ジョセフ・ナイ元国防次官補
「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれ、米政府はおそらく再検討しなければならないだろう」
リチャード・アーミテージ元国務副長官
「米国はこの問題では日本に先頭に立ってもらおうと思っている。日本政府が別のアイデアを持ってくれば、私たちは間違いなく耳を傾ける」
ライシャワー東アジア研究所ケント・カルダー所長
「知事が法的手段で止めようとするのは当然で、権利だ。(移設をめぐる裁判が)最高裁判所までいく。その中で良心的に次の一歩が何なのかを考えるべきだ」
外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員
「(翁長知事の就任は)沖縄の基地政策の流れを変える出来事だ」
もちろんタカ派のマケイン上院議員などは「辺野古移設は実現可能だし不可欠だ」などと発言し、米政府の軍事戦略をあおっているのですが、実際には米政府内は一枚岩ではない。
問題なのは、米政府に対して何も言えず、むしろ米政府に嫌われまいとその意を汲みまくって遮二無二辺野古への基地移設を推進しようとする日本政府にある。そして、この卑屈な対米従属姿勢が、戦争法案の審議の中でも遺憾なく発揮されているのです。
先に法案を8月までに成立させるという対米公約があるので、法案に含まれる論理矛盾も、たとえどのように言いつくろってもいいから隠蔽して突破する以外にないというわけです。
だから、自衛隊員のリスクがこれまでと変わらないとか、武器使用が武力行使ではないなどという訳の分からない話になる。「存立危機事態」といっても誰がどのように判断するのかと問われて政府が判断するとしか答えられない。つまり誰も責任をとらない仕組みは原発と同じくしっかり温存されている。
「現に戦闘が行われていない地域」なら他国での戦闘の補給支援ができるという説明も、毎日新聞が書いているように「昼間は戦闘になるが夜間はなかったり、あるいは敵対武装勢力が潜伏していたりしても実際に戦闘中でなければ、こうした地域で自衛隊が活動することになる」んです。戦闘が起こればすみやかに撤退すると安倍さんは答弁で力説するけれど、戦争ということがまるで分かっていないから答弁が支離滅裂になってしまう。
「安倍首相は『戦闘が始まればその場から撤退する』と言うが、現実は不可能です。後方支援がなければ、前線の他国軍部隊は崩壊する。その状況で現場の指揮官が退却を命じられるわけがない」(小林節慶応大名誉教授)。それとも戦闘になったからと他国軍を見捨ててさっさと逃げるんでしょうかね。
沖縄では、沖縄防衛局がクレーン付台船を大浦湾に入れて海底ボーリング調査を再開しています。辺野古浜、キャンプシュワブ前では抗議行動が続けられているのですが、この抗議を封殺するために様々な妨害が準備されている。
実際海保の暴力はここ数ヶ月目に余るものになっていて、このままいけば「死者が出る」と公然とささやかれているのです。
海保長官の佐藤雄二氏は海保の現場出身。霞ヶ関で「三度の飯より人事が好き」(官邸筋)と揶揄されている管官房長官に抜擢され、その管から「取り締まりの強化」を指示された佐藤は「恩義を感じて言われるとおりに実行に移している」のではないか・・・作家の目取真俊さんは自身のブログでそのように書き、次のように続けています。
いま暴力をふるわれているのは、海上やキャンプ・シュワブのゲート前で抗議をしている市民かもしれない。しかし、その暴力は安倍政権の強権的な体質、指向に根ざしている。戦争をする国に向けて突っ走っている安倍政権の思惑通りにことが進めば、暴力むき出しの弾圧体制は日本社会全体を覆い尽していく。
辺野古で起こっていることは、すでに日本の各地で起こっているのであり、海保や機動隊の暴力的弾圧を許せば、集会や表現の自由は失われる。反戦・反基地運動が圧殺されたとき、戦争は目の前に来ている。そのときはもう声を上げることもできない。そういう歴史をくり返してはならない。
沖縄の新基地建設が、安倍内閣の戦争法案の先取りである事態がはっきりわかりますね。
午前中は、池田町議会に対する陳情書を議会事務局に持って行きました。池田町は1988年(昭和63年)に核兵器廃絶・軍備縮小・平和の町宣言を発していて、憲法第9条の精神を自治体としても生かす責務があるといえます。
というわけで、今国会に提出された安全保障関連法案の廃案を議会としても各方面に働きかけてほしいという趣旨の陳情書を書いて持って行ったというわけ。
町の9条の会池田からも請願書が出されるという話は聞いていましたが、たとえ同趣旨であれ各方面からどんどん意見を議会に集中して議論していくことは必要なことだろうと思って提出したのです。
その帰り、ある方と話をしていたら、「うちの若いモンが、今すぐに戦争ということにはならないだろうが、30年後、50年後にはどうなるかわからないと言っていた。若い連中がもっと声をあげなきゃね」とつぶやいていました。全くその通りで、若い者同士おおいに意見をたたかわせ、行動に移していってほしいものですね。
バラ園の看板をつくるために今日も園によりました。昨日よりさらに花が増え、咲き終わった花も少しずつ目立ってきて、花殻摘みがいよいよ必要になってきます。
先日は私の幼少期のことを書き、写真も「恥をしのんで」掲載したのですが、バラを見に来ていたお隣さんに滅多に取ったことのない私の写真をとってもらいました。ふだん誰も撮ってあげるといってもくれないし、自分でも撮られるのは大変苦手なのでこのブログでも紹介するときは「背後霊」のように載せることにしているのです。
今回はあえてこんなに年をとってしまいました、ということを紹介するため、そして、バラ園の主宰者の姿も見せないと行けないと思い載せました。息子、娘よ、「遺影」の候補写真にでもしてくれ。イエーイ!
お口直しに、今日も昨日のつづきで園内のバラたちを紹介しましょうね。
ベルサイユのバラ
ブルーライト
ラビーニア
アンネのバラ
ラバグルート
シャルダン・ドゥ・フランス
花ぼんぼり
ソリドール
ザ・マッカートニー・ローズ
ホワイトクリスマス
きらり
エイプリル・イン・パリ
ゴールドシャッツ
どの花もため息がでるほど素敵ですね。