池田町の文化振興への視点

                                  2012年1月20日 村端 浩

 前山ア町政のもとで、2007年(平成19年)『北アルプス山麓・眺望の郷池田町』芸術文化による地域振興検討委員会(以下「検討委員会」)が設けられ、その年の6月から翌年の3月までを任期として審議が行われた。そして3月末を待たずに、2月2日にかなり長文の答申が行われることになる。
 この検討委員会には有識者、各会代表をはじめ、それなりの人選が行われて多面的な議論ができるように配慮されていた。
 今から4年前の答申だが、もはや過去の答申となってしまっているのだろうか。
私としては、これからの池田町の進むべき道を考える際に、この答申のもつ重みは大きいものがあり、この地点に立ち戻って再検討と十分な検証を行う必要があると考える。

 勝山町政になってからは、「表面的には」一部の提言が取り入れられていることは間違いがない。たとえば、ハーブセンターは振興公社から指定管理者制度によって「てる坊市場」に管理委託されたし、美術館については民間の新館長を迎え新しい方向性を打ち出そうとしている、などである。しかし、細部を見ればあくまで「表面的」な取り組みにすぎないことがわかる。

 まず、この「検討委員会」がいかなる背景のもとで設置されたのかを見ると、その理由はただ1つ、町の財政逼迫といわゆるハコモノの財政への強烈な圧迫要因、つまり「カネ」の問題にあったことは明白だ。
 池田町の文化をめぐる現状がどのようになっており、どのようにそれを教育・地域社会で育んでいくのか、今日的な課題は何なのかという積極的な意味合いで設置されたのではないという点に留意すべきである。
ここでは、その点について批判的に検討することを主題とする。

1.「文化」とは何か、どうあるべきかの「そもそも論」が欠けている。

この検討委員会の「設置要項」には、次の文面がある。

 池田町の文化の原点は江戸時代に設立された池田学問所に始まる。・・・
平成6年には「池田町立美術館」が建設され、その周辺を「あづみ野池田クラフトパーク」として自然と芸術を楽しむ素地ができた。
 そこで、これらの資源を活用して池田町の輝く未来を切り拓き、町民誰もが自分たちの故郷に誇りをもてるための方策を検討するため、『北アルプス山麓・眺望の郷池田町』芸術文化による地域振興検討委員会(以下「委員会」という。)を設置する。

 続いて、この委員会の任務は次のように規定されている。

 町民が望む、日本や世界に誇れる郷土の自然と芸術・文化の磨き方と活かし方について、町長の諮問に応じて協議し、提言をまとめて答申する。

 さて、答申ではこの「(地域)文化」という概念についてどのような認識で臨んだのだろうか。
 「文化」とは、狭い意味では絵画・デザイン、音楽、演劇、工芸、文芸、出版、衣食など人間の創造的・生産的な精神活動を指すことが多いが、もっと広い意味ではスポーツや、地域での伝統芸能、史跡・遺跡、さらには若い世代のサブカルなどを含む幅広い精神活動全般をさす。
 残念ながら、この答申では池田町における「芸術文化」をどのように定義しようとしているのか、それを伺わせる文面がない。すでにこの地点で、答申は広い視野に立った検討を放棄していると言わざるを得ない。
 「答申」は「第5 池田町の文化(食文化)、芸術の分布と振興の実態」で、「池田町文化財の現状」から分析をはじめ、「池田町の文化芸術の人材と人的グループの現状」について説明をしている。
 この中で、「見識のある者が一般の町民を指導する体制整備」が他市町村とくらべて遅れている」と指摘しつつ、次のように述べている。

 町内の芸術文化協会には、36 団体約507 人の方が加盟しており、公民館では、文化祭や芸能祭により発表の場を提供しているが、子どもたちへの指導体制や、さらなる発表の場の設定に対する要望が強い。
 町行政は、芸術文化を町の活性化のために位置づける努力が薄いと指摘せざるを得ない。今、生涯学習の一環として、新池田学問所を開校し、受講生590 名、14 の学習塾が行われているが、カリキュラムの充実のために他地域との連携を図り、江戸時代の学問所の設置精神が反映できる内容にすべきであり、文化芸術そして教育が街づくり・人づくりに生かされる工夫を、町行政が中心に、なされることを期待する。

 この節では、これらと同等に「食文化と食育について」について大きなウエイトを置いているのはどうしたことなのだろうか。

 池田町には芸術関係者や演劇、音楽、小説、工芸、写真、建築などに携わる人々がいるはずなのに、そうした人々のサークルや社会的な活動などはここでは一切分析されない。また、子どもたちがどのような文化状況に置かれているのかについての分析もない。委員の中に芸術関係者は多いが教育関係者は皆無。そして「食文化」だけは異様に重点が置かれている。これではあまりにお粗末だ。
 むしろ、今日の科学・技術をふくめて次世代に託したい力とは単にものを生み出すことだけではなく、事象を批判的に摂取し、新しく作り出していく能動的な力なのであり、それぞれの分野でのリテラシーである。子どもたちにとっては、そうした地域環境がいかに豊かに作り出されているのかこそが問われるべきなのである。科学技術を含めた文化的・創造的な活動を大事にする気風、それを育む環境なくしてどうして文化の薫り高い郷土を継承し、生み出していくことができるのか。「委員会」はまず、その原点からしっかり議論をすべきであった。
 「日本や世界に誇れる郷土の自然と芸術・文化の磨き方と活かし方」などという大げさな書き方の割には、ほとんどこの点が議論されずにいるのは不思議という他はない。多くの文化関係者が集まっているのにである。

2.既存の施設(ハコモノ)の改革・改善だけが答申の主目的になっている。

 では、こうした現状分析と問題意識から、具体的にどのような提案が行われているのか。
 結論からいえば、それぞれの施設の改革案については耳を傾けることがらが少なくないが、結局のところ大局的な改革の提案にはほど遠い、ということだ。
 それは、第1に、「答申」が強く指摘しているとおり、町(行政)自体が文化を含めた町づくりへのビジョンを欠き、積極的な政策を持っていないことに起因する。
 第2に、「行財政改革」に従属させられているために、結局は既存の施設に縛られた「改革案」にならざるをえないからである。
 第3に、委員会の持ち方に問題がある。過去の様々な審議会・委員会と同じく事務局が草案からまとめまでを担当するために、結局行政の意向が色濃く反映したものにならざるを得ないという事情による。

 さて、「答申」は「第2章 池田町の地域振興の現状課題と提案と提言」で、クラフトパーク(美術館、創造館含む)、ハーブセンター(活性化施設含む)にほとんどの紙面を割き、あとは付け足し(「第3 他の芸術・文化施設の連携」「第4 スポーツ文化の開拓と育成」それぞれわずか10行程度)という構成になっている。先に示した「財政改革に従属した答申」としての性格を如実に示した部分だ。
 仮に、この点を避けて通れないという認識があったとすれば、そのように指摘すべきであり、その他の文化振興については別に答申すべきだったのである。そうならなかったところにこの答申の限界と問題点が集中している。
 「世界に目をむけた芸術文化で地域を振興する」という大げさな設定にもかかわらず、このように施設の改革だけの提案になった背景には、行政側の強い「経営形態改変」への意識があったことは間違いがない。
 実際、第2章の冒頭では、次のように述べられている。

 当審議会委員は、町内外の委員で構成した。池田町を狭い地域の視野で見るのでなく、全国的、世界的視野で考え、見つめることが必要だったからである。
<中略>
 市町村が自立する時代、全国では破綻する市町村まで出ている。池田町の財政状況を検証するに、「厳しい」と町民全体が自覚し、早急にその上に立った行動をとるべきである。今まで何も変えなかった分、経営の基本である経営責任の所在を明確にしながら、「先送りせず、迅速かつ厳しい対応」を望む。
そのためには、各施設の設立の精神(コンセプト)を明確に住民に示し、事業を進めるキーワードを基本に、常に連携を図りながら町民本位の愛される運営をすべきである。

 文化「行政」を問題にするとき、それを担う施設を検討課題にすることは当然といえる。しかし、あくまで文化政策の一環としてのそれであって、施設の管理運営のありかただけを問題にしても何ら解決しない。
 ところが、「答申」では、それぞれに「コンセプト」と「キーワード」があると称して、無理矢理一定の方向へと誘導していっている。
 たとえば、美術館であれば、改革のコンセプトは「育む」、キーワードは「家族愛」と「こども」だというように。
 これは、単に事務局の問題意識を表に出してきただけに過ぎないのではないか。これほど陳腐な概念を表に持ってこざるをえない理由はどこにあるのだろうか。しかも、コンセプトだのキーワードだのというコトバが何を意味しているのかさえ吟味せずにである。
教育とのかかわりで美術館を論じるなら、それもあるだろうが、池田町の文化を向上させるための提言として、こうした文言が前面に出てくるのは信じがたい。

3.美術館の改革提言は「改革」にむすびつくのか。

 「提言」は、美術館の改革について、実に6ページ半という多くの紙面をさいている。そこでは創立以来の入館者数の推移、収支状況の推移が記録され、4年で1億円(電気代も入れれば3年で1億円)という歳出超過の実態が示され、経営形態の変更を含む「改革」が急務であると結論づけられている。その危機意識は正当で、問題意識を欠いたこれまでの管理運営に苦言を呈していることは全くその通り。
 続いて運営形態(「答申」では「経営」とよんでいる)について、現行のままで行く場合、運営形態を含めて別の形態にする場合と、いろいろなパターンにわけて問題点を指摘し、改革案を提案している。その限りでは、耳を傾けるべき点が多く含まれている。
 しかし、結論として提案されているのは、やはりというべきか「指定管理者制度」なのである。

 最も望ましい施設運営形態は、他の美術館経営を熟知した者に、条件を決め、運営を依頼する指定管理者制度の導入であろう。

 現状のままで、「提言」が推奨する改革を実現できたとして、行政が危機意識をもつ「財政改革」に結びつくのかどうかは全く不明確であり、現実に数年が経過してどれだけの向上がみられたのかはようやく検証できる段階にさしかかっているにすぎない。おそらく、一定の改善はあっても「根本的」なものにはなり得ていないことは明らかである。
 むしろ、美術館の状況がはっきりした10年前から根本的な改革に着手すべきであったにもかかわらず、そのまま放置されてきたことの方が問題である。
 さらに遡れば、このような施設を小規模自治体で建設すること自体、どんな政策と見通しがあったのか。たんに願望を優先させて作ったに過ぎないのではないのか、そうした点まで遡って検証をしてみる必要がある。
 では指定管理者制度を導入して事態は向上するのか。「答申」では「指定管理者制度の導入により、契約条件にもよるが、単年度赤字は大幅に解消されるだろう」と楽観的に述べているが、単に赤字を他に転嫁するにすぎない。だとすれば、そのような冒険をあえて引き受ける団体があろうはずもない。しかも、公的な文化施設を「管理委託」するというのはどのような意味を持つのか。ハーブセンターの事例でもはっきりしているとおり、引き受けた管理者は「管理」だけを引き受けることになるか、または「収益部門」には力をいれるが、それ以外は管理外ということにならざるを得ないのではないか。
 そもそも文化施設は採算を考慮して運営すべきなのだろうか。採算を考えなければならないような施設は作るべきではなかったのではないのか。文化はカネにはかえられないものであることは明白だ。それをこのように「財政状況」から逆照射しなければならないところに、池田町の文化状況の「貧困」が横たわっていると思えてならない。

4.芸術文化による地域振興を語る前に、どんな町にするのかのビジョンと総合的なデザインを町民合意で作り上げるべきである。

 以上の考察から見えてくることは、当該施設だけを取り出して「改革」を云々しても大きな限界があるということだ。池田町の文化・芸術・スポーツを振興するには、町民のそれだけの熱意と合意がなければ決して成し遂げられない。そのためには、池田町のあるべき姿について活発な議論を起こすこと以外にないだろう。
 たとえば、美術館のあり方についてどれだけの町民が関心をもち、どれほど改革の方向について考えているのか。どれだけの町民が美術館を訪れ、親しんでいるのか。そもそも、芸術・文化にあふれた町にしたいと考える町民が、美術館や公的施設を利用してどれだけ活動してきているのか、子どもたちにどれだけの教育が施されているのか。委員会だけではなく、住民レベルでこのことが議論され、提言され、改革へのみちすじがいろいろと出されてこなければならないのではないか。
 町づくりのビジョンとデザインと結びつかなければならないというのは、危機に陥っているのは見かけは美術館や創造館だが、現実には科学・技術のありかたやスポーツのあり方、広くは産業や生活のあり方すべてに及んでいるという認識が必要だからだ。
 携帯電話やスマートフォン全盛の時代にさらされて、子どもたちの生活は変化し、大人もまた大震災以後人間と自然の関係を見直さざるを得なくなっている。こうした時代に地域がどんな文化を築いていくのかは、当然ながらどのような地域を築いていくのかと密接な関連を持たざるを得ないのだ。この観点を無視して、単に施設だけの改革を議論しても、所詮は一時しのぎのつじつま合わせにしかならないだろう。
 美術館についていえば、現行でも指定管理者制度でも現在の3年で1億の「赤字」という体質は変更しようがない。文化施設だからそのままでいいのか。それとも何らかの抜本的な改革が必要なのか。「有識者・委員会・行政」だけがそのことを議論しても、それは町民の芸術・文化水準をたかめることには一向につながらない。住民の立場から、この問題について根本的な解決の方向を見いだしていくべきときに来ている。行政はそのことにもっと虚心に耳を傾けるべきなのだ。
                    (以上)