妻はボーリングの大会で昨日から一泊で県外にでかけているので今日は1人。朝7時過ぎに投票を済ませて、畑に向かいました。その途中、「ぜひ投票を」と頼んでいた青年が「行ってきたよ!」と元気な声。何だか気分が明るくなりました。
畑はこの間の選挙活動の「おかげ」で草が伸び放題。クワやカマでは太刀打ちできないので、ともかく草刈り機で丹念に刈り込みました。その間約2時間。もう朝からかなりの暑さで長くはやってられない。10時には引き上げてシャワーを浴びて少し休憩。
これをお読みでまだ投票に行っていらっしゃらないかた、是非早めに投票を済ませて下さいね。若い人には「どうせ投票したって」とか「政治に関心がないから」などという人も見かけますけれど、政治というのは関心があるなしの問題ではありませんし、何よりもこの生活そのものが「政治」によって左右されてしまうのですから、「たかが一票、されど一票」なのです。ぜひ投票所に足を運びましょう。
前にも書いたことがありますが、「黙っていること」は「賛成したこと」と同じなのです。何かに同意するなら必ず「賛成」と意思表示し、不同意なら一言でいい「反対」「異議あり」と告げるべきです。「実は私は反対だったんです」は世の中の流れの中では通用しません。
幼少の頃から自分の意見を言うのが恥ずかしかったり、そもそも「意見」というものがどういうものなのか判断できなかった私は、「おとなしい」とか「消極的」とかと評価され、小学生の頃は「お嫁さん」などというあだ名がついたことさえありました。高校生くらいまでそうだったんですねえ。
30代から40代に組合活動に関わるようになってから、引っ込み思案の私は先輩諸氏にきびしく鍛えられました。「反対なら、たった一言でいいから『反対です』って言えばいいんだよ」と言われた言葉が今も私の支えになっています。そうは言われても、そのたった一言がでてこないんですからね。
もちろん、「賛成」とか「反対」とかといっても、何故そうなのかは言葉で表明できなければならないことは明らかです。しかし、そのたった「一言」が自分の考えをさらに深める扉になるのです。
意志を明確に表明することはこの国では飛び出した釘のように見られて、むしろ意見を言わずなんとなく回りに同化することが美徳とされてきました。しかしそんな態度で、民主主義が発展するはずがありませんよね。
投票も、「たった一票」だが、自分の意志を明確に表明する大切な大切な行為なのです。そこから人々の意志の交流と切磋琢磨、あるいは切り結びと合意形成、いいかえれば民主主義がはじまる。
安保法制反対運動のなかで、多くの市民、とりわけ学生たちが自分のコトバで声をあげ始めましたね。自分の意見を何らかの方法で意思表示する、これが社会のすみずみに広がっていけば社会は変化のエネルギーを得るはずです。
意思表示と行動の中で、大きな変化を作り出せるという実感を持つことができた・・・これこそ昨年の安保法制反対運動から参議院選挙へとつづく市民運動の最大の成果ではないのかと私は思うのです。
ところで、今日の新聞で話題になっていることの一つに、自民党の「密告奨励調査」があります。
毎日新聞は「HPで『偏向教育』調査 教員『密告促すのか』 中立逸脱に罰則検討」と題する
ニュースを報じています。
自民党の調査は、いまなお同党の
ウエブサイトで見ることができますが、その表現は厳しい批判の中で文言が一部変えられています。
この調査は、自民党政務調査会文部科学部会で検討されたものとされていますが、その調査会を取り仕切るのが稲田朋美政調会長とくればさもありなん。
このお方は、先に紹介した「創生『日本』の集会」でも「え〜、(自民党は)国防軍を創設するそんな憲法草案を提出いたしました」と誇らしく語っていましたし、かつて次のように
発言されていたことでも有名です。
国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います。いま私たちが生きているのは、私たちの今の生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた・・・世界中で日本だけが道義大国をめざす資格があるんです。ついでにもう
一つ(48秒後)。
(私は)あらためまして感動しました。何に感動したか、私たちの国旗はいかに美しいかということです・・・国民の一人一人、皆さん方一人一人が自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければならないのです! 決死の覚悟なくしてこの国は守れませんギャ〜〜、稲田女史、スゴイですねえ。のけぞってしまいます。
さて、話を本題にもどしましょう。自民党の学校現場での「偏向調査」についてです。今は削除されてしまいましたが、最初には次のように書かれていました(
ニュースサイト「リテラ」より)。
《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。》危惧するだけなら議論すればいいことです。ところが、ウエブ上のフォームをご覧下さい。「以下、政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください」と書いてあるではありませんか。
これをとりまとめた自民党文教部会長は木原稔衆院議員。かつて「文化芸術懇話会」の代表として「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」とおっしゃった人物です。
その木原議員、ツイートで曰く「残念ながら教育現場に中立性を逸脱した先生がいます。18歳の高校生が特定のイデオロギーに染まった結論に導かれる事を危惧してます」。
要するにこういうことです。自民党の稲田さんや木原さんの考える教育と異なっているならそれはすべて特定のイデオロギーに染まっているということなのです。
・皆さんのおじいさん、おばあさんの時代、日中戦争、太平洋戦争(アジア・太平洋戦争といいます)という戦争があって、日本は中国大陸やアジア諸国を侵略し、数多くのアジアの人々を殺したり苦しめたりしました。日本もまたアメリカの無差別爆撃や原爆投下よって何万人もの人が亡くなりました。1945年には沖縄は本土決戦の「捨て石」とされて沖縄県民は「軍民共生共死」の名の下にアメリカとの地上戦に巻き込まれて、県民の4人に1人が亡くなりました。その反省に立って、戦後日本国憲法が作られ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意」したのです。
・その戦争のとき、長野県からはみなさんと同じくらいの年齢の少年たちが「満蒙少年義勇兵」として当時の「満州」に送り出されました。当時の教師たちは少年たちを熱心に満州に送り出す手助けをしてしまったのです。その少年たちはソ連の参戦によって満州に取り残されたり殺されたり、命からがら逃げたりしたのでした。そうした戦争中のできごとの反省から、日本の教師たちは、もう二度と「教え子を戦場に送らない」と心に決め、平和な世の中をつくろう、生徒たちに世の中のことを自分でしっかりと判断できる力を身につけてもらおうと、努力をつづけてきたのです。
・日本国憲法では、私たち一人ひとりが個人として尊重されるとし、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄・平和主義」を三大原則と定めています。また、この憲法を定めたのは主権者である国民であって、この憲法を守る義務を負うのは「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」なのです。だから、私たち一人ひとりが憲法が守られているのかどうかを注目していかなければなりません。学校で、このような授業を行ったとすると、これは「教育の中立性」に抵触するのでしょうか。上に紹介した方々の目からは絶対に容認できないはずです。なぜなら、日本国憲法の精神という「特定のイデオロギー」に染まっているのですから。以前の動画の主張からみて明白じゃないでしょうか。
日本国憲法が定める教育を行う。これこそ教育現場で教師が守るべき唯一の指針です。自民党の目から見るとこれが偏向なんでしょうねえ。
学校で日々生徒たちと向き合っている教師の皆さん、「特定の、いや特異なイデオロギー」で教育に介入しようとしている、こんな時代錯誤の自民党の調査は決して許してはなりません。全国から声をあげて、その意図を粉砕しましょう。
ところで、いつもこのホームページをご愛読いただいている(はずの)池田町教育長、そのことに感謝しつつ、上の自民党の調査についてのご感想やご意見をぜひおうかがいしたく存じます。また、私が上の例でのべたようなお話を教室(中学や高校)で教師が行ったとしたら、「特定のイデオロギー」にもとづく偏向教育になるのかどうか、あるいは「政治的中立」を逸脱したことになるのかどうか、お考えをぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。