広津散策[11月]      | 戻る | ホームへ  |
 
01 集合場所の広津集落センター。池田林中の私の家からは約20分ほどの山の中です。 02 参加者はガイドマスター研修生と一般参加者の約30名。高照山を一周するコースに出発です。
 
03 出発してまもなく県道からそれる道に入るのですが、その角には六地蔵が立っています。六地蔵とは六面に小さい地蔵はめこんだ塔のことです。 04 周辺はところどころ朝靄に覆われその向こうには北アルプスが遠望できます。今日は散策には最高の快晴にめぐまれました。
 
05 反対側は靄がかかっていなければ浅間山も見える絶景。空の青と紅葉とがマッチして素晴らしいパノラマが広がります。 06 ここらあたりの広津地区は養蚕の影響もあってかかつては数千人の人口がありかなり開けた土地であったようです。
 
07 山間の高度観測点。人工衛星を使って測定をするのだとか。測量点と919メートルの標識があります。 08 「山の神」の小さな祠。杉の木の間に傾いてひっそりとたたずんでいました。
 
09 ツルリンドウ? 山道の脇には小さな花がところどころでみられます。キノコもたくさん出ていて、女性のみなさんは夢中で探しておりました。 10 このあたりから沿道や周辺に桜の苗木がたくさん見られます。春になると一斉に花を開くのでしょう。
 
11 それもそのはず。ここに住む雛沢潤一さん(71)が昭和15年から高照山全体を桜で埋め尽くすことに取り組み、ボランティアの協力も得てすでに10数種類の桜を3600本、シラネアオイを4800株植えてきました。 12 広津の村おこしの原動力になっていると住民の方が感謝の言葉をのべていたのが印象的。桜を題とした100首の和歌をプレートに刻んで残す運動もしていらっしゃいます。まだ余裕があるとか。
 
13 そこからしばらく行って脇道を下ると「なまくら観音」があります。横山拓衛氏(穂高町)作の民話「なまくら観音」のモデルだそうです。 14 砂岩でつくられているため風化、劣化が激しく、今にも崩れそうな状態で立っています。参加者一同、早急な保存の必要性を確認しあいました。
 
15 菅田の厄よけ観音のお堂。その前には町の天然記念物に指定されている姫杉があります。樹齢350年、高さ約35メートルの巨木です。 16 観音堂のわきにはたくさんの石仏が見られます。
 
17 近くでは観音堂を描いている画家の姿も。この地域にはたくさんの観音像、如来像などの仏像や石仏があり、信仰の深さを物語っています。 18 沿道では紅葉がゆく秋を飾り、木漏れ日がやわらかく地面に降り注いでいます。誰でも詩人になりそう。
 
19 村の神社。大きな神社の正面にはかつては回り舞台も持つ神楽の舞台があったのですが、今では朽ち果てるままになって建物の保存もままならないということでした。 20 倉庫には代々御神楽と書いたご神体?が2基。真っ暗な中に保管されていました。現在はどのような出番があるのでしょうか。
 
21 かつて広津小学校があったところ。山の中の小学校に通うには麓からあがってこなければならず大変だったようです。 22 沿革には昭和47年小学校閉校、池田小学校に統合という文字が見られます。薪をかついだ二宮金次郎の像がかつてをしのばせます。
 
23 小学校正面。グランドは少し離れたところにあります。見晴らしは抜群。まわり中が紅葉であふれています。 24 一行はこの元小学校グランドで昼食休憩。広々とした草原で三々五々お弁当をひろげてくつろぎました。
 
25 昼食後はもう帰り道。途中にもいろいろな遺物、遺跡が点在しています。山の中には西郷隆盛の重臣の一人らしいという人物のお墓が。詳細は不明です。 26 行きがけに見たと同じ六地蔵がここにも。
 
27 六地蔵の作り方は全く同じで、六面の中に小さい地蔵様が安置されています。まわりには「庚申塔」や「二十三夜塔」、石仏が無造作に立っています。 28 すぐ脇には砂岩に掘られた相体道祖神が二組。村と村との境にはこのように道祖神がおかれていたということです。
 
29 百体観音。弘法大師の四国八十八霊場の代拝碑が88基、その他を合わせると101基の石仏が置かれています。 30 寄進によって彫られたものが多いようですが、近くの石仏を集めたものもいくつか混じっているという話。近くはその昔、かなりひらけた平らな土地であったようです。
 
31 すぐ近くにも道祖神がまつられています。ここでは穴の開いた耳の形を思わせる砂岩がいくつも中に並べられていました。耳の都合の悪い人が完治を願って置いたのだそうです。 32 午後2時を少し回った頃ようやく出発点に戻って解散。朝は靄で遠くが見えなかったのに、帰りは幾重にも重なった山々が見渡せ、すばらしい景観でした。