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  3月31日(月)
春期講習が始まって、午後から夜遅くまで仕事をし、中休みには富山へ出かけ、さらに途中から風邪気味になって横になっていたりしたら、あっという間に10日ほどが過ぎてしまいました。
大雪のあとは一直線に春に向かっているようで、例年から見るとずいぶん暖かくなるのが早い印象です。去年の今頃はまだ霜が降りて、水まきのホースが凍り付いていましたから。

今朝は、昨日の雨があがっていいお天気。午前中に大町の肥料工場にでかけて無料配布している堆肥を軽トラいっぱいもらってきて畑に運び、帰り際にタイヤ交換のためにガソリンスタンドへ。
スタンドに行くと店員が開口一番「朝からバタバタしていていつタイヤ交換できるかわからない」。明日から消費税が上がるので、ガソリンを入れる客がひっきりなしに来るのだというのです。ただ入れるだけではなくガソリン缶を積んだ客が多いのだとか。店で待ちながら外を見ていると確かに。
ようやくタイヤ交換を終えて、家についてから今度は車の清掃。肥料の汚れや冬の汚れをすっかり落としてすっきり、やっと春が来た感じになりました。風呂に入って一休みしたら、もうすっかり日が傾いていました。

テレビでも盛んに報道していましたが、消費税率引き上げ前日の今日、買いだめする人たちでスーパーなどは大混雑だということ。そりゃそうでしょう。3%といえど馬鹿にならない。年間で一世帯支出が300万円とすれば約10万円の負担増。車などの大型の出費があればそれどころではなくなってしまいます。
消費増税前の防衛的な支出の反動だけではなく、相当長期にわたる消費の大幅縮小があるでしょうから、国の税収と日本経済に及ぼすマイナスの影響は計り知れない。税収の際だった減少で国や地方自治体の財政難はさらに深まるでしょうし、中小企業の経営難は際だって大きくなる。
明日からの増税が、かつて3%から5%への引き上げによって引き起こされた深刻な財政危よりもさらに重大な危機が待っている、そんな悪い予感がします。



  3月21日(金)
午前中、テレビの画面に突然「大北地方、大雪警報」の文字が?外は日が照って暖かいし、何かの間違いでは?と思ったものの、これまで以上に慎重な気象庁が誤報を出すわけでもなかろうと思って様子を見ていたら、午後から風が強くなって粉雪がチラチラ。それでも「大雪」にはほど遠い状態でしたから、一安心。
夜になって妻から聞いたところでは小谷方面では40センチくらいの積雪だったとか。確かに小谷も北安曇郡。池田も北安曇郡。新潟県近くと松本に近い方ではまるで気象状態が違います。それを一緒くたに「大雪警報」はないんじゃないの?と思ってはみたものの・・・まあ、警戒するに越したことはないですね。
退院してから、出不精がますます講じて、現在では仕事以外にはほとんど外出なし。ずっと家にこもって何をしているのかと問われても、ぐうたらぐうたらとしか言いようがありません。
何しろ、本を読もうとすると、次々と読むべき本が膨らんできて収拾がつかない状態。前から私の関心事は「この国における戦前からの精神的地続きの問題」であったのですが、当然それを考えるために日本の近代史とあの戦争の時代の実相を知ることになっていきます。歴史については体系的に学んだことは中高でも大学でもなかったことで、そのために苦労させられているというのが現状。つまり、何からどのようにという全くの初期状態なのです。
確かに断片的にはいろいろ調べたり読んだりしたことはあっても体系的ではありませんので、考えをまとめることができません。いきおい、ここで書くこともおっくうになるという悪循環。
体調を整えて体を動かすことができるようになれば、頭の動きも少しずつは回復してくるでしょうから、あと少しです。

4月から自治会の「公民館分館」分館長になったので、新年度は少しは忙しくなりそうです。
その手始めのイベントが恒例の「野鳥観察会」。例年30人くらい参加してバードウオッチングをやっているのです。鳥といえば、見て分かるのはスズメやカラス、ツバメ、ハト、キジくらいであとは全部「トリ」。イベントには一度も参加したこともなく、関心もなかったので困ったことになったもの。というわけで、講師に頼んでどんな鳥が見られるのか一覧にしてもらいました。
バラ園の講師でもある彼はすぐにリストを作ってくれ、私はネットでしらべてカラーの図鑑を作成したのでした。誰のためというより自分のためです。他の参加者もこうした一覧があれば、きっと役に立つはずです。
講師のEさんに聞くと、これまでは一度もこうしたものを作ったことはなかったらしい。今日原稿を校正に持って行ったら「分館の他の役員からも同じような話があった、今年の役員はやる気があると話が出ていた」と話していました。リストをつくるなんて大したことじゃないんだけどね。


このEさんが先日自分で栽培しているバラの台木をくれるというので、ついでに今日もらってきて、さっそく家にあるバラを接いでみました。先日の講習通りにやってみたつもりですが、果たしてうまくいくのかどうか。もしうまくいけば、来春からはもっと積極的にバラを増やすことができます。
地域には、彼のようにいろんな知識を持った人が大勢いる。そうした人と出会うのは実に楽しく意味のあることですね。

昨日は、ある方としばらく「よもやま話」をする機会がありました。知的好奇心の旺盛な彼から紹介してもらった、ある論文を今読み始めたところです。ここでもまた読むべき本が増えてしまった。どうしましょう。



  3月15日(土)
NHKのドラマ「東京が戦場になった日」は、これまで日の当たらなかった少年消防士たちの決死の消火活動と気概に焦点をあて、あわせて東京大空襲をリアルに再現することで戦争の恐ろしさ、非情さを浮き彫りにし、深い感銘を与えました。
ただ見終わって感じるのは、あの戦争のもとで、首都が受けた傷を描くことで日本の戦争責任がある意味曖昧にされてしまうのではないかという、一種言いようのない歯切れの悪さです。
確かにこのドラマの基底にあるのは大空襲の無残さを通したあの戦争の無意味さへの問いかけです。過酷な状況の中でも命がけで人々のいのちや財産を守ろうとした消防士たちがいたという事実の重みでしたでしょう。これはあの3.11での消防士たちの命をかけたたたかいに通じるものがあります。
だが、「助けて、この子だけでも」という母子が炎に呑まれていったとき、「チクショウ」と叫んだ主人公の、この叫びはいったい誰に向けられていたのか。自分の無力さか、米軍の非情さなのか・・・。それともやり場のない怒り、悲しみなのか・・・

昨日本当に久しぶりに図書館でずっと探していた本=「大東亜戦争の本質」(同台経済懇話会 紀伊國屋書店)をみつけ借りてきました。これは以前借りて読もうとしたのですが、最後まで読めないまま放置していたのです。
この本の第1章は「大東亜戦争の世界史的意義」と題し、その巻頭には瀬島龍三氏の「大東亜戦争の歴史的考察」という小論が載せられています。
私はこの本が、現在注目を浴びる「歴史改竄派」の源流としての位置を占め、その理論的根拠を与えているとみて徹底して批判しなければならないとずっと思ってきたのですが、結局いままで果たせないままでいました。
改めてこの本の瀬島氏の論考を見てみると、今日安倍政権や靖国派の面々が主張する内容を網羅し、その肉付けを与えていることに驚きます。
瀬島氏は小論の冒頭次のように書きます。

戦争というものは、多数の側面を持つ多面的・複雑な現象であり、また双務的なものである。従って大東亜戦争の原因も本質も、当然多くの側面があり、一方的なものではない。・・・(3ページ)
私には、アジアに於ける日本の進出が帝国主義的植民地政策から出た者であるとは思えない。当時の日本の政治情勢から見て、それほどの明確な意図も、ノウハウも、能力もなかったということが出来るだろう。・・・日本に領土的野心がなかったことは、その間のあらゆる外交交渉や政治上の文書からみても明らかである。


ここに彼の立脚点がきわめて明瞭に主張されています。あの戦争の原因・本質をすべて相対化する中で日本の戦争犯罪を相対化し、あくまで米英によって余儀なくされた戦争であり、「侵略」性などなかったと結論づけるあの構図です。
私は瀬島さん個人が帝国主義的野望に燃えていたとか、領土的野心たぎらせていたなどとは毛頭考えてはいません。しかし、大本営作戦参謀として客観的に果たした役割はまさしくそれでしょう。
つまり、NHKがあの戦争を描く場合にも、そうした「相対主義」が見え隠れしないかということを言いたいのです。
かつて私が書いたように、あの戦争でのアメリカの無差別爆撃や原爆投下は明白な戦争犯罪です。ただ勝者の論理で裁かれなかっただけなのです。それを常に問いかけていくことと、日本がアジア各国にもたらした戦争犯罪とを一緒くたにして、帳消しにしてしまうような議論には与することはできません。関連を持ちながら別個の問題として深く掘り下げていく必要があると思うのです。

昨日日本共産党の志位委員長が「歴史の偽造は許されない=「『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の本質と題してきわめて重要な見解を発表しました。
この発表には、11か国13人の大使館関係者や学者・研究者、メディア8社代表、その他多数の人たちが参加、注目の高さを示しています。これは今日の「しんぶん赤旗」でも詳細に報道されています。
これまで国内でさまざまに「ねつ造、修正」が画策されてきた「戦時制奴隷」(従軍「慰安婦」)問題の総決算であり、批判の集大成とも言うべき内容と論理をもった見解として、もっともっと注目されていい。
一読して、日本の政党の中でただ一つ、毅然として具体的にかつ詳細にこの問題を正面切ってとりあげ批判し尽くしていることに深い感銘を覚えます。
そして同時に、最近の籾井会長や百田委員の発言、「河野談話は継承するが、検証する」という菅官房長官の発言を聞くにつけ、日本の深部に潜む深い深い闇と黒い意図を感じざるを得ません。
庶民レベルでどこまでこうした問題に切り込み、決着をつけるのか、これから長い長いたたかいを続けなければならないでしょう。ただし、志位委員長が言うように「歴史改竄派に未来はない」ということだけははっきりしています。

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さて、好天に恵まれた今日の午前、バラ園での今年最初のイベント「選定作業」に10数人がとりくみました。
今年は一般募集を行わず、会員だけの作業としたために、作業は結構スムーズに運びました。
幸い南斜面なので雪の被害も少なく、6月初旬のバラ祭りできれいな花をたくさん咲かせてくれることを願って、一本一本丁寧に選定を行いました。


途中、野バラの根を持ってきてくれたEさんを囲んで、即席の「接ぎ木」講習会を行いました。
「アンネのバラ」はどんどん接ぎ木で増やして配布できますから、これから会でも力をつけてたくさん普及できるようにしたいもの。
選定のあとは恒例のおしゃべり会。大糸タイムスも取材に来てくれました。







  3月11日(火)
朝は雲一つない快晴。まだマイナス6,7度くらいまで気温が下がり、寒い寒い朝。それでも(いやそれだから・・・ )空は雲一つない快晴。北アルプスはこれまでにないほど近く裾野まで白くなって眼前に迫っています。
カラスのクルミちゃんもしばらく前から活動を再開。毎日のようにクルミを上空から落として食べています。






今日3.11。現地ではあの日からの記憶をたどり、亡き人を偲び、嘆き悲しみ、これからの行く末を暗澹たる思いで考える無数の人々がいたはずです。その思いは部外者には到底たどることもできないほど深く暗いものだろうけれど、そうした体験を持つ人々もまた、その日の出来事と被災した人々を忘れないでいる人たちの存在なくして、ともに生きることはできないのです。
現地では、被災地の住民本位の復興をめざし日夜奮闘する人たちもまた数多くいます。先行きを案ずる人たちに希望をともし続ける人たちの努力を忘れるわけにはいきません。
ある高校生は「同情してほしいわけではない。共感してほしいのです」と語っていました。まさしくその共感する力、想像する力こそが被災を免れた=次の被災者の可能性のある人々=に求められることだろうと思うのです。もちろん被災した人たちに於いてもです。
今日は昼過ぎ女川商工会に連絡をとり、予定どおり義援金を送付する手続き(銀行振り込みなど)を依頼しました。まもなくメールが届くことになっています。たった10万円でも、必要なことに使ってもらえればそれは生きたお金となります。気持ちがこもったものとなるでしょう。

話は変わりますが、今日は午前中業者の方に雪でゆがんだ雨樋を直してもらいました。北側の樋が完全に雪で垂れ下がってしまったのです。とにかく凍り付いた数十センチの雪と1メートル以上の氷柱(つらら)の重みはものすごい。臨時出費がかかってしまいましたがやむを得ません。
その費用を銀行から下ろそうと自分の通帳を見たら、年金額が極端に低い。昨年の10月から、それまでよりも数万円も下がっているのです。これにはびっくり仰天し年金事務所に問い合わせたら、何のことはない「介護保険料」「国保料」それに「住民税」が天引きされ合計すると○○万円も下がった手取額になるというわけでした。これでは全く生きていけません。
安倍さんは、自分の所得からしか判断できません(ひょっとして自分の所得さえも分からないんじゃないかしら・・・)から、被災地の人たちの苦しみはおろか、低所得者・高齢者の生活苦など全く眼中にないのでしょう。消費税が8%になろうが10%になろうが、どうでもよろしい。
高額所得者のいっそうの収入や大企業のもうけになる政策だけしか頭にないのですから、おそらく消費税が増税された直後から恐ろしい事態が生じるのではないでしょうかね。
庶民はあらゆる生活防衛に入ります。とりわけ年金でしか暮らせない高齢者は、生きるためには必死です。消費は冷え込み、税収は落ち、とんでもない大不況に陥る。国の財政が破綻し、そのしわ寄せはまもなく自治体にも押し寄せる。
アベノミクスはアベノリスクとなり、さらにアベノクライシスとなって暴発。国民の目を戦争に向けるしかないという国家主義者の本性が現れるのも時間の問題?? 自分の年金収入と生活実態から、そんな不吉な予感がしますね。


  3月10日(月)
3.11からまる3年。この日をどう迎えればいいのか実は大変複雑な気持ちがありました。これまで被災地支援活動に取り組んできた敬意からすれば、何も取り組まないことは何とも言えない「罪悪感」のようなものが追っかけてきていたからです。
ローカル紙の記者からも、「今年の3.11は何か予定しているのですか?}などと聞かれて返答につまりましたものね。
明日は、とりあえずこれまでのネットワークの方針にもとづいて、一つの行動を行うだけです。それは、銀行に預けてあった町民やネットワーク会員からの拠出金の大半を下ろし、女川商工会に届けること。あとは海産物を仕入れて、こちらで販売する程度かな・・・。

様々な追悼や震災を考える番組が放送または予定されているのを見るにつけ、あらためてあの大震災を様々な角度から見つめ直す必要があるのではないかと感じさせられます。支援活動とは別に、実際に東北各地や福島でいったい今どのような事態が進行しているのかをしっかり知ることを中心に、自分が住んでいる場所に即してあるいは今後予想される大災害に即して考えておくべきことなどが無数にあるからです。
現地では防潮堤の建設を急ぐ国や県の方針をめぐって住民本位の復興を求める声が高まる一方で、仮設住宅からいつ出られるともわからないなかで、人口流出が止まらないという深刻な事態が報道されています。
そうかと思えば、今日の安倍首相の「これからはハード面の復興だけでなく、心の復興に一層力を入れていく」という発言や、オリンピックを「東北が復興の成し遂げた姿を世界に発信する機会」にするという発言をみても、やっていることは大型公共投資中心の「復興」ですから、阪神淡路の2番煎じでしかありません。
今日もまた明らかになった高濃度汚染水漏れ。原発作業員の過酷な労働環境・条件やそれによる作業員の枯渇。放置すれば、それこそ収集のつかないほどの大事故が起こる危険すらあるのです。
「毎日官邸で福島産のお米を食べてパワーをもらっている」などといかにも福島県民に寄り添うポーズをとりながら、実際には原発再稼働・原発輸出などに前のめりになる姿を見ると、福島の実態を何一つ分かっていない安倍政権の実像が見えてきます。

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今日の沖縄タイムスでは、今年の11月の知事選にむけて「社民、共産、社大、生活、県民ネットでつくる候補者選考委員会」で、大筋方向を確認し4月頃から人選に入ることが決まったと報道されていました。
このところ後景に退いたように見える沖縄問題ですが、実際には政府による普天間基地の辺野古への移設の動きが加速しているし、同時に東村高江でのオスプレイ基地(ヘリパッド)の建設が予断を許さない状況になっていますから、実相が見えなくされていいるだけです。
こうした動きを考えれば、11月知事選が沖縄の命運をかけた一大政治戦になることは間違いありません。
基地反対勢力が勝利すれば、「集団的自衛権」へ突っ走る安倍政権に打撃を与えるだけではなく、沖縄にとどまらず全国の基地問題で苦しむ人々を励ますことになる。
今日は妻と、私たちが住む大北地域でも「標的の村」の上映に取り組みたいねと話しておりました。すぐに実現できるかどうかは別として、何とか小規模でも映画上映会を実現したいと考えています。



  3月6日(木)
昨日は、長野にすむある方のお宅を妻と訪問しました。先日信濃毎日新聞で紹介された沖縄出身の一人の女性で、現在の沖縄の状況を見るに見かね、ふるさとの力になりたいと移住を決意した方です。
彼女は、有志で実行委員会をつくり東村高江でのヘリパッド建設反対運動を追った映画「標的の村」の上映会にとりくんだこと、その映画をきっかけに沖縄の実態を深く考え、家族とも相談して当面単身沖縄に帰って辺野古への基地移設反対や、沖縄の現状の発信をしていきたいと決意したことを話してくださいました。
現在も地域のグループで「お話の会」を行いニュースを発行したり、沖縄でコミュニティ活動を続ける方たちと連絡をとりながらいろいろな活動の支援をしたりと、とにかくエネルギッシュな方、これから沖縄問題でのネットワーク作りをすすめるうえで大きな力をもつ方と知り合えたことは大変有意義なことでした。

さて、安倍政権による「集団的自衛権」容認への動きが加速しています。
元共同通信編集委員の中村明さんは「多数による”クーデター”」だと語っていました。憲法解釈で「集団的自衛権」発動が可能になれば、憲法第9条に事実上の死亡宣告を行ったと同じことですから、中村さんの指摘は全くその通りなのです。
安倍政権の動きに対し、4日には東京で「戦争をさせない1000人委員会」が発足しました。これには9条の会の中心メンバーをはじめ、学者、文化人、作家、弁護士、俳優、芸術家、市民活動家その他多彩なメンバーがこぞって集結していて実に心強い。こんなに発起人・賛同者が集まったなどというのはかつてないのでは?? すごいメンバーです。
呼びかけ人の一人である雨宮処凛さんの記事(マガジン9)でその概要が説明されていますから是非ご一読を。またIWJ Independent Web Journalでは、会の紹介とともに発足集会の内容も動画で紹介されています。これも大変重要な動画ですので、ぜひご一見を(ちょっと発言が聞き取りづらい・・・。発言要旨はホームページにあります)。
私は、この会の発足は安倍政権の野望を封じ、日本の行く末に大きな影響を与える運動の母体としてきわめて重視すべきだと思います。労働組合の組織率が10%台に落ち込み、全労連を除いてはナショナルセンターが国民的な政治課題に取り組めない現状のもとでは、大きな国民運動の母体たり得ない。だとすれば、今日の状況に見合った、市民レベルでの真に草の根からの国民運動の司令部が要るのです。その意味で、この組織は現在の日本の命運を握っているといってもいいほどの重要な位置を占めている。
この会は、全国の地域でこうした組織の発足を呼びかけています。全国でこの動きを強めれば「1000人委員会」どころか,鎌田さんが言うように「100万人委員会」くらいにできるはず。真剣にいち早くこれに応えて地域で人々を結集し声をあげることが求められていると私は思います。

「戦争をさせない1000人委員会」ホームページ
「戦争をさせない1000人委員会」アピール文



  3月3日(月)
2月末の共同通信の報道によると、大学生の4割の読書時間がゼロ(文系学生で約34%、理系で約44%)なのだそうです。全国30大学の学生8930人への大学生協連の調査でわかったもので、2004年以来の調査で4割を超えるのは初めてのことだとか。ちなみに、1日の読書時間(電子書籍を含む)は平均26.9分となっていました。
この結果をどう見るかは意見の分かれるところでしょうが、テレビ、スマホ、パソコンに囲まれ、さらに学費問題などに心を砕かなければならない若者にとって、読書にあてる時間がとれなくなっている事情があることについてはほとんど異論がないのではないでしょうか。

いまから10年以上も前に出版された「滅びゆく思考」(大修館書店)の中で、著者の教育心理学者ジェーン・ハーリーさんは、アメリカの青少年が陥っている深刻な事態について「読み」の力が極端に低下していることに特別の危機感を表明しています。
こうした危機感の表明は日本においても1980年代から90年代にかけて盛んに論じられたことがあり、子どもたちの脳に何がおこっているのか模索が始まっていました。しかし学校現場では、そうした問題にきちんとした対策も打ち出せないまま、学級・学校崩壊というさまざまな退行現象をひきおこしてきたのです。
残念ながら、アメリカのデータでも日本のデータでも、定量的にこれらの実態と問題を明らかにすることがほとんどないまま推移してきたのではないでしょうか。
かつて教育学が「民主教育の理論と実践」として構築してきた内容は今日の教育現場でどこまで通用するのか私にはわかりません。しかし、国家権力が教育現場のすみずみまでを支配しようとしている今日、単に学校だけの問題ではなく社会の問題として青少年の「滅びゆく思考力」をいかに食い止め、回復するのか考えるべき時期にある。そして、これからの世代を担う子どもたちの健やかな成長を願わない親はいません。それだけに、若い親たちの真剣な模索が必要になっていると私には思われるのですが・・・。



  3月2日(日)
今日の信濃毎日新聞は、「戦争する国への瀬戸際」と題する社説をかかげ、集団的自衛権行使容認へ突っ走る安倍政権を強く批判していました。最近にない重要な社説です。

冒頭には、「日本は『平和国家』の看板を捨てるかどうか、戦争ができる国になるか否かの分岐点に立っている」と書き、安倍政権がめざす「自衛隊が(海外で)武力行使に踏み切る」環境を集団的自衛権の名で整えようとしていると指摘しています。しかも手法は「荒っぽく」、自ら憲法遵守の義務を放棄して自分の信条にあわせて「憲法解釈を一方的に変え」ようとしている・・・。

議論すべき課題はい幾つもある。いったん容認したらどんなつけが国民に回ってくるか分からない。それほど重い課題である。・・・
憲法に拘束される政府が憲法解釈を勝手に変えることが認められるとしたら、法治国家は成り立たなくなる。国際社会の目も厳しさを増すだろう。行使容認に踏み切ることは許されない。


全くその通りです。しかし、ここまではある意味では一般論です。
危うい道に踏み出そうとしていることはよくわかる。しかし、日本をめぐる環境はどうか、中国、北朝鮮、韓国などの包囲網は狭められる一方で国家主権が脅かされているのではないか、尖閣問題はその一つに過ぎない。解決済みの大戦時の慰安婦問題や領土問題を持ち出して無理難題をふっかけているではないか、それらを手をこまねいて見ているというのか・・・。
外交的解決策を全く無視し、あたかも軍事的解決しかないかのように国民をあおり立てる安倍政権の国民誘導のやりかたは全くファシスト的手法です。
だが、それ以上に問題なのは、彼に迎合する論調がネット上などであふれかえっていること。その背景には、将来に希望も何も見いだせない若者の閉塞感や、いつ首になるかと毎日不安にさいなまれる働き盛りの人々の辛さ、早く死ねといわんばかりの劣悪な環境におかれた高齢者などのやりどころのない焦り、苛立ちがあることは間違いありません。戦争をしたがる支配者がよりどころとするのは常にそうした国民の不満ですから。
それゆえ、マスメディアはそうした気分とマッチした批判を展開しない限り、結局は上滑りの理念的批判にしかならないと思うのです。

その点、今日の「しんぶん赤旗」が一面のインタビューに登場した孫崎享さんの批判は、具体的で実に明快です。
日本に関係のない他国での戦争に出かけて人を殺すというだけにとどまらず、自国にテロを呼び込む危険と裏腹であること、集団的自衛権は日本の防衛と何の関係もなく、ただ自国の安全を脅かす元凶となるだけだということ、さらに日中関係では鏡とすべき外交的解決策がすでにアジアにあることなどを短いインタビューの中で的確に答えているのです。
「尖閣の領有権問題私は共産党と意見の異なる点もありますが、平和のルールづくりでは100%一致します」というくだりも実に孫崎さんらしい一言。意見の違いを超えて、平和のルールをどうつくるのかで一致できることが大事なのですから、こうした方々がもっともっと発言し、オピニオンリーダーとして活躍されることを私は心から期待します。

夜遅くになって、沖縄石垣市長選挙の結果がほぼ判明しました。自民・公明推薦の中山氏の当選が確実になったというということ。沖縄県の中でも八重山の複雑な状況が反映されている選挙結果だと言わざるを得ません。
教科書採択問題での竹富町教育委員会に対する国と石垣市教育委員会の強圧的な対応も、その現れのひとつ。仮にこの選挙結果を土台にして自衛隊の配備などを今後強行してくるならば、原発立地自治体と同じ構図で町民を2分する不幸な事態になるばかりでなく、平和をおびやかす震源地になり得るだろうに。
この選挙で石垣市を訪れた石破幹事長の利益誘導演説が批判を浴びたばかり。何とも後味のわるい選挙結果です。



  3月1日(土)
然しもの大雪もここ10日くらいの暖かい日の連続であと数センチの積雪を残すだけ。南向きの斜面の雪はほとんどなくなってしまいました。その下からは、枝の折れた木やひしゃげた草花が現れ、無残な姿をさらしています。これも5月に入ればすっかりもとに戻ることでしょう。植物の復元力は強いですから。

そうは言っておられないのが人間の社会の復元力。「復元」の限界点はもうとっくに超えてしまったのではなのでしょうか。
「絶滅危惧種=人類」という意識がようやく高まっているかにみえる今日、安倍内閣とグローバル多国籍企業のたどっている道は絶滅加速路線と思わざるをえないほど野放図でばかげたものに思えます。原発政策しかり、TPP交渉しかり、「経済成長」政策しかりです。
昨日の「しんぶん赤旗」では、原子力規制庁が福島第一原発事故後のトラブルとして把握しているだけで199件にのぼり、うち86件は軽微だとしてトラブルから除外していた事実を報じていました。その中には「多核種除去装置の一時停止」や「汚染車両が発電所構外を走行」などという問題も入っているとのこと。国・東電あげての事故隠しと言われても仕方のない何ともあきれ果てたずさんな対応です。
TPPについても安倍首相は「期限は切らない」といいつつ、「包括的でバランスのとれた合意が達成できるよう各国と引き続き交渉を続けている」とのべて秘密裏に妥協を重ねる可能性を示唆しています。アメリカの強硬姿勢のもとで「5品目死守」などというかつて国民に向かって「公約」してみせた方針が通せるはずのものでもなく、限りなくアメリカの意向に沿っていくことは目に見えています。

映像・文化評論家である仲里効さんが雑誌「世界」4月号で、仲井眞知事のあの一連の行動、および安倍内閣のアメリカ追従路線を評して「自発的隷従」という言葉を使っています。これは、もともとエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの概念ですが、仲里さんは、仲井真知事の辺野古埋め立て容認を批判するに際して、そうとしか言いようがない表現、「臆病と呼ばれるにも値せずそれにふさわしい卑しい名が見当たらない悪徳」として引用している概念なのです。
仲里さんは、仲井真知事の行動が、外と内に働く「自発的隷従」の2重構造をあぶり出したとのべています。
外に働く力とは、憲法よりも上位にあるサ体制、安保体制の構造が生み出してきたアメリカへの「自発的隷従」であり、従って日米安保の結節点にある沖縄は「アメリカを複製しアメリカのヘゲモニーを深く内面化することによって存立した日本の戦後国家の在りようをつねにあぶりださずにはおかない」のです。
また、内に働く力とは、沖縄が日米安保の結節点であるがゆえに、日本政府からの同化圧力として「自発的隷従」を引き起こしていると指摘します。
この概念は、斉藤貴男さんが「安心のファシズム」で「『安心を求め』、自由から逃走し、支配されたがる人々の心性」と喝破したあの「価値観」と通底するものがあります。
だとすれば、辺野古埋め立て申請を仲井眞知事の裏切り、猿芝居などと対岸の火事然としているわけにはいかないということです。
そして、こうした沖縄を通して見えてくる「2重構造」を自らの問題として引き寄せたときにこそ、沖縄との連帯・共同闘争が内実を持ったものとなる可能性が生まれます。あくまで可能性であって、それを現実のものとするには、さらに仲里さんが言う「橋を我がものにする思想」(フランツ・ファノン)が求められるということです。

午前中は、昨日松本で仕事をし一泊したMNEMOさんと久しぶりに会ってしばらく歓談することができました。現在のそれぞれの関心事や健康のこと、彼の綴る物語のこと、最近の世相のことなど話は多岐にわたり、2時間半ほどはあっという間に過ぎていきました。
話の一部については、すでにMNEMOさんがブログで書いていらっしゃいます。文学にも精通し文章能力にも優れた彼に、「トーホグマン」執筆の流れをろくに理解もせず感想を述べるなどおこがましい限りなのですが、辛抱強く耳を傾けていただきました。
彼はまた「スーパーあずさ」で東京へ。暖かくなったら、我が家にも立ち寄っていただくことにしましょう。




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