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  7月31日(月)
7月末までにすべて工事を終わること、ときつく言ってあったので今日は縁側のとりつけが終わり、家の化粧直しと風呂やトイレなど設備関係の総点検が遅くまで行われていました。
午後7時過ぎに現場に行ってみるとまだ作業中。暗くなりかけた部屋に電気がともっていました。中に入ると、クリーニングも行き届いてすばらしく美しい部屋になっていました。
カーテンのかかった部屋はさすがに新築の部屋らしさを演出していよいよ完成という気分を高めてくれます。
まだ少し作業が残っているので、検査が終わり引き渡しの手続きが終了して、本格的に引っ越しの作業に移れるのは8月10日過ぎということになるのでしょうか。8月初旬はエアポケットのような期間になりそうです。







  7月30日(日)
ようやく梅雨明け宣言。暑い1日となりました。午前中は予定通り共産党ファンクラブ主催のマレットゴルフ大会に参加しました。私はこの会の事務局長ですから妻とともに少し早くでかけていろいろ準備をしました。
この大会には全部で21名が参加、和気藹々と楽しく半日を過ごすことができ、大成功でした。
マレットゴルフ場は平野の中央部を流れる高瀬川河川敷にあってなかなかおもしろいコースが多く、沢山の愛好家が訪れています。今日も同じ町内の愛好グループがゲームを楽しみに来ており「今日はどんな集まりだね?」と不思議そうに尋ねていました。参加者は「共産党のファンクラブだよ」と隠す様子もなく、むしろ自慢げに話しています。
優勝カップや副賞などをならべ、弁当のおにぎりやお茶などをたくさん並べて賑やかに大会をすすめている様子をどう見ていたのでしょうね。


さて、話は変わりますが、先日亡弟の連れ合いが訪問してくれたおり、父母のアルバムをいくつか持ってきてくれました。そのなかに父の遺品ともいえるアルバムが一冊まじっていたのです。
「海軍通信学校 第五十一期普通科電信術練習生 卒業記念 皇紀二千六百年」とあります。終わりには多分卒業後に押したのでしょう「軍艦蒼鷹(あおたか)電信室 根塚清春」というスタンプがありました。
これによれば父が通信学校を卒業してすぐに配属されたのが、1940年に横須賀工廠で起工・進水した軍艦蒼鷹ということになります。そしてこのアルバムからはまだ母と結婚する前の若き父の姿をわずかながらかいま見ることができます。
それにしても着ている海軍服はなるほど「セーラー服」なんですね。女子高生みたい、というのは今の感想。女子高生の制服が海軍ゆずりなんです。なんかヘンな感じ!




父は私の記憶している限り、決して戦争の体験について話そうとしませんでした。ほんのわずか東南アジアに行って買ってきたものとか、船倉の通信室でネズミを飼っていた話とかをしただけです。このようなアルバムがあることすら私には語ろうとせず、父の死後20年近く経ってようやくそのアルバムの存在を知ったというのですから驚きです。
父と母は戦後ずっと船艦・航空母艦の戦友会に参加していました。多分精神的な結びつきを強く求めていた節があります。すでに父は亡く、母もその意識のほとんどを欠落させている現状ですが、あらためて父母の戦中・戦後史を知りたいと思いはじめています。それは私が私である一つの証という意味も持っているはずですから。
そして同時に私の子どもや孫にとっては父母の祖父母の歴史の背景ともなるわけですから。

下の写真は父が乗っていた航空母艦「龍鳳」の写真(アルバムに挟まれていました)




  7月29日(土)
家の工事がいよいよ終盤にさしかかってきました。いろいろと考えたつもりでもいざ建築されてみると頭の中で考えていたのとはかなり違ったり、図面をよく見なかったりいい加減に対応していたためにその付けがまわってきたりという局面がかなり生じてしまいました。それでも大筋では予定通り。中の部屋割りやデザイン、設備のとりつけ、収納などほぼ満足できるところにまでこぎ着けました。
このあと、今日富山でインテリアを営んでいる古い知人がわざわざやってきてカーテンを取り付けてくれることになっています。カーテンの取り付けが終われば俄然部屋らしく雰囲気が出てくることでしょう。また、トイレ、キッチンの下水処理設備の整備やボイラーのとりつけ、井戸から冷風を取り出すダクトの取り付けなどが今日終わる予定です。
建築確認が終わるのは8月の5日前後。その頃から外の倉庫(ヨド物置)の組み立てが始まることになっており、10日くらいから引っ越し作業に取りかかれそうな感じになってきました。
現在の予定では本格的な引っ越し作業は8月25日。今の住まいの整理などを終えて完全に引っ越すのは8月末という段取りです。
建築行程のページ
というわけで、8月に入るとあれこれ忙しくなるので、しばらくは更新をお休みしなければなりません。あしからず。




  7月26日(水)
久しぶりによく晴れた一日になった今日。ようやく夏の日ざしに近づいてきました。それでもすっきりとした夏空というにはほど遠く湿っぽさが残っていますから、まだ梅雨明けということにはならないのでしょう。
午後からお花の教室にでかけ、先週の続きにとりくんできました。先週は葉っぱと11輪のバラを入れただけでしたので、今日はその間に紫陽花やかすみ草を入れて華やかさと彩りを加えました。上品でしかも豪華なブライダル・アレンジメントの完成。う〜〜ん。満足。しかしあまりに高価過ぎる〜〜。


夜は「ガイドマスター広報班」の会議でした。残念ながら参加は商工会のメンバーを除いて2名。ホームページの作成というテーマであったために自分には関係がない、あるいはわからないという気持ちが働いて不参加となったのかもしれません。そうだとすればちょっと寂しい。
会議の席上で私が主張したことは、ホームページを作るというのはあくまで技術的な問で大切なことは「何を訴えたいのか・何を紹介したいのか」を話し合うことであり、一人一人の持ち味を生かして知識と経験を蓄積することが大切なのだということでした。まだまだ議論不足を痛感しました。ただ、山を歩くだけでなく、もっとつっこんだ話し合いをしていく必要がありそうです。


  7月24日(月)
しばらくぶりの更新。大町の塾での夏の講習が始まったことと、ガイドマスターのホームページづくりに取りかかっていることとでちょっと時間の余裕がなくなっていました。
塾での夏の講習なんて久しぶり。もっとも中3、8名とうんと少ないので負担はそれほどではないのですが、引き受けた手前手を抜くわけにはいかないので結構気をつかっています。何とか希望がかなうように一人一人の状況を見極めて対応していくしかありません。

一方の町のホームページづくりはウオーキングを楽しむために池田町を訪れる人、またはこれから訪れたい人のためにそのガイド・ページをつくろうというもの。私はガイドマスターの広報班に属したものですから、いろんな人たちと提携して少しでも分かり易い、かつ行ってみたくなるような案内ホームページを作ろうというわけなのです。
先日は池田町の観光協会のホームページとどのように役割分担をするかという問題で何人かが集まって協議しました。観光協会のホームページは別の専門家が作成にあたり、私はガイドマスターのウオーキング案内に限って作成をするということになりました。
実際には足で歩いてマップをつくったり写真を撮ったりする必要があるので、いろんな人たちの協力なしにはホームページはつくれません。
私自身もあれやこれや試行錯誤しているのでこれまでになく時間を使っています。たくさんの人に見てもらって池田にきてほしいものですね。

試作品はこちらです。


  7月19日(水)
3日3晩降り続いた雨も今日はようやくあがって晴れ間も見え始めました。しかし明日はまた午後から降るだろうという予報。長野県では岡谷市を中心に土石流で死傷者も出るなどひどい被害がでています。
幸い池田では雨の降る期間は長かったものの短い時間に沢山降るという状況ではなかったために土砂の流出はそれほどではなくて安心しました。それでも新しい家の横を流れている用水は流量も多く猛烈な速さでびっくりしました。小さい小川でもこうですから、大規模な土石流となればどれほど凄まじい威力をもたらすかこれはもう想像を絶するものがあります。
それにしてもこの雨、どことなく異常です。梅雨空というのは停滞前線がもたらすもので「しとしとじめじめ」したものと相場は決まっていました。それがいつから梅雨は集中豪雨の季節となったのでしょう。太平洋高気圧の張り出しが遅ければそれだけ前線の停滞も長引くわけで、今度はどのような気候変動が起こるのか予測もできません。いろいろな事態に備える必要がありそうですね。

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昨日のニューストップで、イラクに派遣されていた陸上自衛隊の撤収が完了したと伝えていました。テレビのニュースではその後現地で自衛隊の残した物資をめぐってトラブルがあり銃撃戦が起こったという報道も。
自衛隊員が一人も死なず、他人を殺さずにすんで帰還できたのは喜ばしいことです。穴蔵に入っていたからだと揶揄する向きもありますが、これはまぎれもなく「憲法第9条」のおかげでしょう。
一方で、航空自衛隊はまだ現地に残り、アメリカ軍の支援部隊としての役割をいっそう果たそうというわけですから、憲法はますますなし崩し的に破壊されています。
新聞報道ではイラク派遣の功罪という言い方がされていますが、果たしてそうなのか。「人道支援」でもたらしたものは一体何なのか。
何度もこのページで紹介しているイラク人の女性リバーベンドは書いています。

暴虐…
この夏は、暑さと、ハエと、何時間 も何時間も続く停電と、至るところで見つかる死体とがごたまぜになっている。
 一昨日は破滅的な日だった。この日はジハード地区での殺戮のニュースで始まった。・・・(中略)メディアはこの事件を軽く取り扱い、37名が亡くなったと報道したが、住民たちは60名近い死者が出たと言う。

この殺戮事件で恐ろしいのは、この地区が、内務省治安部隊と米軍によって2週間近くも封鎖されていたということだ。(中略)米軍と内務省治安部隊とがなぜ即座に対処しなかったのか、だれにもわからない。彼らは地区のまわりで傍観し、大虐殺が起こるにまかせていたのだ。

昨日はガザリヤでも攻撃があったが、犠牲者については、まだなにもわからない。殺戮の背後には、サドルの民兵のマフディ軍団がいると言われている。イラクについて世界が聞かされているニュースと、この国の実際の状況とはまるで違う。人びとが自宅や住んでいる地区から追い出され、路上で殺されているというのに、アメリカ人やイラン人や操り人形たちは国民会議や進歩について話している。

バグダードはもはや一つの都市ではなくなったかのようだ。いまは小さな町々に分断されて、町ごとにさまざまな相貌の暴力がのさばっている。私は眠るのが怖くなってしまった。朝になるといつも、ひどいニュースがあまりにたくさんあるから。テレビはひどいニュースの映像を見せつけ、ラジオはひどいニュースを言いふらす。新聞には死体の写真が載り、紙面からは荒々しい言葉が飛び出してくる。「内戦・・・死・・・殺害・・・爆発・・・レイプ」

これ以外は原文を読んでもらうしかありません。アメリカとそれを支援した国々がイラクに何をもたらしたのかを冷静に見つめるならば、どれだけ日本の外交が歪みきっているか分かるはずだと私は思います。イラクへの本当の国際支援は直ちに外国軍隊はイラクから去れと要求することでしょう。その後、イラク国民から国際的な人的・経済的支援の要請があれば国連を通してしっかりした態勢をとるべきでしょう。
アメリカの利権にすり寄っていく現在の日本がすでに国際的な笑いものになっているのに、KOIZUMIさんはきれいに引退できると思っているのだからどうしようもない。

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午後からお花の先生のところに行き、次ぎの作品づくりにとりかかりました。今度は淡い紫のバラを沢山使った盛り花。ベースはつるで作った花かごです。
使ったバラは全部で11輪。一輪700円もするから一体この作品幾らになるのですかね。ブライダル向けでなければとても作れそうにない豪華な花かご。夏の展示会に出したあと、冬の息子夫婦の結婚式に飾る予定です。
何しろ、一つ一つワイヤリングしなくてはならず、今日はバラをいれただけ。完成は来週です。




  7月18日(火)
大町と北安曇郡を総称して大北地域と呼ぶのですが、大北をどう発音するのかでもめることがあります。農協関係は「JAだいほく」。でも大町のみなさんは「たいほく」が正しいと主張しているし・・・。「たいほく」が正しいのか「だいほく」が正しいのか。私としては、この際どっちでもいいのですけど・・・・。
何しろ一昨日から降り続く雨は今夜いっそう激しくなるようで、大北地域にとうとう大雨警報が発令されてしまいました。安曇野を流れる高瀬川も水位が相当に上がっていましたから警戒が必要です。一昨年みたいに土砂崩れが起こらなければいいのですが。


私がこのところずっととりくんでいた仕事があります。一つは「ガイドマスター」の班行動の一つとしてのホームページづくり。これは「美しい日本の歩きたくなる道500選」で長野県トップ入りを果たした例のアルプス展望どうろを紹介するものです。明日の会議に合わせて試作したもの。当然まだ未完成だし、コンテンツを当てはめただけというものもあります。
ただ、この中で是非おすすめしたいのは「フォトアルバム」。未完成ですが、安曇野の景色のすばらしさの一端は味わってもらえると思います。
第2はマイクのホームページ。英語でのやりとりなので、彼の言っていることがなかなか全部理解できずに時間ばっかりかかります。
単に画像を当てはめて位置を確認しているだけなのに「おい、その画像はうちのじゃないよ。早くはずしてくれよ」と言ってきたりして、おもしろい。

本日、妻の誕生日。これまで何度も行ったのに休みだったりして振られていたパスタ・レストランに行き、お昼をいっしょに食べてまいりました。

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ところで一昨日、富山の義妹(弟のつれあい)が娘と一緒に訪問してくれました。かんじんの母はもう誰が訪問してくれたかも判断できなくなっているとはいえ、心のどこかでは何かを感じ取ってくれていると信じるしかありません。
母を寝かせた後、新築中の家に案内したりおそばを食べたりして楽しく過ごすことができました。




  7月14日(金)
午後豊科のカインズホームに行って物置の相談をしてきました。ついでに本を2冊買ってガソリンを入れて帰ってきたのですが、次第に蒸し暑さが増して車の中はサウナ状態。首都圏や関西の暑さがこちらにも押し寄せてきたようです。
その帰り、工事現場に行くと大工さんたちが口々に「クマに会わなかったかい?」という。車に乗って県道を走っているのにどうしてそんなことを言うのかと思って怪訝な顔をしていたら、すぐそこの神社付近でクマが出て猟友会のメンバーが追いかけているんだという。
まさかと思いながらいつもの帰り道に車を向けていたらパトカーやら沢山の車やら猟銃を持った人たちでものものしい雰囲気。近づいていくとどうやら林のなかに何人かが銃を持って入っていく様子です。


車を止めてどうなっているのか見ようとしていたら何人かが黒い大きなものを引きずって坂を上がってきました。どうやらクマを仕留めたらしい。
見ると大きなオスのツキノワグマ。心臓を一発で仕留められたもののようでした。でも首輪や耳の標識をつけているので、以前に捕獲されたものかもしれません。しかし人家がたくさんある山の下まで降りてきてあちこちで目撃されていたようで猟友会の人たちは「一日がかりの仕事」だったと言っていました。
家のネコに引っかかれただけで痛い思いをするのですから、こんなヤツに襲われたらそれはもう命がいくつあっても足りません。こんなところまで出てくるんだからいやいやまいった。




それにしても、こんなところに出てこなければ殺されずにすんだろうに、絶命している目の前のクマを見ていると哀れで何とも残酷なことでした。合掌。


  7月12日(水)
すでに7月中旬。”無慈悲”に月日が流れていきます。引っ越しの準備に取りかからなければならないのに、まだ家が仕上がらないとどうもその気持ちになってこないので困る。来月ははじめからとんでもなく忙しくなりそうな予感です。
今月から塾のアルバイトが週3回になって、金にならないいろんな仕事が山のようにあってパソコンの前に座ることが多くなり、草取りもやらなければならず、なかなか充実した日ではあるのです。

20日告示になる長野県知事選挙、悩ましいことになってきました。共産党・社民党が立候補を見送り自主投票を決めたため、事実上現職の田中康夫さんと元国会議員の村井仁さんの一騎打ちになったからです。自民党県連は田中落としをめざして村井で一本化し必勝の構えで臨んできているし、公明党も「県政の流れを変えるため村井氏支援は当然の流れ」lというのですから前回の知事選とは大違い。
というわけで、さあ、私は一体どうしましょう。いっそ私が知事選に立候補しようかしら。選挙になればうかつに書けないからいまのうちに書きたいことをかいておかないと。
確かに田中県政になってから財政の流れも変わってきているのでそれなりに評価はできるとことは確か。しかし、彼の政治手法や例の子どもっぽい性格が災いして田中離れを加速していることも事実です。
自民党には投票できないし、さりとてこのガキみたいな「とっちゃんぼうや」に入れるのもしゃくだし・・・もうちょっと考えよっと。
ここで共産党の藤沢県会議員からもらった県政のデータを紹介しておきましょう。前の県知事の時代から田中知事になってどのように変わったかを示したグラフなどです。彼の政治手法や性格も大事だけれど、その実績も正しく評価しないといけませんからね。










午後からは久しぶりにお花の先生の家に。今日から先週買い出しに行ってきた花を使って展示会用の作品づくりに励むことになります。
今回の私の作品は主にプリザーブド・フラワーを使ったブライダル用の飾り。息子の結婚式を意識してはいるのですが、一度はやっておかないといけないものです。ただ花代がべらぼうに高いので失敗は許されないのです。それにしても、こんなすごいのは結婚式でもなかったらまず作りませんよね。




  7月11日(火)
ネットのさまざまな技術の進展には目を見張るものがあります。
Blogという情報開示のありかたはホームページの技術なしで日記風に編集・公開できること、さらにリンクの相乗りで情報が双方向的であることなどがうけて爆発的に増えていることは周知の事実です。有名なブロガー(新語ですかね、これは)も何人もいるのだとか。
現在はまだブログの様式はだいたいおきまりのようですが、需要が多いだけに今後さらに発展することは間違いありません。
日記風に自分の意見を公開していた人たちはそれまでも沢山いました。ただ、どうしてもホームページ作成のソフトと技術が必要であったために限定されていたというだけです。それがその制約がなくなったわけですからブログが大流行するのは当然のなりゆきでした。

梅田望夫さんの「ウエブ進化論」という本にちょっと面白い話が載っています。Googleのすごさの秘密、Googleテクノロジーを次々と生み出す源泉は何かということについての記述です。
「社員全員が、戦略の議論、新サービスのアイデアから日常の相談事や業務報告に至るまで、ほぼすべての情報を社内の誰もが読めるブログに書き込む形で公開し瞬時に社員全員で共有する。電子メールはあまり使わない」。このような組織マネージメントのあり方では情報隠蔽を基本とする従来型と根本的に異なり「モチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織で、すべての情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。仕事の生産性が著しく向上する」
グーグルの場合は「意図的に全社にあまねく博士号を持つ社員を配置し、すべての社員に研究者のように行動するよう求める」「80%の時間は既存のプロジェクトに従事し、残りは必ず自分自身のオリジナルな仕事に当てなければならない」というのだから超エリート集団の持っているパワーは限界まで引き出されることになるのでしょう。私などはこんな世界は想像もつきませんが、ひとたびモラル・バランス感覚などを欠いたら一体どうなるんだろうと思ってしまいます。
確かにグーグルマップやGoogle Earthなどは革命的な情報提供の方法でしょうし、見ていて面白い。Google Earthも飛躍的に動きが速くなってきている。この中にいろんなデータが入ったら大変なことになりそう。北朝鮮の市街地など車までほとんどリアルタイムで写ってしまうからちょっと怖い気もしますけど・・・。一度はインストールして試してみることをおすすめします。

ところで、私自身もBlogという形式ではないにしろ日記を公開し始めてからもうすでに2年半が経過します。妻も同様です。まあ、よく書き続けてきたものだと我ながら関心しますが半ば惰性でやってきたような時もあったわけで、中身はたいしたことありません。そうは言ってもこれらは私や家族の記録でもあるわけでその意味では大変有益な情報の集積の仕方ではないかと思われます。今後どのように発展させていくか、ここいらで考えてみる必要がありそうです。そして少しずつでも前進をしていくこと。
あゆみはカタツムリのようでも・・・。いやいや、家を担いで歩いていくのだからカタツムリはえらい!やはり見習わなくっちゃ。




  7月10日(月)
今日はまず家の建築状況について。今日のぞきに行ったら部屋から資材や道具はすべて撤去され床をカバーしている段ボール類だけで大変すっきりしていました。今週でほぼ家の中身は終わる予定のようです。
あと残っているのは電気関係のコンセント、パネル、照明器具類のとりつけ。間仕切り戸、押し入れや収納庫の戸の設置、それにカーテン類。いよいよ最終の段階に入っています。ほぼ予定通りにすすんではいますが、外の工事(工事用土砂の取り除きと整地、耕土・バラスの搬入、植木の運搬、縁側・倉庫・ウッドデッキの設置など)を含めるとどうしても7月いっぱいということになりそうな気配。それでも8月はじめからは何とか引っ越しに取りかかれると思われます。
外見上はここしばらく全く変化がないので写真もつい間遠になってしまいがちです。あと一週間ほどでまた動き出すことでしょう。

台風と梅雨前線の影響で随分雨の被害が出ているようですが、幸いこちらはそれほどでもありません。何となく蒸し暑い状態が続いてさっぱりしません。
昨日のこと、家の工事現場まで行こうとしてカーブを曲がろうとハンドルを切ったときのことです。何かを轢きそうになってびっくりしました。道路上で大きなキジがエサを探していたのです。急ブレーキを踏んで止まってもすぐには逃げようともせず、近くの草むらをあちこち動き回っていました。真っ赤なトサカ(?)と深い色合いの羽根が美しくすばらしく豪華でした。このあたり草むらから突然キジが飛び出すので本当にびっくりしてしまいます。


ニュージーランドにいるマイクから頼まれていたホームページの一次案がほぼ完成しました。彼は自宅を開放して家族でホームステイの仕事をやりたいと考えていて、ようやく実行に移し始めたのです。私の役目は彼から送られてきたいくつかのデータや写真を使ってホームページに仕上げることです。 原稿があるからいいとはいえ、写真の解像度はめちゃめちゃ、どれがどの説明に対応するのか分からない・・・とまあ大変。何とかでっち上げて彼に報告しました。
彼の説明を読んでみると実に魅力的なホームステイの企画です。私も是非これに乗っかって行ってみたい。もちろん私は滞在費無料だね。
それはともかく若い人にとっては一押しの短期留学の企画です。私が身元保証をいたします。作成中のサイトは以下のとおりです。

マイクのファミリーが全面的にサポートする魅力的なニュージーランド・ホームステイ

まだ未公開なので私のホームページにくっついています。


  7月7日(金)
私のホームページのサーバーはLink Clubといいます。マックユーザーのコミュニティをベースにしたユニークなサービス業者なのですが、とりわけ変わっているのはそのニュース。毎月送られてくるLink Club Newsletterを見るとその編集がいかに今日のこの種のプロバイダやサービス業者からかけ離れているかわかります。今回もページをあけたらいきなり次のような見出しですもんね。


読者の反応を見ればその雑誌の傾向がよくわかる。「ニューズレターですが、中身が濃いので驚いています」「興味深いのは毎回いろんなゲストの話が読めること。特に全く知らない人ばかりなので嬉しい」「人類最大の的は無知と無理解だと感じました。これからも鋭い切り口で私たちの目を開かせてくれるよう期待しています」
業界紙で読者にそのように思わせるニュース雑誌が果たしてあるだろうか。実は私最初のうちは(というよりかなり長い間)封も開けずに放っておいた。どうせロクでもないことを書いてあるのだろうぐらいに思って。それは全くの私の無知でしたね。
この編集者はすごい。たいした才能の持ち主です。取り上げる話題はたいてい時代を先取りしているか、最も先鋭な話題を集中して取り上げ、さらにその最先端で動いている人々をきちんと取材してとりあげていることです。そして第2はこの雑誌のデザイン。マック雑誌のあのすぐれたセンスを受け継いで、誌面の構成などは本当に洗練されています。たった30数ページの薄いひらひらの雑誌にそこまでやるかというほどの不思議な印象。嬉しいことにその記事の幾本かはこの6月からウエブ上で公開されることになったそうです。
こちらです。左のメニュー真ん中のNews Letterをクリックしてください。

今日は夕方から教会での英語のレッスンの冒頭に(かなりの時間をとって)かつての仲間であったMr.Okuboをしのぶ集いをもちました。私の作った沢山の種類のジャムとクラッカーをたべながら、それぞれ彼の印象や思い出を語りあうことができました。


  7月6日(木)
今日は我が友Mr.Okuboの一周忌です。10年近くもこの地域に住んでいたのに、もはや誰も一周忌を記念しようとも言い出さず、案内もなく、親族も遠くでおそらくは何もしていないだろう彼のために、せめて一日だけでもとささやかに祭壇をつくりました。
彼の庭には一本のラズベリーの木があり、株分けしてもらう約束をしていたのですが、果たさないまま彼は亡くなってしまいました。そこでそれが人の手に移る前に彼の庭から我が庭にその木を移しておいたところ今年は沢山の実をつけたのです。そこでそれをジャムにして彼の写真の前にお供えしました。明日はそのほかのジャムをたくさん持って行って彼が生前通っていた英会話の教室でしばし彼を偲ぶ会を持てたらと考えているところ。彼の写真の手前にお供えした何とも「可愛い」アレンジフラワーは先日そのチャペルでひらかれた講習会でつくったもの。テヘヘ・・・。ま、大久保さんのためにつくったことにしておこう。


享年82歳。亡くなる直前まで現役のドライバー。毎朝NHKの英語講座を聴き、英語会話教室はもちろん、町の施設に筋トレや習字教室にでかけ、マレット・ゴルフに興じ、毎日夕方にはお風呂に出かける。そして極めつけは82歳からのマックユーザー。
私が朝早く起きるとすでに戸は開いていて外で洗濯をしている。下着すがたのまま、朝のごあいさつ。朝食後は例によってコーヒータイム。庭でなったキュウリやミニトマトを持って行くとほんとうにうれしそうに受け取るその顔が忘れられない。いつも親戚でもらってきたという水とアルバイト先のパン屋さんの食パンを持ってきてくれました。思い出は尽きません。
悔やまれるのは英語の論文を一緒に読んでいて途中で終わってしまったこと。いっしょにまだまだ勉強したかった。
身の回りの片付けが出来なくていつも部屋は足の踏み場もないほどでしたがそれもむしろプラスポイントであるほどに愛すべき人間であった彼。いろいろ思い出していると胸が熱くなります。


  7月5日(水)
アメリカの独立記念日に合わせて発射された北朝鮮のミサイル。今日は朝からこのニュースで日本列島が沸き立っていました。 スクランブルをかけた米軍や自衛隊の航空機などの爆音で早朝から驚いた方々も多かったのではないでしょうか。
事前通告は最低限の国際ルール。それさえ無視してミサイル発射は「自主権に属する」などと称して恥じない彼の国の幼稚さには驚くしかありません。
彼らの論理がアメリカと日本が北朝鮮敵視政策をとり続け戦争政策を続けているから軍事力には軍事力で対抗するというきわめて教条主義的・図式的な国際社会論にたって瀬戸際外交を続けていることに、ある種の空恐ろしさを感じます。これには国際社会が厳しくかつ理性的な対応を取って、そうした政策を放棄するように迫る必要があるでしょう。
それにしてもこの国はどうしてこうも日本の右派改憲勢力を喜ばせるようなことばかりやっているんですかね。勢いづくのは彼らでしょうに。いま全国ですすめられつつある「国民保護条例」制定の動きや改憲の動きに拍車をかけるのは目に見えています。しかしながら、これを追い風としてアメリカの無法なイラクでの行動やアメリカべったりの日本の外交政策を免罪するわけにはいきません。

今日はお花の先生と朝日村にあるアレンジフラワー素材の総本家である東京堂のディスプレーセンターに出かけました。これから作るアレンジの材料を買い込むために先生同伴で出かけたのでした。
広い室内に所狭しと並べられたいろいろな素材。プリザーブド、ドライ、造花、その他いろんなもので目がチカチカするほどでした。お目当てはブライダルっぽいバラのプリザーブド・フラワー。それに何点か緑や白をくわえて締めて2万3千円ほどの買い物でした。さて、これで何点の作品ができるのか。いやいや、バラの花の高いこと。
ついでながら、依頼をうけて夏の作品展のポスターをつくりました。暇人は何でもたのまれます。



帰りがけに先生が言うには「朝早く飛行機が飛んでいるのでびっくりして起きた。そしたら北朝鮮のミサイルでしょ、一体何が起きたのかと思った」だって。
松本飛行場は自衛隊の航空機も離発着してたっけ。何だか物騒な話になってしまいました。


  7月2日(日)
庭の作物がここ2,3日の梅雨空でにわかに茂ってきました。まずキュウリがいよいよ大量に取れ始めた。10日ほど前までは実がなってもなかなか大きくなってくれなかったのに、このごろのキュウリは見る間に大きくなり放っておくとオバケになってしまう。毎日キュウリの味噌汁、キュウリの漬け物、キュウリのサラダ、キュウリのあんかけ、きゅうりの酢の物・・・カッパになってしまいそう。


続いてアマランサス。これは前(6/22)にも紹介しましたが、そこらじゅうに生い茂って赤い花を持ってきたものも見られるようになりました。


今日見るとトマトも一つ赤くなってきていた。連作をさけて新しい土に植えてあるので、多分何とかなるはずです。
実のなるものではハスカップに続いてやはり「ブルーベリー」でしょう。庭には2種類の株が植えてありますが、白馬で買ってきた株の実が色づいてきています。私としてはジャムがつくれるほど・・・いやいや出荷できるほど沢山つくってみたいと思っているんですけど・・・。


また昨年この時期になくなった大久保さんの忘れ形見であるラズベリーも、植え替えにもかかわらず沢山実をつけてくれました。ほんのわずかのジャムにしかなりませんでしたが、今度の英会話の教室でみんなで思い出を語りながら味わう予定です。


そのほかキャベツ、白菜、ゴーヤ、インゲン、ホウレンソウ、ダイコン、カブ・・・まあ、人がみたら何というかわかりませんね。狭い庭に所狭しとゴチャゴチャに植えてあって。そうそうトウモロコシは約150本ほど。りのちゃん、取りに来てね。イチゴもいまランナーをとばして苗を作っているところ。


追伸:あはは、借りている畑にサツマイモを100本植えたんだった。ネギも大量。・・・・



  7月1日(土)
横浜には私の母の姉が住んでおり、いとこ夫妻がその世話をしています。そのいとこから先日、姉がついに100歳を迎えたと報告があり、お祝いの品とともに添えられた写真には次のメッセージが書き込まれていました。

バアチャンの長寿は夫を助けてよく働き、夫とすべての子どもたち、孫たちに降るほどの慈愛を注いで生きてきたことへの、神様からの贈り物です。

長野に移住する直前ですから今から2年と少し前に母といっしょに横浜まで姉に会いに行ってきました。(2004年4月5日の記事)それから看護や介護に携わる方々などに助けられて今日まで生き続けてきたわけですから、すごいことです。何よりもいとこ夫婦の筆舌に尽くしがたい苦労があったろうことは容易に想像できますが、私が感激するのは、慈愛を注いできたのは姉だけではなく、介護する人たちもまた姉に同じほどの慈愛を注いでいるということです。
私などは母をずいぶんと邪険に扱ったことがありました。それは仕事をしながら母の面倒をみていた時期、つまりいまから2〜4年前くらいがいちばんひどかった。それから考えても介護というのは下手をすると煮詰まってしまったり思い通りにいかないことで当たり散らしたりしやすいもの。そんなときにいつも姉の介護に携わるいとこ夫婦やヘルパーさんたちの考え方やその接し方に学ばされてきました。

母の姉は私にとってもとても身近な存在でした。大学時代に富山への帰り道によく横浜によって泊まったものでしたが、いつも親切に私の面倒を見てくれたのは彼女でした。大らかで包容力があり優しさにあふれていた人柄でした。
どうやら母の兄弟姉妹には2種類あって、姉は大らかでやさしいタイプ。妹である私の母はどちらかというとシャキシャキしたタイプ。顔つきもそれにともなって2種類あるのですからおもしろい。そうしたこともついそのお便りを読みながら思い出してしまいました。

写真は母の姉と従姉妹夫妻の娘の長女。二人の間がちょうど100年。これもすごいことですね。






"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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