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  4月29日(火) 曇りのち雨         平和憲法を守る大集会

祭日(昭和の日)です。大型連休に入っているが今年は飛び飛びで勤め人にはあまりいい連休ではないようですね。
娘も息子も5月の連休には来るそうです。昨日も雨の予報でしたが降らず、集会が終わり長野を発つ頃から降りだし、池田に着いた頃には本降りになっていました。
昨年もそうでしたが、この昭和の日には長野市で集会が開かれました。昨年は澤地久恵さん、今年は宇都宮健児さん。今年は憲法施行67年、今憲法が最大の危機に直面しているとして「平和憲法を守り生かす県民大集会」として東京都知事選を闘った宇都宮健児さんを迎えての大集会です。
県内各地から大型バスで参加していました。大北からは60人参加。全体で2400人と言うことでしたが、県内からだったらもうすこし多くてもよかったのに・・・と。
集会はまず栄村の小学校女子の太鼓で始まりました。主催者側の挨拶は桜井甘精堂の会長の桜井氏(びっくり、大企業のはずなのに?)が「子どもたちのために今頑張って憲法を守らないといけない」と挨拶。
宇都宮さんは元日弁連の会長で、平和憲法を次の世代にバトンタッチ出来るかが問われている。改悪の企てを止めるために「憲法改悪反対」の一点で運動を広げることと戦争の歴史を語り継ぐことが大事だと提案をしました。(一番歴史を知らないのは安倍首相だと)。
また憲法の集会を開こうとするといろいろな意見があるからと会場利用を断る自治体が増えていると指摘。憲法を守る公務員が護憲の動きを封じ込めようとしていると疑問視しました。
安倍政権は戦争への道をまっしぐら。子どもたちが戦争に巻き込まれないようにするためには、憲法を守る市民の結束が大事。ひとりのひとりは微力だが無力ではない。微力が結集すれば大きい力になると具体的な運動論まで話が及んだ。
都知事選での街頭演説でテレビに映っていた宇都宮さんはちょっと柔な感じがしたけど、今日のマイクの前ではまあ口調もしっかりしていて、やっぱり弁護士だなという印象を受けました。憲法は守るだけではダメで実際に活用しなくてはいけないとも。集会責任者から「地域で頑張りましょう」との挨拶。細かい資料まで配ってくれてご苦労様でした。



  4月27日(日) 曇り         滝沢野鳥観察会

夫が滝沢公民館の分館長になって初めての行事です。一昨年は私が公民館の副をやっていたので行事の際にはお留守番で、終了後の慰労会の準備係でした。というわけで、始めて参加しました。
毎回参加者の人と話をしていたら、交代で役員をしているねと言われました。
集合時間が早いので、どうしてこんなに早いのかと思っていたら講師さん曰く「鳥は早朝に鳴いて、また休む」ということだそうです。その証拠に帰りの10時半頃にはほとんど鳴き声が聞こえなくなりました。
知人から双眼鏡を借りていったのですが、なかなか姿を見つける事が出来ません。鳴き声が聞こえると、講師さんは「あれは・・・」だとか「これは・・・」だと鳥の名前がすぐわかるので、さすがに20年以上も公民館の講師を務めているだけの事はあると感心。
飛んでいく鳥を見てもすぐわかる。「どうしてわかるのですか、飛び方に特徴があるのですか」と質問をする人もいました。誰でもそう思いますよね。
観察会と言ってもわからない人にはただの山歩きに過ぎません。それもさっさと歩くわけでもないのでいつまでも暖かくならず「寒〜い」思いをして歩いていました。夫は足が痛いので行かないと言っていましたが、ゆっくりだったのでよかったかも。
所々に置いてある巣箱の掃除もしていたが、毛虫の巣になっているのもありびっくり。
毎年参加者は決まっているように見受けます。懇親会が始まる前に講師さんから「何種類の鳥がいたと思いますか」という問がありましたが、そんなことわかりません。28種類も飛んでいたようです。講師の遠藤さんは池田町生まれの池田育ち、山の木を見て「あの時の木がこんなに大きくなって」と50数年前の事を思い出していました。「生まれた地域で育つ」ってどんな気持ちかなと思わされました。
子どもの頃に鳥に興味を持ったそうです。なんでも継続が力になるのですね。夫が作った鳥の種類の写真入りの資料は、調べながら歩くのにちょうどいいと喜ばれていました。庭にも鳥がよく来るので参考にしています。



  4月25日(木) 晴れ      施設見学

新婦人主催で旧四賀村(今は松本市)のグループホーム「すみか」を見学に行ってきました。仲間の一人が施設長と知り合いで訪問が決まりました。
グループホームは入所者は全員認知症です。10人の定員でした。説明の後に見学をしたのですが、ちょうど昼食の時間でした。ひとりが介助でしたが、みなさんそれぞれのペースに合わせて食べていました。何処にでもおしゃべりが好きな人はいて、外の景色を一生懸命説明してくれました。
田舎だから外は桜や梅など沢山の花木が植えられていて満開でした。素晴らしい景色の場所で大事にされて生活をしていました。鼻を怪我して顔の真ん中に包帯をしている人がいて、その人は「俳回」ではなく畑に行くと言って朝起きたらすぐに出かけるそうです。なるべく話をして食事の手伝いをするようにし向けたりして、朝食までを引き止めるのだそうです。
そんな事も含めて90分くらいの説明がありました。施設長は元看護師で7年前に9人で立ち上げたそうです。
話し好きな方でパソコンで資料を流しながら説明。冒頭に「町村合併はダメよ、村時代は独自性があってよかったのに」と。「池田は合併をしないようにね」とも。何かと大変そうでした。
すみかは5ヶ所出入り口があるのですが鍵はかけないそうです。外に出たい人の心に鍵をかけないためだそうです。
ビデオでは京都の悲劇、認知症の母を介護している息子が、生活苦になっても援助が受けられずに「疲れた」と言って母を殺害、自分も自殺したが死にきれず。裁判で情状酌量が適用されたという事例が紹介されました。ちまたでもよくある事例で人ごとではありませんね。
ここの施設では@テレビやカラオケがない、A洗面所には鏡が無い。理由は認知症だから騒音にすぎないそうです。介護の重点は一番におむつをさせない。している人は外すことを目標にしているそうです。
他に食事の時エプロンはしない。毎食後の口腔ケア。車いすは最低限などに気をつけて毎日を過ごしているそうです。認知症の人と生活をしていていろいろ教えられることがあるとか。まさに自分が入りたい施設でした。
新聞に、怪我を追わせた施設に多額の賠償金の命令が下された裁判の事例をみて、今後はこのような事にも考えていかねばならないねと話しているとか。今後の夢のような計画を話していたけど、真剣になれば実現するかもね。



  4月24日(木) 晴れ          ヒューマン・チェーン行動

協立病院の職員さんが中心の4.24ヒューマン・チェーン行動に、友の会に対しても何人かの参加要請があり池田を代表して参加しました。
医療・介護一体改悪法案の撤回を求めるのが目的です。この法案は5月14日に採決されるとのこと、この日にも国会行動をするそうです。
かつて中央行動にはいろいろと参加してきましたが、こんな行動は初めてでした。折しも昨日東京にはアメリカのオバマ大統領が来日していて交通規制が大変でした。規制に掛かったら間に合わないかも知れないといいながらバスで出かけましたが、運良くスムーズに行けました。
バスの中ではさすが若い職員、クイズ方式で福祉の問題を出題していました。クイズに当たったら豪華景品付きということでした。
崩壊の一途をたどる医療と介護の問題では、「70才から74才までの医療費が1割から2割になるのはいつからか」。この問題は自分が該当するので誕生日が来たらなるのかと思っていたのですが、4月で70才になった人が5月からなるので翌月からになるのですね。
何人に一人が医者受診を控えているかとか、税と社会保障の一体改革でヘルパー訪問介護とデイサービスが自治体に委託されるという。わかっているようで数字で言われるとはっきりしない点もあり、勉強になりました。
日比谷野外音楽堂で全体集会があり、終了後一部は厚労省、農水省の包囲行動にうつりました。長野は直接国会包囲行動でした。
最後は全員が国会を包囲する行動になるのですが、国会包囲はオバマ来日の理由で一部の予定が中止されました。ただ包囲するだけならいいとのことで黙って移動するだけの行動でした。
国会の周辺は異常な位の人数の警官が出ていて税金の無駄使いではないかと思いました。「絶対にオバマ帰れとは言わないように」との冗談めいたことを言われましたが参加者は「言いたいよ」と。
挨拶は呼びかけ人のひとり、富山で認知症と家族の会代表の勝田さんから「30年以上も活動していてやっと全員が一致して署名行動が出来た」という報告がありました。その皆さんも大勢参加していました。
都内で医師をしているという方からは診療報酬が下げられて病院はますます本来の医療が出来なくなる。キューバを訪問した際に感じたことは、投票率が90%以上だという。日本も政治が変わらなければダメだと強調していました。
友の会にはせっぱ詰まってからの連絡でしたが、参加してよかった。人間の鎖で国会が包囲されましたと言う放送が聞こえてきたときは感激しました。「輝け、いのち」、医療・介護総合推進法案が通ったら生きていけるのでしょうか。



  4月19日(土) 晴れ       上田市の沖縄塾10年記念行事に参加

4月も半ば、日中は暑いですが、朝夕はやっぱり寒い。長野県は何処でも桜の花が満開。この時期はいろんな花が一斉に咲き、今が一番綺麗な時期です。早い所では田んぼにも水が入りました。暑くなったり寒くなったり体調も狂いがちです。
沖縄から来た人が「信州はやっぱり寒い、鼻水が出てきた」と言っていました。それは本日の公演の為に沖縄からはるばるやってきた「北島角子芝居」の一行の話です。

2月に「沖縄の為に働きたい」と故郷への移住を決意したと新聞報道が縁でNさんを訪問した際に今日の催しを紹介されました。
今日の催しの主催団体である「信州沖縄塾」が上田で開設されて今年で10年になるそうです。それを記念するイベントが「北島角子ひとり芝居」。
北島さんは昔から沖縄芝居の役者として活躍されていて名前だけは知っていました。「もう随分お歳だから今のうちに見ていた方がいいよ」と勧められたのです。残念ながら今まで一度もお目に掛かった事がないので、今日は夫と共に出かけました。
83才という北島さんは写真よりも若い感じでした。ひとり芝居の合間を埋めるのは舞踊と朗読。
沖縄は琉球王朝時代から舞踊家が多く、嬉しいとき、哀しいときいろんな場所で盛んに踊っていたようです。その名残で沖縄舞踊は今でも盛んです。高校でも芸術クラブがあるそうで、また沖縄県立芸術大学も入学希望者が多く、本土からの入学者も多いようです。今日の踊りと朗読をされた方もその大学を卒業された方で専門分野で活躍されています。




朗読は「6月の空」という絵本で、50数年前の宮森小学校の米軍機墜落事故を描いた絵本です。映画「ひまわり」はその絵本を元に作られたそうです。
北島さんの「ひとり芝居」は「にっぽんじん?」と言うタイトルで戦前から今に至るまでの話をほとんど方言(ときどき日本語)で孫のお友達に聞かせるという内容でした。

あらすじ:「琉球処分から141年、ウチナーンチュもりっぱな日本人になろうと頑張ってきたのに。ウチナーグチ(沖縄方言)は野蛮だからヤマトグチ(標準語)を使いなさいと無理矢理指導された。
沖縄人は一等落ちる日本人と非難されながらも沖縄戦では『立派な日本人として闘え」と、そして親兄弟の命まで奪われ、哀れの限りまでしてやっといくさが終わったら今度はヤマトからから捨てられアメリカ世ーさー。
それから27年もしてから「祖国復帰」で万歳したのに。え〜でも見て下さいよー、この沖縄の現状を・・・。
ウチナーンチュは日本人ですか。私たちは一体何人なのでしょうか。

これをほとんど方言でやるので夫や本土の人はどれくらいわかったのでしょう。前後のつながりでだいたいはわかるかも知れないが細かいことを知って笑ったり、泣いたりしたのは沖縄出身者でしょうね。


親の時代の人たちが「日本語」を強制されていて(そんな強制があったとは知りませんでした)も方言は絶えませんでした。ですから私たちも方言は使ったし、小学校の頃まで『方言札」と言って方言を使った人に札を首からかけさせられるという方言撲滅の名残がありました。
こんな琉歌があります。
♪うちなー世(ゆ)ーからヤマトの世ー、ヤマトの世ーからアメリカ世ー・・・・。
時代を風刺した歌です。アメリカ世ではお金はドルを押しつけれアメリカ人のやりたい放題に口も出せませんでした。しかし、英語は強制されなくて方言はしっかり残っています。しかしまたヤマトの世になって方言が絶えようとしています。今の子どもたちは方言を知らない子が多いそうです。私の同期の人がボランティアで学校に指導に言ってるとか。
北島さんは沖縄の「しばいしー」(芝居人・役者)と言って方言芝居をずっと続けて来た人です。ですから昔の首里言葉(上品)は私たちにも理解できない部分がありますがとにかく方言がお上手です。沖縄戦のことを後生に伝えてから死なないとグソー(あの世)に言ってから先に逝った人に叱られると言ってました。

沖縄の現状はあまり報道されません。いま琉球朝日放送が制作したいくつかの記録映画がいま各地で自主上映されつつあります。今日の上田劇場に来た下さった方々はどのようにとらえたでしょうか。最後にかちゃーしー(きまりがなくて適当に音楽に合わせておどる踊り)を会場全員でおどり盛り上がりましたが。沖縄は本当に見捨てられたのでしょうかね〜。でも宜野座さんという方が沖縄のいろんな運動の状況を話されみんな頑張っているんだと元気づけられました。しかし、若くもない人が沖縄に帰って果たして何が出来るのか少々考えさせられました。




夜町内の寄り合いが無ければもう少し交流が出来たかもしれなかったのですが、急いで帰宅したので残念でした。







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