to bottom

azumino.jpg


  9月29日(木)
取ったぜマツタケ、大小5本!! ありがとうねTさん。
今朝7時半に家を出て鹿教湯温泉に近い現地に8時半に着きました。しばらくまっているとTさんも到着したので二人でマツタケ山のある方面へ移動。ちょっと迷ったものの無事山の下についてガイドをしてくれる方の家に向かいました。ところが案内をしてくれるはずの人が出かけていて不在。一時はドシロウトの二人で入山しなければならないかと不安になりましたが、幸いその方がちょうど仕事からもどって案内してくれることになりました。
さて、いよいよ目的の山へ。そこはかなり急な斜面でいたるところに赤松が生えていますが、下草などはほとんどありません。枯れ葉がつもっているだけ。「けものみち」をどんどん上に上ってさっそくマツタケ探しにとりかかりました。だいたいのところは事前に聞いてはいたもののみんな同じ枯れ葉色でなかなかマツタケらしいものがみつからない。
ところが探し出して程なくガイドの方が「ここにあるよ」と木の根っこの方を指さしています。近づいてみると確かにキノコの頭がモッコリと見える。やや白っぽい傘だけが頭を出しています。まだ傘の開かない結構大きなマツタケでした。
こうなると自分の目で見つけて自分の手でとらないと気がすみません。意地です。ところがそれがむずかしい。ありそうなところに必ずあるわけではなく全く偶然のような出会いなんですから。それでも足を棒にしてあるきまわってようやくかなり大きな一本を見つけたときはさすがに感動しました。それからはところどころで運良く何本かを見つけることができてようやく満足です。頭の中では「これで幾らぐらいかな・・」と計算。
約2時間くらい歩き回って、下山に向かう頃には足はガタガタ。前を見るとガイドをしてくれた方はスタスタと降りていきます。
麓におりて、その方の家の前で成果を確認。私は大小5本、Tさんは3本。ところが案内してくれた方のかごからはでかいやつがでてくるわでてくるわ。さすがにプロすねえ。ため息が出ました。どんな目で見つけているのでしょうね。
はかってみると全部で800グラムありました。「キロ5万円というから4万円だね」とはその方の話。全員成果を上げて無事マツタケ狩りを終えました。

私はこれだけの量の取りたてのマツタケを見るのは初めて。とにかく山をなしているんですからすごいことです。
何しろ急な斜面を杖をたよりに上っていくのでそれなりの装備が必要だし、マツタケを取った後はかならず土を埋めて固めるよ うに指示されるなど山の管理も結構大変なものがあります。なによりそんなにた くさん生えているわけではないので見つけるのも甘くない。マツタケが高価なわ けがわかったような気がしました。
妻は今日からボーリングの全国大会に出場しているのでマツタケにお目にかかるのは数日後。それまで冷蔵庫に保管し ておくことにしましょう。その後マツタケ三昧。ごちそうしますから安曇野にくるなら10月4日ごろですよ〜〜。




  9月28日(水)
朝の冷え込みがいよいよ身体に感じられるようになってきました。昼もせいぜい22,3度くらいまで。一番過ごしやすい季節です。
ネコのねぐらはストリート・キャットらしく今は段ボールなのですが、とりあえず毛布でくるんで寒さをしのげるようにしてやりました。最近朝帰りが続いているので昼は眠いらしく、その段ボールの小屋に入ってよく寝ていました。そのうち本格的な暖かい部屋をつくってやることにしています。
今日は一週間ぶりのドライフラワーの日。リースに取りかかってまだ完成していません。今日で3回目。さすがに今日は仕上がるだろうと思っていたのですが、それがどうして。土台がツルのために折れやすいアジサイを差し込んでいくのが予想外にむずかしく手間取ってしまい、最終的な調整は来週に持ち越しということになってしまいました。大変な労作です。


帰り際には先生といっしょに「ツルウメモドキ」という小さい丸い玉がたくさんついた枝を梓川の河原に取りにいきました。河原にはいたるところに群生していました。リースにもなるそうで、できるだけツルになっている枝をどっさりとってきました。今度はこれを利用したリースにも挑戦です。

いよいよ9月も終わりにさしかかってきました。明日から妻がボーリングの全国大会に出かけるので10月初旬まで私は留守番です。
ただし明日だけは私は「マツタケ狩り」にいきます。妹のダンナの兄弟に誘われて朝早くから出かけるのです。なかなか見つけるのが難しいらしいのですが、先日妹は4本も見つけたと言う。執念でみつけるぞ〜〜〜。


  9月27日(火)
またまたしばらく間が開いてしまいました。今回はパソコンの不調。・・・というよりは欲の出し過ぎで天罰が下ったということか。
前のパソコンの騒音がかなり激しかったので、できるだけ静かなものにしようと最近メインマシンのマザーボードを変えたのです。ところがCPUの温度が異常に高い。どうもCPUとクーラーの接触に問題があるような気がしていました。そこで性能のよい高価な静音クーラーを注文。これでどうだという感じでそのクーラーをつけたのです。どうやらその作業中に地獄の扉を開けてしまったらしい。

CPUクーラーを付け替えるにはとにかくパーツを全部ばらさないといけません。ウキウキと作業を開始し順調に取り付け完了。取り付けたあとの復元も問題なし・・・と自信満々で電源を投入しました。ところが「ピピピ・・・」と不吉な警告音が部屋に響く!!そのうちバシッと電源が落ちてしまいました。
接続を見直しても特に問題になるようなことはないし、新しいクーラーがCPUにきちんと密着していないことくらいしか考えられません。
また全部ばらして取り外しです。すると確かに1/3くらいしか接触していない。たぶん高温になって警告のセンサーが働いたのでしょうか。
こんな高価なものを買ってうまくいかないというのはあまりに残念と思いはしたものの、ここは仕方がありません。もとのクーラーに戻してやり直してみてもやはり同じ症状が・・・・。おかしい。訳がわからない。そのうちぴったりついているはずなのに「ピピピ・・・」。
こうなるとここからは泥沼です。ばらしては付け替えの繰り返し。際限がありません。自分では冷静に処理をしているつもりなのに妻からは「頭から湯気が上がっている」といわれるしとうとうギブアップ。

考えてみるとこのマザーボードはソケットがLGA775というタイプでCPUクーラーはマザーボードに直付けにするように4つの穴が開いているんですね。前のクーラーは4つの足をその穴につっこんで上から止める仕組みでぴったり貼り付けるのがむずかしい。新しい方のタイプは裏にパネルをとりつけてネジでしっかり上から固定するタイプでした。ところがこれもぴったり接触させるのが難しいことが次第にわかってきた。やっているうちにマザーそのものに故障がでたのかもしれません。あるいはCPUが高熱で焼けてしまったかも。というわけで、とうとうそのマザー+CPUでの改良は断念せざるを得なくなり、前のソケット478にもどして組み直すことにしました。それでようやく一件落着。回り道をしてまたもとの場所に戻ってきてしまいました。ASUSのマザーはやっぱり信用できる!!
おまけに前のハードディスクはきれいにフォーマットしたためにデータは全部消去。新規にインストールするのに時間がかかっただけでなく、データをバックアップフォルダから復元するにもかなり時間がかかり、結局これだけでまるまる2日かかってしまいました。

問題はそれだけでは終わらなかったのです。息子が連休でこちらにくる際にいままで私が提供していたパソコンケースやパーツを持ち帰ってくれました。それを利用して一台Linux用のマシンを組み立てようとさらに欲を出し、息子のいる間からずっと組み立てを試みていたのですが、どうやっても動いてくれない。バイオスすら認識しないのです。これはマザーボードが壊れているとしか考えられないという結論になってしまいました。その間やはり2日間。息子もあきれたような顔をしていましたが、原因を突き止められないとなんだか消化不良を起こしたようで気分が悪くて仕方がない。
どうしたかというと、次の日ネット・オークションで同じタイプのマザーボードを落札して再度挑戦することにしました。
取引相手の人が迅速に対応してくれたので昨日にはもうそれが到着。このマザーボードはすぐれもの。すんなり設定に成功し、結局今日一日その組み立てとLinuxのインストールに費やしておりました。
Linuxでのいろんなソフトの入れ方もかなり忘れているし、腰はいたくなるし・・・

よそから見ているとこれはもう病気としか見えないですね。しかし本人は至ってまじめで小泉さんの所信表明演説もどこ吹く風で必死で取り組んでいるのですけれど・・・。
よりによってマザーボードが相次いで壊れるんですからたまりません。以後しばらくはハードにはさわらずそっと過ごすことにします。


  9月23日(金)
昨年は日本列島が台風に脅かされ続けましたが今年はいままでのところは何とか免れています。しかしアメリカ南部にはまたもや巨大な渦が接近している模様です。NASAのサイトにはメキシコ湾全体を覆い尽くすほどのハリケーンRitaの姿が映し出されています。
新たなハリケーンの接近で軍や州兵が厳戒態勢を敷いており上陸予想の地域の住民130万人に避難命令が下っているとのこと。
規模は最大級のカテゴリー5から4に下がったようですがそれでも巨大なことには変わりがなく、被害が最小限に抑えられることをただ願うだけです。



さて、今朝はかなり冷え込んで毛布一枚だけでは足りない寒さでした。外はすばらしい晴天、秋の雲がわずかにかかりまだ上らない日の光に映えて薄紫に輝いていました。反対の北アルプスには稜線がくっきり浮かび上がり、ようやく山の上の方が朝日に照らされ始めると、いよいよ秋らしい安曇野の一日のはじまりです。




  9月21日(水)
母の通っている宅老所では今日「敬老の日」にちなんでパーティーが開かれたようです。
節目節目でこうした行事をしては通所者を喜ばせる努力もなかなか大変だと思われますが、所員の方々はみんな親身に世話をしてくださっているので感謝しています。
連絡帳によれば、梅酒をうんと薄めたもので乾杯し茶碗蒸しなどの料理をたべ、さらに「へっこき嫁さま」という寸劇(?)を鑑賞したようです。母も指さしては大笑いしていたと書いてありました。
帰りがけには次のような色紙もいただいて帰ってきました。



私の方はドライフラワーの教室へ。リースの第2回目で前回の続きにとりくみました。どうも土台が作業を考えず適当に巻いたツルなのでやりにくいことこの上なし。一つ花を差し込むにも時間がかかり、こんなことならもっとやりやすい土台を作っておくんだったと痛感。しかし何事も経験しないとわからないわけで、次回からの教訓です。2回目を終わってもまだ完成に至らず、第3回目に持ち越しとなりました。今日までのできは次の通りです。でもだいぶそれらしくなってきたでしょう??来週は隙間にびっしりとアジサイの花を埋め込んで完成です。これは池田の文化祭に出品するので来週は相当に念を入れて作業をしなければなりません。





  9月20日(火)
朝日新聞(web)によれば、NHKが今日「信頼回復と財政対策を柱とする新生プラン」を発表したのだそうです。
その骨子は(1)視聴者第一主義で“NHKだからできる”放送を追求する(2)組織や業務の改革・スリム化(3)受信料の公平負担。
NHKのサイトを見てみると確かに「NHK新生プランーすべては視聴者のために」(PDF)という文書が発表されています。それによれば「内部規律を強化すること」や「何人からの圧力や働きかけに左右されることなく」と書いてはあります。
しかしまた同時に、受信料の督促について「民事手続きによる支払い手続きの活用などについて検討」とも述べています。
新聞では「督促の対象は、いったんNHKと受信料契約をしたが、不払いに転じ、請求書を出し続けても応じない世帯で、簡易裁判所を通して督促状を送る。受けとった視聴者は差し押さえなどの強制執行を受ける可能性もある」とかかれていました。私などはまさにこの対象ですね。
NHKは「不祥事」については当然のことながら再発防止に取り組むとしていますが、例の「番組改編問題」については、改変などそもそもなかったし政治家の圧力もなかったという立場で終始。番組出演者・制作当事者の方が間違っているとの態度を崩していませんから、圧力とか働きかけも彼らの基準でのものにすぎないのでしょうね。そうとしか受け取れません。
さまざまな問題を「新生」というもっともらしい衣でくるんで生まれ変わったように見せるところはNHKらしいともいえますが、その「新生」を信じるまでには相当な距離がありそうです。
さて、NHKがまず説得に来たらどうするか。第一に解約の意志を伝える電話をしたにも関わらず「聞き置く」だけでその手続きについて何もしようとしないことをまず問いただしましょう。いったん契約すれば永久に解約できないシステムで、本人が死亡でもしない限り解約できないとでも言うのでしょうか。
第2は例の「番組改編問題」についての態度が改められない限り再契約に応じるつもりはないことを伝えましょう。それでもし簡易裁判所を通して支払いを命じるようなことがあれば、逆に解約に応じないNHKに対して支払う必要のないことを求める仮処分を申請して受けて立つことにしましょう。
自ら起こしたさまざまな問題を通り一遍の言葉でとりつくろい、「受信料の公平負担」などというわけのわからない言葉を使って実は受信料支払いを強要してくるこの高圧的な態度はいったい何。
本当に反省するのであれば、政治的な自立の具体的な確約とともに不祥事を2度と起こさない体制を明確にすることが再生のまず第一であり、次に良質の番組を提供する基盤を総力をあげて作ることです。それが「新生プラン」だというつもりなのでしょうが、もしそうであれば「受信料の公平負担」だとか「民事手続き」などと言う必要もなく、受信料は言わなくても入ってくるものではないのですか。
130万人に上る不払い者の意志をどう受け止めているのか、この「新生プラン」を見ても私にはさっぱりわかりません。

話は変わりますが、自民党で「新人研修会」が行われた模様がテレビで放送されていました。NHKだけでなく自民党も「新生自民党」なのだと言いたそうな報道ぶりでした。派閥でやっていたこうした研修を党本部が主催してやるのだから自民党も変わったのだということらしい。政党であれば当たり前のことではないのですか。
ところが、その報道では憲法違反の「政党助成金」の問題点はおろか、旧態依然とした(いや前よりもっと激しい)大企業からの莫大な政治献金についてはさらに追求されてはいません。これって「新生」の中に入らないのでしょうかね。はしゃぎまくる「新人たち」にちょっと聞いてみたい気がしましたよ。


  9月19日(月)
民主党代表に一票差で選ばれた前原さん。喜びの余りなのかどうかは知りませんが、持論の改憲論をしきりに公言してはばからない。

民主党の前原誠司代表は18日、憲法9条を改正して「自衛権」を明記した上で、集団的自衛権の行使を限定的に容認すべきだとの考えを表明した。前原氏の持論とはいえ、党首に就いてからの発言だけに、17日の改憲論議を加速させる見解表明とあわせ、党内の旧社会党出身議員らの反発は確実で、あつれきが強まりそうだ。
また、イラク南部サマワで活動する自衛隊の武力行使について「自衛隊を守ってくれている国が攻撃されても反撃できないという形でいいのか、タブー視せず議論していく」と指摘した。NHKとテレビ朝日の報道番組で語った。
前原氏は「戦力の不保持」を規定している憲法9条2項を削除し、新たに明記する自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の双方が当然含まれるとの認識を示した。(信濃毎9月19日)


9条改憲と集団的自衛権の積極的な主張はある意味では自民党以上のタカ派ぶりであり、この政党がどれほど危険な役割を果たそうとしているかを示しています。
「お国のために血を流せ」と言ったのは同じ京都大学出身の西村議員ですから先輩を見習ったということか。それにしてもこの西村さんの著作(?)のすさまじさには自民党も真っ青でしょう。今日もテレ朝系でご出演なさるらしい。
彼のホームページでは「憂国」の情が吐露されていてさながら右翼の元締め的壮観さ。ちょっと引用してみましょうか。(私のホームページが汚れるような気もしますけど)

「そこで、我が民族を正常に戻すにはどうすればよいか。もう明らかであろう。
「陸軍記念日」と「海軍記念日」を祝える国家にするのである。つまり、二年後の日露戦争勝利百周年までに、日露戦役において祖国日本の為に戦死した祖父に顔向けできる日本を取り戻すのだ。」
「よって我が国は、これらのことを実現するために、不可侵の国家主権を確保しうる実力を持っていなければならない。この実力の主体は国民である。即ち国民は、国を守る義務を有し、この義務を具現化するために国民の軍隊を保持しなければならないのだ。
以上で、二年後に迫った日露戦勝百周年を祝える国家体制が整う。そして、肝心なのは、百年前の苦難を思い、天皇陛下が靖国神社にご親拝され、内閣総理大臣が、参拝することである。」(「慎吾の憂国」平成15年6月号より)

こうした露骨な主張を掲げる人物を擁する党がどれほどの改革を担えるのか想像するもアホらしいではありませんか。
前原さんは「戦う政党にする」と意気込んでいらっしゃいますが、いったい「戦う」というのは誰とどのように??

こうしたことに気をよくしたのか自民党の安部さんも「中長期の最大の政策課題は憲法改正だ」とのべていますから、これからの国会は憲法問題ではすでに翼賛体制が完成していると見なければなりません。これからの一日一日が、私たち一人一人の政治感覚が問われるだけでなく、選択如何によっては自らの安全と生命に直結する時代になっているといえるのではないでしょうか。


  9月18日(日)
中秋の名月も雲に隠れてわずかに光がもれるだけ。スカッと晴れた空に冴え渡る満月を期待していたのに残念です。
今朝は寒いくらいに気温が下がり毛布が恋しくなるほどでした。しかし昼はさすがにまだ暑く、いよいよ寒暖の差の激しい季節に入っていく予感がしました。
さて、土地の造成が終わってからずっとそのままだった新しい我が家も、現在は設計が大詰めの段階に。家の間取りをほぼ終えて、その中に入れる設備(キッチン、風呂、トイレなど)の選定にかかっています。このあと配線・配管、建材・外装・内装などのツメを終えて見積もりの段取りになるはずです。
見取り図を完成するまでに7、8回書き直して最初の構想からどんどん変わっていきました。何しろ総予算が限られ、したがって敷地面積の上限が設定されているのであれもこれもというわけにはいきません。狭い中にいろんなものをつめこまなければならないのでどうしても収納が不足してしまいます。
何度も何度も見直して、不十分だけれどまあこれが限界かというところで設計士に図面を渡し検討してもらいました。できあがった図面をみながら再度検討しようやく設計原案ができあがりました。
「テレビのビフォー・アフターのようにやってくれ」と何度も念を押しているのですが、どうもこれという策がでてこない。シンプルなものがいいのであまり策を弄されても困りますが、新しくするからにはやはり「オオッ!!!」というところも一つ二つはほしいですよね。今から私もしっかり考えて老後を託せるに足る安心の家造りをしようと考えています。
新築の模様は例のコーナーで紹介をしていきますので乞うご期待。

昨日と今日の二日間、町内の神社のお祭りの日です。昨日午後からがメインだったようで、今日午後遅く母を連れて神社まで行ってみましたがガランとして誰もいなくて当てがはずれてしまいました。しかし、ほどなく町を練り歩いていた舟が帰ってきたため、にわかに境内がかけ声や爆竹の音でにぎやかになりました。
昨年も書いたとおり、こちらの神社の祭礼には舟が引き回されるのです。これは塩の道にそってどこでもみられる風習のようでかつての海人の行き来を偲ばせます。
暑い中を舟を引いて町内をまわっていた近所の人たちとしばらく歓談をして帰ってきました。






  9月17日(土)
昨日の夕方「ガイド・マスター」の研修会がありました。
来年の春から本格的にガイドができるようにということで年度内に精力的に学習会や実地演習などが開かれるらしい。
昨日の学習テーマは「池田町の文化財」でした。町の文化財の調査や保存に携わってきた田中さんから講師で神社の建物やその門の特徴、仏像の種類などに焦点をしぼってかなり専門的に講義がありました。
池田町にはそれほど多数の文化遺産があるわけではありませんがそれでもいくつか注目すべきものがあるようです。それらを頭のなかにたたき込んで、ガイドするというわけですから、えらいことです。私などはもう怖じ気づいて「や〜〜めた」といいたくなりそう。もっともべつにガイドになることが既定の方針であるわけでもありませんから、勉強をするつもりで気楽にやっていこうとは思っています。
ガイドになるかどうかは別として、池田の良さを多面的に知ってもらうことは大切なことですから、私としては今後このホームページのコンテンツとして「池田の文化財見てある記」「歩きたくなる道500選ーー北アルプス展望ロード・総ガイド」をアップすべくこれから準備にかかります。「総ガイド」にはちゃんと我が家も入るという寸法。道路沿いの一番いい場所に家を建てるんですもんね。




  9月16日(金)
しばらくご無沙汰でした。
とくに問題があったわけでもなくだらだらと過ごしていたためつい更新をさぼってしまいました。
とはいえ、体調が少し思わしくなかった(だるくて眠くてごろごろしていた)こともありました。どこといって悪いわけではないのですが、理由として考えられることは2つ。
ひとつは「きのこ」のせいかな。先日すぐ近くの定点に写真を撮りに行ってふと下を見るとなんだかおいしそうなキノコがたくさんでているではありませんか。株をとって隣の人に聞いてみると「まさはし」(たぶんナラタケの一種)とかいうきのこ。「食べれる、食べれる。間違いない。うまいよ」といったので、あらためてその人といっしょに再度そこに行ってまたとってきました。昔の富山市長みたいな名前だなと思いつつ、半信半疑でみそ汁の具に。なかなかうまかったのですが、どうもそれ以来眠くなったような・・・。たぶん気のせいでしょう。妻も食べているしもちろんお隣さんも食べていますから。妻はまた取りに行こうと積極的ですが、私はいまいち。


ふたつめは、数日前から何を思ったか今年の春の大学入試問題を旺文社の「大学入試問題正解(数学)」のはじめから解き始めたのです。約2年も全くさわっていなかったこともあって疲れること。肝心のことを忘れているし頭は働かないしカンは働かないしですぐにいやになって眠くなってしまいます。
やりなれないことをやるもんだから身体が拒否反応を起こしてしまったのではないかと・・・。
というわけで、昨日は寝まくっておかげで今日はスッキリ。

一年ほど前から私のホームページのコンテンツとして「まきのバヌアツ便り」を連載しておりましたが、その姪のまきちゃんがいよいよ今日帰国します。両親も成田に迎えにいくらしく、今日から2,3日は家族水入らずの帰国歓迎・慰労会のようです。たくさん現地の思い出をつくっての帰国でしょうから、いずれそれを聞かせてもらえるのが楽しみです。ともかくお疲れ様でした。
まきちゃんもそうですが、若い人たちで青年海外協力隊をはじめとして海外で活躍する若人がいます。先日紹介した西村陽子さんもそうでした。教員をやめてまでイラクの支援に活躍をしています。日本とはおよそ経済水準も文化も異なる地域にひとたび足を踏み入れると、いても立ってもおられなくなるという気持ちになるのでしょう。そうした青年たちの心意気を「のんびりごろごろ」の私も見習わなければ・・・・。


ブッシュの発言は下品なため翻訳を控えさせていただきます。(クエートの新聞「Arab Times」より)
人は自分に照らしてものを言う。ということでブッシュさん、アレまで自分の思い通りにしたいのでしょうかね??クエートさんもジョークがきつい。

        **************************

午後からお花の教室にでかけました。いろんな展覧会でも秋から冬にかけての作品が多くなっていると先生がおっしゃっていました。
私も負けずに今日からいよいよリースにとりかかることに。10月下旬には池田の文化祭があるのでそれに作品を出品しようと目標を決めて秋らしい作品をつくることにしました。
今日は作品の構想とほんのわずか主な花を差し込んだだけで終わり。すべては来週・再来週になります。どんな仕上がりになるか楽しみです。それにしても時間がかかりそう。




  9月12日(月)
投票箱のふたを開けてみると自公で2/3以上の議席という信じがたい結果。たぶん自民党に投票した当のご本人たちがいちばんびっくりしているのではありませんか。
曰く「小泉劇場に喝采」「風が吹いた」「政治的に未成熟」・・。いずれも現象的にはそうでしょうが、つまるところはこれが小選挙区制という選挙制度の姿です。自民がほんのわずかでも他党をリードしていればすべての議席を占めることができるというこの制度の弊害がモロに現れただけです。
なぜ民主が自民を超えられなかったか。実際自民党と何ら変わらない政策で、しかも争点ずらしや政策的なあいまいさ・揺れがあまりにも明白で、結局足下を見られたということでしょう。それにしても社民党や共産党にはもうちょっと踏ん張りがほしかった。

       ****************************

さて、選挙から一日あけた今日は昨日とはまるでうってかわってすばらしい秋晴れ。日差しが強烈でさわやかを通り越していました。久しぶりに北アルプスもくっきりと山並みをみせてすばらしい秋の一日の予感。


今日は、母の行っている宅老所から「ぶどう狩り」に行きませんかと誘われ、自家用車に母を乗せて迎えに来てくれた2台の車の後をついて行きました。
数日前の案内では農園は豊科方面だと言うものだからすぐそこかなと思っていたら、アレアレ、豊科から高速道路に入っていくではありませんか。それも松本を過ぎてもインターを降りる気配はない。結局高速を降りたのは塩尻でした!!
はるばるやってきたところは広大なぶどう園とりんご園が広がるところ。へえ〜〜塩尻はブドウ有名な産地だったんですね。知りませんでした。
入場料を払えば園内取り放題・食べ放題。最初は写真を撮りまくっていたのですが、みんながおいしそうに食べているので私も挑戦してみました。
そこは見渡す限り広々と種なしデラウエア、ナイヤガラなどが植えられた場所でした。ぶら下がっている房の数がハンパではありません。ただし巨峰や甲斐路などは別の農園らしくそこには見あたりませんでした。高価なブドウだから当然と言えば当然でしょうか。
ナイヤガラは実にうまいブドウです。実はちいさいけれどデラウエアも甘くて香りがいい。コンコードという黒いブドウはやや酸っぱくて一房でパス。
実際に房を取って食べてみると、実が小さいし種や皮を出さなければならないので舌が痛くなるし、思ったよりは食べられないもんです。ブドウの顔をもう見たくないほど腹に詰め込んでしまってからそう言うんじゃ信じてもらえないかな。


一行はぶどう棚の下にシートや布団を敷いて、休憩しつつ、ひたすら取って食べまくる。途中昼食(職員の方たちが手作りで準備してくれた)をはさみながら、のんびりと秋の一日を楽しむことができました。
かんじんの母は目をつむって容易に口をあけてはくれず職員の方も手こずっていた様子。少しでも秋の味覚を味わってくれたらと思ったのですが、もうほとんど対応しきれなくなってしまっているのが残念でした。


帰りは母を職員に任せて、高速にはのらず19号線をたどることにしました。約1時間ちょっと。これでまた一つ行くところができました。

メモ: 苗も扱っている。木が休眠している12月頃がよい。一年目は支えをしてひたすら上に上に伸ばす。自宅で植えるなら育てやすいナイヤガラがよい。巨峰は難しい。巨峰は枝を切りつめると実がつかなくなるし枝が弱くなるから可能な限り伸ばしてやるとよい。またブドウは幹からでた新しい枝に4つの房ができるが2つだけにすることが必要。水遣りはほとんど必要ない。よほど乾燥したときだけ。


  9.11 その2
午後8時からの開票速報を眺めながらある考えが頭を離れません。
これはまるで「無意識のファシズム」ではないか。自分ではそれとは気がつかないが知らず知らずのうちに強権政治を招き入れている。権力者が軍事独裁的に支配をするのではなく、住民が無意識に招き入れ、権力がそれを操作し利用し結果として国民支配を貫徹するという新しいファシズム。この状況は斉藤貴男さんのいう「安心のファシズム」とも底通します。
招いたものに一人一人の自覚も批判もないことがその特徴です。いずれ「騙された」と弁明するのでしょうか。消費税が10%を超えさらに重税が襲いかかって国民生活がどん底に陥れられ、そのあげくに「こんなはずではなかった」というのでしょうか。アジア各国との緊張をかつてなく高め中国や韓国との関係が冷え切って場合によっては軍事衝突のおそれが出てきて改憲まで一気にすすみ、そのあとやはり「こんなはずではなかった」とつぶやくのでしょうか。

私は思うのです。いま起こっていることがらの一つ一つと自分との関わり、責任ということにあまりにも疎いのではないか。つまり、いま現に進行していることは「お上」や「偉い人」のすることで、自分とは関わりがない。問題が生じてもそれは自分とは関係のないことだ。もし近くの郵便局がなくなっても仕方のないことだと我慢する。軍事紛争が起きてもそれは政府の問題であって自分には関わりがない。自己責任の嵐を吹かせた人たちが自己責任を果たし得ないこの世情に私は戦慄を覚えます。
予想以上に国民の深部で「強いリーダーシップ」への期待・あこがれが渦巻いているようです。それがどこに向かうかは思考の外において目の前の「強さ」に引き込まれていくのは、これは・・・。

一人一人の庶民のレベルでの私的な意識・つぶやきと公的な選挙としての自己とが分裂しているというのも一面の真実ではないだろうかと思います。つまり、たとえば戦争はしてはならないと私的な意識は思う。毎日の生活のやりくりにあくせくしているのはやりきれないと私的な領域ではつぶやく。しかしそれと現実の支持政党とは関係がない。候補の彼・彼女なら何かをしてくれるのではないか。そのうち「公的」な意識(テレビ・新聞その他でインプットされる)が次第に自己を規定し緊縛しやがて私的な領域は無意識化され慣らされ、いつしかそうとしか考えられなくなる。しかしまたカタルシスは不意に訪れるもので、たいていは気がついたときは遅い。さもなければドイツのアウシュビッツもなければ広島・長崎の原爆もなかったはずです。

私は思うのです。誰かが言ったようにたとえどう指弾されようが批判されようが、世界の平和と民主主義の流れの側に立って私自身がいるこの地域を守る。人々の暮らしや環境を守る。そのように考える人は決して少なくないのです。
感性の摩滅・知性の減衰にあらがい、この世の地下水脈となる人々の仲間として生きていこう。たとえ最後の一人としても。そのように考えた一日でした。


  9月11日 (日)
台風の影響か昼過ぎからかなりひどい雨です。10時頃妻が富山に向かい2時近くに無事到着したとの連絡があたのですが、途中やはり猛烈な雨だったとのこと。最近は台風がくるたびに豪雨になって普段との差が極端です。またまた被害がひろがらなければいいのですが。

今日は衆議院選挙の投票日。午前中まだ雨が落ちないうちに私は投票をすませました。池田町では無線放送で定期的に投票率を知らせて危険防止を呼びかけているんですね。午後3時過ぎでは約45%の投票率だそうです。無線放送はこんなところは便利。
数日前の朝日新聞によれば自民党の勢いが完全に民主を上回っているとの予測を載せていました。最終盤でどのように情勢が動いているのか興味あるところです。

一昨日あたりから「小林よしのり批判――君たちは戦争で死ねるか!」(大月書店)を読み継いでいます。
KOIZUMISMもゴマ宣もある意味では非常によく似た構造を持っていると思って読んでいます。たとえば次のような指摘はどうでしょう。
こうした不透明、かつ曖昧な(日本社会の)状況のなかで、はっきりと断言し、あるいは現状の腐敗、矛盾を切り裂くというふうな切り込み方をすると、これに対してある種の支持が生まれてくることは、十分に考えられます。<中略>
不況、外交への危機感、風俗の崩れ、そういったもののなかからタカ派的リーダーシップにあこがれる精神状態が生まれている。そして、いらだちのはけ口を求める。 <中略>
学問的に実証されてきたさまざまな成果に立脚するのではなく、学問的な議論とか、理性に働きかけて研究するとかということではなく、ある種の国民的な常識のレベルの部分と、いわば自文化を讃えたいという意識に訴えかけることによって、国民的基盤を作り上げようとする動きが進んでいるといえます。

この本でも指摘されているのですが、この種の「断言手法」は一種の精神的爽快感・ストレス発散効果があるために人々が知的に後退させられた局面においてはきわめて強力な誘導手法になり得ます。KOIZUMIの「自民党をぶっ壊してでも郵政民営化をやる」というあの口調です。”「首相が強いリーダーシップを発揮すること」には「期待」が58%、「不安」が26%。すべての年代で「期待」が「不安」を上回り、与党支持層の約7割、民主支持層、無党派層でも約半数が「期待」と答えた。”という先の世論調査でもそれをうかがうことができます。
郵政民営化は"自民党・財界・金融業界"にとってはそれなりに必然性のある要求なのですが、問題はその認識をすり替えやたくみなパフォーマンスなどを通して庶民それ自体の意識であると思わせるところにあります。意識の疲弊・社会の病理につけこむこの手のやり口には、一面的でかつ極端ではあれそれなりの根拠があるわけで、それゆえに軽視せず議論を深めて問題点を浮き彫りにし批判し尽くす必要があると思います。
小林よしのり著「沖縄論」なるものも本屋の店頭にならんでいました。買うほどのこともないといつもやり過ごすのですが、今度はどうしたものか。

         **********************************

ここしばらくメインマシンがときどき不調(表示がおかしくなったりATOKが機能しなくなったり・・・)を来すので、昨日から思い切ってハードそのものから変えてみることにしました。
以前メイン・ボードが壊れたときに予備で買ってあったボードとCPUがそのままになっていたことと、マシンの騒音がやたら大きいので多少変わるかもしれないという期待もあってハード・ソフト両方を刷新することにしたのです。
今まではASUSのP4P800-EというMotherboardと3.2GHzのCPUでしたが、今度はギガバイトのGA-81PE775Proというボード。CPUソケットが775と今までの形状と異なるので当然クーラーも巨大で4隅をボードの小さい穴に差し込む形になっていて、かなりとまどってしまいました。何とか取り付けてはみたもののやたらCPU温度が高い。70度を前後して70度を超えるとファンの回転があがるという設計のようで、これで大丈夫なのかしらと不安になってしまいました。前のクーラー・ファンの音が大きかったせいもあってか今度は多少静かになったような気がします。
いままでAOPEN, ASUS, ギガバイトのメイン・ボードを使っていましたが、もっとも信頼度の高かったのはASUS。作りがしっかりしており風格があります。しかし今回はCPUを先に決めてしまったため、現在市販されているボードの中でソケット775でしかもグラフィックがPCIエクスプレスでないのはこれぐらい。やむなく選んだという次第です。
それにしてもいまどきのメイン・ボードは一昔前とはまるで違ってきているのですね。何年かしたらまた、それまでにしっかり貯金して新しいマシンを組み立ててみることにしますか。
ところで、ソフトのインストールそのものはすんなりいって、思ったより短時間で前の状態に戻すことができたので一安心。
何度やってもめんどうくさい仕事です。Windowsの次期バージョンまで安定して動いてくれたらいいのですが。
そうは言っても金のかかることには間違いがありません。デスクトップLinuxの流れがもっと強くなり、たいていのことができるように早くなってくれないかな。


  9月9日 (金)
まだ日差しが強く日中は汗が流れます。しかし台風の後はさすがに朝晩は寒さを感じるくらいのときがあるから季節は確実に巡っているのですね。すでに稲刈りが終わった田んぼもチラホラ。刈り入れを待っている田は稲が黄金色に染まって素晴らしく美しい。1つ1つの穂を見ても重く垂れておいしいお米になりそうです。

今日は予定を変更してのドライフラワー教室。相変わらず個人教授なのでおしゃべりをしながらのんびりとアレンジにとりくんでいます。
今日の作品は天井からつり下げるタイプの変わり種。はじめはイメージが浮かびませんでしたが、先生の用意してくれたユーカリの葉を並べているうちに形が決まってきてなかなかの仕上がりになりました。
どうも感覚的にサッサと雑に入れてしまうので、繊細さには欠けるものの全体としては形が出来上がっているという作品。今後の課題は私のそのような作り方を踏襲しつつも細部にこだわりをもって計算された大胆さを演出することですね。どうもこじんまりとまとめすぎです。


ドライフラワーのページ


  9月8日 (木)
台風一過でまぶしい光がもどってきました。田んぼでは濡れた穂の上を無数のトンボが飛び交っています。一気に秋が訪れたような景色になりました。
昨日はかなり強い風が午後からずっと吹いていましたが、幸い作物は支柱などの対策もあって無事でした。ただ、果樹農家では落果がかなりあったのではないかと心配です。ネコは風と音に怖じ気づいたのか一日倉庫にこもりきりでした。

テレビをみているとKOIZUMIさんがまくしたてる自民党のコマーシャルがやたら目につきます。
ウソを百回重ねて本当と思わせるという手法はファシズムそのものではありませんか。しかも、このコマーシャルの莫大な資金はどこからでているのでしょう。全部とはいわないけれど、そのほとんどは政党助成金からでしょう。だとすれば、支持しない国民の税金をもつかって自民党は自党のコマーシャルをやっているというのがこの構図に他なりません。
民社・公明もこの構図どおりであって同罪です。ちなみにあの「いかんざき」コマーシャルは最低。

これまでの各党の論戦などを見てくると郵政民営化の本質がすけて見えてきます。
共産党の市田さんや社民党の又市さんがいうように、郵政公社は独立採算と法律で決められているから国民の税金は全く使われていない。しかも公社になってからその利益の50%は国庫納付金として納めることに義務づけられている。国民にとっても国庫にとってもこの仕組みを変える理由は全くないことは極めて明瞭です。それなら何故民営化なのでしょう??
KOIZUMIさんもイカンザキさんも「官から民へ」「小さな政府」と口をそろえます。
政府や地方自治体が社会保障事業や教育・福祉・郵便事業・災害対策などで国民サービスをきめ細かく行うのはその必要(行政需要)があるからです。必要が先でサービスがあと。その逆ではありません。
消防や警察を民営化しようという話にはならない(いずれなるのかな?)。もともと強い需要があるわけだし、そのための支出そのものがサービスなのであってこれを赤字とはいいませんね。
郵便と消防をいっしょにするなって? ではあらためて聞きますがなぜ郵政民営化なのですか?
「小さな政府へ」という何とかの一つ覚えの看板もその裏をみればその本音が書いてあるのでしょう。
「日刊ベリタ」には東大教授の醍醐さんの解説が載っています。「小さな政府」論批判はこれに尽きていると私は思います。最後に醍醐さんは「日本の有権者が、こうした低俗で的はずれな議論を透視する理知を研ぎ澄ますことが、「改革派」の虚飾をはがし、言葉の本来の意味での行財政改革を進めるための要と思われる」と書いていますが、全くその通りだと思います。

            *******************

Appleからまたまた新iPod登場。その名も「iPod nano」。へぇ〜そぉnano? つい先日20Gでカラー液晶のiPodを買い、現在はもっぱら車の中で使っており満足しているので欲しい〜〜というわけではないのですが、この小ささは魅力的です。Mac miniにしても、このiPodなのにしてもどうしてこれほど小さいものにこだわるのでしょう。一昔前のAppleからは想像もできない変化です。ひところはデカイ・重い・遅いの3重苦だったのにねえ。感無量です。今度は何が小さくなるのでしょうか。
一方これに対抗してソニーがこれまた新型ウォークマンAシリーズを発表。こっちもすごくカッコいい。使い勝手はわかりませんけれど、デザインからいえばソニーの方が上回っているかもしれませんね。
しかしAppleはiTunesとミュージックストアという強力な舞台を持っているので、どうなるのかこの勝負。と書いている最中にこの話題がテレビでニュースに。
Appleではかねてから話題になっていたiPod内蔵の携帯電話をアメリカで販売するらしい。というわけで、携帯オーディオプレーヤーをめぐる商戦は年末に向けてますます激しくなるでしょうですって。ふんふん。




  9月7日 (水)
午後から養老孟司さんの講演会にでかけました。安曇総合病院の認知症疾患センターをはじめ安曇野地域のいろいろな団体が催した無料講演会ということもあって定刻のかなり前から台風にもかかわらず会場の中学校の体育館にどんどん聴衆がつめかけ、開始時刻の1時半にはほぼ満席。主催者の発表では800人の参加ということでした。


講演会は「認知症を考える」ことをテーマに開かれたもので、講演に先立って病院のスタッフによるにわか劇団のアトラクション「一人暮らしでござる」が演じられました。
一人暮らしの呆けはじめのおばあさんのところに悪徳リフォーム業者がやってきて高額の契約をさせてしまう。しかしそれを知った娘をはじめ周りの人が法律の知識を駆使して退治するというストーリー。母もお世話になっている院長が少女役で出演するなど喜劇仕立てでなかなかよくできていました。


続いて演壇に立った養老先生。テレビや本などで見ているよりはるかに若々しい。大学で講義をするような調子で話し始めました。
内容は人間の認識と脳の活動の話。1つ1つの異なるネコとかリンゴとかを概念として「同じもの」としてとらえる脳の働きと、1つ1つを別々の「異なる」ものとして脳に写し出す感覚とは当然別物だがその2つの働きには重なりがあること。その重なりに位置するのがコトバであり、コトバが感覚から得られたデータを概念化する橋渡しをしている。これが第一のお話。
人間はたいてい自分は「変わらない」と思っているものだが、肉体そのものは1年もすれば細胞の9割も入れ替わって1年前の自分とは異なっている。では自己を「変わらない」と認識できるのは何故か。私たちは人間の意識はずっと連続的につながっていると思いがちだが、すぐにわかるように睡眠によって断絶され切れ切れになっている。しかし眠った次の日に認識するのは「自分」であり他人ではない。眠ることによって人間は起きているときの得た意識を整理しゴミを捨て自己同一性を保っている。起きているときの脳のエネルギーも寝ているときの脳のエネルギーも同じだ・・・というのが次の要点。
いろいろエピソードを交えて話していましたがこの2つが講演の骨組みだったように思います。さてこれから認知症の話かと思ったら時間がきて終わり。
養老先生、しゃべり方が速くてしかもマイクがこもっていて聞き取れない部分が多く、しかも「老いては脳にしたがえ」というテーマからはいささか離れた一般的な話だったために、聞く方としてはかなり興ざめ。話術も講演の態度も申し分ない超有名人であるだけに、内容がちょっと中途半端で地方での公演としては30点くらいしかあげられない。期待が大きかっただけに残念でした。
まあ、妻と一時間前に行って最前列に席を陣取ってあの柔和なご尊顔を拝見できただけで満足とすべきか。




  9月4日 (日)
アメリカ南部を襲ったハリケーンの被害が想像を超える規模になっていることが報道されています。折しも台風14号が日本に接近。この台風も最大級の規模で進路も大変気になります。衛星写真で見ても台風の目の大きいこと。日本列島が全部覆い尽くされるほど雲の渦がひろがって不気味です。


台風の規模・進路・風速や雨の量は刻一刻把握されているわけですからどのように対策をとればいいかも当然予測できます。とりわけアメリカでは気象衛星を始め軍事用の最先端のテクノロジーを使って世界中の情報を集めているわけですからハリケーンの規模や進路、被害予想をできないはずはありません。下の写真はNASAのサイトにおかれている「カトリーナ」の衛星写真です。


にもかかわらず「途上国並の被害状況」といわれほどの大災害になったのか。これまでの報道では避難勧告があっても車もなく金もない貧困な人々に被害が集中している、地球温暖化によるハリケーンの威力の増大の可能性がある、救援の人員・予算がイラク戦争のために削減され有効に機能していない、などの問題が指摘されているほどで、どの論調もほとんど「人災」です。
いま日本列島に接近しつつある大型台風がこのアメリカの轍をふまないように最大限の警戒と必要な対策をとらなければならないでしょう。

ところで今朝の新聞各紙はこの衆議院選挙の中盤の情勢をいっせいに報じています。いわく「自民単独過半数の勢い、民主は苦戦。公明・共産・社民は現状維持。ただしまだ態度を決めていない有権者がいるので情勢は変わる可能性がある」。
なるほど。3割の得票で8割の議席を取ることが出来るというのが昔からいわれている小選挙区制のトリック。自民か民主かと問われて1%でも自民が上回れば(たとえば自民党30%、民主党29%)議席はすべて自民党ということになるというのが小選挙区制です。これではあまりに党利党略見え見えだというので比例代表(しかも不十分な中選挙区比例代表)を加味するということになったわけで、過去何度も主張しているように現行の選挙制度の矛盾を突かないで自民単独過半数という数のみを報道しているとすればマスコミの罪は重いといわざるをえません。
事実結果としてそうなるかもしれない。しかし、その結果は有権者がそれだけの当選議員数を支持したことには絶対にならない。それをあたかも支持したかのようにみせかけ、それをよりどころに悪政の限りを尽くすとすれば、おそらくつけは為政者自らに降りかかってくることになるでしょう。アジア外交破綻、財政破綻、食料・エネルギー破綻など、予測される破滅の道を歩むのに国民を道連れにするのはまっぴらごめんです。もし自民単独過半数を許してその後始末を、さて誰がするのでしょう???

            *******************************

今日美ヶ原高原の白樺林で撮ってきた写真はデスクトップ画像に最適。数枚提供しますのでご自由にお使い下さい。いずれもサイズは1280×1024です

霧の白樺林 その1
霧の白樺林 その2
霧の白樺林 その3
霧の白樺林 その4
霧の白樺林 その5
霧の白樺林 その6


  9月3日 (土)
近くに県立の池田工業高校があります。その学校祭が土日を利用して開かれています。妻とは見に行ってこようと数日前に話していたところでした。
たまたま昨日何故かその学校祭の手伝いをしている近所の人から「バザーでコンピュータが出ていてその値段をつけたから見に来ないか」とさそわれたこともあって妻と二人で暑い中を出かけていきました。
工業高校ですから生徒は多分男ばっかり。どことなくガサツで雑然とした展示や模擬店、バザーなど。
バザーには保護者などから集めたと思われるさまざまな品物が所狭しと並べられていました。確かに中にはコンピュータやプリンタがありましたが、何と古い古いAppleのMacintosh。Performa630とかPowerMac6100とかショップでも引き取り手もないほどの古さです。Style Writerなどというプリンタはもうどこを探してもカートリッジなどは見つからないくらいなのに3000円。苦笑するしかありませんでした。
展示も一通り見て回りましたが、どこも準備と議論が不足しているように見えました。
何をテーマに何を訴えるのかを巡って議論されているかどうか、集団で準備が周到に行われてきたかどうかがつねに問われる高校の学園祭や文化祭。ただ模擬店があって、さわいでというスタイルでは発展はありません。一般公開するのならもう少し準備し高校生らしい溌剌とした展示やパフォーマンスを期待したかったですね。




  9月2日 (金)
午前中から午後にかけて精力的に仕事をして、ようやく西村さんの講演内容の収録を完成しました。
本当はもう少し簡単にする予定だったのですが、テープを聴き直したり写真を見たりしているとどうしてもここは記録しておきたいというところが多くてついページが増えてしまいました。
イラクの子どもたちの支援をするために教員の仕事をやめたり、実際にイラクやヨルダンに行くということはそう簡単にできることではありません。それをいとも簡単にやってのける彼女なのですが、どこにそのエネルギーがあるのかと思えるほど物静かで理知的な人です。語り口も淡々としてアジテーション的なところは全くない。ごく自然に人間として自分にできることをやっているだけだという姿勢がにじみ出ています。もっとも、彼女に言わせればその姿勢こそはイラクの人たちから学んだことだということになるのですが。是非ともご一読いただきたいレポートです。

西村陽子 イラクよりの報告

アメリカ南部を襲ったハリケーンによって数千人とも言われる被害者が出ていると伝えられています。アメリカ国内だけでなく世界中からの支援の輪が広がりつつあるようですが、私達も可能な限りの支援をしなければならないでしょう。
それにつけても報道を見聞きしながら心が痛むのは犠牲者の数の多さのみならず「無造作に放置された遺体。物品を奪い合う群衆。大型ハリケーン「カトリーナ」に襲われ孤立した米南部の都市ニューオーリンズは1日までに無法地帯と化している。避難所で息絶える人も相次いでいるという」(asahi.com 9/2)という悲惨な状態です。銃を持った暴動・略奪・レイプなどが蔓延し「人々はもはや獣のようだ」(同)という情報に接するとアメリカという国の危うさの一面を見る気がします。
被害者のために献身的に働く多くのボランティアがいることはまちがいありませんが、彼らすら近づけないような無法状態がどうして引き起こされるのでしょう。貧困や劣悪な住環境のもとで暮らす人々の多い地域だったこともその要因の1つでしょうが、それだけではなさそうです。私は片方でのイラク侵略と裏腹にこうした事態が進行しているように思えて仕方がありません。
アメリカ自身が被災者のすみやかな救出・救援と同時にこのような事態を招いた原因の究明を徹底的に行うことを願わずにいられません。


  9月1日 (木)
すっきりと晴れて気持ちのよい初秋の朝。早朝外に出てみると久しぶりに雲一つない北アルプスを見ることができました。まだ昇らない日の光をわずかにもらって赤みがかった山肌が美しい。田の稲はかなり黄色く色づいてまもなく刈り取りの時期になります。朝夕のこの肌寒いほどの空気はいよいよ秋が来たという実感を直に告げているようです。
私はといえば、今日一日外出もせず、断続的に例のホームページを作っておりました。テープを聴きながらメモの不十分なところを補い、それをもとにhtmlファイル化していく根気強い仕事で、かなり目が疲れました。
西村さんの報告は直接現地で見聞きしていることをもとに構成されているので、説得力があります。今日は第4部(一部はまだ未完成)まで仕事を終えました。あとわずかで完成です。
今日の最後の章は彼女がイラクでの劣化ウラン弾の被害に苦しむ子どもたちの姿と医薬品をヨルダンから届ける活動をする彼女やボランティアたちの活躍を伝えるものになっています。
彼女の話をメモしながらちょっと気になったのでいろいろ劣化ウラン弾について調べてみました。それは、この劣化ウラン弾についての見解には180度の相違がみられるからです。
劣化ウラン弾は通常地上に存在する天然ウランよりもはるかに放射性レベルが低く、劣化ウランそのものは「安全」であり、さらにその被害と称するものも立証されているわけではないとする見解と、そうではなく劣化ウラン弾は核兵器そのものであり、放射線による被害で白血病やガンの多発がそれを証明しているとする見解の対立です。
私には一見何となく「南京大虐殺」があったのかなかったのか、「従軍慰安婦」は軍が関与する強制的な性奴隷だったのか業者による自発的な営業だったのか、というような対立とよく似ているようにさえ思えます。もちろん、社会科学的にさまざまな証拠を挙げての解明を一方は要求するのに対して、劣化ウラン弾の問題はかなり自然科学的な解明を必要とする点で性格が異なるのはあたりまえですが、立場によって見解が変わるというのは面白い対立の仕方です。それゆえこの問題をめぐっては科学者の間でも真剣に議論が積み重ねられつつあります。次の研究報告は参考になるはずです。

広島大学平和科学研究センターの篠田英朗さん「武力紛争における劣化ウラン兵器の使用」

私は現在のところ、劣化ウラン弾は放射線による深刻な被害を与えるという点で限りなくクロであるだけでなく、これはアメリカの無法なイラク侵略という行為によってその被害をいっそう深刻にしていること、さらには戦場をウラン濃縮過程で出た過去の膨大なゴミの処理場に利用しているアメリカの愚劣でご都合主義的な核政策にその根源があると思っています。アメリカはイラクの民間人にどれだけの犠牲者がでたかなどは全く視野の外で、ただアメリカの主導権を確保することだけが関心事であることに留意すべきです。
くりかえしますが、劣化ウラン弾はそれだけでも重大な問題なのですが、同時に単にそれが使われるかどうかだけが問題になるわけではありません。経済制裁・無差別爆撃・掃討作戦などによって殺戮と破壊が襲いかかってくる中で、さらに劣化ウラン弾の被害が加わるわけで、それによる被害は想像を超えたものがあると思わなければなりません。
西村さんのレポートはまさにその点を突いているわけだし、実際に苦しむ人たちを前に何かしなければならないとして現地まで出かけて支援を行う姿は尊い。劣化ウラン弾「安全」論者に身体を張って支援活動に携わっている人を見たことはあるでしょうか。






"Candles And Stars" by Mr. Blue Piano Man


to top