bottom

azumino.jpg


  2月25日(火)
ここ2,3日は二つのことにかかりきり。雪もいつ融けるかわからない状態なので、ほとんど家から出ませんでした。
やっていたことの一つは、高校生のための数学の教材作りです。年によって対応が当然変わるし、教育課程が若干変わったこともあって心機一転つくりなおそうと決めて取りかかってきました。
生徒の状態を見ていると、すでに学んだことについてほとんど忘れてしまっているので、まず基本のキからはじめなければなりません。よって基礎と基本の2種類の教材を手作りでやり始めたのですが、おそらくすべて終わるのは今年の半ばころになるでしょう。延々と続く作業ですが、新課程の内容を把握する意味でも大切な作業になりますから、手を抜かずにしっかりやろうと思っています。

もう一つは、処分しようと思っていた今から10年ほども前の電気スタンド型のiMacのOSやアプリケーションの入れ直しをやっていたこと。
昔のレコードをCDに直すにはこのiMacが使いやすいので、やり始めたのはいいのですが、何しろ10年前にOSを入れただけでずっとメインテナンスしていなかったために、いろんなアプリケーションが入りすぎでしかも遅い。当時としては最高水準のiMacにしたはずなのに10年のあいだに、My iMac is of quite an old vintage.
OSを入れ直し、アプリケーションを厳選しているうちに、わたしゃ気がつきましたね。このiMac捨てたものじゃない。何でも新しけりゃいいってもんじゃない。とくにパソコンはソフトがあってなんぼですから。
とりわけ、当時のアプリケーションは宝の山です。ほとんど使いこなせないか全く使わないうちに忘れてしまっていたようなものばかり。しかもOSを入れ直したらインテルマックではなく、10.4でも起動が見違えるように速い!
アプリでは、ワープロ関係はどうでもいいのですが、私の全く未知の分野である映像関係ではアップルのFinal Cut Pro、もしくはFinal Cut Expressというすごいのが眠っていました。DVD Studio Proも。こりゃプロ仕様の高価なソフトだから関係者から見るとヨダレがでるかも。
これからはハンディなビデオカメラを買って、たとえば沖縄問題などを映像で発信していこうと決意しましたね。ただどう使えばいいのかさっぱりわからないので、やっぱり宝の持ち腐れか??
Adobeのソフトも大して上達していないし、データベースの構築もその昔ちょっとかじった程度。ホームページの作成でもスマホとの連携などは全く視野の外だったので、これからは少しずつそうしたことにも目をむけようかと、今だけの決意です。
これから2年後くらいをめどに、これから勉強した知識を総動員して沖縄問題での新しいサイトをつくるのが当面の目標です。まあ、いつになるかわかりませんが、お楽しみに。
ただ、最近視力の低下が著しいので、これが一番の難敵ですね。めがねをかけても外してもよく見えない。あと20年はもってもらわないといけないので、適正なめがねを処方してもらうのが何より先決ということでしょうか。


  2月22日(土)
女子フィギュアスケートは何とハイレベルのたたかいだったのでしょうか。その中でも浅田選手は前日のショートプログラムでの失敗を一日で克服し8回の回転をすべて決めて流麗な完璧の演技。これは並の精神力・技術力ではできないことです。
世界の晴れ舞台で普段通りの実力を発揮できず、回転で失敗することの情けなさ・悔しさは、こんな私にだって痛いほどわかりますものね。それでも途中で止めることは許されない。それが国際競技の過酷さなのです。
だからフリーを滑り終えたときの彼女の姿にあふれた万感の思いは、世界の人々の共感の拍手となりその心をとらえたと私は思います。
マスメディアでは事前から浅田真央だけが日本の選手のような扱いですが、鈴木選手や村上選手の健闘も、もっともっと称えられてよい。

それにひきかえ、昨日報じられた森喜郎元総理・東京五輪組織委員会会長の発言の軽薄さ・低級さはたとえようもありません。報道されている部分と全体発言にはニュアンスの違いがあると指摘する向きもありますけれど、全文を読み返してみても言っていることは変わっていない。要するに選手たちは自分の手下的発想なんですね。「何とかがんばってくれ」とか「かわいそう」などと言ってはいますが、自分の子分の気持ちを自分で解説しているつもりになっている。まさしく「支配者」の立場が露骨に現れています。

この人についてはMNEMOさん同様、これ以上書く気がしないので、この人が東京五輪の組織委員長になったときに、ウエブ上で見つけた悩み相談(お笑い)を一つ。

<質問>東京五輪の大会組織委員長に森喜朗元総理?何か上手くいかない気がするのは私だけでしょうか?
<回答>そうだよね、森喜朗って「シンキロウ」だもんね。また幻発言してオジャンにする危険性があるよね。


元総理がこんな調子なら、現職の総理もまた暴言・妄言のオンパレード。オレがオレがの強権病はもう常軌を逸しています。オレオレ詐欺ってのはこんなのを言うんじゃないかなあ。
たとえば、集団的自衛権についての解釈改憲は「閣議決定で初めて完全に確定する。(その後)国会で議論いただくことになる」と述べたこと。これまでのやりかたを180度変えて時の内閣によっていかようにでも解釈改憲できることを公言したものですから、ことは重大です。そして挙げ句の果ては、

行政府における憲法解釈については、法制局長官が決めることではない。内閣が責任を持って決めていく。内閣において最終的な責任を私が負っている。(20日 民主党岡田議員の質問に対して)

ああ、ここにも、「国民は自分の子分であり、自分の思うとおりにさせたい」という願望の持ち主がいる。

次は19日付けニューヨークタイムスの社説(相変わらず適当な訳)です。ここにはアメリカからも危険な存在としてその意図を見透かされている安倍首相がいます。

安倍晋三首相は、正式な憲法改正よりも自らの再解釈を通して憲法の土台を変更することに危険なほど接近している。
安倍氏は、憲法上自国の領土での防衛的な役割のみが許されているにもかかわらず、同盟国との連携のもと攻撃的に日本の領土外において日本の軍隊を活動させられるよう法律を通したいと考えている。
安倍氏は何年かの中断のあと軍の増強に積極的に動いてきた。そして他の国家主義者と同様に、憲法の条文に明示された平和主義を拒否している。




  2月18日(火)
大雪の爪痕は大きく、今日も午前中除雪に汗を流しました。前の町道に出るまでの道が狭く危険なので、広げていたのです。
除雪車がよけた雪は凍り付いてカチンカチン。道路脇にうずたかく積み上がった雪を崩しながら広げていくのはかなりの重労働です。肩も腰も痛いので思うようにはかどらない。一人暮らしのお年寄りにとっては、さらに過酷な白い悪魔。池田でこんなことになるとは思いもよらないことでした。
全国の被害状況を見ていても、これはかつてない新しい型の災害です。これから先も大いにあり得る災害のパターンですから、十分な対策を講じていかなければならないでしょう。

先日来、まだ手つかずだった母親の遺品を整理していたら、今から10年ほど前に父の戦友会(海軍の航空母艦の乗員)の幹事の方(故人)からいただいた手紙をみつけました。見つけたといってもただ放置していただけなのですが、改めて読み返してみると、かつての「戦友」を懐かしむとともに、今日の日本のあり方へのやり場のない憤りのようなものが書き連ねてありました。
手紙は、当時のアメリカとイラクとの戦争を振り返り、「中東の石油資源を求めて生きていこうとする多国籍軍、かたやわき出る石油を武器に小さな平和国家を支配しようとするイラク」、どちらが正しいとは言えないが、「日本も憲法に縛られながらついて行かねばならず、お互いに大きな犠牲をはらわなければならない」とのべ、「独裁国家イラクの末路は哀れだ」と綴られていました。
そして、「第2次世界大戦の日本を振り返ると何とも言えない気持ちになる」と述べつつ、次のように書かれていました。

私たちは当時艦内にあって、国外の放送を聴いていました。「早く無駄な戦争をやめよう」と流暢な日本語で毎日毎夜(放送が)流されていました。デマ放送として上部が聴くのを止めさせられていましたが、当時の日本は今のイラク同様、軍部はフセイン大統領と同じく乗りかかった船で、日本の国土は焦土となり、大和民族滅亡まで戦う決心をしていたのです。

父は通信兵でしたから、おそらく艦船の中でこうしたアメリカの放送も聴いて、「大本営」発表の戦況とは全く異なる状況もある程度つかんでいたかもしれませんね。
こうした体験を持つ方々は次々とこの世を去っていくこのごろ、もっと早く父と同じように戦艦に乗って太平洋を転戦したこうした方々からお話を聞くのだったと、この手紙を読み返しながら悔やまれたことでした。

もう一つ、今度は母のことです。戦争後の1946年3月、当時まだ小学校が「国民学校」と呼ばれていた頃の、卒業生名簿がみつかりました。これもただ気がつかなかっただけのことだったのですが・・。
卒業から35年ぶりくらいに作られた名簿で住所や写真を集めるのも大変な苦労があったと編集後記に書かれていました。
当時母は25歳くらい。富山市のある「国民学校」に勤めていました。8月2日の空襲で焦土と化した町でおそらくまともな校舎もなかっただろう(あばら屋の平面図が残されている)場所で、40名以上もの生徒を相手にしていたのだから、言うに言われぬ苦労もあっただろうと当時が忍ばれます。
次は私にとっては貴重な若き日の母の姿です。子どもたちは男女別々のクラスで、みんな下駄履きですね。





  2月16日(日)
一夜明けて今日日曜日、朝から青空が広がって、外に出ると目を開けていられないほど眩しい。
これはもう少年時代に見たあの懐かしい雪国の景色・風情です。








昨夜少し降雪があったのでしょうか、車の上にうっすらと雪が積もっていました。それとも風で雪が飛ばされてきたのか。冬型の気圧配置が強まっているためか、北アルプスから雪が運ばれてくるいつものパターンになって風が強い。この雪が融けるのはいったいいつのことなのでしょう。

今日の信濃毎日新聞「転換期を語る」の欄に、作家高村薫さんのインタビューが載っていました。
彼女のスタンスは「私は日本が生き残っていく道は平和主義しかないと思う。・・・平和主義を守っていれば悲観する必要はない。アジアにおける日本の価値はそこにある」というもの。
憲法問題でも、改憲を望む声がかなりの数にのぼることについて「本当に憲法を改定して戦争ができる国になったとき、自分や自分の子どもが戦争に行く可能性があるとまでは考えていない」とのべ、「戦争は人として望んではいけないことです」とその立場は明確です。
私が彼女の発言でとくに注目したいのは、「小説を通じて社会や時代を描く作家として、今の日本人をどう見ていますか」という問いに対する次の答えです。

ものをいっそう考えなくなったと思います。馬車馬のように働いてお金は稼いだが、立ち止まって考えない。本も新聞も読まない。人生とか人間について地道に考えない。親がそうだから子どももそうなる。一人一人がものを考え、自分の状況を眺め、理解する力は言葉にある。しかし、そこにも格差が広がっている。言語を操る力、知解する力がある人とない人の二極化が進み、そのまま社会の階層化につながっている。

立ち止まって考えることができないような職場の状況が広がり、低賃金・長時間過密労働の中では本も新聞もろくに読めない過酷な現状を考えれば、むしろ政治権力を握っている側が財界の意向をうけて「もうけ」本位の社会を作り出そうとしてきた結果なのだというのが客観的な背景でしょう。
だが、それでも学校教育や大小のメディアが「ものを考える」環境をつくるように不断の努力を重ねてくれば、そのような中でも大きな変化が作り出せたはずだし、労働環境もこれほど悪くはならなかったでしょう。
彼女のインタビューのなかでは、こうしたことには触れられてはいませんけれど、歴史認識にしても、集団的自衛権の問題にしても、作家としての立場からきちんとした発言をする高村さんのような存在は大きな希望です。

彼女は例の歴史認識の問題についても次のように述べています。

敗戦処理と日本が独立を回復していく過程で、戦争責任がきちんと問われず、冷戦構造下でむしろ曖昧にされてきた。それが今の日本人の国家観や戦争観をものすごく曖昧にしている。・・・戦後70年を機に、歴史認識を立て直さなければなりません。今やらないと、永久に機会を失います。歴史認識を巡る混乱から起きる局地的な戦争は、どうしても受け入れがたい。若い人が死なないために、歴史認識の立て直しが今、必要だと思います。

この認識は、私や妻の願いでもあり、若い人に残すべきことでもあるのです。
しかし、巨大なマスメディア、出版業界などを相手にどうやってそれを成し遂げるのか。それは、高村さんと同様の思いを抱く人が、「声を上げること」と「そのネットワークを作ること」に尽きると私は思います。
「あの戦争は自存自衛の戦争だった、南京虐殺はなかった、従軍慰安婦は単に商業売春だった」式の プロパガンダに対抗しうるには、歴史を学び直し、自分の頭で考えるしかない。
そのプロパガンダに利益を見いだす人たちは莫大な財力を持ち、手段を持ち、タイコも持っていますが、所詮はつぎはぎ・虚偽の歴史認識と虚構の論理に立ち、かつ徹頭徹尾戦争をする側の立場です。庶民の感覚、99%の論理にはとうてい勝ち目はないのです。それゆえ、彼らは必死で、何も知らない若い世代を取り込もうとしている。
インターネットの時代において、個々人が自らの考えを発信し始めたら、権力にとってはそれは脅威でしょう。秘密保護法と共謀罪はそのためのものです。
だとすれば、それを上回る規模で、未来を語る巨大なネットワークを作り上げるときでもあるといえるでしょう。



  2月15日(土)
朝6時頃外を見るとすごいことになっています。この積雪はただ事ではありません。玄関先の車が埋まり、まともに歩けない状態。富山でも一晩に降る雪としては多いくらいの量ですから、池田としてはこれは前例のない豪雪です。
大気汚染、放射能、農薬散布・・・人間の愚かな営為を天もまた嘆き怒れるか。はたまた浄化の雪なのか。


朝から妻と二人で玄関から前の道までの除雪をしましたが、あとからあとから降ってくるため、追いつかない。私の軽トラは何とか救い出しましたが、妻のシエンタはまだ積もる雪の中。二人とも疲れて途中で切り上げ中に入って、お風呂に。暖まると今度は疲れがどっと出て、あとはまた午後からです。
富山の妹に電話してみたら、向こうは積雪ゼロ。雨が降っていると言っていました。北陸=雪国という構図はもう返上ですね。安曇野、松本、甲府、長野が雪国。どこでも観測史上最多の積雪だとニュースで伝えていました。うんざり。
午後から再び外に出て、ようやく妻の車を救出。何とか町道まで除雪を終えることができました。びっくりしていたハルちゃんも、恐る恐る外に出ていました。




  2月14日(金) その2
ホワイト・バレンタインデーと言って見ても、これはちょっと降りすぎですねえ。池田は昔の北陸並み(今はそんなに降らないもんね)になっております。
前回は病院の窓から時折眺めては、よく降るなあ〜〜で終わっていましたから、それほどの実感はなかったのですが、今回はよく降るな〜〜でも実感が違います。
富山育ちの私には、これでも降った中には入らないほどなのですが、池田に来てからはおそらく初めてと言えるほどの降りよう。北アルプスからこぼれてくる細かいキラキラした雪とは異なって、北陸型の重たい雪(それでも内陸では気温が低いので結構細かい)ですから積もるのも速い。なにしろ私の知っている富山では「カサカサ」と音をたてて雪が舞い降りてくる(!)のですから。
降る雪を眺めながら昔のことを思い出しておりました。

夜に入ってもどんどん雪が降り積もっていて、結局仕事が大町も松本も全面休講でお休みとなってしまいました。生徒も大変だし、保護者も送り迎えすることができない状態に。結局一週間前の同じくらいの降雪量になりそうで、池田では前回を超えそうな勢いです。
これも、温暖化の影響なのでしょうか。かつては、日本海側を低気圧が通過しその後冬型が強まるというのが1,2月の定番でしたから。
小学生の頃は、裏庭(背戸と言った)にカマクラを作ったり表の道路に高いスキー台をつくって遊んだものでした。中学生になると、腰くらいまでの雪をかきわけて2キロほどあるいて塾通いした覚えがあります。
高校時代には、猛吹雪のなか3キロほども歩いて学校にたどり着くと、ほんの数人しか来ておらず、そのまま休校になったことも。その後も雪かきで相当に足腰を鍛えられたものでした。
しかし、今回はすべて妻にお任せ。妻も富山で相当に鍛えられて、除雪もあまり苦にならないようになっているのでは??


今日届いた「住民と自治」3月号に、NPO法人 多摩住民自治研究所研究室長で自治体問題研究所主任研究員の池上洋通さんの「侵略戦争は終結した、そしてポツダム宣言を読んでみると」という一文が載せられていました。
池上さんは、韓国全羅北道鎮安郡(ジナングン)で10年近く前から自治体に招待されて地方自治や社会教育などについての講座を開いていらっしゃる。
冒頭、講座の参加者から母親(その参加者の)が「行くな」と泣き叫んで止めようとするという話を何回も聞かされるという体験を紹介し、「その都度、明治以来の日本正鵠主義の植民地支配と侵略行為の残した爪痕の深さ」を思い知ると語っています。
そして、いま安倍内閣とその「お友達」が垂れ流している言説が「いかに下品で恥ずべききことか明言しておかなければならない」と述べていらっしゃいました。

あの戦争がABCD包囲網によって余儀なくされた自存自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であったなどとする侵略戦争美化論が新たな勢いを示しているかのように思える昨今、彼らの論理の土台にあるのはやはりこの戦争正当論だと思わないわけにはいきません。
ゆえに、世界に冠たる帝国陸海軍が、戦地においても、軍が「慰安婦」に関与するわけもなく、また現地の人々を虐殺したりするわけがないというわけです。そう信じて疑わないお方が衆議院議員稲田朋美様。
さらに、アメリカは日本に原爆を落としただけではなく、極東軍事裁判において勝者の裁きを勝手放題に行い、さらには国民の無権利状態の中で彼らが作ったにわか「憲法」を強要した・・・と続きます。
日本人としての自覚、優れた国民性、天皇をいただく美しい伝統・・・これらの強調も全く同じ流れの中にあります。
さきほど<その1>で触れた長谷川三千子氏の論法も紛れもなくこの流れ。百田であろうが田母神であろうが、ほとんど同様の論理です。歴史学上では完全に明確になっているにもかかわらず、性懲りもなく同じ言説が現れるには、それだけの理由があると見なければなりません。ここが大事なのです。どれだけ学問的に論破されようが屁とも思わない。思わないどころかそう信じて疑わないのですから、始末が悪い。
ただし、ですね、彼らの論理にはそれなりに体系化・組織化された戦争肯定論、正当論があるのです。その大御所が大本営参謀の故瀬島龍三氏だと私はにらんでいます。これについてはいずれまた書く機会があると思います。

さて、こうした最近の動きに対して池上さんは、先の体験談につづけて、ポツダム宣言に注目しようというお話をされています。
歴史的には、1945年7月26日米英中三国首脳の連名で出された「ポツダム宣言」を、当時の鈴木貫太郎内閣は「黙殺」します。その後、広島・長崎への原爆投下、日本の都市への大空襲、ソ連の参戦などを経て8月10日、日本政府は「国体(天皇制国家体制)の変更はない」ことを条件に受諾を回答。これに対して連合軍は「天皇と日本政府の統治についての権限は連合軍最高司令官に従属する。日本の統治形態は最終的には日本国民の自由に表明した意思による」という内容の回答を行い、日本政府は結局8月14日の御前会議で宣言の受諾を決定、翌日の「玉音放送」になるのです。
池上さんは、こうした歴史を振り返りながら、大事なことは「軍国主義の一掃と平和の確立」「自由と基本的人権の尊重・確立」などを求めた「ポツダム宣言」を「天皇の名で受諾」し、天皇自らの声でそのことを全国民に伝えたということだと強調しています。
長谷川三千子ヨ、気ヲ付ケッ!!恐れ多くもかしこくも現御神であられる天皇陛下御自ら受諾なされた有り難き「宣言」であるぞ・・・と森巣節が出てきそう。

私が高校生の頃、受験勉強に使ったある英語の参考書の冒頭にこの「ポツダム宣言」の英文が全文載せられ、その解説に「これは国民が等しく大切にしなければならない重要なものだ」と述べられていた記憶があります。今から思えば何と見識の高いある著者だったかと思いますが、誰が書いた何という本だったか、思い出せないでいます。

日本国憲法を学ぶときに、この「ポツダム宣言」受諾までの経過をしっかり踏まえること、ここに「お金が大好き」「戦争が大好き」「右向け右!」安倍内閣と、日本中にうごめく歴史改ざん派とのたたかいの一つの原点があると再確認させられたことでありました。
このことを言いたくて、雪が降って外出もできないのを幸い、長々と書き連ねた次第。お許しください。



  2月14日(金) その1
NHKの経営委員、会長発言をめぐって、海外からの否定的反応が収まる気配がありません。この人事は放送統制への重大な布石であることは事実ですが、海外から問題にされているのはこれらのお方の歴史認識に関わる発言です。
籾井新会長や百田委員の妄言はあまりにも程度が低いとして、「哲学者」として埼玉大学名誉教授で教鞭をとっていらっしゃる長谷川三千子さんの方はどうか。今日はこのお方の言説について多少考えてみたいと思います。

新聞報道では、1993年に朝日新聞社東京本社の応接室で拳銃自殺した右翼幹部野村秋介の没20年を記念する文集に寄せた寄稿文で「右翼を礼賛した」ことを取り上げているのですが、実際にこの寄稿文でこのお方が言いたかったことは、自らの命を神にささげた右翼幹部の行為を通して、時代錯誤的な「天皇の御代」への憧憬・礼賛を訴えたかったのです。
はじめに、ともかくこのお方の思い入れをごらんになるとよいでしょう。朝日新聞が全文を紹介してくれていますから。
この文の最後には次のようにあります。文中の彼とは野村秋介のことです。

「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

いやもう言葉を失ってしまいます。
もちろん、このお方がどんな文集でどのようにお書きになろうが、それは「言論の自由」のもとではまさに「自由」でしょう。ただし、NHK公共放送の委員となれば全く別のことがらです。
「放送法」は第3章「日本放送協会」でわざわざ次のように述べているのです。

協会は、前条(第15条)の目的を達成するためにこの法律の規定に基づき設立される法人とする」と定め、NHKがこの法律の規定に縛られることを明確にしています。当然ながら、この法律の上位法は「日本国憲法」ですし、NHKは放送基準について「放送法に基づいて制定された『日本放送協会国内番組基準』は、NHKの放送に関する規範を示したもので、いわば放送番組を制作するときの憲法とも言えるものです。

ネット上では一部に「放送法では編集権のない経営委員には自己の思想・信条を発表する事を、放送法では禁じていない」などとして、「経営委員としての資質がどうのこうのと論うのは、言論の圧殺に繋がる」などという論評が行われています。これなどは放送法について一知半解を示す最たるものだし、そもそも問題がどこにあるのかを全く理解しない論評であるといわなければなりません。

さて次に、この長谷川三千子氏、最近の産経web版でどのようなことを書いているのか。
今年1月6日付けの「年頭にあたり 『あたり前』を以て人口減を制す」というのがまず注目に値します。
その主張は簡単で、このまま日本の人口減少が続けば3000年後にはゼロになる。人口減少を食い止めるには「性別役割分担」を徹底し、男が働き女は家庭で育児に専念するべきだというもの。出生率を高めるにはこれしかない、というわけです。
人口減少が「ちょうどネズミ算の逆で、出生率の低下による減少は、ひとたび始まると急カーブを描いて進んでゆくのです」という理解は私には全く理解できません。確かに「死亡率が出生率を上回った場合」に、人口減少が近似的に指数関数的な減衰をすることは」すでに知られた事実ですが、彼女のこの物言いはためにする論法でしょう。
人口減少を緩和しあるところで安定させるためには、女性が安心して働ける条件を整えること、男性の育児参加を徹底すること、労働条件・待遇を男女同一にすることなどであって、「男は職場、女は家庭」などと公言なさるのは自ら女性の地位を貶めるものではないのでしょうか。
ご自身はどのように実践されてきたのでしょうか。お子さまは10人ほどもいらっしゃるのでしょうか・・・つい下卑た勘ぐりをしてしまいます。
また同web版で昨年3月には「『「国民の憲法』考」という一文をお寄せになっています。
これまた論旨は「単純明快」で、要するに現行憲法は占領軍によって日本に押しつけられたもので、それが押しつけだということすら許されなかった。このことをほとんどの教科書は隠している。自由社と育鵬社だけは別だが・・・というもの。憲法の成立過程を本当にお勉強なさったのでしょうかね。
このお方の力説されたいことは、日本国憲法が国家主権が奪われた状態でアメリカによって作られ、押しつけられたのであるから、その憲法のもとでいくら「国民主権、平和主義、基本的人権」と言ったところで無意味ではないかということらしく、ついでに次のように述べていらっしゃる。

さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国民主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。国民の「基本的人権」を守ることも不可能となります。
つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。その衝撃の事実をありのままに子供達の目の前にさらけ出すこと−−本当の考えさせる憲法教育はそこから始めるべきでしょう。


あ〜〜、やはりこのお方、安倍さんの強〜〜い見方であり、お友達であったのだなあということだけわかりました。

2月12日付けワシントンポストは、一連のNHK人事の過程で明るみに出た「歴史認識」問題について、「安倍首相は歴史見直しについて説明すべきだ」とする社説を掲げ、強い調子で批判していました。
私の稚拙な英語力ではいかんともしがたい社説ではあるのですが、時事通信の配信だけでは意図が十分つかめないだろうと思い、概要を拾ってみました。誤訳・迷訳などについてはご容赦を。

安倍総理は「日本の歴史の見直し」について説明すべきだ

「非常識だ」、東京の米大使館の広報担当者はこう述べた。
だがこれは、日本の公共放送であるNHKのトップによる歴史的で攻撃的なステートメントについてまだ寛大な評価といえる。

NHK新会長に就任した籾井克人氏が「第二次世界大戦に関わったどこの国でも『慰安婦』がいた」とまず口火を切った。
実際には、「慰安婦」とは日本独特のシステムに対する婉曲な言い方なのであって、実際は、朝鮮人を中心とする数千人の女性を奴隷状態にし、軍事基地に連れて行き、セックス(=日本の軍人よるレイプ)を強要したというもの。何年にもわたって続いた奴隷状態の中で多くの女性が死亡した。

その後、NHK経営委員の百田直樹氏は1937年に起こった南京大虐殺を否定、「米国が自らの戦争犯罪を隠蔽するため、敗戦後の日本の戦争犯罪者に対する裁判を演出したと述べた。これは米大使館が籾井発言を「非常識だ」としたことに対しての中傷的発言だ。

なぜ日本政府は、米政府と同等の明瞭性をもって、こうした見解を糾弾する気にならないのか。
第二次世界大戦の歴史を書き換えたり言いくるめたりしようとする日本の試みに近隣諸国が不満を表明する際、日本政府は「それは言論の自由を侵害するものだ」と言いたがる。
歴史問題についての真摯な議論をすれば刑務所が待っているという中国とは違って、日本人は自由にものが言えるはずなのだ。

安倍晋三首相にも発言の自由はあるが、百田氏を経営委員に指名し12月には籾井氏の起用を立案したのであるから、安倍首相の責任はとくに重い。
以前に幾人かの過去の首相が表明したお詫びを指摘するだけでは不十分だし、「籾井会長は個人的に見解をのべただけだ」として侮辱的な論評をそらすことも全く不十分だ。

事実、籾井氏は公共放送(=その独立性と専門性によって長く賞賛されてきた)は政府の方針に従うべきであると示唆したのであるから、公的な立場で行った発言はきわめて憂慮すべきである。
「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」と籾井氏は述べた。
これについて安倍首相は籾井氏を擁護し「NHKのすべての職員は籾井氏に従って公平かつ不偏不党の立場で放送に着手するよう」促した。だが、政府の圧力の影や自己検閲の危険は容易に消されるものではないだろう。

安倍首相のほとんどの政治課題は、日本および日米同盟のために理解されうる。安倍首相は日本経済の再成長や米国および他の太平洋諸国間での自由貿易交渉に取り組んでいる。そしてまた、同盟国としてより有用な役割を果たせるように防衛予算を次第に増大させ、関連法律を再解釈しようとしている。

しかし、これらの政策はNHK騒動に見られる「一種の鈍感さ」によってその土台が掘り崩されている。
日本の歴史の書き換えは、国際的な役割を強化する日本の正当な努力を、危険な軍国主義として描こうとする勢力を利するものだ。米国政府もまた、安倍氏の本質が国家主義者なのか改革者なのか疑念を抱いている。
報道の独立を支持し、有害な歴史否定論を拒絶するのかどうかを明確にできるのは安倍首相だけだ。





  2月12日(水)
妻に迎えに来てもらって、午前中に病院を退院して自宅に戻りました。あまりに元気な「病人」なので、看護にあたった職員のみなさんも手をもてあましていたのではないかと思います。お世話をおかけしました。
もちろん今日から普段通り塾の仕事に復帰します。来週からはMNEMOさんとのコンビでの松本での塾の仕事も待っています。

池田町までの道すがら、まわりの景色を見ていましたら、北陸の雪景色と見まごう真っ白な田園風景。北アルプスを立山連峰に置き換えれば、そのまま富山の風景です。
心なしか池田の方が雪が少ない。家では妻が除雪に孤軍奮闘していたようで、「体力作りにはよかったね」と言ったら怒られた。
ネコのはるちゃんが一緒だったために、しばらくの留守も気が紛れたようで、感謝しなくっちゃね。さっそくハルちゃんは私といっしょにお昼寝でした。



  2月11日(火)
最近の姜尚中さんの著書を読んでいると、内向き思考が強すぎてついていけないところがあります。私の読み方に問題があるのかもしれませんけれど・・・
確かに愛する息子さんを亡くし、言いようのない空洞を心にかかえ、人間存在の空しさやはかなさと向き合う日々に直面した著者が、人間の「こころ」の働きに思いを傾けていくのは必然ともいえることです。
同時に、新自由主義やグローバル資本主義が地球全体を席巻する中で、「泡沫のような希望と尽きない不安を抱えながら自己防衛に走らざるを得ない」「1年先、2年先のことすら誰も予測できなくなりつつ」ある今日の状態に直面し、心の実質がやせ細っていくことにたまらない不安を覚える著者がいます。
そして「『心の力』とは何なのか、それは何を意味するのか」と問い、それを読者とともに考えるとして、二つの書物、夏目漱石の「こころ」とトーマス・マン「魔の山」を手がかりに様々な場面設定を行いながら考察を深めていくのです。

確かに外界の様々な変化ーーとくに近年の「アベノミクス」の進行や国家主義勢力の跋扈という状況の中で、大企業の横暴による雇用状況の悪化から福祉・介護など社会保障制度の改悪、学校をめぐる国家主義の強制といった事態が目を覆うほどに広がって「生きづらさ」が蔓延している社会状況の中では、どのように「こころ」を保つかは大きな問題として私たちに投げかけられています。しかし、だからこそその時代状況を「曇り無き目」で見ることの大切さこそが強調されなければならないと私は思うのです。「こころ」のありようだけを取り出して、その枠の中で悩みまくるのは必ずしもよい結果をうまないのではないのではないか。このことが「ついていけない」と書いた最大の理由なのです。

今日病院を抜け出して松本駅前ビルの本屋に立ち寄ってみました。目につく書架には「日本国憲法」がいかに「押しつけ」で害悪をまき散らしているかとか、天皇の歴史がどうのとかという、「靖国派」が見れば泣いて喜ぶような本が所狭しと並べられていました。本屋の良のかけらもないというのが率直な印象でした。
これほど日本の右翼的な流れがあたかもそれが世間の中では主流であり「正当性」をもっているかのように扱われているというのは、この国がぬきさしならないところへ入り込んでしまっていることを示していると思えて仕方がありません。
日本の出版業界、主要メディアがまるごとそうした流れに取り込まれ、すでに主要なメディアの幹部が頻繁に安倍と会談を行っているわけですから、出版業界・主要メディアがすでに自ら「日本型ファシズム」の一翼を形成しているというべきではないのでしょうか。

2.11記念集会に参加したある青年がインタビューに答えて「憲法はアメリカの押しつけだから、憲法改正も必要ではないか」などと語っていましたが、「日教組が学校で反日教育をし、アメリカの押しつけ憲法をいまだに教えている」という実態なのです。これが今日の姿の一断面。
「日本国憲法」をアメリカの押しつけという方々は、日米安保条約が日本国憲法の上位に位置することには一切触れたがらない。アメリカ押しつけと言うなら日米安保条約・日米地位協定こそ押しつけでがあって、その呪縛から離脱する唯一の手がかりが日本国憲法であることにはっつゆ思い至らない。靖国派の最大のアキレス腱です。だから、「皇国史観」的なものを頼りにする以外に国民統合の道はないと考えているのでしょう。

今日の朝日新聞には、東京都議選挙で田母神様が60万票余もとったことに右翼陣営は活気づいているという論評が載っていました。舛添候補に不満を持つ自民党支持層が相当に田母神に投票したということもあるかもしれないけれど、東京都民が相も変わらず舛添や田母神に入れるのだから、果たして東京都民が迎えるこれから10年、20年はどのような社会になっているのでしょうかか。
4月に消費税が増税され、TPPがアメリカのシナリオ通りに押し通され、社会保障制度が大きく変えられ、権力の手が教育の現場に深く突っ込まれて、その害悪が一気に噴出したとき、さてこの国の国民は意義を申したてる力を持っているのでしょうかね。
私には、そのどれにも何らの問題も感じなく、むしろ「強さ」にすがり、まだ何とか暮らしていけることにありがたみすら感じているのではないのでしょうか。
福島原発の収束の見通しが立たないばかりか、高濃度汚染水が明らかになり、汚染土の処理を巡って混迷を深めているのも、フクシマだけの問題であってほとんど関心もなくなっている状況で、この国の未来をどう描くのだろうか。子どもたちに何を伝えるのでしょう。
近い将来、首都圏を含め人口密集地に巨大な震災の起こる可能性が指摘されている。自治体は疲弊し、国家破綻の危険すらあるといのに。

そうだとすれば、このような状況下で、果たして姜さんのいう考え方で「こころの力」を回復し、力強く発揮されるのだろうか。
姜さんの思索は、「こころ」の一面ではあっても、「こころ」を形成するもう一つの力、社会への関わりこそが強調されなければならないのではないのか。
ヨーロッパやアジアの青年とくらべて政治を語ることのほとんどない日本の青年(青年ばかりではない)にどれほど「こころの力」と説いたところで出口はますます狭められているのです。
たった一つの例をとれば、非正規雇用、ブラック企業で苦しみまくっている青年には、働く者の権利と「労働組合」の基礎知識を手ほどきすることこそが、閉ざされたlこころ」を解き放つ大きな糸口なのです。
もちろん姜さんが問題にしている「こころ」のレベルと同様の基盤ではないことは百も承知でこう書いているのですが。同時に、彼が今日の状況を的確につかんでいればいるほど、このことは強調したいのです。
私がいいたいのは、「日本国憲法」に照らして、それから逸脱するどんな小さな事に対しても異議を申し立て、徹底して抗い、志を同じくする人々とともにたたかうこと、これ以外に「こころ」にオルタナティブを持ち、柔軟な思考を保ち続け、他人と深く関わることはできないということです。姜さんは、こうした側面に光をあてて、さらに「こころの力」を書き続けてほしいと願っています。



  2月10日(月)
先日来の大雪で、松本は大混乱。ちょっとした体調不良で入院している協立病院の窓から眺めたり外にでて見ると、除雪の雪があちこちにうずたかく積まれて車もひしめきあっています。駐車場も混乱気味。週末からまた雪模様というからちょっと心配です。
北陸では珍しくはない50センチ程度の積雪も、太平洋側ともなると一転して大混乱のもと。普段ならノーマルタイヤで十分用の足せる都会ですが、10センチも雪が降ればとたんに車社会は崩壊ですね。これからは都会でも冬用タイヤを義務づけるような法律が必要になるのかもしれません。

さて、マスコミは佐村河内問題で振り回されているという印象。それもそうでしょう。「平成のベートーベン」などと持ち上げてきたのですから、自ら蒔いた種からとんでもないものが現れたとき、収拾のしようもないということなのでしょう。おそらく18年前はこれほどの問題になるなどとはつゆほども思わなかっただろうのに。
この問題を考えるときに、やはりそもそもが問題になります。佐村河内氏が登場したとき、ろくに音楽の素養もないということをなぜ周りの人たちも関係者も知っていてそれを伝える努力をしなかったのでしょう。ことが明るみに出てから、「地元の友人も、佐村河内氏の虚言癖や誇張癖を次々と暴露」というのはどうにも納得がいきません。
ゴーストライターの稲垣氏は「ピアノは初歩的」という。譜面も読めない」と会見で語っていました。NHKが彼を取材したときに、どれほど深く彼の技術的な側面に切り込んでいたのだろうか。NHKで見た限りにおいては、私も「素直に」作られた「虚像」にだまされた口だけれど、ほとんどの人おそらくが私と同じように思ったはず(1月に少しだけ書いたことがある)。しかし、彼の実像を知る人たちはいたはずだし、声を上げることができたはずです。
これほどの詐欺になれば、お笑いかマンガ的ですらあるけれど、「音楽界」も「音楽評論界」もそれなりに十分な自己分析が必要でしょう。テレビでは数ヶ月前に「いかがわしい」と疑問を投げかけたという音楽評論家がよく出演していましたけれど、いまさらという気がしました。
交響曲が発表されたとき、本人から曲そのものについての作曲技法上の問題や曲想をテーマとした具体的な話があってしかるべきだった。そうしたものが一切無く、オーム真理教の教祖よろしく黒ずくめの衣装で「オーラ」を演出する彼に振り回される図は滑稽としか言いようがない(もちろん私も含めてです)。
ゴーストライターの作品としてどうかという問題は残りますが、これは専門家が分析し音楽的に評価すべきものであって、もはや佐村河内氏とは無関係のことです。
佐村河内氏のもたらした損害は「日本コロンビア」を中心とする企業側で4億円以上というし、おそらく精神的な被害も含めれば想像を絶する。何とも後味の悪い、やりきれない茶番劇です。

私としては、たまたま借りてきた交響曲集をちょっと聴いただけであまりの難解さに、後からもう一度と思っていた矢先の事件。曲に「感激する」レベルではそもそもなかったことが幸いといえばいえるかもしれません。 かなり前にテレビで見ながら、相当に評判になりながら、なぜ聞こうとしなかったのか。私自身、耳になじみのある古典音楽以外はほとんど聴くことがなかったので、まず切り口がわからない。虚心に耳を傾けるなら何かを得ることもあったのだろうけれど、それもないまま現在まできてしまったのでした。
改めて、稲垣氏によるこの音楽聴いてみてもいいかなと思っているところです。



  2月5日(水)
NHK放送委員になった百田尚樹という人物。これまで関心も知識もありませんでしたけれど、最近では「永遠の0」でよく知られるようになった作家ということ。このお方があの田母神先生の応援演説に立ってお話しされているのを「ニコニコ」で見ました。
作家としての力量はどのくらいのものかは全く知りませんけれど、演説を聴く限り「あ〜〜このお方も・・・」という感想しか出てきませんでした。ステレオタイプの歴史観を延々とご披露されておりましたね。
「南京大虐殺は、自らの残虐行為(長崎・広島)を相殺するためにアメリカが東京裁判で持ち出したもので、そんなものはなかった」「連合軍は日本人に徹底して自虐思想を植え付けた」「日教組などはいまだにそれに凝り固まって子どもたちに『日本人は悪いことをした』と教えている」「日本人はすばらしい、日本は誇り高い国だ。米軍パイロットが被災地に支援物資を届けるときに人々が殺到し奪い合いになるのかと降り立つのが怖かったという。しかし、何も起こらなかった、それどころか整然と一部を受け取っただけだった」・・・などというお話。

戦後すぐに小学校・中学校で日教組の先生方に教えてもらっていますけれど、そんな教育を受けたことなど一度もありません。それどころか、基本的な学力をつけるために情熱を傾け、さらに一人一人がのびのびと成長できるようにどれだけ腐心されたことか。逆に、前にも紹介したように、戦争の頃日本がいかに戦ったかを得意げに語る教師はいましたけれど。子どもたちに相手にされませんでした。
それに、震災時の被災地の方々の整然とした行動は、日本人のすばらしさの例証にはなりません。このお方、自ら被災地で支援の活動なさったことがないのではありませんか。あれば、そんな発言はでてきませんから。
ご自身のツイッターでものすごいこと言っていらっしゃいます。リンクするのもはばかられますが、ごらんになるといいでしょう。「アホか!不偏不党は放送に関してのみ。個人の思想信条は認められて当然。これがダメというなら、NHKの経営委員など、いつでも辞めてやる!」といった調子。「公人」になればどのように振る舞うべきなのかご存じないのでしょう。早くお辞めになって、勝手なことを言っていらっしゃったら?
田母神さん、応援演説でうれしそうにしていらっしゃったから、さぞ心強かったのでしょう。ま、せいぜいがんばってくださいませ。



  2月4日(火)
パソコンにカメラをつないでも「システムに接続されたデバイスが機能していません」というエラーメッセージ。クソッと思ってイライラ。USBでの接続がうまくいかなくてOSを入れ替えたのに、またまたエラーがでると本当に苛ついてしまいます。
数日来解決できなかったものが、今日ようやく解決したと思えるようになりました。結局USB接続を認識させるドライバがうまくインストールされていなかったことによるものだと判明しました。ネット上でも、同じような悩みが出ていたので教えてあげたいほどですよ。
ただ、これはいろんな試行錯誤の結果わかったことで、通常はまずわからない。これだからパソコンはややこしい。車の運転みたいに、教習所にいって一定の課程を狩猟すれば、運転できるというものにはまだなっていないということです。もっともこれだから「おたく」の出番があるんですけどね。

パソコンといわれるものに触った1990年代半ばから現在まで約20年くらいの間に、OSを入れ替える作業をどのくらいやったのか見当もつかないほどです。マック時代には、これをやることがパソコンを知る最も大切な仕事でしたから、もう軽く数百回にはなるのではないのでしょうか。そのための時間たるや想像を絶する。よくもまあやってきたものだと感心します。
私の場合、最も性能のいいものに改造あるいは組み立てて、すべてのソフトがO上で完璧に働くようにすることに喜びを見いだしていたので、ソフトがどう働くかなどというのは次の問題。要するにソフトがそのマシンの環境で完璧な動きをしてくれるようにするということですから、ウインドウズに変わってからもワードやエクセルの使い方はいまだによくわからないまま。

そうした私の過去を振り返ってみると、結局はすべて中途半端で好事家の域をでていない。一知半解という状態のままなのです。たいていの故障には対応できるけれど、それ以上でも以下でもない。プログラム上の問題とか情報技術的な問題は素通りしているので、言い換えるとプラモデルを美しく整然と組み立てるだけの話だということ。
若い頃の一時期、私はこうした自分の性向というか性癖というか、中途半端さが嫌でたまらず、すぐ自己嫌悪に陥ってしまうことがありました。しかし今は、自分のやれる範囲で好きなことをやるならそれでいいのではないかと気楽に思うことも多くなって・・・これ以上のことを求めても無理だろうから、という自分を見切ったところがあるのかもしれませんが。

今日テレビのある番組で、脳を活性化させるには「夫婦で褒め合うのが一番」というので、さっそく実践しようとしたら、妻から「わざとらしいからやめて」と言われてしまいました。さりげなく褒めるって難しいですよね〜〜〜。
脳を活性化させて、これまで挑戦できなかったことにも挑んでみることにしますかね。坂本龍一さんのように「あと30年生きる」と決めて。どっかに大金が落ちていないかなあ。



  2月3日(月)
石牟礼道子さんと伊藤比呂美さんの対談「死を想う」のなかに、石牟礼さんの家が浄土真宗だったという話があり、子どもの頃からお経や、声明(しょうみょう)に親しんだというくだりがありました。そこで伊藤さんが石牟礼さんにズバり質問します。「宗教はお持ちですか?」
「私に?別に何宗というのはないですよ。・・・『すべては生命である』という気はしますね」これが石牟礼さんの答え。さらに「でもさっきからお経にしても、この声明、『正信偈(しょうしんげ)』にしても、仏教にかたよっていますね」と伊藤さんが聞くと、「そうですね、まわりにあっただけのことですね」といい、石牟礼さん次のように返しているのです。

生命って草木も含めて、あなたがよくおっしゃるけど、風土に満ち満ちている生命、カニの子供のようなものから、微生物のようなものから、潮が引いていくと遠浅の海岸に立てば、もうそういう小さな者たちの声が、ミシミシミシミシ遍満(へんまん)している気配がするでしょう。そういう生命ですね。

別のところでは「人間というのはね、願う存在なのだなと思いますね」とも、死んだ人を仏というのではなく、仏になるというのは人が「非常に精神的な深いところに、あるいは高いところに生きたいという望みがある」からだとも言っています。
このあたりは私の子どもの頃の体験とかなり重なるところがあって、大変興味深く読みました。
この本の中で、伊藤さんと二人で正信偈の最初の何節かをいっしょにおさらいするところがでてきます。
熊本もそうだったのかもしれませんが、富山はもちろん浄土真宗王国、私の祖母も母も葬儀や法事などでは寺の住職といっしょに読み上げていましたから、勢い私もお経の最初のあたりは自然に空で出てくる。蓮如上人が撰述したとされる「白骨の御文(おふみ)=大谷派の言い方」もその調子につられてその一部が出てきます。中身は私自身の生き方とはおよそかけ離れたところはありますが、人生の一面を普遍的にとらえているという点では他に類をみない心にしみる文だと私は思っているのです。変ですかね?

私自身、神も仏も信じないと言ってしまえば身も蓋もないし、信じる人を否定しようなどと大それたことは毛頭思いはしないけれど、それでも何となく身についたものとして質素・素朴な浄土真宗の振る舞いは共感できるところが多いのですね。
たとえば、神道や一部の仏教で「清めの塩」を使うところがあるけれど、浄土真宗の住職が「人が死ぬことも白骨となることも決して不浄のものではなく、清めるべき存在でもない」と私たちを諭しつつ、素手で骨を愛おしく拾い厚め壺に収めていたのを見て、いたく感動した覚えがあります。
とはいえ、東本願寺、西本願寺、○○派などと、どうしてこんなに宗派があるのかと子どもながらに不思議でしようがありませんでした。富山でも政治活動にいくぶん関わり合うようになって、仲間の活動家住職に「あんたの宗派は?」と聞くと「オレは本願寺だ」と冗談を言うヤツもいて、ちょっとは救われた気がしましたっけ。

石牟礼さんと伊藤さんの「死を想う」の副題が「われらも終には仏なり」となっています。
この本の終わりには、昔の人たちが願っても叶えられなかった願い、苦しみの果ての救いを「浄土」に求め「いつかは浄土へ参るべき」と歌ったことを紹介しつつ、「昔の人がこんな風に歌っていたのかと思うと、何も変わっていない、進歩していない現代はいったい何なのか」とため息をつく場面があります。今日の日本について「死相を浮かべた国」などと恐ろしい評価さえ下していますからね。
石牟礼さんも伊藤さんもその実感から、梁塵秘抄の中の歌について「救われるというわけではないけれど、共感する、深く深く共感する」と語り合うのです。ここは宗教を信ずる信じないとは全く別次元の人間存在の根源に触れる情感として、私も同様に深い共感をもって読んだところでした。



  2月2日(日)
紀元前700年、古代フルギュアの首都ゴルディウムにゴルディウス王の時代に結ばれたと伝えられる「結び目」があり、「この結び目を解く者はアジアの王たるべし」という予言が残されていたという。これがゴルディウスの結び目と言われるものです。
そのゴルディウムに侵入したアレクサンダーが、この結び目のことを聞きつけ、しばし眺めたあと剣を引き抜いて一刀両断、結び目を真ん中で断ち切った・・・ドイツの詩人ケストナーは「ゴルディウスの結び目」でこのような逸話を紹介しています。
そしてケストナーは、こう言います。「私の母が居合わせなくてよかった」。もしそこに居合わせれば、アレキサンダーだろうが「結び目は断ち切るもんじゃないよ!」と厳しい調子で言っただろうって。そして最後にこのように書くのです。

至る所でできる新しい結び目をほぐすために、世界中から代表が集まって苦吟している時に、早くもまたしても、サーベル理論の信奉者が、わたしたちの国(ドイツ)でももちろん、のさばって「まったくすべてたわごとだ!いつまでぼそぼそ言っているんだ?ぶった切るのが一ばん筋が通っている!」とつぶやきます。
結び目の代わりに、そういう提言をする連中をこそ、一刀両断にするように、実際徐々に転換していくべきだと、わたしは思います。


アレキサンダーといえば、エジプトを支配下におさめギリシャ様式の都市アレキサンドリアを建設したのち、その都市に限っては上層階級の文化として科学、芸術を奨励したこともあって、たとえばファロスの灯台を望みつつ海岸の砂浜に図形を書いて「原論」への思索をめぐらせる数学者ユークリッドの逸話などを興味深く読んだ覚えがあります。
しかし、「ゴルディウスの結び目」では織田信長よろしくぶった切ってしまえという思考の短絡、思考停止状態を皮肉っているわけで、この思考形式は「サーベル理論」だけで見られることではない、というのが今日的な意味合いだろうと私には思えます。
結び目はどんなに複雑で堅牢に見えようと人間が結んだからには必ず解くことができる。むしろどう解くのかを考察し、熟慮し、試行錯誤を重ねることこそ重要なのだということです。

理化学研究所の小保方晴子さんの目を見張るような発見は、偶然から糸口が広がった。誰もが結び目が解けたと信じなかったときに、彼女はそれを確信し裏付けるために懸命の努力を傾注したのでした。しかしそれでも「なぜそうなるのかはわからない」というのですから、結び目の解き方が見つかったわけじゃないんですね。だからこそ彼女は、実験を続け思考を重ね、華麗な結び目の解き方に迫ろうといよいよ情熱をたぎらせているのでしょう。

一方、最近の政治の動きの中では彼女とは正反対に「サーベル理論」をふりかざし、住民をいっそう混乱に陥れようとしている方々がいらっしゃる。東京でもしかり、大阪でもしかり。
一人の傑出した人間の知恵の結晶として解ける結び目もあれば、多くの人々の協力のなかで解かれる結び目もある。政治の分野ではとくにそうでしょう。
私ならさしずめ、「結び目は必ず解ける。あきらめるんじゃないよ」といいましょうか。



  2月1日(土)
朝晩はまだマイナ5度くらいの厳しい寒さですが、昼はかなり暖かくなってきました。2月はじめですから、まだまだ寒さの戻りもあるのでしょうね。

今日はバラの会の総会を開きました。会員27名のうち17名の出席でしたからなかなかの出席率。今年を振り返って活動のまとめをしたあと来年度の活動方針を全員一致で確認。その後は、いつものように楽しく懇親会。
今回はとくにFさんのエレキ演奏があって、女性のみなさんは演奏者の目の前に座り込んでの鑑賞。あまりに上手で、しかも懐かしい曲の数々に興奮した面持ちでした。
多彩なメンバーを擁したこのバラの会、今年もさらに発展を続けることでしょう。






ここしばらく更新できなかったのは、妻のパソコンを、使いやすいようにWindows8から7に戻していた(はがきソフトも使えるように)のと、私のパソコンが不調でコピーをするたびにエンストを起こすようになってしまい、とうとうOSを入れ替える羽目になってしまったのでした。
妻の方はソフトもそれほどでもないのですが、私の方はとにかく大変な作業になるので、半日がかり。頭の中はとにかく空っぽで、ただひたすら作業を行っていた次第。最近はなんだか中身のないことばかり書いていますね。まあ、そんなときもあるのです。




top