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1月19日(日) 「終末時計」の針は人類滅亡まで何秒前?
NHKの国際報道を見ていると、ヨーロッパ各国はイスラエルのガザからの撤退をめぐって停戦合意が成立し第一段階が発効したことを大きく報道。
ガザでは喜びの声があふれていることや、イスラエルでも人質が解放されることへの喜びが伝えられているものの、あるメディアは、パレスチナ人4万人以上が犠牲になっていることから、ガザ住民すべてにイスラエルへの「ぬきがたい恨みの感情」が渦巻いていることを報じていました。

イスラエル国内では、この停戦に反対し民族浄化を唱える極右の勢力が依然として根強く存在していることから、この停戦合意が最後まで実現するのかどうかは予断を許さない。

停戦合意ができたのはトランプの圧力があったからだとする報道も見られ、トランプ自身もそのように発言していましたが、これは全くの茶番。イスラエルに武器を供給し続けながら、もう一方で停戦に尽力したなどという物言いが国際的に通用するわけがない。

いずれにせよ、この停戦が完全な戦闘終結とパレスチナの復興に結びつけ、パレスチナの自決権と国家の承認へとつなげる国際的な努力が不可欠なのです。
ガザの問題にしろ、ウクライナへのロシアの軍事侵略にしろ、大局的な立場に立って、紛争を仲介し解決に導く意思のある国が存在しない。どの国も自国の利益が優先し、そのために国連も全く機能不全に陥っている。日本はあいかわらずアメリカの僕で、国際的には何の役割も果たし得ない情けない状況ですから、大国の狭間にあって苦しむ国の人々にとっては、さらに受難の時代が続くことになるのでしょう。

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その一方で、アメリカ・ロスの森林火災で明らかになったように、気候危機は新たな局面に入ったと思われます。
イギリスの国際NGO「オックスファムGB」が「世界の最も裕福な1%の人々が、1月に入ってわずか10日間で、すでに今年の世界の炭素予算の公平な割り当て分を使い果たしている」という報告書を出しました。(詳しくは「Share the world's Resources」)
報告書では、イギリス政府に対して、富裕層への迎合をやめ、環境への代償を支払わせるべきだと求めており、こうした課税政策に対しては、イギリス国民の81%が賛成しているとも。下は、これを報じるしんぶん赤旗の記事。



環境系ビジネス情報誌alternaによれば、オックスファムは2024年10月に、「『炭素の不平等』に関する最新報告書」を出し、やはり世界の上位1%がどれほど地球環境への悪影響を与えているかを告発したことを紹介していました。

この報告書では、「世界の上位1%の富裕層によるCO2排出量は、グローバルサウスの貧しい国々に住む50億人の排出量に匹敵」「大量のCO2排出が生産高を減少させ、飢餓や貧困につながった」と指摘しています。

また、イーロンマスク氏やジェフ・ベゾス氏のプライベイト。ジェットがどれほどのCO2を出しているかを具体的に指摘するとともに、富裕層の保有株式の4割が「石油、鉱業、海運、セメントなどの多排出産業に集中している」ことを明らかにし、富裕層に対する課税の強化、プライベートジェット機や豪華ヨットの使用制限などを求めているのです。

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人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」(米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」が毎年発表)は過去最短の「90秒」。
過去には核戦争の脅威が中心だったが、2007年以降は「人工知能(AI)や気候変動、核戦争といった人為的なリスクも考慮に入れられている」。



誰が本気でこの状況を変えていくことができるのか。
当然ながら、根本的に変えられるのは政治の力であり、それを実現する政治勢力およびそれを支える民衆の力ということになります。

この国で、どうやってそれを作り上げていくのか。
そもそも、現在の状況がどれほど人々の認識になっているのか。今年はそのことが問われる正念場になるでしょう。



1月18日(土) あの戦争を振り返る視点
今日の東京新聞デジタルは特集記事として「隠ぺいと誇張で戦意をあおった大本営とメディア 東京新聞の報道責任<ビジュアル特集・戦後80年 3>」を発表していました。
以前のこの手の記事は結構有料版が多かったのですが、今回はすべて載せて閲覧できるようになっています。
目的は、当時の新聞紙面をもとに「国内外で多くの犠牲者を生んだ戦争への新聞の責任を考えます」ということらしい。

しかし、一読しても、戦争中は政府・軍部の検閲で紙面が支配され、戦後はGHQの検閲で書きたいことも書けなかったという「言い訳」が多く、これらの記事によって国民がどのような思想統制を受け、どのような世論が作られてちったのかなどは、ほとんど読み取れません。

確かに京都大の貴志俊彦教授の「新聞社と軍が実質的に一体化し、新聞は加害者になっていた」という厳しい指摘はあるけれど、東京新聞の見解ではありません。
こうした検証記事を載せて自社の過去を見つめる姿勢と熱意は理解するけれど、当時と同様なことが現在の報道で起きていないのかどうかも含めて、深い分析が必要なのではないでしょうか。

この一連の記事で、「現在の戦争に目を」という一節を設けています。世界中で起こっている戦争に目を向けるべきだとして「現在の戦争の推移をつぶさに報じ、事実を伝え、広めていく社会的責任がある」と書いてそれはその通りでしょう。しかし、この日本が一体どこに向かっているのかという視点がそこにはない。
沖縄の基地問題、大軍拡のもとで進んでいる全土ミサイル基地化、自衛隊と米軍との軍事一体化など、まさに戦争準備に対してどのような態度を取るのかが問われていることを忘れてほしくないものです。

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厳しい寒さが襲ってきて、なかなか暖房も効かない程の夜を過ごしても、今日のように、青空が広がり昨夜の寒さがウソのような暖かい日差しが差し込むと、気持ちも穏やかになる。
夕方ピアノのレッスンに行くときに白馬方面を見ると、太陽が低いので山肌の陰影がくっきり出ていて最高の眺めでした。



ピアノの先生によると、白馬方面はものすごい積雪で、池田町にいると信じられないほどだという。
おそらく、大町・池田の雪の境界がいつもよりはっきり表れているのかもしれませんね。
今のところ、池田町には雪はなく、いつもなら10㎝ほど降る日があるのですが、今年はいまだにその気配はありません。
積もらないでくれた方が有り難いのですけれど、冬用タイヤの減りが心配だし、夜の寒さがハンパではないので、暖房費が気がかり。とにかく、早く暖かくなってほしいですね。



子どもにとっての学校とは
昨日の新聞で作家の落合恵子さんが、小中学校の不登校者が全国で34万人にのぼる問題を取り上げて、その数の多さもさることながら「不登校」という言葉のニュアンスに疑問を呈していた。
かつては「登校拒否」とよんで、「子ども自らの意思がわずかでも入っていた」が「不登校」という表現にはどんな意味が込められているのか、そんな問いがくすぶっているとも書かれていた。

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私が中学に進学したのは1958(S43)年だった。今から67年も前のことになる。
小学校では担任教師の熱心な授業のおかげで、学ぶことを相当に「強制」された覚えがあるが、中学は3つの小学区を1つにまとめ、6クラス300人くらいの規模で、随分と伸びやかな雰囲気を持っていた。

その頃は、地域にいれば、近所の子ども達や学校で親しくなった友人たちと群れをなして遊び(男の子なら遠くへ魚取りに行くとか、野球をするとか)、学校は一種の社交場であり、遊びの学びをセットする場であったから、行くのが嫌であるかどうかよりも、行くのが当然でありそれ以外の選択肢はありえなかった。

だから、小学校、中学校を通して、教室に空席が生まれるとか、誰かが来なくなったなどという話を見たことも聞いたこともない。
子ども同士で諍いはしょっちゅう起こってはいただろうけれど、基本的には男の子も女の子も大変仲がよく、のびのびと学校生活を楽しんでいた幸せな時代だったと振り返る。
子どもたちは子どもたちの世界を大切にし、教師たちはそれに干渉することもなく、しっかり見守っていた。

ここに一枚の写真がある。これは私の中学3年初秋、ある施設での演劇公演のあと撮ったもの。



写っているのは演劇部の顧問と生徒たちだ。一人を除いてはかなりぼかしてある。
この写真を撮っているのは私、ぼかしていないのは私が心を寄せていた女性(30年前に死去)だ。男の子はみな実に幼い顔(撮っている私も同じ)をしているが、この女性だけは、これが中学3年生かと思うほど知的で心の広さを感じさせるたたずまいで、凜として立っている。

中3のこの年、この女性が周りに働きかけ初めて学校で演劇部を創設したのだった。当然部長は彼女。春には10名ほどでスタートした部員が秋の公演時には2倍になっていたたのだから、ものすごい情熱と実行力の持ち主だった。それに巻き込まれた私や友人達もまた、その情熱に応えて舞台をつくっていたのだった。

ここで言いたいのは、当時の学校が部活動であれ他の自主的な活動であれ、それらを全く生徒だけの力で作り上げ、やりとげる力を持っており、教師たちはそれをおこなう場を保障し力いっぱい援助していたということ。そして、子どもたちの中に、優れた才能を持った子が何人もおり、集団の中でいかんなくその力を発揮していたということだ。同学年にこの女性を含め、同様な生徒たちが大勢いたことは驚異的なことだったと今さらながら思う。

私の知っている限りでも、同学年で水泳のオリンピック選手がおり、シンガーソングライターとして現在に至るまで活躍している人物もおり、大学の研究者になって業績を上げている人物もいる。
戦後それほど経っていない時期だから、大人たちは生活を立て直し維持していくのに精いっぱいであり、子どもに過度に干渉することもなく、子どもには子どもの世界があるとして、学びについては学校に全幅の信頼を寄せて任せていたのだ。だから、子ども達は、大人になるのも早かった。

教師たちは、子どもの目からみても、個人としても集団としても特別にすぐれていたという訳ではない。実に雑多な人間の集まりだった。戦後の教育現場は、子どもの増加に伴って教師を多数確保しなければならなかったこともあり、変なのも紛れ込んでいたからだ。 誰がすぐれた教育的な力をもっているかは、教師の側より、子ども達の側が判断し評価していた。授業でもそれがよく表れていた。
力のない教師の授業は、私からみていても可哀想なくらい「授業崩壊状態」。うるさくて授業にならない。それを止める力がないのだから仕方がない。しかし、ほとんどは圧倒的な人間力で子ども達を集中させていた。ある時間と次の時間とでは、それくらい差があった。

大規模校であったにもかかわらず、なぜ、子ども達の中で「いじめ」がなかったのか。学校嫌いや学校拒否という現象が生まれなかったのか。
当時の私にとってみれば、友だちに会うのが嬉しい、学校が楽しいという一言に尽きるような気がする。学校は子ども達が子ども達同士でつくる1つの社会であって、自分たちのことは自分たちで処理していたのだった。社会の善悪もそこで培われる。

勉強が必ずしも楽しいというわけではない。私が生まれ育った富山は、高校段階からは歴然とした学校格差が作られ現在に続いている。そのため、当然中学では子ども達の間では進路をめぐって様々な悩みもあったが、それでもとくに学校嫌いに結びつくような要因とはならなかった。できるできないでいじめにつながるようなこともなかった。
どの子にとっても、いま学校で学んでいることが、そのうち将来の糧になるという暗黙の「希望」があったような気がする。そのうち社会から必要とされるはずだという、これまた暗黙の「期待」も感じられたのだ。

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高度成長、大量消費社会、大都市への人口集中、農村の疲弊と人口減少、少子化、ネットで個人が直接「社会」とつながっているかのように見える幻想社会の現出。
そこでは、子どもは直接大人「社会」に接続され、刺激を受け、スマホゲーム、SNSなどを通して子ども同士の関係に様々な利害がからむようになる。そうであるが故に、逆に子どもは子どものまま社会性を身につけることができず、大人に近づけない。あるは近づくことを拒否する。大人へのモラトリアム。幼いまま身体だけは大きくなる。

将来に結びつく学びは学校というより塾や家庭教師、ネット授業に比重が置かれ、学校の存在意義そのものが問われているのに、教師も親もそのことを真剣にとらえ切れていない。
落合さんは、最後に次のように書いている。

問われるのは公教育のありようそのものではないか。同時に、特に公立学校の教員のあらゆる意味でのゆとりのない日々もまた、不登校の子どもたちの現実と、どこかで重なっていないか。

不登校の子に、「学校へは無理して行く必要はない」と言うことはあっても、学校が必要ない場になっているということは決してない。 現在の社会の中での学校の役割、学びの保障、子ども達の成長の科学的・実証的な研究と実践が必要になっている。子どもの声を聞き、声にならない声を拾い、受け止めて子ども達に返す。教師にも親にも地域にも、学校を子どもにとって楽しく行きたくなる場にどのように作り変えていくのか、そのことが真剣に求められていると私は考えている。



1月16日(木) 医者通いがつづくが・・・
一昨日は膝の具合を見てもらうために整形へ。レントゲンを撮り、その結果をもとに手術後の具合を診察してもらいました。
「今のところ、問題はないようです」と担当医。
「まだ、まっすぐに足を伸ばして寝ていると痛みが出るんですが・・」と恐る恐る言うと、
「足を曲げてみて。こっちの足も」
と、膝の具合を見て、即座に「固いですね」とおっしゃる。
「ストレッチをして、関節周りを柔らかくすると痛みも和らぎます」
と指導される。
言われてみればその通りなのですね。
11月頃から、畑に行く機会はめっきり少なくなっているし、身体も動かしていない。
膝の曲げ伸ばしなどのストレッチを心がけることを伝え、一旦診察を終えてしばらく様子を見ることになりました。

昨日はまた、かかりつけ医に行き、隣町の総合病院泌尿器科への紹介状を受け取ってきました。
膝の手術後の尿計量と残尿エコーの結果、余りにも残尿が多かったのが気になっていて、かかりつけ医に相談し、専門医に診てもらうことになったのです。
あちこち、故障が続いているんですが、放っておいてもあまり生活には影響はないので、つい億劫になってしまう。これではいけないと、ようやく医者のもとへ足を向けたのでした。
このあとも、まだ親知らずの治療(抜糸含む)や、中性脂肪の数値が高い問題などの解決があり、高齢者医療費の増大にせっせと「貢献」しそうな日々です。

***

テレ朝モーニングショーでは、野菜の高騰が止まらないと悲鳴が上がっている状況を放映。キャベツ半玉862円、白菜一玉851円という信じがたい高値になっているらしい。
高騰の原因は、どのニュースサイトを見ても「天候」にあるとされています。日射不足、高温障害、多雨、風水害、病虫害、鳥獣被害など、最近ではこうした様々な要因が複合的に現出し、葉物野菜はとくに影響を受けやすい。気候変動の影響が強くなることが予想されるこれからは、一層その傾向が強まることになりそうです。

今手許にあるお米60キロと大豆を近々松本に届ける予定にしており、子ども塾リーダーのKさんと連絡を取った際に状況を聞いたところ、年末から新年にかけて保存してあるお米を順に配達しているのだそうで、とくに母子家庭では貧困の度合いが更に進んでいると話していました。

生活の困難は傍目には見えないし見せない。しかし、本当に信頼できる人、団体であれば、救いを求めてくるのだと経験上分かります。その意味でも、松本無料子ども塾のようなボランティア団体の存在は本当に貴重な意義を持っているのです。

子ども塾も担当者の高齢化が進んでいるため、いまスタッフの世代交代をうまく進められるように努力していると話していました。

私自身は、町の行財政改革推進委員会の委員を務めた頃から、松本の子ども塾には行けなくなったこともあって、支援のための作物を余り作らなくなったのでしたが、この分だと改めて支援作物の栽培も組織的に行わないといけなくなりそう。
体力との相談ですから、どこまで出来るかは分かりませんが、暖かくなったら仲間たちと何ができるかを相談してみることにしましょう。



1月15日(水) ハイドレインジャ 編集補足
MNEMOさんが今日のブログで自作「実験小説 ハイドレインジャ」について解題されていました。
その趣旨を私なりに捉えると次のようになります。

この小説では、「何のための今生であるのか」「人間にとって不可避である死をどう捉えて『〜のための人生』を生きるのか」を始源的な問いにおき、この命題を問い続けようとするだけではなく、それから派生して、人は果たして生きて死ぬというだけの存在なのかと問いを広げ、「今生だけを考えて生きていくわけにはいかなくなった」としてその汎神論的・輪廻転生的死生観(違っているかも)を広大な視野で追求していこうとします。

同時に、人が生きていく上で「こころ同じならん人」との邂逅を果たした主人公が、その女性とともに「煩悩まみれの己だが、その自覚を持ちつつより高次の人間性を得ようと意志」し、苦悩し模索し喜びを分かつ姿を、愛する多摩川と野川が産んだ土地を舞台に描き出していくのです。
「実験小説」とする所以は、自身の歌を絡めて、文藝と音楽、そして映像による総合的な物語として展開しようとする試みにあります。


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いま、第2部の始めの部分を編集しているところですが、冒頭から(唐突に)その二人が安曇野の私のもとを訪ねるシーンが出てきます。この小説が第2部を迎えてから私も初めてそれを知ったので、いささか困惑したのでした。誰かさんの言い方を借りれば「私のことを買いかぶっていらっしゃる」。

実は「トーホグマン」でも同じよ