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  9月30日(日)
参加者が10万人を超えているのだから、心ならずも参加できなかった潜在的参加者も含めればその数は沖縄県民の過半数を優に超えている。沖縄での「集団自決」(=軍の関与による集団自殺強要)を教科書から抹殺しようとする政府・文科省に対するこれ以上が無いほどの明確な意志表示が行われたのだ。あわてた文科省は「見直し」を言い出さざるを得なくなっている。
沖縄県民の声は、事実を事実として記載すべきだというだけで、それ以上でも以下でもない。歴史的事実をねつ造し、改ざんしようとすることへの激しい抗議であり、また、自らのあるいは父母・祖父母の身に刻まれた事実を奪われることへの抵抗の姿なのだ。
日本軍の命令あるいは関与があったかなかったかをめぐってはすでに証言でも裁判でも決着がついている。にもかかわらず、「軍の関与があったとする事実はない」という主張が執拗に右翼的な「学者」や政府・財界から出てくるのは何故なのか。
たとえば、自由主義史観研究会のホームページの1ページでも開いてみればそこには文科省が狙っているすべてが書き込まれている。目を転じて、本屋の店頭を見てみれば、時の支配勢力にとってどれほど彼らが「優遇」すべき存在であるかは一目瞭然だ。彼らには、どんな証言も「あいまいな記憶、間違いだらけの記憶、虚偽の記憶」としか写らず、歴史は彼らの思い描くシナリオでしか存在しない。すなわち、自発的に自らの純潔や信念を守るために自死したのであって、軍の圧力などあるはずもないという妄想。
しかし、一方で、沖縄県民の大集会を「本土側」はどう見ているのか。私は大変その落差が気になる。沖縄の痛みは所詮他人の痛み・・・ということになれば、教科書での記述も沖縄の基地も自分には無関係な遠いところの出来事だろう。
しかし、今日の大集会に参加した一人一人の思いに我が心を寄せてみれば、問題は決して他人事ではないのだとすぐに気がつくはずだ。

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今から36年ほど前、沖縄返還闘争の最中に私は妻と知り合い結婚。新婚旅行のかわりに東京にデモに行ったという思い出があります。それから何度かの沖縄行きの中で妻の故郷や人々の暮らしを垣間見、少しは沖縄を理解したつもりになっていました。でもそれは違った。
それから長い長い年月をへて、今ようやくまた妻のふるさとをマジメに見てみようという気になっています。それ抜きで我が子、我が孫の未来も考えられないと思うし、何より私たち二人がお互いを理解し生活の質を深めるということはできないだろうと思うからです。何しろ、今までの不真面目な考えや態度を根本的に改めなければ・・・と。昨日の大集会はそのことを教えてくれた集会でもあったのでした。




  9月29日(土)
急速に気温が下がって肌寒い一日。夜塾から帰るときにはついに暖房に手が出てしまいました。薄着をしていたせいでもあるのですが、それにしても変わり方が急すぎます。
雲の様子もやはり秋。日々いろんな雲が現れては消えていきます。10月にはきれいな夕焼けも見られることでしょう。上の写真は10日ほど前の北アルプス方向。下は昨日のお月様。






  9月27日(木)
昼と夜の寒暖の差が激しいのは5月と10月。昨日はそれが肌で感じられる一日でしたが、今日はまた残暑に逆戻り。曇っているせいか、生暖かい夜です。
ずっと書かなかった10日余りの間に、本当なら書いておくべきことがいくつかあったのです。いまさらという気もしないではありませんが、今日はその中から一つ。
山形村のアイシティには映画の集合館があります。以前映画を見に行った際に広告を見てぜひこれはと思っていた映画「魔笛」を妻と見に行きました。時間を間違えて一時間早く着いたのは愛嬌として、さて、平日にどれだけの観客があるのかなと思っていたら、意外にも沢山の人。あとから知ったのですが、レディス・デーだったのも手伝ったらしい。
舞台を第一次世界大戦に移して「魔笛」をやるというので、ある意味興味津々でしたが、見終わっての感想は、よく焼けてないハンバーグを食べたような煮え切らない感じ。他の舞台を見ていない場合は、多分音楽と舞台設定にあまり違和感を感じないのかもしれないし、むしろ演出の斬新さと映像の美しさに引き込まれたかもしれません。私の場合はベルイマンの映画を何度もみているものだから、どうしてもそれが頭にのこっていて、音楽の解釈や登場人物を比較してしまうのでいけなかったのでしょう。
領主ザラストロの治める国が徳と叡智と愛にあふれているという描き方は両者同じ。しかし、この映画では彼は若いどこにでもいそうな「おじさん」として登場してきます。戦争の指導者でもあるわけで、なかなかにアメリカ的人物です。一方のベルイマンではマルクスの生まれ変わりのような、それは見事な厳粛なリーダーとして描かれ、しかもかなり宗教っぽい。
どちらがいいかと言われても何ともいえませんが、モーツアルトが200年後に生まれていたら、あるいはこんな映画をつくったかもしれないなと思わせるところは、さすがにこの監督の力量ですね。
戦争のない世の中を求めるメッセージを強くこめたと思われるこの映画で、最もすばらしいシーンだと私が思ったのは、白い無数の墓をカメラが引きながら写していく場面。戦争の何であるかを暗示して胸につきさる。
しかし、それでも、夜の女王の設定や魔法の世界と、リアルな第一次大戦という設定とが微妙にズレを生じて、どこか違和感を感じつつ見てしまいました。ま、そんなことはあまり考えずに音楽に浸って楽しめばよかったのかな。

魔笛の公式サイトはこちら。
「魔笛」公式サイト

ここには作曲家である青島広志さんのトークショーもあって、解説が相変わらずの???でおもしろい。
青島さんトークショー



  9月26日(水)
昨晩から随分冷えてきて、今朝早くには濃い靄が一面に立ちこめていました。外に出てみると野菜はすべてびっしりと露に濡れ、いよいよ秋が深まってきたのかなと実感しました。しかし、それでも日が昇るや霧は晴れ、日ざしはまだ夏の気配を残している季節の変わり目。夜は満月が時折姿を見せておりました。
忙しさにまぎれて、なかなか日記のページを開くことができないまま、10日余りが過ぎてしまいました。体調を崩していたわけではないのですが、朝目覚めが早くその分すごく眠いので、やはり持続力がなくなっているのでしょうか。
恒例のファンクラブ・ニュースにちょっと手間取ったり、「24」の第6シーズンが始まったことも手伝って、ちょっとサボってしまったというのが実情です。

家の周りの農家の皆さんは今が稲の刈り入れの真っ最中。まだ刈り取られていない田圃も相当残っていますから、今月中あちこちでまだ稲刈りが続くのでしょう。
多分妻も書くのではないかと思いますので、ここでは簡単に触れるにとどめますが、何を隠そう、私たち夫婦も23日には稲刈りを手伝ってきたのでした。
稲刈りといっても、大きな田圃の収穫ではなく、以前書いたことのある姨捨の棚田の刈り入れがこの日予定されていたのです。


朝早くに池田を発ち、小一時間で親戚宅に。しばらく休んだ後、棚田に出かけていよいよ刈り入れ。いつも見慣れている区画整理された田圃からすると、いかにも小さい棚田なのですが、実際に手で株を刈り取るとなると力もいるし、肩や腰がいたくなるし、いやはやなかなかの重労働です。
総勢7人で約3時間かけて「はぜかけ(はざかけ)」も終わり、みんなで昼食を囲んで刈り入れの終了を祝いました。
まわりでも沢山の人たちが同じように汗を流しています。来年は我が家でも小さい棚田を一つ借りて、子どもたちの力も借りて田植えから収穫までを体験してみたいねと妻と話し合ったことでした。こうした得難い体験の場を与えてくれたTさんご夫妻に感謝です。







  9月15日(土)
理論社から「よりみちパン!セ」という中・高生向け(YA=ヤングアダルト)の新書がシリーズで発行されています。まず手始めに手に取ったのは養老先生の「バカなおとなにならない脳」。
これまでの「バカ」シリーズで解説してきたことが中心ですが、大人が読んでも実におもしろい。とりわけ子育て真っ最中の大人が読めばとっても参考になること請け合いです。何故かというと、子どもたちの率直な「アタマ」に関する疑問に答える形式で、ずっと綴られているからです。養老先生自身、予期していたよりもはるかに面白い質問が続出だったと言っているくらいで、思いがけない質問が満載。

それに続けていま同時並行で読んでいるのが、同じシリーズの白川静監修、山本史也著「神様がくれた漢字たち」と、小熊英二著「日本という国」。まだまだ読んでみたい本が結構沢山出ています。
これまでは「岩波ジュニア」がそうした役割を果たしていましたが、それに加えてこうしたシリーズが刊行されるのは、知的な好奇心旺盛な中高生にとっても、親たちにとっても、たのもしいことです。

さて、安倍首相の政権投げ出しから3日をへて、自民党は次期総裁候補の立候補を締め切りました。福田氏が優勢というのは動かないところでしょうから、福田政権誕生ということになるのか。
彼らの立候補の弁を聞いていても、今回の政権放棄の責任について一言も聞かれない。どちらも「光が強ければ影もまた強い」「改革は続ける」などと平気で公言し、これまでの弱肉強食型の「構造改革」路線には全く無反省な様子。庶民感覚からのズレはもう救いようがありません。派閥を「政策研究会」などと言い換えてみても実態は旧態依然。見えてくるのは、自浄能力を全く欠いている姿でしかありません。
見ていてこっちが恥ずかしくなるのは例の「小泉チルドレン」などとマスコミで持ち上げられ、その気になっている連中。「小泉再登板しかない」と小泉にしがみつこうとして、つれなく断られた顛末はどこから見ても馬鹿馬鹿しくお笑いにもなりません。
過去に何度も書いていますが、国民の税金と企業からの献金を元手に活動をしている政党は必ず腐敗する。逆に腐敗しているからそのような制度に執着せざるをえない。国民に依拠せず、自分で苦労して集めた金でもないから、その使徒や経理にどんな不明朗が生じても無感覚になる。裏金づくり・帳簿や領収書の操作なども当たり前という感覚が支配する。それが発覚しても、単なる「ミス」ですまそうとする。
だから、どんなに国民の側に立つような弁明を行おうとも、この点が清算されない限り、私は決してそれらの政党の「コトバ」を額面通りに信じるわけにはいかないのです。
だからこそ、そのような不明朗さと無縁な政党が、この日本に存在するということは一つの希望です。その意義は、今日のような激しく動く政治情勢の中ではとりわけ大きいと私には思えます。


  9月14日(金)
しばらく前まで目の中に蚊が飛んでいるように見える飛蚊症がひどかったのですが、目の中のゴミが網膜から離れたようで最近はあまり気にならなくなりました。それがつい先日のこと、ものすごい数の蚊が飛んでいるように見えたので驚いて目を瞬いてみると、実は空を飛ぶ無数の”赤とんぼ”だったのでした。上空では蚊のように見えるので、てっきり飛蚊症がひどくなったのかと錯覚してしまった。お粗末。
赤とんぼが沢山飛び交うようになり、近くの田ではもう稲刈りがはじまっていよいよ秋本番。昆虫たちも出番とばかり活躍を始めています。見ていて可愛いのもいれば、イチゴにたかるカナブンの幼虫のように作物を荒らすものもたくさん。



昨日庭の手入れをしていたら、小さい昆虫がチョロチョロと走っていく。たまに見かける「オケラ」です。
その愛嬌と仕草から子どもの頃はペット代わりにしていたほどの懐かしい昆虫。手に取ってみると、強力な2本の前足でモコモコと指をかきわけて外に出ようとします。なかなかすばしっこいヤツですぐに土にもぐっていってしまう。さしずめミニモグラといった風情。絶滅したかと思っていたのに、ここではちゃんと健在でした。

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新作のビデオ、2006年ドイツ映画(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 監督)の「善き人のためのソナタ」を観ました。監視国家、管理国家であった東ドイツでの芸術家とそれを監視する役人を描いた作品。東ドイツの国家秘密警察シュタージの一人の諜報部員の行動と心理を克明に描いて、心にしみる秀作です。
筋書きなどには触れられませんが、監視国家のこわさ、そのもとでの人間性喪失、同時に回復、芸術のあり方・・など多面的に考えさせる作品であることは間違いありません。人間の弱さと強さ、生きることの悲しみと希望・・・見終わってそれぞれのシーンをこれほど思い浮かべさせる映画も希です。ラストシーンのすばらしさはたとえようがない。
見終わってから、あの「涙」の意味をずっと考えています。



  9月13日(木)
母が亡くなって今日で2か月目。先日小さい「現代仏壇」を買いに行き、部屋の模様替えをしました。葬儀のときからあった祭壇を外して、ささやかながらも日常の中に母の面影があるというような感じにしたつもり。妻の机をそこに持ってきて、ちょっとした小部屋を演出してみました。ネコのハルちゃんが、いつもと様子が違うので、不思議そうにいろいろ探検していました。
ネコと言えば、今日は漱石さんの飼い猫の命日だそうですね。迷いネコがいなかったら、現在知られているような夏目漱石はいなかったのでしょうか。それはわかりませんが、彼に福を呼んだというそのネコが死んだ日には、漱石自筆の死亡通知を配り、さらに13回忌には塔をたてて供養したというのですから、よほどそのネコへの思い入れが深かったのでしょう。さて、わが家のハルちゃんはどうなるのでしょうか。


日陰はすずしい、さわやかな秋の一日になりました。午前中は家の周りの草取りに汗を流し、ちょっとはすっきりしました。日にあたっているとさすがに暑い。
お昼には用事から帰ってきた妻を誘って「芋掘り」です。草の中に埋もれたようになっているサツマイモがどうなっているのかを見に行ったのです。一畝の1/3ほどを掘ってみると、それでも小さいバケツ一杯の芋が掘れました。形はクネクネしているものの、なかなか美味そう。妻はさっそく芋ご飯にすると言っておりました。ついでにサツマイモの蔓も持ってきて、戦時中を偲んで食します。

先日友人宅を訪問したら、近くでサツマイモがケモノにやられたという話を聞きました。どうやらハクビシンらしい。隣の畑のおじさんも同じことを言っていたので、どうもたくさん出没しているらしいですね。それで、ちょっと心配になって様子をうかがいに行ったのです。無事でした。草が生い茂っているので、ハクビシンもサツマイモと気がつかなかったのかどうか。
妻とそろそろサツマイモの様子を見に行こうかと話していていました。「明日休みだから、明日いこうか」と妻が言うので、「それそれ、それがハクビシンに聞こえるんだ。絶対そこで聞いているんだから。今から畑へ行こう」と私。結局すぐに見に行くことになった次第です。芋掘りは予定を決めないで行くこと。これに限ります。ケモノとのたたかいも(化かし合い)も楽じゃありませんね。

我が家の畑ではトマトが最後の段まできて、まもなく終わり。昨日は棚のキュウリを全部取って、あとは地這いキュウリにタッチ。地這いキュウリも既に大きな実をつけて、またまたキュウリ責めの毎日です。これからは芋ばっかり食べるのかなあ。
すでに収穫が終わった畝には新しくホウレンソウと松本冬菜を植えました。狭いながらも旬の味覚が楽しめるので、食費はかなり節減できています。しかし・・・・肉がたべたい。




  9月12日(水)
昼の「どんと晴れ」を見ていたところ、いつも最後の「どんとはれ」が省略されて、いきなりNHKの臨時ニュースともとれる「安倍総理辞任」の放送。いや〜〜、何考えているんですか、この人は。所信表明演説をして今日から代表質問が始まるというときに、政権を投げ出すんですからとんでもないことです。
その後の記者会見などを聞いていると、結局「海上給油という国際公約(=対米公約)」を果たすには私ではダメだと判断した」「議会での求心力を失った」ということらしい。だとすれば、ますますけしからんことです。
推測するに、相当憔悴した顔をしていらっしゃいましたから、内外の問題で相当追い詰められ体調を崩していたことは間違いないでしょう。だとしても、これから国会審議というこの時期に政権を投げ出したことは前代未聞だし、とうてい国民の納得を得られるはずもありません。ムネオ議員が、2世議員の甘さだと評論していましたが、言い得て妙。
冷静に考えてみれば自公政権がどこまで落ちているかということを示した象徴的な出来事だと私には思えます。
「毛並みのよさ」から自民党内での「プリンス」的な位置をずっと占めて、小泉の後継として早くから次期総理と言われてきたこの安倍総理。しかしその思惑は、総理になってすぐに外れてしまいす。
そもそも、自民党議員の腐敗・堕落というのは組織的な問題だし、改憲・右派的な言動はこれまた自民党内で根強い底流を形成しているのです。それに対して参議院選挙で国民的な審判が下されたのであって、そのときに自民党・公明党は総理を交代させるべきだったはずです。
従って、続投にこだわってここにきて政権投げだしというのは安倍総理個人の無責任さだけではなく、政党そのものの無責任さをも表しているととらえるべきでしょう。いずれにせよ、自公政権の末路を示しているわけですから、次期政権が直ちにやるべきことは、衆議院の解散・総選挙しかありません。


  9月10日(月)
時々雨が降り、次第に涼しくなっていく9月。家の周りでは稲が思い穂を垂れ、コスモスが咲き競っています。季節はやはり変わっているのですね。夜戸をあけていると、肌寒いくらいになってきました。

臨時国会が始まり、安倍首相の所信表明演説がありました。シドニーでの昨日の記者会見では「テロ特措法」延長に「職を賭して」取り組むと大見得を切った安倍さん。今日もこの法案の成立には大変なご執心のようでした。国民からの総スカンの原因をつくった責任に対しては職を辞さず、アメリカの要求に対しては職を賭して実現すると外国で宣言するこの破廉恥さ。嗤うしかありません。
相変わらずの「戦後レジームからの脱却」を叫んだ後、「改革には痛みが伴う」と国民生活へのさらなる負担を公言。「優しさと温もりを感じられる政策」ですって。「本年秋以降、本格的な議論を行い、消費税を含む税体系の抜本的改革を実現させるべく取り組んでまいります」というわけですから、彼らがやっている「きめ細かい対応」とは、結局は大企業・大金持ちとアメリカへの配慮だけだということがいよいよはっきりしてきました。
そのテロ特措法について彼が言う国際社会とはどこなんでしょう。そこにはアジア諸国は含まれていないはず。「国際」といえばそのまま通るとまだ思っているんですかねえ。

そもそも根も葉もないウソを口実に戦争をしかけ、テロを拡散したのはどこの誰だったですか。それを世界で最も忠実に後押ししたのはどこの国でしたっけ。
これほどまでにブッシュが大切な安倍さん、日本国憲法を変える理由が「アメリカの押しつけ」などと言えた義理ではないのではないですか。アメリカから贈られたこの憲法をもっと大事にしなくっちゃ。
もっとも、それは戦後初期のことで、朝鮮戦争の頃からはアメリカから「やっぱり憲法を変えていっしょに戦争やろうよ」と言われて、唯々諾々とそっちの方に突っ走ってきたんでしたね。「自主憲法」なんて言ってちゃブッシュさんに笑われますよ。
ま、とにかく「全身全霊をかけて、内閣総理大臣の職責を果たして」ください。そして無惨な安倍内閣の最後が後世の語りぐさとなるに任せましょう。


  9月9日(日)
いやいやアップルさんもやってくれますねえ。新iMacシリーズの質感。そして、全く新しいラインナップのiPod。わたしゃ、どうすればいいのでしょうか。とりわけ魅力的なのはiPod touch。iPhoneもどきの筐体とディスプレーは何ともいえません。機能はまだ詳細には見ていませんが、iPhoneの仕様がふんだんに盛り込まれているだろうことは推測がつく。iPod nanoもズングリムックリになって登場。これはちょっとどうですかね。
我がマシンたちはもうこれで随分のおつきあいになるので、そろそろ新型に切り替えたいと思いつつ、予算が取れずここまできてしまいました。現在のところ、次期MacOSX Leopard(レパード)が登場する10月に現在のiMacを新型に切り替え、Boot Campを使ってWindowsとダブルブートにするというのが一番心を動かされる選択です。そうしたいなあ〜〜。あした奥さんに相談してみようかな・・・・。
現在は主にWindowsマシンを使って日記を書いていますが、安い年金生活者となった今では、3種類のマシンを使っているというのはいかにも贅沢な生活。一つだけにしようかなとも。深い深いジレンマですよ〜〜〜。




  9月8日(土)
予定通り、朝、松本の共立病院へ診察に行ってきました。土曜日であったためか割とスムーズに名前が呼ばれ、あまり待たなくてよかった。ところが担当医がかなりぶっきらぼうで、あれこれ症状を聞いた上で「じゃ血液を調べますか。ここへ行ってください」と番号を書いた札をくれました。程なく呼ばれたので検査室に行くと、看護師が「じゃ、点滴と血液検査と心電図などをやりますね」と言う。「えっ?何のために点滴をするんですか」と聞くと「あれ、担当医から何も聞いていないんですか」ときた。「ぜ〜んぜん説明してくれなかったよ」と答えると渋い顔をして「すみませんねえ」・・・まいったまいった。しっかりといろいろ検査してくれるのは有り難いけれど、説明抜きじゃ困りますね。「じゃ、結果の説明は別の医師にしましょうか」というので「そりゃまあ、どっちでもいいけど」と口ごもっていると「循環器の先生の方がいいですよね」と水をさしむけてくれたので、結局お願いすることにしました。点滴を一時間ほどやるあいだに心電図と胸部レントゲンをして、本を読んでいるうちに眠くなってしばらくウトウトしてしまいました。
気がつくと「いや〜、私の弟子が失礼なことをしまして」と循環器の先生が傍らに。「私も、先日はいろいろとご迷惑をかけまして」と言う。はじめ何のことか分からなかったのですが、前にここに来たときに、どうやら彼の対応がマズイと投書しておいたことを覚えていたらしい。「え、まだ覚えていたんですか」と言うと「そりゃ、しっかり。そんなことを言ってくれる人はめったにいませんから」と言う。前回とはえらい違いようです。いい心がけです。民医連傘下の病院が患者の立場をしっかり理解しないではどうしようもありませんからね。
彼の見立てでは、血液検査の結果から見ると狭心症の心配はほとんど無くておそらく「期外収縮」だろうという。とくに何か処置をしなくてはならないことはないというので、安心しました。今回は「いろいろ検査をしていただいて有難うございました」と丁寧に礼を述べて引き上げてきました。

帰り際、クラフトパーク沿いにあるブドウ畑に寄ってみました。巨峰がたわわに実ってテントが張ってあるのがみえたので、車を止めて中に。今日午後からオープンしたのだという。500円のもぎたて巨峰を一房買って家に帰ってきましたよ。家のブドウとは全く違って、実にうまそう。
その場で食べ放題というわけにはいかないけど、「一房500円で勝手に好きな房を摘み取ってきてもいいよ」と生産者の方。今度はブドウ狩りにいくことにしますか。近くにはワイン用のぶどうも重たそうに実っていました。秋です。


  9月7日(金)
台風が通過していく間は池田町はほとんど無風状態で、どうしてそうなるのか不思議でなりませんでした。北アルプスに風が遮られたのだろうか。それとも、もともと台風の西側では風は強くなかったのだろうか・・・。と思っていたら、台風が東北地方に去ってから秋桜が倒れるくらい強い風が出てきて、これまた不思議。今日は午後から日ざしも強く一日蒸し暑い日でした。
この頃外出するといったら大町の塾に出かけるぐらいで、本当に外に出なくなってしまいました。おかげで腹も出てきたようだし、体調はイマイチ。
久しぶりにファンクラブのメンバーと話をしていたら、友人の近所に住む20台の青年が突然死したという話が出た。「実は私もかなり前から心臓がズキンと痛むことがある。ひょっとしたらあぶないかも知れないね」と話すと「それはいけない。すぐに医者に行ってスキャンしてもらわなければ。その青年も亡くなる少し前に”心臓が痛い”と言っていたらしい」と脅かされました。
確かに運動もせず、不健康な生活をしていたんじゃ、どうなるかわかりません。心を入れ替えて明日病院に行って、ちゃんと診察をしてもらおうと決心したことでした。

さて、以前はイラクからの便りが届くのが楽しみだったし、riverbend(ペンネーム)の生活を通してイラクで起こっていることや人々の暮らしを知っていたのに、国外脱出をせざるをえなくなったという苦悩に満ちた日記を最後に彼女のブログはずっと途絶えたままでした。
4月から数ヶ月を経て、彼女が家族とともに無事国外脱出に成功したことを伝えるメールが翻訳スタッフの手によってもたらされました。よかったよかった。
そこには国外脱出を一時は断念せざるをえなくなったこと、偶然のきっかけでヨルダンではなくシリアに脱出できたこと、その一部始終が淡々と綴られていました。下手に引用するよりはブログをじかに読んでもらう方がいいに決まっているから詳しい内容については何も書きません。
おそらく、落ち着いた生活を取り戻したら、彼女なりのやり方でイラクと連絡をとりながら、国内で起こっている様々なことがらについて発信してくれるに違いありません。

バグダードバーニング by リバーベンド(日本語翻訳サイト)
Baghdad Burning(原サイト)


  9月6日(木)
台風接近の影響で池田町は昨夕から断続的に強い雨が降っています。このままの進路で進むと関東直撃の心配があります。被害がでないことを願うのみです。
私は、朝から晴れ間をぬって畑の手入れです。今はもう倒れる高い作物はないので、むしろ雨が降ってくれた方がありがたい。ただ雨がふるとトマトの実がはじけて困りますけど。トマトとキュウリは今のところ平年作。毎日食べまくっています。
スーパーで野菜売り場を見ると、トマト、キュウリ、トウモロコシなどは結構高い。ささやかながら庭の畑でそれなりに採れるので助かっています。
そろそろ菜っ葉モノがほしくなったので、白菜、冬菜の種をまきました。アブラナ科は虫にやられるので心配で農薬は買ってはあるのですが、使わないに越したことはないのと、秋に植えるとどうなるのか知りたかったので、とりあえず植えてみることにしました。このあと、小松菜、冬大根なども植えてみようかと・・・。
縁側には日よけをかねてゴーヤを植えてあって、今頃からたくさん雌花をつけてきています。どれほど大きくなるかはわかりませんが、9月いっぱいは楽しめそうな気配。妻がゴーヤの料理くずを畑に戻しておいたらさっそく芽が出ていました。とりあえず鉢に移して様子を見てみることに。実がなるとは思われませんが、ダメモトです。


昨日の新聞に、わが故郷・富山県出身の「名士」である瀬島龍三氏が亡くなったことを報じていました。その名を知らぬ者がないほどの人物ですが、実像はかなり「闇」に包まれており、共同通信の総力取材による「沈黙のファイル」でも掴めない部分が多くあるようです。
かつて富山にいたころ、勤めていた学校の企画で彼の講演を聞く機会がありました。当時は伊藤忠商事の役員だけでなく政府関係機関の委員などとして華々しく活躍している時期であり、注目していたのですが、現在ではほとんど印象に残っていません。どことなく弱々しいスリムな身体からは、「陸軍大学校以来の頭脳」を持ち大本営のエリート参謀として辣腕をふるったことや、伊藤忠商事に入って戦後賠償にかかわる商戦でその「切れる」頭脳を使って暗躍した人物とはとても思えませんでした。
「日本は、少なくとも対英米戦争は自存自衛のため立ち上がった。大東亜戦争を侵略戦争とする議論には絶対に同意できません」(「沈黙のファイル」)と一貫して主張する彼。大本営参謀、しかも作戦参謀としてあのアジア太平洋戦争での軍の中枢を担った彼としては、それを否定することは自己存在の否定と同義でしょうから当然と言えば当然です。「深い自己欺瞞」(加藤典洋)ですらない。それが彼自身なのであり、それゆえあの戦争を担った責任は重いといわなければなりません。そしてまた彼のような人物を郷土の誇りとするような「庶民的」感覚もまた鋭く問われているといえるでしょう。
私は彼の死が一つの歴史の終わりだとはとうてい思われない。むしろ、彼の主張が日本の保守・右派政治家、官僚、財界に深く根を張り拡大再生産されようとしているいま、あらためてあの戦争と、それに続く日本の歴史を検証し尽くす必要を感じます。
(写真は「沈黙のファイル」より)


  9月4日(火)
医者不足によって地域の病院から産科がなくなり、あちこちで存続のための運動が続けられていますが、現在の状況で果たして抜本的な解決策があるのでしょうか。
リスクの大きい産科医のなり手がないというのが最も大きな理由としてあげられていますが、人類の誕生以来お産はあったわけで、そのリスクもここに来て突然大きくなってきたわけではないはず。だとすれば、我々の意識が変わったのか、医者の意識が変わったのか、両方なのか、医療の現場を見つめ直して見なければならないと思われます。
これらについて、私自身はデータが全くないので、どのように考えるべきなのか十分にはわかりませんが、医者の養成にかかわる問題が大きいということだけはいえると思います。

私自身の経験からいうと、現在の医学部に進学できる対象者は国公立大学では「偏差値」のトップクラス、私立では資産家の子どもと相場が決まっています。定員が少ないことと医者の要請に関しての国の政策があまりにも貧弱であるために、医学部は超エリートの進学先という状況が今も昔も変わらずに続いています。
私のかつて勤めていた公立高校=普通科「進学校」=では、医者になりたいから医学部に進学するというのではなく、高偏差値者のステータス・シンボルとして医学部を志望するという傾向が見られました。どんなに意欲があっても「(受験)学力」がなければ入試を突破できないのですから、医学部というのは実に不思議なところです。その学校では学部で言うと上位何名かは医・歯学部、それに続いて理工学部、法学部、文学部・・ときれいに「偏差値」で輪切りになって志望が表れてきます。国立大学では東大・京大を先頭にこれまた輪切り状態になっている。おそらく保護者の年収を調べれば、まったくその通りに並んでいるのではないでしょうか。要するに今日の大学入試制度のもとで、大学は意欲・資質・能力よりカネと地位に従属してしまっていると言っても過言ではないと私には思われます。
需要に見合うように定員をもっと増やし、国立・私立を問わず、学資を他学部並みにし、意欲・資質・能力によって大学を卒業できるかどうかを決めていくようにすれば、本当にやる気のある学生がどんどん医学・医療系を目指すのではないのでしょうか。
現在の政府のもとでは、大学への予算を削り、大学の自治を奪い、一握りのエリートだけに有利な制度に作り替えつつあるのですから、全くの逆行路線です。
看護師の養成についても事態は余り変わりません。人員が足りなくて職場はめちゃくちゃ忙しく、どれだけの有能な人たちがやむなく職場を去っていくのでしょうか。子育てのための支援もこの日本では全く貧弱ですから、それに輪をかけています。

そしてさらに重大なことは、医者に掛かりやすくするのではなく、いかに医者に掛からないようにするかが政府の政策として実行されようとしていること。その最たるものが来年4月から導入される「後期高齢者医療制度」でしょう。
高齢者から無慈悲に金を取りたてるこの制度を導入することとあわせて、病気ごとに治療費の上限を決め、その範囲でしか保険を使えなくする「定額制」=「包括払い」が狙われています。その上限を超えると医療機関の「持ち出し」になるため粗悪診療・診療抑制を呼び込むことは必然で、まさに姥捨て・棄民政策と言っても良い極悪制度です。こうした政府の医療政策そのものが、どれほど医療を荒廃させていくかはかり知れません。
安倍首相をこっぴどく批判しながら、大臣のイスを見せられると嬉々としてそれに座る厚労大臣は、この事態をどうするのでしょうね。見ものです。


  9月3日(月)
家のまわりでは稲がたわわに実り、まもなく収穫のときを迎えます。暑い夏を乗り切るために農家では私たちには見えない苦労を重ねていたのではないでしょうか。私ときたら、新米を食べる楽しみと、実った稲に集まる「イナゴ」を捕まえることぐらいしか頭に浮かばないので、農家の皆さんには誠に相済まないことです。
池田町に移住した頃は、目に入るさまざまな光景が一つ一つ目新しく、写真を撮りまくっていたものですが、4年目に入った今となっては昔から「そのまま変わらずに」存在する光景の一つに変わり、新鮮な感覚を失いつつある自分に気づかされます。
山々も植物も土も一年前とは全く入れ替わっているはずなのに、何ら変わらない光景だと思ってしまうこの感覚。確かに山や田、家々の位置やたたずまいは変わっていないし、植生も大きく変化しているわけではない。マクロとしてはそのままだが、ミクロの世界では完全に入れ替わっているこの不思議。
我が家の畑には昨年はトマトはなかったし、キュウリもなっていなかったなあ。そもそもこの家さえ2年前にはなかったのだから、マクロでも変化は大きいのでした。

先月末に立花センセイの評論を評論したことがありましたが、その後「東大生はバカになったかー知的亡国論・現代教養論」(立花隆)と「立花隆先生、かなりヘンですよー教養のない東大生からの挑戦状ー」(谷田和一郎)を読んでおりました。
奥付をみると「東大生は・・」も「かなりヘンですよ」も発表が2001年となっており、当時の立花センセイの「知的水準」をうかがうにはちょうどよい本だろうと思ったからです。
「東大生は・・」は、実に読まなきゃよかったというシロモノでしたよ。要するに全編「オレはこれくらい”教養”があるぞ。自然科学から社会科学すべてにオールラウンドに教養を身につけているのだから、学生はすべからくこのくらい勉強したらどうだ」という主張で覆われている。折しもネット環境が整い始めた時期。「オレはインターネットをつかいこなしているぞ。これで世界の見方が変わった。学生もオレのようにこれを使いこなせるようになるべきだ」ともおっしゃっていますから、笑うしかありません。
「要するにマウスのクリック一つで情報空間内を瞬時に移動できるのである」として「リンク」をテレポーテーションにたとえたり、(「リンク」を通して世界中のコンピュータが結合されると[んなわけないけどね})「全地球的な頭脳がどんどん成長している。大脳の細胞は140億といわれますが、結びあわされるコンピュータの数はそういうレベルに近づきつつある。その結果何が起きるのか」とわけのわからないことを書いたりしているのを読むと、パソコンで「インターネット探検」をするのがよほど感動的だったのでしょうか。
そうはいえ、パソコンってインターネットをするだけのものだったっけ? 画像・映像処理や音楽、データ処理などにどれほどの威力を発揮しているかについて一言もないのは全く不思議です。
「知の巨人」とマスコミでもてはやされている彼の「知的水準」は、私に言わせればその程度のもの。つまり、彼は誰よりも沢山本を読んでおり、「知識」をため込んでいることを事実としましょう。しかし、その「知識」たるやミソもクソもごた混ぜにしたたぐいであり、しかも彼の思いこみによってそれらは選別され、またその知識自体が間違いだらけとくる。それを指摘したのが元東大生の谷田さんだったのでした。
谷田さんによっても指摘されていますが、立花センセイの「立論」の仕方は「結論はじめにありき」で、結局それにつごうのよい論文や資料を寄せ集めるという手法で貫かれています。その寄せ集めが膨大なために人を惑わせるだけで、推論はめちゃくちゃ、残るのは憶測と妄想のみ。
しかも文章の格調、主張の論理性、問題意識の的確さのどれをとっても完全に谷田さんに軍配が上がると見るのは私だけではないでしょう。それほど、立花センセイのおしゃべりはひどい。ロッキードの頃の彼はともかく、2000年を前後して、どうして東大が客員教授などという職を用意したのか私にはさっぱりわかりませんね。
谷田さんの本も、後書きで「これは変種のファンレターだ」などと言って(本心なの? 皮肉なの?)みたり、「どの本を読んでも共産党の政策のように変わり映えのしない主張が続くことになる」などと、あたかも共産党の政策を知っているかのように突然書き出したりする不見識が見られるものの、理系の分野に限っていえばきわめて適切な反論の書になっていると思われました。
ついでに言えば、その昔文春に連載した「日本共産党の研究」の頃から立花センセイの憶測・妄想の傾向は強く見られます。古書店で「1円」で売られていたこの文庫本を入手して読んでみているのですが、それがよくわかります。
さて、若い論客に数々の証拠をつきつけられて「知の廃人」とまで揶揄されたからには、もういさぎよくご退場願うしかないでしょう。ね、立花センセ?


  9月2日(日)
今日は池田町全体が防災の日になっていて、それぞれの地域単位で防災訓練が行われました。
事前に要領が知らされていたので、さぞ意識も高まっているだろうと勇んで会場まで自転車でかけつけたのですが、道路はいつもの日曜と変わらずシ〜ンとしたまま。これは何かの間違いではないかとさえ思いながら集合会場の集会所に着くと、確かに40人〜50人ほどが集まっていました。地区の全世帯数の1/3にも満たない人数でしょうか。あまりにも少ないので何となく拍子抜け。
訓練の内容は消化器の扱い、消火栓の使用法、怪我の応急処置、消防団の放水訓練でした。
訓練の内容はこんなものかと思いますが、全体として防災意識の問題、集合・避難誘導・人員確認の問題など最初にクリアしなければならないいくつかの点でまだまだ課題が残っていると思わされました。
私のようにまだ町内の人たちの顔がわからない者にとっては集合する場所そのものがわからない。どこに集まり、集まった後どうするかを掲示版でよくわかるようにしておくとか、それぞれの担当者が腕章・のぼりを持って住民をリードするとか、ハンドマイクを効果的に使うとかの工夫が必要でしょうね。
震災と言えば、最近見た映画「ありがとう」のことが思われます。阪神淡路大震災から10年目に作成されたこの映画では、それだけの年月を経なければ描けなかったリアルで凄まじい描写が圧巻です。それ以上に、その震災にあった神戸の人々がどのように復興に汗と涙を流したか、どのように人間としての絆を深めたかを描いていますから、防災の日には必見の映画です。
ともあれ、私自身にとっては、いよいよ消化器、避難用具などの防災グッズをそろえ、十分大災害に備える必要性を確認できただけでもよい経験でした。

信州 活断層と地震エネルギー蓄積
長野の活断層








  9月1日(土)
先月の26日に母の四十九日の法要を終えて、もたもたしているうちにもう9月です。
7月末から8月にかけて、暑さのせいもあったのか疲れがとれず寝てばかり。朝たいてい5時過ぎにネコに起こされてそのまま起きることが多く、午前中はだるさがぬけず、昼頃になると眠くなってずるずると一日が過ぎていくという、何ともだらしない生活がずっと続いていました。
母の葬儀などの疲れというよりは、もともと熱がこもりやすい体質らしく手足の熱感がひどいことや、手首の腱鞘炎がなかなか治らないでいたこと、夏期の集中講座などでいつもと生活が違ったことなどが重なったためのようです。
8月末になってようやく涼しさが戻ってきたことが幸いしてか、昨日今日ようやくちょっとしゃんとした気分になってきています。暑さがぶり返すとまただらしなくなってしまいそうですから、気をつけないといけませんね。

母の四九日の法事を終えて、気分的に一つの区切りがつきました。まだ母の年金の未払い請求とか、相続のための手続きとかが残っているので、ともかくそれらを早く処理して気持ちを切り替えないといけないと思っているところです。なかなかそうできないでいるうちに季節はもう秋。まもなく世界陸上も終わることだしだし(選手のみなさんに見習って頑張らなければという意味)、身体が少しずつ動くようになってきているので、アクセルをちょっと強く踏むことにしましょう。






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