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  6月30日(日) その2
予測通り、蒸し暑いながら午後には青空も広がってまわりはすっかり明るくなりました。今日は仕事で塩尻近くまで出かけていましたが、どうやらしばらくは雨はなさそう。
すぐ隣の集落で昨日から始まった「ホタルまつり」には、天気の回復もあってたくさんの人が訪れていることでしょう。ひっきりなしにわが家の前を町で用意したシャトルバスが通っていきます。
夜8時過ぎに表に出てみると、数匹のホタルが飛んだり止まったりして明滅しているのが見えます。わが家の庭にも一匹迷い込んでいました。雨のおかげでホタルも喜んでいるのか。
この季節、雨で喜ぶのはカエルかホタル。今日の昼頃にはアマガエルとは違ったカエルなのでしょう、違った鳴き声でギャーギャー猛烈に騒いでいました。
今年生まれたばかりのアマガエルの方は、野菜の葉の上によじ登っているのはいいとして、夜明かりにつられて家の中に入り込みピョンピョンするのがいる。小指の先ほどの小さいヤツなのに、やたらすばしっこい。しかし、放っておけば、そのうちドアのすみで干からびるのがオチ。追っかけっこの末に捕まえて外に放り出すのが日課になっています。

明日も雨は落ちないでしょうから、1日畑でネギの土寄せ、イチゴの苗の準備などで忙しくなりそうです。草刈りもしないといけないしなあ。現物支給の条件で誰か手伝ってくれないかしら。



  6月30日(日) 
6月も今日で終わり。午前6時現在、かなり強い雨が連続的に降っています。気象庁レーダーによる「降水ナウキャスト」(5分刻み予測)によると、長野安曇野地方はこれから午前8時にかけてさらに強い雨の領域が通過する可能性があるので、最大限の警戒が必要です。
北陸・甲信地域を覆っている広い範囲の雨雲は一過性なので、午前9時頃には峠を越えそう。しかし、梅雨前線上の九州・四国を横切る帯状降水帯は大変危険で警戒が必要です。かつてのような大災害に発展しないように十分な対策をしないといけません。

晴れれば畑でタマネギ・ニンニク・ラッキョウの収穫に追われ、連日の暑さもあって、ちょっと疲れがたまっておりました。雨が降るようになって、多少は回復しましたが睡眠が足りないのかなかなか疲れが抜けない。雨を幸いに、できるだけ休養するようにしようと思っているところ。

さて、「令和狂騒劇」に続いてテレビは連日の「G20狂騒劇」の上演。各国が陥っているさまざまな矛盾を国際的にどう解決するのか有効な対策を打ち出すことができないまま閉幕しても、たとえばNHKは「令和新時代の外交」と安倍を持ち上げ、岩田明子解説委員は安倍のタイコ持ち役割全開。
ところで、アメリカのトランプは日米安保に関する自身の見直し発言をどう見ているのでしょうね。もし「双務的条約」にすべきだと言うなら、これは明らかに軍事同盟の根本的改変ですから、現在の日本国憲法の枠内ではあり得ないことです。だとすれば、これは日本国憲法の理念と第9条を変えよと言っているのに等しいわけですから露骨な内政干渉発言。沖縄を含めた戦後の歴史への無理解を内外に宣言したものに他なりませんから、安倍の応援発言ではあっても、日本国内の世論に挑戦した愚劣極まりない暴言というべきです。
もっとアメリカの防衛装備品を購入しろというビジネス上の取引的発言だとすれば、これまた露骨な経済主権への干渉。いずれにしてもトランプの大国意識だけが先行した無知・破廉恥の言動といわなければなりません。安倍はそれに対して何にも言えない。
いい機会だから、この日米安保条約と地位協定をなくして、それこそ新しい日米関係をつくるようにしたらいいのに、もっとそんな論陣を張ればいいのに、大手メディアはそんなことには全く関心がないらしい。
琉球新報はさすがに敏感で「米大統領『安保破棄』 安全保障を考える契機に」という社説をかかげ、「米国が本当に破棄を望むのなら、沖縄の米軍基地を平和につながる生産の場に変えることも可能だろう。辺野古の新基地建設も不要になる。政府はむしろ、これを奇貨として対応を検討すべきだ」と書いていた。全くその通りです。
気候変動にしろ安保問題にしろ、むしろどうしたらアメリカのご機嫌を損ねないかという安倍の配慮ばかりが目立つ今回のG20。天もまた怒りと嘆きの雨を降らすということか。



  6月23日(日) 
沖縄慰霊の日。1945年6月23日、沖縄戦での日本軍の組織的戦闘が終わったとはいえ、牛島中将は自決する前に各部隊に次のような命令を下しました。米軍最高司令官からの降伏勧告を一笑に付し黙殺したうえ(WIKIによる)でのことでした。

・・・予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし。

牛島中将に対する評価は様々だとしても、結局のところ大本営の作戦の要である「本土防衛(実際には沖縄捨て石)作戦」の体現者であったという本質はこの命令によって明らかであり、日本軍が武装解除される9月上旬まで、民間人の犠牲者もうなぎ登りに増えたのでした。

安倍首相は今日の式典で何と言ったか。「沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。この現状は、何としても変えていかなければなりません」
玉城知事の平和宣言の各所で大きな拍手が起こったのに対して、安倍首相に対しては批判の声ばかり。
それもそのはずでしょう。「負担を担っていただいております」などと白々しく言い放ち、「現状を変える」といいながら、やっていることといえば、沖縄県名護市辺野古への新基地建設のを強行、与那国、宮古、石垣をはじめ離島への自衛隊配備、米軍の事故や暴行事件に対しては見て見ぬりなのですから。沖縄県民にしてみれば、「捨て石」の現代版にされていると見なしてもおかしくない。まさにそのような事態が起こっているのです。
ところが産経新聞は「今日は祈りの日であって政治を持ち込む日ではない」と社説で書く。これがどれほど政治的な意味を持つのか、まるで筆者にはわかっていないらしい。あるいは分かっていて、そう書いているのか。

先日の東京での年金デモについて「ほんとそんな時間あったら働いて納税しろや。税金泥棒め。」とツイートして物議を醸した堀江貴文本人がテレビに出て改めて自説を主張、さらにデープ・スペクターが「あれはプロ市民」と悪乗りしていたのを見るとはなしに見ていて、アホらしくなり切ってしまった。
歴史修正主義などという生やさしいものではなく、「歴史戦」と称して歴史認識をめぐる論争を「戦争」と捉える極右の人々が、この国では勢いを増しているかに見えます。金太郎飴よろしく何にでも顔と口を出してくる目立つ人間だけかといえば決してそうではない。この国では言論界をはじめ、政治、経済、文化などありとあらゆる分野に似たような歴史認識を持つ人々がうごめいている。
ナチス政権下の負の歴史に向き合い、批判・反省と克服の姿勢を明確にしてきたドイツと根本的に異なって、アジア太平洋戦争における侵略行為の否認と戦争美化につとめる「歴史戦」の担い手(産経をはじめとして)の何と多いことか。
そうした現状を見るにつけ、この国はいずれ近いうちに必ず同じ過ちを繰り返すに違いない、そんな気がして目眩が起こりそうです。



  6月18日(火) 
昨日の夜、普通なら満月を見て、いい月夜だなあで終わるのですが、何となく満月と地震の関係が気になり、いろいろと調べていました。結果は、強い相関はないものの、結構満月や新月の直前・直後で大きな地震が起こっているという情報もありました。ちなみに3.11の際の月齢は6.26。

明日から妻が東京に出かけるので、早く寝ようと早々にテレビを消して休んでいたら、娘から「地震があったけれど山形は大丈夫だった?」というメールが妻にあり、びっくり。
山形県鶴岡市には妻の妹が住んでいて、震度6弱、津波が予想されるというので、心配した娘がこちらで情報をつかんでいるのではないかとメールをくれたのです。すぐに妻が電話したところ「揺れは激しかったけれど、停電もなく今のところ問題ない」という返事で安心しました。
新潟下越で震度6強ですし、暗くなってからの大きな地震、テレビで見る限り被害情報が少ないからといって全く安心できません。一般に震度6強クラスになれば家屋の倒壊、家具の落下・転倒、それによる人的な被害があっても不思議ではありません。大きな被害が発生していないことを願うばかりです。

今回の地震は、新潟と山形の県境沖地下10キロということのようですが、ここはかねてから新潟-神戸ひずみ集中帯の北側に位置するところ。長野県でもこのゾーンで頻繁にM6〜7レベルの地震が発生しています。この帯状の部分は東西から押され「西側の地殻は東へ移動し、東側の地殻は西へと移動」(Wiki)していることが観測されているということ。下の画像は発見者の名古屋大学鷺谷教授のホームページから。


同じく名古屋大学の鈴木康弘教授によれば、今回の震源域は「北海道から日本海沿いに新潟まで続く活断層の密集域(日本海遠東縁変動帯)にある」といいます。これらのメカニズムはまだまだ解明されていない点が多いようで今後の研究が待たれます。
このほか、京都大学地震予知研究センターの西村卓也氏のプレゼン資料も参考になります。地震は待ってはくれませんから、万全の対策をしておかないといけませんね。



  6月17日(月) 
ようやく気持ちよく晴れた1日。しかし、我が愛車が車検に行ってしまい、1日どこにも出られず、仕方なく庭の手入れで過ごしました。
このところの雨で雑草が茂り放題。まず、イチゴが終わりランナーが相当に伸びてきたので、来年用の苗を取るために周囲の草を取り、耕して苗床を作る作業。
続いて、普段あまり手入れしない庭の澄の柿の木の下(ミョウガが生えている)の草を取り、柿の枝を落としてさっぱり。
最後にナメクジだらけのレタスを全部収穫して、次の作物用に準備。ついでに、もう一つの畝に他のところに仮植えしてあった下仁田ネギを移植、トマトの苗も植えて、少しまともな畑らしくなりました。
普段、どこへ行くにも車ですから、足がないというのは本当に不便。自転車でもあればいいのですが、処分してしまったので、あとは歩き。数百メートルでダウンしてしまう腰のためにこれもダメ。車を手放したら、これはもう引きこもり老人になるしかありませんね。

沖縄の義兄から、母の日におくったお菓子を義母が美味しそうに食べていたよ、というメールがありました。あとわずかで元気に100歳ですから、本当にめでたいことです。
11月頃に、二人でお祝いに出かけようと話しているので、それまで怪我などしないように、気をつけて過ごしてほしいもの。1年半前に沖縄にいたのがウソのように遠く感じられてしまいます。

かつてよく参照させていただいた「チョイさん」こと北上田毅さんは、いまや沖縄辺野古新基地反対のたたかいに不可欠の人となり、全国を駆け回って講演したり、雑誌に寄稿したりと大忙し。土木工学の専門知識をフルに生かして政府・防衛省による基地建設の無法ぶりを厳しく追及する舌鋒は相変わらず鋭い。
雑誌世界7月号の記事「辺野古新基地は頓挫する」を読むと、現在の政府・防衛省のなりふり構わぬ工事の強行ぶり、無法ぶり、乱暴ぶりがよくわかります。
沖縄県の試算で、仮に基地建設が完了したとして、それまでにかかる費用は2兆6500億円。頭がクラクラしそうです。そして、かかる年月は北上田さんの試算によれば、少なくとも15年から20年。それまで(それ以後も)普天間飛行場は固定化されるわけですから、結局のところ「もんじゅ」の二の舞になる可能性が濃厚です。
イージスアショア配備候補地選定にともなって杜撰の調査が発覚して謝罪に追い込まれた防衛省。秋田県に対して「データに誤りがあった他の検討地を再調査する方針を示した」との報道が今日ありましたが、沖縄に対しては、調査の誤りどころか数々の違法行為にすべて頬被りしたまま強引に埋め立てをすすめているのですから余りに対照的です。だが、報道機関は全くの及び腰。
11月に沖縄を訪問したときに現地からの報告もできるでしょうが、それまでは、北上田さんの論考を参考にしながら、現在の新基地建設に関わる問題点は何なのかを追跡していきたいと思っています。このところちょっと沖縄問題はご無沙汰していましたし。



  6月12日(水) 
いまからほぼ1年前の2018年7月、中国のある民間経済研究所のホームページに、精華大学法学部教授の許章潤氏の「我々の目下の恐れと期待」と題する論文が掲載されました。
これに対して、今年の3月には許氏が大学当局によって停職処分とされ、一切の教育・学術研究の停止を言い渡されたことが明らかになり、5月末現在でも大学と当局による調査が続いているのだといいます(「世界」7月号、吉岡桂子朝日新聞編集委員)。
この事件は、中国国内の知識人に対する言論統制・弾圧の単なる一コマにすぎませんが、弾圧・投獄に屈せず声を上げ続けた作家の劉暁波氏(ノーベル平和賞受賞)を引き合いに出すまでもなく、多くの知識人たちがいまなお民主的な諸権利を求めて勇気を振り絞って声を上げ続けていることに感銘を受けます。

香港では、こうして私がパソコンに向かっている間も「逃亡犯条例改正案」反対の大規模なデモ・抗議活動が続けられており、ニュースでも大きく取り上げられていますが、その背景にはもちろん、メディアが指摘するように中国マネーによる格差拡大への若者の不満もあるでしょう。しかし、それ以上に、「逮捕された容疑者の身柄を中国本土に引き渡すことを可能にする」法案が通れば、1国2制度が壊され、中国国内と同じような言論封殺の体制になるのではないかという恐怖に若者達が突き動かされているからではないかと容易に推察されます。

さきの許章潤氏の「我々の目下の恐れと期待」を読むと、どんなことでも発言が許されるこの国の水準からすれば、実にまっとうな批判と提言が列挙されていると思われます。
彼はこの論文で、まず執政党(中国共産党)が全国民の平和共存に必要なボトムラインを維持するという原則を破って反転している状況を、4つにまとめています。その4つとは、
@基本的な治安を維持し、国家のビジョンを明確にする。
この点では、執政党は1992年以来、経済建設を中心として基本的な治安維持を成功させ、人々は「平穏な生活、常に食べ物に困らないという」日常生活のビジョンを受け入れてきたと分析。
A私有財産をある程度尊重し、国民の富の追求を容認すること。
これについても、「憲法に私有財産の保護を明記する」ことで、「国の経済力は前例のない速度で成長」「科学、教育、文化、衛生及び防衛」などの費用を支え、「一般国民も多くの利益を得て生活水準を一定程度向上させてきた」と評価。
Bある程度の市民生活の自由を容認すること。
このボトムラインについて彼は手厳しい。
「数十年来、公民社会は成長しておらず、少しでも頭を出せば弾圧の対象となる状態で、国民の政治的センスと知恵の発達をひどく妨げている。政治社会は行方不明であり、中華民族は政治的に未熟なままである」
ここで、彼の重要な一文が登場します。「市民の自由は公民の自由ではない」。市民生活と市民の自由とは「私的な領域における限定的な生活の権利」だから、たとえば服装だとか食べ物などについて役人の顔色は見なくてよい、というわけです。
C政治任期制の実行。
ここ30年以上にわたって「全体的な政治システムにおいては実質的で進歩的意義のある改革は行うことができていない」。
任期制という制約があってはじめて市民は「安んじて自分の家の生活を切り盛りできる」のであるから、これがいつまでも続くとなると「一部の地域は戒厳令下のようになり、浪費が深刻で、体制の潜在力は使い果たされる」。
だが、実際には「憲法改正によって政治任期制を取り消」し「改革開放を一気にご破算にし」、「指導者の個人崇拝によって全面的な恐怖が広まっていく」。

このあと、彼は現在の中国に広がる事態への8つの懸念と恐怖について書いています。
詳しくは論文(「世界」7月号)に直接あたって読んでいただくほかないので、項目だけ紹介しておきましょう。

@財産権に対する恐怖。
A政治の指揮官が全面に立ち、経済建設を中心とする基本の国策を放棄しようとしていることに対する懸念。
B(スターリンと毛沢東の時代のような)階級闘争を行っていることへの恐怖。
C再び鎖国し、アメリカを代表とする西側世界との関係が硬直状態に陥り、朝鮮のような悪政を行っている国となれ合うことになる懸念。
D過度に対外援助を行い国民の財政を緊縮しなければならなくなっていることへの不安。
E知識分子に対する政策が左に転換し思想改造を行っているという恐怖。
F重度な軍備競争に陥り、新冷戦を含む戦争が勃発するという恐怖。
G改革開放の停止と全体主義政治への全面的な復帰。


彼はこうした懸念、不安、恐怖をあげつらうだけではなく、その次にそれに対置する8つの期待を記しているのです。一つ一つが注目に値する提言となっており、中国が「まとも」な社会ならば、あるいは中国共産党が本来の意味での「共産主義」の政党ならば、頭を垂れて聞くべき事柄ばかりです。が、やっていることは、まるで正反対。
その8つとは、

@外国への援助で「大枚」をばらまくのをやめること。
Aホーム外交における浪費を止めること。
B退職した高官の特権を取り消すこと。
C(特権階級への)特別供給制度を廃止すること。
D役人の財産を公開する法案をつくること。
E「個人崇拝」にブレーキをかけること。
F国家主席任期制を復活させること。
G「六四(天安門事件)」の名誉を回復すること。


最後に彼はこれらについて「以上諸々のことは、現代政治の一般的な常識であり、目下の中国人の普遍的な要求である」と書いています。その通りで、全く当然の要求です。

さて、許さんのこの論文は「覚悟」のアップロードだったでしょうが、公表に至るまでの彼の心の中で生起した思いは、私などにはおそらく想像することもできない。なぜなら、私自身、ブログで好き勝手なことを書いているのですから。いや、好き勝手というのは不適切で、書きたいことを自由に書いていると言い直すべきですね。

長くなりました。この論文に先立って、朝日新聞編集委員の吉岡桂子氏は、「中国知識人たちの言論闘争」という小論の最後に次のようにように書いていました。かみしめるべき言葉です。

彼女(郭于華(Guo YuHua)精華大学教授)は「中国には自由がないから、社会に対する責任意識が生まれない」とも嘆いた。ならば、「自由」を手にしている日本社会はどうなのだろうか。「独立した精神と自由な思想」と刻まれた記念碑を覆ってしまった精華大学を笑えるだろうか。私たちの未来を規定する歴史に向き合い、総括できているだろうか。
静かに強く闘う中国の知識人らの覚悟に息をのむ。消されそうになりながらも絞り出す彼らの言葉は、私自身を鋭く突いた。




  6月11日(火) 
金融庁、金融審議会の報告書「高齢社会における資産形成・管理」をめぐる政府・自民党の狼狽ぶりが極限に。
麻生さん、何を言っているのかさっぱりわからない。ろくに報告書を読んでもいないのに、「世間に著しい不安と誤解を与えており、これまでの政府の政策スタンスとも異なっているので、正式な報告書として受け取らない」だって。
「公的年金は、老後の生活をある程度賄うことができるようにするのが政策スタンス」ともおっしゃる。あ、あれから急いで読んだのかな?でも、現在の公的年金で老後の生活を「ある程度」まかなうことができるって、5万円不足しないってこと?それとも5万円不足しないように一層切り詰めて生活しろってことかな?
自民党は、「金融庁に対し、老後資金として2000万円が必要とした金融庁金融審議会の報告書への抗議を伝え、撤回を要求した」そうな。二階幹事長はその真意を「参院選を控えており、党として候補者に迷惑を掛けないよう注意していかねばならない」と語っているのですから、率直と言えばいいのか、アホ丸出しといえばいいのか。
今朝の朝日系列TVのニュース番組でもこの問題は大きく取り上げられており、コメンテーターの青木理さんは麻生さんが「冒頭の一部、目を通した。全体を読んでいるわけではない」と平然と国会で答えたことなどに関連し「国民をなめている」と呆れ顔。

報告書は、厚労省の家計収入、支出の統計から毎月の赤字額が約5万円になっていることをあげ、これが「毎月発生する場合には20年で約1300万円、30年で約2000万円の取り崩し(各自の金融資産から)が必要になる」と書いており、これが大きく取り上げられているということなのでしょう。
しかし、ですね。この報告書って何?とそもそもをたどれば、金融庁が審議会をして「これからは自助の時代ですよ。老後に備えるなら投資などの資産運用、あんまり活用されていないようだけど、もっと勉強して資産形成に励みましょう」と言わせ、証券会社のセールスをやっているようなシロモノ。報告書は「はじめに」で、「個々人、金融サービス提供者双方の観点から計12回議論」してきたと正直に書いていますから。
公的年金は、私の世代あたりから過去ものすごい割合で引き下げられ、さらに現在年金は「マクロ経済スライドによる調整」と称して、物価・賃金が多少上がっても年金額は上がらず、物価・賃金が下がれば連動して下げることになっています。自営業者など国保加入者はさらにひどい状態。「報告書」どころの騒ぎではありません。
要するに、現在の年金のあり方を国民本位に変える意図などさらになく、むしろもっと保険料を高く給付を低くしておいて、このままじゃやっていけないから、若いときから「保有する資産を活用した資産形成・運用といった『自助』の充実を行っていく必要がある」というわけです。
厚労省のデータをもとに議論している報告書を「政府の政策スタンスと異なる」というのは一体どういう了見ですかね。じゃ、どういう報告書を期待していたのでしょう。おそらく、審議委員は「やってられない」と思ったんじゃないでしょうかね。資産運用をどんどんやってもらってもうけをあげようともくろんでいた証券会社などの方々は、「せっかくの報告書をどうしてくれるんだ」と怒りをぶちまけているのかも。
そもそも、公的年金を充実するための財源問題に切り込むわけでも、問題点をきちんと指摘するわけでもなく、年金制度の改革については完全にネグレクトし、政府の政策に則って将来を見ればこうなるという頭の持ち主でしかありませんから、政策的な文書では全くありません。
私からみれば、こんな報告書など有害無益。イージスアショアをやめ、F35の爆買いを中止し、その他アメリカからの兵器購入をやめることが先。税制の仕組みを根本から見直してみれば、ずいぶんと財源がでてくるのでは?こんな議論はタブーとされ、自助努力のみが強調され、挙げ句の果てはわずかな蓄えさえ金融・証券業界にまるまる吸い取られていくんじゃたまったもんじゃないですねえ。

最後に、言わずもがなですけれど、私は政府の審議会が国民的なレベルで自助を強調し資産運用を奨励していることを問題にしているのであって、投資についてよく研究し、リスク管理を徹底して資産運用している個々人を問題視しているわけでは全くありません。



  6月10日(月) 
昨日、今日と雨。梅雨空が広がってじめじめしたいやな天気です。その雨によって草が伸び放題になって、畑も庭もかなりひどい状態になってきています。
バラ祭りが終わって一週間、それなりにお客さんがひっきりなしに来て、ちょうど見頃のバラを堪能している様子。こうしてみると、好きな人はたくさんいるんですねえ。

テレビではイージスアショアの秋田への配備をめぐって杜撰な「測量」データが明るみに出て、その説明会が紛糾、さらに職員の居眠りで怒りも頂点に達したと報じていました。
電波を遮蔽する山の高さをはかる仰角が実測ではなくグーグルアースだったというのも噴飯物ですが、仰角15度というのがいかに大きい角度かの常識すら持っていない職員には呆れるばかり。それでも秋田への配備には変更はないというのが防衛省の基本姿勢ですから、結論先にありきであることは疑いがない。
職員の居眠りも、実は住民がどう騒ごうが方針は決まっておりあとは時間が解決するからどうってことはないという態度がなせるわざなのでは?緊張感があるかないかの問題ではありません。そもそも、住民説明会などは彼らにとって単なる通過手続きのひとつに過ぎない。配備することは規定方針だという意識しかないことが問題なのです。どれだけの血税をつぎ込むのか想像もつかないようなイージスアショアを国内に配備させることなど絶対に許してはなりませんね。

先日、わが家でホームパーティー形式で、「沖縄料理を囲んで政治談義をするつどい」を行いました。私と何らかのつながりのある割と近所の方々が私たち夫婦を含めて14人も集まって、6時半から10時近くまで、あれこれ議論し合いました。
政治的にはいろいろな立場の「仲間」(と言っていいでしょうね)たち、しかもそれぞれ一家言ある方々ばかりですから、まあ賑やかでちょっと収拾つかなくなった感がありましたけれど、安倍政権に対峙する運動をどう地域からつくるのかを中心テーマに話し合ったのです。これには共産党の地区幹部も参加者の一人として参加、議論に加わってもらいました。
沖縄問題も大きなテーマの一つでしたが、議論が多岐にわたったのと、沖縄料理を食べるのに忙しくて、ちょっとかすんでしまった感じで残念でした。ただ、妻だけではなく、沖縄出身者の友人たち3人が料理の助っ人を引き受けてくれ、かつ話に加わってくれたのは大変うれしいことでした。
チャンプルー、イリチーなどの炒め物や、もずくの天ぷら、ニンジンシリシリ、スクガラス、ジーマミー豆腐・・・普段見たこともないものが沢山並んで、食が進むのかどうか心配でしたが、終わる頃にはほとんどなくなって妻はホッと安心した様子。

政治団体の集会などは経験しても、誰かの家を開放してパーティー形式でざっくばらんに政治問題を議論し合うというのはおそらく池田町でも始まって以来じゃないかなと思います。
何より地域にはこのような人たちがいて、それぞれの活動分野でいろんなことを考えていることを知るだけでも大きな刺激になります。これからはもう少しテーマを絞って、少人数でも深い議論を交わせるように続けていけたらなあと強く思わされたことでした。



  6月2日(日) 
日差しがそれほど強くなかったためか昨日ほどの疲労感はありませんでしたが、それでも坂道を少し上がるのに苦労するほど。みんなもそれぞれの年を考えていたんじゃないでしょうか。
二日間のバラ祭りが何とか無事に終了しました。机や椅子、飾り物、テントを片付け簡単なミーティングを行ってまとめをしました。
今日はやはりというべきか、昨日よりは出足が早く人数も多かったように感じましたが、一日では波がありほとんど訪問客のない時間帯も。一日車の台数と人数をカウントした結果、結局昨日400人今日もほぼ400人の訪問客でした。この後の訪問者を考えると、多分1500人ほど。昨年の約半分ほどということになるでしょうか。
駐車場を一元化したことと来訪者が適度であったことから、目の回るような忙しさだった昨年度までの駐車場担当は今年は大変楽。入場者と交流する時間もとれたことは何よりでした。
町の現副町長、昨年度の副町長で現在県の幹部であるお二方も奥様と一緒に来訪されたことも嬉しいことでした。いろいろと積もる話に花が咲きました。また、しばらく会えなかった友人がわざわざ足を運んで歓談できるのもバラ祭りならではの楽しみ。松本のこどもじゅくに通っている子が家族といっしょに来てくれたのは、びっくりさせられたと同時に本当に嬉しいことでした。
仲間たちも久しぶりに会う友人たちとあれこれ話し込んでいる姿があちこちで見られましたから、普段の作業の延長では味わうことのできない交流の機会にもなっていることが実感できました。
肉体的な疲れは大きいものの、それを上回る元気を来訪者、仲間達から受け取ることができます。MNEMOさんも昨日のブログで励ましの言葉を書いてくれました。正直、私の気持ちは大波の上の小舟のように揺れ動いているのですが、仲間を信頼し力を合わせてどこまでできるのかいっしょに模索していかなければならないだろうと改めて思い直しているところです。
昨年から見ると半分以下の人数でしたが、バラはまだ5分咲きくらいなので、このあと一週間でまだまだ沢山の人出がありそう。そのため、このあと数日間、午前・午後の担当を決めて対応することとしました。






帰ってからちょっと畑によってイチゴの様子を見てきたら「大変」なことに。早く摘んでくれといわんばかりの真っ赤なイチゴが「一面」にひろがっているではありませんか。
一昨日、バラの仲間と摘んだばかりだったのに、この暖かさで急速に赤くなっているのです。今年は粒が小さく不作かと思っていたのに、実は実りが遅かっただけ。明日は全部摘んできてまたジャムをつくるぞ(ジャムづくりの係は私)。
イチゴ摘みをしたい方はぜひご連絡を。いまがピークで、この機会を逃すと来年になりますよ。



  6月1日(土) 
日陰にいると風が心地よいものの、交通整理のために日向にいれば結構蒸し暑い今日、丸1日バラ祭りにかかりきりで疲れました。
定刻の10時前から訪れる人もいて、午前午後合わせて350人くらいがバラ園に来てくれました。
例年から見れば大変少ない人数。それもそのはずで、一つはバラの咲き具合が全く遅くまだ3分咲きなので見頃にという人たちが敬遠したこと。電話での問い合わせも「どう行ったらいいでしょうか」ではなく「咲いていますか、見頃はいつですか」というものですから。
その二つは、新聞などでの報道もいつもより遅く、市民タイムスがようやく初日の今日報道してくれたくらいで、昨年のように祭り前から数百人が訪れるというようなことにはなっていないこと。


対応する側からすれば、昨年のように700人、800人という殺人的な訪問より、今日くらいがちょうどいいほどで、会員たちもそれぞれのんびりと対応に当たっていました。
昨年に引き続いて町長が訪問してくれましたし、商工会から会長も来てくれ、それぞれバラ園の実情を見たり聞いたりしてくれたのは一つの収穫でした。
暑い日差しに照らされていれば結構疲労がたまる。少ない人数で対応にあたった会員も私と同じでしょう。明日一日、後片付けを含めて奮闘しなければならないので、今日は早く寝ることにしましょう。










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