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  1月29日(金) 晴れ     来年からは嫌な「前期高齢者」

夫の誕生日、また二人の年が近づいたね。半年経つとまた離れてしまいます。(年の差のことです・・・・)
午前中はパン教室でシフォンケーキを作ることになっているのでタイミングが良かった。これで誕生日を祝いましょう。と言っても夜は大北労連の旗開きがあるので祝いも出来ません。急遽お昼を食べに行くことにしました。
職場の同僚に勧められていた、松川にあるスペイン料理店に行きました。ランチを食べたので特別にスペイン料理という感はありませんでした。この年になったら嬉しくもないという誕生日、簡単に済ませました。
今年は子どもたちからプレゼントは来なかったけど、お祝いのメッセージがあり喜んでいました。孫からは漫画と共に描いたケーキがファックスで届きました。
多くの場合は兄弟姉妹からお祝いメッセージが来ることはありませんが、妹夫婦からもありました。たった二人だけになったでしょうね。みんなが気にしてくれているだけが何よりのプレゼントですね。

夜は年金者組合関係が加盟している労働組合の旗開きに参加しました。久々の組合の旗開きです。相変わらず参加人数の少なさに驚きです。各単組の決意表明の後に講演がありました。講師は長野高教組の書記長。「政権交代で教育はどうなるのか」という話でした。ただし、当日にはタイトルを「教育をどうするか」に訂正していました。
NHKで放送された長野県の図書館司書の活動についても紹介されました。この頃は旗開きも様変わりして宴会はなくお土産に「お酒」が配られました。
穂高に「特養白百合荘」というのがあるそうですが、労働条件がひどく組合を結成したのですが、組合員全員使用者側の圧力で退職をさせられたそうです。まだ支援する会が活動をしている報告もありました。福祉現場の厳しい状況は何処の県も同じですね。



  1月24日(日) 晴れ           映画「のだめ」鑑賞

このところお天気続き、景色が綺麗で気持ちがいいです。しかし風は冷たく寒い日が続いています。
今日は町内の会合並びに新年会の日です。念のためと思って休みにしてあったのですが、夫が出たのでフリーになりました。その時間は友の会の名簿つくりに費やしました。朝から半日以上も掛かって町内毎に打ち込みました。
3時頃に夫が帰宅しました。カラオケ好きな人がまだやっていたけど帰ってきたとのことでした。宴会、カラオケ好きがいっぱいいるので毎年新年会などの飲み会は盛り上がるのですが、そこまではまだ入れませんね。夫も今年は役が当たっているので今までよりは忙しくなるでしょう。
夫も今日から日曜日の仕事が休みになりました。今までは個人指導を受けている生徒がいたので早い時間から出勤していたのですが、いよいよ受検本番です。
夫が突然「映画見行こうか」と言い出したのでびっくりしたが賛成、急いで準備をして出かけました。天気がいいのに家の中に閉じこもっていたので外は気持ちが良いですね。しかし長くいると寒くて寒くて。
急いで出かけたので映画館を間違えて最初予定の時間帯には間に合いません。仕方がなく次の時間帯を見ることにして移動。今のところ「のだめ・カンタービレ」は松本市内の映画館でしか上映されてなく駐車場に困ったけど、なんとか無料駐車場を探してうまくいきました。
上映開始まで時間があったので松本城周辺を散策しました。昨日から二日間「氷彫まつり」が開催されていたらしく片付けをしていました。残骸が残っていて透き通るように綺麗でした。屋台も沢山出ていたようで賑やかだったのでしょうね。
のだめはテレビでもやっていた漫画が原作です。ですから笑いありの方が多いのでは?。このマンガや映画の影響でクラシックファンが増えたそうですよ。
映画は最終章ですが、今回は前編でした。後編は4月予定。クラシックは夫と違って私には難しいのですが、のだめの中の音楽は軽快で楽しいね。特に「ボレロ」だけはなんだか知りませんが心にしみます。後編が楽しみです。



  1月23日(土) 晴れ       反戦を貫いた川柳歌人「鶴 彬」

風が冷たく寒いが今日も景色がとっても綺麗です。昨夜も大町診療所利用委員会の会議のために、仕事が終わって大町へすっ飛んで行きました。
またまた今朝から同じく大町診療所へ。この頃大町行きが多くなっています。続くときはあるもので雪が降っていないのが幸いでした。降ってはいませんが診療所は除雪した雪が山になっていました。
デーサービスのボランティア交流があり、昼頃まで予定されていました。20数人に案内を出して参加者は8人、少ないね。職員さんは全員参加され、本部からも担当者が参加して下さいました。
責任者の挨拶のあとデイサービスの様子をスライドで見せてもらいました。その後お茶と漬け物を食べながらボランティアに参加しての感想や意見など出し合う交流がありました。
お昼には贅沢なお寿司をご馳走になりました。日頃のお礼を兼ねての奮発だそうです。今後ボランティアをどう増やすか具体的な話はなかったのですが、デイサービス便りなどを定期的に発行することになりました。
午後から予定が入っていたのでYさんと二人で中座をしました。詳しくは後ほど報告を受けることにします。

午後からは松本で映写会。「鶴 彬」川柳歌人、本名は喜多 一二。戦争に向かう時代に「川柳」に反戦の魂を読み込んだ一人の若者がいた・・・川柳歌人「鶴彬」に光を当てたドキュメンタリー映画です。以前赤旗などで紹介されていたので川柳歌人と言うことは知っていましたが、こんなに凄い情熱の人だとは思ってもいませんでした。
「鶴彬」をパンフレットから抜粋して少し紹介しますと、1909年石川県(現在の河北市)に生まれ、15才から川柳を始め29才で獄中死するまでに1000を超える評論、自由詩を残したという。川柳を武器に反戦、反権力を貫いた人ですが、鶴彬を知る人はあまりにも少ないという。
鶴彬生誕100年、鶴の作品と生き様を通して、あの暗い時代へ歴史が押し戻されそうな現代に鮮烈なメッセージを届けたいという石川県民の熱い思いと、名匠・神山征二郎監督により「鶴彬―こころの奇跡」は誕生したという。
小林多喜二も同じ時代に生きて、鶴彬より先に拷問を受けて死んだという場面もありました。
幾つか紹介された川柳の中で、中で心に残った句を紹介します。

  胎内の動き知るころ骨がつき
  枯れ芝よ団結をして春を待つ
  手と足もいで丸太にしてかえし


こんな青年がいたことをもっと多くの人に知ってほしい。鶴彬を演じた人は池上リョヲマ、新人らしく聞いたことがない俳優さんですが、すがすがしく演じていました。高橋長英、樫山文枝などのベテラン陣が脇を固めて、日色ともえがナレーションを担当する素晴らしい作品でした。
こんな映画はもっと広めてほしいと思う反面、私の場合は拷問シーンの場面はとても見らず、目をそらしてしまいます。鶴彬は獄中で赤痢感染での死亡だそうですが、ベッドに寝ていても手を縛られ監視がついてもう腹が立つだけでした。

映画終了後に小説「鶴彬 暁を抱いて」を書いた児童文学作家、吉橋通夫氏の講演もあり、「映画で描けなかった鶴彬」、とくに恋について短時間ですが話されました。本は完売したそうです。吉橋氏は岡山県生まれですが、現在は大町に住んでいるそうです。

上の写真は公式サイト「フォトギャラリー」より



  1月21日(木) 雨         気の早い節分準備

アットいう間に一月も後半に入りました。やりたいことが沢山あるのに何もしないうちに日は過ぎてしまいます。
毎週木曜日はプールの日、寒いので温水プールは暖かく感じます。長いこと休んでいた人も久々に出てきて、賑やかでした。終了後の楽しみはお風呂とその後のお茶の時間です。職員が家から持ってきた漬け物をご馳走になりながらしばし歓談です。いつももらってばかりではなくたまには持ってこないといけないねと言いながら当日になると忘れてばかりです。

午後からは夫の関係の会議があるので早めに昼食をとりお茶の準備をしました。会議というより勉強会、みんな熱心で凄い!
あとは夫に任せて出勤。職場ではまだ早いと思うのですが、節分の準備段階として太巻きを少しずつ出しています。案の定あんまり売れませんね。節分太巻きはやっぱり節分の日に食べるのがいいでしょうね。「かぶりつくと御利益がある」と言うくらいですから。注文とりも必至です。従業員だけではなくもっともっと外部に宣伝しなくてはいけないのに、あまり積極的ではないので不思議です。

夜はボーリングの月例会、こんな日は仕事から一旦帰宅して夕食を食べてから出かけます。木曜日は夫が休みなので夕食の準備をしてくれているので助かります。
新年早々に女子優勝だったので連続優勝をねらっていたが、前半3ゲームで失敗して残念でした。本当に良かったり悪かったりですね。例会の後30日に行われる「パーフェクト記念大会とあとの新年会の連絡などで少々帰りが遅くなりました。
11時から遅くなる時は11時半、富山では考えられない時間でした。富山は4ゲーム、こちらは6ゲームですから時間も長くなるわけです。



  1月20日(水) 晴れ             友の会会員名簿作成

天気が良い日は山が綺麗に見え、気持ちが良いです。雪がよく降るので普段見られない有明山まで雪景色です。娘たちは正月に来てないので、こんな天気の時に来ればいいのにね。

仕事から帰って夜は池田健康友の会の会議です。診療所の運営状況の報告などがあったあと、2月に行われる「大北友の会の新年会」の準備です。参加人数の確認のあとの「出し物」の協議では昨年始めてやった余興が評判だったので今年もやる羽目になりました。Aさんという得意な人がいるので練習日を決めてご指導を仰ぐ事になりました。
池田友の会の会員状況について、一部の人だけ知っていて全体が把握していないので名簿を作成することになりました。この役を受けてきて整理し出したのですが、本部からもらった名簿が番地や郵便番号などバラバラになっていて大変。現在本部から来る「ふれあい」などの配布物は手渡しですので、住所や郵便番号が間違っても発見されないのです。しかし名簿を作成する以上きちんとしたものでなくてはいけないと思っています。
地図や郵便番号簿などを参考に町内を見ていると少しは池田の地理が分かって来ました。こんな仕事も無駄ではないですね。この名簿は会員数の増減状況や会員拡大に役立てるための資料にもなるのです。エクセルで作成するので夫にお世話になります。暫く掛かりそうです。



  1月16日(土) 雪(東京は晴れ)      名護市長選支援集会参加

松川の道の駅に車を置いて、高速バスで東京へ出かけました。白馬から来るバスは雪のためか30分近くも遅れて来ました。しかし途中は雪がないので新宿到着は予定通りでした。
東京は晴れ、そんなに寒くはありません。寒い地方から着込んで来て、やっぱりイナカッペだ。
今日の目的は「基地のない平和な沖縄をつくる会」主催の「沖縄名護市長選支援決起集会」です。会場は台東区にあるので、最寄りの駅「秋葉原」からの地図を頼りに行きました。地図は地図ソフトを使って夫に出してもらい、駅員に出口だけ聞いて後はスムーズに着きました。
秋葉原は電気通街や大通りだけが賑やかで、路地にはいると静かな街でした。3時までは理事会が行われていたようで、それから新年会を兼ねた集会です。
30人位の小集会でしたが、初顔の私は「長野からのお客」とすぐに当てられてしまいました。それくらい皆さんは顔なじみだったのです。
私が来ることは中学同期のZさんから伝わっていたので歓迎されました。昨夜作った「サーターアンダギー」と漬け物を土産に持っていったのでそれも喜ばれました。
自己紹介では様々な別の活動の様子が紹介され、東京はいろんな活動が盛んだと羨ましくなりました。特に韓国との交流をしているグループがあり、毎年韓国にいっているという話には興味がありました。
今回の主役「名護市長選勝利」の話はカンパも10万以上集まったと報告があり、同期のZさんが代表して現地応援に行くそうです。彼は1週間現地にとどまり応援する予定、「きっと勝利をこの目で見てきます」と決意を述べていました。余興はやっぱり沖縄の踊り、Zさんは指笛も上手、最後はやっぱり「カチャーシー」でした。


Zさんに「基地のない平和な沖縄をめざす会」への入会を勧められ、一緒に運動に参加してみようと入会しました。Zさんからは今日のこの集会にも誘われていて「どんな人たちの集まりか、どんな様子か」など興味があったので参加したのです。
たまたまですが今日、明日の連休が予定変更で空きになっていたのです。一泊も可能でしたが初めてですし、あえて日帰りにしました。バスの最終時刻まで二次会、三次会と皆さんと話も出来ました。
三次会は沖縄料理に連れて行ってもらってオリオンビール(沖縄のビール)と沖縄料理をご馳走になりました。
ここではZさんが珍しく自分の歩んできた思いを語ってくれました。普段無口な彼は、酔うと口がまわるそうでそのせいなのでしょう。小学校から正義感が強かったようですね。「由美子ちゃん事件」といって、少女が米兵に強姦され殺される事件があった時も「チクショウ」と拳を握ったそうです。父親からは自分の生き方に猛反対されたが、母親だけは大変だけど自分が思った道を歩みなさいと言われたそうです。やるぞ!と拳をあげて本土(大学進学)へ出てきたそうです。
彼の話を聞いて、一体自分はどんなことを考えていたのか、恥ずかしく思い知らされました。彼と同じ地域で一定期間一緒に勉強してきたのに、中学校の社会の授業の内容なんて思い出しもしません。出発点は違っても今、同じ目的に向かって活動している、本当に不思議です。
独身の頃、沖縄返還運動で熱海での全国大会時、偶然会ったときはお互い本当に驚きでした。彼が皆さんにそのことを紹介してくれたので、久々に思い出しました。知識の量は違うと思いますが、一緒に同じ思いに向かって頑張ろうと約束をしてきました。
この地に来て自分が積極的に取り組んでいることと言えば医療問題だけで後は何もありません。せめて「沖縄問題」について真剣に考えて見たいと思いました。

東京からの帰りは10時半の夜行バス。夫からのメールで池田は凄い冷え込みと聞いてはいたのですが、松川に朝の4時過ぎに着いてびっくりしました。フロントガラスは真っ白、分厚い氷に被われ、持っていた水筒の水を(お湯が冷めていた)かけてもびくともしません。ジュースボックスから熱いお茶を出して来て、それで辛うじて運転できる程度に溶けたので不自由ながらも帰宅できました。一番冷え込みが強い日だったようです。久々のバス、肩が凝りました。家で長い足を伸ばして眠れる幸せを感じました。



  1月14日(木) 雪       外の雪景色は綺麗だった

今年は本当によく降ります。また朝から雪になりました。
プールで一日が始まり、帰りは松本の整形外科を受診し膝の関節注射をしてきました。
雪道が心配されましたが、豊科から松本方面は降っていなかったので思ったより早めに到着しました。病院の帰りにドトールコーヒー豆や電球などの買い物をして帰宅。
夕方からは「友の会」大北連絡会の役員新年会で、大町市八坂の明日香荘に出かけました。向こうは日頃から雪が多い所ですので心配で早めに出かけました。案の定、道は凍結していて、坂道やカーブが多いのでこわごわ運転してやっとの思いで到着しました。
大部分の人は後から来たのですが「怖かった」と話していました。参加者の半分は日帰りですので、宴会が済んだら帰ります。帰りは国道19号に出て帰ると言っていました。
明日香荘には始めて宿泊したのですが、「灰転がしのおやき」が料理についていて、また注文も承るなど店の特徴を出していました。結構注文する人がいました。
私たち池田組は宿泊し、ゆっくりお湯に浸かりました。風呂から見た外の雪景色はさすがに綺麗でした。
次の日もまた雪でした。昨日よりは凍結していなかったので思ったより心配もなく帰れました。雪道には慣れているとはいえやっぱり怖いですね。以前この村の人に話を聞いたことがありますが、朝出勤時は雪をかき分けて来ると笑っていました。雪深い村、雪国なりの生活の知恵があるのでしょう。これからは冬の時期、雪深い所での宿泊は遠慮したいです。



  1月8日(金) 晴れ       囲炉裏のある風景

年金者組合の一月の行事が行われました。たまたま休みだったので急遽参加することにしました。池田町のUさん宅の囲炉裏は時々テレビでも報道されていて聞いてはいましたが、実際に見たことがなかったので良い機会かな・・・と。
行ってみるとかなり古い民家、土間から上がった部屋に囲炉裏が切ってあり、皆さんはもう囲炉裏を囲んでいました。築100年以上も経っているとのでした。天井が高く、一番高いところに煙が出る窓がありました。煙に燻されて黒々としています。凄いね。
「新年カルタとりの会」とありましたが実際にはカルタとりをするのではなく、カルタを読みわかりにくい方言の解説をする程度でした(よかった)。安曇野の方言カルタが出来上がった際に購入していたのですが、その時は転居して間もない頃だったので分からない方言が多くありましたが、今は少し理解できるようになりました。Uさんから方言カルタが出来た経緯などを聞きました。思ったより以上に売れ、何回か増刷をしたとのことでした。
お話の後はお楽しみ会。囲炉裏で買ってきたおやきを暖めていただいたり、酒の肴を焼いて持ち寄った酒を飲みながら歓談。方言の話や土地のはなし等を聞いていると、富山とは違う歴史があることを知りました。


夜は夫も会議、私もボーリングの月例会があるので早めの夕食にしました。
新年、クラブの初投げです。まだ風邪が流行っているらしく欠席が目立ったが、参加者は元気一杯。昨年から左足膝の治療を開始してから少しは踏ん張れるようになりました。そのお陰で着地がしっかり出来るようになり、投げやすくなりました。新年早々、さい先が良いスタートになりました。
膝の治療後、長い正座のあとの痛みが残っているのは変わってはいませんが、力が入るようになったということは少し良くなったのでしょうか。完治するかどうかは分かりませんがもう少し治療を続けてみます。



  1月7日(木) 晴れ         民医連医療とは?

ゴミの日、年末に捨てそびれたゴミを倉庫から出し、一輪車に積んで捨てに行く。やっとすっきりしました。
雪がちらついていたのでまた降るのかと思ったら、なんと凄いお天気になりました。プールも今日から始まりお日様の影響もあって暑いくらいの温水プールでした。「正月のお日様は気持ちが良いね」と口々のプール仲間。新年の初泳ぎならぬ初歩きにいつもより大勢参加していました。
今日は七草の日でもあります。新聞で「七種の節句」とありましたがこの言葉は始めて知りました。邪気を払って無病息災を願い、七草がゆを食べる習わしのようです。みなさんも朝食べてきたそうです。スーパーでも七草を売っていましたが、うちは食べたことはありません。今は乾燥した七草も売っているようです。
春の七草は名前は知っているのですが、実際には見たことがないのもあったので、夫にインターネットで写真を出してもらって見ました。「あ〜これは知っている」というのもあり、普段何気なく見ていて気が付かないんですね。
七草のうち、「すずな」(カブ)、「すずしろ」(大根)以外は野草。「野草の不思議」にありましたが、この七草は冬に強く雪の降る寒い日に若葉を成長させる植物で夏には弱いそうです。そしてこの植物たちは「暑さの訪れをしっている」そうです。なぜかというと植物が夜の長さをはかるからだそうです。空気が読めるのですね。凄い!

名古屋時代の同僚から電話があり話をしていると、いま愛知民医連のM医療生協が大変な事態になっていると状況を話してくれました。
愛知民医連が出来た経過が詳しく書かれた本に「いま、青春のとき」という本があります。
昭和30年代後半、困難な状況の中でも若者たちの頑張りで生まれた民医連、この本を読んで一時でもこんな素晴らしい医療の現場で働けたことを誇りに思っていまいした。ところが年月というのは残酷なもので、トップに立つ人の考え方が代わり一般の病院と変わりない医療をしようとしているそうです。民医連が一貫して貫いてきた「差額ベッド代をとらない」というのが崩れて来ているというのです。
電話での話ですので真意ははっきりしませんが、多分事実でしょう、がっかりです。
その友人は組合と共に反対運動をしてきたが効果がなく、3月には開設予定で工事が進んでいるとのことです。落成式には参加しないと怒りをあらわにしていました。病院が完成したとき一度様子を見に行きたいと思っています。

話はかわりますが、昨日「アップルパイ」を作ってみました。リンゴが沢山あり、正月に嫁さんに頼んで作ってもらったのがきっかけでした。前に市販のアップルパイを食べて美味しくないという印象が強く、それ以来興味がなかったのです。
リンゴが腐ってもパイを作る気にはなりませんでしたが、今回の手作りを食べて考えが変わりました。やっぱり手作りは美味しいの一言です。掃除をしていて昔の料理本が出てきたので見ていましたらいろんなお菓子が載っていたのです。昔も今も作り方が変わっていないものもあるのですね。
いよいよこの両日中に璃乃からの希望の「(ネコの)肉球パン」を作らなくては。パンやお菓子つくりに興味が出てきたところですが、失敗も多々あるのでまずは挑戦してみます。





  1月4日(月) 晴れ       一日中のんびりと

早起きは三文の徳と言われます。その通りです。朝夫が仕事に出かけるときに外に出てみたら、今まで見たことがない北アルプスが見られました。山から里まで一面真っ白、なんて素晴らしい景色でしょう。感動でした。


今年の池田はよく降り、冷たく寒い日が続いています。いつもなら週一回の新聞配達(「しんぶん赤旗」)から帰ったらまた仮眠するのですが、今日はたまっている新聞を読んだりクイズをしたりしなければなりません。年末から三が日連続の勤務からやっと解放され、昨日今日と連休になりました。やっとゆっくり息がつけた感じです。
夫は仮眠も出来ずに朝食後仕事に出かけました。夫が出かけた後、年末から未読の新聞を読みました。たまっているとよく読むという訳にはいかず、重要な部分だけになってしまいます。
正月の新聞は念頭の挨拶や宣伝で一杯です。チラシも沢山、見るのに事欠きません。
まずいつものようにチラシの裏が白いものを選び出し、メモ用紙を作ります。これが私の唯一小さなエコ活動です。メモ用紙はテレビの横に置いて料理番組やその他の必要事項を記録するのに重宝しています。でも最近は両面印刷が多く白いものは少なくなりました。
新聞のコラム欄「潮流」は好きでよく読むのですが、元旦の潮流は私も一度聞いたことがあることだったので印象に残りました。沖縄糸満市での地元の人の会話です。

平和記念公園に行ったら日が落ちる前に出なさいね。まだ成仏出来ない死者がいるらしいから

これは住民が地上戦に巻き込まれた、この世の様と思えない沖縄戦の体験と記憶が生んだ話なのか。この平和記念公園には韓国人慰霊の塔も建っていいます。韓国人犠牲者も一万人を超えると言います。碑文を読んで不思議な話がよみがえったといます。

祖国に帰り得ざるこれらのえん魂は、波高きこの地の虚空にさまよいながら雨になって降り、風となって吹くであろう。

沖縄へ行ったら一度は摩文仁が丘や平和記念公園に是非足を運んでほしいと思います。

ことし日本の韓国併合から100年です。この正月、職場の韓流ファンの同僚が「面白いよ。泣けるから。ティッシュを横に置いて見なさいよ」といって韓国ドラマのDVDを勧められました。いわゆる純愛物語で、正月の夜に見ていると本当に泣ける。夫は関心がないらしく、私の横に「ホイ」とティッシュの箱を置いて書斎にスタスタ。
「冬のソナタ」も一世を風びしました。なぜ今韓国ドラマが流行るのでしょう。確かにいい男いい女が出るからか、今の日本にはなくなった純愛物語だからか。私の友人にも韓国まで行ってしまう程『韓流』の人がいます。
ところで、何年か前に韓国を訪れた際、観光バスに乗って市内を回りました。韓国には日本兵が攻撃した場所がそのまま残っていて観光地になっています。その話をガイドさんが説明するのですが、胸が痛みました。お詫びではないが、バスの中の写真を全部買ってしまいました。

昨日は息子たちと一緒に買い物をしました。年末に帰ってきてから私はずっと仕事で、ゆっくり話も出来ませんでした。道の駅でラーメンを食べ、午後には送り出しました。帰省ラッシュに会わないか心配しましたが、スムーズに着いたとのことでした。
息子たちが帰った後、やっと年賀状に取りかかりました。今頃年賀状?と驚かれるかも知れませんが、そうです、やっと気持ちの中でもゆとりが出来ました。賀状の裏面(挨拶文と写真)は夫が作成してあったので、後は宛名の印刷だけ。喪中を慎重にチェックしながら印刷を済ませ、コメントを書き添ましたました。ようやく正午頃に完成。肩の荷が下りました。



  1月1日(金) 雪        名護市長選勝利にむけて

新年が明けました。池田には珍しい雪の正月です。
年末から帰省している息子たちがいるので賑やかな正月です。娘は美容師ですので正月から着付けの予約が殺到、忙しくて来られません。
夫が作った雑煮とおせち料理で朝食、年始の挨拶をしました。孫の優菜はよく泣き落としをするので、今年は泣くのを止めようねと約束しましたが・・・。
栃木はそれ程雪は降らないそうですので、年末から降っている雪を優菜は楽しんでいたようです。
元旦はてんでに好きなことをして過ごしていました。私は朝食後ゆっくりも出来ず、また仕事です。帰ってきても年賀状を書く気にもなれず、ビデオを見ていました。
今年の干支は「寅年」、娘も3回目の年女です。夫の妹とその息子も年女・年男です。大いに飛躍してほしいですね。

さて2010年はどんな年になるのでしょうか。年末から公設派遣村が開設され、600人を超す人が来たとか。相談の内容も仕事がなく家族もばらばら、住む家がないというような深刻なものばかり。雇用破壊の深刻な実態が浮き彫りになっています。
2009年nに政権交代は実現されたものの基地問題一つをとってみても腰が定まらない不透明感が漂っています。
今年は早々に沖縄県名護市の市長選挙、続いて県知事選もあります。夏には参議院選挙もあります。いよいよ決戦の年です。
東京在住の中学同期の友人から「基地のない平和な沖縄をめざす会」の活動の報告がありました。当面の活動のメインは今月24日投票の沖縄名護市長選勝利です。16日には決起集会やカンパ活動が予定されているそうです。
大浦湾、辺野古沿岸域の状況も載っていました。それによると、近くで新たに39の新種の生物が発見されたそうです。これは「世界自然保護基金ジャパン」の調査で、種類はエビ、カニ類が36種、シャコ類が3種となっています。今後も調査を続けるとさらに新種が見つかる可能性があるといいます。
大浦湾と言えばアメリカが普天間基地の移転地有力候補になっているところで、珊瑚礁が広がりジュゴンが住んでいるという自然豊かな地域です。私たちも行ってみましたが本当に綺麗な海です。こんな自然豊かな海、生命体の宝庫を基地代替建設で埋めさせる訳にはいきません。何が何でも名護市長選を勝たねばなりません。私も出来るところから応援したいと思っています。名護に住んでいる高校の同期生がいるので、まずその人に応援依頼をしました。

上の写真は2007年の11月に辺野古の座り込み小屋に行ったときのもの。下は米軍キャンプ・ハンセン入り口。











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