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  1月31日(水)
「しんぶん赤旗」の「論壇時評」を読んでいて、かなり前から「水からの伝言」とそれを利用した「教育実践」が問題になっているっていうのを初めて知りました。これは大変な認識不足でしたね。
「たしろただとしさん」によるその部分だけ引用してみますと次のようになっています。

『水からの伝言』という写真集を使う道徳の授業が問題になっています。水に「ありがとう」と書いた紙を見せるとその水は凍ったときにきれいな結晶になるという非科学的な説をもとに、体内の水が影響を受けるから、人には良い言葉を使おうという内容で、TOSS[教育技術法則化運動]という教員団体などが推進してきました。

ウィキペディア(Wikipedia)によれば、『水からの伝言』というのは江本勝という人の写真集で、氷の結晶の写真をあつめたものといいます。問題は、彼の「水」についての荒唐無稽な主張にあります。
確かに花や植物によい音楽を聴かせるとか、優しい言葉をかけて育てると良く育つなどといったりしますけれど、無機物である水に紙を見せたり言葉をかけるときれいな結晶が出来るなどという主張に出会うと唖然として言葉を失ってしまいます。
彼がそのように言っているだけならまだしも、これを特定の教育団体が推奨して学校の教材に使うとなれば、これはもう「教育」ではなく、カルト(宗教色の強い文化活動=Wikipedia)を学校に持ち込むものです。この実践はかつてTOSSは上記のサイトに掲載されていましたが、新聞報道などで批判されるとこの報告をひそかに削除。現在では見ることはできません。
この経過については「TOSSランド」(教育技術法則化運動)へのコメント(2003/02/03)参照。
こうした「反知性」が現在、教育現場でのさまざまな荒廃現象や労働現場で蔓延する「成果主義」などと軌を一にして出現しているいることが気になる。人間のこころを荒廃させる一方でそのすきまを「お手軽に」埋めるこの種のまがい物は過去にもあったし、これからもありうる。しかし、沢山の教師のなかに、このような非科学的なたわごとが実に簡単に浸透するなどということは過去にはなかったはずです。それだけに、本来「自分のアタマでものを考えること」を何より大事にすべき教育の現場でこうした思考停止状態が見られることは由々しいことといわなければなりません。たぶん、教育再生会議の提案のように教師の思想レベルでの管理統制がすすめば、「由々しい」とさえ言っておられない状態が出現するのは時間の問題かも。
「yomoyomo」さんの読後感にあるように、「カルト資本主義」はソニー、松下、NEC といった大企業を飛び越え、既に国政レベルにおいて実践段階(!)に入ったのかもしれない。


  1月30日(火)
NHKの番組改編をめぐって東京高裁で画期的な判決。内容は至極あたりまえの判決なんだけど、現在の司法の現状からすれば画期的といっていいでしょうね。
どのように番組が改編されたかをつぶさに見れば、政治家の意図を体したNHKの編集権の乱用は明らかで、経過が詳細に分析されればされるほど、そのひどさが白日の下に晒されていきます。
それでもNHKは、広報局の談話に見られるとおり一片の反省もなく判決を不服として控訴したというのですから、NHKのKは改編のKか、または権力のKか。この談話を読んで、出てくる言葉はただひとつ・・・「NHK」。
きょうび、「女性は産む機会」などとのたまうお粗末な政治家がいるのだから、NHKはもっとしゃんとしたほうが国民の支持を得られると私は思うんですけどねえ。そうすれば自然と受信料も入ってくる。

昨日の夜は塾での中一の授業でした。新年早々の8日、新年気分で「百人一首」の読み手をひきうけたのが間違いのもと、それから連続4回、数学の授業そっちのけで授業の1/3ほどを使って「百人一首」大会が開かれているのでありました。
というのも、学校で「大会」がひらかれるらしく、冬休みの宿題として10首覚えるというのがあったのです。そして、今日30日が大会。どうしても練習をやりたいというので、結局また読まされることになってしまいました。
今日は、カードのやりとりがある源平合戦。いや〜〜、これだけ練習してくると、結構札を取れるようになるもんですねえ。しかも、源平合戦となると俄然色めき立って真剣味がちがう。
私と「百人一首」とのつきあいは、小学生の頃からあったことはあったのですが、カルタ会で競い合うということはまずありませんでした。しかし高校では受験の素材になって全部覚えさせられたこともあって、いささか懐かしく、つい生徒たちの熱意に動かされてしまいました。
林直道教授の有名なご説もつい思い出して、家に帰ってから調べてみていたことでした。ノドが痛い・・・。


  1月29日(月)
「のだめカンタービレ」で使われている主題曲の一つがガーシュインのラプソディー・イン・ブルー。この演奏は東京都交響楽団だったはずですね。
このラプソディー・イン・ブルー、じつはそのむかし、偶然ラジオから流れてくるある演奏に完全にノックダウンされた経験がありました。それまでのアメリカ人の演奏でもこの曲はジャズというよりはどうしてもクラシックっぽくなってしまってあんまり好きではなかったのですが、ピーター・ネロとボストン・ポップスの演奏を聞いて、これはすごいと思った。それ以来、このアルバムを探していたのですが、いままで結局みつけることはできませんでした。
それが、最近あらためて探してみて、ようやく一枚みつけることができました。昨日それがとどいて、わくわくドキドキで聞いてみた。でも・・実際は、がっかりでした。なぜあのとき、あのジャズタッチのすごさというか、ガーシュインが目指したであろうラプソディー・イン・ブルーを聞き分けたのか、今となっては私にはわかりません。年をとってしまったということなのか、それとも演奏自体が違うのか。東京都交響楽団の初々しい演奏の方がよほど今はしっくりきます。

この「のだめ」、塾の中一の女の子がDVDにすべて収録してくれた(当日は授業と重なって見られなかった)ので、あとからじっくりすべて鑑賞することができました。私自身は「マンガ」は読んでいないので、どのように違っているのかわかりませんけれど、ドラマとしては最近にない出色の出来ではないかと思います。つくりがマンガチックであることに違和感を覚える人は、それはどうしようもありませんね・・・。
私も竹中直人はミスキャストではないかと最初は思ったのですが、2度目に見た限りではあのはしゃぎぶりは尋常ではないとしてもなかなかいい味を出していると思えるようになった。
コミック大好きの私としてはあのオーバーなコミック・タッチの演技も白目そりかえりも結構好きですけど・・。もちろんこんなふざけた描き方を好まない人がいて当然だし、クラシックの切り取り方に対する評価も様々であって当然です。
ゆっくり見てみると、このドラマの演出家はものすごく細かいところまで目を行き届かせていると私には思えました。ピアノや楽器の弾き方にしても、「船の上のピアニスト」ばりの違和感のない演奏ぶり。また、どんな人間も正負をあわせ持った不完全な人間であり、どんな天才であろうがそれが人と人の結びつきの中で育ちあう存在なのだということをみずみずしいタッチで描いています。
そして何より、クラッシックであろうが、ジャズであろうが、ロックであろうが、音楽には垣根はなく国境もなく、人間だけが作り出せる音の世界がかくも素晴らしいのだということを教えてくれています。この番組のおかげでクラシック好きの若者がうんと増えたらしいけれどそれもうなずけます。
出演者のたどった軌跡どおり「ウオーターボーイズ」と「スイングガールズ」のよさを更に発展させた佳作といえるでしょう。

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世の中、暖冬、異常気象が当たり前になってきつつあります。つい先日もアメリカ、カリフォルニアにあるコンピューター専門店からの便りに次のような記述がありました。
「南カリフォルニアと言えば常夏のイメージですが、つい数週間前の冷え込みはすごかったです。友人が住む、LA内陸部では雪が降ったそうです!南カリフォルニアでも、ビッグベアリゾートなどは、高地になりますので冬は雪が降り、スキーも楽しめますが、南カリフォルニアの平地で雪が降るのはやはり珍しい事です。Vintage Computerがあるトーランス市も、一時期は気温が朝方0度まで下がり、夜明け前なんて寒くて目が覚めた事もありました。あの寒さは、南カリフォルニアにこして来てはじめて経験する寒さでした。やっぱり、世界中で異常気象が蔓延しているのかなあ、とふと思った冬の日でした。」
そういえば、私の好きな小説の一つ、ロバート・ハインラインの「夏への扉」(すべてのネコ好きに捧げられている!)の最初の方に、こんな一節があります。これが南カリフォルニアの情景だったのですから、先の寒波はやはり尋常ではなかったのでしょう。

What litlle snow there was in southern California was kept on mountains for skiers, not in downtown Los Angels--the stuff probably couldn't have pushed through the smog anyway. But the winter weather was in my heart.
南カリフォルニアの雪は貧しくて、わずかに山々の峰にスキーヤーのための積雪があるばかり、ロサンジェルスの下町では白いものさえ見られなかった。たぶん、スモッグを押しのけられなかったのだろう。だが、冬は、ぼくの心の中にあったのだ。


それでもここ北安曇野は夜ともなればマイナス5度からマイナス10度くらいまでは下がりますから、気温はたぶん平年並み。もっとも昨年に比べるとそりゃもう春のような気候です。新しい家だから寒さ知らずということもあるかな・・・とちょっぴり自慢。本日61歳。


  1月25日(木)
一昨日何気なく妻に「蔓細工を作っているところを写真に残して」とたのんで撮ってもらった一枚。熱心に下を向いてカゴをつくっているのはよかったのですが、なんじゃこれは。下を向いているから頭頂部が全面に出ていて、まるでハゲハゲ。こんなに髪が薄くなっていたとは・・・・・・。だいたい人間って、鏡では自分の都合のいい角度でしか姿を見ないから、”非日常的”な自己を見せつけられると愕然とする。
そういえば、塾の中一の生徒、きょり(距離)・はやさ(速度)・じかん(時間)の関係を覚えるのに、「きのしたのハゲおやじ」としきりに強調していた。ふつうは「キハジ(気恥じ?)」とか「ハジキ」とかってやるんだけど、正確には(悔しいが)実は「きのしたのハゲおやじ」に軍配があがる。いやいや「きのしたのハゲジジイ」がもっと正確。ああ、この差別用語って私のことだったのね・・・。見ていろ、仕返しは必ずしてやる。

最近、なあ〜〜んにも考えていない自分になかば呆れています。
確かにテレビを見れば東京とおんなじ。本屋へ行っても電気屋に行っても、首都圏となんら変わることがない。東京でもちょっと都心から離れて片田舎にいけば、安曇野とそれほど変わるわけではない。それでも何が違うのかというと、人口密度だ。
この人口密度の違いというのは、都市と農村では圧倒的です。冬ともなれば、こちらではよほど意識しないと終日人とあわない。家はあっても人とであわない。だから、ほとんど刺激がないのです。
人と人との軋轢や人間関係の複雑さに疲れた人には、多分何とも心地よい環境ではありますね。実は私にも心地よいし、首都圏に戻っていきたいとは思わないのですが、どことなく物足りなさを感じるのはこうして「ブログ的生活」をおくっているからなんでしょうか。
問題意識をとぎすませ、絶えず物を考え続けているというのはよほど意識が覚醒していないとできないことです。ネコと追いかけっこをしたり、な〜んにも考えずに蔓を編んだりしていると、それだけで一日が過ぎていきます。・・・とここまで書いてきて思うのは、それではどんな生活を私は願っているんだろうかということ。こうした毎日の生活に不満なのか??いやいや全くそんなことありません。満足しています。これこそが願ったものであり、自己充足度は99%。もし1%の不満があるとすれば、それは現在の生活の中での自分自身の精神活動のありかたへの「ふがいなさ」なのだろうと今は思っているのです。
東京では職場がありました。好むと好まざるとにかかわらず、職員や生徒とのかなり深い関係に自分を係わらせていかないと日々が送れなかった。その中でめまぐるしく生ずるさまざまな問題。さらに教科(私の場合は中高大への受験数学)を絶えず考えているので、逆に頭が休まるひまがないほど。それでも家に帰ればパソコン・オタクだったから、家ではチャンネルが切り替わってこっちで頭がいっぱい。
さて、そうしてみると、やはり自分自身の生活への向き合い方の問題ということになる。知的刺激は降り注いでいるのにアンテナが張られていないということでしょう。昔はそれなりに頭がめまぐるしく動いていたので、小さなアンテナでもいろんな刺激をキャッチできた。しかし、今は”人もうらやむ”こうした環境にいるのだから、それにふさわしい精神活動のありかたをボチボチと求めていくことにしましょう。

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教育再生会議による「教員免許を国家試験化」うんぬんという今日のニュースで一気に気分が滅入ってしまった。これじゃ世の中の若者の中から先生になりたいなんていう人間はいなくなるんじゃないですかね。
新聞などでは概要だけしか載っていないので、政府のサイトからPDF版をダウンロードしていま全文を読んでいるところ。
いったいこの再生会議のメンバーたちって現場の悩みや苦労、現在起こっているさまざまな現象とその本質についてどこまで情報を得たり考えたりしているんでしょうね。よくもぬけぬけとこんなことが書けたという部分がた〜〜くさんあります。まともな教育学者はこの提言には全く関与していませんね。そうとしか思えません。もし「学者」というのがいたらそれはもう完全な御用学者です。
「社会総がかりで教育再生を」という見出し、まるでこれは「国家総動員法」。簡単にいえば民間大企業並みの「管理と競争」の原理を教育にいっそう持ち込む一方、古くさい「規範」プラス国家主義の「精神」を子どもたちに注入しようというもの。この提言のめざすものは教育の完全な破壊であり、民間大企業への従属であり、教育の腐敗です。
「頑張っている教員を徹底的に支援し、頑張る教員をすべての子供の前に」「不適格教員は教壇に立たせない」「真に意味ある教員免許更新制の導入」・・・私がもし今も教師をしていたら、間違いなく最悪の「不適格教員」ですね。免許は剥奪され、二度と教壇には立てなくなることでしょう。
教師は研修によって教師になるのか?教師は校長の指導によって教師になるのか?民間の血を入れることによって教師になるのか?
バラバラになった教師たちからはバラバラな生徒しか生まれない。支配された教師からは支配したり支配されたりする生徒しか育たない。誰がいい教師でだれがそうでないかは子どもたちや親が判断べきことがらのはずです。
いままで、曲がりなりにも成立してきた教師集団による運営は根本から破壊されて、教育が創造的な営みであることをやめることになるでしょう。その行き着く先はあまりにも悲惨です。もしそれを「立て直そう」とするなら、あとは徹底した管理=「暴力的」な支配しかありません。そこまでくれば「日本を守る」ことに生き甲斐を見いださせようとする国家主義とは目と鼻の先です。
最後までこの文書を読んでまた書くことにしますか。

教育再生会議 第一次報告 概要

教育再生会議 第一次報告


  1月24日(水)
先週の土曜日には町内の常会と新年会があり、日曜日から月曜にかけて娘夫婦が子連れでやってきてにぎやか。あっというまに1月も終わりに近づいてしまいました。
明日は穂高のギャラリー「ぬく森」への搬入の日になっているので、最後の追い込みとばかり早い時間からお花の先生のお宅にいきました。前回の作品と合わせてお花は3点。今日の作品は材料費がとびきり高くついてしまいました。ランプシェードもいろんな形のものができたので、結構見栄えがします。あしたは朝から「ぬく森」に行って飾り付けです。なんとまあ、すっかり「クラフト作家」になってしまいましたねえ。こんな筈ではなかったのですが・・・。






  1月18日(木)
今日までにPCのセッティングを終了、明日一式を親戚に届けます。やっていたことは、自作の古いパソコンを再設定し直し、それにモニター、プリンタをつけてそのまま使用できるようにしただけですので大したことありません。このPCまだまだ現役なので、使ってもらえるだけでうれしい。それにしても大画面の液晶モニターが易くなりました。19インチをネットオークションで買ったのですが、新品で3万円しないんですもんね。数年前では信じられないことです。こうなったら、私も新しいCore2DuoかCore2Quadマシンを組み立てる際に22インチ・ワイド(Dell_E228WFP)なんかゲットしたいな。(言っているだけです・・・言い訳)

昨日は、またまた久しぶりにお花の先生のお宅にいき、月末(26日)から始まる穂高での展示会のために、二つ作品を作ってきました。自分で作った蔓の台にドライ・フラワーやプリザーブド・フラワーをアレンジしました。最近ではほとんど自分で作品を作って、そのあと先生に手直しをしてもらったり、意見を言ってもらったりして、自立の方向に進んできています。
とはいえ、実際には言うほどに簡単ではありません。昨年つくった作品より数段見劣りがして、自己嫌悪に陥ってしまいます。先生とも話し合っていたことですが、自分でも納得できるものっていうのは、ある意味では偶然が支配する。蔓の状態、花のアレンジの仕方、精神の緊張状態などがピタッと合ったときに自分の思いを超えたものが生まれることがあります。一年に一つあるかないかという作品を求めて、ひたすら作り続けるのかもしれません。
雪が降り、寒さが続いているこのごろ、ようやく蔓の水揚げが止まって、しなやかになってきました。今日大きなランプシェードを仕上げて、ようやくひとまず一段落です。来週はあと一つのカゴに花を入れて展示会用にするのが最後になります。そのあとは、3〜4月にかけて5月と夏の展示会のために新作を作ること。このあとの目標は、いままでのふつうの編み方にくわえて新しい編み方を習得することです。そうしなければいつまでたっても、同じものから抜け出せませんからね。えらいことを始めてしまったものです・・・






  1月17日(水)
昨夜からまた雪。今日はほんの少しだけ積もりました。寒さの厳しかった昨年とはうって変わって、ふわふわとした「暖かい」雪が今年の特徴。
さて、またずいぶん日があいてしまいました。まあ、書きたいときに書いていく、それが長続きの秘訣でしょうからあまり書いた書かないを気にしないようにしましょう。
この10日ほどは、ファンクラブの新年号ニュース作成、月末からのつる細工の展示会準備、親戚の方のPCのセッティングなどでたいそう忙しい時間を過ごしておりました。
昨日はまた、ガイドマスター研修・新年会として企画された「いろりを囲んで民話を聞く」という催しに参加しました。
ガイドマスターのお一人の好意で、その方の自宅である古いお屋敷で行われたものです。そこには昔ながらの「いろり」が切ってあって、その周りでごちそうを食べながら、池田の民話を聞くという趣向。
参加者は約15名。それぞれが料理やお酒などを持ち寄ったので、次から次といろんなものが回ってきます。忙しく口を動かしながら、民話研究者の方から池田の民話や言い伝えについて約1時間お話を聞きました。


池田では「登波離橋伝説」「ままこ落とし伝説」が有名ですが、それ以外にも、いろんな言い伝えが残っていることを知りました。
我が家のある地域は「七五三掛木戸」と呼ばれています。この七五三掛という地名は、その昔坂上田村麻呂将軍が宮城の八面大王征伐のときに、この地に七五三(しめ)縄を張り、滝沢神社の近くの「おたね池」で身を清めて行をしてから征伐に出かけたというところから来ているらしいということ。
さらにすぐ近くの「千本木」という地名についても教えられることがありました。もともと「船本木」と書いたのだそうですが、これはその地にあるケヤキの樹をさし、別名「船つなぎの樹」とも呼ばれたらしい。
昔この安曇平野一帯は湖で、このケヤキの樹に船をつないで渡船の便を計ったものだということです。私は池田での祭で見られる船曳きが塩の道と関係が深いとばかり思っていたのですが、実はその昔ここいらは大きな湖で、船とは切っても切れない縁があったのだということを知りました。「古海戸」とか「船本木」とかという海や湖に関する地名が残っているのはそんな歴史があったんですね。


  1月8日(月)
昨日、一昨日とテレビドラマ「白虎隊」を見ていました。倒幕・反対勢力一掃にいまや敵なしの薩長連合に対して最後まで幕府に忠誠を誓う会津藩と藩校で学ぶ少年武士たち。戊辰戦争の中で会津藩と白虎隊がいかにたたかい散っていったかを克明に描いていく力作でした。
降伏を勧める会津藩家老西郷頼母 (小林稔侍)に対して急進派の家臣たちは断固決戦を主張する。会津藩藩主松平容保 (東山紀之) は悩みつつも結局その方向に引きずられて白虎隊の悲劇をもたらす原因をつくる。
一方、藩校で学ぶ少年たちの家庭での生活や母子の会話が生き生きと濃密に描かれて、武士の「教育」がどのようなものであったかを知る上で興味深いものがありました。忠君・至誠を除けば、礼節を重んじ、弱きを助け、家族の絆を深める人間のありようは今日にも通用する一面を持ちます。しかし、問題はそれらがすべて藩主・天皇への忠誠と一体のものとして「武士道」を形成しているということです。それゆえに薬師丸演ずる母・酒井まゆみも少年峰治の家族への思いを断ち切ろうとわざと冷たく振る舞うのでした。最後になって、その母が自分の「わざと冷たくし潔く死ね」と諭した家庭での教育は間違っていたのかと問う場面は胸を打つものがありました。捕らわれて辱めを受けるよりは自ら潔く死を選ぶという武家社会の戒律が至るところに顔を出します。
結果のわかっている無謀な戦争に突入して少年らを死に追いやった責任の所在も家老西郷頼母の必至の説得と対比させて浮き彫りにされていますが、別の味方ではそれすら忠君の至誠にかき消され、自死が美談として語り継がれる危険を内包する描き方になっていることが少し気がかりでした。

ところで、この白虎隊を見ていて、つい最近読んだ藤原さんの「餓死した英霊たち」が何度も浮かんできました。アジア・太平洋戦争での日本軍の戦闘の経緯はあまりにも合図藩の戦い方と酷似しています。しかし当然のことながら1度目は悲劇として、2度目は惨劇として。3度目はきっと茶番になるに違いありません。
藤原さんはこの本の中で、当時の大本営の戦争指揮が作戦重視・補給無視を特徴としており、しかも精神主義{忠君愛国・武士道精神など}の注入によって無謀な計画が合理化され、その結果大量の餓死が生み出されたことを詳細に実証しています。圧倒的な連合軍の火力の前に無力さを露呈しながら、それから全く教訓を学ばず、相変わらず白兵戦に兵士をさらしては死に至らしめる大本営参謀、軍首脳の頭の構造。会津の殿様の参謀たちとうり二つではないでしょうか。捕虜になって辱めをうけるよりは死ねという教えも太平洋戦争で大量の餓死者を出した要因の一つ。白虎隊の悲劇は藩支配層の思惑と武家社会のこうした戒律とのはざまで引き起こされたものといえますが、大戦の惨劇はただひとえに天皇制権力の国民支配のしくみそのものにありました。酷似しながら質が全く異なるということです。

そして二つめ。この1月1日、経団連が発表した「経団連ビジョン(いわゆる御手洗ビジョン)」の仰天の一節です。
「希望の国 日本」と題する長文の提言レポートには、日本の財界首脳がねらう「国づくり」のねらいがあけすけに語られていて実に「読み応え」があります。
第3章では「希望の国」を実現するための優先課題が5つ述べられています。その第5が「教育の再生」です。その中で次のように書いています。
誠実、勤勉、克己心といった個人的な美徳にくわえ、正義、寛容、慈善、同胞愛などの公徳心がなければ、どのような社会も成立しない。こうした美徳や公徳心は、国民一人ひとりが、大切にすることや、してはならないことなど、基本的な価値観を共有する共同体の一員であるという自覚を持つことにより育まれる。学校や家庭での教育を通じ、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化からなる共同体としての日本を愛する心を、その一員としての誇りと責任感を培っていくことが求められる。美しい薔薇が健やかな枝に咲くように、美徳や公徳心は愛国心という肥沃な大地から萌え出る。(中略)
愛国心は、改革を徹底していく前提である。これからわれわれが進む道は決して平坦ではない。石くれやいばらも多く、痛みも覚悟しなければならない。国民に国を愛する心がなければ、「希望の国」に至る道筋を歩み続けることはできない。


背筋の寒くなるものいいです。大企業が世界的に進出し大もうけを続けるために、国民に愛国心を強要し、増税や社会福祉削減などの「痛み」を我慢せよと呼びかけるこの厚顔無恥、破廉恥、自己陶酔。私に言わせればこれはもはや「亡国の提言」です。財界がいかに非人間的で破滅的な道に足を踏み入れているかを如実に語っている文書と言えるでしょう。
巨大資本がさらなる利益をむさぼるためにこれから国民に強いることを考えれば、「たたかわなければ命さえ守れない」状態が日常化しているとさえいえます。
職場に憲法なしという大企業の現場で命をけずっても働かざるをえない労働者に対して、法や社会規範を守り、企業倫理を守れと説く彼ら。この文書では「制度面では、労働者派遣、請負労働、確定拠出年金に関する規制改革などを行う。また有期雇用契約の拡大、裁量労働制、ホワイトカラー・エグゼンプションの推進などにより、多様な働き方を可能にすることで企業が雇用を増やしやすい環境を作る」と平然と述べていますから、労働者の安定した生活、家庭での家族の絆など一顧だにしていないことに気づかされます。

すべての徳目が愛国心の肥沃な大地に生まれるという彼らの時代錯誤の感覚には慄然とさせられます。「武士道」と酷似しながら、否、表面的には「武士道」と類似した徳目を並べながら、実は似て非なる言葉のもてあそび。国民支配の常套手段。利潤と戦争への地ならし。もうここまできているのです。


  1月7日(日)
大型の低気圧の通過で昨日からかなりの降雪。今も降り続いています。池田にしては大雪ですよ、これは。
ネコのハルちゃんもこの雪景色が珍しいのか外をしきりに見ているのですが、出たいのかと思って窓を開けても、あまりの寒さに後ずさりしてしまう始末です。
お向かいの家の柿の木にはいろんな鳥が残った柿をついばみに来ています。こんな雪だからよけい貴重な食料になるのでしょう。








  1月3日(水)
元日に2通のリバーベンド・ブログの翻訳が相次いで配信されました。2003年から続けられているイラクからの彼女の通信は何百通になるのかわかりませんが、その日記からは所期の初々しさは消え、絶望に打ちひしがれて、何もかも闇に沈んでいくような悲しさが文章のいたるところに溢れています。
最新の昨年末の通信では、サダム・フセインの処刑が間違いなくリンチであり、イラクを支配する狂人たちの仕業としか思えないと書いています。
イード(イスラームの祭)期間中の処刑執行がまず常軌を逸していること。「それは宗教的に容認できることではないという以前に憲法違反だ」と彼女は続けています。その前の通信では「この裁判と判決、そして処刑は100%アメリカのものだということを。何人かの登場人物たちはまあイラク人だけれども、制作、監督、編集は正真正銘のハリウッドよ(安物のね、いっとくけど)」とも書いていました。
ネット上ではフセイン処刑の映像が流出して大騒ぎになっています。リバーベンドの日記では、その映像を分析しながら「彼ら(マーリーキー政権)は自分たちに好都合な野次馬たちを処刑の場に居合わさせていた」ことを明らかにし、BBCもCNNも事実に反した報道をしていることを立証しています。
この映像を入手するのは実に簡単。私もダウンロードして見てみましたが、確かにフセインは覆面をすることも拒否し、別におびえている風でもありませんでした。首にロープが巻き付けられるときには周りで激しい罵声が聞こえた。
いとも簡単にこのような処刑の映像がたれ流されるイラクの現状。死刑執行という名に値しないような野蛮な絞首刑のやりかた。11月5日の日記ではこの裁判そのものがいかに常軌を逸したものであるかがわかります。
アメリカはイラク政策を見直さざるを得なくなっているといいますが、「アメリカ人の死者数の方が少ないからといって、アメリカ人の死の方がより重要だってことにはならないわよ」というリバーの悲痛な叫びをどう受け止めますか。この国への世界の関わり方が、おそらくは今年の世界の動きを決定づけるのではないかと私には思えます。
アメリカに無条件で付き従う日本という国の異常さもまた浮き彫りにされてくるのではないのでしょうか。

Baghdad Burning リバーベンドの日記(翻訳)


  1月2日(火)
今日は予定より一人増えて中国からの若い女性のお客さんが3人来てくれることになりました。午後1時にスーパーマーケットの前で待ち合わせ。10分ほど前にスーパーについて果物を買っていたら後ろから誰かに突かれた。振り返ると招待した3人が笑みを浮かべて並んでいました。
さっそく我が家に車で帰って、いろいろとお話をしました。Google Earthで彼女らの出身の大連を探して映像を出して見せると大喜び。しばらく中国各地の人工衛星からの写真を見て楽しんでいました。
彼女たちは同じ池田の精密機械工場に研修生という名目で来日しています。聞くと周りには日本人はあまりいないで他にブラジルやフィリッピンからの研修生がたくさんいるということ。言葉が壁になって、それほど話をすることも友達づきあいをすることもないと言っていました。
寮にいるときは、衛星放送で中国の番組(ドラマなど)を見る機会が多く、その結果日本語を聞いたりしゃべったりすることも少なくなるのだと言います。今日もすぐ中国語での彼女らの会話が始まるので、全くわからないけれど聞いているだけで何となく楽しい。


写真両脇の二人はすでに1年9か月が経過しているのに日本語はあまり得意でないといい、あとから来て9か月になる子の方がはるかにうまく日本語を話していました。この子は日本語を使って中国で仕事をしたいという希望を持っているので、目的意識がまるで違う。猛烈な勢いで勉強している様子がよくわかります。
この企業で何か特別な技量が習得できるのかどうかを聞いても、おそらく日本人なら決してやりたくないだろう単純作業だから、だれでもすぐにやれる仕事だという返事。だったらどうして日本に来てこうして仕事をしているのかと聞くと、結局お金を稼いで帰りたいということのようです。だから、帰ってからどうするの?と聞いても、答えに詰まって返事がありませんでした。
そうした会話から浮かび上がってくるのは、研修生という名を使いながら、彼女らを安上がりの労働力としてしか見ていない日本の企業の姿勢。それでも毎日が楽しいという若い彼女らの姿を見ていると本当にいじらしくなってしまいます。
これからも、いつでも気軽に遊びに来ていいよと話すととても喜んでいました。次の予定は2月始めの料理講習。私の奥さんが餃子の作り方を習いたいと言っているから教えてと頼むと、みんないつでも作っているから大丈夫と快く引き受けてくれました。あたたかくなったらあちこち観光にも出かけようねと約束してお別れしました。


  1月1日(月)
新年おめでとうございます。
おだやかな日和りに恵まれて、北アルプスもはっきりと姿を見せてくれています。
この年になった私たちにとっては、一年が改まるということはそれほどの意味もありません。秋に子どもたちが集まって新築・還暦・誕生などのお祝いをしてしまったので、お正月は閑散として声もなし。妻も昼から夜まで仕事で出ているし、母は朝昼兼用の食事の後はうとうととしてまた寝てしまうし、ネコはお日様がいっぱいに入る出窓で寝そべって気持ちよさそうにしているし、私は一人でパソコンの前に座っているという次第。のどかな元日の昼下がりです。


この日記を始めたのは2004年1月31日でしたから、ほぼまる3年経ったことになります。このときは退職と長野移住の直前で、引っ越し準備をはじめたところでした。その合間をぬってHTMLの勉強をはじめ、ホームページづくりをはじめたのでしたが、それからまる3年。実に密度の濃い3年でしたから、まだ3年なのかという実感のほうが大きい。
昨年のビッグ・イベントは何といっても家の新築でしたから、今年はこれをベースに新しいことに挑戦していかないといけませんね。それをこれからゆっくり考えることにしましょう。何かにつけて体の衰えを痛感するこのごろ。無理はできませんが、問題意識だけはしっかり持って一日一日あるいていきたいですね。

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この頃の雑誌、出版、マスメディアの動向の中で気になるのが「中国脅威論」。北朝鮮よりも恐ろしい存在として立ちはだかっているというニュアンスの報道のされ方がしています。従って沖縄の軍事的な役割が従来にまして見直されなければならないし、米軍との共同軍事行動もますま重視されるべきだという論調。
中国軍の動きが針小棒大に描かれ、あたかも明日にでも領海侵犯・領土侵略が起こるかのような描かれ方をするこの手の報道の裏に、政府・財界サイドからの周到な世論操作のにおいと、軍需産業のきな臭い策動があるような気がして仕方がありません。改憲への道筋をどうつけるのか、それには現実に脅威ある外国を身近につくっておくのが得策でしょうから。
折しも、今日の昼頃、前に紹介したことのある中国の研修生から久しぶりに電話があり、新年の挨拶くれました。その電話で彼女らを明日我が家に招待しましたら、快く受けてくれました。せめて民間の庶民レベルで日中友好の絆をしっかり深めておくことにしましょう。

先日、大戦中にアメリカ側のジャーナリストが撮影したという「硫黄島」のドキュメントをDVDで見ました。そして先日来、藤原彰さんの名著「餓死(うえじに)した英霊たち」を読み続けています。
あの大戦で「戦死」した将兵の過半数が実は連合軍との直接の戦いの結果の戦死ではなく、大本営作戦課などが机上でたてた補給無視の無謀な作戦の結果としての「餓死」だったという衝撃的な実態が克明に論証されている本です。
断片的にはいろいろな書物やドキュメンタリーで明らかにされていることではあるものの、こうして戦争の全体を通してこのように記載されるのを読むと、あの戦争を美化したり、ましてやアジアの解放戦争であったとか、米英の圧力でやむなく始めた戦争であったとかという肯定論がいかにでたらめでまやかしであるかがよくわかります。
残念ながら、その戦争をリードしてきた戦犯とその推進勢力が、戦後も手厚く保護・温存されて現在の右派勢力に隠然たる影響を持っているこの国です。「鬼畜米英」から一転して「日米同盟」という無節操ぶりも笑止ですけれど、日本の支配層の骨の髄にはあの戦争で将兵を飢餓地獄にたたきこんだ大本営の黒い血がまだ流れていることを私たちは忘れてはなりますまい。




"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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