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  10月31日(火)
朝早く目が覚めて(猫に起こされて)ふと外を見ると、濃霧で真っ白です。相当に気温が下がっているからなのでしょう。これからの季節は、天気がよいと冷却現象で深い霧に覆われて、日が高くなると次第に晴れ上がってくるという繰り返しです。
その寒さのせいで山の木々も急速に色づいてきています。すぐ近くのお寺には大きな銀杏の木ともみじの木があって紅葉がすばらしい。ちょうどその時期にさしかかっています。
前の道路を観光客とおぼしき車がしきりに通り、何台かは「この近くに大きなもみじが見られると聞いたんですが・・・」とお寺の場所を聞いてくる。どうやら昨日の新聞で近くの長福寺の大銀杏・カエデの紅葉が報じられていたのがその原因らしい。
家の前からもその銀杏は見えるので、のぞいてみたら確かに紅葉真っ盛り。夜にはライトアップされているという噂もあって、なかなかの観光地になってしまっています。ライトアップは私も確かめてはいません。


テレビでは痛ましいニュースばっかり。今日は自殺した中2の女子生徒の死因が「いじめ」であると学校側が認め、父母に謝っている映像が映されていました。「すべては私の責任です」「本当に一人だけの責任なのか」「全責任は私にあります」・・父親と校長とのやりとりが流され、その学校の生徒のコメントも音声で報道されていました。
あさってはこちらの中2の生徒達と会うので、彼ら彼女らにどう思うか聞いてみよう。この前、何かの話の合間に「死にたいと思ったことがあるか」と誰かが聞いて、6人の女子生徒の中でほとんどが「死にたいと思ったことがある」と答えていたのが妙にひっかかった。「そんなに簡単に死にたいと思うのかよ」と私などはつい口にしたくなってしまいますが、彼女らは真剣にそう思っているらしい。同時に彼ら彼女らの生活の圧倒的部分を占めている「部活動」のあり方が、一面では暗い影を落としているように見えます。あまりにも長時間の練習。そして上級生・下級生、教師・生徒という支配・被支配の関係の温存と拡大再生産。まさに現代社会の縮図ではないのでしょうか。大人の社会(正しくは現代の資本主義社会)の「いじめー自殺」が形を変えて子どもの中に広がっているといえないこともない。
中学生は自らを相対化することはできません。つまり部活動であれ、授業であれ、友人関係であれ、今あることがすべてなのであって、もっと違ったかたち、もっと違った考え方に触れる機会を持たない限りは、その中で閉塞しもがき、そして出口を失っていく他はない。これを突破するには、大きくはあまりにもいびつで非人間的・反人間的な大企業の論理を打破すること、問題に即しては大人が手をつないで子どもを守る先頭に立つしかないでしょう。
ささやかでも、私は今勤めている場所で、彼ら彼女らと気持ちを通じるように努力することなのだろうと思います。


  10月28日(土)
今年はゆっくりと気温が下がっているせいか山の紅葉が一段ときれいに仕上がっているらしい。北アルプスの麓の山に日の光があたると山肌が赤く染まってみえます。北アルプスと向かい合った東山の方も、広葉樹の広がったあたりは黄色や赤やいろんな色に染まり始めて、いよいよ秋深しです。空気が澄み、日ざしは柔らかく、過ごしやすい快適な日が続いています。ただ、夜になるとかなり冷え込んできていますが・・・。
今日、塾の中3の生徒達と話していたら、「こたつに入って横になっていたら寝てしまった」という男の子がいた。「え〜〜、もうこたつを出しているのかい?」と思わず聞き返しましたら「うん、出しているだ」という事も無げな返事。もうそんな時期に来ているんでしょうかね。

ここ数日マスコミを賑わせている話題に高校での卒業単位不足の問題があります。教育委員会に提出するカリキュラムと学校でのカリキュラムが異なる、いわば受験シフトのための「裏カリ」の存在です。全国ほとんどの都道府県でこれが露見したというのですから根は深い。場当たり的な文科省の教育行政や、大学入試と高校でのカリキュラムの食い違い、追いつき追い越せの入試成績の競い合い・・いろんな問題が絡み合って、次第に現場での感覚が麻痺していったのでしょう。
今からかなり前になりますが、私が高校の現場にいた頃、どのようなカリキュラムを組むかで激論を戦わせたことがありました。当然受験シフトを強めなければいけないという教師達がいます。それに対して高校で何を教えるべきか、どのような生徒像を描くのかをもとにカリキュラムを組む必要があると主張する教師がいます。そうした議論が職員会議で絶えずたたかわされていれば、今日のような深刻な事態をもたらすこともなかったのかもしれません。
文科省が世界史を必修にするはるか前、高校の社会科では世界史を軸にすべきだいう議論をし、そのように実践してきた学校があったことを思い出します。
従って、今回露呈した問題は、校長の権限をつよめ、職員会議を形骸化し、結局は「進学成績」至上主義をはびこらせてきた現在の教育行政と、それに飲み込まれていく学校の歪んだ姿の一つでしかありません。「生徒達がこうした受験シフトを望んだから」という言い訳は現場教師の堕落という他に言葉がみつからない。話があべこべです。
現行教育基本法からの逸脱、教育行政のありかたのゆがみ、それこそがこうした事態を生み出している元凶なのですから、今回のようなニュースを聞くにつけ、教育基本法を改定していったいどのような教育をしようというのか、背筋が寒くなる思いがします。繰り返しますが、話が安倍こべです。


  10月25日(水)
ほ〜〜んとうに久しぶりにお花の先生のところに出かけていきました。そしたら開口一番「もうすぐクリスマスですよ〜〜」だって。「クリスマスの展示会用のリースなどを早くつくりなさい」というメッセージなのでした。あの赤いバラのリースを作ったのは今から一年前??なんということでしょうか。
今日は情報をゲットするために出かけただけですので、何も作らず帰ってきました。来週から本格的にリースや息子の結婚式のためのブライダル・ブーケづくりにとりかかります。

話は全く変わるのですが、今日までずっと読んできた本の一冊に「ロハスの思考」(ソトコト新書)という福岡伸一さんの論考があります。はじめはどうもこの手の本は気にいらなかったのですが、読み進めるうちに彼の議論の明晰さや思考の健全さに共感してついつい最後までつきあってしまったというわけでした。
以前東京に住んでいたとき、近くに「自然食品の店」というのがありました。時々その店に顔を出して食品を買ったことがあったのですが、野菜は勿論無農薬・有機栽培で虫食いなどはごくあたりまえ。加工食品もけっこう割高でした。健康を考えれば確かにそういった食品が大切なことは分かります。でも、どことなく漂っている胡散臭い感じって何なんだろう。ずっとそれを考えていました。何となくその店には入りにくいんです。今にして思えば、どうも「原理主義」的なにおいだったんだろうか。その店に漂っている他の食品を拒絶する「潔癖感」あるいはセクト的な匂いだったんだろうか。
いつだったか「栗」をみつけて一袋買ったことがありました。農薬を使っていないから虫が入っているだろうことは容易に想像できました。家に帰って「栗ご飯」をつくろうとさっそく皮をむき始めたのです。むけどもむけども虫ばかり。健康な栗はほとんど無い状態でした。これにはまいった。次の日にその店に行って苦情を言うはめになってしまったのでした。「いくら自然食品といっても虫を売っているわけではないだろう。多少は虫食いであることは容認するとしてもこれはもう商品ではない。金を返せ」ってね。今にして思えば、裏の栗の木の方がよっぽどましです。虫食いだけど食べられるところの方がはるかに多いのですから。
自然食品も度が過ぎるとこんな具合になるという見本を見た気がしました。
それ以来「自然食品運動」「有機・無農薬運動」なるものにどうしてもある種の「いかがわしさ」が感じ取れて仕方がなくなってしまったのでした。
多くの消費者を納得させ、彼ら、彼女らを巻き込んで食の安全を取り戻す方法はどこかにあるはずだ。この店のようなやり方ではないだろう・・ずっと考えてはいるけれど、なかなか納得できるところまでたどり着くことはできませんでした。
そして出会ったこの本。生産と消費の運動について書かれた本ではありませんが、私たちが拠って立つべき原点はどこにあるのかを一つ一つ解きほぐしていきます。だからその原点をふまえて生き方を考えていけば必ず将来のロハス的生活は見えてくるはずだと思わされてきます。
最後の方に福岡さんとモーガン・スパーロックとの対談(他の人との対談もおもしろい)があります。そこでスパーロックは「食品産業全体がポリティクスそのものなのです」と言いはなっています。一見我々の食が自らの選択と嗜好によって制御されているかに見えるこの国の食の姿が実はこの国のポリティクス無策(これもポリティクスであることが悲しい)の姿を示しているのだとも示唆しているのです。
もう一度読み返してじっくり考えたい本です。




  10月22日(日)
世の中のが急激に変化しているときには、必ず革新的な考えが一定の力を得るものです。意見が割れるし、対立が生まれる。むしろそれが自然だし、絶えず生み出される葛藤や対立を通して歴史は作られてきたのでした。
それゆえ権力は自分の都合の悪い世論形成がはかられないように周到に対策の網の目を張り巡らしてもきました。マスコミ対策しかり、教育への介入しかり、労働組合対策しかりです。
果たしてそうした結果、これほどに歴史が動いてきているときに、我が日本では何も変化が起こっていない。何かあるとすればそれはすべて自分の回りだけのことであり、自分の責任なのだと思わせる雰囲気が作られてきたのでした。「強い」政権党がいっそう頼もしく見え、頼りになりそうな気にさせられる。「男前」の安部さんが何かしてくれる気にもなる。
税金が高くなってもじっと我慢。健康を害してもそれは自分の責任。子どもがいじめで自殺してもダメ教師のせいだし、サラ金でお金を借りて破産してもそれは借りた者の責任。
しかし、事態は勿論深刻です。放っておけばその根本原因へと目が向かわざるを得ない。
そんなとき、権力はどう考えるか。人々の目を外に向ければいいんです。そこではどんな過激な意見も許される。過激であればあるほど、ガス抜きになりますからね。当然改憲も消費税アップも射程距離に置かれています。
こうしてアホな北朝鮮は格好の標的となり、毎日のようにその異常さが増幅されて報道されている。そして、思いがけず核軍備への布石さえかんたんに敷くことができた!!
だとすれば、私のとるべき道はどこにあるのでしょう。思うに、日本国憲法の拠って立つ原理を吐き続けるしかありませんね。政治の根幹に目を向け、批判し尽くす力を日々蓄えるしかない。そうでなければ、おそらくこの日本では、何かの弾みで歴史の矛盾が人々の暮らしや生き方の中でモロに現れ始めたときでさえ、私は立ち上がる気力もなくしてしまっているでしょうから。

Mr.Seoから「国会リポート」第3信が届きました。ご覧ください。


  10月21日(土)
自民党の中川政調会長の「核保有論議」発言が問題になっていますが、彼は20日に重ねて「(北朝鮮に)攻められそうになった時にどう防ぐか。万が一のことが起きた時にどうなるかを考えるのは、政治家として当然のことだ」と述べたと伝えられています。
「憲法でも核保有は禁止されていない」という彼の認識はどこから出てくるのか、驚くべき憲法認識という他ありません。しかし、実際には、2年前の毎日新聞のアンケートの結果を待つまでもなく、これが安倍政権の本質であることは少しでも事実をまともに見ようとする人には明らかなことですね。
麻生外相も「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と言っていますし。み〜んな同じ穴のむじな。一蓮托生。
このことに対して信濃毎日新聞の社説は「中川氏を更迭するのも一法だ」と何とか批判論調を保っていました。ところがテレビ各社や大新聞の腰砕け論調はご存じのとおり。世論はといえばこの問題で批判が沸騰するどころか、北朝鮮の核開発に関するマスメディアの巧みな誘導、いや「あおり・そそのかし」によって、「ひょっとして核が必要なのかも」という空気がむしろ醸成されて来ているのではないんでしょうか・・・・そっちの方が恐ろしい。

【参考資料】

☆ <新衆院議員>「核武装検討を」17% 本紙アンケート

毎日新聞ニュース速報 11/10/2003

 衆院選で480人の新議員が決まったのを受けて毎日新聞は10日、選挙期間中に全候補者を対象に実施したアンケート結果に基づいて、新議員の政策志向性や政見を集計した。それによると、日本の核武装構想について「国際情勢によっては検討すべきだ」という意見を持つ議員が全体の17%にあたる83人を占めた。さらに憲法改正問題では、全議員の3分の1を超える171人が「手続きを始めるべきだ」という改憲派だった。

 核武装検討派を党派別に見ると、自民党は当選者240人中63人(26%)、民主党は同177人のうち17人(10%)だった。自民党の検討派の中には、中川昭一経済産業相ら現職閣僚4人のほか、安倍晋三幹事長も含まれている。民主党の検討派には、野田佳彦国対委員長や鹿野道彦元総務庁長官らがいる。また保守新党の井上喜一有事法制担当相も「検討すべきだ」と回答していた。

 改憲問題では、自民党の約半数、民主党も4分の1を改憲派が占めた。さらに、核武装検討と改憲賛成の両方を選んだ新議員は、自民、民主両党にまたがる計52人。全議員の1割を超えており、北朝鮮の核開発問題やイラク戦争など国際情勢や世論動向を反映し、国会議員の間にタカ派志向が強まっていることが裏付けられた。【伊藤智永】



  10月20日(金)
あっという間に一週間。ウオーキングの行事でちょっと疲れ、その後それをウオーキングのホームページに掲載する仕事をし、さらにキノコ狩りやファンクラブのニュースづくりをしていたら瞬く間に一週間が過ぎてしまいました。
この間、政治の分野でも気になる問題がたくさんありましたが、それはさておくとしてまず最近のキノコ狩りの話をしましょう。(実は来年のためのメモの意味もあって・・・)
昨年は池田町の北東部にある「広津」というところまでキノコを採りに行っていました。何しろどこにどんなキノコがあるか、またそれが食べられるのかどうかサッパリ予備知識のない人間なので、一度行ってわかるところしか行けなかったのです。
ところが今年になって、ガイドマスター仲間の一人がマツタケ狩りに行こうと誘ってくれた。こんなところに生えているわけがないと半信半疑だったけれど、ともかくOKして17日に出かけることにしました。場所は何と、我が家の裏庭ともいえるほどすぐ裏の松林の中。裏は東山中腹ですから確かにキノコはあるのかもしれません。
朝迎えに来てくれたHさんとその知人、私と妻の4人でさっそく山に入っていきました。入るやいなや例の「リコボウ」があちこちに。もし採るなら帰りに採ればいいから放っておけというHさんの忠告を渋々聞きながら、ほどなく東山の尾根づたいにでました。そこから南下して彼がポイントだというところまでキノコを探しながら歩きました。
山は紅葉し始めて、素晴らしく美しい。脇の雑木林に入ると、「リコボウ」はほとんど無数にあり、「アミタケ」「コムソウダケ」「ムラサキジメジ」などがずっしりと重くなるくらい採れました。


ただ、残念ながら「マツタケ」はなし。Hさんは3本採ったというものの姿は拝めませんでした。確かにこのあたり一体は赤松林なので条件さえあえばマツタケに遭遇しても不思議ではありません。
こうなったら執念で、これから裏山を攻略することにしますか。

一度案内してもらっただけではすぐに道を忘れてしまうと思い、実は今日妻と二人でその道をたどってみることにしました。二人だけなので、熊よけの鈴を二人ともつけ、私は大きなナイフを持ち、杖を持って完全武装し、同じ道をまたたどりました。妻の方がよく道を覚えていて、問題なく途中まで行くことができました。これなら何度か歩いているうちに自分の庭のようになりそうです。マツタケも時間の問題か。んなわけないか。
ともかくなかなか秋を満喫できる環境であることだけは確かです。


何だか、毎日こんなことばっかりやっているみたいですね。


  10月14日(土)
今日は池田町、池田町観光協会、ガイドマスターなどが共催して行う秋のイベント「ウオーキング」の初日でした。歩く場所は例の「北アルプス展望のみち」です。
ただ今日は、妻が用事で出かけることになっていたので、私はお昼頃までの部分参加でしかも取材専門としての参加でした。車で先回りして部分的に歩き、要所要所で写真を撮るという役まわりです。
北アルプスの山々は雲で覆われて展望はイマイチで残念でしたが、ウオーキングには絶好の日和にめぐまれて、一行は秋の景色を楽しみながらゆっくりあるきました。
昼休みにはライオンズクラブのメンバーがキノコと豚肉のたっぷり入った豚汁を用意して待っていてくれて、思い思いの場所に陣取って豚汁に舌鼓を打ちました。
3割ほどが昨年も参加した方々。今日の人数は総勢50名くらいとやや寂しい人数でしたが、逆に少なさ故の親密感や和やかさがあってこじんまりと楽しいウオーキングになりました。










  10月11日(水)
今日はまた一転朝からしとしとと雨降り。ネコのハルちゃんは一晩遊んできて朝帰り。今は50畳ほどの屋根裏部屋(倉庫)を独り占めしてぐっすりとお休みです。腹が減るとまた降りてきて食事をおねだりし、食べるとまた上に上がっていって寝るという「ぐうたら」生活。一日外で遊んできたり、夜はひとり(一匹?)で寝たりと、人間とは距離をおいて付き合うという野良猫の習性(?)がぜんぜん抜けないのが面白い。

今日は妻は朝から仕事で出かけたので、母の着替え、食事を済ませて宅老所に送り出し、その後はホームページの更新。
私にブログの開設を手伝ってほしいと言っていた友人MNEMOさん、私が引っ越しで何にも出来ずにいるあいだに立派なブログが開設されていました。おめでとうございます。引っ越しで忙しかったとはいえ、何のお手伝いも出来ずすみませんでした。
いつもは私の掲示版にたくさんコメントを書き込んでいただいていたので、これからは私が訪問する番ですね。さっそく短文を書いておくりました。何しろ深い教養と鋭い感性の持ち主のMNEMOさんですから、内容も幅広い。これからが楽しみです。

最近レンタル・ビデオ屋に行くとやたら目に付くのがシーズンものです。いつからこのような形式で出し始めたのか定かではありませんが、一つのストーリーを小気味のよいテンポで描くので時間の長さなど気にならないというのが人気に秘密でしょう。実際人気のビデオはいつ行っても借りることができません。
いまテレビのコマーシャルでもよく見かける「24」もその一つ。シーズンVが始まって現在は9まで借りることができます。シリーズ中一番面白いという評判なんですが、果たしてそうか。今アメリカが直面しているテロとのたたかいが主要なテーマで、権力の中枢を舞台にストーリーが進行していくハラハラ・ドキドキ感はたいしたものです。しかし、だからこそそこには大変危険な罠がしかけられている。奇しくも今アメリカで拷問の容認という問題が現実に起こっているらしいのですが、この映画を見ているとテロの容疑者にはどんなことをしても口を割らせることが必要なのだとつい思ってしまう。100万人の命を守るには一人の犠牲もやむを得ない、自白させなければ100万人が命を落とすことになってしまう。だから何をしてもよい、という論理。アメリカの権力の中枢にも「敵」の手引きをする高官がいるという設定もありふれたものではあれ、ストーリーを複雑にしているのでそうした意図をカモフラージュする手口の一つになっていると思われます。私がよく引き合いに出す「ダーク・エンジェル」の設定とは明らかに違います。こっちのほうは権力に刃向かうレジスタンスですからね。このシリーズが第2シーズンで頓挫した理由が権力からの圧力であったという私の推測はあながち見当外れでもないのではないでしょうか。それにひきかえて「24」はアメリカ大統領府ご推薦の番組のような気がします。ま、最後まで見てまたコメントしましょう。


  10月10日(火)
昨日・今日とすばらしい秋晴れ。すがすがしい空気に囲まれて安曇野ぐらしを満喫しています。

昨日は共産党池田ファンクラブ主催のキノコ狩りの日でした。役員の予想をはるかに上回る30人近くの大所帯で出かけることになりました。こちらでもキノコ狩りは人気のイベントなんですね。
場所は大町市美麻の大町スキー場近く。数人のグループをつくって、それぞれクマよけの鈴や笛を鳴らしながら灌木の中を歩き回ること約2時間。私と妻は昨年始めてキノコ狩りに行ったこともあって少しは分かっているはずでしたが、実際にはキノコの判別となるとほとんどダメ。経験者に何度も聞きながら採ることになってしまいました。
収穫したキノコは「リコボウ」「チョコダケ(ホテイシメジ)」「アミタケ」「チャナメツムタケ」など雑多でした。中には沢山採ってはきたけれど鑑定の結果ほとんどが食べられないキノコだったという残念な人もいました。これだからキノコ採りは難しい。しかし同時にくやしい思いをして、また挑戦したくなるのもキノコ採りの魅力です。
キノコ採りの後は、おそば屋さんの広間でキノコ汁と新ソバをごちそうになりながらの懇親会。自己紹介をしたり情報交換をしたりして楽しく過ごしました。
大町からは爺が岳や鹿島槍が雪を頂いてくっきりと見え、紅葉のシーズンの近さを感じさせてくれていました。


キノコ狩りの写真を「安曇野の四季」のコーナーにアップしました。


  10月8日(日)
しばらく雨模様のぐずついた天気が続いていたのですが、今日は久しぶりによいお天気になりました。といっても、風が相当に強く、しかもその風に北アルプスにかかった雨雲から雨つぶが吹き飛ばされてきて霧雨状態でした。
風に吹き飛ばされている雲の合間から北アルプスの峰がちょっと見え隠れ。ややや。雪です。初冠雪です。下界はそれほど寒くはないのですが、やはり3000bに近い峰は零下になったのでしょう。南の方の峰でこんな状態ですから、白馬方面は多分真っ白のはず。いよいよ冬将軍の足音が聞こえてきましたね。


朝、この強風のいたずらなのか、めったに見られない素敵な景色が見られました。大きな虹です。しかも長時間、場所と形を変えて、見られたのですからラッキーでした。この模様はトップページの扉の画像としても、「安曇野の四季」の一ページとしても収録しました。




  10月5日(木)
今日は富山からガーデニングの業者が庭木を運んできて植え替えてくれる予定の日です。かつての富山の家にはツツジなど何本かの庭木がありその家を処分するときに懇意にしていた業者の方にしばらく預かってもらうことにしていたのでした。
予定通り午前9時過ぎに造園業者のトラックが到着、さっそく作業がはじまりました。
運んできてくれた方はそのお店の若様と職人さん。休む間もなくテキパキと植木をおろして植え付けにかかってくれました。
もともとツツジなどの灌木類だけなのでが、庭木というにはちょっと気が引けますが、それでも植え終わるとそれなりにこじんまりとした庭になりました。
あまり背丈が高いとせっかくの景色が台無しになるので、まあ、こんなもんでしょうか。一日がかりで夕方ようやく完成しました。
あとはウッドデッキとブドウやアケビの棚をつくれば庭はほぼ完成。



ところで、庭の植え付け作業の間に道沿いに植えたばかりの「イチゴ」を調べていたらかなりの株がしおれている。よく見ると株ごとに一匹から数匹のカナブンの白い幼虫が食いついていてせっかくの根をすべて食べてしまっているではありませんか。このままでは全滅は必至。やむなくまたまたプランターを持ち出してきて、全部根をしらべながら植え替え。全く何が起こるか想像もできません。イチゴの株が1/3程に減ってしまいました。これでうまくいくのかどうか、まだ未知数です。クソッ!!何とか幼虫を退治して美味しいイチゴを作らなければ。


  10月4日(水)
先週の土曜日から急に腰が痛くなって日曜日の朝にはついに這って歩かなければならないはめに。とくに「ぎくっ」としたわけではないのでたいしたことではないだろうと思っていたら、実はかなりの重症。妻に湿布薬を貼ってもらったり痛み止めを飲んだりしてようやく少し楽に歩けるようになりました。
実は2日から3日にかけて栃木の息子夫婦のところに孫の顔を見に行く予定にしていたのです。
一時はどうなることかと思っていましたが、何とか動けるようになったので出かけることができました。
車で出かけるのはこれで2度目。行きは全行程妻が運転してくれて私は横で居眠りばっかりでした。
妻の日記にもありましたがETCレーンを利用して高速道路もスムーズに通行することができました。
運転している妻は始めてゲートを通過する際にうまく機械が働いてくれるかどうか不安そうでしたが、しっかりゲートが上がったときはさすがにホッとした様子でした。その後はもうすっかり慣れてスイスイ。それにしても音声案内は便利なようでうるさい。

栃木について、さっそく孫とご対面。何しろ生まれてまだ1か月半なので小さいこと。ダッコすると壊れそうなので無理矢理抱かされた以外は私は近くから眺めているだけでした。
ミルクを飲んで泣いて寝て出して・・・そうやって大きくなっていくんですね。息子もこんな年になったかと、私はむしろそっちの方が感慨無量でした。息子を抱いて風呂に入れたり遊んだりしていたのが、そんなに昔のことでもなかったように思えてしまって・・・。しかしそれは30数年前のこと。今度はそれを息子がやる番になったということですか・・・。
泊まったホテルは大きなプールや温泉浴場がある那須高原一の豪華なホテル。ゆっくり過ごすことができました。そして明けて今日は那須高原のいくつかのスポットを息子夫婦に案内してもらって夕方帰途につきました。午後9時過ぎ無事池田着。

一晩放っておかれたネコのハルちゃんもまもなく帰宅。しきりに甘えておりました。


わが友であり、国会議員秘書でもあるMr.Seoから国会通信第2信が届きました。今回の通信では安倍首相の興味ある"顔"が書かれています。ご一読を。こちらです。




"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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