昨夜遅くにまとまった雨。突然雷鳴がとどろき屋根を打つ雨音に、びっくりしたというより「ようやく降ってくれたか」という気持ちの方が強かった。それくらい雨が降らなかった。昨日もバラ園で作業しながら、「このところ本当に雨がふらないねえ」とため息交じりで話していたばかりでした。
東北、北陸では豪雨災害が心配というこの前線の活発化、降りすぎも困りますが、飲料水や灌漑用水に深刻な影響が出ている地域では雨は「慈雨」。今日は秋野菜のためにマルチがけを行い、準備を加速することにしましょう。
沖縄県は今日、辺野古埋め立ての「承認撤回」に踏み切ります。ようやくという感もなきにしもあらずですが、翁長知事の遺志を受けて副知事が代理者としてその遺志を貫くのは全く当然のことであり、県民の意志に添うことです。
そして、前倒しされた県知事選挙。一部のテレビ・ニュースを聞いていると、「自民・公明・維新の推薦する佐喜眞氏と、共産、社民が推す玉城氏の一騎打ち」というような言い回しが使われています。佐喜眞氏はそうであっても、玉城氏は事実とまるで違います。
玉城氏は「オール沖縄」勢力が一致して推薦する候補者で、共産、社民が相談して玉城氏を推しだした訳ではありません。そんなことは沖縄県民ならず良識ある人なら誰でも知っていること。その点、朝日デジタルは正しく報道していました。
まず何よりも玉城氏は第1に故翁長氏の意向であったこと、第2に玉城氏は自由党の国会議員であり幹事長だということ、第3に玉城氏に要請したのは「オール沖縄会議」の「調整会議」。これを受けて共産、社民は全力で支援すると表明したのでした。
自公勢力は自治体の長が変わったことや一部の財界人が会議から離脱したこともって「『オール沖縄』はオール沖縄ではない」としきりに喧伝していますけれど、沖縄に住む人ならこの「オール沖縄」の意味をよく知っているはず。それは「建白書」実現を目指す沖縄県内の勢力という意味で、「建白書」とは2013年9月、沖縄の自治体議会の議長や首長らが署名して「オスプレイの配備と辺野古新基地の県内移設断念」を政府に意見書として実現を求めたもの(当時の仲井眞知事だけは署名しなかった)です。
署名した各政党が本当にこの「建白書」に責任を負うなら、どのような行動が求められるのか自ずと答えは出てくるはず。しかし、一部の党はまるで「建白書」などなかったように振る舞っている。当時宜野湾市長だった佐喜眞淳氏もしっかり署名していたではありませんか。
それに対して、当時那覇市長であった故翁長知事は保守の重鎮でありながらその姿勢は亡くなるまで一貫していました。佐喜眞氏とは雲泥の差です。
佐喜眞氏は辺野古新基地について態度を明らかにしていません。これは自らが建設派であることを隠すだけではなく、宜野湾や名護市長選挙などの彼らなりの「教訓」です。辺野古米軍基地問題を争点からはずし、そらし、偽るための作戦としてそうしているにすぎません。
佐喜眞氏についてはいろいろ書きたいこともありますけれど、今日は1つの事実だけをお知らせしておきましょう。
次は2012年当時の宜野湾市議会の議事録の一部。宜野湾市長であった佐喜眞氏と桃原功議員とのやりとりです。どのようにお読みになるかは自由です。
○議長(呉屋勉君) 桃原功議員。
◆19番(桃原功君)・・・次いきます。市長は2月、その選挙戦当時、御自身で日本会議あるいは名刺にも親学推進議員連盟会長ということで載っていましたけれども、この日本会議について私もよくわからないので、お伺いしたいと思いますけれども、市長が加盟されている、加入されている日本会議、どのような団体なのか、そして市長としてもこれから、なおまた、この日本会議の活動を続けていくのかお伺いします。
○議長(呉屋勉君) 企画部長。
◎企画部長(和田敬悟君) 御答弁申し上げます。まず、日本会議のどういった団体かということについて、私のほうからお答えします。日本会議は平成9年5月30日に前身団体でありました日本を守る国民会議、それと日本会議とが統合をし、設立された団体でありまして、「美しい日本を守り伝えるため、誇りある国づくりを」を合言葉に政策提言等を行う国民団体であります。
○議長(呉屋勉君) 市長。
◎市長(佐喜眞淳君) 御答弁申し上げますが、日本会議の中身につきましては企画部長から答弁があったとおりでございますが、私も日本会議に加盟している一人ではございますけれども、これからの行動につきましては日本会議が持つさまざまな政策あるいは施策等々について吟味しながら、私が同意できるものに対してはやっていきたいと思っております。