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  10月31日(水)
今日で10月も終わり。それにしても何という陽気。Tシャツ一枚でもいいくらいの暑さです。あまりの陽気のせいか、ラズベリーが色づき、イチゴの実が大きくなり、ハマナスもまだちらほら咲いている。・・・・・???




とはいえ、季節はやはり秋。すぐ近くのお寺の大銀杏がちょうど紅葉の見頃です。黄金色に染まった大木が真っ青な空に映え、隣の赤い紅葉と見事なコントラストを演じて見応え十分。身体を返すと、白馬方面まで見渡せます。すぐ下が我が家ですよ〜〜。




一昨日の国会での守屋前防衛事務次官に対する証人喚問について、衆議院議員の井上さとしさんからウエブマガジンがとどきました。翌日には届いているのでこれはすばやい。共産党の赤嶺議員の質問についての「苦労話」を書いておりました。
「赤嶺議員の持ち時間はたった12分。基本的な点の大半は前の質問者が聞きますので、あらかじめ沢山の質問項目を準備しておき、どんどん質問項目を落としていきます。同時に、前の質問への答弁で新たな疑問点が生まれたり、疑惑究明の突破口が開けてくることもありますから。ギリギリまで新たな質問を考えなくてはなりません」ということだそうです。
「守屋氏が政治家の同席を認めたのでここをさらに突っ込もう、と意見が一致。急遽、新たな質問が盛りこまれました。いよいよ赤嶺さんの質問。接待に同席した政治家が1人かどうかをただすと、守屋氏は少し困った顔をし、じっと考えた末、複数であることを明らかにしました。さらに赤嶺さんがその政治家の中に防衛庁長官がいたかどうかとたたみかけると、守屋氏はさらに動揺を見せた上、現職だったかどうかははっきり覚えていないが、長官経験者がいたことを認めました。この証言の時には議場内にも緊張が走り、”誰だ”という声も上がりました」・・・と続きます。
これにくらべると民主党の小澤さんの情けないていたらく。密室政治は身についたものでしょうから、驚くにあたりませんけれど、情勢が緊迫してくるとそれぞれの政党の本質が浮き彫りになってくるのは間違いのないところですね。

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庭に一輪さいたバラ「アンネの想い出」。アンネのバラで知られるこの花は春から秋まで花をつけて楽しませてくれます。やさしく、ふくよかで優美そのもの。




  10月29日(月)
こんな夢をみた・・・黒沢さんじゃないけど、全く変な夢をみた。死んで横たわった母が目を開いて口をききはじめる。普通なら死人が口をきくなどといえば驚愕で腰を抜かすところなんだろうが、そのとき私は嬉しかった。やっと目をあいてくれた、口を開いてくれたという何とも言えないうれしさに胸を詰まらせてその顔をしげしげとみていた・・・。舞台が急に変わって弟がかたわらで何か書類をさがしている。母が下で待っているから急いでいるんだという・・・。
亡くなった人がやたらでてくる。会えない人には夢で会うことができる。夢の希有なる特質ですよね。願ってそうできるものではないけれど、記憶の中に刷り込まれたさまざまな場面があちこちくっついたり編集されたりして寝ている間に再構成されるんですかね。すると、子どもの頃や東京で母と過ごした頃のことやさまざまな記憶がフラッシュバックして、しばし涙で枕をぬらしたことでした。
母は大いなる愛情で子どもたちを包んでくれいましたが、翻って自分自身はどうか。妻のこと、子どもたちのことをそれほどの愛情で包んでいるのだろうか・・・・全く心許なく恥じ入るばかり。今にして母に教えられること。無償の愛情のすごさ、その深さ・・・ただ頭をうなだれるだけです。

妻はいま、小学生の孫の発表会のためにきのうの朝から富山へ。私はといえば、この一週間ほどは、11月11日に行われる町の「北アルプス展望ウオーク」のチラシやポスター、ガイドマップの作成に集中しているところです。私の性分として、何かに熱中していた方が気持ちがしゃんとするので、とりあえず11日まではかなり気合いを入れて仕上げてやろうという気になっています。ただ、何しろ腰がいたい、いまいち体調がすぐれないので、そっちの方も対策を考えながらボチボチとやるつもり。

昨日は、中国人研修生のSさんの最後の「授業」でした。もっともこの日は「もう聞くことがない」と言っていたので、受験会場の名古屋までの高速バスの時刻表を調べたり、Google Eearthで名古屋周辺の様子を俯瞰したりしながら会話の練習をしました。
そのあと、これまで気がかりだった彼女たちの労働条件について切り出してみたところ、思った通りの実態がわかってきました。くわしいことは彼女の身分保護のために書くことはできませんけれど、この実態は早急に改善しなければならないことだけは事実です。「悲しい思いをしているけれど、どうしたらいいかわからない」という声に何とかしてこたえたいと思わされました。

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ネコのハルちゃんが出窓に来て日向ぼっこ。直接寝ころんでは冷たかろうと思い、何か下に敷くものをと思って居間にいくと、そこは一面に散乱する鳥の羽根で見るも無惨な状態に。ちょっとのスキにスズメを一羽捕まえてきて羽根をむしって遊んでいたらしい。真ん中に鳥の死骸が横たわっている。
幸い遊んだだけだったようで血はほとんどでていなかったのでまだよかった。また掃除しなければならん。石を枕にして寝ていろ。敷物など持ってきてやるものか。このクソネコ!




  10月22日(月)
昨日から素晴らしい秋晴れ。冠雪の北アルプスはくっきりとその全景を見せて、何とも言えない気持ちのよさ。
今朝はまた深い霧に覆われて、なかなか晴れてくれません。多分、地温がまだ高いのに、気温がかなり下がったためなのでしょう。晴れれば日中は汗ばむほどになりますから、昼夜の温度差があると明け方は必ずといっていいほど深い霧で覆われます。そんな日は決まって晴れ。日が高くなると次第に霧も晴れて、すっきりとした天気になります。


ネコのハルちゃんは、霧を利用してスズメのハンティング。早朝私たちが寝ている間に「ネコパンチ」でまた一匹仕留めてきたようで、部屋の片隅は羽根と残骸でひどい状態になっていました。
当のハルちゃんは、ひとしきり遊んだあとはまた妻の布団に潜り込んでぐっすりお休み。ウラウラと暖かい日向で寝ていたかと思うと、屋根裏部屋に上がって一日中寝ておりました。今夜またイソイソとハンティングに出かけるのでしょうか。


妻と私は仕事も趣味も社会的活動もそれぞれ異なる予定で行動しているので、いっしょにいるのはたいてい午前中だけ。それでも、まれに「特異日」があります。どちらも何にもカレンダーに書いてない日。今日がそれでしたので、午前中は畑の手入れとニンニクの植え付け。
イチゴのランナーがたくさん出て、しかも株が大きい。昨年はそんなことがなかったのでいったいこれはどうしたことでしょうか。株が増えるのは嬉しいのですが、プランターに植えるとなるとそれなりにお金がかかります。妻は「どこに置くのよ」と呆れた顔をしていました。「置くところならどこにでもある」といいながら、私はひたすらランナーをポットに受けて、すでに50〜60個の苗を増やしています。一つのプランターに4つずつ植えるとしてプランターは10個では足りない・・・・。この前来てくれた妹が欲しいと言っていたので、好きなだけ持っていってもらうことにしますか。
午後は久しぶりに穂高温泉郷のいつもの温泉に行ってきました。私はMNEMOさんと一度行っているので二週間ぶりほどでしたけれど、妻は「久しぶりだ〜〜」と懐かしそう。夕方はほとんど人がいないので、ほぼ貸し切り状態。ゆっくり温まってくることができました。これから冬にかけては温泉に限りますね。


  10月19日(土)
昨日は横浜から甥夫婦が子ども連れで訪問、またその両親と長女が富山から合流して、午後から大変にぎやかになりました。
富山からの両親とは、私の妹夫婦のこと。長野の北部にマンションを得て、ときどきそちらに遊びに行っているのですが、その途中にこちらにまわって寄ってくれたのです。
また甥や姪は母の葬儀のさいに出席できなかったので、これまた別荘に行く途中に立ち寄ってお参りをしてくれたのでした。子どもたちはすっかり大きくなり、上の子はまもなく小学生。たまにこうして寄ってくれるのはうれしいものです。あいにくの雨で外には出られませんでしたが、その分部屋で楽しく過ごすことができました。



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今朝、ちょっとゆっくり目に起きて、何気なく北アルプスを眺めていたら、おぉ!初冠雪! 2500メートル以上あたりから上が真っ白です。朝のうちはまだ雲が厚く、山の頂も見え隠れしていましたが、昼過ぎからすっきりと晴れて常念岳から大天井、燕、爺が岳、鹿島槍とつらなる山々はすっかり雪化粧をしていました。
1500メートルあたりまで紅葉が降りてきており、まもなく里も紅葉の季節になります。




  10月15日(月)
今日は午前中から例の農業問題シンポを中心としたニュースの原稿起こしに集中しています。もう次の日になりそうな時刻なのに、一向にはかどらない。ま、あせらずやることかな。少しずつは形になってきているので、あと2,3日でまとめることができるでしょう。

世界の国々の歴史の進行は一様ではありませんけれど、情報は同時的で従って「先進国」の人間の思考もそうなりがちです。とくにさきほど休憩しながらちょっと見ていた中国の大気汚染の現状がそれを語っておりました。なぜ日本との比較の資料が2000年からなのか。石炭使用によるこの中国の大気汚染の現状は、規模こそ違え数十年前の日本の現状とそっくりであり、ヨーロッパやアメリカのそれと同じではないのか。これまでの大気汚染のすべてを忘れ去って、現在の中国のひどさをあげつらう。決して中国の現状を容認するものではありませんが、これに対する問題の立て方自体が論理の欠如を物語っているように思えてなりません。さきに発展した国々の役割は自国のことだけではなく、発展途上国への技術援助、資金援助その他でなければならないはずなのに、それは語らずにひどさのみを報道するとすれば、歴史とは何なのかに何らの分析もなく、歴史的な観点も忘れた立場と言わざるをえません。
アメリカの姿はまさに中国の対極にあるといっていい。軍事力に国家予算の相当部分をつぎ込み、温暖化対策はもちろん国民の医療・福祉対策においてさえ、中国以下のところが指摘されているではありませんか。日本では、数はそれほど目立たないかも知れませんが、電気もガスも水道さえ使えない(止められた)人がいる。他国のことを言えた立場かと私は思います。住民運動や選挙を通して、60年代の公害時代を乗り越えてきた日本が果たすべきことは、発展途上でさまざまなきしみを抱えている中国に対して官民を通した様々な技術支援や資金援助を通して、現在の問題を共同して乗り越えることでしょう。残念ながら、今の政治にそれを期待することはできませんけど。
だからこそ、マスメディアはそうした立場で報道を深めなければならないのではないのでしょうか。これもまた期待薄。だとすれば、日本でも中国でも下から”草の根”からその機運を作り上げるしかありません。

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昨日は、朝早く横浜からの客人がありました。母の兄の長女夫妻の訪問です。
私が若かった頃に「いとこ会」や、横浜の叔母の家に出かけたついでに何度かお目にかかったことがあり、数年前母を連れて横浜に行ったときにもわざわざ会いに来てくれました。今回は金沢に所用で行くついでもあって、わざわざ母のためにお参りに来てくれたのでした。

下の写真は私が大学3年生、弟が大学一年生くらいのときに石川県松任町の母の実家の近くで撮ったものです。母方のいとこの一部です。まだこの他にいるんですよ。総勢30人くらい・・・名前も知らない人もいるんですね・・・。


話をしていて偶然その旦那さんが実は沖縄出身であることを知ったのでびっくり。そういえば顔は沖縄の顔ですかね。朗らかで話し好きで実にきさくな夫婦。きっと毎日が楽しいのだろうなと想像しました。
ちなみにいとこの彼女は金沢にいる叔母の若いときにそっくり。私の母の若いときや妹にもよく似ているので、何となく不思議でもあり懐かしくもある感じがしました。



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午後からは大町で開かれた映画会に行きました。大沢豊監督作品の「日本の青空」(高橋和也、藤谷美紀、田丸麻紀、加藤剛、その他米国人のキャスト多数)です。九条の会などが中心となった「実行委員会」主催の映画会でした。
終戦直後の連合国の占領下で、鈴木安蔵、高野岩三郎ら民間人の憲法調査会がいかに自分たちの憲法をつくろうと努力したかを描きます。そして、かれらの努力の結集体であるその憲法草案がGHQに大きな影響を与え、ついに日本国憲法へと結実していく姿をドラマチックに描き出します。
この映画は、現行憲法がアメリカの押しつけであるという自民党らの言い分の誤りを明瞭に示しているだけではありません。鈴木安蔵という一人の人物の思考の過程と夫婦の生活を軸に据えることによって、日本国憲法がどのような歴史を負い、どのような未来を描いたかを説得的・感動的に示してもいました。
アメリカ人キャストの熱演もあって、見応え十分、久しぶりにたくさん涙を流しました。日本の支配層の愚劣さと対照的に、GHQ民政局の若い職員、とりわけベアテ・シロタ・ゴードンの言葉は実に輝いていました。日本国憲法は当時のアメリカの理想をも描き込んでいるのですね。
とくに若い人に、どこで上映されているかを嗅ぎつけてでも是非とも見てほしい秀作。素晴らしい映画です。

上映日程一覧はこちらにありますよ。
各県上映日程一覧







  10月13日(土)
母が亡くなってから3ヶ月が経ちました。たった3ヶ月なのに、随分遠い日の出来事のように思えるのはどうしてなのでしょうか。新しい家に来てから母はほとんどベッドと洗面所以外に出たことはなく、宅老所との行き帰りだけでこの地での生活感はそれほど無かったということなのでしょうか。しかし、突然ある場面が浮かんで母の仕草や暖かい手がよみがえってくることがあります。
思い出すことや考えることを避けていれば、確かに日に日に遠くに行ってしまうのかもしれませんが、私自身まだ頭がそれなりにしっかりしているうちに、まだやり残している母の遺品を整理しながら、思い出をつむぐ仕事をしなければならないと思っています。

さて、昨日から妻はボーリングの試合のために新潟へ。日曜日までネコのハルちゃんと二人(?)です。
私の今日の仕事は、明日の朝横浜からやってくる従兄弟夫婦の迎えの準備です。結構部屋が乱雑になっているので、片付けたり掃除をしたり。庭も冬支度をしないといけないので、一日仕事です。

庭に出て、なり終わったキュウリの蔓を取り払い、畑を掘り起こしていたら、見慣れない車が止まって中から人が。「ライフという老人施設はどこでしょうか」と聞く。
ここに引っ越してから、この種の問い合わせが大変多いのです。どうも、家のつくりが開放的であるせいか、地の利(?)があるというか、相手にとっては大変聞きやすいところに我が家があるらしい。「夢農場は?」「長福寺は?」果ては「桜仙峡は?」、そして「”あ、うん”は?」。これはもう、看板を出すしかないですね。「池田町案内処。ガイドマスターの家」。ガイドマスターの会議では、家の駐車場の道側に丸太の長いすを置いて、休憩してもらえるようにしようかと話をしているほど。妻は「道行く人にケーキやハーブ・ティーを提供する茶店をしたらどうか」などと言っています。しかし、それにしては人がいなさすぎる。だいたい、道に面したウッドデッキに座っていても、車も人もほとんど通らない。関東や関西の人混みに慣れていると、まず想像できないことですね。

先日訪問していただいた東京のMNEMOさんがブログで6回にわたって詳細に訪問記を書いてくださいました。思わず穴に入りたいような写真や記述もありましたが、全体としては、安曇野の印象が新鮮で感動的であったことがよく伝わってきました。想像力・感受性は私などの数百倍もある人ですから、同じレベルではいえませんが、私がこの池田町に来た当初の感じ方を彷彿とさせてくれます。
古くからこの町にいる人は、北アルプスは昔からあった山で、そのたたずまいは生活の一部。田園風景も労働の現場のすがたであって、珍しくも何ともない。感受性を失っているというのではなく、そうした環境の一部として生活をしているわけですから、外部から来た人にいろいろ指摘されて初めて自らを対象化できるんですね。いま、池田町も内と外の感覚を上手にむすびつけて町おこしをしていこうという機運がたかまっているのですが、MNEMOさんの感覚は随所に生かしていけることだろうと思わされています。




  10月12日(金)
今日の午後3時頃、地元の銀行に刃物を持った強盗が押し入って現金を持って逃げたという緊急放送。逃げた乗用車のナンバーを控えられ、さらに車の後ろにカラーボールを投げつけられているといいますから、ドジな賊ではあります。池田町といえど、こうした犯罪行為と無縁ではないのだとちょっとガックリ。

昨日の3年B組金八先生を一部見ていました。圧巻は茨城のり子さんの詩の朗読の授業でしたね。次第次第に一人一人の子どもの心の琴線に触れていく彼の授業のすごさは金八先生ならではの迫力でした。
それともう一つ、「学校裏サイト」でのデマ・中傷・暴露などの現実にかなりきりこんでいたこと。彼は「裏サイト」に書かれたものは文字ではなく単なる記号に過ぎないと諭す。
これを見ながら、思わず二,三日前の塾での出来事を思い出してしまいました。
つい先日何の前触れもなくやめた一人の生徒が、地元の中学での裏サイトで生徒の中傷書き込みをかなり頻繁にしていたらしい。この子は他の生徒によると学校でも札付きの中傷壁があるという。
その子が、移った先の塾で数学のある単元について「前の塾では何にも教えてくれなかった(注:私のこと!)」と言っていたらしい。それがバレて、他の生徒や親までが「自分で勉強しなかったりやったことを忘れてしまっていて、それを人のせいにするのは許せない」と大憤慨していたという話が伝わってきたのです。これは塾のオーナーが教えてくれました。
こうしたことは事実と学び教える実力で粉砕するしかない。同時に、今日の生徒が携帯電話を媒介にかくもやすやすと「裏サイト」なるものに群がり、URLをまわしていく心の弱さと貧しさ、闇の深さを改めて思い知ったのでした。
子どもたちが携帯電話を使うのはもっぱらメールとネット・ブラウジングでしょう。電話をかけることはまずない。だとすれば、欧米の多くの国のように、子どもたちの携帯電話ではブラウザ機能のないものを持たせる法的規制をかけることも考えてよいのではないかと思います。この国の携帯電話会社の経営はいかにも無分別で異常ではありませんか。

その夜、高校生の授業があったので、さっそく「学校裏サイトって知っているよね。いまどうなっている」と聞いてみると、「2校に一つはあるらしい。うちの学校もあるよ」と平然と携帯を取り出して接続「ほらね」という調子。「アドレスはどうしたの?」と聞くと「友達から教えてもらった」ということ。隣の子に赤外線で転送しておりました。どうやらそれほど怪しげなサイトではなさそうだとはいえ、ものすごい軽いノリで接続したり書き込みをしたりしているらしい。塾に来て勉強している彼らにはそれほど心配はしていませんけれど、ほとんどの時間を携帯やPCに向かっている生徒や遊び好きな生徒にとってはかなり魅力的で引き込まれる空間になっているような気がしてなりません。


  10月11日(木)
2,3日前からとうとう掛け布団を出して寝ることになってしまいました。室温と外気温とはかなり差があるとはいえ、夜はさすがに寒い。
家から見渡す平野部はもう刈り田のうす茶色一色になって、ところどころから籾殻を焼く煙が立ち上っています。
昨日はよいお天気でしたが、今日はまた肌寒い曇り空。これから山々は紅葉の時期にさしかかります。木々がひときわ輝いたあとは、全くモノトーンの世界が待っています。
上の畑にいってネギを掘ってくる道すがら、上からどんどん栗が落ちてくる。何しろ大きな栗なので、帽子をかぶっていないと怪我をしてしまいます。
これは同じ町内の方の栗の木なのですが、たまに下草狩りをする程度で手入れもしないから、木の上から虫の餌になっています。中には虫のほとんど入っていないのもあるので、道ばたに落ちているのを取ってきて、栗ご飯に。
栗は平年通りですが、今年はアケビがほとんど見あたりません。柿の木も実が少ない。山にはキノコもほとんどでていないので、木の実の不作の年なんだろうか。しかし、熊情報は昨年よりはるかに少ないので、ドングリなどはたくさんなっているのでしょうか。


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午後7時からは、かねて準備していた「農業問題シンポジウム」へ出席しました。企画の始めはFCニュースに載せるための座談会程度に考えていたのですが、かなり話題を呼んだようで結局全部で25名が参加、2時間の予定があっという間に過ぎてしまいました。
冒頭私が主催者を代表してあいさつ。そのあと、パネラーの4名が農業問題の現状についてそれぞれの立場から報告、さらに問題の解決の方向を議論しました。
詳しい内容はここでの主題ではありませんので、いずれニュース紙面で見ていただくことにして、感想をいくつか書いてみたいと思います。

問題提起では、規制緩和、新自由主義的な政府の政策(=無策)によって米の販売価格が限りなく下がり続け、農家が悲鳴を上げている現状が報告されました。
まずこれだけからすると、米価の末端価格が安くなることは消費者にとってはプラスの材料ですから、農家にもっと経営の合理化や集約化をしてもらって、何とか収支がとれる営農努力を求めるということにしかなりません。かりにそうした農家の実情に理解を示すとしても、農家の窮状はわかった、政府にその改善を要求していったらいいだろうという程度で終わるのではないでしょうか。
では本当にそうなのか。農家にとっての販売価格の暴落は農家の問題であって、消費者にとってはたいした事態ではないのか。この点を明らかにしない限り、利害の異なる生産者と消費者が手を結んで政府の政策に立ち向かうことはできないはずです。

報告や議論の中では、いくつかの重要な問題点が出されていました。一つは2006年に農水省が発表した米の家族労働報酬が時給換算で256円。今年の販売価格が現実のものとなれば一俵出荷するごとに2000円〜5000円の赤字になるという現実をどう見るかということ。二つは、今日の農政が家族経営の農家を完全に切り捨てる方向に動いていること。米の販売価格だけからいえば、大規模農家でも赤字を覚悟で営農に取り組まなければならない状態になっているわけですから、このままの政策を放置すれば、農業をやめ農地を荒れるままにする農家が続出する危険があるということ。一方で優良農地は大企業や商社のターゲットになって、現在の整備された農地は寸断されるだろうこと。三つは、その結果、関税の引き下げなどによって外国からの輸入食料が増え、国内の食料自給率はますます低下の一途をたどるだろうこと。
「関税をゼロにしてまだ12%も自給率がある。結構なことだ」と政府の諮問機関の委員が語ったと言いますが、米価を引き金にして小規模農家をつぶすことが目的だとすれば、そのあとにくるものは食料の輸入の全面自由化と自給率の大幅な低下、食料危機の到来ということでしょう。
安いと思って食べている米が、かなりの部分を輸入にたより、農薬にまみれ、くず米や古米が混入されていたらどうでしょう。果物、野菜、加工品も同様の運命になると思われます。
山口典久衆議院予定候補がおもしろい話をしていました。
農水省の「不測時の食料安全保障マニュアル」によれば、食料問題での有事の際には、農家には「カロリーの高いイモ類への転作を促す」「一人2000キロカロリーを供給する」、言い換えれば”米のごはんは朝夕一杯のみ””三度の主食はイモにする”というようなもの。ここまで来ている。
自給率をほとんどゼロに近づけようとしておいて、こんな対策を考えている政府・農水省の頭の中はどうなっているの? 煎じ詰めれば、国民の暮らしの根幹をどう守るかではなく、大企業とアメリカの利益をどう守るかということしかないということでしょう。これでも農家がつぶれても安い米や外国産の農産物を食べ続けるのがいいのだろうか。
一方で、食の安全への関心が高まっているという報道もあります。それはそれで大変大事なことですが、それだけの関心であったり、議論であったりしてもダメなのでしょう。日本の農業を営農という側面、自給率という側面、流通・消費あるいは食の安全という側面を全体として見通して、深くとらえることが何より重要になっているのではないか。そのことを深く考えさせてくれるシンポジウムでした。




  10月9日(火)
昨日から天気予報通り雨。今日もぐずついた一日でした。午後からは晴れ間もあったので、外に出てゴーヤやトマトの支柱をはずし、実のなり終わった蔓を取り払う作業に精を出していました。結わえていたひもを解いたり切ったりするのがめんどうで、結構時間がかかりましたが、おかげで見通しもよくなってすっきり。取り払った後は来年の植え付けまで土を養生しておきます。これはもう冬越しの準備。何だか急速に冬が目の前にきたような気がしてきます。

さて、6日から8日にかけて、元同僚であり友人であるMNEMOさんが約束通り遠路はるばるやってきてくれました。一年に一度ほどは私が元の職場を訪れて短時間ではあっても話をする機会があったし、お互いにネット上での記録を見ているので、旧交を温めるというほどのブランクではありませんでしたけれど、MNEMOさんがこちらにやって来てくれるというのはめったにないことなので、やはり懐かしい友人のうれしい訪問になりました。
初日はまあ、おきまりのコース。山葵田やクラフト・パークを案内して、秋の一日を満喫。大王わさび園の横の川は、私が安曇野を初めて訪れたときに大きな感動を受けた場所でもあるので、観光地化されているとはいっても一度は案内したかった。

(注:下の写真は湧水群からの水をたたえた「安曇野原風景」といわれる場所ですが、驚いたことに野暮なゴムボートが浮いていた。ボートも写っていたのですが、消してしまいました。観光地低俗化の象徴なんて見たくもない。あしからず)


クラフト・パークもまた池田の町を見下ろし、北アルプスを一望できる最高の場所なので、ゆっくり山や緑をながめながら寝ころんでいたいところでした。


二日目は芋掘りのあと、東山へ森林浴にでかけました。まだ紅葉には早い時期ではありましたが、天候に恵まれてさわやかな空気と木洩れ日に気分もリフレッシュ、と思ったらMNEMOさん崖っぷちがいささか怖かったようで「怖い、怖い」を連発しておりました。確かにオーバーハングした崖の上を歩くので、地震でもあればそれっきりということになるかもしれませんね。
彼も私も写真を結構とりまくっていたのですが、目の付けどころ、被写体のとらえ方、構図どれをとっても私とは全く違っていることに今更ながら驚きました。彼自身も言っていましたが、想像力の違い、感受性の豊かさの度合いですね、これは。私などは、きれいに撮れてくれれば満足なのですが、彼は光と影、明と暗、流れとよどみ、そうした対立したもののコントラストや渾然一体となった景観を取り込みます。切り取るというよりはそのまま受け入れるというような写し方なんですね。ブログ上の写真はほとんどがそうした感覚で一杯ですから、それなりにはわかっていましたが・・・。いざ同じところを撮り比べてみると違いは歴然。色々と教えられました。


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8日は朝MNEMOさんを見送ったあと、忙しい一日でした。きのこ狩りの予定が、朝からの雨で時間を早めての「懇親会」になり、10時頃から2時過ぎまで飲んだり食べたり話したりで楽しいひとときを過ごしました。


その夜は、11日に開催する「農業問題シンポジウム」の準備会議でした。
私自身、農業をめぐる問題についてはからっきし素人でイロハから勉強したいと思っていたので、よい機会になります。
出席してくれた元農民センター組合長のMさんが問題提起の素案やくわしい資料を準備してくれて、それをめぐってあれこれ議論しあったのでした。その中で、私自身、本当に大変なことになるという実感をもちました。
現在の喫緊の問題は米の販売価格です。政府の資産で米一俵の生産費が17000円弱。(5ヘクタール以上の担い手農家でも12000円)これに対して販売価格は一俵あたり10700円弱(長野大北農協)、全農では内金で7000円(販売の動向を見ながら追加払いしても1万円以下)という驚くべき事態が引き起こされているのです。参加したMさんも、米を作っているYさんも、「このままではやっていけない。米作りをやめる農家が続出する」と憤慨するほどです。
消費者からすれば安くてうまい米であるに越したことはありません。しかし、それが大手スーパーや外食産業などが米を買いたたき、それに古米、古古米をまぜて超安値で売り市場価格を攪乱したり、外国産米をまぜたりして販売し食の安全を脅かしているという現状を知れば、恐るべき事態に直面していることは明らかでしょう。
農家にとって見れば死活問題の米価の暴落ですが、消費者からすると一時的に安い米が食べられるとしても、結局はそれによって自分の首を絞めるようなものです。なぜなら、米をつくる農家が激減、水田は荒れて国内の農業は壊滅、結局外国からの輸入で米をまかなうという事態になりかねないからです。それがどのようなことを意味するかはもう議論の余地のないことですね。
政府の規制緩和、新自由主義的な経済政策の農業版がこれです。労働法制の改悪による派遣・パート労働の拡大によってワーキング・プアが大量に生み出されていることと根っこは同じ。気がつけばもう手がつけられないなんて絶対にあってはならない、その思いを強くした会議でした。


  10月5日(金)
沖縄から届いた荷物を包装していたのは沖縄タイムス9月27日号。何気なくそれを広げてみていたら、9.29県民大会の全面広告が出てきました。
主催は沖縄県中を網羅した団体でつくる実行委員会。保守革新の区別などありません。もっとすごいのは「琉球バス」、「沖縄バス」などのバス会社が無料の県民大会乗り合いバスを運行して参加者の便宜をはかっていること。これには感動しました。おそらく集会の成功をめざしてもっといろんなことがあったに違いありません。

自民党などがこの集会の規模や意義を低くみせようとしたり、「集団自決」への軍の関与をうすめようと巻き返しを図っている昨今の動きをみていると、あらためてこの「集団自決」問題を検証する必要を感じます。
大城さんの「沖縄戦の真実と歪曲」(高文研)を読むと、なぜ島ぐるみでこのような抗議行動が巻き起こるのかが見えてきます。それは単に軍の命令・強制で「集団自殺・他殺」が引き起こされたというだけではありません。沖縄に配備された日本軍が、その初めから侵略者として中国やアジア各国で蛮行を働いてきた行為をそのまま沖縄にも持ち込み、「沖縄人」を「総スパイ視」して数多くの人々を殺害したことと無縁ではありえません。
沖縄戦での「集団自決」に軍の関与があったかなかったかということだけでは、何故そのようなことが引き起こされ、何故沖縄県民がその事実関係にこだわっているかが全く見えてこないでしょう。また、文科省は軍の関与は認めざるをえないとしても、それが沖縄県民を日本軍がどのようにあつかったかという全体像まで認識を絶対に広げようとはしない、その狙いも見えてこないのです。
だとすれば、沖縄で引き起こされた問題は、沖縄に配属された日本軍と県民という範囲にとどまらず、総動員体制下にあった天皇制日本の国民すべての問題と深く結びついているということです。「あの戦争」の性格からこの問題を見ない限り、いつまでもこれは「ヤマト」とは無縁な、沖縄の特殊な事情ということで幕引きされて終わりとなりかねません。

事実同じ新聞紙上には「中山文科相に聞く」というインタビュー記事が載っています。「あなた(中山文科相)と同様に南京や慰安婦の教科書記述を追及している自由主義史観研究会は、「集団自決」を自発的な美しい殉国死と位置づけている」という問いに、中山文科相(当時)は次のように答えているのです。
「確かに私は彼らと付き合いがあるし、南京や慰安婦問題で戦後、米国に一方的に刷り込まれた自虐史観を排除するべきだと思っている。人口20万人の南京で、30万人の虐殺なんてあるわけがない。しかし、それ(集団自決)は違う。何が美しいか。(自決した県民は)犠牲者だ。そこは間違っちゃいかん」
こういう「論理」です。想像力の欠乏か、論理の欠乏か。(「人間のしるし」)
「日本では過去を語ること、特にその栄光の部分を語ることは、ともすれば『保守反動』として退けられてきました。昭和22年に制定された教育基本法の日本側の原案にあった、日本の伝統・文化を尊重するということと宗教教育の重要性がGHQによって修正されました。そして、日本人の精神的な拠り所として残るはずであった教育勅語は、GHQの命令によって翌年廃止されてしまいました。こうして、世界有数の長い伝統と歴史を持つ日本ですが、戦前と戦後に大きな断層ができてしまいました」「私は、教育にはもっと地域性と多様性があって良いし、もっと競争原理を導入すべきではないかと考えます。今、学校生括では競争することを罪悪視する風潮がありますが、社会に出ると激しい競争にさらされます」(清和政策研究会提言集の序文)と書いてはばからないウルトラ・ナショナリストの彼ですから発言の底はしれていますが、その彼をして「集団自決は殉国死ではなく犠牲者だ」といわしめた沖縄県民の、やむにやまれぬこの日の行動の重さははかりしれません。


  10月2日(火)
相変わらずぐずついた肌寒い天気です。おかげ(!)で、先日植えた白菜はすくすくと大きくなって、豊作の予感。ただ、種からまいたので植えすぎで、毎日白菜ばかりという予感もします。
このごろ私のやっていることといえば、午前中はほとんど畑の手入ればっかり。まず、イチゴ。毎日顔をみて「おいしいイチゴをたのむよ」と声をかけます。ちょっと声をかけすぎたか、もう花を咲かせて、ランナーがどんどん伸びて、これは一体?? カナブンの幼虫が悪さ(茎の根元を食いちぎってしまう)をするので、とにかく目を離せないのです。
続いて、ローズマリーとラベンダーの増殖。新芽をとってプランターに植えて根を出させます。さらにそれをポットに受けて冬越し。この作業が遅いと根が十分に張らないうちに寒さでやられてしまう。去年、一昨年と全滅だったので、今年こそはの意気込みでやっているところです。
次がビオラやパンジーの植え替え。春の花が咲き終わり、実が落ちてまたたくさん芽がでているので、それをきれいに植え替える作業です。この作業は初めてなのでどうなるかわからない。これから果たして株が大きくなるのか、また冬越し出来るのか・・など未知数。それ以外にも草取りや、実のなり終わった野菜を取り払って整地をすることなど、小さいながらやることは沢山あります。このあとは、ニンニクや玉葱の植え付けが待っているし・・・自給自足といってもタダで出来るわけでもないし、手間ひまと苦労をかけずに美味しいものを食べることはできないという理屈です。

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月が変わって、周りの田圃はもうすっかり稲刈りも終わり、そうなるともう田圃は冬の景色です。多分田園風景というのはそういうもんだと思いますが、田植えから10月までが華。あとは冬です。まわりの山々のたたずまい、草花、空気・・・などが季節感を添えるので、まだ田圃は季節感をもらっていますが、これが落葉を迎える11月ともなるともう完全に冬景色。それから4月半ばまでは実に殺風景でモノトーンの世界が広がるのです。考えてみれば、そのモノトーンこそ、来るべき冬と春の序章となっているのだから不思議なものですね。田圃では、刈り株が腐植し、次の稲の栄養となり、落ち葉は朽ち果てて昆虫や微生物の餌として分解され土にもどり、春にはまた蘇る。田舎にいてさえこの自然の営みを忘れてしまうほどに鈍感になった私です。
「沖縄戦の真実と歪曲」(大城将保著・高文研)という本を読んでいたら、平和教育の方法論について次のように書いた一文がありました。要約すると次のようになります。
かつて平和教育をすすめるときに、感性的認識から理性的認識ということが強調されたことがあった。それは、原爆とか空襲とかという被害体験を強調する余り、感性的・主情的な体験談に埋没して戦争の本質や加害の側面を軽視するという傾向への批判、反省であった。しかし、戦争体験者がほとんどいなくなり、戦争もハイテク、バーチャルなものとして流布する現代においては、「人間が人間でなくなる」極限状況を感性的にとらえることはますます難しくなっている。それだからこそ、トータルに認識すべきであることは当然ながら、感性的な認識の重要性を強調せざるを得ない。
「戦争」を「自然」と置き換えてみれば、そのまま成立しそうな文章です。自然にあふれているように見えるこの地域で、人の手が入っていないところを見つけることは至難の業です。都会では、管理された野山のたたずまい、造形された植生があたりまえになっていますから、自然の恵みとか、自然の力とかを感性的にとらえるなどということはまず難しい。
しかし、ひるがえって、この安曇野で果たして自然と言えるものがあるのかと問われれば、いささか心許ないのです。ただし、自然という概念の定義を人の手が加わっていない空間というように狭義にしてしまえば、原生林を除いては、まずこの日本にそんなところはない。私自身は「大地、空、海、山、川、およびその中での動植物が長い年月代謝活動を行っている場所」くらいにあいまいにとらえていますから、書いていること自体も実はあいまいなのですが、言いたいことは、自然を感性的にもっと人間の中に取り込む必要性があるということ。何だか生活も縮こまって、栗がおちていないかとか、食べられるきのこがないかとかばっかり考えて山を歩いてちゃいけないんですね。山の空気、風、木々のざわめきに5感を さらすことからもう一度はじめなければ・・・・。

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沖縄の大集会の模様について、地元の高校の写真部がブログで生き生きと活写しています。開口一番、「昨日,歴史的瞬間に立ち会えました…!!」というのが、何ともういういしい。
「ななななんと11万6000人集まったとの事です!!!!!! わー!!きゃー!!!やったぁ(≧◇≦。)!!!!と大興奮&大喜びしました!!」「亡くなった大勢のうちなーんちゅ,生き残ったおじーおばーの為にも教科書の再検討を心から願ってます。」・・・コトバも、写真もいいですね。

ハイサイブギ放課後日記


  10月1日(月)
2,3日前に、ニージーランド付近で地震があったというので、本当に久しぶりに友人Mikeにお見舞いのメールを送りました。ある日を境にほとんど音信不通になっており、こちらからもメールを送ったりしなかったので約1年ほどそのままになっていたのでした。
すると程なくして返事があった。「地震?全然気がつかなったよ・・・」と不思議そうに書いてきたのでこちらがびっくりしてしまいました。M7.1ってなんだったのでしょうか。
ところで、ここ数年「英語」からまるで遠ざかっていたために、英語で文章を書くということがまるで出来なくなっていました。かつてはそれなりに一生懸命調べたり、工夫したりして書こうと思ったこともあったのですが、まずその気力がなくなっている。次に覚えていたはずの単語、言い回し、時制・・・ことごとく過去の彼方に消え去っており、出てくるのは本当に単純な文章ばかり。これじゃ幼児の書いたものと間違われてしまいそうです。さりとて今から何かをということもなかなか億劫で出来ず、さて・・・・と考えて、やはりこれはニュージーランドへ行くことかな・・・と。そうすれば無理矢理でも多少は覚えようとするかも。
Mikeに「1,2年の間に行くよ」と言ったら「再会を楽しみにしているからね 」と書いて住所も教えてきたから、頑張って再会を果たすことにしますか。
とりあえず今年は11月下旬に妻の里に行かなければならないので、来年中か再来年のはじめということになるでしょう。ネコのハルちゃんを置いていくことになるし、何より資金を貯めなければならないので、よくよくプランを練ることにしましょう。
ま、人生こうして一つの目標をもつことはいいことですよね。

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昨日は「赤旗信州秋祭り」の日。私の住んでいる地域の秋祭りの日でもあったのですが、かねてから誘われていたので妻と出かけることにしました。会場は松本空港そばの「やまびこドーム」。
当日は右翼の街宣車が多数妨害に来ることが予想されたためか、警察が会場周辺をバリケード封鎖したり、検問をしたりしてものものしい雰囲気でした。
それでも朝は何台かの街宣車とすれ違っただけでたいしたこともなく駐車場へ。
シャトルバスに乗り換えて会場に着くと、もう相当な人でにぎわっていました。さすがにこのドームはでかい。半円の前方には舞台が設えられ、半円の後方・入り口付近はいろんな店がならんでいました。その昔、何度かこの種のつどいには参加したことがありましたが、天のある閉ざされた空間では初めてだったので、閉塞感が心配でしたけれど、それは全くの杞憂で、のびのび広々としたくつろげる空間になっていたので安心しました。天空かと思うほど屋根が高いので、体育館などとは開放感が桁違い。さっそく「大阪焼き」やら「鯛焼き」を仕入れて妻とムシャムシャ。いっしょに来た池田町ファンクラブの面々はさっそく酒盛りを初めておりました。何度も来ている池田っ子にとっては、何が楽しいかといって懐かしい旧友と再会したり酒盛りしたりすること以外にはないでしょう。
舞台では太鼓、合唱、バンドなどのアトラクションや、全員当選した長野県議・市議のあいさつ。最後に共産党の小池政策委員長の記念講演なども。私たちは夕方から仕事があったために中座せざるをえず、小池さんの講演が最後まで聞けずに残念でした。



10月から11月中旬にかけては、行事が目白押しです。ほとんどの土日が詰まっていると行ってもいいほど。
まず、来週8日は池田ファンクラブ主催のきのこ狩り。11日は同じく池田ファンクラブ主催の「農業問題シンポジウム」。14日は池田観光協会主催の秋の里山ウオーク。ただ、この日は横浜から親戚がやってくるのと午後から九条の会の映画があるので、私は里山ウオークは欠席です。
今日は朝から、来週の「きのこ狩り」の下見です。このごろ山が荒らされるというので、いたるところ留山になっており、果たしてキノコをとる場所があるかどうか心配でした。
ファンクラブのメンバー3人で目的地の大峰高原へ。しばらく前に熊が出たという情報もあって、なかなかスリリングです。今日は雨模様でコンディションは最悪。これまでずっと雨がなくようやく一昨日あたりから雨になったので、残念ながらきのこの姿はなし。この雨で来週には期待できるだろうと話し合って、帰ってきました。
その後は我が家で「農業問題シンポジウム」の打ち合わせをしました今年から導入された「品目横断的経営安定政策」という大規模農家育成・小規模農家切り捨ての政策が農家を苦しめ、日本の農業を崩壊させようとしているいま、農業地帯を多くかかえる地域に住む私たちはどうとりくめばいいのかを研究しようというのが目的。農政の問題点、これからの課題と展望を包括的に話し合おうというものです。
もともとはファンクラブ・ニュースのための座談会として企画したものでしたが、山口典久・岸野正明両衆議院候補も参加してもらえることになって、ちょっと規模を大きくしようと現在話し合っているところです。
折しも、福岡県柳川市のJA柳川が全国で初めて農協としてこの「品目横断対策」の見直しを求める1000人規模の集会を開いたと報じられていましたし、消費者の側からいえば、安くて美味い農産物と食の安全を求める機運も高まっているときだけに、農業問題を真剣に考えることはきわめて大切なことでしょう。
私などは、実際に米をつくっているわけでもないので、農業問題といってもなかなかピンとこないし、農政の問題点といっても基礎から勉強しないと行けない方です。これを機会にしっかり学習をして、ファンクラブの活動もひとまわり大きくしたいと願っているところです。




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