この頃、アンデルセンの「はだかの王様」が時々話題に出る。
いくさが嫌い、芝居も観たくない、会議室にいるよりも衣装部屋にいるのが幸せという服飾おたくの王様(岩波文庫では「皇帝」)。布織り職人と語る詐欺師に「バカな人間には見えない」という「美しい布」を織ってさしあげようと言われて心を躍らせ、いいように騙される。
バカだと思われたくない王様は、見えない布を「見えない」とは言えず、家来達もバカだと言われたくないのと、「美しい布だ」と言えば王様に喜んでもらえるだろうと王様に忖度し「大変見事な布だ」と告げる。
うわさがうわさをよぶ中で、その布を見た王様は「見えない」ということで自分の地位が崩れることを恐れ詐欺師の虚言に「この布がすばらしいのは、わたしもみとめるところであるぞ」と言ってしまう。更に悪いことに、取り巻きが口々に「これは美しい、美しい」と口を揃え、「行進パレードのときにおめしになってはどうでしょう」とたきつけられる。
子どもから「王さま、はだかだよ」と言われ、はだかであることが誰にもはっきりしたことを自覚しながらもメンツを保つために「そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました」という顛末。
私自身は、子どもの頃に絵本か何かで読んだ憶えがあるけれど、翻訳したもので喚んだわけではなかった。
青空文庫には大久保ゆう訳のお話が紹介されているので、改めて読んでみた。上の要約はその青空文庫版によるもの。
アンデルセンのお話そのものは、曇りない子どもの目から見れば、見栄っ張りでアホな王様や取り巻きの忖度がいかに馬鹿げたものかをおもしろおかしく、しかも辛辣に描いている有名なお話だからよく知られているし、虚栄心にとらわれた王様よりも、唯々諾々と王様に従う家来たちの行為の愚かさを揶揄する例として引き合いに出されることも多い。Wikiでは次のように書かれていた。
正当な批判・反論すらも聞かずに猛進するため当人が破壊的な影響を及ぼすようになり、いずれ必ず当人も組織も大きなダメージを受けるため、組織人として見た場合には非常に有害な人物になる。
上の評価は、今日でいえばアメリカのトランプにピッタリ当てはまるだろうし、プーチンやネタニヤフ、習近平といった指導者にも当てはまるだろう。
ただ、言うまでもないことだろうが、支配者が一人で「正当な批判・反論すらも聞かない」ということも例外的にはあるかもしれないが、大体は批判するものを排除し支持者を数多く取り巻きとすることでその愚行を貫こうとする。
ジャーナリストの青木理さんは、今日の信濃毎日新聞で「日米とも『裸の王様』に」(副題:ハーバード大と学術会議法案)というタイトルで一文を寄せていた。
科学にせよ学術にせよ、政治にただ屈従する存在に出したらどうなるか・・あるラジオ番組でそんな話をしたら、共演したタレントの壇蜜さんがぽつりと「裸の王様、ですよね」と漏らし、青木さんは、辛辣だが鋭く的確な指摘にうなずいたのだという。そして、最後に「ただ、そんな王様の治世で悲惨な目に遭うのはほかでもない、私たちである」と締めくくる。
さて、9日の衆院内閣委員会で「特定のイデオロギーや党派的主張を繰り返す(学術会議)会員は、今度の法案で解任できる」と答弁した坂井学内閣担当相をどう見たらいいんですかね。