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11月30日(火) 晴れ     ここでも安曇野が出てきました       

今日は日曜日の振り休でお休みです。はや11月も終わり、いよいよ師走がやってきます。
久しぶりに晴れたから庭仕事がしたいと思っていましたが、予定外の出来事が起きてくるものです。午前中は家を見に来るお客さんがありその相手です。その後は社会保険センターへ年金の相談に行ったり役所へ行ったりと昼間にしかできない用事をすませ、続いて健康診断に市民病院へ。あっという間に夕方になってしまいました。
夜はお友達グループの食事会です。いま流行の個人の家で座敷を開放して手作りの料理を食べさせてくれるところが長岡墓地の近くにあります。
そのお店では器も凝っていて自分で焼いたものを使っています。ですから出されている器は全部違うのです。
料理もちょっとした工夫で誰でもできるようなものが出てきます。簡単と言えば簡単ですが家で作るには面倒ですので作ってもらって食べるのが一番です。お正月に作りたいと思うような一品もありました。
何よりびっくりしたのは手作りのコンニャクが出てきたことです。聞くと安曇野のこんにゃく芋だといいます。コンニャクの美味しさは格別。自分が作ったものと同じ味でした!!やっぱり手作りは美味しいですね。他にも朴葉をお皿代わりに利用してあるのですがその葉も安曇野の葉っぱだといっていました。主に数河高原や安曇野が仕入先だそうです。そんな所まで行くのかと感心してしまいました。ついでに自分が来年行く所の自慢話をしてしまいました。
田舎料理でおふくろの味という感じ、美味しいものを食べておしゃべりをして二次会へも行き楽しみました。忙しくなる師走に向けて活力をつけました。


11月29日(月) 雨のち曇り     友の訃報の知らせ        

勤務先の園では何かと問題が起きていて大変です。入所者同士のいじめのようなものが水面下にあってなかなか浮上しないのです。
一日24時間のうち職員が接する時間はたったの8時間です。夜間の当直者からの引継ぎをきちんと行って連絡事項が抜けないようにしてもやっぱりどこかで抜けるのです。
いじめの犠牲となった入所者が行動を外へ移して初めて発見されたのです。外で子どもみたいに地べたに這いつくばって動こうとしません。何時間かかけて説得して連れ帰ってきても後が大変でした。朝から酒を浴びているので吐いたり暴れたり。女の酔っ払いは男より大変と言いますが本当でした。


一段落してほっとしている所へショッキングなニュースが飛び込んできました。
養護教諭時代の仲間から一冊の本が送られてきました。それは20年近くも一緒に活動してきた性教育サークルの仲間、Sさんが書いた本でした。
本のタイトルは「子供たちの声が聞こえるー不登校と向き合った日々」。保健室登校の生徒の教育実践事例が細かく載せてありました。
すごい、本を出したんだと感心して読んでいましたら、彼女は5月に亡くなり遺稿集になったのだとわかりました。びっくりしました。サークルを作った当時から一緒に活動していましたが、私は忙しくなりここ2〜3年休んでいたのです。ですから彼女が病気になっているなんて知りませんでした。
同じ年で来春一緒に定年を迎えるはずでした。彼女は中学校が主だったので不登校を中心に指導していました。サークルで学んだ事を生かして心の教育をしていたのです。頑張りやで北陸中日教育賞を受賞され、その副賞に外国旅行が当たったよと喜んでいました。
今度のこの本の出版に当たっても北陸中日新聞社から大きな援助があったようです。彼女の教育実践は北陸中日のホームページに載せて担当者が変わっても残すつもりだそうです。有難い事ですね。
私が一番大きな打撃を受けたのは同じ年で一緒に長い事活動をしてきた人があっという間に逝ってしまったことです。いろんなことが走馬灯のように浮かんできます。N子さん安らかに眠ってください。
彼女の症状の初めは下痢が続いていて、検査をしても異常なしと診断されていたそうです。治りが悪いので入院して精密検査を受けたらその診断が膵臓癌。しかも結果は手遅れで医者からは後3ヶ月か長くて6ヶ月の命だと宣告されたのです。驚いた夫も覚悟を決めて告知したそうです。
彼女は当初は相当ショックを受けたもののすぐ気持ちを取り直し強い意志で治療に取り組んだそうです。そのことを聞いていると弟を思い出してしまいます。弟も悔しいと言って死にました。彼女も悔しい、死にたくない、絶対に直すと言って、現在癌治療の先端を行っている「免疫療法」を選んだといいますが、治療を開始してから9か月で力尽きたのでした。
早期がんは治癒するといってもまだまだ手の付けられない癌も沢山あります。人間一度は死にますが病気に負けたくないですね。頑張って生きて寿命を全とうしたいです。


11月28日(日) 晴れ     11月例会は魚津で観ました。        

今日は日直、朝から出勤です。入院していた方が亡くなられ、葬儀を済ませた家族の方が荷物の整理のために来園されたり、そのほかの面会も多くあって、いつもの日曜日より人の出入りの激しい一日でした。
勤務が終わるのを待って魚津まで出かけました。月・火と富山で上演予定の演劇を他の予定があって見ることができないので、わざわざ魚津まで遠出をして見にでかけたのです。同じように見られない人も乗せて行きました。
待ちに待った“渡辺えり子の世界”の例会です。
上演〜「月夜の道化師」、作〜渡辺えり子、演出〜鵜山仁。
ご存じない方のために、渡辺えり子さんのことをここで少し紹介します。
彼女は二十歳半ばから若手劇団を主宰し戯曲・演出・女優をこなしてきた人です。私は女優の顔しか見たことがありません。しかし、戯曲も半端ではなく、岸田戯曲賞や紀伊国屋演劇賞などを受賞しています。自叙伝にもあるように、父の影響で二度と戦争を起こしてはならないという教育を受けてきたので、彼女の戯曲は戦争の犠牲者である遺族にスポットをあてた舞台が多い。「月夜の道化師」もそうです。
物語〜双子の兄弟。双子で同じように育てられてもなぜか性格が違う。兄はずる賢くて要領が良い。弟はそんな兄を疎ましく思う反面憧れてもいた。弟(青児)は病気がちで入院の生活。そんな中、兄は予科練に志願して戦死してしまう。青児はいま75歳。独身を通し弟の家族と暮らしてきた。青児が家族を養ってきた形になっているが、それにはさまざまな理由があった。当時の事情から兄が自分の身代わりになって志願したのではないかという思いと、もう一つは兄の妻・春はかつては自分の恋人であった人だということ。そのひたむきな心は誰も知らない。道化師は人を笑わせる仕事だが自分では笑うことのない孤独な商売だという。人影のない月夜の帰り道そっと涙をぬぐう。・・・
今ではボケてしまった春を献身的に介護をしている青児の姿を見ていると切ない思いで胸が熱くなりました。最後に兄のずる賢いところを証明するかのように、特攻隊で出撃したはずが実は別のところに着陸して生きていたという発想も奇抜でよかった。




11月27日(土)曇りときどき雨     池田町の住人気分        

朝からシトシト雨模様の天気。風邪気味ですっきりしないので午前中休んでしまいました。
そういえば今週末は池田に息子と甥の家族が来ることになっているのです。昼頃に夫に電話をかけたら、まだ到着してはいないけれどまもなく着くはずだということでした。お天気がいいからこれから安曇野を案内するとところだと張り切っていました。甥家族は池田町は初めての訪問だから安曇野のすばらしい景色と食べ物を十分に満喫してくれればと願っています。この前予約した”りんご狩り”にでかけたはずなので、子どもたちは喜んでくれたかな。


私は明日は日曜出勤。体調を整えなければいけないので、夫の指示もあり今日はゆっくり休むことにしました。
寝ながらテレビを見ていましたら、土曜ワイド劇場という番組で安曇野を舞台にしたドラマをやっていました。
主人公の医師が温泉好きという設定で穂高温泉が登場し、その友人がわさび農園経営ということで大王わさび園も映しだされるなど次々となつかしい景色が出てきました。
わさび園はつい先日訪れたばかりだし穂高温泉も昨年家族旅行で訪問したばかりなのですが、妙に懐かしく思えて見入っておりました。
先日も列車の時刻を調べておりましたら”あずさ号”が大糸線小谷駅まで走っていることを知り、狩人の歌が懐かしく思い出されました。
このように、いままで気にも止めなかったこと一つひとつが繋がっていくことを感じます。これも長野という広い地域の中の一つの町池田の住人になるのだという気持ちがいろんな思いを増幅させているのかなと思いました。


11月26日(金)曇りのち雨     鬼の霍乱と笑われました        

夕方仕事から帰る頃、急に風が強くなりました。午後から天気が崩れるという予報でしたが雨が降りだしたのは夜の8時過ぎからでしょうか。いま外は雨風で台風のようです。
池田から帰った後なんとなく風邪気味の感じがあったのですが、昨日はとうとう寝込んでしまいました。普段元気な私が仕事を休むと「鬼の霍乱」かと笑われました。あまり高い熱は出ないのですが、37.5度も出ると大変。起き上がれないのです。折角治りかけていた足は痛くなるし、体の節々も痛くて踏んだり蹴ったりの一日でした。
元々は丈夫なのでしょうか、一日休んでいると元気になった気がします。風邪を引くにはまだ早いのでたるんでいる証拠ですね。しっかりしなくてはと自分に活を入れました。


休んでいるうちに職場ではまたまた事件と言いましょうか、若い(63歳)入所者が職員に暴力を振るうということが起きたのです。うちの老人ホームは概ね65歳以上となっているのですが特別な事情のある方は60歳くらいから入れるのです。この方は橋の下に住んでいた方で保護されてきたのです。体も大きいし、若くて体力もあるので殴られた職員はメガネも吹き飛んで首も鞭打ちになるくらいの怪我をしました。運良く骨折はなかったので良かったのですが、初めての出来事で大変でした。
当の本人は怪我をさせてそのまま無断外泊をして帰ってこないので家族に連絡をして警察に捜索願を出す騒ぎになりました。当直の時夜中に見回りをするのでこのような若い方と廊下でばったり会うと怖い思いをすることがあります。とうとう心配していた事が起きてしまったので関係機関と連絡を取り今後の対策を検討することになりました。知的に弱い人は気に入らない事があると暴力を振うことが多いので気をつけるようにと精神科の医師からの通達がありました。入所者同士の暴行事件が起きないか心配しています。


11月23日(火)勤労感謝の日 池田 晴れ     りんご狩り        

今日も朝は深い霧に包まれています。毎朝こんな風では大変だなと思いました。富山では霧がかかるのは年に何回かですので"すごい"と思うけれど、池田の人は慣れているのでこれが普通なのかもしれませんね。濃霧に覆われた日はきまってその霧が晴れるといいお天気になります。
今回は連休を利用しての来訪、少しゆっくりできました。午前中は家で洗濯や庭の菜園を眺めているうちに時間が過ぎてしまいました。
午後から母を連れて外出しようと準備をしているところへヘルパーさんがやって来ました。通常の火曜日はヘルパーさんの来る日になっていますが、今日は祭日だからお休みだと夫が勘違いしていました。出かけた後でなくて良かったねと苦笑いをしました。
母が散歩に行っている間に、秋の綺麗な景色を探しにちょっとドライブ。
まず始めはこの辺ではめずらしいりんご畑に立ち寄りました。お馴染みになっている"おやき村"のお店の方の親戚が経営しているりんご園です。彼女も今日はそのお手伝いでお休みを取っていたので、かねて予約してあったりんごの確認をすることもあってお邪魔をしました。
1000本もあるという木には"ふじ"がたわわに実っていました。何人かの女の人がりんご取りのお手伝いをしていました。とってもとっても減らないという感じでした。
私たちも家で食べるキズものを分けて貰おうとお願いしたところ、袋を持って自分でとってきなさいと言われました。キズものどころか新鮮なりんごを戴いて帰りました。
「自分でとったのだから不味くても文句は言わないように」とか「今年は台風でやられて送るための極上のものはないから送らない方がいい」とかと無愛想に言われましたが、お世辞の言えない正直な方だとお見受けし、かえって安心いたしました。近々姪っ子たちがくるのでりんご狩りをさせてもらうことを約束してりんご園を後にしました。


つづいて南に下り、きれいな水が流れる高瀬川べりを散歩したり、春に来たときには素晴らしい景色を見せてくれた大王わさび園あたりを散策しました。秋のわさび園もまた違う風色を見せてくれました。景色も去ることながらいつ行っても美味しいわさびが手に入るし、安曇野はほんとに素晴らしいですね。
夕方はお決まりのJAのスーパーで富山へのお土産を買って帰途につきました。4日間ともお天気でよかった。


11月22日(月)池田 晴れ     畑の草むしり        

相変わらず朝早い無線放送で目が覚めました。今日もお天気になったので予定通り畑仕事に行けそうです。
母がデイ・サービスに行く日ですのでいつもより少し早めに起こして準備をしました。まだ眠そうにしていましたが、「たかちゃん家」いくことを話したらすんなりと起きてくれたので助かりました。
母は昔は御飯党でしたが、今はあまり食べないのでパンに蜂密をつけた方がよく食べてくれます。パン食に牛乳の食事を済ませて迎えが来るのを待ちました。
母がでかけた後、私たちもおにぎりを持って遠足ならぬ畑仕事へ。庭だけでは物足りずとうとう大家さんの畑までお借りすることになったのです。
車で2〜3分と近いところですが歩いて行くには時間がかかります。それに農作業用の道具も必要ですのでそれらを車に積み込んででかけました。
先日タマネギを沢山植えたばかりですので今から何かを植えるわけではありません。来春のために草むしりをして耕しておくのです。長く伸びている枯れ草を取って燃やそうと火をつけてもなかなか燃えてくれません。水分をしっかり含んでいるのでしょう。また今度にお預けになりました。
今日の天気は青空がすっきり、とても気持ちのいい日でした。そんな中ふと"なぜ自分がここにいるのか、こんなところで畑をしているのか"不思議な気持ちになりました。久しぶりにスコップを持ち、しかも一人ではなく仕事をしたのでいい運動になりました。
元々土いじりは好きですので畑仕事そのものは苦になりません。ただ気になるのは年とともに衰える体のことであり、いつまで元気に仕事ができるのかということです。反面作りたい作物も沢山あり夢は膨らむばかりです。池田の農家のみなさん、いろいろ教えてくださいね。


11月21日(日)池田 晴れ   井戸の水抜きをしました        

朝の池田はまた霧に包まれていました。朝晩と昼の寒暖の差が激しいので霧が深くなるようです。霧が晴れるとだんだんお天気になりました。母も一晩休んだら幾分か元気になった様子でした。
お昼過ぎ、また例のごとく宅地造成地を見に行ってきました。もうほとんど完成に近い状態ですがお隣の家の工事が終了するまではこのままの状態でいるのか作業が進んでいません。
井戸が掘ってあるので時々水抜き作業をしなければいけないとのことで今日はその作業を夫と二人でしました。ホースやモーターなどを沈めたり、電源を入れたり二人でも大変な作業ですのでいつもは一人でやっている夫の苦労がわかりました。きれいな井戸水になるまでには2年位かかるそうです。それまでは畑中心の利用でしょうか。
今回の池田訪問ではドライブはお預けにして来年に向けての畑の世話やその他の仕事の手伝いをすることにしました。


午後から着物の手入れです。折角祖母が丹精込めて私のために縫ってくれた沢山の着物。長いこと寝かせ放しでしたので全部風通しをしました。訪問着は子どもの入学,卒業の時以来着ていないし、大島は一回くらい手を通したのかと思うほど着物には縁のない生活でしたので祖母には申し訳ない思いをしています。夫の着物も作ってありますがこれまた一度も着ていません。婆ちゃんが天国で怒っているかもしれませんので来年は二人でお正月に着物を着て初詣にでも出かけようかと思っています。婆ちゃんごめんなさい。あの頃いろいろ可愛がってくれて有り難うごさいました。
蛇足ながら今月は33年前と同じ曜日ですね。21日が日曜日、23日が火曜日。その21日が私たちの結婚した日でしたので、つい書いてしまいました。


11月20日(土) 曇りのち雨     白鳥が池多に来ました        

昨日の新聞に白鳥が富山市池多にある田尻池に飛来してきた記事が載っていました。ちょうど当直明けで朝勤務が終わるので早速現地に直行しました。
池多は富山市の西のはずれにある農村です。昔、池多小学校に勤務していた頃は何の変哲もない村でしたが、今は白鳥で有名になりました。学校でも白鳥観察クラブがあり白鳥で村おこしをしています。最近の池多は農業にリンゴも取り入れ魚津に次ぐリンゴの産地でもあります。古洞の湯も出来たし少しは田舎のイメージを返上したようです。
毎年白鳥の来る田尻池は小さい池ですが、沢山のカモと白鳥が同居して賑わっていました。
時間も早く小雨もちらついていましたがもう何人かの見物人がありました。白鳥の美しい姿を写すにはある一定時間粘っていなくてはなりません。シャッターチャンスがないまま雨が降ってきたので退散しました。暫く滞在すると思うのでまた行くことにしましょう。

ところで娘の家で一泊して今日は金沢に出かけている母と夫はどうしているのか気になりながら家に向かいました。
夕方金沢からの帰りに有磯海パーキングエリアで合流して池田に向かうことになっているので、夕食の足しにおかずを少々持って行くための準備にかかりました。
今日は高速を走るのでガソリンや車の点検も必要ですので何かと忙しくあっという間に待ち合わせの時間になりました。
母はだいぶ疲れた様子でしたので休憩もそこそこに池田に戻りました。金沢では皆さんに良くしてもらったのですが行き帰りの運転で夫も疲れた様子でした。母を連れての遠出ももう富山が限界かなと思いました。


11月17日(水)晴れ   物故者法要        

昨日は一日中雨。気温も下がり寒くなりました。いよいよ冬支度です。外では融雪装置の点検がなされていました。
今日は晴れて天気予報通り昼からは少し暖かくなりました。園ではまた大きい行事の一つが終わりました。「物故者追悼法要」です。昭和22年から行われているので今回は57回目の法要になります。毎年在園中に亡くなられた方の法名が書き足されます。実に沢山の方が亡くなられていますが、実名で記入されている人があるので不思議に思っていましたらこの方は法名のない方だとわかりました。死んだら誰でも法名は付くものだと思っていたので「地獄の沙汰も金次第」ということがわかりました。人間死んでも不平等があるのですね。
今年も何人かの方が亡くなられたのですが、退所後のことで記録には残りません。施設での今年の物故者は2名でした。
昨日から供物やらお花やらその他の準備で大変でした。毎年お東とお西のお寺から変わり番にお坊さんがくることになっています。今年は西本願寺から3名のお坊さんが来られました。導師さんとエーとあと何か言っていましたが忘れました。昔からお寺にはあまり縁がないので良くわかりません。信心深くないので罰当たりですね。
お葬式のようにお経を上げているうちに読み上げ焼香が行われ、施設長をはじめ百人あまりの方がお焼香をしました。現在看護専門学校の生徒さんも実習に来ているのでたまたま来ていて経験させてもらってよかったといっていました。
法要が終わったあと例により法話が行われました。九州から修行にきていらっしゃる若いお坊さんが話をされましたが、話を聞いても悟りの境地にはなれません。まずは仏壇に合掌しお念仏を唱えることから始めなくてはいけませんね。合掌。


11月14日(日) 晴れ     山田洋次監督に会いました          

かねてから予定して、楽しみにしていた黒部市のコラーレ行きの日がきました。映画監督の山田洋次さんの講演と映画「父と暮らせば」の上映会があるのです。
コラーレは黒部市の市民文化ホールです。この会場では一月に一回「世界の名画を見る会」の行事があります。その主催責任者は岩波ホール支配人の高野悦子さんです。彼女は映画は劇場に限るとして長年映画上映のお仕事に関わってきている方です。この会場が出来た当初からこの土地の出身者である高野さんにこの会の運営が任されているようです。
考えてみると、富山市から東には劇場がありません。そのためにこの会場が劇場の役割も果たしているのです。
黒部市は今年、市政50周年を迎えています。その記念行事として今日の催しが行われました。
第一部は山田洋次さんの講演「私の映画人生」でした。しかし実際は高野さんとの対談形式の話でした。
高野さんはあいさつのあとで、自分は映画の制作の仕事がしたかったと東宝時代の話をされました。しかしいつの間にかそれが映画興行の仕事に変わってしまったのだと自分の半生を語り出され、その中で山田洋次さんとのかかわりもふれられました。(ただ、その当時はまだ面識はなかったそうです)
それを受けて今度は山田さんが自分が映画と関わるきっかけになった話や苦労話などをされました。映画作りの原点は常に「観客の反応」であると肝に銘じ、映画館に足を運んでは客の反応を常に受け止め、それを肥やしにして映画を作り続けたそうです。高野さんの映画館での上映があったから日本映画は発展したと高野さんにお礼を述べておられ微笑ましく感じると同時に、作る側と見せる側のお二人の映画にかける情熱が伝わってきました。
山田洋次さんは静かな物腰で穏やかな雰囲気の方でした。白髪頭に黒縁めがね。その奥に闘志が見えるようで、ますますファンになりました。
高野さんもいつも同じ髪型で感心しました。髪型を常に同じに保つというのは大変なことです。大病をして弱気になったと言っておられましたがその気配は全く感じません。お二人ともまだまだ十分元気でご活躍されるに違いありません。「映画は劇場で見て初めて名画になる」との言葉通り、劇場映画にかけるお二人の情熱はまさに命をかけるほどのもので、その力強いお言葉に感銘をうけました。
第2部は映画「父と暮らせば」でした。井上ひさしさんの作品で先日舞台を観たばかりです。映画と舞台とではどのように違いがあるのか興味がありました。
舞台は二人芝居で恋をする相手の人は出ません。映画は当時の広島の写真も出してあり原爆資料も数多く出ていて、当時の模様がよりリアルに描かれていました。宮沢りえ、原田芳雄の親子コンビもよく、恋をする相手である浅野忠信さんのボーとした感じがとてもよかった。
演劇鑑賞会の仲間たちと車を乗り合わせてドライブ気分で出かけたのですが、お天気もよく、途中外でお弁当を食べたりして久々に遠足気分を味わいました。


11月13日(土) 曇り時々雨時々晴れ     JA(農協)祭りに参加          

お芝居仲間から招待状をいいただき「JAなのはな祭り」に行ってきました。店舗もすごいが人も沢山で人酔いしそうでした。
農協がJAに変わってから何年たつでしょうか。農協は今でこそあまり縁がなくなってしまいましたが、子どもの頃は家が農家であるために農協にはいつもお世話になっていました。子どもだてらに「家の光」と言う雑誌をよく読んでいたことを覚えています。
こんな思い出の中にしかない農協でしたが、池田にいくと近くにあるのは農協のスーパー。このスーパーが実にいろんなものを販売しているのでファンになってしまいました。富山ではスーパーを開いている農協は少ないようです。それとも関心がなかったので気が付かなかっただけでしょうか。自分の勤めと同じ時間帯の営業ですので行く機会もなかったので知らなかっただけでしょう。この頃はいい品物を求めて意識的に農協のスーパーを尋ねることにしています。とくに調味料関係は種類が多いですね。
タイミングよくこんなことを思っているときにお芝居を一緒にやっている仲間がJAに就職したのです。そこで招待状が来たという訳です。
午前中は特に予定もなかったのでフラリと出かけてみました。テレビでは見たことがありますが参加するのは初めてですので規模が大きいのにびっくりしました。招待状を提示すれば卵が1パック無料であたるので長い行列でした。ほかにも餅つきや豚汁が無料振舞われていたのでやはり行列でした。卵は戴きましたが、豚汁などは並ぶのが嫌だったのでとうとう食べられませんでした。
店舗は実に多様で本当に沢山の店が並んでいました。新鮮野菜をはじめ農機具・電化製品・食べ物やさん、そしてお墓まで並んでいました。店は県内だけでなく遠く九州からもきていましたのでびっくりしました。
主に見て歩きを楽しんでいたのでNTTの前で足が止まりました。電報や表紙の宣伝でした。アンケートに協力するとプーさんのメモ帳や手鏡が当たり、さらに電報を打った人には抽選でプーさん人形が当たるらしい。孫がプーさん大好きですので電報を打つことにしました。係の人が「向こう1ヶ月内にお祝い事はありませんか」と言うのでさしあたってはとくに思い当たらなかったけれど、12月には長男の誕生日があるのでたまにはいいかと思い切りました。
さて抽選、赤い玉がころりと落ちました。「おめでとうございます。一番大きな人形が当たりました」というのでまたまたびっくり仰天しました。お店の方に電報代の元を取りましたねと言われました。あまり当たったことがないのにこれは無欲の勝利でしたね。駐車場が満員になるからといわれていたので早くきてよかった。帰る頃には駐車待ちで沢山の車が並んでいました。2日間おそらく賑わうことでしょう。


11月11日(木) 晴れ     文化運動って難しい          

会議があり帰りが遅くなりました。ポストに黄色いチラシが入っているので見ましたら、何とついに呉羽にも熊が出没したとのことでした。暫く熊のニュースが遠のいていたので熊は全滅したのかと気になっていました。
チラシは管轄の警察署からのもので、9日に古沢のトンネル付近で熊が目撃されたという情報が書かれていました。熊は夕暮れから明け方にかけて行動が活発なため、その間の散歩や畑仕事は遠慮したほうがよいということです。散歩はいいとしても農家の方は朝が早いのに大変ですね。あと生ゴミは夜出さないようにとか、柿の実も熊の誘引となるので木から摘み取るようにとか細かい注意が書いてありました。お近くの方はご心配でしょうね。しかし人事ではありません。この頃は街にも出るようですのでこちらも注意しなければいけませんね。
今日はなんとなく疲れた一日でした。午前中はお年寄りの付き添いで大きな病院に行ってきました。毎回の事ですが待たされます。ずーと椅子に座って待っていたのではなくて検査のためにあちらこちら回っていたので今回はそれほど待たされたという感覚はなかったのですが、それでも二つの科を掛け持ってしかも連絡が十分でないと大変です。今日のはまさにその要領が悪かったために動き回されてしまいました。その結果遅くなり疲れたのです。一口で「患者の身になって」というけど大変なことだとつくづく思わされました。


夕方は演劇鑑賞会の会議でした。渡辺えり子さん原作の「月夜の道化師」という例会を控えているのですが、入会者が少なすぎるというのが問題になりました。今までですと年度の初めと終わりの例会は「異動」や「切りがいい」などの理由で結構退会者があるのですが、それ以外はあまり大きな変化はありませんでした。そこで何が問題か掘り下げて話し合うことになったのです。
運営委員会の情熱が薄れているのも原因の一つにあげられました。これには思い当たる節があるのでドキッとさせられました。自分が抱えているサークルの会員に私が辞めたら自分も辞めると何人かから宣言されているので困っています。自分がお世話をしてあげられないのにどう会員を増やすのか思案に暮れているのです。演劇鑑賞運動の原点に立つとそんな事も言っていられないのですがつい後ろ向きになるのです。時間がなくて継続と言う事になったのですが、どう気持ちを切り変えていくのかまた変えられるのか悩みます。
先日池田町で女性議員として頑張っている町会議員さんの話を伺っていましたら、女性だからとバカにして中傷もあるとのことでした。精神的強さも持ち合わせていないとダメなんだと改めて大変さを感じました。
革新的といわれる鑑賞会の世界でも女性蔑視は多々あります。女性会員の多い中、そのことも問題になっています。よく聞く話ですが、男女同権を唱えている活動家が家庭の中ではワンマンというのもあります。男性優位の社会、変わらないのでしょうか。


11月9日(火) 晴れ    東から西へと大忙し          

富山もここのところお天気が続いているようです。帰ってきて早速宿直でしたので何もない穏やかな朝を迎えました。池田町は朝夕と日中の寒暖の差が激しいようですが、富山はまだそれ程でもありません。
今日の新聞のトップは「中沖知事が退任」「石井新知事就任」という記事でした。6期24年勤めた中沖豊氏は8日任期満了を迎えて引退。新知事が初登庁し中沖氏から事務引継ぎをしたということです。どんな県政が行われるのでしょう。
午後から勤務明け。夕方から娘のうちに行くので煮物をしました。手作りのコンニャクと池田からの土産の野菜を入れて作りました。舅のパソコンを修理のため預かっていたので返しに行く用事も兼ねていました。
店じまいに近くてお客さんはなかったので皆さんのんびりとしていました。孫も店先に出迎えてくれました。また背が伸びたかと思わせる感じでした。相変わらずはしゃいでいました。最近はひらがなと数字に興味があり、数字も百まで数えるし、ひらがなも少しは読めるようになったと言います。おじいちゃんがパズルをやっているところに邪魔をして一生懸命字を書いて見せました。
この時期って何でも知りたがる時期ですよね。よく覚えるので末は博士か大臣かとつい期待してしまう。わが子にも覚えがありますよ・・・。この前から延ばしていた氷見行きの用事もついでに済ませることにして早々に別れてきました。
氷見からの帰り妹のうちに立ち寄り、池田からの土産のコンニャクを置いてきました。自分で作って持っていくつもりが忙しくて延び延びになっていたので池田で夫と一緒に作ったものを持って行きました。防腐剤も入っていないしプリプリ感もあるので既製品よりも美味しいこと保障しますよ。どうぞ食べて見てください。娘のうちも刺身だけでなく、きんぴらなど料理にもして食べたそうです。美味しいと言われると、誰が作ってもうまくいくとは思うもののつい嬉しくなるものですね。また作ろうかと思ってしまうバカな親です。娘たちも今度はいつにしようかと池田行きを楽しみにしていました。


11月7日(日)池田 晴れ    鬼無里から白馬方面へ紅葉狩り          

長野って本当に広く、見学する所が多い事を実感しました。まだ池田町から少し出たくらいでこんなことを言うのは大げさですが、そう感じました。
今日は戸隠方面に向かって小川村・鬼無里村あたりを散策しました。紅葉はもう終わりに近い状態にありましたがそれでもまだまだ綺麗でした。途中素晴らしい景色に沢山出会いました。
今日は朝から出かける予定でいましたが、起きたら辺り一面濃霧で一寸先も見えない状態でした。昨日まで良い天気が続いていたのでいよいよダメかとあきらめかけていたところ、9時過ぎ頃から少しずつ晴れてきました。実行できてよかった。
向かいのOさんも誘っていきました。この方は母と近いお年なのにとてもお元気な方です。日頃夫が父親みたいにお付き合いをさせてもらい元気をもらっています。同乗でと誘ったのですが、山道を自分で運転してみたいと言われたので2台で出かけました。
すっかり天気になった外で食べるお弁当の味はまた格別でした。天気とはいえ結構高く登っているので風は冷たく母は寒いを連発していました。道中細い道の両側にたわわに実ったりんご畑が続いているので目を楽しませてくれました。この村はりんごが狩りもやっているようです。
途中お寺の3重の塔が目についたので下りて見学をしました。門構えも古く、松の木も大きいので由緒あるお寺さんかなと思いました。
帰りは白馬の方に下りていきました。途中何処の村だったでしょうかトンネルをでた所からの眺めはなんとも言えないくらい素晴らしい景色でした。もう白くなった白馬山がぽっかりと空に浮かんで見えました。
そこから名も知らない村を通り白馬へ。国道に入ったあと「道の駅」で休憩し名物のかたくり饅頭や豚饅を食べました。白馬では寒くて振るえていました。紅葉狩りの帰りなのでしょうか駐車場は車で一杯。白馬「道の駅」は今日”お客さん感謝デー”でもあるらしく多くの人で賑わっていました。寒いのにみんなよく出かけて来ると感心しました。
ひと息ついたところで岐路につきました。Oさんも母も楽しかったのでしょうね、疲れた様子は見られませんでした。
いつも池田にくると目新しいものに出会うので退屈する暇もなくアッと言う間に日は過ぎてしまいます。夕食には夫が紫米(古代米)でご飯を炊いてくれました。白馬の方で栽培していて名物になっているそうです。もち米を入れて炊いてあるので赤飯を食べている感じでした。また新しいものを食べさせてもらって感謝しています。
帰りはいつものように沢山の野菜や惣菜をお土産にもらって帰りました。


11月5日(金) 晴れ     池田の一日          

振休を利用して今日から日曜まで池田行きです。早くに出発する予定が8時すぎになってしまいました。通常は夜に出発するのですが今回は紅葉を見ながら行くために朝早く出発することにしたのです。
白馬方面も奇麗ですが、今日は41号線から平湯を経由するコースにしました。富山の細入村当たりから奇麗な紅葉が見られました。道中ずっと山道ですのでいまがちょうど見頃。トンネルを過ぎると一面の赤です。山々が色とりどりに飾られ目が覚めるようなところもありました。しかし残念ながら一本道で、カメラに納めることはできません。ただ目の保養をするだけです。夫から「あまりキョロキョロして谷に落ちるなよ」と注意されていた通りホントにちょっとよそみをすると谷底行きになります。

さて昼頃に無事池田に到着。すぐに新しい土地の造成地や夫が借りている畑を見に行きました。
池田周辺の山々も紅葉の真っ盛りで、造成地の近くの山々も赤や黄色に染まっていました。先日ホームページにのっていたお寺にもちょっと寄ってきましたが、本当にすばらしい紅葉でした。境内ではかわいらしいお地蔵さんも一列に並んで紅葉見物。一人だけよそ見をしているお地蔵さんがいたのはご愛敬??
ところで、購入した土地は来るたびに完成に近くなっていました。井戸も完成して暫くは中の水抜きをするとのことでホースから豊富に水が流れていました。あまり沢山くみ出されているのでもったいない感じもしました。
池田は朝は気温が下がって寒かったようですが、昼間は暑いくらいです。母がデイサービスに行っている間に大家さんからお借りしている畑を見に行きました。この前から夫が一人で草むしりをしてイチゴやタマネギを植えているのを聞いていたので様子をみに行ったのです。沢山植えてあってよくもここまでと感心してしまいました。それだけでも驚きなのに、また苗をもらったからとついでにそれも植えてきました。このタマネギが全部実ったら親戚中に分けてもおつりがくるくらい沢山ありそうです。収穫祝いをしなくてはいけませんね。
庭の畑では、イチゴがプランターに植えてあり、その横にはブルーベリーの苗もありますがこの苗まで紅葉しているのでびっくりです。畑には大根や白菜、ほうれん草などが植えてあり、キャベツはもう収穫して夜おいしくいただきました。夫は本格的なお百姓さんになっています。
5時過ぎには母も宅老所から帰ってきました。帰り際にウンチ騒動があったらしく少々遅くなったとのことでした。母はすっきりしたようですが、ウンチを出すにも体力がいるようで疲れた様子でした。
暫く休んで夕食。話に聞いていたヤーコンという野菜?も初めて食べました。生で食べられるなんて知りませんでした。まずくもありませんが美味しいともいえませんでした。天ぷらにすると美味しいかも。母はよく来たと言いながらとうとう私の名前は出ませんでした。明日は思い出してくれることを期待しましょう。


11月3日(水)文化の日 晴れ     また映画に行ってしまいました          

今日は文化の日。気持ちのいい朝を迎えました。紅葉狩りには持って来いのお天気ですが残念ながら仕事です。日曜祭日は車が少なく道路も空いているのでいつもより30分も遅く出勤しても間に合います。
文化の日の新聞は秋の叙勲の表彰者で賑わっています。2〜3日前から賞別に発表されているのですが、実際には何の賞が上か下かわかりません。多分今日の賞が一番上だとは思うのですが、あまり関係がないので知ろうとも思いません。
今までも何人かの友人、知人の顔がありましたが、きょうの「瑞宝小綬章」という賞の県内受章者に夫の昔の同僚の先生の顔がありました。70歳となっていましたのでそんな年になられたのかと懐かしくなりました。いつもこの時期には大半は喜ぶ人が多いのですが、時に受章を断る人がいるので“表彰って何だろう”と思います。勝手に与えておいて断ると変人扱いされるのがオチだし世の中おかしいですね。

日中の暑いくらいのお天気から一転して夕方近くから雷雨になりました。勤務が引けたら氷見まで出かける用事があったのですが、雷がひどく怖いので取りやめました。富山では今頃の雷をよく“ブリ起こし”といいますがこれがそれなのでしょうか。
予定を変更して昨日から誘われていた映画に行く事にしました。1日の映画デーに行ったばかりですが、今日も女性デーで安い日です。通常1800円を1日と毎週水曜日は1000円で見られるのです。初めは1日に行ったという話をして断っていたのですが、同じ映画ではないので急遽合流することにしたのです。
「隠し剣・鬼の爪」、期待通りの作品でした。これは「たそがれ清兵衛」に続く山田洋次監督、藤沢周平原作のコンビの作品です。
幕末、身の丈にあった人生を田舎で静かに生きることにした侍たちを描いていました。侍を見て怖がっている百姓の娘(主人公が愛する人の妹)に「侍はそう簡単には刀を抜かない、侍だって人を切るのが怖い」と話す主人公片桐。田舎侍だからこんな優しい気持ちが持てるのでしょう。「たそがれ清兵衛」と庄内弁も全く同じ、配役も主人公以外はほとんど同じでその映画を見ているようでした。しかし今回の映画は主人公と妹、妹の婿という繋がりもありなんだか山田作品の寅さんみたいでもありました。
前にテレビで山田洋次監督のインタビューを聞いていましたら、次のように言っていました。「たそがれ清兵衛」の製作を通して藤沢周平の時代劇という豊かな鉱脈を掘り当てた手ごたえを感じていた。このままでは惜しい、もう一度あの世界をと思ったそうです。2年ぶりだといいます。
暫く映画に行ってなかったのですが一旦行き始めるとまた行きたくなるのですね。やっぱり映画はスクリーンで見るのが一番。でも注意を受けそうです。


11月1日(月) 曇り時々雨   新札発行日ほかいろいろ          

曇り時々雨といっても朝起きたらもう降っていました。それからも止んでは降りしながら一日ぐずついた天気でした。気温はそんなに下がっていなくて寒くはありませんでした。
今朝の集会時に当番の職員が「今日はいろんな記念の日ですが皆さん知っていますか」と尋ねていました。何人かは知っていたようですがあまり興味のなさそうな顔でした。少し整理しますと、
(1)富山県内では新砺波市(礪波市と庄川町)、南砺市(城端町、井波町、福野町、福光町、平村、上平村、利賀村、井口村)が誕生。42年ぶりの市誕生と言う事です。
(2)新札発行記念の日。一万円札は変わらず福沢諭吉、五千円札は樋口一葉、千円札は野口英世で20年ぶりだとの事。いつになったら手に入るのでしょうか。早く見てみたい。
(3)道交法の改正の日。運転中に携帯電話を使用すると反則金です。これまでの「交通の危険を生じた場合に罰則対象」から「手に持って使用」しただけで罰則が科せられる事になった。
(4)これは昨日のことですが、幸田さんという人質になっていた人が殺されましたね、でもこれは禁止された所へ行ったからその人が悪いねと締めくくりました。なんとも後味の悪い締めでした。
この4番目の問題はそんな簡単に片付けていいだろうかと思いました。これはみんながそう思っているのですがそれ以上は話題にはなりませんでした。
本当に今日はいろんな日なんだと感心しました。
私にとっては今日は映画の日でもあります。午後から明けを利用して久しぶりに映画を見てきました。好きな脚本家の一人でもある三谷幸喜さんの「笑の大学」です。昭和15年代の浅草が舞台で、喜劇作家とその脚本の検閲官のやり取りが中心です。世相を風刺した映画で笑いだけでなく最後は涙ありでした。
「こんな非常時に笑いなどたるんでいる証拠、つぶしてやる」と言う役所広司の堅物役がとても似合っていたし、それに食いつく稲垣吾郎の演技もよかったです。最後に赤紙が来て戦争に行く稲垣に「死んではいけない、生きて帰って来い」と・・・。ラストシーンが良かった。

夕方娘が用事で富山に来たついでに孫と二人で寄って行きました。月曜日だから店は休みです。早々に帰っていったのでゆっくり話す時間もありませんでした。
二人が帰った後、新札発行記念ドラマ「樋口一葉物」をみました。日本初の女性流行作家の不幸と貧困の短い生涯、結核を患いながらも24歳の生涯を終わるまで書き続けた彼女の生き方に感銘を受けました。







"Smile" by Blue Pino Man

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