池田町
道祖神めぐり[5月]
 

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01 長野県の双体道祖神研究の第一人者である小出久和さんのガイドで池田町の道祖神めぐりのイベントにでかけました。
今日は朝まで雨が残り傘を差しての行動を心配していましたが出発する頃には雨もあがり、暑くもなくちょうどよい日和りになりました。
この行事は小出さんの写真展を開いているクラフトパーク内の包美術館の主催でひらかれたものです。美術館前に集合のあと車に分乗してまず堀之内地内の神社へ。最初の道祖神にお目にかかりました。
02 道祖神とは外から進入してくる疫病や悪霊を村境や辻や橋のたもとで防ぐ役割を持った神のことです。信州ではその道祖神は何故か男女二人組になっています。多くは江戸中期から明治にかけて作られていますが、起源は相当に古いようです。平安時代にそうした役割を果たしていた丸い石が信貴山縁起絵巻に描かれていると説明する小出さん。
 
03 続いて旧道沿いにある双体道祖神。やはり二人が手をつなぎ、男性が女性の肩に手をかけています。池田町の北の方にあるものは比較的小さいものが多く、だいたい同じようなポーズをとっています。 04 1600年前半の道祖神は合掌型が多く、元禄年間になると男女の性別がはっきりし、1700年代の前半には手を握り肩を抱くというスタイル。さらに半ばになると最終的な祝言型になるといいます。
男女の並び方や手の置き方でさらにいろんな分類がされているようで、中には相当変わり種もあるらしい。
写真は道祖神まで遠くて行けないのでコピーを見ながら説明を聞いているところ。
目的の道祖神は写真のほぼ中央の黒っぽい茂みにあります。望遠をかけて拡大したものがこちらです。形はまるく長野で2番目に古い道祖神だそうです。
 
05 石が硬いため比較的きれいに残っています。男が杯を持ち女がお酒を持っている祝言型です。しかも二人はピッタリ寄り添っています。全くうらやましい。 06 穂高・豊科あたりから南では家の脇に置かれていたりする例が多いそうですが、池田では多くがこうした集落の片隅に置かれていて、昔の面影を残しているのはすばらしいことです。しかし一面盗難にあったり、風化がすすんだりするケースもあってしっかりした保存が必要だと強調されていました。
 
07 半在家の道祖神。女性の髪が豊かです。
池田の中央部に近いところではこのようにマント(半纏)を着ている例があるそうです。寒いだろうからという村の人のやさしい心遣いが感じられるとガイド役の小出さん。
ここもそれほど大きくはありません。
08 これは池田の代名詞ともなっている相道寺の道祖神。わらで葺いた屋根や米俵、酒瓶などを模したわら細工がユニークです。やはり田んぼを見渡す道ばたに立っています。
今日は近くで手植えの田植えが行われたこともあって稲の苗が供えてありました。
 
09 これは新築中の我が家からすぐ近くの花見地区の道祖神。道祖神の前に米俵なのか酒樽なのかわかりませんが、とにかく大きなわら細工がドンとぶら下げられています。 10 安政3年の作。なかなか気品のある道祖神でした。ここらあたりからちょっと石の背が高くなります。
 
11 こんなところに・・・というのがこの道祖神。道からちょっと外れたちょっと高い草むらにひっそりと立っています。みんなで一斉に登っていけないので順番待ち。 12 道ばたにあるのでいつも見慣れている道祖神ですが、よく見ると一体は彩色、もう一体は自然のまま。
色がつけられているのは保存という意味と同時に、嫁がほしい男・嫁に行きたい女が道祖神に色を塗ると願いが叶うという習わしによるものという一面もあったのだとか。本当かな。
 
13 鵜山地域のかなり大きな道祖神。女性の着物は十二単のようです。
男女が完全に離れそれぞれポーズをとっているため内裏雛のような形になっています。
14 まわりに文字が彫られている中ノ郷の道祖神。高さは1メートルを超えます。このあたりから南では道祖神の石もかなり大きなものになっていくようです。
 
15 この裏には巨大な文字で「帯代二五両」と彫られています。この道祖神をよその村が「嫁」に貰いたいという場合は25両をおいていけという意味らしい。
他の道祖神の裏にも同じような意味の文字が彫られています。
16 渋多見の交差点付近。諏訪神社境内に二つ並んで道祖神があります。そのうちの一つです。これにも帯代35両の文字が。1854年の作とあります。
 
17 これも諏訪神社内の道祖神。離れて手をつなぐだけのわりとさっぱりとした関係らしい二人。 18 いずれもこうした小屋のなかに安置され保護されています。
 
19 最後は内鎌地域の八幡神社境内にある3体の道祖神。それぞれ特徴があります。 20 一番右の彩色されたもの。子どものような表情、スタイルで雲の上に乗っています。ちょっと変わったデザインです。1828年の作。
ただ、どうも線が不自然なものもあって後から結構線を付け加えたらしい跡があります。
 
21 これも一部色がつけられ重いマントを羽織っています。女性の髪が異様にでかい。 22 一番左のぴったり寄り添う二人像。かなり小さい。
こうしてみると、狭い池田にもずいぶん沢山の像があります。多くは江戸時代にこちらに派遣された石工がどんどん生産をしたということらしい。デザインは石工の意匠というよりは村人の要望によるもののようです。
現存するものは概して仲むつまじくほほえましいものばかりです。当時の村人たちの心の中のぬくもりが伝わってくるようです。