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3月31日
(水)
弟が生きていれば今日で56歳になります。腹腔内の中皮腫という極めて特殊なガンの一種であったために診断が遅れ発見されたときにはすでに末期という最悪のケースでした。X線技師であったためにその深刻さを受け止めていたとはいえ、まさか命取りになるとは思っても見なかったでしょう。
告知を受けてからの彼の身の処し方はまったく頭が下がるほど冷静なものでした。心の中ではどれほどの葛藤や苦悩があったかはかりしれませんが、見舞いに行ったときでさえ表に表そうとせず、ひたすら家族のことを案じていたものでした。家も新築し娘ももうすぐ大学を卒業、いよいよ自分の人生を楽しもうという矢先だっただけにどれほど無念だったことでしょう。
父も胃ガンのために67歳で他界しています。病気ひとつせず安心していたためか健康診断をおこたって、気がついたときはこれまた末期。術後に見せてもらった組織はもうこぶし大の大きなものでした。ガンの傾向があるとすれば私も例外ではないわけで、健康診断だけはともかくしっかり受けておかなければと思っています。
人間はまだガンとのたたかいで勝利しているわけではありません。おそらくさまざまな部位に巣くうガン細胞と戦うには人知・財力を尽くしての研究・実験が必要でしょう。一人の人間が生きながらえるための人間の数や費用を累積すると一体どのくらいになるのでしょうか。
今月の初め3月8日は国際婦人デーでした。この日を記念するアナン国連事務総長のメッセージを読む機会がありました。そのメッセージは次のように始まっています。「私たちはHIV/エイズで全地球的に女性が被っている桁外れの犠牲を直視しなければなりません」
先進国ではガンや心臓病とのたたかいが急務となっていますが、地球的な規模ではエイズもまた恐ろしい規模で蔓延している病気の一つです。」
さらにメッセージは女性からその子どもへという悪循環がすすんでいることを指摘して次のように述べています。「今日サハラ一帯のアフリカでは成人のエイズ患者半数以上が女性であり」「24歳以下では少女と成人女性でエイズ患者の3分の2を占める」
人間はただ死を待つために生まれてきたわけではありません。生を受けたからにはだれもが人生を楽しみ、生活をつくり、人間としての生をまっとうできる権利をもっているはずです。弟の死はたった一人の死ではあるけれど、人間が人間として生きるということはどんなことなのかを問いかけ、そして人間の生と死という問題に私を向き会わせずにはおかないのです。
3月30日
(火)
明日と明後日にかけて住民票を池田町に移動。それに関連して金融機関その他の手続きも行うことにしています。私が長野にでかけるため、母は今日からショート・ステイです。いつもセンターの方が迎えに来てくださいます。何度も利用してきましたが、毎回ていねいに対応してくださっているので感謝感謝です。おかげで私は安心して外へ出たり引っ越しの準備ができます。
母は以前は何かと理由をつけて介護施設に行きたがりませんでした。曰く「施設にはボスがいていじめられる」。どうも老人施設に入所していた親しい友人から聞いた話が断片的に頭にこびりついているらしく、いつもその話を持ち出して抵抗していました。しかし、よくして頂いているのがわかってきたのか、最近はほとんどそれを理由にはあげなくなりました。
次にあげる理由は「あんたと離れたくない」。何でもやってもらっている快適さから離れる不安が大きいらしいのです。「ヘルパーさんが待っていてくれるんだよ」「私はこれから大事な仕事があって遠くへでかけなければならないから」と言うと、これもだいたい納得してくれるようになりました。自分が誰かにとって待っていてもらえる存在であると認識できることは大変大切なことだと思います。介護保険が施行されてからの4年間は大変優れたケアマネージャーと介護施設に恵まれて、いつも母のことを気遣ってもらえました。
ところで、現在の日本の介護は大半が家庭の負担による在宅介護です。とくに女性の犠牲的な負担によって介護が担われていると言ってもいいでしょう。介護に疲れて心中したり殺人におよんだりという悲劇さえあるくらいです。介護保険を使いたくても利用料が払えず我慢するという高齢者が増えていると聞きます。政府・自治体は果たしてその実態をどれほどつかんでいるのでしょうか。在宅介護は自治体・介護業者のみなさんの協力がなければできないことです。施設を運営する人たちや家庭に派遣されるヘルパーさんの努力によって現在の介護の多くが担われているわけですから、政府の責任による介護報酬の引き上げや待遇の改善はまさに急務といえるでしょう。
3月29日
(月)
今日はちょっと花曇り。まもなく3月も終わりです。年度末を迎える事業所なども多く、また人事異動の季節でもあるわけで、大勢の方があわただしい毎日を過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。何だか毎日ゆったりしていると申し訳ないような気がしてきます。
昨日は母を連れてお花見に行ってきました。車で30分くらいのところに野津田公園という大きな公園があり広場や運動施設、散歩コースなどがあって休日ともなると家族連れでにぎわいます。緑に囲まれたとてものどかな場所で、私のお気に入りのスポットなのです。
母がまだ東京に来た直後は歩いて散歩したものでしたが、今はもう車いすばかり。しかし、子どもたちがたくさんいるので、ひょっとしたらと思って杖を使って歩いてもらいました。一人では前進しませんが、普段よりは気持ちがシャンとしているせいか、よく歩いてくれました。まわりの子どもと話したり楽しそうに見ていたり結構気晴らしになったようです。その疲れなのか今日は全然おきてくる気配がない。いいことは続かないものです。
さて、昨晩はビデオで「JFK」、日曜洋画劇場で「パール・ハーバー」とたてつづけに2本映画を見てしまいました。
「パール・ハーバー」は、史実の一部を適当に切り取ってセンチメンタリズムとロマンチシズムをミックス、ただアメリカ国民の「愛国心」に訴えかけようというだけの安っぽい映画でした。「タイタニック」とは比較にならない。9.11と重ねて考えると一体どんなことになるのでしょうか。
それにくらべて「JFK」は実写を交えながら克明にケネディ暗殺の深部に迫ろうという最高の力作。昔からこの映画は知ってはいましたが、ついに見る機会を逃してしまっていたものでした。ケネディ美化の傾向は一つの弱点ですけれど、国家権力による犯罪という視点でアメリカの暗黒部分に肉薄していく姿勢はそんなことなど感じさせないほどです。
映画のラストに流れる次の文は作者・監督・出演者が万感の思いを込めて若い世代に送ったメッセージなのでしょうね。
「過去の出来事はプロローグである」「この作品を真実を探求する若者にささげる」
3月28日
(日)
すばらしい春の太陽が戻ってきました。少し高台に登ると遠く冠雪の丹沢山系がみえます。空気さえ澄んでいればその向こうには富士の頂が見えるはず。
昨日は母の定期検診の日だったために、ちょっと早起きして周りを散歩してきました。長く住んでいても近くのことは案外と知らないものですね。すぐ近くにうっそうとした竹林があるのも知らず、農家の庭先にいろんな花が咲き誇っているのにもちっとも気がつかずにいて、いったいこの10年何をしていたんでしょう。散歩といえばおきまりのコースばかりで、もう少し範囲を広げて見るべきでした。そうはいっても、ホームページのために花の写真をとろうという目的が生じて初めて行動半径がひろがったんですから、遅ればせながらも得をした気分。
母のかかりつけの病院は横浜市にちょっと入った山の中にあります。途中何度も車を止めて景色に見とれていました。ソルダムの木だと農家の人がいっていましたが、畑一面それは見事な白い花が今を盛りと咲いていました。すぐ前には菜の花。杏のピンクの花が遠くに見え、それらが青い空に映えてこれ以上ないようなコントラストをみせていました。
桜もようやく3分から5分咲きです。途中見事な「しだれ桜」を見かけました。この木だけは満開。寝転がってお花見でもしたくなるほどの陽気でした。
のほほんと暮らしている私に比べて、教室ではいま春の講座もたけなわ。もと同僚のみなさんはどうぞお体に気をつけて。また生徒のみなさんは新学期に向けてしっかりね。応援しています。




 
3月27日
(土)
思うところがあって、石原慎太郎著「亡国の徒に問う」を読んでおりました。例によって古本屋で買って積んでおいていたものですが、最近の彼の発言がまたまたいろいろなところで話題を呼んでいることもあって少し系統的に見てみようという気になったわけです。他にもたくさんの著作を書いていらっしゃるのでいずれまた読んでみようとは思っていますが、彼なりの考え方を知るにはこの本の前半とくに「溶けていく日本」で十分です。
彼のそもそもの原体験は「敗戦という屈辱」という言葉に端的に示されています。「戦後日本にやってきた絶対的統治者としてのアメリカ」によって「我々は精神構造だけに止まらずその下意識までをも改竄された」(12ページ)。その結果「自分自身への責任の放棄をこそ最高の理想として謳った国家の規範が暗示象徴するように、それが我々の下意識にもたらしたのは、いかなる無責任、いかなる変節をも許され得るのだという国民全体の暗黙の合意でした」(13ページ)とつづきます。「国家の規範」とはもちろん日本国憲法のことです。押しつけ憲法論の一つの極端な例ですね。「そしてそれを決定的にしたのは天皇の不退位だった」と断定します。天皇にはその意思があったが米軍が許さなかったというわけです。天皇の問題はここでは脇におきますが、その戦争責任にはもちろん一行たりとも触れていません。むしろ天皇は「神秘的な」「日本の文化の核たる神道の最高の司祭」であるべきだと主張されていることは知っておくべきでしょう。(30ページ)
さて、「決定的な自己放棄による他力本願を民族の新しい性惰として培ってしまった」日本人は「自立という、国家民族としての最低限の自らへの責任の履行をもないがしろにしてきました」(18ページ)「近代文明に関する歴史の原理は、まさしく帝国主義原理であって・・食うか食われるかの民族対民族の相克でしかなかった」「大切なことは『戦争』に象徴される弱肉強食の原理が人間にとって不可避な属性であるということをまず知ることでしかない」(21ページ)そして、「家族なり企業組織なり国家なりという、不可避の連帯」をとりもどし「価値に関する基軸を取り戻す」(31〜32ページ)ことが日本を立ち直らせる道だと説かれます。
尖閣諸島をめぐる問題もこの本ではきわめて大きなスペースで取り上げられています(「尖閣諸島、あの島を失うまい」)。いやこの問題こそ彼の青嵐会時代を経ての主張を例証するものだといえるでしょう。彼の「思い詰め」や苛立ちは並のレベルではありません(38ページ)。当然、都議会での発言「軍事力をもって拿捕するなり撃沈するなり・・」もその延長線上にあります。
彼の主張、論理が都民に受け入れられているとは思いませんが、何ゆえにこれほどの支持を得るのか。私なりに言えば彼の「マッチョさ」ですね。彼のナショナリズムを震源とするアメリカへのいらだちや批判が、ある場合には小気味よく展開されます。また官僚批判があり、家族・国家という問題でのそれなりの歯切れ良さがある。筆もたつし何より石原裕次郎という強い味方がいます。
彼から見たら私ごときはどうなるのか。前後民主主義の教育で育っていますから「日本人の原形をとどめ」ず、「いたずらに個人の権利を主張」し、「他力本願で卑屈で受動的な民族的性惰を培」った「白痴的」「馬鹿」ということですかね。
日本の政治風土が次第に彼のような政治家を必要としてきているように思えます。無視することはできません。しかし一皮むけば、その実態は上で見たように自立軍事帝国日本を指向する超ナショナリストですから、誰の立場でものを考えるかという視点を忘れず彼の論理と対峙する必要があるでしょう。  
3月26日
(金)
イスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区でのヤシン師殺害から数日たちました。この間、イスラエルによる国家テロとしてこれを糾弾する声が国際的にも大きな広がりをみせました。アラブ諸国は当然としてEUや国連事務総長の厳しい批判も続きました。では、この事件を聞いて日本政府はどうしたか。事件直後は「双方自制を」だったのに、国際的な批判の高まりを見て「無謀な行為」に態度がコロッと変わった。まるで屋根の上の風見鶏のようで本当に情けない!!
イスラエルの論理はアメリカのイラク攻撃の論理と全く同じですから、もしアメリカがこれを非難すれば自分自身を非難することになるわけでとてもできっこない。年間18億ドルの軍事援助(プラス12億ドルの無償経済援助)を続けているブッシュとしては、シャロンはもはや一つの胴体から出ている二つの首のような関係なのでしょう。
イスラエルは現在ヨルダン川西岸にパレスチナ自治区を取り囲んで高さ8mの長大な壁を建設中と報じられています。先日も生々しい映像がテレビで映し出されていました。
「新しい壁が1949年の休戦ライン、つまりグリーンラインの上に建設されるのはわずか11パーセントにしかならない。計画中の大半の壁が西岸内部深く喰い込んでいる。最大のところで22キロ喰い込み、イスラエルの入植地アリエルを取り囲んでいる。」[ソースへのリンク]
さんざん、痛めつけられ苦しめられてきたパレスチナの人たちにとって、ヤシン師を失った悲しみや怒りは私たちが想像すらできないものかもしれません。ある人は「首長ヤシンは私たちの革命のシンボルでした。彼はアラビア人の愛国者でした。また、私たちはそのために彼を愛していました。」とその死をいたみ、さらにパレスチナの多数の若者が自爆テロに志願したと伝えられています。[ソースへのリンク]
こうした出来事を見たり聞いたりすると、もはや世界は終末地獄で、なるようにしかならないのではないか、いったい自分たちに何ができるのかという悲観論に陥りがちです。私も正直に言うと時々そうなるんですけど、そうなったときは、本とかインターネットで「知ること」にもどることにしています。
最近私が目にした一つのことだけ紹介しましょうね。それはイスラエル軍の予備役将兵の中に軍務拒否宣言をする人たちが増えているということです。それを支持し応援する人たちもまた増えています。
その人数は公表されているだけで598名。2002年1月に52名で出発し2月末には280名でしたから、すでにその倍以上になっているわけです。逮捕・投獄という最悪のケースも覚悟しながら写真・手記さえ公表している彼らに本当の人間的な勇気を教えられた気がします。[ソースへのリンク]  
3月25日
(木)
ぐっすり寝た母は、ようやく普段の落ち着いた調子をとりもどし、歌やテレビを楽しんでいます。しかし、テレビの向こうとこちらの区別がつかないらしく、私が部屋に入っていくと「いま大事なお話をされているから静かにしなさい」とたしなめられます。男の子が床で横になったシーンがあるとテレビに向かって「だらしない格好はやめなさい。ちゃんとしられんか」と大声で注意。
またあるときは「アコムってなに?」と聞くから「消費者ローン。昔で言うと高利貸し・・だね」と返事すると「ああ、氷菓子・・お菓子ね」。とにかく万事母の方が何枚も上手であります。好きな「水戸黄門」をかけ声をかけて見ているので私はちょっと買い物に。アコムっていう氷菓子でも探してくることにしますか。

 
3月24日
(水)
昨夜の日テレ開局記念「黒の回廊」(松本清張原作)。米軍支配下にあった終戦直後の沖縄の現実を今に引きずって生きる主人公たちが、過去の現実の苦しさ悲しさゆえ結局殺人事件を引き起こしてしまうという筋書きでした。ちょうど妻の日記の記述とも重なっていて、いたたまれないような気持ちになりました。
私は一昨日から例によって母に振り回されっぱなし。
母の精神状態がかなり不安定になっていて、なかなか寝てくれないのです。おきている間は妄想に支配されていてつきあうのが相当にしんどい。
まず一昨日ですが夜になって寝かせてもまた起き出してきますので二人で遅くまで起きていました。私は3時頃に布団に入ったのですが、ふと気がつくと母がベッドのかたわらで子どもを相手に授業をやっています。完全に過去の教師時代の自分になりきっているんですね。どうもこの行動はテレビとか夢とかが引き金になることが多いみたいです。大きなはっきりした声でやるものだから、私はとても寝ていられない。「となりに迷惑だからやめて寝なさい」と無理矢理布団に押し込めます。しばらくおとなしくしているのですが、また布団から出てキッチンまで行きそこでまた授業が始まります。何度か押しくらまんじゅうをして、私も根負けし寝てしまいました。朝気がつくとそのままでしたから、どうやらほとんど寝ていないらしい。
昨日になって今度は友達と会わなければならないとか、子どもがそこに何人もいると言い出してどうも落ち着きません。お風呂に入れ食事をすれば寝るかと思って実行しても今回はだめ。こうなったら眠くなるまで根比べです。
夜中の12時。私がいつもいる居間のとなりが母の寝室なんですが、そこでなにやら独り言。キッチンに連れ出してパジャマに着替えていると「おまえの頭の上にいる人を大事にしなければいけない」ともはや巫女さんのお告げのような状態です。適当に相づちを打って、私の方からは再び食事攻撃。夕方はほとんど食べてくれなかったのでそろそろお腹がすいてきた頃だろうとの推測のもとに好物の「ハチミツたっぷりの食パンと甘い砂糖入り卵焼き」をつくりました。ほとんど食べてくれました。お腹がふくれれば多分いままでの経験ではまぶたが重くなるという計画なんだけど・・・そうは問屋がおろさなかった。結局母の「研究授業」につきあわされて寝たのが午前4時。今度は完全に睡眠モードのようなのでようやく一安心です。しかし、いったん寝るといつ起きるかわからない状態になってしまいます。今度起きるときはケロッとすべて忘れて、朗らかで柔和な母に戻っているはずです。  
3月23日
(火)
かなり前のことになりますが、ある清掃業者から電話がかかってきて「おたくの床、布団などのクリーニングをお試し1000円でいかがでしょうか」と言う。通常はもちろんもっと高いわけですが一回だけ格安でやります。気に入ったら続けてくださいと言うのです。「一回だけならいいですよ。やってください」そう返事しました。
指定した日に大きな業務用の掃除機を持って業者がやってきました。フィルタを何重にも設定してじゅうたんの掃除から開始。その後そのフィルタをとって私に見せながら説明をしてくれました。「この白っぽいのが、オタクのフケとかヒフね。この黒っぽいのがダニの死骸とか土とかだね」ゲゲ、ゾゾオー。実に巧みにいかに目に見えないゴミ・ホコリが沢山あるかを説明していきます。つぎに布団のクリーニング。同じ掃除機で布団のこまかいホコリまできれいになるということを実際にやってみせます。約1時間。実にていねいにやってくれました。
フィルターの汚れを実際に見せられたら、お父さんなら腕組みして「ウ〜ム」。お母さんなら「きゃ〜〜」。高・大学生なら「なにこれ、ウッソー、しんじらんない」「きったな〜。チョーヤバー!」。小さい子なら「いや〜ん、こわ〜い」となるところでしょう。それくらい迫力がありました。いやいやそれくらい我が家が汚かったというべきか。普通の掃除機とどう違うのかと聞くと、吸入力と3重になったフィルタの構造だと言っておりました。実際にその機械を買うと30万円ほどかかるのだそうです。
さてこれらを見せつけられて私はどうしたでしょう。私は業者に言ったのです。「たしかに目に見えないゴミとかホコリはあるし、ダニなども沢山いるだろう。きれい好きな人は、ここまで見せられたらまず気持ちが動いて契約するかもしれない。でもよく考えると、そのダニによって皮膚があれたり痒かったりということも一度もないし、むしろ昔から人間はそうした微少な生物と共存してきたわけだ。私は家の中から徹底的にそうしたものを閉め出すより、共存する方を選ぶ。それを確認させてくれてありがとう。」キザですね。実はかな〜り気持ちが動いたんですけど・・・。業者は大変節度のある方で、押しつけがましいことは何もいいませんでした。
私だってきたないところにいるよりはきれいなところにいたいと思います。どちらかというときれい好きな方だと自分では思っていますが、悪さをするわけでもない微生物を閉め出すほど潔癖性でもない。この微生物や昆虫、小動物と人間との共存という問題はふだん思っている以上に重要なんじゃないかと時々思うんです。
後日談。妙な因縁で同じ種類の掃除機が今は私の手元に一台あります。  
3月22日
(月)
今日は冷たい雨が朝からずっと降り続いています。桜の開花も少し遅れるのではないかと思うくらいの寒さ。全く春は名のみの・・というこのごろです。他県のみなさんのところはいかがですか。
さて、私は一昨日から例の20日のイラク撤兵要求の世界共同行動のことが気になって各国の新聞をいろいろと調べておりました。それほどたくさん見たわけではありませんが、ヨーロッパではおしなべてトップ記事扱いだったように思います。悲しいかなせいぜい英語くらいしかわかりませんので、この記事が何の記事かさっぱりわからず結局スペイン語やフランス語を英語に翻訳して解読するなんてことをやっていると時間ばかり経って肝心のデータがなかなかあつまりません。新聞によっては各国でどのくらいの規模の集会が行われたかを書いているのですね。たとえば最もすごいのはイタリア。約200万人がローマに集結、イギリスでもロンドンで25000人、スペイン・マドリードでは10万人というように。もっとも日本については東京で3万人とか7万人とかという記事もみられましたから、かならずしも状況を正しくつかんで報じているようでもなさそうです。しかし、この日世界的にみて数百万人の人々が街頭に出て米英のイラク撤退をもとめたことは間違いありません。
日本では午前11時からの芝公園での集会には3万人、午後の日比谷での集会には前の集会からの合流組も含めて3万人と発表されていますから、首都東京では最低でも5万人規模の集会・デモがおこなわれたことになります。冷たい真冬並みの気温の中を集まり、それぞれの意思表示をされたみなさんには心からお疲れ様と申し上げます。
これらの集会に対するマスコミの扱いはどうだったか。もうすっかりご承知のように、聞くも見るもなさけない扱いでしかありませんでしたね。結局日本の大新聞は、情報を客観的に扱っている顔をしつつ、実は運動がもりあがらない方向へと巧妙に世論を誘導していく・・・これが基本的な習性になっていると思わないわけにはいきません。

    集会の写真1(Reuters Pictures)      集会の写真2(Reuters Pictures)  
3月21日
(日)
昨日はMikeや子ども連れの甥夫婦が来てくれて大変にぎやかにお別れパーティーもどきをやっておりました。 明けて今日は私と母だけの生活にもどり、いつもの介護の日課で一日が過ぎていこうとしています。
今日は掲示板での意見に関わって少し私の思い出話につきあってください。
私は大学を卒業するとすぐに名古屋市立のある定時制高校で教師生活を始めました。富山に転勤するまで5年間そこにいたことになります。
そこでは私の教師生活の原点とも言うべきいろんな出来事に出会うことになります。当時の教育課程がそうだったからかもしれませんが、その学校では4年間であらゆる教科を学ぶことになっていました。もちろん教職員でカリキュラムを検討し研修会もひらいてつねに生徒に何が必要かを考えていたのです。びっくりしたのは全員に数学IIIつまり微積・確率統計まできちんと教えていました。定時制ですから受験とはほとんど関係がなく、ましてや文理などの区別もありませんから逆に楽しく学ぶ工夫がさまざまに要求されました。生徒がこの程度だから教える教科もこのくらいでいいという妥協をしなかった。むしろいろんなハンディを抱える生徒だからこそ何とかしてそこまで引き上げようとしたのです。このことはその後の私の教師生活に大きな影響を与えました。
昼は看護婦をしている同じくらいの年の生徒や、製造現場で働いているおじさんが学生服を着て私に「先生」とやるのですから面食らいます。4年間一日も休まずに通う生徒は一人や二人ではないのですね。昼働いて、学んでそのまま夜勤という生徒もいるのです。高校卒業の資格がほしいという直接の動機があったにせよ、それ以外の学ぶ意味を彼らは求めていたと思います。文化祭でクラス対抗の演劇をやりましたが全部自作自演のオリジナル。ほとんどが自分たちの生活のあり方を問う、それはそれは質の高いものでした。教師もまた裏表無くよく議論しあい、それゆえ本当に仲良くいろんなことをしました。若い教師(私含む)は4人でコーラスグループを結成して男声4部の楽しい合唱曲をたくさん発表したりもしました。教師も生徒も一人一人実に個性的で自分の顔をもっており、定時制をこよなく愛していました。思えば古き良き時代という気もしますが、確かにそのような学校があったのです。
その学校は一つの学校の定時制課程ということになっており、全日制課程とは校舎も別でした。私はその全日制の音楽課程という変わったクラスもまた受け持たされていました。夜の仕事を終えて次の日朝早くから出かけなければいけないのですが、なにぶん大学出たての若い独り身。寝坊してはタクシーでかけつけたり、ひどいときは目が覚めたら授業が終わっていたという言うもはずかしい体験もありますが、生徒も教師も駆け出しの私を実に暖かく見守ってくれたものでした。
高2のそのクラスで微積を教えていたときのことです。今では教科書にさえない微・積分の基本定理をしっかりとやっていたのです。ずっと考えていた私なりのやりかたで1時間かけてじっくりと定理を証明していきました。静かで異常なほどの集中。定理の証明が大詰めに近づき最も重要で華麗な結論が導かれた瞬間、生徒の口から「アッ」という声が漏れたのでした。そして授業が終わったときどこからともなく拍手が。これは私にとって生涯忘れ得ない思い出となりました。将来の芸術家の彼女ら(男子生徒は一人だけいた)にせがまれてギターを片手にすぐ近くの森のある公園で青空教室(実は歌をうたって遊んでいた)という「若気の至り」としか言えない冒険もやっていた。知っていながら黙ってにこにこしている教師たちの懐の広さ。今から考えると背中に冷たいものが流れます。 この当時の仲間である教師たちに私は長い長い間不義理をしておりました。近いうちに連絡をとり必ずやこの間の私の無礼・不作法の許しを請いたいと思います。

この後しばらくMIDIファイルをオンにします。ちょっと気分転換。うるさいと感じられたら一番下のコントロール・バーで音を止めてくださいね。  
3月20日
(土)
私はスポーツは全く疎い方ですが、18日の男子サッカー予選で日本チームがアテネ五輪への出場を決めたとか、プロ野球の選手がアメリカ大リーグで活躍をするとかのように、若い世代が着実に力をつけ世界に羽ばたいて行くのを見るのは楽しいものです。しかし、その一方で「日の丸」「君が代」をめぐる学校での状況を見ていると、これを押しつける人たちは本当にインターナショナルな感覚を持った青年を育てようとしているのか全く疑問です。「思想信条の自由」「内心の自由」を土足で踏みにじるこのようなやり方は最も教育の現場になじまないやり方ですから。都教委は、石原さんに頭をなでられたのか、石原軍団の一員になってしまったかのようです。
では都教委は何故にこれほどに強硬に、教師を処分してまで「日の丸」「君が代」を強要しなければならないのでしょうか。きっと日本国民である以上「国を愛する心」を持つべきであり「日の丸」「君が代」を通してその「こころ」を意識させるといいたいのでしょうね。これは間違いなくいつか来た道です。アジア諸国の人々は身をもってそれを知っているから、政府や文科省がこうした方針を強化すればするほど日本人はますます軽蔑され警戒され相手にされなくなる道理です。
さて、今日はイラク戦争反対の国際共同行動日。日本ではまだまだ行動の成熟が求められますが、行動を起こさないでは何もはじまりません。数年前までフセイン政権を積極的に後押ししていたアメリカ。証拠写真の一つは下のラムズフェルドとフセインの握手の場面。あるサイトでは現在のブッシュはモンキーレベルとのジョーク。ともあれ、今日は平和を願う世界の人々との連帯を感じることのできる一日です。
 
3月19日
(金)
東京の桜の開花宣言がおもしろかった。「10個ほど咲いていますから開花宣言ということで!」。なるほど一本の木でつぼみが10個くらい開き始めると開花ということになるんですか。その言い方も面白かったけれど、開花の定義がたいへんおおざっぱで楽しい。
今日は昨日とはうってかわってやわらかい陽ざし。母が昨日の疲れからか起きる気配がなかったので、奥様と二人で近くを1時間近く散歩してきました。数年前まで里山だったところは大規模に宅地造成され新しく見栄えのよい住宅がどんどん建設されていました。それにしてもどうしてこうもおんなじ形の家がずっと並んでいるんでしょう。家の形から玄関のつくりまで数件、ひどいときは10数件おんなじ。酔っ払って帰ったお父さんが隣の家に入ってそのまま寝てしまってもわからないほどの造りっていうのはどんなものでしょう。人ごとながら心配になってしまいました。
さて、中学・高校はまもなく春休みにはいるのでしょうか。季節もいいし学年の変わり目だから比較的余裕の持てる時期です。塾はすでに2月から新年度が始まっているわけですから春の講座の時期。新学年での素早いスタートを切るためにも是非しっかり頑張ってくださいね。  
3月18日
(木)
寒冷前線が通過したのか昼過ぎからは横殴りの雨が降ってきて気温が急激に低下してきました。富山の妻からのメールによれば今朝から大雪とのこと。蜃気楼があらわれるほどに暖かくなったのに、これはまたどうしたことでしょう。全く気まぐれです。飛行機の運航に支障がなければいいのですが。
私は蜃気楼は見たことはありませんが比較的富山湾に近いところに住んでいたので、毎日のように海釣りに行っていた時期があります。魚釣りはもちろん第一の目的ですが、それ以外に富山湾にいるいろんな生物と出会えるのがまた大きな楽しみでもありました。
ある日海岸を歩いていたら貝ともタコともつかない生物が打ち上げられているんですね。あとからそれが「アオイガイ」というタコの一種だとわかりましたが、はじめは何だか変な貝がいるなあと思っていたんです。でもよく見ると中にタコがいる。そのときは名前も知りませんから、ヤドカリならぬヤドダコかなと真剣に考えたのです。いまでもみられるのでしょうか。
ホタルイカは全国的に有名ですから富山の話題としてよくとりあげられます。6月頃キス釣りに海岸を歩いているとホタルイカの「身投げ」がよくみられました。身投げと言っても海に飛び込むのではなく逆に産卵を終えたイカが海岸に打ち上げられることをそう呼んでいるわけです。岩の間をゆったりと這っていく「ウミウシ」を魚釣りを忘れて観察していたこともありました。
またある日、岸壁から投げ釣りをしていて、ふと遠くを見ると海が盛り上がってウミネコが群がって騒いでいる。幼少のブリ「ふくらぎ」の大群です。これは壮観でした。かなり近くまで群れが寄ってきたようなので見ると海の中ぜんぶ魚。とにかく竿を投げると30センチほどの「ふくらぎ」が2匹くいついていた。重くてもちあげられないほど。こいつらが全部ブリになったら・・と考えてついよだれが出てしまった。忘れられない思い出の一つです。
こんなことを書いていたら魚釣りが無性に恋しくなってしまった。えーと竿は?リールは?

 
3月17日
(水)
古本屋で掘り出し物を見つけたときはなかなかうれしいものです。住まいのすぐ近くに古本屋さんがあってときどきのぞくんですが、今日はレンタル・ビデオを返しに行くついでに何冊かまとめ買いをしてしまいました。ミラン・クンデラ「不滅」100円。アイザック・アシモフ「ロボットと帝国」100円。木下順二「龍が見える時」100円。本多勝一「南京への道」300円・・・など。まるで脈絡のない私の頭の中そのものの選び方であります。
さて、このところこのページの更新にちょっと力が入りすぎというか、時間のかけすぎという感じで大いに反省しています。一日がそれを中心に回るというのは本末転倒で、あくまで一日の感想程度でなければならないんです。確かに公開していますから見せるため、あるいは聞いてもらうためという要素は強いのですが、そのことで次第に自分自身の生活を消耗していくようではまずいですね。
何に一番時間がかかるかというと、やっぱり英文です。幸いマイクが積極的に協力してくれていて、私が書き送ったものをすかさず添削してくれているのでかなり頻繁に更新できています。それでも何を書こうかと考え、まとめ、自分で見直しとやっていると相当に時間をつかっているのです。あんまり自分で上達している実感がないし、何より今一番自分でやらなければならないことをほとんどやっていないのでこれではダメです。生活の時間管理もしっかりしないといけないと自分に言い聞かせているところです。ここらでちょっと軌道修正です。更新のスピードを落とします。
明日から20日にかけて富山から妻が来てくれます。まだ引越の荷造りが終わっていないところを手伝ったり、これからの打ち合わせをしたりすることにしています。これを一つの生活立て直しのきっかけにして、あと少しの東京生活を充実したものにします。
ゆっくり碁でも打ちたいなあ。

 
3月16日
(火)
今日一日町田の上空はちょっと異常です。朝から夜に入るまでジェット戦闘機がひっきりなしに飛び交っています。輸送機やヘリなども通過してものすごい騒音です。大規模な演習なのか、それとも何かに備えた訓練なのか、これほど頻繁に軍用機が我がもの顔に通過するのはきわめて珍しいことです。墜落してくれなければいいのですが。
そんな騒音を尻目に今日の午後はいつもの散歩。暖かい日ざしにつられ、昨日に引き続いてハトにエサまきです。私たちが行くと何処で見ていたのかすぐに飛んでくるんですね。
はじめは警戒して近づかなかったハトもそのうち何羽かは私の手からパンくずをつついて取っていくようになります。それぞれのハトを観察していると、積極的なハト・もじもじして思い切りの悪いハト・遠巻きに見ているハトと様々です。多少の危険を冒しても積極的なハトが一番たくさんエサにありつけたのはいうまでもありません。母も面白そうにそれを眺めていました。もっとも母にパンを手渡すとハトにやるより先に自分で口に運んでしまいますが。
人間のすぐ近くで、つかず離れず生活する鳥はたくさんいます。ハトはもちろん、カラス、スズメもそうです。軒先に巣を作るツバメもそうですね。別に人間が好きというより、エサや巣作りに適した環境になっているからでしょうか。
ところでこのハトが愛や平和のシンボルになったのはいつからどんな理由からなのでしょうね。ギリシャ・ローマ時代の昔からハトは精霊のシンボルとか神々の化身と見なされ宗教と密接な関係を持ってきましたから、その起源はおそらくキリスト教の発生とほとんど同じくらいの古さを持っているのでしょう。パブロ・ピカソが平和のシンボルとしてのハトの絵を好んで描いたのはよく知られています。現在もさまざまな平和運動の中でハトが登場します。出番の多いのはいいことなのか悪いことなのか。
さて、数日後の3月20日はアメリカがイラクに侵攻してから一年目の日。この日世界中でアメリカ軍のイラク占領政策の終結とイラクからの撤退を求める行動が行われます。
今日の朝日新聞によれば総選挙後のスペインでは次期首相候補がスペイン軍兵士のイラクからの撤退を言明したとか。同じ紙面には、日本の自衛隊派遣に対する国内の世論調査で次第に反対が減って、今回に調査で賛否同率になっているという記事がありました。ちなみにトップ記事はやっぱりQちゃん・・・でした。
3月20日に向け各地でいま集会やデモの準備が進められています。この日東京でも日比谷公園、芝公園などで数万人規模の集会がおこなわれるはずです。
私は母の介護のために行けませんが、気持ちは参加しているつもり。限りない連帯の気持ちを込めてこの日の行動の成功を願っています。次のリンクは各団体のポスターです。

ワールド・ピース・ナウ実行委員会のポスター(PDF)
全労連などでつくる実行委員会のポスター(PDF)

この日マスコミがこれらの集会をどう報道するかよ〜くご注意を。

<参考>上のPDF形式のファイルを見るには多くのパソコン環境ではAdobe Readerというソフトが必要です。
ポスターの画像が見られないときは次のリンクからアドビのサイトに行き、そこからダウンロードしてインストールしてください。その手順などはこのサイトで詳しく紹介されています。無料です。


 
3月15日
(月)
昨夜はイラクに派兵されたアメリカ兵の実態をNHKが特集していました。その中でアメリカ兵たちは「大量破壊兵器がなかったことはそれほど大きなことなのだろうか。フセインを野放しにしておく方が問題だった。誰が自由を守るのか」「我々が戦場に行くことでこの国の平和なくらしと自由が守られている」などと話していました。おそらくこれは一般的なアメリカ兵の気持ちなのでしょう。単純・明快だが脳天気と言うほかありません。
彼らにとってはフセインに金も兵器も送って育ててきた自国政府のことも、国連を無視し国際的な査察の進行を断ってしまった責任も、劣化ウラン弾・ディジー・カッターなどで殺傷したおびただしい罪のない市民のことも、いかに石油資本や多国籍企業が利権をねらって動いているかもすべて視野の外です。テロを撲滅すると言い悪の枢軸から自由を守ると言ってイラクを攻撃・占領したあとで果たしてテロが減ったのでしょうか。それにもまた無反省です。他民族や異文化との共存・共栄という意識もあるとは思えません。そこにあるのはただ帝国の論理だけ。 兵士たちは「自由」と言えばすべてが許されると本気で信じているのでしょう。そうでなければイラク戦争の前提は全く崩れてしまいますから。アメリカは今はまだ圧倒的な軍事力でイラクを支配しているように見ます。
だがその支配は、犠牲者が増えたりして戦争の大義への疑問が発生したりすればたちまち崩れてしまう構図をもっています。何よりも兵士たちや家族は事実を知らされていないからです。
さてこうした現在の局面で、昨日のNHKのようにアメリカ兵の実態を報道することも必要でしょう。しかしその一方でどれだけのイラク市民が犠牲になったのか、それはなぜなのか、そしてイラクの人たちは支配者たちのことをどう見ているのか、またアジア・アフリカ・ラテンアメリカの人たちはこの状態をどうみているのか、さらにアメリカ国内でイラクへの派兵を市民はどう判断しているのか、「公平」を売り物にする報道機関ならば多角的に報道する義務があるはずです。
ところでNHKさん、それを期待してよろしいものでしょうか?受信料払ってるんですけど。  
3月14日
(日)
スペインでアルカイダの犯行と見られる列車爆破テロがありましたね。テロはいかなる意味においても許すことはできない愚劣な行為です。暴力は結局は人間のもっとも腐敗・堕落した精神の産物であると見るべきでしょう。スペインでは12日、政府の呼びかけで犠牲者への哀悼とテロの拒否を示すデモが行われ全国で1千万人が参加したと報じられています。次は現地の新聞に載った一連の写真報道です。<スペインの新聞エル・ムンドから>
私はスペイン語は全くわかりませんが、写真なら直に様子がわかります。この紙面ではATENTADOSとかVICTIMASとかというタブ・メニューが並んでいるので順にクリックしてみていくことができます。12日の大規模なデモの様子は最後のESPANA EN LA CALLEというタブをクリックすると見られます。
テロ組織は次の標的はイタリアだと公然と述べていると伝えられていますが、イラクへ派兵している日本でもこうしたテロとは無縁ではないかもしれません。
思うにその呼びかけにマドリードだけで230万人という信じられない人々がデモに参加するスペイン政府と、アメリカべったりでイラクでもいい子ちゃんぶろうとしている日本政府との違いは同じ派兵している国でも大変な相違です。
こうしたデモのニュースを聞くと、第2次世界大戦下でのヨーロッパの人々のレジスタンス運動のことを考えます。彼らはファシズムの暴力に対して、暴力ではなく社会正義にもとづく政治変革・人民の団結という方法で戦ったのでした。その記憶がいまなお脈々と息づいていると感じざるをえません。
一方、当時の日本においては絶対的な天皇制軍国主義権力のもとであらゆる抵抗が弾圧・抑圧され、すべての人々が「国体護持」「大東亜共栄圏」を旗印にアジア太平洋地域への侵略戦争に収斂させられて行きました。
では現在の状況下で私たちはどうすればいいのでしょうか。首都東京では依然としてウルトラ右翼の石原を知事とし、自公政権はイラク派兵にもかかわらずそれなりの支持率を得ているし、気をよくしてか、年金、消費税、有事法案といった暮らし・平和を直撃する問題でもやりたい放題。このままいけば、戦前よりもさらにひどい暮らしを強いられるのかもしれません。なぜならすでに国家財政は企業なら完全に倒産しているほどのひどい借金財政ですし、そのつけはすべて国民にまわされているからです。しかも憲法第9条は青息吐息。気がついたら遅かったではあまりに情けないですよね。  
3月13日
(土)
昨日はやるせない話題について書きましたが、その直後金曜ロードショーで見た「耳をすませば」は私の気持ちを晴れ晴れとさせるものでした。聖蹟桜ヶ丘の駅前や住宅地がモデルになっているですってね。なんだか一度訪れてみたくなりました。
都会のありふれた団地・住宅地を舞台にしながら、物語の持つイマジネーションの力で世界を一気に広げる手法はさすがです。作者がこの映画の舞台を都会の住宅地におき、さらに月島雫という多感な中学生の心の成長に焦点をあてたことは、決して現在の中学生を巡る状況と無縁ではないはずです。そしてまた「男爵」という人形がこのストーリーで果たしている役割の何と象徴的なことでしょう。それは物語と現実との接点でありまさに異空間への入り口です。
一方で、それぞれの子どもたちの家庭での過ごし方はまるでどこかの家の中をのぞいているようでリアルです。これを読んでいるあなたの家かもしれない、君の家かもしれない、そんな設定です。それゆえ、作者が主人公の月島雫と天沢聖司に与えている「今の若者にこうあってほしい」と託した人間像がごく自然に見るものに同化されていきます。
主人公が「耳をすませば」という物語を書き終えて西司郎というおじいさんに見せるところがあります。自分の中からあふれ出る物語を思い通りに書こうとすればするほど、それを成し遂げるのにまだ非力な自分をいやほど思い知らされます。自分にとって勉強するとはどんなことなのかその意味をはっきりとつかみとった瞬間でしたね。
ところであの不思議なドラ猫はいったい何者?ただのおまけではないはずですよね。誰か自分の考えを教えてください。
アニメーションも細部にわたってていねいで、水準の高さ・技術の確かさは疑いようがない。しかし、声優のミスキャストのために「画竜点睛を欠く」とどうしてもいいたくなってしまいました。そう思ったのは私だけかな。
3月12日
(金)
神戸で児童連続殺傷事件を起こした男性(当時少年)が少年院を仮退院し、それに合わせて男性の両親、被害者の親がそれぞれ手記を発表しましたね。
男性にとっては、少年期から青年期の6年という歳月はまさに人間の骨格を形成する期間でしょう。またそれらの歳月のあいだ、かけがえのない命を奪われた家族には怒りと悲しみ・無念さが、突然加害者の親となってしまった側には底のない絶望感・悲しみ・嘆きなどが、どんな想像も届かない激しさで渦巻いてきたはずです。しかしこれらのどの手記もとても抑制された筆致で綴られていました。苦しみ抜いた末にこうとしか書けないというように。それだけにこれらの家族の手記はいろんなことを私に想起させました。そして読みながら不覚にも涙を落としてしまいました。
男性のお母さんはいいます。「何度も死にたいと思いましたが、もし私たちが死ねば、被害者の方々、ご遺族の怒りや悲しみを受け止めるのは長男以外になくなる。・・・真相を究明する妨げにもなる・・生きながらえて悲しみや怒りを受け止めなければならないと思いました」。彩花ちゃんのお母さんは書いています。「私は決して犯罪者に寛容な被害者ではありません」しかし「社会の中でもう一度生きてみたいと決心した以上」「彩花のためにも絶望的な場所から蘇生してもらいたいのです」。また担当弁護士の談話や家裁判事の手紙なども発表されています。
これらの手記は一人の人間の命の重さ・かけがえのなさということを考えさせずにはおきません。この事件のあとも同種の事件あるいは青少年による殺傷事件が多発していることから見ても、現代の青少年を覆っている「心の危うさ・想像力の希薄さ」という問題にどう立ち向かいどのように解決していくのかを私たちの一人ひとりが自らに問わなければならないでしょう。彩花ちゃんのお母さんは続けます。「子どもをとりまく最大の環境である私たち大人が、今一度『自分はなんのために生きているのか』を真剣に問い直さなければならないように思います」
3月11日
(木)
平日ということもあってか、高速道路も比較的すいていて思ったより早く目的地に着くことができました。ただ、途中サービスエリアで、後輪のタイヤの空気圧が半分以上減っていること(空気を入れるバルブが破損し徐々に空気が漏れていた)に気がついて真っ青に。運良く給油所のあるサービスエリアだったのですぐに直すことができました。走行中は全く異常なかったから、どうやらサービスエリアに入る直前から漏れ始めたらしい。ラッキーでした。その後はSAごとに停車してはタイヤの空気圧を確認する羽目になりました。
山梨に入る頃から諏訪周辺にかけてまだ日陰に雪が残り、あたりはまだ冬のたたずまいでしたが、安曇野はすっかり春の陽気で春?番が吹き荒れていました。
午前中は池田町立美術館に行って展示を見て過ごし、午後は予定していた時間より2時間も早く内装業者との打ち合わせをすますことができたので、その後おそばを食べたり、穂高町にあるYAMADA電器に行ってエアコンとか照明器具を見てきました。
当初その日は大町で宿泊する予定をたてていましたが、順調に予定の行動を終えたのであえて宿泊することもないかと考え、そのまま東京にもどってしまいました。帰りも順調で9時過ぎには自宅にもどることができ、そのままバタンキュー。
明けて今日11日。目が覚めたらもう10時近くでした。その後自動車修理店にタイヤの点検・修理を依頼するやら介護支援センターのケア・マネージャーとの打ち合わせなどやらで忙しく、ようやく1時近くになってちょっとゆっくりできる時間ができました。というわけで、いまホームページの更新の作業をしています。今日は、すでに準備してあった美術館めぐりのファイルに池田町立美術館の紹介を流し込んで新しいコンテンツを作成・追加しました。
お願いしていた引越の手伝いについては13日にN君が友人と来てくれることになっています。14,15日あたりに手伝ってもよいという方がいらっしゃったら是非メールください。



大王わさび園の近くから見た北アルプス常念岳

3月9日
(火)
介護をしていると、どんなときに母の気持ちが休まり精神的なケアになるのかをよく考えます。本当は介護者自身のメンタルケアも必要なんですけど。
母はその昔小学校の教師をしていました。専攻は音楽でした。若い頃放送局で合唱の指揮をしていたという話も聞いたことがあります。母にとっては小学校唱歌や昔懐かしい歌の数々は青春そのものであり、また教師生活そのものだったわけです。歌を歌っている母は本当に幸せそうです。
そこである日「美しい日本の歌」「美しい世界の歌」シリーズというCDをセットで買ってきてパソコンに入れていつでも聞けるようにしたのです。これはアタリでした。精神的なセラピーになるし、昔からなじんだ歌だけれど決して飽きがくるような歌でないし、なかなか効果的でした。2時間でも3時間でもいっしょに口ずさみながら聞いているんですね。老人にとって時間の感覚は私たちとはどうもちがっているらしい。いろんな記憶もよみがえってくるようです。それ以来精神的に不安定になったりするとすぐに音楽がなり出すというようになっています。ソング・セラピーです。
一方アニマル・セラピーという介護の手法がありますが、マンションやアパートでは無理なので私もこれまでは考えたことはありませんでした。しかし散歩に出るのをしぶっても、沢山の犬たちやカモたちが待っているよというと出かけてくれますし、実際たくさんの犬たちにであいますから短い散歩でもセラピーになっていたのですね。長野に行こうと決めたのは一つには動物を飼うことができるかもしれないという思いもありました。過去に蓄積された懐かしい数々の曲や歌の持つ不思議な力。そして長い歴史を人間といっしょに生活してきた動物たちの持つ治癒力。人間はなんとさまざまなものに支えられているんでしょう。
さて、私は明朝からあさって一杯引越準備のために長野池田町に行ってきます。その間このページの更新はお休みします。



部屋の前から見た鶴川の夕暮れ

3月8日
(月)
まだ雪が残っている地方があるかと思えば、東京はもうすっかり春です。私の住む建物のすぐ前にも白梅・紅梅が花を一杯につけて何ともいえないいい香りをただよわせています。散歩をしていると沈丁花の芳香も風に運ばれてきてここかしこに春の訪れが感じられます。
しかし、京都では春どころではない深刻な事態に。なんとかウイルスの拡大を食い止めて養鶏業を営んでいる方々にも安心して春を楽しんでもらわないといけません。
午後から母をヘルパーさんにお願いし町田まで買い物にでかけました。鶴川駅について新聞を買って読みながら電車を待っていました。あったかい日差しにうっとりとしつつ来た電車に乗り込んで次の駅で気がついた。新宿方面に向かっている!!何のことはない、やってしまった。頭は町田に、身体はいままで通い慣れた職場に向かっているのでした。あわてて新百合丘で反対方向の急行に乗り換えて30分遅れで町田につきました。習慣というものはおそろしいものです。ホントに。
ところで今日の掲示板でとうとう助っ人要請の案内を出してしまいました。毎日少しずつ箱詰めをしていたのですが、次第に重いものをつめるようになるとどうしても腰に負担がかかります。今日は情けない話ばっかりしていますが、ここは元気なみなさんに助けていただこうと考えたわけです。詳しいことは掲示板に書きましたのでごらんください。メールを待っています。
3月7日
(日)
昨日・今日とすばらしい満月です。視力が落ちて3重くらいになってみえるから正確には満月のようです。月の中には確かにウサギも座っています。
どうも引っ越し作業がすすまなくて困っています。それほど切迫感がないのと、母の世話に何となく関わっていると何事もどっちつかずになってしまうということと、ホームページが気になってしまうということとが重なっているからなのでしょう。生活の時間帯についてはあんまり深く考えないで、長野に行ってからゆっくり直していこうと開き直り、また母の介護をするために退職したのだということを忘れず、介護という大きな問題を多面的に考えていかなければならないと思っているところです。
母の精神状態のあり方は多分に私の精神状態と重なっています。もちろん母は自分の世界に住んでいるわけですから、夢とかテレビの残酷なシーンとかに敏感に反応し、タイムスリップしてしまいます。しかし、そのときどのように私が振る舞うかによって母のその後の対応も左右されることがあるのです。仕事が忙しいときなどは、ついいらついて乱暴な対応になってしまい、ますます母の情緒を不安定にしたことが何度もありました。後味の悪さが澱のように沈み、情けない自分を責めて反省するんです。しかし訳のわからないことを口走る母を実際に目の前に見ると、思うようにならないのは自分の問題なのだという考えはまたどこかにいってしまうのでした。介護とはまさに介護するものの自分自身とのたたかいなのですね。毎日毎日がそうです。そしていつまでたっても情けない自分を何度も認識させられ、そんな自分自身に絶えず鞭打ちながら歩かなければならない道です。
介護は、それゆえ、たった一人で背負い込んだりしてはいけないんですね。介護される人の立場から言っても、外の世界といかに豊かに関わっているかが決定的に重要です。母も他の人の前ではシャンとしますもんね。つまり公的介護というのは、単に制度のことを言うのではなく、介護される人・介護する人の人間としての本性に基づいているのだと私は最近思います。たった一人の人を介護するのに何人の人の力がいるのでしょう。しかし、人間が生きると言うことは要するにそのようなことなのです。
3月6日
(土)
昨夜は、しばし荷造りの手を休めて、楽しみにしていた「たそがれ清兵衛」を母といっしょにみていました。映画でもビデオでもみていなかったのでこれが初めてでした。江戸末期、崩壊していく封建社会のはざまで貧しくとも正直に生きようとする下級武士の生活をていねいに描いたもので、久しぶりに深い感動を覚えました。
子どもの何と生き生きと愛らしかったこと。女なんて平仮名さえわかればいいんだ。女に学問なんて必要ないという伯父のことを批評する場面の痛快さ。そして子どもが「勉強するとどんないいことがあるのか」と父の清兵衛に問いますね。すると彼はごくごく自然に「学問すれば自分で考えることができるようになる。自分で考える力がつく」と答えます。その言葉をしっかりと受け止める子どもたち。いい場面でした。
昔「郡上一揆」という映画をみましたが、その中でも当時の百姓は田畑だけを耕している無学な群れでは決してなく、教養があり自分たちの頭でものを考える人間たちであったという視点をおさえて描かれていて目を開かされたものでした。当時の下級武士や農民の多くは学問が人間にとってどんな意味を持つのか生活の中でつかんでいたのですね。このあたりもっと光を当てて歴史を見ていかないといけないと思わされます。
ところで、高校生のみなさんはテスト中またはまもなくテストなんですね。ひたすら机にむかって問題とにらめっこしているみなさんの顔が浮かんできます。ガンバレ。
3月5日
(金)
午後6時。こんな時間にニュースを聞くなんてことはまずなかった。今でもほとんどテレビを見ない生活ですが、今日は母につきあってしばらくニュースを聞いていました。
まず、鳥インフルエンザについてなまなましい映像が映し出されていました。その中には大量の鶏の処分のために自衛隊まで出動して作業がすすめられているという報道も。発生源の養鶏場による通報の大幅な遅れが全国への被害の拡大を招いたことは明らかですが、この点での政府の対策の遅れも当然指摘しないわけにはいきません。「牛・鳥モーケッコウ」などという坂口厚生労働大臣の愚劣なダジャレ(過日報道)を聞いていると開いた口がふさがりません。
続いては、全国の巨人ファンなら誰もが心配している長嶋前監督の病状。脳梗塞の症状は軽いと言いますが、あまりにも多忙で身体を休める暇もなかったのではないでしょうか。早くよくなってほしいものです。
長嶋さんといえば、忘れもしない1959年6月の「天覧」試合。当時私は中学生でありました。ある先生の自宅で数名で英語を習っていたのです。その先生が大の巨人ファンで、その日先生宅に行ったら「今日は天覧試合があるので勉強は休みにしてテレビをみよう」とおっしゃる。まことに粋なはからいでした。期待に違わず手に汗握る展開。長嶋選手がサヨナラ本塁打を放ったときのその先生の熱狂ぶりといったらありませんでした。今日のテレビでもそのシーンを映していましたのでなつかしく思い出してしまいました。
3つ目。来年度予算案が衆議院を通過したという報道。これについてはまたいずれ書かせてください。
さて、引っ越しのための梱包作業を続行中です。現在は母の持ち物をまず箱詰めしていますが、いままで見たこともないようなものまででてくるので、要るものと要らないものとを仕分けをしたり処分したりで結構時間がとられ、なかなか思うようにすすみません。気長にやるしかないですね。今から食事の支度と夕食。その後また作業続行です。

3月4日
(木)
午前中はよい天気だったのに午後から空がかき曇って雨が降ってきました。空は厚い雨雲に覆われて夕方から雪もまじって寒くなっています。
段ボールの前でただ呆然としていても仕方がないので、いよいよ今日から箱詰め作業に入りました。どうやら詰め込んだ箱のほとんどはベランダや玄関前に(つまり外に)置くしかなさそうです。ベランダは排ガスやら粉塵ですぐによごれるし雨の心配もあるのでその対策も考えないといけません。いざ作業を始めると箱詰めにする前にやることが結構あることに気がついて、買い物に走っている始末です。日があるとばかり思っているとあっという間。気を引き締めて本格的な作業にとりかかることにします。
母親の方は夜型が続いていてどうも切り替えが成功しません。とにかく今朝起こしてお風呂に入れたものの、食事が終わると気持ちよくなってまたぐっすり。食事中の会話。
母 「あんたお母さんおるがか」(富山弁 が=の)
私 「ああ、いるよ」
母 「元気ながか」
私 「まあ元気な方かなあ、でもちょっとボケボケだし、自分のことができんようになっとる」
母 「かわいそうにのう、そんでおまえがめんどうみとんがか」
私 「そりゃまあ、しかたないもんね」
母 「いかったのう。で、どこにおんがか(=いるのか)」
私 「近くにいるよ。朝晩パンツ替えたり洗濯したり、お風呂に入れたり、食事作ったりで、めんどう見るのも結構たいへんだよ」
母 「そりゃ、幸せだのう。わしとよう似とる」
私 「でも私が誰だかわからんようになってしまってねえ。どうしたらいい?」
母 「そんなもん、ほっとけばいい」
私 「ほっとけば直るかなあ」
母 「直る、直る」
私 「じゃ、ほっとくか。だけど施設に入れるのはどうかな」
母 「そりゃだめだ。ボスがいる。いじめられる」
私 「私がめんどうみるしかないね」
母 「それが一番」
そのうちまたはじめに話が戻っていって延々つづく。これが私の日課です。
3月3日
(水)
ホームページ公開から2日目。桃の節句・お雛祭り。
さっそく掲示板への書き込みをいただきました。うれしく読ませて頂きました。ただ、英語にびっくりされた方が多かったのではないかと心配しています。このページにいらっしゃったみなさん、どうかそれは全く気にしないでどんどん書いてくださいね。書いたもの勝ちです。
この世にはいろんな情報が乱れ飛んでいますが、自分の思いや願いを真に発信する手段はそれほど多くないことに気がつきます。お互いが刺激しあい、活力を与えあい、お互いのことを案じあって生きていくことこそ現在の私の願いです。このページがそのささやかな場となればこれほどうれしいことはありません。
今日は大変寒い日でしたが、母を説得して外に連れ出し、途中母の好きな豆大福を買って、かなり長い間散歩に出ていました。途中歩行訓練をするのですが、ものすごくいやがって杖で私をよくたたきます。私の方はいっこうに平気で、かれこれ100メートルほど往復してもらって今日のリハビリは終わり。そのあと風をさけてお餅をたべて、散歩中の犬と戯れ帰ってきました。
母は、道行く人に出会うと必ず大きな声で「こんにちは」と声をかけるんですね。はじめのうちはこっちが恥ずかしくなるほどでした。都会の人は見ず知らずの人ならすれ違っても声をかけあうことはまずありません。母はそんなことは一向にお構いなしで、犬にまで「こんにちは!」。
さて、声をかけられた人はどうすると思います? このごろ私はずっとそれを観察しているんです。もちろん反応はさまざまですが、だいたい7割ほどは挨拶を返してくれます。2割ほどは無視。1割は気がつかない。挨拶を返してくれる人も、はずかしそうにして小さい声で答える人、にこにこしてしばらく立ち話をする人、いろいろですが、結構反応はいいので、最近は私も母といっしょに「やあ、こんにちは」とやるようになってしまいました。昔昔、北アルプスを父と歩いていたとき、出会う人はかならず「こんにちは、ごくろうさん」と挨拶を交わしていくんですね。それが山のエチケットでした。なんとなくそんなことも思い出してしまいました。





散歩の途中見かけた梅の花です

3月2日
(火)
お待たせ。ホームページ公開です!!
今朝は雨は落ちてはいませんが、ちょっと肌寒いお天気。妙に生々しい夢を見続けてついに早く起きてしまいました。最近眠りが浅く、そのくせお昼頃になると眠くなるので困ります。今からちょっと外へ運動に。
一日から二日にかけてホームページのアップ・ロードに挑戦しておりました。リンク切れがないかもう一度確かめてFTPソフトでODNのサイトに接続して、アップロード。一回目はフォルダが表示されて失敗。もう一度やってこんどはうまくいきました。あとは更新の練習です。
みなさんようやく私のホームページの公開です。うーなんだかちょっと照れくさい。そんな年でもないのにですね。
誰も見てくれないホームページを延々と1ヶ月半にもわたって作ってきたわけですが、ようやくその一部を公開できました。ふう〜〜〜。それにしてもバックに画像をはりつけるとなんだか表示が遅いなあ。いろいろ研究することがこれからも多そうです。
これをごらんになったみなさんの感想はいかがでしょうか。ホームページなどは普段見慣れているから特別の感慨はないかもしれませんが、作っている方からするとなかなか大変です。何しろ1対多対応ですから。掲示板がにぎわってくれることを期待していますね。掲示板では私に誰かがわかる程度に下の名前くらいは書いてください。私に対する数学の質問、個人的な相談など直接のメールは遠慮なく下記までどうぞ。
メールはこちら
3月1日
(月)
今日から3月、受験生のみなさんはどうしていますか。毎日毎日が厳しい試練の時だったと思います。よい結果が得られればそれに越したことはありませんが、試験だけは結果はふたをあけてみないことにはわかりません。結果より自分がどれだけ一生懸命に目標に向かえたかということではないでしょうか。成功することも失敗することもある。それが人生です。長い長い人生の中ではテストでの失敗など必ずとりかえすことのできるものです。合格を果たしたみなさんは、ようやくゆっくりできる春を迎えることになりますね。よかった、よかった。ただし、浮かれすぎないように注意しましょう。
教室で勉強中のみなさん、元気ですか。私はindexページで書いたように、引っ越しに向けてのんびりと準備をしています。3月には2度ほど長野に行く予定です。寄せ書きなどを見ながら毎日みなさんの顔を思い浮かべています。約束通り掲示板をつくりましたから、何でも書き込んでくださいね。待っています。
今日は朝から冷たい雨が土をぬらしています。肌寒くていやな日ですね。今日は関東でもところによっては雪が降ったとか。急に冬に逆戻りしてしまいました。昼頃長野を旅行中の妹から池田町に寄ったからと電話がありました。向こうでも雪が舞っていると言っていました。しかし、私の住む建物のすぐ裏では花桃がもうわずかに咲き初めていましたから、季節は寒暖を繰り返しながら春本番に近づいていくのでしょう。

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