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  5月25日(金)
夜テレビを見ていたら、「震度5強の地震がありました」と町の防災無線。全く揺れがないのに震度5強はないだろうと訝しく思っていると、長野県北部で地震というテロップが流れました。どうやら栄村を中心に震度5強の地震らしい。
池田町は全く揺れを感じなかったので、かつての3.12栄村地震と同様、極めて局所的な地震だったようです。停電もごく短時間だったといいますが、被害の状況は全くわかりません。暗くなってからの地震ですから、どのような状況なのか心配です。
折も折、今日注文していた緊急避難用のバッグとヘルメットが届いて準備をしたばかり。最近長野で地震が多発していますから、備えだけはしっかりしておきたいとつくづく思わされています。ここ2,3日のうちに、二人で避難訓練をやっておこうと思っている次第。



  5月23日(水)
昼頃からポツポツと雨が落ちてきました。妻は午前中から会議ででかけており、私はというとストレッチなどをしていたのですが、やはりちょっと庭に出てみたくなり、すでに葉っぱから花が咲いて終わりがけの「からし菜」をすべて取り払い、里芋を植える畝をつくろうと少しだけスコップを持ってみました。
腰をかがめるわけにいかないので当然力は入りませんが、それなりに身体を動かす爽快感を久しぶりに味わいました。庭の片隅ですから小さい畝なので30分ほどで切り上げました。
庭には、鉢植えの「アンネのバラ」があり、ちょうど今日開花。橙色のきれいな花を一輪つけて初々しい。咲きはじめのバラは本当に美しく惚れ惚れします。


今日は夕方地域の自主防災会の役員会があります。私は企画担当なんですが、しばらく休んでいたのでいまどのような議論が進んでいるのかちょっとわかりませんが、とりあえず私の役目でみなさんへのニュースの発行の構想を考えていました。
東日本大震災や栄村の地震、熊本や白馬の地震を思い浮かべるまでもなく、大地震というのはとにかく想定を超えています。まず、地震に襲われたときは何もすることができない。立つこともできず、ただ柱などにしがみついて地震が収まるのをひたすら待つだけ。収まって初めて外に避難することになるのです。
大きな家具が倒れたり場合によっては家屋の一部が壊れて挟まれたりすれば、もう自力では出られない。そんな事態も想定しなければなりませんが、熊本では「ここではそんなことが起こるはずがない」「机の下に隠れればいい」という程度の安易な考えをしていた人がたくさんいたことでした。
さすがに糸魚川静岡構造線に沿って地震の巣窟が縦横に潜んでいるこちらでは、その安易さはないにしろ、明日それが起こるなどという想定はまずほとんどしていないでしょう。ところか明日どころか次の瞬間に起こるかもしれない、それが大地震の怖さなのです。
翻って我が家の対策を考えてみると、やはりお粗末の一言につきる。@家具の倒壊防止策をどのように講じているか。タンスは町から支給された倒壊防止用のクッションを下に置いてはいるものの、上で固定はしていない。A食器棚から食器が飛散するのをどのように防ぐか。早く鎖などをとりつけ、ガラスの破損防止フィルムを取り付けようと思っていた矢先に車が運転できなくなってしまい、買いに行けない。B落下物の防止策はどうか。上からものが落ちてくることがないように、極力ものを上に置かないようにしているけれど、まだ十分ではありません。最後にC緊急持ちだし品は、以前用意していたけれど、食べ物などが賞味期限切れになってそのまま。これは2,3日の間に準備ができるでしょう。
とにかく、みなさんに用意を呼びかける以上は、まず自分の家から対策をしっかりしなければいけませんものね。ニュースの準備をしながら、しきりにそんなことを考えていました。



  5月22日(火)
子どもの使い程度にしか扱われなかった県職員の屈辱を晴らすかのように繰り出した愛媛県による強烈な必殺カウンター・パンチ。安倍内閣の息の根を止めるには十分の威力のある文書を県知事が国会に提出しました。愛媛県の勇気ある行動に感動すら覚えました。
加計学園側はさっそく「会ってない」と白々しいコメント、そんなこともはや誰も信じません。愛媛県の文書に基づけば、これまでの諮問会議の前に話があったことや文書改ざんなどを含めたあらゆる経過のつじつまが合います。やっぱり「すべては安倍首相から」だったのでしたね。
まずは柳瀬元総理秘書官、加計理事長の証人喚問、愛媛県知事の参考人招致で真相を徹底的に明らかにすべきでしょう。その上で、安倍内閣は潔く退陣。
それで退陣しないようなら、もう日本国終了です。国民の側からいえば、これほど愚弄されてまだ黙っている義理は何にもありません。怒りを安倍内閣に、安倍はやめろの声を国会に・・・これが「道理」というものです。
ネトウヨ、安倍応援団は愛媛県知事を「売国奴」呼ばわりし「大学をつくってもらったのに、加計学園を潰したいのか」「こんな文書出して中村知事は一体何をしたいのか」「売名行為」などと弱々しく悪態をつくだけ。理屈もへったくれもありません。
動けない私としてはせめて電子政府窓口から抗議と安倍退陣要求のメールを送信しました。

午後から整形外科に退院後の診察に。整形外科の患者の何と多いこと、予約時刻を大幅に過ぎて、結構待たされてしまいました。
調子が悪いことを率直に告げて今後の対応を相談したのですが、まだ退院後2週間でもうしばらく様子を見る必要があるというので、6月中旬にもう一度診察し、今度はMRI、X線撮影を行い詳しく調べることになりました。それまで無理せず、太もも裏のストレッチをしっかりやるように指示を受けました。

帰ってからは家で安静に。日大アメフト部の反則傷害事件を起こした選手の記者会見の模様を聞いたり、録画番組を見たりしてのんびり。しかし、かえってその方が動かないので腰に負担がかかりそうで、なかなか苦しい。
安倍といい、日大のアメフト部監督といい、狛江市長といい、モラルハザードここに極まれりという感じですね。自分が悪いことをやったとはまるで思っていない。思いも及ばない。将来ある子どもたちにどう説明するんですかねえ。

今日も5月晴れの気持ちのよい一日。昨日も日中さほど気温が上がらず、妻の運転でバラ園にちょっと様子見に行った後、畑に行ってきました。




畑では草が伸び放題になっていたため、妻がいよいよ刈払機のデビューをすることになり、その手ほどきをしていたのです。
最初ぎこちなかったものの、しばらくやっていると次第に慣れてきたのか、結構上手に。しかし、終わって「あ〜肩がこった、でも面白かった」とコメント。これからは一人で草刈りができますね。夕方は、今度はエンジン・ポンプでの放水の実習。何回かやれば一人でもできるようになるでしょう。




畑からの帰り、家の前の田んぼには珍しい「カモ」の夫婦(?)が寄り添って歩いていました。10年以上田んぼを見てきたけれどカモは初めてでした。なかなか微笑ましい光景。

そして、夜9時頃、半月のかすかな光の下で相変わらずの青ガエルの大合唱を聞くのは実に心地よい。田んぼに水が入った時期から見れば、ちょっと音量不足の感がありますが、それでも周りじゅうからあの下戸下戸が聞こえてくるのはいいものです。



  5月19日(土)
今日は恒例の「北アルプス展望ウオーク」の第1日目。昨日の曇天と風、深夜の雨も朝にはすっかりやんでウオーキングが始まることにはすっきりとした青空が。しかも昨日とは打って変わって涼しい最高のウオーキング日和です。
1コース(自由に歩く)の150人近くの人たちが我が家の裏の山手から降りてきて前の町道へ出て右折。花見神社の方から降りていきました。その後ガイドマスターに案内された200人くらいのグループ(子ども連れ、乳母車つきなども)が通過。
私はせいぜい「こんにちは」「晴れてよかったですね」と声をかけるくらい。中には「一緒に歩きませんか」と声をかけてくれる人もいるほどで、元ガイドマスターの面目丸つぶれです。中にはこれまで同様「いいところですね」と環境を賞賛する声も。
無作為に一人だけ「どちらから?」と聞いたら「新潟から」と答えてくれましたから、町外、県外からたくさん参加しているのでしょうか。例年、地元池田町からの参加者が少ないのが問題ですが・・。準備、進行にあたっている観光協会やガイドマスターのみなさん、本当にお疲れ様です。




参加者からお隣さんの家にこんもり白い花をつけている木の名前を聞かれて「・・・」。以前聞いたことがあったのに、全く頭に残っていない。そこで、物知りM氏に電話で聞いて「バイカウツギ」だと判明。しっかり記憶しておきましょう。




さて、今日の信濃毎日新聞にいわゆる「9条俳句」(さいたま市)訴訟での高裁判決で、「公民館は俳句を掲載しても中立性は損なわれず、拒否する正当な理由はない」として市に損害賠償を命じる判決を出したことを報じていました。TBSなどのテレビ・メディアもニュースを流していたようです。
信濃毎日新聞「社説」では、同種の問題として池田町での公民館使用取り消し問題に言及し、「町教委はその後、手続きの不備を謝罪したが、取り消した判断に誤りはなかったとする」と指摘。それに続いて、次のように書いています。

集会を含む一切の表現の自由を保障する、と憲法は定める。民主主義の根幹として、言論・表現の自由はとりわけ重んじられなければならない人権だ。
憲法、原発などをテーマにした催しへの後援を断る自治体も目立つようになった。政権批判につながることに関わって苦情や抗議にさらされるのを避けたい「事なかれ」や萎縮も見え隠れする。
公の場での議論が妨げられれば民主主義の土台は揺らぐ。俳句裁判を、自治体の姿勢にあらためて目を向ける機会にしたい。


池田町のかつての対応は「政権批判につながることに関わって苦情や抗議にさらされるのを避けたい『事なかれ』や萎縮」そのものでしょう。
社会教育法の町の解釈などは全くの後付けに他ならない。なぜならそこには「集会を含む一切の表現の自由を保障する」「民主主義の根幹として、言論・表現の自由はとりわけ重んじられなければならない人権」という意識は完全に視野の外に置かれているからです。
公民館による「9条俳句」の掲載拒否問題は、誰が見ても公民館側の逸脱・恣意的解釈は明らかで、判決は至極当然といえます。しかし、同時にこの判決では公民館の役割として「Eその他の住民の集会その他の公共的利用に供することとされ(同法第22条)、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設(公の施設)として、普通公共団体は、住民が公民館を利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならないと解される(地方自治法244条3項)」と根拠を示しているのです。
池田町の公民館問題ではもちろんまだ最終決着はついていません。今後の問題も残ったままです。しかし、私たちの見解はすでに伝えてあり、次は教育委員会が今回の判決なども踏まえた納得できる見解を表明する番です。
「社説」が見出しで訴えているように「公民館は自由な議論の場」だという観点をしっかり踏まえることが大切です。池田町と教育委員会はこの判決を受け止めて、これまでの対応を見直し、取消処分の完全撤回をすべきだと改めて強調しておきましょう。



  5月17日(木)
今日はことのほか腰が痛くて、午前中はずっと横になっており、午後は負担をかけないように、文字通り「姿勢を正して」高校生のための問題づくりに専念していました。
暑くて汗をかいたこともあり、夕方は久しぶりにシャワーをあびてさっぱり。普段はなかなかシャワーすら入れない情けない状態ですから悲しい。
MNEMOさんが、ブログでいたわりの言葉をかけてくださいました。ありがたいことです。おっしゃるとおり、とにかく気長に静養するしかありませんね。いいときもあれば悪いときもある。




沖縄の翁長知事が膵臓ガンのステージ2で手術をされて、現在は快方に向かっているとのこと。大分痩せた姿が痛ましく見えました。
今後の沖縄のことを考えれば、まさに余人をもって替え難い人材。何とか回復されて第2期の県政に尽力してほしいものですが、順調にいくのかどうか。
任期中に必ず埋め立て許可「撤回」を果たすというのは公約ですから、知事の脳裏にはその時期をめぐってさまざまな思いが去来していることでしょう。
辺野古基地建設をめぐる県民投票の署名運動が現在進行形なので、それとのからみも当然問題になる。舵取りがむずかしい局面に至っています。
一方の自民党、基地建設賛成陣営は、名護市長選、沖縄市長選での選挙作戦の成功に気をよくして、知事選にも同様の作戦でくるのでしょう。だが、市町村の選挙と県政をめぐる選挙とでは様相を異にします。今なお県民の過半数は基地建設に反対しているし、米軍事故の原因究明と抗議の声はちまたにあふれている。
「沖縄から本土(ヤマト)を見る」という視点では、この国の政治の異様さ、異常さが際だって見えます。こんな政権に沖縄が翻弄されているのですから。
アメリカと日本の関係がトランプと安倍という関係の中でますます行き先を見失い、行き先のなさの火の粉が米軍の補完部隊としての自衛隊の肥大化を促すという最悪の循環となって沖縄に降りかかってくる。

この国の形が大きく崩れ去る時期が近づいているのかもしれません。それは大自然災害なのか、大恐慌なのか、それとも核戦争なのかはわかりませんが、国民のなかになぜかそうしたカタストロフを待ち望む心理が醸成されつつあるのではないのか。「こんな世の中、一度は壊れた方がいいのではないのか」というような。
それは戦前において、軍部が独走をはじめて止めることができず、むしろ拡大することを待ち望む心理とよく似ているのかもしれません。あまりにも異様な安倍政権にもかかわらず、それを食い止めることができていないこの国の形。
もちろん、そんなことを許すわけにはいかない。地域の隅々で、署名簿を持って一軒一軒訪ね歩き、改憲阻止を訴える人々。真の改革の道を訴えて地道に運動をすすめる労働組合や市民団体。メディアがそれらの可視化を避け続けるならば、私たち自身がネットで事実を告げ、拡散し大きなうねりとすべきでしょう。



  5月16日(水)
体調は一進一退。土曜日に松本まで車に乗せていってもらい仕事をして帰ったら、前と同じほど腰が痛くなり、その後はほとんど家から出ないで起きたり寝たりの生活。せいぜい庭にでて水遣りをする程度でした。
コルセットがきついので、腰の痛みはそのせいもあるのでしょうが、詳しくはまもなく退院後第1回の診察があるので、詳しく状況を聞いてこようと思っています。なかなか思い通りにいかないものです。
この頃は、傷の周辺がかゆくて困るのですが、何しろ身体の真後ろなので、妻に薬をつけてもらってしのいでいます。

今日は暑い一日。妻は午後から畑にでていろいろやっていたようでしたが、私は状況は全くわからず収穫してくるものを見ているだけ。イチゴが結構たくさん採れるようになってきました。ただ病院で糖質制限されており、果物は糖質が多いので控えるようにと言われて、ちょっとショック。イチゴジャムでもつくっておきますか。旬のイチゴが口に入らないのはしゃくなので、少しは無視して食べようかと。

木曜日にはバラの会の作業があるのですが、先週ちょっと寄ってみたところ、やはり何もしないで座っているわけにはいかず、多少草取りをしていたら、やっぱりその後は不調。思い切って、よくなるまで皆さんに甘えようかと思っています。5月末になれば、経過も含めて大体のことがわかってくるのではないかと思われます。









  5月12日(土)
昨日・今日とよい天気になっています。明日からはまた雨の予報。




地震というのは本当に突然襲ってくる。午前10時半頃、大町市、長野市で震度5弱の地震が発生しました。池田町は震度3
妻が畑に行き、私は庭を見回って水遣りをしていました。突然足下がゴーと音をたてて揺れ始めた。思わず何かにつかまりたくなったものの、5秒くらいで収まったのでよかった。妻も畑にいてびっくりしたことでしょう。(あとから聞いた話では、前につんのめりそうになって”めまい”かと思ったら地震だったという)
直後に地震速報。携帯が鳴り、防災無線が「大地震です」と放送。地震速報よりも地震が早いのですから、すぐ近くだろうということは分かりました。
テレビやネットで調べてみると、震源地は大町市の青木湖の東数キロの地下10キロ(M5.1)。数年前の白馬・小谷の地震から糸静線に沿ってさらに南に下がってきていますから、いよいよ池田町も気をつけなければならないということでしょうか。
娘からはすぐに「大丈夫だった?」とメールがありました。テレビでは富山でも震度1というテロップが流れていました。
内陸部の地震は断層がずれるので、ずれ方によっては被害がわずかな位置の差で大きく異なります。プレート型とは異なり地震の揺れは比較的短い時間ではあっても、震源が浅いので被害は大きくなる。そうした特徴を頭に入れて、対策を講じなければなりません。
下は私が自主防災会のニュースとしてつくり入院中に配布した(はず)の第2号。いざというときに力を発揮できるように、住民力を高めることが大切ですね。

滝沢自主防災会ニュース(No.2)



  5月10日(木)
昨日今日と寒い一日。北アルプス山頂では少し雪が積もったようでした。
退院した日から数えて3日目。この二日間、環境の変化が大きかったことと、妻に車に乗せてもらって畑の見回りなどをしたこともあって、今日は腰が痛くなり、午後からずっと横になっていました。治っていないのではと思うこともありましたが、今後2,3週間は一進一退が続くのではと思われます。
病院では、ベッドで横になることとトイレ、廊下に出ること以外にすることはありませんが、家にいると立ったり座ったり、下にあるものを取ったり段差を上り下りしたり、上半身をまっすぐにしたまま、下半身で動作をすることは”太もも”に相当な負担をかけてしまいます。
まだそのあたりの要領が、病院でのリハビリと同じにはいかないことも1つの要因なのではないかと思います。明日、あさっては、妻も出かけるので家でおとなしく療養に励むことにします。

さて、アメリカのトランプと北朝鮮の関係を解く鍵は「アメリカ・ファースト」にあると私は見ています。イラン核合意からの離脱もそうだし、北朝鮮問題も長距離核ミサイルがアメリカ本国に飛んで来ないことだけがトランプの思惑ですから、どこまで朝鮮半島の非核化に熱心に取り組むかは全く定かではありません。
北朝鮮も、アメリカが攻撃しない保障を取り付け、朝鮮戦争の終結と平和条約の締結が出来れば、完全に目的は達成するのですから、安倍首相が強調する拉致問題や中短距離ミサイルの問題をあいまいに決着する可能性は当然あります。
歴史的な米朝首脳会談がどこまで核のない世界への真剣な議論の場になるのかは、アメリカと北朝鮮当事国だけではなく、国際的な世論の高まりと注視にかかっているのでしょう。

今日の柳瀬元首相補佐官の参考人招致をめぐる報道を見ていて、安倍政権(自民・公明含む)のモラル崩壊も極まれりという感を深くしました。
柳瀬氏については、問題の重大性を全く認識できていないことや、質問に誠実に答えることができないという点で、基本的な倫理観が欠如しているし、参考人質疑を終えた自公両党の記者会見の発言に至っては、お粗末の一言につきる。
「愛媛県と今治市が国家戦略特区を提案。政府が、4条件が満たされれば、特区による獣医学部新設の検討を認める『日本再興戦略』を閣議決定」(朝日のまとめ)したのが2015年6月。
問題はその後の決定プロセスが「公正」であったかどうかではなく、すでにその2ヶ月前に加計学園幹部が愛媛県・今治市の職員と首相官邸を訪問しているという事実が問題なのです。
補佐官が首相の了解もなく誰かれと面会しメモも取っていないという話を普通の公務員なら信用するはずがないでしょう。もし本当にそうなら当然補佐官として失格どころか危機管理ができていないわけだし、メモがあり首相も知っているなら今度こそ命取りということになります。

長野県の片田舎である池田町で起こった「公民館使用許可取り消し問題」について、約1年にわたる町と実行委員会の交渉の過程で、私たちが重視したのは「いかに記録を正確に残すか」ということでした。
公表するかどうかは別として、双方とも重要な会議はすべて音声とビデオで残し、その会議録も実行委員会がつくり、その修正・加筆などの校正を町が行うというように正確なものとなるように努力しました。
この点については、池田町も私たちの真意を理解し、時間をいとわず応対し誠実・真剣に記録を残すことに同意し行動してくれたのです。
公の仕事であれば、私たち以上に法律と記録が重要になりますから、国会で展開されているやりとりはおよそ常識とはかけ離れています。これでは真面目に仕事をしている公務員の皆さんの努力が報われないし、その仕事の質が担保されないことになる。私がモラル崩壊というのは、国民一般への影響だけではなく、国家・地方公務員のみなさんへの悪い前例となるという意味においてです。
行政の仕事の質を支えるのは、住民奉仕の仕事に対して要求される当然のモラルです。これが崩壊すれば、国と地方の根幹が崩れることを意味します。当然、教育現場でのモラル崩壊につながる。本当に罪深い政権だと私はつくづく思うのです。



  5月8日(火)
午前10時過ぎ、無事退院してまいりました。外に出ると、入院時とはうってかわって肌寒い風が吹きつけてはいましたが、あたりは緑一色。家に戻る道すがら、すっかり田植えの終わった田んぼが5月を感じさせてくれました。
寒さのせいか、ハルちゃんは妻の布団に潜ってもぞもぞ。ようやく帰ってきたかという顔をしていました。ただ、ずいぶん動きが緩慢で年を感じてしまいましたよ。大丈夫かな?
妻が、午後から外出(ボーリング)するので、それまでの間、ネギを植えたいというので、短時間おつきあい。何もせずに見ているのも何だから、腰に負担がかからないように、キュウリや白菜、キャベツ、オクラの苗を植えるのを手伝いました。退院即畑で、腰を痛めたんじゃしゃれにならないので、そのあとは家でおとなしく静養。妻が出かけたあとは、自治会の広報づくりのお手伝いをして過ごしました。
何をするにも、この大きなコルセットじゃ苦しくて仕方がない。外すには横になるしかないので、これからの生活は結構しんどいものになりそうです。

北朝鮮情勢が劇的に動いているいま、安倍政権の立ち位置はまるで時代から取り残されたよう。
野党の側では、「希望の党」の「希望」が膨らむ間もなく破裂してしまい、今度は「国民民主党」なのだという。一連の離散集合劇は、野合的議員政党だった民進党の弱点がモロに現れて、それが国民の中での批判を受けて若干修正されたに過ぎない。たとえば、民進内の日本会議系長島昭久議員が離党したこともその「成果」の1つかもしれません。
しかし「弱点」が解決されたわけではありません。その表れが国民民主党に合流する直前の大塚耕平民進党代表の「共産党も選挙時は多少気を使って」という一言。安保法制反対運動が盛り上がり、4野党と市民の間で政策を含めて野党共闘の方向が政党間の約束として確認されたことはどこかに忘れて、共産党に候補者下ろしの「協力」を求めているのです。
すでに共産党の支持率よりも低くなっている民進党からこうした発言が出てくること自体、野党共闘の意味が全くわかっていないことをはしなくも暴露したものではないでしょうか。
共産党への「配慮」を求める言葉につづいて、「公明党の場合は、実は社会保障や経済政策や憲法の問題でも、一番考え方は近いと言えば近い」として自公の亀裂を期待するいうのですから困ったものです。



  5月7日(月)
朝からいろいろと退院にむけての準備。まず朝食前に採血。入院時に中性脂肪の値が高かったこともあり、朝食の後栄養士がわざわざやってきて血液検査の結果を知らせながら相当に改善されていると教えてくれました。
それだけで済めばよかったんですけれど、きつく今後の食事指導を受けさせられました。ありがたいことではありますが・・・。
9時頃に身体拭きがあり、9時半頃に抜糸。といっても、ホッチキスの針をチョンチョンと抜いていくだけ・・・なのですが、結構チクチクする。背中の真ん中から尾てい骨の上あたりまでずっと針が打ってあるので、「いくつぐらいあるんですか」と聞いたら「20かな、25くらいかな」という返事。「傷口はすっかりきれいですよ」ということでした。
その後、リハビリ室に行って、今日はとくに入浴時の注意。背中を曲げないような動作を繰り返しやりました。これは明日の朝もう一度繰り返して最後の仕上げ。病室に戻ったら担当看護師が今日の調子を詳しくチェックしていきました。

外は曇天。午後から雨模様になりそうな気配です。
お昼頃、富山に帰るからと妻と一緒に娘が寄ってくれました。飼い猫のハルちゃんの動画も見せてくれましたが、映っている映像はどことなく動作が緩慢で老けた感じ。ま、私と同じ年頃なんだからね、無理もない。
帰ってからアップしたのか、昼前に手伝ってくれた畑とハルちゃんの写真がFBにアップされていました。2週間見ない畑では、イチゴがちょっとだけ赤くなってきて何粒か食べたという。エンドウやレタス、ニンニクもそれなりに葉が茂っているようすです。
娘はどことなく寂しそうと書いていましたが、こじんまりと座っているハルちゃん、どんな顔で迎えてくれるのでしょうか。








  5月6日(日)
病院も少しずつ通常モードに戻りつつあるということ。それでも整形の病室は、命にかかわる症状がない(多分)だけにどことなくのんびりとした空気が流れています。
お昼めがけて、妻と娘が見舞いに来てくれました。お昼に合わせてくれたのは、富山から旬の「ホタルイカ」を昼食用に運んで来てくれたから。例によって、酢味噌でおいしくたべましたよ。
いつもなら、富山に買いに行くところなのですが、今年はそうもいかず諦めかけていたところ、娘が運んできてくれたので今年初のホタルイカと面会することができました。
二人は今から畑に出かけて、ネギの植え付けと白菜、キャベツなど大きくなった苗の定植をするのだとか。例年なら、ほとんど私がやっていた仕事を今年は妻が一手に引き受けて頑張っている様子。娘も少しは運動不足の解消になるでしょうから、しっかり身体を動かして手伝いをしてください!!

私は、入院生活も明日を残すのみ。明日は朝抜糸、採血。その後リハビリ室に行って次の日からの日常生活のリハーサル。さらに昼からはレントゲン、と退院前のいろいろな作業がつづきます。
病院では、3度の食事の他はほとんど間食したりすることはありませんけれど、それでもたまに口が寂しくなることがあって、そのときは下のファミマでコーヒーを飲む程度。
しかし、実はもう一つ手放せなくなったものがあります。それはコチコチの固い「あたりめ」または「ゲソ」。
食事時にやわらかいものばかり食べていると、ネズミじゃないが歯が浮いてくるような感じがするんですね。歯とアゴのためには、やはり何かを噛みしめていることが必要ですから、それには「あたりめ」「昆布」「煮干し」のような乾物が最適なのではないかと思い立ったという次第。ただ、食べ過ぎるとこれは塩分の取り過ぎと消化に悪いので、気をつけなければいけませんが・・・。



  5月5日(土)
明日で入院から2週間。傷口の痒みが結構強くなり、腹に力を入れても傷口が痛まなくなってきましたから、かなり良くなっているのでしょう。外出できるわけでもなく、病院の中を歩いている程度ですから、運動にもなりませんが、それなりに行動範囲も広くなってきています。
昨日は、自治会の会報に「バラの会」の記事を載せたいという依頼があって、昨日から今日にかけて広報紙の原稿をつくっていました。そのくらいのことは何とかできるように。
娘が富山からやってくるという話だったのですが、今日の面会時間には間に合わなかったようで、こちらに来るのは明日になりました。
下の孫の中学入学、上の孫の最後の定期演奏会など、親としてもいろいろ気苦労があったのか、めずらしく体調を崩した時期もあったのだとか。孫たちはいろいろ忙しい時期ですから、今回は一人で池田にやってくるということのよう。明日はいろいろと話ができるでしょう。
病院は明日まで4連休で静か。外はいよいよ緑が濃くなって、田植えもどんどん進んでいいるようです。これから5月いっぱいが田植えのシーズン。高齢化でだんだん労働力が少なくなっているので、委托を受けた農家があちこちの田植えを請け負って忙しいことこの上なしのようです(稲刈りも同様)。

入院生活は明日と明後日までで、8日の午前中には予定通り退院できそうです。今日から、看護師が退院後の約束事について、ちゃんと頭に入っているかどうかテストに来ました。
「車に乗ることができないのはいつまで?」「退院後3週間」「ちょっと不正確。術後6週間でしたよ。退院時でほぼ2週間経過しているから、残りは?」「そうか、まだ術後2週間にしかならない。となると、あと1ヶ月車に乗れませんねえ」・・・と言った調子。お株を奪われています。
ちなみに、術後6週間は「あぐら、自動車運転」禁止・・・厳しいお達しです。術後8週間は浴槽につかる入浴禁止(シャワーのみ)・・・これはまあ、暑い時期だからいいとして。術後12週間(3ヶ月!!)はコルセット着用・・・これはきつい。12週後からようやく体幹筋力トレーニング。ふ〜〜〜。



  5月3日(木)
夕べから今朝にかけて外はかなりの大荒れ。雨風が強かったようです。
昼過ぎからはすっかり天気も回復して、妻を見送りに外に出たら心地よい風が吹き抜けていきました。もはや初夏の風ですね。

今日の朝日新聞一面の特集記事「憲法を考える」(デジタル版は有料記事)に、「改憲『新しい物語を』」「高揚する若者 首相と共鳴」という見出しがあって、「何だ、これは」と思わずコンビニで購入してしまいました。
筆者の編集委員・豊秀一氏の書き出しはこうです。

70年以上変えることのできなかった憲法を、ついに変えるときがきた――。そんな高揚感とともに語られる改憲論議。これから新しい国家の「物語」が始まるような感覚とつながっているように見える。その正体は何なのだろうか。

またそのすぐ後には、日本の若者の一部に改憲への「高揚感」があるのだとし、次のように書いています。

「未来」「理想」という言葉とセットで語られる安倍首相のメッセージは、改憲を求める人たちの高揚感と共鳴する。憲法を変えることに、特別な意味が込められているのだろう。

政府が明治150年を節目に「明治の精神に学ぶ、日本の強みを再認識することは極めて重要だ」(菅官房長官)として明治の「物語」を押し出そうとしているが、それだけが物語ではないと書き、裏面につづく記事で筆者は戊辰戦争をはじめ、幕末以後の歴史をとりあげて様々な価値観が主張されたことをくわしく紹介しています。その限りでは、改憲への「高揚感」には空虚さがつきまとうことを主張しているようにも受け止められます。
だが、それらの紹介と、今日の安倍首相や若者の「高揚感」との関わりが何も語られていません。
安倍首相が一人「高揚感」を持って「今しかない」ととらえるのは勝手ですけれど、筆者の感覚は安倍首相や日本会議の面々以外にどのような現象としてあらわれているのか、筆者が若者を全体としてどう見ているのか、朝日新聞ならもう少し分析を加えてほしいと感じたことでした。

同じ今日の朝日新聞社会面には、「17歳のツイートに賛否殺到」と言う記事がありました。
前川喜平・前文科省事務次官の講演を聞いた一高校生が「意味のない講演。森友・加計の話ばかり」「講演は政治的な話ばかりで心に響きませんでした」とツイートしたことへのコメントに賛否過剰なほどの反響があったという記事です。
朝日には次のような書き込みが典型例として紹介されていました。
「ネット上に高校生を称賛するコメントがあふれた。『出たー。純真な生徒の率直な意見』『高校生の前でイデオロギー全開の講演などとんでもない訳で!』」
一人の高校生が前川氏の講演をつまらないと思うことはいくらもありうること。講演の中身ではなく、高校生の反応について盛り上がる匿名の「ネット空間」というのは一体何なんでしょうか。
まず私が気がかりなのは、これらを語る人たちは本当に前川氏の講演をまじめに聞いたのだろうかという率直な疑問。朝日はその点には触れずに、左右がかみ合わない「現実」が存在することをことさらに指摘する。ここでも、いくつかの書き込みは紹介するけれど、それを読む限りでは何も判断できないという、ただそれだけの記事。余りに”軽い”、ネットの書き込みとかわらない評論、これじゃやはり天下の「朝日」が泣きますね。
せめて、前川氏の下の憲法に関する講演を全部聴いた上で判断しましょう。高校生でも十分面白く、またためになる内容だと思われました。1時間半近くもたっぷり話し続けて・・・冷静な話し口のうしろには、いま自分が話さなければという責任感のような熱さを感じます。

前川氏の後援会 自由と平和のために@杉並主催 4月17日 セシオン杉並ホール



  5月2日(水)
昨日夕方妻がやってきた折のこと、スタッフ・ステーション(S.S.)に主治医がいたので、「明日、よろしくお願いします」と挨拶しました。すると、そのM医師「何なら今から一緒に話しましょうか」と気軽に声を掛けてくれ、結局今日の予定を先取りして話を聞くことになりました。
S.S.にもうけられたEIZOの医療用モニタのある小部屋に案内され、昨日昼に撮ったレントゲンを見ながら経過と今後の予定について説明を受けました。
レントゲンには縦に無数のホッチキスが映り込んでいて、医師は「ホッチキスで留めてあるんですよ」と何でもないように話しつつ、「レントゲンではどこをどのように手術したのかわかりませんね。でも、可能な限り痛みの症状がでないように処置をしておきました」と不安を除くように説明してくれました。
退院のメドについては、「7日抜糸、8日午前退院ということでいいですよ」と日程を明確に切ってくれたので、妻もようやく安心した様子。ようやく「退院」の言葉を聞くことができましたよ。



  5月1日(火)
遠く北アルプスが少しかすんで見えます。晴天つづきは変わらないもののようやく天気は下り坂。明日、明後日は曇りから雨になる予報、降るならしっかり地面にしみこむように降ってほしいものです。
夕べも妻と息子が来てくれて、1階のファミマでしばらく雑談。息子は一泊しただけで、渋滞を避けて遅くに帰るのだという。スマホを見ながら、あちこちで事故・渋滞が起こっているとため息をついていました。昨日の午前中もまた畑仕事を手伝ってくれたようで、妻は作業が結構はかどったとよろこんでいました。
病院にいると、畑が懐かしい。手塩にかけた作物に会えないというのは、なかなか辛いものがあります。

病院生活は4月22日から数えて10日目。退院が待ち遠しいという気持ちになっています。
体調はまずまず良好。集中して本を読むとか、何か書き物をするとかということはまだ全然できないので、日中は勢い寝ていることになります。
今日は、午前中(?)に洗髪、午後から放射線科に行ってレントゲン。まだ抜糸の話はありません。
リハビリの担当者は、平日が今日・明日しかないので、退院後の生活指導をこの2日で集中的にやると言っていましたから、リハビリ室では結構いろんなことをやらされそうな気配です。
「退院」という言葉は待ち遠しいのですが、装着している巨大なコルセットを思えば・・・です。そうはいって、これは時間が解決。

今日はメーデー、全労連系のメーデーは当たり前のことですが5月1日開催。この病院の労組からも若い組合員達が参加するのでしょう。ただ組合の場合は昔からのことですが、基本的に「動員」。日程「消化」という色彩をぬぐうことは全く出来ていません。むしろ加速しているんじゃないですかね。だいたいメーデーの歴史を学ぶなんてこともほとんどないのでしょうし。

ちょっと話は変わりますが、岩波ホール50周年記念作品として、若き日のカール・マルクス、F・エンゲルスを描いた映画「マルクス・エンゲルス」が4月28日から公開されるという解説記事(しんぶん赤旗:4月27日)を見ました。
この映画自体はマルクス生誕200年を記念する作品。私が病院にいなければ、一日すべてを休んでも見に出かけたろう映画。近くどこかで必ず見ることができるでしょう。
赤旗の谷本氏の解説によると、「監督ラウル・ベックは『ベルリンの壁』崩壊から4半世紀が経った今だからこそ、『マルクスの科学的論文』の『原点』に立ち戻ることができると考え、伝記や解説書でなく、二人の往復書簡などの1次史料にあたりながら制作したと語っています」ということ。
谷本さんによれば、この映画のもう一つの見所はマルクス夫人イェニーなどの「知性を感じさせる女性たちの描写」だといいます。
これは「年寄り」の話じゃない。マルクス26才、エンゲルス24才の頃の実話。「社会の不合理に怒り、人間の尊厳を侵す暴圧を許さない、青年マルクスの情熱と信念」を躍動的に描いた作品ですから、とりわけ劣悪な労働条件で呻吟させられている日本の若者たちに見てほしい映画ですね。


午後1時半。本日の予定の検査などをすべて終わり、そのあとの果報は寝て待てです。
その後の連絡では、抜糸は連休明けの7日か8日になるだろうということ、明日午後、妻と共に主治医から経過と今後の予定などについての話があるということでした。








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