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  3月31日 (木)
今日は妻の仕事納めの日。長い間勤めた職場だけに感慨もひとしおだろうと思います。しばらくは生活に違和感があるかもしれませんがすぐに慣れるでしょう。毎日が日曜日の生活なんて仕事をしているときは夢みたいな話ですもんね。のんびりゆっくりやっていきましょう。本当にお疲れさまでした。

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バヌアツのまきちゃんからお便りがとどきました。今回は任地の小学校の紹介。日本の子どもたちにもこんな学校生活を送っている子たちがいるのだということを知ってほしいものです。

まきのバヌアツ便り<第5回>



  3月30日 (水)
母が宅老所にでかけるまで約一時間ヘルパーさんに来てもらって着替えや食事の世話をしてもらうことができました。ずっと同じ姿勢で立っているのは構わないので食事の準備は大丈夫。ただ、母を起こしたり着替えさせたりが辛いので助かりました。
母を送り出したあと穂高のF整形外科病院へ。水曜日は午前中だけなので混んでいるかと思いましたがそうでもなく30分ほど待って診察をしてもらうことができました。
首を痛めたときと同じにまずレントゲン。予想通り隣に子どもの腰椎の写真を並べて説明がはじまりました。
「はい、こっちが子どもね。骨と骨の間がすっきりとして何にも写ってないね。こっちはそちらさん。骨の端にトゲがあるでしょ。骨と骨の間がつぶれて狭くなっているね」
「あのぉー、トゲって何ですか?」
「軟骨がせり出してくるとそれにつれて腰椎の骨も裾広がりになって端が突き出たようになる。年をとるとそうなる」
「はあ」
「まあ、今回はものを持った弾みで骨と骨の間の軟骨の部分が真っ赤に張れてそれが筋肉に伝わっているんだね」
「筋肉の捻挫ではないんですか」
「叩くと痛いときはそっちだけど、今の場合は叩いても痛くないようだから筋肉の損傷の方ではないね。お風呂は3日間だめ。揉んだりするのもだめ。安静にしていれば3日でよくなる。その後は温めたり揉んだりしてもいいからね。3日したらもう一度見せてください」
「腰を自分で揉んだりすると楽になるような気がするんですが」
「炎症がおさまるまではできるだけ静かにしていること」
「はあ」
・・・何だか1ヶ月前に同じ会話をしたような・・・。
夕方になって大分良くなったような気がします。咳をしたりくしゃみをしたりするとひどく痛みますが、母の着替え程度は何とかできるようになりました。ご心配をおかけしました。

のりこさん。とうとうあと一日になりましたね。最後のおつとめしっかりやってきてください!!


  3月29日 (火)
一日おきに雨が降ったり天気が回復したり。今日は午後からさわやかな晴天が広がってきました。しかし私の腰は最悪の展開。
今日は母の定期検診の日だったのでいつもより少し早く起こし食事をしたうえで車で病院まで出かけました。車いすをトランクに入れ、母を座席に座らせ・・と結構力がいるのです。どうも母を車に入れるときに腰の状態があまりよくないなと思っていたのですが、そのままスタート。病院についてトランクから車いすを取り出そうとした瞬間、腰に激痛が走ってそのまま動けなくなってしまいました。ちょっとでも動くと激しく痛むのでトランクのそばで立ったまま。
やむなく携帯で主治医の先生に連絡をとり母と私を迎えに出てもらい、私も車いすで整形外科に運ばれるはめになってしまいました。車いすというものに初めて乗って周りの患者さんたちの視線を感じながら痛みをこらえていること長時間。
母は病院にまかせて私はひたすら整形の順番を待っているのですが一向に順番がきません。それもそのはずで予約の患者さんで一杯。新患は2,3時間待ちというすごいことになっていたようです(あとから聞いた話)。私自身は本を持って行っていたので待つのは大したことではないのですが、母がいるのでそうもいかず対策を考えることにしました。
折良くヘルパーさんが午後から来てくれる日だったので病院まで母を迎えに来てもらい先に連れて帰ってもらうことができました。
私はその後も診察の順番を待っていたのですがどうも一向に順番が来る気配がないのでしびれを切らし、母の支払いだけして診察をキャンセル。帰り支度にかかりました。
とにかく身体を動かすと激痛が走るので、そろそろと動いて何とか車までたどりついてホッと一安心。かかりつけの整形には明日行くことにして、今日はとりあえず安静にしていることにしました。
前にやったぎっくり腰とはちょっとちがって全く動けなくなるようなことはなく姿勢を変えると痛いものの何とか動き回れるのでそれが救いです。母の面倒はいつものようには見られませんが、最低限のことだけやってあとはひたすら動かないでいることですね。
母を持ち上げることができないのは大変です。ベッドから起こすことができない。トイレに連れていけない。着替えさせられない・・・など、かなりピンチ!!
「かあちゃん(幼少の頃私は母をそう呼んでいた)、自分で何でもやるんだよ。晩ご飯にするから自分でベッドから起きてね」
「はいはい。どっこいしょ」(かけ声はよろしい。しかし身体はピクリとも動かない)・・・
机の前で椅子に掛けている姿勢が一番楽なのでこれは勉強しろというメッセージか。痛いときは治ったらしっかり運動して身体を鍛えてといつも思うのですが、どうも思うだけ。また痛くなってその繰り返しじゃ健康管理もなっていませんね。
明日からのヘルパーさんの手配を頼むためにケア・マネージャーのNさんに電話して事情を話したら開口一番「あははは・・、笑っちゃいけないけどアハハ」だって。どうぞ笑ってやってください。誰ですか??「トシだよ、トシ」という声が聞こえてきたような気がしたんだけど・・・。空耳かな。


  3月27日 (日)
昨晩はきれいな満月。今日は久しぶりに穏やかな快晴に恵まれ暖かくなりました。
朝8時頃から松ぼっくりを拾いにでかけ、穂高の山麓線沿いで車をとめて唐松のカサを拾っていたら「何拾っているんだ?」と近くにいたお年寄りと茶店のおばさんから声をかけられました。事情を説明していたら「私もつる細工を作っているよ、寄っていきなさいよ」とお店に招き入れられました。見ると大きなランプシェードや買い物カゴのようなつる細工がたくさん。陶芸の方が本業だと言ってましたが、結構あちこちに好きな人がいるんですねえ。
そばで私に何を取っているのか尋ねたおじいさんは店の隣の人で今年80になるらしく山に入って山菜などをとるのが楽しみだということ。私からはすかさず季節になったら山菜採りに連れて行ってほしいとお願いしておきました。思いがけずこうやってあちこちで知り合いが出来るのは楽しいことですね。


唐突ですがちょっとだけ憲法についての情報。
憲法第96条には憲法改正に関わる規定が記されています。
第9章 改 正
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

この国民投票の仕方を取り決めようというのが「国民投票法案」ですが、すでに昨年12月に自民・公明が「骨子」について合意済み。いつ国会に提出されてもおかしくない状況になっています。
公明党のホームページでは「自民、公明の与党両党は12月3日、両党の実務者間で取りまとめた『日本国憲法改正国民投票法案』の骨子を了承し、次期通常国会に法案を提出することで合意した」とあります。
一般論としては実施要項が必要であることは論をまちません。おそらく自民・公明もこの一般論で押し通す目論見なのでしょうが、彼らの法案骨子をつぶさに見てみるととんでもないことに気がつきます。論より証拠、読んでみることが先です。
その上でたとえば「日弁連の意見書」や「日本ペンクラブの声明」などを読んで見るといいのかも。

憲法改正国民投票法案(議連案)および国民投票法等に関する与党協議会実務者会議報告
日弁連の意見書
日本ペンクラブの声明


  3月25日 (金)
娘から孫が2週間ぶりに無事退院したことを知らせてきました。後遺症も見られず元気にしているという知らせだったので本当に安心しました。
一時は意識がなくなるほどの症状で事態が切迫していましたが、医療スタッフの方々の必死の努力で峠を越えて無事快復できたのです。娘も最悪の事態をつい想像してしまうほどに憔悴した時期もあったようですが、後遺症もなく退院できたのは本当にラッキーでした。「インフルエンザ脳症の疑い」がわかったのは「わけのわからないことを口走」ったり目がすわったりして意識が混沌としてきてから。その直後に原因を突き止められ治療に専念できたことがよかったのでしょう。手当がもうちょっと遅れたら直っても脳に後遺症が出たかもしれません。そんなことを考えるとたかが「インフルエンザ」とこの病気を侮るわけにはいきません。

夕方から夜にかけて4時間の「3年B組金八先生スペシャル」をずっと見ていました。パソコンに録画していたらHDDがほとんどパンクしそうになってしまった。バスタオルを用意して見るんだった。ハンカチじゃ足りなかったね。
私が金八先生と出会ったのは今から20年以上も前のこと。高文研から出版された第1シリーズ第1巻「15才の愛」を読んで以来ですから、結局最初からずっとつきあっていることになります。TVでは79年に武田鉄矢主演で登場。15才で母になる雪乃を演じたのが杉田かおる。第7シリーズまで延々続いている番組でこれほどの影響力をもっているものはそうないでしょう。何しろ中学生たち金八先生好きですもんね。
シリーズのそもそものはじめから中学生の妊娠・出産という「いのちそのもの」を真正面に見据えていました。それから決して逃げず全身全霊を傾けてそれと向き合う、厳しくそして限りない愛情を持って生徒たちに向かっていく。小山内美江子の原作・脚本はずっと最初から一貫しています。その精神がいっこうに衰えず、まさに現代の最も闇の部分にあえてメスを入れ描ききっていることに驚嘆すら覚えます。この番組の本当のすごさは「シュウがひょっとしたら保護観察処分になり卒業式にかけつけてくるんじゃないか、そうなってほしい」という見る側の切望・期待に反して「少年院送致」になるというところです。そしてそれからの展開がまた感動的。
この番組、見所は随所にありましたが中でも圧巻だったと思うところは金八先生が3年B組の生徒一人一人に1字の手紙を渡すところでした。それも実にニクいコメントをつけながら。これは金八先生でないとできないな、すごいことだと思いました。公式サイトにはその手紙が全部のっていますよ。ソーラン節も二番煎じながら見応え十分。収録中の生徒達もずっと泣き放しだったというこぼれ話もどこかで読みました。この中学生たち本当に生き生きとして素晴らしい。教師や地域の人たちの働きかけで人間は変われるのだという期待を確信に変えてくれますね。
余談ですが、卒業式ではさすがに「国歌斉唱」のシーンはありませんでした。苦々しく感じている政治家のみなさんもいたんじゃないかな。しかし「仰げば尊し」がまだ生きていたとは。一緒に見ていた母が唱和していました。この歌、私自身はとても好きなんですけどね・・・。年かな?
パソコンの発達した現在ではかつては思いも寄らないことが実現されています。「公式サイト」ってやつです。非公式サイトを立ち上げている人もたくさん。それぞれ思い思いに金八先生と生徒達・学校を自分に引き寄せて見たり書いたりしているんですね。
25年間に渡って脚本を書き続けてきた小山内美江子さんは現在75才。ガンで療養中ということのようで昨年末から脚本を降板していたことが報じられていました。一日も早く快復されてさらに続きを書き続けて欲しいと願わずにはいられません。
公式サイトの掲示板を見ていると中学生たちがしきりに書き込みをしています。みんな心の中で「私の金八先生」を待っているんですね。

写真は今日「火入れ(電球入れ)」を完了したランプシェード。なかなかいい雰囲気。
また今日作成したフラワー・アレンジNo.7アップしました。今日のはちいとカワイすぎる。


  3月24日 (木)
すごいスピードで3月が過ぎていきます。あと一週間で3月も終わりです。ということは妻の退職まであと一週間。一ラウンドを残すのみとなってしまいました。私のように定年でなく中途退職でしかも塾という退職については「軽い」職場(失礼)ではなく市の職員として無事定年を迎えるわけですから何はともあれめでたいことです。早くやめたいと言ってはいたもののいざ辞めるとなると長い仕事のさまざまな思い出が押し寄せてきて感慨もひとしおではないかと想像しています。引っ越しが控えているので、辞めても生活が激変するということはないでしょうが、それでも何かと変化が起こるもの。しばらくはのんびり構えて慣らしていって欲しいですね。

私は先日のフラワー・アレンジの教室であったビーズのH先生から4月の作品展示用に更につる細工をつくってほしいと頼まれたために今日は一日新しい造形に集中していました。
早朝から蔓をとりにでかけ、午後からつくりはじめてまだ終わらない。いい加減にしなさいよと誰かさんに言われそうです。
ビーズの先生の言うには「つる細工とビーズのコラボレーション」をテーマに作品を展示したいのだそうです。
「自分で作れば?」というと「ビーズの作品の制作に追われてそんな暇ない」とそっけない返事。そのあげくに「ニワトリのカゴをつくって」とまるで「使用人」扱いです。
作品を展示するから作ってくれと言われてまんざらでもないのですけど、そこは一応「ものを頼むときはちゃんと丁寧に言うものですよ。せめて”あなた、時間があったら作っていただける”っていうんじゃないかい?」と言うと、「そんなふうに言ったことない」とこれまた乱暴に返事。そうこうするうちに彼女いなくなったと思ったらなにやら車から持ってきて「あなた、これでお願いできる?」とシュークリームを一個。「あなたなんて言ったの生まれて初めて・・」と照れること照れること。「ま、シュークリームに目がない私としては許してやるか」と結局請け負うことになった次第。
展示会では私の名前を出さないで欲しいと頼んだのですがそうもいかないようでここはMr.Moo作でいくことにしましょう。ビーズの受け皿つくりとはいえ初心者がいきなり出品というのも何ですから。ではまた続きを・・・。


  3月23日 (水)
昨日から天気は荒れ模様。昨日は強い風雨に見舞われ、今日も一日雨でした。
どうも最近朝寝坊の癖がついてなかなかとれません。それというのも夜更かしが原因でつい昔の習慣に戻ってしまっています。もともと血圧が低いので朝には弱いのですが夜が長い冬のせいと最近の仕事(ホームページ、つる細工)の関係で遅くまで起きていることが多く、その余波が朝まで尾を引くという悪循環が繰り返されてきたというわけ。4月くらいからは畑も待っているのでそんなわけにもいきませんね。

さて昨日から国会では「介護保険制度改革関連法案」が審議入りをしました。厚生労働省の「概要」(PDF)によれば「制度の持続的可能性の確保」と「社会保障の総合化」という二つのネライが書かれています。
制度見直しの中で「軽度者に対するサービスが状態の改善につながっていない」として「介護予防」という考えを前面に押し出しています。
Yomiuri-On-lineによれば「介護予防は、軽度の要介護者向けに『新予防給付』を創設。筋力トレーニングなどを行うことで心身の悪化防止などを目指す。利用者負担の見直しは、家賃・光熱費などの居住費や、食費を保険の給付対象から外し、利用者の自己負担とする」なのだそうです。
簡単にいえば、軽度の要介護者は自分で何でもやりなさい、それが状態を悪くしない道ですよ。自分で食べたり利用したりする分は自分で払いなさい、出来ない人は施設などを利用する資格はありません、ということです。
私はこの「制度見直し」に貫かれているものは「徹底した収奪の論理」だけだと思っています。「持続的可能性」という環境破壊に対置して打ち出された用語すら用いる彼らの欺瞞的なやり方は少し脇に置くとしても、その実態はただ一つ「国の財政破綻のつけを国民負担で払わせる」ということに他なりません。「金は出さぬが口は出す」ということですから社会保障という社会的なサポートの精神はもはや死に絶えてしまったということでしょう。
私の母の場合は要介護4(東京では5だった)ですから在宅介護やショートなどの利用幅はかなりあるのですが負担増はさけられません。年金で何とかやっていける私たちの場合は相当に恵まれたケースといえるでしょうが、介護度が低く、かつ身体の自由がきかない人の場合は家事援助を中心とする在宅介護が拒絶されることは死活問題になってきます。介護にたずさわったこともなく、現場の実態もその苦労も全く知らない保守政治家連中によってどれだけの高齢者・障害者がいっそうの窮地に陥れられるのでしょうか。

今日のドライフラワーの作品2点をアップしました。


  3月21日 (月)
今朝「雪のためマレットゴルフ大会は中止です」という町の広報放送でびっくりして飛び起きました。マレットが中止だからでなく「雪」にびっくりしたのです。戸を開けてみるとなるほど2,3pの積雪で真っ白。しかし何といういい天気。雲一つ無い真っ青な空と積もりたての真っ白な雪という強烈なコントラストにまたまたびっくりです。


「ドライ・フラワー」の先生に「今度つるをとってくる」約束していたので今朝は母が寝ているスキに有明山の麓までサッとドライブ。現地までは15分ほどですからすぐです。今日はさすがに木の上にも多少雪がかかっていて融けた水が降りかかって仕事になりませんでした。早々に引き返して母を起こし久しぶりにお風呂に入れました。今朝は割と素直に言うことに従ってくれていましたが、バスタブにドンブリコと入れたらとたんにお湯をかけられてしまった。手でバシャッと思いっきりお湯の面を払うのでまともにお湯がかかります。これは慣れっこなので、そんなときはお返しにたっぷりとお湯を頭からかけてあげることになっています。とすると「参った」と言って一件落着。まるで子どもの水遊びのようなもんですね。私もついでにお風呂に入って今日は温泉気分です。
お向かいのおばさんが「福寿草が咲いたよ」と知らせてくれたのでカメラを持って撮りにいきました。私が写真を撮っていることを知っているのでよく案内してくれます。福寿草とフキノトウが仲良く並んでいました。さっそく扉の写真に一枚。




  3月20日 (日)
今日は朝から町内の川ざらえです。8時に集合、主な用水のゴミを取った後町内を走っている農業用水や溝の土・ゴミをすくっていきます。側溝はたいてい重い蓋がしてあるのでそれを持ち上げてからどっさりたまっている砂をすくいあげるのは相当な重労働です。10時半頃までみなさんと協力して何とか腰も痛めずに終了しました。結構疲れた。朝はびっしり霜が降りて相当に冷え込んでいましたが、作業の終わり頃には日もでて割と暖かくなってきたので作業もはかどりました。
今日は断続的にヘルパーさんに来てもらうことになっているので安心して外にでることができます。母は午前中に来たヘルパーさんに早めに起こされたのでまだ眠そうで不機嫌です。私はこのあと午後から地区の総会です。

午後からの総会は林中という行政区を構成する200数十世帯から一人ずつ参加するというかなり規模の大きな会議です。事業報告、会計報告や監査報告があったあと新年度の事業計画案・予算案とそれに付随するいくつかの議案が上程され審議を行いました。ここまではどこでも見られる会議風景です。そのあと新年度の役員選挙。自分の推薦する人の名前を書いて投票し最高得票者が当選するといういささか???な選挙でした。さすがに次年度からは立候補者がいなければ選考委員会を設けて推薦を行い、その名簿に基づいて信任投票をするという方式に変更になるようです。役員のなり手をめぐってはどこでも頭痛のタネになっているようですね。しかし何とか4役も選出され新旧交代も無事終了しました。
その後懇親会があったのですが、母のことが心配だったので私はそこで失礼をしました。


帰宅して母と何気なくテレビを見ていたら北九州福岡を中心に大規模な地震が発生し相当な被害が出たという報道がありました。どこでどのような災害が起こるかわからないこの頃です。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
友人が福岡にいますのでさっそくお見舞いのメールを送りました。さぞ怖い思いをされたことでしょう。怪我などされていなければよいのですが。


  3月18日 (金)
寒くなったり暖かくなったりを繰り返して少しずつ春本番に近づいていくのでしょうか。テレビでは白鳥の北帰行や梅の便りなど春の話題が沢山報じられるようになっています。
早いもので3月もすでに半ば。受験生のみなさんは結果はともあれ試験シーズンを乗り越えようやく一息ついていることでしょうか。進学を決めたみなさんは一足早い春の気分を満喫していることでしょう。お疲れさまでした。
私はといえば新しく参入した「つる工芸」の分野で自分でもびっくりの超集中ぶりを発揮しています。どうかしているとしか言いようがないような日々でした。
マックの改造にハマっていく日々もそうでしたが、私にはときどき熱病的な集中癖があるようです。いい面でもあるし悪い面でもある。それはともかくとして、結果からいえばそれによってそれなりの技術を習得しているわけですから周囲に害を与えない限りにおいて良い方が上回っているでしょうか。
何をしていたかというと、時間があると「つる」を採りに山へでかけ(約20分くらいのところにあるのでそう大した作業ではありません)、帰宅後はドライ・フラワーの基礎となるカゴや飾りを制作にかかるわけです。母の介護は手抜きできませんからその時間はちゃんと取ってはいますが、それ以外の時間はほとんど制作に集中。おかげでこの1か月ほどでつくったつる細工のカゴは15個。どれも同じ形ではなくいろいろなフォルムを作成することが楽しみになっているのです。
最新作は右の壁掛け。これにドライフラワーを入れて飾るという趣向です。
現在は「つづら藤」を使った花入れ作りだけですが、いずれは材質や他の用途の作品も手がけてみたいですね。「つる」の魅力は自然素材というだけではなく、その曲線の美しさ・おもしろさです。そしてそれを加工する楽しみは「自由なフォルムの創出」「思いがけない造形」ということに尽きます。編み方は二つしか教えてもらっていないのでそれから脱却できないでいますが、その基本以外はすべて自分のオリジナルの発想と技術です。
初年度の課題はとにかくまず体験。たくさん体験しなければ何が問題かもわからない。現在問題になっているのは(1)良い材質のつるはいつ採取するのが一番良いのか。(2)鮮度を保つにはどうすればよいか。(3)加工したつるの劣化をできるだけ防ぐにはどうすればよいのか・・・という制作以前の問題ばかり。ウエブ・サイトを探してもあまりこのことについて専門的に触れたものはないので、よく研究して「つる細工」専門のコーナーをいずれ立ち上げることにしましょう。最近コンピュータはどっかにいってしまった。

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母は久しぶりに深夜の独演会。特に興奮しているわけではないのですが、なかなか寝付かれない様子で何事かしゃべったり大きな声で歌い出したりしていました。朝方ちょっと寝たかと思うとまた一人で笑っています。今日は宅老所の日なので9時頃起こしてました。着替えたり洗面したりするためにいつも洗面所まで数メートル歩くのですが、今日は足はガタガタでどうにも力が入らない様子です。ただ食欲のあるのが救いで食事は全部食べてくれました。
母は最近箸をうまく使えない(それでも使うようにしむけている)のでできるだけ挟んだり刺したりしやすいものを用意するようにしています。ときどき箸を放り出して一本で刺そうとしているので「箸は二本でつかうものだ、だからニホン人っていうんだよ」というと、直ちに「面白いわあ」と反応しますから頭のはたらきはまんざらでもなさそうなのが不思議です。もっともまたそのすぐあと「一本人」になってしまっていますが。さて、宅老所でどんな生活をしてくるのか。
今朝のメニューは主食はバナナ。それにハムや野菜をたっぷり入れた卵焼き、トマト、豆腐のみそ汁(根深汁ではなかった)。

一方の私はこのところどうも右手に軽いしびれが出ているのでちょっと気がかり。近く医者に行ってこようと思っていますが、自己診断ではホームページ作成やつる細工の作成で相当根をつめた作業をしていたので軽いK1症候群にかかったらしい。今朝から食事も左手にしてできるだけ左手を使うようにしています。左でいろんな作業ができるように訓練することに決めました。


  3月17日 (木)
昨日島根県議会が「竹島の日」条例案を可決したことでこれの破棄を求める韓国世論が沸騰、にわかに政治問題化しつつあるのが心配です。
まず条例をみてみましょう。
■竹島条例全文■
 第1条 県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。
 第2条 竹島の日は、2月22日とする。
 第3条 県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取り組みを推進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
(毎日新聞 3月16日)

これで見る限り一地方地自体といえども「領土主権」を前面に出して国民運動を広げるという政治的メッセージに満ちた条例ということになります。
一般的に言えば領土問題は主権に属する重要事項であり他国によって侵害されることがあってはならないことです。しかし同時に領土問題は歴史的に構成された面を強く持っておりどの国に属するかをめぐって争いが起きることも当然あり得ることです。
私自身は尖閣諸島と同じく歴史的に日本固有の領土であるとみています。しかしどちらも人の住めない小さな孤島であってその領有問題は水産資源・海底資源といった経済的な問題と深く結びついています。これを領土主権という政治的課題として前面に押し出すことによって両国の政治的対立点を先鋭化させているというのが現在の局面だろうと私は見ています。
日本側のこれまでの竹島問題についての対応に問題があるわけではありません。周辺海域も99年の新日韓漁業協定で日韓両国が共同管理する暫定水域とされたものの、現在はむしろ韓国船が主に操業しており日本側の漁業者は排除されているのですから「共同管理」を徹底するために政治交渉を強化することこそが当面必要なことなのです。
韓国側の主張は「過去の植民地侵奪過程で日本に強制編入され、解放で回復したわれわれ領土に対する領有権を日本が主張するのは、単なる領有権問題ではなく、解放の歴史を否認するのと同じだ」[鄭東泳(チョン・ドンヨン)NSC=国家安全保障会議常任委員長兼統一部長官]という発言に集中的に現れています。侵略する側は痛みは感じないが侵略された側はその痛みをいつまでも忘れないという事実がこの問題に深く深く横たわっていることを直視する必要があるでしょう。
竹島の領有は植民地化以前から確認されていたことであるわけですが[たとえば田中さんのホームページ参照]、韓国側はこれには(故意かどうかわかりませんが)触れずもっぱら「第2の韓半島侵奪」としてセンセーショナルに対応しているというのが実態です。
だとすればこの問題での対応はどうあるべきなのか。外交問題として道理を尽くして交渉を続けることは当然だし、双方の主張を国民レベルで十分に検討し合うことがまず必要なことでしょう。
現状を見る限り解決への道のりはかなりありそうですが、何年かかろうが話し合いによって平和的に解決をはかることしか道はありません。
私が最も恐れるのは「領土主権侵害に武力行使さえできないようでは独立国とはいえない」というナショナリズムと結びついた日本の軍国化路線のさらなる強化です。いままさにその方向にすすみつつあるからよけいに怖い。韓国の世論はその点に敏感に反応していると私には思えます。竹島問題は単に領有を巡る問題ではなく両者の侵略・被侵略という歴史を背景に「身体に刻まれた」問題として提起されていることなのだということを忘れてはならないでしょう。そしてそれ故に、日本の進路をどうするのかという選択を私たち一人ひとりに突きつけている問題としてとらえる必要があると私は考えます。


  3月15日 (火)
長い間更新していなかった英語の日記のコーナーを削除(いずれどこかで復活する予定)してしまいました。書かないのにトップページにいつまでも置いておくわけにはいきません。その気はあるのですが、結局集中して書くという時間を持つことができませんでした。書くにはどうしてもそれなりに構えてしまう。やっぱりあんまりかっこわるい文を書くわけにはいかないと思うとついおっくうになってしまう。だからとにかく時間がかかるんですね。MNEMOさんやMikeには叱られそうですが、こればっかりは自分に正直にやっていくしかありません。
時には背伸びして力を集中することも必要かもしれませんが、いつもいつも頑張ってばかりいられるわけではないし、それをメインにするわけでもないので、ま、いっか、という気になったのです。
Mike君には必ずまた書くからねと大見得を切った手前続けなければいけないんだけど・・許してね。できるだけ早くまた復活できるように心がけるから。
そのかわり、にもなりませんが、最近の「フラワー・アレンジメント」のコーナーと差し替えました。
何となく「女の子」っぽい(それ自体私がジェンダー体制にとらわれているってことかな)感じがしないわけではないのですが、男とか女とかという壁を突破しないといけないから、あえて私好みのデザインでご紹介。
それぞれの作品でも書いたとおり、何しろ急に浮上したこの世界。こんなはずではなかったのですが、これもまた何かの縁。少しずつ作っては紹介して行きますのでご批判をお願いいたします。まだ物まねから脱却できませんが、あまり無理せず当面師にできるだけ近づくことを目指していきますね。
ドライ・フラワー・アレンジメントのページ


  3月14日 (月)
母を迎えに来てくれた宅老所の職員の方が「こっちは晴れていていいですねえ。正科では雪が舞っていましたよ」と言っていました。まだ冬型の気圧配置が続いているのでしょうか。
このところ私の日記は何となく生彩がないですね。人間そういつも頭が動いてばかりいるわけではないし、いろいろ波もあるわけで、大目に見てもらうことにしましょう。
来週20日(日)には「鍵役」と呼ぶ川ざらえを中心とした作業と自治会の定期総会とが予定されています。朝8時から夕方5時までの一日の行事。さて、こんなときは大変困ってしまいます。出ないと「出不足金」というペナルティが課せられるし、出ればヘルパーさんの派遣を要請しなければなりません。どっちにしても持ち出しの作業ということになる。ペなりティの額の方がはるかに大きいのでこれはヘルパーさんしかないなというわけで先ほど派遣の手配をしました。
朝からの作業は川・溝のたまった泥を除いたり覆いをしたりする作業で農村部ではどこでもよく見る光景なのでしょう。
ちょっと余談ですが、私の子どもの頃に母に連れられていった石川の農村でも年に1回か2回水路を止めて川ざらえをやっていました。当時は魚がたくさんいたので水を止めるとそれらの魚が一斉に姿を現すのです。種類も多くそれらを網ですくってとらえるところを興味津々で見ていた記憶があります。

池田に来て初めて聞いたこの「鍵役」という用語、私には何のことか意味がわかりませんでした。ウエブ検索をしてもなかなかヒットしない極めて古い用語のようです。「かぎやく」とはいわないで「かんやく」かまたは「かいやく」と発音しているらしい。それも耳からだけなのでよくわからない。
いろいろ調べてみると、ある税金の話について記述したホームページの「棟別銭」という項目に、「棟別銭というのは、家屋の棟の数に応じてかけられた鎌倉〜戦国時代の税金で、大名の住まいや神社、寺、橋の修理・造営に使われました。この課税を逃れようと考えられたのが、テレビの時代劇でおなじみの家屋造りと言われています。しかし、そのうち門役が設けられて、出入り口の数に応じて課税されるようになると、家屋の出入り口を1つにしてしまいました。すると、今度は鍵役によって、カマドの数に応じて課税したという話が残っています」とありました。
福沢諭吉「文明論の概略巻之五(第九章 日本文明の由來) 」には「段錢とは田地にかけて錢を出さしむ、今の高掛りと云ふが如し。棟別とは 軒別に割附て銀を出さしむるなり、今云ふ鍵役などに同じ」という記述があります。上の説明と同じですね。
家別にしろカマド別にしろ、要するに「鍵役」とは「鍵をかけられる家ごとに課役される税金」のことでそれが転じて家ごとに課せられる勤労作業という意味らしい。私なりの勝手な想像なのでまちがっているかもしれません。ご存じの方がいらっしゃったら教えてくださいね。

娘から孫の様子が相当に悪化しているようなので詳しく見てもらったらインフルエンザA型とのこと。心配な症状が出ていて娘からは不安でならないという連絡がありました。とにかくしっかり検査をして最新の治療法で快復するように全力を尽くしてもらうしかありません。早く全快してまた長野に遊びに来てくれるのを待っていましょう。


  3月12日 (土)
夕方から町内(第6常会)の年度末総会が開かれたので出席してきました。出席者は約30名ほど。年度末総会ですからこの一年間の経過報告・会計報告、役員の改選などがありました。
年に何回かある草取りとか総会とかでもなければ町内の人の顔を見ることができないので貴重な会合です。そのあとの懇親会までいたかったのですが、母がまだ睡眠モードではなくテレビの前にそのままにしてきたのでこれは欠席せざるを得ませんでした。
班の規模はそれほどでもないのに役職の数が多くて割り振りに班長も苦慮して提案していましたが、何とか新年度の役員もそろってよかった。私自身は年内にはとなりの町内に引っ越しの予定なので積極的に役員を引き受けるわけにもいかず、様子を眺めておりました。
ところでこちらでは班といったり組と言ったりしていましたが、今日ようやく「隣組」という意味がわかりました。要するに自治会の最小単位の班をそう呼ぶんですね。私にはどうもこの隣組という言い方がしっくり来ません。戦前から受け継いでいるんですかねえ。
防災、防犯の委員も町内の組織に位置づけられていますから、よほど気をつけないといけないと思います。自治会という組織にふさわしい機構がどうあるべきか、私もよく考えなければならないと思わされました。

BSEの全頭検査の緩和をねらっている政府の諮問委員会ではどうもアメリカの顔色をうかがうような空気が大勢のようですが、それでも委員から異論がでて諮問の結論は次回に持ち越されたようです。
アメリカは現在のように米国産牛肉の輸入を禁止し続けるならば制裁措置もとるという強硬な姿勢をつきつけて日本側の全頭検査見直しを迫っています。けしからん話です。最終的には農水省が決定するわけですが、アメリカの圧力に屈して国民の健康を蔑ろにするようなことがあれば後々の世代まで禍根を残すことになるでしょう。

昼過ぎから次第に冷え込んできて、夜9時頃にはすでに氷が張っています。零下2,3度まで下がっている様子。昼は晴れ間も見える天気でしたが北アルプスは分厚い雪雲で覆われていました。冬型の気圧配置が強まり、明日からあさってにかけて北陸から北の日本海側ではまたまた雪の予報です。ひどくならなければいいのですが。

夜はフジテレビ系列のプレミアム・ステージ「ダ・ビンチ最大の謎と秘密の暗号」を見ていました。世紀の天才が残したといわれる数々の謎解きに挑むという意味ではとても興味深く面白い番組でした。ただし、黄金比と鏡文字はあまり謎めいて描くべきではないと私には思われましたね。黄金比は不思議に満ちているとはいえ、ギリシャの昔から美術に使われていた単なる一つの代数的比率にすぎないわけだし、鏡文字も、彼が左利きだから右手用に作られた文字を最も効率よく早く記述するには鏡文字が合理的であるという(これは私の推論)だけのことでしょう。ただし、マグダラのマリアやシオン修道会に関する話題、最後の12枚の絵画などは初めて知ることもたくさんあって興味は尽きなかった。ダビンチ役の竹中さんもなかなかの熱演だったし。


  3月10日 (木)
今から60年前の3月9日未明から10日にかけて米軍による東京への無差別絨毯爆撃(いわゆる東京大空襲)が行われます。それまでの軍需工場などへのピンポイント爆撃から無差別大量殺戮へと質的な戦術転換を遂げ日でした。それ以後8月15日の終戦にかけて日本中がこの焼夷弾による爆撃にさらされることになります。それによる死傷者の正確な数字は不明です。戦勝者・爆撃する方は自らの軍隊の死傷者は正確に把握していますが、攻撃する相手の死傷者数には関心を持ちません。多ければ多いほどいいという論理。その論理はイラクでの米軍の攻撃でも健在ですね。
さて、富山が空襲のターゲットにされたのは東京大空襲から数か月後の8月2日。富山市が公表している空襲による死者の数は2737人ですが、「富山大空襲を語り継ぐ会」の推定では3000人をくだらないだろうとされています。
このページで何度か書いたことがあるのですが、ちょうどその当時父は戦地(東南アジア)に行っており、母は田舎の疎開先で8月を迎えました。もし何らかの事情で母が市内にとどまっていたとしたら、私もひょっとして存在しなかったかもしれません。なぜならそのとき私は母のお腹のなかにいたからです。
富山の大空襲のとき、石川県に住んでいた両親・姉妹たちは富山の上空が真っ赤に染まっているのをぼう然とみていたといまだに会うごとに話してくれます。
私がまだ小学校に行くか行かないかの子どもの頃原っぱで遊んでいると、不発弾なのか抜け殻なのかは定かではありませんでしたが、焼夷弾がたくさん地面から顔を出しているのを見かけたものでした。なぜかそのシーンは今でも頭に焼き付いて離れません。「不発弾かもしれないから決してさわってはいけない」と父母に諭されたものでした。
富山の焼夷弾の量は東京大空襲に匹敵するくらい(3月10日の東京大空襲での焼夷弾投下総量は1,665dといわれるから、富山のそれはわずかに200dを下回るだけである「富山大空襲を語り継ぐ会」)の爆弾が降り注いだわけですから、どんなに処理をしても追いつかなかったのでしょう。
妻の出生地である沖縄南部はあの戦争で日本で唯一地上戦が行われた土地です。海を埋め尽くす米軍艦船からの艦砲射撃で無数の砲弾が撃ち込まれ、さらに上陸して侵攻する米軍によって殺され焼かれた数多くの人たちがいたことも大空襲と同時に記憶にとどめておくべきことです。
東京大空襲にしても富山大空襲にしても沖縄戦にしても、「戦争の帰結」がどんなものかを知る意味で決して忘れてはならない体験だと思います。戦争を知らない世代は語り継がれるべき、あるいはもっと積極的に祖父母の世代に語ることを求めるべきことがらではないのでしょうか。
ところで、私たちは何のためにそれらを語り継ぐのか。悲惨な体験を2度と繰り返してはならないという意味ではごく一般的な平和への意志にすぎません。それはもちろん大変大切なことではあるけれど、それだけでは無いはずです。何よりも日本はあの戦争でアジアの人々に残虐の限りを尽くし言いしれぬ犠牲を強いた張本人であった事実を踏まえる必要があります。そして、同時に「9条改憲」を射程距離において「戦争ができる国家」への傾斜をますます深めている現在の状況とリンクして考える必要があると私は考えるのです。
これまでも何度も主張してきましたが、戦争は「しのびよる」のです。「戦争国家」を指向する勢力にやすやすとだまされないために、私たちは過去のできごとを含めてあらゆることを”知る”必要があるのだと私は強調したいのです。


  3月9日 (水)
今日は母が宅老所に行く日です。天気がよいと玄関先でしばらく日向ぼっこをして迎えの車が来るのを待っています。
母を送り出してから私は予定通りフラワー・アレンジメントを習いに梓川まで。先生の言うとおりにやってまず作品第1号が仕上がりました。
家に帰ってからも母の食事や着替えの時間を除いてずっとツル細工に夢中になっていましたから、今日は頭の中がツルだらけになっています。




  3月8日 (火)
今日も昨日に引き続いてポカポカ陽気。朝は霜が降りてかなり冷えたようでしたが日中の気温は14,5度まで上昇したらしい。明日まではこの陽気が続くようです。こんな日は縁側でねそべって日向ぼっこをしているのが最高。こんないい天気に一日家に籠もっているなんてどうかしていると自分でも思いますが、残念ながら委託ホームページの更新作業をずっとやっていたため身動きがとれなかったのです。
画面を見るのが疲れると例のボール作り。昨日まで妻といっしょに大量の「つる」を採取してきたので思い切って2個目のボールに挑戦しました。大きいボールを作るとなると長いつるが要るし最初の作業が思いの外むずかしく手間取ってしまいました。
画面にむかったりボールに向かったりしているうちに一日が終わり。あ〜あ、何だか頭の中が空っぽになっていきそうです。明日はちょっと時間をとって本を読んだりたまっている映画をみよっと。あっ、フラワー・アレンジメントを習いに行くのであった。そろそろ畑仕事の準備もしなければならない時期になってきたしなあ。何をやってんだかわからなくなってきた・・・。

そうそう、お向かいのOさんが庭先に「ふきのとう」が出たからというので二つばかり持ってきてくれました。直売所で見ていても今までは見過ごすだけでしたが、今回はせっかくのプレゼント。さっそくゴマ和えにしてみました。ふきのとうをサッとゆでてアクを抜き、芯を除いてそれ以外の緑色の部分をみじん切りに。すりつぶした煎り胡麻に味噌、みりん、砂糖を加えフキノトウを混ぜてできあがり。自己流ゴマ和えです。あつあつの御飯に載せて食してみると、これがまた何ともいえない春の味覚。たまらん。


  3月7日 (月)
妻が池田に来ていたために、もっぱら毎日の出来事の記録は妻の当番ということで、その間私はお休み。あとわずかで妻が池田に来るのですが、その後の日記はどうなるんでしょうね。今は池田と富山ですから別の生活をそれぞれに紹介しているわけですが、毎日同じように暮らしているとちょっと苦しくなりそうです。もちろん、それぞれに違いは当然あるわけだから書く内容も異なるはずですけれど・・・。ま、何とかなるでしょう。
さて、今日は朝からうららかな春の一日でした。春が駆け足でやってきたという感じ。雲一つない晴天に恵まれて日向ぼっこをしていると眠気が襲ってきます。
まだ残雪がところどころに見られる庭なのですが、軒下の草むらには小さい可愛らしい花弁がいくつも開いていました。朝晩の凍てつく寒さにもめげず、雑草の生命力というのはすごいですね。


今日はお昼近くから妻と2人で穂高町のギャラリー「ぬく森」にでかけました。「裂き織り展」を見るのと、先日そこで作成した「ランプ・シェード」を先生に見てもらうこと(出来たら見せて欲しいと言われていた)が目的でした。
妻は「つる細工」より「裂き織り」の方に興味があったようで、その先生といろいろと話がはずんでいました。その後は近くのレストランでちょっと遅めの食事をしたりしてのんびりドライブを楽しむことができました。
穂高から見る北アルプスはすぐそばまで山が迫っている分迫力があり見応えがありました。白く輝く白馬方面の山々はいつ見てもすばらしい景観です。
妻は3時頃富山へ戻っていきました。途中温泉に入っていくのが楽しみだと言っていました。天気もよいので車の運転も快適でしょう。
私の方はデイ・サービスから帰ってきた母とまたしばらく2人の生活。次第に日が長くなっているので夏の生活に少しずつ近づけていかないといけません。


  3月3日 (木)
このところ創作づいていますが、昨日またビーズの先生からあるギャラリーでの展示会の案内を受けました。今度はドライフラワー・アレンジメントです。ドライフラワーを使った作品作りは一度やってみたかったのではるばるでかけていきました。
ちょうど2人展の最中。ここでもつるを使ったリースにフラワーをアレンジしてなかなか見応えがありました。
その会場はちょっと奥まったところにあるのでわかりにくいのが難点。私が招待されたのは作品を見て欲しいということ同時にホームページで紹介して欲しいということにあったようでした。そのお店ではハーブガーデンを持ちそこで栽培した花を中心にドライフラワーをつくって作品にするというようにすべて自家製・手作りが基本。お店もこじんまりとしてハーブ・ティーも楽しめるアットホームな雰囲気でした。私にも近くこのフラワーアレンジメントを教えてもらえるようにお願いして帰ってきました。





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テレビのニュースでは堤コクド前会長の逮捕のニュースばっかり。かねてから予測されていたわけだし今に始まった話ではないのですが、「堤王国」に関係した人ならずとも「堤容疑者」というテロップを複雑な思いで眺めたことでしょう。
「堤義明氏の会社で安定銘柄です」と証券会社に勧められ退職後の楽しみに株を買った人、西武沿線に住んで昔から親しみを感じてコツコツと株を買い求めた人など、個人株主はいずれも西武ブランドに好印象を持っていた人ばかりだったろうと思います。それが東証が上場廃止を決めた昨年11月16日を前後して株が暴落、資産がみるみる無くなっていったわけですから激しい怒りがわき起こるのは当然です。
今回の容疑は株式のインサイダー取引ですが、西武建設をはじめとする関連企業の問題点や、土地開発の利権にからむ政治家連中の問題も当然洗い出す必要がありそうです。奢れる者も久しからず・・・偏に風の前の塵に同じ。

太平洋側を低気圧が通過するために関東地方も大雪になる恐れがあるとか。名残雪くらいで済めばいいのですけど。くれぐれもご用心。


  3月1日 (火)
夜に入ってかなり冷え込み、空には今まで見たこともないくらいたくさんの星が瞬いています。外のペットボトルは完全に製氷器と化して明日までには全部凍り付いてしまっていることでしょう。

今日は予定通り朝からいそいそと「つる編み教室」に出かけました。母は宅老所で世話してもらえるように特別にお願いしてあったので一日安心して出かけることができました。
道中、池田は良い天気だったのに穂高の温泉郷を過ぎたあたりから雪が舞い始めたのにはびっくり。しかしさすがに3月。ふわふわとした春の淡雪で積もるほどではありませんでした。
会場は「ぬく森」という以前訪れたギャラリーで、今回の講習会の参加者はほとんどが常連客らしい4 0〜50代の女性たちでした。その中にちょっと煤けた黒一点。
全員が集まったところで車に分乗して近くの松林に材料の「つづら藤」を採集に。10人ちょっとでわいわい言いながら夢中でつる探しです。木にからまっているのでなかなか取れず結構たいへんでした。それでもこれからの作業に十分な量のつるをそれぞれが取ることができました。
その後は穂高町有明(山麓線ぞい)の和風レストラン「きこり亭」で会食でした。実はこれが私のネライの一つでもあったのです。実際、なかなかオシャレなつくりのレストランで、料理も安くて美味しいお店でした。「ここを紹介すると必ずまた来てくれる」という「つる編み」の先生の言葉をそのまま素直に受け取れましたから。
女性たちはそれぞれ2,3人の友達連れで来ているので1人参加の私ははみ出し者。先生の横で静かに食事を楽しんでおりました。

さて、食後はギャラリーにもどっていよいよ「つる編み」作業です。最初に先生の一般的な作業工程の説明があり、最初のとりかかりを実際に実演してくれました。
何を作るかというと電気のカサです。いやいや「ランプ・シェイド」と言うのです。ま、そんな言い方もあるか、日本語にすると「電気のカサ」じゃないかと内心つぶやきつつ、女性の方々の手前「生まれた時からそんなこと知っていた」というような顔をしている私でした。
その「ランプ・シェイド」・・・どうでもいいけど・・・いざ作り始めるとつるがボールからツルリンとすべるし、途中でつるがポキンと折れるし先生の言うようにはなかなかうまくいきません。私は30分ほどツルリン・ポッキンに四苦八苦しながらついに作業放棄。頭を冷やしてまた最初からやりなおしです。どうやら最初にボールに巻きつけたつるが緩かったために他のつるを巻こうとしてうまくいかなかったと反省し、今度ははじめから心して取り組んでどうにか初期の作業を首尾良く通過することができました。
先生は1人ひとりを回りながら適切にアドバイスをしたりちょっと手伝ったりして忙しそう。参加者も「ダメダ〜」とか「どうしてみんなそんなにうまくいくの〜」とかと言いながら一心不乱に制作に専念、他のおしゃべりをする余裕も何もあったもんじゃありません。集中力と忍耐の世界ですね。こりゃ。私も制作中はまわりの一切が眼中から消えてただもう必死でつるを巻き付けるという「トランス状態」でありました。正座がいちばんやりやすい姿勢なのですが、足は痛くなるし腰はいたくなるし、情けない姿勢でランプの精にとりつかれていること1時間半。一段落してようやく他の人の作品をみる余裕がでてきたので了解をとって写真撮影。見るとみなさんそれぞれになかなかの力作をつくっていらっしゃいました。
私が材料をもちこんだり、つるをしっかり巻いているのを見たとなりの女性が「ご主人、A型でしょう」だって。「なんでこんなところに血液型がでてくるわけ?」と聞くと「几帳面だから」となかなか観察が鋭い。その直後「用事がありますのでお先に」と席を立った人を皮切りにまたまた三々五々終了の態勢に入り、午後4時、残りの作業は自宅でということにしてお開きとなりました。
しかし、この「ランプのカサ」作り、思ったよりもはるかに大変な作業です。とにかく果てしがない。つるはどっさり時間も無限に必要というような恐るべき作業です。道理で先生の立派な作品ともなると8000円とか1万円とかという値段がついています。材料はタダ。時間さえあればよいわけだから、いや〜ハマリますねえ。よし、私も「ランプ・シェイド」に目覚めて、一万円の作品をめざすぞ。誰か買って〜〜〜。

写真は上が作業風景。下は私の第一号「ランプ・シェイド」(まだ未完成)








"Sky Is Blue" by Mr. Blue Piano Man


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