bottom

azumino.jpg


  1月30日(月)    
辺見庸さんが、半身不随の身体から渾身の力をふりしぼって紡ぎ出す「言葉」には、これまでにない不思議な「いのち」を感じます。
彼独特の研ぎ澄まされた言の葉の数々は影を潜め、そのかわり人々に寄り添うように平易な言葉で語られる彼の思索には、かえって説得力があります。辺見さんの出身は石巻だったんですね。初めて知りました。

本の題名は「瓦礫の中から言葉を=わたしの<死者>へ=」(NHK出版新書)
彼はこの本を執筆した動機を次のように記します。

私は脳出血の後遺症で右半身がどうしても動きません。ですので、被災地に駆けつけ友人、知人たちを助けに行くことができません。そのかわりに、死ぬまでの間にせいぜいできること、それはこのたびの出来事を深く感じ取り、考え抜き、それから想像し、予感して、それらを言葉としてうちたて、そしてそのうちたてた言葉を未完成であれ、使者たち、それからいま失意のそこに沈んでいる人々に、わたし自身の悼みの念とともにとどけるーーそれが、せめても課された使命なのではないかと思うのです。

まず、辺見さんは、この震災を表現する「言葉」がいまだに見つからないといいます。あの震災がもたらした危機の深さ、位置もわからず、歴史の中での自己の所在もわからない”内面決壊”の様相すら呈するこの惨事を表現する「言葉」を誰も持っていないことに非常な深刻さを感じ取っているのです。
テレビは災害の中から生身の死者(首がもげ、手足がちぎれ、瓦礫に埋もれ、真っ暗闇の波打ち際に打ち上げられた死者たち・・・)を消し去り、ただ数字だけで被害の大きさを表現している。これは非常に深刻で重大なことではないだろうかと。

次に、震災後「この国が変わるべきだ」という論調が盛んに流布されるようになったが、「どの方向へ」が厳しく問われなければならないと指摘しています。

3.11以降、しがない個々人の生活より国家や国防、地域共同体の利益を優先するのが当然という流れが自然にできてきている。
「個人」は「国民」へ、「私」は「われわれ」へと、いつの間にか統合されつつあります。そして、この国は、われわれは、変わらなければならないと言われ、それが見えない強制力、統制力になって、個はますます影が薄くなっている。


重大なことは、上からの統制、大新聞、テレビなどのマスコミや政府関係からそのように促されるだけではないという点。このことは私自身も同様に強く感じ、かつ共感できる部分です。昨日述べた「赤い羽根」募金などはまさにそれだからです。

個を不自由にしているのは、かならずしも国家やその権力ではなく、「われわれ」が無意識に「私」を統制しているという注目すべき側面があります。上からの強制ではなく、下からの統制と服従。大厄災の渦中でも規律正しい行動をする人々、抗わない被災民、それが日本人の「美質」という評価や自賛がありますが、すなおには賛成しかねます。

そして第3に、彼は、この言葉すらみあたらない大災害は宇宙規模から見れば地球のくしゃみにもたとえられる「地球のほんの一刹那の身震い」なのだという見方が要ると強調します。

われわれは、万物万象を人間社会の尺度で考えがちです。宇宙的な時間、宇宙的な時間枠というものは、はかりがたく広大なものであるにもかかわらず、われわれはそれを強引に3.11以前の・・・・時間枠の中にあてはめて考えてきました。・・・・(このような時間は)宇宙にとっては一瞬にさえならない。

だとすれば、この大災害は、「宇宙的な時間と人の時間が3.11に不意に交差してしまったと表現できる」というのです。
このことは何を意味するのか。天然のウランの存在比を人為的に変えることは反宇宙的な所行ではないのか、そうした核を用いる発電が、本当に根源的に安全かどうか、宇宙の摂理に照らせばどうなのかということをもっと謙虚に考えなければならない・・・外界の気配の変化にもっと耳を澄ませ、過去・現在・未来の気配を孕んだ目の前にあるものに、目を見張り耳を澄まさなければならない・・・辺見さんはそのように思索をすすめていきます。

辺見さんの書かれたことがらをすべて紹介することがこの目的ではありません。ただ、私が言いたいのは、個人として独立した思索というのはこのようなものなんだということをいつも彼から受け取ってきたということを、ちょっとだけ吐露したかったんです。



  1月29日(日)    
妻は昨日から岡谷でのボーリング大会に参加していて不在。今朝はネコのハルちゃんとゆっくり10時頃まで寝ていました。
外は明るく日差しの気配。外を見ると目が痛いほどの白の世界です。




しばらく外を眺めて中に入ると、目が雪の輝きに射られて何も見えない。
昼過ぎに久しぶりに「ソバ」を食べに出かけたら、もう幹線道路はすっかり雪が消えて乾燥していました。ただ、日陰は圧雪状態で車は4駆でないと走れません。

あんまりのんびり過ごしていると、身体が逆に動かなくなってそれに連動して頭もボ〜ッとなって、何にも考えられなくなってしまいます。妻と違って身体を動かすことがきらいな私ですが、今日はしばらく外を散歩。ところが、帽子をかぶっていても、スキー帽でないので頭が急速冷凍状態になって早々に帰ってきてしまった。いかんいかん。

**************************

さて、今日は社会福祉協議会のみなさんには頭のいたいことを書かなければいけません。それは、今日届いた社協報に載っていた「赤い羽根募金」についてです。
言うまでもないことですが、私は池田町社会福祉協議会の発展を願いこそすれ、その活動に水をかけるような気持ちは一切ありません。しかし、その中で筋のとおらないことは社協の発展のためにも指摘しなければならないと思い、あえて私の意見をのべることにしました。

まず発表された報告をご覧頂きましょう。池田町のそれぞれの家庭には全戸配布されているのでご覧になっているものです。
毎年同じような報告が出ていますので、別に不思議にも思われない人が多いのではないでしょうか。
しかし、よく見ると(見なくても?)あることに気がつきます。それは第1に自治会ごとの、しかも集落単位での戸数が載せられていること。第2に、集落単位で募金総額が「発表」されていることです。
この2つを合わせるとどうなるか。各戸への募金期待額が1000円となっていますから、戸数×1000円が集落ごとの期待金額ということになります。つまり、期待金額はすぐに計算できますから、それとどれだけ近いか、または離れているかがわかる成績表になっているということです。
期待金額と合致している集落数はとみると36あります。池田町の約54%の集落でその全戸が1,000円の「募金」に応じているということになります。

私は先日の木戸(自治会の基礎単位の集落)の会合(常会)で、この赤い羽根の「強制募金」をやめて自治会費と分離すべきだ、という提案をしました。
昨年末の会合では、一旦は自治会全体の会合で提案しようという話になったのですが、新年の集落の会合では「自治会の三役から何とか他の木戸に合わせてもらえないかという話があったのでそうしたいが・・」「募金は自由意思であるというのは正論だが、集める人の苦労を考えると原則論ではうまくいかないこともある」という意見があって、総会に出すなら「個人として出すべきだ」ということで押し切られました。
私の意見は「自治会費に含めるのをやめて、分離して募金だけは自由意思にまかせる」というもの。何ら集めることに否定的な提案ではありません。にもかかわらず、本来自由意思であるはずの「赤い羽根募金」を全戸に強要する理屈は何なのか。会議に出ている限り私にはさっぱりわかりませんでした。
強いてあげれば、「分けて集めると集める担当者が大変苦労する」「社協の運営が苦しくなる」といったところでしょうか。しかし残念ながらいずれも理由とはほど遠く「へりくつ」にもなりません。

社協報の記事と自治会での話を結びつけてみましょう。
社協から個別の「成績表」が毎年出される。場合によっては誰が出していないかすらわかるほど一目瞭然の結果です。
本来自由意思であるはずの「募金」が理由にならない理由で「強制的」に集められている。出したくないといってもそれを防ぐ手段がない。そして、その結果はわざわざ「募金」で作られている社協報で公表されている。だとすれば「常会ごとに競い合わせて成績を上げる」、誰が見てもそうとしか見えないではありませんか。よろしいですか。100%集めている常会がこんなにあるんですよ、「強制的」に集めているんですよ、とわざわざ公の資料で発表しているんですよ。ことの重大さがわかっていませんね。いったいどのような根拠でこんな資料を恥ずかしげもなく公表しているのでしょうか。
募金の結果を知らせることは重要なことです。それでも、結果は総額でよろしい。それを出した戸数までわかるようなやり方は何故必要なのでしょう。どうしてもやるなら誰にも分かるように説明する義務があるのではないでしょうか。

ここで、歴史的な経過や問題点をさぐるために、「赤い羽根」共同募金会のホームページから若干を引用しましょう。
「赤い羽根について」というページがあります。そこには、次のように書かれています。

ひとり、ひとりのやさしさが、
あなたの住む町を、もっと、やさしくしてくれます。

■共同募金の仕組み
募金の約70%は、あなたの町を良くするために 使われています。
助成額を決めてから募金(寄付)を集める仕組みです。
共同募金は、地域ごとの使い道や集める額を事前に定めて、募金を募る仕組みです。これを「計画募金」と呼び、「助成計画」を明確にすることにより、市民の理解と協力を得やすくしています。
また「助成計画」があるからこそ、1世帯当たりの目安額などを定めて募金を集めることができます。
もっとも、寄付は寄付する方の自由ですから、目安額はあくまで目安に過ぎません。(地域によってその額や方法に違いがあります)

■共同募金への参加
じぶんの町を好きな人が、共同募金を支えています。
共同募金運動は、年間200万人といわれるボランティアの皆さんにより支えられています。
全国各地で、自治会・町内会、民生・児童委員、企業や学校関係者などの皆さんにより、思い思いの募金運動が展開されています。


ここでのべられているのは、「赤い羽根」募金は「共同募金」であること、寄付は寄付する人の自由であること、ボランティアによって支えられていること、の3点です。それ以上でも以下でもありません。

では何故に、自治会で自治会費に含めるなどの「強制的」な集め方が横行しているのか。これについてWikipediaが注目すべきいくつかの点を指摘していますので、紹介しておきましょう。

社会福祉法116条では「共同募金は、寄附者の自発的な協力を基礎とするものでなければならない」と定められ、共同募金会も「寄付する人も募る人もボランティア」とするビジョンを掲げているように共同募金の募金活動や寄付は自発的なものであるべきとされている。
しかし現実には共同募金は行政・自治会組織を通して集める戸別募金の占める割合が高く、募金活動を行う募金ボランティアも事実上の強制動員になっている場合がある(自治会の持ち回り班長などが、「自治会の当番」として共同募金の戸別募金に回るよう強制されてしまう)。
自治会の当番による戸別募金では断りにくい状況で強制感を伴う徴収となるケースが多発し、以前から自治会に集めさせる戸別募金は自発的な参加で行われるべき募金活動の精神に反するものとして問題視されてきた。
自治会によっては当番を戸別募金に回らせることが困難なため、予め自治会費に共同募金などへの寄付分を上乗せしている場合がある。しかし2007年8月にはこうした自治会費への寄付分上乗せは寄付を強制するもので違法とする判決が出され、翌年確定した。


上で紹介した判決は当然といえば当然。もし、我が自治会のやり方に対して司法の判断を求めたとすれば結論は明らかなのです。にも関わらずそのままになっているのは、近所づきあいを壊したくない、正論だとは思うが自分からは言い出せない、このくらいのことで波風立てたくない、という「隣組」意識を根強く感じ取っているからです。その証拠に、何人もの方が会合の後で「あなたの意見に同感だ」と言ってくれました。
この背景にある問題点は「福祉行政の貧困」ということに尽きます。つまり、好むと好まざるとに関わらず、「募金」がなければ各県、各市町村の社会福祉協議会の活動に支障が生じるように仕組まれている。受け取る方も毎年それだけの「計画募金」を見込んで予算を立てているということです。もし、そうでないというなら即刻このような強制募金をやめて、あくまでボランティアが集める本来の募金にすべきでしょう。また、支障があるというのなら、社会福祉行政そのものを見直すべきでしょう。

自治会がこうした募金の片棒を「担がされている」のは戦後の混乱期から綿綿とつづく悪しき慣行です。改めるべきところはしっかり改めるべき時期に来ていると知るべきでしょう。しかも、池田町の約半分が実際にすべてまたは半ば自由意思で拠金しているのですから、やれない話ではない。
こんなことを「正論」というのではあまりに情けないではありませんか。今日の世の中では至極「あたりまえのこと」にすぎないのです。

あ、そうそう、また1つ年をとりました。かみさんが誕生日だと書いたらと言うのですが、何となく恥ずかしかったので、一日の終わりに報告。



  1月27日(金)    
被災地支援のレポート集が完成し、配布をはじめました。100部限定で作成、そのうち半分の50冊はネットワークメンバーとボランティア、女川町の関係者のみなさんにお渡しし、あとの50冊は希望される方に無料でお配りします。
それなりに昨年の支援活動の全体像がつかめるようなものになったと自負しています。
もし、この記事をごらんの方でご希望があればメールでご連絡ください。ただし送料はご負担ください。

夕方から仕事で大町に出かけたところ、途中から雪がひどくなるし道はガタガタだし、大町は本当に雪国だと思わされました。帰りもどんどん降っていて明日まで相当に積もりそうな勢い。
池田町はそれほどではないものの、明日までにはこの冬一番の積雪(10センチ前後?)になりそうな気配です。昼も気温は零度前後なので、降った雪は少なくてもそのままで全てが凍りついています。おかげで電気代、灯油代がどんどんかさんでいきます。早く暖かくなってほしいですね。

今日からボランティアで、毎週金曜日の午前中にイラストレーター講座、午後にはホームページ講座をはじめました。イラストレーター講座は、初心者を対象に、ちょっとしたチラシやニュースを作ることができるようになることが目的。
今のところネットワークの事務局メンバー3人が受講していて、実益半分、情報交換半分のオヤジグループです。
後半のホームページづくりは、例によってタグでホームページづくりの初歩を学ぶ講座。ファンクラブのメンバー2人が希望していて、今日は1人だけ。動機はどうあれ、自分で新聞やチラシ、ホームページを作りたいという熱意があれば、それが何よりの原動力です。
私自身大した知識があるわけではないけれど、自分も勉強するつもりでしっかりやろうと思っています。確かにいざ人に教えるとなると、生半可な知識ではすぐに化けの皮が剥がれてしまいます。
とくにイラストレーターでは、いままで知らなかったことがずいぶんあることがわかり、ひょっとして一番勉強になっているのは私なのではないかとさえ思われましたよ。もっと専門的な知識を身につけて、ワンランク上のレベルを目指すことにしますか。プロのデザイナーからもっと貪欲に学ぶことが大切だと思わされています。
ただし、あまり小手先の技術だけを追い求めて、肝心の内容がついていかないことには意味がない。中身のお勉強も同時に・・・です。しかし、こっちはなかなか厳しいなあ。



  1月26日(木)    
2,3日前だったか、細かい細かい雪がふっているので不思議に思っていたら、ある人がそれはダイヤモンド・ダストだよと教えてくれた。晴れた空からキラキラ落ちていたからそうだったんでしょうね。今日も寒い一日。富山から無事帰った妻が、富山より糸魚川の方が雪がひどかったと言っていました。池田は雪はないものの、マイナス10度くらいの日が続いてずっと家にこもりきりです。

友人に長い間貸していたコンピューターが戻ってきました。部品取りで必要になったので返して欲しいとお願いしていたので、それを届けてくれたのです。
そのコンピューターというのが、今から15年くらい前のまさしくオールドマック。いまはもう懐かしいとしか言いようのないPowerMac G3DTというシロモノなのです。
もう5年ほど前のことになりますかね、その友人は、それよりもっと前の古いマシンを使っており、それが不調になったので見て欲しいと言われたのをきっかけに、それならということで私のコレクションの中で余っていたものを貸して上げていたというわけでした。
実は中身はこれと全く同じG3MTというのをまだ持っていて、ときどき起動していたので久しぶりに触ってもあまり違和感がなかったのですが、びっくりしたのはモニタの大きさ。モニタも貸していたんでした。
これらはいずれも私の思い入れの強いマシンで、DTPではずいぶんやっかいになったものでした。前の職場でのチラシを作ったりポスターを作ったりと、大活躍してくれたコンピューター。改造を繰り返して、中身を知り尽くしたマシンの1つでもあったのです。マザーボードからCPU、メモリーからカード類にいたるまで元のものは何もないというほど変わってしまっています。
ジョブズ復帰前の、アップル「薄氷の危機」の時代の産物ではあるのですが、それでも初期のアップルらしさが残っていて、私には好感の持てるマシンの1つでした。
これが現役で動いているというのもすごいことですね。Illustratorはバージョンが10.0だし、Photoshopも7.0だから今仕事をしても遜色なくできる。ただし、対応プリンターがないので、即印刷というわけにはいきませんが。さすがにネットはメール以外は難しいけれど、音楽については音も悪くないし、このまま廃品にしてしまうのはいかにも「もったいない」。用途に応じて使い分けていくのがいいかもしれません。ただ、このデカイ「モニター」だけは何とかしないといけません。


さて、先日から時間の余裕が比較的でてきたからか、Andrew Lloyd Webberのミュージカルにはまっております。映画のストーリーそのものより、彼の特異な才能のもとに生み出される曲の数々が私の心の波長と合っているのか、それとも私の歩んできたそのときどきに彼の音楽が生への執着となぐさめを与えてくれたためか、いずれにしても今なお深く心に染みこむのです。
音楽の世界は広く、人間の数だけそれぞれのジャンルの音楽への共感のしかたがある。どれがよくどれが悪いということでは決してない。音楽の「普遍性」などというのは私にはどうでもいいことで、1人ひとりにとってどのように心のあり方と生き方と結びついているかということではないのでしょうか。
「オペラ座の怪人」「エビータ」「ジーザス・クライスト・スーパースター」「キャッツ」などには、私の歩んできた1つひとつの思い出がそのメロディーにくるまれている。それでも「思い出」があるからその音楽が私の中でいまなお生きているのではなくて、やっぱり音楽そのものがいのちを持っているんですね。
コンサートで見る彼の素顔は風采のあがらないおじさんだけれど、イギリスの底知れない文化的な深さ、教養の広さを感じさせる作曲家の1人だと私は勝手に思っているのです。



  1月22日(日)    
そうそう、昨日の続きなのですが、件の高3生が「次に受ける大学の過去問に答えがないのでつくってください」ときた。しかもその問題集は大学が配布しているもので超細かい字で印刷してある。まるで見えない。
「先生、答えが違います」と言われて、おかしいな、そんなはずはないのに・・・と思って見てみたら数字の2を3と読み違えていた。ぼけて見えたのですかね。頭がぼけていたのかも。
A4からA3に拡大してもまだはっきり見えない。この2,3ヶ月でずいぶん視力が低下してしまったようです。理由ははっきりしていて、○○○○のせいなんです。
私の小さい目は、近視に遠視に乱視(○○○○が「禁止に艶姿に卵子」と御変換ちがう後返還でもない誤変換していてもよく見えない)ですから、もう週末です。いやいや終末です。

話を変えましょう。2,3日前観光協会の若いHくんから電話で、「ようやく出来上がって、観光協会のページにアップしました」という連絡が入りました。いままで私がずっと担当してきたウオーキングのホームページづくりを彼にバトンタッチすべく、2〜3年がかりでコーチしてきて、ようやく彼の考え、彼の技量で一通りのホームページが完成したのでした。その連絡です。
「cssの方がよくわかるようになりました!」と心強いアピール。なにしろ我が池田町観光協会のメンバー2人のホームページづくりは、私の指導よろしくタグ打ちなのです。市販のホームページ作成ソフトを使わないでソースコードを書いていくのだから、タグ打ちならぬタダ打ちなんですねえ。すごいでしょ。
「いまは、まだ一昔前のHTML4.01水準だけれど、今はもうHTML5の時代。でも、ここまでくれば、自分でどんどん勉強していけるからね。あとはよろしく」と、私はカッコよく引退です。
もう年寄りの出る幕じゃないし、若い人にどんどんやってもらわないとね。
私は言うんです。「若いうちにどんどん吸収しなさい。いま苦労しておけば、あとでそれが必ず自分を助ける。必要なときにがむしゃらにでも食いついて吸収してしまうの。絶対役に立つよ。私自身がそうだったから」・・・いっぺん言ってみたかったんだ、このセリフ。
いったん、構造がわかって進み始めると、どんどん先にすすめる。そこまでが大変。ものすごい多忙な2人の勤務の合間をぬって、主に冬期間に集中的にコーチするので、さぞかし大変だったことでしょう。でもよくここまでやりました。ほめてあげますね。

ウオーキングのホームページは愛好者にも、旅行会社にも重宝がられているんです。ホームページをチェックしていて、これはと思うところへツアーを組んでくれる旅行会社もでてくるので、更新はきちんとやらないといけません。
これからはきっと自力でどんどんよいホームページにしあげてくれることでしょう。楽しみです。

・・・とここまで書いて、いつもなら昨日の記事にコピペして書くのに、今日は何故か昨日のページにそのまま上書きして保存してしまった・・・ということにはじめて気がついた。昨日の記事がない!大糸タイムスの記事をもとに書いたものでしたが、どこにもない!履歴からも復元できず、Ctrl+Zでもでてこない。消えた、まいった、終わった、ガ〜〜ン、ガ〜〜ン。
件の高3生といっても何にもわからないじゃないですかね。寝る。



  1月21日(土)    
何を間違ったか、この日の大事な記事を上書きして無くしてしまいました。22日になって、やむなく復元作業にあたっています。元どおりにすることは叶いませんが、おおよそは何とかなるでしょう。というわけで、この日の記事は、22日に書き直しです。かえってその方がもう一度考えを整理できていいのかもね。

土曜日は高3の授業の日。1人の生徒がセンター試験の数学で98点を取ったと嬉しそうに報告してくれました。総合得点でも通っている学校でトップだったらしい。すごい。「結構みんなコケていたみたいで、波に乗れたのがよかったかな」と言っていました。
実は何を隠そう(隠したい!)、私の成績は96点。それを聞いた彼女のうれしそうな顔。「人が来ていて、まわりがうるさくて集中できなかったからね」と言ったら、「いえいえ結果がすべてです」とつれない返事。そうですね、本当によくやったとほめてあげましょう。まだ試験はこれからが本番。思い通りの大学にすすめるように応援していますからね。のびのびと試験に臨んで欲しい。

***********************************

さて、昨日の大糸タイムスに次のような記事が載っていました。


この記事によると、大北地域で唯一人口を増やしているのが松川村で、もう池田町との差はありません。深刻なのは小谷村。平成 17年とくらべて、約700人も減少していると書いてある。池田町は301人減ですからかなり大きい。
今から2年前の「第5次総合計画」では、1万1千人をめざすという計画を掲げていましたから、このままでいけばあと10年たっても達成される見込みはありません。それどころか、20年先には8000人台になるという試算すらあるほどです。

過疎地域での人口問題というのは、大糸タイムスが指摘するまでもなく大変大きな問題として認識されています。人口が単に減少するだけなら全国的な傾向であって問題は少ないはずが、過疎地域では、少子化・高齢化と関連して若年層の雇用の場の喪失、産業の衰退などと深く結びついているからです。そしてこうしたことは地域だけの問題点がそうさせているのではなく、この国全体の政治・経済の結果として引き起こされているということを忘れてはなりません。
ところが、どの自治体も「決め手に欠く」という。大糸タイムスの記事はこうです。

人口減少の深刻さは増すばかりだ。人口推移が地域存続を左右する。減少の歯止めが、最優先すべき課題として行政に突きつけられている。
『維持していくことすら困難。人口減少の抑止に効果的な取り組みが見あたらないのが現状』。大北地域で人口減少対策にかかわる行政職員の口ぶりは重い。


維持していくのが困難なのはあたりまえです。これだけの出生率ではむしろ減って当然。ではなぜそれほど増やさなければならないという「強迫観念」に駆られるのでしょう。
そもそも、人口の増減は地域の衰退を左右するのでしょうか。人口が増えれば地域振興の糸口が見えてくるのでしょうか。
大糸タイムスが言うように「人口を増やすことを最優先すべき行政」とはいったいどのようなものになるのでしょう。それを最優先するためにはどうすればいいのか。・・・・そう考えて私はハタと立ち止まってしまうのです。

多分、それはこういうことです。これ以上減少が続けば、人口の年齢バランスが大きく崩れ高齢化率が35%から40%という超高齢社会になる。財政は火の車。加えて少子化で地域の未来は大変暗い。地域から働き手と活気が消え、商店も経営が成り立たず、町から火が消えてしまう。だから、何とかして人口を維持し活気ある町にしていきたい。
その限りでは、全く正しいし、至極当然の考え方です。ところが、出生率は低下し、否応なく少子高齢化社会に突入していかなければならない。打つ手がない。こういうことでしょう。

大糸タイムスは、人口を増やしている松川村にはその根拠があると指しています。つまり、それなりの行政政策が系統的に行われ、しかけがつくられ、その結果として微増という結果を出している。それも正しい。見習うべきところがたくさんあります。

私の考えを結論から言うと、次のようになります。
第1に、人口減少をまず受け入れること。
第2に、客観的に推測される人口予測をもとに、身の丈での行政政策を立てること。
第3に、地域の再生を住民の力を結集して実現する方途を真剣に考え、その中に人口問題をしっかり位置づけること。
第4に、もっと大きく都市と農村の問題を具体的に提起し、そのもとで人口問題を考えること。
以上です。

まず、第1の人口減少を受け入れるとは、無為無策で「減るのは仕方がない」というのとは根本的に違います。いろいろな原因で減少しているのである以上、それだけをとりあげて対策を講じようとしても無理があるということです。統計データから見ても人口は必ず減少するのです。その事実をしっかりふまえよというだけです。むしろ、それをチャンスにするくらいの覚悟が必要だといいたいのです。
第2に、統計データから、何年後にどのくらいという予測が簡単にできます。そのときの財政収支の予測も立てられます。その人口に応じた行財政計画をいまから準備する必要があります。
その際に、65歳以上を高齢者とひとくくりするのではなく、75歳くらいまでの町民を労働力とした大胆な計画があってよい。実際農業従事者は80才になっても現役なのですから。確かに福祉・医療の財源はどうしても必要になるでしょうが、そのときに力を発揮するのは、助け合いのボランティア精神です。それを組織する努力が財政負担を軽くし、ランディングを楽にする。一時期の高負担も覚悟しなければならなくなるかもしれません。
そして次に、第1、第2の前提をおきながら、いよいよ本格的に地域再生のプランづくりに取りかからなければなりません。「決め手に欠く」というのは、人口を増やすことに決め手を欠くのではなく、地域をどのように活かし再生するのかというプランが住民中心につくられていない、つくる見込みがないという手詰まり感なのです。問題が住民に共有されず、危機意識も共有されず、情報も伝えられないというのでは、「決め手に欠く」のは当然の理でしょう。
地域の人口は、地域の魅力を作り出し、そこに産業を確立し、それを守り発展させるという住民ぐるみの活動がいきいきと展開されて初めて決定されるのだという自明の論理を住民全体のものにすることではないのでしょうか。そのための政策をみんなで話し合い、つくりあげることではないのでしょうか。
福祉が充実し、子育てしやすい町になら住みたいと願う。有機農業が盛んで里山の手入れがゆきとどき、美しい景観にあふれているならだれもが住みたいと願うのではないか。住民が団結して地域の産業を大事にし、作りだし、運営していける町なら雇用も作られ、若い人が自信をもって生きていけるのではないか。松川村の経験をそのようにとらえ直すことこそ「打つ手」なのだと私は考えるのです。
第4に、さらにもう一つ。これからの時代には農村が見直される時代が必ず来る。そのことに大きな見通しをもって、農山村を再生させることが必要だと言うことです。そのことによって人口問題は自ずと解決される。これが私の考えです。
現在は、農山村は都会に従属させられ貧乏くじを引き、単なる食料やエネルギーの供給地として使われているにすぎません。福島の原発事故をみても、東北の被災地を見ても全く同じ。
しかし、福島の事故以来、劇的に国民の認識はかわりつつあります。都会がどのようにしてその再生産機能を維持しているのかが明白になってきたからです。
考えても見ましょう。農山村がなければ都会は成立しないのです。しかし都会がなくても農山村は自立できる。これまた自明のことです。つまりすべての国民にとって、農山村を守り維持し発展させることは死活の問題だということです。農山村の存続どころのさわぎではない、日本全体の存続にかかわる重大事です。
農山村に立地する自治体はそのことにもっと誇りと自信をもっていい。それを武器に、都会との交流を深め、存在意義を訴え、新しい農山村の見取り図を大胆に提起していく。都会から農村に移住する人を含め、新しい産業に従事する人たちを組織することに力をいれるなら、日本全体のバランスのとれた発展に必ずつながるでしょう。そうしたときに農村部の人口問題は根本的に解決に向かうのではないか。そこまでの見通しをもった自治体行政をすすめていくことが必要だというのが私の今の見解なのです。
そんな悠長なことをいっていられないというのもわかります。しかし、「打つ手」は待っていても見つからない。もっと町民の力を借りることです。問題を投げかけ、議論を起こし、方向を模索することです。



  1月20日(金)    
朝から雪が降り続いています。池田では朝までに数センチの積雪。やわらかいふわふわした雪は温かさすら感じさせます。
都会で降る雪は淡雪で、これは紛れもなく都会型の雪です。雪が多いように見えてもすぐに消えるのでしょう。


昨日書いたばかりの「被災地支援行動レポート集」の見本がさっそく送られてきました。何という速さ。
思いの外薄い冊子になっちゃいましたが結構見栄えがする。33ページで約4万4千円の印刷代。これはネットワークの運営費から支出し、メンバーやボランティアのみなさん、協力して頂いた町民のみなさんに配布することになります。
それぞれが現地を訪問して何を感じたのか、どんなことをしたのかの記録を残すことは、参加者だけではなくすべての町民にとって意味のあることです。100部しか印刷しませんので、興味のある方はぜひご連絡ください。ちなみに、(変更がなければ)表紙は次のようになります。


さて、美術館について昨日の続きです。
実は、昨日も触れた「委員会」の「提言」については、2008年に意見をまとめているのです。それを読みかえしながら、それ以降にいろいろ考えてきたことをまとめて、現時点での私の考えを小論にしてみました。
あいかわらず、長ったらしい文章で、我ながら嫌になりますが、必要なことは全部書くのが私の流儀なので許してもらうことにしましょう。
こうしてみてみると、数年で私自身の町を見る目もずいぶん変わってきたなと思います。変わってきたというより、進化・深化してきたという方が適切でしょうか。
本文は別のファイル(下のリンク)にまとめました。要点をまとめると次のようになります。
1.芸術文化を語るときに、どこまでを範疇に入れるのかを定義する必要がある。
2.「提言」は、「文化施設」の「経営形態」に集中した意見具申になっており、結局、町の「財政改革」に従属した限界を持っている。
3.その限りで美術館の改革をおこなっても、何ら「財政」問題は解決されない。
4.文化・芸術に限らず、スポーツ、科学技術をふくめた地域文化を対象として深く議論すべきである。
5.生活の見直しが迫られている今的状況をふまえ、町づくりのビジョンとデザインを議論する中に文化の発展、振興を位置づける必要がある。
6.これらをなしとげるのはあくまで住民であり、行政はそれを保障すべきである。

池田町の文化振興への視点




  1月19日(木)    
被災地支援レポート集の原稿をようやく製本屋に出したものの、左右のページの高さが微妙に違うと指摘され、作り直して再入稿。ページが1ページ増えてちょっと見積もりが上がってショック・・・1つのことをやり遂げるってのは本当に手間暇かかります。
見本を送ってくるので、それでよければ印刷にかかります。あと10日もすれば完成します。これで1つの仕事が終わり。
あとは、3.111周年にむけてこのレポート集を利用しながら、新しいイベントを計画し、被災地に連帯する仕事が続くことになります。

2つ目は来年度のバラ園の準備。県の「元気づくり支援金」を申請するために、ここしばらく新しい地主と土地借用の契約をしたり、見積もり出してもらったり、写真を整理したりといろいろ細々した仕事が続き、今日ようやく申請書類を町に提出しました。書類に不備がみつかったので、あしたそれを持って訂正に。これまた1つのことをやり遂げるには、本当に細々した書類をつくらないといけないので、やっかい。それでもどうしても補助をもらわないと思い通りのバラ園が完成しないので、とても重要な仕事です。
このあとは2月から3月にかけて審査があり、場合によっては県の事務所でプレゼンを行う必要があります。何とか申請通り通したいものです。

3つめは、今日の午前中久しぶりに開いた「町政研究会」の仕事。一定の案を作成をしたものの、まだまだ討議不足。町の将来を見据えてしっかり議論を重ねる必要があります。これをまとめていくことは容易なことではありませんが、必ずどこかで生きてくると信じてすすめていくことにしましょう。

町政研究会での1つの議論の焦点は池田町美術館をどうするかということでした。ここで性急にどうこうということは言えませんが、平成20年2月の「芸術文化による地域振興検討委員会」答申を待つまでもなく、今後の池田町の財政にとって美術館の改革は急務といえるでしょう。
「答申」は過去10数年の入館者数や歳入・歳出の推移を調べたうえで、次のように述べています。

(経営形態)人口1万人規模の池田町で毎年2500万円前後の経営赤字は町財政を圧迫し、このままでは4年で1億円を超え、建設費の町負担金5億5千万円のほかに、平成6年の開設以来の経営損失は4億3千万円を超す。・・・この解消のために経営形態を含め根本的に見直す。

このように述べて、いろいろな「改革案」を提案しています。そのうえで、次のように提言。

(提言)最も望ましい施設運営形態は、他の美術館経営を熟知した者に、条件を決め、運営を依頼する指定管理者制度の導入であろう。少なくとも経営権が委譲され、町行政が関わる財団法人(池田町振興公社)に経営を任せることを提言する。

池田町振興公社はすでに解散して存在しませんから、もし指定管理者制度を導入するなら民間の団体に任せるということになるでしょう。しかし、支出の割に収益性がもともと乏しい文化施設ですから、指定管理者を見つけること自体困難であり、もしあったとしても、指定管理料はいまとさほど変わらないとすればほとんどメリットはありません。それどころか文化施設としての質、維持管理が町民本位でなくなる恐れすらあるわけですから、こうした美術館には指定管理者制度は本来なじまないといわなければなりません。

町外からの移住者の目では、いかにも分不相応な施設であり、しかも町内、町外を問わずどれほど魅力のある施設なのかかなり疑わしい。そのために常設展示のほかに企画展に力を入れてきているのですが、それがヒットしたとしてもそれだけの出費をしているわけで、収益性という面からは根本的な解決策になっているわけではない。
新館長のもとで、相当な努力が重ねられていることは充分知りながら、本当にこのままの状態でいいのかどうか、今一度根本から議論してみる必要があると思われます。
その際に、経営形態をどうするかという議論は当然必要だとしても、小さい町での文化行政のありかたを問う必要があります。

次は、最近10年間の美術館収支の推移です。






  1月16日(月)    
昨日役員会を行い、いよいよバラの会も今年の活動の開始です。とりあえずは来週の総会。のびのびになっていたので、しっかりと方針を立てなくてはなりません。自分たちも楽しく、町民にも親しんでもらえるガーデンをどうつくるかが大きな課題。いっしょに作業をしてもらえる人をどう広げるか、いろいろ苦労は尽きませんが、あわてず騒がず、じっくりと構えて素敵なガーデンをつくっていくことにしましょう。

私は全国紙をとっていないので、ウエブ上で情報を集めるしかないのですが、それも最近読む気がしない。メディア批判があがっていても一向にお構いなく、たとえば消費税増税問題に見られるように、いよいよ全体として翼賛基調になってきていると感じるからです。
今日のasahi.comによると、大阪市の人件費について「『府並み』カットで120億円減の試算」という記事があった。これは橋下市長が市職に示した案だそうです。公務員を主敵とする手法はおなじみのもので、客観報道の形をとりながら、結局は公務員たたきの雰囲気を醸成していくこのやりかたは、大手メディアとして許されるのかどうか。
その記事の下には「おすすめリンク」というのがあって、ダイヤモンド社の「同じ仕事で給与は2倍強のトンデモ公務員の実態」という「web新書」が載せられている。それをクリックするとこうです。
東日本高速道路から業務を委託する都内のある警備会社では、その激しい業務について誇りを語るが、公立学校や守衛の年収に話が及ぶと「怒りに身を震わせた」。この警備会社の警備員の年収は288万2000円。それに対して「公務員の守衛は699万5601円、なんと、公務員は民間よりも2.43倍も高い」・・・・とまあ、こんな調子。
これを「おすすめ」とするasahiさんに問いましょう。大量の不安定雇用労働者の賃金を背景に、民間で安く労働力を買いたたかれている人が、まわりにそれと同じ水準まで給料を下げるべきだというのは正論なのか。心情的には理解できる部分はあっても、そこにどのようなカラクリがあり、むしろ民間がなぜそれだけの賃金しかないのかを何故追及しないのか。asahiさんはこれに答える義務があります。

考えてもみましょう。家族が4人だとして、288万ではまずやっていくことは無理でしょう。それもそのはず、東京の場合4人家族の場合、生活保護基準は月額15万円くらいになります。上の民間警備員がもし東京で4人家族だとすれば、その年収は生活保護基準から100万円程度しか上回っていないんですからね。
要するに、公務員たたきのねらいは、会社の法外の利益は不問に付し、公務員も民間派遣労働者並みの賃金にせよというです。「とんでもない」のは民間労働者の賃金の方で、なぜそのような低賃金が横行するのかを追及することこそが現代メディアの役割なのではないでしょうか。最低賃金もヨーロッパ並みに全国一律最賃で日額1000円とすれば、たちどころに全国の労働者の底上げができる。大企業にはその余力は有り余るほどあるんです。それらのからくりを暴くことが本当のジャーナリズムでしょうに。
低賃金で働けるだけ働かせ、それでもその仕事に誇りを持てと言うのが資本の論理というもの。途方もない額の大型公共投資、莫大な軍事費と思いやり予算などを野放しに、結局それらから目をそらすために使われているのが「身近な」公務員労働者なのではありませんか。
一部の「エリート」高級官僚は大幅に削ってもいいし、天下り官僚などは根絶してもいいけれど、それと底辺で生活保護基準を下回るような生活に甘んじている下級公務員といっしょくたにしてもらっては困ります。

こんなトリックに易々と乗っかる「世論」も世論だが、そうした雰囲気を誘導し醸成しているのは、自らの超高給は脇において他人を見下す新聞社上層部と一部のエリート記者に他ならないことをもっと暴いていかないといけません。これこそが今日の「ジャーナリズム」の腐敗堕落の根源になっているんじゃありません?asahiさん、違いますか。
自分たちの給料を290万円くらいにしたらどうなんですか。いやいや、我々はそれだけの仕事をしているんだとおっしゃいますか??冗談でしょう。ダイヤモンド社発行書籍の著者も自らの賃金を公開してから、そのように言うべきです。そしたら、納得してあげますよ。
もっとも、あんたの労働力の価値はそんなもんか、ナットクというかもしれないけど。

ファシズムは、そよ風とともにやってくる。   岩波新書「安心のファシズム」(斎藤貴男)



  1月15日(日)    
世界2月号で寺島実郎さんが「世界認識の鮮明なる転換ー2012年の日本の覚悟」と題する一文を書いています。(脳力のレッスン、特別版)。

2011年11月のホノルルでのAPEC総会、さらにバリ島でのASEAN首脳会議を巡る一連の動きの中で、日本が示した外交判断とそれを報じる日本のメディアを見つめていると、日本人が抱く世界観の貧困に悄然とする。

彼は、旧態依然とした冷戦型思考で米中対立の一面のみをみて、アメリカの国際社会での地位の著しい低下やアメリカと中国との複雑な関係を全く視野に入れず、日米同盟にのめり込む日本の政府、財界、メディアの思考パターンをこっぴどく批判しています。
60年前からの「ソ連の脅威」を「中国の脅威」に置き換え、「極東において冷戦構造が継続している」と考えると安心できるし、「米中対立が深刻になれば日米関係の重要性が高まる」と「卑屈な期待感が高まる」と現状を分析。アメリカ国内でさえ、日米関係が柔軟に再設計されるべきだという認識が高まっているのに、日本はアメリカ国内の一部の「ジャパンハンド」(日米安保で飯を食う知日派)とつるんで、「安保マフィア」(外務・防衛官僚、メディアの一部など)が幅をきかせていると指摘、さらに次のように述べています。

世界が「全員参加型秩序」を求めて苦闘し、同盟国米国が大きく変質する中、日本は依然として「冷戦型思考」から脱却できず、立ち尽くしている。いまだに、麻生時代の「自由と繁栄の弧」(中国やロシアを民主主義国で囲い込む)というレベルの外交構想を脱すことができず、「日米同盟の深化」(進化ではなく)が国益だとする考えに沈潜している。
「米国を頼りに中国の脅威と向き合う」という安易な固定観念を脱却し、基地とTPPにおいて日本が自立自尊をかけて米国と正対して主体的にアジア太平洋に安定基盤を構築するために動き始めること、それが2012年の課題である。(中略)
この時代における外交やルール造りへの参画には高い理念性とやわらかい構想力がいる。(中略)
「独立国に外国の軍隊が駐留し続けているのは不自然だ」という国際常識さえ見失い、戦後66年を経てもそれを変更する意思を喪失している国が、国際社会で自立した敬愛の対象となることはあり得ない、ということだ。


寺島さんは、TPPについては「守る農業から産業界と連携する農業へ」「具体的に言えば農業生産法人と流通法人が連携し、プラットホームを作ることだ」と主張する条件付き賛成派なのですが、あくまでも構造を改革するとの前提付きです。しかし、「脳力のレッスン」の文脈でいえば、いま日本政府がすすめようとしているようなTPP参加の道は完全に否定されることになりますね。つまり、身も心もアメリカに捧げ尽くした日本の支配層のもとでは、日本の国土がすべてアメリカに売り渡されるということを、言外に語ったことに他なりませんから。

実は、この硬直した前時代の思考は何も国政レベルだけの話ではありません。中央べったりの地方政治を温存したい勢力、「高度成長時代」の成長神話にまだとりつかれて、工場誘致、道路などの大型公共事業にしか地域の生きる道はないとする人々もまた同類なのではないでしょうか。
日本の政党の中で、「時代認識」という点で寺島さんの指摘とも共通点を持ち鋭く分析の手を加えているのは日本共産党だけでしょう。「異常な対米従属」「大企業・財界の横暴な支配」という日本の2つの病根をつくとともに、アジア、ラテンアメリカ、中東などの世界情勢の変化を深部から明らかにしている最近の文書は注目に値します。
「高い理念性とやわらかい構想力」も国政レベルだけに求められることではありません。目を世界に向け、世界から自国を地域を照射する、このことにもっと力を注ぐべき時代に入っていることをますます実感するこのごろです。



  1月14日(土)    
日の経つのは速いもの。この間、夜にはマイナス10度くらいの日がずっと続いて外は氷漬けです。まだ1月半ばですから、まだまだ続くこの寒さ。沖縄では23度といいますから、これはもう冬は沖縄ですね。

さて、今日から大学入試センター試験。ずっと勉強を重ねてきた成果が存分に出せるといいですね。数学は明日です。Mさん、Nさん、応援しています。

パソコン事情も最近は大きく変わってきています。携帯電話もすでに半分以上がスマートフォンに変わり、一時のiPhoneブームからアンドロイドOS搭載機が猛追、アップルも真っ青な状態になりつつあります。アンドロイドはLinuxをベースにしたOS。タブレットとスマホの機能を融合し、画像・音声の編集機能も充実となれば、おそらくGoogleはAppleに相当な差をつけるんじゃないですかね。すでにひと頃のパソコン以上の性能と機能をそなえたものになってきていますから、これからの発展が恐ろしい。
とはいえ、端末は端末。こうした多機能型の携帯端末にとらわれ、依存し、生活のすべてがこれに従属するような社会はごめんです。教育の中でも電子機器や情報へのリテラシー(「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」Wikipedia)が重視されなければならないのではないでしょうか。

ところで、デスクトップ機としての新しいLinuxOSも急速に発展しているらしい。「らしい」というのは、ほんのちょっと触った程度ですから、まだよくわかりません。
久しぶりに雑誌を買って、試しにインストールしてみたところ、非力な昔のパソコンではもうガクガクして動きがまるで遅い。インストールディスクはまだCD1枚で収まってはいますが、ディストリビューション自体が相当に巨大になりつつあるようです。

私がいま試しているのはUbuntu11.10の日本語Remix。何となくMacOSXを想像させる作りで、Windowsユーザーは違和感があるかも。
以前、早くWindowsからLinuxへ移行したいという記事を書いたことがありましたが、新聞づくりやその他Illustratorを使わないなら、LinuxOSで充分。というわけで、最後のパソコン自作にいよいよとりかかろうかと思っています。
目標は、Photoshop Illustratorは新しい自作のWindows7機に移行。これまで使っていたXPマシンはUbuntuとXPとのデュアル・ブートにして、普段はUbuntuだけを使う。仕事をしている間は、そのくらい大目に見てもらえるかなあ。
しかし、年金だけの生活になれば、電気代がもったいないので、AppleのMacBookを妻と共用にしてデスクトップは本当に必要なときだけ起動する、ってのはどう?え?いくらかかるか?何だか前にも同じこと書きましたね。それから何も進んでいないのでした。



  1月6日(金)    
しんぶん「赤旗」に月1回載せられている、古典文学へのいざない「心ときめきするもの」がなかなか面白い。筆者は作家の清川妙さん。
今日は「かぐや姫の難題 龍の頸の玉」と題する「竹取物語」の解説でした。連載の副題が「学び直しの古典」というものですから、高校時代に受験用に古典をつまみ食いをした程度の私などにとってはまさにうってつけ。あらすじは知っていても、その時代背景、登場人物の心理描写などは「受験」の範疇にはいるべくもなく、5人の王族・公家を手玉にとってただ月にもどっていくおとぎ話程度の理解しかありませんでした。
誘われるままに数十年ぶりに原文や訳文にあたってみるとこれがなかなか。
清川さんは、辰年にちなんでだろうか、「大伴御行大納言」に出された難題「龍の首の珠」の章についてのみ解説しています。その中で筆者が注目を促していることの一つは、5人から求婚されたかぐや姫が言い放つ次のひと言。

世の畏(かしこ)き人なりとも、深き心ざしを知らでは婚(あ)ひ難しとなむ思ふ。
【現代語訳(清川さん)】どんなに高貴な方でも、愛情の深さを確認しなくては、結婚するわけにはいかないわ。


清川さんは「平安朝の女性にしては、見事な自己確立」と感嘆しています。
「こころざし」は、現代では「志」ですが、古文では「心ざし」で出てくることが結構多いようで、清川さんも後者で紹介しています。リンク先の「あいの部屋国語力UP講座」では「心指し」「心刺し」両方の意味があるといい、古文では「心刺し」つまり、ハートを射貫く(?)「愛情」の意味で使われる方がおおいのだとか。へえ〜〜、知らなかった。
ともあれ、この「志」という言葉はとても積極的な言葉で、その字義通りの心の働きを大事にしたいもの。その意味ではかぐや姫は尊敬すべき女性ですね!!

さて、かぐや姫に出題された5人はそれぞれどうしたか。「龍の首の珠」を取ってくるように言われた大伴御行大納言は、自分は行かないでまず部下に「取ってこい」と厳命を下すのです。ところが部下たちは「そんなことできるわけないでしょう」と言う。そのときに大納言の言った言葉「君の使といはむものは、命を捨てても、己が君の仰言をば叶へむとこそ思ふべけれ」、これって最近大阪あたりのどこかで聞きましたねえ。
そのあと部下たちはてんで勝手に「賜はせたる物はおのおの分けつゝ取り、或は己が家に籠り居、或はおのが行かまほしき所へいぬ」。
こうした顛末について、清川さんは「貴族を嘲笑する気分の筆にはおかしみも添えられている」「出生譚が求婚譚に入ったあたりからは、おそろしいまでの人間心理の洞察がある。人々の間に語り伝えられた説話に、極めて知的な筆を加えて物語に仕立て上げたのは、プロのわざなのである」と書いています。
このプロは誰なのかについて紀貫之だとか誰々だとか諸説あるようですが、そんなことはどうでもよろしい。それより、日本の最も古い物語という竹取物語が、SFスタイルで情感豊かに風刺をたっぷりまじえ書かれていることに驚きを禁じ得ません。現代でもちっとも古くないではありませんか。
光の化身「エイリアンかぐや」はそのまま現代版にリメイクできそう。清川さんには、もっといろいろな古典の読み方を紹介して欲しいと思わされました。




  1月4日(水)    
大学入試センター試験まであと10日。生徒につきあって、過去10年分くらいの本試験・追試験をずっと解いてきて、これをつくる大学側の苦労も相当なものだろうなと同情しました。
過去の類題を出題したいという意向もよくわかります。しかし、こうした制度を作った以上は生徒の苦労を考えて、せめて充実感のある出題にしてほしいものです。
今日は、遅ればせながら今年度の数TA、UBを解きました。TAは数年前まではかなりわかりやすい平易な問題だったのに、ここしばらくは結構受験生を悩ませるものが見られました。今年度のようなよく考え抜かれた問題であれば、比較的やりやすいだろうとは思いましたが、それでもかなり無理がある。たとえば、1−[2]の論理の問題のように、平面座標を用いなければきわめて難しいものは出題すべきではない。
数UBではあいかわらず問題の量、計算のわずらわしさが目立ち、本当に時間内に解けると思って出題しているのかが疑問視されます。ただ、過去何回か見られたようなひどい出題ミスは陰を潜めているだけマシかなと思います。これらは「高等学校の課程をきちんと終えていれば解ける」などというシロモノではなく、相当に訓練しないと時間内には解けません。選択3の数列の問題も、選択4のベクトルの問題も、全体としてあと30分ほどあれば良問だと思われますが、60分内に解かせるのにどれほどの意味があるのでしょうか。
この前も書きましたが、普通科高校の教師、せめて大学入試にかかわる大学の教師がこれを全員解いて本当に妥当なのかどうか、センター試験という方式の是非も含めて評価・検討すべきです。

夕方から雪。北アルプスからのこぼれ雪が2,3センチ積もっています。北陸では相当な積雪だとか。隣の大町では10センチほど。朝9時頃はまだ4WDで走らないといけないほどでした。
北陸とは違って雪は少なく凍てつく寒さなので、富山で感じたような雪の夜のふんわりした情感というようなものは一切なし。むしろ酷寒にものみな凍り付いてしまうという非情さを感じます。北アルプスを挟んでこっちとあっちなのに、ずいぶん変わるものですね。春が待ち遠しい。



  1月3日(火)    
昼頃に息子、娘家族が相次いで帰途につき、ようやく我が家も普段の静けさを取り戻しました。といっても、私もほとんど同時に仕事に出かけたので、静けさは家に戻ってから。
食事のあとは何となく疲れが出て、妻が恒例の新春クロスワードパズルに根気よく挑戦している前で、ネコのハルちゃんを膝の上に置いて(暖かい)しばらくウトウト。
次はみんなが帰る前に撮った集合写真です。2枚目には家族のために大きな画像のリンクが張ってあります。




1人の時間ができたので、昨年11月頃に買った(バージョンアップした)囲碁ソフト「天頂の囲碁3」でしばらくぶりにコンピューターに勝負を挑みました。公称4段というソフトだけに、さすがに強い。20〜30回やって一度も勝ったことがありません。黒番置き石なしですからほとんどが中押し負け。それでも悔しいのでハンディをつけることなくコンピューターの癖を読んで挑戦したら、今日はじめてコンピュータが「投了しました!」と来た。やったね。安定的に勝つようになれば3段くらいということなのかなと思いつつ、囲碁会などでやってみればわかるようにそんなに現実は甘くない。私としては初段もない実力なので、せいぜいコンピューターに教えを請いながら、ちょっとずつ上を狙うことにしましょう。今年の目標は確実に初段の実力をつけることです。

**********************************

さて、話は変わりますが、今日の信濃毎日新聞が”ようやく”世界と日本の水問題に焦点をあてた特集を組み始めました。タイムリーな好企画です。
食糧問題は水問題、水問題は食糧問題です。先日紹介した「プランB」でも書いているとおり、石油はなくても生活はできるが食料がなければ人間は存在できない。レスター・ブラウンさんの危機感は「プランBに戦時体制で今すぐ臨め」という言葉に集約されています。それほどまでに現在の水と食料をめぐる状況は切迫しているということです。
何を隠そう、私自身、原発やピークオイルと同じく、この食糧問題・水問題にそれなりに関心はあっても深く考えてみることがなかった。関心は主として日本の政治状況や地域の課題であったわけでして、それは過去の記録を読み返してみれば一目瞭然ですね。今からでも遅くはない、今年はこれまでの関心に加えて、もっと政治や経済の根幹を規定するこうした環境問題、エネルギー問題について深く考えていかなければと思っています。
つまり、地域の問題を考える場合でも、世界的な不況や国政的な変動が直ちに地域に大きな影響を及ぼすことを思えば、20年、30年先を見通して考えることが必要だということです。たとえば、大きな道路を作ることが本当に必要なのか。大きなスーパーマーケットが本当に必要なのか。車での移動を前提とした社会のあり方を根本から見直す必要はないのか。また、石油製品、紙、木材などを使い捨てにしている現在の生活のあり方をどう作り直すのか、膨大なゴミをどのように減らし、自然エネルギーへの転換をどのようにすすめるのか、地域レベルで考えることは山のようにあります。
しかし、いまアメリカでさえ自家菜園の動きや小規模農業への転換の機運が高まっているし、日本の各地でもこうした問題意識をもって、地域づくりに取り組んでいるところはたくさんある。そうした自治体や団体と手を結んで新しい一歩を踏み出すときではないのでしょうか。ことは人類の生存にかかっている。
レスターブラウンさんはロックフェラー財団の元会長、環境保護基金の気候プログラム代表ピーター・ゴールドマークさんの次の言葉を紹介しています。肝に銘じておきましょう。

私たちの文明の滅亡は、もはや仮説や理論的な可能性ではなく、私たちが進んでいる道である。



  1月2日(月)    
31日から息子夫婦と孫が、1日からは娘夫婦と孫2人がやってきて、またまた我が家は幼稚園状態。はじめはちょっとしおらしくしていた子たちも時間が経つにつれて騒然として、ネコのハルちゃんはビビリっぱなし。こうしてみんな集まれるのも正月ぐらいだからまあよしとしましょう。






年末年始でよくあるクイズ番組をときどき見ていて、記憶力の衰えに愕然とすることがあります。つい先日新聞で見たり読んだりしたこと、ついこの前に経験したことが頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。言われれば思い出せるけど、これって、やはり年のせいなんですかね。もともと記憶力はよいほうではなかったのに、最近はますますそれに「磨き」がかかって大変です。ドジはこの延長線上で起こります。MNEMOさん、ごめんなさい。
そうしたことが続くと、よく母のことを思い出します。小さい頃や昔のことは本当によく覚えている。しかし最近のことはさっぱり・・・という頭の働きについてです。私に即して言えば、数学の内容は中1から高3まですべて頭の中に入っていて不自由しないのに、生徒の名前が出てこないのは悲劇です。いよいよ、それにふさわしい生活をしていかないといけない年になってきたかとちょっぴり寂しいような、妙に納得するような。

今日から冬期講座の後半が始まりました。高校3年の女の子が「あこがれの先輩からメールをもらった」とうれしそう。「一斉送信でなかったんだよ。わざわざ私のために書いてくれたんだ」と強調。そのおかげかどうか、センター模試ではじめて90点を超えてこれまた超うれしそうな顔。みんなから「よかったね」と言われて、さぞかし自信がついたことでしょう。
あと2週間もすればセンター試験。入試の一つの関門がやってきます。何とかクリアできるように私も気持ちを引き締めて。明日からまた頑張ることにしましょう。



  1月1日(日)    
これをごらんの皆さま。新しい年の始まりにあたり、新年のご挨拶を申し上げます。
震災の被災地では、それぞれに辛く悲しい思いを抱きながらの年越しになったことでしょう。しかし、被害を受けていようと受けていまいと、生きている限り明日に向かわざるをえません。だとすれば、少しでも希望の持てる明日をどうやってつくって行くのか、知恵を絞って考えていかなければなりません。。
私としては、自分に何ができるのかをよく見極め、やれる限りのことをやるだけです。この「つれづれ日記」もまる8年を経ました。いつまで続くのか、続けられるのかは検討もつきませんが、ある意味では自分の歩んだ記録として遺すことも多少とも意味があるだろうと、あらためて気持ちを引き締めています。今後ともご指導・ご教示下さいますようにお願い申し上げます。

昨年末に、震災関連の報道で見るべきものがありました。ひとつは30日長野放送の「わ・す・れ・な・い」です。あの日の出来事を克明に追いながら、後の世に何を語り残すのかを真剣に追及していた力作でした。圧倒的な映像がこれでもかと映し出されるのを見ていると、胸苦しさを覚えながら時間を忘れてしまいます。やはりこれは明日の私たちの姿なのかもしれないと思いながら。
2つめは、31日にNHKが放映した番組。建築家伊藤豊雄さんが釜石市の町づくりのデザインに挑む姿を追ったものでした。その数時間前には辻井伸行さんのカーネギーホールでの演奏までの彼の葛藤や苦悩を追跡していて圧巻でしたが、芸術家が人々に寄り添い人々とともに何かを生み出す感動は、伊藤さんも辻井さんも全く同じ。被災地に立ち、風に触れ、音を聞き、そしてたくさんの人々の声に耳を傾ける。町づくりや音楽創造の原動力がどこにあるのかをよく伝えた佳作でした。

「きずな」という言葉が昨年以来流行になっています。私は震災以来この言葉の持つ意味が次第に歪められ、政治的に使われることにずっと違和感を持ち続けていました。民主党から出た議員たちがつくったのが「新党絆」とあっては、もう完全にこの言葉は手垢にまみれてしまった感があります。
東北の被災地で出た膨大な瓦礫の処理をほとんどの自治体は引き受けたがらない。放射能汚染が心配だからというのがうわべの理由なのでしょう。「きずな」と言うならば、引き受けることを前提にした上で、どのように放射能被害を防ぐかを考えなくてはならないのです。
「きずな」というならば、福島産の農産物も消費し、福島の農民との「きずな」を深めるべきです。
NIMBY「Not In My Back Yard」的な発想が根強い地域中心の意識では、共同体内部での「きずな」はあっても、地域を越えたきずなを生み出すことは無理です。自分にとって都合の良い場合のみ、政治的に利用できる限り「きずな」を口にすることは私にはできません。
ちょっと飛躍するかもしれませんが、「きずな」を口にするなら、沖縄県に姑息な方法で辺野古アセス評価書が運び込まれたときに、全国から抗議の声が高まらなければならなかったはず。でもそれは沖縄県のことであって我がことではないのだろうか。

ともあれ、鈍りがちな感覚を少しでも磨き、「明日への誠実」への決意を実のあるものにしようと密かに思い定めた元日です。




top