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  7月31日 (日)
私が生きている間に理解したいと思う理論が2つあるんです。多分出来ないだろうなと思う気持ちが99.9パーセントですが、わずか0.1パーセントでも可能性にかけたい。それは・・・ですね、マルクスの「資本論」とアインシュタインの特殊・一般相対性理論なんです!!
資本論は第一巻の1/4ほどはかつてノートも取りながら読んだことはあるけれど結局挫折。アインシュタインの相対性理論は大学で講義をうけたことはあるけれど物理オンチの私にはとうてい理解不能でした。
「60からの手習い」としてこの2つに挑戦するのはなかなかの冒険(夢想に近い)ですが、ちょっとでもそれに近づけたらすごいことですね。
最近イギリスのBBCラジオの一番組がウエブサイトで「人類史を通じて最も偉大な哲学者は誰か」という投票をやったところ、3万4千人の投票のうちダントツの一位でカール・マルクスが選ばれ、司会者もびっくりしたというニュースがありました。
(1位のマルクスは27.93%。2位がデイビッド・ヒュームで12.69%)
私が大学に在学中は学生運動の高揚期でしたから当然マルクスやエンゲルス、ヘーゲル、レーニンなどの著作は必読で読んでいないと軽蔑のまなざしで見られたものです。資本論を除いてはずいぶん読んだことを覚えていますが、それから以後はこれらの諸文献はさっぱり。
この番組にコメントを寄せた歴史学者エリック・ボブズホーム氏の解説ではありませんが「ソ連の崩壊でマルクスは解き放たれた」のは事実。先行きが見えない現代こそその思想に触れてみる好機といえるのではないでしょうか。・・・と言ってはみたものの、資本論を読むとなるとえらいことだ。
一方のアインシュタイン。今年は特殊相対性理論発表から100年目なんですね。
映画「マリリンとアインシュタイン」で傷心のマリリン・モンローがこれも広島・長崎へ原爆投下がトラウマとなっているアインシュタインのもとを訪ね特殊相対性理論を説明し出す場面があります。圧巻です。マリリンでさえ説明できる相対性理論、理解できないはずはないと思うのですが・・・。
つい2,3日前アインシュタインが一般の読者のために「ほとんど数式なし」に解説した啓蒙書”特殊および一般「相対性理論」について”という本を読んでみました。だいたい漠然とは知っていたことが多かったのですが、結局体系的な理解はまるで不十分。しかし、E=mc2という例の静止質量とエネルギーの関係式がどこから導かれるのかという点はよくわかった。
アインシュタインが光量子仮説・ブラウン運動・特殊相対性理論という3つの論文で世界の物理学会に一大衝撃を与えたのは1905年、彼が26才のときでまだスイスの特許局に勤める技師にすぎなかったというのはよく知られた事実です。
この世界のさまざまな側面をどのように理解するか、その興味・関心の度合いや関わり方はそれこそ人それぞれです。少数の天才によって歴史が加速されるのも事実なら、マルクスやアインシュタインに教わらなくても生き方それ自体をもって哲学を語ることのできる名もない人々がいることも事実。
そのどちらも側面にも心を配りつつほんの僅かでも何かをつかめたらいいな・・・と。


ところで昨日「太陽系第10惑星」発見のニュース。BBCウエブ版ではトップニュースでした。
2003年に発見されながら遠すぎて正体不明としてそのままになっていたらしいのですが、これが惑星として認められるかどうかは今後精査し国際天文学会で確定することになるという話。先日の彗星への衝突実験に続いて宇宙規模の実験、観察が新しいレベルに達していることを痛感します。それにしてもこの地球上を掃除してきれいにしなければこうした成果もだいなしですね。


  7月30日 (土)
いろんな用事で豊科方面に出かけることがあります。その途中の道路には電光掲示で気温が表示されているのですが、たいてい33度とか35度とかとなっているので安曇野も熱帯です。こんなはずではなかったのですけど・・・。誰ですか、池田に来る前に「エアコンなんていらないよ」と言っていた人は。日が沈むとさすがに都会のように外気は下がって気持ちよくなりますが、古い建て付けの悪い家の中はずっと熱がこもってエアコン無しでは結構きつい。


午後から妻と住宅の見学会に行ってきました。以前から我が家の建築を手がけている業者から「同じ工法で建築した建物があるので見に来ないか」と誘われていたので、ちょっと遠かったのですが思い切って出かけていったのです。
場所は長野道の麻績インターから15分ほどの坂井村というところで、こんなところで見学会がと思うほど山あいの静かなところでした。
到着するとノボリやテントが張ってありいつもの見慣れたメンバーが迎えてくれました。すでに一組の見学者が来ており社長から説明を受けている最中でした。それでも私たちを見つけるとすぐに来てくれて室内をいっしょにまわりながら詳しく説明をしてくれました。
池田町だけでなく大町・豊科まで含めるといろんな特徴のある建築業者がいてそれぞれその土地にあった工法を開発しています。
私たちが現在建築を依頼しているこの業者の工法もそれなりに池田の土地にあった建築方法を開発していて「工法そのものによって夏すずしく冬暖かい住宅にする」というのがコンセプト。その秘密は単に断熱材で熱を遮断するのではなく、外壁と内壁の間に空間を設けることによって空気の循環を効果的に行うことがポイント。冬凍り付く地下の部分は完全に遮断して地熱(夏は冷たく冬は暖かい)を利用することも大きな特徴です。
見学した家は結構大きな敷地に建ちほぼ総2階の広い住宅でゆったりとした間取りが魅力的でした。現在設計中の我が家と比べるとその点では当然見劣りがしますが、そこは「匠の技で何とかしてくれ」と頼み込んできました。果たしてどうなることか。設計図ができあがり見積もりが出てくるまで何かと気を揉む日が続きます。

今日は池田の祭り「池田あっぱれ」の日でした。昨年もそうでしたが母のことがあるので結局参加できずじまい。来年こそは是非見に出かけたいと思っています。

東京有明コロシアムでは中央「九条の会」の大講演会が9500人(朝日web)の参加で大成功。これに学んで地域レベルでの活動をいっそう活発にしなければなりません。


  7月27日 (水)
台風が去って朝から夏らしい日差しが照りつけ、北アルプスも夏の深緑の山肌をくっきりと見せていました。台風が夏空を連れてきて、いよいよ夏本番という感じです。
いままで何かと慌ただしい日でしたが、今日はようやく時間的にも余裕のある一日になりました。私はお花の教室に、妻は山形村まで映画館などの偵察に出かけることになりました。
久しぶりにくぐったドライフラワー・アレンジの教室。部屋に飾ってある先生のアレンジ作品も季節によって異なる花を使うのでどことなくこれまでと違って見えました。
詳細は「アレンジ作品のコーナー」を見ていただくことにしますが、この作品で何とこれまで25個のアレンジ・フラワーをつくったことになるのですね。それにしてはまだ先生から手取り足取りで目立った進歩のないのが悲しい。独立できるまでまだまだ修行しなければなりません。

さて、それはそうと先日農協の案内で「年金説明会」というのに行ってきました。私の場合は公立学校共済年金と厚生年金とがある程度あり、あとは国民年金というかなり複雑な掛け金の状態なのですが、説明を聞いているともう暗澹たる気持ちになってきてしまいました。65才でフルに受け取っても10万円あるかどうか。もしこれが一人ならどうやって生活をしていけというのですかね。年金支給時の先送り経過措置のただ中にある私のような世代にとってそうなのですから、国民年金のみで生活をしなければならない人たちにとっては老後はまさにこの世の地獄への入り口というに等しいものでしょう。自分で自分の老後の面倒をみるというのが政府の方針なのですから、社会保障も何もあったものではありません。


現在無職で母の年金頼みの私。少しでもお小遣いを稼ごうと持っていたアップルの未使用ソフト(最初のバージョン+アップグレードあわせて3本)をヤフ・オクに出したのです。無事落札されてさて商品を送ろうとしてよくよく見たら新品のはずが、最初のバージョンだけ開封されていた!!何と言うことでしょう(ビフォー・アフターみたいですが)。どうやら封を切って中を見てそのままにしていたようなのです。かなり昔のことなので全く忘れ新品だとばかり思いこんでいたのですね。
あわてて落札者にメールを送り対応を相談しました。その後の私の対応も勝手な判断があったために、やんわりとではあるけれどかなり厳しい批判のお言葉をいただいてしまいシュン。ドジを踏んで完全にミソをつけてしまいました。反省です。ミソをつけるのはキュウリだけでいい。


  7月24日 (日)
庭にかなり大きな小柿の木が一本あります。昨日の写真は住み着いて我が家の庭を運動場としているネコがどうしたわけか3メートルほど太い幹をよじのぼり枝の上で何かを追いかけているところです。別にネコをおだてたわけではありませんが、最近高いところに登るのが好きになっている様子でおもしろい。
ところで妻とネコ派か犬派かという話をしたことがありました。妻は「犬のほうがいい」といいます。私も今まではどちらかというと犬の方がよかったのですが、小さいときからどちらも身近にいましたからネコも好きなのです。
「ネコなで声」「泥棒ネコ」などとあんまりいいことの喩えにはならないネコですが、しぐさや表情、鳴き声などをよく観察していると実に興味深い愛すべき生き物であることがわかります。とりわけ野良ネコとなると実にしなやかでしたたかです。
何しろ自立心が強く気ままで気分屋で、時には甘え過ぎで媚びるような時もあれば勝手に飛び回り決して言うことを聞かない奔放さも合わせ持っている。餌をやる人間になつくというのは犬もネコも場合によってはヒトも同じですが、ネコの場合は忠誠心なんてどこ吹く風というのがよい。悪く言えば勝手気まま。よく言えば独立心旺盛。まだ時々は近くのボスに追われていますが、素早い身のこなしで何とか切り抜けているようです。
私にじゃれて噛みついても決して本気では噛まない。痛くない程度に加減をします。母ネコが子猫を口にくわえていくあの感覚とでもいえばいいのか。母に噛みつかれたりツメを立てられたりして生傷の絶えないこのごろの私ですからこれは母も習ってくれないかな。
というわけで、ネコの遺伝子の”すごさ”を感じている今日この頃なのであります。




  7月23日 (土)
このところ更新が滞っていますが、とくに問題があるわけではありませんのでご心配なく。毎日暑いので動作が緩慢になり、何をするにも億劫になっていきおいパソコンに向かう時間も短くなっているこのごろです。
昨日朝、妻が娘と孫を富山まで送っていきそのまま来週火曜まで富山に滞在します。よって、またまた母との二人暮らしになっています。
今朝は建設会社からの連絡ですぐ近くの事務所まで出かけていきました。設計の前段階のプラン作りのツメに行ってきたのです。これでようやく設計に入ることができます。
いざ計画を立ててみると収納の問題や風通しの問題その他もろもろの問題が出てきてなかなか思うように間取りができなく結構手間取ってしまいました。
家屋は平屋でほぼ40坪。妻と母と私の3人暮らしには十分な広さですが、よく子どもたちや知人が泊まりにくることも考慮してある程度のスペースは確保しないといけません。ビデオテープ、パソコン機器の量などを考えると収納も相当いるので屋根裏・床下収納にも工夫をして何とか予算をオーバーしないように設計ができればと願っています。

ところで我がホームページも1年半を経過して、そろそろリニューアルの時期に来ているように思っています。コンテンツの中には長く更新していないものもあるし、掲示板ももう賞味期間を過ぎているようにも思えます。大きく変える必要性は認めませんが、コンテンツを整理しつつ現在の問題意識に即応した新しいものも加えるかなとおおざっぱに考えているところです。いつからどうできるかはまだ未定。


昨日母のためにテレビをつけていましたら今はやりのヤンキー弁護士の「落ちこぼれを東大に入れる」というあの番組が目に入りました。
ヤンキーさんのセリフがふるっている。「数学はスポーツだ。マイナスを引くと何故プラスになるのかなどという理屈は考えなくてよい。条件反射で計算ができるようになればいいのだ」「出来ないことが悔しいという気持ちこそが東大合格の原動力なのだ」・・とまあ、言いたい放題。要するに負け組になるのが嫌なら「悔しさ」をバネにがむしゃらに突撃すればいいということのようです。
自らの意思にかかわらず社会的「弱者」に落とし込まれている人々の無念さも悲しさへの洞察も、人間の発達という教育的な価値への理解もなく、そこにあるのはただ「頂点をめざす」というゲーム感覚だけ。浅薄を通り越してゲームにもなっていない低劣な番組のつくりに吐き気すら覚えました。
いささか古めかしいスポコンものでも「アタックNo.1」の方は古さ故にまだ負けた悔しさを自らの錬磨とチームの友情とか連帯の中で克服していくという「人間くささ」や「さわやかさ」を持っていましたが、上記のような番組の中では友情とか連帯とかという言葉自身すでに死語と化してただ勝つか負けるかという殺伐とした世界です。
こうしてみれば「勝ち組負け組」などという「持てるもの」の立場からの人間切り捨ての論理を突き崩していかない限りお互いの個人としての価値を認めあえる社会などおよそ夢の夢ではないのでしょうか。

斉藤貴男さんの「安心のファシズム」(岩波新書)を再読しています。孫引きですが、エーリッヒ・フロムの次の省察と問いかけは強烈です。

「しかしファッシズムの脅威を国の内外を問わず真剣に取り上げてみても、もしわれわれが、われわれ自身の社会においても、個人の無意味と無力さという、どこででもファッシズム台頭の温床となるような現象に直面していることをみのがすならば、これほど大きな誤謬、重大な危険はない。
このような考えは、あらゆる外的な束縛から個人を解放することによって、近代デモクラシーは真の個人主義を完成したという通年と対立するものである。われわれはどのような外的権威にも従属していないことや、われわれの思想や感情を自由に表現できることを誇りとしている。そしてわれわれはこの自由こそ、ほとんど自動的にわれれの個性を保障するものであると考えている。
しかし思想を表現する権利は、われわれが自分の思想をもつことができるばあいにおいてだけ意味がある。外的権威からの自由は、われわれが自分の個性を確立することができる内的な心理的条件があってはじめて、恒久的な成果となる。われわれはその目標を達成したであろうか。あるいは少なくともそれに近づきつつあるだろうか」(「自由からの逃走」)(赤の文字部分は新書の本文では傍点)

斉藤さんは、この問いかけに「達成されていない、と私たちはうなだれるしかないように思われる」と書いています。私も同感です。
外的権威からの自由よりも逆にそれよりかかって安心を得ようとする国民的な心理状態が醸し出されている昨今、フロムの警句を胸先に鋭く突きつけて見る必要があると思われてなりません。私自身にしても。


  7月20日 (水)
18日から娘と孫が池田の我が家にやってきました。少しも休まずにあちこち動き回る孫の相手をしていたら日記の更新もままならず、つい日が開いてしまいました。
妻と朝の散歩を始めてから約一週間になります。今日はたまたま妻の体調が悪くお休みしましたが、何とか続いています。私は夏には夏時間になって割と朝早く目が覚めてしまうので外に出るのはあまり苦痛ではないのですが、妻はまだ朝ゆっくり寝ていたい方のようで、つい散歩に出る時間が遅くなってしまいます。
田んぼを横切るとすぐ低い山が連なった丘陵地帯になるので散歩には申し分ありません。いろんな花や木物を愛で、遠くの景色を眺めながら歩く朝の散歩はこの土地ならではの楽しみです。
ただ今のところちょっと距離が長いせいか、家に帰ってくると一日の仕事を終えたようでまた眠くなるのが玉に瑕。身体を徐々にならして長続きさせなければ意味ありませんね。


1ヶ月ほど前に今まで母の住んでいた富山の土地と建物を売却しました。昨日は大町の税務署まででかけて譲渡に関する税金の問題を相談してきました。
取得の際の代金より売却の代金が高ければその差額に税金がかかりますが、今回の場合はどうやらそれは免れられそうです。もし、取得時の代金を証明する書類などがなければ売却して手にした代金の5%が控除されるだけで95%に高率の税金がかかります。これは死活問題なのでしばらく前に必死で書類を集めました。これ以外にもいろいろとやっかいな問題があって税金の問題はまったく頭痛のタネです。
しかし、よくよく考えてみれば税金の問題は生活の上で大変大事なことでこれに関する知識はできるだけ沢山正確に持っていた方が不要な税金を納めなくてもすみます。還付申告もそうだし、確定申告もそう。今回のように譲渡収入があったときもますますそうした知識が要求されます。調べたり考えたりすることはとても面倒ですが、これだけは面倒がらずこまめにデータをあつめ、資料を整えてきちんと処理する必要がありますね。
庶民からとれるだけとるという権力者の税制政策から生活を守るためにもこのことは大変大切なことだと思わされました。


  7月17日 (日)
お向かいの大久保さんが亡くなってから10日あまりが過ぎました。ずっと後片付けをしていた息子さん達が、その作業もようやく一段落したようで今日あいさつにいらっしゃいました。建物の中身すべて撤去され庭もすっかり整地がされて以前の面影はほとんどなくなって、いよいよ寂しくなってしまいました。
片付けの作業の中で処分されそうになった本やいくつかの備品を頂いて来ましたから、それを見るたびに生前の彼を思い出すことができます。
私がひきとってきた彼の書籍はもうハンパではありません。段ボール箱3箱くらいの文庫本、それに和英・英和の高価な辞書類数冊。さらに英和・和英・英英中辞典の類でも数冊ありますから、それだけでも彼の勉強意欲が推測されます。これらをひきとったからにはその遺志をついで彼に負けないように語学の学習に励まないといけませんね。
彼の愛用のモンブランの万年筆も今は私の机上にあります。とても書きやすく手になじむすぐれものです。彼の思い出とともに私の傍らにずっといてくれるでしょう。

さて、その彼の蔵書の一冊に岩波新書の「イラク 戦争と占領」という本がありました。今それを読み始めています。
この本の最初には「解放軍」と自称してイラク入りした米軍が結局はフセイン型の強権・軍事支配を繰り返していることを豊富な実例を挙げて詳説しています。昨年テロ組織を殲滅するとして掃討作戦がおこなわれたファルージャの実態ももとをたどれば米軍が撒いたものであることはその端的な例です。「解放に来たのだ」という無邪気さは、一転ありとあらゆる「民間人」が「敵」に見えてしまうという、疑心暗鬼に変わる。「自由と民主化」をイラクに「輸出」するつもりで来たアメリカは、逆にイラクで他者への不信感と排外心と敵意を身につけていくのだーー筆者は指摘します。
この本の最後の方では、米軍の前にほとんど抵抗らしい抵抗もなくあっけないほどに瓦解したかに見えたイラク軍が、実は半年を経て米軍に対する抵抗軍として各地で再編され戦闘態勢を整えつつあると見ることも不可能ではないという指摘があります。
私自身もそのような見方にかなりの現実性があると思っているのです。つまり、いったんは米軍とその同盟軍をイラクに引き込んで抜き差しならない状態にしておいて時期をみて徹底したゲリラ戦に打って出るという戦略です。すべてではないにしても半分ほどもこの作戦が当たっているとすれば、日本の自衛隊もいよいよそのターゲットになる時が迫っているとみていいのではないでしょうか。
他国への軍事介入や侵略を「解放」と称するのはアメリカより日本が先の大戦で実行済みのことです。それに痛みも感じず反省もしない日本の支配層にとってアメリカの「大義」は大変理解出来ることであるに違いありません。
犠牲になるかもしれない自衛隊員を利用するのもお手のものの権力者。それゆえ決してあの大戦の日本の愚を再現させてはならないのです。

折しも昨日九条の会の有志から、8月にこの池田の地で平和講演会「イラクからの報告」を開きたいので協力して欲しいという依頼状を受け取りました。NPO法人「アラブの子どもと仲良くする会」の西村陽子さんの講演会を予定しており、その準備会を開きたいという案内でした。
ここはどんな小さな取り組みであろうと成功させ、地域から「米軍はイラクから手を引け、自衛隊は撤退せよ」の声を上げなければならないでしょう。




  7月15日 (金)
来月20日は弟の命日。亡くなってから丸2年がたつことになります。
弟の死因は「中皮腫」という腹腔内にできるガンでした。この「中皮腫」が最近にわかに社会問題になってきたのですから非常に気になっています。その原因は「石綿(アスベスト)」が主なものといいますから、弟とは直接には関係がないのかもしれませんが、ひょっとしたらという気持ちを棄てきれないのです。なぜなら、この中皮腫は潜伏期間が30年とか50年とかという非常に長いのが特徴で、弟は大学を卒業後すぐに某アルミ会社に就職をして現場で働いた期間があったからです。アルミ会社では石綿を使うことは考えにくいことですが、ひょっとしたら何らかの関係があったのかもしれません。何年かののち彼はX線技師の養成学校に入り資格を取った後はずっと病院勤めでした。ですから、もしアルミ関係の仕事の途中でアスベストに触れることがあったとすればそれからちょうど30年ですからつじつまは合います。
私は当初弟の死因がX線と関係があるのではないかと思っていたのですが、彼は全く否定していましたし、ましてやそれ以前の会社の環境の問題が関係しているかもしれないなどとは夢にも思わなかったでしょう。確かに因果関係は全く不明です。しかし社会問題になるほど「中皮腫」がクローズアップされると何らかの因果関係を疑わざるを得ないのですね。
医者は最初胃か腸にできたガンで、それを切除すれば治癒するのではないかと診断したようで、一時は切除手術の一歩手前まで行ったのです。しかし、どうも違うらしいということになり検査を続行。そうこうして病名を特定できたときはすでにガン細胞が腹膜内に蔓延して手遅れの状態になっていました。自覚症状がでてから死去するまでほぼ半年。いったん中皮腫が広がるとその速度は驚異的で、腸全体が固まりになってしまうほどでした。
弟はレントゲン関係の仕事をしているために自分のX線画像もよく見ており、かなり正確に自分の状態は把握していたようです。腸閉塞になったらそれで終わりだとしばしば言っていました。
しかし、解せないのは医者がこの病気は10万人に一人と言うくらいの珍しいガンで症例の報告もあまりなく、治療法も確立されていないと言っていたことです。
アスベストによる中皮腫はそれまでほとんど報告例がなく、ここ1.2年で急速にひろがったのでしょうか。治療法がないというのは現在もそのようですが、もはや珍しい病気とはいえなくなってしまったこのガン。それにしてもガンとの闘いにいつ終止符がうたれるのでしょうか。
因果関係が明確になっているアスベストによる「中皮腫」については実態の正確な把握と労災認定・補償などの措置を急いで取ってほしいものです。




  7月13日 (水)
今日は久しぶりに梓川までドライフラワー・アレンジを習いに出かけました。その詳細は「ドライフラワー・アレンジメント」のコーナーに譲ることにしますが、今日のレッスンは新しい技術の習得という意味で大変有意義でした。
一方の先生は、もう3年もこれをやっているのでちょっとマンネリになっている、何か新しいアイディアがあったら教えてほしいとおっしゃっていましたけど・・・。
今回のレッスンは、先生オリジナルのラベンダー・バスケット。ラベンダー・スティックの技術とドライフラワー・アレンジのワザをミックスして、ラベンダーの色・形・香りを十分に生かした可愛い花飾りを作るのです。
小さい作品ながら手が込んでいてとにかく時間がかかる。スティックにはちょっと飽きが来ていたところだったので、この作品はいたく気に入ってしまいました。というわけで、今日はこれに挑戦。
しかし、ラベンダーを使った作品も本当に奥が深い。細部に至るまで美しく整ったものを作るにはそれなりの修練が必要です。
ラベンダーの時期はもう終わりにさしかかってはいますが、今年はこれを完璧にマスターするぞ!! 来年からはこれらの技術を駆使してひと味違った作品を工夫してみようと思っています。

話は変わって、今日のニュースから。
まず「予定通り」衆議院厚生労働委員会で採決が行われた「障害者自立支援法案」。応能負担から応益負担への切り替えで障害者の自立を促すどころか、自立を阻害し生活の基盤を掘り崩す内容であることがますます明らかになっているのに全く耳を貸さない自公政権。多数の障害者がこの法案への強い不安を訴え真に実効ある立法を期待しているにもかかわらず、一方的に法案採決を強行した政権政党に激しい怒りを感じます。
多数の横暴で最も社会的に守られるべき障害者の人権を踏みにじるこの一事をとっても、この国の政権政党の人権感覚の完全な麻痺・その低劣さが読みとれます。
この問題は形を変えて必ず私たち一人一人の生活に襲いかかってくる。気がついたときはすでに遅かったということになってほしくないものです。そのためにも、この法案は衆議院本会議、参議院段階で完全に葬り去るべきです。
第2。扶桑社発行の「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書が栃木県大田原市で市町村ではじめて採択されたという問題です。
朝日新聞によれば「委員会終了後、市教委の小沼隆教育長は記者会見を開き、採択の理由について『自国の伝統、歴史を正しく学習して日本という国に愛着をもった子どもが育つと思う』と説明した。」ということらしい。
おそらくこの教育長は「つくる会」のメンバーと同じ歴史認識を持っているのでしょう。このような教育長が存在すること自体、憲法・教育基本法の立場からすれば本来あり得ないことですが、実際はこれが現実。大田原市での採択が突破口になるとは思われませんが、決して侮ることはできません。
本当にこの市の教育委員のみなさんは「つくる会」の教科書をつぶさに検討したのでしょうか。その他の教科書と比べてみたのでしょうか。どこをどう読めば「歴史を正しく学習」することになるのか、私にはまるで理解できません。
それともこの教育長「日本の国民は神代の昔から天皇を敬愛し和の精神を貴び国を愛してきた。あの戦争も米英などの圧力によって余儀なくされた自存・自衛の戦争であり、アジア解放の崇高な使命をもってたたかった戦争であった」とでも言いたいのでしょうか。いよいよこの国は教育・文化の面でも本格的な「戦争準備態勢」に突入したと私は確信しました。


  7月11日 (月)
昨日日記を更新しようとしたら、メインマシンが突然起動しなくなってしまいました。CD-ROMからさえ起動しないのでかなり深刻な事態のようです。
とりあえず「売れ残った」サブマシンにHDDをつけてデータを移し、ホームページの更新だけはできるようにしました。こっちのマシンもときどき不穏な動きをするので冷や冷やものです。
こんな時は、PCIカードのゆるみとかコードの断線とかが怪しいので調べる必要があります。しかし問題はなし。ウイルスも問題なし。たぶん、マザーボードのどこかに異常が発生したかCPUが壊れたかのどちらかでしょう。昨日はこの問題の対策と修復で夜遅くなってしまい、結局解決できないまま寝てしまいました。
パーツを組み立てて作ったマシンなので部品を交換するのは容易であるとはいえ、新しいものを買うとなると結構な値段がします。今回もやむなく新しいマザーとCPUを注文してしまいました。
コンピュータはいずれは壊れる機械です。細々としたトラブルはよく起こりますが、今回のように深刻な事態となると全く原因がつかめないのでお手上げ。これまでもよくあったように、部品を交換している間に「なんだ」ということになるのがオチでしょうか。
当分は別の予備のマシンを動かすしかないのですが、こっちの「問題行動」はどうやらサウンドカードのドライバにトラブルが発生したようで入れ替えたら今のところ何とか動いています。
何事もなく動いている間はこれが普通だと思ってしまいますが、いったん何か起こったらたちまち手がつけられなくなってしまいます。大事なデータがあるともうパニックです。これだからコンピュータは怖い。
データのバックアップはこまめに。あまり新しい怪しげなソフトは入れない。定期的にメインテナンスをする、などの対策を日頃からやっておきましょう。ね、みなさん。

          *****************************

大久保さんの家の片付けがようやく終盤に入っている様子です。ご家族の方も連日の作業でいささか疲れ気味のようですが、後始末の作業は今日でほぼ終わると話していました。
ところで、大久保さんが一年前に購入したマックのPower Book G4 17inchを息子さんたちの了解を得て先日私の手元に引き取ってきてありました。
今日はそれを彼の英会話の先生であるJ牧師に「形見」として渡すために、その先生に我が家に来ていただきました。彼も初代のPower Book 17inchのユーザーで、たまたま故障してほとんど使い物にならなくなっていたところで、何という不思議な縁なのかと驚いていました。私もPower Bookには大いに惹かれるものはあるけれど、いつも大事に使ってもらえる牧師さんに持っていてもらうのが一番だと話して受け取ってもらったのです。
ところが夕方のことです。メールチェックをしていたら、ワァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! 
先日亡くなったはずの大久保さんからメールが来た!! 目をこすって何度見ても、差出人は確かに「大久保宏」です。メールアドレスも間違いなく彼のものです。
"Thank you for your time!"
通夜や葬儀に出たり家の後片付けを手伝ったりしたことにお礼でも言いたくて天国からメールをくれたのか!と腰を抜かすほどにびっくり仰天しました。
彼が死ぬ直前に出したメールが今日届いた?? いえいえ。実は・・・そうなんです。今日手渡した大久保さんのPowerBookに入っていた私のアドレスを牧師さんが見て、彼のメールをそのまま使って午前中のお礼を書いてきたのでした。まいった。さすが天国と交流の深い牧師さんです。


  7月9日 (土)
昨日は妻とともに一日中大久保さんの家の片付けの手伝いをしました。彼は捨てるということを知らない性格であったためにため込んだものは想像を絶する量で、玉石混交、どこからお宝がでてくるかわからないという「宝探し」状態でした。このあたりの事情は妻の日記と掲示板でのMNEMOさんへの返事にゆずることにして今日は別の話を。

午後からしばらくぶりに遠くに外出しました。障害者運動をしている友人の薗部さんが長野大学の招きで講演を行う日にあたっていたので約一時間半車を走らせて上田まででかけたのです。
テーマは「北欧と日本ーー障害者の人権とIT」というものでした。
彼は、パソコンから画面をスクリーンに転送しプレゼンテーションソフトで作成した何枚もの画像や動画を駆使してわかりやすく講義をすすめてくれました。
日本ではインターネットの普及はきわめて高くなっているとはいえ、デジタル・アクセス・ランキングでは上位をスウェーデン、デンマーク・韓国が占め日本は15位に過ぎないという実態から話がはじまり、北欧にくらべてさまざまな困難な状態におかれている日本の障害者の情報・コミュニケーションの実態をつぎつぎと報告しました。
北欧では障害者が利用する建物を「施設」としてではなく人間がふつうに人間らしく住む「家」=生活とコミュニケーションの場=として捉えるようになっていること。公共事業とは老人や障害者のための施設や教育施設をつくることであって、ホームでの車いすやベッド、杖などの支給は町の仕事であり、ITは国の仕事であるという確固とした考えが定着していること。バリアフリーとは障害者のための考え方ではなく、市民が日常の生活を支障なくおくるためにこそ必要な考え方であることなど・・次々に大切な考え方を教えてくれました。
私自身は、北欧と比べることすら恥ずかしくなるような貧困な日本の実態を見るにつけて、果たしてこの社会に未来はあるのかしらとつい思ってしまいますが、「IT機器の利用を含めて障害者の人権を守ることは期待するべきことではなくたたかいとるものなのだ」という北欧の教訓を今一度かみしめる必要がありそうです。キンベさん、お疲れ様でした。




  7月7日 (木)
今日は大久保さんの葬儀の日。私は町内の人たちと受付などを手伝うために午前中から会場へでかけました。会場は隣町にある「JAホールまつかわ」というところでした。。
奥さんを亡くしてからずっと一人住まいであり、息子さんたちも遠くに住んでいるという関係から、通夜・葬儀などの一切をこの会場で行うことになったのです。ですから、彼の住んでいた家は葬儀の「そ」の字も感じさせないで、彼が生きていたときと全く同じたたずまいでそのまま建っています。葬儀に参列すれば彼が遠くに行ってしまったという実感がしますが、家に帰ればまた生前の元気な姿がひょっこりあらわれそうな気がして仕方がありません。
さて、葬儀は奥さんの祖父母の代からかかわりのある曹洞宗長福寺のお坊さんがおつとめをされました。禅宗の一宗派ですから、往生浄土が目的ではなく個人に悟りを開かせることを目的としているため、受戒作法とか引導法語とかの読経がかなり長く続きました。
これは儀式だから仕方がないけれど、大久保さんには悟りなど必要ない。あの世に行ってもいままでのままのほうがよほどいい。いつまでも思いのままに楽しく楽天的な生活をしてくれればいい・・・と私は密かに思っています。


彼は82才という年をものともせず自家用車で外に出ていろんな趣味や学習を楽しんでいましたから、沢山の深いつきあいをしてきた人たちがいます。しかし、決まった曜日、決まった時間のつきあいというのではなく、毎日のように朝早くから顔を見て話をし、コーヒーを飲みながら心おきなくいろんな話に花を咲かせてきた大切な隣人であったわけで、多分誰より濃密な時間を過ごしてきたのでした。
「いつも野菜をもらっているから」とアルバイトで手伝いに行っているパン屋から毎週欠かさず一山のパンを買ってきてくれたり、美味しい井戸水があるからと、わざわざポリタンクを私のために買ってくれて水がなくなると車で汲みに行ってくれていました。
新聞記事を持ってきて、これどう思うかと聞いてきたり、本の紹介もよくしてくれました。体調を崩していたのにもかかわらず、私のつくったつる細工の展示をわざわざ見に行ってくれたのも彼。そして何より、私のホームページを毎日欠かさず読んで感想を述べてくれていた最高の読者であったのです。英語の勉強のあとで私のつくった冷やし素麺を「おいしいおいしい」とたらふく食べてくれたときの満足そうな顔を忘れることができません。
いつもお互いに頼りにしながら生きてきたわけですからその彼がいない打撃は大きい。日が経つにつれてその喪失感を激しく感じます。
幸い妻が来てくれて、これからはあれこれと何でも話ができるので助かっているのですが、ずっと母と二人暮らしなら精神的なダメージはさらに大きかっただろうと思います。
葬儀には彼の英会話の先生と、彼が数年前ショートステイをしていたアメリカでの滞在先の家族(たまたま日本に来ていた)が来ていました。その英会話の先生はその家族に、私のことを「大久保さんのかわりに今度は英会話スクールに来ることになった」と紹介していたので、恥ずかしくも大久保さんに励まされた思いでした。人と人とのつながりという意味で彼が私に残してくれたものは実に大きなものがあります。彼に負けないようにいつまでも楽しく学び続けたいと、今日は改めて彼の遺影に誓ったのでした。


  7月6日 (水)
私のよき話し相手であり、友人であり、師でもあったお向かいの大久保宏さんがけさ未明入院先の病院で突然逝去されました。
朝早く畑に出ていたところ親戚の方が彼の家の前に集まってきて、その場で知らされました。つい数日前まで家の前で話をしたり、我が家の畑を見に来たりしていたのに本当に信じがたいことでした。
葬儀などの打ち合わせをするというのですぐに出かけていきました。お参りをした際にお顔を拝見しましたが、実におだやかな表情でした。
打ち合わせのあと、私は今晩の納棺から明日の葬儀までお付き合いをすることにしていったん家に戻ってきました。

彼の家は私の家と向かい合わせですから、いつも彼の玄関先をみながら過ごしています。家もそのまま、車もそのままなので、今にも彼が玄関をあけて出てくるのではないかという錯覚に陥ります。
私が縁側でタバコを吹かしているといつも玄関の戸をあけてこっちにあいさつをし、そのままコーヒータイムになることもしばしば。何よりも私の英語の先生であったわけで、昨年勉強していた論文の続きをやろうと話していた矢先でした。
教会の牧師さん(英会話の先生)の薦めでMac Userとなったのは昨年のこと。もっといろんなことがやりたいからマックのことを私に教えて欲しいとついこの間も話していたばかりでした。
年をとるならこのようにとりたいと思わせるような愛すべき人でした。政治・経済・文化・教養その他あらゆる分野にわたって刺激的な会話をしお互いに影響し合っていた大切な友人でした。残念です。寂しくなります。
我が友、我が師、どうぞ安らかに眠ってくださいね。


写真は昨年秋、私の母・妻と一緒に鬼無里・白馬方面に紅葉を見にドライブしたときのものです。


  7月5日 (火)
午後から国会中継を見ておりました。委員会報告の後の各党の締めくくり討論がありいよいよ採決。記名投票ということもあって見る方もなかなか見応えのある投票風景でした。高々と青票をかかげる自民党「造反」議員。そのたびに上がる歓声。緊張を隠せない自民党執行部。
結果は自民党執行部にとってはまさに「白票」を踏む5票差でしたから、予想以上の自民党内の反対があったことになります。小泉政権の求心力は一気に弱まることはさけられません。自民党の一部も反対せざるを得ない矛盾だらけのこの法案ですから参議院段階で審議未了廃案に追い込むしかないでしょう。

もう一つ大変興味深いニュースがありました。映画「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」さながらの宇宙実験、彗星「テンペル1」へのインパクター打ち込み成功のニュースです。
独立記念日に合わせるなんてのはいかにもアメリカらしい演出ですが、それは別としても大変な技術の進歩ですね。もちろん目的は映画とは異なって太陽系の生い立ちに迫ることですが、将来の彗星衝突への対応も意識しているというらしいからなかなか「インパクト」があるニュースでした。(下の写真はNASAのホームページより)



今回の「ディープ・インパクト計画」の成功はドキドキするような興奮を与えてくれましたが、実はこの「ディープ・インパクト」が必要なのは彗星よりも人類それ自身ではないのかと思ってしまいます。
地球温暖化やエイズで彗星がやってくる前に人類は自ら生存の可能性をどんどん狭めているわけだし、身近なところでも平和を守るために戦争や核開発を必要とするというすでに破綻した論理にしがみつこうという流れが強まっているわけですから、ますますそのように感じてしまいます。
彗星なら核兵器で軌道を変えたり破壊したりするというのがおきまりの方法になっているようですが人類の場合はそんなわけにはいきませんね。
さて、自らの生み出したもので滅亡の危機を深める人類の未来をどう守るのか。人類の科学・学問・英知はすべてこの一点に集中していかなければならないと思わされた一日でした。


  7月3日 (日)
最近植物を見ると”これはドライフラワーになるかな”という見方しかしなくなっている私。今日も隣のお宅に回覧板を届けながら、ついでにその庭の八重のテッセンの実をいくつかもらってきました。おもしろい形をしているので多分つかえるでしょう。家の一室が乾燥室みたいになってしまって沢山の花がぶら下げてあります。おかげでいい香りが部屋にただよってきます。

ここしばらくの雨で庭の草が茂り放題。数日来草取りに精をだしているのですが、まさにいたちごっこです。ふと見ると最下段のトマトがもう赤くなってきているのに気づきました。これからどんどん色づいてくるのでしょう。トウモロコシはみるみる大きくなって何本か穂が見えるように。あいかわらず田んぼから押し寄せてきた生まれたての青ガエルたちの休憩所になっています。


ブルベリーも順番に熟してきてそれなりに楽しめます。直売所で買った大きな木の方はようやく色づき始めました。1つだけ取って食べてみましたが、まだ酸っぱかった。そうそう、ちなみに私の今朝の朝食はどんぶり一杯のブルーベリーとチーズと牛乳でした。妻がいない間に一体どんな食事をしてるんだと笑われそうですね。


夕方になってまたかなり激しい雨になっています。一日庭に出る程度で部屋でゴロゴロして過ごした一日でした。

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午後母と一緒に「青春のグラフィティコンサート」を楽しんだ後、そのまま見続けていたら気になる番組が入っていました。
その1つは「軍事カルト集団ザイン」といういかがわしい集団のレポート。もう一つは前にもマスコミで取り上げられたことがあるという産婦人科医吉村医師の自然分娩法の紹介。全然関連がないんだけど、特集でやっていた順番です。悪しからず。

前者はマインドコントロールと「軍事的規律」で特異な集団を作り上げているカルトの実態告発ものですが、報道陣はかなり内部まで肉薄してその実情に迫っていましたから説得力がありました。
オームの例を挙げるまでもなく世の中には常識から離れれば離れるほどそれを盲信してしまうような人たちがいるんですね。それらはほぼ例外なく精神的に追いつめられたり孤独だったり自信を失っていたような人たちだし、何かにすがり救われようとする。そしてそれを巧みに操り利益をむさぼろうとする人物がいるということ。動機はどんなにカモフラージュしようと詰まるところ「金と女」。おきまりのコースです。
すでに被害者の会や告発のホームページもつくられ実態が分かってきているとはいえ、しかし一方でそうしたものに惹かれていく人が後を絶たないのはいかにこの社会が歪んでいるかを如実に証明しているようなものです。どこか知らない世界の話だとは思わない方がいい。

後者は愛知県岡崎市で産婦人科を開業する70才を越えた一人の老医師のドキュメント。
よく身体を動かし粗食をしごく普通に過ごすことで人間本来の力で誰でもが自然に安産できることをこの医師は実践しているのですね。これはカルトなどとは無縁。正真正銘、人間の能力を信じ古代から近代にいたるまでそれが普通だったお産のしかたを現代によみがえらせたものです。juliさんの吉村医院体験記がすべてを語っているような気がします。久々に涙がにじむような気持ちにさせる番組でした。


  7月2日 (土)
「Together at Last」・・・私と妻のことかいな?と思ったら・・・違った。
ちょっとアップルのサイトから遠ざかっている間に「インテル・マック」の発表というかなり「衝撃的な」ニュースが発表されていたんですねえ。それも6月始めに。我ながら情けない。
雑誌をめくっていてそれを知り、思わずAppleのサイトをのぞいてしまいました。この雑誌「Intel Shock」という見出しをつけて大々的に特集を組んでおりましたよ。
この情報は実はかなり前から「噂」として流れていたもので実際はあまり「衝撃的」でもないのですが、いざ本当に発表されると世のMac Userたちは相当に複雑な心境でしょうね。私自身はどっちもユーザーですけれど、それでもなかなかに興味深いニュースであることは間違いない。

モトローラ・IBMのCPUが思ったほど速度を出せずIntelに差をつけられっぱなしであったアップルがiPod+iTunesで世界を席巻できたことは当然大きな自信につながっているのでしょうね。しかし同時にPowerMacでの低迷は今後の成長に大きな懸念材料になっていたわけで、先読みの得意なスティーブ・ジョブスがいよいよ勝負に出てきたなと思わされます。プロセッサやチップセット、各種デバイスの開発はIntel陣営に任せてアップルはもっぱらOSと製品のデザインで優位性を強調するという魂胆・・と私はみた。
ユーザーとすれば、いっそう使いやすく壊れにくく安価なマシンが欲しいわけですから、本来どのメーカーでも性能がよければ問題はありません。しかし、結局のところIntelの独走態勢にはずみがつくのですから、この一社独占状態が果たしていいことなのかどうか、今後の推移をよ〜く見ていなければいけません。
このCPU問題、実は単にCPUを取り替えただけということにはならないんですね。くれぐれもユーザーに開発費などのつけがまわってこないように願いたいものです。
もっとも、私としては安くて速くて高性能なマシンが入手できればOK。Intel Macという面白いマシンが開発されるのは一面では興味津々・相当に魅力的でもあります。それまで生きていられるのかな??

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みなさん、自民党のホームページをごらんあれ。度肝を抜かれるにちがいありません。開いた口がふさがらないとはこのこと。
ホームページのバナーをご紹介しましょう。


続いて武部幹事長かく語りきという話。

武部幹事長は「これはあくまで論点整理であって、党税調がしっかり対応します」とし、自民党の税制調査会で税制改革の議論を行い、政府税調の論点整理どおりの「サラリーマン増税ありき」を否定しました。
 同幹事長は「誠に私も遺憾なことだと思っています。私からは財務省に厳しく注意しました」とした上で、「いずれにしても新聞の見出しだけを見て判断しますから、『サラリーマンの増税路線』という見出しが出ましたが、そういうことではありません」と明確に否定しています。
 小泉純一郎総理を先頭に自民党が進めている改革の旗印は「官から民へ」です。長く低迷した経済環境下で民間企業は懸命にリストラを進め、収益を上げるべく全力でがんばっているところです。同時に、国民は官のリストラが進んでいないことに不満を強めています。
 まず、行革の断行が先決。自民党は「小泉改革の総仕上げ」として、社会保険庁の改革や、国と地方の関係の見直し、公務員改革、特殊法人改革などに取り組んでいます。


さらに津島雄二自民党税調会長の記者会見での話。

 党税制調査会の津島雄二会長は7月1日、記者会見を開き、「政府税調の所得税を増徴するという考え方に反対」との立場を示した。同会長は「われわれとして承服できない前提で税制論議が行われている事を非常に心配している」と、政府税調の「増税ありき」の姿勢を批判し、「税制を作り上げる責任は立法府である国会と与党にある」と、わが党が議論を主導する事を強調。「サラリーマンのみなさんがたに所得税で過重な負担をお願いするという考え方はない」とした上で、税制に加えて社会保障の給付と負担のあり方も含めた一体的議論が必要との認識を示した。

誰がこんな話を信じるのでしょうか。都議選が終わったらこのバナーさっそくはずれますよ。そして”サラリーマンのみなさんがたに所得税で「過重な」負担をお願いすることはないが、「多少の」負担をしてもらい、さらに間接税(消費税)・社会保険税・介護保険税などで「適切な」負担をお願いすることになる”なんて言ってくるのでしょう。
しかも、いろいろ検討したが結局サラリーマンのみなさんがたにも「ある程度の」負担をしてもらうと言い換えて実は同じ内容を知らん顔をして持ち出すのでしょう。
なぜなら昨年12月に自民党と公明党が合意した与党「税制改革大綱」によれば「所得税においては、税率構造・控除双方の見直しを視野に入れ、検討を進める」と書いていますし、民主党はさらに悪質で今年2月に発表した「政権を獲得したら・・・」の「予算案」に「扶養控除・配偶者控除・配偶者特別控除の廃止」と明記して政府税調にハッパをかけてきたんですから。
自分で火をつけて火を消す振りをすることを何と言うんでしたっけ。


  7月1日 (金)
バタバタしているうちに月が変わり、すでに7月。まだ家の中も片付いていないので、まとまってパソコンに向かっている時間がなかなか取れませんでした。今日の夕方から妻はまだやり残したことがあって来週火曜日まで富山に短期出張です。というわけで、またまた母と二人暮らしの数日になります。
さて、ここ数日梅雨らしいじめじめした日が続いています。大町から以北では今晩から明日にかけて大雨の予想で、かなりの雨になるらしい。カラカラ天気から一転して今度は河川の氾濫が心配なほどの雨になるとは空も相当に怒っているんでしょうか。新潟では河川の氾濫でかなりの被害が出ている模様ですが、今後の梅雨前線の活動次第ではまだ災害が起こる可能性があります。万全の態勢で被害がでないようにしたいものですね。

2,3日前、障害者団体の事務局長をしている友人から山場を迎えた「障害者自立法案」に関するメールを再度受け取りました。
この法案がこのまま成立させられれば「自立」どころか障害者は社会からはじき出されてしまう。私たちの要求を広く社会にアピールするために5日に集会や国会議員要請を行うので、その内容をホームページで紹介して欲しいということでした。
このままの”障害者自立支援法案”では自立できません!7.5緊急大行動

引っ越しの片付けや畑仕事の合間に新聞やテレビを読んだり見たりする程度になっている私ですが、それでも最近の政局の状況を見る限り、どこまで日本の政治のレベルが落ちていくのだろうと怖くなってしまいます。
先のサラリーマン増税もそうですが、弱者に高負担をいっそう押しつけて恥じない政治はもはや政治とも言えないレベルに落ちている。そのくせ国連安保理の常任理事国入りにこだわって「大国ぶり」をアピールしようと躍起になっている浅ましい姿。これについてはアメリカからさえ足下を見られているわけで、品位も何もあったものではありません。こうした状況を見るにつけ、まさしく今民度の高低が問われていると思います。
そうなれば3日に投票日を控えた東京都議選の結果は現在の政局に対する1つの民度の表れになるはずですね。なぜなら第1に首都東京での選挙であり、国政と密接な関連を持っているからです。また第2に国政レベルの選挙がほとんど小選挙区制になっているのに対して都議選は中選挙区制であり民度を反映しやすいこと。第3に石原都政こそ国政の先取り政治であり、これへの評価と小泉政権への態度は完全にリンクすること。
選挙というのはいままで与党であった政党をにわかに野党に変身させる奇妙な効果を持っているらしい。
その最たる例は石原東京都知事から依頼されて「やらせ質問」を行ったあの政党。石原知事提出の1203件の議案のうち1200件に賛成という実績を持つその政党の某代表が「悪いことにはブレーキをかける」と言うのだから噴飯ものです。こうした政党がアメリカ・財界・マスコミなどから「2大政党制」の一方に「期待される」というのですから、おそらくそれは今後日本で起こるであろう政治的悲劇(喜劇?)の最も大きな要因になると私は確信を持って言えます。それによって生じるであろう苦難に甘んじなければならないのは投票した私たち自身です。




"Candles And Stars" by Mr. Blue Piano Man


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