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  10月31日(月)
あの戦争を経てもなおこの国の人々にとって、最も弱いものは「人権意識」なのではないかと思うことが多い。
身の回りでは、普段はそれほど意識することはないのだろうが、たとえば企業の中でいったい自分の権利がどうなっているのか、高齢者やシングルマザーになって、どうしてこうも生活が苦しいのか、日本全土の基地周辺で、なぜこのように騒音で苦しまなければならないのか、それらを考えたときに「人権問題」としてとらえることはあるのだろうか。
この人権意識の弱さが最も現れたのは、戦前から朝鮮・中国などのアジアの人々、国内では被差別部落の人々に対してだった。そして最近では朝鮮・中国は言うに及ばず、沖縄の人たちに対してその意識が再生産されているのです。

三上知恵さんは「沖縄撮影日記」のコラムで、大正11年12月に沖縄県出身兵教育のためにつくられた沖縄連隊区司令部のリポートの内容が一部紹介されていました。「本土」の支配者の側からの沖縄県民の「県民性」についての評価です。

・進取の気性が乏しく優柔不断で意志は非常に弱い 
・行動が鈍く、機敏でない 
・強者をくじき、弱者を助けるという男気、犠牲的精神というものが全くない 
・気力がなく、節度もなく、責任感が乏しい 
・向上発展の気概がない 
・婦人に優雅さがないことは他に類を見ない


「数少ない利点」として挙げられているのは、

・理屈を言わず安い報酬に堪え、使いやすい民である

というのですから、これを利点というべきなのかどうか。「利用しやすい点」という評価に過ぎないでしょう。
さらに、沖縄戦前夜に沖縄に駐留を始めた石部隊(62師団)が昭和19年に書いた会報にも、次の記述が見られるというのです。

・恩知らずで打算的な傾向が強い、女性の貞操観念が弱いので誘惑されるな。
・「デマ」が多い土地柄だから防諜上、極めて警戒を要する地域である
・住民は一般に遅鈍であるため事故が多い


復帰後はそんなことがないと誰が言えるのか。沖縄県民は、本土側の無意識に沈殿した抜きがたい差別意識と、米軍の差別という複合的な構造の中に沈められているといっても過言ではないでしょう。支配者の意識は優位な意識として拡散され容易に一般の人々の意識に定着する。
そうでなければ、機動隊員の中からあのような「コトバ」がでてくることは説明がつかない。
三上さんは過去の差別的な偏見を紹介した上で次のように書いています。

この構造が怖いのだ。まっすぐに目を見て「基地は作らないで」と訴える人々を前にまっとうな人間でいようとすると壊れてしまうから、冷淡な考え方をすることでやり過ごすのだとしたら、この基地建設のために何百人と全国から送り込まれてくる若者たちの心がどんどん歪められていくのではないか。
残酷な差別主義者にならなければ到底やり過ごせないような理不尽な仕事を、正義感溢れて職務についた機動隊や海上保安庁の若者に押し付けていく政治のあり方を根底から問うべきではないのか。
これは、「沖縄は私たちとは違う土人の島だから、防波堤にしてしまってもいいんだ」という議論に行き着く。
今まさに70年前を想起させるような南西諸島の軍事要塞化がすすんでいる。有事の際真っ先に攻撃されるのは沖縄の人たちだろう、とうすうす気づいていながらも、自分たちの残酷さを正当化する理屈を100探している国民がいる。
お金をもらってるんでしょ? 
基地はないとこまるんでしょ? 
中国のスパイなんでしょ? 
左翼思想で騒ぎたいだけでしょ? 
そんなあらゆる言い訳の一つとして「土人が!」が存在すると思う。人種差別の問題だけでは見えてこないのが、誰かを防波堤にして自分は生き残ろうとするあさましさであり、そのあさましさを隠すために差別を作り出していくという側面を考える必要があると思うのである。


私が中学生だった頃のことでしょうか。ある日、何かの話の中で被差別部落の人たちが県内にもいるという話がでたとき、父が指を4本立てたのです。「よつ」という意味です。「エタ」とか「ヨツ」というのは部落の人たちへの強烈な差別表現ですから、うすうすそのことを知っていた私は衝撃を受けた記憶がありました。「この父にしていったいどんな教育や体験をしてきたのか」・・・。
意識は継承され、その時代に応じた新たな差別意識として何度でも再生される。無くするにはそのような意識と自覚的にたたかうしかないのです。
「人権」という切り口で、福島の原発事故による人災、若い命を死に追いやった電通などブラック企業、貧困率が先進国でも最悪の子どもの貧困などの問題を追及していかなければならないと思うのです。人権意識の希薄さの上に安倍政治が成り立っているともいえるからです。



  10月29日(土)
ときどき雨が降ってくれるので農作物にはありがたいのですが、今年は気温が高いせいか紅葉がほとんど見られません。近くの大きい公孫樹の木はかなり黄色くなってきましたけれど、わずか300メートルほどにあるギンナンの出来る同じくらい大きな木はまだ緑のまま。銀杏も実が少なくて葉が緑のうちからどんどん落ちているのです。どこかおかしい。
そういえば、庭のレンギョウの木に2輪狂い咲きの花を見つけました。露に濡れて、ポツンと咲いている花は、迷い子のような感じで哀しそうに思えたことでした。






私は午後から松本で開かれる子どもの貧困を考えるシンポ実行委員会主催のシンポジウムに参加し、そのあと仕事です。下はその紹介記事。
このシンポは私が参加している「こどもじゅく」を主催する反貧困ネットなどが実行委員会をつくったもの。民間と行政が連携してこうしたとりくみを強化しつつあることは心強いことです。




  10月28日(金)
核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す決議案が国連総会の委員会で採決にかけられ、123か国の賛成多数で採択されましたが、アメリカなどの核兵器の保有国に加え、アメリカの核の傘に守られ、段階的な核軍縮を主張している日本も反対に回りました。(NHKニュース)

これは今日一番のニュースでしょう。
日本政府の言い分は「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して段階的に進めるべきだ」というもの。しかし、これは為にする議論です。
なぜなら、これまで再三にわたって国連で核廃絶への道が模索されながら実現しなかったのは、核抑止力論にしがみつく一部の核保有国のエゴだったからです。「段階的」とは核廃絶の道を永遠のかなたに置こうとするものだということを多数の国々が見抜いたからこそ、核兵器を法的に禁止しようとする条約を求めるうねりが起こったのです。その意味で日本政府の立場は犯罪的ですらある。国際世論のいい笑いものですね。

つい先日、連合(全日本労働組合総連合)が、参議院選挙での野党共闘の総括文書を正式決定したというニュースがありました。問題はその中身。次期衆議院に向けて野党共闘には「政策の一致が不可欠」として、共産党とは「一線を画すことが大原則」だと書いているらしい。
神津里季生会長は、この8月にも「連合は民主的な労働運動を行ってきた組織であり、歴史的な経過もある。共産党が党名と綱領を変えるような本当の変革を考えているなら別だが、共産党と互いに信頼できる間柄にはならない」と述べましたね(産経新聞のインタビュー)。今年の新年の交歓会でも『共産党は目指す世界、目指す国家体系が異なる。同じ受け皿には成り得ない』と挨拶しました。どうやら共産党とは目指す世界が違うけれど、資本家とは目指す世界が同じであるらしい。
連合が民進党に「共産党と縁を切れ」と迫るには、もちろんそれなりの事情があるわけで、労働組合運動の右翼的再編の一翼を担ってきた歴史的経緯だけではなく、最近の「事情」もあるのです。
最も大きなものは、傘下の化学総連(住友化学や三井化学、昭和電工など大手化学メーカーの労働組合で構成する産業別組合:4万6500人)が参院選の直前に連合からの離脱を決めたことがあります。その理由が「民進党が共産党との選挙協力に踏み切ったことへの反発」というのですから、どちらを向いている労働組合なのかがそもそも問われるのですけれど、「労使協調=労使一体」型の労働組合としては特段珍しいことではありません。
さらに、組合員約200万人の金属労協も、「連合との政治協力解消を決めた」ということらしい。連合からの離脱ではないけれど、「金属労協に所属する5労組(自動車総連・電機連合・JAM・基幹労連・全電線)も連合離脱の動きを見せ始めた」(総合情報誌『選択』6月号)という情報も。こうなると連合にとっては死活問題ですからね。
こうした動きの中で、先の衆議院補欠選挙東京10区では、10月20日の野党4党の幹部が並んだ街頭演説に連合の横やりで候補者自身が来なかったという前代未聞の事態が起こりました。
その直前には、鈴木候補の勝利と野党統一を願う「勝手連」に、鈴木選対事務所から次のような電話があったと勝手連広報担当者は明かしていました。

それまで支援をしてきていた連合東京が、お手伝いから引き上げるということも考えうるので、他党との共闘の絵は撮らせられない。

結局民進党本部は連合に「配慮」し、他党に選挙協力を要請しなかったのでした。

このような民進党の体たらくに、10月24日の日刊ゲンダイは「選挙で民進3連敗 野田幹事長と連合はまるで“減票マシン”」という記事を載せました。まさに言い得て妙です。

野田氏は東京10区、福岡6区でも“アリバイ程度”の演説に立っただけ。しかも、この期に及んでも、「これからも民進党は独自候補を出し闘う。現在、共産党との共闘は考えていない」とか寝言を言っていた。新潟県知事選で「自主投票」となった民進以外の野党がタッグを組み、圧勝とみられていた自公を破った現実からナ〜ンも学んでいなかったのだ。
これじゃあ、「大人の対応」をしてきた共産党が怒るのもムリはない。志位和夫委員長は都内で開かれた講演で、「国民の切実な願いに応えて一致点を見つけ、協力するのが政党間協力の当たり前の姿だ」と苦言を呈していたが、これがまっとうな政治家の見識だ。


この記事の末尾では、「民進党が安倍政権を倒すには、野田氏のクビを切り、連合と決別することが不可欠だ」と書きました。小気味のよいまっとうな批判です。「まともな市民感覚」の持ち主なら、大抵はこの主張に頷けるはず。

「連合」が「組織の存亡」をかけて「初心」である労働戦線の右傾化に奔走すればするほど組織内でも矛盾が広がり、一方、多数の連合出身議員をかかえる民進党は、市民へのいい顔をしようとすればするほど連合からも出身議員からも見放されるし八方ふさがり。どっちもピリピリ、イライラしているというのが現在の状態なのでしょう。
結局、創価学会ぐるみの公明党と同じように、連合に頭が上がらない民進党が、その労組依存体質から抜け出さない限り再生への道はないということです。むしろ、市民団体などの奮闘によって、民進党が連合という泥船と一緒に沈んでいくという構図をより鮮明にしてきたというのがことの本質ではないのでしょうか。
民進党が立ち直れるとすれば、安倍政権にきちんと対峙し、国民多数が望んでいるくらしや権利、平和の問題で=具体的には戦争法、TPP、労働法制、社会保障、原発、沖縄基地、憲法などの問題で=国民が納得できる方針を指し示すことができるかどうかなのです。
地域組織のない議員政党ではなく、国民各層に基盤をつくり、その要求に真に答えられるのかどうかにかかっている。共産党排除を前提とせずに、幅広い共闘にイニシアチブを発揮できるかどうかでしょう。そのような方向を連合が拒否するなら、それは民進党ではなく連合の沈没なのですから、放っておけばいい。

さて、長野県で、次の衆議院選挙にむけて共産、民進、社民が対等の立場で共闘の話し合いをすることができるのかどうか。そのカギは、やはり市民の側の下からの運動と熱意にあるのでしょう。参議院長野選挙区でそのことを立証したのではなかったのですか??



  10月27日(木)
MNEMOさんのブログでとりあげていただいた昨日の白い虹の写真、本当はきれいな「虹色」を期待して外に出たものですから、「なんじゃこれは?!」という感じだったのです。でもMNEMOさんの見方や感じ方はまるで違っていましたね。さすがです。


実は、何枚も写真をとり、合成しようと連続写真も撮ったのに、すべて右と左の明度や彩度が違って全部失敗してしまいました。がっかり。
かすかに外側に色がついているかいないかに見えるこの白っぽい「虹」をみて実は驚いたことがひとつあったのです。それは虹の足が直ぐ近くだったこと。わずか数メートル先という感じだったんですね。しかも半径がとても小さい。私を中心に半径10メートルぐらいという感じでぼんやりと見えたのです。それもそのはず、霧はすぐ近くにあったのですから。
ネットで調べたら実はかなり珍しい現象で、「白虹(ホワイト・レインボー)、または霧虹」という虹なのだそうですよ。余りにも霧の粒が小さいために7色に分光されないのだそう。ネット上には沢山の似たような画像がアップされていました。
そんなこと全然知らずに、何だかシケた虹だなあとがっかりしたというのが本当の所だったのでした。
よくよく考えて見れば、霧が発生する確率はかなり高く、東から昇る日に照らされるのは北アルプス側ですから、ひょっとしてこれまでもよく出現していたのかもしれないのです。知らないというのは情けないことですね。
普通虹といえば必ず7色で、遠くに橋がかかったように見えるもの・・・そんな気がしていたのですもんね。10年前に見たあの奇跡のような虹があまりに凄かったから、虹の固定観念が出来てしまっていたのかもしれません。


あとから考えて見ると、もし私が空中に浮かんでこの虹を見たとしたら、きっとま〜るく見えたに違いない。そうなったら、これはブロッケン現象ですね。今度から深い霧の日は、よくよく注意して見ることにしましょう。びっくりするようなのが見られるかもしれません。

今日の昼頃だったか、女川の町会議員をしている高野さんから電話があり、11月中旬に沖縄に行くので是非案内してほしいという依頼を受けました。私にガイドがつとまるのかどうか。ま、レンタカーがあるので、そこは融通がきくでしょう。
女川では、被災し全て流されてしまった自宅もようやく再建でき、10期目の町会議員として勢力的に活動されている高野さん。女川の復興に日夜奮闘されている忙しい身ですから日程をやりくりするのが大変だったようですが、そこは割り切ってゆっくり日程をとってくださいと伝えておきました。3泊4日程度といっても沖縄はそれこそ無数に訪ねたいところがあります。あまり無理をしないでガイドできるように私もちょっと準備しないといけませんね。いっしょに回れるのが楽しみです。
MNEMOさん&「ゆかいな仲間たち」も、日程をやりくりして沖縄へ是非どうぞ。
もちろんこれをお読みのみなさまも、辺野古や高江にいっしょにいきましょう。



  10月26日(水)
久しぶりに霧の朝。早朝は全く晴れていたのに、日が昇るにつれて霧が流れてきて、あたりは薄暗くぼんやり。そのうち少しずつ日の光が見えてきた頃、目の前を見ると細かい細かい水滴が漂っているのがよく見えました。雲の中もこうなんでしょうね。


我が家のほうはかなり霧が晴れ、アルプス方面にまだ霧がかかっていたので、多分虹がでているのではないかと予想を立てて出てみたら、七色とはとてもいえないぼんやりとした虹がみえただけ。木立からの光の方が何倍もきれいでした。




今日も作業日。午前中はバラ園で、車椅子通路の整備をお隣さんと2人でやりました。大体の形は出来たのですが、完成まではまだまだ遠い。近くではキジが遊んでいました。




午後からは畑に妻と畑に出かけ、午前中にマルチをしたところへ、ニンニクとタマネギの植え付け。ほぼ全て完了することができました。
ずっと力仕事ばかりやっているので、頭がまるで働かない。今日はゆっくりして早く寝ることにします。



  10月25日(火)
朝は北アルプスもきれいに全景をあらわして、山々の中程が紅葉しているのがよく見えました。まもなくそれも山裾まで降りてくるのでしょう。
午後からポツポツと降り出して夕方からはしとしと雨に変わってきました。明日には晴れるのでしょうが、ひょっとしたらこの雨は白馬山系では雪になっているのかもしれません。もし明日アルプスが見えるなら、初めての冠雪ということになるのかも。
今朝はまた霜が降り、長野市では初霜ということでしたが、池田はもうかなり前に降霜があり、これからは晴れの日は毎日のように霜とたたかうことになりそうです(車の窓が氷で覆われる)。
午後からの雨に備えて予定通り耕耘機を軽トラに積んでいって2,3度耕しました。その上で明日マルチができるように畝作り。約1時間ほどで作業も終わり、ネギやニンジン、ダイコン菜を取ってかえってきた次第。
夕食は、妻がボーリング友達からもらってきた里芋を使って「お煮染め」(私の当番)。里芋はやわらかく、これまた友人からもらったゼンマイも程よく味がしみてうまかった・・・と自画自賛。
それにしても、都会では小松菜までがとばっちりを受けて、ずいぶん高値になっているとニュースで紹介していました。この先、どのくらいの年月になるのかわかりませんけれど、こうした天候不順や災害などはいくらでも起こりうること。そのたびに野菜不足や高騰があるようでは、庶民はたまったものではありません。
高齢化や不便地などで利用されない土地が結構ある田舎でも、この先温暖化やTPP(もし強行されれば)などの影響でどうなるか全く予断を許しません。野菜が多くあるとはいっても、農業資材、肥料などの高騰があれば当然生産物にもはね返るわけで、食糧の自給を本気で考えていかないとトンデモないことになる危険があります。田舎にいてさえ、そのようなことを考えざるを得ない事態となっているのです。

さて、昨日のこと、たまたま信濃毎日新聞の囲碁欄に目がとまりました。いつもは全く見向きもしない欄なんですが、「井山の大長考」という見出しがいやに気になったからでした。
この勝負は、先番の井山裕太棋聖に村川大介8段が挑む5番勝負です。井山裕太さんは囲碁界史上初の七冠達成者(棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段)という恐るべき実力の持ち主!!そんな程度の知識はあっても、もっぱらコンピューターと遊ぶ程度の私にとってはプロの棋譜などは高嶺の花、あまりに難しくて目がむかなかったのでした。
しかし、ですね、やっぱりプロの碁ってすごいなと思わされたのがこの棋譜だったのです。そうしむけた解説者の策にハマってしまったのかな。
村川8段が「静かに投了」するところまでの何日分かを見ていたら、妻が「囲碁に目覚めたの?」と聞いてきた。へたの横好きでたしなむ程度ですから目覚めるも目覚めないもないのにね。
そこで、何ヶ月ぶりかで実力7段の「銀星囲碁16」を立ち上げ、5子を「置かせていただいて」打ち始めたのです。するとどうでしょう、何かいままでとちょっと違う。プロの碁を見たせいでしょうかね。約60目の大差で私が勝利したではありませんか。初勝利ですよ。早く投了しろ!と私が叫んでいても、銀星囲碁は一向に投了しない。結局最後まで打たされたのは、ひょっとして私が最後に大ミスをしでかすかもしれないと思っていたからなのか。クソッ。
今度「銀星囲碁16」と「天頂の囲碁6 Zen」と、7段同士でたたかわせてみるかなあ。以前のバージョンでは銀星が強かったけど・・・。
こりゃ、やっぱりプロの棋譜を研究するに限る、そのことを実感させられたのでした。近所の3段のお友だちにも他流試合を申し込まなければなりませんね。でも今日やったらまた大負けするのかな。



  10月24日(月)
ようやく畑仕事も終盤に近づいてきました。
今日の仕事は午前中「落花生の収穫」。普通の小粒のマメと大型の「オオマサリ」を植えたのですが、普通のマメは全然うまくサヤが膨らんでいない。芽出しからうまくいかなかったのが祟ったのか、収穫量は昨年の半分以下です。
それに大して「オオマサリ」はまあまあの収穫量。粒が大きいので余計にそう感じるのかもしれませんが。沢山植えた割りには、収穫してみると「何だこれだけ?」という気になってしまいます。
午後からは、干し柿用に、知人宅で柿の実を取らせてもらいました。黄色く色づいた大きな「蜂屋柿」です。知人の敷地内には沢山の柿の木があって、取らせて欲しいと頼むと、もう取らないから全部とってもいいよと何とも気前のよい返事。
しかし、何しろ木は大きく、敷地も段差がハンパではないので、大きな梯子と枝切り用の長ばさみを使って悪戦苦闘しながら、妻と2人で結構な量を取らせていただきました。
今年は柿の当たり年なんですかねえ、近所ではこれでもかというほどの柿がたわわに実っています。蜂屋柿は有名だし、つるし柿には最適なので、ほとんど収穫されますが、それ以外の柿はたいてい冬の鳥のエサ。「もったいない」というコトバがつい口をついて出てしまいます。
やはり問題は柿の木の大きさ(高さ)なんでしょうね。梯子を使っても絶対に取れない高さに沢山実をつけるのですからやむを得ません。高いところも取れるようなはしご車でも使って、専門に取る仕事をアルバイトでやれば、それなりにサイドビジネスになるという気がします。

柿の収穫の後は、再び畑に行き、落花生を全て収穫し終わり、肥料をまいて今日の仕事は終了。明日は午後からどうやら雨らしいので、午前中は耕耘機で耕して畝作りまでやってしまおうと思っています。そこにはタマネギを植え付けるのです。タマネギの苗はすでに予約してあり、今日取りに行って仮植えをしておきました。
このタマネギの植え付けと、エンドウの種まきを終われば、本当に今年の仕事は終わりとなります。あと少しです。

話は変わりますが、11月下旬頃大地震・津波の被災から5年を経た東北女川町で「餅つき大会」を被災地支援ネットワークの有志が計画しています。私自身はちょうど沖縄滞在中なので残念ながら出掛けることはできませんので、そこはタフな仲間たちがどんどん計画を進めてくれていて頭が下がります。
先日もネットワークの仲間たちが農業祭で女川のサンマを販売、1時間で完売したとのことでしたが、今日も「突然ホタテが来た、何枚かどうですか」と連絡が入りました。ホタテの予約はすでにしてあったのですが、到着が「突然」ということだったのでしょう。さっそく、マネージャーのお宅まで出掛けて6枚仕入れてきました。
夕食はもちろんホタテの刺身。ホタテの貝柱を切ろうとちょっと隙間があいていた貝に指を入れたら、パチンと挟まれてしまいました。まだ頑張って生きていたのでしょうね。刺身にしたら、いや〜〜、美味しいこと。最高でしたよ。
飼い猫のハルちゃんにほんのちょっとお裾分けしたらペロリと平らげてしまいました。味がわかるんでしょうね。ごちそうさまでした。今日は3枚、あしたも3枚刺身です!!



  10月23日(日)
シリーズ「若者よ、マルクスを読もう」の番外編「マルクスの心を聴く旅」が出たので、昨日仕事の前に丸善に寄って買ってきちゃいました。
前2作の著者である内田樹さんと石川康宏さんに加え、ドイツ語翻訳家の池田香代子さんが初参加。マルクスの生誕地や資本論執筆のイギリスに出かけて見聞を広げ、旅をしながら対談する、旅行に参加した人たちと交流もするといった旅の記録と感想ですから読みやすい。これまでとは趣向の異なる楽しい読み物となっているのが「番外編」の特徴です。

ソ連が崩壊してから、「共産主義は死んだ」と言われながら、むしろスターリンまみれ、レーニンまみれのマルクスの衣がすっかり剥がされて、マルクスの時代にもどりマルクスそのものの思考にかえってマルクスに親しもうという気運が高まっているのは、まさに時代が求めているのではないかと思わされます。
先鞭をつけたのが日本共産党の理論的リーダーの1人である不破哲三さん、というのも興味深いところです。
この本で、マルクスの著作や手紙のほとんどが原文および翻訳で読めるのは「ドイツ語、ロシア語、英語、日本語」だけという指摘がありましたよ。アジアでは本当に日本だけ。マルクスの著作をすべて翻訳しようという「新メガ」の作業には日本の学者も参加しているし、東アジアで自由にマルクスの全著作にアプローチできるのは日本だけ。内田さんは、日本は「例外的な国」であり、それゆえ「誇るべきこと」だと語っていますが、その実感は旅をしてみていっそう強く感じられたのでしょうね。
この国で積極的な言論活動を行っている内田さんのような方が、マルクスの読み直しや自由な関わり方を主張して、旗幟鮮明(共産党)な石川さんと対談を深め、若者に向かって「マルクスを読もう」と呼びかけているんですから面白い。
「こう読め」ではなく、自由に好き勝手に読もうと主張するのは内田さん。ご本人も、「マルクスのレトリックと諧謔性と嫌みの言い方と、とにかく飛躍」がいいといい、「知の持っている力というんでしょうか。例外的な、超人的な知性を持っている人が、何か目の前のものごとをバリバリバリ!っと分析していくときのその力業です」という。
一方の石川さんは、「『かなしみに耐えて革命に身を捧げたマルクス』というふうに美しく描いてしまうのは間違っている」といい、経済観念が無く、字が下手、家政婦に子どもを産ませ、無類のヘビースモーカーというようなことも含めて丸ごとその人物を見るべきだとのべて、「マルクス原理主義」になっちゃいけないよと諭すのですから、なかなか面白い。
日本やアメリカで特徴的な資本主義の暴走という現実の前で、今日のNHKスペシャルなどはまるで見通しを語れないほどでしたね。そんな中、こうして自由に奔放にマルクスを読み、語り合えるというのは幸せなことです。



  10月21日(金)
沖縄に移住し、連日高江でヘリパッド反対の運動を続けている北上田さんのブログを読んでいると、沖縄での政府・防衛局のあまりに理不尽なやり方に腹がたって仕方がありません。
まず、本土であれば間違いなく検挙されるだろう違法ダンプがまだ相変わらず平気で走り続けている。多数の警察がその場にいながら、何のおとがめもなし。
「複数の道路車両運送法違反の疑いがあることについて(稲田防衛大臣が)『事業者として受注者に対し、改善するように指示した』と明らかにした」(琉球新報)と18日に報道されたものの、全く効果はありません。
上山田さん達が陸運事務所に連絡したのはちょうど1週間前。ところが昨日20日にも、下の写真のように「なんと荷台の側面と後ろで番号表示が異なっている。ダンプ規制法第4条違反」(北上田さん)の車両が堂々と走り、機動隊はこれを規制するどころか逆にこれを止めようとする市民を排除、ゲートから中に入れようとしたというのです。


「運輸部が行うのは、ダンプトラックの所有者に対してハガキを出すだけという。それもいつになるのかも分からない。あまりの生ぬるい対応に皆の怒りが爆発した」と、交渉に出向いた北上田さんは書いていました。違法ダンプは野放しにしているのに、「有刺鉄線を切った」として山城博治さんを狙い撃ちして逮捕するこのやり方。

違法といえば、北上田さんも書いているように、円形のヘリパッドと工事用車両の道路のために、防衛局は「2万4千本もの立木を伐採」しているのです。
第1に、「沖縄防衛局が沖縄森林管理署との事前協議をせずに立木を伐採」した点。
これは沖縄森林管理署が沖縄防衛局に出した「国有林野の使用承認書」に明白に違反(胸の高さ(地上120センチ)で直径4センチ以上の立木の伐採については森林管理署との事前協議が必要)する無断伐採だったのです。稲田防衛大臣はこれを認めながら、工事は続行すると強弁しているのですから無法もここに極まれりです。伐採の模様については田中龍作さんのブログにくわしい。
第2に、自然生態系への重大な影響に何ら考慮していない点。
原生林の残るやんばるではとくに貴重な高い樹木を大量に伐採し生態系を狂わせることや、希少生物の生存にも大きな影響を与えることなどの問題点について、琉球新報がこの12日にくわしく報道、警告を発していました。
朝日新聞社による上空からの映像がYoutubeにアップされています。


現在も毎日早朝から続けられている現地でのヘリパッド反対のたたかいを考えるときに、そもそも論が是非とも必要です。何故、何のためにこのようなものが作られようとしているのか。なぜこれほどまでに住民を排除し、強権的に進められているのか、などです。
この高江のヘリパッドは1996年のいわゆる日米間のSACO合意(沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告)に基づいて、北部演習場の一部を返還する代わりに「@北部訓練場の残余の部分から海への出入を確保するため、平成9年度末までを目途に土地(約38ヘクタール)及び水域(約121ヘクタール)を提供する。Aヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する」ことを約束したことに基づくものです。辺野古での新基地建設もこの「合意」に基づくもの。
これらにかかる費用はすべて日本側の負担です。いったいどのくらいになるのか、全体像を知りたいと思っても今のところ全くわかりません。何しろ、日米地位協定第24条には次のような規定があるのですから。

1 日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、2に規定するところにより日本国が負担すべきものを除くほか、この協定の存続期間中日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される。
2 日本国は、第二条及び第三条に定めるすべての施設及び区域並びに路線権(飛行場及び港における施設及び区域のように共同に使用される施設及び区域を含む。)をこの協定の存続期間中合衆国に負担をかけないで提供し、かつ、相当の場合には、施設及び区域並びに路線権の所有者及び提供者に補償を行なうことが合意される。


工事が「円滑」にすすむように民間警備会社(ALSOK)を雇い(2016年度だけで8億円)、本土から多数の機動隊員を沖縄に国費で派遣し、沖縄の土建会社と不明朗な契約を結んでいるのです。

日本政府は住民自治、県民の意思などは一切無視しても、「対米公約」であるSACO合意を最優先に、その履行に突き進んでいるというのが、あらゆる問題の根源だということを忘れてはなりますまい。これは政府自民党による「戦争国家づくり」の重要な一環でもあるのです。
そして、それを可能にしているのは、本土との意識差、温度差を巧妙に利用して作り出された沖縄差別なのです。この根源にもっともっと目を向けていくべきでしょう。それは明日の我が身のことであり、この国のあり方にストレートに関わってくる私たちの「生き方」の問題なのですから。



  10月20日(木)
まだ40代の初めでしたかね、当時教職員組合の役員をしていた頃のこと、北陸電力の本社で原発着工に乗り出したことに抗議して交渉を持ったことがありました。その際に、とにかく「安全だ」ということと「安上がり」の2点を強調していたことが思い出されます。それよりさらに数年前に訪れた福井の関西電力美浜原発での説明も同様でした。
今日の報道ステーションで志賀原発のニュースを聞いて唖然としました。「原子炉建屋に雨水約6.5トンが流入し、照明機器の電源盤がショート」が起こったというのです。「想定していなかった事故」だというのは一体どういうことなのか。
放送では、運転中ならとんでもないことになっていた可能性があるとしていましたけれど、F1での教訓が何も生かされず、原子力規制委員会が「原発の新規制基準に不備がないか調べるよう事務方に求めた」というのですから、何をかいわんや。地下に非常用電源を置く危険性は十分い認識されていたはずなのです。
1号機は活断層の上、2号機は雨水じゃじゃ漏れ。しかも1,2号機とも過去に重大事故から小さな事故まで引き起こし、問題続きだったのです。今後どんな問題が生じていつ制御不能になるかわからない。とりかえしのつかない事故を引き起こす前に、どちらも即刻廃炉するしかないでしょう。

18日に山本有二農水大臣が自民党の佐藤議院運営委員長のパーティーの席上で言い放ったのが次の発言。昨夜のニュースではこの発言部分が放送されていました。TBSニュースでの録画はこちら。

「TPP委員会は今回批准するときに必ず強行採決するやろ」と、総理にみんな聞くわけであります。私は内心思っております。強行採決するかどうかは、この佐藤勉さんが決めるんであると。ですから私ははせ参じたわけでございます。

20日前にもTPP特別委員会理事の自民党・福井議員が「TPPの委員会で西川先生の思いを強行採決という形で実現するよう頑張らせていただきますんで」と発言し辞任に追い込まれたばかり。
その直後に、安倍首相は国会で「そもそも我が党において、今まで結党以来、強行採決をしようと考えたことはないわけであります」と述べていた矢先、実は強行採決するんですと所管大臣が言い放ったというこの無様さ、何なんですかねえ。巨大与党の奢り、政治の劣化というには余りに低レベルじゃありませんか。管官房長官は「誤解を生じかねない」として厳重注意したというけれど、誤解の生じようがない幼稚で破廉恥な放言・暴言です。「撤回」しても発言自体は消すことができませんよ。しっかりと私たちの目と耳に焼き付いていますから。即刻辞任しなさい。

TPPについては、9月末の国会冒頭に「協定文書と協定の概要説明書の計18カ所に和訳の誤りが判明」したばかり。もともとTPPの交渉資料については、4月初めに国会にさえ「黒塗り」の資料が提出され、それ以後全く事情は何ら変わっていないのです。当時の西川公也委員長がTPP文書は黒塗りなのに内幕本を出版することが判明して物議を醸したのは記憶に新しいところです。
TPP協定の全文は「TPP政府対策本部」の発表として内閣官房のホームページに全文が掲載されていますし、これに対するQ&Aも載せているのですから、交渉経過について詳しく報告しても何ら問題はないはず。
ただ、シロウトがこの全文を読んでも、ほとんど意味不明でしょうね。専門家が詳しく解明し、国会でも説明責任を尽くすことが最低限必要です。にもかかわらず、先ほども書いた「強行採決」。つい先日も輸入米の価格で輸入業者から卸売業者に「調整金」が払われて国産米より安く販売されている疑惑が暴露されたばかり。

アメリカ大統領選挙で、優勢といわれるクリントン候補が協定文見直しに言及していることはすでに報道されているとおり。しかし、その意図は、TPPそのものに反対しているのではなく、よりアメリカに有利な協定となるように再交渉しようというもので、あくまでアメリカ国民世論に押されたものです。
もし、そのようなことになったら政府・自民党はどのように対応するのでしょうか。結局アメリカのいいなりにまた協定し直すということになるのですかね。

話は変わりますが、昨日の「しんぶん赤旗」で発表された「北方領土」についての提言「日露領土交渉の行き詰まりをどう打開するか――「日ソ共同宣言」60周年にあたって」はタイムリーで、さすがと思わせる内容でした。
千島列島が日本の領土であるという共産党の主張は、ずいぶん前に歴史的な経緯を踏まえて詳しく解明されており、自民党の4島返還と一線を画するものでした。ソ連時代から島としても交渉に当たっていて、道理を踏まえた主張を続けてきたことは特筆に値します。
政府・自民が歯舞・色丹2島先行返還で日ロ平和条約という卑屈な対応を押し出してきた局面で、正面からこの領土問題を主張した意義は極めて大きなものがあると私は思います。



  10月19日(水)
従妹とは、妻と東京に出かけたときにほんのわずか会っただけの機会が最後で、それから何年になるのかわからないほど時間がたってしまいました。ようやく念願叶って我が家でゆっくり過ごせる時間をつくることができましたね。
お互いずいぶん年をとって、親戚関係でも何人も亡くなった人がいて、話すことも結構それに関することが多かったのはやむを得ないことでしたかね。でもお互いに元気で昔と全然変わらずにずっと”しゃべり通し”というスゴイ時間でした。そりゃ、中学・高校のころから、それぞれの伴侶も知らないような時間と空間のいくらかを過ごしてきたもの同士ですから、話題も尽きない。
彼女の伴侶の名前が「ヒロシ」、彼女は「ヒロコ」、ヒロは同じ字。そして私が文字違いの「ヒロシ」・・・なんとまあ、この世には「ヒロ」の多いことでしょうね。だから「ヒロシさん」と言われると、彼女の夫のことなのか私のことなのか、つい「ハイ」と答えてしまう。
昨年8月30日の国会前のデモ・集会の時には同じように国会周辺にいたことや、2000万人署名にもとりくんだこと、そして何より沖縄のことを沢山話すことができました。11月初めには私と一足違いで沖縄に出かけるということでした。
今晩は上諏訪で夫君と合流して一泊、明日横浜に帰るということ。昨夜は宿泊先の「カミツレの宿、八寿恵荘」で妻共々夕食をごちそうになりました。短い時間でしたが、愉快なひとときを過ごすことができて嬉しかったです。
帰ってからこのブログをご覧になるでしょうから、ダウンロードできるように大きな写真をリンクしておきました。


我が家の玄関先で


畑の「アンネのバラ」と


花オクラが2輪?


バラ園で


池田町「シャンティクティ」にて

さて、沖縄高江では金網越しに抗議する市民に対して機動隊員が「立ち去れ」「触るなくそ」「どこつかんどんじゃ、ぼけ」「土人が」と罵声を浴びせたというニュースが沖縄県内で大きな衝撃と波紋を広げています。
「抗議に参加した女性は『本土の機動隊だと思うが、巻き舌気味で全て脅しに聞こえた。まるで暴力団のようだった』と語った」と琉球新報は書いています。その暴言を吐いた人物の写真も載せられていました(写真右の人物)。録画もYouTubeにはアップされています。この録画の下には、相変わらず沖縄での抗議行動を敵視する「職業的」輩の汚いコトバ(「沖縄ヘイト」)がたくさん。この発言についてはTBSのサイトでも最新ニュースとしてアップされています。
発言したのは大阪府警の20代の男性機動隊員。県警は今日の午前「不適切な発言だった」と説明し「極めて遺憾」とするコメントを発表したといいます(沖縄タイムス)。
琉球新報によれば、大阪府警の警備隊員が『黙れ、こら、シナ人』という暴言を吐いていたことも発覚、県警が今日の午後、明らかにして謝罪したという。さらにN1地区ゲート前で抗議する芥川賞作家の目取真俊さんに対し、機動隊員が「触るな。土人」と発言したことも報じられているのですから、これはもう機動隊ぐるみじゃないでしょうか。おそらく宿舎で食事やその後の会話で「土人」という言い回しが常態化していたとしか考えられない。
沖縄タイムス記者も「『相手は土人だ。何を言っても、やっても構わない』と指導しているのだろうか」と書くほどですから。構造的差別のひとつの現れと見るしかない言語道断の出来事です。
翁長知事は今日の夕方記者会見し、「土人」という言い方は「未開の地域住民を侮蔑する意味を含み、一県民としても、県知事としても言語道断で到底許されるものではなく、強い憤りを感じている」と強く抗議したと報じられていました。

機動隊員はおそらく幹部を除けば全員屈強の若者でしょう。沖縄の歴史、基地問題などを学習しているはずもなく、知識もないままでただ任務として派遣され、ある意味盲目的に市民排除を命じられ、その結果悪者にされ続けて不満が鬱積していることは容易に推測できます。大義も何もない侵略戦争にかり出された兵士と一緒です。仮にそうだとしても、この差別発言は断じて容認できるものではありません。
機動隊員の沖縄県民に対する差別的言動を勇気づけるのは先にもあげた職業的「沖縄ヘイト」(抗議する県民を敵視し悪口雑言の限りをつくして差別を扇動する)の一団だといえます。心情的には限りなくこれに近づいてきているのではないでしょうか。
沖縄県警の警察官はまがりなりにも家族や学校、県内のニュースを通して沖縄県の状態を知っているはず。しかし県外から派遣された若い機動隊員は予備知識も何もない。抗議者から罵声を浴びせられて平静でいる方が無理かも知れませんが、だとすれば何故このような事態が引き起こされているのかを考えることこそ警察の任務ではないのか。
アメリカを守り、違反業者も見て見ぬ振りをして、沖縄県民を弾圧する任務についていることが果たして警察なのか、そのことに疑問をもつべきでしょう。若い機動隊員を指揮しどう対応するのかを示すのが隊の責任者の筈ですが、それもまた全く期待できない。まともな知識ばかりではなく、警察がどんな役割を負っているのかの基本的な良識さえ持っているとは思われないからです。だとすれば、直ちに本土へ戻って勉強し直してもらう他ないでしょう。
ジャーナリストの安田浩一さんは沖縄タイムス紙上の「沖縄ヘイトを考える」で、メディア、書籍などを通して「憎悪の種が社会にばらまかれる。そして人々は差別を“学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく」「差別主義者、排外主義者にとって、沖縄もまた「敵」として認知されるようになった」と書いています。若い機動隊員達はまさにその渦中にあるのでしょう。
この構造はこの国の深部の狂ったどこかでくりかえし再生産され、腐敗した部分が表に垂れ流されていく。彼らはこの国の根腐れを起こした部分に寄生するとともに、その心情は戦前の支配体制と地続きですから腐っているとはいえその根は深い。



  10月16日(日)
新潟県知事選挙の開票がはじまりました。まだほとんど票があいていませんから何ともいえませんが、何としても原発再稼働に反対する米山候補に勝ってほしいものです。
実質的に野党共闘の形ができた新潟県知事選挙。共産との共闘にアレルギーを持つ連合を横目でみてふらふらしていた蓮舫民進を多少ともシャンとさせたのは、やはり原発の再稼働を何としても止めたいという新潟県民の力でしょう。
そりゃもう、新潟県民にしてみれば(隣接する長野県民も同様ですが)、2007年の中越沖地震とそれによる柏崎刈羽原発の火災、およびそのドタバタ処理の模様はいまだに記憶にしっかり刻まれていて、さらに同じ東電の福島第一原発の重大事故が原発反対の意識に火を付けたわけですから当然といえば当然です。党派を超えて、共通の目標の実現のために、何としてもこの選挙戦を制して欲しいものです。

と書いているうちに開票率4%で米山さんの当確が出ました。やりましたね。自公と原発推進勢力には痛打です。よかったよかった。

さて、今日は昼過ぎから池田町の中心部で恒例の戦争法反対スタンディング行動。10数名が思い思いにのぼり旗などを立てて約30分間通行する車に対してアピールをしました。
その後、午後2時からバラ園に急行。助成金事業の工事のうち、重機を使った通路の整備を予定していたからです。重機を扱うのはYさん。ちょっと小さめで安定に欠けるので扱いがなかなか大変そうでしたが、約3時間ほどかかって予定のバラ園周遊回路の整備をほぼ終えることができました。
今日もよいお天気だったので、日差しのなかでは暑いこと。汗を流しながら、バックホーのあとをさらに均しました。今後は、きちんと通路らしく整備し、タイルを張って車椅子が通行できるようにしていくことになります。今年度の重点課題のひとつです。
通路だけではなく、その周辺の整備も大事ですから、適当に作業日を配置して11月いっぱいには何とか終えたいと考えています。




明日からあさってにかけて横浜に住む従妹がやってきます。今晩は安曇野のヒュッテ・シャロムに泊まって、明日の昼に迎えにいくことになっているのです。
彼女とは私が高校一年生(1961年?)のときに家族で富山に遊びに来てくれて以来のおつきあい。ある意味深い縁のある方なのです。
そのときの貴重な写真を紹介しておきましょう。彼女と私の家族のために、です。右から弟(55歳で亡くなった)、従妹、叔父(故人)、叔母(母の姉:103歳で亡くなった)、わが母(故人:いや〜若い!)、そして妹(高岡在住)、住まいは富山市梅沢町の旧自宅前です。実家はその後呉羽に移った。


叔父叔母には、仙台と富山を往復する際によく途中下車して泊めていただいたことがあって、勢い彼女ともいろいろと語りあい意気投合する仲となったというわけです。それ以後も、折に触れてご厄介になっており、このブログを開始して以降も母を連れて姉に会いに行ったことがありました。
彼女は何年か前にも、こちらに寄る予定があったのですが、直前に長い間飼っていた愛猫が死んだためにキャンセルになってしまったのでした。
夫君ともども絵画を見るのが楽しみで、食べるものもオーガニック派。短い期間ですが、せいぜい我が家のオーガニック野菜でおもてなしをしようと考えているところです。



  10月15日(土)
早朝、中野市へ出掛ける妻を車で送ろうと外に出たら、車の上部とフロントガラスに氷が張り付いている。初めての降霜のようでした。いよいよ冬の近さを感じる時期になりました。車を走らせると、農家の畑や庭先では柿の木がたわわに実をつけて青空に映えています。
空は雲ひとつない秋晴れで、お日様が高く昇る頃には日に当たっていると汗ばむほど。寒暖差がものすごく大きい。早起きをしたついでに午前中に細々した用事をぜんぶ済ませ、午後1時すぎようやく一休みということになりました。

昼過ぎには、予約しておいた女川産サンマが到着したので、取りに行きました。被災地支援の仲間が明日の農業祭で販売するために大量に仕入れたものの一部。友人の骨折りに感謝しつつ、今晩はサンマの刺身を頂くことにしましょう。




しばらく沖縄高江のことを書かないうちに、現地はもう様変わりしている。工事用ダンプは、工事初期のころは数台だったものが、今では機動隊に守られて何十台もの大型ダンプ、トレーラーなどが続々と砂利・資材を積んで基地内に入っているといいます。
北上田さんのブログによれば、それらのダンプのうち何台もが違反車両。たとえば、過積載、車検ラベルなし、背番号表示なしと信じられないような違反実態です。
「土砂等を運搬する大型自動車による交通事故の防止等に関する特別措置法」では、その第4条で「土砂等の運搬の用に供する大型自動車(以下「土砂等運搬大型自動車」という。)を使用する者は、国土交通省令で定めるところにより、前条の規定による指定に係る表示番号その他国土交通省令で定める事項を当該土砂等運搬大型自動車の外側に見やすいように表示しなければならない」と定め、第19条でその罰則を決めているのです。届け出や表示方法は次のサイトがくわしい。
上のダンプには側面、背面の背番号表示がありません(半数ほどの車両に背番号表示がないそうです)。また下の車両には車検証ラベルがない。




これらはまだ序の口。住民や市民の抗議を封じ込めるために、相変わらず数百人の機動隊員が有無を言わせぬ「ごぼう抜き」や「車両固定」をやっています。これに対して、一部の市民がN1ゲート裏から米軍基地内に入り伐採されようとしている木立にしがみつくなどして抗議を続けていると報じられています。(下の写真は沖縄タイムス)


それらの人たちは逮捕覚悟ですが、もちろんこうした実力行使には与しないで入り口で抗議の意志を示す人たちも大勢いて、それぞれ必死の思いで抵抗を続けているのです。今月の12日、13日にはそれぞれ300人、14日には200人が集結して抗議行動が行われたといいます。
N1ゲート前での抗議行動でも、機動隊の「規制」は常軌を逸している。このことについて、高江を訪れた香山リカさんが琉球新報紙上でその実態を告発しているのが注目されました。
香山さんが書いているのは、車で砂利を運ぶダンプを監視していたときの模様。

砂利を運搬するトラックを監視する自家用車の隊列に加わっていたところ、機動隊に突然、停車を命じられて車の前輪に車輪止めをつけられ、3時間にわたってその場から一歩たりとも動くことを許されない、という拘束状態に置かれたのだ。そこから動けない理由を尋ねても、仕事の都合があると言っても、いっさいの答えはない。
同じように移動を禁じられた高齢女性が「トイレに行きたい」と訴えたが、それでも「動かないで」と同じ言葉が繰り返された。
どんどん気温が上がり、車内に座っていて体調を崩し外に出て座り込んだ若い女性は、涙ながらに「おかしいじゃないですか。どうしてトイレにも行かせてもらえないのですか」とつぶやいていたが、それにも答えはない。
私も「飛行機の時間が迫っている」と言ってみたが、「何時の便ですか?」といった人間らしい会話が始まることはついになかった。


これまで、機動隊はゲート前で座り込んだ県民については、ごぼう抜きにしたあと、警察大型車両の間の狭い空間に閉じ込めるのが普通でした。そこは車両の排ガスが充満していて息もできない状態でもまったくお構いなしなんですね。
私なら、排ガスを出しているマフラーに着ているTシャツなどをギシギシ詰め込んで排ガスが出ないようにしてしまいたいんですけどね。これだと直ちに「威力業務妨害」で逮捕ということになりますかね。歩いていようがどうしようが関係なく拘束、車両の間に押し込む。「法治国家じゃないのかもしれない、みなさん」、そう叫ぶ声が耳から離れない。
こうした実態は、普段ネットで琉球新報や沖縄タイムスを読んでいる人でもなければ知り得ません。「本土」のメディアは豊洲移転問題は連日のように根掘り葉掘り報道しているのに比べ、沖縄のことは全くのカヤの外。
しかし、この高江のヘリパッド(実際はオスプレイパッド)の位置づけは、不要となった返還予定の北部訓練基地のかわりにヘリパッドを高江集落を取り囲んで建設し、さらにH。G地区近くの宇嘉川河口を利用して水陸両用車での上陸訓練ができるようにしようというもです。
これは当然辺野古に建設予定の強襲揚陸艦用の接岸岸壁と連動することは明らか。となれば、佐世保の基地機能強化(2019年最新鋭強襲揚陸艦配備、F35ステルス戦闘機配備・運用)や岩国の海兵隊基地機能強化のともつながることになるのです。さらにこれに将来自衛隊の日本版「海兵隊」が加わろうとしている。
要するに、沖縄高江のヘリパッド建設は、高江や沖縄だけの問題ではなく、この国の近未来のあり方を串刺しにする深刻な問題だということです。本土の人間が大勢辺野古や高江に行っているではないかと見当違いの批判を投げつける人がいないわけではありませんが、そのお方には全くこのことがわかっていないか分かろうとする意思がないかどちらかでしょう。
たとえば、オスプレイが日本中で(私の住む安曇野周辺の北アルプス上空まで訓練空域になっている)訓練するということになれば、沖縄だけの問題では済まされないことは明らかですね。
現在の局面をみるときに、注意しておかなければならないことがひとつあります。高江住民の仕事に重大な支障を与えるようなダンプ阻止行動はかえって反感を生んでしまうだろうということは自明なことですが、全くそうしたことをせずに整然とただ黙って工事車両を通すべきだという意見にも与するわけにはいかない。まず、大量の機動隊を配備して車両を止めているのはどちらなのか。次に、数十台のダンプを県道を使ってどんどん資材を運んでいるのは誰なのか。それは何のためなのか。そうした実態を見ずに、県道に車を止めてダンプを阻止する行動だけを取り出して「極左暴力」「沖縄サヨク」だという「批判」をしているのは、まさしく為にする行為であり、こうした県民の抗議がまるで犯罪行為を行っているかのように描こうとする意図をもっているということ。彼らは国による違法行為については全く触れようとはしない。
いま高江で行っている政府・防衛省の野蛮なやり方(樹木の伐採の許可を得ていない、オスプレイの配備の説明がない、ダンプの違法使用、通行中の市民も排除・・・)は、それ自体違法行為であるということを忘れてはならないのです。

11月9日から1ヶ月の沖縄滞在の際には、もちろん沖縄の仲間とともに辺野古や高江に出向こうと思っていますが、その参加の形態はまだ全く未知数。べつに逮捕されに行こうとも思いませんが、ともかく何が起こっているのかをこの目でみて、発信することがどうしても必要だと思っているところです。



  10月13日(木)
ボブ・ディランがノーベル文学賞というニュースがありました。日本のような英語圏でない国の人たちにしてみれば「??」という人が多かったのではないでしょうかね。
私自身は60年代から名前だけはよく聞いていて初期のフォークは確かに聞いたことはあっても、その歌詞をしっかり理解して聞いていたわけでは決してないので、ただ「そうなの?」ということしかいえません。
素人目には、歌詞の文学性という考え方が果たして妥当なのかどうか、もしそれが妥当なら他にどのようなミュージシャンや作詞家が対象となったのか、英語圏だからということはないのかどうかなど、いろいろと疑問に思うことがあります。となれば、ここは英語にも音楽にも精通したMNEMOさんの感想を聞いてみなくちゃと思います。

今日は午前中バラの会の作業。新会員を迎えて、みんなちょっと元気をもらったようでした。今年中に助成金を受けての作業が必要になるので、ニュースを発行してみなさんに周知することとしました。事業の概要図についても裏面に載せました。
ニュースは以下の通り概要図はPDFファイルだけアップしておきます。


事業の概要図

この事業の中心は、高齢者が車椅子でバラを見られるように通路を整備しようとすることにあります。通路となる場所に一本の柿の木が生えていて、どうしても切らなければならないことになりました。
そこで地権者の許可を得て伐採したのですが、その前に副代表のMさんが塩をまきお酒をかけて「お祓い」。不作法な私などは無造作に切ってしまうところでしたが、そこは古来からの習慣ということなのでしょうか、Mさん、家からちゃんと用意してきてくれました。
ものの本によれば、しめ縄を飾り、ニ礼二拍手一礼などお祓いの儀式をするとなっていましたが、そこは省略。木の神に感謝を捧げたりケガをしないようにという趣旨は理解できるので、簡略ながら執り行った次第。





夕方からは、松本での「こどもじゅく」。最近続々と入塾希望者が増えて、一部屋では足りなくなっています。幸い信大の学生たちがスタッフとして来てくれていて、子どもたちとも年が近いので何かと大助かり。「成績があがった」よ報告をする子もいて、面倒をみていたスタッフは嬉しそうでした。
週1回のサポートでは勉強の手伝いをしているだけなので、なかなか子どもたちや親を取り巻く問題点は見えてきません。とはいえ、ここにくるからには、言うに言えない様々な困難を抱えているのだろうなと、ただ想像するのみ。こうして多くのスタッフに囲まれていれば、何か大きな問題が生じても必ず解決への糸口をつかんでくれるのではないか・・・そう信じられるだけの営みをこの場が作り出しているんですね。素晴らしい。



  10月12日(水)
ようやく秋晴れの良いお天気。朝の寒さはいっそう強まって、もう毛布の上に冬用の布団をかけてしまう始末。エアコンをかけるまで寒くはないので、ヒーターがしっかり暖房の役目を果たしてくれています。
庭仕事も今日の午前中で終わり。夏野菜のころの雑然と込み合った背の高い作物は一掃されましたから、実にすっきり。おかげで外から丸見えになって頭を坊主にしたような気分です。
竿という竿や選定したラズベリーにはアキアカネがとまって秋の雰囲気を否応なく盛り上げてくれています。この大量の赤とんぼ、どこで生まれているのでしょうね。





昨日の続きをもう少し。MNEMOさんのコメントの最後に「いわゆる「敵の出方論」で潜在的テロ集団などと言われないように、しっかりと綱領改正をすべきでしょう」という一文がありました。共産党の発展を願う立場からの直言として読ませていただきました。
今日はこれに触発されて、あらためて現行の日本共産党綱領を読み直してみました。当然ながら第8回大会で決定された綱領と途中の改定も視野に入れてです。
感想を一言でいえば、私が学生時代に出会った綱領とは隔絶の感があるということですね。50年間にわたるさまざまな経験、理論闘争、党内での議論を経て、柔軟でかつ原則的な綱領へと発展させられてきたことへの感慨は深いものがあります。
私が日本共産党綱領に出会ったのは今から半世紀も前の1965年でした。共産党が第8回党大会を開いて綱領を決定したのが1961年7月のことですし、その後私が大学に入学した1964年には第9回党大会が開かれているので、共産党綱領に出会ったのは決定から数年後ということになりますか。
先輩たちから誘われて学習会をしたり、演説を聞いたりしながら、61年綱領への理解を深めていくことになるのですが、世間知らずの私にとってはすべてが新鮮だったように記憶しています。もちろん、一直線に理解を深めたわけではなく、当初は「たたかい」などという言葉自体にも相当に抵抗感を覚えたものでした。
ただ、世界のどの党のモノマネもせず自分の頭で考え道を切り開くという立場には強い共感を覚えたし、何より魅力的な先輩学生たち(党員)の人柄や理論水準の高さ、活動の幅が党への理解を促したといえます。
当時の綱領は4年にわたる討議を経て決められたものですが、私にとってはその経過や「革命の展望」への理論的な解明が大変興味深かった。
いまそれを読み直してみると、いかにも時代背景を感じさせるものではあれ、当面する革命の性格(アメリカからの真の独立と日本独占資本の支配を打ち破るという民主主義革命の性格)をはじめとして、基本的には今日の日本と世界の現状を正確に読み取り、たたかいの課題と指針を与え続けてきたということを実感させられます。他党と異なり共産党にとっては「綱領は党のいのち」なんだと思わされたものでした。
しかし、その当時はまだスターリン批判を終えてはおらず、「マルクス・レーニン主義」「プロレタリアート独裁」「資本主義の全般的な機器」「社会主義国」「「アメリカ手国主義と日本独占資本」「社会主義社会は共産主義社会の第1段階」、あるいは分配による未来社会の展望・・・などといった当時の国際共産主義運動の制約、ソ連への評価の甘さ、理論的な解明の不十分さなどが刻印されたものでした。一言でいえば、硬い公式的な表現が多々見られたのです。
それから40年の歳月を経て、2004年1月17日に改定された綱領は、以前とはまるで見違えるように現実的で柔軟、わかりやすい表現に変わりました。
すでに1973年11月の第12回大会において、61年綱領にあった「ソ連を先頭とする社会主義陣営」という表現から「ソ連を先頭とする」が削除され、国会を「道具」にするという表現が「機関」に変更され、さらにプロ独裁を「プロレタリアートの執権」に改めるという3点の改定が行われており、スターリン批判とマルクスの精神の解明が急速に進められていきました。
1987年の18回大会では「資本主義の全般的危機論」がスターリンによるものであることが解明され綱領から削除。そして2004年の全面改定でスターリンの悪しき遺産を清算して今日の綱領を確定したのでした。とりわけ、未来社会への展望について豊かな理論的発展がみられたのが特徴です。
不破哲三議長(当時)による「綱領改定についての報告」で、改定の意図について、単に情勢と理論的な到達点をふまえるだけではなく、次のように述べていることが注目されます。

綱領が日本共産党の根本方針だということは、党内だけで通用すればよい、ということではありません。・・・
もともと日本の社会の発展の方向を決めるのは、日本の国民であります。どんな方針も国民の多数者の理解と支持を得てこそ、はじめて社会を動かす力を発揮するものです。私たちが、今回の綱領改定にあたって、“国民により分かりやすく”ということに力を入れたのもそのためであります。


さて、問題の「敵の出方論」についていえば、共産党の綱領がここまできたのなら、たとえば、
「(十三)民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義と対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成できる。そのためには党が広範な国民と結びつき強力な統一戦線を築くことが不可欠である。党はあくまで非暴力の立場に立ち平和的に権力移行をなしとげるために奮闘する
などというように綱領を改定(赤字の部分を追加)すればいいのではないかと私も思いますね。それ以外のところはまったく問題ないんですから。
もともとこの「敵の出方」論は第7回党大会で当時の宮本書記長が「革命が平和的になるか、非平和的になるかは」で言及し、11回大会でも「われわれは、日本における革命においても、民主連合政府が政権をとった場合に、これを不法な暴力で転覆しようとするものにたいする政府としての反撃の権利を、敵の出方論の典型的なものとして説明しています」と述べて、これが公安の格好の材料になったのでした。
しかし不破=志位体制になってからは、「多数者革命」「人民的議会主義」を明確に掲げて、「敵の出方」などといういい方はほとんど死語となってしまったのです。
しかし、公安警察の方は「いまだに『敵の出方論』を否定していない」「これは暴力革命を事実上肯定したものだ」と主張して共産党を犯罪者扱い。今年に入ってからも、3月22日に公安調査をうのみにした「政府答弁書」を閣議決定している始末です。これにはマスコミも市民団体などから批判や抗議の声があがりましたね。こんな人もいました。
この公安の立場でいえば、たとえ共産党が綱領を改定してもたぶんあらゆる口実を見つけて犯罪者扱いすることには変わりはないのではないかと思います。
MNEMOさんのいう「党名」と「敵の出方論」は確かに一つの論点なのでしょうが、実質的にはほとんど解決済みだと私は思っています。党名については昨日ふれたとおり。「敵の出方論」はきっちりと綱領でも立場を明らかにすればいい。

公安警察が共産党を破防法団体として戦前の特高の流れをくむ公安がそのように理屈をつけるのはいかにも「日本的」ですが、ここでも「自らに似せて物を考える」公安の姿が透けて見えます。辺野古しかり高江しかり。非暴力で抵抗する市民をl機動隊や海保が暴力的に排除したり海に沈めたりするのは暴力とは言わないのでしょうか。
共産党の綱領では、国民の多数を得ての社会変革という展望を打ち出しているわけで、この「多数者革命」という路線は統一戦線を基礎として国会で多数を占めるという戦略ですから、近い将来にすぐにできるわけではありません。まして共産党の言う「民主連合政府」となれば、さらに数10年の単位で考えなければならない問題でしょう。それゆえ遠い将来の革命の展望にかかわって「敵の出方」などと言う必要はさらさらありませんし、第一この日本でどうやって「暴力」革命をやるっていうのでしょうか。
というわけで共産党さんには、選挙があればいつでも1000万票を超える得票を得られるようにその政策にいっそう磨きをかけ、地域での旺盛な活動を通して人々との結びつきを深めて国民への支持を広げ、「庶民の味方」としての不動の地位を築いてほしいものです。



  10月11日(火)
「ハチの一刺し」というのは、普通は重大な局面で「とどめの一撃」のたとえとして使うことがありますが、私の場合は文字通り「一刺し」にやられて、ただいま左手がグローブ状態になっています。
昨日のこと、ゴーヤカーテンを片付けようとしていたら、その上の軒下に大量のハチが今にも巣を作ろうと集まっているのを妻が見つけた。それを私が殺虫剤ハチキラーで退治したのですが、どうやら一匹が生き残っていたらしく、その後始末をしていたら、いつの間にか左手に忍び寄ってきた一匹が手袋の上からチクッと刺した。ハチが刺したときってのは相当に痛い。
これまで作業中に何度もアシナガバチに刺されているので、たいしたことにはならないだろうと高をくくっていたら、どんどん腫れてきて熱っぽい。みんなの復讐だとばかり「とどめの一撃」を加えようとしたのでしょうね。まあ、生き物を殺すというのはそんなものです。

午前中、畑でイチゴ用の畝を3つ作りマルチをかけて、ようやく秋の作業は峠を越えました。いや〜〜今年の作業は長かった。

田んぼはもう稲刈りもすっかり終わって、稲架(はぜ、はさ、はざ)掛けにして乾燥させた稲を脱穀している風景も所々で見られました。
気候はすっかり秋。朝晩の寒さは身にこたえます。室温が20度を切ってしまったので、さすがに昨晩は寒いと感じた。外は多分12,3度だったのでしょうね。やむなく赤外線ヒーターを出してきましたよ。

ところで、今日のMNEMOさんのブログ、興味深く読ませていただきました。
まず、下条さんのことですが、地元に下条みつ大北地域後援会会長のTさんがいらっしゃって、いつの頃からか親しく交流させていただいていました。「戦争遺族の原点は忘れない」といつも語っておられ、かつ世話好きで蕎麦打ちの名人。町のことで相談に乗ってもらったり、被災地支援の際にもお世話になり、「戦争法反対池田町民の会」でもよびかけ人のひとりとして名前を連ねていただきました。
私が共産党支持者であることは百も承知で、それでも先入観なくおつきあいいただいているのです。尊敬すべき先輩ですね。
昨年来の戦争法反対のとりくみの中で、あるいは杉尾さんを押し立てた参議院選挙のなかで、Tさんは要ともいうべき役割を果たされて、私自身下条さんとのかなり強いつながりができたのでした。
選挙後もわざわざ我が家を訪問してあいさつされ、驚いたことがありました。先日の赤旗まつりの際に、私から「総選挙に向けて選挙協力についての野党と市民の対話・討論会を池田でやりたいので、ぜひ協力をお願いしたい」と言いましたら、「ぜひやりましょう」と快く返事をいただきました。
政治的立場は民進党代表選で前原さん支持ということでも分かるとおり、それなりの考えをお持ちなのでしょうが、この間のとりくみでは下条さんの周辺で共産アレルギーといったような話は一切ありませんでした。むしろ、昨年の池田町での軽トラパレード、今年の大北地域での軽トラパレードには欠かさずに挨拶に駆けつけてくれたし、パレードが全部出終わるまで杉尾さんと手をふって見送ってくれたほど。このあたりは共産党の候補には是非とも見習ってほしいと思わされました。
ただ、私の民進党に対する立場はあくまで一点共闘、もしくは統一戦線という立場からのもので、当然ながら下条さんの立場をすべて肯定しているわけでは全くありません。しかし、一致することがあれば、先入観なくそれはまじめに誠実に対応すべきだし、批判するところがあれば率直に行う、それでよいと思っています。
問題は本当に人間として政治家として信頼に足る人物であるかどうかであり、仮に政策協定を結んだときに杉尾さんが(今のところ)そうであるように、最後までその立場で奮闘できるかどうかにあります。それはおそらくこれからのたたかいの中で否応なしに試されるのでしょうね。

MNEMOさんは共産党という党名はそろそろ変えたらいいのではないか、「はたらくものの党」でいいのでは??と書いていらっしゃいました。私の考えとは異なりますが、当然そのような意見があってもよい。むしろこうしてさまざまな意見が寄せられることこそが、この党にとっての幸せというものでしょう。
私は、外から共産党を見ているだけですから、内部でどのような議論があるのかは知りませんけれど、長いお付き合いの中でこの党が信頼するに足るだけの力量を確実につけてきたことに一種深い感慨を抱いているのです。
「党名を変えたらどうか」という意見が結構あるのは私も承知しているし、逆に寂聴さんのように「変えなくてよかったねえ。変えた党は今では見る影もない」と「ブレない」ことを評価する向きもある。
このことについては、共産党のカクサンブの、「3分でわかる政策講座」のひとつがその答えになるのかもしれません。ただ、中国共産党や北朝鮮労働党、かつてのソ連共産党などが否定的な影響を広げてきたことへの言及はありませんし、一応の公式的な回答の域を出るものではありません。
ネット上では、党名を変えることに古参党員が反対しているからとか、もし「国民党」などとしたら自民党真っ青なのにとかという評論もないわけではありません。私の見たところでは、相当の期間このままでいくんじゃないないのですかね。私自身としてはこの名称にとても愛着がありますし、もし変えたとしても、いつまでも「あれは前の共産党だ」という尾ひれがついて回ることになることは明らかですから。
「アカ」「非国民」と特高から弾圧され作りあげられた戦前のイメージを抱えている層は、そんなに分厚いわけではありません。若い人たちは、そもそも共産党とはどんな党なのか(他党も含めて)分かっていない場合が多いでしょう。地道に共産党の姿、綱領、党員の人柄をたくさんの人々の前に示していく以外にないのだと、党外からエールを送っている私です。
そうすれば、戦争法でのイニシアチブのように、さらには豊洲移転問題や富山県議会・市議会での問題での対応のように、爆発的にその真価を発揮する局面が生まれるはずです。



  10月10日(月)
畑に出ていてもそれほど汗をかかなくなった今日。夕方からはずいぶんと冷え込んできました。天気予報によると明日の朝の気温は一ケタになるのではないかということで、これは厚い布団が必要になってきましたかね。
ここ数日は、またまた何かと忙しく、PCをあけてメールチェックをするとド〜〜と新着メールが。大事なものがまじっていないかチェックするのも大変です。

昨日は、松本「やまびこドーム」での「信州赤旗まつり」に参加しました。池田町からは党員・支持者ら20数名がマイクロバスに乗り込んで会場まで。
前が舞台、後ろがフリマといういつもと変わらない仕切りでしたが、今年は椅子席がたくさん設けられて有り難かった。割と早く到着したので、妻とともにフリマを見回ってあれこれと買い物をしました。神社の祭りの出店の雰囲気で、何しろ人数が多いので活気に満ちて、お店の人も大忙しの様子。
時間が経つにつれて会場は人で溢れだして、2階席から見るとなかなか壮観でした。今日の新聞によると、参加者は3000人だったそう。




今年は共産党の活躍を反映して、大山ともこ東京都議が豊洲移転問題の特別報告を行ったほか、野党共闘での勝利を反映して民進党下条みつ2区総支部代表さん、社民党中川ひろじ県連幹事長があいさつ、祭りの最後には、この日一番の拍手をあびて杉尾ひでや参議院議員があいさつしました。
杉尾さんは、「こんなに大勢の人が参加されていらっしゃるのですね」とびっくりした様子で話し始め、国会で共産党小池晃議員の質問を傍聴してヤジを飛ばしたら「杉尾さん、そんなにヤジをとばさないでください」と安倍首相から苦言をもらったと会場を沸かせ、さらに40分の初質問の時間をフルに使って徹底的に政府を追及すると決意を語っていました。話の端々に、共産党の底力を感じている様子や野党統一候補として活動する意気込みが感じられました。
この日のメインは、田村智子共産党副委員長の講演。歯切れのよい語り口で、国政の重要問題について縦横に語ってくれました。
彼女の演説を聴いていると、「演説というのはこのようにするものだ」ということを教えてくれていると思わされます。よどみのない明瞭な彼女自身のことば、すごい迫力で胸にとどきますから。YouTubeでどれでもいいからお聞きになるとよくわかります。




なお、この日あいさつをしてくれた民進党下条みつさん、社民党中川ひろじさん、希望・長野ネットの小林ひとみさん、絵本作家の三枝三七子さんの映像がYoutubeにアップされています。
全体として、今回のまつりは、野党共闘の前進を背景に、その大きな一翼を担った共産党の存在感をよく示す、意義深いものとなったように思えました。

さて、本日は・・・というと、午前中は畑に行って、ラッキョウ、ニンニクの畝作りと種植え。私はもっぱら畝作りですので重労働、腰が痛い。
帰ってからは、今度は庭のイチゴの苗をポットに移す仕事を夕方まで延々とやっていました。畑ではかなり苗を植えたのですが、庭の苗を定植する場所がなく、トマトの木を片付けて畝をつくりマルチをしないといけません。明日には何とか全部終えようと思ってはいるのですが、果たしてどうなるか。
それでも、ようやく畑の終わりが見えてきました。これが終わると、畑では落花生の収穫。その他はバラ園の新規造成作業が待っています。11月9日に沖縄に出掛けるまで、忙しい日が続きそうです。



  10月6日(木)
妻が午後6時過ぎに無事帰ってきました。「涼しい」「やっぱり我が家がいい」と語っておりました。向こうでは、とにかく暑くて食欲もなく、ようやく帰る直前に少し食べられるようになったということでした。
重いバナナをどっさり持ってきたので、トランクはぎゅーぎゅー詰め。しばらくはバナナジュースとシークワーサージュースですかね。

先日の長野県の中高年文化祭「信州ねんりんピック」で「アンネのバラ」を贈呈することになったという話を書いたことがありましたが、さっそく当選者から返信用の葉書が届きました。ところが、郵便番号だけで住所が書いてない。
電話するにも時間が遅いので、念のためと思ってネットで検索すると、ちゃんと出ていたので安心しました。

すでに何年も前から「ネット電話帳」っていうのがあるのですね。こんなのがあるなんて知らなかった。
ついでなので、父母の名前の分布を調べてみました。私の本名は義理の祖父の名前で血のつながりはないので、父の方を調べてみたら圧倒的に富山県(60件)、続いて北海道(27件)あとは全国にポチポチ。全国に760人くらいいるらしい。富山にはその名前の地名もありますから、北海道は富山から移住したのではないかと推測される。その由来は全く不明。
また、母方はありふれた名前で余りにも数が多いのでよくわからない。全国におよそ5万4千人くらいいるのだとか。この名は山口県、岩手県、愛知県に多く、現福島県西半部の岩代国河沼郡藤村を起源とする宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)佐々木氏流、または清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)南部氏流などにこの名が見られるのだそう。
一方妻のほうは完全に沖縄の名前。沖縄では127番目に多い名前なのだそうです。正体不明の私とは違って、妻の方は家系図も何十代もたどれる由緒正しい家柄だし、門中は琉球の始祖・アマミキヨの末裔とも何らかの関係があるらしいので、私は恐れ多くて全く頭があがらない。
ちなみに、現在の名前(祖父の姓)は、ネットでは北海道、北陸に多く、嵯峨天皇の皇子で源姓を賜った氏(嵯峨源氏)(富山藩家老)、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)佐々木氏流などにもみられるとありました。
どちらかというと私自身は母方に親近感を覚えるとはいえ、私の中にはともかくいろんな人々の血が流れているんだろうなと思う次第。ただし、妻が沖縄となれば子ども達はますます混血の度合いを深めているわけですから、「私たち二人がこれから生まれる子孫の祖である」と何かに書いておきましょうかね。



  10月5日(水) その2
薄暗くなってから急に風が強くなり台風接近を感じさせています。現在は午後8時過ぎ、少し収まってきたような気配。明日には天気も回復するのではないでしょうか。
妻は沖縄最後の夜。今日バナナや土産物などを送ったのだとか。台風の影響で昨日は送れなかったと言っておりました。「久しぶりに沖縄の台風を体験した」と何だか感慨深げ。台風は別として、10月の沖縄は、今年が特別なのか、ずっと30度ちょっとで大変だったようです。
池田に戻れば、朝晩は10数度、昼も25〜28度ですから寒く感じるのではないでしょうかね。このあと、1ヶ月すると今度は私が沖縄に出掛ける番。その頃には沖縄も過ごしやすくなっていることでしょう。

夕方から例の「コウタケ」の炊き込みご飯に挑戦しましたよ。油揚げだけは手元になかったのでスーパーで買ってきて、レシピを見ながら具材を用意しました。問題は水の量。かつて、タケノコご飯とかキノコご飯とか、いろいろ挑戦したことはあったのですが、その際にもいつも水加減で失敗。今回は??やっぱりちょっとだけ水が少なかったのか、パラパラしたご飯になってしまいました。でもうまかった。コウタケご飯第1回目とすればよしとしなければ。明日は、妻が帰ってから一緒に賞味します。
もう一つは、肉じゃが。収穫したジャガイモを早く食べないと腐ってしまうので、現在どんどん消費しているのです。これは結構うまく作れました。とはいえ、大量につくるので、朝昼晩と肉じゃが。飽きがくると言ったら野菜が高くなっている折から都会の人には叱られてしまいますね。

午後7時からはSBCスペシャル「ボルネオ島 死の行軍 〜戦後70年 “忘れられた悲劇”〜」を観ておりました。
太平洋戦争末期、ボルネオ島北部のジャングルをオーストラリア・イギリスの捕虜を引き連れて移動させられ、結果日本軍兵士の半数以上が餓死・病死・遺棄死という悲惨な状況に。さらに捕虜も脱出に成功した6名を除いて全員(約2400名)が死亡(殺害含む)という惨状を呈するのです。
現場の指揮官は上層部の命令とあれば従わざるを得ない。しかし、上層部はいち早くボルネオから脱出しており、本土で命令を出した最高指揮官は「なぜこんなことになったのか分からない」と言う。そうした日本軍が持っていた無責任体制の一端もきっちりと証言を通して明らかにしていたのが印象的でした。
さらに、太平洋戦争での日本軍のこうした無謀な「作戦」とその責任の所在については、明らかにされていない部分がいまなお多く残されているというナレーションも記憶に残りました。こうした負の歴史を掘り起こして後世に伝えようとするSBCスタッフの努力は本当に貴重です。



  10月5日(水)
「不屈の男 アンブロークン」と「戦場にかける橋」、どちらも日本軍に捕虜とされた連合軍兵士(前者はアメリカ軍兵士、後者は主にイギリス軍兵士)の物語です。最近少し間をおいて観る機会がありました。もちろんともにレンタルで。

「不屈の男 アンブロークン」はアンジェリーナ・ジョリーが監督と製作にあたったんですね。適当にレンタル屋で選んでいたので、そのときは知りませんでした。
アメリカの陸上選手ザンペリーニを主人公とするこの映画は、大きく2部に分かれていて、回想なども交え少年時代から陸上選手となり、さらに1943年に陸軍航空軍の爆撃手として軍務につき、仲間の救出作戦中に日本軍の攻撃によって飛行機が被弾、海水に不時着して一ヶ月以上の漂流をつづけるところまで。
後半は、救出されたのが日本の軍艦で日本の収容所に入れられてから過酷な捕虜生活を余儀なくされ、やがて日本の敗北で解放されるまで。あらすじはウィキにあります。さらに詳しい内容はこちら
これによると、2014年夏頃にネット上で日本での上映中止を求める運動があったそうですね。しかし伝記に書かれていたような一部誤った認識に基づくシーンは映画にはなく、私が見た限りではその評価はともかく一度は観ておいたらいい映画だと思いました。
若い人には日本軍の非情な指揮官「渡邊睦裕」のような軍人がいたことを想像すら出来ないかもしれませんが、私にはよくわかります。
戦争の狂気をくぐり抜けた1人の兵士の「不屈の」物語なのですが、これをアメリカによる日本の捕虜収容所告発の映画とみて「反日映画」とレッテル貼りをする輩がいないわけではない。
「捕虜」に対する扱いがどのようなものであったのか、とりわけ敗戦の色が濃くなった1943年以降の陸軍のあり方を日本自身が描けないでいる事の方に大きな問題を感じます。
一方の「戦場にかける橋」、これはあまりにも有名ですから詳しく書く必要もないかもしれませんね。日本軍の捕虜に対する扱いは原作作者が実際に体験しているというだけあって、その一面をよく表現していると思われます。ウィキでは「極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画」との説明がありましたけれど、テーマはもっとねじれていて衝撃のラストに全てが集約されていて、見事に「戦争の不条理」を訴えていたと私には思えました。



  10月4日(火)
夜遅く縁側に出ると涼しい。いや寒いくらい。室温が23度なので、戸外では20度を切っているのでしょう。今日は西日本で30度近くになったというニュースもありましたけれど、長野は日中でもそれほど暑くはありませんでしたよ。

ワイヤレスネットワークの調子が悪くて、しばらくネットにつながりませんでした。windows10の自動アップデートがかかると、ワイヤレス子機を認識しなくなるらしい。しかたなく有線でつないでいます。時間のあるときに原因をしらべてみるつもりです。前にも一度同じ事があって、そのときはなんとなく治っていたのですが、今回はどうも深刻のよう。

妻がまもなく帰ってくるので、それまでに畑と家の周りの片付けをやろうと、今まで時間を見てやってはいたのですが、雨の日が多くてはかどらない。今日は久しぶりに比較的いい日和になったので、午前中から午後4時頃まで弁当持参で畑に出掛けました。
今日の作業は、イチゴ畑だったところが草ボウボウだったので、それを取り除き苦土石灰をまいて耕耘機をかけること。草自体は半分ほど取り除いてあったので、今日は全部取り除いて、耕耘機をかけるところまでやり遂げることができました。やっと一安心です。
ニンニク、ラッキョウ、タマネギを植えるとなると結構な面積が必要です。冬から春にかけての葉物野菜も植えたいのですが、トマトがまだ少し残っているので、その畝だけは耕せない。思い切って始末してしまえばいいとも思うけれど、なかなか踏ん切りがつきません。トマトやキュウリは、夏の間はうんざりするほど実りますが、こんな時期となると貴重ですからね。
畑のイチゴのランナーの出来がよくないので、一応は定植してみたもののいずれ庭でつくっている子株を持って行って取り替えか、畝を増設するかどちらかにするつもり。なんだかんだと重労働が続きます。おかげで体重が過去最低(50代以降)を記録しました。あまり実感はないのですが・・・。
畑では今年の春に植えた接ぎ木の「アンネのバラ」が花盛りです。土があっているのか、元気に蕾が上がってきて、まだまだ咲き続けそうな勢いです。来年は、20〜30本ほど植えて、バラ祭りで販売したらいいですね。







帰って後始末をしていたら友人のOさんが、いつも西山から採ってくる「コウタケ」をわざわざ持ってきてくれました。デカい。写真では比較するものがないので大きさが分かりませんけれど、一本手のひらを広げたくらいの大きさ。買えば極めて高価なキノコ、Oさんありがとうございました。


ネット情報によると、「人によっては松茸以上に風味が強く美味!」「ワイルドな外観からは想像つかないほど美味しいキノコ」なのだそうです。
どうやって食するのか?いまいち分からないので、これまたネットで検索。見つけた見つけた。「コウタケのレシピ10品」。まずは「炊き込みご飯」ですね。まだ炊飯器に明日分のご飯があるので、妻が帰ってくる6日に炊き込みご飯をつくりましょう。
このレシピにはありませんけれど、作ってもみたいのは「天ぷら」。唐芋もピーマンもある(畑に)ので、あさってはやはり天ぷら。続いて、「コウタケスープのラーメン」??まねしたいけれど、どうも色が真っ黒になりそうで怖い。それにこの雨天では保存用に乾燥もできないし。ま、しばらく裸のまま冷蔵庫に入れて天気が回復するまでおいておきますか。



  10月3日(月)
スーパー台風並に発達した台風18号が沖縄本島の西を北上中。中心気圧も905hPa、瞬間最大風速85mといいますから、尋常じゃありませんね。沖縄はもちろんですが、九州、四国での被害がでないように願うだけです。妻には「ものがガラスにぶつかったり、停電の心配があるので対策を」と電話しておきました。

さて、東京の築地から豊洲への市場の移転問題もひどいが、富山市議会の自民・民進会派の政務活動費不正使用問題も底なしですね。
昨日の「しんぶん赤旗」によると、これまで自民党9人、民進会派2人が辞職、他にも不正を認めている議員がいるのだとか。個人の資質というよりも会派ぐるみの長期にわたる不正行為であることが特徴。ただし、使途はいろいろで、自民会派中川会長(当時)の不正使用の理由が「人付き合いが増え、遊ぶ金が欲しかった」「ほとんどが飲み代だった」というものでしたから、市民は唖然とさせられたのです。
共産党赤星ゆかり議員によると、「不正の温床には、市議の仕事をまじめにしない、富山市議の特異な実態がある」というのですから、もと富山市民としては聞き捨てならない。要するに他から絶対にチェックされないような中でふくれあがった特権意識なんでしょうね。
「特異な実態」のひとつは「質問は1議員年間90分以内」なのだというから驚きです。さらに、不正をした議員の中には3年で1回しか質問をしなかった議員もいるのだとか。池田町では何年か前から行っているネットでの議会中継ですが、富山市議会では市民と共産党議員の要求で来年3月から開始するのだそうです。そりゃ密室(温室?)ですから、いいようにやれたわけですね。
今日の産経ニュースもこの問題を大きく取り上げていましたっけ。
当時議長だった自民党会派のドン中川氏は、共産党議員に「100万円ちょっと残しているじゃないか、全額使い切れよ」と迫り、「俺たちみたいに市政報告会をもっとやれ。そうすれば、資料コピー代とか茶菓子代がもっと出る」とささやいたのだとか。もちろん「実際には報告会は開いていないため、書いた金額はそのまま中川氏の懐に入る」(産経)という魂胆です。

なぜこんな馬鹿げた出来事について執拗に書くかというと、全国の自治体においても似たような構造をもった議会があるのかもしれないと強く思うからです。共産党を除いてオール与党的なところではとくに地方議会のあり方が根本から問われていると思うからです。

さて、そのような視点から地元の北日本新聞の指摘に耳を傾けてみましょう。
同紙は、この不正の温床として次の4点をあげていました。
第1は、モラルの欠如。偽造領収書で政活費を水増し請求した理由としてある議員が挙げていたものに「この世界はこういうものかな、と思った。(やり方は先輩に)たぶん教えてもらった」というのがありました。また、ある議員は「あたる(貰える)ものは貰っておけ」と、ぬけぬけと話していた。政務活動費の前払いにもそれを助長する要因のひとつがあったと指摘されています。
「この世界」についての認識が市民の利益のために働くという観点では構成されていないということですね。
第2は、身内審査の限界。ある議員(自民)は「年度末が迫ると会派役員から『早く使ってください』と言われる」のだそうです。「使い切り」というコトバが出てくるのは、政務活動という名の議員報酬だと思っているからでしょう。会派で使途をチェックする機能が働く余地はありません。
第3は、事務局の甘さ。議会事務局では職員4人でチェックにあたっているが、領収書の宛名は長年の慣例で会派名だけなのだそうで、誰のものかわからない領収書も多数あるといいますから、もとからきちんとチェックする体制ではなかったということです。
そして第4が、低い透明度。富山市議の収支報告書と領収書を閲覧するには、市役所に出向いて情報公開請求をし、その上で一枚10円のコピー代を払って入手しなければならないのだそうです。市民がチェックしようにもそう簡単には出来ない(させない?)仕組みが作られていたのです。

以前紹介したように、県の1/3くらいまで富山市を拡大しておきながら「コンパクトシティ」を目指すというそもそもの矛盾。周辺部の過疎化が進むのも当然でしょう。
これをよい教訓として富山市議会と市民が変われるのかどうか。補欠選挙は間違いなくそれが問われる機会となるでしょうね。それにしても、市議のみなさんの行いの何とみみっちくみすぼらしいこと。これが県都富山市の議員の振るまいかと思うと呆れて二の句が継げません。

この10月23日には富山県知事選挙が行われます。4選をめざす現職の石井さんは私と高校の同期、「明るい富山県政をみんなでつくる会」の米谷寛治さんはかつての組合活動の仲間。こうしたなつかしい名前が聞かれるのもこれで最後なのだろうなと一種しみじみ感を覚えて知事選のニュースを聞いておりました。

ところでこれも何度か書きましたが、稲田朋美さんの領収書疑惑はどうなったのでしょうか。ライブドアニュース女性自身日刊ゲンダイ、週刊フラッシュなどでも取り上げられています(下の写真は日刊ゲンダイの記事)が、秋が来てどうも沙汰止み。
産経さん、富山もいいけど、こっちも頑張って追及して下さい!!また、富山市議のみなさん「国会にも同じことやってる大物がいるぞ、みんなやってんだぞ」と大声を挙げてみたらどうでしょう。






  10月2日(日)
今朝の沖縄南部はまだ風もほとんどなくいい天気だということでした。ただし、明日午後からはまともに台風の影響を受けるので暴風雨にさらされることになります。妻が帰ってくる予定の日は6日なので、何とか台風は避けることができそうでよかった。

しばらくなんだかんだと忙しく感じているうちに、つい更新をさぼってしまい、はや10月も2日です。
とりわけ昨日1日は、午前6時50分神社前で祭りの幟旗をあげる仕事を皮切りに、その足で塩尻に向かい「信州ねんりんピック」に参加。そのあと夕方から松本に戻って仕事・・・いやいや最後は眠気とのたたかいでした。
「ねんりんピック」というのは、長野県の高齢者世代の生きがい作りや地域活動を支える「長寿社会開発センター」などが主宰して毎年行っている、いわば「文化祭」のようなイベントで、我が「バラ愛好会」にもブース出店の依頼があって、代表、副代表(ご夫妻)の3名で参加したのでした。
とくに、参加者の福引きの特別賞として「アンネのバラ」を提供することになって、当選者への目録贈呈の際にバラの説明も求められる羽目になってしまいました。
会場は塩尻市の文化施設「レザンホール」。シニア世代500〜600名くらいが集結して、全体集会やホールでのイベントが催されました。ホール外のホワイエでは様々な団体のブースが設けられて、活動の紹介と販売などを行い、松本歯科大学の学生たちも制服姿で多数参加し、何だかよくわからない雰囲気になっておりました。






この大会のメインテーマは「人生二毛作社会をともに作りましょう」というもの。そうはいっても、このようなスローガンを真正面にかかげて、活発な高齢者の活動を評価するこの種の大会はどうも苦手です。なんとなく「官製」のにおいがするものですから。
元気なお年寄り(私も含めて!)が、各地でいろんな活動を行っているのは好ましいことには違いなく、その交流が官製であろうがなかろうが、このように進められることについてもまったく異論はありません。ただ、高齢者社会の矛盾と切り結ぶ団体などはもとから範囲外ですから、本当に高齢者の置かれている状況をどう打開するのかというよりは、シールズ流に言えば「人生二毛作って何だ?」「これだ!」みたいな活動なのです。
私には「人生二毛作」の意味がいまもってよくわかりません。順調にいくはずだった教員生活からドロップアウトし、受験業界で糊口をしのぎ、それも定年前にやめて母の介護に専念・・・という挫折や曲折の人生の連続だった私にとって、二毛作などという人生であるばずがない。
なんとなく不毛作に近い我が人生を振り返って、それでもなお生きている限り他者との関わりとその意味を根底から考えたくて今なおもがいているのです。だから、シニア世代と学生で支えられている「こどもじゅく」で接する子どもたちや親たちとの結びつきを大事にすることの方が、やはり私には合っているのでしょう。




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