あの戦争を経てもなおこの国の人々にとって、最も弱いものは「人権意識」なのではないかと思うことが多い。
身の回りでは、普段はそれほど意識することはないのだろうが、たとえば企業の中でいったい自分の権利がどうなっているのか、高齢者やシングルマザーになって、どうしてこうも生活が苦しいのか、日本全土の基地周辺で、なぜこのように騒音で苦しまなければならないのか、それらを考えたときに「人権問題」としてとらえることはあるのだろうか。
この人権意識の弱さが最も現れたのは、戦前から朝鮮・中国などのアジアの人々、国内では被差別部落の人々に対してだった。そして最近では朝鮮・中国は言うに及ばず、沖縄の人たちに対してその意識が再生産されているのです。
三上知恵さんは「沖縄撮影日記」のコラムで、大正11年12月に沖縄県出身兵教育のためにつくられた沖縄連隊区司令部のリポートの内容が一部紹介されていました。「本土」の支配者の側からの沖縄県民の「県民性」についての評価です。
・進取の気性が乏しく優柔不断で意志は非常に弱い
・行動が鈍く、機敏でない
・強者をくじき、弱者を助けるという男気、犠牲的精神というものが全くない
・気力がなく、節度もなく、責任感が乏しい
・向上発展の気概がない
・婦人に優雅さがないことは他に類を見ない
「数少ない利点」として挙げられているのは、
・理屈を言わず安い報酬に堪え、使いやすい民である
というのですから、これを利点というべきなのかどうか。「利用しやすい点」という評価に過ぎないでしょう。
さらに、沖縄戦前夜に沖縄に駐留を始めた石部隊(62師団)が昭和19年に書いた会報にも、次の記述が見られるというのです。
・恩知らずで打算的な傾向が強い、女性の貞操観念が弱いので誘惑されるな。
・「デマ」が多い土地柄だから防諜上、極めて警戒を要する地域である
・住民は一般に遅鈍であるため事故が多い
復帰後はそんなことがないと誰が言えるのか。沖縄県民は、本土側の無意識に沈殿した抜きがたい差別意識と、米軍の差別という複合的な構造の中に沈められているといっても過言ではないでしょう。支配者の意識は優位な意識として拡散され容易に一般の人々の意識に定着する。
そうでなければ、機動隊員の中からあのような「コトバ」がでてくることは説明がつかない。
三上さんは過去の差別的な偏見を紹介した上で次のように書いています。
この構造が怖いのだ。まっすぐに目を見て「基地は作らないで」と訴える人々を前にまっとうな人間でいようとすると壊れてしまうから、冷淡な考え方をすることでやり過ごすのだとしたら、この基地建設のために何百人と全国から送り込まれてくる若者たちの心がどんどん歪められていくのではないか。
残酷な差別主義者にならなければ到底やり過ごせないような理不尽な仕事を、正義感溢れて職務についた機動隊や海上保安庁の若者に押し付けていく政治のあり方を根底から問うべきではないのか。
これは、「沖縄は私たちとは違う土人の島だから、防波堤にしてしまってもいいんだ」という議論に行き着く。
今まさに70年前を想起させるような南西諸島の軍事要塞化がすすんでいる。有事の際真っ先に攻撃されるのは沖縄の人たちだろう、とうすうす気づいていながらも、自分たちの残酷さを正当化する理屈を100探している国民がいる。
お金をもらってるんでしょ?
基地はないとこまるんでしょ?
中国のスパイなんでしょ?
左翼思想で騒ぎたいだけでしょ?
そんなあらゆる言い訳の一つとして「土人が!」が存在すると思う。人種差別の問題だけでは見えてこないのが、誰かを防波堤にして自分は生き残ろうとするあさましさであり、そのあさましさを隠すために差別を作り出していくという側面を考える必要があると思うのである。
私が中学生だった頃のことでしょうか。ある日、何かの話の中で被差別部落の人たちが県内にもいるという話がでたとき、父が指を4本立てたのです。「よつ」という意味です。「エタ」とか「ヨツ」というのは部落の人たちへの強烈な差別表現ですから、うすうすそのことを知っていた私は衝撃を受けた記憶がありました。「この父にしていったいどんな教育や体験をしてきたのか」・・・。
意識は継承され、その時代に応じた新たな差別意識として何度でも再生される。無くするにはそのような意識と自覚的にたたかうしかないのです。
「人権」という切り口で、福島の原発事故による人災、若い命を死に追いやった電通などブラック企業、貧困率が先進国でも最悪の子どもの貧困などの問題を追及していかなければならないと思うのです。人権意識の希薄さの上に安倍政治が成り立っているともいえるからです。