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1月31日(月)雪      寒気団が襲ってきた

今日から冬型になるという予報があたって池田も雪になりました。
午後から家の設計をお願いしている水野建設の設計士の方が見えました。そろそろ具体的に取り掛かりをしなくてはと打ち合わせに来てくださいました。風水の関係で簡単にはいかない所もあるようですが、私たちはあまりこのような迷信にはこだわりませんと言いました。こちらの注文も難しいので大変かなとも思ったのですが、予算の範囲内でしたらいいほうがいいですよね。お互いまた検討する事にしましたがなんだか楽しみです。
5時過ぎの列車で帰ることになっているので大町まで夫に送ってもらいました。大町の方はよく降っていたので、列車が運行されているのを確認してから帰ってもらいました。
南小谷からの列車は誰もお客がいなくて私一人の貸切状態でした。北陸本線も列車に乱れが出ていて特急も遅れてきました。大幅な遅れではなかったのでまあまあ予定より30分くらいの遅れがあっただけで無事着きました。
富山も雪でした。家につく頃にはもう止んでいましたが車の上には30センチ以上の雪が積もっていました。綺麗に除雪をしておかないと朝が大変です。夫に電話をしたら池田はあまり積もってはいないということでした。やれやれくたびれた。


1月30日(日)池田 晴れ      諏訪湖へドライブ

素晴らしい天気ですが風が強く外は寒いです。朝少し”お天気雪”が舞っていましたがすぐにやみ洗濯物も外に干せました。池田は雪はなくてもやっぱり寒いです。
夫は夜型生活になっているのに朝早く起きて朝食の準備をしてくれていました。私は洗濯機の音などで目が覚めました(昨日一つ年を取ったので年寄りの仲間入りをしたのかな・・・)。母はまだ睡眠中です。何もないときはゆっくり寝かせてあげようと暫く起こさずにいました。
あまりに天気がいいので諏訪湖へドライブにでも行こうと夫が誘ってくれたので大賛成し、急いで母を起こし準備にかかりました。
「諏訪湖」は一度は行ってみたい所だったので嬉しくなりました。しかも高速に乗って行けばそんなに遠くないところですので長野に住んでいることが実感できました。
長野はどこを見ても山また山です。いつも見慣れている有明山・常念岳も角度を違えてみるとまた新鮮でした。遠くの方に南アルプスの山々も綺麗に見えました。
高速の諏訪湖サービスエリアから眺めた湖はとても大きいので驚きです。一部白くなっているので何かと思ったら湖面に張った氷でした。


日曜日とあってお客さんも結構沢山で賑わっていました。中央道とも交差しているので名古屋方面からの客も見られました。美味しいおやつを食べて少し休憩し出発しました。
凍っているところを近くで見るとよくテレビなどで見る北海道の流氷のようでした。氷が厚めに張っている所では釣りをしている人もいました。ここでもワカサギがつれるのかな。
今は諏訪も「御柱祭」と結びつけられるようになりました。行きたいところは他にもありましたがまた来ることにして帰りました。
豊科から高速を下りて走っていると、高速道路へ向かう反対車線が異常に混んでいます。よく見ると白馬方面からのスキー帰りの車でした。屋根に雪を高く積んだ車もあったのでやっぱり向こうは降っているんですね。名古屋・大阪・京都・横浜などと随分遠くからきているので感心してしまいました。
ドライブは楽しかったのですが、今回は列車で来たので免許証を忘れてしまい、首の痛い夫にだけ運転をさせてしまい申し訳なかったです。
夕食後はまた息抜きに夫が映画を一緒に付き合って観てくれました。最近仕事のストレスがたまっていたのでストレス解消できました。


1月29日(土)池田 晴れ      初めて電車で来ました

今日の池田はとてもいい天気で暑いくらいでした。雪があまりないので富山の春の雪解けを思わせる景色です。
今回は初めて列車で来てみました。冬場はその方が安全だと思ったのですが乗換などで結構時間がかかるのですね。とは言ってもあまり待ち時間がなかったので早かった方でしょうか。
いつも車のため駅の大きさが分からず乗換の時間が少ないと間に合うかとか、また小谷あたりで不通になっていないか等々心配しながら今日を迎えました。
案ずるより産むが易しで大丈夫でした。大糸線の普通列車が'ワンマンカー'になっているので何だか懐かしくなりました。しかもドアは自分で開閉するのです。初めての体験をしながら、また車窓からの素晴らしい景色を眺めながらアッという間に来てしまいました。
小谷から白馬まではドーンと雪がありそれからだんだんと無くなっていく景色もまた素晴らしく、同じ長野でもこんなに違いがあるのかと感心しました。
夫に駅まで迎えに来てもらったのですが、後で首のことを知り心配しましたが思ったより良さそうで安心しました。
里の母に夫の誕生日でもあるので週末に池田に行くことを話しているとそれに間に合うようにと”ムーチー(餅)”を送ってくれました。



沖縄では旧の12月に”鬼餅”という慣習があり餅を食べるのです。ただの餅ではなくこちらでは笹のような葉っぱに赤や白の甘い餅、紅芋やいろんな種類の餅を包んで食べるのです。
母の得意は”トウナチンムーチー”です。トウナチンというのはトウモロコシと似てヒエやアワのような実のなる植物で、その実は紫色をしています。砂糖を入れて作ると美味しく出来あがります。他のお菓子にもよく使われています。それをくるむ葉っぱには亜熱帯地方に育つ”月桃”の葉を使います。
香りが強く癖があるので私たちは慣れているから美味しいと食べるのですが、おしつけられた夫はまあまあの顔をして食べていました。昔は母にもよく食べてもらったのですが、今日はこれから食べてもらいます。おそらく味は忘れているのではないでしょうか。たいした土産でもないのですが古里の味を今年はみんなで食べられるので嬉しくなりました。
肝心の誕生祝いは、夫がそんなものしなくてもいうので何もせずじまい。色気も何もあったものではありません。


1月26日(水) 雪のち晴れ    「野生児は強い」を実感

朝ちらついていた雪もすぐ止みました。なんだかもう春の雪のような感じです。職場の庭の片隅ではふきのとうが顔を見せていました。これからまだまだ厳しい寒さもあるとは思いますが確実に春はそこまで来ていることを実感しました。
昨日の当直は特に異常者もなく無事過ごせてほっとしました。
実は日曜日に男性の方が突然倒れて救急車で病院へ運ばれ入院するという出来事がおきました。そういうときの当直者は言わずとも大変です。その方は普段から食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、職員の言う事も無視、野生児のような生活をしている方です。何日も食べない時もあるのでよく病気にならないと感心していたのです。ところが入院するという羽目になり「やっぱり」とみんなが思っていましたが、検査をする間もなく病院で大暴れをしたようです。次の日に退院になりました。おそらく入院が嫌だったのでしょうね。
昔から徐脈があるので倒れた原因は一過性の心臓発作ではないかといわれましたがすぐ元気になりました。びっくりするほどの生命力だとまたみんな感心しました。その方がまた急変しないか心配でしたが大丈夫でした。どんなに注意しても腐ったものを食べたりもするので病気に対する抵抗力がついているのですね。何の処置もせずに退院してきてそのまま放置状態ですが元気そのものです。あまり過保護にするよりも放任の方が強くなるかも知れませんね。

昼からは明けですので自分の病院行きです。注射をすると一日お風呂に入れないので、先に温泉に行ってきました。病院のあとは池田に行く準備の買物をしました。
夜は先週から始まったリーグ戦の試合に出てみました。昼に注射をしているので痛みもやわらいで楽になり調子がでました。アベレージも久々に良くて自分でもびっくりするほどでした。
お医者さんはあまり無理をしない程度なら投げてもいいと言われたのでアベレージを気にしないように楽しみながら投げています。少し晴れ晴れした気分になりました。


1月25日(火) 雨のち晴れ     お年寄りたちと白鳥見学

朝出勤する時は小雨が降っていたので積もっている雪も解けてちょうどよかった。午後からはすっかり晴れて少々暖かくなってきました。
午前中は役所からの調査関係でざわつき振り回されていました。新年度から新富山市が誕生するに当たってのいろいろな調査がとうとうこの職場まできました。
今までは富山市内だけの人事異動でよかったものが今度は大きな範囲の異動になるのです。近隣町村に近親者がいないか等異動に関係する調査です。例年ですと3月の上旬には異動本部ができるのですが、今年はどうも早くなる気配です。自分には関係のない事で少々寂しい気もしましたが、大変になることは間違いないので本当にいい時に辞めてよかったとつくづく思いました。退職者はこの調査に直接は関係なくても電話係りとかいろんな雑用係りになって結構忙しい思いをしていました。


午後から晴れて気持ちのいい天気になったのでこれを利用しないのはもったいないと、急な話でしたが白鳥見学を思い立ち希望者を募りました。白鳥と聞いてやはり皆さん沢山の希望者がありました。
今日はとりあえず20名を連れて行きました。3台の車でドライブです。残りの方はお天気の日を選び全員が見学に行けるようにこれから計画をするところです。
場所は有名な呉羽の田尻池ではありません。富山にはもう一箇所白鳥が飛来してくる場所があるのですがあまり知られてはいません。針原にも白鳥がくるという噂は聞いていましたが初めて行ってきました。
こちらは池田町の近くの白鳥と同じく大きな田んぼの中に百羽位はいました。田んぼの白鳥は周囲の景色が違うだけでどこも同じです。広い田んぼの中を悠々と泳いでいました。半分ほどは隣の水のない田んぼに入り餌をつついたりして遊んでいました。田尻池とは違い近くに寄れないので遠くでみるようになっていました。それでもお年よりは初めて見る人が多く、とても喜んでいて「どこから来たのかね」「遠くシベリアから来たんだよ」など会話が聞かれました。こちらも「白鳥の里」と言う名前がついており、地域の人たちがお世話をしているようでした。不思議な事にこちらは鴨が一羽もいませんでした。


1月23日(日) 晴れ     温泉のあとは故郷の味に舌鼓

昨日から雪は降っていませんが、積雪があるので今朝はバンバンに道も凍っていました。家の中にいても寒くてあちこちストーブをたいていました。今日は北陸3県の予選も兼ねたボーリングの大きな大会が開かれているのに参加できずに残念で涙、涙でした。
ちょうどそんな時、先日会った沖縄県人会の仲間からお誘いがあり出かけてきました。魚津にある大きなホテルの一角にお風呂に入りゆっくりできる施設ができたから行こうよということで6人で行きました。宿泊も可能ですが私たちは日帰りコースです。最近は至る所にこのような施設ができているのですが何処もかしこも満員でちょっとした温泉ブームです。
この施設は観光センター的で、舞台では素人芸人さんの歌や踊りがありました。日曜日でもあるので子供やお年寄りも多くて超満員でした。
凍結が消えてから出てきたので着いたのはお昼近くでした。大きな露天風呂があるお風呂に入り、食事をしてそれから長椅子で横になりゆっくりした時間を過ごしました。久しぶりに会ったので話がはずみ、長野に行く前に今度は他の人にも声をかけて送別会をしようということになりました。さあ大変、長年住んでいるといろんな所に繋がりができています。他からもそんな声が出ているので体がいくつあっても足りないくらい忙しくなりそうです。
帰りは沖縄料理屋さんに連れて行ってもらいました。朝日町にあるのは知っていましたが行くのは初めてです。大好きな沖縄そばを食べました。沖縄の酒(焼酎泡盛)が沢山置かれておりこんなに種類が多いとは思いもよりませんでした。ボトルキープをしている人もありました。近くの工場に沖縄から沢山の若者が働きに来ているそうですので、その人たちがよく食べに、飲みに来るそうです。遠く離れていると故郷の料理が恋しくなるのでしょうね。店には沖縄の民謡や舞踊がビデオで流れておりつい見とれていました。果たして私もうまく踊れるようになるか心配になってしまいました。
こちらのママさんは年を取ったら沖縄へ帰りたいと話していました。その話を聞いて、みんな口々にやっぱり自分も雪のない所へ帰りたいと話し、思いは同じようでした。自分もそんな思いをしたことがありますが、それとは逆に寒いほうへ行こうとしている自分に、それも人生、新地で頑張ろうという思いを新たにしました。




1月21日(金) 雪     ノロウイルス騒動

今日は一日中休養の日になってしまいました。朝から寝てばかりいると腰も痛くなり、楽ではありません。普段土・日になると一日中寝ておりたいと思うのですがやっぱり寝てばかりもおれないとつくづく感じました。
2〜3日前から膝も痛くなってがっかりしている所へ輪をかけて「イロウイルス」の疑いがある人は早めに休むように言われて二重にショックを受けて寝ていました。ただ風邪気味で気持ち悪くなっただけのために。でも膝のためにはちょうど安静が保たれていい骨休みになりました。
職場では毎年この時期感染症を防ぐため予防対策を厳重にしています。雪が降ると途端に冬の代表インフルエンザが発生します。そろそろ学校でも学級閉鎖のニュースが聞かれました。
感染症といえば今世間を騒がしている「ノロウイルス」が原因で起きる感染性胃腸炎の発症です。テレビでも取り上げられているのでご存知とは思いますが、広島の老人ホームで死人が出てから大きく報じられました。富山市でもこのことを受けて早速研修会が開かれたので受講してきました。
この病気は今新たに出たのではなく、1972年に発見され「小型球形ウイルス」として毎年発生していたそうです。2002年に「ノロウイルス」と言う名前になっています。症状が似ているので食中毒とよく間違えられるそうですが、区別の仕方は、「食材が原因になるのが食中毒」「人が原因になって起きるのが感染性胃腸炎」となっています。
潜伏期間は2〜3日、感染力が強く50%位が発症するといわれています。罹患しても2〜3日で治癒するのでそんなに心配される病気ではありませんが、お年寄りや幼児が発病すると脱水を起こして死に至る場合もあるので警戒が必要になっています。
免疫力が弱い人が罹りやすいので、園では体力をつけるために3度の食事はきちんと食べる事、水分の補給、厳重な手洗いを徹底させています。玄関にも消毒液を置いて面会の方にも手の消毒に協力してもらっています。と同時に健康観察の重視、特に吐き気や嘔吐・腹痛・下痢などの症状はもちろん頭痛や微熱などの風邪症状もみのがさず早めに受診・治療させて蔓延を防ぐ事に気を使っています。このことは入所者だけでなく職員にも同じく徹底してもらっています。
みなさんどうか無事にこの冬を乗り切ってほしいです。毎年願っている事ですがインフルエンザが蔓延して大変だった年もありました。あの時のことは繰り返したくありませんね。


1月18日(火) 晴れ      踊りうまくいくか心配です

今日は当直明けで午後から帰りました。年末から足の調子は良かったので医者にもご無沙汰していました。調子に乗りすぎたのかまた痛くなり久しぶりにお医者に行きました。またまた痛い注射です。良くなっていたのでこのまま治るのかと思っていたのでがっかりです。

夕方からは沖縄県人会の人を小矢部に訪ねていきました。ずっと前から職場のお楽しみ会で沖縄の踊りを披露する約束をしていたため、時期も迫ってきたので相談に行って来たのです。その人たちは沖縄の三味線や踊りを定期的に習っているので教えてもらう事にしました。


昨年沖縄から毎月先生がみえて指導をしているので一緒にしないかと誘われていたのですが時間が合わずに失礼をしていたのです。
昨年里帰りした時に母に教わってくれば良かったのにその時はすっかり忘れて思い出しもしなかったのです。もう遅いのですが、ビデオを借りてきました。
基本とされている「四竹」という踊りを練習する事にします。はたして覚えられるか心配ですが宣言したのでやるしかないです。
話が決まったあとは久しぶりに集まったのでケーキを食べたり、食事もご馳走になってきました。粘りの強い長いもをすり下ろして塩を加えてホットプレートで焼いたらおもちのようになるのです。海苔をつけて食べたらあべかわみたいに美味しいおやつになりました。今度池田に行ったら作りますね。楽しみに待っていて下さい。


1月16日(日) 曇り時々雨     ボーリングクラブの新年会

クラブの初投げと昨年一年間のマンスリー・チャンピオンを決定する日です。ゲームは午後からですので午前中はちょっとゆっくりしました。夫に聞かれたらそんな暇があったら片付けをしなさいと怒られそうです。今日が終わったらそちらに集中しますね。
この行事、会計をしている都合上商品の準備で大変でした。その代わり役得というか自分がもらって嬉しい賞品ばかりにしてしまいました。
今年になって初めての顔合わせですので、さすがにほとんど全員集合です。一人は県外に長期出張しており休部はしているものの、夕方からの新年会には顔を見せる予定ですのでまあ全員参加ですね。
このクラブには金沢のボーリング場に所属しているプロ夫婦も会員になっているので、プロも交えての大会です。この頃はアマチュアも強くなっているので必ずしもプロが勝つとは決まっていませんが、今日の男性プロは強かった。惚れ惚れするようなストライクの連続でした。文句の付け所のない優勝でした。
プロとして新人の指導もしているのでその指導を受けてアベレージが上がった人もいます。私のように指導を受けても伸びない人もいます。かなり投げ込まないとダメで練習不足ですね。少し伸びてきた大事な時に体の故障で落ち込んでしまいました。これからはアベを気にせず楽しみながら続けていきたいと思っています。
夕方の新年会は最後になるので皆さんに一通りの挨拶を済ませました。役も交代しホッとしました。4月の花見には送別会をしてくれるそうです。嬉しいような寂しいような気持ちです。


1月15日(土) 晴れ     一芸に秀でる事は難しい

かつての成人式の日です。昔はこの時期は大雪が多く、役所の人が式会場になる公会堂の前の除雪をしていたことを思い出しました。
この頃はあまり雪も降らず、11日までの大雪も12日には小降りになり、それからほとんど降っていません。やっぱり降らない方が通勤には楽ですので助かります。雨が降ったりして家の前に積もっていた雪も少しずつ解けてきています。
今日は朝から一日中仕事、来客が多く疲れてしまいました。
唐突ですが入所者の中に以前将棋で出生地の県代表で全国大会にも出たことがあるという人がいます。いろんな事情で今はこの施設に入っているので暫くはそのことを誰も知りませんでした。何かの拍子でそのことが知られてしまって相手をしてほしいと訪ねてくる人が多くなったのです。相手をしてもらった人に聞くとかなり強いようです。人間って権力とか権威とかに弱いのですね。いままでバカにしていて寄り付きもしなかったのですが、将棋の名人だと知ると裏を返したようにチヤホヤしています。そのような様子を見ていると前にもそんな方がいましたね。今はなくなられたのですがいつも大学生が指導を仰ぎに来ていました。
芸は身を助けるといいますが、一芸に秀でるというのは素晴らしいですね。逆にその事で身を滅ぼす人もあるのもまた事実です。人生いろいろ、このような先輩たちを見ていると第二の人生のスタートにあたり勉強になります。


1月13日(木)雪のち晴天    娘と孫の一日遅れの誕生祝

昨日は娘と孫の誕生日でした。仕事でいけなかったので今日の昼からお祝いに出かけました。
孫はもう4歳。おもちゃが欲しいようでプレゼントはおもちゃ券にしました。あとちょっとしたお花とケーキも買って出かけました。
まだ保育園から帰っていなかったので、その間髪の手入れをしてもらいました。店に娘の婿さんがいないのでどうしたのかと思ったら風邪で寝込んでいるとのこと。木曜日の午後はほとんどの病院が休診ですので救急病院でみてもらってきたということでした。熱も出てお腹も痛いと言うので、冗談で昨日の新聞で話題になっていた「のろウイルス」が感染したのではと言うと、風邪気味だったのに加えて昨夜は食べ過ぎてしまったのだと笑っていました。
孫は4時過ぎにおじいちゃんが迎えに行って帰ってきました。風邪もひかず元気そのものでした。「もう4歳になったよ」と得意のお話をしてくれました。いつもだと帰ったらお店の方で母親にまつわりつくのですが、今日は出てこないので不思議に思って覗いてみたらおもちゃに熱中していました。小さいブロックを積み重ねるようなおもちゃですが、このおもちゃには集中できるのだそうです。すっかりおねえちゃんという感じです。風邪を引かないようにと願い、雄ちゃんもお大事にと言って帰ってきました。


1月12日(水)雪      通勤に苦労しました

昨日から降り続いた雪が朝までに30センチ以上も積もっていました。早く起きて除雪してからの出勤です。
混雑を予想して30分以上も早くでたのですが、職場に着くまでにいつもの倍以上の時間がかかりました。混雑もありましたがトラブルに巻き込まれてしまったのでよけいに遅くなったのです。呉羽山は平地よりも多く積もっているのに除雪がされていないために前の車が2〜3台登れなくて右往左往していました。前に進めず、後ろにも戻れず、結局待つより方法がなく時間の半分をここで使ってしまいました。やっとの思いで通過しましたが橋を超えるまでがまた渋滞で大変でした。
この日は遅刻者が多くどこでも大変だったようです。職場は山沿いの田舎ですので町より雪も多く道が凍結していました。ここで事故を起こしている車もみられました。田舎のいいところは雪でも駐車ができることです。駐車場がひろく、さらに近くの建設会社の方が除雪をして下さるので有難いです。ブルが入りきれない所は入所者の元気な方が開けてくれるのでまた助かります。
本当は自分も雪が好きだから雪かきも好きなのです。一緒になってやりたいのですが今はそんな余裕はありません。こんな日は大変な当直も嬉しくなります。今日は当直でよかった。


1月11日(火)雪      池田からの帰り、雪道大変でした

夫が雪だよと起こしてくれました。朝方一度起きた時に降っている事は知っていたのであまり慌てない返事をしたので彼はふくれていたようでした。夫は久しぶりの雪で楽しかったのでしょうが、ついこれくらいの雪は富山では序の口ですと言ってしまいました。
あまり積もらないという池田でも今日は少し積もりました。夫が用事で行った電気屋さんのある池田の南端あたりから先はほとんど雪もなかったようです。近所の人の話ではそれとは反対方向の大町では大雪注意報が出ているとのことでした。富山に帰るのにちょっと心配でしたが、スキー場もあるので道は開いているだろうと楽観。しかしどんなことがあるかわからないので、とにかく早く出ることにしました。
ヘルパーさんも今日から来てくださいました。雪でお散歩に出られないので家の中で歩行訓練です。母をお願いして2時ごろに池田を出ました。
案の定、大町あたりは雪が降っていました。北に進むにつれてどんどん降ってきて、やっぱり白馬・小谷村あたりでは特に多かったです。一面真っ白で何処が道だかよくわからない状態でした。除雪車が頻繁に出ていました。
冬の長野はスキーでは来たことがありますが車で通るのは初めてです。少々不安でしたがそこは雪道に強いジープ、無事通過できました。しかし驚いたことには降る雪が車のワイパーに積もって凍り、ワイパーの役目を果たさないのです。前が見えずに困り、仕方がないので駐車できる所で止まっては雪を落としながら走っていました。こんな経験は初めてです。長野はやっぱり寒い。気温が低いのを今更ながら痛感しました。
富山県に入っても雪でした。ここでは積もってはいませんが前が見えないくらい吹雪いていたためどの車も徐行運転をしていて家に着くまでに相当時間がかかりました。それでも何事もなく家に着きようやくほっとしました。考えてみると結局冬は列車の方がいいですね。お正月中賑やかだったのが急に寂しくなりました。


1月10日(月)成人の日 晴れのち曇り      連休は池田です

朝からお日様が高くすばらしいお天気です。母の荷物が多いため池田まで母を送ってきて池田でゆっくりしています。
いつも早い夫は富山での大掃除の疲れがでたのか昨日今日と朝寝をしています。私もそれに便乗していつまでも寝てしまいました。
母はいよいよ今日から池田の生活にもどり、宅老所に行く日です。
母を送り出した後、午後からいつものコースで年始回りに出かけました。
まず宅地造成でお世話になった社長宅へ。社長宅では社長から耳寄りな情報が入りました。私たちの購入した土地のすぐ前の道路が「長野一景観が素晴らしい散歩道」に選ばれたというのです。新年早々からかわれているかと思ったが本当のようです。やっぱり誰が見ても素晴らしいと思うのですね。自分たちももっと奇麗にするように心掛けなければならないなと責任の重さを感じました。
そのあと造成地に寄ってみましたが、すでにローラーもかけられて奇麗にならされていつでも家が建てられるようになっていました。
朝の天気も午後からは曇って今にも降り出しそうでしたがなんとか持ちました。久しぶりに「ちひろ美術館」に出かけましたが2月まで休館中で振られました。
帰宅すると母に年始のお花が届いたり電話がかかったりと慌ただしかったです。
年始と言えば昨日は一日中母の書類や年賀状の整理をしていました。土曜日の夜池田に着いたので玄関先は新聞や書類の山でした。
夫が母の代理で年賀状を出しているので来る賀状も多いです。一つひとつ母に名前を読み上げて説明しながら整理をするのですが半分も記憶に残っていないようでした。その賀状の一言には「親孝行の息子さんと一緒で幸せですね」とか「孝行息子で羨ましい」とか「孝行息子」が目立ちました。私から見てもそう思うので人様はもっと思うでしょうね。孝行しようと思った時には親はなしと言うこともあるので日常が肝心ですね。夫の爪の垢でも飲ましてもらわなくてはとつくづく感じた一日でした。


1月6日(木) 曇り時々雨     帰り支度にかかりました

夫や母が池田へ帰る日が近づいてきました。今日はその準備をするためにお休みを取りました。帰る日も近づいたというのに夫はぎっくり腰になるし心配です。
今朝は久々に母の独演会で目が覚めました。昨日娘の嫁ぎ先の店でパーマをかけてきて綺麗になったのですがそれで興奮したのでしょうか。明け方でしたが起きるにはまだ早いので少し相手になっているとそのうちまた寝てくれました。
やれやれ良かったと思ったのですが、今日は最後のデイサービスに行く日です。寝すぎても困るので起こして準備に取り掛かりましたが、目覚めが悪いのか朝食がなかなかすすみません。ほとんど途中にして迎えのバスが来たので送り出しました。
休みですのでちょっとゆっくり朝食。その後夫は休んでいるので代わりにお土産を買いに駅まで出かけました。最近はお菓子もいろんなものが出ているのでつい目移りがします。しかし富山の一番の土産はなんと言っても海の幸ではないでしょうか。昆布かまぼこや鱒の寿司は県外の方には人気があります。いろいろ取り混ぜて買いました。約20日間の滞在ですので池田の皆さんも首を長くして待っている事でしょう。明日から冬型になる様子、雪が降らなければいいのですが。
休みの一日はすぐ終わります。買物や用事をしているともう午後です。そうこうしているうちに母の帰ってくる時間になってしまいました。
夕方には弟の嫁さんがお別れに来てくれました。一緒にイチゴを食べたりしながらお話をしましたがやっぱり誰だかよくわかっていません。今呉羽にいてもうすぐ池田に帰る事を話してもよくわかっていませんがまたこの家とお別れの時にも来られるといいですね。


1月4日(火) 雨      執務はじめ

今日から執務始め、久しぶりに全員が顔を合わせました。あちらこちらで「おめでとう」の声が飛び交っています。家でのんびりとしている時は感じませんでしたが、職場でみんなに会い挨拶を交わす中で退職までの本格的な秒読み段階に入ったことを痛感しました。あと3ヶ月悔いのないようにしっかり勤めようという気持ちになりました。
施設長の念頭の挨拶の中に平成18年度から福祉施設の民間委託化が勧められすという話がありました。この施設も多分該当するだろうということです。まだ先の話ですが、心しておくようにとの話でした。
17年度からは市町村合併で職員にとっては大変な時代になります。おそらく待遇も悪くなるでしょう。そういう意味ではいい時に勤めさせてもらったのかなという気がします。民間委託になれば一番にしわ寄せが来るのが入所者です。
今日のお昼はお雑煮と数の子にメロンまで付いた豪華版でした。お正月だからということで全員にお神酒が振舞われ、乾杯をしました。
民間の儲け主義になるとこのような食事が全部カットされ、お粗末になることがはっきりしています。食べる事が一番のお年寄りの楽しみを奪うのです。新年早々厳しい話を聞かされ暗い気持ちになりましたが、今は「皆さん頑張って」というエールを送ることだけです。


1月3日(月) 晴れ    土産をどっさり息子帰る

早いもので正月も終わりです。外は気持ちのいい天気になりました。帰省していた息子が帰って行くので晴れてくれてよかった。私も今年は年末から休日勤務がなくてゆっくりと正月をすごすことができました。
長い休みも終わりいよいよ夕方から当直に出かけます。息子も久しぶりにゆっくりできたようで親子の会話もできました。離れていると普段あまり会話がないので話を聞いていると悩み多い年頃のようです。
今頃経済感覚が目覚めたのか朝から持って行く荷物の積み込みをしています。今までは見向きもしなかった食料品が多いのでびっくりです。車で来ているのでどこで見送っても同じですが、天気がいいので母も連れ出すことにしました。富山のお土産を買っていくので駅の買物まで付き合うことにして、途中立ち寄った呉羽山から見える雪の立山連峰はとても綺麗でした。これもいいお土産の一つになりました。


息子が帰ったあとは母のお友達が入院している病院を訪ねましたが、正月の外泊中で留守でした。富山滞在中にできるだけ沢山の友達に会ってもらうようにしているのですが残念でした。気を取り直して帰っておやつにしました。小豆を買って帰り夫が作ってくれたぜんざいを食べて出勤しました。


1月1日(土) 晴れときどき雪     のんびり過ごした元日

2005年の元旦は息子も帰省し、この家で母を含め家族でお正月を迎えることができました。
雪の正月になりましたが寒さなんか気になりません。家のリフォームや大掃除も大晦日までになんとか間に合いゆっくりとお正月を迎えることができました。
正月早々朝寝坊をしました。おせち料理は長いこと作っていなかったので何を作るか迷っていたところ代わりに夫がさっさと手際よく作ってお重に詰めてくれました。感謝、感激です。朝も一足早く起きてお雑煮の準備もしてくれて本当に幸せな正月になりました。

今日は大雪の予報でしたので心配していましたが、午後から晴れて気持ちがよい天気になったので母を連れて散歩がてら白鳥を見に行ってきました。


寒い中大勢の人が来ていました。富山の田尻池は長野に比べ数が少ないので白鳥も人慣れしてしまい、丘の上まであがってきて餌をもらっていました。見学客がやる餌の他にちょうど餌の時間になり係の人がモミの餌を持ってきてまいていました。その餌もすごい勢いで食べに行くのですごい食欲だと感心しました。
帰りは古洞の森をドライブして帰ってきました。雪はさすがに呉羽より多く積もっていてどこにも人の気配がありませんでした。
ちょうど家に帰った頃にタイミングよく亡弟の家族が年始に来てくれました。母は自分が長いこと面倒を見た孫なのにそれが誰なのか良くわかっていないようでした。
久しぶりにみんなでぜんざいを食べたりいっしょに写真を撮ったりして楽しく過ごしました。息子も帰省してから年賀状を書いているのにびっくりしていましたが、甥は今から書くというのでますますびっくり。働いていると仕方ないのかな。以前は自分もそのタイプだったので人のことは言えません。
夜はパズルクイズをしたり、家族で話をしたりして過ごし、ゆったりした一日を過ごすことができました。







"Smile" by Blue Pino Man

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