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6月30日(水) 曇りのち雷雨のち晴れ    入所理由に不満       

今日の雷は昨日よりもすごい音で、稲妻は空を引き裂くような勢いがあり怖いくらいでした。ここ2〜3日同じような天気が続いています。新聞によると、猫の目のようにくるくる変わるので「猫の目天気」というそうです。落雷で停電した所もあったようです。台風の影響もあるようで、JRや空の便にも遅れるなどの乱れが出ています。職場の周辺一帯の田んぼは、お陰で元気にすくすく育っています。
天気なんてどうでもいいと思うけれど朝起きたらすぐに空を見ます。お笑いですが、私はお天気により気分が左右されるからです。何をするにしてもからりと晴れた日は気持ちがいいですね。入所者も雨だと散歩ができないと残念がります。リュウマチの人は痛さで天気がわかるそうです。雨は嫌がりますね。
六月も最終日だといろんな書類の締めで一層忙しさが増します。さらに今月最後の入所面接の日でもあります。本当にこの頃は若い人の入所者が増えています。働く意欲はどうなったのでしょうか。65歳の女性。少々知的障害はありますが、元気です。兄弟喧嘩が絶えず、それから逃げるため入所を希望したようです。理由もふるっていますね。
私はこの職場に来て実にいろんな事を学びました。家族関係など人間模様が見えてきます。面接に来る人には、自分が納得してくる人、民生委員の意思で連れられてくる人などいろんなパターンがあります。昔は養老院といわれ、貧困者を救済する施設でしたので、今でも世間の評判は良くありません。名前が老人ホームと変わり、運営の仕方も昔とは随分違ってきていますが、やはり自分で納得して入所しないと集団生活はできません。地域で一人暮らしをして高齢になり民生委員に施設入所を進められても、福祉のお世話になるのは嫌だといって頑固に断る人もいます。楽して生活ができるので嘘をついたり議員を中に入れてまで入る人が多い中で、こんな人もいるのかとびっくりします。今日面接した人も、入所が決まった途端他の兄弟が飛んできて反対するのです。「兄弟喧嘩はするが、そこまで落ちぶれてはいない」とすごい剣幕。もう一度全員で話し合いをして決めるように話して帰っていただきました。
毎回、面接の際に聞かされる入所理由は必ずといっていいほど家庭破壊です。子どもが親を虐待するケースが一番多いです。家族とはなにか、いつも考えさせられます。


6月29日(火) 曇りのち雷雨のち晴れ     住みにくくなりました       

梅雨ですね。毎日降っています。今朝も夜中に降った跡がありました。また夜中に降ったのかと車を走らせていたところ、山を越えたら雨の降った形跡はありませんでした。時々山を挟んで東と西、天気の違いはあるので、こうしたことは不思議ではありません。変な天気です。
午後からは予想どおり雨、ものすごい雨になりました。気温も下がり少し肌寒くなりました。
午前中は入院している入所者の見舞いに行ったりしてアッという間に時間は過ぎてしまいました。人手が足りないので休憩もろくに取れません。施設長は、代替を要求しても取りあってくれません。自分の体面を保つためか、いろいろ理由をつけて人事課に話を通してはくれないのです。みんなは怒っているのですが、仕方なく泣き寝入りの状態です。組合もあってないようなものです。
今日も話があるからと、職員集合の合図がかかりました。日曜・祭日出勤の振り替えについて、決められた日に取るようにとの命令でした。「働く意欲がなくなったね」なんていいながらも、反論はできません。今までは同一週であれば、何曜日でも好きな日に取れたのです。勤務条件だけでなく、首長が変わると賃金面のカットもあります。いろんな手当てまでもすべてカットされました。この施設の長も今年からは嘱託になり、管理職の椅子が一つ減りました。住みにくくなりました。早く退散したいとの思いが強くなりました。
夜は演劇鑑賞会の会議です。外では選挙の宣伝カーが走っていて、公示以来始めて聞きました。嫌いな党の宣伝カーだったので、うるさいと言いたくなってしまいました。この参院選、何としても庶民の味方の当選を勝ち取りたいですね。


6月28日(月) 晴れ一時雨    ひまわりさん大きくなってね       

朝起きたら地面が濡れていました。夜降ったのですね。夜でよかったなんて思いながら出勤。
昼間は晴れていたので、皆さん布団を干していました。梅雨時だから少しの晴れ間を見て布団や洗濯物を干すようにしています。
暑い日になったと思っていたら、昼ごろになって突然の雨。しかもどしゃ降りです。洗濯物を取り入れるのに大変でした。暫くすると止んだので、少しの時間を利用して花壇の仕事に取り掛かりました。久しぶりの事です。例年でしたら5月ごろから種を蒔いたりしていましたが、今年は病気で休んでいる人がいるので内の仕事が忙しく外まで手が回らなかったのでがっかりしていたところでした。
空き地が多いので、毎年ひまわりの種を蒔き「ひまわり畑」を作り楽しんでいました。ひまわりは背が高くなるので、台風が来ると管理が大変ですがそれを乗り越えて咲いたら最高です。皆さんの喜ぶ顔をみるのも嬉しいしいのですが、自分も好きな事ができ満足していました。今年は最後の年だから他にもいろんな花を植えたいなんて考えていたのに反対になりショックでした。
そんな時思いもかけずお年寄りの方が「今年は植えないのですか」と聞いて来たのです。事情を説明したところ協力してもらえることになりました。前もって種を蒔いてもらっていたので、ちょうどいい機会でもあり植え替えをしたのです。時期が少々遅いので大きくなるのかわかりませんが「きっと咲いてね」なんて声をかけながら植えました。遅ればせながら朝顔やケイトウなども種まきしましたが、どうなるか楽しみです。花木の挿し木もして見ました。
外仕事が終わって一段落した所へ「ジャガイモが茹で上がりました、食べに来てください」と放送が入りました。畑仕事が好きな方が植えたジャガイモです。この方は、昨年はスイカを作ったので、やはりみんなで食べました。皆さんがこのように生きがいを持って暮らしていけたらいいなと思いながら、私たちまでご馳走になりました。


6月27日(日) 曇り     最後の産業人大会       

今日は「富山県産業人ボーリング選手権大会」。北日本新聞社主催で開催されます。毎年この時期にあり、新聞の一面に大きく選手名を紹介してくれます。今やボーリングは遊びからスポーツの時代へ移ってきています。国体の種目にもなって、ボーリング人口も増えています。
本大会は各事業所単位で3人1チームとして参加します。1事業所から何チームでも参加できるので、毎年80〜90チームが参加します。全くの素人からアマチュアの人まで、腕の違いは多少あるけれど賑やかに楽しく投げる大会です。一人6ゲームですが、レーンが限られているので、第1、第2とシフト別に行われます。第1シフトの前半3ゲームが終了するまでが約1時間半で、交互に行われます。朝9時に開会式があり決勝戦が終わるのが夕方6時の長丁場です。待ち時間が長く退屈ですが仕方がありません。
私は昨日氷見へ行っていたので、朝帰りでボーリング場へ直行しました。運良く第2シフトになっていたので、少々ゆっくり来る事が出来ました。
決勝戦は12チーム(12番まで)が残ります。わがチームは14番で涙を呑みました。昨年も確か15番で悔しい思いをしたので、今年こそはと力が入りすぎてダメになりました。今年が最後の大会だったので残念でなりません。
ここでボーリングのことについて少し紹介します。誰でも一度や二度は行ったことがあるとは思いますが、今はコンピューター管理になり、手で計算をしなくてもいいのです。若い人は計算の仕方を知らない人もいるでしょうね。ボーリングはボールを投げて10本のピンを倒すだけのゲームですが、とてもメンタルな部分があり、気分の持ちようで左右されます。遊びで1〜2ゲームを投げただけではわかりません。ボーリングはある程度は力の差があり、男は力が強いのでヘッドピン(一番ピン)に当たると倒れる確率が高いのです。力の弱い女はどうしても割れたり残ったりします。そのために女性ハンディというのがつくのです。男の人はストライクが続くので、少々のハンディがあっても女は弱いのです。(一般的な話で勿論強い人もいます)。簡単なゲームですが奥が深く、難しいスポーツです。
ボーリングを始めて10年、やっと人並みに打てるようになりました。週に何回かリーグ戦に参加して楽しんでいます。時には今日のような大会に出たりもします。昔は全国大会に行った事もありましたが、過去の栄光になりました。
ボーリングは有酸素運動で体にもいいという結果が出ています。この頃はお年寄りのチームも増えてマスターズで頑張っています。全国大会を見ると90歳近くまで投げている人もおり、励まされます。いつでも気軽に一人でも出来るのが利点ですので、これからも体の続く限り投げ続けたいと思います。


6月26日(土) 曇りのち雨     氷見はやっぱり魚が美味しい       

曇っていて今にも降りだしそうにしているお天気ですが、午後まで何とか持ちました。午前中は久しぶりに庭を覗いてみました。
野菜は昨日降った雨のお陰で何とか生き返ったようです。草も伸びているのですが、今日はゆっくり手入れをしている時間がなく観察だけに終わってしまいました。
紫陽花の白い花の横に、夾竹桃の白い花が咲き出しました。白い花はなんとなく寂しいですね。夾竹桃は一般的には赤が多いのですが、先に白を植えてそれから赤にしようと思っているうちに植えそびれてしまいました。今頃後悔しています。花が散って道路に落ちるので、毎日履かないと地面にべったりくっついて大変です。夏に咲く花、もう暫くは咲きますので、散った花との大奮闘が続きます。
午後からはお楽しみ会です。ボーリングの同好会で、毎週リーグ戦の大会をしながら積み立てもしています。一年で結構溜まるので、行く場所によっては少し追加をして旅行を楽しむのです。
今年は次の日に富山県の大きな大会を控えているので近くにしました。富山県の西のはずれにある氷見市という所があり、港町ですので魚が美味しいのです。例年ですと朝早く出発して、どこかでボーリングをしてそれから温泉というコースになるのですが、今年は午後から氷見市へ直行です。皆さんは富山のボーリング場まで迎えに来てくれた宿のバスでの往復ですが、私は明日の試合に出る予定があり自分の車で行きました。
この民宿のある場所は海のすぐ近くでした。出かける頃から降りだした雨が氷見でもしとしと降っています。一足早く着いたため時間があったので雨の中を散歩していたら、昔夫に連れられて家族で釣りに来た覚えのある場所にでました。今はバイパスが出来て周りの雰囲気は随分違っていましたが懐かしく感じました。
部屋でみんなを待っていると、バスの中でのお酒でいい顔をして入ってきました。お酒の好きな人が多いので毎回驚かされています。
泊る宿は民宿ですので、ホテルと違い少々不自由な面はありましたが、食事は美味しく満足してきました。特に魚の活き造りは新鮮でしかも沢山あり、刺身好きの私は大満足。宴会では飲んだり食べたり歌ったりで大いに盛り上がりました。宴会終了後はおなじみの2次会に。みんな外へ出て行きましたが、私を含め2〜3人はスイミングクラブに入り、夢の中で楽しい思いをしました。


6月25日(金) 雨     週末、ゆっくり気分       

久しぶりの雨。植物にも恵みの雨、待っていました。木には生き生きとした緑を感じました。このようなことを植物にとっては「慈雨」というそうです。じめじめした梅雨時と思っていても長く降らないとまた味気ないものですね。今日は雨がしとしとと降りどんよりと暗く、寒くなりました。不快指数が高いような気がしました。梅雨明けが待ち遠しいですね。
今日はいわずと知れた週末の金曜日。土日が仕事のときはあまり楽しくも感じないのですが、休みだと今日から気分もるんるん楽しくなります。特に調子の悪いお年よりもいないのでゆっくりした日です。
医務室の横に機能回復室(訓練室)があり一日に20〜30人のお年寄りがリハビリにきます。心身ともにお元気な人、痴呆傾向の人、虚弱な人と、いろんな人が出入りします。場所がわからず職員の付き添いで来る人もいます。サロン的な雰囲気の場所になっています。入所者の本音が聞ける場所でもあるので、時間があるときはできるだけ耳を傾けるようにしています。
今日、付き添ってきた職員から面白い話を聞きました。富山市の農協で、第4子が誕生した人に100万円が祝い金として贈られたというのです。平成9年からこの制度ができたようですが、それ以来初めての適用だという事です。
この制度は少子化対策の一つとして発足したそうで、第3子には50万円、家族手当も1万円から2万円支給されるようです。
この人は夫が農協職員で、「もっと早くからこの制度があったら私も頑張ったのに」と笑っていました。この制度は、当時の組合長だった現県議のE氏が、農業の後継者不足やその他の問題の根源は少子化が影響しているとして提案し実現したようです。
この話を聞いてなんだか昔の“生めや増やせ”の戦争中のことを連想してしまって、背筋がゾーとしてきました。思い過ごしかも知れませんがこんな一時的なことで子育てができるのでしょうか。
帰宅すると友達から、選挙よろしくという案内が来ていました。彼女は夫が市会議員の候補になったこともあり、熱心に夫のお手伝いをしているのです。封を開けてみるとなんだか懐かしい顔が出てきました。それは長野池田町で町会議員をなさっている方のホームページでいつも見慣れていた人でした。「平和や、国民の暮らしと権利がまもられる日本に」という政策が載っていました。
いろんな党の政策をみて自分なりの選択をして投票したいと思っています。


6月24日(木) 晴れ     参院選公示       

参院選がスタートしました。東京では各党の党首が街頭で第一声の演説をしていました。富山選挙区でも4名の候補者が7月11日の投票日に向けて動き出しました。出陣式の後各陣営は最も重視する地区に走り支持をもとめていました。
富山県では県議選の補欠選挙もあります。選挙を危険しないように、投票の呼びかけに回る白バラ娘も決まりました。若者の選挙離れを防ぐため、今年は富山大学の前でも啓発活動が行われました。
選挙と言えば毎回、組合から職場に沢山のチラシがきます。組合が支持する自治労(社民党)の候補者が載せてあります。票読みカードの提出も求められます。市職員の家を回ってビラを配ったり支持を訴えたりする行動要請もきます。みんな嫌がりますが、組合員だから仕方がないと参加します。そのための行動参加順番が決まっています。
私は長年組合の選挙活動に疑問があり自分が支持する人とも違うのであまり積極的には参加していません。どうしても順番が来たら、ビラ配りや運転手などをやり、口で何かを訴えるということはしません。自分の気持ちに反することは言えないからです。“許さん 暮らしと平和の大改悪”なんていいことを言っているのですが、いざというときにいつも裏切られた経験があるので何か今一つ応援できないのです。
今回の選挙の争点は年金問題、イラク派兵問題だと思います。職場でも話をすると年金問題に不安を抱く人は沢山います。しかし、選挙とは結びつきません。誰に入れても政治は変わらないという政治不信が目立ちます。困ったものですね。
私たちは一応公務員。助役から「職員服務規律の確保について」という選挙活動に参加しないように注意する警告がでました。富山県は保守大国、首相の北朝鮮訪問を評価している人が多いですね。全国で小泉首相にどのような審判がくだるのか見守りたいです。


6月23日(水) 晴れ    処遇の難しさを痛感       

昨日に続き暑い日になりました。夜寝苦しかったので朝の目覚めが悪く、遅刻しそうになりびっくりしました。
出勤すると毎日ミーティングをするのですが、その前から事務所でワイワイガヤガヤ騒がしい日です。昨日退院してきた方が便や尿の失禁をして、全身が便まみれで大変だったとのことです。その方は具合が悪くなり入院していたのですが、病院で暴れて退院させられたのです。もう少し治療や検査が必要だったように言われたが「検査も拒否して帰るの一点張りなので帰します」と言われて帰ってきました。痴呆が入院前よりもひどくなり妄想も出てきました。歩行も困難で杖で何とか自力歩行はしているものの、今にも倒れそうです。補助車を与えるために話をしてもすべて拒否します。
施設ではある程度我が儘が通るので、自由がきかない病院は早く退院したがります。少ない人数でこのような処遇困難な人をどう処遇したらよいのか話が続きます。
介護保険になってから、要介護度がついていないと他の施設に措置変更もできません。すっかり痴呆になっていればまた手だてのしようもありますが、ときには正気になり話も合わせるのです。精神科受診もできず中途半端で困ってしまいました。とりあえず嘱託病院と連絡を取りながら方法を考えている状態です。
他の施設に措置変更する際にはお金の問題があり、現段階よりも利用料金が高くなるので、身体が弱っても移るのを嫌がります。私たちもそれが悩みの種です。皆さんにはいつまでもこの施設にいてほしいのですが、ここは自立が条件ですのでそういうわけにはいかないのです。措置変更の話が出るときいつも問題になるのは身よりのない人のことです。他の施設にも入れないので行くところがありません。元気なうちはいいのですが、病気になったらどうすればよいのか。介護保険制度の見直しの必要性を強く感じます。


6月22日(火) 晴れ    水分を摂りましょう       

台風一過。快晴で凄く暑い日になりました。職場ではとうとう今週から冷房が入りました。計画では7月からの予定になっていたのです。まだ梅雨も明けていないのに早くから暑すぎますね。今年の梅雨は空梅雨でしょうか。今のところは入所者の皆さんお元気で過ごしているので安心ですが、これ以上暑くなると要注意です。
冷房が入ると今度は室内の温度管理ができなくなり、暑すぎたり寒すぎたりと大変です。今日も一人が急に発熱し脱水症と診断されて点滴を受けてきました。このように夏の健康管理でいつも気を使うのは「脱水」です。機会あるごとに「お茶を飲んで下さい」と声かけをするのですが、トイレに起きるから嫌だというのです。一日の水分量の目安や摂取する時間帯などを示して、水分不足にならないように注意しています。お年寄りの体温調節機能は低下しているので、急激に暑くなるとやはり心配になります。今年はとくに家で介護を受けている母親が急に具合が悪くなった経験もあるので身にしみて感じています。
最近は吸収がよいスポーツ飲料なども出回っているので、そのような物も取り入れながら工夫しています。水分補給は年寄りだけでなく、子どもやみんなも必要です。血液が濃くなると脳梗塞になる危険もあるので自分自身でもできるだけ意識して摂るようにしています。


6月21日(月) 曇りのち雨   とりたての野菜料理を満喫       

台風6号の和歌山県上陸のニュースが流れ、空や陸の便が欠航している様子が放送されていました。今日は一日中台風関係のニュースが多かったです。
能登沖に向かっているようで長野には影響ないかと思っていたら、昼過ぎから雨がひどくなり、風も出てきました。まさか台風が来るなんて予想もしていなかったので富山に帰られるか心配でした。しかし、夕方になるに連れて雨も小降りになり空も明るくなったので安心しました。
午前中は曇っていて過ごしやすかったので、昨日に続いて草むしりをしました。かぼちゃも大きくなっていました。トマトはこの次までには色づくかなと楽しみです。
夫の話を聞いているとすっかり池田の住人になっているようです。農協のスーパーに買物に行くとレジのお姉さん方とも顔なじみです。苗を買ったりするので菜園をやっていることは勿論承知です。苗の選び方についてもあれがいいとか、悪いとかいろいろアドバイスもしてもらって助かっているようです。料理の方法まで教えてもらいます。気のいい夫は材料を言われた通り買ってきていたので、スーパーで教えてもらった通りに私が作って見ました。トマトをスライスしたものにタマネギの薄切りを水でさっと晒したものをのせて「漬けもの酢」をかけて食べるだけの簡単なものですが、これがまたおいしいのでびっくり。勧められて良かった。感謝、感謝。当分癖になりそうです。



ほかにも世話好きの方が沢山いるようで、自分の畑の苗をくださる方もいます。そんなこんなで庭には花の苗も増えました。これから夏は水管理に大変ですね。ご苦労様。
母も昼ごろまで休んだら元気になり、食欲も出てきました。午後から降りだした雨の間をぬって娘の出迎えに行くまで回復しました。昨日から散歩に出ていなかったので、夫が駅まで妹の迎えに行くので散歩がてら誘ったのです。こんな天気の中、彼女ははるばる富山から来てくれました。私と入れ違いに来てくれたので、また、当分賑やかです。親子3人水入らずにゆっくりしてくださいね。私はといえばお野菜の土産をどっさり持って帰りました。まるで里帰りした娘が何でも持っていくのと同じだねと笑ってしまいました。 


6月20日(日) 晴れ(池田)   暑いときは脱水に注意       

昨日は私的な事でいろいろと予定があり、午後・夕方・夜と家を出たり入ったり。まとまって終わる用事であればよかったのですが、何となく忙しい一日でした。結局池田に向かったのは9時過ぎです。
以前高速で怖い思いをしたので、この頃はほとんど国道を走っています。夜は少々疲れますが、昼に比べると車も少ないので比較的早く着きます。それでも荷物の搬送の車なのでしょうか、夜は大型の車が多いので気を使います。池田で迎えてくれる母や夫は、私が居眠り運転をしないか気が気でないようですが無事着くとほっとしています。
朝目が覚めると夫はもう起きています。いつまでも眠たい私は早起きにはなかなかついて行けません。東京では夜型人間だった夫があまりの変わりようです。始めは3日坊主だろうと思っていましたが、続いているので感心しています。早く起きて庭の菜園のお世話です。お陰で菜っ葉やきゅうり、二十日大根などが収穫時期を迎えています。野菜はなりだすと次から次から取れます。
私が行くまでに庭の野菜たちが残っているか心配でしたが、全く気にする必要はありませんでした。沢山あり食事は野菜中心になってしまいました。当たり前の事ですが取りたてを食べるのは本当に美味しいのです。特に家庭菜園で取れたものですから。
今日は猛暑。全国的に暑かったようで、36度から37度を記録したところもあったようです。池田も31〜32度くらいはあったでしょうか。あまりの暑さで外にいるのも大変でした。少しだけ菜園の手入れをして中へ引っ込む有様でした。その暑さのせいでしょうか、母の具合が悪くり心配しましたが大事に至らなくて良かったです。体温調節がうまくいかず、「熱射病」のような症状になったのです。部屋の温度調節や水分補給で様子を見たところ落ち着いてきました。夏のお年よりの健康管理には十分注意が必要なことを再認識させられました。


6月18日(金) 曇りのち雨    有難い法話の後に泥棒       

朝からポツポツ来ていましたが夕方からとうとう降りだしました。
職場での今日の予定は「10時から法話」となっていました。浄土真宗のお東とお西が毎月交互に来る事になっていて、今日はお東の日です。御経の事はよくわからなくて、誰かがお坊さんに聞いたところ、西と東の違いは節の違いだけだそうです。お西や創価学会の人も結構いて、宗派が違うからと参加しない人も沢山います。施設では、宗教の関係で聖教新聞が入るのは問題にしませんが、赤旗しんぶんを取っている人は後ろ指をさされていました。施設長の意識が大きく反映しているように思われました。公私混同とはこんなことでしょうか。
金曜日は園のお風呂の日でもあるので、法話に出ない人はお風呂に入るのです。私は入所者の健康管理が主な仕事ですから、お風呂の清潔面の管理も含みます。銭湯で“レジオネラ菌”(肺炎の原因になる菌)が問題になり、当園のお風呂も消毒を厳重にすることになりました。入浴日には消毒薬を入れ、PHを厳重に測るのです。薄くなると薬剤を追加し、常に一定の濃度を保たせるのです。
さて、このように風呂に出入りするうちに、男風呂の外の目隠しの部分が草ぼうぼうになっていることに気が付いて、ちょうど一年前綺麗に除草しました。その後にあじさいを植えたのです。挿し芽をしたりして苦労して丁寧に植えたので、ずっと気になっていました。咲くにはまだ早いだろうと思いながらもちょっと覗いてみました。そして「咲いてる」と思わず叫んでしまいました。しかも小さい木に大きい花、色も綺麗。感動しました。
草花や野菜を育てるのは、実がなったり、花が咲いたりしたときの感動が大きいからでしょう。お年よりも、スイカを作ったり枝豆を植えたりして楽しんでいます。それをみんなで食べるときの“顔”は最高です。
ところで、全国ニュースではサクランボや果物泥棒が横行していることがよく報じられていました。他県での話だろうと思っていたら、今度は“神通川河川敷で旬の野菜根こそぎ失敬”。いよいよ富山でもかと驚きました。園の中でも小さい泥棒騒ぎは尽きません。気持ちとは裏腹に手だけが出てしまう“病気”の人もいます。どうしてこんなことが出来るのか信じられません。家庭菜園で一生懸命作った野菜が盗まれたら、どんな気持ちになるでしょう。泥棒も商売でしょうか。


6月17日(木) 晴れ   田舎の香りが届きました       

連続5日目の晴れ。梅雨の中休みにしては長いですね。台風の気配もあるようですので、そろそろ崩れるのではないでしょうか。
昨夜遅かったので、里の母が送ってくれた荷物の指定時刻に間に合わず、営業所まで取りに行ってきました。中味は庭で取れたパパイヤ、それに自家栽培のにが瓜(ゴーヤー)や他の野菜類、島バナナなどなど懐かしいものばかりです。大したものではありませんが、母親が自分で作ってくれたもの。何よりも感謝して有難く受け取りました。日持ちしないので池田の夫や母に届ける事はできず、近くにいる娘の所におすそ分けしました。
にが瓜は名前のとおり苦いので嫌いな人が多いが、娘の家では歓迎してくれます。「天ぷらがとくに美味しい」といって喜んでいます。最近は富山にも沖縄料理店が沢山できました。「その店によく行くのでハガキが来るのですよ」なんてお姑さんは笑っていました。
孫はもう寝ていました。保育園に行くようになってからは、疲れて早く寝るとのことでした。残念。遅くいったから仕方がないので、保育参観のビデオを見せてもらう事にしました。
先生の真似をして、一生懸命歌を歌ったりお遊戯をしたりしていました。すっかり慣れた様子です。隣の男の子はこのようなことに興味がないのか、集中していません。周りを見ているといろんな子どもがいます。工作の後は、親子で給食です。主食だけ持っていって後は保育園から出るものを食べます。お箸をしっかりと使って食べているので感心しました。スープと酢豚のような献立でしたが、頑張って食べていました。さっきのお隣の男の子は、給食となると俄然集中してお変わりをしていました。よく食べるので元気ですね。
小学校の高学年になると、男の子なんか凄い食べっぷりです。小さいときから男の子はよく食べるのですね。食事をよく食べる子はやはり元気があります。食の細い子はどうしてもひ弱です。肥満の心配をする親もいますが、伸び盛りの間はあまり心配はいらないと思います。子どもは元気が何より。よく食べてよく寝て、男の子に負けない元気な子になってほしいと思いました。


6月16日(水) 晴れ    夕日に癒されました        

毎週、月・金と隔週の水曜はお風呂の日です。人手が足りないと何にでも借りだされ、今日はお風呂の介助です。といってもお風呂の中での直接の介助ではなく入浴者のチェックです。
ほとんどが一人で入りますが、一割程度の人は介助浴です。お年よりはどちらかと言うとお風呂が嫌いな人の方が多いです。中にはお風呂が大好きで、園の入浴日だけでは足りず銭湯に行く人もたまにはいますが、どうしてなんでも億劫がるのでしょうか。ほっといておくと何日も入らないので、部屋を回って声かけをするのです。折角風呂に入っても着替えをしない人がいるので、着替えやバスタオルなどの準備をしてあげたりもします。処遇するというのは、忍耐が必要ですね。毎回同じことを、繰り返しているので根負けする事もあります。これから益々暑くなるので気を抜けません。


夕方は恒例の、「こばと会」(仲良しグループの会)の例会です。美味しいものを食べながら、おしゃべりするのです。今回場所が駅裏のビルの15階でした。今は駅前よりも裏の方が整備されてきて、発展してきています。部屋は西側でとても見晴らしがよく、特に夕日がとても綺麗でした。沈むまで見とれてしまいました。これだけでも収穫、嫌なこともすっかり忘れ息抜きになりました。
話の内容は、教育現場のことが中心です。やはり最近の同級生刺殺事件のことが主でした。小学校に新任指導に回っている一人からは、教師がひ弱で最近の教育内容についていけずすぐ「辞めたい」を連発するという話も出されました。話は尽きず、政治の話まで発展しました。イラク問題から、年金問題までみんな政治に不信感を持っています。しかし、最後は「いろいろ問題はあっても小泉首相に変わる人はいないのかね」と情けない話で終わってしまいました。


6月15日(火) 晴れ    早くも鮎の塩焼き        

昨日、今日と初夏の暑さでした。寒がりの人たちからもさすがに「クーラーを入れて」なんて声が上がりました。そんな暑さの中、毎月行われる「戸外活動」に出かけました。
いま西から東から「花ショウブ祭り」のニュースがはいってきます。富山市には花ショウブはあまりありません。そこで今日は花ショウブが咲いているお隣の市の公園まで出かけました。その公園はから東に約30分行ったところにあります。
ピークはやや終わりかけていましたが、それでもまだ綺麗でした。平日の来客者は決まっていて、近くの老人ホームの方や、保育所の子どもさんです。それに絵を描いている一般の人たちも多かったですね。「いずれがあやめかかきつばた」。しょうぶや、あやめ、かきつばたは本当に素人にはなかなか見分けがつきません。そんなことはどうでもいいと言わんばかりにさっと見るだけです。
今回はお弁当ではなく、お菓子とお茶だけを持ってのドライブにしました。思った通りお茶休憩の方が長かったです。それよりもみんなの気になるのは、お昼のようでした。お弁当がないので早く帰りたくてたまりません。
さて、帰ると「お昼を持っていかなくて良かった」と一瞬思いました。小ぶりではあるが美味しそうな初物の「鮎の塩焼き」だったからです。まだ鮎釣りも解禁になっていないのになんて早いこと。新聞発表では19日がさお釣りの解禁になっていました。富山漁港は昨日、解禁を前に神通川左岸で鮎の試し捕りを行い、生育状況を調べたそうです。例年に比べるとやや小ぶりだといいます。原因は「雪解け水や五月の降水量が多く、水温が上がらなかったことと、餌となる藻類の生長が優れなかったことが影響した」とありました。しかし梅雨明けには大きくなるだろうと話しています。毎年必ず、食卓に何回か載るので、この次は大きいものが来ること間違いなしです。私たちも早くたべたいな。仲良しグループで行く9月恒例の「鮎とりんご狩り」が楽しみです。



6月14日(月) 晴れ    救急車がくるまでに         

午前中に救急講習会がありました。5年くらい前に一度あったかなと思うほど暫くぶりです。教育現場のときは毎年開かれていたために、対処方法はそんなに忘れる事もなく一応頭の中には残っていました。
私たちはいつ、どこで、突然の病気や怪我に襲われるかわかりません。でもこのような事がたびたびあっても困るのです。知識として頭に入っても、普段このような事に遭遇しなければ記憶はうすれてしまいます。私も例にもれず、久しぶりに話を聞いて思い出したこともありました。
今日行った講習は主に心肺蘇生法の手順でした。心臓停止後約3分で50%が死亡するそうです。救急車が来るまでの3分間が勝負だといわれています。以前は日赤の救急指導員が回っていましたが、いまは消防署が救急講習を盛んにおこなっています。この講習は地域や各種団体にも浸透してきていますので、随分助かる率が高くなっているそうです。それでも実際の現場に遭遇すると人間はパニックになりがちです。“おちついて迅速な行動”をとることが要求されます。
医療は日進月歩の変化をしています。救急法も前と比べるといくつか変わっていて蘇生法の「循環のサイン」の調べ方も変わっていました。何年か前から、消防署に救急救命士が置かれました。救命士が行える処置も始めは限られていましたが、最近は必要上から行える救急法が随分増えてきています。救急車の中で、医師しか行えなかった気管支挿管や心臓の電気ショック等の高度な医療も導入されたそうです。その救急車を受け入れる救急病院側も日夜大奮闘です。
私の職場でよく見られるのが「物(餅など)を詰まらせる」ことです。骨折も多く、意識不明とまでは行かなくても救急車を要請する事があります。その際、救急隊員の行動を傍から見ているだけですが、その動きには見ているだけで頭が下がる思いです。
今回の講習で強調されたことは、「早い通報」「早い応急手当」「早い救急処置」「早い医療処置」でした。これらをスムーズな連携プレーとして連鎖的に行うことが救命のためには重要で(これを「命の連鎖」といいます)あるということでした。忘れるというのは関心のないことの現れ。これらをしっかりと記憶にとどめ、いつでも緊急事態に対応できるようにつねに「新しい情報」を入手しておくべきだと痛感しました。


6月13日(日) 晴れ    価値観の違い         

昨日から引き続きの勤務の日です。外に出るとすがすがしくとても気持ちがいい日です。お年寄りたちは寒がりで、相変わらず「寒い」と言う声が聞こえてきます。事務所からはグラウンドで野球をしている若者たちの姿がよく見え、賑やかな声も聞こえてきます。のどかな田園地帯の朝です。
そんな日の日曜日は要注意です。午後からは暑くなってきたのでよけに気を使います。
最近は入所者の状況が様変わりして、若い男性が増えてきました。入所理由はさまざまですが、親から電話が入るという妙な光景が見られます。そんな年齢ですと世間では働き盛りです。施設の中でジッとしておられるはずがありません。何をするにも親ほど年齢が違う人たちと一緒にいるのに嫌気がさして自然と外に目が行くのです。その結果「無断外出」が多くなるのです。特にホームレスと名前がついて入所してくる人はいろんな決まりに縛られているのが嫌いで、すぐ出て行ってしまうのです。人の目が少ない日にこれが多いので、見張りをするのに大変です。「嫌なものを縛っても仕方ないから放置しておけば良いのでは」という人もいますが、事故が起きたら施設の責任になるのです。昔のようにはいきません。
私はこの職場に異動になったとき、入所を希望しても入れない人もいるので「入所できたら、3食昼寝つきで幸せ」と思っていました。ところがその考えは通用しない事がわかって驚きました。やはり長年放浪生活をしている人は決まりが多い施設には耐えられないようです。
当時もありましたね。やっぱり若い人でした。無断外出で、1週間も10日も帰ってきません。家族に連絡しても捜さないようにというので放置しているとヒョッと帰ってくるのです。何回も同じことの繰り返し。話をしても生返事だけでこちらの思いは全く通じません。そのうち年を取るとだんだん落ち着いてくるのです。
時代は変わっても同じ事が繰り返されるのだと思いました。幸せの価値観の違いをイヤというほど感じさせられます。


6月12日(土) 曇りのち雨   リフォーム住宅が人気のようです         

明け方まで降り続いた雨も一旦上がり、起きたらどんよりと暗い空でした。これはまた降りそうだと思っていたら、案の定昼から雨になりました。全く梅雨らしいじめじめした天気です。
休みの土曜日はいつも朝寝坊するのですが、今日はそういうわけにも行かず早起きをしました。いつも散らかっているので大掃除です。
私の住んでいるこの家はもうかれこれ25年以上にもなる古い家です。当時、造成地として一斉に売り出されたので、その土地の一画を買い家を新築して、それまでのアパートから一戸建てに移ったのです。若い人たちの団地でした。
同じころに建てた近所の家は最近リフォームを始めました。古い家でも長く住んでいると思い出が沢山あり、手放すとなると大変です。家はメンテナンスをしなくてはいけないと思いながらも、出来ないまま年月がたってしまいました。
来年は池田に引っ越すので、現在の家が中古住宅として売れるかどうか判定してもらうことにしました。そのために今日専門家に来てもらうことになったのです。
査定の結果、「基礎が鉄骨だからどこも大丈夫、まだまだ住めますよ」と言われたのでほっとしました。専門家のアドバイスで少し自信が持てたので、来年の引越しまでに痛んだところを修理したりお化粧直しをして売りに出そうかと案を練っているところです。
自分で言うのも何ですが、この土地は便利でいい場所だと太鼓判が押せます。今はインターネットの時代、NTTもすぐ隣です。学校も近いし、幹線道路が近い割には騒音もない静かなところです。少し行くとスーパーや医者、レストランなどが多数あり地域の活性化もさらに進んでいるところです。誰かいい人が買ってくれるのを待っています。




6月11日(金) 曇りのち雨   庭のこと、本格的に勉強したい         

梅雨らしく、昼前から降りだした雨は夕方には本降りになりました。庭の紫陽花もようやく咲きだしました。真っ白です。だいぶ前に、知人宅で綺麗に咲いていた額紫陽花。少し枝をもらってきて挿し木をしたのです。大きくなり、咲いたら真っ白で普通の花です。紫陽花は七変化といいますが、始めから終わりまで白。白もめずらしいけれど、ちょっとがっかりしました。家の庭は土がアルカリ性かと思えば、少し離れた隅に咲いている額紫陽花は紫でとても綺麗です。今年はその花は花芽があまりなく咲きそうにありません。大きくなりすぎていたので刈りすぎたのでしょうか。
通勤道路にも紫陽花が多いのでよく見ますと、今年は小粒の花が多いです。咲き始めたばかりだからそう感ずるかも知れませんが、職場の紫陽花はあまり期待できそうにもありません。昨年沢山咲いた見事な大輪の花に比べると綺麗さでは少し劣ります。
人間と一緒で、花も育て方ですよね。畑は土つくりから始めなくてはいけませんが、花壇もそれなりの花を咲かそうと思えばやっぱり土つくりでしょうね。消毒も大事だと聞いたとことがあります。
草花を育てたりするのが好きだから、「グリーンキーパー」の資格を取りたいと思い問い合わせたことがあります。特に資格はなく、富山県は推薦制だと言われました。長野県にも花壇つくりのプロを養成する所があるでしょうか。今度家を建てるときは、少し勉強して四季の折々に咲く花や木を植えたいなと夢みたいなことを考えています。


6月10日(木) 晴れ    時の記念日         

今日は「時の記念日」です。富山では恒例の「ドン」が打ち上げられました。「ドン」とは正午を告げる打ち上げ花火のことです。いつも神通川の河川敷で打ち上げられ、今年で49回目になるという事です。打ち上げ場所は私が住んでいる町から車で5分くらいのところですので以前聞いたことがあります。前の職場は神通川に近い小学校でしたので、この音を聞いて児童たちと一緒に時間のことを話題にした思い出があります。今の職場は遠くなったので、余程気をつけていなければ聞き漏らしてしまいます。
今年も友人から「ドンが上がったよ。時は金なり。しっかり働きなさい」なんてメールが来ました。毎日が時間との戦いですので、まったく時は金ですね。
この「ドン」という愛称で知られている花火は、正午数秒前のタイミングを見計らって上げられ、約230メートルもの上空で白煙と共に「ドーン」というごう音を市内に鳴り響かせるのです。
新聞の紹介によると、この「ドン」は江戸時代に富山城で鳴らした「時鐘」(ときのかね)の伝統を受け継いでおり、明治34年から昭和14年まで毎日正午に打ち上げられた「どん花火」に由来するということです。戦時の火薬節約で一時中止になったが、市民から復活の声が上がり、昭和31年に復活させたというのです。平成10年には「とやまの音風景」に選ばれています。
詳しくは以下の資料が参考になります。
2004年度富山市教育委員会資料
2003年度富山市教育委員会資料

そういえば、池田町でも12時と5時に音楽で時刻を知らせていますね。旅行をした折に他の県でも聴いたことがありますが、このような毎日の時報は田舎ならではのことですね。
今はどれだけあっても足りない時間ですが、毎日が日曜日になったらどのように時間を使ったらいいでしょうか。


6月9日(水) 曇り    病は気からを再確認         

一日中どんよりと曇り空、今にも泣き出しそうな空でしたが何とか持ちました。気温は上がらず肌寒いので、職場では窓を閉め切っている人が多いです。風邪を引いている人も多くなりました。
外では紫陽花が咲き始めました。園の周りは一面紫陽花ですので、一斉に咲くと見事なものです。時には綺麗な花を見て気分転換を図ってほしいと思うのですが、こちらが思うほどは感じないものですね。
ところでこの紫陽花、家の庭は遅いのか、まだ咲いていません。梅雨に打たれて咲く紫陽花は綺麗ですね。早く咲いてほしいものです。
綺麗な花に感動しながらも、気分の半分は落ち込んでいました。昼から病院通いです。医師の説明を聞いて、その言葉が気になりながらも、それを認めたくなく「絶対に違う」と自分で判断したりして勝手に暗くなっていたのです。とはいっても癌宣言をされたわけではありませんが、体の老化を認めたくないという強い気持ちの表れからでしょう。
夕方新聞で知人の活躍ぶりを見て我が身を反省させられました。彼女は少なくとも3つ以上の癌にかかっていることを公表しています。そんな中、町議選に立候補し当選。議員活動をしながら幅広く活動をしていました。昨年は老人問題を掲げて町長選にも立候補したが残念ながら落選。しかし「必要だから公約にした」とそのときの公約を選挙が終わった後も実行に移しているのです。「空き家を利用した“地域福祉の集いの場”をつくります」と。多くのお年寄りの「老後は自宅で」との希望を叶えるため、そのお手伝いとして「NPO法人デイサービスセンター」を設置したとのことです。子どもから年寄りまで当たり前の暮らしができる施設、地域の中の「居場所」として役立つ施設とすることを目標にしているそうです。
いつも、彼女のどこからあのようなエネルギーが出るのか不思議に思いつつ感心していました。この記事を見て小さい事にくよくよしている自分が恥ずかしくなりました。
議員は別にしても、自分も退職後はこのような福祉活動ができたらいいという希望があるので、病気に負けているわけにはいきませんよね。「病は気から」の諺どおり、要は自分の気の持ちようが大切だということを強く肝に銘じました。


6月8日(火) 雨のち晴れ    梅雨時は食中毒に注意         

久しぶりに出勤すると本当にいろんな事があります。これが年よりの集まっている場所かといつも思わされます。さあ、気を取り直して一週間頑張ろう。忙しい日が始まります。
富山は昨日、一日中降っていたようで、やっぱり梅雨入りしたのですね。「平年より3日早い梅雨入り」とありました。今朝も出かけるときから雨。これから鬱陶しい日が続くかと思うとなんだか気分まで暗くなります。
昼からは晴れ間が見られましたが気温は低くて肌寒いので、皆さんまた冬の服装に舞い戻りです。十人十色、100人もいると大変です。下着の着方から、服の着方まで口添えしてあげないと一年中真冬の服装でいる方もいます。暑さ寒さを余り感じないようです。いろんな機能が衰え、感覚が鈍くなっていくのですね。


食事にしてもそうです。栄養士さんが栄養の事や、塩分を取り過ぎないようにと献立を作成しても、何の役にも立ちません。「味が薄くてまずい」と自分で醤油を浴びるほどかける人がいます。好き嫌いが多く驚くほど食べ残しがあります。どうすれば食べてくれるか、栄養士さんは毎日悩まされています。お年寄りにとっては食事は一番の楽しみです。食事が楽しくなるように、皆さんの嗜好調査をしたり、料理法を考えたりあの手この手で工夫を凝らしています。
私たちが一番気を使うのがこの梅雨の時期です。服装や手洗いのこと、部屋や冷蔵庫の中の清潔チェックをします。食堂から部屋に副食を待ちかえる人が多いのでそのチェックもします。持ち帰ってゆっくり食べたいのでしょうが、腐ってから食べたりするので、食中毒が心配になります。集団生活ですので厳重な注意が必要です。決まりを守ってもらうように毎日口をすっぱくして注意をします。大勢の人数に少ない職員。目が行き届かず、つい持っていかれることも度々あります。「聞いてもすぐ忘れる」というお年寄り特有の現象があるので毎日が根比べです。
O157と言う食中毒が発生して以来、当施設も厳重に厳重を重ねて食中毒予防に取り組んでいます。また「予防強化月間」が来ました。


6月7日(月) 雨   しばしの間賑やかです         

休みもアッという間に終わり、夜遅くに池田から富山に帰ってきました。
長野県地方は昨日梅雨入り宣言が出されました。朝から降っていた雨は夜になっても止まず、道中ずーと雨。富山に近くなるにつれてひどくなりました。富山も梅雨に入ったのでしょうか。
池田の家では、暫く見ないうちに畑にトマトやキューリが実をつけて菜園らしくなっていました。腰が痛いといいながらもせっせと世話をしている夫に感心しました。農家の人の大変さがわかったといっていました。この次行くときはきっと食卓にのることでしょう。楽しみです。
母は時々夜独演会をしたりしていますが体は元気です。初物のスグリ菜で味噌汁を作り「家の畑で取れたものですよ」といって昔を思い出させようとしてもあまり反応がありません。元気な頃、一生懸命畑をしていろんなものを作っていたのに、忘れたようですね。できるだけ外に連れ出そうと今回一緒にドライブを楽しみました。出るときは嫌がりますが、出てしまえばなんということはありません。最近は食欲もあるので、アイスクリームなど冷たいものも喜んで食べます。
昨日は穂高町までドライブ。近いのでびっくりしました。昨年旅行した際は道に迷ったりしたので遠く感じたのでしょうか。久しぶりに穂高の自然を楽しんで来ました。
夕方には私と入れ違いに、娘夫婦が孫を連れてきたので、暫くの間は賑やかですね。理容・美容業を営んでいる娘たち。母と夫の頭を綺麗にすると張り切って来てくれました。孫も始めは恥ずかしそうにしていたが、すぐに慣れてはしゃいでいました。引越しのとき以来だというのに、近所の子どもと遊んだ事を覚えていて「明日また遊ぼうね」と声をかけていました。普段大きな息子と2人だけの生活に慣れているので、小さい子が来てばあちゃんも疲れなければいいですが。でも気分転換になるかもしれませんね。


6月5日(土) 晴れ  池田町での2日目          

何処も暑さは一緒ですね。もう梅雨が明けたかと思うくらいの暑さでしたが、日が沈むと少しは涼しくなりました。朝夕の寒暖の差は富山よりも激しいようです。
池田に来ると必ず行くところは、土地購入予定地の高台です。何処よりもアルプスの見晴らしがいいのです。夫も時間の変化とともに変わる山の様子をカメラに納めるのが趣味のようです。
今朝も散歩がてらにいっしょに行くと、ちょうど土地の持ち主の社長さんが通りかかり、またいろいろ情報を知らせてくれました。「ここは人がよく集まるところです。そのうち、たまには二人にしてと悲鳴をあげますよ」と言った社長さんの言葉が印象的でした。アルプスの山の名前も分かりやすく説明してくれました。この地元の絵かきさんが必ず描く山が「有明山」。左手の高いとがった山が「常念岳」。さらに左手の方で、頂の残雪が羽を広げた蝶のように見える山が「蝶が岳」。やっと3つの名前を覚えました。
購入予定の周辺は、道幅が広い割に交通量は少なく、そのうえ道の端には近所のおばさん方がお花を一杯植えてあるので、本当にきれいなところです。


帰ろうとしたら、散歩帰りのおじさんが話しかけてきました。またまた話し好きでつい話し込んでしまいました。近くの地元の方でした。「自分で言うのも何だがここよりいい所はない」と自慢そうでした。若い時あちらこちら旅をしてより深くこの土地の良さがわかったので、戻ってきたそうです。「逆に天災もなく平和すぎて刺激や変化がないですよ」と笑っていました。
さて、今度は家に戻っての話です。都会では想像もつかないことがあるものですね。近所の小さい子どもが「あ〜そ〜ぼ」と入ってきました。夫からは聞いていたが実際に来たのでびっくり。小さい子がいないのはわかっており、誰と遊ぶかというと「おじさん」とです。夫とおしゃべりをしたり、パソコンで適当にゲームをして飽きると帰っていく。夫も今では慣れたようでおしゃべりの相手をしていました。よく来るのだそうです。ある意味ではこんなところが田舎のいい所だと感心しました。それにしても昔はお隣さんにいって遊ぶことはあっても大人と遊ぶのはなかったですね。好奇心が強く働いていることもあるのでしょう。パソコンに慣れているようで、家でも結構やっているのだろうと夫も言っていました。
小さい頃からインターネットでチャットもする時代。こうして無邪気に楽しく遊んでいるうちはいいけれど、ネットワークとしての使い方は大人がきちんと教えないといけないですね。先日の小学校の事件も掲示板の書き込みが原因とも見られているようで、使い方を間違えたら恐ろしいものになるものだとつくづく感じました。


6月4日(金) 晴れ  安房峠を越えて安曇野へ          

朝夕は少し肌寒さが残りますが、昼は真夏の暑さです。今日は早めに仕事が終わり早々に帰宅しました。
帰路の車の中の暑いことと言ったらありません。特に右手だけが日に照らされるので、夏になるとよけいに日焼けをするのです。
急いで買い物をすませ、予定していたとおり長野へ出発しました。かねてから予定していた国道41号線から飛騨をぬけて安房峠を越えるルートを走りました。初めて走る道なのでちょっと不安もありましたが、天気も良く車も少なくてなんとか予定通り着くことが出来ました。
岐阜県神岡から平湯を経由したので道中はほとんどが山の中。相変わらずトンネルも多くしかも長いので、安房峠を貫通する安房トンネルの工事の大変さが伺われました。国道八号線と違い、静かで落ち着いた気持ちで走れたので、糸魚川経由よりもこちらのコースの方が良いような印象を受けました。距離もこのコースの方が短いので、慣れたらもう少し時間短縮が出来そうな気もします。違う土地や、懐かしさを感じる「安曇村」等々眺めながら走っているとやっぱり長野は「山」なんだと改めて感じました。松川村にさしかかるとなんだかほっとしました。
午後6時、まだ明るいうちに池田町に着くことができました。車から降りて畑を見たらトマトが大きくなっていました。




6月2日(水) 晴れ    命とは、生きるとは  

朝衝撃的なニュースが流れました。小学生が同級生をナイフで殺害したという。なんということだろう。びっくりして暫くテレビに釘付けになりました。加害者の子は「すみません」と言っていとのことですが、命をその一言で片付けていいのだろうか。
たまたま夜、演劇鑑賞会の例会は井上ひさしさんの作品「父と暮らせば」を見ました。

<あらすじ>人類史上初の原子爆弾が投下されて3年後の広島。被爆し自分だけが生き残ったことを負い目に、苦しみながら息を殺すようにひっそりと暮らしている美津江。死が訪れる日を待つだけの暮らしをしてゆこうと心に決めていた彼女だが、その彼女の前に一人の青年が現れる。二人の間にいつしか恋心が芽生えるが、彼女は自分の心を押さえつけ黙殺しようと必死である。「恋はいけん。恋はようせんのです」と。
死んでしまった父親がそんな娘を心配して、恋の応援団長としてあらわれる。父は、なだめ・すかし・さとし・脅かしとあらゆる手段を使って娘の心を開かせようとする。


この芝居は、このように父と娘の精緻な対話を涙と笑いで描いた作品でした。戦況悪化に怯えながらも必死に生きようとしていた普通の人々の上に突如炸裂した一発の閃光。それが人々の運命を変えます。
原爆資料館の展示を直接みたり、いろんな被爆者の話を聞いたりして、私は原爆の恐ろしさはわかっていると思っていました。しかしこの芝居を見るまで、被爆した後で生きるとはどういうことなのか考えて見たこともありませんでした。
芝居の主人公に描かれた「自分だけが生き残った」「愛するものたちを助ける事が出きなかった」という自負の念。愛するものたちを一瞬のうちに失った底無しの喪失感。被爆による原爆症状に脅かされ絶望感に苛まれつつも被爆者たちは生きていこうとします。それも人間の尊いまでの「強さ」を示しながら。
井上ひさしさんは、広島から、そして被爆者の命がけの姿から、「人間はどんな絶望の中においても生き抜かなくてはならない。それが人間の条件である」ということを教わったといいます。
朝のニュースの事もあり、子どもたちは命をどう捉えているだろうかと疑問を感じました。この世の中、死にたくなくても死んでいく人がいる。ですから自殺なんてもってのほかですね。ましてや人の命を奪う権利は誰にもない。自分を大切にできない人は他人を思いやることもできません。「生と性」という観点から、こうしたことを小さいときから教えていく必要性を強く感じました。


6月1日(火) 雲りのち晴れ    お祭りよりも饅頭  

一年の中間地点の6月に差し掛かりました。季節も春から夏へ、木々も若葉から青葉へと移り、初夏を感じさせます。
6月はまた衣替えの時期です。道行く人の服装も黒から白へと変わり、こちらも季節を感じさせます。
今朝は、昨日の雨が嘘のように日本晴れになりました。そして富山に夏の訪れを告げる日枝神社の「山王まつり」が今日から始まりました。このお祭りでは、毎年必ずといっていいほど3日間のうちどこかで雨が降るのです。今年は前夜祭で降ってしまいました。今日は晴れ渡った空になったので皆さんさぞ喜んでいることでしょう。
この「山王祭」は有名なお祭りで、全国から露天商の方が集まりすごく賑わいます。私は地元ではないのでこの祭りの由来はよくわからないのですが、新聞によると、元禄3年(1690年)に富山藩主前田正甫公が神輿2基をこの神社に寄進したのが始まりで、それ以来富山城へ神興渡御の神事が行われるようになったとのことです。
山王祭では年々多彩なイベントが催されており、大勢の人がこの活気あふれる祭りを楽しんでいます。仕事が終わって夕方覗いてみると人の波で大変でした。私は人ごみがあまり好きではないので早々に引き上げました。近くの道路は交通規制があり一部通行止めにもなります。また会場に近い道路の両側には全国から来た数百を越えるという露天商の車が並んで朝の通勤時は大変な交通渋滞になります。
ところで、このお祭りの中日の6月1日には古くから「ツイタチ饅頭」を食べる風習があります。富山に来て以来、1日に食べるからそう呼ぶのかと思っていました。しかし昨年、あることからそれが間違いであると判明しました。
「ツイタチ饅頭」は「朔日饅頭」と書き、旧暦6月の「水無月」と関係があるようです。「氷の朔日」「麦朔日」「ムケの朔日」などさまざまな呼名があり、食べ物と関連する行事であったようです。新麦が取れる6月の季節と関連した行事と見られています。最近は饅頭の種類が多くなり、どこの饅頭が朔日饅頭であると特定できなくなったそうです。そのために、昔から主流だった皮に酒が入った酒饅頭が朔日饅頭として受け継がれているようです。この饅頭を食べると一年間病気にならないといういわれがあり、多くの人に食べられています。1日にこの饅頭を手に入れるのは容易でなく、店頭で何時間も並んで手に入れるのです。職場でも入所者は毎年食べるのですが、本日は入手できないため延期になりました。明日が楽しみです。




上の写真は夫から送られた昭和30年代の山王祭りの秘蔵写真。町内ごとに御輿を出して日枝神社には何百という御輿が集結したそうです。上が夫12歳、下が15歳のころの写真ですって。びっくり仰天。ところで夫はどこ??
<写真は無断利用しないでくださいね>







"Rainy Street" by Blue Pino Man

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