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  7月31日(日)
午後8時、都知事選挙の投票が締め切られた瞬間に、もう当確の発表。全くこのごろの選挙報道ときたら味も素っ気もない。下馬評通りというか、マスメディアが作りあげたというか、パフォーマンスに踊らされたというか、まあ、予想通りということでしょう。自民党はきっちりと小池さんと断絶しなさいね。
鳥越さんは、よく奮闘されたと思います。願わくばもう少しパンチのある政策で都民を引きつけて欲しかったけれど、それは時間の関係から無理というものでしょうか。
都民、市民と野党とが手を組んでたたかったこの経験は必ず近い将来実を結ぶときがくる。それに対して、小池を選んだ都民には厳しい審判の時期が必ずやってくる。なぜなら、彼女は自民党以上に改憲派だからです。
参議院選挙、都知事選挙の結果を受けて、早くも民進党内で野党共闘への見直し論が台頭していると各紙が報じています。もし、共産党と絶縁、あるいは共産党を除く共闘へと民進党が踏み出せば、おそらくそれは民進党にとって凋落あるいは消滅への第1歩となるでしょう。野党共闘によって民進党はかろうじて存在意義を発揮したのですから。民進党は、そのことが全くわかっていらっしゃらないようです。
その逆に、もしそうなら共産党はますます存在意義を増すでしょう。芯のある野党が育つためにはそれもまた通らねばならない道なのかもしれませんね。
ところで、アベ政権が近く行う内閣改造は、改憲布陣になることは間違いありません。稲田朋美氏を要職につけるという話もあるのですから、改憲のためにはありとあらゆる手を使ってくることも間違いない。
東京都が、そうしたアベ自民党と結託して(距離を演出することはいくらでもあり得るが)、都民をその方向へ誘導する可能性もいよいよ大きくなったわけですから、都知事選挙の教訓をしっかりとくんで、地域から戦線を構築し直さなければなりません。
それは東京に限った話ではありません。カネに糸目をつけず、プロパガンダの専門家を無数に配置して襲いかかってくるのですから、並のやり方では太刀打ちできません。われわれもまた腹をすえて立ち向かわなければならないことになります。
アベ自民党は、強そうに見えますが弱点だらけ。カネも力もない庶民は力を合わせるとはどのようなことかを知り始めている。知恵と不屈の精神でたたかえば、恐れることは何もないんですからね。

実は昨日からずっとやっていたことがあったのです。YouTubeには著作権の問題を度外視すれば、貴重な映像がたくさんある。例えば私の見逃した半年前ほどの報道ステーション。古館さんがわざわざドイツまで取材に行ったあの「ワイマール憲法の教訓 なぜ独裁がうまれたのか」をどうしても記録に残しておきたかったのです。
もちろん他の映像も残しておきたいと考えて、まずYouTube映像・音声をパソコンに取り込み、さらにそれをDVDに焼くという作業が可能かどうか、どうすればそれができるかをWindows10で試していたのでした。
あれこれの試行錯誤の結果、何とか成功することができたというのが結論。これならテレビでも視聴できますからね。
すべてフリーソフトでやるというのが前提なので、何を使うか。まず、パソコンへの取り込みは大変簡単で、WinXDVDAutherでURLを入力し、アナライズすると映像を音声を別々にダウンロードしてくれます。
このソフトのうたい文句はDVD作成までやってくれるはずだったのですが、残念ながらWindows10でも7でもエラーが出て実行できず。これで相当時間が取られてしまった。
そこで、あれこれのソフトを試すことになりますが、これまた時間がかかり、結局最後にたどりついたのがVideoPadというソフト。映像、音声をそれぞれドラッグ&ドロップするとDVDに焼いてくれるのです。
もっと簡単にやれる方法があるのかもしれませんが、当面はこれでいくつかのDVDをつくっておこうと考えています。憲法の学習会などには使えますからね。






  7月30日(土)
日本のピアノ界を牽引したピアニスト中村紘子さんが亡くなった。華のある演奏スタイル、あくなきピアノへの情熱、大きな目でこちらを見るとどきどきするような素敵な人でした。
私にとって思いで深いラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番を中村さんの演奏(エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、ロシア国立交響楽団)でききながら追想します。ほんとは中村さんといえばショパンなんですけど。


第2楽章はこちら、第3楽章はこちらです。




  7月29日(金)その2
つばめの親がいっしょけんめいエサ運び。ヒナたちは首を前に突きだして大きな口を開け・・・と、つばめの巣にはおなじみの光景が玄関口で繰り広げられています。私たちが出入りするときに気を付けないと上からボタッときますが、そんなことはお構いなし。
よく見るとヒナが5羽もいるではありませんか。しかも1日1日成長しているみたいで、ずいぶんしっかりしてきた。一番首を長くしているヒナにエサを与えやすいのかなあ・・・それとも、どうやって順番にやるのか不思議です。首の長いのに優先的にエサをやるとすると、どうしたって不公平になるんじゃないかと私などはやきもきしながら見ているのですが。
どうもヒナたちが場所を適当に順番に変えているようにも見えます。日中玄関先はとにかくヒナのエサをねだる声で騒々しい。それでも、やっぱり元気に育って巣立ちの日を迎えて欲しいと妻と二人で軒先を見上げるのが日課になってしまいました。

そこで、杉並児童合唱団による合唱曲「5羽のつばめ」をこのツバメの子たちにプレゼントしましょうね。画面はまっくろだけど、歌は一番上手かな。歌詞はこちら






ついでにおまけ。ピアノの初心者ならバイエルのあと、たいてい弾くんじゃないかなあ。ブルグミュラー25の練習曲から24番「つばめ」。軽やかでいいでしょ。元気で巣立ちを迎えて欲しいので、これもツバメたちにプレゼント。


ツバメを見ている私たちのために、次のアルメニア民謡「つばめ」。その昔「うたごえ喫茶」などで歌われたものじゃなかったかなあ。しみじみといい歌です。


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沖縄高江では、N1地区で座り込みテントを強制撤去した後、写真のように厳重な警備のもとで砂利をつんだトラックがどんどん入り旧林道を拡幅していると報じられていました。上の写真は、琉球新報が紹介するは現在の状況。新しく作られた道路(旧林道)の右、電柱の後ろに木の生えた小高い丘が見えますが、昨年はそこまで登ることができました。真ん中の写真は、その上から座り込みテントを見下ろしたものです。そこから谷間のように細い林道がのびているのがわかります。そこを工事車両が通れるようにN1オスプレイパッドまでの道路を現在つくって”あげて”いるのです。もちろん米軍のために。
下の写真は今朝の抗議活動の様子。20人程度ですが、粘り強く抗議運動が続けられています。






沖縄タイムスは、木を伐採するときに「本来必要な林野庁沖縄森林管理署との事前協議を行わないまま工事に着手」したことや、座り込みテントなどを「所有権が放棄された」とみなして、法的根拠もないままテントや中にあった物品をすべて「名護防衛事務所に持ち去っ」たことを明らかにしていました。


そうかと思うと、県道70号線(高江新川ダム交差点付近)を銃を持ったまま移動する米兵たち(沖縄タイムスより)。


ところで、日本政府は何かあれば「沖縄の負担軽減」とオーム返しに言ってきましたが、アメリカは全くそのように受け止めていないという事実が明白になる文書が明らかにされました。次は27日に琉球新報が報じた米海兵隊の文書「戦略展望2025」。そこには驚くべきことが記載されていたのです。琉球新報の記事から拾ってみましょう。

・最大で約51%の使用不可能な北部演習場を日本政府に返還する間に、限られた土地を最大限に活用する訓練場が新たに開発される。
・(キャンプ・シュワブについて)すさまじい変化を遂げる。
(日米両政府が合意している嘉手納より南の米軍基地の返還・統合計画について)海兵隊は、次世代の海兵隊員やその家族を支えるための最新で、近代化され、効率的な施設で利益を得るだろう。


2014年にも琉球新報はこの文書について報じていて、その記事ではキャンプハンセン、キャンプシュワブの制限空域の高度を現在より高くするために「海兵隊は日本政府とともに特別空域を再設計し、制限見直しに取り組む」と書いていることを暴露。次のように締めくくっています。

両政府は米軍再編で沖縄の基地負担を軽減するとしているが、辺野古移設や新基地周辺での訓練空域の拡張を通して機能を強化させる海兵隊の戦略があらためて浮き彫りになった形だ。

負担軽減どころか、米軍の戦略に合わせてより近代化し機能強化した基地にしようとしていることがわかります。日本政府の欺瞞は底知れません。



  7月29日(金)
東京都知事選もあと今日明日を残すのみ。現在のところ、マスメディアも週刊誌も、小池候補を押し出そうという作戦に見えてしかたがない。というより、鳥越さんを何とか落とそうと躍起になっているようにみえますね。
複数の週刊誌が当時記事にもできなかった「スキャンダルもどき」を引っ張り出して何の裏付けも何もなく、さも「事実」であるかのように報じる。そしてそれにマユをひそめる有権者。東京を舞台に大げさに芝居する俳優よろしく、華々しいパフォーマンスをくりひろげる候補者。数千人が銀座を埋め尽くして候補者に熱狂する群衆、何だかどこかで観たような光景だなあ。

私は選挙中に候補者が何を言うかよりも、住民本位の財源の裏付けを持った政策が作成されているかどうか、政治家ならば過去にどんな言動をしてきたかを当然重視します。パフォーマンスなんてどうだっていい。
小池さんは、極右改憲論者、靖国派、歴史改竄主義者、沖縄差別主義者、核武装論者・・・私に言わせれば、女アベです。いやそれ以上かな?えっ?都政とは関係がない?そんなわけないでしょう。
実際に過去の小池さん自身の声を聴いてみるといいです。小泉内閣時に環境大臣(沖縄及び北方対策大臣を兼任)、第1次安倍政権で防衛大臣を歴任されたお方ですから、講演会や座談会の記録もたくさんありますし、ツイッターなどで結構つぶやいていらっしゃいます。(ただし、2014年ごろからツイッターでの「問題発言」は影をひそめていますが・・・)。

まず、私が関心を寄せる沖縄問題についてはどうか。出展はこちら。日付がないのがちょっと気がかりですが。時間をかけて調べれば確認できるはずです。

尖閣へ1時間程度で到達できる航空機の存在こそが総合的な「抑止力」として効果的。一方で県民大会でオスプレー配備に反対する沖縄は、何を、どこから守ろうとしているのか。

元防衛大臣ともあろうお方が、オスプレイなら1時間で尖閣に行けるのだとおっしゃる。それはその通りでしょう。ところがオスプレイは単なる輸送機だし、アメリカは「岩」のための紛争には巻き込まれたくないと再三言明しています。それを承知でオスプレイの存在を「抑止力」だと言ってはばからないこのお方の頭の構造が知りたい。

スパモニの感想(*1):普天間問題で鳥越さんが「辺野古は流血騒ぎになる」と発言。座り込みの1列目は沖縄のおじい、おばあの皆さんだが、2列目からは「県外」の活動家がずらり。カヌーを操り、環境アセスのやぐらに登るのもプロ。この実状が報じられることは、ほぼ、ない。
注:スパモニとは1993年から2011年までテレ朝で放送していたスーパーモーニングのこと。鳥越さんは2002年から2011年までニュースナビゲーターをしていた。

さて、この記事が書かれたのはそれほど古くはない。その昔は、辺野古の漁港脇のテントで細々と座り込み闘争をしていたのですが、辺野古の基地建設が具体化するにともなってキャンプシュワブの前のテントで座り込みをするようになったからです。
私も何度も訪問していますが、このお方はテントまでいって確かめてきたんでしょうかね。それとも誰かの受け売りなのか。2列目からは「県外の活動家」など「観てきたようなウソをいい」とはこのことです。昔も今も主体は沖縄県民ですよ。私などは隅っこの方で小さくなっていました。
ただし、テントでは県外からの参加を歓迎しています。なぜなら辺野古の基地建設は決して沖縄だけの問題ではないからです。むしろこの国のあり方に関わる問題です。県外だけではなく外国からも支援や取材で沢山の人が訪れています。あたかも沖縄の問題が県外の「プロ活動家」で牛耳られていると印象づける手法。キャンプシュワブ前でこのようにお話になってみたらいかがですか。沖縄差別の最たる例です。
それをさらに裏付けるのは、玉城デニー議員の経験。いちいち引用しませんが、読めばビックリしますよ。いや、さもありなんかな。


続いて憲法問題。

喫緊の課題は「社会保障」もさることながら、国家の「安全保障」です。(社会保障・税の一体改革の野党案を)丸のみするなら、自民党の「憲法改正草案」を丸のみすべし。このままだと憲法改正の実現まで、十年かかる。

民主党政権時の書き込みでしょうか。このお方の改憲論は筋金入りですから、防衛大臣に見込まれたのもうなづけます。こんな記述もあります。

本日、サンフランシスコ講和条約発行日である4月28日を主権回復記念日として祝日とする議員立法を総務会で承認し、衆議院に提出いたしました。祝日が多すぎるというなら、借り物の憲法記念日5月3日を祝日から外します。

これでこそ小池女史。さすがです。しかし・・・ですね。これでもう憲法遵守義務違反で国会議員としてはアウト。なぜ改憲なのか、それについてはいろいろと語っているのですが、たとえば「主体性のある国家へ」(小池百合子オフィシャルサイト)では次のように発言。

もっと本質的、本筋でいえば憲法改正です。解釈変更だけでは、別の総理大臣が出て「また、変えます」といったら終わりです。私は次の総選挙は消費税の利率を巡る議論よりも、むしろ憲法を改正するか、しないか、”どう変えるか“という大きなテーマを打ち出すべきだと思います。
情緒論になりますが、いまの日本は1億人が自信を失っている。揺るぎない経済大国なのに、前向きのエネルギーが出ない。その最大の理由は、ご都合主義で読み方を変える憲法問題に帰着します。21世紀という世界の大きな流れの中で、日本という国がしっかりと礎を降ろして発展していくためには、今こそ真正面の議論に取り組むべきだと思っています。


「日本有事3つのシナリオ」ではもっとスゴイです。こいけさ〜〜んと叫びたくなりそうです。

朝鮮半島有事がいま、現実に起こるかもしれないのです。したがって、今こそ「三矢研究」を行わなければいけない。そこに思いが至らない国会議員は、日本の国会議員ではないんじゃないですか。
軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。


同じような考えの論者が集まり身を寄せ固まって話をしているうちに右へ右へと均質化してしまっている自民党の内幕がよく表れていますね。

引用を続けていても不毛。この人が都知事になったら一体どうなるのだろう・・・と書きながらつい思ってしまったことでした。



  7月28日(木)
どうやら梅雨明けのようですね。一昨日はかなり降ってくれたのでバラも元気ですが、雑草の勢いがスゴイ。「この前取ったばかりなのに、どうして・・・」といいながら、会員たちは汗だくで園内の草とりに懸命でした。

疲れたときにはたまにはゆっくりそよ風のような、いやいや心ときめくようなピアノ曲もいいですね。いくつか気に入った曲をYoutubeから選んでのせてみました。
まずはじめはシューマンの「献呈/Widmung」。これは「そよ風」じゃなくて、とても素敵な恋の歌です。そりゃもう、シューマンが結婚を控えて妻となるクララにミルテの花を添えて贈った曲ですもんね。
初めて聞いたのは今から20年ほど前、来日したピアニストのキーシン(Evgeny Kissin)が小澤征爾指揮でラフマニノフのP協奏曲第3番を弾いたことがあり、そのアルバムの最後に収録されていたもので、一目(耳?)惚れしてしまった曲。まずそのキーシンのピアノで聴いてみましょうか。


この曲はもともと「ミルテの花」という歌曲集に収録されており、ドイツリートでは有名な曲です。ファンも多い。上のピアノ曲は後年リストがピアノ独奏用に編曲したものです。Sarah Williamsのうたでもう一度聞いてみましょうね。初々しく透明な歌声が心地よい。


同じ曲でもまるで雰囲気の違った歌い方となれば、たとえばDiana Damrauさんや、これぞドイツリートというRichter Grimbeekさんのようなのもあります。でも、私は清楚で初々しい素直な歌声がいいなあ。

続いては、メンデルスゾーンの無言歌から作品19の1。「甘い思い出」なんて安っぽい題は当時の楽譜屋が付けたんでしょう、無言歌なのだから無題でいいのです。
学生時代は別として、その後はクラシックについてはあんまり誰のどのような曲かを意識して聞いたことがなく趣味としてもBGM程度。勝手な自分本位の聴き方をしているので、これをお読みのみなさんも適当にあしらってくださいね。
これは、日本を代表するピアニスト田部京子さんの演奏で。


さて、最後はショパンの練習曲からエチュード作品25の1、いわゆる「エオリアン・ハープ」です。
Wikiによれば、エオリアン・ハープとは弦楽器の一種で、「自然に吹く風により音を鳴らす」とありましたが、そんな楽器ってあるのかな?
この曲の愛称を付けたのはシューマンなのだそうで、「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」という感想から来ているのだとか。
私はかつて、私の青春時代を自分史的に描いた短編小説(?)を書いた(お蔵入り)ことがありました。その中でBGM的に取り上げたのがこの曲。これこそ5月の風のようなさわやかな曲。アルペジオが素敵な私のお気に入りの小曲です。ホルヘ・ボレットのピアノでどうぞ。


あとから考えると、何だか3曲とも感じがよく似ていますね。



  7月27日(水)
今日初めて気がついたのですが、玄関先のツバメの巣に生まれたばかりと思われる雛が4羽ほど、親の持ってくるエサを待ってピーピー言っている。え〜〜なんで今頃、とビックリしてもはじまらない。そういえば、玄関先がいやに糞だらけになって、見るからにきったな〜い、ヘンだなあと昨日思ったばかりだったのです。
実は5月だったか、6月だったかツバメが巣作りを始めたという記事を書いたことがありました。ところが、程なくして夫婦仲が悪くなったのでしょうか、巣を放棄してどこかに行ってしまったのです。それからはずっとカラッポのまま。
ところが半月ほど前から、4羽ほどのツバメがやってきては交代で休んでいるように見える。今年巣立った若い兄弟姉妹が寝る場所をここに定めたのだろうか・・ぐらいに思っていたのです。まさか、いまからタマゴを産んで子育てをしてなんて予想だにしませんでした。余りに時期外れですからね。
ところが、何と生まれてしまった。下を歩く人間にはお構いなし、しきりにエサを運んではブリッとやっているのです。
今ならそれはまだ親だけですけど、まもなく子ども達が外を向いてブリッとやりはじめるので、防衛策を講じなければなりません。まあ、小さい命が我が家の軒先で生まれて育っているのですから、多少は我慢して見守るしかありませんね。それにしても天井がきったないなあ。




パソコンのメインマシンはウィンドウズ7でしたが、今日ウインドウズ10にグレードアップしました(29日が無料アップグレード締め切り)。前とは異なってずいぶん素早くできましたよ。
一抹の不安がなかったわけではありませんでしたが、背に腹は変えられない。というのも、ウインドウズ7の保証期間は2020年まで。これが壊れたら7に戻すしかありませんが、持ちこたえれば多少は保証期間が延びるからその分OS代が節約できるかなというみみっちい理由から。
しばらくはソフトの動作がどうなのか見守っていなければなりませんが、使い勝手は大して変わらないので何とかなりそうです。
さっそくRICHOのプリンタドライバが対応していないらしくプリンタを認識しない。ポートを設定し直して10対応のドライバをネットで探しインストールしてようやく動いた。ことほどさように、年金生活者としては、恨み節がこれからしばしば出てくるかも知れません。マイクロソフトさん。よろしく対応してください。

話はまたまた沖縄へ。例の女性殺害遺棄事件を受け、再発防止策として政府が「防犯パトロール」を行うことを打ち出したことはすでにニュースになっていました。パトロール隊というのですから、誰がどう見ても米兵の行動を監視したり警戒したりすることが任務だと思います。
「当分の間、内閣府の沖縄総合事務局と防衛省の沖縄防衛局の職員が20人ずつ、2人1組の40人体制で、青色灯を取り付けた公用車20台で見回りを行う」といい、出発式で島尻沖縄担当相は「必ず何かしらの効果があると信じている」と語っていたはずでしたから。
この任務のため、本省や地方の防衛局からも応援として70人が沖縄に派遣されたのですが、そのパトロール隊員たち、さぞしっかり業務を果たしているのかと思いきや、それらの全員が「実際には米軍北部訓練場のヘリパッド建設への抗議活動への警備だけに従事していることが26日分かった」(沖縄タイムス27日付け)のだという。???なんのこっちゃ。とすると県内でパトロールをしているのは沖縄出身者だけなのか?
隊員の一部が高江に派遣されるという話はすでに流れてはいましたが、今日の新聞では、本土からの応援部隊の全員が高江に派遣され、しかも「米軍キャンプ・シュワブの陸上部工事の再開時にはシュワブゲート前にも派遣する予定だ」というのですから、もはや開いた口がふさがりません。
これらの人たちは国民の税金を使って活動しているんじゃないのですか??監査請求でもされたら一発で終わりだと私などは思うんですけどね。
理由がまたぶっ飛んでいます。「応援の職員は地理に詳しくないため」なのだそう。こんな政府の言うことなど沖縄の人が信じる方が無理というものでしょう。どこまで沖縄県民を見下し差別すれば気が済むというのですかね。
しかし、「本土」でばどのメディアでも全然報じたりしない。視聴率は全くとれないからです。相模原市での殺傷事件と民放ならせいぜい都知事選挙、オリンピック、ポケモンの話題を手を変え品を変えて放送したほうがいいにきまっている。
ついでに、嘉手納基地前の横断歩道、さっそく黄色い線が変更になったそうですね(下の写真;沖縄タイムスより)。米軍の言い分は「横断歩道内にラインが引かれていたので、歩行者が安全に渡ることができるように修正した」。はじめに引いたのはどこの誰なんじゃ。これほどまで県民を愚弄した話も聞いたことがありません。要するに日本政府にとっても、米軍にとっても沖縄県民というのはそれだけの存在だということですね。





  7月26日(火)その2
その後の高江はどうなっているのか。一つは、あの機動隊による暴力的な排除行動がネット上に沢山アップされて憤激をよんでいること。たとえば、次のような機動隊による顔面パンチ映像があります。超ワジワジーです。


次は高江周辺の地図。これまでも何度かアップしてきましたが、今一度よくみておきましょう。


沖縄タイムス取材班によれば、県道N1入り口では、座り込みテントを機動隊の暴力で排除した後、フェンスを張り巡らしたうえで、工事用車両が入ってN1地区でのオスプレイパッドの建設ができるように道路を拡幅し始めたところだといいます。下の写真は、工事現場(沖縄タイムスによる)、およびN1地区でデモ行進する市民。




工事はN1地区ばかりではありません。H地区、G地区でもオスプレイパッドをつくるのですから、どこから工事車両を入れるのかという問題が当然おこります。
現在政府・防衛局が考えているのは、N4ゲート付近から高江の集落を通ってH、Gへ行く道と、新川ダムの堰堤を通ってN1裏ゲートを通り、H、Gへ行く二つの道。しかし、高江集落を通ることはあまりに問題が大きいために、防衛局は高江集落は通らないと過去に再三言明してきた経緯があります。
となれば、新川ダム堰堤を通る道しかないことになります。が、ここは10トンの重量制限があるところ。大量の資材や土砂を摘んだ大型トラックが通ることが果たして出来るのか、しかも一時的ではなく長期にわたってです。
県と交渉した「チョイさん」によれば、県の回答は、
・この問題について防衛局からの協議は今のところない。
・道路法47条2(限度超過車両の通行の許可等)に基づく申請が道路管理者である東村に提出されれば、東村から沖縄総合事務局に書類が回ってくる。その時点で検討したい。
・この申請は車両毎に行われる。
・今まで新川ダム上の道路の重量規制を超える申請はない。

ときわめてあいまいなもの。
N1裏ゲートからN1に入る道路の工事許可も県が簡単に出してしまったために、国有林として返還された土地がまた米軍用の通行路になる恐れが出てきているのです。他にも法令違反の事例がいくつも指摘されており、県のずさんな対応も大きな問題を投げかけています。
チョイさんはこうした法令違反や、今後10トンを超える車両がないかどうか、厳重に監視を強めて行く必要があると強調していました。



  7月26日(火)
相模原市の障害者施設での凄惨な殺傷事件は、その手口といい時間といい、周到に準備されいささかの迷いもなく極めて冷酷に行われたことが明らかにされてきました。形容のしようのないおぞましい戦慄すべき事件であり、この男は現代という魔物が生み出したモンスターの卵なのではないかとさえ思われます。ごくありふれた普通の顔をした。
加害者が勤めていた施設をやめさせられる直前の今年2月に、衆議院議長宛に手紙を書いていたことも報じられ、その全文がネット上で公開されています。これは注目すべき文書です。あるテレビ番組は、これを紹介しながら「整然とした筆致で書いているように見えるが、内容は全く現実離れであり精神的な障害の要素が見える」というような解説をしていました。本当にそうでしょうか。

一見「あんなに明るい子が・・」という若者が、他人にはおよそ理解不可能な暗い闇を抱えているというのは、現代のひとつの特徴ともいえるものではないかと私には思えます。他人とのコミニュケーション能力の欠如が直ちにこうした行動に結びつくというわけでは決してありませんし、多くの人々は苦しみながらも何とか普通の生活を送ろうと努力しているのでしょうし、ある場合には引きこもりに陥ったり、ごく親しい人間だけとのつながりしか求めない場合もあるのでしょう。
しかしこれは、大麻吸引や自ら障害者施設に勤務する中で得た勝手な「人間解釈」によって、自分本位で妄想的な思惟空間を肥大化させ、その中に「重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界」を空想し、それが「世界平和」に結びつくという独特の「思考回路」を形成するに至ったという、特殊ではあるが例外的ではないひとつのケースではないのか。それゆえ、この青年の場合は単に精神を病んでいたとは単純にいえない複雑なものを感じるのです。
これは、ごくごく普通の人間が、何かの出来事(不満、怒り、悲しみなど)をきっかけにオーム真理教に入信し、「解脱」「悟り」を得るために結果的に教祖に絶対的な服従をし、ついには歴史上類をみない犯罪行為に手を染めた多くの青年たちに見られた心理と変わらない。また、「我々の社会は危機に瀕している。徒に弱者や病気の者に助けの手を差し伸べて、適者生存の原理に背いてしまったためだ」と述べたヒトラーの心理と驚くほど類似しているではありませんか。
何としても、この青年の生育歴、考え方の変遷、対人関係などを徹底的に調査し、その背景を明らかにしてほしいものです。さもなくば有効な対策を立て得ない。監視カメラを増やすことや施錠をすること、人を見たら殺人鬼と思えというような外見的な対策のみに捕らわれるならば全く方向を誤ることになります。
今日の過剰消費(浪費)社会、人間関係の破壊と消滅、労働環境の劣悪化と疎外状況がその底流にあることは間違いないところですから、根本的なところにメスを入れなければ、第2、第3の事件につながりかねません。私は強くそのことを恐れます。

さて、昨日夕方、町の社会資本総合整備事業の実施計画が発表されて、その説明会が開かれました。4年前から計画がスタート、私も参加した策定委員会で原案を答申し、その後何度かの委員会やワークショップ、議会での審議を経て最終計画がまとめられ、いよいよ本格的な用地取得と設計施工段階に入ろうというのです。
町の計画内容について、ここであらためて多くを書くつもりはありません。ただ、私としては町の計画のままで事業がすすめられようが、この段階でどうしても言っておかなければならないことがあると考えて、この説明会に出席し質問と意見を述べました。質問の要点は次の5点です。

1.第1期(h24,25)の策定委員会での真剣な議論をどのように総括し、今次の計画(当初予算の1.66倍)に反映しているのか。
2.町の賑わいを作り出す眼目は買い物を含めた商業と住環境の整備にある。この計画のような巨額の費用を費やして「賑わい」を作り出せると考えているのか。
3.交流センターの維持費をいくら見こんでいるのか。また町民の参加しやすい施設とするためにどのような対策を考えているのか。
4.この計画を遂行すれば財政は間違いなく危機的状況を迎える。多額の公債費が他の義務的経費を圧迫、福祉・教育に回すお金がないということになりかねない。財政見通しをどのように考えているのか。
5.他の公共施設を今後どう運営するのか。また老朽化に対する対策や建て替えなどの計画を持っているのか。それを見越した財政計画を持っているのか。

その詳細は以下のファイルにまとめておきました。上は町が発行し全戸に配布したニュースレターです。
このような意見を持つ町民がいたという証拠としてここに残しておきたいと思います。

池田町のニュースレター第8号
町民説明会における私の質問と意見



  7月23日(土)
昨日午前中いっぱいバラ園のオーナーであるMさんの地所(バラ園に隣接)とバラ園周辺の草刈りを会員3人で行いました。最近草刈り機を使って仕事をすると、てきめんに腰にきます。
昨日もじっとしていても鈍痛があったので、今日は午前中はゆっくり。というのも、妻が孫の演奏会のために富山に早朝でかけたので、これ幸いと2度寝していたのです。
ちょっと疲れが残っているかなという感じですが、夕べから今朝にかけて気温が結構低くなっているので過ごしやすい。お昼過ぎからは松本での「こどもじゅく」があるので、まもなく私もでかけなければなりません。

ネコのハルちゃんは、このところ「11歳以上」対象のエサが大変お気に入りで、気がつくと空のえさ入れの前でジッと座って待っている。これまでのエサには見向きもしないのです。まだ沢山残っているのに、これは困った。
何がどううまいのかは人間様にはわからない。わがまま息子のようで、扱いに苦慮しているところです。これは育ての親の責任ですかねえ。

「裏をかく」という言葉がありますが、沖縄高江の事態はまさにそれ。N1裏ゲートと呼ばれる場所(下の図:沖縄タイムス紙より)で工事車両が資材を下ろしたことが確認されましたし、今後もこのゲートを使えるように道路使用許可をとったと報道されています。表からダメなら裏からを地で行く彼らのやりくち。


沖縄タイムス紙は「記者の目」で、22日の強制排除執行の模様をみて、「『戒厳令』という言葉が頭に浮かんで離れない」と書き、同時に「本土でこんなことが起きないことを、県民は肌感覚で知っている。それは政府による沖縄差別だ」と痛烈に皮肉っています。そして、座り込みに参加していた男性の「日本人よー。早く気付かないと同じ目に遭うよ」という声を紹介していました。
辺野古キャンプシュワブのゲート前に行くと、黄色い線が引いてあることに気がつくはずです。ここから先は米軍基地、入ると逮捕するぞというラインです。
嘉手納基地のゲート前でも、目を疑うようなことが起きている。これも沖縄タイムスが報じているのですが、まず記事をみてください。目が点になること間違いなし。
では「こどもじゅく」に行ってまいります。



  7月22日(金)その2
午後1時半、辺野古浜通信によれば、「高江の現場では、逮捕者は出なかったものの、主な車は撤去され、機動隊によるけが人も出たため、これ以上の行動は大きな事故にも繋がりかねないと判断。本日は撤退解散することとなりました」ということだそうです。同時に「1996年のSACO合意から、やがて10年にもなる「合意していない」闘いですが、それでも今日が抵抗の第一歩です」と書き、今後のたたかいへの決意を新たにしていました。
現地からのツイッターでの発信が続々とアップされています。辺野古浜通信のツイッターのサイトが現地の生々しい様子を伝えてくれています。

翁長知事は東京での沖縄振興審議会のあと、記者団の質問にこたえて、「(ヘリパッド建設工事を再開について)県民に大きな衝撃と不安を与えるものであり、誠に残念だ。県民は長年にわたり過重な基地負担に耐えながら日米安保体制に尽くしてきているにもかかわらず、強行に工事に着手する政府の姿勢は到底容認できるものではない」とのべ、強制的な住民排除についても「強制的に排除する事態が生じていることは県民に大きな衝撃と不安を与えるもので残念だ」と語ったと報道されています(琉球新報、沖縄タイムス)。ヘリパッド工事再開に翁長知事が同意したなどという政府の言い分がいかにいい加減であるかがわかります。
翁長知事は、ヘリパッドの建設については態度を濁してきましたが、オスプレイパッドの建設に変えられてからは明確に反対の態度を取るようになっています。
翁長知事は、辺野古基地建設に関わって、政府が訴訟を起こしたことについても「まったく(民意を)聞く耳を持たず、強行に新基地建設を推し進めることは民主主義国家のあるべき姿からは程遠いと言わざるを得ない」と厳しく政府を批判、県民の立場に立ってたたかう決意を示しています。選挙での民意を踏まえればあまりにも当然で、まっとうな意思表示。それに対して安倍政権の強権・暴走ぶりが際だっています。
沖縄県は今日の午前、安慶田光男副知事が県庁に中嶋浩一郎防衛局長を呼んで、政府が警察力を使って住民を強制的に排除していることに激しく抗議。「県や地域住民に十分な説明がないまま工事に着手する政府の強硬姿勢は到底容認できない」として抗議文を手渡したことが報道されました。
今日の早朝、実状を知るために県が土木課の職員を現地に派遣したものの警察によって立ち入りを拒否されたといいます。正規の県の職員がですよ。こりゃもうダメだ。沖縄は本土を見放して「琉球国」として独立しかありませんね。私も巨泉さんに同意して、沖縄県民がその方向を向くなら全力で支援しますよ。
ただ・・・ですね、現在「琉球独立」について研究交流している琉球独立学会の会員はいわゆるウチナンチュに限られていますから、私などは部外者ですが、くれぐれも排外主義的にならんでほしいものですね。ハーフもたくさんいるし、ヤマト人にも同調者はたくさんいるのですから。



  7月22日(金)
今朝の沖縄タイムスは速報で、機動隊数百人体制で東村高江に通じる県道70号を封鎖、機動隊員100人がN1地区の基地出入り口で警戒する住民200人の間を割ってテントや車両の実力排除に乗り出したと伝えました。現場は怒号が飛び交い混乱が続いていると書かれています。
沖縄タイムス取材班のツイッターでは、前日までに座り込みテントには全国から支援物資が届けられたという記述と同時に、今朝7時過ぎにはN1テントの裏側に金網設置やくい打ち作業が行われているとも書かれていました。何の説明もないとのこと。
今朝の信濃毎日新聞は、2,3面で辺野古、高江をめぐる状況についてかなりスペースを割いて紹介していましたが、機動隊数百人が全国から集められ高江に投入されていることには全く触れていません。現地メディアがリアルタイムで報道してくれているツイッター(沖縄タイムス琉球新報)にぜひ注目して下さい。
現地で奮闘されているみなさんに心より敬意を表し連帯のごあいさつを送ります。高江住民、沖縄県民の心を土足で踏みにじるアベ自公政権に何の道理もありません。暴走車両が罪のない人たちに突っ込んでいくようなものです。多くの県民、本土の仲間たちの気持ちは現地のみなさんとともにあります。

昨日の琉球新報は、先日亡くなった大橋巨泉さんが2014年末に「沖縄はもう独立すべきではないか」「日本人は何もできない、駄目な国民だ。日本人に頼って(基地問題を)解決しようと思っても無理だろう」と語っていたと報じていました。
彼らしい突き放した言い方ですが、新報は「沖縄の自己決定権に着目し、日本との決別を提言」という見立て。私も実にその通りだと思いましたね。大橋さんにとって沖縄県民が日本人という理解なのかどうかは定かではありませんけれど、限りなく琉球人であるという見方であることは間違いないところです。
彼が週刊現代7月9日号「今週の遺言(最終回)」で「このままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」と書いた、その悲痛な叫びを、いま辺野古・高江で起こっていることと重ねてみれば、もっともっと彼には言い残したかったことがあったと思わないわけにはいきません。その反骨の「あらがい続ける」心意気を、私たちはしっかりと受け継がなければならないでしょう。

正午、高江からは何ともおぞましい映像が次々とネット上にアップされています。下はN1ゲート前に止められていた最後の車両をレッカー移動している機動隊(沖縄タイムス取材班より)。


琉球新報沖縄タイムスは号外を出して、市民の強制排除が行われていることを伝えています。下は琉球新報の号外(jpeg圧縮画像)。pdfファイルはこちらです。



琉球朝日放送も録画で現地の緊迫する模様を中継しています。下はそのキャプチャ画面。


あの安保国会で何度も答弁に詰まった中谷防衛相は「法律に従って整斉とやっていく」とおっしゃったのだとか。県民の暮らしよりも米軍のための基地を優先する姿勢が露骨に表れて吐き気がします。
道路が封鎖されたために高江地区に行けない市民たちが機動隊とにらみ合って抗議を続けている様子、米軍嘉手納基地やその他の基地周辺で市民の抗議行動が続々と行われている様子も伝えられます。
テレ朝の昼の番組でもネットランキングの8位に入った現地の状況よりも3面記事を詳しく伝えているくらいですからね。こうした沖縄の様子をほとんど無視し続けるテレビ各社の見識が問われています。テレ朝だけが今晩の報道ステーションで特集するかもしれませんが・・。



  7月21日(木) その2
昨年の同じ頃であれば毎日高江に通っていただろうけれど、いまはただもどかしいだけです。が、沖縄県民は工事を阻止できるだけの力を備えている。私としては、そのたたかいをできるだけ多くの人に知ってもらうように、ここでとりあげていくことにしましょう。
沖縄の米軍基地を巡る問題は日々刻々動いています。辺野古をめぐっては、明日国が県を提訴するのだといいます。国が出した是正措置に県が従わないのは違法だとして「翁長知事の不作為を問う違法確認訴訟」を起こすのだそうです。
先の参議院選挙まで含めて、衆参両議院のすべての選挙で自公政権の候補が敗北するという歴史的な状況になってもなお政府は「安保・米軍問題は国の専権事項」だとして問答無用の姿勢。
これはやはりデジャブですね。第1に、沖縄を捨て石として軍民共生共死のスローガンのもと沖縄決戦に県民を駆り立てていった1945年の政府・軍の姿。第2に、1952年の講和条約締結に際して沖縄を米軍の軍事体制のもとに置くことに日米の支配層が合意したこと。
自公政権にとって沖縄はやはり米軍に提供しておくべき捨て石なのであって、その生活や地位の向上のためにアメリカにもの申すことは金輪際考えていないということが、いよいよはっきりしてきたということでしょう。

21日には、沖縄県議会が「ヘリパッド建設中止」を求める意見書を賛成多数で可決しました。自民党県議は「(建設中止により)北部訓練場の過半の返還実現が不透明になる」としてこの意見書に反対したと琉球新報は伝えています。
沖縄タイムスによれば、「意見書は米海兵隊がヘリパッドを使用してオスプレイの訓練を実施する点を踏まえ、県議会としてオスプレイ配備の撤回や在沖海兵隊の撤退を求める意見書を可決していると強調。住民がオスプレイの騒音や低周波音の被害を訴えていることや、機動隊による反対運動の排除を批判し、工事の中止を求めている」とその内容を伝えています。

「チョイさん」のブログによると、19日夜から車内に泊まり込んだ人たちを含め20日午前には200人が集まり、決議採択を控えた県議16名も参加して激励したとのこと。なおこのブログ中、「うりずんの会」による沖縄防衛局での交渉の経緯には興味深い指摘が書かれています。
重大な問題点を指摘されながら、米軍のために唯々諾々と工事を進めようとする防衛施設庁には気分が悪くなります。

さらに今日午後の琉球新報によれば、22日には「早朝から県道70号の複数箇所に検問を設置して一帯を封鎖」し、路側帯に駐車した反対派の車を強制排除する方針を固めたといいます。「辺野古浜通信」では、この情報を受けて、「今日中の高江入り、ひとりでも多くが高江の現場に居ることが出来るよう、周囲に呼び掛けてください。まるで戒厳令です」と書き、抗議行動への多数の参加を呼びかけています。抗議・激励先はこちらです。電子政府を通しての意見・要望はこちら

私自身、今日夕方内閣官房、内閣府、防衛省あてに次の抗議文を送信しました。

沖縄県の米軍北部演習場の一角に位置する東村高江では、高江住民、沖縄県民の強い反対を押し切ってオスプレイパッドの建設が強行されようとしています。
ヘリパッドだったはずが、いつの間にかオスプレイの離発着場に変えられてしまいまい、完成した2ヵ所の先行使用を認めたことで、高江住民はオスプレイによる低周波騒音やヘリの騒音に苦しめられているのです。
ところが政府はその声を全く無視し、あろうことか集落を取り囲むように米軍のためにオスプレイパッドを建設しようとしているのです。「沖縄県民の負担を軽減する」という政府の言い分とどう両立するのでしょうか。
これは沖縄県民の暮らしといのちに関わる問題であり、それゆえ、県議会も反対の決議を採択しているのです。まして、生活をまもるために座り込む住民を排除するために全国から数百名の機動隊を派遣したり、道路を封鎖したりするなどは言語道断の所業といわなければなりません。
強権的・弾圧的な対応を直ちにやめること、オスプレイパッドの建設を直ちに中止し沖縄県民と真摯に向き合いその声を聞くことを強く求めます。


ところで、次の文書をご存じだろうか。アッと驚く、ビックリポンの防衛省文書です。


先日沖縄中を震撼させた元海兵隊員による沖縄女性殺害遺棄事件の「再発防止」をかかげて、日本政府が何らかの対策をとるという名目で「防犯パトロール隊」を結成したのですが、事もあろうに、米兵による防犯そっちのけで、この隊員を「基地建設に反対する県民への監視・規制役」に転用しようという計画が発覚したのです。
上のコピーは、今日の「しんぶん赤旗」が報じた中で明らかにされたもの。文書の標題「防犯パトロール及び妨害活動に対する・・・」がふるっている。このために全国の地方防衛局から男性職員を差しだせという依頼(命令)です。
このような動きがあることはすでに17日に琉球新報が「防犯要員を警備に 県民の安全より弾圧優先か」という社説をかかげて報道していたので知っていましたが、防衛省初の実物文書を見たのははじめて。
辺野古、高江での抗議行動・反対運動の高まりに彼らを動員しようという魂胆みえみえですから、防犯に名を借りた「とんでも命令」といわなければなりません。
琉球新報の言うとおり「これを茶番と言わずして何と言おう」。なりふり構わず沖縄県民を弾圧し、言うことを聞かせようという彼らの浅ましい腹黒い意図がこの文書から滲み出しているではありませんか。沖縄県民を愚弄するにもほどがある。許しがたいことです。



  7月21日(木)
沖縄東村高江はもはや「標的の村」ではなく、「圧殺の村」「圧殺の森」ではないのかと思わせる事態が続いています。
今日の琉球新報は、「高江強制撤去『いよいよ始まる』 市民ら警戒、応援呼び掛け」と題する記事で、22日にも封鎖している車両やテントを強制撤去し工事車両が入れるように実力行使するのではないかと報じています。一方の抗議する高江住民、沖縄県民は明日は1000人規模の集会を開く予定であることも。
琉球新報取材班は、これまでの辺野古問題取材班から「辺野古・ヘリパッド問題取材班」に組織替えして、連日現地に足を運んでツイートしてくれています。沖縄タイムスも同様に「沖縄タイムス辺野古・高江取材班」に変えて連日報道しています。

足立、多摩、習志野、柏、久留米、横浜、福岡などというナンバーの機動隊車両が続々とヤンバルの森を貫く道路に並ぶ異常。わずか160人の集落、抗議行動も普段は30人程度、多くて150人というテント周辺に全国から500人、沖縄県警を含めると800人以上という機動隊員を集めてどうしようというのですか。
「圧殺」というのは、政府・沖縄防衛局が高江の住民の意思を完全に圧殺しているというだけではありません。真実を知らせるべきマスコミもまた、ここで起こっている国家権力の暴力を国民の目から隠しているのですから、「オスプレイいらない」という沖縄の民意を「圧殺」する側に加担していると指摘されても言い逃れできないはず。これは単に一地方の片田舎の出来事とは訳が違います。
都知事選での候補者どうしのやりとりを「場外乱闘」などといいながら面白おかしく報道するヒマがあったら、たとえ10分でも高江の実状を流したらどうなのでしょうか。

三上知恵さん撮影の次のYouTube動画、彼女の文章とともに全国に拡散しましょう。何度も言いますが、まず沖縄高江で何が起こっているのかを知ってもらいましょう。あなたの町でこんなことが起こったら、あなたはどうするのか。あきらめるのか、受け入れるのか、たたかうのか、どこへも行きようがない場所に住んでいるとしたら、あなたはどうするか。想像してみましょう。常時オスプレイが集落上空を低空飛行し、米軍車両が行き来しているということを忘れずにです。


三上さんは、全国から動員された若い機動隊員の中にはからなず矛盾を抱えて悩んでいる人もいるのではないかと推測します。何のためにこんな所まできてこんなことをさせるのか、戸惑う隊員はかならずいるはずですね。機動隊員が敵じゃない。
「沖縄県民の負担を軽減する」などとうそぶきながら取り返しのつかない「負担」を押しつける冷酷で能なしの日本政府中枢の連中こそ、オスプレイの低周波騒音の中で仕事をしてみるといい。
長い長いたたかいの中で鍛えられた沖縄県民は、たとえ実力で排除されようが、監禁されようが、不屈の魂でたたかい続ける。仮に工事が完成しオスプレイが飛び回ることになろうが、やがてついに見放され放逐されるのは、現政権の閣僚のみなさんであることを私は予言しておきましょう。歴史とはそんなものです。

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午前中はバラの会の定例作業日。今日はバラ園センター(周りより一段高いサークル状の花壇)の縁木を新しい材木と交換する作業が第一。午前9時から作業を始めて11時前には何とかやり終えることができました。
これまでの材木は、もう6年も経ってすっかり朽ち果て原型をとどめないようになっていたため、ヒノキ材を使って一新したのでした。これで、わがバラ園の縁木はヒノキ材のみ。総ヒノキ造りという豪華な仕様になりました。あと5年はもってくれるでしょうか。
その後は、休憩場所にある大きなプラム(すもも)の収穫。今年は例年になく沢山の実をつけて、熟れた実が次々と落ちてくるのです。
よく熟したものはたいへんおいしいので、とくに女性のみなさんは大喜び。最後にはブルーシートをひろげて、実をはたき落として収穫ということに。まあ、放っておくと休んでいるところに上から落ちてくるので、落ちそうなものを取ってしまおうという算段での行動。ものすごい量の収穫と相成りました。








  7月20日(水)
この数日暑い日が続いて、午前10時過ぎに畑仕事をしていると身体が焦げてしまいそうです。実際、長袖がきらいな私の腕はもう真っ黒。妻は「皮膚ガンになるよ」と警告してくれているのですが。
昨日夕方、我が家のブルーベリーを収穫しようとして、ハチに刺されてしまった。ブルーベリーの木に巣を作っていたんですね。よく草取りをしていてやられるのですが、今日は親指の付け根あたり。すぐに毒を絞り出したので大したことにはなりませんでしたが、やはり「蜂の一刺し」は痛〜い。
家の周りにはたくさん蜂がいて、ふだんは近くに寄ってきてもじっとしていればどうということはないのです。ただ、巣に近づくと襲ってくるので蜂はこわいですね。

さて、昼は外へ出る元気もないので、部屋でうじうじしています。このところ時間がたっぷりあるので、昔々買って積んでおいた本を取りだして読んでみるかなと計画しているところ。時間があるからといって、何かに集中できるというわけではないのですが。
読んで見るかと取り出したのが、MNEMOさんの記事によく登場するカール・セーガンの「COSMOS」です。この本、今から10年ほど前に、初版本の原書(ペーパーバック)を買い求め、さらにそのあと古本屋で翻訳の単行本(朝日新聞社)を手に入れて、そのままお蔵入りになっていたのです。他の本もだいたいそうなのですが、いずれ読もうと思いつつ結局果たせないまま現在に至ったという次第です。
右の原書は沢山のイラストや図解があって見ていても楽しいのですが、日本語は全く味気ない。イントロを見ると、日本語では1/3くらい省略されていました。大半はTVバージョンの撮影にまつわるエピソードなどですから、まあどうということはないのですが。
かつての「Conspiracy of decency」同様、辞書を引き引き、ちょっとずつ読んでいくとすると果たして何年かかるのやら。気がつくと同じ単語を何度も引き直している。単語が全く頭に入らない。それでも、根気強く付き合っていれば何か生まれてくるかもしれないと思って、また少し苦労してみようと思っています。ひょっとしたら中学生のころの「わくわく感」が湧いてくるかも・・・
著者は、「一般の人(私のような人?)たちは、広く信じられているよりもはるかに知的」だと、うれしいことを言ってくれています。そしてこの本の目的について「科学の思想と、方法と、喜びとのいくらかを人々に伝えようという、希望にみちた実験」だと言うのです。
この本が書かれた当時はソ連がアフガニスタンに侵攻したりポーランドで「連帯」が活躍し始めたりという時代。ジョンレノンが凶弾に倒れたのも1980年。ソ連崩壊まであと10年という国際情勢も複雑に動いていた頃なのですが、カール・セーガンの科学に対する真摯な態度、人類の叡智への信頼という前向きの姿勢はどこから生まれてきたのでしょうね。
彼は、この著作の前にアメリカの火星探査計画(バイキング)に参加しています。1号、2号が火星への着陸に成功、新しい到達点を築いた自信がその背景にあることは間違いないと私は思うのです。
しかし、一方で彼はTVシリーズの撮影で世界各国を訪ねており、その先々で主に軍関係からの妨害や予期せぬ事態と直面することになります。それを踏まえて「地球規模の軍事力の存在=国民の心の中にある恐怖=が至る所にあった。こうした経験が、TVシリーズでも書籍でも社会的な問題を関係があると考えられる場面で扱う決意を固めさせた」と彼は書いています。手放しで科学礼賛、科学至上主義という立場ではないことは明らかです。
というわけで、とりあえず「intorduction」を読み終えました。科学書なのに意味不明なところがいっぱい。どうしたもんじゃろのう。ふ〜〜。

蛇足ながら、火星探査途中での砂嵐のために、たった一人取り残された男とそれを救うNASAの苦闘を描いたアメリカ映画「オデッセイ」を観ました。アメリカならではの科学力の見せつけと結構老けてきたマット・デイモンの飽きさせない演技とで、大変面白い映画に仕上がっています。ついでに様々な国のスタッフが力を合わせるところ、とくに中国が強力な援助を申し出るというのがなかなかよい。荒唐無稽な「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」などより、よほど見応え(娯楽映画として)があります。



  7月19日(火)
テレビではフランス・ニースでのテロ、北朝鮮のミサイル発射、アメリカでの共和党大会、ソフトバンクのイギリス企業買収などについてのニュースを次々と流していますが、沖縄で何が起こっているのは全くといっていいほど無頓着です。

沖縄県東村高江では、昨日までに全国から機動隊員が500人(1000人になる予定とも)も高江に集められ(豪華なカヌチャベイリゾートホテルに泊まっている)、抗議する住民を力ずくで排除しオスプレイパッドの建設が強行されようとしているのです。このことについては、先に(4月15日)詳しく経過を含めて書いたことがありましたね。
機動隊の派遣については、防衛省や自民党の中にさえ、重火器を備えた暴力団対策じゃあるまいし、こんなに多数の機動隊を配置して何をする気かという批判があると聞きます。
工事車両がゲートから入るのは午前5時半という常識外れの時間です。今日も、機動隊に守られて工事車両や関係者の車がゲートから入ったことが確認されています(琉球新報)。また、今日午前中から正午あたりまで、東村の役場からさらに北に行った宮城区と高江新川ダム付近の2カ所で検問を行ったことが報じられました。米軍車両はフリーパスというのですから、抗議活動に参加しようとする住民への圧力であることは明らかです。


次はいつも写真をいただいている「チョイさん」の撮影された昨日のN-1ゲート前の様子です。N-1ゲート前というのは、昨年まで私が何度も通ってこの場でも紹介したあのテントのある場所です。上2枚は、抗議する住民らを強制的に排除している機動隊員。下は機動隊が去った後の抗議集会。






本土に住む人間から見ると余りにも遠い場所(実は沖縄でもかなり遠い)の出来事であり、しかも新聞などで見る限りは、過去の日米合意に基づいて米軍演習場内におけるヘリパッドの建設ということから、この反対運動に正当性はあるのかという疑問がまず起こります。ヘリパッドが生活圏に余りにも近いという点は問題だとしても、あくまで基地内のことだから入り口を車両で塞いだり身を挺して抗議するのはやり過ぎではないのか、という「素朴」な疑問。
そうした疑問が少しでもおありの方、あるいは何が問題なのかを詳しく知りたいという方は、私の4月15日の記事または次の記事をぜひご覧下さい。
何よりも重大なのは、@このヘリパッド建設計画が住民に何も知らせないまま、Aしかもわざわざ居住区を取り囲むように計画されたこと。B次に、当初ヘリコプターの発着場として計画されたものが、これまた勝手にオスプレイの発着場に変更されたことです。
Cさらに既存のヘリパッド22地点のうち、7地点が返還(返還される北部演習場内)され、その代わりに6地点が出来るはず束だったのに、日本政府が先に完成した2カ所を先行提供したために、ヘリ発着場が24カ所になってしまったことです。そして、Dこの2カ所の新規発着場を軸にオスプレイがすでに飛び回り夜間飛行の騒音、低周波音など子どもや家畜・動物への大きな影響がでていること、など問題が余りにも多いのです。琉球新報社説は、この工事再開の問題点を具体的に指摘したあと、「真の負担軽減は着陸帯を造らず、やんばるの森を地域に返すことである」ときっぱり言い切っています。

また、機動隊が住民を強制的に排除していることについて、「チョイさん」は次のように指摘しています。

住民らがオスプレイパッドの工事着工を阻止するために、テントを張り車両を止めている場所は、県道の路側部で沖縄県が所管している道路敷の中だ。すでに県は、撤去に向けた指導を始めている。防衛局や外務省、さらに海兵隊らは、その県の指導の帰趨を見ておればいいのであり、道路管理者を差し置いて、これらの3者が、直接、住民らに撤去を求めるのは全くの筋違いだ。
まして、16日の要請文で、「19日を経過してもテント及びその内部に放置された物件については、所有権を放棄したものと見なす」としているが、防衛局ら3者が、何故、そのような権限を持っているのか?


次は17日の高江N-1地区テント前の様子。大勢の防衛局職員がかり集められています。さらにこの日、機動隊の実力規制によって一人の女性が倒されて頭を強打し救急車で運ばれるという事態も起こりました。








全国のみなさん、これらの状況についても、「チョイさん」の記事や三上知恵さんのブログなどを通して沖縄東村高江(「標的の村」)で何が起こっているのか、是非知ってください!そして政府・防衛省には抗議の声を、高江住民のみなさんには励ましと連帯の声を届けましょう。



  7月16日(土)
今日からはじまったTBS系列のドラマ「仰げば尊し」、寺尾聰と生徒たちが緊張感を持って好演していて見応えがありました。これからが楽しみです。
いかにも古いドラマのタイトル「仰げば尊し」、いまの子ども達には絶対にピンとこないでしょう。聞いたことはあるかもしれないけれど、何も実体は伴っていないはずですね。
だいたい「仰げば尊し」と感じる教師が果たして何人いたのか、「身を立て名をあげ」のような立身出世主義など、今日の学校教育とは相容れない歌詞もあるはないか。確かにその通りで、子ども達に押しつけるような曲・歌でないことは明らかでしょう。「思えば糸年この年月 今こそ別れ目・・・」なんのこっちゃ、となるかもしれませんね。 
このドラマの舞台になっているようは現実の学校現場での体験からいえば、教師最後の1年の経験は、かなりこの学校の状態と似ている面がありました。万引き、暴力(生徒・教師双方)と対峙して悪戦苦闘した日々がよみがえってきます。ただ、その学校では「仰げば尊し」などという雰囲気とはおよそ縁はありませんでしたが。
それとは全く反対に、私の教師1年目から5年目までの名古屋での定時制高校時代は、全く違った意味でこの歌詞を地で行くような実践を積み重ねることのできた夢のような日々でした。
それゆえ、この歌が先のドラマのタイトルになったのは果たしてどのような意図によるものなのか、大変興味あるところです。

ところで、私の世代の大人たちにとっては事情はいささか違いますね。多分みんなこのメロディーを聴くと懐かしくて涙がこぼれそうになるんじゃないでしょうか。
この曲が想起させる思いでの種々は、ある人にとっては小学校時代であり、ある人には中学や高校と様々でしょう。懐かしさに胸が熱くなるというケースが大半でしょうけれど、中には「嫌な消し去りたい思い出」がよみがえる最悪の曲という人もいるかもしれませんね。いずれにせよ、幼少の頃の生活の一コマと否応なしに結びついている曲なのです。
私の場合も、あくまで中学時代の記憶と結びついているわけですが、一時期であれ、学校でも聞き歌った曲として私にとっての青春賛歌なのです。
松竹映画「二十四の瞳」にもこの曲が使われていましたね。

物心つく中学1年の担任は、男勝りの女教師でした。彼女は宮城県出身、その連れ合いが予備校教師で、高校時代にずっと個人的に数学を教えてもらうことになったのでした。
その女教師、話し言葉はかなり荒っぽく気の強い先生でしたが、その後のおつきあいの中では家族ぐるみ本当に親身にいろんな世話をしてくれた。私に最も大きな影響を与えたご夫婦となったのでした。
日本が戦争に負けてからまだ15年ですから、学校現場には本当にいろいろな教師がいたのです。私が子どもごころに惹かれていたのは、生徒たちからも教師たちからも軽んじられていた芸術関係の教師たちでした。
音楽を教えてくれた人は芸大出身だったけれど、気が弱く生徒たちへの統制も全くとれない。しかし私は彼女の音楽(ピアノ)のレベルと技量を尊敬のまなざしを持って見、接していました。何の弾みだったかその教師が中学2年生の私に「チェロを弾いてみませんか」と誘ってくれたのです。なぜチェロだったのか謎だったしそれには応えられなかったけれど、その真剣な言葉は強烈な印象を残してくれました。
また美術(図画工作)の男性教師は、かなり変わった人で生徒には無頓着、ハリーポッターでいえばセブルス・スネイプのような感じでした。私は、彼の荒っぽい画風がとても気に入っていて、何かにつけて質問していたのです。彼は、熱心に食いついてくる生徒には限りなくやさしい面があって、苦労して仕上げた私のエッチング作品を高く評価してくれて、それが本当に嬉しかった記憶があります。私自身、まじめで生一本な生徒ではありましたけれど、その一方で、腕は一流だがどこかはみ出しているような教師が好きだったんですねえ。
教師としてはいい加減な人もいたことは事実で、それは生徒たちはいち早く見破っていた。たとえそうだとしても、当時の教師たちを形成していたことには間違いがなく、反面教師的に見ていたとしても、私にはやはり懐かしいのです。
ただ、私にとっての中学は「仰げば尊し我が師の恩」はあくまで”枕詞”で、「思えばいと疾しこの年月、今こそ別れめ いざさらば」の語感が醸し出す友人たちとの年月、出会いと別れこそこの曲の実体となっているのです。



  7月15日(金)
雨があがって、昼過ぎから強い日差しが戻ってきました。外へでて畑仕事をする元気もなく今日は1日休養日です。
ここ2年ほどずっと腰の痛みが改善せず、一進一退を続けてきていたのですが、昨日はとくに痛みがひどくて、妻に指圧をしてもらったり痛み止めを飲んだり、湿布をしたりしてもらっていたら今日は少しはよくなりました。
私的な見立てでは、かつて静脈瘤の手術をしたときに痛めた神経の刺激が座骨神経に届いているのではないかということ。左腰が集中的に痛いし、過去の椎間板ヘルニアとも違う痛みなので、医者でみてもらっても多分ほとんど治療法も効果もないのではないかとシロウト的には考えているのです。
となれば、痛めた神経の炎症が治まるのを待つか、筋肉を強化するかしかないことになる。
畑の草取りなどでは、いびつな身体の使い方をするので、悪い効果しかありません。あまりひどければ整形外科に行かなければなりませんが、とりあえずは身体をいたわりつつ、筋力アップに精を出そうと思っています。

というわけで、しばらくは身体づくりに努めつつ、いままでやれなかったお勉強をしっかりやっていこうと考えている次第。
しかし、いざ集中して何か本を読もうと思っても、時間があるだけ何かができるわけでもない。逆に忙しいほど問題意識も鋭くはかどるってことがあるものです。
ここ1年ほど中断してきたビデオのDVD化という仕事もあるし、沖縄のことをもう少し体系的に調べてみたいということもあるし、まあ、ゆっくりと時間にまかせてみようと思っているところ・・・。ぐうたらと楽したいだけなのかな??



  7月14日(木)
松本での「こどもじゅく」は、現在新しく入塾の希望が増えています。しかし、この一年くらいを振り返ると、長く続いている少数の子たちに対して、家庭の事情からか長続きせずに来られなくなる子もいて、一回一回が勝負という感じです。
スタッフはいまのところ、退職者と学生で何とか回しているという状態で、それぞれの子のプログラムを組んで長期的にカバーしていけるというまでには至っていません。
それぞれの家庭で、こちらとしてはうかがい知れないさまざまな問題があるのでしょうが、わずかの時間の学習サポートはあくまで学習面のみ。塾の運営は主としてメインスタッフがあたっているので、私自身は必要な学習サポートに全力をあげるという立場のみ。もっと時間がほしい、もっと丁寧にやれば絶対にわかるようにできると思っても、そうはいかないもどかしさの中で、一回一回を終えているというのが正直な現状です。
松本駅のすぐ近くの松本協立病院が学習の場所を提供してくれているので、一年前から見れば格段に便利にはなっているものの、解決すべき課題はいっぱいあります。おそらく、こうした無料塾の悩みは共通しているのでしょうね。何よりも、こうしたとりくみに理解をもって援助してくれるスタッフの充実が急がれると私には思えます。

東京都知事選挙が今日告示されました。総選挙終盤、マスコミは都知事選狂騒曲とでもいうべき狂乱状態で候補者選出に関するあれこれを報道していました。
メディアの果たすべき役割は、なぜ桝添知事が辞任するに至ったのか、そもそも桝添知事が知事になるにあたって自民党や公明党がどのような役割を果たしたのか、まずその点から情報を正確に伝えて有権者の判断の材料にしなければならないはずです。
しかし、どの局もそんなことはすっ飛ばして、自民党の分裂劇、野党の水面下での候補者選考など表面的なことばかりを報道していたと私には見えました。
私自身は、鳥越さんが市民目線での都政をめざして立候補されたこと、宇都宮さんが出馬を辞退し野党一本化に協力されたことを称えたいと思います。
東京都といえども、日本の地方自治体の一つであることには変わりありませんから、2元代表制です。首長の権限は極めて大きいものがあります。住民の福祉という観点から政党の枠を超えて実施出来る政策は数多くありますから、住民の立場を貫いて基本政策を定め、さらにその政策を日々豊かにしていってほしいものです。野党の結束で勝利を勝ち取ってほしいと心から願っています。

私自身今日初めて知ったのですが、自公推薦で都知事選に出馬される増田さんは東京電力の取締役だったんですね。TEPCOのプレスリリースとして役員人事が発表されて、7月8日付けで(社外)取締役を辞任したことが明らかにされました。原発問題については、そりゃ政府・東電と同じ立場であるわけです。
増田さんは「実務能力」を強調されますが、自公政権を見れば分かるとおり、そこには「実務能力」に長けた方はいくらもいらっしゃる。しかし、そうしたお方がいくら集まっても日本はこの体たらくではないのでしょうか。
つまり、問題はいかに東京の課題を正しく認識し、それに方向付けを与えるかなのです。大都市が進むべき具体的ビジョンを指し示し(大風呂敷ではなく)、それらの課題をどう解決するのかを住民とともに誠実に求め解決する手腕こそが問われる。それは沖縄県であれ、池田町のような小さな自治体であれ、同じことです。
実務能力はないよりはあったに越したことはない。しかし、その実務能力が政府自民党と直結した中央寄りの姿勢であれば、東京は中央政府の下請け機関と何ら変わらない。
中央政府に「住民目線」「地方自治」などを期待する方が土台無理だということは沖縄と福島が何より雄弁に物語っているじゃありませんか。東京であれ、他の自治体であれ、地方自治の本旨(住民福祉の増進)に沿った政治が今こそ求められる、それができる「可能性」を持っているのは都知事選候補の中では鳥越さんだけだとと私は見ています。

昨日は母の祥月命日でした。2007年に亡くなりましたから、それから9年も経ったことになります。
命日といっても特別なことをするわけではなく、お花を飾って二人でお参りをしただけ。お墓はこちらにはありませんから、いずれ近いうちに富山に墓参りにいきたいと思っています。
年をとっても、父母や祖母のことを考えて思い出されるのは何といってもまだ小学生の頃の断片的な田舎の風景です。稲の香りとともに、馬屋のにおい、土蔵の冷気などがよみがえってくるのです。多分、生まれて初めて接する異質なものの新鮮な驚き、それが自分につながっているという無意識の感動なのでしょうね。亡き父母や叔父・叔母たちともっと心の中で会話しなければ・・。





  7月12日(火)
午前中は一年ぶりのブルーベリー摘みにでかけました。大町の知り合いの広い農園では、ちょうどブルーベリーが旬。どうしてこんなに大きくなるのかと思うほど木が大きい。我が家のブルーベリーは何年経っても小さいまま。やっぱり土と肥料なのでしょうか。
親戚に送るために数キロは摘まないといけません。なにしろ粒が小さいので、どれだけとってもかごの中は実が増えません。
木によっては酸味が強かったり味が薄かったりするので、5個に1個ほどは口に入れて味見。結構お腹に入ってしまいました。とにかく無心に約1時間ほどとってようやく二人とも約3キロ。日が高くなるにつれて猛烈な暑さが押し寄せ、もう汗だくになったので切り上げることにしました。
この農園では、誰も管理者がいないときは勝手に摘んで計量し代金を払って帰っていいしくみにしているとのこと。妻が農園のご主人に「それじゃお金を払わずに行く人もいるんじゃないですか」と聞いた。すると、「前にそんなのがいたけど、そのあとは2度と来なかったね。道ですれ違うと目をそらしていた」「中には1.2キロとかと書いてきちんと代金を払っていく人もいるだいね」だそうです。このあたりはのんびりした田舎ですから、心優しき人ばかり、そんな不心得者はいないということでしょう。


東京では、鳥越さんの出馬表明で都知事選挙の構図がほぼ固まってきたようですね。鳥越さん、気持ちは十分伝わりますが、身体は大丈夫なんですか。それだけが心配です。
野党統一候補としてたたかうには時間が本当に少ないのが気がかり。参議院選挙とはまた違って政策も自治体に関することですから、鳥越さんらしい都民目線のきちんとした政策を示してほしいものです。
もう一つの気がかりは宇都宮さんの態度。今日の朝日系列の番組で4人の候補がそろって司会者の質問に答えていました。宇都宮さんは何が何でもという態度ではなかったのが救いでした。ほとんど同じような政策の候補が二人では野党側も分裂になってしまいます。できれば1本化できるように努力してほしいと願わずにはいられませんでした。

さて、またまた参議院選挙の話題。投票率は長野県が62.86%(全国平均は54.7%)で全国1位だったらしいですね。そりゃもう双方一歩も引かない激烈なたたかいでしたからね。関心もおのずと高くなったのでしょう。
この投票率を言いかえると、全国で半分の有権者が投票に行かず、全国1位という長野でも実に4割が投票していないということです。「政治に関心がない」「忙しくてそれどころではない」「どうせ投票しても何も変わらない」「投票しないのもひとつの意思表示だろう」・・・何だかそんな声が聞こえてきそうです。
そんな声を乗せてアベ暴走車は崖っぷちに向かって突っ走っている。飛び降りるのならアベさんだけにしてほしいのに、みんなを道連れにして、ですから始末に負えない。
今度の選挙結果を、投票しなかった人も含めて対有権者比でみると、自民党は18.9%、公明党7.1%、合わせても26%にすぎません。投票総数比でみても、自民党35.9%、公明党13.5%ですから、半数に及んでいません。それでも議席だけはどっさりというこの選挙結果。
要するに、議席ではなく得票で見れば与党は信任されていないってことです。アベノミクスが信任されたというようなコメントをアベさん得意然と語っていましたが、選挙制度のマジックでそうなっているに過ぎません。
実際に比例の得票数で全国一区として計算してみました(括弧内は実際の議席)。すると自民党43(56)、民進党25(32)、公明党16(14)、共産党13(6)、維新11(7)のようになるのです。相当にゆがんでいますね。衆議院となるとさらにそのゆがみはひどくなります。
小選挙区と中途半端な中選挙区制の組み合わせ、それに1票の格差とで、参議院の選挙制度は歪みっぱなし。自民党は、小選挙区制度と政党助成金とで成立している政党ですから、比例代表を削ることはしても、小選挙区制度を手放すことはしない。となれば、この制度の下でも自民・公明を政権の座から落とす政党と市民のパワーをつける以外にありません。

この野党統一の動きのなかで特筆すべきことは全体として「反共」を前提とした立場が持ち込まれなかったことです。一昔前の、「共産党を除く野党の組み合わせ」が長く続いたことを思えば隔世の感があります。
それを可能にした大きな力は共産党自体の議席と存在感の増大でしょう。もう一つ挙げるとすれば、市民の共闘を願う力の大きさです。
とすれば、今後を展望する上で大事なことは「日本共産党」が確固とした市民権を獲得すること、そして学生を含めた市民運動が全国のすみずみで幅広い発展を遂げること、その二つがカギになります。共産党が「確固とした市民権を獲得する」とは、共産党を支持しともに運動に参加するという広義の意味ですし、「市民運動」も単に国政だけではなく、地域のさまざまな問題や科学・芸術・文化などの問題に多様に関わることを意味します。
私自身の「市民」としてのこれからの課題もある意味でそれに尽きます。



  7月11日(月) その2
民進党の細野豪志さん、今年の5月にアメリカ・ワシントンで開かれた日本政治に関するシンポジウムで、共産党との共闘について「われわれは選挙協力という言葉を使っていない。共産党が自らの判断で候補者を出していないにすぎない」と語ったといいます。
今日、いろいろ選挙について調べていて目にとまった記事ですが、こんなお方も民進党にはいるんです。共産アレルギーがこの党のなかにどれだけ強いか、いろんな機会に話題になりますから。
しかし、こうした事情も知らない議員をよそに、民進党が統一の約束を守って最後まで揺るがなかったのには岡田代表の力があったことは明らかです。
細野さんのために少し振り返っておきましょう。5月と言えば、このときにはすでに全国で野党統一の話が進んでいた頃です。5月31日にはもう「全国32の1人区ですべて野党統一の見通し」というニュースが流れていたのです。
この野党統一の話が具体化したのは、今年2月19日の5党首会談でした。その場で、戦争法の廃止や国政選挙での協力などで共闘することを約束する4項目の合意が成立します。そして23日からは幹事長、書記局長レベルで具体的な詰めが話し合われたのでした。
党首会談での合意は、
(1)安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
(2)安倍政権の打倒を目指す
(3)国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
(4)国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う、
でしたよ。これには、国政選挙などあらゆる場面で強力する、とちゃんと書いてある。細野さんはよもやこのことをご存じないとは言われないでしょうね。知っていてそのように言っているなら悪質です。
長野では、統一候補の杉尾さん、共産党に対して「候補を下ろしてまで共闘を組んでくださったことに心から敬意を表する」とおっしゃっていました(安曇野市での街頭演説)。爪のアカでも煎じて飲んで欲しい。

さて、JIJI.COMによると、アベ首相は今日の記者会見で、改憲への意欲をにじませ、その際「自民党改憲草案をたたき台に、与野党の合意形成が進むことに期待感を示した」のだそうです。
「わが党の案をベースにしながら3分の2を(どう)構築していくか。これがまさに政治の技術だ」・・・そうでなくっちゃ、アベさんとは言えません。
任期中に何とか糸口をつけたいけれど、やはりあの自民党改憲草案はアベ改憲のキモだし、側近中の側近が作成したものですから、譲るわけにはいかない。しかし、起草委員の一人だったケンタ(若林健太前参議院議員、この選挙で杉尾ひでや候補に大差で負けた)くん、落下傘に負けたしなあ、あまり強引にやるとまた同じ様なことがあるかもしれないし・・・と考えているのかどうか。
しかし、以前にも書いたようにアベ自民党を動かしている「日本会議」は究極的には日本国憲法の「そっくり取り替え」を狙っているとはいえ、まだアベノミクスの幻想が国民の頭から消えないうちに、当面当たり障りのなさそう(に見える)「参院選挙区の『合区』解消、緊急事態条項の創設、環境権の新設」などから手をつけるのでしょう。それが「政治の技術」ですよ。その後は「愛弟子」の稲田朋美女史を総理に据えて全面的改憲へと進むのかな。くわばら、くわばら(死語)。

沖縄東村高江では、選挙が終わった今日、ヘリパッド(実はオスプレイパッド)建設のための作業車が基地のメインゲートから次々と入り、反対の住民。市民と県警機動隊との間で混乱が広がっていると報じられていました(琉球新報)。
昨年12月には翁長知事がオスプレイ配備に反対するとの公約から「今の状況では(オスプレイのペリパッド使用を)分かりましたとは言えない」と述べて高江の着陸帯設置を容認しない考えを表明していました。
今日の工事車両の進入強行についても、「不意打ち的な搬入であり、政府が沖縄に理解を示そうとする姿勢が全く見られない。県民を欺くような行為は不信感を深めるだけで、残念だ」と不快感を示したと伝えられます。
北部訓練場の一部を返還することと引き替えに、高江村落を取り囲むように作られようとしている(2基は完成、オスプレイが飛び回っている)オスプレイ着陸帯は、住民にとっては死活の問題です。
「安倍政権の強行姿勢にも、沖縄はひるまない。将来を見据えた県民の不退転の決意の表れだ」と琉球新報社説。辺野古新基地建設だけではなく、それと連動した高江のオスプレイパッド建設をやめさせるために、連帯の運動をさらに高めていきたいものです。



  7月11日(月)
ふたを開けてみれば、長野県では野党統一候補の杉尾さんの圧勝。「やや優勢」「横一線」というマスコミの情報が外れて、約7万4千票もの大差での勝利でした。自民党は長野を最重点区として、アベ首相が3度も遊説に訪れ、小泉進次郎議員や安倍内閣の閣僚が強力にテコ入れしました。こうした激しい選挙戦を制しての野党の勝利ですから、その意義は計り知れない。
杉尾候補の勝因は、第1に、候補者が知名度抜群の元TBSキャスターであったこと。そして彼が民進党の候補者であったこと。第2に、野党3党と市民との共闘体制が早期に成立し、きっちりした政策協定を結んで選挙戦に臨むことができたこと。第3に、市民レベルで創意工夫をこらした選挙応援の体制が全県的に組まれたこと。
ちょっと週刊誌的な見方をすると、長野選挙区の得票でもっとも「得をした」のは民進党と自民党でしたね。自民は2者択一の選挙となったこともあって、選挙区では前回より13万票以上も上積みし、比例でも前回より7万票弱の得票増。民進も選挙区で前回の羽田+唐沢の45万票からさらに12万票上乗せ、かつ比例では実に12万票上乗せしたのです。
それに対して、共産党は得票はほぼ変わらないものの、比率で若干減らし、公明・社民もほぼ前回並みという結果でした。つまり長野県では、「戦争法廃止」という大義のもとで野党共闘は勝利したものの、その土台となっている野党それぞれの「お家の事情」はやや複雑です。

池田町でそれを見ると、さらに状況がはっきりします。得票率で今回の比例票(括弧内は前回)を見ると、自民31.8(28.6)%、民進27.0(17.5)%、共産16.4(17.0)%、公明10.7(11.3)%ですから、やはり民進への期待が大きかったことがわかります。
池田町の共産党はある意味で民進のために杉尾さんを必死に(鮎沢県委員長「共産党の候補であるかのように」)押し上げながら同時に比例で共産党への投票を訴えなければならないという歴史上初めての課題に取り組まなければなりませんでした。全国的な課題にこたえるためには、相当に票を上乗せしなければならなかったのですが、それ自体は果たせなかったとはいえ複雑な状況下でよく持ちこたえ16%台の得票を維持したと思います。獅子奮迅の活躍に頭が下がります。
これを安定的に20%台の得票に結びつけるためには、今日の課題に見合った新しい活動スタイルを作りあげていくことが求められているのでしょう。
ともあれ、池田町では杉尾候補に投票した人3271人(56.1%)、若林候補に投票した人は2446人(42.0%)と、杉尾さんが圧倒。この成果は、地元の共産、民進支持者の活動はもとより、「町民の会」のとりくみ、とりわけ署名活動は大きな力を発揮したのではないでしょうか。杉尾候補の得票は奇しくも署名数にほぼ見合うものだからです。
「町民の会」の活動スタイルは、いろいろ問題もあるとはいえ、全国にも誇れるものだし貴重な経験をたくさん積んできたと断言できます。近いうちに、きちんと総括して教訓を明らかにしないといけませんね。

とはいえ、全国的には改憲勢力が参議院の2/3という極めて重大な結果がもたらされてしまいました。もちろん、自民党は改憲などは争点にならないという立場で、徹底して「争点隠し」をしてきましたから、この結果がストレートに改憲につながるわけではありません。だが、過去の2度の選挙を見ても、アベノミクスのみを争点にしながら秘密保護法、TPP、安保関連法へと突っ走っていった自民党の体質をみれば、いつどのように「改憲」の道を踏み出すか予断は許されません。
これからの課題は、それぞれの自治体独自のくらしや子育て・教育などの課題にとりくみつつも、一方でアベ改憲を許さないこれまで以上の運動がもとめられるでしょう。それをどのように構築するのか知恵を絞るしかありませんね。

ところで、この選挙で沖縄ではやはり統一候補の伊波さんが現職閣僚の島尻さんに10万票以上の大差で勝利しました。妻は「伊波さん当選してよかった〜〜」ではなく、「島尻が落ちてよかった〜〜」と大喜びでした。そりゃ、自らの公約を反故にして中央自民党直結の言動ばかりでしたから、妻だけではなく県民の総スカンを食ったということです。よかった、よかった。



  7月10日(日)
妻はボーリングの大会で昨日から一泊で県外にでかけているので今日は1人。朝7時過ぎに投票を済ませて、畑に向かいました。その途中、「ぜひ投票を」と頼んでいた青年が「行ってきたよ!」と元気な声。何だか気分が明るくなりました。
畑はこの間の選挙活動の「おかげ」で草が伸び放題。クワやカマでは太刀打ちできないので、ともかく草刈り機で丹念に刈り込みました。その間約2時間。もう朝からかなりの暑さで長くはやってられない。10時には引き上げてシャワーを浴びて少し休憩。

これをお読みでまだ投票に行っていらっしゃらないかた、是非早めに投票を済ませて下さいね。若い人には「どうせ投票したって」とか「政治に関心がないから」などという人も見かけますけれど、政治というのは関心があるなしの問題ではありませんし、何よりもこの生活そのものが「政治」によって左右されてしまうのですから、「たかが一票、されど一票」なのです。ぜひ投票所に足を運びましょう。

前にも書いたことがありますが、「黙っていること」は「賛成したこと」と同じなのです。何かに同意するなら必ず「賛成」と意思表示し、不同意なら一言でいい「反対」「異議あり」と告げるべきです。「実は私は反対だったんです」は世の中の流れの中では通用しません。

幼少の頃から自分の意見を言うのが恥ずかしかったり、そもそも「意見」というものがどういうものなのか判断できなかった私は、「おとなしい」とか「消極的」とかと評価され、小学生の頃は「お嫁さん」などというあだ名がついたことさえありました。高校生くらいまでそうだったんですねえ。
30代から40代に組合活動に関わるようになってから、引っ込み思案の私は先輩諸氏にきびしく鍛えられました。「反対なら、たった一言でいいから『反対です』って言えばいいんだよ」と言われた言葉が今も私の支えになっています。そうは言われても、そのたった一言がでてこないんですからね。
もちろん、「賛成」とか「反対」とかといっても、何故そうなのかは言葉で表明できなければならないことは明らかです。しかし、そのたった「一言」が自分の考えをさらに深める扉になるのです。

意志を明確に表明することはこの国では飛び出した釘のように見られて、むしろ意見を言わずなんとなく回りに同化することが美徳とされてきました。しかしそんな態度で、民主主義が発展するはずがありませんよね。
投票も、「たった一票」だが、自分の意志を明確に表明する大切な大切な行為なのです。そこから人々の意志の交流と切磋琢磨、あるいは切り結びと合意形成、いいかえれば民主主義がはじまる。
安保法制反対運動のなかで、多くの市民、とりわけ学生たちが自分のコトバで声をあげ始めましたね。自分の意見を何らかの方法で意思表示する、これが社会のすみずみに広がっていけば社会は変化のエネルギーを得るはずです。
意思表示と行動の中で、大きな変化を作り出せるという実感を持つことができた・・・これこそ昨年の安保法制反対運動から参議院選挙へとつづく市民運動の最大の成果ではないのかと私は思うのです。

ところで、今日の新聞で話題になっていることの一つに、自民党の「密告奨励調査」があります。
毎日新聞は「HPで『偏向教育』調査 教員『密告促すのか』 中立逸脱に罰則検討」と題するニュースを報じています。
自民党の調査は、いまなお同党のウエブサイトで見ることができますが、その表現は厳しい批判の中で文言が一部変えられています。
この調査は、自民党政務調査会文部科学部会で検討されたものとされていますが、その調査会を取り仕切るのが稲田朋美政調会長とくればさもありなん。
このお方は、先に紹介した「創生『日本』の集会」でも「え〜、(自民党は)国防軍を創設するそんな憲法草案を提出いたしました」と誇らしく語っていましたし、かつて次のように発言されていたことでも有名です。

国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います。いま私たちが生きているのは、私たちの今の生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた・・・世界中で日本だけが道義大国をめざす資格があるんです。

ついでにもう一つ(48秒後)

(私は)あらためまして感動しました。何に感動したか、私たちの国旗はいかに美しいかということです・・・国民の一人一人、皆さん方一人一人が自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければならないのです! 決死の覚悟なくしてこの国は守れません

ギャ〜〜、稲田女史、スゴイですねえ。のけぞってしまいます。
さて、話を本題にもどしましょう。自民党の学校現場での「偏向調査」についてです。今は削除されてしまいましたが、最初には次のように書かれていました(ニュースサイト「リテラ」より)。

《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。》

危惧するだけなら議論すればいいことです。ところが、ウエブ上のフォームをご覧下さい。「以下、政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください」と書いてあるではありませんか。
これをとりまとめた自民党文教部会長は木原稔衆院議員。かつて「文化芸術懇話会」の代表として「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」とおっしゃった人物です。
その木原議員、ツイートで曰く「残念ながら教育現場に中立性を逸脱した先生がいます。18歳の高校生が特定のイデオロギーに染まった結論に導かれる事を危惧してます」。
要するにこういうことです。自民党の稲田さんや木原さんの考える教育と異なっているならそれはすべて特定のイデオロギーに染まっているということなのです。

・皆さんのおじいさん、おばあさんの時代、日中戦争、太平洋戦争(アジア・太平洋戦争といいます)という戦争があって、日本は中国大陸やアジア諸国を侵略し、数多くのアジアの人々を殺したり苦しめたりしました。日本もまたアメリカの無差別爆撃や原爆投下よって何万人もの人が亡くなりました。1945年には沖縄は本土決戦の「捨て石」とされて沖縄県民は「軍民共生共死」の名の下にアメリカとの地上戦に巻き込まれて、県民の4人に1人が亡くなりました。その反省に立って、戦後日本国憲法が作られ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意」したのです。
・その戦争のとき、長野県からはみなさんと同じくらいの年齢の少年たちが「満蒙少年義勇兵」として当時の「満州」に送り出されました。当時の教師たちは少年たちを熱心に満州に送り出す手助けをしてしまったのです。その少年たちはソ連の参戦によって満州に取り残されたり殺されたり、命からがら逃げたりしたのでした。そうした戦争中のできごとの反省から、日本の教師たちは、もう二度と「教え子を戦場に送らない」と心に決め、平和な世の中をつくろう、生徒たちに世の中のことを自分でしっかりと判断できる力を身につけてもらおうと、努力をつづけてきたのです。
・日本国憲法では、私たち一人ひとりが個人として尊重されるとし、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄・平和主義」を三大原則と定めています。また、この憲法を定めたのは主権者である国民であって、この憲法を守る義務を負うのは「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」なのです。だから、私たち一人ひとりが憲法が守られているのかどうかを注目していかなければなりません。


学校で、このような授業を行ったとすると、これは「教育の中立性」に抵触するのでしょうか。上に紹介した方々の目からは絶対に容認できないはずです。なぜなら、日本国憲法の精神という「特定のイデオロギー」に染まっているのですから。以前の動画の主張からみて明白じゃないでしょうか。
日本国憲法が定める教育を行う。これこそ教育現場で教師が守るべき唯一の指針です。自民党の目から見るとこれが偏向なんでしょうねえ。
学校で日々生徒たちと向き合っている教師の皆さん、「特定の、いや特異なイデオロギー」で教育に介入しようとしている、こんな時代錯誤の自民党の調査は決して許してはなりません。全国から声をあげて、その意図を粉砕しましょう。

ところで、いつもこのホームページをご愛読いただいている(はずの)池田町教育長、そのことに感謝しつつ、上の自民党の調査についてのご感想やご意見をぜひおうかがいしたく存じます。また、私が上の例でのべたようなお話を教室(中学や高校)で教師が行ったとしたら、「特定のイデオロギー」にもとづく偏向教育になるのかどうか、あるいは「政治的中立」を逸脱したことになるのかどうか、お考えをぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。



  7月8日(金)

これは日本青年協議会(あとで説明)2015年4月号の漫画コーナー「憲法の時間です!」に載った宇宙戦艦ヤマトのパロディの一場面(「日本会議の研究」より)です。
艦長が「改憲砲発射用意!!」と号令をかけるところ(図表7)から始まり、「デス将軍」率いる「護憲艦隊」を「1000万の賛同者エネルギー充填」で粉砕するという幼稚なストーリー・・・なのだが、問題は二つめの図表8。「憲法改正まであと480日ーー」というナレーションに注目です。
「護憲艦隊が粉砕される」のは、まさにこの参議院選挙なのです。「つまり、『日本青年協議会」(=「日本会議」の事務局)は2016年の参議院選挙で勝利し改憲を実施するぞと宣言している」。それも「改憲」のカの字も言わないこの選挙においてです!
マスメディアが、参議院選挙まであと1日を残すだけという日に、しかも誰がみても改憲が重大争点になっているのに、「都知事の候補者選び」に国民の目を釘付けにしようとしている構図、ヘンだし不気味じゃありません??

今ネット書店でも店頭でもよく売れている本に菅野完さんの「日本会議の研究」(扶桑社新書)というのがあります。今年の5月1日に初版が出て、発売後には首都圏で書店での入手困難となるほどだったとか。1ヶ月ですでに第4刷というのだからすごい。
私自身は今日、いきつけの本屋さん(池田町)で手に入れてきて、電話がけの合間にずっと読んでいました。だから本屋に行った以外は外出なし。
「週刊金曜日」(7/8号)には、日本会議の正会員を名乗る男から菅野さんに脅迫電話があり、それを録音したものをYoutubeで公開したという情報とともに、6月27日に東京で行われた講演会(在日大韓民国民団主催)の模様を紹介する記事(岩本太郎氏「『左翼嫌い』でまとまる日本会議=菅野完氏が強調」)が載っていました。
また、この本の発売日には日本会議から扶桑社に「出版の差し止めを求める」という申し入れが届いたのだというウエブ上の記事も見かけました。

この本で菅野さんは、日本会議の源流に「生長の家」学生運動があり、その後「生長の家」と袂を分かつことになった原理主義的グループである日本青年協議会メンバーがどんな足取りをたどったのかや、その中で形成した太い人脈について詳しく解明しています。1年にわたって取材や調査を精力的に続けてきた裏付けを持つだけに極めて説得力があります。
この本の各所で触れられている元祖「生長の家」は、創始者の谷口雅春氏から3代目となって現在では「eco左翼」(菅野氏)とでもいう立場をとるようになり、今度の参議院選挙では「自民党および改憲勢力は支持しない」という声明を出しました。これは歴史の復元力、人間の良識の勝利とでも言うべき出来事でしょう。
「与党とその候補者を支持しない」という6月9日付けの声明には次のようなくだりがあります。(6月22日には自民党以外の改憲政党も支持しない声明を出した)
宗教団体としては、これは実にまともで理知的であり、正鵠を射た声明ではないだろうか。

最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。
同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の八割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。
当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば原理主義≠ニ呼ぶべきものです。
私たちは、この原理主義≠ェ世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。


ところで、先の「日本会議の研究」には注目すべき言及がいくつもあります。
その一つは、「日本全体が右傾化している」という見方は正しいのだろうかという問いかけと、そのように見せている現象の裏に何があるのかという追跡です。
その二つは、「元生長の家信者」(原理主義グループ)が主として宗教関係団体をも糾合し、今では安倍政権を動かすまでになった彼らが狙う「改憲」の標的はこの参議院選挙に絞られており、その「改憲」も「目標は、憲法9条ではなく、緊急事態条項と家族条項の追加だ」というように、極めて戦略的であることを具体的に暴露していること。
これは、「9条守れ」「戦争する国への道反対」と単に言っているだけでは、彼らの思うつぼにハマるということを意味します。「緊急事態条項」とはナチスの「全権委任法」に匹敵するものであり、それさえ通せば内閣は万能の権力を手にすることができるからです。
場合によっては共産党を非合法化することさえ簡単です。それを意識してかどうか、昨日も紹介した不破哲三さんの演説の後のぶら下がり記者質問で、「緊急事態条項が通ったら共産党の非合法化はあるか」という問いが飛び出しました。サンケイは、「そういうことをやってくることはあり得るよね。今すぐのプログラムはないでしょ」と不破さんは答えたと書いていました。
その三つめは、手法が「民主的」であると述べていること。菅野さんの言葉を借りれば「むしろ本音は『明治憲法復元』を隠した古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく、民主的だ」ということです。
大変違和感のある奇異な指摘ですが、どれほど彼らが市民運動などの経験をも取り込み、地道に粘り強く主張を広げてきたかの反映でもあるのです。
「このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう」という菅野さんの指摘は現実味を帯びています。

確かに時代錯誤的な感覚を持った「日本会議」の面々が安倍政治とともに前面に踊り出し、日本の政治を牛耳っているかに見えます。
しかし、私は、現在の日本の政治の力学を「日本会議」だけに収斂させていくことは大変危険だと思っています。
たしかに政治の各場面で大きな役割を演じてはいますが、それはあくまで軍隊でいえば最前線でたたかう兵士のようなもの。各宗教団体で号令をかけている面々はその軍団の長かもしれないけれど、その背後にはもっと大きな深層の事実があるはずだということです。
多分それは、戦前の軍部の思想と人脈。もう一つは、政財界に受け継がれた戦前思想の系譜。これからはそこにもっとメスを入れなければ、この国を歪め、作り替えようとする連中の本当の姿は見えてこないのではないかと私には思えるのですが・・・。



  7月7日(木)

真夏の太陽が照りつけて暑い1日。この暑さで草の伸びがすごい。午前中はバラ園で草刈り機をつかって周辺の草刈りをしたのですが汗びっしょり。おかげでいい運動になりました。その後が大変でしたけど。

現在86歳という共産党不破前議長が甲府と神奈川で街頭演説に立った。あの産経新聞がウェブ版ニュースで異例の扱い。「86歳の“レジェンド”が吠えた! 『野党共闘は対ヒトラーのレジスタンスだ』」
昨日も夜遅くまで昨年記者クラブで行った講演の模様を妻と聞いていました。しゃべり方がぎこちなく年を感じさせるところはあるものの、話の組み立てはさすがだし事例の例証もきっちりしていましたから聞き応え十分。
街頭演説は記者クラブとはまるで違って、言語明瞭、論理明晰、昨年来の市民運動の発展、野党共闘の前進、安倍政治の矛盾の深まりをうけて、今日の情勢と共産党の役割をより明確にしたものです。
サンケイの「ウェブ版ニュースで異例の扱い」と言ったのは、演説のほとんどを”テープ起こし”をして紹介してくれていること。サンケイも、共産党の動向がよほど気になるのか、それとも「これだけの度量があるのだぞ」ということを示したかったのか。
「ヒトラーのレジスタンス」というのは、第2次大戦中ヨーロッパでナチスに対するレジスタンスは様々な立場の人が統一戦線を組んでたたかったこと、その際に「神を信じる人も信じない人も」が合い言葉だったことを紹介し、統一戦線というのは本来そういうものだと不破さんが強調したことを短絡的にそう表現したものです。
この演説は必見の価値があります。


さて、長野選挙区は激しいたたかいになっていますが、選挙戦に入ってから長野全域で各種の謀略ビラが撒かれていることが報道されています。私が見た一つは、サンケイの記事を切り抜いただけのもので、「政府が『共産党は破防法調査対象』と答弁書を閣議決定」とした今年3月の記事がそのひとつ。
アベ=サンケイ連携が際立つ記事ではありますが、どこが出したか一切不明、団体名など何も書いてありません。家々のポストに放り込んでいく手法はまさしく「謀略」としか言いようがありませんね。誰がやっているかは過去の経験からほぼ分かってはいるのですが、こうしたやり方がいまだに通用すると考え、大規模に策動するレベルの低い連中がいるっていうのは実に嘆かわしいことです。
もっとも、自民党政権およびそれを支える日本会議などの時代錯誤と反国民性がその震源地ですから、やはり草の根から対決していく以外にうちやぶることはできません。

昨日の動画は2012年「創生『日本』東京研修会」での録画の一部であったことがわかりました。
集会のほぼ全体を収録したものを見つけたので、あらためて紹介しておきますね。司会は言わずと知れた櫻井よしこ先生です。
身内の会合だから、ついホンネが出てしまうんでしょうなあ。ものすごい。ネトウヨのレベルじゃないって誰かが書いていたけど、まさにその通り。日本の極右総結集。いやいや、不破さんの指摘が現実味を帯びて迫ってきますなあ。テレビでやってほしい。どんどん拡散しましょう!!


このYoutube動画(14分過ぎ)で出てくる長勢甚遠さん、実は私と同郷の富山出身なんですねえ。系図によれば父親は魚津市議会議員の長勢甚正氏。富山時代にはよくお名前を聞いたことがありましたっけ。このお方は富山県議会議長を務めた鹿熊久安氏のお嬢様と縁組みされ、元県教育長の森丘金太郎氏とも縁戚関係がありますから、件の甚正氏は富山ではまことに由緒正しいお方です。
私より二つとちょっと年上で、富山高校を卒業後東大に入り、卒業後は労働省へ。1988年に退官し、1990年に衆議院議員に初当選して以来、森派のメンバーとして内閣官房副長官や第1次安倍内閣の法務大臣へと階段を上っていくのです。
2012年には政界を引退表明されたようですが、議員時代は当然のごとく「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属、いろいろともの騒がせなお方だったようです。
法相になった2006年12月、「「法治国家で確定した裁判の執行は厳正に行われるべき」として4人の死刑囚の死刑執行を12月25日に「クリスマス」プレゼントしたことで有名。2000年頃、ある飲み会の席上で「日本は不況じゃないよ。まだ餓死者が出てないからね」とお話になったというのもお聞きになったことがあるのでは?
統一教会の合同結婚式に祝電を送ったり、カネと女でもいろいろと話題を振りまいたお方なのですが、それ以上にこの方の「思想」というのはどこから仕込んだものなのか。
アベといっしょの森派ですから、そのドンの「薫陶」を受けていることは間違いないし、秘書大堀幸男(建設業界のドンと書かれたこともある)を通してアパグループとも密接な関係を持っていましたから、富山という保守王国の素地に加えて、日本会議の人脈を通して前時代感覚を肥大化させていったのではと勘ぐっている次第。それにしても、同郷の方々はみんなこのお方と同じ考えの持ち主とみなされちゃいそう。
エリートコースをお歩きになり、政界にお出になって「過去に刷り込まれた」人権・平和・民主主義の考え方を精算されたこのお方の頭の中って、どうなっているのかしら??



  7月6日(水)
家の周りでは「ノカンゾウ」の花がたくさん咲いています。アブラムシがたくさんついて、見かけはあまりよくありませんが、丁度この季節の花。亡くなった母の命日にはよくこの花を飾っていました。この花が咲くといつも「ああ、まもなく祥月命日だな」と母のことが思い出されるのです。

台風1号の進路が気になりますね。昨年沖縄で経験した台風15号は、風が強くなってから3日間もそれが続き停電もあって大変でした。このあとも次々と新しい大型の台風が発生するのではないかといういやな予感がします。早く季節がきりかわってほしいものです。
そういえば沖縄はマンゴーの季節。友人が立派な果実を送ってくれました。さっそく一ついただきましたよ、ものすごくおいしかった。Tさんありがとうね。


昨日夜の観劇は青年劇場の「臨界幻想」。「1981年初演の『臨界幻想』を、3.11以降の現実を踏まえて改作した」ものです。「30年前のドラマは、今もなお呼吸し続けることになった」と作者であり演出家のふじたあさや氏は語ります。
「演劇は主人公のなかにわれわれ自身をみいだすためにみる、映画は主人公のなかにわれわれ自身を失うためにみる」とは加藤周一さんの言葉だそうです。
「臨界幻想」のなかで冒頭「心筋梗塞」(実は白血病)と医師から告げられて死んだ青年は、いつか近未来の私ではないのか、原発会社がカネと権力にものをいわせて人々の口を塞いでいくのは、5年前女川で聞いたことではないのか。加藤さんの言葉が頭をよぎります。
いつの間にか福島の出来事が遠い過去のことで、ごく狭いある地域での出来事であったかのように記憶を改竄され、この道しかないかのように演出される。
しかし、劇中の原発企業に対して、あくまで息子の死の真相を突き止めようとする母親と、原発の安全性に疑問を持つ若者たちの必死の姿勢が、真実に忠実であろうとする人々の心を動かしやがて息子の死の真相に迫っていく。しかし、そのときには原発は途方もない重大事故を引き起こした後だった・・・。いつの世にも、不正義に抗い節を曲げず、場合によっては死をも恐れず真実をもとめてたたかい続けようとする人々がいる。それこそ未来への希望です。
ほとんどマスメディアでも実態が報道されない原発労働者の姿を浮かび上がらせているこの演劇は、3.11を経たからこそ実に重たい現実を突き付けてきます。にもかかわらず、政権党は憲法はもとより「原発再稼働」などの原発問題すらこの参議院選挙での争点にしようともしていない。
藤田さんの言う「臨界」とは「原子力の時代」と同義で、それが「幻想」だったのだと藤田さんはいいます。
「そんな時代が来たと思い込んだのは、錯覚だったのだ。大体、たかがお湯を沸かすためだけに、どうして核分裂を起こさせる必要があるのだ。原発を推進することで、得をする誰かがいるのだろう」

今日の新聞報道でも、各種の世論調査でも改憲勢力が2/3を上回る勢いだといいます。電話での聞き取り調査だからある意味では現在の状況を反映している面もあるのでしょうが、逆にこの世論調査が「世論を作っていく」側面も無視できない。つまり2/3ならもう選挙に行ったってどうしようもない、という空気を醸成してしまう効果があるからです。
実際は、1票でも多く取った方が当選する。従って最後の最後まで訴え続けることが当落を決めるということです。こんなに共産党が伸びるとは思わなかったという状況を作り出せばよろしい。
昨日・今日と20代の若い青年と話をする機会があって、ついでに野党統一候補への支持をお願いしました。話をしていての印象では、彼らのまわりではまず政治の話などほとんど無縁だということ。60代、70代では何かにつけていろんな関係ができて考えたり語り合ったりすることがあるでしょうが、若い世代ではその環境が極めて乏しいのです。
しかし、未来に生きるのは私のような年寄りではなく若い世代。「臨界幻想」のような良質の劇を見て「われわれ自身をみいだす」きっかけにしてほしいと願わずにはいられません。

自民党の政策がまだ民進や共産よりましだと思っているみなさん、北朝鮮が尖閣を攻め沖縄や日本本土を侵略するかも知れないと不安に思っているみなさん、私などは次の映像を見ると、これって北朝鮮よりスゴいことになるんじゃないかって思ってしまうんですけど・・。Youtubeから「憲法改正誓いの儀式」、日本会議の集会ですかね。


本日、先に発表した「池田町財政白書2016」のweb版をトップページに載せました。引用の際はご一報ください。




  7月4日(月)
最近視力の衰えが著しい。少し前にも書いたような気がしますが、「衰え」は見かけ上の「改善」と裏腹に進行しているので、余計にやっかいです。
現在のメガネは遠近両用で、一年くらい前まではそれでかなり通用していたのが、最近は遠くを見るときだけメガネが必要になり、近くを見るときはメガネを外さないといけないというように、一手間かかるようになってしまったのです。近くはメガネ無しで全く問題なし。しかし、遠くも裸眼で0.3〜0.5くらいまで「回復」しているので、普通の生活ではあまり問題はないのですが、車を運転するときはそうはいかない。メガネの前面を持ち上げるタイプのものがあるようだから、今度はそれにしようかな・・とも。
裸眼で近くを見ることができるのも悪化の進行中のできごとで、それもしばらくの期間なのだろうから、せいぜいブルーベリーでも食べて養生することにしますか。
というわけで、今日は近くの直売所でブルーベリーを1キロ(1100円なり)買ってきて、たっぷり食べております。節約生活とはいえ、目のためですから・・・。

最近の暑さはちょっと異常。一年前の沖縄での暑さを連想させます。西日本は高い海水温を高気圧の張り出しを反映してかクレージーな暑さです。
高気圧の東南アジア方向への張り出しが弱まり、梅雨明けとなれば台風の季節。今年は、高気圧のヘリを回って超大型の台風がやってくるのではないかと心配です。この異常気象のもとでは、どんな規模の台風に発達するか、まったくわからない。政府も「温暖化対策」などどこ吹く風で、「成長」オンリーのアベノミクス突進ですから、いよいよこの国は自然災害のデパートになってしまうのではないでしょうか。

テレビでは、バングラデシュでのテロで犠牲になった日本人7人について繰り返し放送しています。痛ましい犠牲を出してしまった今回のテロ事件。どんな口実であろうが絶対に許されない卑劣極まる凶行・蛮行です。犠牲になった人たちの志や活動をテレビで見るにつけ、やりどころのない怒りと悲しみを感じます。心からご冥福をお祈りするばかりです。

日本にとってもバングラデシュにとってもかけがえのない未来ある多くの人たちの命を「十字軍」と一絡げにして殺害する彼らの短絡的かつ狂信的な犯行は、いかに彼らが追い詰められているかの反映でもあるのでしょう。
イラク、シリアで支配地域を次第に失っていく彼らが、その影響力を誇示しようとすれば、テロを拡散して行く以外にない。追い詰められれば追い詰められるほど、狂信的な集団の常としていっそう激しい活動にのめり込んでいく。おそらく厳重警戒をかいくぐって、まだまだこの手のテロは続くとみなければなりません。
そのはしりであったあの9.11テロを戦争とよび、「有志連合」を巻き込んで無謀なイラク戦争に突入したアメリカの責任は、テロの拡散の前ではかすんでしまっているかにみえます。日本もアメリカに同調して自衛隊をイラクに送り込んで以来、イスラム・テロ集団の標的になってしまった。
そこから抜け出すには、あくまでも軍事力で民間人も巻き込んで彼らを押し込め抹消するようなやり方では通用しないはずです。暴力的な攻撃には適切な反撃は当然必要でしょうが、それ以上に過去の誤った対応を明らかにしつつ、民族間の差別と対立、貧困を国際的に解決する具体的なプランを作りあげるしか道はないのでしょう。
トランプのような自国中心の排外主義では事態をいっそう複雑にし、危険を増大し、さらに軍事力の行使へと際限なく負のスパイラルに落ち込んでいくしかありません。行き着く先は徹底した管理社会・監視社会です。
そうした道筋をつくるうえで最も強力に貢献できるはずの日本が、アメリカの政策に全く追随し言いなりになっている恥ずかしさ。日本もまたその負のスパイラルにアメリカとともにどこまでも落ち込んでいくのでしょうか。それでは7人の犠牲者はいつまでたっても浮かばれない。



  7月2日(土)
沖縄辺野古の新基地建設問題はいま一体どうなっているのか。
まず、沖縄県民の中では、「県内移設反対」が83.0%、「翁長知事の姿勢を評価する」が77.2%と新基地建設反対の声が圧倒しています。(5月30日、31日琉球新報・沖縄テレビ調査
自民・公明など中央に直結した一部勢力が、この声を削ごうと懸命になっているのを尻目に、さきの女性殺害遺棄事件をきっかけにさらにその声は強くなっているのです。(右図は琉球新報)

新基地建設をめぐっては、3月4日に県と国とが裁判所の和解勧告に応じて「翁長知事の昨年10月13日の埋立承認取消処分が効力を回復し、国は工事を全面的に中止せざるを得なく」(チョイさんの沖縄日記 以下「チョイさん」と略記)なりました。
その後、国は県に対して埋立承認取消処分の「是正の指示」を行い、それを不服として県は国地方係争処理委員会に「是正の指示」の取消を求める審査を申し出たのでした。
今年6月21日に委員会は、「国と県が真摯に協議し努力することが問題解決への最善の道」として「埋立承認取消しに対する国の是正指示の適否は判断しない」と結論づけたのでした。これは国にとっては大きな見込み違いで、「和解条項に基づき県に提訴させ早期の司法決着を図って工事を再開するという思惑は根本から崩れてしまった」(チョイさん)のでした。
では、今後国はどう出てくるのか。チョイさんは、「国が工事を再開するためには、国の方から裁判を起こさなければならない」とのべて、その裁判は「違法確認訴訟」またはいきなり「行政不服審査法に基づいて埋立承認取消の効力の停止を求める執行停止と審査請求を申し出る可能性」があると指摘しています。
参議院選挙の成り行きを見ているという段階なのでしょうが、国が「円満解決に向けた真摯な協議」を期待した係争委の判断に従わずに強行手段を取ればますます窮地に陥るという、負のスパイラルに落ち込んでいるというのが現在の状況です。チョイさんは「辺野古新基地建設事業は必ず頓挫する」と言い切ります。

沖縄県での世論調査と、全国レベルの調査とでは温度差が激しい。政府の辺野古新基地建設を支持する声と支持しない声とが拮抗していることはすでに過去の世論調査で明白です。その背景には北朝鮮の挑発や中国の行動があることは誰も否定できないところ。そしてまた、作られる場所が沖縄と来ているから自分のところではないことによる安心感でそのような回答になっていることも容易に推測できることです。
ところがこうした背景を全く無視し、まるで鬼の首でもとったように「崩壊するオール沖縄」だとか、沖縄での調査に作為があるかのように描く記事を垂れ流しているお方もいらっしゃる。リンクするのも気色悪いのですが、多分こうした愚劣・卑劣な記事を待っていらっしゃる右翼のみなさんもおいででしょうし、アベの応援団としての「使用価値」はあるわけで、彼らがどのような点を見ているのかを調べておくのも今後のためには必要かもしれません。
どんなに主張が間違っていようがそんなことはお構いなし、都合のよいところだけをつまみ食いし、さらにそれを勝手に歪めて自分の妄想を他人に押しつけるという手法は、沖縄問題だけに限りません。沖縄の基地問題では大変見やすいのですが、それが歴史問題や国全体の安保問題などになると、話が大きいだけに歪曲もしやすい。
どんなに小さい出来事だろうが、一つ一つの問題について実証的に論理的に反駁し批判し尽くすことが大切な局面になっていると痛感します。

今日は午後2時過ぎに、野党統一候補の杉尾ひでやさんの街頭演説があり、夜には松川村のホールで個人演説会が開かれ、ともに参加しました。さすがに若い頃アメフトで鍛えたというだけあってタフそのもの。
演説のなかで杉尾さんは、第一に安倍首相がこれまで2度も長野に来て、さらにこのあとも2度来るという異常な対応を、全国注視の中杉尾を落とすことが彼らの極めて大きな狙いになっているからだと指摘、第2にネガティブキャンペーンを前面に出して、憲法のことに全く触れないでいる。どんなに叩かれようが、修羅場をくぐってきた私には通用しないと力を込め、取材記者をしてきた長年の経験から「いのちを守る」政治を何としても実現しなければならないと気魄を込めて政策を訴えたのが印象的でした。
短時日での演説会の準備でしたし、大きな会場だったので一時はどうなることかと心配していましたが、ふたを開ければ100数十人で会場は熱気いっぱい、ホッとしました。
参加してくれた人たちは、全く自分の意志で聴衆となった人たちばかり。組織動員とは訳がちがいます。それだけでも、過去にない選挙戦になっていると実感します。池田・松川では、先の軽トラパレードが一つの足がかりをつくり、それに参加した人たちがさらに輪を広げて演説会に参加する、というように、市民の力が一つにまとまってきていることを実感させる集会でもありました。
とはいえ、参議院は選挙区だけではなく比例代表があります。いまや押しも押されぬ国政変革の力を持つに至った政党、日本共産党を同時に伸ばすことが大事な選挙。
選挙は日頃の活動の集約点という側面がありますから、共産党を支持する一人としてこれまで何をしてきたか、これから何ができるのかを考えさせる選挙にもなっているのです。








  7月1日(金)
久しぶりの梅雨の晴れ間、青空が広がって暑い。田んぼではたくさんのカエルの子が生まれて、次々と上に上がってきます。今年はまだ集団移動は見られませんが、雨上がりの朝、我が家の庭にもアオガエルがあっちの葉っぱ、こっちの葉っぱと休んでいるのが見えます。


いよいよ7月。昨年は今日から1ヶ月沖縄で過ごしましたが、今年は年末になりそうです。というのも、沖縄の母がケガをして入院しているというので、妻が9月初めからしばらく行くことにしているのです。それと入れ違いで私も沖縄にでかけ、今後のことを考えようと計画しているというわけ。まあ暑い最中にならずそれはそれでいいのですが、遠いと母の容態もよくわからないので対応に苦慮することがでてきます。

友人がパソコンが起動しないと持ち込んで来たので、今朝はさっそく調べていました。精密機械ですからいつかは壊れる。ただ壊れ方によっては直しようもあるのですが、その故障の仕方は千差万別ですからやっかい。
友人のパソコンは、システムは問題はなく起動そのものは正常。おそらくヒンジ部の圧迫で信号がディスプレイにうまく届いていないようで、中を開けるまでもなく圧迫をゆるめたら正常に起動するようになりました。ただ、筐体はかなり古くてちょっとガタが来ているので、本体とディスプレイをつなぐケーブルが切れる恐れがあります。今後の扱いには十分注意する必要があるでしょうね。バックアップもこまめにやっておくことが必要です。

今日は午後から携帯会社にでかけて機種変更を行ってきました。妻の携帯の充電がうまくいかなくなり、そろそろ替え時かというのでついでに私も変えることにしたのです。
スマホにしようとも思いましたが、電話とメール以外はほとんど使わない私としてはスマホにするメリットはほとんどない。むしろいかに安くするかが最優先で、結局同じようなタイプの携帯に変えることにしました。
しかし、いわゆる「ガラケー」はもはや生産されていない。スマホとガラケーの間の機種を「ガラホ」というのだそうで、笑ってしまいました。何のこっちゃ。
二人分の変更手続きに3時間ほどもかかってしまい、疲れ果てて帰ってきた次第。もうこれからは生活防衛のみ。無駄な出費は少しずつ押さえて、何とか生活費を捻出しなければなりません。
アベさんは、こんな庶民の気持ち分からないだろうなあ。わかってたまるか。年金基金の運用とかで株に多額の資金を流用し、昨年だけで損失が5兆円とか。今年の株安でどれだけの損失額を計上しているかわからない。これ一つとってもアベノミクスの失敗、それも大失敗は明らかです。
年金生活者のみなさん、これで怒らなかったらウソですよ。怒りを参議院選挙へ。野党統一候補と共産党の躍進を。




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