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  9月30日(水)
早朝、朝焼けの北アルプスが一望できます。寒い。調べてみると今朝の最低気温は11度と出ていた。寒いはずです。そろそろ暖房がほしい季節になってしまった。
カゼをひいたのか歯の痛みなのか、昨日から偏頭痛がして鼻がぐずぐず、調子がイマイチです。多分誰か(妻ではありません、念のため)からもらった風邪ですね。鎮痛剤で抑えながら、何とか庭の手入れと8日の準備をしていました。
庭はこの間の「戦争法案」反対の取り組みで荒れ放題だったので、ここいらでちょっと片付けておかないとあまりにみっともないし。コスモスや雑草を取り除いてすっきりさせようという作戦ですが、なかなかコイツらはしつこいのです。まだ2日間ほどかかりそうです。
8日の準備というのは、8日に予定している「呼びかけ人会議」の準備のこと。「町民の会」の代表の宅を訪問して、Oさんとこの間のとりくみの総括や今後の方針についてあれこれ相談していたのです。
これからの活動の大目標は「戦争法」そのものの廃止ですが、そこまでには当然時間もかかるし、田舎でのとりくみでは都会とはまた違った戦略・戦術が必要です。じっくり構えて、体制もしっかりして、周到に一つ一つ活動を積み重ねていかないといけませんね。

ここしばらく不破哲三さんの「スターリン秘史」を読んでいました。最近第4巻が出て、現在その丁度半分くらいまで読み終えたところです。
第1巻は、レーニンの死後、スターリンが権力を自分に集中し、それにとどまらず自分の政敵あるいは邪魔者をすべて抹殺(大テロル)していく過程をディミトロフ日記を縦糸にして辿っているのですが、こんなことがあり得るのかと思うような戦慄の内幕が次々と暴露されていきます。
第2巻以降は、国際共産主義運動の中でコミンテルンを私物化し、挙げ句の果てにナチスドイツと手を組んでヨーロッパ領土分割を企む様を様々な史料を駆使して明らかにしています。
これまで当然視されていた歴史的解釈をも書き換える分析も行われていて大変説得的。第2次世界大戦中から終盤にかけての、「帝国主義的」ともいえる貪欲な領土拡大欲によって、隣接する諸国を我が物にしていく様は異様です。
スターリンの巨大な犯罪が現在まで全面的には明らかにされてこなかったことによるマイナスの影響は未だに続いているのです。この問題にここ数年の全精力を注いだ不破さんの力作が「スターリン秘史」であって、これは戦後の歴史を考える場合に極めて重要な視点を与えてくれることになるだろうと思われます。
ちなみに、この一連の作業の副産物として生まれたのが「『科学の目』で日本の戦争を考える」という講演(小冊子になって販売されています)。これも日本のあの戦争の概観を捉え直すには大変ためになるし刺激的な著作です。
ロシアでもなくヨーロッパでもなく、日本の共産党においてスターリン批判がここまで完璧に行われているという事実は、日本共産党の理論的な高さのみならず、志と倫理観の高さの何よりの証明ではないかと私は思うのです。

昨日夜、YouYube「生放送!とことん共産党」を妻とみていました。最初ブスッとして登場した小林節さんが次第に志位委員長と意気投合して、こっちがビックリするようなことを連発していくのはなかなかの見物で、まさに小林節(ぶし)でしたね。
かつては改憲論者・集団的自衛権論者だった小林さんのような憲法学者も、今ではこうして共産党の幹部と心を通わせて自由闊達に対談をするほどになっていることに感慨深いものを感じます。1時間くらいの対談があっと間に過ぎますからみなさんも是非。


対談中の上のスナップ写真、二人の表情が何ともいえないですねえ。参考までに、この写真は録画対談の必要な場面をストップして、CapWriteという画面キャプチャソフトでパチリとやったものです。「コバセツかわいい」とコメントした人も。
「さわってみよう、見てみよう、共産党。さわってみたら噛みつかれなかった」(小林節)

ところで、SEALDsの奥田くんの通う大学に彼に対する殺害予告の手紙が届いたというニュース、この国を覆う「狂気」の一断面を表しているように感じます。民主主義を暴力で潰していくのがファシズムの手法。安倍の独裁もその一断面ですし、それに抗う人々を暴力で恫喝する勢力の存在もそう。そこには日本国憲法を暴力的に破壊していく衝動しかありません。
もし、自民党がまともな政党であるならば、その政治家は意見が違っても「君を命がけで守る」と言えるはずですね。あらゆる人々が試されています。ともかく、断固たる反撃を。

と思ったら、福山・息吹結婚ニュースに対する菅官房長官のコメント。国家主義者の面目躍如です。



  9月28日(月)
夕べから今朝にかけて、中秋の名月が鱗雲の合間に見え隠れ。近視、老眼、乱視と目のゆがみオンパレードの我が視力ではまん丸に見えないのが悲しい。

ようやくすっきり晴れた朝。「秋晴れ」という名にふさわしい青空と日差しです。家のまわりではコスモスが風に揺られています。
庭ではアケビが大きく割れてなかなかおいしそうな白い実が見えます。友人からもらった大きなきのこ、さてどう料理すればいいのか。




これまでできなかった畑仕事を少し精を出してやらないといけません。何しろ夏野菜の残骸がたくさん。これで少しは体重を落とせるかな・・・。



  9月25日(金)
被災地自治体へ、町民から寄せられた義援金を振り込んで、町民ネットとしての仕事はようやく一段落。現地では、復興も緒についたばかりという状態でしょうから、いろんな困難が待ち受けていると思われますが、市民サイドに立った復興に心がけてほしいと願わずにはおられません。

対象自治体や団体を予算で締め付け、厳しい状態に陥れておいて、予算であることを受け入れさせる,という手法は過去自民党政権が何度となく繰り返してきたことです。最近それがまた露骨に表面化してきています。
第1は、大学への教育予算の削減をしておいて、「軍事技術に応用できる基礎研究」に対して防衛省が研究費を支給するというやり方。東京新聞によれば、東工大、理研などが「釣り上げられた」(これは私の表現)ということらしい。
本来、大学の倫理基準に基づいて学問研究をすべきであって、省庁はその内容に不介入というのが戦後の原則。過去日本の大学は「戦争に結びつく研究はしない」という原則を曲がりなりにも守ってきました。
それが崩れるのは200年代に入ってから。「軍学共同反対アピール署名」のサイトによれば、「2010年ごろから軍学の共同研究が急速に進み始めた」とあります。
「そんなきれい事をいっても、金が無ければ研究はできない。直接軍事研究するわけじゃないのだから、いいではないか」というのが参加する大学の大方の言い分でしょう。
生活・研究できない状態にさせて一本釣りしていく。これほど人間の弱みにつけ込んだ卑劣なやり方はありませんが、政治の世界ではふつうにありふれた行為、それにまんまと乗せられていくのも人の世の常。当初はあたりさわりのない研究テーマでもいずれはズルズルとなっていく。
さて、そう言いつつも、この動きに抗うたたかいが力強く進められてきていますから、決して諦めるわけにはいきません。先ほどの署名活動をすすめるグループもそうですし、日本学術会議だって「2013年に『科学者の行動規範』を改定し、研究成果が意図に反して『破壊的行為に悪用される可能性もある』ことを認識するよう求めている」(digital.asahi.com)のですから。
安保法制反対の「学者の会」に結集された14000人以上の先生方、ぜひこちらの署名にも賛同ください〜〜〜い。署名者数は今年3月で800人(ウオールストリート・ジャーナル)、7月末で1401人ですから、ぜんぜん少ない!よく知られていないってこともあるのか、予算削減のターゲットにされるのを警戒しているのか、とにかく束になってたたかわないといけません。(このサイトの更新も7月以降滞っています!)
当然、SEALDsなどの団体のみなさんも自らの所属大学で、いったい研究がどうなっているのか、シンポジウムなどでしっかり把握してほしいものです。
戦争法を先取りするかのように、自民党は昨年総選挙の公約で「デュアルユース技術の推進体制の抜本強化」を打ち出し、今年6月に開かれた自民党の科学技術関係の会合では、「『デュアルユースの文化を定着させていくことが必要』と民生技術の安全保障への活用促進を求める声が相次いだ」(asahi)といいます。「文化」ときたもんだ。
そりゃ儲かりますから、この世界。「自分の手は汚さないですむ」と思っている自民党代議士諸氏にはおいしい話ですから、これからどんどんこの傾向に拍車がかかっていくでしょう。

例示の第2。沖縄県での話です。辺野古キャンプシュワブ周辺の地区で辺野古、久志、豊原の3地区は条件付きで基地建設を容認しているんですが、この3地区に国から名護市を通さずに直接数千万円規模の交付金を支給するというのです。
琉球新報によれば、「移設に反対する稲嶺進市長が2010年に就任して以来、米軍再編交付金の支給がないため、久辺3区内には移設が進む中で、国からの財政支援が受けられないことへの不満の声が上がっていた」というのですから、これを最大限利用しての交付金ということでしょう。あまりに露骨な住民分断、利益誘導のやり方ですね。胸くそが悪くなりそう。
沖縄ではこのやり方は、まさに日常茶飯事。次第にそのやり方を見抜く力を付けてきたはずですけれど、やはり背に腹はかえられないということと、自民サイドからの働きかけが強力に行われていることが相まって、またまた同じことが行われようとしているんですね。差別分断攻撃の典型例です。
うまい話には必ず裏がある。毒が仕込まれているんですね。例えば原発。補助金は初年度からしばらくは高額でも次第に少なくなる。立派すぎる施設をつくって運営費に事欠くようになり、また原発が欲しくなるという中毒症状のあれです。「米軍との交流事業や住民集会所の改修」事業程度でつられちゃいけません。
琉球新報は社説で、次のように指摘し、断じて容認できないと強い抗議の意思表示をしています。

名護市の頭越しに支出することは地方自治への介入であり、許されるものではない。加えて言えば、国策に反対する自治体は不要との意思表明にほかならない。極めて危険な考えであり、断じて容認できない。

要するに地方自治をわきまえるなら「当たり前」のことなんです。それが崩されている。
沖縄タイムスも同様に「政府による地方自治の侵害」「制度の趣旨をゆがめてまで久辺3区に振興策を投入しようとする政府の態度は、地域を分断する狙いがあるというほかない」と手厳しい。
「地方自治は崩壊の危機に瀕する危険性がある」どころか、瀕しているんですから、もっと危機感をもつべきです。崩されて被害が及んでから「しまった」ではあまりにミジメ。伊江島での阿波根さんのたたかいに深く学びましょう。

容易に気がつくように、このやり方は原発立地自治体への対応と全く同じ構図ですね。原発事故の廃棄物の中間貯蔵施設や最終処分場を巡っても同じやりかたを取るのでしょう。
大もと(戦争、原発、基地)を断たなきゃこんなことは決してなくならないことにそろそろ気がついてもよさそうだと私は思います。奇しくも日本での世直し行動は、この3つで大合流を果たそうとしているんですから。



  9月24日(木)
醍醐聰東京大学名誉教授ほか12名がよびかけている「安保法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」賛同署名というのがあります。フォームに記入するだけ。匿名もOKです。明日25日午前10時が締め切りなので緊急を要します。
もしご賛同いただけるのなら是非。私も「乱暴・デタラメな『採決』は認められません。子どもたちに何と言って説明するのですか」と書き込んで賛同しました。こちらです。

先週の木曜日は雨だったために、今日のバラ園の作業は2週間ぶり。なんとまあよく草の茂ること。とはいえ、一頃よりは勢いが衰えているので、これからはそれほど伸びてはこないでしょう。
バラは、葉がかなり落ちてスカスカ。顧問のEさんに聞くと、どうやら病気が主原因らしい。きちんと消毒しなかったために黒点病などでやられた葉が落ちたのではないかということでした。シロウトの判断ではダメってことですね。それでも健気に花を咲かせています。
一仕事したあと、女性たちの関心は「栗拾い」に。みんなどこかへ消えたと思ったら、栗の木の下で夢中でイガグリをつついていました。バラ園のエリアに栗の木があって、毎年結構大きな栗がなるので、この季節になると栗拾いができます。
そのあとは、コスモス・レディーズに混じって写真撮影(ヘンなおじさんが一人います)。下の広いエリアにはコスモスがわんさかと咲いて今が見頃です。みなさん、なかなか晴れやかな表情ですね。
昨日今日と池田八幡神社のお祭りだし、稲刈りの時期とも重なっていつもよりちょっと人数の少ないのが残念ですが、やむを得ませんね。
台風接近で雲行きがあやしかったものの、午前中は何とかもってくれたのでよかった。午後遅くになって強い雨。池田の八幡さまのお祭りは大変でしょうね。知人に電話していたら「びしょ濡れになった」と言っていましたから。






「戦争法案に反対する池田町民の会」の強行可決抗議の全戸配布(新聞折り込み)用のチラシ原案できあがりました。現在「呼びかけ人」の方々の承認を得ている最中ですので、事務局で微調整のうえ来週中に配布を完了したいと考えています。
チラシB面をつくりながら、「小さな町」ではあるけれど、結構いろんな取り組みをやってきたなと我ながら感心します。元気な全国のみなさん、「学者の会」のみなさんと連帯してまだまだたたかいは続きます。むしろ「たたかいはこれから」ですね。

チラシA面

チラシB面




  9月23日(水)
雲ひとつない秋晴れ。平野部の田んぼを見るともう8割り方稲刈りが終わっています。今日も朝からあちこちでコンバインの音が聞こえてきます。ご近所では脱穀した籾を「燻炭」にする煙がたなびいていました。
ついこの間青々としていたかと思ったのに、もう田んぼには刈り株だけ。季節の移ろいを感じさせますね。見慣れた景色ではあるけれど、その時期その時期でいろんな表情を見せてくれます。

我が家のハルちゃん、1ヶ月ほど前に他のネコに噛まれたのか目の上に相当にひどい怪我をして、何度か医者に通ったことがありました。完全に治ったと思ったのに、数日前からまた同じ場所が腫れてきてかなり膿が溜まっているらしい。
連休だし困ったなと思いつつ、それでもと動物病院に電話したら、午前中だけやっているということ。昨日のことです。妻は富山に出掛けていなかったので、洗濯袋にハルを入れて車を飛ばしました。
見てもらったら案の定ひどい膿。絞り出すときは相当に痛がって暴れていましたが、処置が終わったらおとなしくしていました。動物は本当に我慢強い。
抗生剤を飲ませているんですが、今日になってまたかなり腫れている。痛いと訴えるわけでもないから可哀想に思うけれど、どうしようもありません。また明日病院で見てもらおうかと思っています。ひょっとしたら切開してきちんと処理をしなければ完治しないのかも。ともかく、早く良くなってほしいと、それだけです。




今朝我が家の前の大看板をとりはずしました。他の場所のも外したいのですが、みなさん連休中はいろいろと忙しいらしく外す予定がたちません。
このまま一字(「案」の字)だけ消してそのままずっと掲げておいたらどうだという意見もないわけでもありませんが、そうするならそうする方針がなければいけませんからね。

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ところで我が友MNEMOさんが、ブログでの「散文プロテスト」を辞めるとの「謹告」をお出しになりました。「歌をやる者としての<艶消し>をしたくない」。とてもよく分かります。本来ずっとそうしたいと思い続けていらしゃったんでしょうからね。しかし、やむにやまれず声を上げることも必要なときがある、とも。その激しさには心打たれることもしばしばでした。
多くのファンをもち、期待されているMNEMOさんとしては、本業でこそ訴えるべきことを訴えたいと心の底から思い直されているのでしょうね。是非とも精進を続けられ、多くの人たちから愛されるシンガーソングライターとして活躍してほしいと願っています。
言葉をたくさん使わなくても、新潟弁護士会会長のコメント(Sさんが教えてくれた)のように端的に一言っていうのもインパクトありますからね。


ということで、MNEMOさんにずっと前から伝えたかったお願いがひとつあります。
私は世代としてはビートルズの少し前の世代なのでしょうが、育ってきた環境や好みの影響も大きいのだろうけれど、ビートルズは完全に意識外だったのでした。良い悪いじゃありません。しかし、そんな人間だって、あることをきっかけとして、意味がわかり、興味がわくってこともあるだろうと思うんですね。
で、お願いというのは、私のような門外漢(たぶん沢山いると思うよ)にも、ビートルズの良さや、歌の時代性、また何を彼らは歌で訴えようとしてきたのか・・・など、少しずつ解説して欲しいんですね。とくに英語の瑕疵じゃなかった歌詞のおもしろさ、含意など伝えたいことあるんじゃないですか。そんなことも自らの活動とからませて紹介してもらいたいのです。ぜひ期待しております。
もっとも、「八っさん熊さん」や「アベの物まね」は右に出る人はいないので、それはときどきやってほしいですね。
私などは、相変わらず言いたいことを書くのみ。政治ブログと言われようが、一面的と言われようが、堅い、難しいと言われようが、私は私のやり方でスジを通して一徹に生きていく・・・とまあ、粋がっているわけであります。自由人の特権です。



  9月22日(火)
早朝、支援物資を積んで茨城までトラックで行ったメンバーが4時過ぎ無事戻って気ました。被災現場までは行けなかったようで、物資引き継ぎ所の筑西市ダイヤモンドホ−ル(下館ロータリークラブ)で物資をおろして、しばらく市内を見学したあと、そのまま戻ってきたということでした。
中継所では職員から歓待されたということや、すぐに米やタオルを積んで被災地まで運び大変感謝されたという報告も受けました。
連休ということもあって現場はボランティアの人数がハンパではなく、大変混雑しているということ。被災地のニーズとマッチングがなかなか難しいようですね。物資を運んでくれたお三方、大変お疲れ様でした。
寄せられた義援金は連休明けの24日に、常総市役所の支援金窓口に振り込む予定です。
以下は、下館ロータリークラブ杉山会長からのお礼状です。

本日は朝早くより長野から遥々茨城へ救援物資をお届け頂き、誠にありがとうございました。
お預かりした救援物資は無事に被災地へとお届け致しました。
お米が1升ごとに小分けしてある為、被災した方々が持っていきやすくお届け先で非常に喜ばれると共に、長野県の池田町より遥々お届け頂いた事を伝えると大変感謝されました。
また、別働隊で朝から被災地入りしていたメンバーたちは粗大ごみの片付けをした後、被災した方のニーズにお応えして被災した家屋の床板剥がし等の活動をしていたとの報告を受けましたので併せてご連絡させて頂きます。
常総市内ではまだ場所によっては田畑に水で流された車両が放置してあったり粗大ゴミや流された家屋の破片が散乱していたりと、本格的な復旧はまだまだ始まったばかりですので、私たち下館RACも微力ではありますが今後も下館RCの皆様と協力しながら継続的に支援を行っていきたいと思います。
この度は池田町の皆様の大変なるご厚意誠にありがとうございました。
災害支援池田町民ネットワークの皆様をはじめ、御支援頂いた皆様にも宜しくお伝えくださいませ。
以上、ご報告まで。


池田町で支援に協力していただいた方々にとりあえず、この場を借りてお知らせいたします。
写真1枚目はRCの役員・職員の方々との記念写真。2枚目は現地に運ばれた米。3枚目は現地でのボランティアによる家屋の整備作業の様子。4枚目は道ばたに積み上げられた瓦礫の山。









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一緒に茨城に行けなかった私は一体何をやっていたのかというと、物資集めの3日間で遅れ遅れになった「戦争法案に反対する池田町民の会」の新聞折り込み用チラシ作り。とくにそこに盛り込む会としての「声明」の準備でした。数日前から時間を見ては仕事をしていたのですが、刻々状況がかわり、さらに私の頭も「流動的」(ちょっと意味不明ですね)で、なかなかはかどりませんでした。というわけで、一気にやろうと心を決めて、茨城行きは失礼したのでした。
おかげでA面はほぼ完成。このあとB面にとりかかります。



  9月21日(月)
田んぼでは稲刈りが急ピッチですすんでいます。まだぬかるんでいて刈りたくても刈り入れができない状態の田も多く、明日、明後日にかけてかなり稲刈りが進むのではないかと思われます。

午後から、被災地支援に向かうトラック(レンタル)に、米とタオルを全て積み終わりました。
私も是非行きたかったのですが、結局現地には行かないことに。「戦争法案反対町民の会」の仕事が残っていて何とも動きがとれません。
町民のみなさんの善意を載せて、被災地支援ネットからは代表を含め3人が明朝6時出かけることになりました。3人が帰ってからまた写真などを紹介したいと思います。無事帰ってくれることを願いましょう。







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共同通信の世論調査結果によれば、安保法案の「審議が尽くされた」と思わないが79%であるという。しかし、その一方で内閣支持率は下落したとはいえまだ38%もある。不支持は50%あるといえば救いではありますが、支持は7、8、9月で平均40%台とほとんど横ばいなのです。
街頭でのこれだけの盛り上がりの一方で、安倍内閣の評価を落とせなかったというのはこの間のたたかいの1つの側面だということは見ておかなければならない。つまり安倍政権のやり方は悪かったかもしれないが、そうはいっても中国や北朝鮮が怖い、安保法制みたいなものは必要なんじゃないかという空気を根本的に打ち破ってはいないということです。
この40%近くは、私たちがまだ声を届かせていない人々、つまり「生活を維持することに精一杯」であったり政治不信に固まって「政治などには興味も関心もない」という人々だろうということ。「職場でどう生き残るのかが大事だ」というサラリーマン、「子育てと働くことで精一杯」などという人も含まれるかもしれません。
私がいいたいことは、そのような人々にも理解を求めることに成功しなければ、この安保法を葬り去ることができないということではなくて、内閣不支持の50%の人々がもっともっと声を上げる場所や機会を意識的につくることが大事だということです。それが必ずいろんな場に波及し、影響を及ぼし、いまは関心を持てない人も変えていくことになるはずですから。
何しろ、この世の中をしめる圧倒的多数の働く人々はあまりにも分断されすぎています。職場で声を上げることすらできなくなっていますからね。若い人たちは生涯派遣の労働法制のもとでさらに厳しい生活に追いやられるでしょう。いろんな問題が絡み合っている以上、手をつなぐことができるところから始め、それをどんどん広げていくことが必要なのです。
私たちの地域や職場での粘り強い、いろいろな活動が、戦争法のような全国民的課題を軸に必ずつながっていく局面が現れる。それがさらにつながって、人々は支持する政党をみつけ、あるいはこれまでとは違う全く新しい政党を誕生させていくのでしょう。今はその意味で試行錯誤、模索の時代です。あきらめずに、一歩一歩やれることを確実にやり遂げる。今はそれしかありません。

私自身は政党としては日本共産党を支持し、一日も早く安定して10%台から20%台の支持を獲得できるようになってほしいと願っています。そうでなければ、澱のように溜まった反共風土をぶち破ることはできません。現在はまさにそのチャンス。この国会での自衛隊内部文書の暴露や、今回の志位委員長の大胆な「国民連合政府」の提言は、共産党の実力を遺憾なく発揮し信頼を高めていると私には思える。共産党のみなさんには、中央だけではなく地域でも大いにイニシアチブを発揮して、柔軟で大胆な活動を呼びかけて欲しいものです。



  9月20日(日) その2
地殻変動とはかくも急激に起こるものなんですね。1日に10年分を詰め込んだような歴史というのはこの間のことを言うのでしょう。
「学者の会抗議声明記者会見」で廣渡清吾日本学術会議前会長がまとめの挨拶。

この闘いに挫折感を持っている人は一人もいない。闘いはこれから始まる。われわれは、市民による大改革を成し遂げなければならない。

全くその通りです。Sさんが紹介していたように、京大有志の「あしたのための声明書」も私たちに勇気を与えてくれる。
SEALDsは「何度でも何度でも歴史の中で立ち上がってきた人がいるし、俺たちはその一つに過ぎない」「新しい戦後を始めよう。それを作るのは俺たち一人一人。それはなぜか。この国の主権者が俺たち一人一人だからです」と書き込んだ。

多くの人々が、数ヶ月の大闘争についてさまざまな角度から語っています。広渡さんの言う「大改革」が必要であることは安倍内閣の所業に怒りを持つ人なら誰もが認める。問題はこの大改革を誰がどのように担い、どのように進めるのかということです。
安保法案の廃案を必要だと思い少しでも行動に参加した人は、おそらくこの間のたたかいの中で大きな意識変革を遂げているはずです。しかし、残念ながらそれはまだこの国を揺るがすほどの力にはなっていない。「必要性」を語ることはよい。それを「現実性」に高めるには、変革のために自覚的に不断に不屈にたたかう人々が必要なのです。
今日の現在の局面は、それらの萌芽が生まれ育ち始めたというところ。さてこのまましっかり枝を伸ばし葉を茂らせることができるかどうかという段階なんじゃないでしょうか。
何事にも、仲間を信じて相談し合い、議論し合い、同時に決めたことはきっちりとやり抜く、たたかいの中核となる組織が必要なんです。ただ、人々が多数集まったからこの社会が生まれ変わるほど国家権力は甘くない。
何より注意しなければならないのは、でっち上げによる共産党攻撃。戦前の治安維持法の再来。彼らは隙をついて平気でやってくる。本気でつぶしにくる。辺野古シュワブキャンプ前での右翼の襲撃のように、政党要人を狙った暴力だってありえないことではない。
だから、「学者の会」には、記者会見での声明通り組織改組の上でさらに粘り強く知的リーダーシップを発揮して欲しい。戦争法案反対の一点でたたかった組織には、十分な総括をした上で、さらに強固な組織へと生まれ変わらせてほしい。
SEALDsのみなさんには、たとえ学年がすすみ卒業しても、政治的な課題に対して意見を堂々と述べ、政治参加できる組織に高めて欲しい。・・・もちろん私の住む地域でも全く同様です。
日本共産党の志位委員長が提案した国民連合政府は、単なる政党の組み合わせではありません。職場や地域、様々な団体が一点で団結し、信頼を土台に強固な統一戦線を組むことを求めている。仮に一点でもいい、その実現のためには絶対に崩れないそのような国民戦線の土台の上に成り立つ政府をつくろうと呼びかけているのだと私は解しています。「反アベ・反安保法制国民連合」です(英語の頭文字で何といえばいいのですか??)。それが地域の候補者の支持母体となり、広範な住民と結びつき輪を広げ、一方で公約違反がないかどうかをしっかりチェックする。それぬきで、あれこれの政党の組み合わせや排除をしたところで、何事も変わらんのではないでしょうか。志位委員長の記者会見を聞きながら強くそう思ったことでした。



  9月20日(日)
被災地支援3日目です。昨日は、朝から支援活動、夜は演劇鑑賞と忙しくて、全くパソコンに向かうことができませんでした。
今日もまもなく福祉会館にでかけなければならないので、ほとんど時間がありません。
お天気が回復していくのでしょう、北アルプスは何事もなかったように全容を表しています。だが、目にはみえなくても、この日本社会には政治的にみて大きな地殻変動が始まっているように思えます。
参議院本会議での採決強行から一夜明け、大型連休をはさめば世の中は「一時の喧噪」を忘れて平和に戻っていく・・と安倍さんは思っているらしい。ところがどっこい、ひとたび火が付いた戦争法制反対の声はいよいよ燃えさかることになるでしょう。
学者・法律家のみなさんはさっそく違憲訴訟にとりかかり、私たちは地域で戦争法を許さない共同闘争の構築に粘り強くとりかかる。市民1人1人に根ざしたこれまでの活動は、戦争法案に賛成した議員の落選運動、地域の集会、討論会など多様な運動として広がっていくでしょう。
私自身がさっそくやってみたいことは、「町民の会」の取り組みに協力し激励してくれた民主、共産、社民、維新などの政党の代表を招いて戦争法制を打ち破るためのシンポジウムを開きたいということ。法律家も招いて会場一体となっていっしょにしっかり時間をとって討論したい。
第2は、「町民の会」を戦争法制を許さないための新しい組織に衣替えすることです。おそらく誰も異存がないはず。新しい若い層も加えてユニークな組織にしていけたらおもしろいですね。今後十分議論し合うことが大事になってきます。
つづきはまた帰ってから。

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被災地支援町民ネットの3日間にわたる義援金と物資の受け付けが終わりました。私は3日間ともずっと会場に詰め続けだったのでちょっと疲れて、帰ってからは眠気に襲われています。昨夜は遅くまで妻といっしょに共産党志位委員長の記者会見の模様を録画でずっと見ていましたし・・・・。

とりあえず被災地支援の今日までの結果をお知らせしておきましょう。

  日来訪者 タオルバスタオル  白米  募金者 義援金
9月18日 37 358  33 155  25 81,385
9月19日 30 281  23 274  11 25,986
9月20日 27 185  4 283  14 39,431
  計 94人 824 枚  60 枚 712 kg  50 人 146,802 円

最終日義援金は、ハーブセンターでの分を含みます。ボランティアで会場に来てくださった方は3日間とも10名でした。
わざわざ福祉会館まで来ていただいた町民の方々、お手伝いいただいたボランティアの方々に心からお礼申し上げます。短期間でしたが、多額の義援金と物資をあつめることができましたし、これを届けた現地の方々には必ず私たちの心が伝わると思います。
さて、今日までに米はすべて小分けしコンテナに入れ、タオルは規格の箱に詰め、被災地に運べるだけにしました。現地との連絡で都合がよい日は22日であり、11時までに届けてもらえればその日に住民に渡せるというので、これまた急遽日帰りで現地まで出掛けることになりそうです。明日人員と時間の調整をして明後日早朝に出発することになります。

大量のお米は、何と言っても農村地帯だからですね。ちょうど新米がでる時期なので、昨年米を持ってきてくれた方が多かったのです。
これは3.11直後の支援活動でも思ったことですが、お米の大切さ、貴重さというのは、こんなときに本当に痛切に感じさせられます。これがなかったら私たちの生活は成り立たない。被災後の数日は水が第1に必要なのでしょうが、その後は何と言ってもお米です。
TPPで米の国内生産を壊滅状態に追い込む現在の政府はまさしく亡国の政府という他ありませんね。稲穂を豊かに育てる水田があるからこそ何かあったときに被災地にもおいしいお米を届けられるのです。毎日のように料亭で高級料理ばかり食しているアベなんかには絶対にわからないだろうな、この感じ。








廣渡清吾日本学術会議前会長がまとめの挨拶。 「この闘いに挫折感を持っている人は一人もいない。闘いはこれから始まる。われわれは、市民による大改革を成し遂げなければならない



  9月19日(土)




安倍自民党は万死に値する。






  9月18日(金)
IWJの中継を見ながら若者たちの元気のよさに舌を巻く。そしてそれがまた私自身を国会前に置く。
自民・公明は今日にも強行採決に踏み切るでしょう。今日以降のことを視野に入れれば、地域で戦争法案に加担した議員たちのの政治的な素地をいかに削るかが焦点になる。日本全国で落選運動が展開される可能性は極めて高い。おそらく過去の政治状況とはかなり異なる=自民公明には「こんなはずじゃなかった」と思われる状況を作り出すのではないか。そうしなければこれまでの活動が生きてきません。
国会前で躍動する青年たちには、いっそう政治的なセンスを磨き国政変革の主人公として成長して欲しいものです。

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さて、私は今日から3日間、すぐ近くの公共施設で被災地支援の活動にかかりきりになります。ものを持って出掛けるにはあまりよい条件(注)とはいえないので、どれだけの方が訪れてくれるかわかりませんが、無線放送でも案内したし、ボランティアで来てくれるという人もいるし、やれるだけのことをやるだけです。
(注):「あまりよい環境とはいえない」と書いたら、「福祉会館が良い環境とはいえないのか」とお叱りを受けました。私としては雨のなか、稲刈りのいそがしいさなか、祭りの準備の最中、大型連休の直前・・・などあまりよい条件とはいえないと書くつもりでコトバを間違えてしまいました。福祉会館は物資を集めるには最高の「環境」です!!お詫びして訂正します! Kさんご指摘ありがとうございました。ごめんなさい。

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国会前で。
加藤典洋さん:いま報ステで強行採決見た。国民、舐められたものだ。
自民党、公明党の議員の落選運動どこまでやれるか。今度やれなければ舐められっぱなしになる。この連中を落選 させましょう。来年までの10ヶ月の運動が大切。1000回ビンタ張られて、黙ってるかね。俺たち。

樋口陽一さん:めちゃくちゃな内容の法案をめちゃくちゃなやり方で通そうとしている権力。違憲違法にとどまらず、日本社会の骨組みそのものが危ない。しかし壊そうと思っても壊せないものがある。そしてこれから始まるんだ!
なんか見慣れてしまっているけど、参加するようになったのはほんの1、2ヶ月前のこと。憲法学の権威の方が来るって、本当にすごい…。それぐらいこの法案、安倍政権がヤバいってこと。

古賀茂明さん:国会前で「東京駅に行きたいんですけど」と若い男の子。デモに初めて参加したけど、これから新潟に帰らなくちゃと焦ってる。たった一人で地下鉄のこともよくわからないみたい。
地下鉄の説明をして、道を教えて見送りながら、なんか、ジーンときた。日本の未来は君たちにある。


16日に開かれた地方公聴会の結果が参議院特別委員会に報告されておらず、手続きの瑕疵があるということらしい。このことについて公述人らが緊急記者会見を行うといいます。
自民党にすれば、あんな史上最悪の強行採決もやるのですから、手続きもくそもない。
法的に手続きの瑕疵を理由に採決無効を法廷で争ったらどういうことになるんですかねえ。
それにしてもすごい面々が国会の前で吠えている。勇気をもらいます。あべる(注)連中の大掃除にとりかかりましょう。
(注)あべる:MNEMOさんの新三用語参照

廣渡清吾さん:地方公聴会の公述人として緊急記者会見をしてきた。地方公聴会の結果は、委員会に報告される義務がある。それなのに、現在議事録が宙に浮いている。公述人であった私の権利が奪われているということ。認められない。
中野晃一さん:主権者はここにいる私たち。毎日ここで声を上げてきた。しかし今日で燃え尽きるのはやめよう。何故なら、明日から国会の中の大掃除をしなくてはならない。明日から、一人ひとり得意なことをして大掃除をしていこう。

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今日一日の被災地支援活動終わりました。午後からひどい雨が時折降ったので、終わり頃はほとんど訪れる人もありませんでしたが、全体としてはよく来ていただけたと思います。
また会場の福祉会館の職員のみなさんにもいろいろと便宜を図っていただいて気持ちよく支援活動に取り組めました。感謝申し上げます。




今日訪れてくださった町民の方々は合計37名、募金総額約8万5千円、寄せられたお米(白米)155キロ、タオル358枚、バスタオル33枚でした。いろいろな条件の中、わざわざ福祉会館を訪れてお金や物資を寄せてくださった皆さんの心に本当に頭が下がります。
また10名くらいの方がボランティアとしてお手伝いに駆けつけてくださいました。こうした力がないと仕分けなどもはかどりません。感謝、感謝です!

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国会前では、午後9時現在4万人を超える人々が詰めかけ抗議を続けています。

「もはや多すぎて数も分からない。シールズは国会正面で、総掛かり行動は国会の裏から、たたかう野党を励ましアベへの抗議行動を続ける」という行動提起がありました。国会前では照明・電気が使えなくなるということらしい。警察はあらゆる手を使って抗議行動を狭い空間に押し込めている。

桜田門側でわき上がるシールズの「アベはやめろ」「戦争絶対反対」のコール。おうちで是非この画面を見て欲しい。目に刻んでほしい。これから日本を変えていく原動力になる人々の結集です。年代を超え、熱い心で集まった人々。絶対にこの日を忘れないと決意した数万の人々!!



  9月17日(木)その2
理事会をひらかず、直接委員会室に入って開会を宣言した鴻池委員長。これに抗議して開会を認めない民主党他5党の委員。自民理事は「人道的見地」だそうです。「人道的見地」から一旦解散したのは今朝のことじゃなかたったですかね。さらにこじれていく安保国会。
国会前ではすでに総掛かり行動実行委員会のメンバーが雨の中詰めかけています。9時20分、構成3団体のあいさつがはじまりました。今日もIWJ4チャンネルで国会前の集会を中継しています。挨拶の中で、昨夜自公の議員のところに500通のファックスが来ていたとのこと。今日もどんどん送りましょう!

昨夜の立憲主義デモクラシーのトークで、あの長谷部先生が「今回の安保法案は、憲法違反というだけではありません。必要性も合理性もまったくありません」と語気を強めました(この分テレビで放映された)。これくらい憲法学者は怒っている。
法学セミナー特別号では、名古屋大学名誉教授の森秀樹さんが見出しで次のように書いています。

憲法学がいま知的道徳的ヘゲモニーを発揮して法案に対峙しつつ、法案を退治することは、憲法学の歴史的責任でさえあろう。

憲法学者は怒っているだけじゃない、自公の暴走を許せば法学の根拠そのものが崩れるという危機感を抱いてやむにやまれず街頭に立っている。
一見「ごたごた」に見える国会の状況は、こうした学者・弁護士の方々や国会正門前に集結した人々、全国でかたずを飲んで今日の行方を見守っている多くの人々の支援の声に支えられていることを忘れてはなりません。
形式論で、野党のやり方を非難するなどというのは論外だということです。
野党理事の抗議の前に9時半休憩を宣言。35分理事会がひらかれている模様。
中継をしているNHKは多様な観点から解説すべきです。

委員会室に戻ってきた委員長、9時45分から委員会開会を宣言。委員長は採決に踏み切る可能性があります。それを察した民主党理事から委員長解任決議案提出。しかし、鴻池委員長は「ヒゲの隊長」佐藤理事に委員長を委託して退席。
午後1時から委員会が再開され、不信任決議案が審議されています。提案者の福山氏の提案説明は極めて説得力があります。

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さて、私はこのあと午前中、明日からの被災地支援の準備をしなければなりません。昨夜、町民ネットの役員会を行って、掲示、受付書類、募金箱、コンテナなどの分担をきめました。
今日、新聞の折り込みチラシが全戸に入ったのと、雨が降って農作業などができないので、見てくれている家庭が多いのではないかと想像します。たくさん支援に訪れてくれることを期待しつつ、私の分担を今から準備。
午後2時過ぎに準備をほぼ終わりました。あとは受付を待つだけ。

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さて、午後3時、議長に対する不信任決議案の賛否の議論が続いています。民主、共産、社民の討論はまっとうで、自民の反対討論を圧倒。誰が聞いても総括討論、質疑打ち切りの不当性は明らか。
どしゃぶりの雨の中の国会外の集会と呼応して野党議員の奮闘が光ります。これら一コマ一コマが今日の政治状況をあぶり出し、自公政権の強権・独裁政治ぶりを印象づけていることは、これからのたたかいの土台になるでしょう。
内田樹センセイも書いているように、「僕たちの国はいま暗い雲の下にいますけれど、雲の裏側は銀色に輝いている。日本の古い民主主義、独裁と強権支配に道を開いた形ばかりの民主主義が死んで、新しい民主主義、対話と寛容と非暴力を原理とする、生身の身体を持った民主主義が再生しようとしてます」ということ。
これに対して「知性」というコトバをつかってアホなコメントをしているヤツがいましたけれど、そうした面々に向かってのコトバであることも付け加えておきましょう。

NHKTVまたは参議院のネット中継と、IWJチャンネル4の国会前中継の両方の中継を併行して見ながら、つらつらと今後の私自身の身の振り方まで考えさせられているところです。
ところで、どれだけの国民がこの中継を見ているのでしょうね。仕事で忙しい人は当然見ることができません。しかし、間違いなく関心の高まりでそれらの人たちに触れる人々が増えているのは希望です。

午後4時28分からのあっという間(8分間)に採決が終了したという。見たこともない、わけもわからない採決の瞬間?首相はすでに知っていたと思われる行動。茶番です。委員長席に駆け寄った議員はほとんどが民主党の議員でしょう。小池議員の苦々しい顔が印象的でしたね。国会外の整然とした非暴力の抗議行動とは対照的です。

国会前でのトーク。

樋口陽一東大名誉教授:日本の命運を左右するような法案、それも日本の国会に提出する前に、外国の議会で約束してきた法案を、こんな状態で通してよろしいのか…一人ひとりの考えに忠実に、組織も政党も派閥も離れて…1票を投じて下さい。
めちゃくちゃな内容の法案をめちゃくちゃなやり方で通そうとしている権力。違憲違法にとどまらず、日本社会の骨組みそのものが危ない。しかし壊そうと思っても壊せないものがある。そしてこれから始まるんだ!


池田香代子さん:夕べの国会前、学者さん系のスピーチに、何度か「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)という言葉が出て来ていた。総裁選もできずに現党首に唯々諾々としている自民党議員、支持者の思いを受け止めているのかよくわからない公明党議員。学者さんたちは彼らにおびただしいアイヒマンを見ているのです

広渡清吾教授:この法案の強行の中で、反平和主義、反民主主義、反立憲主義が言われている。更に、申し訳ない言い方だが反知性主義だ。憲法に違反した法案をどうして国会が通すことができるのか。

内田樹さん:国会前で話すのは初めて。 野党はこここにいる皆さんに励まされている。18歳選挙権の実施によってこの社会は大きく変わる。しっかり行使しよう。そしてこの法案に賛成した議員は、みんな落選させよう!

報道ステーションの国会前でのインタビューで学生と思われるある若い女性は「声を上げ続けることしかできない。法案が通ってからが本当の正念場」と答えていました。極めて冷静で理知的な返答です。
「今の公明党は何なんだ〜、私たちは騙されていたんだー」というのはある創価学会員。公明党が内部から崩壊していくことを予感させる学会員の行動。

国会前で続く数万の抗議行動。「連休が過ぎれば忘れてしまう」「今は理解できなくても必ず理解してもらえるときがくる」という自民党の薄ら寒い物言いにきっちりと抗う若者の姿があります。
この数ヶ月で彼らは鍛えられ、考え抜き、身体を通して学んだことは極めて大きい。かつての私自身がそうであったように、若い日の出来事は「原風景」とでもいえる心象となり、決して薄れることなく、その後の生き方に圧倒的で豊穣な土壌を形成するのです。

IWJの中継を見聞きしながら、私は私自身の彼らの頃を思い出しています。彼らほどリズミカルでもスタイリッシュでもなかったけれど、民主主義の手続きと人々のつながりの重さについては深く学ぶ経験を積みました。
周りの人間が信じられず、自分自身も信じられない一年間の苦しい暗黒の時期をくぐりぬけたとき、目の前でコールを続ける青年たちとも相通じる、人々の連帯に確信を持てる人間に変わっていたのでした。そして日本共産党への深い信頼も。
政治的な確信は理論からではなく、人々の中での実践でこそ本物になっていくのです。
ここにいる若者たちは、明日大学、地域にもどり、もっと多くの若者と結びつき、「アベはやめろ」「野党は頑張れ」「奴らを通すな」の声を広げていくことは間違いない。昨日とはまるでちがう世界を獲得したのですから。
そしてもう一つ、アベは圧倒的多数の憲法学者、科学者、弁護士という知的世界の中枢を担う人々を敵に回してしまった。それだけではなく、強烈な反撃を食らう立場に自らを追い込んでしまった。
こんなにも多くの若者と学者を政治的に大きく成長させたという意味において、アベは大きな間違いを犯してしまったのです。



  9月17日(木)
午前0時10分から議長職権で委員会開催?国会前ではまだコールが続いています。午前1時近く、委員会はまだ始まっていません。

電子政府窓口から内閣府に「安保関連法案の強行採決はぜったいに認められない」という趣旨の書き込みをしました。
また自民党本部と公明党本部に次のような質問状をメールで送りました。ひょっとしたら迷惑メールではじかれているのかも。返事が来たらビックリものです。

安保法案についてお尋ねします。
世論調査で過半数の国民が反対とし、8割近くが今国会での成立に否定的な法案を強行採決してまで通そうとすることは民主主義の原理に明確に反するのではありませんか。 もし、これが許されるなら、どんなことでもできることになりませんか。お答えください。
次に、憲法学者の9割以上、さらに日本弁護士会、元法制局長官や元最高裁長官などが法案は憲法違反と断定し、かつ最高裁砂川判決や72年政府見解についても集団的自衛権の根拠とはなり得ないことを明確に主張しています。にもかかわらず法的整合性があると述べる根拠は何ですか。
第3に、これまで集団的自衛権の立法事実として、ホルムズ海峡での機雷封鎖解除、日本人を乗せた米艦の援護などを挙げていましたが、いずれも根拠は崩れています。それでもなお集団的自衛権の限定容認をされる根拠は何ですか。
第4に、安倍首相自身が「国民の理解がすすんでいない」ことをお認めになっていますが、将来理解が深まるなどというのは、学生に「今は分からないかもしれないが、将来わかる」と責任を生徒に押しつけるダメ教師と同じ言い方です。全く理解不能です。理解がすすんでいないのなら、進ませる努力をするのが先ではありませんか。強行採決など論外だと思いますが、見解をお聞かせください。


公明党には、次の一文を追加しました。

第5に、公明党は自民党の暴走にブレーキをかけると公言していらっしゃいました。どのようにブレーキをかけたのか、お答えください。

2016年参議院議員選挙で落選させたい改選議員一覧!

午前4時現在、国会外ではまだSEALDsのコールが続いています。一体何人残っているのか。たぶん終電に乗れず、始発まで叫び続けているのでしょうか。朝5時まで続けるそうです。
特別委員会は午前8時50分再開。午前10時に本会議。
結局、自公は朝までに委員会を開けず、強行採決できなかった!!
SEALDsのみなさん、少しでも休んでくださいね。まだまだ体力勝負ですから。(深夜の攻防の経過はこちら

昨日の立憲デモクラシーの学者先生たちのトークです。(「学者の会」ツイートより)

樋口陽一・東大名誉教授:議員のみなさんは政党を離れ、良心に従い一票を投じてください。この法案は日本社会が積み上げてきた社会の構造を壊しにかかっている。しかし私たちは絶対に壊れないものをつくってきました。それは今日ここにいるみなさんとの絆です。

青井未帆・学習院大教授:「政府は砂川事件判決を法案正当化の理由としている。しかし判決でも『一見極めて明白に違憲無効』の場合は司法が判断すると言っている。政治にフリーハンドを与えた判決ではない。きのうの公聴会でも浜田邦夫元最高裁判事は『司法をなめたらいかんぜよ』と言っていました。
安倍政権はなぜ立ち止まらないのか。じつは立ち止まれないのではないか。自衛隊と米軍の一体化は進み、ずっと前から用意されてきた道を実現していく流れを止める力は、今の政治にはないのかもしれない。政治に力がないのなら、私たちが政治に参加して止めないといけない。


石田英敬・東京大教授:昨日の公聴会で法案に賛成の意見を述べる学者の表情を見ていた。憲法違反を承知で法案を通す理由を考えてみることが重要、まず違憲状態を作り出し、後からその現実に憲法を合わせるオピニオンを作ろうとしているということではないか。

長谷部恭男・早稲田大教授:この法律を作れば北朝鮮はミサイル開発をやめるのか。中国は東シナ海進出をあきらめるのか。そうならないのなら何の意味もない。しかし希望はある。皆さんが自分の判断でここにいること自体、憲法の精神が根付いたことを示している。
今回の安保法案は、憲法違反というだけではありません。必要性も合理性もまったくありません。


石川健治・東大教授:街頭に出るのは生まれて初めて。それだけ危機が深いということ。こういうところに出るのは抵抗があった私でも、今回は立ち向かわねばならないのではないか。malgre moi(心ならずも)、立憲の旗を高く掲げて立っているわけです。

山口二郎・法政大教授:デモをやって何になるのかと言われるが、憲法に『国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて保持しなければならない』と書かれている。若者が先頭に立ち、選挙以外のときも努力しようという新しい文化を作ろうとしている。

学者の方々身体を張って頑張っていらっしゃる。しかも若者たちと固く連帯して!!感激です。



  9月16日(水)その2

戦争法案の強行採決を絶対許さない!
もっと声を!もっと怒りを!

まもなく参議院特別委員会が開かれる。そもそも、この国会で通すこと自体、国民多数の意志に反する歴史的暴挙である。

怒りの渦、国会前の状況をIWJが中継。下のチャンネルです。

チャンネル4
チャンネル一覧

激しい雨の中、IWJが中継する、国会前に身動きできないほどあふれ警官隊にはばまれている抗議の人々の映像と、テレビ各社の放送とをぜひ見比べて見て欲しい。これがこの国のマスメディアの状況です。
安倍自・公独裁政権の暴走を許すのかどうか。いま1人ひとりに厳しく問われています。

法案に賛成する政党は次の5党。
自民党、公明党、次世代の党、日本を元気にする会、新党改革
法案を廃案にして、さらに倒閣運動とともに次の選挙で強烈な落選運動をお見舞いしましょう。
自民党は極右政党。公明は第2極右政党。ブレーキどころかアクセルとなっている。あとの法案賛成政党は自民の草履取り。

午前0時15分から委員会。明日10時から本会議。

安倍の野望の根源は3つ。
第1はアメリカとの約束。これについては内田樹さんが共同通信の原稿として次のように書いていましたね。自発的隷従です。

安保法制の成立になぜ安倍首相は異常に固執するのか。違憲立法であり、法的安定性を損ない、歴代内閣の憲法解釈を覆し、立法事実をついに提示できず、国民世論とこれほど乖離しながら、なおこだわる理由は一つしかありません。「夏まで成立させる」と米議会で誓言したからです。
「米国と交わした約束を履行することを、『あらゆること』に優先させることのできる人間」という評価を米国から得ることが、政治生命の最高の保証であり、政治的影響力の汲み尽くすことできぬ淵源であるということを彼も、賛成派の議員たちも心から信じているからです。


第2。自らの悲願でもある憲法改悪への一里塚と見做していることです。
憲法改悪への道は容易ではないとわかっているから、とりあえず解釈改憲でという面ももちろんあるのですが、それを逆手にとって、国民を慣らしておいて一気に改憲に行こうという算段が見え見え。
第3は、もちろん祖父の岸信介にならって国民の意思に反してでも法案を通すということ。これは悲願と言うより執念と言った方がいいかもしれませんね。
それゆえ、「今は理解がすすんでいなくても、いずれ時間がたてば分かるときが来る」というトンデモ発言につながる。はなから国民の声を聞く気はないのですから、辞めてもらうしかない。
どれをとっても国民の側からは政治的害毒を垂れ流すだけのファッショ的な人物です。
国会前のコールに倣っていえば、つぎのようになる。
アベはやめろ!



  9月16日(水)
比較的好天が続いたため、稲刈りが進んでいます。週末の雨が心配ですが、たいしたことがなければ今週末あたり稲刈りのピークになるのでしょうか。


2014暮れの衆議院選挙で自民・公明に投票した方々は、自民党の暴走ぶりをみて「こんなはずじゃなかったのに」と内心臍を噛んでいらっしゃるのか、それとも当然のなりゆきだと思っていらっしゃるのか、あるいはそんなことどうでもよいと無関心でいらっしゃるのか・・・。
いずれにせよ、今日・明日が参議院での山場です。これから議事堂前に行って「強行採決するな」と大きな声をあげてきたい気分です。

この国のメディア、とくにテレビの何とも異様な状態、政治的にはまるで骨も神経も抜かれてしまったような体たらくには言葉を失ってしまいます。集団的自衛権を含めた安保法案の問題点をシリーズで解説するとか、国会前から学者のスピーチを中継するとか、長時間の討論会を企画するとか、いろいろ工夫があってしかるべきなのに、まるで見当たりません。
この国のあり方の根本が変えられ、歴史が塗り替えられようとしているその瞬間、テレビは何事も起こっていないかのように「平和」です。
どこぞのスーパーで人質事件があったといえば、どの社も現場から長時間の中継をやるんだし、先日の水害の現場や被災者の状況は数日は中継がはいったりはしたものの、日が経つとほとんどうつらなくなる。原発の現場など最たるものでしょう。
私自身、こうした「作られた」環境にいて、どんどん感覚がマヒさせられ、順応させられていく危うさを感じざるをえません。何が大事で、何が取るに足らないことなのか、どのような情報をもっと取り込まなければならないのか、取り込んではいけないのか・・・わからなくなっていくのです。
よくよく考えれば、これは紛れもなく誰かによる情報管理じゃありませんか。最も上手な情報管理とは、管理されるものにわからないように管理するということですからね。もっといえば、すすんで管理されたがる。テレビのバラエティ番組やクイズ番組などは自らの好みにふさわしいものだと思ってしまうのもそれに近いかもしれません。
事件があるとかならず監視カメラの映像が映し出される。監視カメラが大量にあっても犯罪は起こっているのに、カメラが犯罪を抑止したかのように描き出され、そしてさらに「死角」を埋めようとばかりに監視カメラが増設されていく。それが日常なのだ、当然なのだと思い込まされる。いやすすんでそう思い込む。市民の1人1人の行動がすべて記録されているにもかかわらずです。
こうしてみると、「自発的隷従」は安倍内閣の専売特許ではありませんね。むしろ大衆的レベルでの自発的隷従こそ戦争をしたがる面々の最も期待するところなのです。そしてそのように操作する。

こうした情報操作にもかかわらず、学生を中心とした若者たちが自分の言葉で異議申し立てをしていることは驚異的なことだと私は思うのです。もともと、スマホ世代ですから、それほどテレビや新聞にさらされていないのかもしれません。つまり自分の関心に応じて情報を集めることに長けている。そんな気がしますね。
だとすれば、世の大人たちは、よほど心して今日の情報の流され方に気をつけていなければならないでしょう。とりわけ、NHKが政府の広報機関となりつつあるこの頃となっては。

ところが、若者が声をあげはじめるや、黙って従うのが当然とばかり「扇動されている」とくる。実におもしろい言い方ですね。
たとえば今日の毎日新聞にこんなニュースがありましたよ。

フジテレビ系の情報バラエティー「ワイドナショー」では、高校生らの反対デモについて「ニュースに誘導されている」との見方を示したコメンテーターの「ダウンタウン」松本人志さん(52)に対して、SMAPの中居正広さん(43)が「若い子が声を上げるのはいいことだと思う。僕はうれしかった」と反論する一幕もあった。

「マスコミに誘導・扇動」論自体が噴飯物なのですが、それが破綻すると、「共産党扇動」論、「中国回し者」論となる。
ネット上で、たぶんヤラセでしょう、こんな質問がありましたね。
「SEALDsって組織は共産党と繋がりがあることを秘匿して無知な学生を扇動しているの?」
「SEALDsって、日本共産党の下部組織・民青なんて知られてしまったんだね」
後者の質問への答えがとてもよかったのでそれだけは紹介しておきましょうか。
一方で最悪の問答はこっち

要するにこういうことです。余りにも馬鹿げた言説と思われようが、それらを大量に投げ込むことによって、そうした「場」「空間」を作り出すことが大事なんですね。彼らが生息できる空間を作り出しておいて、政府などがそれに近い言動を行っても異様にに感じないようにさせること。出来上がった空間から異質なもの、まともな議論を排除・封殺する。これが狙いです。
戦争法案に賛成する勢力の側から言えば、こうした空間が大きく作られていればいるほど、その中で議論するのはたやすいことだということです。ここに愚論・俗論が必要とされる根拠があるんだと私は思います。
その最大の特徴は反知性主義ですから、「まともさ」(=科学的であること、人間的であること)において彼らを圧倒すればよろしい。



  9月15日(火) その2
今日参議院の中央公聴会でSEALDsの奥田くんが意見陳述しました。背広に身を固めた彼は開口一番、何と「先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います」と言ったのです。何と言うことですかね。これは。寝ている奴らが何人もいた??
さて、それはともかく、彼がいいたかったことの1つは、「私たちはこの国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです」ということ。前にも書いたように、これはどれほど強調してもし足りないほど重要なことです。
個人として自立しながら連帯し考えを深めていく。この国では、あらゆる世代で意外とこのことが不得手だったのです。「付和雷同」「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」しかり「群れを好む」「右見て左見てもう一度右見て」しかり。それを若者たち打ち破りつつある。それにつられていろいろな年代の人々が思い思いに声を上げている。
当然のこととして、政党としては最もまともであり不屈に戦い続けている日本共産党がそれらの声を残らずくみ上げ、国会の議論に持ち込んでいる。長野市会議員選挙で共産党が5議席から7議席への躍進を果たしたのも、日本の底流で起こっている変化の現れです。安保法案反対運動に見られる盛り上がりは、個々の市民の自発的、自律的な運動と政党や市民団体の組織的な活動とが完全にかみ合いこだましあって発展しているのです。

彼はつづいて、SEALDsを作り出したのは他でもない与党なのだと意外なことを口にしています。つまり、若者に国会前に足を運ばせたのは政府与党の理解不能な説明が醸し出す得体の知れない「不安」だったのだと言うのです。そして「与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください」と懇願する。絶叫するわけでも難しいコトバを使うわけでもない。ふつうの大学生のコトバがここにはあります。

意見陳述したあと、彼は国会前で、明日16日地方公聴会が終わったあと委員会で採決を強行するということらしいという情報を伝えています。公聴会は単なる日程消化に過ぎず、反対意見を封殺して何がなんでも採決を強行するというのですかね。
これまでも自民党のこの手の議会運営は嫌と言うほど見てきましたが、ここまでくると自民党議員は所属政党のコマの一つ一つになって動く機械仕掛けの人形みたいなもの。ここまでくると、彼らが地元でいくらいい顔をしようがもう誰も相手にしないでしょう。

というわけで、私は今日遅くに、地元選出参議院議員5名に対して遅ればせながらファックスを送信しました。
自民党の諸氏には「強行採決やるならおやりなさい。そのかわり未来永劫『憲法の破壊者』「立憲主義の否定者」の刻印を未来永劫背負っていくことになりますよ。2度と国政の場に立てないように全力を挙げる」と書きましたね。ま、彼らは屁とも思わないでしょうけど。
民主党の方々には、もちろん最後まで国民のたたかいと連帯して奮闘されたいとの激励文としました。
以下は自民党議員宛の抗議文です。

国民の過半数が安保法案に反対し、7割近くが今国会での法案採決に反対しています。また圧倒的多数の学者・弁護士がこの法案を憲法違反であると断じています。
首相自身が「国民の理解が深まっているとは思われない」と述べているではありませんか。
にもかかわらず、安保関連法案の強行採決を行おうというのですか。

強行採決をなさりたいというのなら、どうぞご自由になさってください。
ただし、あなた方は安倍自民党の一員として「憲法の破壊者」「立憲主義の否定者」であるという刻印を未来永劫背負っていかなければならないことを肝に銘じていただきたい。
万が一強行採決されるのであれば、私は、安保法案すなわち戦争法案に加担した議員諸氏を決して許さず、2度と国政の場にご登場いただかなくて済むように全力を尽くす覚悟でおります。


権力者が戦争を準備するとき、あの戦争の前は目耳口を閉ざされて、自立的に判断し反対することはできなかった。むしろ、自らすすんで戦争をあおり協力したのです。日本共産党員のように天皇制の打破と反戦を訴えた者は激しい迫害、拷問、投獄にさらされた。
ここが戦前との全く異なる点です。つまり、私たちは声を上げ自らの意志で戦争を押しとどめることができる。そのような時代に生きているということです。
秘密保護法やこの戦争法案がますます日本国憲法と乖離し、それを骨抜きにしていく一面を持ちつつも、私たちはいま声を上げることできる。その権利を決して離してはならないと思うのです。
ネット上には、ネット右翼のみなさんがここぞとばかり書き込みをやっていますが、いまSNSの世界ではそれらを優に上回る青年たちの健全な声が飛び交っているではありませんか。怪しげな連中がきたなくののしればののしるほど、彼らの生きる場が狭まっているということです。
仮に安保法案が強行採決されようと、決して絶望する必要はない。巨大な覚醒と連帯という産物を残してくれているのですから。

今日は午後から被災地支援のチラシを公民館で印刷。そこへローカル紙2紙が取材にきて、私とMさんにチラシを持たせて写真を撮っていった。明日か明後日、おじさん二人が並んでチラシを持っているのが載ると思うと、何だかカッコ悪いなあ。
その心、意気に感じて沢山の人がお金と支援物資をもって福祉会館に足を運んでくださるように願いましょう。



  9月15日(火)
昨夜国会周辺を包んだ大集会について、地元の信濃毎日新聞はほとんど無視。私は最近この新聞の評価について相当に否定的になっています。ジャーナリズムの原点に立って、国民の動きを伝え、さらに権力を監視するという役割をほぼ忘れてしまったのではないかと思わざるを得ませんから。
デモが多数だからという理由ではありません。社説で「廃案」に言及し、政府の拙速を戒める社説を掲げながら、実際にいま国民の中で何が起こっているのか、多数の国民がどんな意識でいるのか、それに対してどのような態度をとるのかが刻々試されおり、紙面にどう反映するかが問われているからです。




ところでSEALDsを「自分中心で利己的」と書き込んで批判をあびた件の武藤議員、9月4日には「法案が成立しても戦争に行くことはなく、扇動とか間違った情報に基づいて若い人が誤解し、だまされている」として前言を撤回しないと表明したそう。誰が扇動してんですかねえ。
運動が盛り上がったり、各地に広がったりすると権力者は必ずといっていいほど「共産党が糸を引いている」「中国から金が出ている」「一部の人間に扇動されている」といいたがる。デマを流して少しでも自陣営に有利に展開しようとするわけですが、このやり方は追い詰められた彼らが最後にとる手段です。なぜならもはや理論的にも実践的にも敗北が決定し退路が断たれているわけですから、あとはやけくそしかありません。
下は森村誠一さんの投書(朝日新聞 9月13日)。
「安倍政権の暴走を阻止するために集まった人数は単なる数字ではない。一人一人の国民が、独裁者に一度限りの人生を破壊されぬように集結している」・・・その通りです。


市民が政治的に成長し、自ら情報を集め自身の頭で考え、仲間と学び合って運動を広げる。このことに習熟してきたのがここ数ヶ月の動きだったのではないでしょうか。
誰かの本に書いてあることだけを無批判に取り込んで妄想に耽る夢想さん、じゃなかった武藤さん、あなたこそ極右の連中の「扇動」に洗脳されきっているのでは??はやく議員をお辞めになるのがよろしい。有害なだけで何の役にもたっていませんからね。税金の無駄遣いである!

私は朝から被災地支援のチラシの最終校正をし、地元新聞の記者に連絡をとり、銀行に行ったり、印刷する用紙を買ったりして、午後の印刷に備えました。大量の印刷なので、結構時間がかかる。
安保法案にしろ、被災地支援にしろ、ここ数日が勝負ですから、精一杯がんばりましょう。

「てるりんさん」のブログを読んでいたら、さる自称アナーキストという方とのやりとりが書かれていました。まじめに答えているてるりんさんに好感をもちつつ、ヒゲの隊長につきあうあかりちゃんを思い出してしまいましたね。
この手の輩は、頭の中で世界情勢を誇大妄想的につくりあげて、相手を困らせることに無上の喜びを見いだすだけで、まともに議論する気ははじめからない。
だから、中国、北朝鮮、ISが日本に攻めてくるという「被害妄想、誇大妄想レジームからの脱却をどうぞ」、と言っておしまいにするのが正解だと私は思いますよ。
まず、彼らは「9条擁護派は丸腰で何もしない」という前提で議論をふっかけてくる。「9条は残念ながら外からの災いを防いではくれませんな!」というわけです。
外からの災いを防ぐ最大の武器は憲法9条だという論理は彼らには通用しませんから、結局は果てしのない抑止力=軍拡競争の果てにどっちも全滅という論理に行き着かざるを得ない。所詮、軍事オタク+中国・北朝鮮憎しのアジア蔑視の与太話にしかならないのです。ISが外交施設を狙うと言うなら、最も有効な方法はアベちゃんを総理から引きずり下ろせばよいだけです。
ASEAN並の東北アジア平和構想を説いてみても相手は聞く耳を持たないし、軍事力で攻めてくるとしか捉えられない彼らは、自分では右派でも左派でもないといいながら、アベちゃんと同じ土俵で相撲をとっているので、自分の立ち位置さえ分からなくなっているのはこっけいですらあります。

思うに、中国・北朝鮮、さらにロシア脅威論はことほど左様に、庶民レベルでは極めて大きな力を持っています。アベ自民党が結局頼りにするのはそうした国々の稚拙な行動なのですから、それを打ち破るのは結構骨の折れることであることは事実です。
だが、70年前を思い起こせば、「自存自衛」(今と一緒じゃないかい)をかかげて太平洋戦争に突入し、果ては「一億総玉砕」を叫んだあげく悲惨な結末を迎えたのがこの国なのです。かくも最悪の「戦争の終わらせ方」を選択した国はないのです。
あのドイツでさえ、将軍たちは戦争の最終盤にあたって、自国民の犠牲をいかに少なくするかを基準にして、ヒトラーに逆らってさえ降伏することを選んだのでした。日本でそうした将軍は1人もいない(山崎雅弘著「戦前回帰」56ページ)。永遠のゼロでありますよ。
零戦による体当たり自爆攻撃などという愚劣な戦術を「特攻」などといまだに美化しているお方は、国際的な「戦争の終わらせ方」がどうであったのかさえ理解していないわけで、自己のOSに「根本的な欠陥」(同)を持ったお方であろうと私は思っています。
「こんな災害の最中に何考えてるんですかいな?」というこのお方は、ただテレビの前でビールでも飲んで災害報道を見ているだけのお方でしょう。そうでなければこんな「あれかこれか」という背反的言い方は絶対にできませんから。我々は、安保法制阻止闘争と被災地支援を同時並行でやっているのですもんね。「どんな支援をしたかを具体的に語ってからそう言え」と言ってやりたいけど無意味でしょう。
てるりんさん、いろいろ議論するのもおもしろいし反論するのも勉強になるけど、相手によりけり。ただ消耗するだけの相手にはあまり深入りしないようにして、「もっと本を読んで勉強しましょうね」と言ってあげて終わりにするのがベスト。身体くれぐれも大事にしてください。



  9月14日(月)
沖縄県翁長知事が辺野古沖公有水面の埋め立て承認の取り消しをようやく表明しました。沖縄県民と、辺野古新基地に反対する全国の市民にすれば待ちに待った決定です。

琉球新報号外
翁長知事記者会見 沖縄タイムス

知事の取り消しにもかかわらず政府は工事を続けるといいます。さて、いかなる根拠に基づいて続けることになるのでしょう。自らに都合の良いときには「法治国家」を口にする政府が、都合が悪くなると「国防は国の専権事項」と言い募って工事を強行する。この2枚舌、3枚舌は抜いてしまわないと、どこまでも暴走してしまいます。
翁長知事と名護市長を支え、安倍政権に新基地建設を許さない世論を大きくすることが最も重要になります。安倍政権は法廷闘争に訴えると公言していますが、学者も弁護士も圧倒的多数は政府の横暴を許さない側ですから、これから予想される戦争法案の違憲訴訟とともに、政府はいよいよ追い詰められることになりますね。
多くの市民が原告団に参加していくことも必要になってくるでしょう。ともかくこのような悪質な安倍政権は1日も早く終わらせなければ、こっちが危うくなってしまいます。
今日の安倍首相の国会答弁は、「確かに国民の皆さまの理解は進んでいないところがあるが、いずれ必ず理解してもらえる日が来る」というもの。これほど国民を愚弄した言い方はありませんね。民主主義の何かを全く理解しない独裁政党の党首。そんなことを言えば、「今から戦争するぞ、今は国民は理解できないかもしれないが、いずれ必ず理解してもらえるときが来る」と言っているのと同じじゃありませんか。
朝日新聞の世論調査では安保法案に「賛成」がわずか29%、「反対」が54%。「今国会での成立は必要ない」が68%に達しています。内閣支持率も最低の36%に。もっともっと落とさないとダメですよね。これは。

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さて、昨日から今日にかけてのスケジュールは大変立て込んでいました。
午前中は軽トラパレードや集会に参加してくれた近所の若い男性と懇談。自己紹介やら情報交換やら、よもやま話をしながらこれからの活動で協力し合おうと約束しました。
理知的で社会のさまざまな問題に関心を広げている青年が近くにいたことにビックリすると同時に大変嬉しい思いをしました。
午後早くには大型ショッピングセンター前でスタンディング。コールをしたりリレートークをしたりしながら約1時間戦争法案廃案をアピールしました。





続いて夕方からは被災地支援の役員会。関東・東北水害の支援をどのようにするのかを小一時間話し合い、今週末に緊急の支援活動を行うことを決めました。戦争法案廃案を求める取り組みと重なって、しんどい活動になりますが、短期決戦でやりとげようということになり、さっそく昨夜全戸配布のチラシ(原案)を作成、明日にも印刷して新聞折り込みすることとしました。

そのあとは、シンガーソングライターの吉川忠英さんのライブ公演に参加(被災地支援の会合はその会場で公演前に行った)、トークとギター、歌の楽しいひとときを過ごすことができました。
のっけから「福山雅治です」と切り出すあたり、なかなかおもしろい人物で、第2部ではずっと興味を持ってきた落語(漫談?)的なストーリーのトークを交えて、全部で20曲ほど演奏。
ごった混ぜの曲目でしたが、はじめこの曲の良さはなかなか分からなかったが、年を経てだんだん分かってきたというジョンレノンのイマジンが出色。しみじみと聞きました。


この催しは、池田町に住む大学生のグループが企画・実行したもので、廃屋を利用した町中のお店に約50人が集まり盛況でした。
どんな方なのか、全く予備知識はなかったのですが、結構有名な歌い手のレコーディングに参加していらっしゃるようで、いるかや夏川りみなどの曲もギターで紹介してくれました。ミーハーな私としては、サインセールで一枚CDを買い求めたことでありました。
有名なミュージシャンを招いてライブをやれるほどに若い人たちも実行力を身につけていると言うことです。頼もしい限りです。

たぶんこのまま印刷することになるであろう水害被災地支援のチラシは以下のとおりです。午前中にアップしたものと、あつめる場所が変わっていますのでご注意を。
今回は、義援金の他、タオルとお米の2品目限定。短期にあつめてできるだけ早く現地に届けようというものです。是非多くの町民のみなさんのご協力を!!






  9月12日(土)
久しぶりに晴れ間がのぞき、北アルプスが一望できる秋らしい朝。我が家の周りではコスモスがかなり咲いて、ときおり通りがかりの人がカメラを向けています。
すでに何枚かの田では稲刈りが終わっていましたが、ここ1ヶ月ほどの雨と日照不足で稲穂の色づきが悪く、地盤も軟弱なため、全体としては例年より稲刈りが遅れそうです。
ハルちゃんは怪我もすっかり治っていつも通りに戻りました。今朝はコスモスの間でバッタを見つけ追いかけているので遊んでいるのかと思ったら、バリバリ食べてしまった。
そういえば先日ちょっと戸を開けていた隙間から1匹の野良猫が入り込んだのをすかさず見つけて、ものすごい剣幕で追いかけていきました。普段とは全く違う低い鳴き声をあげて、私が静止しようとすると邪魔するなとばかり引っ掻いて、そのまま全速力で外へ。前に噛みつかれて怪我をさせられたリベンジなのか。
いつも、ぐうたらして、内弁慶のハルちゃんとは似ても似つかない凶暴な姿に、妻は「すごい!褒めてあげる」と感心しておりました。ハルちゃんを見直したらしい。
そんなハルちゃんも人間でいえば50才か60才。それが私の膝の上で赤ちゃんだっこされているのはどう見ても不釣り合い。妻は笑いが止まらないようです。ま、ネコはいつまでもネコですから・・・。
もっとも、ネコを膝の上に抱いたまま、背をまるめ、焦点の定まらぬ目を遠くに向けてボーッと縁側に座っている私の姿を、「まだ若いのに、おかわいそうに」と見ていく人もいないではない。だが私の頭の中は、国会に沖縄にあるのだ、と強がってみても・・・やっぱりダメだなあ。






午後からは「子ども塾」に出るために松本へ。ひと頃より子どもの人数が少なくなっているのがちょっと心配です。それぞれいろんな事情をかかえているので、うかがい知れないことも多くあるのでしょうが、何とか少しでも勉強のお手伝いができればいいなと思っています。

夜は友人のパソコンがどうも変なウイルスに感染しているらしいというので、再インストールのお手伝い。
ネットにつないでいろいろダウンロードしているうちに思いがけないソフトが入り込むことがあります。レジストリをいじる専門的な知識がないと削除できないソフトもあるので、ここまでくると私はお手上げ。というわけで、手っ取り早い再インストールを行ったという次第です。
再インストールといっても、いろんなブラウザやAdobe、Appleなどのソフトをダウンロードしてインストールしたり、避難していた書類を元に戻したりと結構時間がかかります。
きれいさっぱりした環境でPCを使えるようになったので、このあとは問題なく操作できるでしょう。ふ〜。



  9月11日(金)
関東から東北にかけての大雨による被害は大変なことになっています。避難所で不安な一夜を過ごした方々はもちろん、まだ救助の手が伸びず自宅で過ごさざるをえなかった方々の気持ちはどんなだったろうと心が痛みます。いつも感じるのは、テレビでこうして見ていなければならないこの距離感。現実味のなさ。何かせねばという思いは、あの3.11と同じです。

午前中は体調不良(倦怠感=なまけ病)のため、妻が長野市にでかけたあとまた横になってお昼まで。午後からは昨日決めた方針に従って、内閣府(総理大臣)・各政党本部に決議文を郵送。事務局長のUさんは地元選出議員あてにファックスで決議文を送りました。読んでくれるかどうかもさることながら、小さな町でもこれだけの人たちが声をあげているのだということを知らせる事が大事ですからね。

昨日あらためて森住卓さんのフェイスブックの「池田町軽トラパレードの紹介写真」を見ていたら、ものすごい数の書き込みがありました。5日のあとすぐに見たときはそうでもなかったのに、と思ってつらつら眺めていたら、なかなかどうして当の私たちが気がつかないような視点でコメントしてくれている人もいておもしろかった。
長野県の田舎町(全国の田舎はどこでもそうですが)では軽トラは必需品。ちょっとしたものを運ぶにも、買い物に行くにも、いったん乗り出すとこれほど便利な乗り物もない。私は農業従事者ではありませんけれど、松本まで行くのもこの軽トラ。松本で駐車場に入れても、この手の車にお目にかかることはまずありませんね。

コメントを少し紹介しておきましょうか。そうそう、その前に、お断りしておくことが1つだけあります。この軽トラパレードは、池田町で最初にやったわけではありません。前にも何度も書いたように、栄村での軽トラデモが先鞭をつけたもので、いわば2番煎じ、パクリといえばそうなのですが、栄村に学んで池田町らしいものにしようと意気込んでとりくみました。そのことを念頭に、以下のコメントを読んでくださいね。

・すごいですよね。フランスの農民デモみたい。で、要求が憲法守れだと言うところがすごい。
・仕事中に見かけました。壮観でした。
・うわぁ!!圧巻ですね!
・かっこいい!
・すごい。不可能だけど、「軽トラで国会包囲」を想像してしまった。
・国会前のデモが民意ではないと言った、どこかの誰かに見せてやりたい。
・いよいよとなったら国会前でやりましょう、これ!
・これこそ民意!この景色こそ守ろうよ!
・軽トラがほのぼの、力強くいいね
・かっこいいし、幅取らないし、素晴らしい!
・戦車にも負けない勇猛さ・・・鳥肌立ちます・・・
・国会議事堂近くまでいけるといいですが。
・これはすごい!まさに「尊農護憲」ですね。シェアします。
・軽トラ、と言うのがまた、長野県民らしくてカッコいいですね。
・とにかく凄いカッコいいです!!菅原文太兄さんがどこかのトラックに乗っていそうですが、天国から笑顔で見守ってくれている感じがします。
・信州を訪れたときに池田町は良く通ります。壮観で、感動しました!!シェアさせていただきました。
・闘いはいろんな創意を生み出すんですね!
・百姓一揆の伝統を伝える快挙??
・カッコいい〜!なんか元気出てくる!
・かっこよすぎ!
・感動で涙が出ます
・池田町は義父の終の地です。軽トラ・コンボイ!行け、行けぇ〜
・電線の雀もチュンチュン抗議中
・このまま、国会まで(^o^)
・すごい〜軽トラ迫力ある〜〜軽自動車税も反対のプラカート追加してーー!!
・ナマで見たかったなぁ!
・何んという圧巻。こうした全国通津浦々の行動が、この国土を守っているのだなと感じて胸が熱くなりました共に頑張りましょう!
・お写真がとても良いです。のどかな緑の中を軽トラが堂々としています。あらゆる角度で意思表示したいですね!!
・関生は春闘でトラックデモをやるけど、これもいい!!(写真右)
・おかげさまで長野県生まれ、かなり自慢したくなった!
・いいぞ!池田町、頑張れ〜!シェアします。
・日本の市民の力を見せることができている!いいぞ




  9月10日(木)
茨城、栃木など首都圏で大変な大雨。鬼怒川の堤防決壊で住宅地が水浸しとなっている様子が映し出され、3.11の津波被害と重なって見えてしまいました。自衛隊や消防による懸命の救助活動が夜を徹して行われているようですが、行方不明者もいるらしく本当に大変な事態です。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
数十年に一度という災害が昨年は九州、四国で発生し、今度は東関東から東北にかけて起こり、いつどこでどのような災害に見舞われるか分からない時代に突入していると思わないわけにはいきません。
だとすれば、地球温暖化に対する根本的な対策を急ぎつつ、想定される被害をいかに減らすかに自治体、住民の智恵を結集する必要があるはず。国、自治体の予算の組み方、使い方に監視の目をくばり、防災・減災に万全の対策を打たなければならないと考えます。

今日は夕方から激しい雷雨に見舞われ、ときどき尋常ではない降り方の雨に見舞われました。午後7時からは「戦争法案に反対する池田町民の会」の決起集会を予定していたので、一時はどうなることかと心配したのですが、幸い7時近くには小降りになって無事開会できました。
参議院での審議が大詰めを迎えているこのタイミングでの集会だけに、町民のみなさんが続々とつめかけ、最終的に54名の参加で、熱気ある集会となりました。
とくに今回は中島弁護士を講師に迎えて講演していただいたのですが、私の古いパソコンでDVDを上映したためか、あと5分くらいというところで途中でフリーズ。大変迷惑をかけてしまいました。その分、お話で補っていただくことにしたことお詫びいたします。
中島弁護士は、小森陽一さんの自民党憲法草案についてのDVDを土台にして、安保法案が狙っている集団的自衛権の行使とはどんなことなのか、後方支援、PKO支援で何をしようとしているのかなど、戦争法案の問題点を詳しく解明してくださいました。ありがとうございました。
集会の前にちょっと話をしたところ、私が子ども塾に通っていることを知っているというので、びっくりして、どうしてなのかと聞きましたら、松本の「反貧困ネットワーク」の責任者をしているのだとおっしゃったので、またびっくり。子ども塾はそのネットワークの事業の1つなのです。
さらに奥様がバラの会の会員であることも最近分かって、なんとまあ縁のあることだと思った次第でした。
9時には完全に部屋を空けなければならないという制限のために、講演のあとは、私が今後の方針を提起し、集会決議を採択して慌ただしく閉会することになりましたが、これまでやってきたいろんな取り組みにそれぞれ確信を持ち、全力をあげて法案廃案まで戦い抜こうと誓いあった集会になりました。
池田町で軽トラパレードや今日の集会など政治課題でこれだけの取り組みをやってきたことは特筆すべきことでしょう。息長く続けられる運動へと発展させることが大事ですね。




次は集会での決議、およびニュース第7号です。
集会決議
ニュース第7号

政府と沖縄県との協議期間が9日で終了したため、沖縄キャンプシュワブ前では、防衛局による作業再開を阻止するために今日の午前0時から24時間監視体制に入っています。
「チョイさんの沖縄日記」によれば、午前0時からの決起集会には深夜にもかかわらず100名が参加したとのこと。絶対に阻止するという気迫が伝わってきます。
東村高江でも島ぐるみ会議の大型バスが到着してテントがあふれるばかりになっている様子がうかがわれました。
7月の段階では、キャンプシュワブ前では常時300人くらいテントにいる状態を1日も早く作り出したいことや、高江でもいつ工事を再開するか分からない状況だというので監視の目を光らせる必要が語られていました。各自治体毎でつくられた島ぐるみ会議によって次第にその体制がつくられつつあることを知って心強い限り。ともかく県知事が一刻も早く埋め立ての承認取り消しを宣言することです。



  9月9日(水)
政府与党は16日にも安保法案の委員会採決を行い、同日中に本会議採決に持ち込む腹づもりらしい。
ま、やれるものならやってみろという感じですが、彼らは大変な思い違い、読み違いをしていることは間違いありません。つまり、国会に押し寄せる抗議デモはたかだか10万くらい。内閣や自民党の支持率はそれほど下がっていないわけだし、強行突破しさえすればあとは時間が解決してくれる。そんな程度の認識でしょう。
政治の地殻変動というのは、人々の政治的体験の度合い、大きさに比例するのであって、自民党が強行採決したからそれに単に反発して起きるわけではありません。その政治的体験をあと一週間でどれだけ広げ、積み上げることができるか。このことが最終的には選挙で自公候補を根こそぎ落とせるかどうかにつながっていくのです。
おそらく今後政党の組み合わせで自民を落とすにはどうするのかという話になる可能性があります。SEALDsの代表もそのように語っていましたし。
しかし、今日の政治状況で、野党がどのような組み合わせで統一候補を立てるというのか。その現実的可能性は?はなはだお寒い状況でしょう。この国の有権者が、社会民主主義的立場でもよい、しっかりした綱領と方針を持ち地域でも活動する政党を作り出してきたのか。日本共産党を除いては、結局議員だけのあれこれの組み合わせでしかありませんでした。
私自身としては、自民党の支配が続くとしても、しっかり腰の据わった政党を国民が作り出していくことを通してしかこの国は生まれ変わることはできない。若者の目指す道は、そうあるべきだと思います。超右翼政党となりさがり劣化しつづける自民党、「平和・福祉」を投げ捨てた公明は自壊の道を辿るしかないのですから。
それを加速する役割を果たすのが日本共産党の役割であり、シンのある唯一の野党の責務だと思うのです。逆説的な言い方だし、党員でもない者が言うのもおこがましいのですが、日本共産党に大きくなってもらう以外に自民党・公明党に代わってこの国の政治を担うことのできる政治勢力を作り出していくことはできないということです。
日本共産党までは・・・と思う人がいるのなら、そうではない政治勢力を自ら求め作りあげていくべきです。決して反共の立場に立たず、切磋琢磨して運動をつくりあげること、その道こそがこれからの日本の政治過程になると私は予感もし、期待もしているのです。


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7月18日付け朝日新聞(大阪版)の声欄に載った元予科練生加藤敦美さん(86才)の投書が、ネット上で静かに広がっています。お読みになった方も多いのではないでしょうか。
8月15日にSEALDsの奥田愛基くんが国会前のスピーチで涙の朗読をしたことでも知られ、いっそう全国に拡散しています。
参考までに記事の全文、およびその後再投書された加藤さんの記事、奥田君のスピーチを紹介しておきましょう。






「若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」というこの方の思いは、「特攻」予備兵としての心からの叫びだと私には思えます。

池田町出身の上原良司をはじめとして多くの青年が、国策としての自爆攻撃にからめとられ、「国を守り家族を守る」と自らに言い聞かせて死んでいった過去を、この方はずっと胸に秘めて生きていらっしゃったのでしょう。
だが、「特攻死」=「国策による強制自爆死」という行為が、実は「『絶対的な価値に基づく体制(=国家神道を基盤とする特殊な天皇制国家体制)』を守るためなら人間を戦いの道具として使い捨てしても道義的に許される、という、人道的感覚の麻痺」(山崎雅弘著「戦前回帰Gakken)によって引き起こされたものですから、戦後そのことを思い知らされた加藤さんにとって、戦前の価値観を再起動させようとしている安倍内閣を絶対に許すことはできなかったのだろうと私は推測します。
京都民報による追跡記事では、この方の思いが一層伝わって心を打たれます。

ところで、この朝日新聞の記事には後日談があって、8月21日の全国版の記事では、「天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、」の部分が削除されていたというのです。
このあたりのいきさつについては阿修羅さんが、映画「雲ながるる果てに」がYouTubeから削除されてしまったことも含めて長文の解説記事を書いているので、参考にしてください。

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先に引用した山崎さんの著書「戦前回帰 「大日本病」の再発」では、戦前の日本は、文化的・精神的な支柱としての「国家神道を基盤とする宗教と政治の融合した特殊な国家体制」であったとし、次のように述べています。

戦前・戦中の日本軍の特徴として挙げられる人命軽視の悲劇を二度と繰り返さないためには、当時の日本を「軍国主義」と捉えるのではなく、宗教的政治思想が戦争指導部と個々の軍人の価値判断に大きく影響していた事実を直視する必要があります。

日中戦争に突入していく過程における、「国家神道(古くからある神道とは根本的に異なる)を精神的支柱とする過激な天皇制軍事体制」にのめり込んでいくその諸相を、ひとくくりで「軍国主義」とよんでしまうことには無理があることは事実です。なぜなら山崎さんも言うように、もしそうであれば他国にも似たり寄ったりの人命軽視の傾向が現れても不思議ではないからです。
しかし一方で、戦前の日本は絶対主義的天皇制という天皇を頂点とする軍事独裁体制であったことはまぎれもない事実であって、私としては、軍国主義という他国にも共通する政治体制をとりながら、国民動員の方法としては他国とは全く異なる特殊な思想体系を特徴としていたと考えています。それが当時の日本国民を支配する最も有効な方法だと支配層は認識していたからです。その特殊性ゆえに、そのDNAはいまなおその子孫たちに受け継がれて増殖しようとしているのではないのか。
今日、安倍政権の閣僚の多数が所属している日本会議国会議員懇談会(「日本会議」の議員版)の主張の多くは、戦前の軍部・マスメディアがスパイラル式に肥大させていった特殊な価値判断を色濃く引き継いでいます。時代錯誤ともいえる彼らの主張は、私たちのまわりではそれほど顕在化しているとは見えませんが、実はいろんな局面で形を変えて浸透していることに気がつきます。
とりわけ、教育の分野で子ども達の「規範意識のなさ」をとりあげるとき、それは極めて明瞭な形をとってきます。そして、すでに教育基本法そのももの改正に成功している彼らは、靖国史観ともいえる特殊な思考形式を教育現場に埋め込もうとしているのです。社会や公民の教科書で育鵬社版を使わせたい衝動はそこから生まれています。
社会に生きる個人としての人権とか、社会的権利とかよりも、集団としての同質性、規範意識の共有、上位の者への忠誠などを重視する彼らは、たとえば「戦争に行きたくない」と主張するSEALDsのメンバーはムカつくほどに「極端に利己的」と見えてしまう。自分のことはさておいてです。
ですから、今日自らの主体的な判断で、安保法案に対して異議申し立てしている若者たちの存在は、この国の靖国派の諸君にとっては許しがたい存在であり、目障りでしようがない。つまり、私たちの市民運動そのものが、彼らの特殊な史観や思考ともろにぶつかり合っているということなのです。
その意味で、私たちはもっと思想的な対決という側面に目を向け、意識的にかれらの思想的基盤を1つ1つ打ち破っていかなければならないと強く思っているところです。



  9月8日(火)
今日は、先日来紹介している中山さんの戦争体験最終回です。
ご高齢にもかかわらず長時間のインタビューに答えて頂いて、1時間半を過ぎたあたりからちょっと疲れが見え始め、話が飛んだりよく聞き取れなくなる場面がしばしば現れてしまいました。一生懸命に話してくださるのでつい甘えてしまいました。反省しています。
従って、最終回はかなりおおまかな話になることをご了解ください。十分お話を聞くことができなかった上海での生活と帰国に至る状況、帰国後の日本社会の様子などは、あらためてお聞きすることになっています。

中山隆之さんの戦争体験(第4回 最終回)
   上海での生活と帰国

12.上海での生活

(八路軍について中国を南下して)最終的に上海まで行ったね。帰るまで上海にいましたから。
中華人民共和国となって、国際法上他国の兵役に就くことができないようになったので、それまでいた八路軍から卒業ということになった。そのかわり職も何も世話してくれて困らないようにしてくれた。
一番初めは病院の雑役から始まって、そこには日本人の医者や看護婦さんがいたもんで中国人との対話、患者との対話・・・病院では、いろんな問題がおきるじゃないですか。朝から晩までそんな専門的に仲介役に立って、指導員という形で患者と話したり従業員と話したり、明け暮れ本当に忙しかったね。自分の神経すり減らすほど、夜苦痛で吐いたまま寝たようなこともあったけれど。
そんな中で、人民解放軍の規定によって、一兵卒から最後には尉官級までになったいね。これは中国人も日本人も隔てなく、その人の状況に応じてみてくれたがね。尉官になったときには当番兵もついて、一部屋もらってね。そこまでいったが大変な仕事だったですよ。それでもその功労があったもんでね、その後政府の国家公務員でもって上海で勤めたときも、それなりに全部加算してもらって上海の一等地の所に住まわしてもらった。もちろん住まいから家賃までタダだった。
上海では中国人と隔てなく同等にみてもらったってことだいね。とくに日本人で長い間八路軍に貢献してくれたってことで国からは「小報」(注:この語句は怪しい)といってね、金紫勲章じゃないが、一生涯の生活保障で、給料の他に住まいから部屋代までみてくれた。
上海にいたのは3年ばかし。上海に来て八路軍から卒業してからはすぐに公務員にしてくれて、企業に勤めさせてもらったってことだね。

13.中国での「学習」

中華人民共和国になった当時は日本共産党と友好的な状況で徳田さんも野坂さんも中国へ来たりね。はじめ私は共産党のキの字も知らなんだが、特別な計らいでわざわざ日本人だけのための日本人学校、学習院を共産党でつくってくれてその学校に上海にいた3年ばかり行っていた。
帰国してからもそういうことが少しばかり(職探しなどに)影響しましたね。私は弟がいたから家を継ぐつもりはなくて、帰ってきた当時あれこれ仕事を探しても、なんだかんだといって断られる。親父も弟も「兄貴、これはおかしい」と言って、あれこれ聞いてみたら国から横やりが入って、中国帰り、とくに最後に帰ってきた連中は徹底して学習させられているからといって、各企業でも気をつけた方がいいということだったらしい。
それがわかって、あわくってもしかたがないんで、「今に見てろ」って思った。親も、「子どもふたりも連れているし兄貴が死んだでお前があとを継いでおれら年寄りの面倒をみてくれや」ということになった。それで、弟は別居させて、それで百姓やるようになった。
そんなことは人には話していないがね、事実はあっただいね。

14.人間の共同の大切さ

(当時をふりかえって、今日の若い人たちに伝えたいことは何ですか、との問いに)
私自身としては、いま年寄りばっか増えて、若い人は個人個人引っ込んでしまっていている。
私の若い頃、集団減反政策が始まって、それから農業委員やったり民生委員やったり、いろいろやってきましたが、そういう人がいまは年寄りになってしまった。ところが今の若い人は、そういったことに我関せずみたいになっている、昔はみんなで共同で助け合っていた。年寄りの面倒も見ていかなければいけない。(こうしたことは)3人でも4人でも始めりゃできると思うんですよ。
私やMさんやそういう年代の人が4,5人で、減反が始まった当時から、これは個々でやっていたんじゃ決してうまくいかないというんで、音頭をとって集団減反という形で組合を立ち上げてね、それが町中に広がった。全国的にもそれが評判になってよその知事もわざわざ来てくれて「頑張ってくれ」といってくれたね。経験を講演してくれという依頼もきた。それでも家まで送り迎えしてくれるところもあって県内からはじまってそうとうあちこち行って、そのつまらねえ話をさせてもらったが。
個々の問題ではそれぞれ頑張ってもらわなければならないが、地域社会をどうしていくかもっと力を合わせなければいけない。あまりに個々になりすぎているように思える。場合によっちゃ半月もとなりどうしで顔もみない。こういう世の中になればなるほど、もっと人のつながりを大事にして、ともに助け合っていかなければいかんがね。


さて、ここまでお読みになっていかがでしたでしょうか。聞き足りないことはいろいろありましたが、ここまでまとまってお話していただけたことは大変な収穫でした。70年経っても記憶が鮮明であったのは、それだけ身体に刻みつけられた体験をなさったからでしょう。
感心するのは、よくここまでまとまったお話を長時間してくださったということです。90才を過ぎても頭の切れは全く衰えていませんものね。
紹介がおくれてしまいましたが、中山さんは長い中国での生活で流暢とは言えないまでも日常会話程度の中国語はできたとお話でした。したがって、前回の中国での老婦人の話なども、身にしみて聞かれたのではないでしょうか。

当時の学校教師が満蒙開拓の糸を引いたこと、開拓とは縁もゆかりもない国境警備の少年兵として満州に送り出されたこと、終戦を迎え、我先に逃げていく関東軍に取り残され生死を彷徨って逃げのびた体験、いずれも他の人からは生の声としてはほとんど聞くことのできない貴重なものです。
さらに、八路軍との出会いから上海に至る過程で、中山さんが出会った共産党軍(八路軍)の人道的な振る舞いには驚かされます。
もちろん、中国共産党の思想については当時からかなり教条的な部分もありましたから、中国の富農や日本軍の将校などについては処刑したり拷問したりした事実も知られています。とはいえ、中山さんが見聞きした事実は特筆すべきものでしょう。
今日、覇権的・大国的な対外政策をとり、馬鹿げた時代錯誤的軍事パレードなどで自国の軍備を誇示する態度と、初期の毛沢東指導下の中国共産党の姿勢とは雲泥の差があると私には思われます。

高齢で耳が不自由な中山さんですが、私の質問にも丁寧に答えていただき、さらに次回のインタビューを快諾していただいたことに心から感謝いたします。



  9月7日(月)
町のあちこちで、軽トラパレードの「余波」が続いています。パレードの最中にお店の前で手を振ってくれた若い女性に先ほどお会いしたら、「感激しました。胸があつくなりました」と言ってくれたのです。うれしかったですね。
取材に訪れてくれた森住卓さんのフェイスブックには、軽トラパレードの写真が何枚かアップされています。さすが写真家、かっこいいです。ぜひ訪れてみてください。
そのうち2枚を紹介。ご本人には当日「私は車を運転しているので・・できれば写真何枚か提供してくださいますか」と言ったら「フェイスブックで公開しますから」というので紹介することを了解されたものと解釈して・・・。うち一枚はわが妻も入っているし。森住さんの署名もはいっているからいいですよね。




「安全保障関連法案に反対する学者の会」のツイッターがおもしろい。昨日は、東京新宿伊勢丹前のホコ天を埋め尽くす学者と学生の共同行動の様子がリアルタイムで見られました。
ここでは、民主党蓮舫さん、共産党志位さんもツイート。全国のたたかいが凝縮したような集会でしたね。の中野晃一さんが「蓮舫さん、すごい」「志位さん、ロックスター並み。」と書き込んでいましたが、何じゃこれは。ただ熱気は十分伝わってきますけど。

SEALDsの若者が次のようにツイート。

りく「9月、戦争法案に反対する人たちの声はきっと最高潮になります。来週日曜日には大阪で、関西大行動を行います。もう一度、世論が高まったが、この法案が廃案になる時です。僕らのもとに民主主義を取り戻す時です。こっから、この法案を廃案にする最後の決戦がはじまります。」

紅子さん「私だってもとから政治に関心があったわけじゃない。国会中継とか別に見たくないし、スーツのおじさんが話し合ってるのとか見たいわけじゃない。だけどそこで話されてるのは私たちの生活の話だった。それに気付いたから、私は自分の頭で考えることをやめないし、黙らない。」


SNSの底力が遺憾なく発揮されています。

さて、こうした動きを見てくると、ひょっとして、いま私たちは、憲法の価値を再認識しとりわけ憲法第9条を自らのものと(血肉化=坂本龍一さん)しようとしているのではないか。
押しつけられたから変えるのではなく、アメリカ占領軍によってほとんど原案が作成されたとはいえ、世界の進歩的な平和・人権意識の高揚を反映して作成されたこの憲法。いざ日本が戦争国家への道を突き進もうとしている事態に直面して、ようやくその意味と価値を見いだし、自らのものとし始めているのではないか。これまでの戦争法案反対運動の高揚を見聞きし、体験してそう思うのです。
坂本龍一さんは8月30日に行われた国会前でのスピーチで次のように指摘しました。

ここに来て民主主義を取り戻す、憲法の精神を取り戻すということは、まさに憲法を自分たちで血肉化すること。とても大事な時期だと思います。

沖縄の分離、占領という代償のもとで、「本土」は日本国憲法体制下に入ります。沖縄を犠牲にすることによって、ある意味では「他律的」に「平和」を享受してきたといえます。
その「本土」は、辺野古に新基地が民意を無視して建設されつつあることによって、沖縄から照射されて憲法9条の持つこれまでの「あいまいな」とらえ方が試されることになったのではないのか。沖縄からこの憲法第9条の意味を根源的に問い返されることになったのです。

この憲法を「血肉化する」とはどのようなことなのか。それにはどうすればいいのか。これも、この安保法案への反対運動のなかで提起されているのではないでしょうか。
何より若者が、自分のコトバで考えを素直にのべ感動を与えているではありませんか。コトバが地についている。身体から発せられている。これは歴史的に見てスゴいことです。
私自身にとっては、このことは自らの70年の歳月を総括することでもある。私の人生の起点となった敗戦の意味を自らの頭と身体経験を通してつかみなおし、自分のコトバで語れるようにすることだと思うのです。もちろん戦争だけではなく、人生のさまざまな局面を。
そのためには、学問・研究に真剣に向き合っている多くの人たちから、今まで以上に学ばなければなりませんね。それらを鵜呑みにするのではなく、自分の体験、感覚、人間観に照らして自分のものにしていく作業を積まなければなりません。

・・・とまあ、硬いことをいつも書いていますが、実際は、農作業の一方で、ちょっとは本をひもとき、すっかり衰えた視力で目をしょぼつかせ、ちょっと読んではすぐに眠くなる日々ではありますが・・・。



  9月6日(日)
昼前からまた雨。前後の雨にはさまれて、昨日は本当に奇跡的に青空の広がる1日だったことになりますね。
昨日の軽トラパレードについては、信濃毎日はじめ、Sさんのブログ、森住さんのフェイスブック、いろんな人のツイッターなどで紹介されていて、運動の励みになっていることがよくわかります。
憲法かえるのやだネットのツイッター覧では、参加者を含め、いろんな人がコメントを寄せてくれていました。楽しい。
また写真もいろんな方がアップしてくれていました。そのうち2枚紹介しましょう。また大糸タイムスの記事も。





昨日は、松川村の方々が何人か応援にきてくれ、軽トラも2台参加してくれました。あとは勿論圧倒的に池田町の住民。しかし、信濃毎日の記事で紹介された声はなぜか松川村の方。池田町民の会のイベントならば、池田町の誰かの声を出すというのが常識的な記者の見識というものでしょうけどね。読む人は不思議に思うのではないでしょうか。

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沖縄では、昨日キャンプシュワブ前で3800人の集会が開かれました。あの狭いところに数百人でも結構ぎゅうぎゅう詰めなのに、これだけの人数が集まれば米兵もビックリの大変な状況だったろうと想像してしまいました。
写真は「チョイさんの沖縄日記」(上)および、沖縄タイムス(下)より。集会の録画はこちら。




いま問題になっているのは、新基地建設の工事中断を受けて翁長知事が公有水面埋め立て承認の取り消しも「中断」していることへの県民の不安、苛立ちです。この集会でもヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表が「翁長雄志知事は(9月下旬の)国連での演説前に承認取り消しを」と訴えたことに大きな歓声と拍手が起こったと報じられていました。
工事中断期間はこの9日で終了します。参加者の思いは、このまま政府が永久に工事を中断・停止し作業を諦めること。もし再開するなら翁長知事は即刻承認取り消しに踏み切るべきだというのが圧倒的な沖縄県民の意志です。
もし、政府が工事を再開するようなことになれば、この新基地が安保法案が狙う海外展開部隊の最新鋭基地になるわけですから、翁長知事は早晩埋め立て承認を取り消さざるを得ない。そうなれば政府にとっては大きな打撃となることは目に見えています。法案成立まで工事を伸ばすのか、期限切れで工事再開となるのか、いずれにしても沖縄からの激震が法案の行方にも影響を与えざるを得ないでしょう。



  9月5日(土)
お天気も味方してくれたか、軽トラパレードの時間だけよいお天気になって、無事大きなイベントが終了しました。
朝8時半から準備を始めた頃から、もう次々と軽トラが役場前に集結。9時半頃にはほとんどの車両がそろって、役場駐車場はのぼり旗をたて、思い思いの掲示をはり付けた車でいっぱいになりました。出発式まで多少時間があったので、希望者で記念写真撮影。全員入ればもっと良かったのですが・・・。参加者の半分くらいです。
集結した軽トラは33台。松川村、松本市からの応援も数台入っています。宣伝カー2台を入れて車両は全部で35台。出発式に集まった人たちは応援を含め総勢70人に達しました。
やっぱり田舎は「軽トラ」ですよね。生活感があり景色にも合います。
以下の写真の何枚かには大きな写真がリンクされていますので、印刷などにご利用ください。




午前10時丁度に「出発式」を行いました。まず帯刀呼びかけ人代表が「学生に『かわいい』と言われる軽トラが今日は勇ましく感じる。8.30国会行動には池田町から8人が参加、学者の会をはじめ全国で法案の撤回を求める運動が盛り上がっている。しかし、政府は9月中旬にも国会で採決しようとしておりこれからがいよいよ重要になる。ともに頑張っていきましょう」とあいさつ。
政党からは民主党から下条みつ前衆議院議員、共産党から両角友成県議会議員、社民党から長野県連の中川博司幹事長がそれぞれ激励の挨拶をし、維新の会の井出庸生衆議院議員がメッセージを寄せました。
さらにフォトジャーナリスト森住卓さんがわざわざ取材に訪れ連帯の挨拶をしてくれました。


牛越事務局長から軽トラ運行にあたっての注意事項を聞いた後、いよいよ一列に並んでパレードに出発。途中、信号がある県道ではばらけてしまいましたが、横道ではほとんど一列に並んで走ることができて、その姿はなかなか壮観。私はかなり後ろの方にいて運転していたので写真をとるチャンスがなかなかありませんでした。それでも途中隊列を整えるために整列したり、ゆっくり走っているときにはシャッターを押すことができたので、何枚か雰囲気を伝える写真を撮ることができました。
森住さんが先回りしてかなり撮っていらっしゃったので、そのうちフェイスブックでアップされるはず。期待して待っていることにしましょう。










次の写真は、事務局のSさんが撮ったもの。いや〜こうしてみるとなかなかのものですね。誤解のないように申し添えますが、だ〜れもいない田舎道だけを走っていた訳では決してありません。車の多い県道では、隊列が分断されて写真どころではありませんからね。


というわけで、今日の軽トラパレードは大成功。参加者からは、「このような催しには初めて参加したが楽しかった」「よく集まって感激した」「これだけそうろうと壮観だね」「町民の姿はあまりなかったけど、通行中の車にはそれなりにアピールしたかな。手を降ってくれた人もいたし」などという感想も聞かれ、これからの運動に大きな励ましになったのではないかと思われました。
このあと、相次いで10日には町民集会を予定しています。となり村での8.30集会には150人集まったといいますから、せめて100人くらいは集まらないと力にはなりません。気をぬかず頑張るのみ。



  9月3日(木)
ずいぶんと涼しくなって、あの暑い夏がうそのようです。気がつくと田圃では酒米なのか、稲がもう黄色く色づいていました。9月中旬ごろからはもう稲刈りがはじまりそう。
畑仕事もしなければならないのですけど、ここ当分安保法案の取り組みがあって、なかなか畑に出られない。結局秋野菜は葉っぱものくらいで終わりそうです。
都会では野菜が高騰してキュウリが一本200円とか。聞き違いかとも思いましたが、全体に高くなっていることは間違いなさそう。我が家では、夏野菜がそろそろ終わりを迎えていて、ピーク時よりは成りは悪くはなったものの、まだキュウリ、ゴーヤ、トマトなどは毎日食卓に上っています。あるもので何とかしのげるのは田舎の一番の利点。
先日、収穫の終わったキュウリのあとに、レタスを植えたのがですが、明くる日にはほとんど消えてしまい、その次の日には一本を除いて跡形もなくなってしまった。何が食べていったのか、こんなことは初めてなので、ただ目をパチクリするだけ。思いがけないことが起こるものですね。いつも順調にいくとは限りません。

話は変わりますが、一昨日のこと町民の会の文書を作成中に突然パソコンがシャットダウン、と思ったらパソコンが煙を吐き出した。ヤバイ!と思って、電源を切って蓋を開けてみたら煙がこもって焦げ臭い。しかし、どこが原因なのかわかりません。てっきりマザーボードのどこかがショートして発火したのかと思いました。
ケースをあけて恐る恐るもう一度電源を入れてみたら、DVDドライブの電源差し込み口からまたまた煙が。完全に融けて真っ黒になって周囲も黒くなっているじゃありませんか。
こんなことはパソコン人生でも初めてで、とにかく驚きました。焦げすぎて形状もわからないので、何が原因だったのか皆目わかりません。火が出なかったことだけが救いでしたね。メインマシンが火を噴いたなんてシャレにもなりません。
おかげで、作成中の書類はパー。幸い、他の部分には影響はなかったようで、そのドライブだけを取り外して電源を入れたら無事起動したので、胸をなで下ろした次第。こんなこともあるんですねえ。

昨日明らかになった河野克俊統合幕僚長のアメリカでの発言を見てみると、沖縄辺野古基地についても重大な問題が含まれています。
「しんぶん赤旗」で報じられた発言内容で沖縄に関する主なものは次のとおりです。

「普天間移設反対派の知事が就任したが、辺野古への移設問題は政治レベルの議論であるので方針に変更はないとの認識である。安倍政権は強力に推進するであろう」
「沖縄県知事選時にはリバティーポリシー(行動指針、米軍の夜間外出・飲酒規制)の実施、地域情勢に配慮していただき感謝する」
「沖縄県知事選時には普天間移設反対派の知事が就任したが、安倍政権は協力に推進するであろう」 「(オスプレイについての国民の不安は)以前に比べ低減された」「オスプレイに関しての不安全性をあおるのは一部の活動家だけである」
「辺野古への移転やキャンプハンセン、キャンプシュワブでの共同使用が実現すれば、米海兵隊と陸上自衛隊との協力が一層深化すると認識している。これにより沖縄の住民感情も好転するのではないか」


赤旗記事は「統幕長まるで”軍人政治家”」と書いていましたが、全くその通り。何様のつもりでしょうか。
昨日の審議での中谷防衛大臣の答弁から見えてくることは、幕僚長ら制服組が何をし、またしようとしているのかについて全くらち外におかれていること。out of controlだということです。
このような現状のまま安保法案が成立したら、自衛隊は米軍の指揮下に入りつつ自前の軍隊のつもりでどんどん海外への進出をすすめていくことでしょう。これまたout of control。
この一事だけでも、危険な戦争法案は廃案しかありません。



  9月2日(水)
またまたとんでもない文書が共産党仁比議員によって暴露されました。
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長が昨年12月の訪米時、オディエルノ米陸軍参謀総長に対して安保法制を「(衆院選での)与党の勝利により、来年夏までに終了すると考えている」(毎日新聞)と述べたというもの。他にもとんでもないことを会談していることが記録されているのです。下は仁比議員の質問全体です。(問題の箇所は24分あたりから)



TBSのニュース映像はこちらです。 国会で追及された中谷防衛大臣は「資料がどんなものかわからない」としか答えられない。先の統幕監部が先走りで法案成立を見越した計画を立てていたという構図と全く同じです。
もし防衛大臣が知らなければ統幕部最高幹部の暴走だし、知っていれば政府も共犯者になる。どっちにしてもシビリアン・コントロールなどどこ吹く風の自衛隊制服組の暴走ぶり。戦争法案の危険性はさらに高まったといわなければなりません。
こんなことは絶対に認められません。まず河野克俊統合幕僚長を国会に証人喚問すべきでしょうね。その上で事実を明らかにして責任者の処分を直ちにするべきだし、そもそも政府全体に責任があるわけだから内閣は潔く総辞職すべきでしょう。

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今日は中山さんの戦争体験第3回目です。
満蒙開拓青少年義勇軍として当時の満州に渡った中山さんが、敗戦を迎えて命からがら奉天までたどりつきます。生き延びるために苦心惨憺したあと、数ヶ月の後に意を決して帰国しようと朝鮮国境付近まで南下します。しかし、そこは中国共産党軍、いわゆる八路軍の支配下でした。
今回は入植地での若干のエピソードをはさんで、八路軍との遭遇からその後について聞くことにします。

中山隆之さんの戦争体験(第3回)
   八路軍との遭遇とその後

8.義勇軍開拓団でのエピソード

こぼれ話をひとつすると、満州には狼がたくさんいてね、夜警に立っていていちばんこわいのは兵隊よりオオカミだったね。あるとき、自分が飼っていた馬一頭と羊40頭が、朝起きてみたら骨だらけ。一夜でぜんぶ襲われた。一晩で馬一頭だよ、羊40頭が包丁でスパッと切ったようにやられていてね。
これは何とか退治しなけりゃと思って、オオカミの住んでいるところはどこだと中国の部落の人に聞いたがね。そしたら部落の人は、「中山さん、わるいけど、ここのオオカミには手を出してくれるな。頼むからそういうことは止めてくれ」と、こういうわけせ。
何しろその部落の人が言うには、オオカミというのは60キロの重さのものを持って8尺の土塀を跳び越えるというくらい凶暴だって言う。凶暴だけんども利口で、仲間を殺されたりしたら必ず仕返しに来て、豚やニワトリを食べちまう。で、共存でいくしかない、と近くの人がそう言うだいね。

9.八路軍との遭遇

統制のとれないところだったらどうだったか知らないが、奉天みたいな大きな都市になるとソ連軍の憲兵隊もいたりしてね(秩序はある程度保たれていた)。ただ、お酒が好きでね、時計とかもそうだが、酒を飲ませたりしていたね。
奉天を出たのは10月末くらいだったか、早く南に下がりたいというのと、冬になると食べるものがなくなるからということだったね。
北朝鮮の境までね、列車で何とか下ることができてね、そこですぐ船に乗れるわけにはいかないから、一旦降りたんだがね。(現在の)北朝鮮との境から引き揚げ船があるとウワサで聞いたもんで行っただいね。
今度は食べたり寝たり起きたりする場所がなけりゃということで・・・。私たち男だけなら何とでもなるけんども、女・子どもや同じ長野県の迷っている年寄りもいてそんな人たの面倒も見たりして、合わせると30人ばかしの食べるものや寝る場所を探すのが大変だったですがね。

ちょうどそこの地域の管轄がたまたま八路軍の統治地区だっただいね。そこの病院でお世話になることになった。
病院というのは、もとを正せば私が逃げるときにリュックサックの他にカバンを1つ持ってたが、そのカバンの中に注射器から聴診器なんかが入っていたわけせ。何故それを持っていたかというと、開拓団のときにそこにいた医者の当番をしていたんだが、終戦の時にはその先生は具合が悪くて先に日本に帰ったもんで、一時私がそこの留守番みたいにしていたから、逃げるときに万一病気にでもなったときにと思って、私が分かる範囲の薬やら注射器やら聴診器まで入れて、持ってきていた。
八路軍の調査のときにカバンの中を見て、「こういうものを持っているのは医者に違いない」ってわけだ。それがもとで、近くの野戦病院へ八路軍の憲兵が「こういう者を捕まえた」というわけで連れていかれた。当時、八路軍は医者や看護師がのどから手が出るほど欲しかったもんで、いや私はこういうもんだと説明しても、こんなカバンを持っているのは医者だろうと言う。そんなことが縁で病院の手伝いをすることになった。
「お前さんがそう言うならそれでいいが、それにしてもそれだけの人員を抱えて何とか生き延びなければならないだろうし、そろって国へ帰るまで何とかしなければならないだろう。我々が統治している地域であんたたちを見捨てる訳にはいかない。そうかといってただ遊ばせているわけにもいかない。病院の近くに空き家があるから、とにかくそこに住め」と。手の空いた者は野戦病院で掃除したり患者を運んだりしろと言ってくれただいね。
八路軍の接する態度がね、非常によかったもんでね,安心して任せてとりあえず帰るまで病院にくっついていようということになっただ。そこでは日本軍の医者とか日赤の看護婦とかが沢山抑留されていて、非常に頼りにされていた。
八路軍との関係はそれが始まりせ。

10.巻き込まれた中国内戦

それから少しずつ引き上げが始まった。
誰だって1日も早く帰りたいがね。そうはいっても一回の船で帰られる人数は決まっているもんでね、順番待ちとはいっても我先にとなるから非常な混乱が起きた。こんなことじゃいけない、何とか統制のとれた引き上げをしなけりゃいけない。それには何とか日本人の組織を作って、順番に女・子どもから病人を先に帰られるようにしようとしたがね。日本人の「居留民会」を立ち上げることになった。それで、女子どもや年寄りは順番に帰すことができた。

人の運命というのは分からないもので、私の運命もそこが1つの転換点だった。
一冬そこで過ごして、明くる年のたぶん夏頃だったか、最後の引き揚げ船が来ると八路軍の病院から連絡があって、最後の引き揚げ船だからお前たちそれで明日帰れと。当時残っていたのは若い仲間7人だった。
今までいろんなことがあって十分なこともできなんだが、体に気をつけてといって酒一升くれ、「今夜これを飲んで明日帰りなさい」と言ってくれた。さあ、私らは喜んじまってね、これでやっと帰れる、飲もうじゃないかというので、飲んでご機嫌で寝たわ。

明くる日、帰り支度していると、バンバンバンバンと銃声の音がしたわね。病院から連絡があって、「いま国民党軍が戦闘を仕掛けてきて、これから戦闘状態に陥るから帰国しようとしてもできる状態ではない、あんたたちはどうする」っていうわけだ。
帰れると思ったところに、藪から棒に戦争が始まった。そのとき八路軍の言い分は、「病院は安全地帯に下がるからあんたたちは一応私たちと一緒に下がるか、それともここにいて国民党軍の方に行きたいと言えばそちらへ行くのを止めはしない、それはあんたたち自身が決めろ」。
さあ、弱っちまった。これは。どっちがいいかわからんだもんね。
何しろ八路軍とつきあった関係上、ここにいれば身の安全だけは確かだ、しかも後方に下がると言ってるで、それじゃこのまま八路軍にお世話になろうじゃないかということになった。それから内戦がはじまっちまっただいね。
ソ連との国境の山の麓まで明けても暮れても後退後退でね。蒋介石軍はどんどん攻めてくるで、まして病院だから逃げるのに忙しくて最後にもうこれ以上下がれないというところまで来たら、それから一転攻勢に出ただいね。
今度は追っていくのが忙しい。どこにそんな力があったかっただか、やっぱり軍の指導の関係で最終的に国民の支持だね。八路軍というのは非常に質素でみすぼらしい軍隊だったが、精神的な道徳的な面は非常に立派だったでね、各集落で野営すると、明くる日になりゃ人員がだんだんだんだん増えてくる。若い人が我も我もと志願して、戦うたんびにみるみる軍隊が増えていったでね。
そうやって集まった田舎の兵隊さんたちだもんで、笑い話だが、奥地で育って平野部で走る汽車を知らないわけですよ。見たことがない。でかいものが「ゴッゴッゴッ」とくると目を丸くして怖がって、こんなのは中山が詳しいといって、列車が通るたんびに私の回りに寄ってくる。それくらい根は純粋でね。だから、日本人だからといってそこにいて肩身の狭い思いはしなんだね。

11.忘れられない中国人老婆の一言

中国人の日本人に対する態度は、いろんな見方があるだろうけれど、どうしてもみんなに伝えたいと思うことが1つあるだいね。
日本に帰ればおそらく満州に戻るようなことはないだろう。少なくとも今まで日本軍がやったこと、ノモンハン事件の拠点、日露戦争の南京、自分の目で確かめて、実際にどういう状況だったのか一遍見たいと思って旅行したことがある。
ある部落へ私が行ったとき、喉が渇いたもんで、水を飲ませてくれと田舎の一軒家に行ったら、そこのおばさんが快く接してくれて、お茶を出してくれた。帰りがけにそのおばあさん、何と言ったと思う。
「あんたこれから日本に帰るというだが、私のお願いが1つある。日本に帰ったら私の気持ちを是非伝えてもらいたい。
実は私は日本の兵隊に自分の夫と子どもを殺された。私一人が取り残された。しかし、今のあんたに向かって私はそれをどうこういうわけじゃない。
日本の軍によって私の家族は全滅したけれど、あんたの皮膚も私の皮膚も目の色も髪の毛も、コトバは違っても何も変わらない。なぜいがみ合わなければならない。なぜ殺し合わなければいけないか。仲良くできないものか。なぜケンカしなければならないのか。
私は過去のことについてはこれ以上言わないが、これからお願いしたいのは、平和であって戦争しちゃいけないということだけ。
日本に帰ったらこのババのいったことを伝えてもらって、日本も中国も世界の人も仲良くしなければいけないよ」

腹の中はどんなだったか、夫も子どもも亡くした70才くらいのばあちゃんがオレにそう言うだよ。これだけは忘れることができない。


ここまで読んで頂いていかがでしょうか。多少の編集はありますが、ほとんど中山さんが話してくれた通りです。
引き揚げ者から、中国八路軍の規律の正しさ、捕虜への人間的な対応については「ウワサ」として語られてはいましたが、その一方、八路軍の「洗脳教育」について誇大に喧伝する言説がネット上であふれています。
これも地域や時期によって異なっていただろうとは思いますが、中山さんの体験はひとつの重要な証言になり得ると思われます。
あるお年寄りが語りかけたというエピソードは、私が「中国人にひどいことをした日本人に、なぜ八路軍はこれほど人道的に対応できたのか」という問いかけに直接は答えずに、紹介してくれたものです。そうできたのは中国人の「国民性」かなあとも。中山さんがずっと忘れず大事にしているシーンなのではないかと思われました。
次回は最終回。引き上げから日本での生活までを聞きます。



  9月1日(火)
8.30国会包囲大行動について、大したことはないのだ、煽られているのだ、誤解だなどという声が報じられ、心ある人々の失笑を買っています。

まずはじめは菅官房長官。
記者会見で「一部の野党、マスコミから『戦争法案』『徴兵制の復活』などと宣伝されており、大きな誤解が生じていることはきわめて残念だ」(asahi.com他)とおっしゃっいましたね。
これについては「誤解しているのはそっちだろ」というのが大方の見解。辺野古新基地建設でも8割以上の県民の反対を「誤解している」というお方だから、自分に都合の悪いことはすべて相手の「誤解」となってしまう。もはやこの方の「習い性」か。
国会前で激励挨拶した小沢一郎氏でさえ、ツイッターで、「(官房長官の弁は)国民の理解能力を完全に馬鹿にしたものであり、安倍政権の政治姿勢をよく表している」と書いた。全くその通りですね。

続いて自己顕示欲の固まりの橋下大阪市長。
ツイッターを自己主張の1つの武器とする彼は今回も「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ?ほぼ数字にならないくらいだろう。こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」
何だか大いに勘違いしていらっしゃる。幻影におびえ吠えまくっている負け犬のような感じです。私だって、10万人が国会を取り巻いたくらいで自民党政治が終わるなんて少しも思わない。問題は10万人の後ろにどれだけの人々がいるかが重要なのですからね。それが彼には見えない。いやひょっとして見えているからよけい強がっているのかもしれませんね。
この国の人々は、ようやくこのくらいの規模の集会・街頭行動を行える実力を身につけてきた。これはあくまで第一歩ですが、巨大な一歩ですよね。漠然とした恐れを感じるが故に、彼は「デモで国家の意思が決定されるのは絶対にダメだ」と見当違いの遠吠えをしてしまう。

三つめ。産経ニュース(web版)はわざわざ「野鳥の会」よろしく参加者の数を数えてくれていました。その試算の仕方と結果が実におもしろい。まあ、ご覧ください。
「右の写真で白枠には約3600人入るから、白枠全体をあわせると3万2千人。国会周辺の人数を合わせても12万人になるわけないだろ!警察発表が正しい」・・・というもの。私、思わず笑ってしまいました。わざわざ参加者が12万人近くになっていることを実証してくれているのですからね。本当にご苦労さんです!
地方から参加した私たちは、当然のことながら国会正門前にはとてもじゃないがたどり着けない。国会図書館前の歩道を車道にあふれんばかりに埋め尽くして一旦場所を決めたら他には容易に移動できないほどだったのですから。
国会議事堂を取り囲んでさらに霞ヶ関から日比谷公園まで人人人ですから、当然のことながら正確な人数は把握するわけにはいきません。正門前の3,4倍の人がいたと推計しても不思議でも何でもない。朝から夜までの延べ人数を考えると30万人を超える人が集結したとする試算さえあるほどです。こうしたことを考えれば、産経ニュースの記事の異常さは際立っています。もはや自分で何を記事にしているのかさえ分からなくなっているんでしょうね。哀れでさえあります。

先にも書いたように、国民のたたかいの高揚をいかに低く見せ、どうということがないと印象づけるのかいろいろ苦心しているのは、滑稽以外の何物でもありませんが、それだけ国民のたたかいを恐れている裏返しでもあります。
今日付で、長野県出身の参議院議員宛に要請文を送付しました。もちろん送り主は「町民の会」。自民党には廃案にせよと要求し、民主党には廃案まで頑張れという要請を行いました。
仮に自公が強行採決の愚に打って出れば、もはや次の選挙での当選はないことを思い知らせればいいわけで、違憲訴訟、落選運動も含め運動は息長く続けることになる。
国会前の行動は学生が牽引車になっているという報道がありますが、それは一面的でしょう。学生を含む市民組織がどれほど地道に活動を積み上げてきているのかを見ないで、うわべだけの行動で全体を評価することは間違いだし、危険ですらあります。
国会前の大集会の活力を再び地域にもどし、都会の片隅でも、田舎町でも、広く深く法案廃案の声が満ち満ちたとき、安倍内閣の支持率を下げ、強行採決さえできなくさせるのです。それを担っているのは年代を超えた自覚的な人々の連帯行動なのだということ。このことに確信をもって、9月の一連の行動を成功させていくだけです。






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