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  12月31日(日)
いよいよ大晦日。とはいえ今日まで中3の冬季講座があり、大町まで出かけておりました。
冬季講座はこのあとは3日から7日まで。私の受け持ちは数学と理科。理科なんてやったことないのですけれど、問題集を見ていると懐かしいような問題も多く、生徒といっしょに問題を考えておりました。
また今日は一人の子が授業の前に面接の練習をしてくれというものだから、急遽会場を設えて想定問題をつくって模擬面接を行いました。
長野は公立も一次試験でかなり決まってしまうようなのですが、いまいち仕組みがわからず、とにかくこの一年を経験してしまわないことには受験への対応も身についたものにはなりません。

さて、年末になってようやく冬らしい天候になってきました。朝はびっしりと数センチの霜柱。ネコも寒いのでほとんど外に出たがりません。私としては、ようやくこの気温で山に生えている蔓も水をあげなってしなやかになるので、よい材料を集めることができると喜んでいます。


ここ2,3日塾の中一生の一人がDVDに記録してくれてたテレビ番組「のだめカンタービレ」を見ていました。見たのは第6回まで。この番組は塾のある月曜日だったので生徒が記録しているのを聞きつけてDVDに落としてもらったのです。
現代型ドタバタ喜劇の形をとりながら、音楽を作り上げていく若者たちをさわやかに描いている楽しい番組です。竹中直人があまりに出しゃばりすぎてイヤラシイのを除けば、クラシック音楽の醍醐味をそれなりに伝えていておもしろい。このあと11回までが楽しみ。


  12月27日(水)
私がこのホームページを始めた目的の一つは実は「母の介護の模様を記録しておきたい」というものだったのです。ですから、作りたての頃には「介護日記」というのがありました。しかしながら結局一行も記録しないうちに消えていく羽目に・・・。
私の日記がその一部を代行していたということがその主な理由でした。とはいえ、それもあくまで最初の頃の何ヶ月だけ。東京から長野に移り、ヘルパーさんやディサービスの方たちのお世話を受けるようになってからはほとんどそれも姿を消してしまいました。
毎日長時間母とともにいるというわけでもなく、いっしょにいる場合でも寝ている時間の方が長い状態で、それをどうやって記録するのか。そう考えると「介護」と口ではいいながら、介護らしいことはほとんどできていない毎日をどうやって記録するのか、書けなかったというのが正直な気持ちでしょうか。
書けば辛いこともあるわけだし、書いてどうなるという思いもある。毎日毎日がほとんど同じことの繰り返し。確かに母の表情や身振りの変化。次第に衰えていく身体機能について書けば書いたになったかもしれません。前にいる人間が誰ともわからず、ほとんど言葉を出さなくなったここ1,2年。そうした母の衰えと毎日顔をつきあわせて、それを記録できたとしたら、それはすごいことだと思います。
母が重荷であるとかいつも邪険に扱っているとかというわけでもありません。それでも結局は、始めに思い描いたような「介護日記」というコンテンツは出来ませんでした。いま考えてみると、どうやらそれを記録することで「介護」にどっぷり浸かったり、母に過剰に係わったりすることを無意識に拒否していたような気がします。介護は介護、私たちの生活は生活と割り切っていたかったのでしょう。同時に、母と係わっている時間をまた記録として残すことの煩わしさからある意味で逃れたいという気持ちもあったかもしれません。
しかし、ますます老いていく母を見ながら、そうした自分のあり方をちょっと反省もし、もう少し母と係わってやらないといけないなと思いはじめているんです。言うは易く・・・の通り、なかなか実行はできないかもしれませんけれど、多分自分自身が年を重ねてきたからでしょう。
最近テレビなどでよく「認知症」をテーマにした番組があります。それを見ながら妻と「ボケは早い者勝ちだね」と冗談ともつかない話をすることがあります。つまり、介護をしながら、いつ介護される身になるかわからない年になりつつあるということ。母の身は自分の身なのですよね。




  12月26日(火)
またまた実に一週間ぶりの更新になってしまいました。大町の展示会で作品が一つ売れたという連絡があったので、急遽追加の作品をつくっていたために、あっという間に時間が経ってしまったというわけです。
もう一方の梓川での展示会では、3点のうち1点が売れたという連絡。いずれにしても一生懸命つくったものを買ってもらえるというのは嬉しいことです。

12月に入って作ったランプシェードは合計9点でした。うち6点が球形、1点が卵型、あと2点がその他です。
昨日一段落して午前中から昼頃にかけて片付けを終わり、ついでに家中の掃除も済ませました。これまで足の踏み場もないような状態だったのが、ようやくもとの生活にもどって一安心。

作品展をやっているとよく聞かれるのが「工房はどこですか」という質問です。妻は「コーボ〜!?」と言って大笑いしてしまいましたが、もちろん私に工房なんてありません。そのうちどこか庭の片隅にでも小屋を建てて「つる工房Moo」でも始めようかと思っています。
作品にとりかかっている間は一日10時間ほどぶっ続けで仕事をしますから、他のことはまるで出来なくなってしまいます。根を詰めてやらないとうまく球形にならないからです。だいたい一週間で一個の割の制作です。蔓を取りに行っては仕事をするので一つの作品を仕上げるには何しろ時間がかかります。その後は台をつくり、球の微調整をして約一週間で完成となるのです。時給に直すと300円程になるんでしょうかね。
昨年からいろんな形のランプシェードを作ってきましたが、私のお気に入りはやっぱり球形。展示会に来る人もこの形にはどこか惹かれるものがあるようです。球には不思議な魅力がありますもんね。
この前すぐ近くの山に蔓を取りに行っていたら、来年にはあたり一帯が整地されて畑になるという話を聞きました。となれば、今の冬のうちにたくさん蔓を採っておかないといけません。蔓の生産地が無くなるのは残念至極・・・・。




  12月18日(月)
朝起きると一面の雪。初雪です。1センチほど積もっているだけでしたが、それでもあたりは冬景色。この冬一番の寒波がやってきているようですね。


夕方からは塾をお休みしてガイドマスターの反省会兼忘年会に出かけました。今年一年の取り組みを概観しつつ次年度にむけての課題を明らかにしようと企画されたものでしたが、ガイドマスター登録の半数ほどの出席に過ぎず、昨年同時期にほとんど全員が集まったことから見ると明らかに求心力を失ってきていると私には思えました。
確かに何人かの個人的な努力でそれなりの成果は上げつつあるものの、ガイドマスター全体の組織としての力量アップという面では相当に問題を抱えていると感じます。
私としてはホームページの作成で一定の役割を果たすことができて、その報告のなかでいくつかの問題点も指摘しておきました。ガイドマスターという制度もあと一年で定着するのか、それとも消えていくのかはっきりすることでしょう。観光推進本部がその機能を全面的に発揮できるのかどうか、いくつかの観光推進体制のリーダーがその役割を果たしうるのかどうか、そして、ボランティアの熱い気持ちをつなぎ止めることができるのかどうか、ということです。
以前、観光推進本部のホームページを外注するという話があって、検討会を持ったことがありましたが、結局ポシャッてしまったようで、事務のスタッフが作成することになったという話がありました。私自身は、本格的に観光に力を入れるのなら、キチンとプロに作ってもらうのがよいと思う方ですが、結局ネックは予算問題。しからば、私ごときシロウトでも役に立てるなら幾らでも手伝いすると申し出てきました。多少ともホームページの技量を若い人たちに伝えることができて、それなりに町の振興に役立てばいいですからね。

さて、「わちがい」での「明かり展」のことですが、先に搬入したのは3点と書きました。しかしそれらはほとんど昨年と同じものだったので、正直恥ずかしかった。それ以後とりかかっていた2点がようやく完成したので、広頃から妻といっしょに納入に行ってきました。一つは小さい球形を囲むように6枚のリーフ状のひらひらを周りに付けた大きな花のようなランプシェード。球形にかつて友人からいただいたビーズをかぶせて豪華な光の饗宴が楽しめる一品に仕上げることができました。
もう一つは球形ではなく卵形(正確には楕円体)の、まるで鳥の巣を見ているような一品。なかなかおもしろい趣向でできあがったと思っています。これらは同じものをすぐに作るわけにはいかないので非売品としてしばらくここに置き、穂高の展示会でも展示することにしました。




ふと今日の信濃毎日新聞を見たらどこか見慣れた写真が載っているではありませんか。私の作品が写真のど真ん中にあって、ちょっと照れくさいが、なかなかよい。記事の中に私の作品の記述がないのが残念ですけど、ま、いいっか。
展示会の紹介記事が今日の新聞に載ったのでした。



  12月16日(土)
いじめにあって死を選ぶ子どもの心中を思う。障害を持ちけなげに生きる子どもを思う。受験の重圧に苦しみながら、それでも親の期待に添おうと必至になる子を思う。仕事に行き詰まって自死を遂げた親を持つ子の心に寄り添いたいと思う。学校は、地域は、自治体は、国は何をすべきなのか。
この国の異常は、行政が自らの責任を棚に上げて家庭に教師にその全責任を転嫁しようとするところにある。その挙げ句の果てが昨日の醜態。これほどに一国の基本法が軽く扱われるようになってしまった政治の貧困。すでに教育を語る資格も資質もないのに、いやそうであればあるほど饒舌に教育を語ろうとする。徳目を押しつけて何の痛痒も感じない。
戦争を準備しようとすれば、まずは教育の支配。続いて財政(消費税など)の準備。そして戦時立法。そのどれもほとんど完成の域に近づいている。そうだと気がついたときはすでに遅い。なぜあのとき声を上げなかったのか、なぜあのとき反対しなかったのか、なぜあのとき気がつかなかったのか・・・・歴史はいつもこの繰り返しだった。
自衛隊の海外派兵を恒常化するための防衛省昇格関連法がいとも簡単に国会を通過する。日本国憲法との乖離は極限まで到達しているというのに、これほどまでにアンノンなマスメディア。将来海外へ行くのは現在の自衛隊員ではなかろうに。
今なら言える。声を上げなかったのではない。反対しなかったのでもない。気がつかなかったのでもないのだ。ただ気づこうとしなかった、声を上げる気がなかった、反対する意志もなかったにすぎない。
これは自責の念をこめて、我と我が身に言い聞かせなければならない言葉なのだ。単に戦争と平和の問題、民主主義の問題だけではなく、自分の毎日の生き方が自分と他人の生存の条件とどう係わっているかが問われる時代に入っているからに他ならない。




昨日は「明かり展」の搬入の日でした。お花の先生のギャラリーでの展示会に続いて大町での展示会。そのための準備(作品制作)でとにかく連日の大奮闘でした。できあがったものは全部で5点。今日できたものを入れると6点ですが、持って行ったのはそのうち3点だけでした。
大町の「わちがい」は古い民家を改造して食事を提供できるようにするとともに、いろんな展示が四季折々にできるようにしてあります。メインの展示室は確保されていて、ほとんどがそこに飾り付けをします。ただ一部の作品は、食事をしながら展示を楽しめるようにあちこちに置いてあります。
七宝、ガラス、鉄、陶器などの素材を生かしてさまざまなランプが作られていて、すばらしい。昨年の展示ではそうも思わなかったのですが、今回はみんなプロなので、私としてはほんとうに恥ずかしい。しかし、どんな作品でもみんな暖かく見てくれ評価してくれるので、私のようなシロウトでも片隅に展示が出来るのです。
いろんな作品を見ていると、やっぱり創作意欲が刺激されます。次はきっとハッとするようなものをつくりたいとね。他人より、自分で気に入ったものを作れるかどうかです。
年があけて1月下旬からは、今度は穂高のギャラリー「ぬく森」でつる細工の展示会。この展示会は「つる」だけの作品展なので技量・趣向・センスが問われます。
それまでは、とにかくただひたすらつるを採りに行って作品に仕上げるという気の遠くなるような作業の連続。ハーブセンターにも出品しているので、一年分の作品を作ることも必要だし、ランプシェードだけではなく、カゴやドライフラワーの土台もたくさん準備しておくことが課題です。ふ〜〜。


  12月13日(水)
朝晩の寒さが厳しさを増してきました。とはいえ、昨年と比べるとずいぶん暖かい感じです。
夜遅く大町から池田に向かって車を走らせていると松川に入ったあたりと、池田の中心からやや離れたあたりで深い霧が発生していました。平野部に霧が溜まっているような感じでたなびいているのでした。大町から池田まで約10キロほどあるのですが、その間にすれ違う車は驚くほど少ない。夜10時も過ぎると10キロ走って多くて20台。少ないときは10台くらいしか出会わないのです。
こんなことは東京では考えられないことですよね。何しろ11時を過ぎても電車は満員、車もとぎれることはありませんから。そうしてみるとこの地方では実に人口密度も車の密度も少ないことに気づかされます。確かに、我が家の前の道も、ほとんど車が通らないのですから・・・。
昨夜は満天の星。いつになくたくさんの星が見えました。残念ながら冬の星座ではオリオンくらいしかわからない。長野にきたからには星座の勉強もしっかりすることにしましょう。ね、MNEMOさん。

国会ではいよいよ教育基本法の改悪案が参議院で大詰めを迎えています。公聴会を開けばまともな意見は改訂に批判的なものばかり。このまますんなりと通すわけには断じていきません。
第1。現行の基本法では教育は国民に直接責任を負って行われるべきものという国民主権の立場を徹底しています。そのために国家権力や政治勢力などによる不当な支配を排除しているのです。
これに対して改訂案では、「国民全体に対し直接に責任を負って」という部分を削除、あろうことか「この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と置き換えてしまっています。国家権力による無制限の介入を可能とし、「国家」を基準として教育が行われるようになるのですから、全くの180度転換といってさしつかえありません。
第2。徳目主義への転換。とりわけ愛国心教育の強制。一方で無慈悲で何の教育的配慮もない差別・選別だけの競争主義をあおりつつ、その裏側で内心の自由を踏みにじる徳目の強制。学校からは自由闊達な雰囲気は失われ、教師たちは差別と競争に追い立てられることになるでしょう。
現在の教育の矛盾が教育基本法から発しているのではなく、歴代の自民党政権、財界が教育基本法の理念をどんどん掘り崩してきたことにあることは少しでも教育の歴史を学んだ者には常識です。
国会で絶対多数を占めるいまこそ改悪のチャンスと彼らが見ていることは明白ですが、なぜこれほどに国家主義を強調した改悪を急ぐのか。その理由として現在のこの国の抱える矛盾の深さ、危機の深さを指摘しないわけにはいきません。
企業ならとっくに倒産して跡形もなくなっている借金まみれの国家財政。アメリカとの軍事一体化を至上命題とするグローバル戦略と憲法の平和条項との矛盾。そうした中でも大企業の利益をいっそう確保するためにはいかなる労働者犠牲もいとわないという資本の論理。
矛盾が国民的な運動としてひろがらないうちに、「国を愛する、国を守る」という心情に収束させて我慢させるか目をそらすことが、彼らにとっては一刻の猶予もならない課題となっているからなのでしょう。
教育基本法の改悪はどこへ私たちを連れて行くのか。もし、法案の通過を許すなら、私たちは取り返しのつかない愚かな過ちを歴史に記録するということになるでしょう。ゆえに、私は教育基本法の改悪に断固として反対します。

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さて、本日我が家に「ヒカリ」が来ました。Bフレッツの工事が完了し、インターネット、電話ともに光通信の恩恵を受けることと相成りました。午前中工事に来てくれたのですが、クレーン車2台、作業員8名ほどという仰々しいもの。もっとも、ヒマな人が手伝いに来ていたらしく、2時間以上も我が家の前はにぎわっておりました。


今まで使っていたルータは不要となり、変換機とルータの機能を併せ持った機械だけですべてすますことができ、プロバイダの方の手続きもあっという間に終わってさっそく光回線での通信を試しています。
そうはいっても100Mbpsのスピードが出るかというと全くそのようなことはなく、端末で試してみると25Mbpsくらいらしい。どこがネックになっているのかわかりませんが、今まで5〜6Mbpsだったことから見れば劇的なスピードアップであることは間違いありません。それに下りだけでなく上りが超スピードアップになっているので、これからはテレビ電話などの双方向での通信に大いに役立つだろうと期待しています。


  12月11日(月)
ずいぶんと間が開いてしまいました。体調を壊していたわけではありません。とにかくひたすら作品の制作に取りかかっていたのでした。
ほとんど連日、午前中は山に「つる」を取りに行き、この後はひたすらつるを織り続けるという生活です。更新の時間がなかなかとれなかったのは中心となる大型の球形ランプシェードを4個つくることが最優先で、しかもなかなかはかどらなかったからです。
このランプシェードは見かけほど作成が楽ではありません。一つとして同じ形にならない。しかも球形にするのがやたら難しい。悪戦苦闘しながらも次第に球形に近づいていくのがその醍醐味ではあるのですが・・・。このあとは球形ではなく、違った形のランプシェードを3個つくります。
9日からは梓川のお花の先生のギャラリーで「クリスマス展示会」がはじまりました。ここ1ヶ月ほどでつくったバラの3点セットと作りたてのランプシェードを出展しています。
このあとは15日に「明かり展」の搬入が控えているので、ここ数日はメチャ忙しい日になりそう。


国会では「教育基本法」の改悪案をめぐっていよいよ最終版。国会情勢については我が友、妹尾さんが第6信でくわしく伝えていますのでご覧ください。

Mr.Seoの国会レポート


  12月2日(土)
70年代後半は冷戦真っ最中。組合の役員をしていた私は当時、北海道の米軍・自衛隊の基地を軒並み調査して歩くツアーに参加したことがありました。
その頃、陸上自衛隊の主力は北海道に置かれ、「北から攻めてくるであろう」ソ連に対応するために、戦車や対空ミサイルなどが配置され、演習が頻繁に行われていました。ソ連を意味する赤軍と日本の自衛隊を意味する白軍とに分かれて実戦さながらに演習が行われているという話を聞いたのはそのときでした。
それから30年近くの時をへて21世紀初頭。日本の自衛隊は世界でも有数の戦力を持ち、当時とは比較にならないほどアメリカの世界戦略に深く組み込まれ、海外へ出て行く機会も今や数知れず。
先日引用した斉藤貴男さんの著書「ルポ改憲潮流」の終わりの方には、北朝鮮・台湾有事を想定して日本の南すなわち沖縄の軍事的重要性が格段に高まっていることが指摘されています。
それに関連して同書で取り上げられている海上自衛隊実働演習についての下りは本当に戦慄すべき内容だと思われました。これを読めば、今から30年前の実動演習の「伝統」を確かに今に伝えつつ、しかも「従来の専守防衛から先制攻撃容認へと大きく舵を切ったと言える」(前田哲男さん)段階へと変容を遂げてきている実態がわかります。
「私たちの社会は、このままでは世界中から軽蔑され、憎悪される運命を免れなくされてしまう。キレイゴトばかりを言うつもりはない。ということは、私たち自身も日常的にテロの恐怖におびえ続けなければならなくなる、ということでもある。やればやり返される世の習い。日本はしかも、アメリカほどに広くも強くもない。生兵法は大怪我の基である」(同書あとがき)という斉藤さんの指摘を自らにひきよせて考えてみるべきではないでしょうか。

今日は居住地域(滝沢)で進められている「農地・水・農村環境保全向上活動支援実験事業」の一環で、排水路の泥上げ作業が行われました。出る出ないは任意なのですが、顔を覚えてもらう意味もあって前回に引き続き参加しました。
作業は田圃の真ん中を走る農業用水にたまった土砂を掬いだすという文字通りの力仕事です。3,40人くらいの参加があり、重機も出て一斉に作業開始。何しろ分厚く土がたまっているし、汚泥状態でめり込んだ長靴がなかなか抜けない。汗と泥にまみれて半日水路と格闘しておりました。
久しぶりにドジョウの顔を見ました。カワニナも住んでいた。水路をきれいにして、ホタルが見られるようにするというのも、今回の掃除の目的の一つらしい。それはいいことです。
それにしても、この地域では集まるとこんな作業ばっかり。腰がいたい。

バイトから帰ってメールチェックをしていたら、冬の「明かり展」のDMハガキ、ポスターを作成しているデザイナーの方からハガキの校正判が送られてきていました。さすがにプロですね。もとはPDFファイルだったのですが、サイズが大きかったのでjpgに変換して次に収録しました。
いよいよ大変なことになってきました。もう日がないし、明日から本格的に作品つくりにとりかからなくては。




  12月1日(金)
高校で学ぶ数学の一分野に「ベクトル」という概念があります。「方向と大きさをあわせもつ量」がそれなのですが、ときどき社会問題や思考のレベルでも比喩的に使ったりします。
今朝「防衛省昇格法案」のニュースを読んでついついこの「ベクトル」というコトバを思い出してしまいました。国会で自・公・民の圧倒的多数の議員(大きさ)が改憲という方向を向いて大きな矢印を描いている様です。
高校ではこのベクトルを表現するのに矢線表示(有効線分表示ともいう。小文字の上に→をつけてあらわす)と数ベクトル表示(成分表示ともいう。数字の組みであらわす)という方法を学びますが、数ベクトル表示すれば、この大きなベクトルは(教育基本法改悪,共謀罪法案,防衛省昇格法案,国民投票法案,・・・)という沢山の成分を持つ多次元ベクトルになるのでしょう。

斉藤貴男さんの「ルポ改憲潮流」(岩波新書)を読んでいましたら、朝日新聞若宮論説主幹へのインタビューについて書かれているところがありました。次は憲法についての質問への若宮さんの答えです。
それで憲法ですが、非軍事を主体とし、平和主義を貫こうというわれわれの基本的な考え方に変わりはありません。ただ九条については若干、95年当時に書いたような、その改定は有害無益だという部分は、少し幅を持って考えた方がいいということで、今は率直に言うと、議論をしながら考えているところです。
この10年の間に、護憲的な立場を採る人の中からも、自衛隊の役割を限定的に、きちんと書くべきだという議論が出てきたんです。現行9条の下、解釈”改憲”によって自衛隊の機能を膨らましてきたのだから、このままでは逆に歯止めがなくなりかねないという意見ですね。それから、若い世代にとって9条と自衛隊の関係が非常にわかりにくくなった。とすれば9条に自衛隊を明確に位置づける考え方もひとつの選択肢には入れた方がよいのでは、と。

難しい問題に悩ましく頭を「痛めて」いる若宮主幹の話がこのあとも続くわけですけれど、結局は次のような展開を次々と追認するだけの論理にならざるをえません。
防衛省に格上げになったのだから自衛隊という名称も防衛軍とか自衛軍とかというようにもっとわかりやすいものに変えたらどうか。「国を守る」ことが国民の義務であることは明白である。核兵器で攻撃されたらどうするのか、自衛軍の核戦略も検討すべきときに来ている・・・・。あの「おとなのロンリ」ってヤツです。「現実的思考」とも言い換えられます。
しかしながら、斉藤さんに言わせれば、事態はそんなに生やさしいものではない。表面的にそのように世論操作をしつつ、その背景で準備されていることは、現行のガイドラインは「それでも日本周辺有事に重点を置いていたのだが、もはや専守防衛の建前さえ否定する段階になってきたようだ」
いよいよ裏庭に核シェルターでも掘ろっかなあ。




"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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