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  8月31日(金)
昨夜遅くにまとまった雨。突然雷鳴がとどろき屋根を打つ雨音に、びっくりしたというより「ようやく降ってくれたか」という気持ちの方が強かった。それくらい雨が降らなかった。昨日もバラ園で作業しながら、「このところ本当に雨がふらないねえ」とため息交じりで話していたばかりでした。
東北、北陸では豪雨災害が心配というこの前線の活発化、降りすぎも困りますが、飲料水や灌漑用水に深刻な影響が出ている地域では雨は「慈雨」。今日は秋野菜のためにマルチがけを行い、準備を加速することにしましょう。

沖縄県は今日、辺野古埋め立ての「承認撤回」に踏み切ります。ようやくという感もなきにしもあらずですが、翁長知事の遺志を受けて副知事が代理者としてその遺志を貫くのは全く当然のことであり、県民の意志に添うことです。
そして、前倒しされた県知事選挙。一部のテレビ・ニュースを聞いていると、「自民・公明・維新の推薦する佐喜眞氏と、共産、社民が推す玉城氏の一騎打ち」というような言い回しが使われています。佐喜眞氏はそうであっても、玉城氏は事実とまるで違います。
玉城氏は「オール沖縄」勢力が一致して推薦する候補者で、共産、社民が相談して玉城氏を推しだした訳ではありません。そんなことは沖縄県民ならず良識ある人なら誰でも知っていること。その点、朝日デジタルは正しく報道していました。
まず何よりも玉城氏は第1に故翁長氏の意向であったこと、第2に玉城氏は自由党の国会議員であり幹事長だということ、第3に玉城氏に要請したのは「オール沖縄会議」の「調整会議」。これを受けて共産、社民は全力で支援すると表明したのでした。
自公勢力は自治体の長が変わったことや一部の財界人が会議から離脱したこともって「『オール沖縄』はオール沖縄ではない」としきりに喧伝していますけれど、沖縄に住む人ならこの「オール沖縄」の意味をよく知っているはず。それは「建白書」実現を目指す沖縄県内の勢力という意味で、「建白書」とは2013年9月、沖縄の自治体議会の議長や首長らが署名して「オスプレイの配備と辺野古新基地の県内移設断念」を政府に意見書として実現を求めたもの(当時の仲井眞知事だけは署名しなかった)です。
署名した各政党が本当にこの「建白書」に責任を負うなら、どのような行動が求められるのか自ずと答えは出てくるはず。しかし、一部の党はまるで「建白書」などなかったように振る舞っている。当時宜野湾市長だった佐喜眞淳氏もしっかり署名していたではありませんか。
それに対して、当時那覇市長であった故翁長知事は保守の重鎮でありながらその姿勢は亡くなるまで一貫していました。佐喜眞氏とは雲泥の差です。
佐喜眞氏は辺野古新基地について態度を明らかにしていません。これは自らが建設派であることを隠すだけではなく、宜野湾や名護市長選挙などの彼らなりの「教訓」です。辺野古米軍基地問題を争点からはずし、そらし、偽るための作戦としてそうしているにすぎません。

佐喜眞氏についてはいろいろ書きたいこともありますけれど、今日は1つの事実だけをお知らせしておきましょう。
次は2012年当時の宜野湾市議会の議事録の一部。宜野湾市長であった佐喜眞氏と桃原功議員とのやりとりです。どのようにお読みになるかは自由です。

○議長(呉屋勉君) 桃原功議員。

◆19番(桃原功君)・・・次いきます。市長は2月、その選挙戦当時、御自身で日本会議あるいは名刺にも親学推進議員連盟会長ということで載っていましたけれども、この日本会議について私もよくわからないので、お伺いしたいと思いますけれども、市長が加盟されている、加入されている日本会議、どのような団体なのか、そして市長としてもこれから、なおまた、この日本会議の活動を続けていくのかお伺いします。

○議長(呉屋勉君) 企画部長。

◎企画部長(和田敬悟君) 御答弁申し上げます。まず、日本会議のどういった団体かということについて、私のほうからお答えします。日本会議は平成9年5月30日に前身団体でありました日本を守る国民会議、それと日本会議とが統合をし、設立された団体でありまして、「美しい日本を守り伝えるため、誇りある国づくりを」を合言葉に政策提言等を行う国民団体であります。

○議長(呉屋勉君) 市長。

◎市長(佐喜眞淳君) 御答弁申し上げますが、日本会議の中身につきましては企画部長から答弁があったとおりでございますが、
私も日本会議に加盟している一人ではございますけれども、これからの行動につきましては日本会議が持つさまざまな政策あるいは施策等々について吟味しながら、私が同意できるものに対してはやっていきたいと思っております。



  8月29日(水)
昨日から無料「こどもじゅく」の受験生向け特別枠での学習時間が増え、二人の生徒(いまのところ)を私と学生スタッフで見ることになりました。2,3ヶ月の短期なので、それほど負担にはなりませんが、なんだかんだで週3日は松本に通うことになっています。

安倍政権の愚劣さは極限を通り越してもう唖然とするばかり。にもかかわらず、「歴史の転換点」だとか「新たな国づくり」だとか「国民の負託に応える」だとかと平然と総裁選3選の「意欲」を語っている。
足下では、昨今の森友・加計問題に加えて各省庁の不祥事が後を絶たず、この頃は障害者雇用の水増し問題でモラルは完全に崩壊。罰則規定がないことを見越して「過去に死亡した職員を障害者として算入し、意図的に雇用率を引き上げた例があった」などというお笑いにもならないふざけた数字操作をやっているのですから開いた口が塞がらない。
それに輪をかけた麻生のあの発言。「障害者の数は限られているので、(各省庁で)取り合いみたいになると別の弊害が出る」???何のこっちゃ。
何も分かっていない3流ヤクザの大臣が、足下の重大事態の認識もなく、いつから水増しをやっていたかもわからないほど違法体質が骨がらみになっているこの異常事態。内閣そのものを全部そっくり入れ替える以外に方策はないでしょうに。
歌を忘れたカナリアならば、山に捨てるの柳の枝でぶつのも「いえいえそれはかわいそう」となりますが、モラルと憲法遵守を忘れた国会議員も高級官僚も、これはもう捨てて2度と戻ってこられないようにするのがいちばんよい方法ですね。
怒りを忘れ、政治には何も期待しないなどと他人事を決め込む”国民”の側も、そうなれば彼らの”思うつぼ”だということを忘れないようにしましょう。

MNEMOさん、明日お誕生日ですね。明日は忙しく書けるかどうかわからないので今日「おめでとう」を伝えておきます。めでたさも半分くらいになる年ではありますが、ご自身のおっしゃるとおりやはり特別な日なのですよね。
このところ、年齢のことをしばしばブログで見かけるうようになりましたが、私から見ればまだまだお若い。私自身だって、身体はガタガタですけれど、そんなに落ちこんでいるわけではありませんし、何とか直してまだやるべきことがたくさんあると思っていますから、MNEMOさんも、私に負けず新たなステージに向かってチャレンジを続けてくださいますように。また、この間書かれていたように、安曇野紀行をぜひ実現させてください。下仁田ネギが待っております。



  8月26日(日)
今日は全町一斉の防災訓練の日。わが集落では、自主防災会独自の取り組みとして、「防災班」ごとに班の近くの空き地に集合し、安否確認と今後のとりくみの周知を行いました。昨年までように集落センターに全員集まるというやりかたではなく、現実的な訓練内容に変更したのです。
事実、もし大震災に見舞われれば、それぞれ勝手に集落センターに行くことの危険性は明らかだし、近隣に救助を必要とする人がいた場合は即応しなければなりませんから。
すぐ近くに集まって、それぞれ安否確認するというやり方のためか、防災訓練に参加した人は例年の倍以上。家族ぐるみで外に出てくれた家庭が多かったようです。
これで避難訓練のすべてではなく、むしろこれから始まるわけですから、今後のとりくみの強化がいっそう大切になるでしょう。








  8月24日(金)
バラの鉢植えの中に、どこから種が飛んできたのか松葉ボタンが色鮮やかな花を咲かせています。昨日からの強風にも負けず曇り空の中でもひときわ目をひく色合い。


雨を期待したのに昨夜少し降った程度で、今日は風ばかり。ここ数日の暑さといったら全く異常です。
昨日は朝から足の付け根が痛くて歩行にも支障がでるほど。今日は朝からなんだか疲れが出たようで、昼頃までぐったりしていました。エアコンをつけて身体を冷やして休んでいたら、少しは体調が戻ってきたようです。

松葉ボタンの写真をトップに飾ろうと作業をしたついでに、これまであったコンテンツの一部を「リンク」に移しました。
ここしばらく妻は日記を続ける気配がない(すすめてはいるのですが・・・)ので、当面コンテンツをはずし(私の日記にリンクさせています)、その他は「リンク」に。私自身も、体調の問題があってなかなか日記に向かうことができないため、以前にも書いたように、書けるときに書いていく程度にしようと思っています。
今後の生活を考えれば、サイト(レンタルサーバと独自ドメイン)を維持するための経済的な問題も当然考える時期にきており、もろもろの面からいままで通りの「形」を維持していくことが難しくなってきています。すぐにどうこうというわけではないので、じっくりと考え方向を出そうと思っているところです。



  8月21日(火)
午後から整形でブロック注射。今朝、前の道路脇法面で少し残っていた草刈りをしていたら、ことのほか腰(足の付け根)が痛くなったので、今日のブロック注射が効くかどうか、ちょっとだけ期待して医者に出かけることにしましょう。

さて、今日は高校野球の決勝戦。
ちょうど整形で注射の最中および処置後の休憩(1時間)にあたるので見ることはできませんが、楽しみな試合であることは間違いない。
準決勝の最中に彼らの高校で子豚が「9匹」生まれたのは偶然とは思えない、とか、彼らの足腰が強いのは牛糞や豚糞を一輪車で何度も運んでいたからだとか、「土は持ち帰るもんじゃない、耕すもんだ」とか・・・現地の高校関係者だけでなくJAの農業新聞まで相当な力の入れようだとニュースワイドショーが伝えていました。
確かに雪深い地の公立農業高校が決勝に勝ち進んだのは快挙ですからね。超エリート校を相手にたたかう「雑草集団」に応援したくなるのは人情でしょう。ただし、妻はなぜか前から大阪桐蔭を応援している。

こんな時期に言うのはちょっと問題なのかもしれませんが、公立であれ私立であれ、高校での野球部のあり方がこれでいいのかどうか、私には大いに疑問があります。
高校生が全力で試合に臨む姿はそれはそれで見応えのあるものですけれど、果たして彼らの普段の姿(学校での部活動のあり方)をインサイド・レポートしたものがどれほどあるのか。
学校教育の様々な場面で野球部が特別扱いされていることはないのかどうか。野球部の活動が学校教育の一環として行われているのかどうか。実際に部活動の姿を身近で見聞し、甲子園にも「応援」に行ったことのある私の実感からすれば、テレビで紹介される学校の姿と相当にかけ離れているのではないかという疑問を禁じ得ないのです。
それはそれとして、今日は高校球児のたたかいぶりを注視するとしましょう。



  8月18日(土)
ずいぶんご無沙汰になってしまいました。無事です。
昨日から急に秋になり、畑にいても汗が出ないほど。今朝もひょっとしたら霜が降りるのではないかと思うほどの気温の低下、17,18度になったのではないでしょうか。

この頃の私の生活は、9時頃寝て6時頃起きるという農家のみなさんとあまり変わらない状態になりつつあります。
今日も、朝6時半から8時まで家の前の法面の草刈り(刈払機)、10時から3時頃まで畑で草取りと耕耘。5時頃から肥料を買いに行き、その後7時近くまでまた法面の草刈り。何しろ面積が広いのと、長時間続けてやると腰に来るので少しずつやらざるを得ないのです。
よく働いたという実感はあるものの、勢いパソコンに向かうという時間も意欲もないということになってしまいます。書いても農作業のことばかりでは代わり映えしませんね。
この時期は、夏野菜が終わり、その片付けと秋から来春に向けての畝作りや伸び放題の草刈りなど、山のように仕事があるのです。畑の面積が去年から以前の2倍に増えたので、そのぶんやることも2倍に。おかげで、キュウリなどはずいぶんもったいないことをしてしまいました。大きくなりすぎて処分しなければならないものがたくさん。キュウリ農家で山のように処分しているのを「もったいない」と言っていた自分が今度は同じことしてるんですもんね。
夏のキュウリ、インゲン、キャベツ、ジャガイモ、タマネギ、ラッキョウ、ゴーヤー、ヘチマなどはすべて終わり、いまとれているのがトマト(まもなく終わり)、ナス、オクラ、第2陣のキュウリ、にんじんなど。ネギも食べ頃に。カボチャはたくさん植えたので、あちこちにゴロゴロ。おかげで結構な量の収穫物を毎回「こどもじゅく」に届けることができています。

今年はスイカが大変うまくいき、すでに4,5個食べました。甘くシャキシャキして最高。日差しが強かったために甘さがうんと出たんでしょうかね。
美味しいせいか、カラスが虎視眈々と狙っています。他のスイカがつつかれないように覆いをかぶせ、収穫時期を誤って畑で腐ってしまったスイカをカラス用に置いておいたら、こんな情けない格好にしてくれました。


というわけで、だいたい毎日、作業疲れでバタンキュー。考えていることは、次の作業の手順やその準備のことばかり。畑仕事をしていると、一年のなかで集中的に手入れをやらなければならない時期というのはあるものです。今がその時期。それを過ぎればあとは成長を待つばかりというわけです。
まわりの田んぼでは稲がすっかり穂をつけてあと2,3週間もすれば稲刈りが始まるという季節になってしまいました。
明日もいい天気になるのでしょうね。空が秋の装いになってきました。




  8月11日(土)
富山から昨夕帰って、すぐに畑に行き散水、と思ったら夜になってかなりまとまった雨になり、今日はかなり過ごしやすくなりました。
富山では、娘の嫁ぎ先に4日間滞在。ほとんどの時間、大学受験を控えた孫と二人で数学の基礎固めに時間を費やしました。
富山では名の通った「進学校」に通う孫ですが、過去塾には一切通わず1学期まではブラスバンド部で忙しい毎日を過ごしており、にもかかわらず何とか学校の授業についてそれなりの成績を収めてきたのは大したもの。そのハンディを克服するために、受験のための秘策を授けようと結構な準備をして出張講習と相成ったのでした。
とはいえ、娘は自分の美容室で仕事をしており、家族は理容店を営んでいますから、生活はかなり変則。しかも、3世代7名と猫2匹犬1匹の大所帯、食事もみんないっしょにというわけにはいかない。それでも最終日はみんな集まって楽しく食事を囲むことができました。
忙しいお店中心の生活はあるものの、今回はそれらは脇において、孫の基礎力強化と入試必殺技の習得に絞ってひたすらいっしょに過ごしたというわけでした。どこまで受け止めてもらえたのでしょうかね。




富山滞在中に、沖縄の翁長知事の訃報が飛び込んできました。妻も「ショック、残念、悲しい」とわざわざメールをくれました。志半ばで病に倒れた翁長知事の胸中を察するに無念さはいかほどだったでしょうか。それを思うと言葉にならないくらいの衝撃です。
沖縄保守の矜持を保ち毅然として政府と対決した姿勢は見事なものでした。沖縄県民の多くに愛された翁長知事のその姿と政治姿勢は末永く受け継がれ語り継がれることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
台風接近の沖縄では今日、「辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」が7万人(主催者発表)を集めて開かれました。東京でいえば数十万人規模の集会です(東京でも呼応する集会が開かれた)。
この集会で県知事職務代理者の謝花喜一郎副知事が述べた「辺野古埋め立て承認撤回」への決意は、翁長知事を生み出した沖縄県民の意志であることを政府は思い知るべきです。
副知事は、冒頭いつも翁長知事が語りかけた「ハイサイ、ぐすーよーちゅうがなびら」ではじめましたね。過去の翁長知事の挨拶なども懐かしく思い出させます。


話は変わりますが、今日は「山の日」、これにちなんでNHKでは北アルプス立山連峰のドローン映像を放映していました。弥陀ヶ原、雄山、大日岳、称名滝、剱岳と幼い頃から親しんできた山々が多彩な角度から映し出されて、これまた懐かしく見入っておりました。
私が父に連れられて登山を始めたのは中学2年生(?)のとき。立山連峰から大日岳をまわり称名滝に降りるコースは、放映されていたような整備された登山道ではなく、称名滝もすぐ近くまで行けたしそこからは電車の駅までずっと歩きでしたけれど、それだけに今なおそのコースが頭に刻み込まれています。
父のカメラ(マミヤ)で撮り、私のアルバムの一ページを飾っている大日岳から剣岳を望む一枚を紹介しましょうね。今から60年近く前の写真です!




  8月6日(月)
広島原爆忌。
平和祈念式典では、核兵器禁止条約の意義やICANの貢献にふれ、核抑止力論の愚かさを指摘した広島市長の平和宣言に対し、核保有国と非保有国の「橋渡し」に努めるなどという安倍首相、その無内容さが際立ってしました。

身体の感覚器官が外界の刺激をどう受けるかによって脳の働きは限定される。脳の働きによって、身体の動きが規定される面ももちろんある。その働きによって、生まずたゆまず外界に働きかけることができる人は(もちろんその働きかけ方によるけれど)尊敬に値する。
今のところ、私の脳は、どうやら外界からの刺激にも鈍感、働きかけも拒否しているようや状態で、我ながら情けない。とはいえ、ある意味ではこの期間は次のステップへの準備とおおらかに捉えれば、自分なりの過ごし方ができればよいのではないかとも思う。

今日から9日または10日頃まで単身富山へ。高3の孫の大学受験対策にお手伝いをするために、「おじい」が出張講義にでかけるのです。最難関校をめざす孫にとってはこの夏が1つの勝負どころ、私も鈍った頭が少しは鍛えられるかも。



  8月1日(木)
暑さで寝苦しく、朝3時半ぐらいに一旦目がさめて縁側に出てみると、月明かりで葉の一枚一枚が白っぽくよく見える。外もまだ昼の熱を残し重たい空気がよどんで、ああ涼しいとは言いがたい。
昨日の夕方は松本で生徒達とお勉強をしていたのですが、松本の夜の暑さときたら尋常ではありません。さすがに池田はそこまではいかないけれど、まだこの夏が続くと思うとうんざりです。
2週間沖縄にいた妻が今日帰ってきます。午後から今日も松本で仕事なので、終わってから妻を迎え一緒に帰ってくる予定。さて、どんな顔をしてくるのでしょうね。母親がいまは落ち着いて、退院しほぼ普段通りにもとの施設で生活できるようになっているらしいから、まず行ってよかったということでしょう。
私もまた沖縄へ・・・といいたいところですが、今年2月に行っているし、なにしろ腰が思うように治っていないので、そっちの治療が先。昨日も病院に出かけてブロック注射後の経過を報告しました。1,2日は注射の効果は見られたものの、その後はほとんど前と同じ。むしろしびれが強くなっている面があって、今月21日に再度別の場所(手術でさわっていないところ)のブロック注射をしてみることになりました。
私も、怪しいと思われるところについては、時間がかかってもいいから可能性を潰していってほしいと医者に頼んできました。MRIの画像上は神経を圧迫しているところは現在ほとんど見られず、ここが原因だという箇所が特定しきれていないのが辛いところです。

ともあれ8月。トキメキもなくあっという間に時間が過ぎていく(「チコちゃん」15回)のでしょうか。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそう。




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