ときどき起動して動作確認をしないと、どうなっているのかわかりません。
PowerBook520というのは私がはじめてアップルのマッキントッシュに接したパソコンで、デスクトップ画面を見た瞬間にものすごいカルチャーショックをうけて、それ以来アップルファンになってしまった機種です。
その後、液晶画面を持ったPowerBook540cに乗り換え、それもNUpowr167MHzドーターカードを導入してグレードアップ。それが私のパソコン人生を大きく左右することになったのでした。当時、職場ではマックが主流で、いろんな刺激を及ぼし合うことができたのは何より幸運なことでした。
アップルが傾いていく時期のマシンとはいえ、マックの設計思想は初期の頃から変わっておらず、今でも全く古さを感じさせないのには驚きます。直感的でユーザーフレンドリーな使い勝手は当時のDOS/V機の比ではなく、しかも無駄を極限まで排したシンプルな画面は私の気持ちにもしっくりとくるもので、それ以来アプリケーションよりも機械そのものに惹かれて行くという、マック命の道にはまり込んでいくのでした。
今ではWindows機がメインマシンになって久しいのですが、当時のことは今でも鮮明によみがえってきます。というわけで、何かにつけて取り出しては、何をするということはないけれど、無事かどうかを確かめるという・・・これって、どういう症状ですかね



  12月25日(土)
昨夜、大町はかなりの積雪。ホワイト・クリスマスになりました。路上も数センチ積もり、車は凍り付いてワイパーが動かず、オーナーからお湯を借りてようやく始動。はじめて4輪駆動で走りました。
それでも、池田町に着いてみると、我が家の周辺はチラチラ雪が舞っているほどで、今朝もいつもとほとんど変わりのない朝。10数キロ離れただけでまるで違う世界です。だからこちらから大町に行くときはそれなりの準備をしていかないと怖いことになります。

さて、先日来組み立てていた中古パソコンがようやく完成。CPUはペン4だけれど3ギガあるし、メモリーは2ギガに増設、ハードディスクもこれまで外付けで使っていたものを中に入れて2台とし、まずまずの容量。サポートセンターあたりで使えたらいいなと思っていたけどパーになってしまったし、いずれ使い方は考えることにしましょう。
パソコン「道楽」ができるのも、まだアルバイトして多少稼げる間だけ。現在使っているものはすべてかなり電力を消費するデスクトップ機ですから、仕事をやめたら小さいEeePCだけで「しょぼく」がまんしますかね。


ところで私のセキュリティ・ソフトはNorton Internet Securityなんですが、最近私のホームページを検索窓口で見たらサイト評価が安全かどうか「不明」となっていたので、Norton Safe Webで「安全」のお墨付きをもらいました。Nortonを使っている人が検索をした場合に「安全」と表示されるわけで、まあたいしたことではありませんけど、ちょっとは安心して訪れてもらえますね。

さて、いよいよ年の瀬も押し迫って、年賀状を書いて、大掃除して・・・と忙しい。私はその合間に28日から始まる冬期講習のために大学入試センターの過去問を解かなきゃいけないし・・・ちょっと気が重いです。



  12月24日(金)
冬型の気圧配置が強まり急速に気温が下がってきました。北アルプスはとうとう下まで雪化粧。平野部でもうっすらと雪がかかって、いよいよ本格的な寒さの季節になってきそうです。
飼い猫のハルちゃんは、寒くなったので家にいて寝ていることが多くなりました。昼は私の膝の上にきたり食事をねだったりすることが多いのですが、夜は決して私と寝ようとしません。必ず妻の布団の上か、布団の中にもぐり込んで妻に添い寝をしてもらって寝ていることが多い。
人見知りの激しいネコですが、お隣のFさんが鰹節を持っているのを知っていて、最近はスリスリしてねだる光景が見られます。エサに弱いのは人間様だけではないようですね。
今日はちょっといたずらをしてスカーフを頭に巻いてやりました。私はマッチ売りの少女のつもりだったのに、妻が言うには「これじゃドロボウだ」。


今年はじめて収穫したピーナッツが大量に残っていて、どうしようかあれこれ考えていたのですが、昔の「あること」を思い出して「油で揚げて」みることにしました。試行錯誤の結果、170度で1分10秒ほど。冷めると市販のバタピーと見まごうほどの上出来。皮付きですが、皮はすぐにとれるので問題なし。
「あること」とは、その昔私がまだ20代独身で名古屋住まいだった頃、近くの小さい中華屋に入り浸っていたことがあります。定時制の勤務が終わってから食事に行くのが常で、その際にカウンターのすぐむこうでいろいろ料理をしているのをじっと見ていました。そこで教わった料理を今でも作ることがあります。
料理ではありませんが、その店には広口瓶のなかにたくさん生のカシューナッツを入れていて、注文があるたびに油で揚げてそのまま出すのです。これがとてもうまくて、しょっちゅう注文していたのでした。さっと揚げて塩をふりかけただけ。香ばしくいくらでも食べられるおいしさ。
カシューナッツもピーナッツも多分変わらないだろうから、鍋で煎るかわりに油で揚げたらどうかというのが今回の試作品。妻といっしょに、何回か失敗しながらも、時間と温度をいろいろ変えて試してみた結果が上の温度と時間。
ゆでたり蒸したりもやってみましたが、結局あげるのが一番。来年はもっとたくさんつくって、商売にすることにしますかね。ただし、皮を取るのが一苦労ですよ。






  12月23日(木)
過去のセンター試験数学の問題を見ていて、次第に技巧的な手法を使わないとできないような問題が増えているような気がします。かつては時間内に悠々と解けた問題が、最近では私でも60分ぎりぎりになることもめずらしくありません。もっとも私の力がどんどん落ちているのかもしれませんけど(^_^;)・・・。
高校で3年間数学を学んだだけの生徒がこうした問題を60分で解いて彼らの何がわかるのでしょうか。最近は恐ろしいほどの疑問としてふくれあがってきています。
早くからセンター型の問題を数多く解いて要領を身につけることがセンター攻略の秘訣とばかり、専門の参考書も多数発売され、数学を教えることをやめて入試のテクニックを教えることが本流に。そうやってますます数学嫌いの生徒を量産していくこの現状は、やがてこの国を惨憺たる状態に陥れていくのではないかと危惧されます。

松川中学3年C組の生徒たちが沖縄のことをしらべ、タブロイド12ページの「沖縄新聞」をつくったことが、いろいろなメディアで報道され話題となっています。先日妻が書いていたように、松川鈴の音ホールで展示されている新聞を見てきましたが、予想をはるかに超える新聞の出来に驚きました。沖縄の現実を見る目の確かさ、アプローチの手法、話題の取り上げ方など、どれをとっても中学生の目線で貫かれていました。新聞づくりのプロに指導をうけながらとはいえ、ここまで作ることは容易なことではありません。
現地沖縄では、新聞づくりに協力した沖縄タイムスが9日付けで一面トップにとりあげ、沖縄でも話題となっています。沖縄の友人が当日の新聞を送ってきてくれましたので紹介しますね。画面をクリックすると多少大きく見られます。また松川中学の「沖縄新聞」は「沖縄タイムス」にも掲載されています。


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一方我が町の例のサポートセンターをめぐる動きはどうか。今のところ何にも聞こえてきませんが、今日の市民タイムスが思い出したように大見出しで報道。大糸タイムスは議会一般質問直後に結構大きな見出しで報道していましたから、ようやく町民の中にも少しこの問題が浸透してきたかなと思えます。
何しろ、議会で何が起こっているか、町政にどんな問題があるかは町民にはほとんどわからない。今回の議会からネットで中継および録画視聴ができるようになったのは大きな前進ですが、これとてその時間にパソコンに向かっていなければならないわけですから、敷居は高い。

さて、2,3日前、あらためて議会の録画をみておりました。別にあたらしい発見があったわけでもありませんし、もう書きたいこともないのですが、いくつか気になったこともあったので、経過を振り返りつつ、この問題で何が焦点なのかについてちょっと考えてみました。

議会で町長や教育長が再三にわたって述べていたことは、次の4点に集約されます。

1つ目は、「町民活動サポートセンター」は「町民活動の砦である公民館に拠点をおく活動である」ということ。
2つ目は、「既存の施設・設備をつかって『小さくスタート』し、人・金・モノよりも情報を先行させて町民をつなぐ」活動をするべきであること。
3つめは、結婚相談活動やスポーツなどの具体的な事例でのサポート活動を担うこと。
4つめに、したがって、これらの活動は「限りなくゼロに近い」予算でできることであり、とくべつに場所や人をつける必要はなく、団体が補助を必要とするなら町の「元気な町づくり支援金」や県の「元気づくり支援金」を申請すればよいということ。


これらの答弁内容を聞いて、一般の町民はどのように感ずるでしょうか。とりたてて問題にするほどのことでもない、むしろ当たり前のことを主張していると感ずるのではないでしょうか。まさにその通りなのです。これらの経過からはっきりさせなければならないのは、町長・教育長が「サポートセンター」として考えていたのは「この程度のこと」だということです。
それを大げさに庁内のプロジェクトチームをつくり、大学教授(アドバイザー)も含めて5回にわたって検討し、その中で福祉会館を含めたセンターの場所や備品類を検討してきたというのは一体何だったのでしょうか。(しかも議論や検討された内容を町長は全く知らないでいた!)
そして、その構想が一頓挫したあげく、松澤氏にコーディネーターを頼み、準備室をたちあげ、さらに公募委員10人を含む「運営協議会」をつくって理念や方針を検討してきたのは一体何だったのでしょうか。(町長と考え方が「全く同じ」である教育長が全日程にわたって委員として参加していた!)。これこそが今回問われなければならないことなのです。
問題の核心は、「町長と運営協議会の意見が議論の中でずれた」などというものではなく、「はじめから前提が違っていたのに町長・教育長が何も対応してこなかった」ことにあるのです。「温度差」の問題ではありません。
上でまとめた町長の考えが最初に提示されて協議会が始まっていたら(委員を引き受けていたかどうかは別として)どんな議論が展開されたのでしょうか。私には何も見えてきません。もちろんその議論が行われる前提としては、プロジェクトチームの検討事項は白紙に戻されていなければならなかったでしょう。残念ながら、議会で町長が披瀝したような方針は、どの時点でも述べられず(第1回運営協議会では「一般的な理念」のみ)、構想自体の乖離があることへの一切の言及もなく、委員の自発的な協議をすすめるだけ進めさせておいて、最後に水をかけたというのが経過のすべてです。
はじめから構想・考え方が異なっていただけではなく、そのことについての役場内での町長との調整は何も行われず、ここにきて自分の考えと違っているというのは余りにも無責任ではないでしょうか。勝山町長、一事が万事ではありませんか。心配ですよ。

町長や教育長の頭の中では、センターが何らかの情報を流せば、町民からそれに答える動きがあるということが前提になっています。すでにそれは「上から目線」です。
その場所が本当に町民の交流やサポートのセンターになりうるかどうかは、そこに携わる人がどれだけ町民と直接(!)結びつき、情報を共有し、悩みやよろこびを共にしているかにかかっています。それはセンター内の専門に活動をする職員やボランティアの担当者が町内で活動する自主的団体のリーダーたちとまずしっかりした人間関係をむすぶことからしか始まりません。
公民館に「センター」と名前のつく場所をつくってそこに人が来るのを待っていれば、やがてそれが大きく育つなどというのはあまりにも滑稽です。それは単なる「実績づくり」と何も知らない人への「受けねらい」、アリバイづくりと言われてもしかたがない。実際、何もやったことのない人の考えることとしか思えません。
「運営協議会」での議論は、そんなレベルのものではなく、自らが町民のいろんな組織とむすびつき、直接悩みや要望を聞きながら町民活動を大きなうねりに高めていこうという大きな目標を掲げていたのです。机上の空論ではなく、実際にさまざまな活動のリーダーが集まり、過去のいろんな経験を集約してそのような議論を積み重ねていたということ、この事実にこそ池田町の「運営協議会」が果たそうとしていた先駆的な意義と役割があったのです。
「待っている場所」としてのセンターではなく、「地域に打って出る」拠点、「地域活動の情報の発信地」としてのとしてのセンター。「町民が気軽に集い情報を交流でき、今後の活動の土台」となるセンターをつくろうとすることは、町長の考える構想からは及びもつかないものなのでしょう。それらに初期投資が必要ないというのは、事務局および運営協議会が議論を重ねてきた「町民活動サポートセンター」の構想を町長が全く理解できないことを示す以外の何ものでもありません。

すでに議論は尽くされ、町長の頭の中の「ボランティア・バンク」は、これで2度目の破綻をきたしたわけですから、3度目はありません。あっさりあきらめるか、ご自身の考えと構想に忠実な方をリーダーとして運営をされるのがよろしい。その際には公募委員とか運営協議会などというものは一切必要ないと私は考えます。



  12月21日(火)
予報通り夕方から雨。しかもかなり激しい雨になりました。皆既月食は結局見られず残念。あしたまでに雪に変わらなければいいのですが。

今日は延び延びになっていたバラ園の枯葉集めの日。朝は相当に冷え込んで車の窓ガラスは分厚い氷で覆われていました。日が昇るにつれて暖かい日になって、枯葉集めの時間にはちょっと動くと汗がにじむほど。天気もよく作業はよくはかどりました。
落ち葉を集めに行ったのは、大峰高原の尾根伝いの平らな場所。マレットゴルフ状やキャンプ場があるあたりでした。道路のまわりや側溝には分厚く落ち葉が積もってわずかな一カ所でもものすごい量。しかも下の方はもう腐葉土になってしまっているようなものもあって、1時間ちょっとで終了。
バラ園の造成地に運んで、あらかじめ作ってあった大きな堆肥箱に詰め込みました。このあと牛糞や糠を混ぜ込んで一年ほどねかせておく予定。
枯葉が山のようにあるのですから、時間さえあればたくさん集めてきて良質の腐葉土をつくって販売するといいビジネスになるのではないかと思われるほど。
作業を中断しての昼食は会員の一人が汁物を用意してくれて、その美味しいこと。みんなで力を合わせて一つのことをやり遂げる充実感を味わったひとときでした。




下の写真はバラ園予定地の全景。町からの補助金も出ることになったし、あとは苗や肥料を買ったり、植え込む場所の整備をしたりするだけ。1〜3月には勉強会もしっかりやって4月からの本格的なガーデンづくりに備えることにしています。


夜は「美しい村連合」の第2回目のワークショップがあったのですが、私は仕事で欠席。話はどのように進んだのでしょうか。

塾ではまもなく冬期講座。予定は28,29,30日と1月3,4,5日が勤務日。10時から5時までとなります。東京で勤めていた頃から年末年始をゆっくり過ごした記憶がないくらいこの時期はあわただしく過ぎていきます。忙しいことはいいことなんですかね?



  12月20日(月)
昨日夕方私が仕事に出掛けてからのこと、妻が急にめまいがひどくなってお隣のFさんに病院に連れて行ってもらったという連絡がありました。昨日の夜は自治会の総会が予定されており妻が出るはずだったのですが、結局それどころではなくなってしまい、病院で点滴をしてもらってようやく元気をとりもどしたということでした。
電話でお隣さんに事情を聞いたところ、「病院に行く前は顔も真っ青で倒れそうだったけれど、点滴の後は見違えるようによくなった」ということだったので、まず一安心。
帰ってみると、まだ本調子ではなさそうだったけれど、何とかめまいもおさまっている様子でした。聞くと「急性のメニエル氏病だったのではないか」と言われたといいます。ネットで調べてみると、めまいだけではメニエル氏病ではないと書いてあるので、妻の症状は一体何だったのか。自分では、あまり水分をとらなかったのでそのせいもあるかも言っていました。いずれにしても、しっかり診断してもらう必要がありそうです。

私は今日はフリーの日。午前中はファンクラブニュースの最終稿を念査して、午後から印刷に。もう一つ、午後から来年開催予定の「農業シンポジウム」のパネラーの依頼に役場と農協に出向きました。
TPP問題を軸に、地域農業を守る課題は池田町ではとりわけ大きいので、世論を喚起する一つの試みとして力を入れようということになったものです。よびかけはファンクラブですが、ひろく実行委員会を結成して取り組む予定。
大北農協では専務理事の方が対応してくれて、農協では来年早々から全国で1000万人署名に取り組もうとしていると紹介、パネラーをは派遣することについては積極的に対応すると回答してくれました。役場では担当者が不在で申し入れのみ。
農業問題に限らずですが、地域の隅々から少しずつでも運動を起こしていく以外に課題を解決することはできないですからね。
明日は、のびのびになっていた「枯葉集め」。山に入って道路やその周辺をきれいにしてきます。

寝る前にコンピュータと囲碁の対決。ときどきやっているのですが、依然として全然勝てない。例の「天頂の囲碁」という公称「2段」のソフトです。
いろんなソフトを試してみましたが、これが断然強い。中にはそうでもないという「強い人」もいますけど・・・。憎らしいほどこちらの手を汚くするんですね。その意味で相手が読めないソフトです。
これに安定して勝てるようになるとアマ2〜3段くらいの力になるのかな。これまでの経験では永久にこないような気がします。
すでにバージョンは2になっていて、これは「3段」、ボーナスをもらったら(なかったんだった・・・)買おっと。
それはともかく、今日は慎重に慎重に相手の裏をかいて打っていたら、2段が投了した!!やったね。これで今日は安眠できます。おやすみなさい。


  12月17日(金)
つい先日、アフリカのベナン共和国に住む姪から連れ合いの赴任先が変わるので、しばらくアメリカに帰りそれから新しい任地タイに移るという連絡がありました。
元気そうな写真が添えられており、子どももすっかり大きくなってまるまる。第2子の誕生予定のニュースも。外交官ではなかなか居所が定まらず大変ですね。それでもそんなことを苦にすることもなく、海外生活を乗り切っていくたくましさは驚嘆すべきものがあります。見習わなければなりません。
まきちゃん、クリスマスカードありがとうね。元気で過ごしてください。日本に帰るときは連絡ください。


寒いながら久しぶりに快晴の気持ちのいいお天気になりました。午前中はファンクラブニュースの初稿を届けにまわりました。その途中、町から「松のチップが大量にあるのでいらないか」という連絡があって、「バラの会」の敷地に運んでもらいました。現場に行ってしばらく雑談。


お昼過ぎから,息子から戻ってきたPCを利用して、余っていたマザーボードにつけかえ、その他のパーツを寄せ集めて新しいデスクトップ機を組み立てていました。しばらくはこの作業で時間つぶしになるでしょう。
壊れていたと思っていたASUSのマザーボードP4P800-E Deluxeは幸い無事のようだし、CPUも、メモリーもこのマザーに適合した規格なのでよかった。チップセットは865PEという数年前の規格だから、今となってはレガシー・マザーボードですが、CPUは3.06ギガなのでちょっとした作業をするには問題ない。
問題はソフトの方。PCを使えるように設定するには、相当たくさんのソフトをインストールする必要があるので、時間がかかります。
相変わらずこんなことをせっせとやっているものだから、どうしようもありませんね。金食い虫のパソコンに私の方が食われてしまいそうです。

仕事が終わってからまたソフトのインストール作業。ウイルスソフトはどうしても購入しないといけないので、またまた出費。のり子さん、ごめんなさい。
何が面白いのかというと、適当にありあわせのパーツを組み合わせて、何とか完動するマシンを組み立てたという充実感、それだけなんですけどね。もちろん、いろんな場でこいつが役に立つということも視野には入っているものの、それはあくまで結果。単なる道楽だ〜〜〜。





  12月15日(水)
今日は朝から頭が痛く風邪気味だったので、2日目の議会傍聴には行かず、家でネット配信を見ておりました。映像も音声もきれいに入っていたので、技術の進歩はめざましいものだと実感させられました。願わくば、もっと実りある議論が展開されるように議員各氏の努力が重ねられますように。

仙石官房長官が13日の定例会見で「沖縄の方々にはそういう観点から誠に申し訳ないがこういう事については甘受していただくというか、お願いしたい」と述べ、翌日には「誤解を与えたとすればいつでも撤回する」と述べたと報道されていました。もうムチャクチャです。
ここでは「甘受」という言葉については、余りにアホらしいのであれこれ言うつもりはありません。むしろこうした発言が飛び出す民主党の体質こそ問題にしなければならないでしょう。沖縄県民の忍耐と怒りなど眼中になく、アメリカにしか目が向いていない骨がらみの日米軍事同盟体質。TPPに対する態度も全く同様です。

今日の信濃毎日には「早稲田大学ファイナンス大学院教授」の肩書きを持つ川本裕子氏が、龍馬をも引き合いに出しながら「開国への1人ひとりの挑戦を」と題する一文が掲載されていました。論文では「海外情勢も厳しいものになった。普天間基地問題で米国との信頼関係が揺らぎ、そこを見透かすように、尖閣問題では・・・」と現状をのべ、TPPに対して農業団体を中心に反対集会で民主党に圧力をかけている。こうして「中国をはじめとして、新興国の経済力で大きく変化する国際情勢の下、いつまでも国際感覚を欠く議論を続けているわけにはいかないことは明白だ」「『農業を守る』という視点ではいけない。国民の誰もが日本の農業が崩壊していいとは思っていないのだ。農業開国のため、国内の制度・政策をいつ、どのようなスピードで変えていけば対応が可能になるのか、一生懸命知恵を絞ることに集中すべきだろう」「龍馬も同じように言うに違いない」などと続けています。
日本の農業で自給率を高め、小規模農家を含めて日本の農業をいかに振興するかという重要な問題を、「内向きで守りの姿勢」と見る筆者の視点にまず驚かされます。歴代の政権政党の農業政策を歴史的に検証し、今日の日本農業の問題点と解決の視点を提起するのではなく、「日本の閉塞感を嘆く後ろ向きの気持ちではなく、挑戦し、日本を変えていこうとする1人ひとりの意志」だとする筆者の感覚は、もはや視点が生産者にも消費者にもなく、ただ「もやもやとした閉塞感を打ち破りたい」という願望から出発した気分の吐露にすぎません。
閉塞感は、そんなところにあるのでありません。子育て世代には、子どもを産んでも将来展望が持てないし、何より経済的に持たないという切実な思いがあります。学校では、あいかわらず入試一辺倒の知識偏重教育が支配し、子どもたちにも未来を見ることができくなっている現状がある。大学で一生懸命に学んでも就職できるところがない。会社に就職しても雇用は不安定で、いつ首を切られるかわからない。退職してもくらしていけるかどうか大きな不安を抱えて病気すらできない・・・閉塞感の根源は、日本の社会経済構造の深部にあるのであり、「内向き」にならざるを得ない現実が横たわっているのです。その根源を崩し、政治を変え、日本の現実をゆがめている大企業のやりたい放題とアメリカベッタリ体質を変えたときに、日本は国際社会で「独り立ち」できるのだろうと私は思います。むしろ、国民の1人ひとりがそうした将来展望をはっきり見据えられるように、あらゆる場面で要求と運動を発展させていくべきです。その視点を欠いて、無原則に「開国」を説いたところで、芯のない浮き草のようなものになってしまうでしょう。農業開国を前提に何をなすべきかを問うような議論の建て方は根本的に間違っています。民主党のように、所得補償をするからTPPでも大丈夫などという程度の方策以外に何ものも生まれません。
筆者はかつて産経web上で、「経済の活性化は生産性の低い旧来の事業部門や企業からこれからの成長分野に人や金が移動することを意味している。政府の政策はこうした資源移動を加速し円滑化することに向けられるべきであり、旧来の構造からの変化を阻害することがあってはならない」と説いていますから、生産性の低い日本の農業も旧来の構造から変化を遂げるべきだという主張をお持ちなのでしょう。しかしそれは、日本の大企業の描く日本支配の構図の一ページだということを忘れてはなりません。
「挑戦し、この日本を変えていこうという意志」は大事です。これは言葉や気持ちの問題ではありません。その方向が問題なのです。平和の問題では日本国憲法第9条を名実共に憲法の柱にしていくこと、日米安保条約をなくして対等平等の日米関係をつくること、あの戦争の正しい認識を育て中国をはじめ東南アジアの国々と平等互恵の政治・経済・文化の関係を築くこと、国民のいのちや暮らしを最優先とした政治を実現すること・・そうした1人ひとりの意志こそ若い世代を含めて育てていかなければならないはずです。



  12月14日(火)
12月議会一般質問を傍聴しました。議会が終わった後はすぐに仕事に行かなければならなかったので、これを書いている現在はすでに15日を迎えようという時間。かなり疲れながらも、整理しておかないと忘れそうなので、多少無理をしています。

サポートセンターに関する質問さえなければ、何事もなく普通に終わったであろう12月議会。残念ながらそうは問屋がおろしませんでしたね。
マスコミも注目する中で、「町民活動サポートセンター」について町長の見解を質したのは山本議員と桂川議員。かなり激しいやりとりになりましたが、そのおかげで明らかになったことがたくさんありました。それらをひっくるめてひと言でいえば、「町長がいかにこの問題について何もわかっていないか」をさらけ出したということです。
おそらく勝山町長からすれば、「なぜこのようなことを言われなければならないのか、自分の信念は一貫している」という思いで発言していたのでしょう。そのような態度がありありでした。だからこそ本質的なことを何も理解していない、いや理解できないというのです。

質疑を通してはっきりした、サポートセンターに関する町長の見解は次のようなものでした。

1.町民活動の一つの柱は自治会活動であり、もう一つの柱に、夢・趣味・町づくりなど同じ希望をもつグループ活動がある。それをお助けするのがセンターの役目である。

2.その趣旨に賛同するボランティアが、まず既存の施設である公民館をつかって小さく活動をはじめ実績をあげることだ。サポートセンターのあるべき姿は場所・金・人ではなく「情報」(情報を集めて人と人をつなぐこと)である。

3.もしサポートされる団体に資金が必要であれば、町の支援金や県の支援金を申請すればよい。

4.はじめに予算ありきという考えでスタートしたのではない。センター準備室が開設されてからもその線にそってやってもらえるものと信じていた。

5.ところがセンター準備室事務局から500万円の予算要求があり、場所も人もよこせというのにはびっくりした。準備室の考え方は「はじめに予算ありき」だ。なぜ500万も必要なのか不思議だ。
はじめから公民館を使って小さな予算でスタートしてほしいと考えてきた。プロジェクトが行われたときに必要経費の概算が検討されたというのも寝耳に水のことだ。

6.サポートセンターはマンパワーである。予算の使い方として人がやることについて金のいらないものもある。サポートセンターは人間のつながりの役割だから予算は必要ない。

7.今後の運営協議会については、自分の考えに理解してもらえるなら、その方向で進めてほしい。もしそれに異論があり、予算がなければ続けられないから辞任するというのならやむをえないことだ。理解して貰えないならしかたがない。町長として謝罪する必要もないし、考えを変えるつもりもない。

8.サポートセンターはたとえ辞任する人があろうがなかろうが、任期を全うするなかで教育委員会とスクラムをくんで自分の考えで続けていく。


さて、これを聞いて何としましょう。よく事情を知らない人は、なんだか内輪でもめているのではないかと思われるかもしれませんね。センター準備室や運営協議会がまるで町長に「金よこせ、人も場所もよこせ、そうでなければ仕事は続けない。辞めるぞ」と難癖をつけたり脅したりしているかのように受け取る人もいるかもしれません。これが町長のネライだとしたら、町長もなかなか「大もの」です。
しかし事実は正反対。不思議に思われた方は是非サポートセンター準備室が開設されるに至った経過を当事者からお聞きになり、運営協議会が始まってからの議事録を含めた全経過をつぶさにお読みください。そうすれば、事実は全く逆で、町長の態度はまさに「白を黒といいくるめる」たぐいのものであることがはっきりするでしょう。
また、幸いこの議会からU-Streamを使ったネット中継がはじまり、その録画が公開されていますので是非ご覧ください。

山本久子議員の質問(最初にもたい議員の質問があります。41分43秒あたりからです)
桂川哲三議員の質問

開設初期費用として500万程度必要だと概算したのはサポートセンターを準備するために<役場内!>でつくられたプロジェクト・チームなのです。(町長の肝いりでプロジェクト・チームを作って大学の先生も入って検討したのですよ!)つまり自分で500万円ほど要るかもしれないと言ったも同然なのです。それをもとにサポートセンターの準備が開始されたのでした。この一事をみても、いかにおかしな話であるかおわかりでしょう。
傍聴に来ていた市民タイムスなどのローカル紙も「重大な問題だ」として紙面で大きく取り上げるような口ぶりでした。恥ずかしいことです。


今日の町長の答弁を聞いて私なりに傍聴した感想をまとめてみました。

1.自らの責任をたなにあげて、事実をねじ曲げることは許されない。

町長答弁で最も重大なことは、経過を正しく把握するどころか、それをねじ曲げて自分の思い込みで解釈し、あたかも準備室事務担当者や運営協議会が「新しい会場と500万円の予算の要求が通らなければ辞任する」と主張しているかのように描き出したことです。
しかし事実は全く逆です。「新しい場所」や「500万円」という概算額の必要性は、運営協議会が始まる前の段階、つまり役場内でのプロジェクト・チームでの結論なのです。事務局や運営協議会が勝手に予算要求を持ち出しているわけでは決してなく、むしろ役場内での事前の話し合いをもとにして準備室での作業や運営協議会での討議が開始されたのでした。町長がこれを知らなかった(!)ということの方が大問題なのです。
当然のことですが、運営協議会の席上でも、センターの場所として公民館以外を絶対視するということでもなく、500万円がなければ運営できないなどという議論は一度もありませんでした。むしろ、プロジェクトチームで「耐震性や手狭な公民館よりも町民が集まりやすく憩える場所として福祉会館などが候補として上げられ、そのための必要経費が話し合われた」ことを、事務局が念のため町長に「3点セット(場所・人員・予算)」として確認したというのが実態です。
このことからわかるように、サポートセンターのスタート時に初期投資が必要であることは、かなり前から町長をのぞく役場内での合意であったことは明らかで、これは6月議会での教育長答弁からも裏付けられます。
役場内で話し合われたスタート時点での初期投資の必要性を町長自らが否定し、「すべて既存の施設・人員と、限りなくゼロに近い最低限の予算で始めよ、それに納得できなければ辞めてもらっても結構」と開き直ったのが今日の町長答弁の最大の特徴でした。

2.役場内での組織運営が全く形をなしていないことを証明した。

次に重大な問題は、さきにまとめた町長の「見解と方針」を課長クラスだけではなく職員がすべて知っているものと勝手に思いこみ、それとは違った方向に進んでしまった責任が事務局や運営協議会にあるかのように言い張っていることです。
これまた事実はまるで正反対です。実態は、町長の考えを課長クラスの誰1人理解しておらず、町長は一年に及ぶ経過について何も聞いていなかったということです。おそらく自分の「考え」を予算措置も含めてきちんと部下に伝えることもなかったのでしょう。
一方、主管部局である教育委員会はその都度町長に正しく経過を伝えず、また町長と打ち合わせをすることもなく、また他の課長に情報を伝えることを怠ったこと、そして町長もまた自分の考えをみんな理解してくれていると勝手に思い込み、庁内で何が起こっているかに全く無関心であったことが質疑答弁を通して明らかになりました。
こうなると、池田町の役場内の機構はもはや組織としての形をなしていないも同然です。
町長がこうしてほしいという明確な意志を主管部局や準備室事務局に伝え、議論の前提条件を伝えていれば、それに賛同する委員が集まったかどうかは別として、このような混乱は生じ得なかったことだけははっきりしています。
第一回から委員として参加している教育長は今日の答弁で「町長と考え方は全く同じ」と述べていますから、当然ながら担当部局の責任も免れません。

3.町長の考えはサポートセンター運営協議会での協議内容を全く否定するものである。

町長は運営協議会での委員の熱心な議論に敬意を表するし協議された理念には賛同すると述べていましたが、町長の考えるサポートセンターは、実際には運営協議会での議論の到達点とはまるで異なったものです。それどころか、町長公約の意味不明な「ボランティア・バンク」と同じ水準の考えでしかないことがはっきりしたのではないでしょうか。
今日の答弁で思わず本音が出たというのが、「結婚相談活動」や「少年空手」といった活動のサポートです。事務局には再三にわたってなぜそのような活動がサポートセンターでできないのかと話していたのですから、それを裏付けた形です。
町長が期待する方向で、誰かがすべてボランティアでやってくれると思っているのでしょうか。結婚相談活動や鳥の巣箱づくりを私たち委員がどこかで集まってやってくれると思っているのでしょうか。運営委員を手足のように思っているのではありませんか。
運営協議会が発足してから一貫して議論してきたことは、町民自らが主導して町民の自主的・自発的活動を積極的にサポートする体制と活動をいかにつくりあげていくかということでした。そのために理念をしっかりし、意義や重要性を確認した上で、その体制の基本方向を話し合っていこうとしていたのです。
協議のなかでは、団体のメンバーが自由に集え、情報を交換し、交流できる場所が必要であることや、情報を発信するパソコンやコピー機、ホームページやチラシ作成などの運営費が必要なことなども熱心に話し合われました。
これらを通して、自治会活動も含めた町民活動の文字通りセンターの役割と機能を発揮できるようにしようという画期的な構想だったのです。町内のボランティアや自主的な組織のリーダーたちが集まって持てる力を出していこうとする池田町ではかつてない斬新な試みでもあったのです。それを可能にしたのは、事務局のメンバーの熱意と能力であったことをお2人の名誉のために強調しておきます。
今日の町長答弁は、そうした議論全体を無視して自らの「考え」を押しつけようとするもので、およそ検討に値するものとはいえません。

4.「町長の考えに賛同できないのなら辞めてもしかたがない」と言うなら運営協議会は即刻解散すべきである。

運営協議会で議論してきたサポートセンターの理念、意義、役割について、ついに理解できなかったのは誰あろう町長なのです。
「予算要求」についていえば、予算額だけが切り離されるものではなく、理念・方針と一体のものとして提案され、町長に検討を促してきたのです。500万円が適切かどうかではなく、一定の初期投資なくしてどうやって運営するのかというのが問題の核心であったことは明白です。
たとえば、コーディネーターの人件費、運営委員の手当、情報発信するチラシ代、ホームページの作成と運営費など、合計すれば誰が考えても100万円単位にはなるでしょう。松澤室長の言葉を借りれば「小さく産むにしても、それなりの出産費用が必要なのは当たり前」なのです。
これらは運営協議会が初めて発案したことではないと再度念を押しておきましょう。
こうした道理ある提案に全く耳を貸さず、自分の考えに「賛同できないなら辞めてもらってもしかたがない」と言い放つのであれば、そのような町長の考え方と態度のもとでは、委員としてとどまる理由はないと言うほかありません。
運営協議会は後日第5回協議会の続会を開くことになっています。前回の会議での町長の見解表明と12月議会での態度表明は全く変わっていない、いやむしろ開き直っていることを考えれば、次回の会議での結論はおのずと明らかでしょう。
そもそもの前提から崩れてしまった以上、運営協議会は一旦解散し、町長自らが自分で必要だと思う組織をつくって推進するべきです。そうなったならば、その責任はあげて町長側にあるのですし、新しい組織とその運営がどうなるかは現在の運営協議会とは無関係であることも言い添えておきます 。



  12月13日(月)
午前中、訪問してくれた議員さんと四方山話。昼頃から商工会のメンバーの人と情報交換、午後から観光協会に出掛けてホームページの情報提供、そのあとサポートセンターに出掛けてその後の様子を聞いていました。夜は共産党ファンクラブの第一回役員会・・・となんだか人と会ってばかりで一日が終わっていきそうです。

今日は一日冷たい雪が降って葉っぱの上はかなり白くなっていました。いよいよ雪のシーズンですかね。
明日はバラの会の枯葉集めを予定していましたが、この天気なので延期。年内にできるかどうかわからないですが、枯葉はどこにもいかないのでゆっくりやろうということになりました。なかなか予定通りいかないものですね。そうはいっても、全体としては順調に準備作業が進んでいる方ですから、来年春からの作業が楽しみです。さしあたって手伝ってくれる人をみつけないといけません。

昔息子にパソコンのデスクトップ機を一台譲ってやったことがありましたが、先日息子のところに行ったら「調子悪いから使っていない」という。そこでそれを引き取って試してみたらやはりマザーボードの故障らしい。あれこれやってみてもエラーは回復せず、結局全部パーツに分解してしまいました。
パソコンは一旦壊れると、どこが悪いのかそれを特定することがなかなか難しい。OSの不具合なら入れ直せばいいし、ハードディスクや周辺機器の場合は取り外して交換すれば直る。最悪なのはマザーボードに何らかの不具合があった場合です。これは何ともならないので、新しい同じマザーと交換するか、別のマザーで別途組み立てるかということになります。
過去にも似たようなケースで壊したり作ったりしてたまった古いパーツがうんざりするほどあって、一時期箱だけ買って組み立てることに専念した時期がありました。それからしばらくたってまた同じような事態に。つまり・・・ですね。またパーツがたまってきたので、新しいものを組み立てようかと・・・。
しかし、考えてみると、これは悪循環。Linuxに移行しようと言っていたのに、話が矛盾しますもんね。ただ、MacではインテルCPUになってから一切触っていないし、Windowsも相変わらずXPのまま。そこで考えたのは、稼げるうちに最低でもWindow7機をメインにしておこうという計画。おそらく10年くらいはそのままでいけるんじゃないでしょうか。それともMacにしてWindow7とデュアルブートにするか・・・待て待て・・・かみさんがなんて言うか、聞くだけでもこわい。



  12月12日(日)
ここしばらくは町のことやバラの会のことから離れていて、もっぱら中高生の授業に専念をしておりました。
こちらの方はいよいよ受験が近いということもあって、私も緊張感を強いられます。ただ、高校生は推薦で合格を決める子も結構いますから、授業の進め方が大変むずかしい。それにくらべて中学3年生は授業中は真剣そのもの。今日から塾に入るという「大変な」子も1人いて、いやはや困りました。オーナーが引き受けるというのでは断ることもできませんからね。実際に教えて見るとなかなか見どころがあり、何とかついてきてくれそうです。

町のサポートセンターの問題については、仕事から帰って休んでいるところ、ある町会議員から電話があって、「一般質問でこの問題についてとりあげるので考えを聞かせてほしい」ということでした。これについては直接明日話しをすることにしました。
これまでのところ、事態はほとんど進展していない様子。教育委員会が予算要求をするらしいということまでは聞いていましたが、それも何かをしたというポーズではないかと思われてなりません。今度の議会で「副町長を置く」ことにして、いままで「節約できていた」1100万円ほど計上しなければならないし、松食い虫対策などにもお金がかかるなどの理由から、町長の頭の中には「サポートセンターに予算をかける」などということは金輪際ないと私は確信しています。すべて「ボランティア」でやればいいのです。これは町長の信念ですから、いくら議論してもすれちがいに終わるだけです。
これまでの経過を熟知しており、運営協議会の議論に理解を示すなら、第5回目の運営協議会での町長の発言は違ったものになったはずです。そうでなかったということは、もともとそうした議論に関心がないか、または理解する能力がないかのどちらかとしか言いようがありません。

一方で、久しぶりに「美しい里づくりワークショップ」の案内状が届きました。「美しい村」連合への加盟も町長の「実績」の一つらしい。前から何度も書いているように、町としての理念や基本方針を示さないまま、町民にどうしたらいいかを丸投げして聞くのは、結局のところ「サポートセンター」と構図は同じ。予算措置もなく、町民が自主的・自発的にボランティアでやる「美しい村」づくりの処方箋を提案せよというだけのことですから、お里が知れています。「ゴミ拾い」デーを設けましょうか。それとも花を植えましょうか。
それに、ちゃんとした会議を準備しようとする「まともな組織」なら、第一回目の会議録、問題点、指摘された課題の回答などを添付して事前の検討を求めるものでしょう。何にもなし。案内状も第一回目と全く同じペラペラ一枚。これでは議論が先に進むわけもなく、参加者も増えるはずがありません。サポートセンター準備室の活動を知らないわけではない「町づくり推進課」のお仕事にしてはお粗末を通り越しています。
本当に有意義な会議を作り上げていこうとするなら、周到な書面での準備だけではなく、そこに込められた熱意・考え方・方向性が相手に伝わらなければなりません。第一回目ならいざ知らず、あれだけの議論を経ていて、しかもあれから数ヶ月経ってからの2回目ですから、この文面では開催の意図が伝わらないだけではなく、むしろマイナスの効果しか与えていません。サポートセンター準備室を見習いなさいよ。
町民に参加を呼びかけるからには、議事録、資料などは町のホームページで、すべてすみやかに公開すべきです。第一回ワークショップから一体何ヶ月経ったんですか??
しかも、もっと重大な問題は、この案内状の文面にあるように「世界に誇る町づくりを進めていくため、多くの方からご意見・ご提案をいただきますよう」としていることです。意見・提案をするだけのワークショップなら開かない方がよろしい。ご意見箱か提案箱でもつくって街角においておけばいいのです。
今度の会議には仕事で出られませんので、一つだけここで聞いておきましょう。「提案していいのは、ボランティアでやる活動だけですか?予算をともなう提案はすべて却下されますか?」



  12月10日(金)
日中は暖かく穏やかな天気。今日は息子夫婦が茨城県の大洗まで「アンコウ鍋」を食べに連れて行ってくれました。大洗はアンコウの北限。北の方が高値でとりひきされるといいますから、どんなものか興味津々でした。
大洗までは車でも3時間ほど。途中道の駅でいろいろ物色しつつ、結局長野から東京まで出かけるくらいの時間がかかりました。
目的の店で息子が注文してあったのは「どぶ汁」。これは「北茨城市や大洗町の一部の店で味わえる、より濃厚なあんこう鍋なのだそうです。どぶ汁の由来は「肝を鍋で炒めてからだし汁を入れ、それをアンコウや野菜を入れた鍋にかける。その際肝油によってスープが濁ることから、どぶろくをイメージして名付けられた」(ウィキペディアなど)らしい。
私たちが初めて食べるというので、お店の人が作り方から食べ方まで説明をしてくれました。見た目から思ったほどしつこくなく食べやすく、あとの雑炊も含めて全員で完食。
そのあと、大洗の鮮魚店で海産物などA,B日分の食料を買い込んできました。日頃山のなかに住んでいるので、たまに海に行くのは気持のいいものです。やはり海のものは懐かしいしおいしいものがたくさんありますもんね。
その日は、夜に妹さんがホテルに寄ってくれて、お母さんの状態や看病のことなどを聞きました。2人の子どもも一緒に来て、孫と3人でホテルのロビーで運動会。







  12月9日(木)
息子の連れ合いの母親が病気入院中なので、妻と栃木まで見舞いに来ています。
天気は曇り。ときおり雨が落ちてくるあいにくの空模様です。建設中の北関東高速道がかなり伸びているので、関越道から東北道までの時間が以前よりかなり短縮されて、4時間半ほどで西那須野に着きました。道中、いつもならくっきり見える浅間山も雲に隠れて見えるのは裾野だけ。
久しぶりで会う孫はずいぶん大きくなっていました。相変わらずはにかみやで、息子から離れようとしません。それでも私のことがかなり気にはなるようで、ときどきちょっかいを出してくるのが面白い。
お母さんには病院まで行き面会しました。2年くらいの療養生活で、「ずいぶん痩せたし力が入らない。一度座ると立つのが大変」などと話していました。話しぶりは至って普通で、立って歩いたりできるので、心配したよりもはるかによい状態でした。しかし自分でも「蝕まれていくのがわかる」という通り、回復までの険しい道のりを自覚しているような口ぶり。「また会いにきます」というのが精一杯でした。何とか快復を遂げてほしいと願わずにはおられませんでした。
2人いる娘のうち上の子が息子の嫁さん。入院中の母親と同居しているのが下の娘。今は下の娘が夜遅くまで残業をして働き、その間上の娘が妹の2人の子の面倒をみるという生活を続けていて本当に大変そう。何とか協力してしのいでほしいものです。
たまたま今日は息子の誕生日。私たち2人と息子夫婦と孫で焼き肉屋へ行っていっしょに夕食。たっぷり栃木の牛肉を食べてきました。そのあとはホテルへ。あしたは海の見える茨城まで出かける予定です。







  12月6日(月)
朝はびっしり霜が降り、9時過ぎまで濃霧に覆われた今日。昼は昨日同様小春日和のうらうらとした暖かい一日になりました。
こんな日は、縁側でネコを抱いてうつろな目をしてボケ〜〜と日向ぼっこをしているのがいちばん。ただし、通りがかった人から「ああやって一日すわっているのかねぇ。かわいそうに・・・」という目で見られるのを覚悟の上ですけど・・・。というわけで、つかの間の小休止の一日、何をするということもなく過ぎていってしまいました。

昨日は共産党ファンクラブの定例総会とその後の中3の授業であわただしい一日。
総会議案の提案はすべて私の役目。おまけにこの前も書いたように、余興の出し物が少ないので伴奏をつとめることになって、それなりに場を盛り上げることはできたものの少々疲れました。
総会には衆議院選挙で長野選挙区から立候補した中野さなえさんも駆けつけてくれて、場をもりあげてくれました。本当は最後までゆっくりしていってほしかったのですが、あとの予定があって途中で退席されて残念でした。


さて、政局は年末を迎えて混迷の度を加えてきています。一番の問題は民主党のもはや自・公政権時代と何ら変わらない国民不在の政治と、それ以上の政権担当能力の欠如。余りにもひどいので、いちいち書くのもはばかられるほどです。
今日は、「社民党よもう一度」とばかり秋波を送って連携を深めるらしいニュースが流れていました。社民党も足下を見られたものです。沖縄知事選でも党首が「辺野古への移設に反対して大臣の首を切られた」とやったばかりなのに、どんな顔をして連携するのでしょうかね。
「日米同盟強化」という方向は、自民党以上に無節操・無定見な民主党としては一旦アメリカに取り込まれ始めると節度がない。どこまでもずるずると深みにはまっていく恐ろしさをこの党はすでに示しています。
予算編成でも、子ども手当、戸別所得補償、高速道路料金問題などに足を取られて、国民生活に関するあらゆる制度をいじって改悪。その一方で結局軍事費、大企業税制はむしろ手厚く温存・拡大するというのですから、1,2年もしないうちにいろんなところから矛盾が吹き出してくることでしょう。
国民の生活は、格差拡大どころかおそろしい勢いでその根底が崩されています。破綻国家ならぬ破綻生活者が続出する事態に。それは、生活だけではなく、生活能力、生活への意欲そのものを崩壊させていくわけで、気がつけば手もつけられないという事態もあながち想像の世界ではないと思うのですが。



  12月3日(金)
夜大町の塾で仕事をしていたら、ガタガタプレハブ小屋が揺れるほどものすごい風が吹いて雪が舞ってきました。帰りもちらちら雪模様。昼は暖かかったのに急に寒さが襲ってきました。ただ、池田に戻ってくると、さすがに雪はなく道路も乾いていましたから、いつもの大町=日本海側、池田=太平洋側の構図です。そろそろタイヤ交換の時期なのかな。

この5日に共産党ファンクラブの総会が予定されています。後半は忘年会が予定しているのですが、いつもの「出演者」の都合がつかず、今年は出し物があまりない。しかたなくたくさん歌を歌うことにして、何を隠そうこの私がギター伴奏を務めるということにしました。
数十年ぶりでコード進行を確かめていたら、腕がつってきたり指の先がしびれてきたり大変。コードもほとんど忘れているので思い出すのも大変です。ま、メロディーを弾くわけではないからガチャガチャやっていると適当にごまかせるし、何とかなるでしょう。
教員になってから、ある歌声サークルに呼ばれてたまに遊びに行っていたところ、そのグループのリーダーが素晴らしい伴奏の弾き手で、いつかあんなふうに弾いてみたいものだとあこがれていました。結局「あこがれ」だけで終わったし、ギターも処分してしまっていたのですが、一昨年のこと、一念発起練習してみようかなと思い立ってあらためてフォークギターを買ったのでした。それもまた2年ほど結局しまいこんでいて、ようやく今回日の目を見たというわけ。
だれかピッキング奏法を教えてくれる人いないですかねえ。ただコードをガチャガチャやるのはみっともないですから。

下の写真は一昨日の朝のもの。田んぼにはびっしり霜が降りています。






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