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5月31日(月) 雨    医療現場、呼び方を変えても同じ  

すごい雨の音で目が覚めました。梅雨の走りかと思うくらいよく降っています。雨のせいか気温が下がり肌寒く、また長袖を出してしまいました。
痛めた膝もなかなか治りません。整形外科を受診し薬と湿布をもらって治療を続けているのですが、なかなか効き目がみえてきません。レントゲン写真の結果ではたいしたことはないと言われたのに今回だけは直りが悪く、老化を感じました。人間ってそうやってだんだん年を取っていくのですね。そんな事ばかり考えていると暗くなるので、明るく明るくと言い聞かせました。それでもボーリングで痛めた膝、ボーリングで治そうと頑張っています。いつも帰りが遅いので夫に「膝は大丈夫なのか」と注意されています。強い痛みではないので好きなものは何とかやれています。全く勝手ですね。
それにしても、自分の病院受診や付き添いなどで「これが患者のための医療なのかな?」と感じる事が多くあります。
たとえば、私の通っている病院の窓口で、たわいもないことなのですがすごく気になることがありました。この医者は開業医ですので、医師会で決めたことは即窓口に反映されます。実は何年か前から患者さんの呼び方が「・・・さん」から「・・・さま」に変わりました。しかし、この病院の受付の人は無表情で事務的な態度でそう言うだけ。違和感を覚えるだけです。一体その言葉を使っている人はどんな気持ちなのでしょうか。
私も仕事の関係上いろんな医療機関をまわる機会があり「・・・さま」を採用している所も何箇所か知っているので、医師会の提案だなとピンときました。呼び方を変えたからといって何が変わったという事もありません。目的があって「さま」に変えたのだとしたら、それなりに患者に見えるように心がけたらどうでしょうか。もっともっと患者の立場に立つという意味を考えたらどうだろうかと腹立たしささえ感じました。

5月も今日で終わり。毎年31日は「山王まつり」の前夜祭です。6月1日・2日が本祭り。この山王祭りの声を聞くと6月到来を感じます。明日ちょっと覗いて見ようかな。


 
5月30日(日) 曇り一時雨    ごみゼロの日  

今日は5,3,0、「ごみゼロの日」です。この日は日付の語呂合わせで決められ、全国の自治体を中心に環境美化を呼びかける日とされています。
県内でも30日を前に、県や市町村の職員や各種団体のメンバーがそれぞれの地元でタバコの吸殻や空き缶拾いに取り組みました。私の職場でも一足早く28日に休憩時間を利用してゴミ拾いを行いました。周りにグラウンドがあるので、結構空き缶のポイ捨てがあります。
この行事はいまや恒例。6月の声を聞くと梅雨の季節ですから気分までじめじめした感じになってしまいます。6月まで何日かを残して、梅雨入りを前に環境美化を図ろうということなのでしょうね。
このごみゼロの日にちなんで、日本電気工業会はこの日を「掃除機の日」に定めたそうです。ダニやカビが多く発生する梅雨時に向けて、掃除の大切さをアピールしようという狙いでしょう。
友人に「掃除なんてしなくても死なない」と1週間に1回掃除機をかける人がいます。(私もそれに近いです)。梅雨時はさすがに清潔にしたいとは思いますが忙しいとついつい・・・。なんだか友人の気持ちがわかります。
今日、中四国・九州で平年より6〜8日早く梅雨入りが発表されました。ちなみに、沖縄は5月が梅雨時で九州以北が梅雨に入るころに明けます。富山の平年は6月10日頃だといいます。「うっとうしい季節を気持ちよく過ごすために掃除をしましょう」と自分も含め施設の掃除の嫌いな人にも呼びかけなくてはという気持ちになりました。
夕方、日直が終わって特に予定がなかったので、近くの小学校の周りを散歩を兼ねて回ってみました。やっぱり空き缶が落ちていますね。子どもの頃からこの日を意識させ、ごみはきちんと持ち帰る習慣をつけさせたいですね。


5月29日(土) 晴れ一時雨  サマワは本当に非戦闘地域なのか  

この頃は土曜日も日曜日もつぶれる日が多く、ゆっくりする時間もありませんでした。久しぶりに寝坊しました。しかし、ご近所の家のリフォーム工事の音で起こされてしまいました。暫く布団の上でボーッとしていたら、娘からメールが届きました。孫の報告です。
昨日、入園後初めての親子遠足があったそうです。県の施設で「健康パーク」というのがあり、遊びを始め総合的な運動ができるようになっています。プールや入浴設備もあります。暑い日だったので水遊びなどをして楽しい時間を過ごしたようです。
土曜保育も今日から開始したようで、縦割り保育だと言っていました。異年齢の子どもたちと遊ぶのに慣れていないから心配したそうですが、案ずることはなかったようです。成長の様子が伺われます。
この話を読みながら、随分昔に子どもたちの幼稚園の遠足の付き添いに行ったのを思い出しました。年子だから、双子のようなもので大変でしたが、一緒に大きくなるので楽しみも倍でした。つい昨日のように思えてしばし思い出に浸っていました。


ところで、新聞の一面には「2邦人記者襲撃、絶望か」と大きな見出し。横に「絶望的」とうなずく家族の写真も大きく出ていました。「命の危険を冒してまで何故行くのか」との質問に「好奇心ですよ。爆弾を落とす側ではなく、落とされる側に身を置いて取材してきたい」。真実を確かめる為ならばどこへでも行くべきだと常に考え、今までもベトナム戦争の取材も経験しているという。バクダッドでは、一人の老人が空になったゆりかごを抱えて「ベイビー、ベイビー」と泣き叫んでいたという。そこに暮らす人と同じ視線で見た戦争の現実。
橋田さんの今回のイラク入りの目的は、銃撃戦に巻き込まれて怪我した少年を治療させることだったといいます。これに対し小泉首相は、「以前からイラクには入らないでほしいと勧告していたのに残念だ」とまた自己責任論が出ているようです。それこそ残念です。野党の自衛隊撤退要求に対し、与党側は事件の起きた場所が違うので別問題といっているが、自衛隊が安全だという保障はない。自己責任問題だけ追及しないで、再発防止対策を真剣に考えるべきではないでしょうか。


5月28日(金) 晴れ    健康診断対象者の見直しを  

法律とはいったい何なのか。辞典を繰ったら「社会生活を保つために定めた規範」とありました。しかし、その法律のために自分で首を絞めている場合もあります。法律は一旦決まるとなかなか改正されないものです。時には一部の党が自分の都合に合わせて改正する場合もありますが、多くは見直しすらしないものです。
「老人福祉法」には、施設入所者は年2回健康診断をしなさいとあります。具体的な項目の指定はありませんので、これは一つの逃げ道かもしれませんね。ですから施設によって受ける健康診断の項目が違うのです。当施設も、昔は胸のレントゲン検査だけを2回実施していましたが、照射線量の問題や結核の減少で現在は1回になっています。その代わりに他の項目を加えて春と秋の年2回健康診断を実施しています。
学校関係の「学校保健法」は比較的こまめに改正されていて、胸部レントゲ検査は昔の全学年対象から1年生と4年生だけが対象となっています。その他の項目も時代の変化に合わせ、加除訂正がなされています。年よりはどうでもいいという政府の考えがこんな所にも現れているようです。
一般の健康診断はどこでも「治療中のものは除く」とあります。お年寄りの多くは(80%)が病院に通院しています。そして薬を飲んでいるのです。そんな人も検診対象者になっています。施設で受けていないと監査のときに指摘されるのです。悪いのはわかっているので、結果は勿論「要治療」の指示です。予算化してあるので、執行しないと削られるというのが行政です。
無駄な金を使っているので何とかならないかといつも疑問に思いながら、今年も健康診断を行いました。お年寄りたちも「病院でやった」「何回でも同じことをするのはイヤだ」と文句をいう人がいます。「医療費の使いすぎ」と指摘もありますが、そういうことも含めて施設の健康診断のあり方をぜひ見直してほしいと願っています。 


5月27日(木) 晴れ    「おでかけバス」出足好調  

昨日今日と富山県内は移動性高気圧に覆われて青空が広がり、暑いくらいでした。昨日は一部地域では27度以上を観測したようです。夏の到来を思わせるようなお天気ですね。
JR富山駅前の噴水広場では保育園児が水を掛け合って楽しんでいました。だんだん暖かくなると、お年寄りたちも外出が多くなります。勿論元気な人に限られますが。買物をしたり美味しいものを食べたりして気分転換を図っているようです。
図書館に行く人もいます。施設から市街地まで約1時間かかり、バス賃もバカになりません。今日も元気よく「行ってきます」といって出掛けましたが、無駄使いをする人もいるので心配です。しかし5月からバス賃に関しては少しは緩和されたので喜んでいます。富山市で5月から「おでかけバス」事業がスタートしたからです。
これは中心部を経由する全路線バスを高齢者が100円で利用できるというものです。昨年の暮れごろに試行期間がありましたが、今年から本格的にスタートしました。「富山市中心市街地活性化推進室」が、ドーナツ現象が起きている町の活性化を図ろうと試みたものです。最初に500円を出して定期券を購入し、利用する際に定期券を提示すれば片道100円で利用できるのです。ただし途中下車は対象になりません。「昔よく訪れた店で、久しぶりに買物ができる」と出足は好調だということです。いろんな利用法がありますが、中にはバス内での世間話を楽しみに乗車する人もいるようです。高齢者の社会参加や街の活性化につなげたいと担当者は意気込んでいました。また、行政施策に商店街自らの取り組みを加え何とか昔のにぎわいを取り戻したいと強調していました。この取り組みの今後に注目したいものです。


5月26日(水) 晴れ    行事が錯綜  

今日は忙しい一日でした。この頃毎日のように行事があり、今日は民謡慰問がありました。
老人ホームはいろんなところから慰問があります。慰問慣れしていますが、今日のような踊りや歌などは歓迎され方ですね。特に、民謡クラブの人は興味があるので真剣に見ていました。「私たちもあんな踊りを踊りたい」と要求するのですが、クラブとして取り上げるには実力の差がありすぎてダメなのです。ですから皆が踊れる簡単なものを練習するのです。
午後からは一月に一度のミニ喫茶。他の施設では喫茶店利用者から代金を集めている所もあると聞きますが、当施設は無料ですので全員参加です。お茶やコーヒーと一緒にお菓子を食べるのです。あやめ団子は美味しそうだったな。後は書道クラブや後援会の役員会もあってあわただしく日は過ぎました。

仕事を終えて、夕方は私自身の個人的な楽しい時間です。ボーリングのリーグ戦です。このスポーツはとてもメンタルな部分があり、気分に左右されます。スコアがいい日もあれば悪い日もあります。ルンルン気分で帰ったり落ち込んで帰る日もあり精神衛生上あまり良くありませんが、ストライクが出るとスカッとするので辞められません。ちなみに、今日の試合はまあまあといったところかな。




5月25日(火) 晴れ    戸外活動に付き添う  

素晴らしい立山を見ながら出勤しました。気分も上々です。
朝のミーテイングが終わると今日は戸外活動の付き添いに行くのです。お弁当をつくり、お茶を持って入所者は遠足気分です。行き先は「ファミリーパーク」という動物園プラス遊園地です。
良い天気になったのでみんな喜んで出発しました。車の中は暑くて夏のようです。運転する私たち職員も汗だくです。
ファミリーパークには幼稚園や小学校の子どもたちが大勢きていて、平日とは思えない賑やかさでした。初めて来るお年寄りもいて、トラや狼・キリン・鹿などのいろんな動物を見て感動していました。ひよこやウサギと触れ合うコーナーは、幼稚園児で賑わっていました。動物の感染症が問題になって暫く中止になっていましたが、このほど再開されました。
ファミリーパークは毎年動物が増えていて、現在はかなり充実してきています。県内は勿論ですが、今日は新潟県の長岡市からバス3台で来ていました。親子遠足なのでしょうか制服姿の親子づれが多かったです。
私たちは他の団体より早めの行動で、一時間も早いお昼です。やっぱり食べるのが一番。食べるときは静かですね。話し声も聞こえません。
休憩後は遊園地の方へ移動し、観覧車をはじめ汽車やメリーゴーランドなど沢山の乗り物に乗って童心に返りました。本当に子どもみたいに喜んでいました。アンパンマンやバイキンマンの自動車の乗り物に乗ってはしゃいでいる人もいて、「年を取ると子どもに返る」という言葉通りの場面もありました。十分遊んで、お年より達も集団生活の憂さを晴らしたのでしょう、「楽しかった」と口々に言って元気よく帰途につきました。


5月24日(月) (長野池田町)晴れ   大峰高原で気分転換  

勤めるということは大変な事であります。いい事もありますが、人間関係や組織の大変さが問題になる場合もあるのではないでしょうか。お給料をもらっていますので、ある程度の事は我慢しなくてはなりません。
南国生まれで物事にくよくよしない性格ですが、昨日あることがあって、今度こそは堪忍袋の緒が切れたといいましょうか、プッツン切れてしまいました。休暇をとり、気晴らしに車を走らせ夜のドライブ。池田の家まで行ってしまいました。
朝、決まって目覚ましになるのが町の無線放送の案内です。今日は特別に「ピーヒョロロ、ピーヒョロロ」とトンビの声のサービスで目が覚めました。
気持ちのいい朝。夫との早朝の散歩も格別です。富山にいると、仕事に追われ散歩なんて余裕もありません。これだけでもストレス解消になりますが、菜園を覗いたりハーブや草花が増えた庭の隅々を見ているだけでも気が休まります。


昼過ぎからは母のお世話をしてくださるヘルパーさんが来て下さったので、その時間を利用して大峰高原という所へ案内してもらいました。途中「大かえで」の木があり、桜並木があり、キャンプ場・つつじの公園・白樺並木などがあってとても素晴らしいところでした。少し肌寒さを感じ、夏にはまだ早いのにセミの声?が聞こえてきました。平日だからお客さんは少ないが、所々に散歩をしている家族や絵を描いている人がいて、とてものどかな田舎という感じでした。
その帰りはラベンダーガーデン夢農場へ立ち寄り、アカシアの雨(風が強かったので嵐のようだった)の下でお焼きを食べました。肉厚で大きなお焼きで、びっくりしましたが味は格別でした。イチゴはまだ早かったのでカモミールの花を摘んで帰り乾燥させました。先に乾燥したものがあったのでカモミール・ティーを楽しみました。新しく素晴らしい場所が加わり、充実して元気をもらった一日でした。


5月23日(日) 晴れ    戦争は二度とごめん  

毎日鬱陶しい日が続いていましたが、久しぶりに晴れました。
午前中は庭の手入れです。この前植えたゴーヤーやトマトの支柱立てと溝掃除をしていたら半日が経ってしまいました。
午後からは「映写会」です。「核兵器も核もない平和な世界に」「平和憲法を守ろう」のスローガンを掲げて活動している民主団体の主催で「HIBAKUSHA〜世界の終わりに」というタイトルの映画を見てきました。この映画は、各地で上映実行委員会がつくられて上映会が行われています。
会場のロビーにはイラクの子どもたちの写真が大きく張り出されていました。顔の半分が焼きただれた子、また白血病で髪の毛が抜けてつるつる頭の子、見るのも辛い写真ばかりでした。最初は画面に集中していましたが、インタビュー形式でしかも2時間という長い映画ですので、途中疲れて眠くなりました。申し訳ないと思いつつ何とか見終えました。
世界の被爆者が今どんな生活をしているのか。監督自らがイラクやアメリカ・日本の広島を旅して被爆者たちの声を集めた映画です。ナレーションも監督自身がやっています。監督は富山県氷見市出身ですので、映画について少し紹介致しますね。どうぞお近くで「上映会の案内」がありましたら、ぜひご覧下さい。

<監督> 鎌仲ひとみ
[プロフイ―ル]1958年生まれ。84年早稲田大学を卒業後、グループ現代の助監督をはじめとして映像活動に。カナダ、ニューヨークで活動。ATPドキュメンタリー賞、ギャラクシー賞など受賞。
<あらすじ> 湾岸戦争8年後のイラク。小児病棟で白血病の少女と出会う。14歳の少女ラシャは「私を忘れないで」とメモを残してなくなった。また同じく白血病の9歳の少年とその家族は、汚染された土地に生きている。湾岸戦争後、子どもの白血病が増えているという。全土が戦争状態になっており使用された劣化ウラン弾の影響が残っている。
米ワシントン州ハンフォードには長崎に投下された原爆のプルトニウムを製造した核施設がある。日本の広島で被爆した肥田医師は戦後被爆者の診療に従事してきた。この映画は、それぞれの土地でそれぞれの立場から被爆の恐ろしさを訴え続けている様子を写しています。


日本では戦後58年にもなるのに、被爆者はまだ苦しんでいます。そしていま、イラクでは毎日のように劣化ウラン弾が降っています。


5月22日(土) 雨   小泉首相、2度目の訪朝  

今日のトップニユースはなんと言っても小泉首相の北朝鮮訪問のこと。朝テレビを見ていたら、日本を出るところから写っており「首相の表情は硬いですね」なんて言われながら出発しました。勿論政府専用機で。
向こうの空港に着いてからは、会議の間中も始終にこやかな顔をしていました。
会談が始まってから、まだそんなに経っていないのに「首脳会談は終了しました」という案内。近い国とはいえ外交交渉に出かけたのに、そんなに早く終わったのか不思議でした。
拉致被害者の子どもさん5人が帰ってくることになったのを知ったときは「良かった」と思わずつぶやいてしまいました。ただ前から問題になっていた曽我さんの家族については、「一緒に帰りましょう」と夫と娘さんに話をしたが「日本に行くとアメリカに送還されるから」と帰国を拒否したという。ひとみさんは「一緒に暮らせるようになるまで頑張ります」と淡々と語っていましたが、その顔はとても残念で寂しそうでした。
曽我さんの夫ジェンキンス氏は脱走兵だったので、アメリカと関係のある国へ行くと本国送りになるといいます。単純に考えるとこんな問題には時効はないのかと思いたくなります。「拉致」説もありますが、むしろその方が家族にとっては良かったのではないかとも思いました。そうなったらまた難しくなるのが政治の世界ですね。
結局のところ解決したのは拉致被害者の子どもの帰国の問題だけ。後の行方不明者の問題については十分な話し合いもなされず再調査ということになったので、「家族の会」の方々からは首相批判の声が上がっていましたが無理もありませんね。5人のお子さんたちの帰国と引き換えに経済援助、最初から根回しができていたのではないかと疑いたくなります。
もう一つ腑に落ちないのは、帰国の際なぜ別の飛行機なのか。同じ日に帰るのであれば、一緒に帰れないのか。政府専用機といったら私たちの税金ではないですか。わざわざ2台も出すなんて、無駄遣いをしているような気がします。
これから先まだまだ続く問題ですが、帰ってきた5人のお子さん方のことは一歩前進として評価するべきかなと思っています。なんと言っても家族は一緒に暮らす事が一番ですので。しかし、お子さん方はご両親と違い、親以外は友人もいないので暫くは大変だと思います。ですからマスコミであまり騒がずに静かに生活ができるようにしてほしいと願っています。


5月21日(金) 雨のち晴れ   小泉首相、頑張って  

朝まで降っていた雨も上がり、急に天気になりました。車の中は暑くて大変でした。明日も明後日も暑くなるとの予報です。
今日は早く帰れたので園芸店に立ち寄り、大好きなゴーヤー(にがうり)の苗をを買ってきました。タイミングが合わず遅くなり、苗も少々伸びていましたがようやく植える事ができます。夏から9月ごろまで収穫できるので、今からでも何とかなるでしょう。
へちまの苗も買ってきました。へちまを食べると聞いたら皆さんびっくりなさいますが、沖縄では野菜なのです。垢すりを想像するからでしょうね。実が若いうちに食べると美味しいですよ。食べてみたい人、申し出てくださーい。といってもうまくいったらの話ですけれど。昨年は屋根の上までつるが伸びて、見えないところでなっていたので気がつかず大失敗。それこそ垢すりの大きさに育っていました。

休憩時、ちょっとテレビを見ていたら、小泉首相の明日の訪朝のことばかりでした。焦点は拉致問題です。昨年帰ってきた拉致被害者の5人も東京へ行く様子が写っていました。「この日が来るのを待っていました」「明日会えるかと思うと嬉しくてたまりません」と答えていた被害者の母の顔には、期待と不安が入り混じっているようでした。どんな思いでこの期間を過ごしたのでしょうか。また旅行に行ったと思っていた親が帰らなくなって、子どもたちもどんな生活をしていたのでしょうね。自分の意思ではなく国によって引き裂かれた悲劇。辛いですね。政府は既に家族全員が帰国来日するのを前提に準備を進めており、全力を挙げると言っているので期待していていいのでしょうか。今回は法医学者も同行するようですので、拉致問題に関しては少しは進展が見られそうですね。その他の核、ミサイル問題は、謎の多い国ですのでどうなるか心配です。
富山県でも9市議会で、北朝鮮に拉致された日本人の早期救出を目指す超党派の議員連盟設立総会が開かれました。形だけで終わらないことを願っています。


5月20日(木) 雨   緑の季節、空気も美味しいです  

新緑の季節。通勤途上、木々は勿論ですがいろんな緑を見つけて楽しんでします。
連休明けごろから始まった田植えも一段落したかと思うと、もう緑が濃くなって一日一日 成長している姿を感じさせてくれます。畑にはトマトやナスを始め沢山の野菜が植えられていますが、いま一番目立つのはジャガイモです。沢山植えられていて、花が咲き始めました。新ジャガを塩茹でしてバターかマヨネーズをつけて食べると美味しいですよね。早く食べたいな。こんなことを考えながら通勤していると憂鬱な気分も吹き飛んでしまいます。
台風2号はたいしたこともなく過ぎてよかったが、お年寄りたちは何のことやらという感じです。富山はあまり台風や地震のないところですので、皆さんどこかで大きな台風が発生しても、富山には来ないで過ぎてしまうという変な自信がありますね。
海があり「魚が美味しい」、素晴らしい立山があり「水が美味しい」。そしてその水で作る「お米が美味しい」。美味しいずくめの富山。以前旅行したとき、観光バスのガイドさんが、「富山のお客さんほどイヤな客はいない、案内するのがイヤになる」と笑いながら言っていました。それは、「住み良さ日本一」を誇っているのでどこを案内しても常に「富山がいい」と言うのだからだそうです。
その美味しいものは施設にももれなくやってきます。新米が出たら、旬のものも高くて手が出ない私たちをさておいて、いち早く一番に食べるのです。
今日は季節のとおり「新緑の会」の行事です。例年だと外の芝生でやるのですが、あいにくの雨で中での計画になってしまいました。それでもじめじめした気分を一気に飛ばそうと、ゲームや踊りをみんなで楽しみました。恒例になっている職員のオープニングは、日替わりというか年替わりで今年は「獅子舞」を披露しました。私たちもいろんな役が出来るので楽しめます。またこの行事は好評なので来年の構想を練るのが楽しみにもなっています。後はなんといっても一番の楽しみはお弁当です。昼食までが行事の一環ですから今日だけは職員も皆さんと一緒に食べるのです。季節に合わせた彩り豊かなおいしいお弁当をいただき、幸せを感じた半日でした。


5月19日(水) 曇りのち雨    台風の思い出  

相変わらずじめじめして暑いのか寒いのか分からない変な天気です。朝は立山がとても綺麗に見えましたが午後からは雨になり、夕方からは本格的に降ってきました。ニュースでは台風2号が発生していると報じていましたが、その影響でしょうか。それにしてもこんなに早く台風が来るなんて嫌ですね。夕方のニュースでは、沖縄の大東島に接近して明日の朝がひどいといっていました。本島にも大きな影響が出なければいいけれど。早すぎますよ。
それにしても、雪国に雪が降るようなもので、沖縄は台風には慣れていて昔ほどの心配はありません。昔は家が茅葺で、台風が来るとコンクリート建ての小学校に避難したものです。

写真はよく知られる古い沖縄の民家(おきなわ郷土村より)。
沖縄の民家の変遷については住まいの情報館<沖縄今昔家物語>が参考になります。


その頃は学校だけが、沖縄独特の石でできた建物だったのです(いまのコンクリートとは少し違う)。村中のものが避難して、煮炊きまでしていたのです。勉強どころの騒ぎではありません。家が横揺れするというのは、経験しないとその怖さはわかりません。子ども心にとても怖かったのを覚えています。よくつぶれずにいたものだと感心します。いまはそれなりに備えもできているので安心ですが、歓迎はできませんね。
沖縄では石の家が多かったせいか、富山に来て木造建築の家を見たとき、「大丈夫かしら」と思いました。木は長持ちするからでしょうか、木造の家は多いですね。弟(故人)は建築に凝っていて「ログハウス」といって大きな丸太で新しい家を建てています。薪ストーブを利用したりして住宅街ではちょっと目立ちます。木造は確かに夏は涼しいですね。
台風銀座では台風に強く、雪国では雪に強い家を建てるわけですが、今度自分たちが家を建てるとすれば、どんな家にしようか。考えるとなんだか楽しみです。その土地の気候、風土に合った家ということになると思いますが、こじんまりした家がいいな。
私は育ちのせいか、柱になる部分はやっぱり鉄筋がいいという思いは変わりませんね。


5月17日(月) 雨のち曇り    大門町の凧祭り  

梅雨に入ったかと思うくらいジメジメして、蒸し暑い日です。
富山の大門町という所では、毎年この時期に北日本新聞社などの協賛で「越中大門凧祭り」が行われます。最近は外国からも参加があるくらい全国的に名前が知られています。
5月15日、16日がこの祭りに予定されていましたが最終日は雨のため中止となりました。
今年もドイツの方や愛知県の一宮凧の会の皆さんも参加され、新聞には「自慢の凧は揚げられなかったが、顔なじみの大門の人々と再会できて嬉しい」と話を弾ませていたとの談話が紹介されていました。
凧祭りは毎年行われていても、凧なんて子どもの遊びくらいに考え、私としてはあまり特別に興味を持った事はありませんでした。しかし偶然にも娘の嫁ぎ先が大門町だったために昨年「凧祭り」に招待され、大門町庄川河川敷の「カイトパーク」で大きな凧あげをしているところを直に見る機会に恵まれて、その凄さにびっくりしました。
この凧祭りは平成9年から会期が2日間になったということです。あの時の参加は2日目だったので、娘が「昨日はもっと凄かった」と説明をしてくれました。沢山のテントが張られ、大きな看板が上がり、町内会も総出で賑わっていました。
今年の2日目は、地元住民のローカル凧揚げ、企業のコマーシャル凧揚げなどが予定されていたようですが、雨がひどく中止を決定したようです。町内会や児童クラブでは揚げる予定だった凧を公民館に飾り労をねぎらった光景が見られ、子どもたちの残念そうな顔が印象的でした。
今年から保育園に行っている孫が、園で作った凧(孫が自分で書いた〜お父さん・お母さん・自分の顔が入った凧)を持ってきたそうです。
娘からは写真を添えて「あまり上手にできているので、天気の合間を見て河川敷まで揚げに行ったら喜んでいた」と伝えてきました。
孫が楽しそうに凧揚げをしている姿を見ていたら、子どもの頃学校の運動場で男の子に混じって凧揚げをしたことを思い出して懐かしくなりました。


5月16日(日) 雨  ギョウジャニンニク、優れものですね  

「ギョウジャニンニク、苗供給も本格スタート」・・今日の新聞にはこのような大きな見出しが載っていました。
私が初めてギョウジャニンニクという名前を見たのは長野・池田町のスーパーでした。酢の物やてんぷらにすると美味しいと聞いてはいましたが、まだ食べたことはありませんでした。富山では見たことがないので長野の名産だとばかり思っていました。これがいよいよ富山にも入ってきたのかと思い興味を覚えたので読んでみると違った。北海道や東北北部に多いとのことで長野という名前は全然入っていないのでびっくりしました。富山県内でも利賀村や八尾で栽培されているようです。
「ギョウジャニンニク」はユリ科ネギ属の多年草で沢伝いや山の暗い場所に自生するそうです。この山菜の特産化を後押ししようと、県林業試験場が栽培機関の短縮の開発に乗り出したということです。この栽培には、種まきから出荷まで通常5年程かかるようです。そこでこの期間を3年ほど縮めて、一年に2度の収穫を狙い、山林地の有効活用と中山間地の転作作物としての普及を目指したいということです。
ギョウジャニンニクは本来自生。主に葉を食べ、ニンニクとニラをミックスしたような風味で、さまざまな効果がある食品であることから栽培が進んでいるようです。しかし、葉が一年に一枚ずつしか増えず、出荷まで長い歳月がかかるのが難点のようです。
研究員らが植物の持つ休眠と覚醒のメカニズムに着目して研究を進め、最も効率よく栽培できる技術を開発したいと意気込んでいる・・・などと紹介されていました。
食べ方は、酢味噌和えやお浸しのほか、てんぷらや餃子の具などいろいろです。カルシウム・鉄・ビタミンCが豊富で発がん予防効果もあるというまさに優れもの。期待される健康食品ですね。まずは今度池田に行ったら早速食べてみることにしたいと思いました。


5月15日(土) 晴れ    健康の有難さを感じます  

この頃天気がよく変わります。合間をぬっての草むしりが大変です。いつもかも草むしりをしているようですが実はそうではないのです。大きな庭ではないのですが、私自身スター並みの時間単位の予定があってなかなかはかどらないのです。
実は昨日のボーリング大会で膝を痛めてしまい、その影響で腰まで痛くなり大変です。今日は演劇鑑賞会関係の行動も早めに切り上げて帰ってきました。帰ってから何かをしようと思っても集中できません。健康の有り難さがをしみじみ感じました。
寝っころがって新聞を読んでいると、小泉首相のことが大きな見出しで一面を飾っていました。22日の訪朝のこと、年金未加入のこと。政治責任は全く無いと強調しているので腹がた立ちますね。国会議員の未加入や未納問題についてはみんな怒っています。首相の責任は問われないのか。やっぱりけじめはつけてほしいですね。時期が訪朝と重なったのはたまたまで関係ないともいっているのですが、なんだかうやむやになりそうですね。





5月14日(金) 曇り    お年寄りが満足する人員配置を  

今日はデイサービス勤務の日で、どんな方が利用されるのか気になりながら出勤しました。
私の職場にはデイサービスセンターが併設されています。ここは入所とは違い、日帰りのサービスを行っているのです。朝お宅までお迎えに行って一日を過ごし、夕方また送り届けるのです。職員が休んで人手が足りないときは私も応援に行くのですが、慣れていないので気を使います。。
利用者の皆さんは健康チェックが終わるとすぐお風呂に入ります。朝から熱があっても利用される方もあります。お家で介護している方にとっては、デイサービスに行っている間が唯一息抜きの時間なのでしょうね。状態が多少悪くても一応お預かりはしますが、一般状態を観察し、場合によっては入浴を中止したりします。一般浴(家と同じお風呂)の人、機械浴(ベッド毎寝たまま入る)の人と各自さまざまです。お風呂に入るのを嫌がる人もあります。どこのお年よりも同じだなと思います。何とか時間をかけて説得してやっと入ってもらったときはホッとします。
食事が終わったら、テレビを見たりゲームをしたりします。この中に入れない人は個別にお話し相手になります。母も池田町で宅老所に行ったと聞きました。同じようなサービス機関なのでしょうね。母も疲れたようで帰ってから後が大変だったようですが、一日だけのお付き合いをする私たちも気疲れします。
職場においては年々人員削減が行われており、パート職員が多くなっています。本当の意味で利用者にとっての憩いの場になるような施設であるためには、やはりきちんとした人員配置が必要です。こんな時代でも、あきらめないで粘り強く人員要求行動をしなくてはならないと痛感しました。


5月13日(木) 曇りのち雨    演劇鑑賞運動と消費税  

今朝はとても風が強く、フェーン現象のような天気でした。だんだんと雨になり、夕方からは本格的に降ってきました。
毎日なんだかんだと予定があり、友達からは「いつ電話してもいない人」と言う事になっています。携帯電話はこんなときに役に立つのですね。
今日は演劇鑑賞会の総会後の始めての会合でした。新しい方との顔合わせもあり、どうしても出なくてはなりません。新しい活動方針のもと、役員も気分を新たにして新年度がスタートしました。しかし、総会の反省の部分で、あることが話題になりました。総会アピールで「消費税に反対しよう」という文面について、「時代に逆行している。5%から8%になろうとしている時にいまどき撤廃できるはずもない」「来年からはアピールはなくてもいいのでは」という意見についてです。
いったい消費税とはなんなのでしょう。非営利の演劇鑑賞団体まで消費税がかけられました。劇団の方は消費税と法人税がかけられています。鑑賞会でも法人税まで払わされているところもあります。文化にまで消費税がかかるなんて許せません。劇団側も廃止運動をしております。また、脚本家の永井愛さんや、演出家およびマルチタレントの渡辺えり子さんが中心になり、平和でなくては芝居はできないと「非戦の会」を旗揚げして賛同者を募っています。今年から消費税が内税になりました。消費税がなくなったという人もいます。まんまと思う壺にはまったという感じですが、騙されないようにしなくてはなりますん。総会資料検討会で十分討議したはずですが、もっともっと十分時間をかけて話し合う必要を痛感しました。
私たちは鑑賞運動の一環として、あくまでも消費税問題は訴え続けなくてはならないと共通認識したのですが、別に日を設けて勉強会をすることになりました。


5月12日(水) 晴れ   池田町でまた新たな出会い  

昨夜急な予定が入っていそいで池田町に来ました。土地購入について条件のいい話があるとのことで二人で話を聞きに行くことになったのです。幸い今日が休みだったということもあり、この土地で新しい生活の基盤づくりをすることになるわけなので、どうしても夫と一緒に見ておきたいと思ったわけです。
池田町まで車で3時間。遠いと言えば遠いのですが東京からみれば半分以下、私は近くなったと喜んでいます。
まず目的の場所へ。そこは今夫と母が住んでいる場所からそう遠くない山の麓で、すぐ後ろは山(名前は知らない)、前方には田んぼが広がり、池田町の町並みやアルプスの山々が一望できるとても素晴らしいところでした。今までいろんな所から、山々を眺めて感動してきましたが、この場所は初めてです。建設会社の社長さんからいろいろ話を聞きながら、こんな所に家を建てられたらいいなあと実感しました。購入の第一候補です。
説明してくださった方は、近辺で手広く事業をやっていらっしゃる社長さんで、いろんな話を聞かせて下さいました。その後、山の中にある会社の事務所に案内して下さいましたが、なんとそこはまた素晴らしいラベンダー畑でした。カモミールやイチゴの畑もあり、イチゴ狩りもしているそうです。。


山の中にこんな場所あるなんて知りませんでした。ラベンダー鑑賞にはまだ早いのですが、カモミールはちょうど白い花が満開で、お客さんに無料で花摘みを提供しているとのことでした。私たちもカモミールテーをご馳走になってきました。癖のないあっさりとした味でおいしかったです。今まで平面でしか見なかった山が、始めて立体的に感じました。池田町の新しい発見でした。
池田町は「花とハーブの里」とあるように、いたるところにハーブが目立ちます。今住んでいる家の庭にもペパーミントが群生しています。摘んでも摘んでも減りません。ハーブは精神安定作用があるというので、鉢植えをするのに少し富山に持ち帰りました。ハーブは種類が多く、最近人気が出ています。以前は喫茶店でしか飲む事ができなかったのですが、この町はほんとに身近で飲めるので最高です。いろいろブレンドして楽しみたいと思っています。
この町に来るたびに新しい人や、場所との出会いが一つずつ増えてきて、来年移り住む不安がだんだん薄れていくようです。


5月11日(火) 曇り    陪審院制度に疑問  

夕方映画サークルの例会があり、アメリカ映画「十二人の怒れる男たち」という映画を見ました。
富山映画サークルとは、テレビやビデオで物足りない映画ファンの人が、スクリーンで本物の映画を見ようと仲間を募って出来たサークルです。北日本新聞社が共催でホールを利用しています。多くは映画館では上映されない映画で、なかなかいいものが沢山があります。年間6本も見るのですが、大昔の映画が多いためフイルムが飛んだりすることもあります。それでもスクリーンでの鑑賞はいいものです。働く人たちも見やすいように、2日間で4回上映されます。
1957年制作の今日の映画は、アメリカの裁判制度を問う法廷サスペンスで不朽の名作といわれたものです。
職種や出身地が違う見知らぬ者同士の12人の男が無作為に陪審員として選ばれます。父親をナイフで刺し殺したとして第一級殺人罪に問われたスラム街に住む少年を審理します。その結果、陪審員の11人が有罪、1人でだけが無罪を主張。評決は勿論全員一致でなくてはならなりません。商売のことや、野球観戦に行くなどの理由で早く帰りたい人たちばかりです。状況証拠もあり目撃証言もあって誰が見ても有罪となるに決まり切ったことに無駄な時間は割きたくない。無罪と主張する陪審員は他の者から有罪にしろと罵しられる。しかしどんなに打たれても粘り強く「話し合おう」とみんなを説得し「証拠」を崩して、そのうち無罪が1人増え、2人増え・・・次第に空気が変わっていく。そしてとうとう全員が「無罪」に変わっていくのです。



ヘンリー・フォンダ扮する勇気ある人に感動しました。たとえ一人でも大事なことは言える勇気を持たなくてはならないと思わされ、自分の弱さが恥ずかしくなりました。あのとき何の疑問も持たず全員が有罪になっていたら「少年は直ちに電気椅子送り」です。そう思うと背筋がゾーッとします。陪審員制度というのは、人のことだから自分とは関係がないとして「命」を軽く見ることにつながらないのか。アメリカでは現在でもこのようなことが行われているのかと強い疑問を抱いてしまいました。 


5月9日(日) 雨   母の日。子どもたちに感謝  

久しぶりの雨。また寒くなりました。昨夕から仕事、明けてまた続けて仕事の一日でした。連休休んだので頑張りました。考えてみると今日は母の日。自分が母である事はすっかり忘れていて、夫の母と自分の母にメッセージらしきものを送ったりしていたのです。
用事を済ませ、少し遅くなって帰宅すると、息子からお花のプレゼントの配達案内があり、我に返りました。早速花やさんに電話をして持ってきてもらいました。籠に盛られた綺麗なバラの花でした。今まで母の日でも花をもらうなんてなかったので嬉しいです。娘からは、インターネットで「グリーティングカード」というものが届いていました。カーネーションの花にメッセージが添えられていて、長く鑑賞できるようです。この頃は何でもネットでできる時代なのですね。改めてインターネットのすごさを感じました。子どもたちも大きくなり、少しは親の気持ちがわかるようになったのでしょうか。自分が年を取った証でもありますね。嬉しいやら、悲しいやら。でもやっぱり嬉しいですね。本当にありがとう。感謝しています。
母の日に比べ父の日はちょっと影が薄いようですね。家ではやっぱり母が強いのでしょうか。寿命も女が長いし、やっぱり長生きですね。両方とも父親は早く亡くなり父親孝行はできませんでした。今度は夫が子どもたちから父の日を祝ってもらうのかな。


5月8日(土) 晴れ  長野の名産、お焼きの種類の多いこと!  

連休留守にしていたので、庭の草は雪の重さから開放されて随分伸びていました。午後からは演劇鑑賞会の総会があるので、めずらしく早起きをして草むしりをしました。
アスパラガスが植えてあるので毎年芽が出てきます。暫く見ない間に長く伸びていたので「しまったー」と思っていたら、横からまた3本新しく芽が出ていました。お昼に食べたらおいしかったこと。池田町の母も好きだから、食べさせてあげたかったな。今頃は旬だから、どこでも売っていて、池田町のお焼き村からも土産に買ってきました。好きだから毎日食べても飽きません。柔らかいので、茹でて塩かマヨネーズで食べるのが一番です。
お焼きといえば、長野の名産ですよね。随分前のことですが、立山登山をしたとき、室堂で売っていたので買ってきたことがあります。多分大町側から来たのでしょうね。
店では野沢菜入りのお焼きが多かったので、お焼き=野沢菜というイメージが強かったのですが、今度そのイメージが崩れました。その種類のなんと多いこと。
お焼き村では具の種類は勿論ですが、大きさの違いもいろいろあったので驚きました。長野から富山に帰る途中またお焼きを売っていたので、休憩した所で違うものを食べてみました。いろいろ食べ比べると美味しさの違いもありました。今度は自分で作ろうなんてことになりそうです。まさかこんなに好きなお焼きの故郷へ移り住むなんて夢にも思いませんでした。

午後は演劇鑑賞会の総会。演劇鑑賞会もこれで最後になるかと思うと寂しくなりますが、最後の一年を役員として悔いを残さないように頑張ろうと決意を新たにしました。長野県の演劇鑑賞会は、長野市とか、伊那市とかちょっと遠い所にあることは知っています。池田町の皆さんはお芝居を見るのはどうしているのでしょうか。30年近くもこの会に関わってきたので長野へ行ってもできたら続けたいと思うのですが、これは来年引越ししてから調べる事にします。


5月7日(金) 晴れ   暑くなると水まきも大変  

日中は暑いくらい。職場ではもう半袖です。少しでも動くと汗ばみます。しかし、夜は少し寒くなります。 昼と夜の寒暖の差はありますが、ストーブはつけなくてもよくなりました。そうやってだんだん暖かくなっていくのでしょうね。活動的な季節になりました。
私は南国生まれで、しかも夏の生まれですから暑いのは平気です。どんなに暑くても冷房がなくても平気ですが、その代わり寒いのは苦手です。夏ばてして体力がなくなるという人もいますが、私はそんな事もないし、夏は大好きです。
夕方、演劇鑑賞会の会費の集金に回っていると、どこの家でも植木や鉢物に水やりをしています。富山は持ち家率が日本一だと言われています。いろいろ回っているとなんと豪邸の多い事。家や庭に金をかけるので、切り詰める所は文化費という人も結構いると聞いたことがあります。文化が貧しくなりはしないかちょっと心配です。
日が長くなってきたので、帰ってから少しは外仕事ができます。庭は草花以外に大きい木もなく貧相ですが、水をやるのは同じです。暑くなると草花の管理も大変です。家庭菜園もやるので帰宅後も忙しくなりそうです。





5月6日(木) 晴れ   もうすぐ母の日  

今日の富山はとても素晴らしく五月晴れといった感じでした。窓を開けて仕事をしていると、とても気持ちのいい風が入ってきました。昨夜はまだストーブを入れていたのですが、突然初夏になった感じです。
今回の連休はめずらしく仕事が入らず丸々休めたので、長野でゆっくりして来ることができました。富山も今がちょうど田植えの時期。池田町と同じくこちらも職場の周りが水田地帯で、農家の方々は忙しそうにしていました。立山連峰をはさんで向こうとこちら、山あり水田ありの似たような環境なので帰ってきてもホッとします。仕事という現実で我に返り、また忙しい日々が始まりました。
ところで、留守の間に里の母から連絡が入っており、父方の伯母が亡くなったということでした。百歳近くまで生きた人で死因は老衰だったようです。何もできず申し訳ない思いでしたが、伯母の生前の事を思い出すと、これでゆっくり休んで下さいと伝えたい気持ちです。 嫁姑の問題がうまくいかず、息子と一緒にいながらいつも遠慮して、食事さえ満足に食べさせてもらえず、家族の団欒を知らない人でした。その彼女にも母があり身内だと大切にするはずなのに、どうして連れ合いの母親は目の敵にするのでしょうか。母の日を前にして考えさせられました。
施設のお年寄りを見ていてもいろんな親子関係があります。しかし親と言うものはいつも子どものことを思っているのだと感じます。例えは悪いけれど「どんなやくざな子でも自慢するのは子どものこと」です。私のように離れて暮らしていると普段はあまり感じませんが、せめて母の日くらいは思い出し感謝しなくてはと痛感します。どちらの親も親は親。もうすぐ母の日、せめて気持ちだけでも「お母さん、ありがとう」といいたいです。
母に早く死に別れた友達が「親が生きているうちに帰ってあげなさい。それが一番の親孝行」といってくれますが、なかなか里帰りも出来ないですね。「孝行したくても親はなし」なんてことにならにようにしたいとは常々思っているのですが・・・。


5月5日(水) 曇り   住まいらしくなったね  

1日に長野池田町に来てからアッという間に連休が終わってしまいました。
この前来たときは引っ越しの当日でしたから、それから見るとずいぶん住まいらしくなっていたので安心しました。草取りに来て中を見たときは大変広い家だと思ったのに、いろいろ家具を入れるとさすがに狭く感じられました。
こちらはいつ来てもまわりの景色がいいので気持ちがいいです。今はちょうど田植えの時期。近くの水田では田植えが始まったところです。
こちらですることといえば夫の手伝いで母の介護をするくらい。とくに観光に行くわけでもなく、せいぜい近くを散歩するくらいですがとても満足できます。池田町は東京と違いさすがに環境がいいので、母も精神的に落ち着きが出てきたようです。以前のような妄想も少なく昼間は起きている時間が長くなりました。
連休の前半はとても天気が良くさわやかな日で、ちょうど夫の弟(昨年死亡)の家族が来てくれました。開口一番、思っていたより素敵な所と褒めてくれました。私たちが「田舎だ」といっていたのですごい田舎を想像していたようでした。
みんなで広い水田地帯を通り小高い丘の上まで散歩をして、北アルプスの山々を満喫して帰ってきました。義妹と子供たちは父親を偲ぶ旅行の帰りだったのでそれぞれの予定があり、しばしのばあちゃん孝行をして富山へ帰って行きました。
夫と母がいま住んでいる場所は敷地が広いので草むしりが大変です。夫が草だらけ石ころだらけの敷地の一部を開墾し菜園にしました。さぞかし大変だったろうと労をねぎらいました。さて何を植えようか話し合った結果、大好きなトマトを沢山植えることにしました。そのほかナスやキュウリなど、とりあえず栽培しやすいものを買ってきました。残念ながら連休後半は雨になってしまい、風も強く植え付けは延期になってしまいました。その代わりに町を散策して、スーパーやいろんな店を調べることができました。少し足をのばせばいろいろな店があり不自由しないこともわかり少しは安心しました。
さてこの次は畑など夫の生活環境がどうなっているのるやら楽しみです。


5月1日(土) 晴れ  連休は長野へ  

今日はメーデー。毎年雨が降り小雨の中のデモ行進になるのですが、今年はさわやかな初夏を思わせる日になりました。ただ今年の集会には仕事の都合で参加はできず残念でした。
世間はいよいよゴールデンウイーク。この連休を利用して海外へ出かける同僚もおり羨ましい限りです。私も海外とまでは行きませんが、今日からまた長野へ出かけます。
土産は何にしようかと迷ったあげく今旬のタケノコご飯に決め、その準備で朝からテンテコマイ。普段あまり油料理をしない夫のために、たまにはテンプラでもと一品追加しました。味の保障はないが人が作ってくれるのはいいかもね。
やっと出発できると車に乗ったところに友達の旦那様が亡くなったと知らせが入りびっくりしました。予定を少々変更してお参りに行くことにしました。これから始まる田植えの準備にトラクターを運転して出かけたところで事故に遭ったのだという。まだ若いのになんて慰めてよいやら言葉もありませんでした。意外にも彼女が気丈に振る舞ってくれたので助かりました。最近職場でも就職したばかりの息子を会社の機械の事故で亡くした人がいるので、その方々の気持ちを考えると我が事のように辛いです。
私も交通事故に遭わないように気をひきしめ、慎重な運転で出かけることにしました。
北陸自動車道は連休の割には比較的すいていたので普段と変わらない時間で長野池田町の家に到着できました。







"Velvet Time Forever" by Blue Pino Man

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