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  10月31日(月)
久しぶりに二人で穂高の温泉に行ってきました。私の腰もようやくよくなりかけて、あとちょっとで元通りになりそうだったのでタイムリーでした。
行ったところは2年前に家族で宿泊したこともある天満閣という旅館の温泉。お風呂のように利用もできるので便利です。すでに何軒かまわってきているのですが、いまのところこの旅館の大浴場が一番よい。比較的こじんまりしているのですが、手入れが行き届いていて気持ちよく温泉につかることができます。
湯煙を隔てて窓の外には紅葉の盛りの木立がみえ、雰囲気も抜群。とくに今日は私一人の貸し切り状態(女湯の妻はそうではなかったようです)でじっくりお湯につかって腰をのばしてきました。




旅館の女将から、今頃になってようやくキノコがでてきたという耳より情報をききつけ、さっそく二人で近くの林に分け入りました。なんだか得体の知れないキノコがたくさんでています。いろんなものを取って旅館にとって返し、受付をしていたおばあちゃんに聞いてみると「わからんねえ」といいつつも「食べられそうなものないねえ」とつれない返事。食べられるものがあれば明日また来てみようという話をしていただけに残念!!でも、近くでキノコがたくさんでているということを知っただけでもよかったのかも。
帰りにおやき村に寄ってみると、いつも来ているお巡りさんが今日は普段着で座っている。あちこちの情報をいろいろと教えてくれました。10年くらい前はマツタケもたくさんとれたという話や、キノコを育てるにはどうしたらいいか・・などなど。極めつけは翡翠の採取。お巡りさんが言うんだから大丈夫なんでしょう。とにかく感心して聞いておりました。

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私たちが温泉で気持ちのいい思いをしている間にも国会では例の「障害者自立支援法」が衆議院で可決成立。全国の障害者とその家族、関係団体や心ある人々の憤りやもっと審議を尽くせと言う声にも全く耳を貸さず、政権党は成立をごり押ししてしまいました。
国会でも審議中に次々と矛盾点が露呈するほどにこの法案は欠陥だらけ、このままでは障害者の生活と人間としての権利を奪いさらにはいのちすら奪ってしまいかねません。それを絶対多数を背景にあっさりと可決してしまうのですから、自民・公明の社会保障政策の異常さには目を覆うほどであり、彼らの弱者切り捨て政策はもう歯止めを失ったようです。

友人のきんべえさんは今日の模様を次のようにメールで伝えてきました。
「成立はしたが、終わりではない。むしろ出発点なのだ」というメッセージが胸に響きます。のんびりと温泉につかっていたのがちょっとはずかしい。

●○● 本日、障害者自立支援法は衆議院本会議で可決され、成立しました ●○●
    しかし、「終わり」ではありません。運動の「新しい出発」です

▼情勢報告 たとえ成立しても「執行」できなかった法律はたくさんある
衆議院でおよそ28時間、参議院をたしても60時間ほどの短い審議で私たちのくらしといのちにかかわる大切な問題が、私たちの声に応えることなく採決されたことは納得できない。
「2週間行動」は先週で終わるはずだったが、この「行動」に直接参加した3000名の力とさまざまな地方の集会やパレードが、審議日程を遅らせてきたのはまぎれもない事実。
この成果に確信をもって、所得の低さ、応益負担のおかしさの2点を、正々堂々と今一度強調しながら最後まで訴えよう。
応益の問題は、たとえ成立しても、「執行」できなかった法律は過去にたくさんある。
これからの運動が正念場。市町村への働きかけも大切になってくる。
運動の輪を、人と人との輪をさらにひろげていきましょう。

▼午後1時 参議院本会議開始
傍聴希望者は傍聴へ、入りきらなかった者は議面会館の「中継」に釘付けに。
今朝からテレビは内閣改造にうかれています。
1時30分すぎ 採決。賛成起立多数(自民党、公明党)可決。
反対討論は野次と怒号が与野党から盛んに飛びかいましたが、しかし採決後は政府案が可決しても与党席でさえも誰一人拍手もあがりませんでした。

▼番外編
30日(日)岩手・花巻市で学習会が開かれ、主催者の見込みの倍の60名で熱気。
あるお母さんの質問には、涙が出てきて、なんとも歯がゆいおもいでしたが、地域での連帯の決意があふれました(市議も5名が参加)
「私は視覚障害者で娘は知的障害者です。情報は電話が頼りなのです。
この法案ではなにがどうなるのかさっぱりわからないので、電話の回数が増えます。
娘はいまグループホームで楽しく暮らしています。でも、今度の法律で、お金がすごくかかるようになると、いまのところには居れなくなりそうです。
私は自分のことで精一杯で、娘には、言葉のはしはしできつい態度がでてるのでしょう。
娘は、「私は悪いことしてるの?」「お母さんに迷惑かけるの?」と言います。
私はごまかしたらいいのか、だまっていればいいのか、これから娘にどう接していいかわからないんです。どうぞ教えてください」

▼インターネットでは「新しい出発」へのメッセージが届いています。
「特設掲示板」から一部掲載
○「これからが始まりです  投稿者: ひとりの障害者」
ひとつの法律の成立で、何人もの人が涙を流す。こんなことが過去にあったのでしょうか。
ひとりひとりの障害者や、その関係者がこの日のことを決して忘れず、これから起きるであろうひとつひとつの事柄を克明に明らかにし、この法律を制定させた政府や障害者団体の一部の確信犯的な幹部、そして政治の責任者に事実を持って間違いを認めさせる取り組みを始める一歩を皆さんとともにスタートさせたいと思っています。

○「この悔しさ多くの人に伝えたい  投稿者: きみこ」
悔しい!。あんな筋道の通らない法案が数の力で通されてしまうなんて!
しかも、採決の時だけ参加する議員がいるなんて…。テレビ中継もされず、私達の必死な行動はあまり知らされないまま、何も知らない人たちは良い法案がつくられているくらいに思われている。
この悔しさを共感できる多くの人に巡り会えたこと、私の宝物です。
この感動的ドラマを多くの人に伝えたい!。


全国障害者問題研究会常任全国委員会は、つぎの声明を発表しましたのでお知らせします。

    <声明>
障害者・家族のねがいをふみにじる障害者自立支援法案の可決に強く抗議します。
障害者・関係者の声を無視し、10月31日、障害者自立支援法案は与党(自民党、公明党)の賛成多数で可決成立しました。
本法は前国会で廃案になったにもかかわらず再提出されました。国会審議において、障害者の自立と逆行する法案の本質は、日を追うごとに明らかになってきました。
障害の重い人ほど費用負担が重くなり、しかも家族がその負担を負うことになります。
医療費の負担増はいのちを危うくするでしょう。
発達期にある子どもを「大人の制度」に組み込むのはあまりに乱暴です。
一律の障害判定によってこれまでのサービスが受けられなくなってしまいます。
施設・サービスがふえる、所得が保障されるという約束はあいまいなままです。
施行は来年4月に迫っているにもかかわらず、政省令は明らかにされていません。

このままの障害者自立支援法に未来は託せません。施行にあたって、障害者・関係者の声に真摯に耳を傾けるよう、政府・厚生労働省に対して強く求めるものです。

2005年10月31日
全国障害者問題研究会常任全国委員会


  10月29日(土)
「想像力を奪うことによって憎悪が始まる。そして戦争が起こる」(「ご臨終メディア」より)

テレビで自民党の新憲法草案についての特集をやっているところがあるかと思ったらどこにもない。もっとも解説をしてもろくなことを言わないからむしろない方がいいのかもしれないけれど、それにしても新聞・テレビのこの報道ぶりはどうよ。
わざわざコンビニまで読売、朝日、毎日、信濃毎日の4紙を買いに行ってきて、見比べてみた。はじめはここで要点を整理してみようと思っていたんだが結局やめた。つまらない解説を長々と引用するのがアホらしくなったというのが主たる理由。
それより、私の率直な感想を述べさせてもらえば、この草案は「戦争できる国」への明確な道標だという点に集約される。完全に安保とリンクする日米共同戦線の国際的宣言文であり、ある国が戦争へと近づく歴史はこのように作られるという思いをますます強くさせられた。
誰も「戦争をしよう」とは思わない。しかし海外で深刻な事態が起こって「海外の日本人をそのまま見殺しにするのか」となったときに軍事力を使えという「世論」は必ず起きる(誘導される)。国際貢献という名目ではもっと大規模に展開しうる。そして規模がふくらんで抜き差しならない状態になっていく。戦争とはそうして準備されるものだからだ。しかも戦場での血なまぐさい殺傷現場を知っているのは高齢者と一部のジャーナリストくらいだろうから、参戦への道筋は論理ではなく情動で簡単につくられてしまう。
「戦争」という事態を避けるもっとも簡単な道は軍隊をもたないことだ。しかしこれには必ず二つの反論がある。第1は「非現実的・空想的・神学的」というおきまりの文句。第2は「好むと好まざるとにかかわらず自衛隊は存在する。憲法との乖離のほうが問題」という「現実論」。歴史と実態を無視すればごもともな意見だ。
こっち側からあっち側に立脚点を変えれば戻る橋はもうどこにもない。基本を確認し、それをふまえれば実態との乖離は大きくとも解決の道は必ずある。これに対して今ある原則を実態に近づければ、原則は可変的となり、実態の暴走を止める歯止めにもならない。
全国紙の論説主幹殿!! 百歩譲って、せめて”沖縄タイムズの社説”くらいには書けないのかねえ。

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森:・・・いずれにせよ、これほどにグローバリゼーションが進捗した現在において、僕らにとって無関係な戦争などありえない。リアルな戦場から僕らは目をそむけてはならないし、メディアも気分を害するとかチャンネルを変えられるとかの発想で、映像を加工したり封印するようなことは、本来あってはならないことなのです。
森巣:気分を害するどころか、その人たちは、戦争によって殺されている。そして、さらに多くの人がその危険に晒されている。今ここで気分よくご飯を食べているということが、たまたまここに生まれたからだけの理由でしかない。このメシは、彼ら彼女らを殺すことにつながっているかもしれないと考えることができない。想像力の欠如です。
苦しみ、のたうち回り亡くなっていく人たちへの視点の消失は、「かれら」と「われわれ」を区分することによって成立している。自分は、絶対に「かれら」にならないと信じ込んでいる。・・・
(「ご臨終メディア」より)


  10月28日(金)
今朝から妻が富山にでかけたため今日から明日にかけ母と二人。その母も宅老所に出かけたので夕方まで久しぶりに一人でした。
あまりにも天気がよかったので、いつものそば屋で遅い昼食をとってその後豊科の本屋まで。新書を4冊買って帰りました。本日の行動は以上。ちょっと寂しい生活ですね。

昔から羨望の目で見ていたことの一つに雑誌や単行本でよく見られる”対談”や”討論”があります。立場の異なる二人が持論・うんちくを傾けて話をする、その能力に自分にないものを見てうらやましく感じていたわけです。
今日買った本の中の一冊「ご臨終メディア」は、知る人ぞ知る森達也さんと森巣博さんの対談で、相変わらず刺激的です。「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」という副題もなかなかよろしい。帰ってからはずっとそれを読んでいました。
読んで考える。考えて読む。そうした知的刺激にあふれた本に出会うのはそうざらにはありません。ずっと本から遠ざかっていただけに、けっこう疲れます・・・(情けない)。
ところで森巣さん、パンチのきいた発言はいつもながら楽しいけれど、姜尚中さんとの対談ほどの迫力や野性味に欠けるのはいささか寂しいのでは? それにしてもいつの間に「博徒」から「ジャンル横断的な異色作家」に職業が変わったのですか?

ほとんど本も読まず、日記も更新せず何をやっていたかというと、相変わらずLinuxOSのインストールとデスクトップ環境の構築でした。
一度は何とか設定を終えたシステムだったのですが、Turboのサイトにアップデータがあることに気がついて、もしこれを入れれば「一太郎」も「Gimp2」も動くのではないかと(取り扱い説明書では「一太郎」や「ATOK」の動作環境として指定されていたが無視していた)、やってみようという衝動に駆られてついやり直してしまったのです。
しかし結果は無惨。説明の通りにやっても私のハードの環境ではサウンド・ドライバが何かと干渉して音割れが激しくどうにもうまくない。結局何回か試行錯誤を繰り返し、ようやく昨夜一応妥協できる環境をつくったのでした。「一太郎」はうまくいったけれど「Gimp2」は起動せず失敗。
実際にしていることは他愛のないことなのですが、一回一回でほんの少しずつ勉強することがあり、それが楽しいのですね。やっぱり病気でしょうか。

今日は朝から重大なニュースがいくつも。一挙に攻めてきた感じです。
自民党新憲法草案の発表もそのひとつです。NAKASONEさんのお顔を久しぶりでみましたねえ。彼は今日発表された草案の前文に「我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け、天皇を国民統合の象徴として戴き、独自の文化と固有の民族生活を形成し・・・」(平和研憲法試案)という自らの手になる「美しい」一文をさぞ入れたかったのでしょうね。記者の質問にも残念そうな気配濃厚だったし。
沖縄での基地移転問題や横須賀への原子力空母の配置などは日本がどれほど政治的・軍事的にアメリカに隷属しているかを端的に示すもの。憲法九条第2項の改訂が何を意味するか明白です。

写真はお花の先生のハーブ・ガーデンで飛び交っていた蝶たちです。そうそう、あたらしいお花をアップしました。






  10月25日(火)
母を宅老所に送り出して家事をすませ、午後から温泉にでも行こうかと話し合ってでかけることにしました。私の腰の調子がどうもいまいちだったので、お湯につかってゆっくり暖めると多少はいいかなと思ったからです。
いつもの穂高方面に行ったところ、以前から気になっていた中房温泉方面に足が向いてしまいました。顛末は妻のページに譲りますが、思いがけず素晴らしい紅葉を見て帰ることができました。でももう2度といきたくないような・・・。

何枚かの写真は久々に「安曇野の四季」のコーナーにアップしました。




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ところで、総選挙後はさっさと郵政民営化法案を通過させてしまったKOIZUMI政権。靖国参拝でミソをつけて、懲りもせず今度はいよいよ消費税をはじめとする税制の大改悪に着手。「社会保障目的税化」などという破綻済みの増税路線を打ち出して、さて今後どう国民を説得しようというのか。
先の選挙では公約に盛り込んでいないので「野党などの反発は必至だ」と今日の新聞は書いていますが、「公約違反だ」というのは通りません。言わなかっただけでしょ。公約にあろうがなかろうが、憲法の改悪と増税、社会保障の切り捨て路線は自民・公明の既定路線ではありませんか。マスコミもそのことは十分に知っていたし、有権者の約半分のみなさんもそれを承知では自民党に投票した。その結果にすぎません。私に言わせれば、それでも「公約になかったから許せない」というのならば、それは「正直すぎる」のか無知なのか、あるいはお人好しなのかのいずれかです。
民主党が落ち込んだのは、ほとんど政策的には自民・公明と変わらず、自公にくらべていかにも中途半端で頼りなく見えたからでしょう。
身ぐるみはぎ取られ、それでもお国が大変だからしかたがないと耐え忍ぶのでしょうか。近くの郵便局がなくなったり、高い手数料をとられはじめてもそんなもんかと納得し、さらに医者に行って医療費のあまりの高さにびっくりし、そのあげく買い物をしたら消費税15%ですと言われておったまげ、それでも我慢して節約に励む。たまに子どもにせがまれてスキヤキを食べればBSE付きアメリカ牛肉。「小さな政府」とはそんなものなのでしょうか。
赤字垂れ流しの歴代自民党政権のつけをこれから払わされることにも気がつかず、消費税は戦争の前夜だという歴史の教訓からも目をふさぎ、それでも生きるためには我慢するしかないと自民党・公明党を支持し続けるのでしょうか。そろそろ目を覚まさないと、2度と目を覚ますことができなくなりそうだ・・・と思うんですけどねえ。言い過ぎかなあ。


  10月24日(月)
今日も秋晴れのよい天気でした。あいにく北アルプスは雲の下でしたが、日没時にはほとんど雲も晴れてすっきりした空に稜線がくっきりと浮かんで秋の深さを感じさせてくれました。
私はというと、ウォーキングのせいなのかコンピュータのせいなのかわかりませんが、またまた腰が思うように動かなくてのろのろの一日でした。同じ腰でもあちこち痛いところが動いていくので困りものです。風呂に入って温湿布して静かにしているのが一番。 おとといのイベントで秋の行事も一段落したので、あとしばらくは温泉にでも行ってのんびりゆっくりすごそうかと思っています。仕事に精を出されているみなさん、退職後はやっぱり安曇野・池田町ですよ。

さて、コンピュータ関係の記事をあれこれ見ていると、思わず食指を動かしたくなるようなマシンがいくつも。Mac関係ではiMacG5は魅力的。ビデオカメラが内蔵されて、いっそうスリムになったスタイリッシュなマシンです。ただ2.1GHzのCPUはまだ中途半端。それでも私の1.25GHzの非力なiMacG4よりは遙かにパワフルでしょうから、これを売って新しいのを買うかなあ?だめだろうな。
さらにiPodはムービーが見られる仕様になってディスプレーも一段とワイドになりました。とはいえ、これはもう少し待っていればよかったとは思いませんでしたね。ムービーを見る機会といっても別にないから・・・。PodCastまでで満足。
PC関係ではもうどうなっているのか私にはさっぱりです。インテル系では片や省電力と安定性のPentiumMとそれに対応したマザーが人気上昇中かと思うと、もう一方ではデュアルコアのPentiumDは常識となって、対応チップセットも955Xとか945P/G。PCIエクスプレス、SATA、ギガビット・イーサーなどは当たり前という状態らしい。せめてアップグレードしようと・・と865PEマザーで旧式PCIの遺産を使い続けている私としては指をくわえているしかない・・・・・。出るのはお金、ではなく、ため息で〜〜す。

ところで新しいソフトの案内がいくつか届いています。最近ではPhotoshop Elements 4.0(アップグレード1万円)、Macromedia Studio 8(アップグレード5万円)。ソフト会社とすれば次々と新しい機能を載せて年ごとに販売すればいいのでしょうが、買う方からすると際限のない出費を強いられることになります。もうそろそろヘビーユーザーであればあるほどこの悪循環から抜け出す時期ではないかと思うのですが。
そのために3つ方法があります。
一つは、必要なソフトを厳選して最小限度に絞ってアップグレードする。だいたいはこのやり方ではないかと思いますが、どこで線をひくのか難しい。
二つ目は、古いソフトを使い続ける。これも結構多いはずです。パソコンの性能に合わせてソフトも選ばないとトラブルのもとですから。しかし、どんどんソフトが新しくなるのを指をくわえて見ているのはあまり精神的によろしくないことも事実です。
三つ目は、OSをLinuxに切り替えることです。OSと若干の基本ソフト(ATOKとか一太郎とか)の出費はありますが、WindowsやMacにくらべて問題にならないくらい安い。ほとんどのソフトはただで使わせてもらえる。私としては、この第3の方法にどうしても接近していかないといけないと思っています。
パソコンは高価なおもちゃであってはいけないわけで、必要な研修を経た人であれば車と同じように使え、コミュニケーションや事務、さまざまな創造的な仕事・趣味に役だってほしい。しかし、まだLinuxは専門的な勉強をした人以外には敷居は高く、すぐに使えるものではありません。
ただ、私が見る限り、この2年ほどで驚くほどの進化があります。新しいソフトを入れようとしなければTurbo Linux Homeは意欲的なOSだし、これから発売が予定されているTurboLinux FujiはWindowsアプリを動作させるDavidというソフトを搭載しOfficeファイルをそのまま開けるという機能も紹介されていました。
大学でも多分Windows一辺倒からMacやLinuxを使える学生が増えるように情報関係の環境も変化していくのではないかと思われます。
私も現在はでかいタワー型のマシンは画像を処理したりホームページを更新したり、テレビを録画・編集したりするときにつかうくらいにして、あとのメールチェックやブラウジング、音楽・DVDの鑑賞などはMicroATX、Celeron1.3G、200W電源のLinux専用機でやることに切り変えることにしました。電気代が半分以下ですみますもんね。リーナス様ストールマン様に感謝。


  10月23日(日)
夕べから夜半にかけて冷たい雨が降り続き、あまりの寒さについにストーブを引っ張り出してしまいました。
ところが今朝は天気予報を完全に裏切ってさわやかな晴天。風は冷たいものの日差しが穏やかで、秋晴れの何ともいえない朝になりました。有明山の向こう側の高い山々は昨夜の寒波でとうとう雪化粧。爺ヶ岳から白馬にかけてもう中腹まで真っ白になってしまいました。


今日はウォーキングの第2日目ですから、参加者は北アルプスの景観やその裾に広がる安曇野の田園風景に歓声をあげていることでしょう。晴れて本当によかった。私は母の世話で2日目は参加できず家で成功を願うだけです。


  10月22日(土)
低気圧の通過にともなって冬型の気圧配置になって寒くなりました。明日は北アルプスの山頂は雪で覆われるかも知れません。

今日は「歩きたくなる道展望ウォーキング」の初日で、池田町ガイドマスター(見習い)の初出動の日でもありました。
このウォーキングは池田の「産業祭」の一環として行われたもので、商工会と池田町が主催。「FMながの」の実況生中継もある結構大きな規模のイベントでした。
私たちボランティアは朝8時に集合地のクラフトパークに集まって会場設営と車の誘導です。9時半頃に町長のあいさつなどのオープニング・セレモニー。9時40分頃にクラフトパークを出発しました。


この大会には長野県中からウォーカーが集まりました。子ども連れも結構多く5歳の子から上は80歳まで総勢140人。
残念ながら一日違いで北アルプスは稜線がかすかに見える状態でどんよりした曇り空。カラッと晴れた一日だったらどんなに素晴らしかったろうと残念でなりませんでした。


一行はクラフトパークを後にして、まず東山沿いの自然道を上ります。もやのかかった平野が墨絵のように広がって見えます。最初から結構きつい上りで汗がにじんできます。
ボランティアの私たちは参加者と一緒に歩きながらところどころで知っていることを説明をするのですが、ペースが速いためになかなかまとまって話すチャンスがありません。次第に参加者も疲れてきてだんだん先頭との距離がのびてただ黙々と歩くという状態になってしまいました。
途中、参加者といろいろ話をする機会がありました。「IKEDA」と書いたウインドブレーカーを着ている私たちを見て、みんな異口同音に私たちが町役場のスタッフだと思っていたと言っていました。説明すると「へーそうなんですか」とびっくりした様子。普段近くに住んでいてもなかなか歩く機会がもてないと参加した家族もありました。


さて、相道寺「道祖神」で折り返した一行は花見地区のホタル水路を見物したあと一路昼食場所のハーブセンターへ急ぎました。
ここは産業祭のメイン会場としていろんな模擬店や催しが行われていてにぎやか。おやき村では「野ブタの丸焼き」の試食もありました。うまかった。




約1時間の休憩のあと、午後1時半に朝出発したクラフトパークをめざしてハーブセンターを後にしました。約30分で今日の終点に到着しました。最後に参加者は「完歩賞」を受け取って午後2時ようやく解散となりました。
歩いた距離は約12キロほどでしたが、私の足や腰などはぼろぼろ。まずいまずい。普段からもっと歩いて足腰を鍛えておかなければとまたまた思わされた一日でした。

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しばらく更新の間が開いたのは、実は立て続けに2台、古いコンピュータの壊れたマザーボードを完動品につけかえ、さらに一部手直しをして動くようにしていたためです。しかも一台にはWindowsXP、もう一台にはLinuxをインストールしていたために無茶苦茶時間がかかってしまいました。
妻もあきれて言葉もかけられないほどの集中作業であったのです。
ま、いつものことですから、あとは省略。LinuxのインストールについてはMacの部屋のコーナーにアップしてあります。参考にはなりませんけど。


  10月18日(火)
War shrine at center of Asian tempest
China, S. Korea, Taiwan, Singapore all incensed by Japanese premier's visit.
Asians Angered, Again, by Visit to War Shrine by Japan Leader
Pointless Provocation in Tokyo

アメリカのニューヨークタイムズはこのような見出しをつぎつぎと載せています。日本の政権中枢が信奉して止まないアメリカにおける主要新聞がです。
世界中の失望と失笑を買っているKOIZUMIの靖国神社参拝。それにつづいて今日は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員たちがぞろぞろと参拝をしたことが報じられました。
「2度と戦争を起こさないという気持ちを胸に参拝しました」という新人議員の話を聞くに及んで、あきれてものがいえません。コイズミ・チルドレンと揶揄されるのもごもっとも。
海外から大きく激しい批判と抗議を招くのは当然として、こんな首相をそのままにしておいていいのかという国内世論がなぜ澎湃として起こらないのか全くそのふがいなさに情けなくなります。これでもまだKOIZUMIを有権者の半数が支持し続けるのですか?? またまた選挙と同じパターンでで「外国の圧力に屈せず毅然として自己の信念を貫く姿勢」に喝采を送るというのでしょうか。こうなると日本はいよいよ世界の孤児への道をまっしぐらです。これはまさしくいつか来た道。

しかしここで絶望するわけにはいきませんね。なぜ彼らがこれほど靖国神社にこだわっているのか、自民党の改憲第1次案にも政教分離原則の「緩和」を盛り込もうとしているのか、そのねらいを見抜くことが大切です。
前にも書いたように靖国神社はアジア太平洋戦争を「アメリカや列強の圧力によって余儀なくされた自存自衛の戦争」なのであって侵略戦争などではないとする完全な戦争肯定の立場にたつ神社です。「国体護持」にしがみついた戦前の支配層の亡霊をひきずってそれをまたまた再現しようとする広報センターの役割を果たしている神社でもあります。
この靖国神社、戦前は陸・海軍が管理する軍事的宗教施設であり国民を戦争に駆り立てる重要な位置をしめていました。戦後は一宗教施設として存続することにされましたが、その国粋主義的で戦争肯定の立場、軍人・軍属の顕彰施設としての性格は何らかわっていません。
参拝を続けるKOIZUMIや自民党中枢はこのことをよく知っています。知りながら「国のために命を捧げた戦没者に哀悼の意を捧げて何が悪いか」「二度と戦争を起こさない決意をこめて参拝する」と言い続けているわけです。
だとすれば、首相の靖国神社参拝に、それが海外から抗議されるような筋合いのものではないこと、あくまで平和の決意をこめて戦没者に哀悼を捧げる参拝なのだということを国民に認めさせ国民の心情にすり込もうとする意図が強烈に込められていることは明らかです。首相の個人的心情でやむにやまれずやっているのでは決してない。もっといえば憲法改定後に備え、国際貢献の名の下に海外へ展開する軍事的行動の中で死亡するであろう軍人や関係者らを「慰霊・顕彰」する施設の必要をいよいよ感じ取っているということにほかなりません。


  10月17日(月)
予想されていたように、今日KOIZUMIさんが靖国神社に参拝しました。私服でわずか5分。電撃的な参拝でしたが、これでいっそうアジア各国からの批判は大きくなるでしょう。
「戦争で命を捧げた英霊に誠を捧げて何が悪い」「外国からとやかくいわれる筋合いはない」などと単細胞的発言をくりかえして参拝を強行してきたKOIZUMIさんですが、今日の参拝は何ともみすぼらしく何かに追われるような参拝風景でした。「適切に判断する」とオームのように繰り返していた結果がこれ。
「自民党をぶっこわす」と裏方が練りに練ったキャッチ・コピーを振りまいた彼がやったことは国民生活をぶっ壊し、アジア外交をぶっ壊しただけ。自民党はこわれるどころかいっそう「純化」されKOIZUMI独裁政権に近づいているのではありませんか。
TVなどマス・メディアは首相の靖国参拝の上っ面をなで、ほとんど興味本位に報道しているだけです。靖国神社の本質も違憲判決の内容も具体的に報道しようとする姿勢は何ら見られません。国会の大政翼賛的な状況とマス・メディアの現状は本当に危機的な段階にきているのではないでしょうか。
私としても何らかの態度表明をすべきと考え、首相官邸当てに次の抗議文を電子メールで送付しておきました。

小泉首相様

靖国神社は侵略戦争であるアジア太平洋戦争を正当化し美化しさらに排外的なナショナリズムをあおる「戦争神社」です。
また靖国神社は単にA級戦犯を合祀していることで批判されるばかりでなく、「国家」に忠実な軍人・軍属のみを「軍神」として顕彰する特殊な宗教施設です。
したがって首相の靖国参拝はアジア太平洋戦争での侵略行為を美化・正当化するだけでなく、日本国憲法の政教分離の原則にも反する重大な行為です。
確定した違憲判決にも逆らい、アジア諸国の戦争被害者の心情をも無視する本日の首相の靖国神社参拝に強く抗議します。



  10月16日(日)
私がサイト運営をしている「大北九条の会」というホームページがあります。会員の交流やさまざまな意見交換を目的に掲示板を設置しているのですが、その掲示板に昨日からある人物からの書き込みがあっていささか憂鬱な気持ちになっておりました。
投稿があったからそんな気持ちになっているのではなく、むしろ年配の方で支えられている「九条の会」では、まだこうした掲示板という交流の方法はちょっと時期尚早だったかなという反省からです。

ところでその書き込みはなんともすさまじい内容で、私は管理者としてすぐに削除をしました。在日朝鮮人を装った筆者は「日本人が憎くてたまらない。すべて皆殺しにしてやる」ということを連綿と書き続けたものだったからです。私は削除をしたうえでそのいきさつを掲示板に書きました。
実はそれで終わりかなと私は思っていたのですが、意外にも「誤解している」という返答が書き込まれました。それ以後のやりとりは掲示板を見てもらうのがいちばんでしょう。もっとも最初の書き込みは削除してしまっていますから、原文を見てみたいという人はこちらでどうぞ。心臓の悪い方はお読みにならない方がいいかもしれません。
2,3回のやりとりのあとこの投稿者、最後には「なんだ、所詮ここの管理人もそうやって言論弾圧をするのか。所詮、靖国に参拝する右翼と同じだな ここの管理人こそ右翼だな」とすてぜりふを残していきました。
自分勝手で異常な書き込みをしておいて言論弾圧も何もあったものではありませんが、本人はひょっとしたら至ってまじめなのかもしれません。しかしその神経からは抑圧されてゆがんだ暗い心性しか伺うことはできませんね。私が「ウヨク」かどうかは九条の会の会員や掲示板を訪れてくれる人たちが判断することです。

考えてみるとネット上にはこの手の輩が何と多く見られることでしょう。自殺ほう助から銃・薬物のとりひき、詐欺、他人への誹謗中傷にいたるまで、まるでインターネットサイトは犯罪の巣窟のようです。しかし実際にはネットは現実世界の写し絵にすぎず、現実のいくつかの側面を拡大したりゆがめたりして映し出しているだけです。
今回の書き込みにしても、はしなくも現在の若い世代の心の奥底をネットが映し出したのかもしれません。


  10月15日(土)
昨夜から小雨が降り続いて肌寒いお天気です。秋が深まり寒暖の差が大きくなると「ほうき」の木が赤く色づいてきます。庭の端に植えたほうきもようやく色が濃くなってきました。枝が密集して大きな茂みのようになっているのでなかなか見栄えがします。近所の人は「こんな大きくなったのを見るのは初めてだ」とか「りっぱなホウキができるよ」とかと言ってくれていますが、確かに葉が落ちると大きな箒になりそう。私としてはリースの台にしようと考えているのですけど・・・。


国会では続々と悪法成立。ろくな審議もしないでシャンシャンと通っていくのですから、翼賛議会という名にふさわしい現状ではあります。
郵政民営化法が通って誰が一番よろこんでいるのかを考えればそのねらいはあまりにも明白。これを勤労国民のための「改革」だと信じてKOIZUMIさんに投票した有権者のみなさんは、いずれ手痛い出費と不都合を余儀なくされるはずです。そのときこんなはずではなかったという言い訳は通らない。
参議院で成立し、衆議院に送付された「障害者自立支援法」。これは障害者のみなさんとその家族を追いつめいっそうの生活苦や困難を強いる希代の悪法です。
たとえば通所施設(作業所、授産施設など)ではこれまで95%の通所者が無料。しかしこの法律では課税世帯の利用者負担が月29200円となります。しかしその一方で受け取る工賃は平均月7300円にすぎないのです。
グループホームから作業所に通う障害者の場合、収入は障害年金(2級)66000円と工賃7300円を合わせた73300円。一方の負担はホーム入居費52000円のみだったものが、法改正で減免措置があった場合5750円が加算され57750円に。手元に残るのは約15000円だけです。2009年からは3年間の減免措置が切れるので負担は実に87800円になると予想されています。
賃金を上回る施設利用料なんてこんなバカな話があるでしょうか。仮に生活費が多少残るとしてそもそも1万円、2万円でどうやって生活しろというのでしょう。
ちなみに、いまテレビではやりの「1か月1万円生活」っていうのはこのための番組かしらと思ってしまいます。こんなまやかしの番組などもはや見る気もしません。食費・住居費・水道光熱費・交通費・教育費・社会保険負担・税負担など生きるために必要な生活費を加えて基本的にどれだけかかるのかを分析するような番組なら意義はあるでしょうけれど。

国会で成立、または成立させられようとしている重要法案はまだまだあります。
国際公約である年間1800時間の時短目標を取り下げて、これまでやってきた閣議決定を廃止、厚生労働大臣の指針に格下げする「時短促進法」の改正。残業が月80時間を超えた場合産業委の面接保健指導をうけさせてきたものを月100時間を超えた場合に労働者本人の申し出を条件として受けさせるものに変更する「労働安全衛生法」の改正など・・・。

その一方で北朝鮮拉致問題や領土問題・東シナ海での油田問題でマスメディアが醸し出す異様な空気の中でアメリカべったり・アジア蔑視・ジコチュー的ナショナリズムが広がりつつある現状をどうみたらいいのでしょう。
自民・公明提案、民主党の協力で悪法をスイスイと通していくこの国会の体制を中川自民党国対委員長は「05年体制」と呼ぼうと提唱したと言われています。私なら「05年大翼賛体制」と呼びたいですね。何のための翼賛? もちろん憲法改正と軍事国家作り(戦争できる国づくりと国民の生活・権利の抑圧)のために決まっていますよ。


  10月13日(木)
先日放送され収録しておいた「杉原千畝物語」を昨夜見ました。コマーシャルを全部カットしてDVDに収録したものをつくったので、はじめから終わりまで一気に見ることができました。
杉原は大学を中退した後外務省に「拾われ」その恩義に報いることが自分の使命として華々しい外交官のスタートを切ります。しかし第2次世界大戦の勃発で彼の人生は大きな転機を迎えます。
リトアニアに赴任した彼を待っていたのはナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人たち。彼らからのビザ発給の嘆願をうけて日本政府に何度も許可を求める緊急打電を打つ彼。しかしその返事は「発給をすることはできない」という冷酷なものでした。
ソ連侵攻による領事館閉鎖・国外退去の期限を間近にして悩み続ける彼。辛抱強く何日も領事館の前で待ち続ける難民たち。彼は日本政府の方針に背いてついにビザ発給に踏み切ります。
一たん決心してから彼は不眠不休でビザを書き続けます。その様子は手に汗を握るほど迫力があります。反町隆史が見事に杉原役を好演、実に感動的なドラマに仕上がって見応えがありました。

さて、彼に救われて戦後イスラエルにすむことになったユダヤ人たちはその後どうしたのでしょう。もし彼に救われたユダヤ難民たちが故国を得て、今度はパレスチナ難民を大量に生み出し、さらにパレスチナ自治区に隔離壁をはりめぐらしてアラブ人たちを迫害しているとしたら、これは一体何という歴史の皮肉なんでしょうか。彼らは第2、第3の杉原千畝になりうるのだろうか・・・。ドラマが感動的である分、私にはそうした今日のイスラエルの直面する問題と関わらせずには見ることができませんでした。
そしてもう一つ。日本政府の問題です。外務省がビザ発給を人道的対応として評価したのはつい最近のことであり、当時から戦後まで長い期間にわたって彼は評価どころか利敵行為を働いた罪人扱いをされてきたのです。それゆえ「あなたは幸せだったのですか」というユダヤ人の問いかけに答える彼の言葉にはずっしりとした重みがあります。ナチス・ドイツと手を結びアジア侵略に血道を上げようとしていた当時の日本の状況をその背景としてしっかりと見ておく必要があるでしょう。これ抜きで単なるヒューマニズムのお話として終わらせてはならないと強く思わされました。


  10月10日(月)
今日は朝から「池田町ガイドマスター」の研修と事前調査をかねた催しがありました。「歩きたくなる道500選」のコースをたどって、沿道にある遺産や文化、遠望する山々や自然について案内ができるようにしようという目的でウオーキングの会が行われたのです。これは22,23日に行われるウオーキング大会の予習をかねてもいました。
今日は正式のルートではなくもっと東山よりの自然道をずっとたどり要所要所で地理や地質・文化にくわしい方たちから説明を聞きました。あいにくの曇天で肌寒いほどのお天気でしたが、参加者20数名はいずれも好奇心旺盛な方々ばかりで、その道のプロの説明もつい力が入り終点までいかないうちに予定の時間になってしまいました。
私は妻といっしょに散歩がてら公式コースは一度たどっていました。そのコースは平野より一段高くなった里山の麓をたどるために家々の間を通る道が比較的多いのですが、今日のコースはひんやりとした赤松の林の中を歩く自然散策の趣があり、散歩コースとしては何ともいえない素晴らしい道でした。こんな山道が近くにあるとは今まで気がつかなかっただけにうれしさもひとしお。
それはさておき、ガイドとして説明する内容は道の途中に見下ろす地形や山の名前、沿線にある史跡・道祖神や勝景地などにまつわる話、植物・動物の名前や特徴、水路や町の概要など多岐にわたります。当然私のような初心者には初めて聞くことばかりですので、他人に説明するとなるなどとんでもないこととつい思ってしまいます。まあ、完璧にすべてを説明しようなどとは思わず、たとえば山の名前や雪形についてはよく知っているというようにまず一つのことからはじめましょう。それにしても好きでないとできないことですね。







  10月9日(日)
ニュースで見る限りパキスタンを襲った地震での被害はこれまた想像を絶するものです。公式の発表では2万人近くが死亡し、4万人を超える人たちが重軽傷を負ったとされていますが、パキスタン当局や国連の推定では死者は4万人にのぼるのではないかと危惧されているようです。まだ瓦礫の下になっている人々が多数残されており、一刻も早い救援と国際的な支援が望まれます。
ちょうど土曜日の朝子どもたちが学校で授業を受け始める時刻と重なったため、子どもたちの犠牲がとくにに大きいと現地の新聞が伝えていました。心が痛みます。
インドネシアを襲った津波といいアメリカ南部のハリケーンといい、災害の規模はかつてないものになっているわけで、地球規模でいつどこで何が起こるかわからない時期になっているのでしょうか。
火山の噴火、隕石の衝突、巨大竜巻などを描いた映画は枚挙にいとまがありませんが、昨今の被害は「ありうるかもしれない」と想定されて作成された映画のシナリオをことごとく書き換えてしまうほど。自然災害への対応を国際的な規模で練り上げる必要があると思われます。
被害は貧困層を直撃し、たとえ生き残ったとしても再起不能なほどにうちのめすほどに巨大な規模になっています。21世紀を迎えた人類の命や財産が大地のちょっとした身震いでこれほどまでもろく崩されてしまうとは何と残念なことでしょう。人類の英知は民族紛争や戦争ではなく諸民族・諸国民の共存と貧困・差別の根絶や、災害対策と国際的な救援体制の整備などにこそ向けられなければならないと強く思わされます。







  10月7日(金)
Tさんの好意で朝から2回目のマツタケ狩り。詳細は妻の日記にゆずるとしますが、幸いに好天にめぐまれてしっかり足腰の運動をしてくることができました。
母を宅老所に送っていき家に戻るや今度は設計事務所の方が来訪、家の設計の打ち合わせをしました。室内の設備を少しずつ詰めていっているのですが、これがまたなかなかやっかい。建ててから後悔しないようにと思って綿密に打ち合わせをしているつもりなのですが、それでも毎回手直しをしたいところが出てきてなかなかはかどりません。11月から着工できるようにこれから精力的に詰めの作業を進めていく予定です。

その後の私の仕事といったら、近くの田んぼで集めてきた落ち穂を脱穀する気の遠くなる作業です。「もったいない」という気持ちと少しでも米代を浮かそうというセコイ考えから刈り取りの終わった田んぼで捨てられているような稲穂を集めてきていたのです。これが結構な量になって我が家の物干しに干してあったというわけ。手で穂から米粒をバラバラと落として精米できそうなものを集めていくのです。我ながら浅ましくアホなことをやっていると思いつつ、果たしてどのくらいの米になるのか楽しみでもあり、毎日少しずつやっているという次第です。
農家の人も刈り入れは几帳面な人から雑な人までいろいろです。ずいぶん刈り残しのある田んぼから、すみからすみまできれいに刈り取ってある田んぼまで実に様々なので、ねらいは雑な仕事をしている人の田んぼ。放っておけばそのまま田んぼの肥料になるだけなので、散歩がてらそれを集めてまわっているわけです。別に収穫前のものを取っているのではないので窃盗罪にはなりませんよね・・・・(汗;;)。

さて、長い長い間かかったリースがようやく完成しました。私としてはもう少しメリハリのきいたハッとするようなリースにしたかったのですが、素材の中心がアジサイであったためかできあがってみるとどことなくボヨ〜〜ンとした感じのとらえどころのないものになってしまいました。
次回はもっと心ときめくようなリースを作ります!!




  10月3日(月)
知人から朝電話があって、その方が最近購入したパソコンの設定に出かけることになりました。数日前一度有線でモデムとパソコンをつなぎネットに接続するところまでは終えていたのですが、その有線を無線に切り替える設定とメールソフトの設定が残っていたのです。
母を宅老所に送り出してからその方のお宅を訪問しさっそく設定に取りかかりました。
年配のご夫婦の購入したパソコンはNECの最新型ValueStarでキーボードもマウスもすでにBlueToothでコードなし。モデムからパソコンへは無線カードを使って接続したいというのです。私はずっと有線でしたので設定は初めて。YahooBBのカードを使って接続を始めたのですが、説明書を見ても何が何だかさっぱり。説明書の通りにやっているはずなのにどうしても接続ができないのです。
この説明書では初心者にはおそらく全くわからないだろうと思いました。専門的な用語や難解な操作が出てくるのでなれているはずの私でさえまごつくくらいです。2時間ほどもかかってようやくつながってお役ご免とはなりましたが、それにしてもどうしてこんなにわかりにくくするのでしょうね。そもそもドライバのインストールからしてわからない仕組みになっている。初心者にはドライバとユーティリティの区別もつかないし、そもそもそれらの用語の意味するものがなんなのかわかりませんものね。ドライバがどのようにしてインストールされるのかまずわからない説明です。パソコンのプロが接続・設定をするわけではないので、全く初めての人でもしっかり理解し操作できるようにしなければこれ以上パソコンは普及することができないでしょう。
そのくせパソコンのソフトには不要と思われるような過剰な「親切」がいっぱい。相変わらずの押しつけソフトのてんこ盛りです。
設定を終わって奥さんと穂高まで食事に出かけているうちに、はじめに予定していた用事ができなくなり明日にまわさなくなってしまいました。ホントは新築する家の設備を決めるために松本のショールームに出かける予定にしていたのです。

今日設定のお手伝いに伺ったご夫婦は70代の年配の方。少しはさわったことはあるといっても設定などは初めての経験です。何から何までご自身でやるというのはまず無理なことでしょう。
つくづく現在のパソコンの水準について思うのですが、これだけ普及しても年配の方には相当に敷居の高い代物であることは昔も今も変わっていません。
パソコンを買ったその日から使えるというのは全くのウソです。不当な宣伝よりも、もっとユーザーに親切なアフタケアやサービスを提供して気持ちよく使えるようにすべきだと強く思わされました。

夜に入って盛岡にいる妻から電話があり、ちょっと体調を崩して成績は芳しくなかったという連絡がありました。明日には体調を戻して普段のリズムを取り戻してほしいものです。

というわけで、私の方は何をするということもなくどんどん日が過ぎていきます。なんだかクリ拾いと皮むきをやっているうちに日が過ぎていく。生活のリズムを整え時間の刻み方を考えて過ごさないと精神的にどんどん後退してしまいそうです。ちょっとここいらで反省。


  10月2日(日)
どんより曇り空。時折ポツポツと雨が落ちてきます。しかし本降りにはならないで地面もぬれないくらいです。
ところが少しでも雨が落ちてくると田んぼといわず畑と言わずあちこちからクヮクヮというけたたましい鳴き声が聞こえてきます。たぶんカエルだろうと思いながらついぞその音源を突き止めることができませんでした。
いままではどちらかというと遠くで鳴いていたのですが、今日は我が家の畑から大きな声が聞こえる。近づけば鳴き止むのでいったい何が鳴いているのかも定かではありません。
よ〜〜〜く耳を澄ましてその音の発信源に近づきます。すると・・・発見!!予想通りアオガエルがいた。しかもノドを大きくふくらませて。
田植えが終わってカエルの合唱が聞こえるのはふつうのことですが、この時期これは一体どうしたことなのでしょうか。去年も鳴いていたっけ??ゆく秋を惜しんでいるのでしょうか。それともだんだん少なくなっていく仲間を呼んでいるのでしょうか??



妻が盛岡で開かれるボーリングの全国大会(準国体)に出場しているので4日まで母と二人です。
近くの神社は秋祭りのようで昨日からずっと大音量の音楽がなり通し。稲刈りが終わった10月はじめの土日が祭りの日になっているのでしょうか。
ところでよく聞いているとかなりの時間をつかって誰がどれだけの寄付をしたので感謝するということを同じ調子で延々と放送しているのです。5万円とか10万円とかという金額もかなりあります。
神社から大音量で聞こえてくるのは秋祭りの笛や囃子ではなく演歌と寄付だけ。昼過ぎに近くを通ってみましたが、たくさん人がいる気配はありません。昨夜は遅くまでにぎわっていたようでしたが、やはり音楽は演歌とか歌謡曲のたぐいで田舎の秋祭りの情緒を楽しむなどということからはすでに縁遠い存在になってしまったのでしょうか。
地域の神社とはそもそも何なのか。何のために祭りをするのか・・・まだ池田で日が浅いのでよくわかってはいませんが、その根源にもどってよく考えてみる必要がありそうです。

細長い安曇野平野の東側の山並みを「東山」と呼んでいますが、雑木林の中にはアケビや山栗がたくさん実っています。今朝ほんの少しの時間でしたが山に寄ってよく熟れたアケビをいくつかとってきました。食べるととろりと甘く懐かしい味がします。2,3日は机の上に飾って素朴な形を楽しむことにします。







"Candles And Stars" by Mr. Blue Piano Man


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