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4月30日(水) ベトナム戦争と私の試練
アメリカのベトナム侵略戦争が、アメリカの敗北に終わり終結してから50年。
私が大学に進学した1964年の8月にトンキン湾事件が起こり、米軍による北ベトナムへの空爆が始まりました。
大学では、アメリカのベトナム侵略戦争反対の運動が盛り上がり、10月21日には国際反戦デーが学生、市民、労働組合などで取り組まれたのでした。

高校生の頃は、世界で何が起こっているのかを知る術もなく、狭い自分の世界に安住していたのでしたが、大学に入るや否や、世界の不条理と否応なく向き合わされ、とりわけ共産党の機関紙などを通して特派員の伝えるベトナム戦争の実相を知るにつけても、何かしなければならないと考え、抗議集会などへの学生たちの組織に時間を費やすようになっていきました。

教養課程の2年間は、いろいろな学部の学生たちとの交流も多かったので、新しい知識を吸収することで満足していましたが、学部にすすむとキャンパスも異なり付き合いも狭く限定的にならざるをえません。そこでは、身近な問題ならばともかく、遠い世界の問題を我がこととしてとらえる学生はほとんどいなかった(ように思えた)のでした。

何かすべきなのに動こうとしない学生たちを目の前にして、私は一人焦って思い通りにいかない現実に打ちひしがれていました。それは容易に周りの学生達への不信感につながり、自分自身を追いつめていくことになります。
結果として、私は大学3年生を2度やることになったのでしたが、そこで思い知らされたのは、自分の考えや価値観を他人に押しつけることの誤り。押しつけていることすら気がつかない情けなさでした。

ベトナム戦争は、その意味で私という個人と世界とのつながりを考える大きな転機を与えてくれたと同時に、試練を乗り越える長い時間を通して、他人との関わり方についても沢山のことを学ぶ確かな機会となったのでした。

戦争終結50年の節目を迎えて、若かった当時の考えや生活をつい思い出してしまいます。



桜の季節が終われば、新緑の候。畑で仕事をしていたら、周りは見違えるように緑にあふれた景色が広がっていました。もちろん北アルプスはまだ雪に覆われて空の青さとのコントラストが美しい。



昼は強烈な風が吹き、日が傾くにつれてかなり冷え込んできた。
夜食事が終わって気温の変化を調べていたら、明日の朝はどうやら1度か2度あたりまで気温が下がるらしい。霜注意報が出ていました。 そういうこともありそうだとは予想していましたが、氷が張るくらいまで下がるとは思わなかったので、暗いなか妻と二人で慌てて畑に行き、一昨日植えたばかりの里芋10本を引き抜いて持ち帰りました。
カバーをかけようと思ったのですが、車のヘッドライトだけでは作業ははかどらないと考え、まだ根付いてはいないので、引っこ抜いてきたという次第。

里芋は霜に弱く、1回の霜で葉が茶色くなり枯れてしまいます。収穫前に霜が降りると途端に茶色くしおれてしまうのは何度も経験しているので、里芋の耐寒性のなさは経験済み。
芽をだしてきたジャガイモも弱いのですが、ジャガイモは霜に当たった葉は枯れてもまた出てくるので、それほど心配はありません。それでも、ブルーシートをかけて霜を防いできました。

庭には沢山の芽出しポットがあるので、霜に弱いキュウリやズッキーニ、オクラなどは玄関に避難。植えたばかりのゴーヤーにはバケツをひっくり返して覆い、それ以外は寒冷紗をかけて一応の霜よけとしました。

最後の霜注意報になってほしいところですが、あと1回はありそう。
まあ、手間暇がかかります。



4月29日(火) 後悔先に立たず=米国からの頭脳流出=
トランプ政権による大学への研究費の削減、言論や研究分野に対する締め付けが強まり、アメリカの研究者の75%が国外への移動を検討しているといいます。英科学誌ネイチャーが米研究者1600人を対象に実施した調査で判明したもの。

3月末の日経のニュースでは、ワシントン・ポストの報道として「政権が発足した1月20日〜3月後半までで米国立衛生研究所(NIH)の予算が約30億ドル(およそ4500億円)減と前年同期比で6割減」「米航空宇宙局(NASA)では実業家イーロン・マスク氏が率いる米政府効率化省(DOGE)が計4億2000万ドル分の請負契約を解除した。気象データを集計、分析する米海洋大気局(NOAA)でも大幅な人員削減が進んでいる」などと伝えていました。NASAではすでに数百人が退職しています。

今日の信濃毎日新聞では、「強権100日 きしむ米国」と題して、大量の職員が突然解雇され人生を狂わされたと嘆く人々の声を特集。1通のメールで解雇通告を受けたある職員は「ショックだった。誰でもいいから解雇したのだろう。自己弁護の機会さえなかった」と憤り、前政権への不信感からトランプに投票したが「100%後悔している」と断言したのだという。

こうした動きに対して、欧州各国は研究者を積極的に受け入れようとしていると伝えられ、例えばフランスの「エクス=マルセイユ大学は、2025年3月はじめにSafe Space for Science構想を発表し、アメリカから逃れてくる科学者たちに安全な居場所を提供すると呼びかけ」(GIZMODO)、40人の研究者が呼びかけに応じたとも報じられていました。
また、トランプ前政権の「経済スパイ対策」によって中国系の科学者の「米国離れ」がすすんでいたものが、中国回帰をさらに加速することも十分考えられますね。

こうした動きから、「欧州・中国・新興国などで争奪戦が起こっている」などと報じるサイトがあり、日本もチャンスにすべきだという論調も見受けられます。しかし、日本学術会議の光石衛会長によれば、「日本よりもカナダや欧州に向かっている。(円安傾向の)為替や言葉の壁が小さくない」ということらしい。

そもそも学術研究費、とりわけ基礎研究費の貧困な日本の大学に来たいという米研究者はどれだけいるのか。
政府はアメリカの顔色を覗わなければならないいし、日本の大学そのものも政府と産業界の意向に添う再編に晒されているただ中なのですから、「予算もたっぷりあるので、さあどうぞ」などと言える訳もありません。

アメリカの学術研究のレベルは、トランプという愚劣な指導者を選んだだけで、今後何十年にもわたって低下し続け、中国の後塵を拝することになることは明らか。
常識的に考えても、トランプやイーロン・マスクの行っていることが何をもたらすか分かりそうなものだが、アメリカに入った亀裂は深く、何が起こっているのかさえ理解できないほど事態は深刻であり、簡単には修復することはできないのでしょう。



4月28日(月) 池田町議会基本条例改正案について
池田町の議会基本条例が制定されたのは2013(H25)年10月1日。それから12年が経ちます。
議会では、現在の情勢に合わせて、議会基本条例の見直しが進められてきました。
町のホームページでは、条例の一部改正案が発表され、6月定例会に向けて町民からの意見募集(締め切り5月15日)が始まっています。
改正案の内容政策サポーター要綱については、議会のウエブサイトからダウンロードできます。

「見直しの要点」によると、改正の主な趣旨は次のようなものです。

①少子高齢化、人口減少という時代の変化に即応した議会活動をすすめるため「町民・議会・行政の協働による町づくり」の観点を明確にし、町民に開かれた議会活動をすすめ、議会の政策立案能力の向上など議会の機能強化をはかる。

②上記の観点をすすめるために、(a)委員会代表の一般質問を可能にする、(b)町民による町議会政策サポーターをおく、(c)議会活動が条例に沿っているかどうかを検証する、(d)災害時の議会対応策を加える、などの具体策を追加する。

条例の改正そのものについては、積極的で今日的な意味のあるものになっていると肯定的に評価します。それぞれの議員が、この条例を意識して活動できるようになれば、町民にとっても意義あることだろうと思います。

確かに議会活動の拠って立つ理念なり方針なりを定めることは、大きな意義を持つとはいえ、それで事足りるわけではありません。 この10年余の議会活動を見るにつけても、いくつかの問題点を指摘しないわけにはいきません。

1.議会は行政のチェック役が大きな仕事であることをどれだけ内実化しているか。

①昨年度、政府は物価高等の対策として地方自治体への交付金を出しました。お隣の松川村は、年度中に臨時議会を開いて事業計画(独自財源を加えて一人1万円支給)を決め即時実施しました。しかし、池田町は今年度に持ち越したうえに、4月中にプレミアム商品券などを発行を町長の専決処分で決めるとしたのです。
本来、政府からの交付金による町の事業実施については、議会を開き予算議決すべきものであり、行政運営の本筋からズレています。
議会は、こうした町の不自然な行政運営に大して、昨年度であれば、直ちに臨時議会を開くべきであると申し入れるとか、やむなく今年度に持ち越すとしても年度当初に臨時議会を開くとかの申し入れを行い、行政の不正常さを正すべきです。

②昨年度の秋からの予算編成において、本来であれば町長は早期に予算編成方針を出し各課の予算要求の指針とすべきであり、しかるべき時に町民にも説明し、予算編成の基本的な柱、重点を示すべきです。
ところが、出された方針らしきものはとても「方針」とはいえず、重点項目はこれこれだと説明があったのは、ほぼ予算編成が終わってからでした。
議会としては、時機を失せずに予算編成方針を議会に示し、説明すべきであると申し入れるべきですが、その形跡はありません。
何か行政側の方針に大きな問題が生じてから、それに対応する、チェックするというのも当然必要でしょうが、行政運営の土台となる方針について、時機を失せずに対応するのも議会の重要な役目ではないのでしょうか。

2.「町民の声」を聞き「町民に開かれた議会」をどのように具体化するのか。

一昨年末に新農業法人設立にあたって、過半数の議員が農振協会長と前町長の方針に従って、直ぐにでも設立し事業を開始しなければ大変なことになるという切迫感を訴えて、町の出資に賛成しました。
しかし、当の多くの農業者からは、急いで法人化すべきではなく、池田町全体の農業振興策については町内の農業者の意見をよく聞いて進める必要があるとの意見が出され、町や議会への要望も行われました。
その後の推移は、新法人には高齢の代表者が1名いるだけで、あとは実働部隊はおらず、1年間何もしないまま推移。現在に至っても、何をどのように進めるのかさえほとんど決まっていないのが実情です。
出資者による会議は1,2回開かれているようですが、新法人の組織としての運営は全く聞こえてきません。
責任の主な所在は前町長にあることは事実ですが、議会としても町民に開かれ、意見を聞くというのであれば、既存の法人等で日々努力している農業者からの意見に耳を傾けるべきであり、条例の精神からはズレていると感じざるを得ません。

3.政策提言を重視し、そのために政策サポーターを新設するとしているが、議員の政策立案能力をどう高めるのか。

「政策提言」と一言で言っても、その内容は多岐にわたります。また、福祉なら福祉、教育なら教育についての幅広い知識と見識が問われます。
今から10数年前、私を含む何人かが共同で財政白書を初めて作り公表したときに、議会の何名かの有志が私に財政についての説明を求め白書の内容を解説したことがありました。
それから何度かの改定版の発行を経て、2021年をもって白書の作成は終了しましたけれど、本来なら行政と議会が共同で、こうした町の財政事情について常に研究し必要なデータを町民に知らせることが求められます。
政策の土台になるのは財政ですから、財政に強い議会になってほしいものだと常々思ってきました。しかし、現実にはなかなかそこまでには至らない。
そうした議会の実情のままで政策サポーターを制度化しても、果たして有効な対策になり得るのか、一抹の不安があります。
その前に、議会として、分野別に政策研究チームを立ち上げ、深く検討を開始すべきではないのでしょうか。

とくに、今回の改訂の問題意識として、町の人口減少をあげていますけれど、果たして実態はどうであり、どこに問題があるのかの共通理解が得られているのか。どれだけ議会としてデータを蓄積し、実証的に検討を深めているのか、そうした点が問われているのです。

今回の改訂を機に、これまでの議会活動を総点検し、町民とともに進む議会を実現してほしいものです。



4月27日(日) ブログ引っ越しの申し込み
9月一杯で、記事の更新は出来なくなります。
前のサーバーでの更新だけにしようとも思いましたが、これをお読みの皆さまにはスマホでご覧の方が半数以上いらっしゃるので、方針を変更し「HatenaBlog」に切り替えようと思っています。理由は、データの移行が簡単(のよう)だというだけ。

勝手がちがうだろうから、しばらくは面食らうことも多いでしょうが、そこは使い慣れれば普通になるでしょう。
というわけで、引っ越しの申し込みをしたのですが、4月、5月は申し込みが殺到しており、随分時間がかかると書いてありましたが、さきほどデータができたのでダウンロードしてくださいときた。何だか軽いなあ。

Hatenaに、ただいまファイルを転送中。これはちょっと時間がかかりそうです。終わったら画像などのチェックがあるので、一両日かかるのではないかな。

その作業が不調に終わることもあり得るので、並行してデータの保存にも取りかからなければならず、まあ、余計な手間暇を掛けさせてくれることです。
作業が全部終われば、こちらで続ける必要もなくなるので、新しいサイトに移行しようと考えています。その際には事前にご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。



4月26日(土) メール設定で悪戦苦闘
午前中から午後3時頃まで畑。
今日は、散水と除草が中心でした。ほとんど雨がないので全体に相当に乾燥しており、とくにネギにはたっぷり水を与え、しばらくは持ちそう。
田んぼに水を入れるために農業用水が流れ始めたので、ポンプを遠くまで持っていかなくてもよいので散水は楽。明日はもう一度不十分だったところに水を”くれてやる”予定です。





帰ってから、友人から頼まれていたメールの設定に取り組みました。
このパソコンは、先日いっしょに見に行って買ってきた新しいパソコン。
マイクロソフトのOutLookが新しくなり、前のOutLookはClassicと呼ぶのだそうで、新旧2つのバージョンが併存することになる。新しい方は会社の宣伝が入り、それがいやならMicrosoft365を購入しなさいということらしい。

その新しいバージョンで、友人から託されたアドレスとパスワードでメール設定をやっていたのですが、どこが間違っているのか、どうにも接続ができない。
あれこれやっているうちに、このメールの性格などがいろいろ分かってきました。
それはともかく、分からないので友人に前のパソコンを持ってきてもらい、設定画面を見ると、どうやらパスワードが違っているらしいことを発見。
これでは、いくらやっても繋がる訳がありません。
マイクロソフトも、エラー画面でパスワードが違いますくらい出してくれても良さそうなものですがね。

結局新しいパスワードを入力したらあっけなく接続完了。
いままでの苦労は何だったのですかね。
というわけで、明日パソコンを友人に引き渡すことができます。



4月25日(金) 苗づくり
昨日は妻の異変のあおりを受けて、ピアノの練習が今日に延び、午後からレッスンにでかけ、そのあとは生徒のお勉強。

畑の畝づくりはほぼ終わったので、あとは苗づくりが問題です。
わが家の庭で4月初めに種植えをしたポットからはようやく芽が出てきたものの、これから間引きをして1本にし、定植するにはまだまだ日数がかかりそう。

***

ここから先は、我が庭先の苗づくりの現状。将来のために記録しておくのが目的ですので、悪しからず。

01 キュウリ


02 トマト


03 レタス


04 ズッキーニ


05 カボチャ


06 オクラ


07 スイカ


08 メロン


09 モロヘイヤ


10 バジル




4月24日(木) 妻の付き添い
今朝は、朝から「5月の陽気」と書いた先日のお天気と同じような快晴。庭には隣の山桜の花が春先の雪のように舞い散ってきます。
雨上がりの北アルプスは残雪がくっきりと浮き上がり、麓には新緑(実は田んぼのまわりの草たち)の田園風景が。

午前中は、バラ園にいき、結構伸びた草を刈払機で刈り取りました。皆さんは園内の除草。日差しが強く私などはすでにTシャツ1枚での作業。5月にはどんな陽気になるのか心配です。



家に帰ってしばらくしたら妻からの電話。
今日は車の認知機能検査のために昼ごろから出かけたまではよかったのですが、教習所に着いたら、足が重く動かなくなったために日程を変更し帰ることにしたとの連絡。帰るのを待って、2時頃から私が車を運転して松本のかかりつけ医のもとに。

しかし、かかりつけ医は多忙で、診てくれたのは若い医者だったといい、そのうち熱も下がったので薬をもらい、とにかくしばらく外出せずに安静にしていることと言い含めて帰宅しました。簡単に夕食を済ませて帰ったら午後7時。
今のところ、それほど症状は進行していないので、様子を見ることにしましょう。



4月23日(水) ヴァイオレット・エヴァーガーデン
たまたま、本当にたまたまなのだが、BS12でアニメの予約を入れておいた。その名を「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。
このアニメをかつて見たことも予備知識もなく、京都アニメーションも事件のことから名前だけは知っていた。

アニメ好きなら、きっと何度も目にしたことがあるだろうけれど、私の知っているのは手塚治虫のいくつかとスタジオジブリくらいの、全くのアニメ音痴。この作品だけは、見終わってため息が出た。

京都アニメーションの作品と知ってネットで調べてみたら、このアニメの美術監督をつとめた渡邊美希子さんは、あの放火事件で犠牲になったのだという。
京都新聞2020年には、「『ただそこにある美しさ』挑んだ若き美術監督 京アニ『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が遺作に」と題して、京アニの美術を牽引した彼女の功績が綴られていた。

このアニメの作画はただ美しいというわけではない。自然な動きや気配まで細かく気配りがゆきとどいているし、決してコマを飛ばしたりせず丁寧に丁寧に作り込んでいるのはさすが。
私が最も心を動かされたのは、主人公の設定が手紙の代筆業とし、「手紙」の持つ力と魅力をごく自然に伝えてくれていること。
主人公の口からも何度も語られるのだが、「手紙なら本当の心をうちあけることができる」という、言葉への強い信頼感が伝わってくる。発語の軽さが際立っている現代だからこそ、このアニメは異色の魅力を備えているように思える。

感情を持たない武器=器械的戦士=として少女時代を送った主人公が、上官から文字を習い言葉を覚え、その後の代筆の仕事を通して人間らしい感情を獲得していくというストーリー。
両腕をなくして義手をつけているのだが、自在に扱える義手というのはいかにもアニメっぽいが、これがないと話が進まないので作者苦心の設定なのだろう。

5分で分かるアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」



生い立ちの制約から誰に対しても敬語しか使わない(使えない)という主人公の設定も無理はなく、むしろ日本語の持つ端正な美しさを引き出しているのは不思議な程だ。

現在のところ、私の観たのは「劇場版・・・」と「外伝」だけだが、幸いNETFLIXでは、シリーズも含めてアップされているので、時間を見つけて観てみることにしよう。



4月22日(火) 「市民と野党の共闘」の初心
参議院長野選挙区の候補者がほぼ出そろったというニュース。立憲民主党からは現職の羽田次郎氏、自民党からは元外務省職員の藤田ひかる氏、参政党の新人、竹下博善氏の3氏が立候補を表明している。

羽田氏は、立憲党内での減税をめぐるゴタゴタがあるものの、自身としては消費税の減税(食料品の消費税0%)を掲げています。
信州市民連合は4月5日に基本政策を発表し、野党の「つなぎ役」を果たすとしており、このままであれば「一応」野党統一候補となるのでしょうが、今のところ本人からは野党共闘の話は聞こえてきません。自民党候補は若い女性ということもあり、前回のように簡単に勝利できる選挙ではありません。

***

立憲民主党の枝野元代表が、党内で広がる消費税減税の主張に対して、4月12日の講演で「減税ポピュリズムに走りたいなら別の党を作ってください」と語気を強めたのがテレビでも大きく報道されました。
枝野氏は、その後の批判の高まりに、執行部に対して「財源なき減税に流されたら党としてもったいない」とよく意味のわからない釈明をしたのだとか。どうやら、枝野氏は、旧民主党党首として消費税増税に道をつけた「野田代表が積み重ねてきた蓄積を失いかねないから、党としてもったいない」ということらしい。何がもったいないのか相変わらずよくわからないが。

枝野氏のYouTubeチャンネルによると、次のようにお話されていました。

消費税率を下げるというのは、一見国民のみなさんにとっては良い政策だと聞こえるかもしれません。私はそれに相当するような額はキャッシュバック(戻し減税)という形でお戻しをする、こうしたことを一貫して提案をしています。実現可能性という観点も重要です。総選挙で政権をとっても、(参議院は)自公で圧倒的多数のねじれ国会になります。私もねじれ国会での官房長官というのを経験しました。野党自民党が我々の目玉政策に賛成してくれるというのは期待できません。
税法を変えるというのは結果的に何年もかかってしまいます。所得の低い方、あるいは夫婦2人で500万、600万、一生懸命頑張っても、これでは子どもを産み育てるのは厳しいな、奨学金の返済大変だな、こうしたみなさんに対する給付であれば、(予算措置は)衆議院だけで成立させることができます。暮らしにできるだけ早くそれを支えるお金が届く予算措置の給付を戻し税方式、給付付き税額控除という形でみなさんの暮らしを支えていく、そういう政策を訴えています。

枝野氏は、1年前の2024年5月にも講演で「消費税を単純に減税したら日本の財政はパンクする」「今減税するというのは絶対禁句で、少なくとも実質減税はあり得ない経済状況だ」「財政を引き締めることはできないが、放漫財政にしないというメッセージを明確に発しないとハイパーインフレーションが起こりかねない」と持論を展開されておりました。

産経新聞は、まるで鬼の首でもとったように、「消費税率引き上げを巡って分裂した民主党の〝亡霊〟にとり付かれたようだ」と書いていました。
小沢一郎議員は「各野党が減税を言い、自民党まで(減税を)やるかもしれない。立憲だけが『減税しない』と言うことで、この党の存立が図れるのか」と記者団に語ったのだとか。こっちの方が「まとも」でしょうね。

立憲民主党は、連合も含めた国民民主との3者で、憲法や外交・安全保障などの基本政策で合意したとしていますが、国民民主との共闘を模索との報道もあり、軸足は定まらない。考え方の土台には根強い反共主義があるために、野党共闘の初心に戻らない限り、結局は国民民主や維新に引きずられ「ゆ党」への道に転落していくことになる可能性が大きいように私には思えます。

その昔、社会党は安保条約への態度を容認に変えたことが「右転落」の画期となり、消滅への道をたどることとなりました。労働組合に政党支持を押しつける誤りもそれを加速しました。日本の「社会民主主義」政党に根強い日米軍事同盟容認と反共主義を克服し、2015年の安保法制反対闘争で市民から湧き上がった「野党は共闘」の基本路線をしっかり守ることこそ、現在の生活苦や平和への脅威とたたかう最も有効な道です。それを踏み外せば、どこに向かうのか、それもまたこの参議院選挙で問われその結果が明らかになるるのでしょう。



4月21日(月) もう5月の陽気
今日は、朝早くから大町病院泌尿器科へ。
かなり前、膝の手術で入院した際に排尿の検査があり、残尿が異常に多かったことが気がかりで見てもらっていたのです。
前回のエコーでは残尿は割と少なかったのですが、今日の検査ではまたもとに戻ってしまい、どうも膀胱の働きが低下しているらしい。同じ薬をもらって次回診察まで様子を見ることになりました。
歳をとるってのは、とにかくやっかいです。

***

昨日の夜は結構雨が降ったのに、今日はまた朝からスッキリと晴れ上がり、ゴールデンウイークの頃かと思うような陽気。大町への道々あたりを見ていると、木々にはもう新緑の若葉が目立つようになっていて、季節は例年より2週間以上も早くなっているようです。
池田の桜はほとんど散ってしまっていますが、大町は今が満開。大町病院の敷地にある桜の大木は見事な花をつけていました。



田んぼには、そろそろ水が入り始め、カエルたちが這い出てきて、ゲコゲコやり始めています。雨が降った昨晩、春の風物詩よろしくガラス戸にいくつもの青蛙がくっついていました。まもなく、大合唱が始まるのでしょう。



昨日は畑には行かず、終日家の周りの清掃と手入れ。南側の縁側が冬の間の物置状態になっていたので、すべて片付けて大掃除をし、ついでにゴーヤーカーテンの支柱を立て網を張り、5月連休明けに苗を植えるだけにしました。
カーテンの編み目越しに、隣の家の山桜がまだ花をつけており見頃。ただ、色が白いので余り桜という感じがしないのが残念です。



午後からは一人で畑に出かけ、耕運機で草だらけの土地を耕し、1回目の耕耘終わり。何度か掘り起こしていかないと、なかなか深く掘れないのです。
ところが、もう古い耕運機なので、ツメ(回転して土を耕す部分)がすり減ってちょっとでも草があると、空回りしてしまう。やむなく購入した店に連絡をして、ツメの交換の手配をしました。

明日、明後日で、ほぼ全ての準備を終わって、あとは連休明けの植え付けを待つだけにするつもり。
庭で芽出しをしているポットからは、ようやくいくつかの野菜(レタス、スッキーニ、キュウリなど)が芽を出し始めています。しかし、しっかりした苗になるまでには、まだ相当かかりそう。

とにかく農業は手間と時間がかかる仕事。体力と忍耐が必要です。



4月20日(日) 自衛隊の実像を正確にとらえておきたい
畑仕事もいよいよ忙しくなって、結構体力を消耗する毎日。
昨年耕したところはほぼ苗を植える状態に整備したものの、昨年カボチャを植えたところは草が生い茂り、今度はこちらの固い土と砂利を処理して、サツマイモや冬瓜を植えるために悪戦苦闘しているところ。今週半ばから5月初めにかけて、まだまだ基礎作業が続きます。

***

陸上自衛隊が、2018年からホームページ上で日本軍第32軍の牛島司令官の辞世の句を掲載して批判をあび、昨年10月末に一旦取り下げていたものの今年に入って再び掲載したことが問題になっています。
この画像の掲載箇所は、なかなか分かりにくいところにあるのですが、陸自15旅団(那覇市)のホームページ「第15旅団沿革」⇒1972年Click⇒初代桑江群長沖縄県本土復帰に伴う訓示⇒写真と辿ると見つかります。画像はボケボケだが、東京新聞には、明瞭な最後の部分が掲載されています。



琉球新報によれば、今年1月1日に「辞世の句」の画像を復活させたことについて、18日の衆院安全保障委員会で共産党の赤嶺議員の質問に中谷防衛相は「これからの平和をしっかりと願う歌」だと自身の解釈を述べ、「地元部隊の司令官が、地元の皆さまに非常に身近な部隊であると感じてもらうため、これまでの過去の歴史や経緯を伝えるという意味において、訓示を含めて掲載することにしたと承知している」と回答したのだという。

辞世の句とは、上の画像の
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国(みくに)の春に 甦らなむ」
の句。

私などは、青草を枯らしたのは誰なのか、青草ならば蘇るかもしれないが、蘇えることのないおびただしい犠牲者を作り出したのは誰なのか、こうしたことを問うこともなく、「散華」と戦争を美化し、「皇国の春」を「願う」牛島司令官に身も心も同一化させてこの句を載せた桑江一等陸佐の時代錯誤が心底恐ろしいと思わずにはいられない。

中谷防衛相の、これまた見当外れで、歴史認識のカケラもない空疎な見解はどうでしょう。こんな人物が防衛大臣?

沖縄戦最後の悲劇に最大の責任を負い、「軍官民共生共死」を掲げて民間人を多数戦争に巻き込み、さらに司令官として戦争終結を見届けることもせずに自殺したことは、県民のさらに大きな犠牲を強いるものとなったのです。

自殺する前に牛島司令官が発した軍命令は次のようなものでした。

各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後まで敢闘し悠久の大義に行くべし

歴史家の大城将保さんは、著書「沖縄戦」(高文研)で次のように指摘しています。

軍司令官の自決は、軍の降伏や戦闘停止を意味するものではない。それどころか、「最後まで敢闘」とある通り、残存部隊にたいして遊撃戦への移行を命じたものである。軍司令官の自決によって、守備軍には戦闘を収拾する責任者が不在となり、沖縄戦は終わりのない戦闘になった。

第32軍が首里城を放棄した時点で敗北を認めていれば戦争犠牲者の数はそれほどにはなっていなかったが、その年2月の「今一度戦果を上げてから」という天皇=大元帥の言葉と、大本営の本土決戦の時間稼ぎ=沖縄捨て石作戦によって、南部での地獄絵図が描かれることになった。

靖国神社集団参拝を含め、自衛隊幹部の旧日本軍への回帰意識の強まりは、一般自衛隊員の意識にも当然影響を与えずにはおかないでしょう。
米軍との一体化をすすめると同時に、上のような旧日本軍の意識を温存させている自衛隊の実像を正しくとらえておかないと、歴史はまた繰り返すことになってしまいます。



4月19日(土) 大学の独立性・自律性は学問研究の生命線だ
トランプ大統領のハーバード大学に対する攻撃は常軌を逸しています。
ハーバード大学その他の大学では、イスラエルのパレスチナに対する軍事・掃討作戦に抗議が広がり、一部でイスラエル学生に対する嫌がらせがあったとの報道がありました。

トランプは、ハーバード大学が反ユダヤ主義の巣窟になっているとして、学生の取り締まり強化や多様性の推進をやめるよう要求。
15日にはSNSで「ハーバード大学が政治的やイデオロギー的で、テロリストを支援する“病気”のような行為を推し進めるのであれば非課税資格を失い、政治団体として課税されるべきかもしれない」などと書き込む異常さ。

ハーバード大学は学長名で、「要求は連邦政府の権限を越え、私立大学の価値観を脅かすものだ」「いかなる政府も私立大学が何を教えるか、誰を入学させ、雇用するか、指示すべきではない」と毅然とした批判を展開。
トランプは、これに腹を立てたのでしょう、ハーバード大学への総額90億ドルの助成金の一部23億ドルを凍結、免税資格の停止を警告しました。留学生受け入れ資格取り消し可能性も取り沙汰されています。

トランプ命のクリスティ・ノーム国土安全保障長官も16日にはこれに追随して、テロ防止の研究に関する総額270万ドル(約3億8000万円)の補助金を停止する方針を表明。暴力的な活動に関わった留学生の活動記録を30日までに政府へ提出するよう求めたと報じられました。

大学へのあからさまな攻撃は、単に学問研究の自律性、独立性を脅かすだけではなく、すでに研究者のアメリカ離れを起こし始めており、高関税を取引材料とした他国への圧力によって、アメリカ自らの経済的損失を招くと同時に、経済の土台を支えてきた高度な研究をも失いかねない愚かな行為です。遠からず、今行っている行為がいかにアメリカの国益を損ねるものであるのかが明らかになるでしょうが、そのときに落日のアメリカを託つことになるとしても、すでに遅しです。

***

アメリカとよく似たことをやろうとしているのが、日本の石破政権。
政府から独立し自律的なナショナル・アカデミーであるべき日本学術会議を特殊法人化し、時の権力の意図に従わせようとする法案が審議入り。

異様な国会質問を行ったのが、維新の三木圭恵議員です。
「ソ連、中国の共産党を兄弟党としていた日本共産党は、民主主義科学者協会をはじめとする社会主義に同調的な科学者を組織し、学術会議の中心メンバーとして送り込んでいる。『日本共産党の七十年』には、同党が日本学術会議の設立に一定の役割を果たしたと誇らしげに書かれている」と、何の根拠もない見え透いたデマを国会で垂れ流す一幕が。

これについては、日本共産党は「反共・軍拡の突撃隊の恥ずべき本性、自ら明らかに」と即座に反論。ネタ元が統一協会であることを明らかにしています。
この質問の眼目は、反共攻撃をテコに、次のように「軍事研究もどんどんやれ」ということにある。

戦争を防止し平和を維持するためにも、他国からの侵略を抑止するための防衛技術の研究開発を進めていく必要がある。今日の安全保障の厳しさを直視するならば、国防に関する研究も、知見を活用して社会の課題の解決に寄与するという学術会議の目的にかなうものだ。頑なな軍学共同反対のスローガンを改め、科学者が我が国の防衛や平和の維持に寄与できるようにしていただきたい。

こうした改憲派の維新議員の役割は、アメリカの要求に従って大軍拡を果たそうとする自公政権の先導役なのですから、際立って危険。 歴史から何も学ばない愚かな議員たちの言動がこの国の未来を塞いでいく。



4月18日(金) かなり強い地震 たまげた
午後8時20分頃、突然の激しい揺れ。引き裂かれるような家の軋みがあったあと10秒ほど小刻みに激しい揺れが続きました。ただ、短い時間だったので、何かが落ちるとか壊れることもありませんでした。
地震の揺れが始まってから1,2秒後に携帯の緊急地震速報のアラームが鳴ったことから見れば、随分近いと直感。すぐにテレビを見たら、大町市か筑北村あたりらしい。

地震はいつどのようにやってくるかは分からない。今回のように震度5弱(M5.0)程度なら、家屋が倒壊するとか家具が倒れるということはまず考えられませんが、5強となると全く違います。
これまでの中越沖や栄村の地震とは異なり、白馬の神城断層と同じ糸静線に沿った断層帯の動きが今後活発になる恐れがありますね。
今回の地震と連動した動きもあるかもしれないので、これからもしばらくは十分警戒しなければならないでしょう。

地震の直後、あちこちから心配やらお見舞いの電話をいただきました。お見舞いを下さった皆さま方、本当にありがとうございました。



4月18日(金) 私たちの認識が問われる(その5) 農業再興への道
ちょっと古い情報になってしまいますが、3月30日に東京都心で、農業者・酪農家、一般市民3200人を集めて「令和の百姓一揆」が行われました(全国でも同時開催)。
このブログでも以前に紹介したことのある山形の農家・菅野芳秀さんが代表となり、以前から計画していた全国行動の一環となる行動を実行に移したというわけです。

政府による備蓄米の放出によっても米の価格高騰はジリジリと上昇。
2月3日~9日の平均価格は全国平均で5キロ3829円だったものが、3月17日~23日で4,197円(2024年同時期2,041円)、3月31日~4月6日には4,214円(スーパー平均価格)という調子で、値上がりは14週連続なのだという。学校給食にも影響が出ているという異常事態です。

政府は、備蓄米を毎月放出すると方針転換していますが、現在のところ値下がりまでにはいたらず高止まりのまま。
農水省はかつて、投機目的で業者が隠しているのだと言いつのってきましたが、そのウソが明白になっても過去の農政の誤りについては依然として頬被り。
そもそも、稲作農家の急激な減少や疲弊からくる米の生産量そのものに問題があることはすでに明らかなのですから、簡単には価格は下がらない。

トランプの関税恫喝に屈してアメリカから大量に米を輸入し米価を下げるようなことにでもなれば、ただでさえ米農家の減少に歯止めがかかっていない日本の農業はそれこそ壊滅的な打撃を受けることになり、未来永劫主食である米を大量に輸入し続けなければならなくなる。
そんな愚を許すわけにはいきません。

先の「令和の百姓一揆」で掲げられた要求は下の通り。
(1)農家への欧米並みの所得補償
(2)貧困層を含めた全ての市民が命の危機を感じることなく食べられる仕組みづくり
(3)2023年度で38%(カロリー換算)と低迷する食料自給率の向上

これらは農業者・消費者双方の切実な要求をまとめたものであって、とりわけ第1の農家への所得補償は重要です。
ただ、所得補償は農家の生産を維持するための費用を補うものですから、耕作面積や家畜単位など一定の基準で農家の所得を補償する仕組みにならざるを得ません。面積単位の補償であることから販売量の拡大に直結しない面があります。

このことを考慮し、農産物の価格保障、つまり農家手取り価格を一定の水準に維持する制度を柱として所得補償を組み合わせて実施する必要があります。もちろん過剰生産に陥らないように制度設計をすることは必要ですが。これによって、販売量が増えれば収入が増え、経営の安定と生産の拡大につながります。
農業で生計を維持できる収入があることが、後継者づくりには何よりの条件です。

消費者から見ても、安定した価格が維持されれば、現在の米価格のように上下に一喜一憂することがなくなります。
当然ながら、この政策には政府の予算措置が不可欠ですから、その財源をどうするのかが当然重要になります。

現在の政党配置の状況から見て、軍事費の削減、大企業の内部留保や法人税減税、高額所得者の所得税1億円の壁などに切り込んで、恒久的な安定財源を生み出す政策を打ち出せている政党は日本共産党以外にないのが悲しいところ。
最後の1億円の壁については国民民主・立憲民主も口にはしているけれど、これまでの政策論議を聞いている限り、政策的に自公政権と対峙して実現する気があるのかどうか。
今日の大軍拡政治と税制のゆがみの根本にメスを入れられるかどうかが、日本の農業を守り、国民のいのちを守るだけではなく、この国の将来を守るカギになっている。私はそのように考えています。



4月17日(木) 4月雑記
午前中はバラ園での作業。午後から畑で草刈りと支柱立て。夕方からは市民劇場の運営サークル会議と、結構忙しい1日でした。それが終わっての帰りがけに妻と遅い夕食をとって9時過ぎに帰宅。

バラ園は、前身のバラ愛好会を解散してから、役員は私から他のメンバーに代わり、他にも有志数名で細々と手入れを続けているのです。
ただ、それぞれ寄る年波には勝てず、いつまでも続けるわけにもいかず、ここ1,2年でこれからどうするのかを相談しようということになっています。

夕方からの市民劇場についても、会員数が激減しているため、どう立て直すのかをめぐって議論百出。しかし長期低落傾向は否めず、近い将来組織をどうするのか結論を出さなければなりません。

長期に渡って特定の個人の力量に依拠しながら運営しているこうした文化運動の組織は、主観的な願望では如何ともしがたい状況の変化があるわけですから、よほど的確にそれらを分析し方針化しない限り、傷を深くする恐れが多分にある。

全国に多数ある劇団の皆さんからすれば、その裾野をどう広げるのかは死活問題だろうし、文化運動として芝居を組織するやり方も、脱皮をしないとじり貧になりかねない。とくに、田舎の小さい町村では困難も大きい。

何より、こうした活動が存在すること自体知られていないわけですから、心に響く演劇を身近に観られる機会として存在をアピールしつつ、1回1回の公演を大事にすることがまず土台になります。
もし、これをお読みの方で、会員になってもいいよという方がいらっしゃったら、是非ご連絡ください。ご褒美に野菜一年分差し上げるかもしれません・・・。

***

何だかデカデカとサイトの閉鎖が告知されていますね。
それに乗せられて焦っているわけではありませんけれど、まだ半年のあるとのんびり構えているわけにはいきません。昨日も3、4ヶ月分の記録を保存しましたが、結構面倒。画像をコピーするとwebpというchrome独自の仕様になるし、リンクも切れていなければ保存しなくちゃいけない。そのまま旧サイトに移動は出来ず、htmlファイルにしなければならないので、この作業はコピーが全部終わってから、冬の間の作業ということになりますね。
というわけで、とりあえず2019年10月分までセッセと数年分をコピーすることに専念します。

有料ですけど、製本にできますよという宣伝がありましたっけ。文字だけならともかく、リンクや動画を書籍にするわけにはいきませんから、製本は論外(タダなら考えます)。
11月の終了時まではこのまま更新し、閉鎖されれば(ブログを続けているとして)自分のサーバーに切り替えることに致しますので、よろしく。



4月16日(水) 老いとの向き合い方
私たちは、自分の身体については歳相応の見方ができますけれど、精神状態については、往々にして、20年、30年前の状態を保っているような気がすることがあります。
考え方や生き方については、あまり変化はないかもしれませんし、場合によっては「進化」(深化)を遂げている面があるかもしれません。逆に、自分には意識できないが、脳の機能低下によって認知の衰えや退化が起こっているかもしれない。

しかし、考えてみれば身体の変化と心の変化とはどこかで繋がっているはずですよね。身体の衰えについては日々の変化にはほとんど気がつかないかもしれませんが、何かが起こってみて、ある日突然愕然とするのです。
身体が動くからこそ問題意識も幅広く深く持ち続けていられるわけで、身体の衰えとともに精神状態と肉体状態の乖離は次第に大きくなっていき、どこかでバランスが崩れてしまうことが生じます。

中には、年齢相応にゆったりと毎日を過ごす人もいるのかもしれません。しかし、それも外見だけかも知れず、多かれ少なかれ、長寿社会における1人1人の矛盾は様々な形で現れることになることは間違いのないところでしょう。

私自身、これまでは齢80歳(まもなく迎える)という状態を考えたこともなく、いつかは迎える年齢という程度にとらえていました。まもなくその年齢を迎えるにあたって、わずかになった残りの人生をどう設計するのか、あるいは設計しないのか、否応なしに考えざるを得なくなっています。

そうこうするうちに認知能力に衰えが生じて生活に支障を来すケースも友人・知人の中で見るにつけ、自分自身の問題としては、そうならないうちに何らかの方向性だけは持っておきたいと、いっそう切実に考えているのです。

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昨年12月に、自分自身の人生を振り返り、高校までの第1期から数えて、現在は第7期にあり、安曇野で20年を経たこれから、最終の第8期をどう過ごすかが問題だと書いたことがありました。
そうした区分けは全く個人的な問題であるとしても、私の考えの基本にあるのは「第8期を先手を打って構築する」という大前提。

池田町に居を定めた20年前は、ここを終の棲家にするという構想を持っていたのですが、高台での生活は今はまだ支障を感じることはないにしても、あと数年の後にはどうなるか分からない。2人とも元気で過ごせているかどうかも不明。

だとすれば、選択肢は極めて少数に絞られる。
今はまだそれが何であるかをここで書くわけにはいきませんけれど、私の頭の中での選択はほぼ固まりつつある。

たとえ、どちらかに大きな問題が生じても何とかやっていける状態をつくること、ささやかでも安定した生活を送れること、買い物や医療に対応できることなどに対応できる具体策を、元気なうちから先手を打って講じておくことが必要であると痛感するこの頃です。



4月15日(火) 庭先の花たち
9時過ぎに畑に行ったはよかったが、風が異様に強い上に昼前から雨が降り出し逃げ帰るハメに。日本海にとぐろを巻いている低気圧(寒冷渦?)が遠ざかる今晩から明日の朝まではどうやら不安定な天気が続く模様です。

この風で庭先のレンギョウはほとんど散ってしまい残った花も惨めな姿に。代わりにスイセン2種類は満開だし、桃や芝桜も咲き始めて花の色が黄色からピンクに変わり始めました。

下は庭先で咲いている花たち。













4月15日(火) 高校の「特色づくり」は本当に必要なのか?
今朝早くにも雨が降って寒い1日の始まり。8時過ぎからは晴れ間ものぞいてはいるが風が強い。
昨日は午後から畑でキャベツの残りの植え付け、インゲン・大根・カブ・春菊などの種植えを終え、あとは5月初めからのトマト、ナス、キュウリなどの植え付けを待つだけになりました。





そうこうするうちに、畑の周りは結構草が生い茂り、今日はスナップエンドウ、インゲンの支柱立てや、周りの草刈りと除石の仕事です。そうそう、ゴーヤーやナーベラーの支柱の完成も急がないと。

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一昨日、私の住む地域の常会があって、開会前にまわりの人たちと話をしていたら、「池田工業高校に地元の池田町の子は1人も進学していない、どうしたものか」と話す人がいました。
また、北安曇郡から地元近くの高校に進学せずに、わざわざ長野の私立高校に進む人がいるという話も。その人は「高校授業料の無償化の影響もあって、どんどん公立離れが進むんじゃないかな」と心配していました。

昨日の信濃毎日新聞では、特集記事を組んで「高校無償化の影響」を探っていました。それによると、大都市では「公立離れ」が進んだが、長野県内では私立の数はそう多くはなく、それほどではないのではないかとの関係者の話を紹介。



公立離れに関して一様に語られるのが、高校の「特色づくり」。県教育委員会は本年度、県立高校の「特色化」に着手するのだといいます。
「教育環境の変化に即した学校づくりが求められるとし、高校ごとに特色を打ち出すことで生徒の興味・関心に合わせて学習の選択肢を広げたい考えだ」と信濃毎日の記事は書いていました。

考えられる一例を挙げてみよう。
A校は「英語教育に重点を置き、アメリカの高校との連携をとりつつ海外で活躍する人材の育成をめざす」、
B校では「探究学習を進化させ、とくに理系離れがすすむ日本の若者をもっと科学のもつ魅力に目覚めさせ、深い理解へと導き、科学技術の最先端で活躍する人材育成をめざす」、
C校では「理系・文系という垣根を越えて、学際的な幅広い知識・技術や身体能力に道をひらく基礎的な深い学びに道をひらく」、
D校では「子ども達の科学、文学、芸術、スポーツなどの多面的な可能性を信じ、その能力を引き出し多面的に開花させる」など。

商品のキャッチコピーに似て、それぞれこうした「特色」をひねり出そうとすればするほど、減少する生徒数の中で、いかに多くの生徒を獲得するかをめぐって公立高校は他校との「差別化」に血道をあげることになる。必然的に、後期中等教育の「公的」な側面が縮小されて、「特色化」よりも「差別化」が際立つことになるのではないのか。

同時に、大学との接続を考えれば、結局のところ、高校の「特色」は大学への進学実績と連動し、勝者と敗者が形成されていくことにつながりかねない。
この国の文教政策は、とくに後期中等教育において、学区やカリキュラムの選択肢が広げられ、専門職を担える優秀な少数の人間と、物言わぬ多数の人間とに振り分ける差別・選別教育の仕組みを作ることに力を割いてきた。もちろん産業界の強い要請があってのことです。

だとすれば、この「特色化」は、いままさに進行中の学校統廃合の1つのテコとなり、いずれ淘汰される学校と生き残る学校を選別するツールという側面を持つのではないのか。子ども達にはますます「学びづらさ、生きづらさ」を強いる要因になるのではないのか。私などはそんな疑問を持ってしまいます。

ほとんど全ての子ども達が高校に進学する今日、高校が準義務教育的な側面を持っていることは事実だから、「学校の特色」ではなく、公教育の基礎的な共通土台を踏まえた、その上に立つそれぞれの学校におけるカリキュラムの創意工夫こそが必要なのではないのか。勿論そこには、その学校ならではの特色があってよいのです。

公教育の持つ「どの子にも大人への道程を」という普遍的な役割を今一度根本から掘り下げ、高校教育で何が求められるのかを再考する必要があるのではないのでしょうか。



4月14日(月) なんとまあ、goo blogも今年11月で終了!
MNEMOさんからも情報をいただきましたが、私が利用しているブログ(goo blog)が今年の11月18日で終了(新規ブログの投稿は9月30日まで)するという案内が画面の上部に出ていました。
MNEMOさん、お知らせ有難うございます。コメントも嬉しく読ませていただきました。

MNEMOさんからは、「私とは全く違ってしっかり対応されるはずなので心配はしていない」と書いていただきましたが、それはちょっと買いかぶりですね。いきなりブログ停止しますなどと言われたら私も、この数年分の記録は一気にパーになってしまい狼狽えること必至です。心が折れて、それっきりになるでしょうね、きっと。

何ヶ月か前から、以前のサーバーに少しずつ移し替えをしてはいたのですが、ブログ同士の引っ越しとは異なって、手書きで書式を整えてhtmlファイルをつくりアップロードしなくてはならず、面倒この上ないのです。

goo blogの案内では、他のブログサイトに引っ越しする場合は、データはダウンロード可能だけれど「引越しデータはMT形式(ブログの標準形式)」なのだそうで、この形式で引っ越しできるブログサイトであればOKということです。そんなこと言われても・・・。

残念ながら、自分でhtmlファイルを書いている私のような場合はダメ。引っ越ししたサイトも打ち切りますなんてことになると、更に面倒ですから、セッセと我がサーバーにデータを移して、昔のサイトで更新を続けることにしますかね。
レンタルサーバーの会社がサービスを停止しても、データそのものは手許にあるので基本的に問題はなし。

ただ、1つだけ問題があるんですね。それは、私の「雑記帳」はパソコン仕様で、スマホ対応ではないということ。読めることは読めるのですが大変読みづらい。
これからの課題は、スマホ対応のhtmlファイルをどう作るかということです。

そんなことを考えると、そろそろ、ブログやめちゃおうかなとも思ったり。
いずれにせよ、永遠に書き続けることはできませんから、どこかで結論を出さなければなりませんね。



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4月14日(月) 高齢者の脳トレに何が有効なのか?
昨日1日続いた雨は一旦上がったものの、どんよりと暗く寒いぐずついた天気。妻は早朝から筑北村へ味噌造りに。3日間の予定が組まれていてその2日目のようです。

***

4月10日ごろから、日にちに何か引っかかるものがあって「何だったっけ?」とずいぶん考えていたが出てこない。あるときふと「父親の命日だった」と、その引っかかりの原因にようやくたどり着いた。大事な日を忘れているなんて情けない。
4月14日は父の祥月命日。余りに遠い昔のことなので、ほとんど記憶から消えていたんですが、やっぱり父が草葉の陰から「忘れるんじゃないよ」と声をかけていたんじゃないかな。

父は1985(S60)年に亡くなりましたから、それからもう40年も経ったことになります。当時でもまだ若い67歳で亡くなったのです。
胃がんの手術をしてしばらく闘病生活をしていたけれど、まもなく大出血して意識不明に。必死の心臓マッサージなどを施したものの、そのまま死亡。危篤の連絡を受けてスピード違反を覚悟で、家族4人で夜の国道を病院に向けて疾走したときの闇の暗さが蘇ります。

***

後期高齢者になると、同類の皆さんが集まって話をする際の話題といえば、医者通いとか、どこかが痛いとか、誰かが死んだとかというような話ばかり。なかなか建設的で前向きの話にはりませんね。それも生活体験からくる身近な話ですから、やむを得ないことでしょうけれど。

ところで、高齢者の「脳トレ」と検索すると、脳を活性化させる効果的なものとして、パズルやらゲームやらがいっぱい出てくる。それも頭の回転を維持するにはいいのかもしれないけれど、身体が動くうちは、他にもあるんじゃないかな。

身体を動かす散歩やスポーツはやっぱり基本でしょうね。
私は畑に出て結構な重労働をしているけれど、筋肉の使い方にはスポーツとは違う者がある。腰が痛いとどうしても筋トレのような運動は遠ざかってしまいます。
この点、妻は感心。ボーリング、マレット・ゴルフ、バランス・ボールと、まあよく出かけます。

私は、畑仕事をしているからと合理化しつつ、あとは「理屈」で脳トレの必要性をこね回す。

例えば、マニュアル車の運転は、視野を大きく広げつつ、両手、両足を別々に動かさないといけないので、相当に技能と注意力が必要・・・なんてね。
ただ、長年運転していると、ほとんど無意識に動かしていることが多いので、脳トレになっているかどうかはあやしいですけど。

パソコンでのキーボード入力も、運転とよく似たところがあり、ブラインド・タッチも経験で無意識に手が動いている。足は使わないし。
絵を描くとか書をたしなむとか、手足を使って頭を動かすものであれば、何でもいいのかも。脳トレは出来を問題にはしませんからね。

その点、ピアノなどの楽器の練習は脳トレに結構有効なんじゃないかなあ。
AIに「ピアノは脳トレに効果的ですか?」と聞くと、「はい、ピアノは脳トレに効果的です。脳の活性化や認知症の予防、記憶力の向上などが期待できます」ときっぱりとした返事が返ってくる。

その理由は、
・指先をたくさん使うため、脳細胞が刺激される。
・左右の手の動きが異なるため、複雑に指を使うことで綺麗な音色を出せる。
・楽譜を先読みしながら指を動かすため、記憶のインプットとアウトプットが同時にできる。
・足踏みをしながら指を楽譜通りに動かすため、脳の「前頭葉」に刺激を与えられる。
・脳梁(のうりょう)という神経束を太くし、左右の脳のバランスを整える効果がある。
ということらしい。(下の写真は「一音会」ホームページより)



せいぜい、こうしたことを意識して、いろんなことに長く挑戦できるように心がけることにしましょう。



4月13日(日) 科学的な知見と知性への信頼の欠如
今朝から雨。妻は昨年に引き続いて筑北村の加工場へ味噌造りに出かけて朝から留守。さきほど、「早く終わったので、松本で映画でも観てくるわ」と連絡。「いいよ、のんびり過ごしていらっしゃい」と私。畑仕事はできないので、朝からブログの更新などをして、私もゆっくり過ごしているところ。

***

維新が安倍に後押しを膝談判し、IRを見通しながら誘致がきまった大阪万博が今日から10月中旬まで184日間の日程で開催されます。

しかし、まだ工事中の外国館が5館もあり、至る所でメタン・一酸化炭素などの有毒ガスの危険が指摘され、会場建設費は当初の1.9倍に。さらには前売り券の販売不調で、終わってみたら多額の負債が追っかけてくるという最悪の構図となっています。夏になれば、日陰もほとんどない会場では熱中症の危険、台風や地震などの大型災害が起これば避難できない可能性もあるのですから懸念満載です。

そうした危険性や利権政治をきびしく追求した書籍もいくつか出されており、「しんぶん赤旗」の「本と話題」欄によれば、西谷文和さんが編集する「行ってはいけない大阪危険万博」(せせらぎ出版)では、次のような指摘があると書かれています。言い得て妙です。

科学的な知見や事実と知性への信頼を持たない首長が、自ら率いる政党の利権と勢力を拡大する手段としたのが、大阪・関西万博なのです。

***

「科学的な知見や事実と知性への信頼を持たない首長」といえば、トランプ大統領は世界トップクラスでしょうし、最近の日本の首相も似たようなものに思えます。
日本でそのことを象徴的に示すのが、「学術会議特殊法人化法案」。3月7日に閣議決定し国会に提出されました。
ネットで検索しても学会や研究機関による反対の意見表明ばかりで、賛成などという意見は見当たらない。そもそも法案の全文を検索しても内閣府による「法案の概要」がヒットするだけ。

大学への支配強化と併せて学問研究を時の支配層に有利なように誘導し、政府の監督化におこうとする意図はあまりに露骨です。
今日の「しんぶん赤旗」でも、学術の第一線で活躍する多数の研究者が「異議あり」と表明していました。
日本数学協会の元会長・上野健爾さんは、日本で発達した「和算」が西洋数学に取って代わられたのは軍事技術に応用できないことが大きく影響したと述べたあと、次のように指摘。

第一線の数学の研究は直接軍事技術に応用できます。軍事研究をしないと言っても、自分の研究がいつ軍事に使われるか無関心ではいられなくなっています。あらゆる学問分野の方たちがこの法案を真剣に議論しなければならない時代にさしかかっています。

控えめですけど、政府・財界が学術のあらゆる分野に干渉し統制してくる時代において、研究者がどう対応すべきなのか、苦悩をにじませています。

戦前には、1933年に滝川事件があり、35年には「天皇機関説」事件がおこり、学問の自由・自律が国家権力によって弾圧・侵害されたことが、後にどのような歴史に繋がったかは語るまでもありません。

学術会議の会員任命拒否や今回の解体法案のゆくえを、後世において日本の歴史の逆転を特徴付ける1つの結節点になったなどと評価されるようなことがあってはなりませんね。



4月12日(土) 私たちの認識が問われる(その4) 基地権密約=2=
今日は穏やかな春らしいお天気。
玄関に入れてあった大量の鉢植えを久しぶりに全て外に出し、たっぷりと水遣りをしておきました。まだ当分霜が心配ですが、ここまでくればまあ何とか持ってくれるでしょう。
午後から、わが家で市民劇場の班会があるので、畑仕事はお休み。

***

ちょっと間があきましたが、以下、基地権密約の続きです。

(2)1960の安保改定直前に基地権密約が取り交わされた
52年旧安保では米軍による日本占領という色彩が強かったため、条約の片務性の解消と事前協議制の導入などを目的に58年秋から改定交渉が進められ、1960年1月に岸首相、藤山外相らが訪米し1月19日に調印。国会には5月19日に改定案が上程されました。
この改定案を巡って、野党・労組・文化人・一般国民の幅広い反対運動が巻き起こり、いわゆる60年安保闘争が繰り広げられました。

表の交渉とは別に、1959年の4月頃には帝国ホテルの密室で安保改定交渉はすでに大詰めを迎えていたのです。
1959年3月に、マッカーサー駐日大使と藤山外相は、基地権に関する密約に合意、翌1月6日に両者がサインすることになっていました。 この密約文書は国際問題研究家の新原昭治さんが2008年4月にアメリカ国立公文書館で発見したもの。

この文書書かれていた最も重大な点は次の下りです。(原文を分かりやすく書き換え)

在日米軍の基地権は、1960年に調印された日米地位協定の第3条1項によって、それまでの日米行政協定の時代と変わることなくつづく。

1959年4月にはマッカーサー駐日大使からワシントンに頻繁に極秘電報が送られ、逐一合意内容を報告していました。

①(59年4月13日)日本政府は本質的にいって、行政協定を実質的に変更するよりも、見かけ(アピアランス)を改善することを望んでいます。その場合には、圧倒的な特権が米軍に与えられ、実質的な[改定]交渉にはならないでしょう。

②(59年4月29日)彼ら[岸と藤山]は、かなり多くの改定を考えていますが、その多くは形だけのもの、すなわち国会に提出されたときに、行政協定の見かけを改善するだけのものです。

③(59年4月29日)私は行政協定の実質的な変更を避けるよう、岸と藤山にずっと圧力をかけ続けてきました。岸と藤山はわれわれの見解を理解しています。

60年の改定では、「条約期限の設定(10年)」や「内乱条項の削除」といった、重要な変更点もあるにはありましたが、米軍が日本国内の基地を自由に使うという権利については、この密約によってすべて継続させてしまったのです。

では、改定された地域協定第3条1項と基地権密約との関係はどうなるのか、これについては後日改めて見てみることにします。



4月11日(金) ネギ苗の植え付け完了
午前中はピアノのレッスンでした。これまで練習していた「さらばピアノよ」がほぼ完成したものの、ソナチネ、ツェルニーはパス。バッハの小品集をちょっとずつ進めています。
5月18日には教室の発表会があるので、「ぜひ弾いてみてくれない。いや、聞かせてあげたい」と言われましたが、全く個人の脳トレでやっているので、聞かせられないと固辞。
2年何ヶ月か続いているだけでもよしとしなければ・・・。

***

今日は何とか天気が持ってくれたので、午後から畑で5時過ぎまで作業。
昨日求めてあったネギ苗(松本1本ネギ200本、下仁田ネギ300本)を植えちゃいました。かがんで作業しなければならず腰が痛むので10分おきに休憩。予定では3本の植え溝だったのが、下仁田ネギ100本が余ってしまい、慌ててもう1本溝を掘って都合4本になってしまいました。きっと、こんなに植えて商売でもするの?と言われますね。
肥料をきっちりと入れて、昨年よりは遙かに丁寧に作業できたので、多分しっかり成長してくれることでしょう。



その後は、一畝にマルチを張り、キャベツとブロッコリーを各10ずつ植えて、その上に虫除けのネットをかけ、ひとまずこちらも完了。ただし、キャベツはあと5本植える予定。

石を取り除いたり除草したりしているうちに、もう5時をまわったので、今日は退散しました。日が長くなりました。
時間があれば、インゲンの種まきと、葉物野菜の種まきを終わりたかったのですが、これはまた後から。とにかく夏野菜の準備作業には終わりがありません。



4月11日(金) 池田町のハーブセンター・エリアをどうするのか
池田町の南部には道の駅として、県道55号線の西側に物品販売を専門とするハーブセンター建物があり、東側にはガーデン、農場とガラス温室の設備(これらを合わせてハーブガーデンと呼んでいる)があります(これらを一括して「ハーブセンター・エリア」と略称)。
この施設・設備が作られたのは今から約30数年前の1992年。バブル期直後ということもあり、国の誘導もあって、1994年には美術館が建設され、1999年には創造館を含む広い公園(クラフトパーク)やなども建設されました。

ハーブセンター・エリアについては途中の沿革はここでは割愛(下の資料に詳しい)しますが、東側のハーブガーデンは過去に多額の予算をつぎ込んだ割には長期間にわたって手入れが行き届かない場所であり続けました。東側が指定管理になってからは、ガラス温室内の整備やマルシェなどの開催などでかなり手入れが行き届いてはいるものの、エリア全体としての位置づけや今後の見通しについては不十分であることには変わりがないように思えます。

(1)「未来の会」としての調査結果と提言

私自身は、池田町に移住して以来、このハーブセンター・エリアについてかなり調査をしたり、「池田町の未来を考える会」(「未来の会」と略称)として提言したりしてきましたので、経過や問題点については一定程度把握してるつもりです。
そこで、今回は、過去の調査を元に2020年に作成した「池田町財政白書2020」の「補論」として末尾につけた小論と未来の会の提言を次に紹介するとともに、それ以後の経過も踏まえて若干の考察をしておきたいと思います。

財政白書2020 ハーブセンターをめぐる問題点と改革の方向
(付)池田町への提言「池田町ハーブセンターに関する要望書②」


この文書において、ハーブセンター問題がどこにあるのかを歴史的に詳細に分析し、とくに指定管理制度を導入してからの問題点として2つを指摘しています。
第1は、指定管理を導入しながら町は丸投げして監督責任を放棄してきたこと。第2は、ハーブセンター・エリアについての理念と位置づけが一貫して存在せず、曖昧なままズルズルと今日まで来ていることです。

上記文書の解説や提言では、町づくりビションにこの場所を位置づけるという視点はやや不十分なきらいがありますが、要望書②で分かるとおり、位置づけは次のような【基本理念】から明確です。

ハーブセンター・エリア全体を池田町の産業や観光事業の拠点として位置づけ、商業施設と農園エリアの役割を明確にしつつ、コンパクトで魅力的な物産・観光ゾーンの実現を目指す。

とりわけ、<改革への提言>で西側、東側それぞれの位置づけを明確にしていることは特筆すべきことです。

(2)現在のバーブセンター・エリアの状況と課題
このエリアは、今から5年ほど前まではハーブセンターの指定管理者が東側の農園・農場も請け負っており、一括して管理していました。しかし、高額な管理料の割にはほとんど手入れが行き届かず従来の延長上の運営でしかなったため、西と東を分離し、農園・農場については別の業者に管理委託し、昨年度から指定管理事業として運営されてきました。
ガーデン・ガラス温室については先にも述べたとおり、指定業者の努力によって変化が生まれてはいるものの、池田町としてのビジョンや位置づけが明確でないために、南の玄関口としての役割を十分に果たしているのかどうかについては評価が分かれるところです。

① このエリアをどう位置づけるのかが問われる。
西側の施設は、創設以来「ハーブセンター」と呼ばれてきましたが、一貫してハーブのセンターであった試しはありません。土産物や農産物を販売する店として営業しているだけで、町としてこの建物をどう池田町の産業や観光に位置づけるのか何も定まっていません。指定管理者に丸投げしているだけです。

また、東側についても、これらの場所を町づくりの中にどう位置づけるのかが、いよいよ問われていることは明らかです。

誰か適切な指定管理業者がいるのかどうかよりも先に、「未来の会」の提言が明らかにしているように、西側エリア(建物など)を町の産業・観光政策にしっかりと位置づけ「物産館」として再構成すること、東側エリア(ガーデン、ガラス温室など)は町民や池田町を訪れる人にとって、憩いの場としても、ハーブや四季折々の花と接することができる空間としても人を惹きつける場としハーブの発信基地にする。そして両者の相乗効果で一帯を池田町を代表する魅力ある場とするという位置づけを明確にすることでしょう。私自身は提言から数年経って、いよいよその思いを強くしています。

② 行政としての構想力が問われる。
直近の数年間をみても、町や議会は、失礼な言い方かもしれませんが、傍目ではほとんど右往左往するばかりに見え、実効ある対策を取り得てきませんでした。
足湯をつくって数年で廃業したり、ガラス温室を大改造して中に観光客を呼び込む案を検討してみたり(案の段階で挫折)、果てはガラス温室の一部に「高収益作物」としてバニラビーンズを育てようとしてみたり(まだこの案は放棄されていない?)、理念・ビジョンが欠如していることから来る構想力の貧しさは情けないほどに思えます。

たたき台は私や「未来の会」がすでに提出しているのですし、町はこの文書の存在は当然ながら知っているはずなのです。
ここ1,2年で今後の見通しを立てられないならば、おそらく未来永劫それは不可能となるでしょう。財政状況も、池田町の人口減少も悪化の一途を辿ることになるからです。
町政のトップが変わった今だからこそ、リーダーシップを発揮して、ハーブセンター・エリアを町づくりの魅力ある拠点としてほしいものだと心から願うものです。



4月10日(木) 春本番
例年通り、まず黄色の花たちが一斉に開花。玄関先のレンギョウはいま満開で、鮮やかな黄色に目が痛くなりそう。
スイセンもいつもより花は少ないけれど、ほぼ咲きそろってあちこちを向いて咲いています。桜草は白い花。その前の釣り鐘スイセンも咲き始めました。
近所の桜は、ようやく5~7分咲きかな。もう少しすると、辺り一面が桜でいっぱいになります。天気はよろしくありませんが、春本番の感じがします。







ときどき雨がポツポツ降るあいにくの天気ですが、午前中はバラ園で作業。午後からは、予約してあったネギ(松本1本ネギ、下仁田ネギ)を買ってきて、早速松本1本ネギだけ植え込みました。

植えたはいいけれど、土がカラカラなので水の手配をなんとかしなければなりません。
松本1本ネギは、とりあえずポリタンクに貯めてあった水をかけて、あとは明日。ちょっと離れた用水から灌水ポンプで汲み上げなければならないので一仕事。
明日天気が回復すれば、ネギ以外の畝にも灌水をした上でマルチをし、キャベツとブロッコリー第1次分を植える予定。畑は少しずつ夏に向けてそれなりに形を取り始めています。

***

夕方から久しぶりに本格的な雨。よかった!



4月9日(水) 富山で散髪とお花見
7日、8日と富山の娘のもとに出かけ、私も妻も髪をセットしてもらいました。
正月は長野に来てくれたときに髪を切ってもらっていましたが、今回はこちらから様子見をかねて出かけたのでした。

折しも、富山はあちこちで桜が満開。車の窓からは、あちこちに無数の桜が見えて、こんなに沢山の桜の木が植えられていたのかと驚くばかりでした。

まず、7日の昼過ぎには、やはり桜の名所である呉羽山公園に車を止めてあたりを散策。
以前も写真を掲載したことのある富山市内を一望できる場所に行き、古木桜を見物。立山連峰は望めませんでしたけれど、桜並木の合間から富山市内がくっきりと見えました。

ここは、私と妻、子ども達が山の西側に住んでいたときに、市内に通勤する際の通勤道路でもあり、10数年通い慣れた懐かしい場所でもありました。一枚目が旧通勤道路。







7日夕方には、娘を宿泊先の富山市内のホテルに呼んで一緒に食事。そのあと、近くの川べりの夜桜見物に。
松川べりの桜は戦後直ぐから植えられた古木ばかり。ここには約3キロにわたって川の両岸に530本の桜が植えられ、昼には花筏も運行されて川面から両岸の桜が見物できるらしい。夜ともなればライトアップされて格別の美しさです。





土日には沢山の人出があるのでしょうが、月曜日ともなれば、ほとんど人が出ておらず、のんびり散歩しながらお花見をすることができました。
ここは、私が富山にいた頃に1,2回見ただけでしたから、何十年ぶりでしょうかね。タイミングは最高でした。

昨日8日は、昼前から二人の髪をセットしてもらっただけ。お昼頃から吹き飛ばされそうなほど猛烈な風が吹き付けて、次第に雨も降ってくるあいにくの天気。明るいうちに池田に着きたかったので、寄り道することもなく、そのまま早々に高速道路に車を進めたのでした。



4月6日(日) 私たちの認識が問われる(その4) 基地権密約=1=
風が強く寒い1日になりそう。これから畑にでかけ、昨日の続きです。
最近は、かなり堅い話を続けていますが、私たちの将来に直結する大事なことだと思うので、書けるときに書いておくつもり。

なお、明日から2,3日ブログお休みします。

***

基地権密約について=1=

米軍が日本の基地を自由に使い、航空機がアメリカの国内法で定められた高度を無視して低空飛行訓練を行い騒音被害をまき散らしています。

何故、日本にこれだけの米軍基地が置かれているのか。何故、地位協定によってさまざまな特権が付与され、思いやり予算で本来米軍が支払うべき費用を負担しているのか。
米日本の領空であるにも関わらず航空機は自由に低空飛行訓練ができるのは何故か。米兵が性被害を引き起こしてもまともに裁かれれることもなく泣き寝入りを強いられてきたのは何故か。米軍機が国内で事故を起こしても日本の警察権は及ばないのは何故なのか。

その根源が日米地位協定にあることはいまでははっきりしていますが、単にそれだけではなく、地位協定の裏に数々の密約が存在していることをつかむことが大事です。地位協定の文面では分からないことが、この密約を読み解くことではっきりしてくるのです。

(1)1957年 在日米軍基地に関する極秘報告書
1952年までのアメリカによる戦後占領期が終わり、サンフランシスコ平和条約が締結され、同時にアメリカとの間で日米安保条約(旧)と行政協定が結ばれます。
それから5年後の1967年、アイゼンハワー大統領の命によって世界の米軍基地の実態を調べさせ、日本については米大使館が「在日米軍基地に関する極秘報告書」を作成、国務省に送りました。すでに安保条約によって米軍は日本国内で自由に行動していましたが、その実態は国務省としてまだ十分把握していなかったと思われます。

次は矢部さんが翻訳しまとめた極秘報告書の内容(ポイント)です。

① 日本国内におけるアメリカの軍事活動のおどろくべき特徴は、その物理的な規模の大きさに加えて、アメリカの基地権(ベース・ライト)の範囲の広さにある。

② (旧)安保条約の第3条にもとづく行政協定は、アメリカが占領中に持っていた、軍事的活動を独自に行うための権限と権利を、アメリカのために大規模に保護している。

③ (旧)安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに、「極東における国際平和と安全の維持に貢献するため」という理由で米軍を使うことができる。

④ こうした「基地」のあり方は、将来、もしも在日米軍が戦争にまきこまれたときには、日本からの報復を引き起こす原因となるだろう。

⑤ 合成協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を持ち続ける権利も、米軍の判断に委ねられている。

⑥ それぞれの米軍基地についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的なとりきめが存在する。

⑦ 数もわからない、非常に多くのアメリカの諜報機関と防諜機関のエージェントたちが、何の妨げもなく日本中で活躍している。

⑧ 米軍の部隊や装備、家族なども、地元とのいかなる取り決めもなしに、また地元当局への事前連絡さえなしに、日本に自由に出入り(アクセス)することを正式に許されている。

⑨ すべてが米軍の決定によって、日本国内で大規模な演習が行われ、砲弾の発射訓練が実施され、軍用機が飛び回り、その他、非常に重要な軍事活動が日常的に行われている。それらの決定は、行政協定によって確立した(アメリカの)基地権に基づいている。

信じがたいことがここには書かれていますね。しかし、現実の進行はまさにここに書いてある通りだったのであり、これらの内容は、日本が「独立」した後も米軍による軍事的な占領状態が続けられてきたことを意味しました。

ただ、余りに身勝手な取り決めであることから、この報告書でも最後に基地問題は「重大な岐路にさしかかっている」と書かざるを得ない一面ものぞかせており、日本国内での批判の高まりもあって安保改定へと繋がっていきます。

では、上の極秘報告で記された日本国内での米軍の「権利」が、安保改定や地位協定によって、その後改善されたのかが焦点になります。しかし、現在の日本国内での米軍のありようをみればわかるように、ほとんど変化がありません。それは何故なのか、そのヒミツを解明することが、極めて重要になります。

(つづく)



4月5日(土) 私たちの認識が問われる(その3) 米軍に国境はない
良い天気になったので、今日は朝から畑へ。午前中は、私は畝づくり、妻はジャガイモ植え。
ジャガイモの畝が狭かったので苦労して広くし、何とか植えることができました。
妻はこのあと鍼灸院に出かけるので、午後は私ひとりでネギの穴掘りと残りの畝づくり。
明日は確実に筋肉痛ですね。
お昼に帰って、ついでにブログの更新。

***

つい最近のこと、在日米軍司令部の「統合軍司令部」が新設されるという話がありましたが、その司令部が東京都港区六本木の赤坂プレスセンターを拠点にすることが明らかになったと4月3日の各紙が報道しました。
産経新聞は、この動きに対して港区が発した防衛省に対する「在日米軍の統合軍司令部へのアップグレードの開始に関する緊急要請」の内容について詳しく報じています。

赤坂プレスセンターについて、3日の東京新聞は、次のように書いています。

赤坂プレスセンターは、23区内で唯一の米軍基地。戦後直後に米軍が接収し、ヘリポートが設置されている。防衛省がある東京・市谷からは約3キロ。周辺には住宅街もあり、事故への不安や騒音被害から、区は撤去を求めている。

下は、ある女性週刊誌の一ページです。



この記事で思い出すのは、矢部宏治さんが書いた「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」という本。
矢部さんはこの本の冒頭で、首都圏上空を広大な治外法権の空域「横田エリア」があり、アメリカの政府関係者は、軍用機でこの空域を通って横田基地や横須賀基地に着陸し、そのままフェンスの外に出ることができる、つまり他国の領域に自由に出入りできる=国境がない=ことを詳しく説明していました。

横田や横須賀基地に降り立ったアメリカの軍や政府関係者は、そこからどのように都心に行くのか。飛行機で行こうとしても都心には飛行場がない。都心まではヘリでくると20分くらいで到着します。矢部さんは次のように書いています。

ヘリが着陸できる米軍基地が都心にある。なんと都心中の都心です。六本木にあるんです。ですから、横田空域をとおって、まったくのノーチェックで日本に入国した米軍関係者やアメリカ政府関係者が、そこからヘリに乗って、たった20分で東京の中心部までやってくることができるのです。

言わずと知れず、ヘリポートを持ったこの港区六本木の建物=米軍基地=こそ、赤坂プレスセンターです。
その隣には米軍関係者専用ホテルがあり、さらにそこから5分ほどで到着する南麻布には「ニュー山王ホテル」(正式名:ニューサンノー米軍センター)があり、米軍関係者の宿泊・会議場になっているのです。このホテルの入り口には銃を持った警備員がおり、日米合同委員会もここで開かれてきたといいます。

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その赤坂プレスセンターに在日米軍司令部が設置されると報じたのは米軍準機関紙「星条旗新聞」。周辺の住民は、横田や厚木などの基地から飛来するヘリの騒音に悩まされ続けてきたのですが、ここに司令部が置かれれば、これまでの比ではなくなるでしょう。それ以上に、一旦有事となれば、自衛隊への指揮権を持つ在日米の中枢となる基地ですから極めて大きな危険を背負い込むことになります。

***

では、なぜ都心の一等地に米軍基地があり、治外法権の広大な横田エリアと接続し、我が物顔で米軍機が飛び回れるのか。そのナゾを解くカギがアメリカとの「基地権密約」です。
そして、先に解説してきた指揮権密約と密接に関連を持ち、海外で米軍の指揮下に入り最前線でたたかう自衛隊という構図を完結させたのが、例の安保関連法制だったのです。

次回は、この基地権密約について、矢部さんの解説をもとに整理してみます。



4月4日(金) 440ヘルツ
今日午前中にピアノの調律をしてもらいました。契約している楽器店の調律師が来て約¹時間、ていねいに調律してくれました。
その方が言うには、今日は「調律の日」なのだそう。国際ピアノ調律製造技師協会が1993年(平成5年)に制定、基準音の440ヘルツの44にちなんで今日がその日に定められたのだとか。まあ、適当に記念日を設けるもんですね。

***

その傍らで私と妻は、種植えの続き。苗土を買ってきてポットに詰めて、残りの種を埋めていく。なかなか骨の折れる仕事でしたが、午後3時頃まで昼食を挟んでみっちり作業をしました。
これで、苗植えは完了。あとは、インゲンや野菜の種を明日から直植えします。



話は変わります。
相互関税と称してウソで固めた関税率を持ち出し、各国に法外な関税をかけ、こともあろうに「これに対する報復はするな」というトランプ政権の対応は、単に貿易戦争を激化させるだけではなく、世界の経済を混乱に陥れ、結局被害を受けるのはアメリカの消費者であり、各国の社会の底辺で苦しむ人々です。
会社の運営が困難になれば首を切られたり賃金を引き下げられたりするのは非正規雇用や臨時雇いの労働者。

経済学者ポール・クルーグマン氏は、相互関税について「完全に狂っている」「関税率が誰もが予想していたよりも高いだけでなく、貿易相手国について虚偽の主張をしている」と厳しく批判

各国の反応はここで示す必要もないが、報復関税や対抗措置をとるとらないに関わらず、国としての毅然とした態度表明は最低限必要でしょう。それに大してこの国の総理大臣は何とも歯切れが悪くいじけた表情。

これまで「自由貿易」をうたい文句に関税の引き下げや非関税障壁の撤廃の先頭に立ってきたのがアメリカであり、そんなことはすっかり忘れたようにちゃぶ台返し、手のひらを返して保護主義に走る姿は、愚劣、醜悪そのものです。トランプにそう言ってやったらいかが?
株価が大幅に下落、結局アメリカ自身が自分で仕掛けた罠にかかり、自身の首を絞めていくことになるのがオチ。そのときトランプは何と言うのでしょうね。

奈落の底に沈む前に、アメリカ国民自身がトランプを引きずり下ろすムーブメントを起こせるのかどうか。日本もまた、落ち目のアメリカの先兵として最前線でたたかう道をさらに突き進むのを止められるのかどうか。

イーロン・マスクが数週間のうちに政権から身を引くのではないかと報じられているけれど、この男もトランプも想像を絶する大富豪でしょう。長者番付断トツ1位のイーロン・マスクは、その有り余るほどの金を世界で苦しむ人々のために何かをしようなどとは微塵も考えない。彼にとっては、金を持たないのは自己責任だということになる。

イーロン・マスクにしてもトランプにしても「ビジネス」「ディール」において念頭にあるのはグローバル大企業、多国籍企業であり、その利益が何よりも優先される。それが分かれば、彼らの政治のあり方は実に単純で、それ故に恐ろしい。
その彼らに幻想を抱き、期待したまではいいが、土台無理な話だと気がつくのはいつもとんでもない状態に陥ってから。トランプ支持者は何と言い訳するのでしょうか。こんなはずじゃなかったって??



4月4日(金) 私たちの認識が問われる(その2) 指揮権密約とは何か=2=
2.行政協定(現在の地位協定の前身)交渉で日本側は米軍の指揮権を認め極秘合意とされた。

(1)アメリカの要求を負って対日平和条約交渉のために来日したのがジョン・フォスター・ダレス。
彼が日本側の提示した原案には、「戦争や差し迫った危機があってもなくても、日本の土地や基地、施設など必要とするものを自由につかえる権利を持つ」ことが記されていました。
ただ、米軍による統一指揮権については、これでは「日本が軍備を持ち、交戦者となることが予想される」と懸念した吉田首相の指示で、統一指揮権を含む第8章を削除する意見を米側に通知。

(2)米側は、次の協議で「安保協力協定案(旧安保条約)」の本体から「行政協定案」を切り離し、その中に指揮権条項を移動させることを提案します。
その結果、国会で批准する必要のない行政協定案に、国民から隠したいものはすべて入れることにしたのでした。

(3)以上の第1次交渉のあと、井口外務次官はアメリカ側に「行政協定の合意は原則的規定だけにしておいてほしい」と頼み、それを協議するために来日したシーボルトと会談。
シーボルトは「指揮権条項の変更を国防総省に伝えた場合、日本の独立そのものが危うくなる」と述べ、これに対して井口外務次官は「あの規定が公表されると、民心に動揺をきたす恐れがあるからあいまいな規定にしておきたいだけだ」と返答。
結局「問題の章は公表しない」ことで決着し、井口外務次官とアリソン副国務次官補は、指揮権条項の入った行政協定にイニシャル署名をし、米軍に指揮権をゆだねる証としたのでした。

(4)1951年4月からはじまった第2次交渉に、ダレスは陸軍次官補のアール・ジョンソンを伴って来日。
目的の1つは指揮権問題をどうするか、もう1つは、「朝鮮での軍事行動に関しての付属文書(吉田・アチソン交換公文)」への「わずかな」変更についてでした。

もう1つの方の「交換公文の変更」とは、最初の文書では日本が米軍の支援をする範囲は朝鮮半島だけだったが、その「朝鮮半島という地理的な限定を外す」ことを意味しました。
これによって、旧安保条約の条文が変更され、米軍が日本に駐留する目的が「日本の安全」だけでなく「極東における平和と安全」のためとされ、米軍は日本の基地から海外へ自由に出撃できる根拠を得たのです。

(5)1951年9月8日の対日平和条約と旧安保条約の調印を経て、52年1月から日米行政協定の交渉が開始されます。
アメリカ側の交渉団の団長ラスクは、米下院外交委員会の聴聞会で次のように証言。

「米軍の司令官が日米のすべての軍隊の指揮をとるという前例のない権利を交渉によって確保する予定だ」
「われわれは日米安保条約で、きわめて前例のない権利を日本から与えられている。その意味は、日本の安全に関しては、われわれの側にはなんら義務がなく、ただ権利だけが与えられているということだ」

交渉の過程で、指揮権条項を条文に入れることについて、日本側は憲法上の問題や国内での政治的困難を持ち出して「不安」を表明。 日本側代表岡崎国務次官は、「自分と吉田首相は緊急に、あるいは現実に戦争が迫った場合には、アメリカの司令部と統合司令部が必要と思っているが、次の選挙や憲法上の制約、さらに世論の敏感さからみると、政治的不安をもたらす」と述べ、「総理も行政協定の外でいかように協議することにも依存はないが、22条に入れることには反対である」と表明。

(6)一時は統合司令部の受け入れに難色を示していた岡崎も、2月18日には「緊急事態が現実に起これば、統合司令部がおかれ、米国人が指揮官になることは不可避である」と認め、翌19日に、英文で書かれた極秘の修正案を米側に提出。
ラスクは、これ以上条文化することは求めないとして「米人指揮官のような問題は、交換公文や議事録になどにも一切残さない」と述べ、2月25日には第22条に関する事実上の密約の合意が成立
したのでした。

(7)最終的に1952年7月23日、極東米軍司令官マーク・クラーク大将は、マーフィー駐日大使、吉田首相、岡崎外相と自宅で夕食を共にしたあと、有事の際の指揮権について口頭で密約を結んだのでした。クラーク大将から米統合参謀本部あての機密文書には、次のように書かれています。

「吉田氏は(クラークの説明に)即座に有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきである、ということに同意した」

***

ここまでが、旧安保条約締結前後までの指揮権密約の経過です。
その後の歴史も当然あるのですが、基本的に行政協定と指揮権密約の本質は現在まで変わってはいません。安保改定と同時に行政協定は地位協定になりましたが、米軍が日本全土を我が物顔に使う仕組み自体は全く変わっておらず、日米ともに指揮系統をそれぞれ統合し、いよいよ一体化した軍事行動がとられるようになっていることは前回も述べたとおり。

そもそもの始めから、「それぞれが緊密に連携を取りながら、それぞれの指揮系統に基づいて行動する」などという生やさしいものではないのです。
自衛隊が米軍の指揮下で戦うとはどういうことか。米軍の統一指揮のもとで、自衛隊員は否応なく最前線で戦闘に参加させられる 。米軍基地も自衛隊基地も当然ながら、敵からの攻撃に晒されるということです。

これと合わせて、米軍が日本に駐留するのは、あくまで米軍の世界戦略のためであり、日本を守るためなどという目的はそもそも持っていないことも歴史の中から学んでおくべきです。



4月3日(木) MNEMOさんの「再起」に期待
MNEMOさんから「自分を笑い、憐れむ、しかし前を向く動画をチャチャっと作りました」という連絡があった。
さっそく、YouTubeの動画をみると、”MNEMOさんらしい”作詞作曲で、

やらかしました。19年続けたブログが消えたのです・・・。喪失感を持ちつつも立ち上がり、もう2度と同じことがないように、新しいブログを始めた私を、よろしければブログでも追ってみてください・・・

と歌う「再起決意ソング」が。What a shame! という最後がまた何とも。
皆さん、ぜひその決意と今後の活躍を応援してくださいませ。

Never Again (19年続けたブログを失って)
新ブログはこちら

***

さて、今日も朝から小雨が霧のように降ってくる寒い朝。
にもかかわらず、昨日から続けている苗植えの作業を妻と行いました。
植えた種は、結構沢山の種類にのぼります。これでもまだ半分くらい。このあとも、苗づくりが続きます。



天気が回復すれば、ゴーヤーを除いては、あと2,3週間でかなり芽が出そろうでしょう。
5月に入れば、本格的に苗を定植する作業にかからなければなりません。
とにかく天候が安定することを願うばかり。



4月3日(木) 私たちの認識が問われる(その2) 指揮権密約とは何か=1=
有事の際に自衛隊は米軍の指揮下に入るのではないか?と質問されれば、防衛省も自民党も、絶対にそんなことはない、あくまで憲法、関係法令に基づいて行動すると言うでしょう。仮に指揮下に入って行動しても、入ってはいないと取り繕わざるを得ないのは現憲法のもとでは当たり前のことです。
では、有事の際の指揮権は一体どうなっているのか。

戦争指揮を執る上で、瞬時の判断が求められるときに指揮が多元化していればそれは相手の攻撃を許すということに他なりません。指揮を一元化するというのは当然であり常識です。
ただ、常識であるにせよ、有事の際においても、自衛隊と在日米軍はそれぞれの国の指揮に従うと言われてしまえば終わりです。

この指揮権問題は、旧安保条約とそれにともなう行政協定の締結交渉の中で何があったのかをひもとけば疑問は解けてきます。
ジャーナリスト末浪靖司さんらの長年の調査・研究でこの「指揮権」問題には日米の「密約」が交わされ現在なお効力を持っていることが明らかにされたのです。

以下、「『日米指揮権密約』の研究」(末浪靖司:創元社:2017年)、「虚構の新冷戦」(芙蓉書房:共著:2020年)、「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(矢部宏治:講談社:2017年)などを参考に、「指揮権密約」について、(自分自身のためにも)整理しておきます。項目は以下の4つ。今回は下の1.2.のみです。2回にわけます。

1.1950年10月、日米安保条約原案に米軍指揮が書き込まれた。
2.行政協定(現在の地位協定の前身)交渉で日本側は米軍の指揮権を認め極秘合意とされた。
3.新安保改定にともない、指揮権密約は新安保条約第4条に移された。
4.指揮権の密約は現在も有効である。

***

1.1950年10月の米側作成「日米安保条約原案」に米軍指揮権が書き込まれた。

(1)1950年、朝鮮戦争が始まると、日本を占領していた米軍はほとんどが朝鮮半島に出動、空になった基地や装備を守らせるために、マッカーサーは日本に「警察予備隊」を創設。朝鮮戦争は、日本に特需景気を呼び込むとともに、共産圏との冷戦の始まりや各地の民族独立の運動の高まりを背景にアメリカの世界戦略の中に日本を組み込む必要を米側に認識させたのでした。

1950年8月に、ブラッドレー統合参謀本部議長がジョンソン国防長官に当てた機密書簡には次のように書かれていました。

「世界戦争が起きたときには、アメリカが日本の戦力を活用できることがみずからの戦略にとって極めて重要であり、おそらく世界戦争で最終的に勝利する結果をもたらすだろう」

(2)対日平和条約と並行して進められていた旧安保条約の原案づくりをすすめていた陸軍省の占領地域局(主任はマグルーダー陸軍少将)は、その正式の「米日安全保障協力協定案」を作成。
その第8章「集団的防衛措置」には次のように書かれていました。

「(戦時には)警察予備隊その他のすべての日本の軍隊は、日本政府と協議したのち、アメリカ政府が任命する最高司令官の統一指揮権の下におかれる」

(つづく)



4月2日(水) MNEMOさんのブログ閉鎖にショック
昨日のブログでも追記しましたが、我が友MNEMOさんのブログがサイト運営者の都合で閉鎖になっています。昨夕、MNEMOさんから「確かに予告はありましたが、軽視しました。19年の記事が全てパーです」と無念さがにじむ連絡がありました。大ショックです。

何だか急な話でまだ実感がわきませんが、19年もの記録が一挙に消滅するなんて、到底承服も納得もできないことです。ブログの運営会社には、当然ながら記録は残っている訳なので、一定期間救出する手立てを講じることも考えるべきではないかと思うのですが。

ただ、その中の記事のうち、いくつかの小説類は私がコピーして私の契約サーバー内にまとめてきたので、それだけでも救いです。

MNEMO(根本龍樹)小説 

1日も早く別のブログサイトで新しい記録を始められる日を心待ちにしていましょう。
何しろ、まだハイドレインジヤ・プロジェクトは始まったばかりですし。

***

カレンダー好きの妻が買ってきて掛けてある「ことわざ日めくり」。写真の3日間は何と「狭き門より入れ」でした。この年になれば狭き門なんてくぐりたくもないのにね。だいたい、体型が許さない。



この文句は言うまでもなく新約聖書にある言葉。ルカ伝第十三章二十四節には「力を尽くして狭き門より入れ」とあり、マタイ伝七章十三節には「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」とある。
これまた言うまでもなく、アンドレ・ジイドの小説「狭き門」の扉に掲げられた文句です。
ただ、写真のように「力を尽くして」がなければ、何のことかわからない。

写真にある4月1日は、実は若き日の懐かしい人の誕生日。私が高校3年生のときにその人が年賀状に一言この文句を書いて送ってきたのでした。ハガキにはつぎのようにありました(たったこれだけ)。

力を尽くして狭き門より入れ  パウム

力を尽くして・・は分かるが、差出人のパウムって一体何だ?? それから60余年考え続けてきたけれど、いまに至るまでナゾです。 それはともかく、「狭き門」に入るべく力を尽くし悪戦苦闘していた、切なくもあり苦くもある若き日々を飾る一言。だから、昨日はパウム記念日。

エイプリル・フールだけど、これ実話。しかし、どうでもよい話でしたね。



4月1日(火) 私たちの認識が問われる(その1) 戦争準備段階に入った日本
ここ2日間で、里芋、トマトの苗を植える畝をつくり、ネギを植えるための溝掘りを半分ほどまで完成。砂利だらけでなかなか手間暇がかかります。
ネギはこの10日に予約してあるので、それまでに何とかきちんと植える場所を確保しないといけません。

しかし、今日はまた朝から雪交じりの寒い1日。お勉強の予定も延期になったので1日ポッカリ穴があいてしまいました。
ここ最近、腰の調子が思わしくなく、太ももに痛みが広がっているので、ゆっくり休んで体調を整えることにします。

***

さて、昨日の、ちょっと普段の私からはかけ離れた記述に、MNEMOさんから極めて適切なコメント(※)をいただきました。大変うれしく読みました。ちょっと頬が緩みましたけど。

(※)MNEMOさんが19年間続けてきたサイトが3月31日に閉鎖されたために、記事はすべて消えてしまったと、先ほど連絡がありました。ショックどころの騒ぎではないでしょうし、長年の読者からみても残念でなりません。新たなスタートを期待しています。

物語や伝承の中で通用する人間の歴史的なつながりを、現実の社会の中に持ち込む積リは全くありませんけれど、そう考えると「納得できる」とか「安心できる」ということはあり得ます。ただ、それだけのことであって、そろそろ私の生活を現実に引き戻す必要がありそうですね。

「ウソみたいなことがあまり多く日本でもアメリカでも起こっていたり、発言されたりで、もうこれ以上のliesは要らない」とMNEMOさんが書かれていた通り、これでもかと思うほど日本も世界も壊れていく実感が津波のように押し寄せてきます。
同時に、アメリカでもトルコでもヨーロッパでも、若者を中心に様々な抵抗の運動が広がっている。テスラの販売台数が極端に落ち込んでいるというのもその1つでしょう。

***

この日本で、どうしても正しくとらえて変化を起こさなければならないものが2つあると私は考えています。
1つは、戦争への道を塞ぐこと。2つは農業の崩壊を食い止めること。

1つめについては、先日30日に行われた中谷元・防衛相とヘグセス米国防長官との会談に重大な関心を寄せ、その意味をとらえておくことが大事です。

今月24日には陸海空自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦司令部」が発足(約240人体制、統合作戦司令官は航空自衛隊出身の南雲憲一郎空将)したのに続いて、米軍もハワイに司令部をもつインド太平洋軍から在日米軍内に「統合軍司令部」をつくる編成作業に着手(30日ヘグセス米国防長官)したと報じられています。

昨日の報道1930で、コメンテーターから日本がアメリカの指揮下に置かれるのではないかとの懸念に、長島昭久総理補佐官は「絶対にそのようなことはない」としたものの、実際には米軍の指揮下に入ることは明らか。その根拠は、地位協定締結時のいわゆる「指揮権密約」にあります。これについて書くと長くなるので、いずれまた整理したいと思います。

その上で、30日にヘグセス米国防長官が会談内やその後の記者会見で述べたいくつかのコメントを見てみると、恐るべき内容が含まれています。
この点については、今日の 信濃毎日新聞社説が「抑止力強化という名目で、戦争に近づいている懸念が拭えない」と、端的に適問題点を指摘しています。
とりわけ、次の点が重要でしょう。

注視するべきは、ヘグセス氏が会見で、台湾有事を想定して「西太平洋のあらゆる不測の事態で、日本は最前線になる」と指摘したことだ。中国が台湾に武力侵攻した際には、安保関連法に基づいて米軍の後方支援などが可能になる。ヘグセス氏の発言は、これまでの想定を超えた役割を日本に求めていないか。

トランプは対中国で何らかの「ディール」を模索しているとも言われるが、アメリカの極東戦略は一貫しており、帝国主義的な支配の構図を変更したり縮小したりすることはあり得ないことです。
まさしく、戦争準備段階に入ったとの厳しい認識が求められるのです。
ヘグセス長官の発言「平和を欲するものは戦争の準備をしなければならない」に触れた次の 毎日新聞の記事はそのことを裏付けています。

会談後の共同記者会見でヘグセス氏は「平和を求めているのであれば、戦争の準備をする必要がある」などと語り、「中国共産党の威圧的な行動に日米は結束して立ち向かう」と言。「西太平洋で有事に直面した場合、日本は前線に立つことになる」と述べた。

トランプが日本に何を求めているのかは明らかです。現代の戦争は、軍隊だけではなく総力戦であり、ミサイル・無人機の時代ですから、かつての戦争の比ではありません。
併せて考えておくべきことは、中国から見れば、いまから80年以上も前の時代に日本がどのようなことをしたのかの意識は決して過去のものではないということ。日本人は忘れても、あるいは学ばなくても、被害を受けた側は決して記憶から消えることはないのです。 この国の支配者も国民も、そうしたことに余りに無頓着かつ無知識ではないのか。

(つづく)




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