昨日は一日中ポカポカ暖かい陽気。それにつられたのか、イトトンボの一種でしょうね、一匹支柱にとまっていた。寒い間どこにいたものか。
***
学びというのは、何より「おもしろい」という感情をかき立てるものでなければならないんじゃないかなあ。
文学であれ、音楽であれ、コンピュータであれ、自然界への関心であれ、本当に目が開かれていくのは高校段階くらいだと思うんだがな。
コンピュータOSの1つであるLinuxの創始者はフィンランド人 リーナス・トーバルズ。彼が書いた自伝的な本の名前はそのものズバリ「それがぼくには楽しかったから」。
「それ」とは、コンピュータの基本ソフの開発で、誰にも開かれたオープンソースとして世に広めた。多くの子どもたちがのめり込むようなゲームソフトじゃないよ。
それが今では世界中のスーパーコンピュータやクラウド、スマホなどに組み込まれて動いている。
小さい頃から芸術や数学、スポーツなどに得意な才能を持つ子は確かにいる。それも家庭や小学校や中学で、それにふさわしい環境が十分に与えられて花開くのだろうが、大多数の子はそんなわけにはいかない。
たくさんの同年齢、異年齢の子や地域の中で自我にめざめていく。私もそうだった。
子どもたちは、学校や地域のコミュニティの中で、いろんな興味関心を広げていく。そこにこそ、「だから、もっと知りたい、学びたい」と思えるような刺激に満ちた教育環境が広がっていてほしい。
文科省も「文理の区分にとらわれない幅広い教養と科学的思考力」というけれど、科学的っていうのは、もともと批判的ということとほとんど同義だろう。批判ばっかりするなということを政治の世界ではよく聞くけれど、建設的批判は非難とは違う。自分の手足をつかい頭で考えるってことだ。批判なしの創造なんてあり得ない。
私も文系、理系などという枠組みは要らないと思う方だけれど、今の学校では数学が嫌い、できないから文系、国語、英語が苦手だから理系なんていう消去法がはびこっている。
文科省は「将来的には、文系・理系の区分がなくなることを目指しつつ」なんて言っているけど、どうなんだろう。
今日の文科省のようなやり方を放置していたら、子どもたちより先に、教師をめざそうという学生はますます減っていくんじゃないの?
******
<ここから先は、コチコチの評論。長いから飛ばしてもいいですよ>
文科省が公立高校を改革する基本方針として、文系と理系の生徒の割合を同程度にする(現在は文系5割,理系3割)という目標を設定したのだという。
事実、昨日13日には、これらを盛り込んだ
「高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン)」が正式に発表された。これは今後の高校教育を根本から変えてしまうほどの質的転換の方針だと思われる。
文理同程度というのは、この方針最後の「2040年までに達成を目指す目標」に出てくる。
大雑把に言うと、次のようになる。
・AIなどの進展で将来期待される人材の質が激変し、このままの高校教育のあり方では今後の産業構造や社会システムの中では通用しない。
・また、26年度から私立の高校授業料無償化によって公立の生徒が減るとの懸念があるので、理系改革に取り組む高校に財政支援をして公立離れを防ぐ。
・全ての普通科高で文理横断的な学びに取り組んで、2040年までに理系を5割に増やし、将来的には文理の区別をなくすことを目標にする。
人工知能やデジタル技術の革新で、将来の学びの質や形式が変わることは予想されることだが、先端技術に目を奪われすぎて教育の目標を見失っていきそうな気がする。
国が子どもたちの学びの方向を一方的に定め、「企業と国家」に直結した理系誘導を進めたいということだろう。世界のレベルから1周も2周も遅れたこの国の産業水準への焦りの表れともいえるのではないかと推測するがどうなのか。
***
そこで論より証拠、この文科省の
「高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン」に即して詳しく見てみることにしよう。
「2.高校改革の方向性~2040年に向けた高校の姿~ 」には、
<視点1>として、
「AIに代替されない能力や個性の伸長」という目標が真っ先に掲げられる。
AIに代替されない能力とは「言語能力、情報活用能力、問題発見・解決能力、他者と協働する力など」で、「探究的・実践的に学びを進める学習観」に転換することでその獲得に向かうのだそうだ。
そこには「生徒の主体性を育み自らの人生を切り拓ひらいていく『生徒を主語にした』教育」という大変美しい言葉が並んでいる。
<視点2>では、やはりというべきか
「我が国や地域の経済・社会の発展を支える人材育成」という方針が掲げられている(素案の段階では「我が国の社会・経済の発展を支える人材育成」となっていた)。
「2040 年には、いわゆる文系人材の余剰が発生する一方、いわゆる理系人材は不足する可能性がある」とし、このまでは「地域社会・・経済を支えるいわゆるエッセンシャルワーカー等の不足も大いに懸念」されるという情勢認識が前面に出されており、その背景には、AI 等によって社会が大きく変わり、「普通科高校の多くの生徒がいわゆる文系に在籍」している現状では、その変化に対応できないという危機意識や切迫感が見て取れる。
それゆえ、「普通科に偏った学科構成の見直しや専門高校の機能強化・高度化等の取組」「大学教育における理工・デジタル系人材育成の強化や文理分断からの脱却等」(素案に書かれていた「産業界の伴走支援による」という言葉は消えている)を今後の重点的な取り組みとしている。
とりわけ「普通科」のあり方を「文理の区分にとらわれない学び、科学的思考力の育成、実社会につながる授業の実践を行うなど、各高校ならではの特色化・魅力化を図る」方向で大きく変えることを求めている。
しかし、一方で次のように述べていることにも注目しておきたい。
公立高校は、多様な背景を有する生徒の様々な学習ニーズに応えるセーフティネットの役割も果たすとともに、地域が求める人材や学校の地理的状況、少子化の影響による学校数・生徒数の状況などの観点から、高校教育の普及や機会均等を図る地域社会に根差した重要な存在である。
***
社会や産業界のニーズに即応しつつ、生徒の可能性を広げ能力を伸ばす高校教育を実現し、その質を高めるため、少子化に伴う単なる統廃合を進めるのではなく、各都道府県における学校、地域、生徒の実情に応じた創意工夫ある取組を進める必要がある。
「文理の双方の素養を有する人材の育成」などという面白いことも言っている。
「AI やデジタル技術を駆使しながら、文理の区分にとらわれない幅広い教養と科学的思考力を備えた新しい価値を創造する人材」「問題解決や探究活動を通じた理数の学びをこれからの経済・・社会の発展につなぐことのできる人材」などの言葉が各所で現れる今回の「N-E.X.T.ハイスクール構想」。
これまでの「差別・選別型」の高校教育再編とは質的に異なって、世界的に生産性や技術力で後塵を拝している産業界の焦りとも言える強い要請を背景に、これまでの多様化路線を下敷きにしつつ、高校教育を全面的にその要求に従属させていこうとしているように私には見える。
それぞれの高校が特色化・魅力化という「差別化」を競うようになったなら、「子どもたちの全面的な人格形成や社会的な素養を身につける」という本来の高校教育の理念はどこに行ってしまうのだろうか。