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  11月30日 (火)
とうとう11月も終わり。明日から12月です。ちょっと信じられない月日の経過!!北海道や東北の日本海側は吹雪のもようです。いよいよ冬将軍の本格的な到来ですね。

28日の朝日新聞には「大学でMac人気上昇中ー基本ソフト便利ー導入相次ぐ 」というMacユーザーとしてはなかなか興味ある記事がでていました。
大学でMacが導入されるのはUNIXベースのOSであることや最新のiMacG5が64bitCPUを搭載した高性能マシンになっているからですが、扱いが容易でソフトも充実してきていることも大きな要因でしょう。マックのコミュニティーでもこのニュースは結構大きく取り上げられ話題を呼んでいるようでした。東大や東工大といった大学で導入され始めたので他の大学も気にしだしたのか知らん??
この記事は最後に「東大の安東孝二・情報基盤センター助手は『教室で(圧倒的なシェアの)ウィンドウズ機が使われずに全員がマックで作業しているのは不思議な気もする』と話す。ビジネス向けの台数ではウィンドウズ機に圧倒されるアップルだが、マックで育った学生たちがいずれ市場地図を塗り替えると期待している」と締めくくっています。私からすると不思議でも何でもないのですが・・・ホントにそうなるのかな??

さらに一日さかのぼって、27日の朝日新聞では中山文科相のアホな発言が報じられていました。
性懲りもなくといいたいところですが、これは絶対に見逃すわけにはいきません。そこで私は昨日、政府の電子政府窓口を通じて文科省宛に次のメールを発信しました。

中山文科相様
中山文部科学相の大分での先の発言について一言見解を申し述べます。
27日の朝日新聞は次のように報じました。
中山文部科学相は27日、大分県別府市で開かれたタウンミーティングに出席し、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べ、過去の歴史教科書を批判した。文科相は、歴史教科書から強制連行などの記述の削除を求める運動をしている自民党有志の「日本の前途と歴史教育を考える会」の座長を自ら務めていたと紹介したうえで、「日本の教科書は、政治家が悪いんだと思うが、極めて自虐的な『日本は悪いことばっかしてきた』というもので満ち満ちていた時があった。これは何とか直さないといかんということでやってきた」と説明。 さらに「どの国の歴史にも光と影はある。悪かったことは反省しないといけないが、すべて悪かったという自虐史観にたって教育だけはしてはいけない。これからの日本を生きる子供たちに、自分たちの民族や歴史に誇りを持って生きていけるような教育をすることが大事だ」と述べた。
かつて同様の発言をされた「先輩」格の閣僚の皆様が大勢いらっしゃるわけで、それぞれ国内外の強い批判を浴びて辞任されていることをよくご存じのことでしょう。それを承知のうえでまたまたこのように発言されているとすれば、まさに確信犯というほかありません。
文科相のこの歴史認識は「先輩諸氏」と同様、まさに戦前的発想にもとづく時代錯誤の見解であることは明白で、過去の侵略戦争について無反省・無見識をはしなくも露呈しているものです。戦争の惨禍によって辛苦をなめさせられた国民はもとより、日本の侵略によって数知れない悲劇をもたらされたアジアの人々からすればこのような見解は決して許すことはできません。
ところで文科相は一体何を根拠に日本の過去の教科書は「悪いことばかりしてきた」と書いてあったとおっしゃるのでしょうか。「すべて悪かったという自虐史観」とは一体いかなるものなのでしょうか。そして、「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきた」とどのようにつながるのでしょうか。そもそも「従軍慰安婦とか強制連行」とかがなかったとでもおっしゃりたいのでしょうか。それともどの国でも多かれ少なかれそのようなことがあったから「我が国の過去は大したことではない」とか「免罪される」とかとでもおっしゃるのでしょうか。文科相にとっては、あの戦争の歴史とはどこの国でも見られる一過性の忘れるべきイベントにすぎなかったのでしょうか。
私はこの発言を聞いて、文科相は歴史について無知であるだけでなく実に救いがたい大国的優越民族的歴史観の持ち主であらせられると恐れ入りました。
私は、あの侵略戦争がどれほどの犠牲をアジアの諸国民に強いたかをしっかり認識することや、天皇制軍国主義の日本がいかに国民に対しても大きな犠牲を強いたかを胸に刻むことを除いてこれからの平和な暮らしを築くことはできないと確信しています。教育の基本はまさにそこにあります。アジアや世界の人々と対等な信頼関係を築くためにも当然それは不可欠だと考えています。これが日本国憲法の原則であり出発点ではなかったのでしょうか。
戦後ほぼ60年を経て世界から戦争の脅威が依然としてなくならない現状、日本がアメリカの忠実な同盟国として海外に派兵を公然とし始めている現状に照らせば、この原則はますます光り輝いていると信じます。
文科相のこの発言は日本国憲法に照らしてまったく許し難い言語道断の妄言です。先輩諸氏にならい文科相を直ちに辞任されることを要求いたします。以上。


  11月29日 (月)
久しぶりに母のいない一人だけの朝です。今朝は相当冷え込んでびっしり霜が降りていました。私は依然としてスモーカーなので戸を開けて縁側でたばこをふかしています。吸い終わった後は花瓶に入れてある水につけて火を消し灰皿に入れておきます。
今朝も同じように白くなった畑を見ながら一服し、吸い殻を花瓶の水に入れて火を消そうとしたら・・・たばこが水面に当たって折れてしまった。水が凍っていたのです。まいったまいった。

母がいるときは少し暖房をしたまま寝ているのですが、一人の時は節約で暖房なし。あんまり寒いので昨日の「おもてなし」の残り物を暖めて食べました。下の写真のコンニャクの姿がわかる人は相当な年配ですね。
私が小学生のころ、お祭りでこいつを食べるのが何よりの楽しみでした。たぶんクジか何かで当たりになると何本かおまけがついたかどうか、とにかく味噌に砂糖・ショウガをたっぷり入れて甘く煮たコンニャクはうまかった。湯を張ったおおきな鍋の真ん中に空き缶が入っていて、それにタレがたっぷり。串に刺したコンニャクがつっこんであるというしろものです。それを思い出して自家製コンニャクでつくってみたのがこれ。当時の子どものおやつです。



さて、話はがらりと変わって政局の感想を少し。頭に来っぱなしなので、ここで書くのもいやになってしまいますが、そうも言っておられません。税金、憲法、社会保障、平和に関する重要問題が目白押しですから。しかも、どれをとっても私たちの暮らしや個人の精神の問題に直結し大打撃を与えることばかりです。
ここしばらくの様子を見ていると、国政選挙なしの「超安定期」を好機とばかり増税の大合唱です。しかも消費税などを含め増税の規模は空前絶後。KOIZUMI政権はどこまで庶民を見下し搾り取ろうとするのでしょうね。もう怒り心頭に徹するとはこのことです。KOIZUMIさんはきっと私たちに「財政危機だからしかたがないんじゃないの」とでも言ってほしいのかな。
政府も財界も結局自分の腹が痛まなければそれでよい。たとえ増税によって景気が悪くなろうと、大企業は中小下請けに犠牲をかぶせ、財政が逼迫すれば収奪路線をいっそう強めればいいだけだから、犠牲は他にまわして、ほしいだけ利益・利権を手にしよういうわけなのでしょう。
その最たる政策は例の「増税答申」と「三位一体改革」というやつ。これほど国民をなめきったやり方はありません。
「三位一体改革」については地方からの反撃に驚いて多少の手直しをした「全体像」をまとめたことが報道されていましたが、基本路線が変わったわけではありません。
もともとこの「三位一体改革」とは、破綻寸前ボロボロの国の財政を「立て直す」ために「国庫補助・負担金の縮減と廃止、地方への税源移譲、地方交付税の見直し」を一体で進めようとするもので、KOIZUMI政権が政策の柱として打ち出していたものです。
今年の6月には来年度からの2年間で3兆円を地方に税源移譲し、それに見合う負担・補助金を廃止・縮減するという方針を出して、その改革の案を地方6団体にゆだねました。それを受けて出されたのが先の「地方案」、さらにその動向を見て26日に決定されたのが政府・与党による「三位一体改革の全体像」というわけです。「補助負担金」といっても国に義務づけられた負担金の方がはるかに多い(8割)わけで、政府・財界・一部マスコミのようにこれを政府が地方に財源を補助しているなどと受け取られるような世論操作をしていることを許すわけにはいきません。
「全体像」の中では地方自治体などの反撃で多少後送りしたり手直しをした部分が見られるにせよ、国の責任を放棄し財政破綻のつけを地方や国民に転嫁するという地方自治破壊・国民生活破壊の本質は全く変わっていません。
地方に税源移譲をするという名目で国の負担金を減らすことははっきり憲法違反だと私は思いますね。その最たるものは義務教育費国庫負担金制度に対する国の責任放棄です。生活保護費についても現在国庫負担が3/4であるものを1/2に削減するという。具体的な数字や内容についてはこれ以上は書きませんが腹立たしい限りです。
所得税・住民税の定率減税の廃止については言うべき言葉もありません。なになに、定率減税は「恒久」措置ではなく「恒久的な」措置だからそろそろ廃止をしてもよいのだと??
「恒久の平和を念願し・・」と書いてある憲法すらどうでもいいだから、子どもにも聞かせられない「言葉のもて遊び」。その裏には邪悪・醜悪で危険きわまりない意図が隠されていることだけを見抜いて、我々は自らの爪を研いでおけばよろしい。


  11月28日 (日)
今朝はまた昨日とはうってかわって、朝からどんよりした空模様でした。今にも雨が落ちそうな気配でしたが”リンゴ狩り”の時刻にはかろうじて持ちこたえてくれました。
近所の子どもたち二人も合流していざ農園へ。甥の子どもも年上のその二人とすっかり意気投合してはしゃいでいました。
農園では幼稚園の子どもたちのリンゴ狩りのために残してある木から少しだけわけてもらうという約束にしてあったので、そんなに沢山はとれませんでしたが、それでも一人数個ずつ袋に摘み取って満足そう。子どもには不思議とリンゴが似合いますねえ。どうしてなんでしょう。


その後はショートステイに出かけている母の元に顔を見せにいきました。息子や甥の顔もなんとなくわかるという様子でときおり泣き顔を見せていました。ちょうど昼食時だったために食事の介助をして30分ほど過ごし、明日はもう家にかえれるんだからと言い含めて施設をあとにしました。

こうした施設を訪問してよく感じるのですが、一人ひとりに目を配った世話をするというのは至難のわざです。母の普段の服装について、できるだけ普段着ですごせるようにしてほしいと頼んでおいたのですが、結局「介護服(パジャマ)」で車いすに座っていました。髪も風呂に入ってそのままの状態。所員の方のが一生懸命にやっていらっしゃるのがわかるだけに、なんだか悲しくなってしまいます。結局人手が圧倒的に足りないのですね。在宅介護の重要性を痛感するとともに、介護の水準を引き上げなければ結局のところ「年寄りを単に預かっているだけ」ということになりかねないと思わされました。

それはともかく、甥の家族にとっては初めての安曇野の訪問。景色や食べ物を堪能してもらえたかな。




  11月27日 (土)
昨夜は遅くまで風雨が強かったので今日の天気が心配でしたが、朝起きてびっくり。快晴!! これは願いが天に通じたか、日が昇れば暖かい小春日和、まったく雲一つない晴天に恵まれました。
今日は母が2泊3日でショート・ステイに出かける予定になっていたのでいつもより早めに起こして出発しました。
滞在先は老人ホームと介護支援施設が併設されているところで、玄関を入ると所員の方たちが真剣に母の状況を聞き取ったり準備をしたりして丁寧に入所の手続きをしてくれました。どんなところか不安がありましたが、これらの対応でそれも解消し安心して帰ることができました。

その帰りには、JAの直売所で「JA祭り」がひらかれ、恒例(らしい)のお餅つきの最中だったのでしばらく立ち寄ってつきたてのお餅をごちそうになってきました。うまかった。もっとも「祭り」と言っても餅つきぐらいであとは抽選があるくらい。それでも「杵つき餅」を目当てに集まった沢山の人で賑わっていました。


さて、午後からは遠来の来客です。息子も甥夫婦も予定より少し遅れて午後2時半頃に到着しました。
「安曇野で癒されたい」と言っていた甥夫妻とそのかわいい子どもたちのために、まず先日紹介した場所へ白鳥観察。遮るもののない戸外はさすがに寒風が身にしみるようでしたが、沢山の白鳥を前にしばし寒さを忘れて見とれていました。折良く近くの農家の人が野菜くずなどの餌を大量にまいて白鳥の世話をしているところでした。そのためにあの優雅な白鳥の姿はどこへやら。みんな首を水田につっこんで”首なし白鳥”ばっかり。ちょっとタイミングを失したみたいでした。
その後はクラフトパークへ寄って安曇野の風景を堪能し、帰りにいつもの「おやき村」に立ち寄っておやき食べてきました。短時間の滞在ではなかなか安曇野の景色や暮らしを知ることはできませんが、精一杯もてなして楽しんでもらいたいと思っています。
明日はお隣りや向かいの子どもたちもいっしょにリンゴ狩り、です。今日のように天気がよければいいのですが。




  11月26日 (金)
日が沈むにつれ風がいっそう激しくなって、今はもう台風並みの強風が吹いています。日本海を低気圧が発達しながら進んでいるのでしょうか。一日南よりの風が吹いていたので、気温は相当に高く日暮れまでストーブはいらないくらいでした。
明日から母が2泊3日のショートステイにでかけ、それと入れ替わりに息子と子どもづれの甥夫妻がやってきて一晩泊まっていきます。したがって母の準備やら家の掃除やらで結構忙しく、一日あたふたと立ち働いておりました。夕方うとうととしていたら宅老所から母が帰ってきてハッと我に返る始末でした。せっかく来てくれるのだから、何とか天気が回復して気持ちの良い小春日和になってくれればいいのですが・・・。

それはそれとして、今日は早朝から午前中にかけて、いままでずっと手つかずだった「Mac&Win」のページを更新していました。ここは「こんなにマックやウインドウズを持っているぞ」という自慢話のコーナーにしかなっていません。お役立ちティップスを沢山載せることができればいいのでしょうが、残念ながらそんな知識もないので、勢いコレクションを見せびらかすコーナーになってしまっています。すいません。
家の建築資金の足しにでもと思って、古いマックをオークションに出そうとするのですが、全く値がつきません。ショップに聞いても引き取るために代金がいるくらいだと言われてがっくり。同じ店でパーツを買おうとすると結構い良い値がついてるのにひどい話です。
電子部品だけは日々刻々新しくなっていくので仕方がありませんが、考えてみると膨大なゴミの山を「お宝」と錯覚してためこんでいるような気もしないではありません。いやたぶんそうなのでしょう。いやいや絶対そうなのだ。


  11月25日 (木)
最近気になるテレビ番組に「芸能人の1か月1万円生活」などという「耐乏生活」礼賛番組がやたら目につくことです。節約をして質素な暮らしをすることは生活のスタイルとしてはむしろ奨励されるべきでしょう。しかし、目的はそうではなく一見「工夫をすればこれだけの暮らしができる」と思わせつつ、実はそれとくらべて今の生活はいかに無駄が多く贅沢にできているかと思わせるところにありそうです。
先日1.29という数字にギクッとしたことがありました。一瞬、私の誕生日のことかなと・・・。実際はそうではなく日本の女性が一生で産む子どもの数、つまり出生数のことでした。下がり続けてとうとう一人っ子だらけの日本に。
子どもは多ければ多いほどいいというつもりは毛頭ありませんが、いくら何でもこの1.29という数字は日本の貧困を表す一つの指標のように思えて仕方がありません。子どもがほしくても生活が心配でつくれない。仕事と育児を両立させる自信がなく、企業や自治体からの援助もなく、やむなく子どもをつくらなかったり、一人でやめたり。このままでは将来人口の減少に歯止めがかからなくなってしまい、きわめていびつな人口構成になりかねません。
あまりにも貧弱な現在の保守政治の実態とそのもとでの人々のくらし。例を挙げれば枚挙にいとまがないでしょう。この国に生まれてよかったと何人が胸を張れるのでしょうか。その点、出生率の向上に成功し1.7人から1.8人で安定的に推移しているという北欧デンマークとはあまりに対照的です。
「他人の不幸は蜜の味」という嫌味な言い回しがありますが、ますますその傾向に拍車がかかるのではないかと実に気がかりです。それに追い打ちをかけるように、倫理観や生活観を次第に低級なものに変え、まともにものを見る感覚を麻痺させていくようなこれらの俗流番組の放映。用心しないといけませんね。

* 写真は先日(11月12日)紹介した金ベエさんの「北欧ノート・デンマークの確信」よりお借りしました。
* BGMを私のページは「Christmas Card For You」に、妻の方は「Smile」に変えました。これらのすばらしい曲を提供してくださっているBlue Piano Manさんに心から感謝します。
BGMはOffにしてあるので、聞いてみたい方はページ下のコントロールバーを操作してください。



  11月24日 (水)
今回は比較的ゆとりを持って来てくれた妻が昨夜富山に戻っていきました。いつもは高速を使わないで糸魚川から国道を走るか、または安房峠を越えて飛騨から41号線で富山に入るのですが、昨夜は高速半額というサービスデーだったらしく糸魚川から高速を利用し3時間かからずに家に着いたようです。問題なく着いてくれるだろうとは思っていても、事故は自分の不注意で起こるとは限らないのでいつもながら心配です。ともかく無事ついてよかった。

明けて今朝はまた深い霧。庭のクローバーにはびっしり霜が降り、外においてあるバケツに薄く氷が張っていましたから、外気はマイナス1,2度まで下がったのでしょう。ブルブル。いよいよ凍結防止のいろんな策を講じなければならない季節になってきました。
外に出ている水道のパイプや室内でも凍結が予想されるトイレのパイプなどにはヒーターの通った覆いがしてあります。それでもどこでどのように凍結するかわかりません。
石油やガスを入れてくれている業者の方のアドバイスでは「お風呂の湯は夜張ったままにしておく」「男子用トイレは水を抜いて凍結防止剤を入れる(どこでおしっこするんじゃ〜〜!)」・・ということらしいです。一番いいのは室温がマイナスにならないように一晩小さなストーブをたいておくことだと言っていました。年寄りがいるし、やっぱりこれはストーブかなあ。冬を越すのもなかなか大変そうです。

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ところで今日、すぐ近くの田んぼに白鳥がたくさんやってきたという耳より情報をゲット。夕方まだ日の沈まないうちにと思ってさっそく見に行ってきました。
まだやってきて間もないらしいのですが、白鳥たちは水の張ってある田んぼをゆったりのんびり泳いだりとなりの田んぼにあがって餌をさがしたり。これから冬の間をこの地で過ごすのでしょう。これはときどき見に来なければいけませんね。
一日早くこの話を聞いていれば妻と一緒に見られたのに本当に残念でした。しかし、白鳥が渡っていくのは来春だろうし、餌付けがうまくいけば毎年やってきてくれるでしょうから、楽しみはあとに取っておいてもらうことにしましょう。

安曇野の四季
に何枚かの写真をアップしました。





  11月23日 (火)
以前、青年海外協力隊の一員としてバヌアツ共和国に派遣されている私の姪のことを書いたことがありました。バヌアツで小学校の教師をしているのですが、その彼女から先日近況を知らせるメールとともに、私が依頼していたホームページ用の「バヌアツ便り」が送られてきました。まきちゃん、忘れないで書いてくれてありがとうね。
第1回目の便りでは、はるばるバヌアツまで来てくれた両親・兄との一年ぶりの再会の様子が綴られていました。それを糸口にしてバヌアツの人たちの生活やそこで感じたことなどを写真付きで詳しく説明してくれています。
バヌアツがいったいどこにあるかさえ知らなかった私でしたが、こうして現地からの生のレポートを受け取って、地球上には実に多様な暮らしを営む人々がいるのだと教えられます。またこの便りは、アメリカやヨーロッパを向きがちな私の偏屈な目と頭を アジアや南太平洋の人々の方にもしっかり向けてくれます。世界のことを考える上での私の心の座標軸の向きを正してくれてもいるのですね。
忙しい活動の合間にこうしてまとまった便りをくれた彼女に感謝しつつ、その彼女のためのページを今日から私のホームページの一つとして公開することとしました。独立したコンテンツとしても通用するようにしてありますので、是非アクセスをしてみてください。お友達にも紹介してくださいね。
南太平洋の小さな島国で今日も奮闘している彼女の姿に思いを馳せながら、私もじっくりと「バヌアツ便り」に目を通すことにしましょう。



http://www1.odn.ne.jp/moo_azumino/maki/maki.html



  11月22日 (月)
月日のたつのは早いもの。11月になったと思ったらもう下旬です。安曇野は田んぼの返しがたけなわ。木々は葉を落とし急速に冬の景色になりつつあります。漬物用の大根や野沢菜で野菜の販売所は賑わっています。

今朝も深い霧に覆われて晴れ間が見え始めたのは9時をまわった頃でした。母は旅行の疲れからか昨日は午前中ぐっすり寝ていて、起きたと思ったらまたうとうと。結局午後も遅くなってようやく気分もすっきりしたようでした。一晩寝たあと、パソコンのハードディスクを初期化したように昨日誰に会ったかも何をしたかもきれいさっぱり頭から消し去っています。何かを思い出してくれないかといろいろ話しかけているのですが、かろうじて従兄弟の歌だけは「素敵だった」という反応がありました。
これから姉妹たちと再び会える機会があるかどうか。昨日は別れ際に「生きてさえいればまた会える、また必ず会おうね」と再会の約束をしてきました。連れていく方もしんどいですが、近い将来にその約束を果たせるように介護をしてきたいものです。


  11月21日 (日)
夕べ午後8時頃無事池田に帰ってきました。帰りは妻と高速のSAで待ち合わせて一緒に池田に。
石川・富山は13、14度くらいあったのに小谷を過ぎる頃には5度まで気温が下がり池田でも相当に寒く感じました。池田は晴れ。放射冷却のためにいっそう冷え込んできているのでしょう。
今回の小旅行の目的は母の帰郷にありました。母の姉妹に会わせておきたいというかねてからの計画をようやく実行に移したのです。今回の訪問でいままで手紙では知っていたけれど会ったことのないいとこや久しぶりにあういとこたちにも会って私自身も有意義でした。
とにかく母が何人兄弟姉妹で系図がどうなっているのか母のルーツがようやく私にもわかるようになってきたという感じでした。これについては私の子どもたちや甥・姪たちにも「おばあちゃんの系図」として是非知っておいてほしいので、いとこの一人に頼んで正確な家系図作りを依頼してきました。結局母は戸籍上14人兄弟・姉妹で、長く存命した7人のうち下から2番目だということです。いとこの旦那さんも「わしゃ13人兄弟や」と言っていましたから、とにかく当時は子だくさんだったことがわかります。そのおかげで母は幼少の頃に里子に出されてしまったんでしょうか。

それはともかく、今回は母の妹にあたるおばさん夫婦の家におじゃましました。数ヶ月前に池田に来てくれたばかりでしたが、そのときはそれほど時間もありませんでした。だからゆっくり対面できた今回の訪問をすごく喜んでくれて何かと世話をしてくれました。私が「そんなに・・どうぞお構いなく」と言うと「何いうがや、構いたいんや」といっそう世話焼きが激しくなってやぶヘビでした。愛すべきこのおばさんは昨日が80歳の誕生日。10年ほど前の母そっくりで当時はどちらとも区別がつかないほどでした。ひょうきんで気持ちが若くしなやか。「お誕生日だとは知らずお祝いも出来ずに・・」というと「姉を連れてきてくれたのが何よりのプレゼントよ」と泣かせるセリフをさりげなく言える素敵なおばさんなのです。


一昨日は松任駅前の豪華なホテルを予約しておいてくれ、その一部屋に親戚が集まれるだけ集まって歓迎会食会を開いてくれました。金沢で眼科医をしているいとこがすばらしいバリトンを聞かせてくれ、みんなもそれに唱和してしばし会場は大きな歌声に包まれました。何度も大きな会場で「ドイツ・リード」のリサイタルを開いてきた実績をもつだけあって本格的。おばさんは感極まって母にしがみついてむせび泣いていました。

さらに昨日は午前中に母の姉(老人施設に入所中)を訪問してきました。現在95歳。話しかけてもほとんど反応はないけれど私の顔をじっと見つめて顔の表情をまねるしぐさがなかなかかわいらしかった。横浜にいる姉は98歳。結構長生きの家系なので母もまだ10年はしっかり生きてくれそうです。


三姉妹

その後はみんなでお墓参りをしたり母の生家を訪ねたりしました。母の生家は私がまだ小さかったときに母に連れられてよく行ったところです。さすがに家は建て替えて他人に貸してありましたが土蔵の一つはそのまま。ひんやりとした土蔵の雰囲気がよみがえってきます。そういえば古い手回しのレコードがあって「酒呑童子」の歌をよく聴いたっけ。また近くにはいとこにつれられてセミ取りをしたり盆踊りを見たりしたお宮さんも当時のまま。たまらなく懐かしい思い出の地です。





  11月18日 (木)
天気予報では午後から天気が崩れて夕方には雨になるかもしれないという。こんなにいい天気なのにもう少し続いてほしいと思うのですが、これはやっぱり秋の空??
今日から3日ほど富山へ。従って更新はお休みです。





  11月17日 (水)
朝は例によって深い霧。そのもやもやの中で、巻いてきたレタスの葉に白い氷がびっしりとついていました。初霜です。夕方のニュースでは記録的に遅い初霜だと報じていました。
霧が晴れれば輝くような晴天。この2,3日に降った雪で白くなった北アルプスが雄大なパノラマとなって眼前に広がります。
私の今日の予定は午前中にまずハローワークにでかけ失業認定を受けることでした。行かないと手当がもらえないので背に腹は代えられず、しかしカメラを持つことだけは忘れずに大町まで出かけました。
いつもながらハローワークでの相談と手続きは20〜30分であっけなく終了。こんな日はそのまま帰るのは実に惜しい。そう言ってはみたものの家では母がまもなく目を覚ます頃なのであんまり時間がありません。そこで大町を見下ろすことのできる東側の山に登ってみることにしました。
大町から白馬に近づくにつれてしだいに山の雪が多くなります。真っ青な空のもと、北アルプスはそれは見事な景観です。これだけは何度も書きましたが、どんなに写真で景色を切り取ってもその雰囲気を伝えることができないのです。もどかしいけれど。本当は山頂まで行きたかったのですが時間切れのため途中で引き返して帰途につきました。

さて、明日から日曜日にかけて富山と金沢にでかけます。年々母の体力が落ちてくるので長時間の車での移動がむずかしくなります。そこで高岡に住んでいる娘や金沢松任市の妹に会えるうちに会わせておこうと思い立ったというわけです。午後からはその準備をしながら、野菜などをどっさり買い込みました。



ところで話はがらりと変わってPCのお話です。数日前から断続的にLinuxのインストールに取り組んでおりました。注文していたTurbo Linux Homeという新しいコンセプトのソフトが届いたからです。
そこで、いままで構築していたTurboLinux10とWindowsMeのデュアル・ブートの環境をすべて消去してインストールしてみました。
インストール自体は簡単ですぐに終了。そこに現れたのはなかなかおしゃれなデスクトップでした。起動画面上の大きなアイコンですべてのソフトが操作できるという初心者向けの発想で作られていることがわかります。確かに見かけは新しいデザインで「筆ぐるめ」などというものまで入っていました。しかし何のことはない、いざ使おうと思うと結局昔のソフトがそのま起動したり、今まで愛用していたフリー・ソフトをインストールしようとするとうまくコンパイルできなかったりで何度も手が止まり、結局最後はギブ・アップ。デスクトップ機としてのLinuxの方向を示す意味では確かに意欲的なソフトではあるけれど完成度はイマイチですね。
そこで、今度はRedHatの後継のFedoraCore2をインストール。何度かやってみましたがこれも「新しもの好き」のFedoraCoreであるせいか新しいライブラリなどが入っていてフリーソフトが対応出来ていないみたい。これまた私の望みの環境に一向に近づいてくれません。
とうとう最後にまた前のTurboDesktop10にもどってインストールのやり直し。あれこれ試行錯誤の結果、何とか私好みのデスクトップ環境を作ることができました。それにしても何と時間がかかること。
これからの私の課題はStarSuite7の使い方(MicrosoftOfficeとよく似ているし互換性がある)や画像編集ソフトであるGimpの扱い方などを研究することです。Linuxのオハコであるサーバー機能までは敷居が高くて届かない。慣れてくればホームページをつくること以外はLinuxでやれるし、何しろかかる費用はOSくらいしかないからこれからはやっぱりLinuxかなあ・・・。と2年間も言い続けながらいっこうに進歩がありません。
ちなみに私がLinuxでいま使っている機能とソフトは以下の通りです。
OS : TuroboLinux10 Desktop & D2F...
IM : ATOKX for Linux
Browser Mozilla1.4
Mailer: Mozilla1.4 & Sylpheed0.9.99
Office Suite : StarSuite7
Graphic : Gimp
Sound : Grip3.0.7(mp3_Encorder with LAME) & XMMS1.2.10(CD,mp3,Streaming_Player)
PDF Viewer : Acrobat Reader5.0.9 & JapaneseFonts
DVD Player : PowerDVD for Linux, Real Player8
Game : Gnugo & cgoban(front end plyer)
ふう〜〜。


  11月16日 (火)
ようやく数日ぶりにすがすがしい青空が広がり、日差しを浴びていると汗ばむほどです。
今日は車の修理で農協から朝早く車を取りにきてくれたので遠出はできなくなってしまいました。外へ出てみると北アルプスが雲間から白い頂を見せています。昨日までの寒波でかなり雪が降った様子。雪を頂いた山肌は銀色に輝いてつい尾崎喜八の詩を思い出してしまいます。

あけぼのが裂ける碧落の下
壮烈に赤い開闢の日の出に
うれしげな瞼をあける花らがある
宇宙の波が岩角を洗う地殻の絶巓
藍青と雪白との永遠の境涯に
孤高を守ってしかもうひうひしい彼らは住む



こんな日は、農協から渋柿を買ってきてつるし柿をつくるに限る。さっそく実行です。一袋10キロほどで1000円もするのでちょっと買うのを渋ってしまいますが、食べるときのことを想像して思い切って二袋。軒先に吊すとこれはもう信州の田舎の風情です。今日母の世話に来たヘルパーさんの言うには信州での「クリスマスのリース代わり」だそうです。なるほど。





  11月15日 (月)
アメリカはファルージャでの作戦で市内のほぼ全域を制圧したと称しています。脱出できなかった住民が10万人以上。おそらくそれらはそう簡単には動けないお年寄りや子どもたちでしょうい。アメリカ軍の見境のない爆撃や砲撃、戦闘に巻き込まれて市民の中で何千人もの犠牲者が出ていることが報じられています。眉につばをつけて見なければいけないN●Kでさえも現地からのイラク人の報告としてそのように伝えているほど。一体どれだけの住民が死傷しているかわかりません。
ほとんどテロリストと化してしまったアメリカ軍の残虐行為が「アメリカ」という名で合理化・正当化されるこの現実をどう見たらいいのでしょうか。マスコミがひとくくりで「武装勢力」という彼らの実態をどこまで正しくつかんでいるのか。武装勢力=テロ集団という図式をつくることに必死になっているアメリカ政府と日本政府、日本の一部マスコミの犯罪性はもはや救いようがありません。殺し尽くし破壊し尽くして「アメリカ流平和」を構築するのだという恐るべき欺瞞。どこか広島・長崎に原爆を落とした米軍の姿を彷彿とさせます。
ベトナム戦争のあとラッセル卿らによるアメリカの戦争犯罪を裁く「国際法廷」がひらかれました。国際的な司法組織でもなく法的拘束力も持たないものではあっても、この国際法廷はアメリカの戦争犯罪を厳しく指弾しその後の世界秩序の形成に影響を与えた重要なイベントとして輝いています。さて、イラクでのアメリカの戦争犯罪を裁く力を国際世論はいまベトナム戦争当時以上に持っているのでしょうか。

翻って今日のニュースのトップは日朝実務者協議から帰国した日本側代表団の一連の報告をめぐる問題です。金正日総書記が先の日朝トップ会談で拉致を認め謝罪した以上は、北朝鮮政府当局者による犯罪の精算という意味でも外交上の重要課題であるという意味でも誠意ある対応をすべきことは当然のことです。しかしこれまでのところ、どれほど熱心に過去を贖罪し不信感をぬぐおうと努力しているのかはなはだ疑問に感じる対応策しか北朝鮮政府は示していません。拉致被害者の家族の心情を思えば外交的なあらゆる手段を使ってその真相解明にいっそう努力すべきだし、国際的な圧力をかけることも必要でしょう。
ただ、この問題をめぐって中国の原潜報道で見られたように「だから日本の武装が必要だ」とか「拉致問題が片づかない限り日朝正常化交渉は進めるべきではない」という一見勇ましい議論が勢いづくことには十分な警戒が必要です。ことこの問題に関しては日本政府のとっている立場はかなり一貫しているし方向を間違ってはいない。アメリカにも日本政府にも、さらに日本のメディアや御用学者さんたちに、イラクのあとは北朝鮮だというような乱暴な世論誘導だけは許してはならないと私は思います。


  11月14日 (日)
妻のお薦めで昨夜はNHKドラマ「輝く湖にて」を見ました。
日光中禅寺湖畔を舞台に、老年を迎えた夫婦が「老い」の不安とどう向き合うかが一つのテーマ。その二人の日常を突然破って4年ぶりに帰ってきた娘。老夫婦とその娘との長年の確執がもう一つのテーマです。
二人はその娘が連れてきた恋人の息子を預かることになってしまいます。「超」現代っ子の少年と「古い」二人が湖畔での生活を通して次第に心を通い合わせていく様が一つの軸としてていねに描かれます。その中で娘との確執もやがて融けて家族の絆を回復していきます。そしてそれは二人の「老い」を見つめる目が安らかで自然なものに変わるきっかけにもなっていくのです。静かに水をたたえる湖が二人の人生を優しく慈しむかのように輝く・・その映像も大変印象的でした。
冒頭、心臓をわずらう健蔵(健三)が妻に依頼された買い物に行きますが、その一つをどうしても思い出せない。茫然自失して何も買わずに帰ろうとして、今度は帰り道も失いかけてしまう。ようやくたどりついた家で惨めさにうちひしがれる彼の後ろ姿が身につまされます。まだ彼の年にはかなり隔たりがある(と思っている)のに私自身にもそんな経験が実際にあるからです。
少年と老夫婦が湖畔での釣りや料理などの日常を通してぎくしゃく・ちぐはぐした関係をしだいにほぐし、やがて深い心の絆を作り上げていくところはまるで灰谷小説を読んでいるよう。
心臓発作を起こした健蔵を目の前にして呆然としてしまう妻静江(八千草)。そうした老いと病いの恐怖を乗り越えていく二人の姿も最後には暖かく描かれ、人生の機微を感じてしみじみとしました。
杉浦さんも八千草さんも年から言えばこのドラマをまさに地でいっているようなもので、全くのはまり役ですね。彼らの年を考えれば、それは跳ね返って私や妻の年ということにもなります。
ところで、八千草薫という俳優との出会いはたぶん40年以上も前のこと。テレビで確か近松作品に出ていたのです。こんな素敵な女優がいたのかと思いましたものね。その若い彼女の容貌・しぐさに心をまるごと奪われ、それから彼女の熱烈なファンになったのでした。のり子さん、許して。


  11月12日 (金)
かつて高校に勤めていたときに受け持った生徒の一人でSさんという人がいました。控えめでとても優しい感じの女の子で、高一生だった当時の姿がいまでも浮かんできます。
いまはお子さんがその当時の彼女と同じくらいの年頃ですから、それから何年たったのでしょう。
夫君は全国障害者問題研究会の全国事務局長&日本障害者協議会理事・情報通信委員長というすごい肩書きの方。今年の夏に家族で帰省した折に我が家に寄ってくれて、いろいろな土産話を聞かせてくれました。何十年ぶりで再会した彼女、何となく面影を残しつつ、しかしまるっきり元気な「おばさん」になっていました。昔の彼女はそうとう分厚い仮面をつけていたらしい。
その夫君からつい最近「北欧ノート=デンマークの確信=」という一連の旅行レポートがメールで届きました。
彼が奥さんや友人たちと9月中旬に訪問したデンマークでの障害者の施設や自治体の取り組みなどを見聞した記録です。
断片的には読んではいたのですが、最近それに手を加えて一つのまとまったレポートにしたという連絡があり、あらためて読み直してみました。
障害者団体での要の役職を長く勤めているだけあって、障害者問題や福祉問題への切り口は多面的であざやか、最後まで飽きさせません。リラックスした筆致ですが、内容はとても刺激的で日本での障害者や高齢者の問題を考える上できわめて示唆に富んでいて、いろいろと考えさせられました。そして、ところどころ挿入されている写真の美しいこと。
内容は実物を読んで頂くのが一番ですから、ここでは書く必要はありませんね。それにしても、デンマークのいたるところで、人間が人間として生きる町というのはどのようなものかということを見せつけられ、さぞため息がでたことでしょう。しかし一方で、人間の社会である限り、かの国にできてこの国でできないはずはないという確信もまた文中からしかと伝わってくる報告でもありました。その思いがあればこぞ、この国での仕事にご夫婦を日々新たに向かわせていくのでしょう。活躍を期待しています。また楽しいお話を是非聞かせていただきたいものですね。
メールについては絶対に転載などしないように厳命されておりましたが、今回のレポートはウエブサイトにちゃんと収録されて公開されていますので、これをお読みの皆様も是非是非一度アクセスしてごらんになることをおすすめいたします。

北欧ノート「デンマークの確信」 by 金ベエ


  11月11日 (木)
午前中から台風並みの強風が吹きまくった一日。どんよりと曇ってはいるもののいやに暖かい。夜に入っても暖房さえいらないほどです。一体どうなってしまったのか。
朝、お向かいのOさんに会ったら英語の勉強会を先週と同じ金曜日(つまり明日)やりましょうと誘われた。「なかなか難しくて進まないね」というと「難しいとつい先に延ばそうとするから、やってしまいましょう」と念を押されて私も観念。午後からは一生懸命に予習をしておりました。
そこへパレスチナのアラファト議長の死亡のニュース。カリスマ的な指導者を失って求心力をなくしパレスチナ問題の解決がいっそう遠のくのではないかという観測がしきりです。ただ考えてみればイスラエルによるパレスチナ自治区への乱暴な入植や軍事攻撃、分離壁の建設と言った無法がアメリカの強力な支持のもとに続けられていることに困難の原因があるのであって、それはアラファト議長の存在と直接かかわるわけではありません。
Oさんと二人でいま読んでいるアメリカの研究者によるFPIFレポートにはイスラエル・パレスチナ間の問題について次のように書いたくだりがあります。

合衆国はイスラエルに対する戦略的・道義的かかわりを続けるべきではあるが、イスラエルが存在する権利ということと西岸やガザ地区の占領を支持することとの間には明確な区別がある。ワシントンの占領に対する暗黙の了解は、アルカイダが自己の優越性を示すために用いてきた反米過激主義とか反米感情とかをいっそうあおり立てる役割を演じている
従って今後率先してやるべきこととして、
・アメリカはイスラエルによるヨルダン川西岸やガザ地区の占領に対する財政・軍事上の援助をやめること。
・国連安保理決議が道筋をつけたようにパレスチナの自決権と交渉による解決を支持すべきである。
・中東に大量破壊兵器のない非武装地帯を創出するために努力を傾注すること。
・アフガンを含め国の再建と発展に必要な安全を保障するための多国間軍事力を強化すること。
・イラクから米軍を撤退させるためのタイムテーブルを直ちに作成するとともに国連を通して国の再建と発展をすすめる援助の道を開くこと。


全面的に事態を考察すればどうしたってこのような結論になるはずでしょう。
ファルージャの包囲総攻撃でアメリカ軍がまず攻撃したところが総合病院。一般民間人の死傷者の数がわからないように情報発信源を遮断するためだそうです。
それから見ると、どこぞの政府の首相のセリフ「(ファルージャ総攻撃を)成功させないといけないね」って一体何なのでしょうか。


  11月10日 (水)
今朝は霧もなくすっきりと晴れたよいお天気でした。朝早く目がさめたので、大好きな朝風呂にゆっくり入った後で外に出てみるときれいな朝焼け空でした。せっかくタマネギを沢山植えたのだから、ここいらで少しは雨も降ってほしい!!


午後、家庭菜園の土作りをテーマにした町の講習会に出席してきました。北安曇農業改善なんとかというところの所員の方が約1時間にわたってパソコンのプレゼン・ソフトとプロジェクタを使って解説されました。
何となく今ある土に肥料を適当にまぜて水をやってというようにいい加減に野菜を栽培している私にはかなり難しい内容の話でしたが、土作りの原理を理解するうえでは大変参考になりました。ただ、担当者が大規模農家の指導を主に担当している人で、家庭菜園というレベルからすると高度な内容であったために、実用的な話が乏しかったことが残念でした。
何と何が同じ科に属して連作してはいけないとか、この作物にはこの肥料がいいとか、どの時期にどんなことをすればいいかとかという私が知りたかったことについてはこれからいろいろ調べたり実際に作ったりして勉強をすることが必要です。
何しろいま踏み出したはかりですからやりがいはあります。大家さんから借りている畑もずいぶんと広いので、今日の話を参考にしてさっそく来年の準備に取りかかろうと思いました。
母を宅老所に送り出してからはずっと庭の畑仕事。あんまり計画的でなくあちこちにいろんな物をつくってしまったので、来年はどこに何を植えるか苦労することになりそうです。
講習会で白菜の病気の話が出たので、庭の白菜を一つとって割ってみました。なりは小さいけれどまあまあのでき。中はとてもきれいでこれなら煮物にも漬け物にもなりそうです。今夜はこの初物の白菜を使ってさっそく鍋にでもしましょう。


  11月9日 (火)
このところ日中暖かい日が続いているせいか、早朝に深い霧がたちこめる日が多くなっています。今朝もそうでした。たいていは日がさしてくると「雲散霧消」するのですが、今日はいつまでもしつこく煙っていました。それでも9時をすぎたころから日がさしはじめ快晴のよいお天気に。


昨夜テレビ朝日で放映された「石原慎太郎生出演」に時間をさいて、石原都知事と古舘キャスターとの会話を聞いておりました。
実際になかなかの存在感のある人物だし、それなりに流ちょうに自己流の論理を展開するので聞いている分には面白かった。
主張していることはこれまで言ったり書いたりしていることから一歩も外に出ているわけではないけれど、古館さんの挑発に乗って結構べらべらと問題発言をしていたので、現在の彼の主張を知る上では参考になりました。聞いていらっしゃらない人のために次にその一部(といってもかなりの部分)を私なりに記録したので読んでみてください。

11月8日 テレビ朝日「石原慎太郎生出演」記録

国会で強引に成立させた「国旗・国歌法」をたてに教員に「法律だから守る義務がある」と言う部分がありましたが、日本国憲法をほとんど無視しておいて「国旗・国歌」を「法律」に従って指導する義務を説くこの論法、めちゃめちゃですね。彼の中ではどのようにつながっているのでしょうか。
彼は日本国憲法の制定過程を自己流に短絡させて「人が作った憲法だから作り直せばいい」といともあっさりと言ってのけます。

「憲法なんてのはね、他人が作ったひとつの条文・文言でしかなくてね。現実に何が起こり人道主義にのっとって日本が何ができるかを考えた方がいいんじゃないの。私は憲法なんてちっともありがたいと思わないね。」

実に率直・明快。まさに彼そのもの、彼の本質ですね。日本国憲法の地方自治の原則に従って忠実に政治を行うべき都知事の言葉とすれば、すでに公僕としての資質も資格もないというべきでしょう。
「義務教育で師弟が身につけるべき素養・教養」の根幹は日本国憲法・教育基本法ではないのですか??石原さん。ギョギョッ?「国旗・国歌法」なんですか??
ところで、彼の言う「醜い前文」を持つこの日本国憲法は本当に「人が作った一つの文言でしかない」のでしょうか。

戦後、マッカーサーから改憲作業を指示された幣原内閣が基本的立場としたことはまず「天皇が統治権を総攬」するという原則には手を加えないということでした。つまり戦前の「国体護持」を最優先とし国民主権とか基本的人権といった民主主義原則には一切触れていないことが特徴で、明治憲法を部分的に修正するだけのものであったことでした。
憲法改正が問題となった1945年末以来各政党や民間側からも新しい憲法草案が発表され始めます。
政党では、自由党・進歩党は天皇制を維持したままの憲法改正要綱を発表。社会党は主権は国家にあるとする憲法改正要綱を発表、共産党も天皇制廃止・人民主権を骨子とする「新憲法の骨子」を発表していました。
一方で民間でも憲法研究会が「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」という憲法草案要綱を発表したし、これに満足できなかった研究会のメンバー高野岩三郎は国民主権に基づく大統領制(天皇制の廃止)をとる私案を発表しました。
これらの案の中で最後の憲法草案要項は国民主権を認めている点や天皇の扱いでGHQは高く評価しています。これは後の憲法草案にも影響を与えています。
天皇大権を維持した政府の調査委員会案が1946年毎日新聞のスクープで暴露されるに及んで、あまりに保守的な内容を知ったGHQは自ら新憲法の内容を示すことを決意することになります。そして1946年2月3日、マッカーサーはホイットニー民政局長に憲法3原則を示して憲法草案の立案を命じ、8日に提出された日本政府案を拒否するのです。

さて、こうした憲法制定過程をわずかに垣間見ただけでも、日本の保守層が一貫して守ろうとしたものが天皇制を柱とする「国体」であって、それまで世界の人々が到達していた民主的な成果にいかに無知であったかがわかります。同時に憲法制定にあたって国内でも議論が活発にかわされ、国会の最終段階で「国民主権」や生存権が明確に規定されました。この修正には極東委員会や国内外の世論、進歩的な人々の意志が込められていました。草案の作成はGHQであったとしても、その作成過程や最後の国会での議論にどれほど敗戦後の国民の意思が結集されていたかはかりしれません。
現在の保守勢力の前身である当時の日本の政府が新憲法を作る資質も能力も持っていなかったというのがことの真相です。
アメリカの押しつけと感じたり屈辱と感じるのは、それはすでに戦前の意識に立っていることの裏返しであり、天皇元首・軍事国家、「国体」復活という戦前回帰の妄想にとりつかれていることの表れでしかありません。石原流のレトリックも一皮むけば天皇を元首とする強い国家、軍事国家への思い入れがいかに現行憲法を障害としているかということを示すだけのことです。


  11月8日 (月)
ファルージャでの米軍の総攻撃のニュースが時折流れてきます。イラク治安部隊を全面に出して米軍は援護するのだと報じられていましたが、そんなことを誰も信じるものはいません。
「これから突撃する。悪人や犯罪人を根絶やしにするのだ。準備はいいか」と部隊に活を入れる米軍の指揮官をみれば、米軍による支配確立がこの作戦の本音であることは簡単に見て取れます。
これまでにファルージャでどれほどの市民が巻き添えで殺されたのか。何万もの市民がどこへ避難したのか、その人たちは今どうしているのか。町に残った人たちはどうなるのか。テロリストとレジスタンスの区別もつかず、一般市民とテロリストの区別もつけられなくなった米軍にとって町を制圧するとは残った人たちを皆殺しにすることでしかありません。
制圧の形はできても他の都市にテロリストが拡散していることは明白だし、こうした行動がますますイラクの人たちの怒りを増大させている以上、米軍は犠牲を覚悟しなければならないでしょう。
自分に気に入った政権をつくってアメリカの実質的な支配権を確立することは何もイラクがはじめてではありません。しかし、これほど多くの市民を殺戮して恥じない侵略行為もそうないことです。アメリカ軍の制圧作戦に対して日本政府はあいかわらずの盲従ぶり。そして、あたかもこれで香田さんを惨殺したテロの首謀者があぶり出されるといわんばかりのマスコミ。
いま展開されつつあるこの米軍の作戦は結局のところテロリスト大量生産運動にしかなっていないと私には思えて仕方がありません。

今日の午後、畑の草取りに出かけました。ちょうどタイミングよく畑を貸してくれている大家さんが田んぼの肥料を蒔きにやってきました。いつもなら奥さんがいっしょに作業するのだが忙しくて来られない、やむなく一人で手作業で肥料を蒔こうかと思っていたのだそうです。そこで私が助っ人を申し出て軽トラで肥料を蒔くことになりました。
私がトラックを運転し大家さんが荷台にのってそこから田んぼに肥料をばらまくという要領です。「人がゆっくり歩くくらいのスピードで運転してくれ」と言われても初めのうちはクラッチとアクセルのバランスがわからないでガクガクの運転。大家さんが荷台から転げ落ちそうな場面が2,3回ありました。さすがにちょっと運転すると慣れてきてあとはスムーズに終了。初めて田んぼ仕事の手伝いをしました。
聞いてみると、米を作っても結局は赤字。何をするにも莫大な費用がかかるということでした。詳しく聞かないとまだ理解できない話が多かったのでこれ以上はここでは書けませんが、現在の米作りには大変大きな苦労と矛盾があると推測されました。
その後は母が宅老所から返ってくるまでの間、畑の草取りをして夕焼け空を見ながら家路に。農夫の一日でした。


  11月6日 (土)
今日も朝からポカポカの小春日和。陽に照らされていると汗ばむほどです。遠くの山々は霞のなかに浮かんで見えます。ちょうど菊があちこちで花を開き道ばたを華麗に飾っていました。
午前中は妻のリクエストでコンニャクの製造実習をしました。ヘルパーさんが母の世話をしてくれる午後からは、二人であちこち見物に出かけました。畑、造成地、おやき村とお決まりのコースをたどったあと、今日は山沿いに車でゆっくりたどってみました。
まず道ばたで見つけた道祖神。藁のようなもので編んだ面白い屋根に守られてあの夫婦が寄り添う道祖神が祭られていました。それにしても安曇野の道祖神はどうして夫婦が寄り添って手を取り合っているのでしょうね。日本中でここだけなのでしょうか。形や表情はそれぞれなのですが、男女二人であることは共通しています。不思議です。
さらに北に進むとどういうわけか大きなボーリングのピンが。片田舎のへんぴなところにどうしてこんなものがあるのか理解に苦しみます。これはボーリング好きの妻に解明してもらわないといけません。それに隣り合うように相道寺焼の窯元がありました。かねてから聞いて一度行ってみたかったので、今日は庭先に車を止めて中に入り見学してきました。
小学生が多数実習見学に来ていたり、青年のグループが実習していたりとかなりにぎやか。ご主人と息子さんがあれこれとその世話をしている様子でした。これから機会をみて来たいのでそのときはご指導をよろしくとお願いしました。慣れてくると勝手にあがって焼き物を作っている人もいるとご主人。結構遠くからも通っている人がいる様子でした。
長福寺の紅葉といい、相道寺焼きといいい、この近辺はまだまだいろんな興味深い場所があるみたいです。またいつか歩き回ってみることにしましょう。


  11月4日 (木)
ブッシュが選挙人でも得票率でも過半数を制して再選を果たしました。もともとイラク政策ではケリー候補もそれほどの政策の差があったわけではなかったので、どっちに転んでも対外政策に大差が生じることはなかったというのは事実でしょう。しかし、私自身はこのブッシュ再選の持つ意味はまずアメリカ国民自身にとって、次にイラク国民、さらに世界の人々にとって次第に明らかになってくるような気がします。不幸な選択をしたというのが私の率直な印象です。
イラクでのアメリカの状況を「第2のベトナム戦争化しつつある」と評する向きがあります。はまりこんで足が抜けなくなっているという点で現象的には当たっていますが、根本的な点で異なっていると私は思っています。
ベトナム戦争が重大な局面を迎えるのは1965年前後でしょうか。ちょうど私が大学2年生の頃でした。そのころにアメリカは泥沼化した状況を打開するために北ベトナムを絨毯爆撃し始めるのです。
ベトナム戦争はアメリカがソ連を中心とする社会主義国封じ込め政策を世界的規模で展開し、南ベトナムを「反共の防壁」の一つとして支配下におこうとして介入を始めたことに原因があります。
当時は「冷戦」の真っ最中でアメリカの国益=社会主義との全面対決・封じ込めという図式が一般的でしたから、その盟主として「自由主義陣営」を守るという「大義」を掲げることは可能でした。
冷戦構造下では国連もこれに対しては何もできず、アメリカ国内でも現在のような反戦運動があったわけでもありません。
一方南ベトナムの民衆は早くから民族解放戦線という統一戦線組織を結成してアメリカ侵略軍と果敢にたたかいました。
民衆の力をみくびったアメリカは次第に泥沼に入り込んで行くことになります。追いつめられたアメリカはそのうち「解放戦線」=「北ベトナム」という使い古されたパターンで北への無差別絨毯爆撃を展開しはじめます。そうすればするほど国力を消耗し犠牲者を出し、結局サイゴンの陥落で敗北を決定的にするという展開となりました。
何よりもベトナム民衆はその力を結集する組織をはじめから持っていました。よく組織され人間的魅力にあふれ士気の高い解放戦線は世界の革新陣営の一つの希望として高い尊敬をあつめていました。
アメリカからすれば泥沼でもベトナムからすれば一歩一歩解放に近づいていたわけですから、国際紛争や戦争は両面から見てみなければなりません。

現在のアメリカのイラク介入戦争はベトナムとは違った意味で汚く危険な戦争になっています。テロに対する報復という名目で関係のない国に戦争を仕掛けている。「テロとの戦い」という名分がすべての民衆を敵にしてしまうという論理構造をもっていることを日々証明している。一つの国をボロボロにしておいてその民衆の怒りや悲しみを増大させ、それがテロの温床になっているということを決して理解できない。テロはイラク国内だけでなく国際的に広がり、際限がなく、規模も全く予想できない。
アメリカ国民もまた多くは「テロの恐怖」に足を取られて世界の動きやその本質に全く目が向いていません。そしてさらに重大なことは、その政治的な意図に隠れて資源を中心とした利権の獲得がある。汚さはこれで倍加しています。これもまたアメリカ国民には知らされていない。これではベトナムとは比較ができませんね。それより遙かに危険な戦争にアメリカは深入りしつつあり、世界の人々は味わったことのない恐怖と隣り合わせにされつつあるのです。
従ってブッシュの再選は世界を新しい困難と危険に導こうとしているように私には思えます。


  11月3日 (水)
早朝の深い朝靄が朝日に照らされて急速に消え青空が広がってきます。今日文化の日はよいお天気になりそうです。
朝8時から今年度3回目の集会所の草取りです。町内の人たちが定刻には全員集合し、敷地内の草を取っていきます。どちらかというと手より口の方がみんなよく動いていました。この季節ですからそれほど茂っているわけではないのですぐに終わり。今回の草取りは町内の人たちのコミュニケーションの機会という方があたっているかもしれませんね。
帰ってからたまたまテレビを入れるとNHK教育の「わくわく授業スペシャル」という番組が入りました。島根県比田のある中学校で英語を教えている田尻先生の授業です。
自分の感じたこと・考えたことをどうやって英文として外国の人に伝えるのか楽しく巧みに指導していく先生。自分でしらべ聞き学んでしだいに自分の表現をつかんでいく生徒の輝くような表情。その先生にしてその昔はただ教科書を読み教え込む「格闘技」のような授業をしていたといいます。言葉というものが生きたコミュニケーションの手段なのだと理解すれば生徒たちは自ら学びはじめる・・そうした実践を見事に証明している感動的な授業でした。

午後1時から土地造成現場で建設責任者の社長と最後の打ち合わせをする予定になっていたので、母を連れてでかけました。
すでに井戸の水抜きをしており深い井戸のほとんどの水がいったん抜かれていました。それでも常時一定の水がわき出ていてモーターで排出されていました。まだかなり水の臭いが残っているので、これから10日に一度位ずつ水抜きをするために出かけなければなりません。水抜きを繰り返せば工事の際の汚れやコンクリートのアクも抜けてどんどんきれいになっていくはずです。早く飲めるくらいにきれいになってほしいものです。
まわりにラベンダーを植えたいのだがと言うと、ラベンダー・ガーデンの社長だけにすかさず「いいよ全部進呈するよ」と気前のいい返事。ラッキーでした。「池田には植木屋さんっていないのかねえ」と言うと「私をさしおいて何を言っているんだ。池田でもっとも古い一級造園師が目の前にいるではないか」とあっさり言われてしまいました。なかなか心強いことでした。社長さんよろしくお願いしま〜す。
そのあと社長に紹介してもらった長福寺(造成をしている土地から車で1分くらいで社長さんの家の隣です)に紅葉を見に行きました。いままで近くにいながらどんなお寺なのか全然知りませんでした。ところが行ってみてびっくり。大きい。広い駐車場を持ち立派な本堂のある曹洞宗のお寺で、大きな銀杏やもみじがすばらしい色合いを見せていました。カメラマンが何人も来て撮影中。これは写真になります。銀杏の葉が風に乗ってハラハラと舞い散り、斜めからさす陽の光に輝いていました。下は黄色一色の落ち葉の絨毯。母とおやつを食べながら車の窓からしばしの紅葉見物でした。

3日午後5時半現在ではブッシュ249人、ケリー242人。大接戦となっているアメリカ大統領選挙の選挙人獲得投票における中間結果です。
各州ごとにまるごと一人の候補の選挙人を獲得するという選挙制度も面白いというか変というか。たくさんの州があるからまだ矛盾がかくされているのでしょうが、少数政党の候補者は全くカヤの外。TV演説や討論会などで対立点を明確にしながら次第に煮詰めていくという意味ではそれなりの意味はあるかもしれませんが、それにしても2大保守政党のための選挙制度です。あと残るアイオワなどの州の結果で決まるといいますが、アメリカにとってはきわめて重大な選挙。いずれにせよ有権者の「民度」が問われることになるでしょう。


  11月2日 (火)
昨夜、思いがけない人から電話をいただきました。先の富山の県知事選挙で候補者の一人であった方です。私のもと仕事仲間である彼は4党連合を相手に戦い抜いたのです。結果、破れはしたものの富山の地に革新の火を広げることに貢献してくれました。
彼は電話の中で「ポスターを張りだして全県民に顔を知られてしまった。立ちションもできなくなった」と言って笑っていましたが、知事選挙のスケールを考えればその間どれほどの努力や心労があっただろうと思います。
その選挙で、私が妻を通してわずかなカンパを届けたことに対して丁寧にお礼の電話をかけてくれたのでした。長い間の無沙汰・不義理を詫びねばならないのに、気持ちよく気さくに電話してくれた彼の声を聞いて本当にうれしくなつかしく思いました。10数年の歳月が流れてはいるけれど話をしているうちにそれは一気に縮まって、いつしかかつての仕事仲間という気持ちになっていました。話をしているうちに一緒に仕事をしていた皆さんの顔がどんどん浮かんできました。恥ずかしい思いを横に置いても近いうちにきっと会わなければいけないなと思うようになったのは前進なんでしょうか、H恩師大先生。いずれにせよ、私自身の再起をうながす「歴史的な電話」であったことは間違いありません。



さて、今日は母の定期検診の日。最近の母は手足が不自由になったためかひところの朗らかさが陰をひそめてしまっています。比較的しっかりしていた過去の記憶もたぐり寄せることができなくなっており、その日その日の繰り返しだけ。たぶんそばにいる私のあり方が大きく影響を与えているのでしょう。私がいままでやってきたことは単に狭い意味で世話をしてきたにすぎないのではないかという思いが強くなっています。
介護というのはそばにいて食事や排泄などのいわば生活の基礎的なことだけをやっていればいいというものではないのですね。最近、母のメンタルな側面、記憶や気分といった側面が後退していることを目の当たりにして、それに私自身あまり重点を置いてこなかったことを強く意識させられるようになりました。
ここ一年ほどの間に、古い写真を撮りだして一緒に見ていてもあるいは母宛に届く友人からの便りを見せてもそれが誰なのか急速に判断できなくなっているのです。
これはどうしても近いうちに、まだ何とか歩けるうちに古い友人や親戚と会って一緒に過ごす時間を持つべきだし、毎日の生活に記憶に刺激を与える日課を付け加えなければならないと考えさせられました。




  11月1日 (月)
ゆうべから気温はかなり高めで今朝もずいぶんと暖かく感じました。しかし残念なことに昨日から小雨がぱらつき、外はまだどんよりとした曇り空。
例によって直売所に牛乳を買いに行くといつものおばさん、私の顔を見て「こんなものが出たよ」とすかさずある野菜を紹介してくれました。その名も「ヤーコン」。
説明書によればアンデス原産の菊科の野菜(根菜らしい)で、見かけはさつまいもだが実際は梨のような歯触りでシャキシャキした食感の食べ物らしい。サラダにしてそのまま食べてもよし、天ぷらにするもよしいろんな食べ方があると書いてありました。
新しもの好きの私としては買わない手はない。一番安いものを試しとして買い入れさっそく家で皮をむいて食べてみました。味のないレンコンという感じで、クセがなく水分が多くて食べやすい。オリゴ糖をたくさん含んで血圧降下にもいいらしいし、健康食としても注目を浴びているらしいのです。
そこへちょうど宅老所から母を迎えにきてくれた若い可愛らしい女性が入ってきたので試食してもらいました。
私が「見かけはサツマイモだけど、中身はちょうど穴のないレンコンみたいだね」と言うと、その女性はポツリ一言「じゃオスだね」。
「・・・???」意味不明で私はしばし考え込んでおりました。



ちょっとパソコン関係でお金を使ってしまったので、手持ちのパーツ類をオークションに出そうと思っているのですが、結構気をつかうんですね。これはボチボチとやっていくとして、このページを読んでくださっている方でリンナイ製の都市ガス用ガス・ストーブをご入り用の方はいらっしゃいませんか。あるいはお知り合いの方でも結構です。
実は東京で使っていたガスストーブを池田に持ってきたのですが、こちらはプロパンですので全く使えません。オークションではほとんど値がつかないので、ご入り用の方に差し上げます(送料だけ持ってくださいね)。かなり古いものですが、まだ十分使えるし石油などよりはるかに熱効率が高いので暖まります。どうぞ遠慮なくご一報ください。早い者勝ち??







"Christmas Card For You" by Mr.Blue Piano Man


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