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  12月30日(火)
先日も昨日もあの「タモガミ」があたかも時の人、タレントのようにテレビ出演。これって、マスメディアの堕落以外の何者でもない(ずっと前から堕落しているぞという声も聞こえてきそうだけど・・・)。
「世界中がテロや海賊とたたかっているのに、日本だけ知らん顔をしていていいのか」という言い古された「論理」が大手をふってまかり通る。いや、マスメディアで垂れ流される。ここには、政府や自衛隊が、見かけは自国を守るためやテロとのたたかいと言いつつ、いかにアメリカのいいなりに軍事的な一体化を遂げてきているかは一切触れられない。表に出てくるのは「外国軍が目の前で攻撃されているのに、何もしないで逃げ帰っていいのか」という言い方で、集団的自衛権の容認へと水をさしむけられていく。
貧困・格差の拡大によって引き起こされる不満・怒りの矛先を、いろいろな口実を設けてうまく海外へとそらすのは支配層の常套手段。「タモガミ」がテレビにでてくる頻度は彼らのこうしたマスメディア対策の力のいれ具合と見ておく方がいい。それにやすやすと乗って、何の痛痒も感じずに、ただ視聴率を追っかけ彼の主張を垂れ流す情けなさ、こっけいさ、あわれさ。
「タモガミ」の知性の欠如はあの論文で明白だけれど、一面「大衆受け」する「わかりやすさ」を持っていることも事実。支配層が利用するのはまさにその点。彼の利用価値があるうちは使えるだけ使おうということでしょう。
戦後の歴史を今一度真剣に紐解いて、無数にいる「タモガミ」を国民的レベルで完膚無きまでに批判し尽くしたとき、あの戦争は終わるのだと私は思わずにはいられません。さもなければ、まだあの時代と地続きで、無批判にアメリカの仕組む戦争にずるずるのめり込む新たな時代を作っていくことになる。

一昨日、町役場から「審議会」の審議記録と「第4次総合計画の到達点」の文書が送られてきました。役場のみなさんはすでに27日から休みに入っていますから、これを作成して年末年始の休みを迎えたのでしょう。お疲れ様でした。先日その作業に携わっている一人から「寝ずに仕事している」と言われてしまった。先日の会議での意見や、私の出した20ページの意見書などもあって現在その修正作業の最中、彼も観光の分野を書き直しているということでしたから、その作業に期待していることにしましょう。
はじめてこうした「総合計画」の審議に参加してつくづく思うのは、下手をすると会議の実績づくりだけに終わってしまう危険と隣り合わせだということ。それを防ぐのは「委員の主体的な参加と活発な意見交換」しかないのでしょう。
これから個別的な検討に入るので、その前に私はもう一度この会議の性格と審議のしかたについて意見を述べようと思っています。つまり、誰のために何のためにこの計画をつくるのかということです。
町民のこれからの生活や労働、子育てや福祉のために作成するのだとすれば、基本文書にふさわしい時間と労力を惜しむべきではないでしょう。町民に開かれた会議であるべきだし、出来る限り公平にたくさんの意見が寄せられる仕組みを保証しておくべきです。

会議の準備の一環としていろんな本も読んでおきたいし、来年はまた忙しい幕開けとなりそうな予感。ついでに、今日と明日は大掃除や買い物で終わりそうです。


  12月29日(月)
年末は何かとあわただしく、パソコンに向かっている時間もなかなかとれません。
中3生の講座が毎日あってそれに気をとられていたり、年賀状も出さないといけないと思うと結構気ぜわしいものですね。
講座の前半は明日まで。3日間の正月休みのあとはまた冬期講習です。考えてみると、昔から一向にこのスタイルは変わっていない。トホホです。
それでも今日はちょっと余裕ができて、夜は妻と「暴れん坊将軍」をみておりました。実際は妻も私も半分うたた寝していたんですけど・・・・・。

ここ2,3日前から光文社新書の「子どもの最貧国・日本ーー学力・心身・社会におよぶ諸影響」(山野良一著)という本を読んでいます。アメリカでソーシャルワークなどを修めて現在は神奈川県内の児童相談所に勤務している著者は、この本のなかでアメリカでの実証的な研究や乏しい日本の研究などを素材に、「子どもの貧困」についてきわめて重要で深い問題提起を行っています。目から鱗が落ちるような話も結構たくさん書かれていて刺激的です。
まず、筆者はユニセフ・レポートを参考に、日本が1980年代から子どもの貧困率を徐々に上昇させてきていること、日本のひとり親家庭の貧困率は主要先進国でNo.1であることを明らかにしています。しかも、奇妙なことにそのひとり親が働いている方が働いていない世帯より貧困率が高いという現実も指摘します。まさしくワーキングプアという言葉通りの「主要先進国のなかでは並外れたひとり親家庭の貧困率」です。
貧困そのものは各国でそれほど大きな差はありません。日本以外の主要先進国は、政府の介入(税金や社会保障の手厚い対策、生活保護、母子家庭への援助など)によって貧困状態からの脱出を助けているのです。たとえば、フィンランドでは介入前の貧困率は日本より高いのに、政府の政策によってほとんど貧困家庭が見られないほどに手厚い援助を行っている。
筆者は、単に政府の政策の問題だけでなく、「それを支える人々の平等意識や連帯感の強さ」の大切さも随所で指摘しています。そして「子どもたちの貧困という厳しい事実を隠し続け、まったく問題としてこない(日本)政府の態度」を厳しく指摘しています。
驚くべきことに、「日本では政府の介入は子どもの貧困率を下げることにほとんど寄与できていないどころでなく、逆に介入によって貧困率が上がっている」という「異常事態」(p47)が起こっているというのです。アメリカも日本とよく似てはいるけれど、政府の介入がいくらかの効果を発揮、このアメリカと比べても日本は異常だというこの指摘は重大です。ここでは、日本の税控除や児童手当、児童扶養手当などの社会保障の制度は定収入家庭の経済状態を改善することをめざして作られた制度ではなく、また児童手当の額などがあまりに少額であるために逆転が起こっているという研究成果も紹介しているとだけ、ふれておきましょう。
続いて第2章では、子どもたちの貧困はなぜ起きるのかという問題に迫っています。
貧困問題でまず直面するのはあの「自己責任論」ですが、ここで筆者はアメリカを中心とする何人かの研究者の成果を比較しつつ、「社会経済的な産業構造の変化」と「貧困の文化論」を中心に日本でさらにこの問題を深めることを提起しています。
第3章では、子どもたちの学力と親の経済力、児童虐待と貧困という二つの問題に焦点をあてて、その実相を細かく検討しています。
ここで注目したいのは次の点。日本では親の学歴や職業の方が所得よりも子どもの学力に影響を与えていると考えられてきたが、実際はそうではなく所得の方が影響力が大きいとする研究成果を紹介していることです。
児童虐待については、アメリカでの研究結果から「所得が平均的所得以上の豊かな家庭の子どもたちに比べ、約25倍もの高さで児童虐待・ネグレクトの危険に晒されて」いることも紹介。いずれにせよ、貧困が学力だけでなく、精神的な発達や身体的な発達まで大きな影響を及ぼすことが明らかにされていることに注目する必要があります。
こうした低学力や児童虐待をなくすには、「遠回りでも貧困対策や雇用対策をはじめとした国民生活支援に、思い切って社会的なコストをかけていかなければならない」という指摘も、現在の日本の状況を見るにつけ重みを増しています。
ただし次の点は是非とも私も注意しておきたい。
「ここで、ぜひとも強調しておきたいことがあります。
多くの貧困な家庭では、児童虐待は起きないという当たり前のことです。むしろ経済的に四苦八苦しながらも、暖かな養育環境を維持し頑張っている家庭が、大多数を占めていることははっきりしています」「貧困の問題が児童虐待に深く関連しているということが意味するのは、社会経済的な家庭状況の差によって、児童虐待が発生する頻度や深刻さに違いが見られるということでしかありません」(p111)

あれこれと引用をしてきましたが、あとは、読んでもらうこの本から伝わってくるメッセージの何と深く重いこと。
年末が近づくにつれて全国で広がる派遣切り、大量首切りの動きをみていると、この国の貧困を作り出す元凶がどこにあるのかが明瞭に見えてきます。派遣労働者には家庭を持った30代、40代の労働者も当然含まれています。そうした人々の生活とそれに連なる子どもたちの困窮は、直接にそうした人たちをむしばむだけでなく、明らかにこれからの社会生活の根底を掘り崩すことになるでしょう。もはや、たたかう他ありません。


  12月22日(月)
人の輪というのは、どこでどのように作られるかわからない。それを感じさせたのが妻がくわしく書いている「座禅と写経」の集いでした。住職の奥さんからもらった一枚のチラシがきっかけで参加した催しでしたが、いろんな人たちがそれぞれの思いで参加していてなかなか興味深かった。何となく「座禅と写経」の奥義を究めようとして来ているのではなく、一種の社交場として楽しみを求めて来ているという雰囲気に近い。お寺の住職も奥さんも実に気さくで話し好きなので、その人柄が人々を引きつけているのでしょう。
何度も続けて参加していれば、これまでとは全く交流のなかったような人たちとの新しい輪ができそうでしたよ。私が観光協会にかかわっていることを知っているおかみさんは、「成就院」とこの催しを是非「世界に向けて発信してほしい」ととくに要望。「引き受けた」と回答して帰ってきました。さっそく観光協会のホームページのイベント紹介に載せないといけませんね。Uさんよろしく。
座禅は初めての経験。30分間私はひたすら数を数えていました。ただ壁を向いて座り続けるというのは実につらいものですから、はじめ数学の問題でも解いていようかなと思っていましたが、あまり複雑なことを考えていると座禅にならないだろうから、時間をはかることにしたのでした。私などはもっとも座禅の修行に向かないタイプの人間らしいですね。時間がもったいないと思ってしまいますから。それでも、時にはこのように非日常体験をすることは無意味ではありません。呼吸、姿勢、頭の中身などが自ずと検証されますし。

12月号のファンクラブニュースをようやく仕上げて一息つくまもなく次の新年号の企画。町の住民の関心に沿うものをと思うけれど、なかなかこれは難しい。


  12月19日(金)
今年も次第に押し詰まり、何となく日があわただしく過ぎていきます。昨日何をしていたかと言われるとすぐに出てこないのはやはり年のせいでしょうかね。
家でやっていることと言えば、豆の皮むきです。収穫した大豆から豆を取り出してそれを選り分け収納すること。枝の上からたたいて豆を落とせばいいのでしょうが、一つしか実の入っていないサヤが多くて、そう簡単には豆が出てきてくれません。そこで、まずサヤを全部はずし、それから一つのサヤごとに豆を取り出しているという気の遠くなるような作業を延々とやっているのです。こんなことをしていたらいつまでたっても終わらないくらい。もう少し作業能率を上げないといけません。それでも、少しずつ豆がたまっていくのはうれしいもの。

さて、議会の傍聴記の続きです。
昨日のローカル紙で注目していたのは二つ。市民タイムスも信濃毎日も、一丁目の旧上原商店跡地の利用として池田町長が「若者向けに安い住宅建設を供給することも視野に入れて開発をすすめる」と住宅用地にすると発言したことと、特別養護老人ホーム「高瀬荘」の建て替え建設用地に「アルプスシャツの工場跡地」をあてて準備をすすめていることを報道。その他の来年度に向けての施策については一切ふれていません。記者たちの関心の所在がよくわかります。

一昨日の質問に立った議員は8名。以下議員の質問の中で特徴的なことをまとめておきます。
2番手の甕議員は、財政の他「近隣市町村との連携」「教育文化の振興」「商工業の活性化」などについて包括的に質問。
町長は答弁の中で、防災のための耐震化工事については第5次総合計画の中で考えること、ボランティアバンクについては今から準備し4月1日スタートできるようにしたいこと。そこではいろんなボランティアを紹介したり町民の中からコーディネーターも募る考えを示していました。
また、商工・観光の課をわけてそれぞれを重視して取り組むべきだとの質問に「厳しい財政事情と人的な観点から困難。観光協会の足腰がまだ強くない状態では行政主導で観光に取り組む必要がある。今後人的配置の中で商工・観光の振興を考える」とのべただけ。
甕議員の質問は多岐にわたったために、町当局の考えを一通り聞くことに終始し、掘り下げた質問にならなかったことが残念でした。
続く宮田議員はまず来年度の一般会計予算の編成方針を質問。これに対して町長は、第5次総合計画でその具体化をはかるとしつつ、@これまでの「町づくり推進プラン」などに沿って改革をすすめるA新規事業については7つの公約に基づいて取り組むB財政の健全化を重点課題とし費用対効果を考えるC町民によるボランティア組織を立ち上げる。ただしゼロ予算D全国に向けて「美しい町宣言」を発信できるようにする、とのべるにとどまり、さして新しいことが打ち出されたわけではありませんでした。
ローカル紙が注目した高瀬荘の建て替えについては、用地の取得については地権者の承諾も取り、運営主体の来年3月大北社会福祉事業協会に引き渡すことを明らかにしました。
上原商店跡地について聞かれた町長は、議員へのアンケートでは住宅とすることに賛成が4、慎重4、反対4と完全に意見が分かれていたと紹介し、住宅用地としても売れ残る心配があるとしながら、一方で住宅政策は避けて通れず、商工会からも要望があり、現在は若者向け住宅政策が必要だと住宅建設を示唆。
住宅とした場合に、池田町の将来人口の予測でかなり減少することとの整合性や、今後の不況などの見通し、住宅建設が平地部ではなく東山沿いに増える可能性もあることなどを考えると果たしてうまくいくのかどうか、もしかなり売れ残り虫食い状態になった場合の責任はどうするのかなど詰めた議論が必要だと思われました。

森林の保護・防災についてかなりつっこんで質問していたのは地元の桜井議員。この質問の背景には過去に土石流などで被害を受けた経験があり、地元でもかなり要求の強い課題で、桜井議員も「地元に帰って報告しなければならないから、きちんと説明してくれ」と要求していました。
桜井議員の要求の中心は、現在地域をきめて包括的にすすめられている森林整備を沢の整備と併せて重点的に行うようにせよというものでした。これに対して、町の答弁は「現在は地域をきめて包括的に整備を行っている。谷の改修は森林整備と担当が異なるのですぐにはできないが、将来的にはそれも考える」というもの。
森林と河川の整備は山ばかりの長野県ではきわめて重要な土地・緑地保全の課題であり、とくに山林の整備の遅れ・放置から山が荒れ放題になったり、土石流の危険が高まったりしており、計画的・総合的な対策を国・県として行う必要性を感じさせられました。
また桜井議員は農業振興策について質問していましたが、これは現在の町のとりくみの現状を聞くだけ。もう少しつっこんで問題点と対策を追求してほしかったと思わされました。
町の農業・畜産業の現状について振興課長が「若い人に米を作ってくれと言っても、採算から困難な状況。畜産は養豚2軒130頭、牛1軒20頭、養鶏1軒1000羽。水田については集落営農化をすすめ将来全町1農場構想をかかげていく。米の増産、地産地消をすすめることが重要。県の町づくり支援金800万円を活用してものづくり振興にとりくむ」などと回答していました。


  12月17日(水)
この間、いろんなことがあってまた更新をさぼってしまいました。
昨日は2ヶ月ほど前から予定していた人間ドックの日。朝6時には起きて体調を整えて行ったつもりが、病院に着いて手続きをすませ、待っている間にうつらうつら。何と眠いこと。朝早く起きすぎたらしい。ただ、病院の側では検診の専用窓口と係があって、超音波、心電図、X線、採血・・・とさほど待つことなく次々と進行しました。
とはいえ、最後は難関の胃カメラ。これだけはずいぶん待たされ、やはりその間ほとんど意識なし。呼ばれて診察台にのぼり、ときどき「オエ〜」となりながら何とか我慢して終了。何度やってもこれだけは慣れません。
終わったらすぐ画像を見ながら、その結果発表です。ん??何かあります。「潰瘍には至っていないけれど、ちょっと傷があって出血していますねえ。ストレスかまたは薬の影響で一週間ほど前に出来たもののようです。念のため少し組織をとっておきました」という所見で、その他は「きれい」でした。
しかし最後の内科の診察で「前の検診では中性脂肪がやや多いと言われました」と正直に言うと、若い女医いわく「ちょっとどころでないですね。中性脂肪はたいへん危険な状態です」。たいそう冷たい告知にショックを隠せませんでした。
さっそく帰ってから妻に正直に報告し対策を検討しましたよ。夜仕事から帰って食事をし、それから程なくして寝るのが原因なのだろうということで、今日からはかなり軽めの食事に切り替えることになりました。

今日は朝から12月議会の傍聴です。これまで2年ほど欠かさず傍聴を続けているので今日も仕事ぎりぎりまで傍聴席に座っていました。
町長にとって初めて予算編成に臨む議会ということもあって、各議員の質問も町長の予算編成にあたっての考え方や政策に集中していました。
しかし全体の印象から言えば、財政の厳しい状況下で自由に使えるお金が乏しいことを理由に答弁には具体性に欠け、全く町づくりへの方針が見えてはきませんでした。
最初に質問に立った桂川議員は町長の公約である「合併問題」「安曇野構想」について町長の考えを質しましたが、何故に合併が求められるのかについては一切答弁せず、ただ地域的な一体感や信頼感、地域的改善の共有などの合併の前提条件をのべ、自治体間協力をすすめていけばその延長線上に合併が自ずと見えてくるという程度のもの。しかし、最後には「すぐに合併という態度をとるものではない」とのべて選挙時よりはかなりトーンダウンした印象を受けました。「安曇野構想」については、穂高や安曇野市には毎年150万人も訪問しているので、それらの他市町村と連携してそこからの誘客をすすめるというもので、聞いている限りでは具体性がなく「構想」とさえ呼べないものでした。
続く質問者の甕議員も「新年度へ向けての町づくりの施策」を質問。財政や教育へのとりくみについて考えを聞いていました。
総務課長は、池田町は実質公債費比率が19年度で18.6、経常収支比率は89.0であり、来年度予算編成にあたっては財政調整基金に手をつけざるを得ないのではないかと答弁していました。
続きは明日か明後日書くことにしますが、長い一日議場に座っていながら得るものがあったという実感が乏しい。どうしてこうも答弁は内容の無いものになってしまうんでしょうね。議会のありかた、議論の仕方、答弁の引き出し方をもっと研究していかないといけないと思わされました。


  12月11日(木)
池田町第5次総合計画審議会が開かれたのが9日(火曜日)。すぐに報告しなければならなかったのですが、これに対する意見を書いていたためにずいぶん遅れてしまいました。

当日開会定刻前には全員の審議委員と町長、町役場の職員がそろって異例の定刻1分前開会。町長あいさつ、委員の任務についての説明のあと、町長から委嘱状が渡されました。市民タイムスなどの報道機関も取材に来ており、一人一人の写真も撮っていきました。
その後会長・副会長を互選し、今後の会議の日程の説明の後、議事にうつりました。
議事の中心はすでに渡されていた「素案」の審議。まず、まちづくり推進室長が「素案」に基づいて前半、後半とわけて説明、それぞれについて意見交換を行いました。

町長ブログでは「公募委員の2名の方も積極的に発言いただきました」と書いていて、ほかにも活発に発言があったかのように受け取られますが、実は15人の委員のうち意見をのべたのは公募の私とM氏、それにこれまでこうした計画の審議にかかわってきたK氏の3人。あとは最後に一人一人促されて簡単に感想を述べただけでした。実質討議した時間はわずか一時間半ほどで、基本計画を定めるにしてはあまりにも短い時間でした。
私が述べたことは、第1に、10カ年総合計画というもっとも高位の計画を審議するにしては日数が少なすぎるのではないかということ、第2に、コンセプト、キーワードといった町民になじみのない用語をさけてわかりやすい文章で簡潔な構成にすべきなのではないかということ、第3に、詳細にわたって意見を述べられない以上文書での発言を保証すべきだということ、第4に「素案」や審議の経過を町民に公開し、意見を表明できるようにすることが中心でした。
審議の終わり頃には、この「素案」に対しての自治会段階での意見聴取はすでに終わっており、結局外堀を埋めておいて最後に委員のお墨付きをとるための審議会ではないのかという疑問も提出されたほど。実際に、この「素案」はかなり急ごしらえという印象を否めず、一体どのようなまちづくりを目指すのかが明瞭には見えてこないように思え、それだけに十分に審議しなければならないと思わされました。
結局、最後に事務局から素案と審議経過を公開し意見を出してもらえるようにするということになったので、少しはオープンな議論ができるのではないかと思います。これについてはすでに以前から町役場のホームページ上で第5次総合計画というコンテンツがつくられ概要が載せられているので、素案全体や審議の経過もすみやかにアップして意見表明ができるようにしてほしいものです。

というわけで、私としては、議案にかかわって用意していた発言がほどんどできず、そのためにすべて文書にして提出せざるをえなくなりました。それを昨日から、エッサエッサとやっていたわけです。
B5用紙で10ページにわたる長大な意見書になってしまい、ちょっとやり過ぎかなとも思いましたが、この際言いたいことは全部言うという基本方針に基づいてかなり細かいことまで記載しました。明日事務局に届ける予定。どの程度これらの意見が繁栄されるのでしょうか。次回1月15日には、それをもとにもう少しつっこんだ議論を求める予定です。  


  12月6日(土)
今日やっていたことはといえば、一日観光協会のホームページづくり。これまで作ったものがちょっと幅がせまくて苦しい感じがしたので、もう少し広げて情報量を増やしていたのです。
ところがタグうちでやっているものだから、構造が複雑になってくるとほんのちょっとの狂いで見てくれも悪くなるし、バランスが悪くなるので行ったり来たりの大仕事になってしまいました。
トップページを変えると全部変えなければならなくなるので、再度リニューアルをするときのためにとっておくことにしようかなとも。何しろ、たった一つのテーブル・タグがレイアウト通りにいかずに問題をかいけつするためにそれだけで5時間もかかるという消耗戦です。ホームページ・クリエーターの苦労がわかります。
おかげで最近視力の悪くなるのがひどくて、普通に本が読めなくなってしまっています。パソコンの仕事をするときにはめがねを掛け替えるのでよけいに悪化する進行が早いのかもしれません。これも加齢??  


  12月4日(木)
今日町役場から「池田町第5次総合計画(平成21年度〜30年度)」(素案)が送られてきました。これに基づいて9日に第一回審議会が開催されるのです。「一読して出席してほしい」という趣旨の送付状が添えられていましたので、今読んでいるところ。短い時間でこうした文案作成の作業にあたった町職員の方々の努力には敬意を表します。
まだ本当に「素案」らしく、文章も練られたものではないので、幾分読みづらいところもあるし未整理の部分も多いので、その分議論しやすいともいえます。

私の基本的な立場は、住民の意見・要望・期待ができるだけ公平にこの計画に反映されるように努力すること、そして町の未来像として具体化できる構想を作り上げることに貢献することです。公募するきっかけは観光面での意見を言いたいということにあったことは事実ですが、それ以外にも町の財政運営や福祉・教育行政をめぐってまだいいたいこともあるので、できる限りいろんな問題に関わりたいと思っています。従って、この日記上でも他人の誹謗・中傷にわたること以外は、出た意見の批判も含めて建設的な議論ができるように、私なりの意見を少しずつ書いていくつもりです。計画の立案が閉鎖的にならず、よりたくさんの町民の意見を反映したものになることを願っていますので、もしご意見があれば遠慮なくメールをいただけたらありがたいと思います。審議会としても審議の経過をすみやかにウェブ上で流し、意見の交流ができるようにすべきでしょう。

さて、計画の骨子は以下のようなものです。

第1章 計画の趣旨
第2章 計画の期間と構成
第3章 計画の背景
第4章 基本構想
 1.将来指標
 2.まちづくりの視点
 3.基本理念
 4.基本目標
 5.コンセプト
 6.キーワード
 7.施策の大綱


この中で、今後の町づくりの方針になるのは最後の施策の大綱です。もちろんそれを規定するのは基本理念や目標ですから、きりはなすことはできませんけれど、ざっと見て、基本構想がなぜこんなに理念やら目標やら視点やらコンセプト、キーワードといった難解な構想にしなければならないのか、まず理解できませんでした。中でもコンセプトとキーワードなどというのが構想になるのかどうか。

コンセプト
「楽しさ発見!なかま発見!ふるさとの美しさ再発見!」
キーワード
「クリーン」


確かにそれぞれの標語に反対するという人はいないでしょう。クリーンな町にしたいという思いは確かにある。しかし、「コンセプト」やら「キーワード」という意味不明(?)の単語を使って、どれだけの町民が「そうだ」ということになるのでしょう。
第4次計画では、基本構想の中に「町づくりの視点」「基本理念」「基本目標」「キャッチフレーズ」という4つの項目が入っており、続いて施策の大綱、基本計画と続いていました。
私の意見は、章立てと項目を整理し、もっとわかりやすい簡潔なものにすべきだということです。
「基本構想」中の「将来指標」はいわば情勢分析なので第3章にまわし「計画の背景と将来指針」とする。そして、「基本構想」は、1.基本理念、2.目標(町民憲章)のみとする。施策の大綱は第5章として独立させ、しっかりとした計画を示す。

続いて、それぞれの中身です。今日は、まだ受け取ったばかりなので、施策の大綱までは目を通していませんが、それまでの範囲で気になったことをいくつか書くことにします。
第1は、「計画の趣旨」中の次の表現です。

この間(第4次総合計画の期間)、少子高齢化の一層の進展、地球規模の環境問題、地方分権の推進と急激な社会構造の変化など、私たちを取り巻く時代の潮流は、これまでの予想を遙かに上回る勢いで進んできており、町民が求める価値観や生活意識も一段と変化してきています。
また、国・地方を通じた厳しい財政状況の中、市町村には、より経営的な視点に立ち、地方分権時代にふさわしい公民協働による自主的・主体的な施策展開が求められています。・・・


さて、こうした「時代の潮流」は自然現象なのでしょうか。また町民の価値観や生活意識がそれほど急激に変化してきているのでしょうか。
高度経済成長政策の中で急激な都市部への人口流入・過密化と農村の過疎とが進行し、池田町は養蚕の衰退とともにその影響をもろにかぶってきたのではなかったか。また、オリンピックの開催に合わせて作られた高瀬川沿線道路の開通とともに、通過する車や観光客の急激な減少に見舞われ松川村との町村の逆転ともいうべき状態が引き起こされてきたのではなかったのか。そして、小泉内閣以来の新自由主義・構造改革路線と三位一体改革のもとで、地方分権の名の下に地方財政の圧迫、国主導の市町村合併などが進められたのではなかったのか。だとすれば、今日の自治体の置かれている状態や住民の意識は、こうした国の政策と深く結びついて進行しているのであり、自治体がこれから作成する計画は現状の正確な把握抜きにはできないということをはっきりさせるべきでしょう。
それがないから、「国・地方を通じた厳しい財政状況の中、市町村には、より経営的な視点に立ち、地方分権時代にふさわしい公民協働による自主的・主体的な施策展開が求められています」などという、自治体本来の役割を放棄したような表現になってしまうのです。
そもそも「経営的な視点」などというのは自治体にはあってはならないことです。自治体が指針とするべきは「日本国憲法」であってそれ以外ではありません。自治体は国がどのような施策をとろうが、「住民のいのちと暮らしを守る最後のとりで」としての役割をまず果たすこと、そしてその役割は前にのべた状況が進行すればするほど必要になることです。
「経営的視点」とはいったい何なのか、こんな言葉をなぜ使わなければならないのか、まずこの一事だけで構想のねらいがぶちこわしになるといえるほど軽率な表現ではないでしょうか。それとも「人減らし合理化を極限まですすめ、賃金を下げ、正規職員を非正規雇用に置き換える」ことで、財政難を乗り切ろうとでもするのでしょうか。行政が行政としての役割と自覚を持って無駄を省き効率的な運営に心がけ住民奉仕に徹するということと、利益優先の民間的な手法を導入することとは全く異なることです。

第2は、上記文章の後半部分。「地方分権にふさわしい公民協働による自主的・主体的な施策展開」とはいったい何を意味するのでしょうか。国に指図されるのではなく自治体が自治体としての自主的・自立的な運営をめざすというのならばその通りでしょう。地方自治というのはそもそもそのようなことを指します。国が地方の財政をにぎって「自治」を破壊してきたわけですから、それを復元するのは積極的な意味を持つことです。
「協働」とは最近のはやりの言葉ですけど、協働にはその前提条件があります。それは行政の主体的な方針と必要な財源の提示です。「金がないから住民丸投げ方式」を協働などという言葉で包みこむなどということがあってはなりません。
町長の「ボランティア人材バンク」構想もその意味では、行政の役割と住民参加による町づくりということを意図的に混同しているといわれても仕方がありません。第4次計画のなかでも、町長から第5次計画の骨子として配布された資料にある「自助、共助、公助」という方針も、この流れでいえば同じベースに立っているといわざるを得ません。なぜ「自助」が先なのでしょうか。「まず自分でできることはしなさい。それでもだめなら隣人と助け合いなさい。どうしようもなくなったら行政が何とかできるかもしれません」というのでしょうか。地域の草刈りからゴミの分別、その他すべてにわたって何でも行政にまかせることが現実にあわないことは明らかです。だからといってそれを逆転させることもまた行き過ぎであり、現実にはそぐわない。つまり、ある部分では自助が先であり、ある部分では共助が先、またある部分では公助が先になることもあるのです。たとえば、障害者の問題や高齢者の医療では公助ぬきの自助はあり得ません。このことを明確にしておく必要があります。  


  12月3日(水)
我ながらアホだと思うのですが、昨日の夜から今日の夜まで新しいパソコンをいじっていました。結局、新しくつくったものをメインマシンにすることにして、古いハードディスクや拡張カード類を付け替え、新しくWindowsXPをインストールし直しました。時間はかかるものの、たまりにたまったゴミのような書類などは一掃できるので後々のためにはいいことでしょう。
全く新しい環境となると、不都合がいろいろ出てきて困ります。いとこのためにつくった大事なホームページがどうした原因かアップロードできなかったり(ほかはちゃんとできるのに)、ソフトの一部がうまくインストールできなかったり、ディスプレーの色味がかなり異なったり・・・これから少しずつ直していかなければなりません。ま、「パソコン病」という病気にかかったようなもの。これは不治の病です。
古いパソコンの一台はLinux用にして、普段はそれを使うようにしようかなと思っています。

病といえば、今日午前中大町総合病院まで検査に行ってきました。症状は加齢に伴う頻尿・排尿困難というもの。原因は前立腺肥大。先日町医者にかかって診察してもらい、今日その紹介状を持って専門医見てもらいに行ったのです。
「かなり重い症状ですね」という医者の言葉通り、前立腺が尿道を圧迫、膀胱の神経をかなり損なっている状態でした。幸い腎臓には異常はなく、またすぐに手術をしなければならないほどではないにしても、このまま放置しておけばあちこちに支障が広がるので、当面薬で一ヶ月様子を見るということになりました。
妻にこのことを話したら「前立腺肥大というとよぼよぼの年寄りを想像する」とかつての施設の老人たちを思い出したようで、私がそうだということに強い違和感を持ったようでした。加齢は否応なしですよ。仕方ありません。
帰ったら妻がカレーうどんを作って待っていましたから、シャレにもなりません。


  12月2日(火)
ゆうべ大町から帰るときに、金星・木星が二つの目、三日月が口のように並んでまわりに○を描けばニコニコマークのようになる天体ショーがみえました。月の出がだんだん遅くなるから今晩はもっと近づくのでしょうか。それとも木星・金星は月とは別の動きをするので違った風にみえるのでしょうか。???

今朝も北アルプスのモルゲンロートに始まる最高の一日。キーンと張り詰めた空気が身に刺さってきます。
写真を撮ろうとしたんですが、私のカメラではとてもこの山の美しさは切り取れませんでした。暗いときの前景とピンクに染まる山はコントラストが強すぎて手動で調節するか、フィルターをかけるかしないと鮮やかには撮せないようです。それにはカメラの勉強をしないといけませんけれど、そこまでは・・・・。この景色は安曇野に住むものの特権です!!



こんなに天気がいいのに、いま私がやっていることといえば、部屋に閉じ籠もって新しいPCの組み立て。へそくりをためてようやく一台分のパーツを買うことができました!
実はだいぶ前から組み立ててOSをインストールしようとしていたのですが、ハードディスク・ドライブを認識できなくなったために販売元に送って修理を依頼していたのでした。それが昨日戻ってきて、それからあらためてOSのインストールに取り組んでいた・・というわけです。
この顛末を書くと長くなってしまうし、販売元の修理のプロもわからなかったであろう問題がありましたのでここでは要点だけ。
簡単にいうと、ハードの故障ではなくLinuxをインストールしたことによるトラブルということになります。私はそれをてっきりマザーボードかハードディスクの初期不良だと思いこんで修理に出し、しかもお店の修理のプロも私とまったく同じハードの故障だと判断して、マザーボードとハードディスクを交換しケースの中をきれいに整理までして送り返してくれたのでした。このあたりの対応はさすがプロです。
それゆえ、送り返されたPCに前と同じLinuxOSをインストールしようとして結局同じ症状が現れたのはいうまでもありません。
昨日はその問題と一日つきあって、夕方ようやく原因をつきとめたのでした。あやうくまた修理に出すところでした。
ことの真相は、TurboLinuxClientのOSが何らかの原因(最新のマシンの構成に対応していないなど)でうまくインストールされず、Linux用のパーティーションとファイルシステムだけが残り、そこへ他のOSをインストールしようとするとドライブが認識されず先に進めなくなってしまった、ということです。
そこまでわかればあとは一直線、ハードディスクを取り出して現在使っているPCにとりつけ初期化し直して新しいPCにもどし、あらためにWindowsをインストールしてみました。予想通り問題なくインストールが完了。
PCなんて終わってみればこんなものです。マシンを買ったお店の修理担当者のみなさんにはお世話をかけてしまいました。うまくいってよかったです。

さて、問題はこれからです。私とすれば最後のマシンのつもりで、今後できるだけお金をかけないで毎日のネット生活をしたいという意図で初期投資をしたわけですから、Linux専用機にすることが目的でした。しかし、TurboLinuxにしろ、UbuntuにしろOneCD OSなので、新しいソフトを入れたくてもコンパイル出来る環境がないはず。ハードが新しすぎてまだ対応していないことも考えられます。ならば今使っている環境をそのまま移行できればいいけど、いろんなソフトの認証を受けることを考えるとひるんでしまいます。PCってお金がかかるようにできているんですねえ。困った。
とりあえずは以前のTurboLinuxDF2をインストールして(インストール出来ればの話)使うということもありかな。よく考えることにします。



    新しいマシンの構成

PCケース(ミドルタワー)
ケースファン
マザーボード+メモリー

CPU(Intel)
CPUクーラー
電源
ハードディスク(3.5インチ)
ビデオカード(PCI-E)

サウンドカード/DTM
記録型DVD
FDD
Antec SOLO BLACK
Scythe 鎌フロゥ9cm超静音/SA0925FDB12L×2
ASUSTeK P5Q DELUXE + GeIL PC6400 2GBx2
(GB24GB6400C5DC)セット
Intel Core 2 Duo E8500 3.16GHz 6MB LGA775 BOX
COOLER MASTER RR-CCH-PBJ1-GP 風神鍛
abee AS Power Silentist 550W (S-550EC)
Western Digital WD10EACS-D6B0×2
ASUSTeK EAH4850/HTDI/512M/R2
CREATIVE PCI Express Sound Blaster X-Fi
Titanium Professional Audio (SB-XFT-PA)
PIONEER DVR-S16J-BK
MITSUMI D353M3 3.5インチ 2Mode対応FDD(ブラック)




  12月1日(月)
朝から素晴らしい天気。北アルプスには雲一つ無く新雪がまばゆく輝いて一直線にその全容を現していました。思わずカメラを持ってあちこち冬の景色を探し回りましたよ。そのうちのいくつかを紹介しましょう。冬の安曇野という感じが少しでも伝わればいいのですが。















昨日は、共産党池田ファンクラブの総会、忘年会が開かれました。私は事務局長として経過報告から総括方針提案まで全部やらなければなりませんでしたので、ちょっと気疲れ。ようやくちょっと肩の荷を下ろすことができました。30人近い会員が集まって気持ちを通い合わせることができて何よりでした。
後半の懇親会では、持ち寄りの料理が盛りだくさんで、楽しいひとときを過ごすことができました。






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