end

azumino.jpg


  6月29日(金)
今日の信濃毎日新聞によると、安倍内閣の支持率がとうとう30%を切って27%になってしまった。年金問題での沈静化をねらいつつ一週間選挙をのばした安倍内閣は戦々恐々でしょう。当然です。
同時に行われた、参議院選挙比例代表での政党支持率では、民主党が33.7%で第一党、ついで自民党23%、共産党は第3党で6.4%。公明4.7%、新党日本3.5、社民3.1とつづきます。年金、税制、格差是正が関心事の上位3つを占めているのも今回の特徴。
これまでの選挙でもそうであったように、自民の退潮の受け皿になるのが民主党であるかのようにマスメディアは大々的に持ち上げてきました。この世論調査でも国民的レベルでは民主党になにがしかの期待が寄せられていることは如実に示されています。本当に民主党は「期待できる」政党なのか。
何よりもまず私には、アメリカのワシントンポスト紙上に「The Facts」と題するはずかしい広告を出した日本の保守・右翼的な議員の中に自民党議員顔負けのタカ派民主党議員が13人もいるという事実こそ重大だろうと思います。衆議院比例区東京の松原仁議員にいたっては「(南京大虐殺について)事実がなかった、30万なんていう話じゃないし、3万という話でもない。なかったんですよ」と平然と言い放つ。こうした民主党議員達に年金、税制などのどのような改革が期待できるというのでしょうね。
続いて、財界からの巨額の献金。そもそも民主党の今日は財界主導の政界再編の思惑とテコ入れ抜きにはありえませんでした。
「まだまだ実力が足らないなと言われていた民主党も、おかげさまで小沢自由党と合流して、財界の皆さんもね、この民主党なら頼りになりますねと、初めて言っていただけるようになった」(2003.10.29鳩山氏)と述べたのは前回総選挙時。民主、自由の合併の仲介をしたのは関西財界の稲盛和夫氏(京セラ名誉会長)。
今年の経団連との「2007年民主党と政策を語る会」でも、質疑の中で「経団連側参加者からは地球環境対策、行政改革・規制改革、社会保障制度などについて、経団連としての考え方が示され、民主党に対して理解と協力を要請。(民主党)各大臣は、様々な意見を踏まえて前向きに取り組む意向を示し、制度設定の在り方含め、経団連に対しても協力を呼びかけた」とホームページで書いていますから、その仲は相当なものです。政党助成金に加え、財界からの献金頼みで果たして国民本位のどのような政治をしようというのか。
憲法問題では9条を初めとする改悪を自民党と競い合っているのは広く知られた事実。選挙時に革新ポーズをいかに取ろうと、底が知れています。


  6月28日(木)
蒸し暑い一日。風がなく、湿度が高いためか夜になっても室内は25度くらいあり、冷房が欲しいくらいでした。
庭の作物はあいかわらず一部をのぞいてさっぱりです。一本のブルーベリーの実がもうすでに黒く熟していました。早生種とはいえ、例年なら7月の中旬から8月にかけての果物ですから、異常に早い。植え替え直後ですからほとんど実はつけていないのですが、一本のラズベリーも実をつけてもう終わり。
前にも書いたようにハクサイは長い花をさかせて早く種をつけようとしていたし、エンドウもキュウリ、トマトも生育は悪く、早く実をつけようとしているように思えます。とにかく植物は全般に「早く早く」と急いでいる。例年より気温が低いからなのか、雨の具合なのかはよくわかりませんが、本当にヘンなのです。
さらに、今年は虫が異常に多い。小さい蛾のような虫が無数に入ってきて、私は毎日家の中で虫取り網を振り回して退治しています。そうした虫が卵をうみつけるのか、アブラナ科の植物はほとんど全滅。大根、カブ、ブロッコリー、二十日大根、アスパラ菜などは虫たちの格好の餌となって見るも無惨な姿になっています。農家のみなさんは一体どうしてこれらをやり過ごしているんでしょうかね。
もう、たまらず、明日アブラナ科の虫退治の農薬を買ってくることにしました。植物を育てるというのは本当に難しいですね。


  6月27日(水)
朝は涼しかったのに、昼頃から日ざしが強くなって暑くなりました。このごろは日さえ出ていれば太陽パネルで温水がつくられるので灯油はほとんど使いません。元を取るまでにはまだ相当かかりますが、予想以上に快適なのでエコ生活の一助になっています。

さて、昨日の夜遅く大町からの帰り道、山の上りにさしかかるちょっと手前で、車の前に突然飛び出した一匹の動物。ハンドルを切ったものの避けようもなく轢いてしまったらしい。まだ息があるかもしれないと思って引き返してみると、確かにネコよりも大きな動物が横たわっている。初めはてっきりネコが飛び出したと思っていましたが、どうやら顔が長い。シッポもふさふさとして異様に長い。外傷は全然見あたらないものの全く動く気配もなく、どうやら即死状態だったようです。
やむなく一旦家に帰り、妻といっしょに二人で死骸を家に運んできました。そのまま放置するには忍びない。手厚く葬ってやろうと思ったからです。
家に帰ってよく見ると、顔の真ん中に縦に一本の白いスジ。どうやら「ハクビシン」のようです。以前近くの側溝でもそれらしい姿を見かけたし、家の畑にも足跡がありましたから、この近くでは結構繁殖しているのかもしれません。
今朝は、起きるとすぐに二人で上の畑に行き、その隅に穴を掘って埋めてお参りをしてきました。野生の生物とはいえ、死んだ姿を見るのは悲しいもの。昨夜から「ハクビシン」の存在が気になってしかたがなく、死骸を入れた箱をのぞき込んだり、まわりをうろうろしていたネコのハルちゃんには、くれぐれも車の前に飛び出さないように言い含めたことでした。
あとから思えば、「ハクビシン」くんは私にスピードを出して運転しないように身をもって教えたのかも知れませんね。合掌。



今日のニュースではアメリカ下院委員会で「従軍慰安婦問題」での決議が採択されたことを大きく伝えていました。アメリカ議会での正面切っての日本批判だけに安倍さんも内心穏やかではないでしょう。ワシントン・ポスト紙上での意見広告が火に油を注いだと言われていますが、アジア諸国ではこのアメリカの批判はいまさらという感じで見ているのではないでしょうか。しかし、アメリカ議会でこのような決議が行われることの意味は、実際にはきわめて大きいと私には思えます。アメリカ自身がイラク戦争を初めとして、遠くは日本への原爆投下など数々の野蛮な非人道的行為を今日まで重ねておきながら、一方でこうした決議をあげることの自己矛盾はさておき、この決議には明らかに国際的な世論の反映が見て取れます。また米議会で韓国・オランダの「従軍慰安婦」による証言が行われ、日本政府の虚言をあばくさまざまな検証が行われてきたこともその背景にあるのでしょう。
それにしても、日本国内で特異な歴史観にもとづく勢力の跋扈をゆるしている今日の日本の状況は、今日の「しんぶん赤旗」紙上で品川正治経済同友会終身幹事の言うとおり、「第一次大戦後のドイツ・ワイマール共和国の時代にヒトラーが台頭してきたときを思い起こすような状況」です。
「従軍慰安婦は軍の強制ではなく、軍は関与していない」「南京大虐殺は中国の誇大宣伝であり、そのような事実はなかった」「沖縄での集団自決は軍の強制ではなく自ら選んだものだ」などという歴史の修正・改ざんを平然と行おうとしている「靖国」派の国会議員、右派知識人、一部マスメディア。残念ながら国内では沖縄を除いて、こうした勢力と真剣にたたかってきているとは思われない。というより、それらを下支えする価値観がいまだに国民の意識下に蓄えられている。これらの勢力とたたかっているのは政党では共産党だけという状況も情けないこの国の一面です。
心のどこかに「靖国」派の論調に共鳴する部分を残している限り、ふたたび彼らのプロパガンダと周到な国民動員の計画に取り込まれていくことは必至です。
従軍慰安婦では「軍の関与がなかった」ことを言うのにきまって「吉田清二のウソの証言」が持ち出される。強制性を示す証言など枚挙にいとまがなく軍の関与を示す資料も提示されているにもかかわらず、一つの事実をすべてであるかのように言いくるめる彼らの手口。こうした彼らの常套的手法には十分注意しつつ、さまざまな角度から論破しきる必要があるでしょう。それ抜きに日本は国際的に評価され尊敬される国とはなりえない。
まずは一人から。そして圧倒的多数の国民へ。声をひろげることです。声に出すことです。


  6月26日(火)
梅雨空にもどって数日。恵みの雨のおかげで作物は何とか順調です。ただいまイチゴのランナーを受け取るのに毎日目をこらして、今では200を超えるポットができています。出荷できそうです。
上の畑では草がはびこって、これからの課題はこいつらをどう始末するか。腰は痛いし、手の腱鞘炎も治らないし、パソコンで字を打つのも一苦労です。ギブスで固定してしまおうかとさえ思ってしまいます。

さて、予定では7月22日投票予定だった参院選が与党の政治的「配慮」(=利己的打算)で一週間のびました。
内閣支持率が30%を切る勢いで下がり続ける一方、テレビでは連日年金問題で社保庁たたきが行われています。職員はボーナス返上をと呼びかける長官。いかにずさんな管理がされていたかを根掘り葉掘りほじくり出しているマスコミ。ずさんであることは明白であり、すでに年金統合の前から管理がいい加減であったことは知られていたわけでこの混乱は今に始まったことではない。気になるのは社保庁の職員がすべて親方日の丸でいい加減な勤務態度であったかのように描き出し、歴代の長官や政府の責任を回避しようという思惑が見え見えのこと。社保庁の職員に責任がなかったとはもちろん考えはしないけれど、この問題の本質を見失っては安倍の作戦に乗っかってしまうことになります。
コンピュータ・システムの更新、最新技術の導入、職員へのマニュアルの徹底、窓口の拡充など、その気になれば幾らでもできたはずが、結局そこにかけるカネを惜しんで、別のところに投入するという歴代自民党政府の政策そのものの中に、今回の混乱の大本があったといえるのではないのか。国民が知りたいデータを社保庁に出向かなければ出せないということはないはず。最近のコンピュータ・システムは昔とは比べものにならない性能を持っているわけですから、社保庁に蓄えられている年金記録をすべての国民に直ちに送付することぐらいは、その気になればできることです。
安倍の年金コマーシャルの何とそらぞらしいこと。彼らの方針は何ら変わっていない。公明党に至っては、年金統合時の菅厚生大臣に全責任があるように描いていますけれど、年金番号の基礎年金番号への統合から一番長く厚生大臣をやっていたのは公明党坂口大臣でしょう。「100年安心」などと言いつつ、二枚目の舌で年金改悪をやってきたのはどこの誰。民主党にも「革新面」をさせるわけにはいきませんね。

       *******************************

けさふとテレビに目をむけましたら、あるお方が般若心経の有名な「色即是空、空即是色」をとりあげて、なぜ色即是空、空即是色と繰り返してこのように書かれているのかを次のように説明をしていました。
「人間=動物」だが「動物≠人間」だ。「東京=日本の首都」であり「日本の首都=東京」である。つまり「A=B」かつ「B=A」のように右辺と左辺をひっくり返して=が成り立つときのみ、AとBの「同一性」が成り立つのだ。だから、「色=空」だけでは同一性は保障されず、「空=色」と繰り返して書く必要があった。

う〜〜ん。なるほどね。しかし、先生、何の前提もなく先生は「人間=動物」と事も無げにおっしゃるけど、この=はホントに成立するの?なんか騙されたみたい。
この先生は等号の意味を定義していません。「色は空である」を「色=空」と読み替えたに過ぎないのですね。そしてまた「色即是空」は本当に「色は空である」と訳していいのかどうか。
「動物は人間である」という命題は、「動物という集合の中で、xは人間であるならばxは動物である」という命題をさすのであって、「xは人間」の真理集合すなわち人間全体が、「xは動物」の真理集合すなわち動物全体の部分集合であることを意味しています。 当然逆は成立しません。集合で言えばA⊆BだからといってB⊆Aとはならないという理屈です。(集合論でいうA=Bは、A⊆BとB⊆Aとがともに成り立つときにだけ成立します)
ところが「2足す3は5である」という場合の「は」はまさしく等値の=であって、この=は「同値律」すなわち「A=A(反射律)、A=BならばB=A(対称律)、A=B、B=CならばA=C(推移律)」の3つを満たします。
ですから、「AはBである」を「A=B」と読み替えるには、当然ある前提が必要となる、または=の定義をする必要があるということです。
なぜこんなことを突然書きはじめたかというと、中学生を教えていて、「Aという等式はBという等式に変形される」という場合の「は」を「=」と読み替える生徒がたくさんいるという事実を憂えるからです。たとえば、
5x-3=3x+5
=2x=8
=x=4
と言う調子。ま、これは小学校で、「2+3=5」を「2たす3は5」と読んできた名残といえなくもありませんけど。ようーするに、何でもかんでも「は」は「=」だと思ったら大変なことになると言いたかったんです。

さて、般若心経にもどって、この経文の作者は本当に「同一性」を確認するために、逆の言い方もしたのでしょうか。先の解説は正しいのでしょうか。果たして「即」を「=」ととらえることが正しいのか。
ちなみに、この前後の部分の英訳は次のようになるらしい。
form is emptiness and the very emptiness is form ;
emptiness does not differ from form, form does not differ from emptiness, whatever is emptiness, that is form,
the same is true of feelings, perceptions, impulses, and consciousness.
よけいにわからなくなりそうです。
般若心経の解説(*)などを見ると、「色」は「この世に存在する形あるすべてのもの」、「空」は「すべてのものは常に移り変わり、永遠に同じ状態では存在できないという真実と、すべてのものはお互いに関連しあいながら存在しており、他との関連性なくして存在できないという真実をあわせた、存在に関する真理」ということになるそうです。ですから、この部分の前後を現代語訳すると結局次のようになる。
この世に存在する形あるものはすべて、『空』という本質を持ち、また、『空』の原理に基いてこの世に存在しているのです。つまり、存在する事と『空』とは異質ではないのです。この世に存在するとは『空』であるという事であり、『空』だからこそ存在可能なわけなのです。 この真理は、私たちの心の作用にもあてはまり、感覚も、意識も、意志も、認識も、すべて『空』という本質を持つのです。

そうしてみると、形式論理でA=Bとみるよりも、この思想はこの世のフォルムのありかたを考察した弁証法そのものであり、むしろ上のような解説(*)が私には最もしっくりくる。つまり色とは事物の現象形態であり、空はその本質であるから、現象形態はその本質を離れて存在し得ず、本質が事物の現象形態を規定するというわけだ。「即」という語句を形式論理的にとらえるとこの経文のいいたいことを誤るのかもしれないなあ〜〜と、あの先生の言ったことを聞きながら何となく思ったことでした。
何しろ名前は知っていても、般若心経というお経に接したのはこれが初めてなので、一知半解ぶりをご披露したのかもしれないし、誤解や浅はかな考えに満ちているのではと心配しておりますが・・・ま、いっか・・・・。さ、畑だ草取りだ。


  6月21日(木)
梅雨に入ったと思ったら明けたというくらいの毎日。降りそうで降らないので、畑はカラカラで、重いポリタンクを持って畑に通っています。それでもトウモロコシはなかなか見栄えよく育ってかなり期待できそう。さつま芋と枝豆とあとから植えたカボチャは雨が降らないのでイマイチ。近くでサルが出たとかタヌキが悪さするとかという話を聞くと、収穫のころには畑で寝ないといけないかも。


さて、きのう今日と池田町議会の傍聴にでかけました。これまでも一部分の傍聴はしたことがありましたが、一般質問のすべてを聞いたのは今回がはじめて。
議長をのぞいて11人の議員が議員席に座っているのですが、これまでと比べるといかにも議席の数が少ないという印象でした。
質問者は8名。一時間の持ち時間で一問一答形式で質疑が行われます。質問が一番多かったのは池田町振興の「決め手」としての企業誘致の問題でした。町長はこれまで積み立ててきた「工場誘致特別会計を」使って対策を本格化するとは言っていましたが、その具体策となるとこれからとトーンダウン、果たしてうまくいくのかどうか疑問に感じました。団塊の世代が大量退職した企業が果たして町の中で今までのように生き残っていけるのか、むしろまずそっちの対策の方が大事なのではないかとさえ思われたことでした。
持ち時間をフルに使い、再質問を繰り返して問題を詰めて行くというやりかたをしていたのは二人の共産党議員だけでした。あとは20〜40分くらいで終わり。
データを揃えて納得できる質問の仕方で町長とやり合っていたのは共産党山本久子議員、さすが4期目のベテラン。
気になったのは教育や憲法の問題での教育委員長と町長の認識の差。教育委員長は教育三法が現場にもたらす影響を憂慮するという態度をしきりに表明していましたが、町長は「国民保護法」の具体化については国が定めたものであり、それに従うのは当然というそっけない態度。しかも北朝鮮からミサイルが飛んくる可能性もあると言うに及んでは語るに落ちたという他ありませんね。しかも現行の防災対策と国民保護法のめざすものは住民の生命と安全とを守る意味では同じものだという考え方を繰り返しのべて、ここでも認識の低さを露呈しておりました。
初日の傍聴は多いときで約10名。今日は6名。ローカル情報紙の記者が二人取材に来ていました。一日半、傍聴席に座っているのも楽じゃないですね。


  6月17日(日)
昨日の信濃毎日に「2氏にインタビュー、『戦後レジーム脱却』とは」という対論が載っていました。インタビューを受けているのは官房長官下村博文氏と慶応大学教授の小熊英二氏。
さて、その下村氏の発言につけられた見出しが「日本的価値観必要に」というものでした。
その中で、ーまず憲法改正が必要ですか?ーと質問された下村氏は次のようにこたえています。

「戦前回帰ではありません。日本は2千年以上、昔の皇紀でいえば2700年の長い歴史、文化を持った国です。その歴史軸の中で今の体制は異常です。第2次大戦で敗戦国になり、連合国軍総司令部(GHQ)によって憲法、国の体制がつくられた。日本人が(現憲法を)よしとしてきたのは事実だが独立国としてのありかたが問われます」

私が注目したいのは、彼のいう「日本」という国の見方です。
彼は最後に「自然や伝統文化、日本人らしさ、そういう美しい日本を明らかにしていくことが誇りと自信につながっていく」ともいっていますから、彼のいう日本は、やはり「皇紀2700年の美しい日本の伝統、自然、文化」ということに集約できるのでしょう。
安倍さんも「美しい国へ」の中で、「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリーだといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」と書いていますから、官房長官もこれと当然重ねた発言をしているのでしょうね。
これがそのまま改正教育基本法のもとで学校教育に取り込まれていくとすれば、どうみても国民精神の動員方向としては「戦前回帰」にならざるをえません。
安倍さんも、下村さんも「悠久の歴史」とか「美しい自然」というコトバがお好きのようです。「悠久の歴史」という見方のアホらしさについてはもうここでは書きません。しかし、もう一方の「美しい自然」という内容は一体どういうものでしょうか。
「桜・雪・紅葉に彩られた四季があり、山と海、水と緑にめぐまれ、多様で繊細な和の文化を織りなした国」とでも言うのでしょうか。
戦後に歴代の自民党政権がその「美しい国」をいかに破壊し尽くしてきたかについてもここではカット。私が言いたいのは、その「美しい日本」からは沖縄やアイヌがスッポリと抜け落ちているということです。
お二人に聞きたいですね。皇紀2700年に沖縄やアイヌの歴史は入っているのですか?「美しい自然」に沖縄やアイヌの自然は入っているのですか?沖縄やアイヌの人にとって「日本人らしさ」とはどのようなことなのですか?

そうなんですね。まさに私のような問いが出てこないようにするために、沖縄戦での「軍による強制集団自殺(自決)」の否定が仕組まれているのです。
沖縄国際大学教授の石原昌家さんは雑誌「世界」6月号のなかで、教科書検定での沖縄戦における集団自決の記述の削除問題は、「『国民保護計画』を隠れ蓑にした日本国民の『軍民一体意識』の形成という文脈で捉えられなければならない重大事」だと指摘したうえで、次のようにいいます。

「・・・政府のいう沖縄戦での集団自決は、軍の指導通りに住民が『軍官民共生共死の一体化』を体現し、『殉国死』したことを意味するものであり、『靖国の視座』の沖縄戦言説」へ転換させる足がかりを形成したからである。

また同雑誌のなかで、高橋哲哉さんは言います。

「(安倍首相のいう)『美しい国』とはただ自然や文化の問題だけではなくて、そういう『美しい』死、死ぬ覚悟のある国民によって支えられる国だと言いたいのでしょう。・・・この国の首相はいま、国のために命を投げうつことを国民に向かって要求しているのだということをはっきりと知る必要があります」

「憲法第9条の視座」から「靖国の視座」への沖縄版の一つがこの集団自決問題であるとすれば、冒頭に述べた「美しい自然、伝統文化」もまた沖縄の人々に強制力をもって教化されるべき一つということになるのでしょうか。しかし、コトは、自公政権が思い描いたとおりには運んでいません。それゆえ、かれらはいっそう焦りを募らせ暴走特急になって突っ走る・・・。


  6月13日(水)
来ましたよ。住民税の通知!!昨年所得のなかった私はそれほどでもなかったのですが、年金収入がそれなりにある要介護の母はすごい。来年度からは私もわずかとはいえ年金があるので、かなりの額の住民税がのしかかってくるのでしょう。
その年金も、今日のニュースを見ていると、共済組合や社会保険事務所の記録が正しいのかどうか心配になってしまいます。私の場合は共済年金、国民年金、厚生年金、最後にまた国民年金と変わっているのですが、その都度記載を確認してきているので多分問題はないでしょう。しかし、そうしていても、名前や生年月日などの入力ミスがものすごい数で発生しているのですから、保険料を支払ってきた国民にとってはたまったものではありません。

今日のニュースでは安倍総理の肉声のテープが密かに自民党の各都道府県本部に届けられているといいます。「払った保険料分の年金を必ず受け取れるようにする。すべて私の責任で解決する」などと空々しく言い張る安倍さん。そのような事態を招いた政府・厚労省の責任はどうなるんですかねえ。

まず、第一に入力ミスは職員の責任ではありません。今日の「しんぶん赤旗」によれば、コンピュータ入力が導入された当時には現在のような仮名変換ができなくて、ミスが起こっても当然のシステムだったと克明にその状況が報告されていました。システムの問題であり、ミスが起こりうることは上層部も完全に認識していた。システム化を進めたのは職員ではありませんから、これは社保庁の責任者とそれを管轄する歴代の厚労省(厚生省、労働省)大臣、自民党政権の責任であることは明白です。
彼らはそれをひた隠して、問題を社保庁と職員の怠慢にすりかえ、全責任をそれに押しつけて、社保庁解体で国民の不満をそらそうとしている。

第二。どのように解決するのか、その道筋を全く明確にしていません。要するに、おかしいと思ったら国民が申し出て、氏名、年齢、性別の三条件が一致しないと本人と認められないわけですから、「一年で解決する」というのは「一年でやれるだけのことをした」というだけにすぎません。解決できないのは本人の問題というわけです。参議院選挙向けに、にわか仕込み・国民騙しの「対策」を打ち出したところで、事実がその化けの皮を剥がしていくでしょう。

しかし、肝心の対策は先月発表した内容からほとんど前進していない。5000万件のオンライン記録と、年金受給者や保険料を支払う人の氏名、性別、生年月日を照合する作業は08年5月までに実施。記録が一致した受給者に統合を促す通知は同年8月までに行うとしているが、もともと通知は08年10月までに完了する予定だったから「2カ月前倒し」したにすぎない。(6/5 Asahi.com)

第三、この「宙に浮いた年金」問題を、年金制度改変のきっかけにさせてはなりません。気がかりなのは社保庁、社会保険事務所は「親方日の丸」であり、民間ならこんなことは許されないという、一見もっともな主張がかなり流布されていることです。今日のニュースの解説者が、「こうした問題がおこるのは『国民皆保険』制度があるからであり、これを見直せ」などという社会保障制度そのものを否定するようなとんでもないことを言っていました。民間の保険に移せばこんな不祥事は起こらないとでも言いたいのか。焦点は、政府と関係機関の責任ですべての記録を正し、受け取るべき年金が本人に確実に渡るようにすること、それしかありません。この問題を利用した世論誘導は断じて許すわけにはいきませんね。


  6月12日(火)
ガソリンを給油するために穂高に行った帰り、山葵田の横に設置されている気温計が32度を表示していました。いよいよ真夏日なのかな。室温もそれにつれて上昇し、夕方5時頃で25度。やはり蒸し暑く感じて汗ばんできます。きのうは室内で21度くらいでしたからわずか3,4度の違いでずいぶんと変わってきます。
暑くなるにつれて我が家のネコ「ハルちゃん」も行動がだんだん活発になってきました。妻は「発情期」ではないかというのですが、あんまりそんな気配もないので私は「思春期なのだろう」とこたえておきました。
今朝のこと、一晩帰ってきた気配がないので、朝6時過ぎに窓をあけてみたけれど、外にはいない・・・と、いつの間にか私の横に。部屋の中にいたのでしょうか。しかし、いつもと様子がヘンです。ぜんぜん声を出さないで、しょげているように見えました。よく見ると毛が乱れて耳に噛まれたような傷があり、頭にも何カ所かひっかいたような傷があって毛が抜けています。相性の悪い近くのネコと喧嘩をしたに違いありません。逃げればいいものを、向かっていったために傷を負ったのでしょうから、まあ名誉の負傷。それにしても、もう完全に打ちひしがれたようで、ちょっといじらしかった。
まだ朝早いうちだったけれど、寝ていた妻を起こして、以前もらってきていた薬をつけて、元気を出すように言い聞かせたことでした。


  6月9日(土)
夕方からはいつも塾の授業があるのですが、この土日に地区の球技大会があるというのでめずらしくお休み。午前中は畑の手入れをして過ごし、午後からは明日のファンクラブ総会の準備をして過ごしました。
雨のおかげで作物はすっかり元気になっており、イチゴのランナーはものすごい勢いで伸びてきていました。借りている畑のサツマイモもひと頃のぐったり状態から回復して元気になっており、トウモロコシもすっかり大きく育っていました。
雨の合間を縫って、花や野菜の苗を植え替えたり、ランナーをポットで受け止めたり、虫を駆除したりとやることは沢山。庭に野菜があるのはいいことなのですが、育てるにも結構手間暇がかかりますね。来月にはトマトやきゅうりなどが取れ始めるのではないかと皮算用。しかし、今年は天候がおかしいのでうまくいくのかどうか・・・。

明日は共産党池田ファンクラブの総会があります。持ち寄りパーティーもあるので、妻にはゴーヤ・チャンプルーを作ってくれるように頼みました。私は総会の議案を提案しなければならないので、その議案書(協議済み)を作ったり印刷したり、報告の準備をしたり。
役目がらいろんな文書やサイトに目を通さなければなりませんが、某政党の実態を知りたくて今日ウエブサイトを調べていたら「創価学会による被害者の会」というのが目にとまりました。
選挙活動をしていると地域で最もよくぶつかるのがこれを母体とする政党。そのでたらめさや異常さには確かに辟易とさせられてはいますが、問題はやはりその母体の宗教団体の性格、組織実態でしょう。「『私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい』(『現代』昭和45年7月号)」
「『本当は全体主義は一番理想の形態だ』 (第61回社長会=昭和47年6月15日)」という、金正日よりもっとすごいことを平気でおっしゃる池田先生を先頭に「邪教撲滅」「創価国、創価王国を地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」と日々精進なさっているこの団体とカルト集団とどれほどの違いがあるというのでしょう。それが今政権政党となっている怖さ、その実態をもっと知らないといけないのではないのかと真剣に思わされました。このサイトぜひご一読を。池田先生の「高邁・深遠」なお人柄に愕然・仰天・卒倒してしまうこと請け合いです!


  6月8日(金)
木曜日、予定通り・・・のはずが、金沢市内で方向がわからなくなって、あちこちをさまよって予定より1時間半もよけいにかかって目的のいとこの家に到着しました。森本から山側環状線に入ったまではよかったのですが、途中の道を間違えて反対方向に入ってしまったのがその原因。
眼科医院では最後の患者さんがちょうど診察を終えたところで、ぎりぎりセーフ。すぐに目をみてくれて診断結果もわかりました。
やはり「飛蚊症」。「視神経はきれいだから緑内障ではないね。網膜剥離もおこっていないから心配ないでしょう」という結論。視神経の近くのガラス体のまわりがはげて浮遊しているのが、そのときに撮った写真に写っていました。網膜に近いから影も濃いけれど、そのうち網膜から離れていけば影も薄くなって気にならなくなる、光が見えるのは萎縮していくガラス体と網膜との接点で起こると言われている、まず問題はない・・・あらましそんな見立てでした。まずは一安心です。
ついでに花粉症の目薬を処方してもらい、さらにメガネの度を測ってもらって診察は終わり。
その夜は、朝野川河畔の割烹に連れて行ってもらって豪華な夕食。帰ってからはそおお礼に(もならないけれど)ホームページの作成講座(2回目)をしてきました。

翌日は母の妹の叔母の住む白山市松任へ。80歳を過ぎたおばさんはその昔は母とそっくりで、私の子どもの頃からずいぶんとお世話になった人でした。先月長女をガンでなくしたことをいとこから聞かされていたので、お線香をあげにいったのでした。
もともとひょうきんで明るく屈託のない叔母が私は大好きで、学生の頃も折に触れては訪問していました。しばらく娘の嫁ぎ先へ寄ることにしました。その叔母も今週に入ってようやく床から起き上がれるようになったというほど落ち込んでおり、子に先立たれる辛さを語っていました。母のことをずいぶんと心配しており、何でもいいから最近のことを話してくれとせがまれ、母の状況についていろいろと報告してきました。もう母を連れてはいけないけれど、こうして心配してくれる親族がいるのは幸せなことです。近いうちにまた様子を見に行かなくてはと思わされました。

そのあとは8号線を東に富山に向かいました。その道中、昼過ぎから、激しい雷雨に見舞われワイパーを最高にしても追いつかないほどの土砂降り。雷はあちこちに落ちるし、道路は川のようだし、大変な目にあいました。富山に着く頃にはさすがに雨も遠のいて、その足で娘の嫁ぎ先の理容店へ。
お店はお客さんが一人だけ。外に働きに出ている娘には会えませんでしたが、家族のみなさんとはいろいろ話しをし、学校から帰ってきた孫の顔もみられたので、しばらくしてお暇をしました。本当はもう一泊してかつての恩師の墓前にお花を供えたかったのですが、連絡がとれずそのまま池田に戻ることにしたのです。帰りは車の流れも順調で、比較的早い時間に池田に到着することができました。


  6月6日(水)
昼過ぎから雲行きがあやしくなり、見る間に空がかき曇って激しい雷雨になりました。最近植えたトウモロコシやサツマイモ、ネギにとっては待望の雨です。今日はまた水遣りに行こうと妻と話し合い、準備をしていただけにラッキーでした。何しろ重いポリタンを運ばなくてもいいのですから。
ところでこの天候のせいかどうかわかりませんが、つがいのツバメが家の玄関先に巣をつくろうとしてアタック。ちょうど玄関正面上にある換気口の上が気に入ったらしく、田圃の土を運んできては巣作りをはじめたのです。玄関中央では、これは困ります。出入りの最中に上からフンが落ちてきては困るし、玄関先がフンだらけになってしまいす。
そこでやむなく換気口をとりはずしてポリ袋をかけておいたら、しばらくするとまたその上に巣をつくろうとする。とにかく少しでも出っ張りがあるとそこに巣をかけようと必死です。作らせまいとこっちも必死。今度はデコボコができないように透明シートを貼り付けたら、しばらく未練がましく行き来していましたが、ようやくあきらめたらしい。それにしても今頃から巣作りをするんですかねえ。玄関のドアを開けておくと家の中まで平気で入ってくる図々しいヤツらですから油断も隙もありません。


さて、塾での授業を終えて帰ってからテレビを見ていたら、共産党が暴露した自衛隊の内部文書のニュースが放映されていました。イラク問題やその他に関して自衛隊が民主団体や労組、文化人の言動をつぶさに調査していたという例の報道です。
これ自体言語道断な違法行為ですが、それに対する久間防衛相の記者会見での発言(「こんなものは3週間で破棄するようなもので、正しいかどうかは確かめようがない」)は許せない。現行憲法下では異常で不埒な、この感覚こそ、戦前においてまず共産党を弾圧し、続いて民主団体や労組、さらに文化人や宗教家を弾圧していったあの時代の感覚なのです。行き着く果ては・・・。「それでも私は黙っていた」という誰かの詩をふと思い出してしまいます。「この感覚」にどんな態度を取るかは、現行憲法についてのまともな感覚をもっているかどうかの試金石になるでしょう。マスメディアが及び腰になるとすれば、もうそれは翼賛体制の深まりを意味すること。各政党の態度、労組や団体の態度、文化人の言動に要注意です。

     ***********************

昨日からの「飛蚊症」が今日も同じような状態なので、明日金沢のいとこ(眼科)のところに行って見てもらうつもりです。帰りは金曜日か、土曜日になるかも。


  6月5日(火)
夜は中3生の授業がありました。結構人数が増えて6月から2クラス編成に。大町の一つの学校は部活動が盛んで、どうみてもやり過ぎという感じで、一体この運動部のあり方を教師達はどのように考えているのでしょうか。生徒達のエネルギーのはけ口を部活動に向けてやればいいとでも思っているのでしょうか?たいへん疑問です。

その授業を終えて外にでたときのことです。何か白い光が飛んでいるように感じて見上げてみましたが、何も変わったことはない。そのうち、蚊が飛んできて目の前に止まったようにも思えて振り払おうとしましたが、蚊がいるわけではなさよう。眼球を動かすと白い小さな光が目の中を流星のように飛んでいく。家に戻って妻に話すと「それは飛蚊症だろう」という。やれやれ・・・・言葉は聞いていたものの、実際に体験してみるとまったく「うざったい」ものですね。
原因は”老化”による「硝子体剥離」ということらしい。ある眼科医のサイトによれば次のようなメカニズムで症状が発生するということでした。
眼球内には硝子体という粘稠で透明な液体が詰っています。魚の目をつついた時に出てくるゼリー状の液体と同じです。
角膜と水晶体を通して外から入ってきた光は、この硝子体を通過して網膜まで達します。ところが硝子体に何らかの原因で“濁り”が生じると、明るいところを見たときにその濁りの影が網膜(カメラのフィルムに相当)に映り、眼球の動きと共に揺れ動き、あたかも虫や糸くずなどの『浮遊物』が飛んでいるように見え、飛蚊症として自覚されます。この“濁り”には、生理的な原因によるものと病的な原因によるものがあります。

年をとってくるといろいろと不具合が出てくるものですね。あんまりひどいようなら、近く眼科医にいって検査をしてもらう必要がありそうです。明日一日様子見です。


  6月3日(日)
妻は佐久でのボーリング大会のために早朝から出かけました。私は朝から畑仕事です。雨が降らないので上の畑で植えたばかりのサツマイモは瀕死の状態。いくら乾燥に強いとはいえ根を出すまではある程度の水も必要。そこでやむなく井戸からポリタンに水をくんで3回車で運びました。
何しろ20リットルのポリタンですから約20キロで相当に重い。3回目に車にタンクを入れようとして背中をねじってしまい、腰ではなく背中の横がぎっくり腰状態になってしまいました。
さて、ようやく水遣りも終わって、何気なく庭のハクサイを見ていたら、ガ〜〜ン、ハクサイにチンチロリンと花が咲いている。しかもほとんど全部! まもなく収穫かと喜んでいたのに、これはまたどうしたこと。去年も一昨年もこんなことはなかったのに、もうハクサイもお終いの季節になったと判断して花をつけ始めたのでしょうか。まいった。農業指導員に聞いてこなくっちゃ。


振り返ってみると、たった10坪ほどの畑でいろんなものを植えていて、育つもの・育たないもの、虫に食われてほとんど息も絶え絶えなもの、いろいろ。キャベツなどは蝶の幼虫を飼っているようなものですから、ボロボロです。もし、こうしたことを避けるには、土づくりからまずキチンとやり、次に温度や水の管理をしっかりし、最後に虫の防除を徹底することが必要です。私の場合はどれもダメ。土は買ってきたものを沢山使い、温度や水の知識もほとんどなし。最後に虫は手でとるしかないという原始的方法ですもんね。来年からは順番にしっかり勉強して少しずつ上手な畑づくりができるようにしたいと考えています。
虫の防除ということについて思うのですが、やはり大量生産をしようとすると、農薬は無視できない存在です。周りの農家の畑では青々としたハクサイが一列にきれいにならんで収穫を待っています。大きな株が美味しそうに並んではいるのですが、農薬もそれなりに使っているはず。農薬といっても何日かすると無害化するものがほとんどだし、昔に比べれば使用する回数も頻度も少なくなっていることは事実ですから、食べるときにはまず問題は発生しません。とはいえ、肥料と同じで作物だけでなく土にも全く影響がないというわけにはいかないでしょう。
我が家は農薬を使うほどの畑ではありませんから手で取り除くだけですけど、スーパーなどで買う食品については残留農薬の問題についてもよく研究しておく必要がありますね。とくに中国などからの輸入作物が激増している今日、監視の目も曇らせるわけにはいきません。

これから母を起こして着替えと食事。いくら小柄な体格だと言ってもこわばった身体を扱うのはなかなか骨が折れます。それでも、ほとんど寝ていることが多いとはいえ、朝の運動、洗面・歯磨き、着替え、食事、散歩(車いす)・・など、昼夜の区別のある生活をしてほしいので、散歩を除いては欠かさず続けています。
食事のときには食べるスピードが極端に遅いので、約1時間は拘束されてしまいます。妻は本当に根気強く食べさせてくれているのですが、私はすぐにいらいらして悪態をついてそのたび反省。調子のいいときはすぐに口をあいてくれるのですが、どうかするとガンとして口を開かず、こじ開けて食べさせなければなりません。
そうこうしながらも、毎日静かに淡々と過ごしてくれている母ですから、感謝しなければなりませんね。


  6月2日(土)
あっという間にもう6月。日中の日ざしは少しずつ強くなっているような気はしますが、それでも室内では涼しく、日が落ちると暖房が欲しいほどの涼しさになることがあります。全体としては冷夏に近い印象です。
そのためか庭のナス、キュウリが依然として生育不全、随分前に植えたオクラも全然大きくならず、植え替えた苗は半分が消えてしまう始末。一方ではキャベツはモンシロチョウの幼虫を飼っている状態でボロボロです。農薬なしですべてやっているので仕方がないとはいえ、来年はネットを張らないといけませんかね。
何とかなっているのは白菜とイチゴくらいかな。白菜はあと10日もすれば収穫できるほどになってきました。また、イチゴは今が旬。毎日イチゴ摘みを楽しんでいます。直植えでは地面の下にいる何かの幼虫にほとんど食われてダメでしたが、プランターのイチゴは順調に育って沢山の実をつけてくれています。観賞用にもなるし、実用にもなるし、なかなかうれしい。現在の私の仕事はランナーをポットで受けて来年の苗を育てることです。うまくいくと来年は今年の倍ほど収穫できるはずです。取らぬ何とかです・・・か?もっともプランターや土を買ったりしていると出費もバカにならないので、高価な趣味みたいなものになっていますです。土も自分で作れるようになれば採算はとれるのでしょうけど、これは今後の課題です。


さて、昨日例の「教育再生会議」が「社会総がかりで教育再生を」と題する第2次報告を首相に提出しました。
「すべての子供たちが、高い学力と規範意識を身につけ、知・情・意・体、すなわち、学力、情操、意欲、体力の調和の取れた徳のある人間に生長すること・・・」という「目指すべき人間像」を掲げるこの会議。そのメンバーには、財界・政府の皆さんの「知・情・意・体」の状態は一切眼中にはないらしい。子どもたちが彼らのやることでどれほど夢を奪われ、傷ついているかなど、どこ吹く風。その時代認識と現状分析には驚くしかありません。高校や大学を卒業してどんな生活が保障されているのか、ちょっと考えてみるだけで分かるはず。
現在起こっている談合、政治献金、年金はまともなのですか。イラク戦争への加担、アメリカへの忠誠という自主性を全く欠いた政治をすすめる皆さんは、子どもたちにどんな「徳」を求めているのでしょうか。「教育再生会議」はこうしたことには全く頬被りですね。(ちなみに、「子ども」を「子供」と書く彼らの頭は、さぞ”最先端の知”であふれているのでしょうね!)
また、教育を担う教師たちがどんな状態に置かれているかも一切眼中にないようです。昨日テレビに出ていた何とか補佐官という女性は「子どもも教師も生き生きと活気ある楽しい学校をつくるのがこの答申の精神です」という、思わずこっちの顔が赤らむようなことを、媚びた口調で語っていましたが、給与体系に成果主義を持ち込み、さらに免許の更新制度を加え、校長・副校長・主幹といった管理職の数・権限を増大させて、どんな学校をつくるというのでしょうか。
どれだけの教師が定年を待たずに力尽きて退職せざるをえなくなっているのか、これも眼中になし。現状分析を欠くか無視した方針はどんな美しい言葉を並べても、その化けの皮はすぐに剥がれてしまうでしょう。問題は単に剥がれるだけでなく、現在の問題がさらに深刻さを増すということです。
この報告の言葉遣いは、今年1月1日に経団連が発表した「希望の国、日本」の中でのトーンにうり二つ。「イノベーション」という言葉がどちらにも出てきますが、一体何を言いたいんでしょうかね。「革新・刷新」と言いたいならそう書けばよろしい。わざわざほとんどの人が分からない言葉を使う理由はどこにあるのですか。(ひょとしたら、ブッシュさんからイノベーションがキーワードだよと言われたから、そのまんま書いているのかな??それとも革新と書くと革新勢力と間違われるし、刷新と書くと何だか気恥ずかしいのかもね・・・)

今回の「教育再生会議」の答申は経団連の提言(いわゆる「御手洗ビジョン」)に基本的に沿ったものです。「規範意識」を強調するのも同じ。「徳育」という教科を持ち込んだ彼らの頭の中は、戦前の「修身」を復活させたいという願いに溢れているか、または当時の指導者たちと全く同じ精神構造になっているのでしょうか。そうとしか思えない。
彼らが彼らなりに危機意識をもってその「解決」を目指そうとすればするほど、現状はそれを「裏切り」いっそう矛盾を深める・・・そして同じことのくりかえし。
その「根本解決」をはかろうするなら、戦前と全く同じ天皇を頂点とする国体意識を上から徹底的に植え付け、同時にそれとは一見矛盾する「国際化」というアメリカ化を極限までおしすすめる以外にはないでしょう。彼らはよくそれを知っているから、憲法改定をそのような彼らの路線のスタートと位置づけているはずです。そしてそうすればするほど、彼らは自ら大きな墓穴を掘りつつある。これも知っているから彼らは権力をますます肥大化させることに血道をあげるのです。
彼らのねらいを見抜き、それを許さず徹底的にあらがうこと。これこそ、7月参議院選挙の重要な意義なのだろうと私は思います。

映画「灰の記憶」の凄まじい描写が頭から離れません。
ある映画評論家は「しかし、ただひたすら『ユダヤ人は、こんなひどい事もさせられてました』というだけの話を見せられるのも、なかなかつらい。生きるために非道なことをしてしまった、という彼らの葛藤は十分伝わってくるが、それを映画で伝える事にどれほどの意味があるのかとも思う」と書いていましたけど、ユダヤ人の被害と加害という側面に目をつぶらないでいる、この映画の制作者の姿勢はさすがという他ないでしょう。
ひるがえって、日本でこれほどの映画を作る力量はあるのでしょうか。アジア・太平洋の国々で「大日本帝国」がしてきたことを「米英から強いられてやむなく開戦した自衛の戦争であった。アジアの国々を解放するための大義ある戦争であった」と公言する勢力が堂々と市民権を得、それを国民共通の意識にしようと日々画策しつつあるこの国ですからねえ。
ところでこの映画、文部科学省選定作品なんですってね。驚いた〜〜〜。




top