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  5月29日(火)
松岡農水相の自殺という何ともやりきれないニュースが報じられました。議員宿舎での水道・光熱費の使途をめぐっての疑惑に加え、農水省管轄の「緑資源機構」での官製談合や地元・熊本での「特定中山間保全整備事業」での受注を巡っての政治献金問題など、日を追って深まる「政治とカネ」疑惑の追及に、次第に追い込まれていったと見るのが自然でしょう。
お昼のワイドショーなどでも「4日前から大臣の様子に異変があった」とか鈴木宗男議員からの「国民におわびしたらどうか」という提案に「今は黙っていた方がいいという国対からの指示があって・・」とかという報道がありました。追い詰めていったのはただ国民や検察だけではなく、自民党の対応そのものという見方もできます。
憲政史上初めてという現職閣僚の自殺という非常手段でその幕引きをはからなければならないほど事態が深刻だったとすれば、その背景にはさらに大きな問題が横たわっているだろうし、疑惑はますます深まっているだけに、それはもう彼個人の問題だけでないことは明らかです。なぜ安倍総理が最後まで彼をかばい続け「有能な大臣」として処遇しようとしたのか、疑惑を抱えたまま自殺という結末を迎えた今回の事態について任命責任者としての安倍総理の責任はどうなるのか、きっちりと決着をつけてもらわないといけません。
松岡農水省が自殺した昨日には新聞各紙で安倍内閣の支持率が前回より10%以上も下がったことが報じられていました。5000万件もの年金記録ミスを放置したまま社会保険庁を解体して民営化する法案の審議・採決の強行や6月からの住民税の大幅増税、さらには戦前と見紛う言動の数々といった安倍政権の本性が誰の目にも明らかになってきたからでしょう。このまま彼らの意図を易々と通してはなりますまい。
しかし、これらの悪政の数々をいとも簡単に議会で通してしまうその背景には衆議院選挙での自民・公明の数の多数があります。選挙では自民・公明、しかし、ここまで来て「こんなはずではなかった」というのは無邪気すぎる話でしょう。参議院選挙に向けて、タレントや有名人に的が絞られているという報道はかなり前からありました。もし、そんな策略に多くの有権者が乗ってしまうなら、どんな結末が待っているのか、私としては想像もしたくありませんね。


  5月28日(月)
昨日は妻といっしょに姨捨にでかけ、妹の連れ合いの弟さんが借りた棚田で田植えに挑戦しました。妹夫婦も来て合計6名。ちょうどよい小さい田圃なのでスムーズに仕事もはかどった・・・と思ったら、回ってきた指導員の方が「見事に植える間隔が狭い」と、手取り足取り、基本から教えてくださいました。それでも、第一回目にしては上出来といいながら作業を終えました。
「田毎の月」で有名な姨捨の棚田、中学生の団体から遠くから来た家族連れ、若い仲間同士などで大変な賑わい。まるでピクニックか運動会のような感じの田植え風景でした。
農家の方なら機械力で見る間にきれいに稲の苗が植えられていくのですが、手植えではその要領の難しいこと。長靴が抜けなかったり、植えようとする場所が長靴のあとで苗が完全に沈んでしまったりと四苦八苦。それでも楽しい経験をさせてもらいました。


一昨日の雨のあと気温が下がって、夜ともなると肌寒い気温。空気は澄んでまもなく満月を迎える月がまるで秋のような冴え方です。
昼はさすがに日ざしは強いのですが、木陰のすずしいこと。今日も午後から畑に出て「サツマイモ」を植える準備をしておりました。借りた石だらけの畑を耕して畝を作るだけなのですが、腰は痛くなるし、腕も痛いし、年を感じてしまいます。
今朝芋の苗を買ってきたので、雨が降ったあと植え付けをする予定にしています。何しろ苗が100本ですからうまくいけば出荷できますね。昨年は水はけの悪い草だらけの田圃で作って全滅していただけに、今年は期待できます。

池田町は、今が花のシーズン。あちこちでいろんな花が咲きにおっています。我が家でも、道路脇から飛んできて庭で大きくなったポピーが鮮やかな真っ赤な花を沢山つけています。また、ラベンダーの一つも咲き始めました。これは東京で買って増やしていたものなのですが、昨年の寒さでほとんど枯れてしまい、ただ一つ生き残った子孫です。他のラベンダーとは花の形が違って沢山咲くとなかなかきれい、私のホームページの初めての写真もこのラベンダーでした。これは今年たくさんふやさないと。
庭のあちこちで白い花を咲かせているカモミールは今が盛り、ときどきハーブディーにして飲んでいます。アイリスも今が一番きれいな時期。その間をぬって、いろんな蝶がとびかい、毛虫も運動会です。


庭のイチゴが今朝からある程度まとまって採れるようになりましたよ!!イチゴの大きくなるのが早いこと。しかも大きくなると同時に赤くなる。朝方はまだそれほどでもなかったものが、夕方にはもうすっかり色づいて食べ頃。毎朝が楽しみです。道路脇に植えてあるので、道行く人も「あ、イチゴだ!」と言いながら鑑賞しています。よって、みなさん、いらっしゃるなら今ですよ〜〜!!




  5月25日(金)
勤めていたときは、ただうっとうしいだけの雨でしたが、野菜や花を植えて育てていると、久しぶりの雨は本当に恵みの雨、こうも気分が違うものかと思ってしまいます。
借りている畑はまわりに水がないので、昨日はとうとうポリタンを買って、それに水を入れて車で運ぶという原始的なことをやって乾きをしのいだほど。これから夏にかけて水の問題は結構重要な関心事になります。
もちろん雨がふると喜ぶのは野菜や花だけではありません。雑草が我が世の春と伸び出します。彼らにはまったく罪はないのですけれど、強者が敗者を駆逐、回り中スギナとカラスエンドウ、ススキで覆われて、取っても取っても伸びてくるので始末に困ります。スギナは根が深いのでなかなか駆除できず、モグラたたき状態です。気長に草取りをしていくしかありませんね。

ここしばらく、ヒトラーを描いた映画を見続けておりました。かなり前には「ヒットラー最後の12日間」、2,3日前からは記録映画を編集した「ヒットラーの生涯」とアメリカ映画の「ヒットラー第1部、第2部」。最後の映画は、なぜドイツ国民がこのモンスターを熱狂的に支持するようになったのかという問題意識を底流にかなり周到にヒットラーの生い立ちや思想の特異性と普遍性に焦点を当てており、かつ抵抗勢力をどのように排除していったのかも克明に描いていて重苦しい気持ちにさせられました。
この映画におけるヒットラーの主張はとにかく「ユダヤこそドイツの害悪であり、駆逐しなければドイツ民族の生存はない」という一点に絞られており、確かにそれが失業と生活苦にあえぎ強い指導者を求めた当時のドイツ国民の感情にマッチしたことは事実としても、描き足りないことであったように思われました。

ひるがえって今日の日本の状況はどうか。現在の自公政権の「貧困化政策」とでもいうべき新自由主義の路線は、貧困に陥った庶民がそれから脱却する道を平和的・民主的な経済政策を求めるのではなく、強い指導者を求め外なる「敵」に目をやりがちだという歴史の「負の」教訓から多くを学んでいるのではいかとさえ思わされます。私たちを困難に陥れているのは北朝鮮であり、中国であるという外国脅威論が幅をきかせてくるとき、日本の大企業がどれほど労働法制の改悪をしようが、政府がどれほど悪政の限りを尽くそうが、その本質を見破ることができなくなるという「歴史の教訓」です。東京都政はまさにそれを地でいっているようなもの。
私がこだわりつづけている「戦前との連続性」は、ここにきて実は国民の中にも驚くほど深く残されれているのではないかと思わざるをえないのです。少なくともそれへの抵抗が驚くほど少ない。昭和天皇の戦争責任を問う声も、皇室のありかたを根本的に問う意見もそれほど強くないという背景が、私には「戦前との意識的・無意識的連続性」と無関係ではないように思えてなりません。


  5月23日(水)
念願のウッドデッキがようやく完成しました。家の西側で北アルプスが見渡せる絶好のポジション。屋根がなくて、ただ木の枠が張り巡らしてあるだけなので、夏は日ざしがまともに降り注ぎますが、そのうちアケビを這わせる予定なので、冬は暖かく夏は涼しい場所になるはず。「夜ビールでも飲みながら夕涼みするといいね」と妻と話し合っています。8月には池田町の花火大会もここからちょうど見えるので、子どもたちもそれに合わせて来ていっしょに見られるとうれしいですね。
とはいえ、それだけの費用がかかっているわけで、なかなか甘くない。家の中の角という角はネコに引っかかれてボロボロ。その修復もしなくてはならず、出費が止まらない!!




庭の野菜(葉物)がようやく収穫できるほどになってきました。例によって雑多に混み合って植えているので、農業の専門家からは「込みすぎだよ」とからかわれている始末。しかし、食べられればいいし、たくさん生長してくれればうれしいので、毎日水遣りに専念しています。
借りている畑も少しずつ耕して、今はトウモロコシを植えつつあるところ。カラスやタヌキに狙われる危険がありますから、毎日目を離さないようにしていないといけません。あとはときどき雨が降ってくれれば言うことなし。
上の借りている畑のこのあとの予定は、さつまいも、カボチャ、秋にはタマネギ、大根。自給自足に一歩近づいてきました。
先日とりつけた温水器はこのところの陽気で60度を超えていますから、一日のお湯はまず灯油なしでOK。ただし、水遣りに井戸から電気を使ってポンプで水を揚げているので、電気代が結構かかります。妻がつけてくれている家計簿を見ながら、出来る限り節約していくことにしましょう。


  5月22日(火)
最近頭から離れないこと。日本会議メンバーからなる「靖国派」議員たちの跳梁跋扈はいかなる現象なのか。そして、何ゆえこのような時代錯誤の歴史認識や家族観などが堂々と市民権を得ているのか。彼らを今日あらしめている過去・現在の原動力とは一体何なのか。
現在とてつもない事態が進行しているにもかかわらず、マス・メディアは何らそのことにふれようとせず、国民の過半数が安倍内閣を支持しているという現象。この内閣の言動を見ていると、私には戦前の支配層の亡霊が蘇ったとしか思えません。
何はともあれ、「日本会議」のホームページをご覧あれ。
「日本会議」とは「20年の国民運動の成果を引き継ぎ、美しい日本を再建し誇りある国づくりを目指した新しい国民運動」なのだといいます。安倍首相の言う「美しい日本」とは、この「日本会議」のめざすところに完全に一致しています。
その綱領、設立宣言、設立趣意書や「日本会議のめざすもの」を読んでみるべきでしょう。そうすれば、「日本会議」がめざす「美しい伝統の国柄」とは、戦前の「国体」思想そのものであることに容易に見て取れます。
「125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に民族の一体感をいだき国づくりにいそしんできました」と、臆面もなく述べたてるアナクロニズムと「歴史の偽造」には辟易としますけれど、本気であるか策略であるかどうかは別として「天皇元首」「皇室中心の支配体制」を狙っていることはあまりにも明らかです。そして、この「価値観」がすべての縦糸として貫かれているのです。
しかし一方では、 「今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。」という現状認識がいたるところに書かれています。笑止千万。確固とした理念や国家目標は現行憲法にしっかりと書き込まれているではありませんか。だとすれば、彼らの認識には現行憲法は理念でも国家目標でもないということになります。
事実、彼らの言う「新憲法」とは、今日の国際的な人権や平和の理念などの到達点をふまえたものでも、国民の生活や福祉、豊かな教育を願うものでもなく、戦前の「大日本帝国憲法」の今日版とでもいうべき恐るべき内容になっているのです。
同時にこの現状認識からは、今日財界、自公政権の持つある意味での危機感が見て取れます。つまり、このまま(現行憲法のまま)では、国民の権利意識(労働の権利、福祉の権利、教育の権利)ばかりが先行し、さらに、米軍と一体となって海外に軍事力を展開したい彼らにとって、国民の平和の意識は大きな障害となっている。大企業にとっての利潤、海外での権益、確固とした支配の体制を維持するには、彼らの思い描く「理念・国家目標」で国民統合を図る以外にない、という意識です。
現在内閣のほとんどをこの「日本会議」メンバーで占めるほどの「勢い」はどこから来ているのか。単に何人かの議員がそのような思想を持っているという甘いものではありません。これらの議員を後押ししている、あるいは彼らに代弁させている勢力はきわめて大きいと言わざるを得ない。極論すれば、日本の財界・政界の中枢そのものが、戦前との連続性を濃厚に持ち(意識・価値観を今日まで維持し)、その復活を狙い続けてきたというべきではないのか。「占領軍憲法」に激しい憎悪を持ち、憲法・教育基本法体制に敵意を持つ理由はそれ以外に考えられません。そして、いま教育基本法を書き直し、まもなく憲法そのものを彼らの思い通りにしようとしている・・・。

今日見た映画(DVD)、「白バラの祈り」。ドイツは現在精力的にあの時期の自らの歴史に向かい、その一こま一こまをつぶさに検証しようとしているように見えます。この映画は、敬虔なキリスト教徒である一人の女子大学生の反ナチのささやかな行動と逮捕・投獄から結末までを丁寧に描いています。その中で彼女やその兄が「法廷」で権力者に向かって毅然と言い放つ言葉は、光輝いて実に美しい。今まさに戦争を準備しようとしている連中にこそ聞かせたい言葉だと思いながら見ていたことでした。


  5月21日(月)
5月19日は息子の結婚式。一年ほど前に入籍は終えていましたが、ひとつの区切りとしてぜひ親族を招待して式を挙げたいという二人の意志を受け、私の知人がマネージャーをしている白馬村の教会で結婚式を挙げることにしたものです。
新緑に囲まれた美しく閑静な教会での式には双方の親族が20数名が集まり、二人を祝福してくれました。
また、式を主宰したメリー牧師も、終始二人を気遣いながら、人生の中での結婚式の意味や愛情をもって支えあう大切さを諭して、感動的に式を盛り上げてくれました。
緊張しながら式に臨む息子を見ながら、私自身、かつての自分、これまでの家族のあり方、夫婦の絆・・・などを思い考えながら、じーんとするものを感じていました。




式のあとは、ホテルにもどって、新郎新婦の招待で結婚披露パーティーを行いました。
集まってくれたのは身近な親族だけですから、こじんまりと、しかし心温まる楽しいパーティーになりました。
とりわけ、息子の仲良しのいとこたちが司会をしたり、うたを歌ったりして場をもりあげてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。周りのみんなに祝福され支えられて新しい門出をすることのできるのは幸せなことだとつくづく思いました。


私自身にとってもこの結婚式はいろいろな意味で一つの区切りになったように思います。長い間ブランクにしてしまったこの日記、今日からあらたな気持ちで書き継いでいこうと決心しています。もちろん気持ちにさからわず、気負わずということですが。こんな日記にもかかわらずお読みくださっているみなさま、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

最後に、恥をしのんで、私の披露宴での挨拶文を掲載しておきます。これは私の「証文」・・・かな。

あいさつ

ご参列のみなさん。今日は遠いところをお越しいただいて心から感謝申し上げます。
私は数年前に弟を亡くしました。息子のあいさつにもあったとおり、親代わりであった弟にこそこの結婚式に参列してほしかったと思いました。
親族が集まるといってもこうして悲しいことがあっただけに、晴れがましい息子の結婚式に臨めることはとても嬉しくもあり、また感慨深いものがあります。

多くのみなさんが既にご存じのことですから、この際思い切って申し上げますが、私自身長い間、妻や二人の子どもたちに辛く悲しい思いをさせてまいりました。
親らしいことも出来ず、この様な場に臨める資格も本来ないほどなのです。その間、じっと耐えて私を待ってくれ、さらにやさしく私を迎えてくれた妻や子どもたちに、一つのけじめとして心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。
同時に、その妻や子どもたちを周りから励まし支えてくださったのは他ならないこの場にいらっしゃる皆様方でした。感謝の気持ちはどのようにしても伝えきれるものではありません。

さて、そのとき、まだ思春期にあった二人からつぎのような手紙をもらいました。
「私たちにはお父さんが必要です」
また後日、娘からは「まっすぐに生きられたのは、小さい頃に、家族みんなであちこちに行った楽しい思い出があったからだ」とも言われました。
親は子どもにいろいろなことを伝えていきます。しかし、同時にその過程でまた沢山のことを子どもたちから教えられます。私はまさにそのようにして今日までまいりました。
そして、息子の結婚式は、私に夫婦のありかたや、家族の大切さ、これからの生き方などを考えさせてくれるものとなりました。

その意味で、今日結婚式を迎え、新しい出発をする二人に、本当に心の底から感謝と、そしてお祝いを申し述べます。本当におめでとう。
せめてもの気持ちで二人には、私の手作りのブライダル・ブーケと胸飾りをプレゼントいたしました。
娘にはテーブルの上の花かごを記念にプレゼントです。妻にはなんにもありませんけれど、これからの生活のなかで、私の生き方自身がそうなるでしょう。
最後に、今日の司会をしてくれたY君とそのファミリーには、やはり手作りの花かごを用意しました。ありがとうございました。

あらためてご出席のみなさまに感謝申し上げ、そして、お二人の門出を祝福し、簡単ですが、父親としてのご挨拶といたします。


  5月8日(火)
ほぼ田植えが終わり景色はもうすっかり初夏です。回りじゅう緑に覆われてきたこの季節、お日様の下でのんびり景色を眺めていると、時間が止まったような気がしてきます。
道ばたの草もかなり茂ってきたので、少しずつ草取りをしています。かつて近所のおばさん達が手をかけて育てていたポピーや菊もすっかり雑草に覆われ、今では見る影もありません。
昨年度から老人クラブが花の手入れをするということになり、芝桜などを植えたのですが、結果は植えっぱなし、さっぱり手入れをしないものですから、雑草がはびこって菊もほとんど全滅、ポピーも貧弱になってまばらに花をつけているだけです。
私の家のすぐまえでもあるし、散歩を楽しむ人もたくさんいるので、やむなく私が少しずつ手を加えているというわけ。一人でやるには限界がありますけれど、やらないよりましでしょう。そのうち、以前のように近所の人たちで手入れができるように自治会にも申し入れるつもりです。

そういう我が家も、結構草がはびこっています。とくにスギナの繁殖がひどい。根が深いので、なかなか取るのもやっかいです。というわけで、今日は一日草取り。
ひょいとプランターに植えたイチゴをみると、一株だけピンクの花をつけたのが目に入りました。これって突然変異?それともそんな品種??誰か教えてください。




  5月7日(月)
日曜の夜は高一の授業があります。昨夜も意気込んで行ったのですが、何だか生徒の様子がヘン。「どうしたの?」と言っても”シ〜〜ン” 女の子などは見向きもしてくれません。そのうち一人の男の子が「昨夜は2時間しか寝ていない」という。「ゲームか?」「いや、ゲームじゃない」「それじゃビデオか?」「勉強してた」「んなわけないだろう」「いや、勉強してた」・・・キツネにつままれたような一瞬。
その後、よくよく様子を聞いてみて、ようやくナゾが解けた。よ〜するに、連休の宿題が出て、明日(今日のこと)が提出日。男の子は、そのためにほとんど徹夜でやっていたし、女の子は部活が忙しくて半分もやっていない。どうしようか・・・とそのことで頭がいっぱいだったというわけだ。
「しようがないなあ、じゃ復習をかねて、ちょっと手伝ってやるか」と言ったとたんに、女の子の顔がほころんだ。ゲンキンなやつだ。男の子などは「いったい昨夜の徹夜はどうなるんだ」と不満そうだったけれど「それは決してムダにはならない。そのことは授業が終わったらわかるであろう」とうそぶいて、それから2時間みっちりと大切なことをまとめたり、問題を解きまくったりして、生徒に喜ばれたのでありました。ったく、もう。

昨日昼には前日から泊まり込みでやってきていた東京の友人家族を囲んで、先日当選を果たした二人の共産党町会議員も招待して、昼食会をやりました。
3年前から帰省の折に必ず寄ってくれるようになったファミリー。ご夫婦はあいかわらず問題意識を持って生き生きと活動をしており、娘さんはもう高校3年生。せっかくご当地に寄ってくれるなら、そこでの新しい出会いもまた何かを産むかもしれないと企画した昼食会。さらに造詣の深い北欧の福祉や障害者対策、教育の問題などをいろいろ聞かせてもらおうという趣向でした。
短い時間でしたが、いっぱいおしゃべりをして楽しく過ごすことができました。感謝です。




  5月4日(金)
月末には義妹とその娘が訪問、さらに19日の結婚式の打ち合わせや準備のために、昨日まで息子夫婦が来ており、しばらく賑やかでした。息子夫婦の子ども(孫)も随分しっかりしてきて、私にも愛想を振りまいていました。


連休といっても、私たち夫婦には毎日が連休ですから、もはや昔のように特別なありがたみはありません。ただ周りはこの連休を境に春から夏へと急速に変わっていくのは昔も今も同じ。池田で住み始めてからいっそうその思いを強くします。
この連休は、田圃を持っている人には田植えの時期ですから、連休などと言っておられないのでしょう。もっとも稲を植えるのは機械で、見ているとあっという間に終わってしまいます。
田植えが終わり、水が入った田圃はカエルたちの天国。夕方ともなるとものすごい音量で大合唱が始まります。
山々も黄緑色に覆われて、いよいよ新緑の5月。一年で最も生き生きとした活動的な季節がやってきました。気温はうなぎのぼり、つい先日とりつけた太陽熱の温水器(不凍液で熱交換するタイプ)は57度まで上昇していましたし、夜に入っても17,8度ありますから、随分暖かくなってきました。

この間私がやっていたことは、息子夫婦の結婚式のためのブーケと胸飾り(名前を忘れた)を作ること、畑の賃貸契約を結んでそこを耕すことでした。まず、ブーケづくりは水曜日お花の先生のお宅にでかけて、基礎からしっかり教えてもらい、一緒に手伝ってもらって、とにかく仕上げることができました。


二つめの畑については、近所の方がもう畑をしないから使っても良いという土地を借りることにして、つい先日契約を交わしてきました。いくらか払いたいと言ったのですが、結局タダで貸してもらえることになりました。
水が近くにないので、ただ植えっぱなし。放っておいても育つようなものしか植えることはできませんが、昨日午前中には、その畑の土地に畝をつくり、ジャガイモとネギを植えました。果たしてどうなることか。
今日お昼には、敷地内の畑にトマトを植え付け、いよいよ夏野菜のデビュー。このあと、きゅうり、ピーマン、なすなどを植える予定です。






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