序 この国の地金を変えていく一歩(抜粋)  高橋哲哉
 いま日本の政府は、グローバル化の中でアメリカと一体化して軍事戦略が展開できる方向に法律を改定し、それを支える「国民精神」なるものを作ろうとしています。
 戦後の民主主義と平和主義が最終的に捨て去られる方向に向かっているといわざるを得ません。私はこのことをこの国の地金が出てきたと言ってみたいと思います。この数年間、その地金がむき出しになりつつあるのです。言い換えると、戦後の民主主義・平和主義というものがもしかしたらメッキにすぎなかったのではないか、という疑問を禁じ得ないということです。
 このまま行けば、為政者たちが望むように憲法の平和主義が変えられ、天皇が元首化されたり、国民に国家防衛義務が課されたりするかもしれません。それどころか、憲法の政教分離原則の見直し案すらも自民党の中から出てきています。
 この国の地金は明治国家以降、敗戦までの歴史でつくられたもので、侵略戦争を繰り返し、植民地帝国をつくり、その中で民族、階級、ジェンダーの差異による差別を作って帝国を維持してきました。戦争と差別のシステムといっていいでしょう。
 敗戦によって民主主義と平和主義の国家になったのは、新しい憲法と教育基本法がそのような国家を規定したからです。果たして一九四五年の敗戦、破局によって、かつての日本の国の地金が本当に解体されたのか。今、それが非常に疑問です。実際、歴史的にいえば、日本はドイツとちがって天皇の戦争責任を追及しないとアメリカが決めていて、オーストラリア、中国、ソ連などをおさえて免責してしまいました。占領軍は象徴天皇制というかたちで昭和天皇を延命させたわけです。同時に東京裁判でA級戦犯として裁いた旧権力者についても冷戦激化のなかで結局責任追及は中途半端に終わってしまい、かつて権力の中枢にいた人たちが復権してしまいました。その象徴が岸信介首相です。それは政界だけでなく、官界も産業界も財界もマスメディアも司法界も大学・教育界もそうです。そういう意味で、戦前・戦中と戦後の連続性が、私にはドイツに比べてきわめて強いと見えるのです。
 それでも、かつては戦争の記憶を持つ国民感情の中で、憲法や教育基本法を変えられると昔に戻るのでそれは嫌だという意識があった。あるいは七〇年代から八〇年代の経済成長の結果として消費社会が爛熟し、中曽根首相が国家主義の旗を振っても「いや楽しいからいいです」といってそれは受け入れられなかった。しかしこの間、そういった条件が次々となくなっていきました。つまり世代交代と歴史教育の不在、公教育での現代史教育の弱さによって戦争の記憶が失われかけてきている。同時に経済成長という条件ももはやなくなってしまった。そういう中で為政者側は、ついにかつての地金を復活させるチャンスが到来したと思ったのではないでしょうか。
 そこに分かりやすく現われたものが、この「日の丸・君が代」問題です。これもまた敗戦によってなくならなかった。ただ抵抗勢力があるうちは実施が困難だっただけです。しかし、今まさに完全復活を遂げようとしている。
 私は日本の民主主義・平和主義というものに未来があるとすれば、この地金そのものを変える、民主主義と平和主義を地金の中に組み込む努力なしにはだめだと思います。メッキなんてとんでもない、民主主義と平和主義の運動はずっとあったというのは本当ですが、その運動が果たしてこの国の地金を変えられたのかというと、そうではなかったからこそ今日の状態に至っているのではないでしょうか。
 そうすると先が暗いように見えますが、しかし、いま「日の丸・君が代」にこれだけの人が抵抗した。それが地金を変えていく一歩です。憲法や教育基本法改悪に今、抵抗する。改悪を阻止する運動そのものが地金を変えるための一歩です。この流れでいくと最悪の場合、憲法も教育基本法も改悪されてしまうかもしれない。しかしそうなったとしても、最終的に私たちの民主主義・平和主義の根拠は憲法でも教育基本法でもない。仮に改悪されてもそれで終わりではなく、むしろそのときから地金を変えるためのねばり強い運動が始まらなければいけない。そのときの貴重な一歩が、この「日の丸・君が代」強制に対する闘いだと思います。思想・良心の自由がどんなに重要なものなのか、私たちが経験の中から確信するまで私たちのなかに根づくことはないからです。
(東京大学教員)