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  6月17日(土)〜18日(日)晴れ   昨日からの研修、池田町総会
伊那市で演劇鑑賞会の宿泊研修会がありました。乗り合わせて行く予定が、二日目の午後から予定があり、早く帰るので自分の車で出かけました。
演劇運動の理念をもう一度考え直そうと一泊での研修会でした。私たちの運動は何処に向かっていくのか、どんな演劇をどんな劇団や創造団体と見るか。会員が減っていく、なかなか運動としてとらえられない現状をどう打開していくか、一から考え直すということでケンケンがくがく。役員対象だから役員が学習しないと会員には伝わらないと手厳しい。
団体さん向きの宿泊所で不便なところがいっぱいあったけど、お風呂は温泉で良いお湯でした。二日目は会議の途中ではあったが30分ほど早く失礼してきました。伊那から高速でも軽く1時間半はかかります。
昨日出かけに反対側車線が混雑していたので、もしかしたら今日もと思っていたがなんとかスムーズに安曇野までつきました。

午後からは池田町の健康友の会の総会
豊科で昼食を取り予定の時間に会場の福祉会館につきました。「友の会総会」は相変わらず集まりが悪い。電話作戦をして出席予定が当日忘れて来なかったり。高齢化している団体ですからここでも憂いがあります。
講演は協立病院のリニュアルを担当している日高さんが来て下さり、新築移転や残り半分の今後の予定やどのような病院になっていくのかなど話して下さいました。
大町の協立診療所の事務長も来賓として参加。また一緒になって友の会を増やす活動が始まります。一連の行事が終わりホッと一段落。


  6月16日(金)晴れ    校庭に東風吹いて
以前、原作者の芝垣さんの話を聞きに行ったのをきっかけに「自主上映実行委員」をつくることになり、池田・松川を中心にチケット販売をすることになりました。
会場が松本の県の森で、池田からは少々遠いので気兼ねをしながら販売活動をしていました。

この映画は子どもの現状、今の子どもたちが学校であるいは地域でどのような生活をしているか。とりわけ「場面緘黙症」という病?をかかえた子と、母子家庭の子で貧困のために意固地になり暴力をふるう子が中心に描かれていました。
学校現場は昔の学校の様子で今の教育現場とは少々違っていましたが、熱血教師の粘り強い指導のおかげで変わっていく親や職員室。少々優等生すぎた教師で違和感はあったけどこんな教師がいてほしいという願望で見ていました。
親や教師の押しつけでしわ寄せはいつも子どもにくる、弱い立場の子どもを親が地域がどう守るかも考えさせられました。
友人たちの感想は「よかった」「ずっと泣いて見ていた」「沢口靖子さんは上手だね」なんて喜んでいました。一緒に車まで行った大町の友人は、「私も教師希望で美術の資格はあるけど実現しなかったけど、教育問題には興味があった」。優等生過ぎた教師だったけど、学校教育のあり方を考えさせられたと言っていました。
「場面緘黙症」は一種の病気で心許せる家では話せても学校では話せないというものです。信頼関係が大きく左右する一種の精神に病と言われていました。勤めている時にそういう子が一人いました。そのときは担任と養護教諭が一体となり家庭訪問をしたりしていたことを思い出しました。
子どもの貧困は「見えない」と言われているが、関わっているある人は「だんだん見えてきているよ」という声も聞かれます。難しい問題にメスをいれた映画だったのではないでしょうか。


  6月15日(木)晴れ    友人たちの見舞い
富山の現職時代の友人たちと「こばと会」という会を6人で作って、以前は毎年会っていました。しかし、年を重ねる毎にひとりまた一人と病気になり最近はご無沙汰していました。そこで思い切ってお見舞いに富山へ出掛けました。
3年程にもなるでしょうかガン治療を続けている友人Kさん、独身の娘を一人置いては逝けないと本当に頑張っています。その友人を励まし続けたHさんがまたガンになって抗ガン剤治療を始めたと言う連絡がありびっくり。
昔からリュウマチ治療を続けているNさん、パーキンソン病になって最近歩くのが辛くなったと訴えるIさん、認知症?疑い等々聞いているとみんなに「老い」は確実に迫ってきてることを痛感させられました。
今回は二人の見舞いでしたが、思ったより元気そうで安心しました。二人に一人がガンになる時代、今自分も元気だからと安心は出来ません。
長い間治療をしていると抗ガン剤も効かなくなっているとのことでした。新薬にも期待できないと医師に言われたと寂しそうでした。心労はつきないでしょうけど頑張ってほしい願わずにはいられませんでした。
久しぶりにお寿司やさんで会食。「今日は食欲があってよく食べられた」と言っていました。Hさんは病気になり、嫁いだ娘の近くに引っ越しをさせられたと不本意そうに愚痴っていたけどけど「何かあっても安心」と話していました。
引っ越し先のお宅に案内してもらって積もる話に時間の経つのも忘れそうになるくらい。再会を誓って帰路につきました。
痛いところがあり、「辛い」と思っていてもまだ自分の足で歩けるし、好きなことも出来ている事に幸せを感じました。「老いては子に従え」ではないが、人付き合いの中でもあまり怒らずに生活できたらと思いました。
もう二度と6人が会うことはないのかと思ったら少し寂しくなりましが老いるとはこういうことかも知れませんね。


  6月9日(金)晴れ   初夏の陽気
6月もはや9日、なんだかあっという間に過ぎてしまいました。いろいろ気ぜわしく日記も遠のいてしまいました。
午前中は夫と畑で作物の手入れ。苗を植えるための準備をするのですが、石が沢山あって大変。庭ではいろいろ野菜が取れて毎日食卓に載っています。これからは毎日毎日野菜ばかりの食事になります。
午後から買い物がてら「ツルヤ」の様子を見に行ってきました。大型スーパー「ツルヤ」が池田に出店して開店の日です。9時には花火が何発も上がりました。
予想はしていたもの凄〜い人、人、人。(こんな時に行く人が悪いが)。開店日はやっぱり「粗品」ですよね〜。苗が粗品になっていたので「ハイビスカス」をもらってきました。
夕方はまた畑。日が沈むまでは枝豆の除草と追肥を行いました。ニンジンの芽が出たばかりの所に草が密集、除草に手間がかかりました。日が沈んでから昨日植え付けたサツマイモの苗に水撒き。当分雨は降りそうにありませんね。

ここで今までの事を思い出しながらちょっとメモしておくことにします。
1日〜3日
6月の大きな行事は夫が代表をしている「バラ祭り」。2日から4日までの日程です。それに向けて5月の後半から毎日準備で大わらわ。
一方、その中間の3日には健康友の会の「診療所まつり」、これも毎年重なります。診療所祭りでは池田の役員は「お赤飯」を販売することになっているのでその準備もあり、本当に大変でした。診療所まつりも天気が良かったので盛況でした。
バラ祭りは期間前後を含め沢山のお客さんが来て下さいました。今年は初めて「アンネのバラ」の苗も販売できたので喜ばれました。

5日 バラ園大盛況
3日間の祭りは終わってもバラ園にはまだお客さんが沢山押しかけて、夫はゆっくりする暇もなく、祭りの日同様に駐車場の整理でたいへん。本当に嬉しい悲鳴です。
毎年思うのですが、こんな小さいバラ園によく来るものだと。東京からも来ていました。これはこっちが各新聞で宣伝してもらうからでしょうね。大きいのか小さいのかわかりませんよね。
それでも来て下さったお客さんは満足して帰られます。北アルプスが一望できる場所にあって、今年は特にバラもちょうど見頃だったことによるのでしょう。天気もよく本当に素晴らしい日になりました。

6日 毎日畑
祭りが終わったら今度は自分の畑の出番です。夏野菜の植え付けや、草取りこちらも毎日大変です。
関東地方が2〜3日前に梅雨入りしたと発表はあったのですが、そんなに雨は降っていなくて、今日は梅雨の中休みとか。暑い日になりました。注文していたサツマイモの苗が来たので雨も降らずに困ったのですが、畑にホースで撒水して植え付けました。

7日 ショックな出来事
午前中は年金者組合の誕生会。大町が担当だったので誕生者ではない役員も全員参加。午後から松本で会議があるのでお昼もそこそこに松本へ。
何とかぎりぎりに県の森の文化会館に到着。駐車場が満員で困っていたら、同じ会合に参加の方とSさんとばったり。その方の車の前に接近して駐車させてもらいました。
映画「校庭に東風吹いて」の実行委員会だったので約1時間半の会議を終えての帰り際に事件が起こりました。
車の鍵を探してもない!!鞄は一つしか持ってなくて、その鞄にポケットは一個、後は服のポケットは4個。書類などすべてひっくり返してもない。何回探してもない。
え〜どうして???どこかで落としたのか。駐車場から会議室までほとんど一直線、中に入っても廊下を渡るだけ。事務所に落とし物が届いてないか聞いてもない。近くの交番所などに聴いても届いてない。
私の車が前に駐車しているのでSさんは出られない。困った困った。そうこうしているうちに他の会合が終わり、横の車がでたのでなんとかSさんの車が出せました。
私の車の方は夫に電話をして松本まで迎えに来てもらいました。家に帰ってスペアキーを持って再度松本に。
キーは出てこないし、認知症になったのか未だに訳がわかりません。ちなみにキーホルダーには夫の車のキー、自宅のキー、ボーリング場のロッカーのキーなど 大事なものばかりでした。未だに連絡はないのでもう見つからないでしょう。
「今度からは首にぶら下げておきなさい」と夫から言われ、首につけるものがどんどん増えてきます。



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