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12月31日(日)  晴れ      我が家の十大ニュース

いよいよ今年最後の日になりました。しかし年末は仕事が忙しくて家のことは何も出来ません。大掃除は新築したばかりですので外の雲の巣を中心にやった程度で済んだので助かりました。
年末は仕事の予定も普段とは大幅に変更になります。今日も変則11時からの勤務になりました。それに加えて夫の方も塾の講習が入って出かけることになったのです。先生も生徒も大晦日だと言うのに大変。やむなく母は急遽ヘルパーさんにお願いすることになりました。

職場に行ったら狭い場所にアルバイトを含め大勢がひしめいており、帽子にマスクといった格好ですので誰が誰やらわかりません。とにかく池田の人口が二倍になる盆と正月が、スーパーのかきいれどきですので黙々と食品を作るだけです。一体何食作ったのでしょうか。今日は年越し蕎麦を食べる筈なのになんでお寿司が飛ぶように売れるのか不思議です。結構遅くまで客は入っていました。
わが家では、今までは毎年母が送ってくれる沖縄そばで年越しをしていたのですが、今年は母が入院中のため諦めていたところ、友人と弟が送ってくれました。有難く故郷の味を楽しみました。
今年は同級生からモズクもいただきました。彼は島の海でモズクの養殖をしており、モズクからいろんな商品を開発しているらしくその珍しい品物が送られてきました。
故郷の村が合併で市になってからちょうど一年になります。9月に初めて市会議員選挙があり、彼は村会議員から引き続き立候補して見事当選したそうです。学校の頃は彼が議員になるなんてとても考えられなかったことでしたが人は変わるものですね。私もそう思われているかも?

さて、ここで家の十大ニュースを記しておきましょう。

1. 1月29日、夫が60歳還暦を迎えました。お祝いは秋までお預けでした。
2. 2月28日、娘に二人目の孫が誕生。白玖斗と命名しました。
3. 3月、家の新築工事着工〜7月完成。
4. 4月、私がパート勤務を開始。池田にある大型スーパーの惣菜部。
5. 8月17日、長男に初孫が誕生。優菜と命名。
6. 8月、引越し。20日過ぎから新居で生活開始。8月31日借家の契約完了、鍵を返納。
7. 10月3日〜4日、夫婦で栃木県太田原市へ。孫の優菜と初対面。
8. 11月3日、妹夫婦と夫の弟夫婦が新築祝いに来てくれました。
9. 11月23日、久々に家族が勢揃い。息子は夫婦と子供、娘は二人の子供を連れてきました。
還暦祝い、新築祝い、誕生祝いを兼ねてレストランで食事会。
(皆が帰宅後夫婦がノロウイルスに感染し寝込みました)
10. 11月27日、実家の母が骨折し入院、手術。無事終了の連絡を受けほっとする。


12月28日(木)  雨のち曇り       落ち着きません

あー今日も終わってしまった・・・と、予定してことが出来ないまま年の瀬を迎えてしまいました。日記も日記ではなくなりました。全く情けない有様です。
時間がどんどん経って気ばかりあせるので、思いやりを持った会話も出来なくなり、売り言葉に買い言葉で喧嘩調になったりします。こんな時二人とも意外と短気だと言う事がわかります(笑い)。どちらかが怒っても相手にせず茶化してしまえばそれで済むものを同じように怒る・・・。若い証拠かもね。

仕事は今日と明日の連続休みで、後は年末から正月と長時間の勤務が組まれています。盆も正月もないとはこのことですね。
夫は用事で朝から出かけているので、昼ごろには母を起して食事の準備です。
朝テレビで若年性アルツハイマーの事が話題になっているのを見ていました。今日の自分も記憶が一時飛ぶ不思議な現象が起きたので認知症の前兆かもと驚いています。いつも「ボケたもの勝ちだね」と言ってはいるものの、実際にそうなったら二人の自宅介護は無理ですし、池田には施設も沢山はないしどうなるのでしょうか。介護保険も年々悪くなるし、早く死になさいということでしょうか。
大分前ですが、従兄弟が入院中癌と勘違いして飛び降り自殺をしてしまいました。ふと思い出され、その気持が今わかるような感じです。気持ちのもやもやを吹き飛ばして新年を迎えたいです。

12月第二週からの備忘録

12月12日(火)〜14日(木) 母ショートステイ
初日、夫が作品つくりに忙しくてどこにも出かけられないのでお手伝い。つるを採り後は温泉を楽しみました。
二日目、夫は搬入があるので私は映画と洒落込みました。久々の映画館での観賞。
クリント・イーストウッド監督作品の「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」を続けてみました。
太平洋戦争の時、激戦地となった硫黄島での戦いを日本とアメリカの両方の側から撮った作品でした。アメリカ人の監督ですので大国的な考えで作ってあり、戦争ではありますが見ていても気持がいい映画でした。
しかし、国は違っても上の命令には逆らえない弱いものの立場は同じです。日本人の心にたたき込まれた「鬼畜米兵」という言葉。それを信じきっていた一人の日本兵が、傷ついた敵兵の親からの手紙をみて、自分の親と同じことが書いてあり同じ人間なんだと。敵国を知らずに戦争をした日本人のバカさが出ていました。

12月15日(金) 塩尻の病院で検査。
以前大腸ポリープが見つかり切除した経緯があり定期的に検査を指示されていたのです。
前は入院しての検査だったので心配はなかったのですが今回は大変。前日から検査食を食べて当日相当量の下剤や腸洗浄剤を服用するのでトイレ通い。道中気がかりで高速道路では下車する場所を間違えたり大変な思いをして行ってきました。少々高い安心料でした。

12月16日(土)〜17日(日)二日間とも遅番勤務。
高校生バイトは卒業間じかで自動車学校に通っているので休み。お陰で夜は一人で忙しい。週末にはクリスマス商戦で休めないのをお願いして休ませてもらっているので我慢、我慢。

12月19日(火) ボーリングリーグ戦。
今日の成績はあまり良くない。最近調子が良かったのでショック。チームメンバーに練習不足を指摘されました。

12月21日(木) ボウーリング。別のクラブの月例会。
仕事が少し早く終わったので練習をするために出かけました。一昨日よりはよかったのでやっぱり練習は効果があるのかな。最近あまり行ってないからね。23日の天皇誕生日に計画している記念大会と忘年会も残念ながら欠席。(富山へ行くため)

12月22日(金)〜24日(日) 富山へ
九時過ぎに出発。天気は曇りで道中雪もなくてよかった。糸魚川付近から雨に富山も雨。友人達との久々の再会。今年夫を病気でなくした一人もようやく元気を取り戻していました。
夜は夫の妹宅にお礼を兼ねて行って来ました。家をリフォームしてあり白壁の綺麗な家に変身していました。住み安さにも工夫がしてありました。長野にも別荘があり、冬スキーに出かけるための車も購入して優雅な人生を楽しんでいます。夕食をご馳走になって来ました。
その晩は娘宅で泊り、髪の毛を綺麗にしてもらいました。下の孫は前よりは人見知りも少なくなり泣かなくなりました。這いずり回って捕まり立ちも上手。誕生日までには歩くのでは? 
一方の姉ちゃんは内弁慶かな。学習発表会のビデオを見せてもらいましたが、本番では相変わらず表情が硬くなるようです。来年からは一年生、得意な口を生かしてほしいな。
2日目は友人宅で宿泊。昔の同僚が集まり忘年会。こちらも家をリフォームして木の香りが素敵でした。
以前から猫を飼っているのですが、最近娘さんが犬を二匹飼った為に怖がり冷蔵庫の上で寝ているのだそうです。うちのハルとは大違いで初めての私にも膝の上に乗ってきました。

日曜日、午後から仕事があるので早めに帰ってきました。
小谷や白馬も雪はなく、スキー場も中腹から下は全く雪がありません。これでは大変なダメージでしょうね。

12月26日(火) 演劇の市民劇場の忘年会〜大町の事務所にて。
今までは料理屋さんでしたが、今回は事務所で。4日間連続勤務だったので仕事終了後に参加しました。会場に着いたときにはみなさんすっかり上機嫌になっていました。
今年は会員も増やすことが出来なくて小さくなっていました。会全体も大幅に会員減で2月の総会に向けて頑張ろうということになりました。


12月10日(日) 曇り     カラスが見ています

月二回の日曜休み。母も宅老所が休み、平日の休みよりは気分的にリラックスします。
ある日、同僚が「シニアのパートは休日加給手当てがないから、安上がりのために勤務をさせるから注意した方がいいよ」と教えてくれました。面接の時「手当てはつきません」と言われて承知で入ったのですが、まさかそこまでするでしょうか。
ただ誰でも日曜勤務が嫌なためにパートに当てはめてしまう傾向にはあります。そんな便利屋さんは嫌ですので用事がなくても希望を入れることにしました。
おばさん(私よりは若いが)が多い職場、いろんなトラブルがありますが、そんなことには係わらないようにしています。まあ嫌ければいつでも辞めればいいのですが、今のところ休みの希望も聞いてもらえているのでもう少し頑張ってみようかと思っています。

休みの日はダラダラ、有効?に使っています。夫はいつものようにつるを採りに行ったので留守番をしながら新聞のクイズを解いたりしていました。
外でなにやら音がするので見るとカラスが畑に埋めてある生ゴミをあさっているのです。また来たか。それにしても凄い口ばし。あの口ばしでゴミ置き場のゴミもあさっているのですね。
先日来、朝になると埋めてあるゴミが一面に掘り返されてちらかっていました。家の猫かそれとも犬か狸か正体がつかめなくて、それからは深く埋めるようにしていました。ある日カラスがつついているのを見てしまいました。正体はカラスだったのか。
この一帯ではカラスが電柱に沢山止まって夕方にはうるさいくらい鳴いています。この分だと来春からの農作業にも影響がなければいいのですが。

午後から、夫が通っているドライフラワーの教室の作品展を見に行ってきました。教室に通っている生徒さんの作品を皆さんに見てもらう企画で年に二回ほど開かれています。
今回は「クリスマス・森のファンタジー」と銘打っているのでクリスマスツリーが多くて賑やかでした。夫はツリーではなくいつもと雰囲気が違う壁掛けや盛り篭のお花などで逆に人目を引く感じでした。展示即売も兼ねている作品展ですが、夫は出品している作品は自分でも気に入っているので売れない方がいいとわけのわからないことを言っていました。




12月8日(金) 曇り       今年の冬は暖冬?

夜中に雨が降ったのか今朝はその形跡がありました。起床時は暖かく感じられましたが外に出ると寒さを感じます。
そんな日でも夫はドライフラワーの教室に出かけました。つるを採ってから行くようですが雨が降らなければいいのですが。搬入日が迫っているので臨時に出かけたのです。

ところで、昨日の新聞に、二十四節気の「大雪」(大雪〜雪が降り始める頃〜)とありました。一方では「暖冬、早くもフキノトウ」と大きな見出しが出ていました。寒気が入り込み北アルプス山麓では降雪も見られましたが、総体的には11月から12月にかけて平年に比べ気温が高い日が多いそうです。そのためか大町郊外で春に芽を出す「フキノトウ」が姿を見せ「フキ味噌」にして食べたというニュースです。
気象庁の天気予報だと、今年の冬は暖冬傾向といい、10日のスキー場開きを行う市内のスキー場関係者を心配させているということです。
雪の季節はやっぱり雪がないと寂しいですね。しかし降りすぎても市民生活だけでなく、スキー場でも困るそうです。降りすぎて交通が乱れると客の入りに悪い影響が出るためですね。
最近はスキー場近辺でも雪に異変があると言います。最近雪かきをしていて「雪が重い」と感ずるそうです。冬の初めや終わりを除いて厳寒期には軽い雪だったのが、この頃は湿った雪が多くなっていて、30センチ以上もある雪かきが大変だそうです。なぜ重たい雪が増えたのか、地球温暖化の影響か?と言われています。最近はスキーヤー客が減少傾向にあるのに加え、重い雪でますますスキー場離れが加速しないか心配されているようです。パウダースノーが売り物の北アルプススキー場に湿った雪は似合わない!!!と。
池田に降る雪は軽くて除雪も楽だと思っていたが雪の多い白馬などでは重く感ずるのでしょうか。富山では多いときには朝までに30センチも降りましたが、重い雪が当たり前でした。大雪が大変なことはわかりますが、私にはその富山での思い出があるので池田での雪かきが楽しいです。しかし、新しい土地は小高い山沿いですので市街地より多く降るのではないでしょうか。一冬越してみなければわかりませんが。
すぐ近くにある有明山にも雪が積もりました。下に下りてくるのももうすぐです。雪は好きですから待ち遠しいです。




12月6日(水) 晴れ       風邪の季節、予防対策を

三日連続勤務で二日休み。昨日は二人とも会議などの予定がなかったので夫の手伝いでつるを採りに行き、帰りに温泉に浸かってきました。毎回そうですが、つる採取で冷え切った体で温泉に入るとなんとも言えない至福のひと時です。
先日の寒波で山麓では雪が積もっていますが、平年に比べると気温が高い日が多いようです。暖冬なのでしょうか、つるを採っていても冷えると言う感じではありませんでした。それでも温泉はやっぱり気持がいいですね。

今日の予定は母のインフレエンザの予防接種です。早くから起して準備をしました。昨日の昼に微熱と下痢が一回あったという連絡が宅老所から入り、心配していましたがその後は平常になりホッとしました。
今朝も熱もなく平常と変わりないのですが、風邪の引き始めかと気になりながら診察を受けました。しかし医者からは大丈夫と太鼓判を押され、注者をしてもらいました。
病院の待合室はマスクをかけた人が多くこちらまで風邪がうつるような気がしました。それにしても私達の風邪(ノロウイルス感染症)がうつる事もなく母は元気です。
宅老所では皆さんも大丈夫のようですのでお年寄りの方が強いですね。入院でもしてもらっては困るので元気で何よりです。
以前は予防注射を受けた日は「入浴禁止」になっていましたが、今は「入浴可」でした。その代わり注射部位をこすらないようにという指示がありしたのでその旨を宅老所の職員に伝えて入れてもらいました。薬もなく注射も受けたのでびっくりしていた様子でしたが快く引き受けて下さいました。今年も宅老所の利用は”皆出席”で終わりそうです。

ところでインフルエンザと言えば「鶏インフルエンザ」が流行していて人にも感染すると報じられていましたので気になりますね。職場でも「鶏インフレエンザに注意」というビデオが従業員全員に強制視聴させられました。感染力が強く時には死亡に至る事例もあるそうです。抵抗力の違いもあり必ず発症するのではないでしょうが、今回の思わぬウイルス感染で少々自信がなくなりました。
昼からはそれぞれの予定があり出かけました。夫はもうすぐ開かれる作品展に出品するため、作品つくりに熱中しています。昼はドライフラワー、夜はつる作品、その合間に20年ぶりに筆を握るんだと言いながら「大町九条の会」の発足集会の垂れ幕を書いていました。どうしてこんなに頑張れるのでしょうか。そのエネルギーはどこから湧き出すのでしょうか。


12月4日(月) 晴れ      懐かしい便り

本当に早いもので日にちだけがどんどん過ぎて行きます。勤務に復帰したかと思うと連続3日間遅番。低い流し台での洗い物は腰が痛くなりますが今回は文句も言えません。頑張るしかありません。
2〜3日前に郵便局から年賀状を取りに来てくださいと連絡がありました。大分前に注文して放置状態ですので忘れたかと思われました。そろそろ書かなくてはいけませんね。

暮れになると「喪中」の案内が届きます。今日もまた以前一緒に勤めていた方から、介護していた姑が亡くなったという案内がありました。彼女は私と同じく県外出身者でしたので話も合い、よく一緒に介護の話をしていました。「夫は自分の母親なのにあまり面倒を見ないのよ」なんていいながら一生懸命お世話をしていたのでお母さんも感謝して旅立たれたのではないでしょうか。2年程前にはご主人が突然倒れて今はある程度回復はしているものの一時は二人のお世話で大変な時期があったので本当にお疲れ様でしたと声をかけました。
退職時の職場の事はもう忘れていたのでこのことで久々に思い出しました。

それともう一つ懐かしい方からメールが届きました。この彼女もかっての同僚です。思いがけないメールだったのでびっくりしました。
目が不自由で盲学校を卒業してマッサージ師として勤務してきたのです。同じ部署でしたので直接の指導は私に任されていました。障害があるからと甘やかされて育ってきていたようで、まだ学生気分も抜けきらない新人でした。本来なら親が躾ける「ありがとう」「お願いします」という初歩的なことからつい口うるさく言ってしまう上司でした。
職場に来た当時は、彼女にとっては当たり前の世界でも、私にとって初めての経験で何が出来て何が出来ないのかもわからず戸惑う毎日でした。明るくてあまり怒りませんでしたが、時には涙する彼女を見たときは、言い過ぎたかなと反省したりもしました。しかし見えないのは事実、一人では生きて行けないので人間関係をよりよく保つために必要な事を教えていたつもりでした。学校でもよく新任の先生と付き合っていたので、比べてはもうし訳ないとは思いつつ比べていたのです。
こちらの一方的な見解では、目から入る知識が少ないので多少の差はあるのかと思いつつ同年齢の人のレベルの指導になっていたのです。
しかし、目の変わりに耳が発達していて足音で誰かを当てたり、ひそひそ話も聞こえていたりしていました。
彼女の立場では「聞くイコール見る」でしたね。「夕べテレビを見ていたら・・・」と話を聞かせてくれました。3年間一緒にいて気持ちが通じたようではありましたが初めの頃の嫌な思い出しか残っていないだろうと勝手に思い込んでいました。そんな嫌な思い出が一杯であるはずの私にメールを送ってくれるなんて立派ですね。
「今になってわかりました。有難うございました」なんて書いてあるので仮にお世辞でも嬉しいですね。こちらは仕事とは言え、後味の悪い思いをしていたのでなんだか気が晴れました。よく「同じ障害者とは付き合いたくない」と言っていた彼女ですが、今では・・・ピックという障害者の大会や合唱団にも所属して楽しんでいるとのこと。成長した様子が伺えるメールでした。いま走馬灯のようにあの頃のことが脳裏を巡っています。


12月1日(金) 晴れ       疲れも吹き飛びます

カレンダーが最後の一枚になりました。いよいよ師走。
日中は暖かい日が続き、仕事にも気持よく出かけられました。本日から本格的に仕事開始です。同じ病気で休んでいた同僚も今日から出て来ていました。職場もやっと平常に戻りました。学生バイトも都合で長く休んでいるので私達にしわ寄せが来ます。自分が休んでいるときは責任者の方が一手に引き受けていましたが、明日からはお返しで暫く遅番続きです。頑張ろう。

仕事が終わったら夜はボーリングの月例会です。元気になったので気持ちよく投げられました。毎月2回例会がありますが、先月の後半は女子の部で優勝できました。今日はピン差で惜しくも逃しました。
今日も「風邪がひどいけど出てきた」と言う人がいて、病気でも好きな事であれば苦にならないのですね。
先日自分も同じような経験をしました。休むとチームが組めなくなり不出場となるのでどうしても行かなければならなかったのです。岡谷市でクラブ対抗の試合の当日、起床時から気分が悪く嘔吐。その時点では発熱がなかったので出かけました。試合中は夢中で気分が悪い事も忘れていました。緊張が解れたのか予選終了と同時に再度嘔吐、熱感もしてきました。幸いにも全員が決勝に進む点数は出なかったので予選落ち。一足先に早々に帰宅しました。
運転中も脱力感があり何とか家まで無事にたどり着きました。何よりも大会中に気分不良にならなくて良かったと安堵しました。

今クラブでは入院や転倒による腰痛などで例会を休んでいる人がいるので元気で投げ続けることができるだけで幸せです。30数人中夫婦会員が半数もいるのです。クラブでこんなに沢山夫婦がいるなんて驚きです。でも夫が妻のボールを拭いたり、運んであげたり羨ましい限りです。
年末年始に楽しい景品つきの大会が予定されていますが、この時期は仕事のかき入れ時で勝手に休めない期間です。鮭が当たるのでお正月に重宝していますと言う人もいました。残念、残念。







"Believe" by Blue Pino Man

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